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2013年12月31日 (火)

一年渺茫

遂に、今年も大晦日を迎えてしまった。

私が立哨している傍らで、夏頃から始まったJA支店建設がこの暮で完成しつつある。

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これもこの一年の経過かと、時々その進捗を写真に収めてきた。

時の流れは見えないけれど、コツコツと人の仕事の積み重ねは形になる。

今年は暑さ寒さの気候にもメリハリがあって、

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世界の年平均気温は平年に比べ0,2度、日本は0.4度も高かったそうだ。

この温暖化の中でコマネズミの様に走ってきたが、さしたることも成し得なかった。

だけど私は兎も角、政権交代のお陰で世の中は大きく変わった。

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見るも無残な3年数か月の混迷を経て、ようやく動き始めたという感がある。

円高放置からの是正が進んで、経済にも幾分の明るさが見えてきた。

普天間の移設も、鳩の無責任な食い散らかしから4年、ようやく先が見えてきた。

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思うに政治は責任であって、悪戯な人気取りは破滅への道だ。

それにしても、今年最大の失態は世論(新聞)ではなかったか。

私はほぼ毎日、日経、朝日、中日、静岡、農業の各誌に目を通している。

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しかし日系を除く各紙の論調には、随分と違和感を感じた。

取り分け、秘密保護法ではマスコミの心底が見えたような気がした。

連日の様に戦前の治安維持法を連想させるような記事を掲載していた。

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マスコミには、批判的精神に基づく政治を監視する使命があるとしても、

冷静に考えれば読んで唖然とするような記事を平気で載せていた。

売らんかなの記事だとしても、随分偏った報道だったと思う。

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ともあれ、鳩山政権がことさら混乱を起こした普天間移設も、ようやく動き出そうとしている。

安倍政権の支持率が比較的高いのも、前政権があまりにも酷過ぎた故だろう。

たった一年のことだけど、既に随分昔のことだったような・・・・。

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今頃、無責任な鳩や管は鼻くそでも穿っているのだろう。

 今歳今宵尽 〔今歳 今宵 尽き〕

 明年明日催 〔明年 明日 催す〕

 寒随一夜去 〔寒は一夜に随って去り〕

 春遂五更来 〔春は五更(夜明け)を遂いて来たる〕

 気色空中改 〔気色 空中に 改まり〕

 容顔暗裏回 〔容顔 暗裏に 回る〕

 風光人不覚 〔風光 人 覚らざるも〕

 己著後園梅 〔既につく 裏庭の梅〕

唐の詩人の希望の詩である。

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皆さん!!、来年がより良い年になるようお互いに努力しましょう!!

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2013年12月30日 (月)

猪の浴槽

私の走る小笠山にも、数年前から猪が出没するようになった。

走路のあちこちをミミズを求めて掘り返すし、間接的にその存在を意識するようになった。

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中でも走路の脇に二か所、彼らの水浴場が出来ている。

大きな穴を掘ってそこで水浴びするのだが、水が無けりゃ土浴だ。

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この寒さの中でも、几帳面に毎日の様にこの浴槽を使っているらしい。

さて、浴槽の事はひとまず置くとして、最近感じていることを書きたい。

それは、この国のマスコミはかなり偏向しているのではないかと言うことだ。

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先日の安倍首相の靖国神社参拝では、臨時ニュース並みの扱いをしていたし、

日経以外の各紙は朝夕刊トップの扱いだった。

一国の首相が戊辰戦争(西南の役)以来の、この150年間にこの国のために命を落とした、

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数知れぬ御霊に誠を捧げることが、何故トピックスなのか。

仮に数人の戦犯が合祀されているとしても、それ程特別視することなのかどうか。

中国や韓国が拒否反応を示すから、トピックスなのか。

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ニュースを作って売るのがマスコミの仕事だとしても、軽重がおかしいと思う。

そもそも、どの国の元首だって国の為に命を賭した人々を参拝している。

例えば米国の大統領がウエリントンの国立墓地を参拝したからって、トピックスにならない。

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隣国が反対するって言うなら、日本のマスコミは「罪もない日本国民を無差別爆撃した

兵士の墓に何故詣でるのか」と抗議すべきではないか。

未だかつて、そんな記事を見たことがない。

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私の家の長男(叔父)も徴兵されて大陸で戦死し、靖国に祭られている。

叔父は結婚したばかりの嫁を残して帰らぬ人となった。

とは言え、私は一度も靖国に参ったことはないが、遺影には手を合わせている。

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一国の首相が靖国を参拝するのは当然であって、トップニュースにする方が狂っている。

この国のマスコミは少々驕っているのではないか。

考えてみれば、4年前の政権交代だってマスコミの演出では無かったか。

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それに踊らされた私達が悪かったのだが、あれからマスコミは増長を始めた。

そもそも、中東にしてもアジア各国にしても、隣国とは押し並べて仲が悪い。

それは、国内統治の都合もあっての事なのだ。

ともあれ猪にとって、あの浴槽は壊されたくない貴重なものなのだ。

この話は、明日も続けることにしたい。

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2013年12月29日 (日)

人はそうやって・・

今朝も、少し厚手の氷が張っていた。

ホウレンソウとレタスの出荷を終えて、山に向かう。

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流石に冷たい風が吹いていたけど、2kmも走れば体は温かくなる。

走りながら何時も何かを思っているんだけど、今日は何故か、

しきりに昔のことが思い出されて、やや切なくなった。

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それも去来するのは、数々の苦い思い出ばかりで楽しかったことは一つもない。

あの時こうやっていればとか、こんな対応が何故出来なかったかとか、そんな思いだ。

しきりにそんな思いの後、「まあ~、それで良かったのさぁ~」と声が漏れる。

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振り返るなら、確かに無数の失敗を繰り返しながら今日に至っている。

今、人の前に立って一廉の挨拶などをしているが、実は失敗の連続の結果なのだ。

しかしそれにしても、悲喜こもごも随分波瀾万丈を乗り越えてきたつもりなのに、

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失敗ばかりで、何故数少ない得意満面の場面を思い出さないのか。

それに昔の場面が去来するのは、齢の故なのだろうか。

それもあろうが、年の瀬ってこともあるのだろう。

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昔の思いを振り切って、今年は何が出来たのかと考えてみる。

それが直近のことなのに、何も思い浮かばないことに唖然としてしまった。

そりゃ、こまごまと色々なことはあったが、どうも一本芯が通って無かったんだろう。

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纏まったことは出来なかったけど、走ることだけは結構走った。

100kウルトラの5大会を始めとして、日程もかなり無理をして走ってきた。

そうやって、私は自分の命を燃焼させている。

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人は誰も、その時代に生かされているんだけど、得心の人生はなかなか得難い。

だけんど、人は誰も失敗を繰り返しながら懸命に生きているんだ。

そうやってね。

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2013年12月28日 (土)

キムチの頃

毎年今頃からキムチを作るために、大量の白菜を育てている。

ところが今年は、寒さが速くやってきたためか成長が思わしくない。

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止む無く、他から白菜を調達したのである。

今日は材料を揃えて浅漬けする所までだが、明日は本漬けする。

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ともあれ、この冬は野菜異変とも言える様な高騰をしている。

葉物がみんな高くって、今日もセロリーを買おうとしたら何と葉一本245円で伸ばした手を縮めた。

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同様にキャベツもホウレンソウもレタスも品物が極端に少ないらしい。

