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2013年12月 4日 (水)

古稀の区切

「人生七十古来稀 〔人生七十 古来稀なり〕」杜甫の詩「曲江」の一節である。

「人生にゃ悲喜こもごも色々とあるけれど、思い煩うことは無かろう。昔から、

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七十まで生きる人は稀なんだし、所詮短い人生、気ままに生きようぜ」そんな詩である。

その杜甫だが、古稀どころか58才で旅の途中で死んでいる。

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しかして、あろうことかこの私が、古稀の見える位置まで来ていることに驚く。

それ程の歳月を何時の間に費消したのか考えてみても、

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長い筈の歳月のその記憶は瞬く程の間でしかないから不思議だ。

一体全体私は、この間に何をしてきたのだろうか?

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確かに幾つかの角を曲がって、今日に至っているのだが・・・、

幾ら考えても、ただただ馬齢を重ねてきたとしか言いようも無い。

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とは言え常に懸命だったし、

強いて言えば、あくせくと幾分前のめりで生きて来たのかも知れない。

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特に四十才を回ったあたりからからは、物事に躊躇せずにやって見るよう努めてきた。

確かに幾つもの失敗とささやかな成功もあったが、

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やがてそれが私流の処世になってここまで来てしまった。

「しかしそれも、あらあら古稀までだな!」って、山を走りながら考えていた。

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古稀までは、このまま走り続けよう。

しかし、そっから先があるなら、そりゃ気儘な余生で良かろうと思う。

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宋の詩人が「莫作傷心事 傷心愁殺人〔なすなかれ傷心のこと、傷心は人を愁殺す〕」と、

あれこれ殊更苦労を背負い込むこともなかろうと吟じているように・・・。

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・・・と書いては見たが、成す事の有ってこその人生であろう。

ともあれ、がむしゃらとは縁を切って、年相応の快適さを求めようか。

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「心の欲する所に従いて矩をこえず」とは之如何。

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