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2013年12月26日 (木)

たかが走ることだけど

自分はスポーツ音痴だと信じていて、随分その劣等感で苦しんだ。

だけどその音痴が、どうした訳か40歳を過ぎて走り始め、自分の人生を変えてきた。

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たかが走るってことにそんな力があるなんて、思いもしなかった。

昼休みに駿府公園の周りを走り始めて1年程した頃だったか、

初めて駿府マラソンのハーフを走った。

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と言うか、制限時間ぎりぎりにやっとのこと、ゴールに辿り着いたと言うべきだろう。

最後の5k程を足を引きずりながらの苦闘だったと記憶している。

それが次は小笠掛川つま恋Mのフルを走った。

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この時の最後の10kの苦しさは絶品で、生涯忘れない傷だらけの完走になった。

この時、マラソンとはこう言うものかと、自分なりに得心したようだ。

やがてその放心状態でゴールした経験が病み付きになって、

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今では、平均すれば月に250k前後は走っている。

年が変われば直ぐに宮古島100kマラソンである。

そう、もう既に100kマラソンを走るようになって17年になる。

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100kのレースには、フルなどとは違ってその時々の物語が生まれる。

淡々と足を運ぶだけのスポーツだけど、

何時の頃からか「これは人生と同じだ」と思うようになった。

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万全の準備をして臨んだとしても、100kの途上には様々なドラマが起こる。

時に天候異変だったり、自身の変調・トラブル、或いは思わぬ出会いだったりする。

そうした諸々を切り抜けて、ゴールする時の感慨も決して一様ではない。

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時には涙で前が見えなくなることもあるし、ゴールで待つ仲間と抱き合うこともある。

人生を懸命に走ってきたその思いが爆発する一瞬なのだ。

たかが走ることだけど、ただ淡々と走るだけだけど、こいつは奥が深い。

何時まで走り続けられるか分からないけど、生涯走っているのではないか。

そしてある時、山の中でパタリと倒れて死ぬならばこの上ない本望だと思っている。

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