お陰で私のホウレンソウは飛ぶように売れている。Dscf9842

調子に乗って、明朝は虎の子のレタスを出荷しようと思っている。

キャベツは中国からの輸入量が史上最大とかで、PM2.5の国からの輸入である。

又、何か問題でも起こらなきゃ良いんだけどね~。

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数年前、農産物の自給率を巡ってバカバカしい騒ぎがあった。

エネルギーベース自給率41%は、農水省の為にする嘘の数字だと言うものだ。

TPPを強引に進めようと言う欺瞞政治の代物だった。

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どの程度国内で生産できているかなんて、スーパーを一回りすりゃ分かる。

散々農業と農村を破壊しておいて、やれ野菜の高騰が問題だと騒ぐ。

ことほど左様に消費者は勝手なものである。

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そんな勝手な消費者になるまいと、様々な野菜を自給し余りを売ることにしている。

しかし相手は気候、成長は思うに任せないのである。

やっとのこと大きく育ったレタス、200玉×150円で3万円なるかも。

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もっとも手数料や諸経費を差し引くと赤字だけど、それでも金が入るのだ。

現実を噛締めつつ、作物が育つのを楽しんでいる。

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2013年12月27日 (金)

当に時に及ぶ

金融機関などを除けば、今日で大抵の事業所は仕事納めだ。

年末年始の休暇を前に、矢の如く過ぎ去ったこの一年を思っている。

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時の流れに身を任せ、残り少ない大切な時期を逸してきたのではないかと。

人生僅か五十年と謡われた時代からすれば、確かに寿命は延びた。

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しかしそれとて、百歳まで生きるのは至難の技だ。

若い頃と同じようにあれこれと戸惑って、やる事をやれなかったのではないか。

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宿題を先送りしていれば、寿命は尽きてしまうかも知れない。

とまあ~そんな思いである。

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兎に角日々の予定をこなしていたら、何時の間にか一年が経ってしまったのだ。

日常を普通に過ごせりゃそれで満足すべしと思う一方で、

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それで良いのかなぁ~って、少し懐疑的である・・焦っているのかな?

人には「今しか出来ないこと」がきっと有るのに違いない。

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それなのに日々に堕して徒に時を費やしてしまう。

とは言え、今やらねばならないことは一体何なのか?

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二千年前の中国の詩人〔無名〕も、かくのごとく詠っている。

 生年不満百 〔生年 百に満たざるに〕

 常懐千歳憂 〔常に千歳の憂いを懐く〕

 昼短苦夜長 〔昼は短く 夜の長きに苦しむ〕

 何不秉燭遊 〔何ぞ 燭をとりて遊ばざる〕

 為楽当及時 〔楽しみの為には 当に時に及ぶべし〕

 何能待来茲 〔何ぞ 能く来る年を待たんや〕・・・ 後略

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過ぎ去った日々を悔やんでも致し方ない。

この期に及んでは、来る年を待つしかあるまい。

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2013年12月26日 (木)

たかが走ることだけど

自分はスポーツ音痴だと信じていて、随分その劣等感で苦しんだ。

だけどその音痴が、どうした訳か40歳を過ぎて走り始め、自分の人生を変えてきた。

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たかが走るってことにそんな力があるなんて、思いもしなかった。

昼休みに駿府公園の周りを走り始めて1年程した頃だったか、

初めて駿府マラソンのハーフを走った。

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と言うか、制限時間ぎりぎりにやっとのこと、ゴールに辿り着いたと言うべきだろう。

最後の5k程を足を引きずりながらの苦闘だったと記憶している。

それが次は小笠掛川つま恋Mのフルを走った。

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この時の最後の10kの苦しさは絶品で、生涯忘れない傷だらけの完走になった。

この時、マラソンとはこう言うものかと、自分なりに得心したようだ。

やがてその放心状態でゴールした経験が病み付きになって、

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今では、平均すれば月に250k前後は走っている。

年が変われば直ぐに宮古島100kマラソンである。

そう、もう既に100kマラソンを走るようになって17年になる。

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100kのレースには、フルなどとは違ってその時々の物語が生まれる。

淡々と足を運ぶだけのスポーツだけど、

何時の頃からか「これは人生と同じだ」と思うようになった。

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万全の準備をして臨んだとしても、100kの途上には様々なドラマが起こる。

時に天候異変だったり、自身の変調・トラブル、或いは思わぬ出会いだったりする。

そうした諸々を切り抜けて、ゴールする時の感慨も決して一様ではない。

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時には涙で前が見えなくなることもあるし、ゴールで待つ仲間と抱き合うこともある。

人生を懸命に走ってきたその思いが爆発する一瞬なのだ。

たかが走ることだけど、ただ淡々と走るだけだけど、こいつは奥が深い。

何時まで走り続けられるか分からないけど、生涯走っているのではないか。

そしてある時、山の中でパタリと倒れて死ぬならばこの上ない本望だと思っている。

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2013年12月25日 (水)

人と人

どんなに強がったって、私達は一人で生きることは出来っこない。

お互いに持ちつ持たれつ、それぞれ役割分担しながら、

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或いは持たれ合いながら生きている。

それに、どんな環境で誰と関ったかで随分と人生そのものも変わってくる。

殊に、人生の多くを過ごす職場での出会いは、より大切なものだろう。

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私も、職場とその人間関係に育てられたな~と、つくづく思っている。

更に言えば、人ほど面白く興味尽きない存在も無いだろう。

得て不得手を含めて、それぞれ多様な個性を持っている。

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そういう意味で、私は人が好きだな。

だけど、人と人が本当に肝胆相照らす関係を築くのも容易な事ではない。

とかく自己防衛本能とか警戒心が先立って、胸襟を開けなかったりする。

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ある意味で、それが己の力量でもあるのだろう。

かといって、嫌いな人間と無理をして付き合う必要も無いと思う。

それを孔子先生は「鬼神は敬してこれを遠ざく」と教えているのだが、

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私も何百人に一人だが「こりゃ、駄目だ」って人に遭遇したことがある。

権力的で自信過剰な男だったが、所詮それだけの人間だった。

そんな嫌な関わりための我慢で、自らの感度を下げてしまうのも馬鹿馬鹿しい。

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気の合った人間とだけつるんでいれば良い訳じゃないけど、

己の力量を越えたら、敢えて無理な人間関係を維持する必要は無いのだ。

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とどのつまり、心許せる仲間が数人いれば良かろう。

 去者日以疎 〔去る者は 日々に疎し〕

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 生者日以親 〔生きる者は 日々に以って親しむ〕

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2013年12月24日 (火)

メリー・クリスマス

Merry Chrisetmasとは書いたが、我が家にとって孫どものケーキくらいのもので、

特別にキリストの誕生を祝うなんて気分もない。

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クリスマスにしろバレンタインやパンプキン・・などと、ただの商魂の賜物に過ぎない。

日本人の古来からの節目好きを上手くとらえた代物だ。

ともあれ今日、無いよりも有った方が良い節目になっている。Dscf9776

兎に角、日本人は節目が好きだ。

24節気に始まって様々な祝日もある。

それは良いが、期限と言う節目が困るんだ。Dscf9704

子供の頃から、夏休みの宿題に始まって、何時も期限に迫られて凌いできた。

その習性は今なお続いていて、期限ぎりぎりにならないとその気にならない。

不肖私にも幾つかの原稿依頼がある。

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この年末から年度末にかけて依頼が多くなるのだが、これが習い性故に苦しめられる。

人はブログを毎日書いてるんだから簡単でしょなどと言うが、さにあらず。

テーマに沿って起承転結を踏まえつつ表現するには、それなりの心構えが要る。

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第一何をテーマに書くのかを決めなくっちゃいけない。

あれかこれかと逡巡するうちに、締切期限は目の前に来ていると言う次第だ。

空っぽな胸の内からテーマを探すのは大変だが、不思議と時間が解決してくれるんだ。

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と言う訳で、この年末までに二つの依頼をクリアーしなくっちゃならない。

と言うか、この宿題を背負った自分が好きなのかも知れない。

何かを必死に探している自分は好きだ。

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一生、そうやって暮らすのかな!!

