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2013年11月23日 (土)

城址

人間は、40歳頃までは未来を貪り食って生き、

それ以後は過去を齧って生きるなどと言われる。

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それ程かどうかはともかく、人はたえず挫折と妥協と忍耐の日常を過ごしている。

それで歳と共に「いっそ、どうせ、せめて・・・」なんて言葉に慣れ親しむようになる。

そうした馬齢の故かどうか、城址に立っても昔と思うことが違ってきた。

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小笠山の南西の縁(はずれ=すか)に横須賀城址がある。

城主は目まぐるしく変わったが、幕末には西尾氏の居城だった。

戦国末期に武田勝頼方の高天神城と対峙する戦略拠点としてDscf9108

家康が大須賀康高に築かせた城である。

石垣が川原石で築かれている珍らしい城だ。

小さいながら往時は、東西を行きかう旅人や船舶を睥睨していた城である。Dscf9107

掘割や城郭は決して大きなものではない。

だけど一つの勢力が割拠し、いざと言う時にはそれなりの威力を発揮したのだろう。

男はその朽ちた城址に立つと、何故か不思議な感懐にとらわれる。Dscf9106

単に当時の権力の拠点に過ぎないのだが、その何百年かのドラマに引き込まれるのだ。

この城と関わって生涯を過ごした人々の思いの中にである。

どの様な男が城主で、如何なる生涯を送ったのかも知らない。Dscf9105

しかし、世が世ならこの城が出世の登竜門になったかも知れない。

この城の西側に弁財天川という小川が流れている。

弁財天とはインドの大河インダス川の化身、弁天様の別称である。Dscf9104

その名の通り今でこそ小川だけど、かつて江戸初期には浅羽(瀬)を覆って流れる大河だったのだ。

城は、その河口に迫り出した尾根に建っていた。

どんな男たちがこの城を巡って進退したのか記録は乏しい。Dscf9103

だけど城址には、そんな人々の細やかな野心の残照がある。

因みに、登竜門とは黄河の上流にある竜門と言う所のことだ。

黄河も際立って、既に山西省と陜西省の間の急流になっている。Dscf9102

そして鯉がこの急流を登りきれば竜になると言う伝説が登竜門の由来だ。

節句の鯉のぼりは、見事登竜門を越えて欲しいと言う親心なんだな。

さてこそ、何もない城址だがもの思わせる場所だ。

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