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2014年1月16日 (木)

人生の目撃者

よくよく考えてみると、自分の人生の目撃者は自分しかいない。

例えば恋人など、誰かが見ているとしても、それはほんの一部分に過ぎない。

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人生には失敗もほんの少しの成功も付き物だし、

紆余曲折様々な遍歴や幾つもの転機を経て今日に至っている。

その全てを誰が見ていると言うのか?

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最も身近に家族がいると言ったって、かつての家父長制時代ならいざ知らず、

卓袱台を前にして自分の毀誉褒貶を子供たちに話したところで、

残念ながら彼らは聴く耳を持たない。

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親父の経験など自分の人生にゃ関係ないと本能的に感じているからだ。

つまり、親父が外でいくら苦労しようと、それを語る場所とて無くなっている。

それに子供などと言うものは、もとより父親に反発しつつ成長していくものなのだ。

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かつて愛した女房だって、とっくに自分独自の人生を歩んでいる。

実は・・などと弱音をはいたところで、逆に愚痴を聞かされるのが落ちだろう。

と言うことで、男はひたすら黙って晩酌する程度が関の山となる。

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この世の中随分広いが、家族も他人も含めて、

自分のことなんて誰もそれほど関心を持っちゃくれないものなのさ。

そして、人生は流れ流れていく。

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ところで、私がこのプロ具を書き始めたのは、定年を少し前にした頃からだ。

「職場を去れば、人は私なぞ歯牙にもかけちゃくれないだろう。」

だけど俺の人生はまだまだ続くし、要するにその生き様を誰かに話したかった。

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かてて加えて、自分の人生を自分で意識し続けたかったのじゃないかと思っている。

だって、「俺は、ここに生きてるぅ。」って声を出さなきゃ忘れられちゃうでしょ。

それに人間と言うのは、自らを語っていないと自分が分からなくなるんじゃないかな。

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そう思って振り返ってみると、確かに自分の人生を物語っていることが多い。

自分の人生を目撃者の証言としてブログに書いてきたような部分がある。

あの余命幾ばくも無い年寄りが、人に会う度に話したがるあれさ。

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でも、人生について語る時、何故か自分を愛おしく感じている。

だから語るほどに、元気になるのかも知れない。

俺たちゃ、誰にも関心をもたれず淡々と生きている。

それでもさ、必死に生きている姿を誰かに気付いて欲しいんだよね。

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コメント

いやいや、他人あっての自分だって。と言う見方もあるよ。
 見えない自分を写し出すのが、他人だと思うしね。
 確かに自分が思うほど、他人は自分を気にしちゃいないけど・・。

 ・・・淡々と・・・は、いいけど。
素晴らしい生き方を、憧れてる人も、ここにいますよ。
 ちゃんとね。

投稿: ひろ | 2014年1月18日 (土) 21時11分

 ありがとう。ひろさんみたいな人のために、毎日書いているのかも知れない。

 
 サイレントだって構わないけど、ひろさんのコメントで何時も元気が出るもんね。
                山草人  

投稿: 山草人 | 2014年1月19日 (日) 18時12分

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