ともかく、皆さんメリー・クリスマス!!!

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2013年12月23日 (月)

何処を目指すか

「一寸の光陰 軽んずべからず」と心していても、時の流れには如何とも抗し難い。

このところ急かされるように、あれもこれもと精一杯手掛けてきた。

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しかし時に、一体全体私の目指すところは何処なのかと戸惑うことがある。

今更子供を育てる訳でもなく、年金生活者として平凡な日々を送ったって良いのである。

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それにもかかわらず、日々あくせくと動き回っている。

「そりゃ、何なのか」との逡巡である。

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悪戯に大切な人生の時間を費やしているだけかもしれないし、

倒れるのが怖くって必死に自転車のペタルを踏んでいるのかも知れない。

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かと言って、何もせずになど居れないのも事実だ。

人はその命を、突き詰めれば自分のために燃焼させて生きる。

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望むらくは、それが少しなりとも世のため人の為になれば幸甚であろう。

乱世なら、華々しい死に場所を探したかもしれないが、

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所詮この世に天国など無い以上、遮二無二生きる他あるまい。

それにしても、残余の時間はたっぷり有るような気もする。

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さすれば、何処を目指すべきかと改めて考えている。

 下馬飲君酒 (馬を下りて 君に酒を飲ましむ)

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 問君何処之 (君に問う 何処に行くのかと)

 君言不得意 (君の言 その意を得ず)

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 帰臥南山陲 (帰りて 南山のほとりに臥せんと)

 但去莫復問 (ただ去る 復問うことなし)

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 白雲無尽時 (白雲 尽きる時無からん)

「南山の辺りに隠居するつもりさ。このうえ、もう何も聞くまい。

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あそこなら・・・勝手にするがいい。」

王維の心境を吐露した一節だ。

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白雲とは、人生諸々の伴侶であろうか。

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2013年12月22日 (日)

年の瀬音

寒さがいや増して今日は冬至、いよいよ年の瀬である。

瀬とは川の浅瀬と同じで、流れが急に早くなる。

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故に瀬音をたてて流れるんだが、年の終わりもやはり気忙しく過ぎていく。

そんな折、今日はコミュニティ協議会の主催で門松づくりの会を開いた。Dscf9826

役員の皆さんが何日もかけて菰を切ったり、竹を調達したり、

千両や熊笹を集めてきたりと万端準備を進めてきた。Dscf9827

集まった皆さんは、その材料を組み立てるだけだが、それでも2時間近くを要した。

子供さんと悪戦苦闘しているお父さんもいて、和やかな会になった。Dscf9828

私は会の冒頭の挨拶で「年の瀬」の話をさせて頂きながら、

流れの速い年の瀬だけど、皆で門松づくりが出来るのは素晴らしい瀬渡りだ。Dscf9829

役員の皆さんに感謝しつつ、心を込めて立派な門松に仕上げましょう。

そうして、来年をより良い年にしましよう。ってなことをお話しした。Dscf9830

私に同行した孫達は門松自体を知らないんだが、喜々として形を作ってくれた。

もちろん肝心なところは私が手を入れたんだが、かなり立派な門松に仕上がった。Dscf9831

何であれ形が出来上がっていくのは嬉しいものである。

集まった皆さんも同様で、これで正月を迎えられるとばかりに、Dscf9832

とっても良い笑顔で帰っていった。

コミュニティーとは、みんなの笑顔づくりである。Dscf9834

自治会が色々と趣向を凝らして笑顔づくりに取り組めば、素晴らしい地域づくりが出来る。

しかし現実は、残念ながら最低限のノルマをこなすのが精一杯なのだ。

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それでも、少しずつ努力して下さっている方々がいる。

役員の皆さんに感謝しつつ、持ち帰った門松を飾ると、もう年の瀬は盤石である。

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そして、精一杯走ってきたこの一年も程なく終わろうとしている。

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2013年12月21日 (土)

スポーツって

子供の頃一番嫌いな教科が体育で、何時も憂うつだった。

だからスポーツはことごとく避けて通るのが常だった。

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それぞれのスポーツにはコツみたいなものがあって、それを誰にも教えられないままに、

自分はスポーツ音痴でその面の神経が鈍いんだと決めつけていた。

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ガキの草野球に人数が足りなくて引っ張り込まれたりすると、何時もひどい目にあった。

そんなこんなで、余計にスポーツが嫌いになったのだ。

だけど、40歳を過ぎて突然の様に走ることを始めて今日に至っている。

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それで、改めて思うことは、

学校の教科に体育があるのは、優れたスポーツ神経を発掘するためじゃないってこと。

体を作り、生涯スポーツの基礎をつくることでなくてはならない。

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私の経験では、それぞれのスポーツの楽しみ方を教えらるのが教育なのに、

そんな片鱗も感じたことが無かった。

子供のころからプロスポーツを目指す人達がいる。

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野球やサッカーなどだが、

イチローの様な選手は例外であって、めったに出るもんじゃない。

プレーを見せて金を稼ぐには、桁外れの才能が必要なのだ。

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ともあれ今日は、ラグビートップリーグのジュビロVSグリーンロケッツ(NEC)を観戦した。

ラグビーは力と球技で陣取り合戦するゲームと言ったら間違いだろうか。

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型通りバスをしていても前進できる訳ではない。

どこかで誰かが突破力を発揮して初めて得点につながる。

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男と男のぶつかり合う音が終始響いて、観戦者の方もどうしても力が入ってしまう。

これこそ、プロスポーツの醍醐味だろう。

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私達は、プロの真似をする必要なんてない。

スポーツをすること、そして観ることを楽しめばよい。

望むらくは、学校ではスポーツは誰もが楽しめるものたという教育をして欲しい。

教育は、人生を教える所でありたい。

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2013年12月20日 (金)

自己表現

このブログを書き始めて、もう2,800日になる。

毎日書くことが習慣化して来春で8年になる訳だが、

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「何ぜ書いているのかなぁ~?」って思わないでもない。

自分が遭遇した事、興味を引かれた事、時には去来する日々の思いを、

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私の人生の記録として書いてきた。

だけど書くこと自体に、特別な意味も自分にとっての効用も有るとは言えない。

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それなのに、書かずにいられないから書いている。

只結果的にだけど、この間に私の目線がかなり変わったことは事実だ。

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そこには、ブロガーとしての書き手の目線で行動している自分がいる。

効用は無いと書いたけど、書くことで自分自身を確認しているのかも知れない。

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自分の足跡を確認しつつ、その先を探る臆病な動物のようにね。

とは言え書くことは、全てでないにしても自分を晒すことに違いない。

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そういう意味では、リスクを承知で私の馬鹿さ加減を日々開陳してきた訳である。

そうして、このブログを随分多くの方々にご覧頂いている。

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何時の間にか、その読者をどこかで意識している自分がいる。

人は誰も、多かれ少なかれ自己実現を目指して生きている。

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仕事で頑張るんだって、より良い家庭を目指すんだって、冒険するんだってそれだ。

おまけに人間には、人に認められたいという願望が有る。

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そんなこんなをひっくるめて、私達は失敗しつつも日々行動しているんだろう。

私がブログを書くのは、強いて言うと自己表現したいだけなのかも知れない。

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それに「不学便老而衰」〔学ばざれば すなわち老いて衰う〕と言う事もこれあり。

これは身勝手なマスターベーションなんだろうか?

