生々滾々と
30才の小保方さんの笑顔と研究の成果に触発されて、生きるってことを考えている。
人間は誰もが死ぬまで生きることになっているけど、細胞はどうも永遠に生きるようだ。
増殖技術で古くなった臓器を新品ととっかえ引っ変えできたら、
人間の寿命だってかなり伸ばせる可能性が出てきた。
STAP細胞が、秦の始皇帝の目指した延命の妙薬に一歩近づいたことは事実だ。
しかしながら、人間が永く生きるってことにどれ程の意味があるんだろうか。
ピリオドがあるからこそ、懸命にその人生の中身を考えるんじゃなかろうか。
締め切りがあるから原稿を書くようにね。
どうせ何時かは死ぬんだから、それまで精一杯生きようってね。
そもそも命ってのは、湧き出る泉の様なもので、
滾々と湧き出ている間を生きればよいのだ。
水脈が枯れりゃ自ずとその人生は終わる。
何故生きるのかとか、何の役に立つのかなどを考えるのも大切だが、
生々滾々(こんこん〕と生きているから生きるのだろう。
この言葉の、命の限りに滾々と生きるイメージが好きだ。
とは言え、生きるからには生老病死に加えて、
悩みの種は次々と沸いて出てくるし、喜怒哀楽も日々変転する。
実は生きるってことは中々大変なことだ。
それを季節の変化を慈しむように楽しめればもう言うことは無い。
苦労して高い山を越えるのを楽しむようにね。
目の前の岩を一つずつ乗り越えて行って、やがてゴールに達する。
一つ達成したら、涌く水のある限り次の目標に向かうんだ。
小保方さんだって、常識の壁と戦いながらの笑顔になったんだね。
要するに、挫けずに自分のやりたいことをやることだ。
とにかくSTAP細胞は、私達の生きる力にもかかわる大発見だと思う。
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