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2013年12月19日 (木)

所以終日酔

忘年会続きで、正に毎日のように酒に心酔う年末である。

人類と酒の付き合いは随分古いらしいが、人は何故酒を飲むのだろうか。

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酒自体決して美味しいものではない〔?〕のに、毎日のように飲酒してしまう。

多分、酔いが欲しくて飲むんだろうな。

酒に弱かった私も、何時の頃からか飲むようになって幾分強くなった。

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ほんの少し酔えば、昼間の憂さなども霞んで、大したことではないと思うようになる。

困っていた事だって、まあ何とかなるさって、気持ちも膨らんでくる。

それに親しい仲間と飲めば、余計に愉快な気分になれるだろう。

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ともあれ、気が大きくなった弾みの失言で、現役時代には何度も苦い思いをした。

家に帰って、酔い覚めながら一晩中苦悶したことだって有る。

あろうことか、新任のトップに若輩が諌言したりしてね。

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しかしまあ、気分良く眠れたり、人と仲良くなったり、人の意外な面を知ったりと、

総じてお酒には助けてもらっているのだろう。

その私も、何時の頃からか晩酌を嗜むようになった。

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そして、酒は涙かため息か、悲喜こもごもの度にその酒量が次第に増えてきた。

それである時、晩酌の限度を自ら決めて、以降律儀にそれを守っている。

それでも適度な陶酔を得られるのだから、酒は素晴らしい人生の友だ。

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古来酒を詠った詩人は多いが、中でも李白が秀逸だろう。

 処世若大夢〔処世 大いなる夢の如し〕

 胡為労其生〔何の為に その生を労するか〕

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 所以終日酔〔ゆえに 終日酔おう〕

 頽然臥前盈〔頽然として 盈の前に臥す〕・・・ 中略

 感之欲嘆息〔之に感じて 嘆息せんと欲し〕

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 対酒還自傾〔酒に対して また自らを傾く〕

所詮は残り少ない人生であろう。

ならば酒も適度に、人生を多いに生き抜くべし。

望むらくは、貴重な人生の時を酒と共に味わおうと思う今日この頃である。

 

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2013年12月18日 (水)

夢のまた夢

このところ各種の会議が続いている。

昨日は掛高の講演会から社協の評議委員会へ、夜はゴミ分別変更説明会。

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今日は三役会議から自治連の理事会と続いた。

会議も含めて日々様々な課題に直面し、それはそれなりに対処している。

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だからそのことを負担だとも何とも思ってはいない。

しかし、夢の中の世界はどうも違うようだ。

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夜の時間帯が長くなって、おまけに寒くもなっている。

それでついつい10時過ぎには寝ることが多くなった。

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寝ている時間が長くなって、どうも夢を見ることも多くなったようだ。

それも、苦しかったり困ったり立ち往生したり、碌でもない夢ばかりなのだ。

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目覚めて考えてみると、その夢の中身は昼間のどこかに通じているような気もする。

自分では感じていなくても、潜在的にどこかで夢と繋がっている様なのだ。

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たまには甘ぁ~い夢を見たいと思うのだが、

こいつは昼間の実体験が無いが故に絶えて久しい。

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かてて加えて、このところ毎日のように忘年会が続いている。

私はどうも酒を過ごすと眠れなくなって、何時までもしらしらと時を過ごす。Dscf9724

そんなうつらうつらにも夢を見てしまう。

まだ冬本番はこれからなのに、春眠暁を覚えずを恋焦がれている。

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2013年12月17日 (火)

マルコの越えたパミール

未知の世界への好奇心は、誰もが共有するところだろう。

だけど実際にその探査に赴くか否かは、人によって天と地ほどの濃淡がある。

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その昔、シルクロードの冒険をやり遂げたのが三蔵法師であり、マルコポーロだった。

そしてまた、マルコポーロの辿ったそのシルクロードを自転車で走破した男がいる。

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トルコのライアス港からイスタンブール、アフガンからパミール、そして西安(長安)へ、

その8年間を掛けて14,480kを走ったのが、ランナー仲間の景山淳さんである。

今日は、彼が出身母校の掛川高校で講演をすると聞いて出かけた。Dscf9782

シルクロードは途方もない距離だが、

砂漠や熱所の地、4000mものパミール高原などを越えていく。

それに世界で最も治安の悪いのがこの地帯でもある。Dscf9783

それでも彼は、言葉の壁を克服しつつ、現地の登山家の仲間に助けられつつ、

2010年8月、遂に北京に到達したのである。Dscf9784

当然ながら、何年もかけて周到な準備を積み重ねての壮挙であった。

それも会社勤めの傍らやり遂げたことに頭が下がる。Dscf9785

ともあれ、人間は好奇心だけでこれ程のエネルギーが湧き出るものだろうか?

否、好奇心と言うよりも、彼は夢「日本のマルコポーロたらん」の実現に賭けたのである。Dscf9786

彼の著書「我、日本のマルコ・ポーロとならん」(東京新聞刊)のあとがきに、

「ファーブルは55歳から「昆虫記」を書き始め83歳で完成させた。Dscf9787

同様に伊能忠敬も55歳から日本列島地図の測量を始めている。

自分もこうした強い気持ちだけは生涯持ち続けたい」と記述している。

人生は勝ち負けや損得じゃない。Dscf9788

夢に向かって歩き続けることが出来るか否かだろう。

ちょっと蛇足だけど、ウサギとカメの童話で思ったことがある。

鈍足の亀がどうしてウサギに勝つことが出来たんだろうってね。Dscf9789

そりゃ直接的には、ウサギが慢心して寝ちゃったからだけど。

でも本当は、ウサギは競うことだけを考えていたから、もう大丈夫って寝てしまった。

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カメは、ひたすら山の上のゴール(目標)を目指していたから勝ったんじゃないかな。

ひょっとしたら、人生も同じなんじゃないかと思うんだ。

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2013年12月16日 (月)

明日非所求

私達は、人それぞれの世界の中に生きている。

その世界は、生まれてこの方自分で広げてきた世界だ。

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望むらくは、誰でも三つの世界を持つ必要があると言われる。

それは「仕事」という世界と、「家庭」と言う世界、それに「市民」という世界だ。

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一昔前まで男は仕事だけ、女は家庭専化というパターンが多かった。

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たけど今時、女性も皆働いているし、そんなことを言っている人は少なかろう。

この仕事と家庭に加えて、一市民として応分の地域での役割を果たすことが求められる。

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勿論、地域での人々との関わりを含んでいる。

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しかし勝手放題民主主義の蔓延で、

隣の人は何する日とぞ・・・これが日増しに疎遠になっているのが現実だ。

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ともあれ私は、この三つの世界じゃ足りないと思っている。

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最も大切なのは、「遊ぶ世界」ではないかと思っている。

どう遊ぶかも囲碁将棋・スポーツ・芸術などと多岐にわたるだろうが、

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人生に必要なのは遊ぶことに夢中になるってことじゃなかろうか。

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昨日の浜名湖半周マラニックを考えている。

「寒風の中を息せき切って走って何が楽しい?」と人は言うかも知れない。

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でも私達は、その走るっていう「遊びの世界」に夢中なんだ。

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そのことが、日々の憂さを解消してくれるし、

人との巡り合いを含めて人生をどんどん広げてくれるし、家庭や仕事の活力にもなる。

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 吾生行帰休 〔吾が生 行く 帰休せんと〕

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 且極今朝楽 〔かつは 今朝の楽しみを極めよう〕

 明日非所求 〔明日を求めるところに非ず〕

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「どの道何時かは寿命が尽きるのだ。だから先ずは今日を楽しみつくそう。

明日と言う日を当てにはすまい」陶淵明が友人達と遊びながら詠った感懐である。

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生きている今を、十二分に生きてこその人生であろう。

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2013年12月15日 (日)

今年を走る

今日は、恒例の浜名湖半周忘年マラニックである。

浜名湖半周35kmを今年のランニングの総括を兼ねて走るのだ。

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生憎と言うべきか、時折風花が舞うような寒い日になって、湖水もかなり波立っている。

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それでも48名の仲間たちが元気に走り始める。

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寒い寒いと言いながらも、5kも走ると次第に薄着になっていく。

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13kの地点からは対岸の湖西まで船で渡る。

舟は、私達一向で満席である。

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実は、この船をカモメの群れが追いかけてくる。

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目当ては客の投げるカッパエビセンなんだ。

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何人かが外に出てエビセンを播いていたが、

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あまりの寒さに大部分は船室に閉じこもったままだった。

ともあれ対岸の瀬戸の吊り橋からは、ゴールの弁天島までの22kを走らなきゃならない。Dscf9755

それぞれバラバラになりながらも、冬景色を眺めつつ懸命に足を進める。

私は、今年もHさん主催の大会12回を始めとして、Dscf9756

宮古島100k、富士五湖113k、野辺山100k、隠岐の島100k、丹後100kなど、

全国各地の大会を楽しみながら走ることが出来た。Dscf9764

それも一重に、走る仲間の存在が力を貸してくれたお陰なんだ。

この世の中を渡るのに、たった一人で出来ることなんて高が知れている。Dscf9765

励まし励まされ、そうしてこの一年が成り立っていたことを思う。

ゴールは遥か先だと思いながらも、Dscf9769

前を行くランナーを追ううちに弁天島に行き着いてしまう。

回春楼には15:30頃に走り込んだ。Dscf9770

寒い中を走ってきて、温かな温泉に浸かるのは何よりのご馳走である。

そのご馳走の中で脹脛を揉みほぐしながら、ゆったりと浸かった。Dscf9771

思うことは、「この一年も元気に走れたわい!」と言うことである。

毎度言うことだが、人間が生きることにそれ程大層な意味がある訳じゃない。Dscf9772

生きている間にこそ、何が出来て何が出来なかったかを考えるべきだ。

私が走り続けているのは、その人生の燃焼のほんの一部に過ぎない。

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でも、その走るってことが人生全体の大きなエネルギーになっているんだ。

多分、ランナーの仲間達も同じ価値観を共有している。

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お風呂から上がって、ランナーの賑やかな忘年会が始まる。

走友と語らうことが、明日の元気につながるんだ。

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みい~んな素晴らしい人達ばっかりで、「俺も頑張らにゃっ!」て気分になる。

と言う訳で、今夜はついつい長居をしてしまった。

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2013年12月14日 (土)

水と音と光と

夜の空間に浮かび上がる水のエンターテイメント。

はままつフルーツパークの噴水ショウなるものを初めて観賞した。

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様々な色合いに映し出された水の柱やカーテンが浮かんでは消えていく。

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時には巨大な王冠の様になり、フラミンゴの群れになったりもする。

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それが大きくなり小さくなり、踊るがごとく歌うがごとく躍動するのである。

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みんな、寒風の吹く野天で肩を寄せ合って、その水の演舞を堪能するのである。

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水のカーテンも柱も帯も次の瞬間には消えてしまって、次の水に変っていく。

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その点花火の様であり、否それよりもはるかに余韻を残す美しさだ。

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その麗しい水の踊りを観ながら、私達の日々の移ろいを連想していた。

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一日一日も一本の水柱の一瞬かも知れないし、

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目くるめくステージなのかも知れない。

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次々と変わっていくし、似ていたとしても同じ日では決してありえない。

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それに、水と言うものの繊細さは、過ぎゆく日々の儚さにも共鳴する。

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若いアベックならば只「綺麗」と感じるものを、馬齢の故に儚さと受け止める。

ともあれ、水でこんなエンターテイメントが出来ることに驚いた。

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冬の夜の20分余り、誰一人立ち去る人もない。

写真がうまく取れなかったのが残念だが、久しぶりに噂に違わぬものを見せて頂いた。

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この夜の寒さの中をフルーツパークなどと躊躇したんだが、一見の甲斐ありである。

それにイルミネーションのトンネルも気分を高揚させてくれる。

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2013年12月13日 (金)

常治

何ともはや、今日は七変化の一日だった。

早朝7時からは、交通安全運動が始まるのに先立つ立哨活動である。

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自治会役員や交通安全会のメンバーが町の主な交差点に立って注意を促す。

特に今年は、自転車の左側通行の徹底に重点を置いている。

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ある朝突然街頭に人が繰り出して、それで交通安全に効果があるのか?

その効果の程は判らないが、「安全運動中」が頭のどこかに残ればそれで良いのだ。

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誰だってヒヤリハットの瞬間の記憶があるだろう。

どだい事故は、ほんの僅かな不注意で起こるのだから。

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そして街頭活動の後は、何時もの子供たちの見守りである。

「叔父さん、今日は服装違うね」などと言われながら、「元気に行ってこい!」などと叫ぶ。

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それから帰宅して直ぐ、喪服に着替えて隣家の葬儀である。

自宅への会葬者の受付・出棺、斎場での受け付け、火葬場での接待etc。

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丁重に隣家としての役割を務め終え、

それがあらかた済むのを見越して、平服に着替えて学校へ。Dscf9693

学校では小さなトラブルがあったが…・、

そして16時からは防犯衣装に着替えて、歳末特別警戒出発式である。

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県警や警察共助員、自治会の安心安全会議の関係者が一堂に会して、

この歳末の防犯活動の徹底を期するのである。

まあ~、これとて恣意的な決起集会に過ぎないのだが、これも積み重ねだ。

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街に青パトが走り、防犯チョツキを着た人達がパトロールする。

少しでも犯罪の起こりにくい環境が出来れは良いのだ。

「治也者 治常者也」〔治めるとは常をおさむる者なり〕とは、韓非子の言葉だ。

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私達の極普通の平凡な日常が治まってこその自治である。

何てことない地道な私達の行動が、日々の暮らしを支えているんだ。

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2013年12月12日 (木)

師走の風

真冬の様な空っ風が吹いている。

街頭に立って子供達を見送りながらも、寒さがこたえる時期に入っている。

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ホウレンソウの出荷を済ませて、山に向かう。

やはりここも、山の上だから音を立てて北風が吹いている。

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しかし、この寒さがあってこその来春だし、今は冬至を越えるのを待つばかりだ。

走り終えてそのまま静岡の会議に向かった。

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静岡からの富士山も、もうすっかり冬化粧である。

暗くなって帰宅し、直ぐに隣家のお通夜に向かった。

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こうして、残りわずかになった今年もアッと言う間に過ぎ去ってしまうのだろう。

実は昨夜、日本列島縦断を完走したKさんのお祝いの会があった。

地元袋井市のランナーが集まって、苦労話を伺いながら労をねぎらう集まりだ。Dscf9636

この会に、何と名古屋からK地さんも来て下さった。

彼は愛知県境と名古屋の宿場でエイドをして下さった方だ。

勿論、走る仲間は全国に広がっている。Dscf9674

でも59日間、3,146kmを走る皆さんを迎えようと奔走した人たちは限られる。

彼らの意気に感じ、自らの夢を託した人達だ。

Kさんは、59日間の間に靴6足を履きつぶしたと言う。Dscf9675

見る間に擦り減っていく靴、それは正に日本縦断の姿なのだ。

縦断を佐田岬で終えてから既に一か月。

しかし、どうもKさんの縦断はまた終わっていない様子だ。Dscf9679

燃え尽き症候群と言うか、多分、朝起きれば今日のコースはと考えてしまうのだろう。

走り出した人間は、俄かには止まれないのだ。

とは言え、この空っ風を含め四季の移ろいが私達を癒してくれる。Dscf9680

月日の流れを、ちゃあんと自覚させてくれるのだ。

さて、機会があったら、私に縦断が挑戦できるだろうかと考えている。

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2013年12月11日 (水)

勇気凛々?

私達の走った京都東山の麓に、坂本竜馬と中岡慎太郎の像がある。

その竜馬は明治維新の数ヶ月前、刺客の手にかかって32歳の生涯を終えている。

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「死なぞ恐れて、何が出来る!」と幕末を疾駆し、この国の未来を描いた男だ。

やや生き方は違うが、自己に忠実に生き通した男が吉田松陰だ。

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二度目に来航した黒船で密航しようとして捕らえられ、29歳で刑死している。

彼も「死が惜しければ三十の死も惜しし、百になりても是で足りたということなし。

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何事かをやって死なねば成仏は出来ぬ」と言っている。

そしてその言葉通り、間違いなく後の世を大きく変えたのだ。

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この二人に止まらず、勇気凛々と生死を越えて動き回った若者たちによって、

明治と言うこの国の近世が誕生した。

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京都は、その時代を動かす主舞台であった。

そして彼らを突き動かした原動力は、海外からの脅威「攘夷」だった。

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ともあれ平成の今日、高齢化だの不況だのと言うけれど、

飢え死にするなんてことは無いんだから、私達は良い時代を生きている。

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お陰で私などは、成すべきことも判らないまま後生大事に生きてきたから、

松陰先生のような成仏など、とてものこと夢のまた夢と言うことになる。

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しかしそれはそれ、不通の庶民の生き様はそんなものだろう。

日々の暮らしの喜怒哀楽のままに時を過ごす方が幸せだろう。

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勇気凛々どころかビクビクと小心のままに馬齢を重ね、

ふと気づけば刻一刻と古希に近づいている。

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時代が違うとは言え、人生とは何かと改めて思う昨今である。

否むしろ、150年前に生まれなかったことを感謝すべきだろうか。

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2013年12月10日 (火)

強引な月日

六十五歳が強引にやって来て、もう暫く経つ。

WHOの決めた定義によると、その六十五歳からを老人と呼ぶのだそうだ。

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それで早速なのかどうか、市役所の高齢者福祉課からアンケート調査表が届いた。

内容は、困ったことは無いかとか、一人暮らしがとか、介護料が云々と・・・延々と続く。

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市内の「老人」2000人を抽出しての調査だと書き添えてあった。

それにしても、80才の高齢者に問うような設問に答えるのはかなり苦痛であった。

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とは言え、どんなに活動的に過ごそうと、

どんどん月日が流れ、やがて老境に至るのも必然なのではある。

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先日訪れた醍醐寺での秀吉の思いは、まさにその老境のものだったろう。

自分の平定した京大阪を眼下に見下ろしながら、その側には幼い秀頼がいた。

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そして、周りの花は真っ盛りの桜なのである。

秀吉は天下の頂点に立って、改めて自分の生と死を思ったのではないか。

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命あるものは何時かは死ななきゃならんのだが、その死の形も色々とある。

例えば、あの魚のサケは河で生まれ、何年も海を回遊した後、もとの河に戻ってくる。

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河を遡って産卵し、雄はその卵に精子をかけ終ると死ぬ。

勿論産卵を終えたメスも死ぬんだ。

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言うならば、青春の真っ盛りに全員突然死するようなもんじゃないか。

ミツバチだって女王蜂と交尾すると、

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陰茎の一部を女王の体内に残して瞬時に死ぬんだそうだ。

何ともやるせないが、秀吉ならずとも私達にだってそれぞれの死がある。

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さても、どんな死を選択するかは人それそれだ。

望むらくは、サケの様な死に方も魅力的だと思うのだが・・・。

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2013年12月 9日 (月)

盛年不重来

「盛年 重ねて来たらず」陶淵明の詩の一節である。

昨日の東山三十六峰MMは、第20回の記念大会と言うことで、

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スタート前に桜の記念植樹が行われた。

この大会は、京都のランナー達が「このコースが余りにも素晴らしい」

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と語りあうことから始まった手作りレースだと聞く。

最初の頃は、ほんの少人数で始まったのに、今では人数制限を余儀なくされる大会だ。

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私が参加し始めたのは10回大会当たりからだったろうか?

昨日は、その20年と言うことに感じ入って、この言葉を思い出した。

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二十年前と言やぁ~、私が走り始めて間もない頃だ。

以来私は馬齢を重ねつつ走ってきたんだが、勿論、一日に二度の朝などある筈も無く、

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この大切な二十年の再来なんて期待すべくも無いのである。

それにしても、この「盛年」と言う言葉の響きは素晴らしい。

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昨日、私を追い越して行ったのは最終組でスタートした若い人達だった。

そしてその後姿に、彼女達の弾むような「若さ」を強く感じていた。

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身のこなしも声の調子も自ずと違う。

だが、それは若者であって盛年ではないと思った。

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還暦を過ぎた身からすれば、我々こそが盛年ではなかろうかと言う意味だ。

若さとは、家事や仕事に忙殺されて、尚且つ不安定と同居の意味でもある。

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多少枯れては来たが、

生活に憂いもなく自由に生きられる我々こそが盛年ではないかと思うんだ。

もちろん負け惜しみなどではない。

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それに既に定年も無いし、

かてて加えて、こうやって元気に野山を走り回ることが出来るのだ。

これが盛年で無くって何であろう!!。Dscf9632

そもそも陶淵明は、盛年は二度と来ないから心ゆくまで楽しむべしと詠っている。

それはまさしく、私達世代へのはなむけであろう。

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盛年不重来 一日難再晨〔盛年 重ねて来たらず  一日 再び明日成り難し〕

及時当勉励 歳月不待人〔時に及んでまさに勉励すべし  歳月は人を待たず〕

勉励とは、「せいぜい楽しもう」と言う意味に他ならない。

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2013年12月 8日 (日)

これぞトレイル

小雨があったけど、例年にない温かなトレイル日和になった。

この東山三十六峰マウンテンマラソンは、宝ヶ池を一周した後叡山から大文字山へ、

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更に軍艦山から将軍塚、稲荷山へと山中を走る30kmである。

年々参加者が増えて今年は1,500人近くとなったため、

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5分ごとの4回のウェーブスタートだ。

私は第三スタートだったけど、例年よりも渋滞が減って随分走りやすくなった。Dscf9637

とは言え急な登りでは長く一列の渋滞が続く。

その途中5k程の所で、最終組スタートの鏑木強さんに軽く抜かれてしまった。

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それでも不思議に快調な足取りが続いた。

例年10km位からは、登りでかなりの疲労感に襲われるんだけど、

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疲労感を感じることなく最後まで快調に走ってしまったのだ。

記録は3時間55分と、かなり良い結果になった。

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好結果の理由は、最初に必要以上に飛ばさなかったことと最近のスクワットだろうか。

楽しんで走るとはこう言うことかなどと考えながら、

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ともかく登りも、下りは更に気持ちよく加速できたんだ。

山中の道は変化に富んでいて心地よい。

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多くのハイカーから声援の飛ぶのも、これまた爽快である。

大文字山からの京都の街の眺望も素晴らしかったし、

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特に走路に織敷かれた落ち葉の上を疾駆する気分は絶好だった。

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それに何と言っても、トレイルは土の上を走るんで足にやさしい。

と言う訳で、気分よく伏見稲荷にゴールできた。

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仲間の揃うのを待って、例によって京都タワービルの地下の風呂へ。

ゆったりと湯に浸かって気分転換。

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それからは楽しい談笑と共に完走パーティーである。

うぅ~ん、トレイルはやはり京都東山だね。

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2013年12月 7日 (土)

晩秋の京

明日の東山36峰トレイルの為に京都に来ている。

先ずは醍醐寺を訪ねることにした。

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1598年、あの豊臣秀吉が一生一代の「醍醐の花見」を催したところである。

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もとより花の名所で、秀吉の時代の孫世代の立派な枝垂れ桜が巨立している。

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とは言えこの時期は紅葉だが、それも既に最終盤である。

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それで五重塔を眺めた後は、上醍醐に登ることにした。

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醍醐山は標高540mほどで登りは2.6kmとあった。

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それが思いの外急な登りで、結局汗をかきかき1時間と少々を要して山頂に至った。

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山頂には開山堂や如意輪堂があって、秀頼が再興したものである。

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その如意輪堂から西を望むと、何と遥か彼方に大阪の街並みが見える。

秀吉がここで花見をやった理由が分かったような気がする。

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恐らく当時は空気も澄んで、大阪城がくっきりと見えたのではないか。

下山途中に湧き水があって、その「醍醐水」を飲んで一息つき、

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たっぷりと半日を費やして醍醐寺界隈を味わったのである。

ホテルに帰って食事の後、孫娘と二人で夜の清水に出かけた。

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祇園から八坂、三年坂から清水へと歩いたのである。

ここは昔からの京都の風情が色濃く残るところで、今日も多くの人並みで溢れている。

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それが紅葉の残葉とライトアップされた舞台に五重塔、何ともいえない風情だ。

殊に孫娘と二人というのか、えも言われぬ心持である。

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ともあれ、たっぷりと京都を楽しませていただいた。

よしや、明日はこの東山の山中を縦走して伏見に抜ける。

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精一杯楽しむつもりだ。

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2013年12月 6日 (金)

落ちこぼれ

我が街の中学校生徒の84%が、「学校が楽しい」とアンケートに答えている。

友達に会えるとか・・・楽しさの程度には様々あろうが、まぁ結構なことだ。

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ただ既に16%もの生徒が「学校を苦痛だ」と答えているのをどうしよう。

今日の学校協議会での授業巡回でも、眠っている生徒が何人かいた。

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教師は生徒の近くを通っても起こそうとしない。

理由を聞くと「起こせば、その子の世話で授業が出来なくなる」と言う。

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中学校の授業について行けなくって、寝ているしかないと言う訳だ。

義務教育は、それでも全ての子供を支えていかなければならない。

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話しは一転するが、自分達の子供の頃を思い出してみたい。

私だって、「よくぞ落ちこぼれなかったな~」って思いがある。

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中学も高学年になると微分積分だの、英語だって難しくなる。

しかも、そんなもの覚えた所で人生に殆ど役に立つことはない。

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そもそも教育ってのは、極論すれば読み書きそろばんに社会教育で十分じゃないのか。

高校大学で本格的な職業教育をすればよいし、

そのために必要なツールが微分や積分なら学ぶ必然性がある。

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ところが今の教育は、子供を篩にかけるのが目的かと思わせる所がある。

つまりは学歴神話に繋がるのだ。

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より良い高校・大学に行かせて将来を盤石にとの親心だ。

だけど本当に学校の成績が、将来を約束するものなのかどうか。

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そりゃまあ~程度問題だが、

私のかつての同級生で成績優秀者が大成した例を知らない。

およそ十人並みか、若しくは「えっ、あの人が?」と思うような人生を送っている。

私達は、どうも教育に過大な期待を寄せ過ぎてしまったようだ。

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しかも、それはこの国のシステムになってしまって、革命でもない限り変わりそうにない。

落ちこぼれ=ダメ人間では決してないのだ。

人間には必ず良い所がある。

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その良い所を見つけてお互いに伸ばすことが出来りゃ、

この世はもっともっと楽しくなる。

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2013年12月 5日 (木)

津波からの安心を

東北の大震災から1000日、その復興は容易なことではない。

東南海トラフが動けば、津波は必ず私達の所を襲うだろう。

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震源は陸地に近いから津波高はそれ程でもないと言う。

それでも1854年の安政東海地震では8m近い津波の記録が残っている。

強烈な揺れと液状化の上に襲う津波だから、対応は想像にあまるだろう。

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レイテ島を襲った台風だって、この地域に襲来するかも知れない。

私達の遠州灘には、高さ6~7mの砂の防潮堤が有るにはある。

しかし、レベル2の地震にはとても役には立たないだろう。

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その海岸地帯に近接して住宅地が広がっている。

3.11の震災の後、浜松に本拠を置く一条工務店〔住宅会社〕が、

浜松市に防潮堤を再整備するよう300億円の寄付を申し出た。

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浜松市は県と共に早速高さ13mの本格的な防潮堤の整備工事を進めている。

だけど、これは浜松市の17,5kの海岸だけなのである。

浜松市に隣接する私の地区では整備の計画すら定かでないし、

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整備のための予算の目途も無いのが現状だ。

そこで市は急遽1億円を拠出して、

民間の寄付を受け入れる津波対策事業基金を創設しようとしている。

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企業や市民からの寄付を受け入れて、尻の重たい県の後押しをしようと言う訳だ。

そのような次第で、

今日は連合会役員が揃って県や市の関係機関への要請活動を行った。

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それぞれの機関もその重要性は十分承知している。

しかし、整備に至る手立てが見えないのが現状である。

私達にすれば、強い要請の声を届けることで、その壁を突破したいのである。

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直ぐに整備!!!・・・・とは言わない。

今後20年掛けて整備できるんでも良い。

望むらくは、何とか将来への安心の目途を得たい。

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2013年12月 4日 (水)

古稀の区切

「人生七十古来稀 〔人生七十 古来稀なり〕」杜甫の詩「曲江」の一節である。

「人生にゃ悲喜こもごも色々とあるけれど、思い煩うことは無かろう。昔から、

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七十まで生きる人は稀なんだし、所詮短い人生、気ままに生きようぜ」そんな詩である。

その杜甫だが、古稀どころか58才で旅の途中で死んでいる。

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しかして、あろうことかこの私が、古稀の見える位置まで来ていることに驚く。

それ程の歳月を何時の間に費消したのか考えてみても、

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長い筈の歳月のその記憶は瞬く程の間でしかないから不思議だ。

一体全体私は、この間に何をしてきたのだろうか?

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確かに幾つかの角を曲がって、今日に至っているのだが・・・、

幾ら考えても、ただただ馬齢を重ねてきたとしか言いようも無い。

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とは言え常に懸命だったし、

強いて言えば、あくせくと幾分前のめりで生きて来たのかも知れない。

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特に四十才を回ったあたりからからは、物事に躊躇せずにやって見るよう努めてきた。

確かに幾つもの失敗とささやかな成功もあったが、

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やがてそれが私流の処世になってここまで来てしまった。

「しかしそれも、あらあら古稀までだな!」って、山を走りながら考えていた。

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古稀までは、このまま走り続けよう。

しかし、そっから先があるなら、そりゃ気儘な余生で良かろうと思う。

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宋の詩人が「莫作傷心事 傷心愁殺人〔なすなかれ傷心のこと、傷心は人を愁殺す〕」と、

あれこれ殊更苦労を背負い込むこともなかろうと吟じているように・・・。

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・・・と書いては見たが、成す事の有ってこその人生であろう。

ともあれ、がむしゃらとは縁を切って、年相応の快適さを求めようか。

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「心の欲する所に従いて矩をこえず」とは之如何。

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2013年12月 3日 (火)

行間を伺う

近所で葬儀があって、その関係で一日の空白が出来た。

葡萄の剪定には少し早いし、畑も手を入れる所が無くなったばかりだ。

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で、例によってやはり午後は山に向かう。

誰もいない山の中を一人走るのは、寂しくもあるが物思う時間でもある。

日程に追われる常日頃を思えば、殊更貴重な時間に思える。

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ともあれ山は初冬の気配が濃厚で、落葉して日差しもかなり多くなった。

この15kmを、ゆっくりと3時間近くかけて走ったのである。

さてこそ、昨夜の情景を思い浮かべていた。

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昨夜は、是非にと誘われて某議員主催の忘年会に出掛けたのである。

型通りの挨拶が終わって、特別講師の講演があった。

主催者への心遣いも十分で熱のこもった話しに会場は圧倒されていた。

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確かに、早口で多くの数字を上げながらの熱弁だった。

聴衆の心をつかむには、理屈張った難しい話よりも・・・要は説得力が肝心だ。

「お~、この人は頭も良くて大したもんだ。」と思わせりゃ演説は成功だ。

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政治家は、この辺の機微をよぉ~く心得ている。

多少の嘘が入ったって、そりゃ大勢に何の影響もないのだ。

政治と言うのは、所詮はそんなもんなんだろう。

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しかしながら、その講演を伺いながら「どこか変だ」と感じていた。

山を走りながら、その変だと思った部分を考えてしまったんだ。

それは統計の扱いやら幾ばくかの論理の無理なんだが・・・・

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まあ~、それも座興と思えばそれで良しか!!

そう言やぁ、孔子の言葉に「有言者不必有徳(言ある人 必ずしも徳あらず)」ってあった。

上に立つ人は、それだけ難しいってことでもある。

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政治家にならなくて良かったな~。

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2013年12月 2日 (月)

時は容赦なく

急に冷たい風が吹いてきて、もはや昨日から師走である。

毎朝子供達を見送りながらも、くっきりと冬化粧の富士山が見えるようになった。

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「あの富士山に今年は2度登った。」などと考えながら、

何時の間にか11ヶ月を費消してしまったことに気づく。

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さてこそ、なんと月日の流れの速いことかと驚く。

その月日を惜しむように未だ紅葉が残っていると聞いて、

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遠江国一宮小国神社に出向いてみた。

大抵の人の考えることは似たようなもので、神社への明神通りはかなりの渋滞である。

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しかし、渋滞に耐えた甲斐はあった。

予想に違わず神社の脇を流れるせせらぎに沿って、鮮やかな紅葉の並木が続いていた。

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しかも杉の大木の下に続く並木だから、木漏れ日の濃淡があって。

色合いの変化も艶やかで京都の疎水を歩くような風情を感じる。

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瞬く間に過ぎ去った様にも思えるこの11ヶ月は、モミジ葉の一生と重なる。

芽を膨らませ新緑からあの暑い夏を過ごし、見事に色づいてハラハラと散りゆく。

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モミジの下を歩きながら「はて、私の今年は・・・」などと考えてみても詮なしである。

どだい、過去を振り返るのは容易いとしても、これからを予測するのは至難だからね。

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長恨歌伝の一節に「時移事去、楽尽悲来〔時は移り事は去り、

楽しみ尽きて悲しみ来たる〕」とある。

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人は、洋々たる時の流れに孤舟を浮かべ、時に棹さしつつも流れ下るだけなのだ。

真っ赤な紅葉の葉が、ゆらゆらと疎水を流れ下っていく。

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今年も残すところ僅かだ。

予測は難しくとも、そろそろ来年のことを考えようかと思う。

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2013年12月 1日 (日)

忘れた頃の危機感

レイテ島の台風被害は、未だにその支援が行き届いていないらしい。

その原因は、交通網の寸断だ。

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先日県の発表した第四次地震被害想定の二次報告でも、この点の指摘がある。

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東海道メガロポリスの真ん中に位置する静岡県だが、

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南海トラフが本格的に動けば、ここを通る幹線は全て一週間以上遮断される。

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救援の命綱の道路も鉄道も不通と言うことだ。

かてて加えて、ほぼ全域で断水・停電が続く。

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幹線ばかりでなく、液状化などでローカル道も寸断されるだろう。

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はて、そんな生まれて初めての事態に私達はどう対応できるのだろうか?

今日の地域防災訓練には、多くの人がその防災行動に参加したはずだ。

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街のあちこちに人の集まりがあって、一見防災意識の高さを伺える。

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しかし、本当の意味で「自分の被害想定」に基ずく行動と、

訓練参加の結果は得るべきものがあっただろうか。

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今日は早朝から各訓練会場を見て回った。

避難所運営訓練重点のところ、情報伝達に努めたところ、中高生が頑張っていたところ、

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防災会ごとにテーマを設けて取り組んだところ、一時避難訓練で終わったところ。

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防災訓練では正に地域力が露出する。

それに指導者の有無も大きな要素だ。

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多くの人が「仕方なく参加」しているのかも知れない。

しかかしいざと言う時、何気なく参加した訓練の経験がきっと生きるのだと思う。

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この2年で、津波避難場所も飛躍的に増えたし、確かに防災意識も高まった。

だけど四六時中「防災」を考えてる訳にゃいかない。

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巨大地震のリスクを考え、一年に一度真剣に行動してみる覚悟が必要だ。

その日が、今日なんだけどね・・・・・・。

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