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2014年1月22日 (水)

久能山と家康

家康は人質時代の子供の頃、久能山に登ったことがあったのではないか?

久能山は、言うまでもなく徳川家康が葬られたところだ。

その身長155cm体重60kの小太りの家康が、江戸260年の太平を作り出した。

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豊臣家との確執や権力奪取などから狸親父とも揶揄され、

駿府に隠居してなお江戸政権の基礎固めに粉骨した男だ。

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その家康が1616年、75才で亡くなると、

彼の遺言によって、その夜の内に久能山の山頂に葬られた。

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東照宮本殿の裏手を登って50m程の所に家康公の廟がある。

家康公を収めたその廟は、西に向いて建てられていて、Dscf0089

死後400年近く経た今もなお西国大名に睨みを利かすポーズをとっている。

昨日は、その墓所を訪ねながら、彼の生涯を思い浮かべていた。

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駿府で暮らした人質時代、信長の下で長男信康を殺した苦節の時代。

武田信玄と戦った三方原合戦の敗北、武田滅亡後の勢力拡大。

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本能寺の変で京都から生駒・山城・伊賀へと逃げ延びた家康。

そして豊臣との和睦と秀吉没後の権力奪取の謀略。

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晩年はもっぱら権力確立への布石であったろうか。

艱難辛苦の末に天下を得たとされるが、

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時に細心で臆病でもあり、人間の機微にも通じた実に人間くさい男だった様に思える。

私たち誰もが持っている要素があちこちに露出しているからだ。

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その男が葬られた久能山は、日本平〔有東山307m〕の谷を隔てた南隣〔270m〕にある。

駿河湾を眼下に見下ろし、その南裾には一面に石垣イチゴのハウスが広がる。

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久能山は、もともとは久能某によって開かれた寺の地で、

西暦600年頃から久能寺として戦国末期まで続いていた。

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その寺を東麓〔今日の鉄舟寺〕に移して、城砦を築いたのは武田信玄だ。

1225年に今川氏が滅んだ後、信玄はここを久能城としたのだ。

その久能城の跡に築かれたのが今日の久能山東照宮である。

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久能山に葬られた家康の遺体は、その19年後には日光東照宮が造営されて、

日光に移されるのだが、家康の意思はこの地に眠って東を守ることだったろう。

この2月、本能寺の変直後に、

家康が伊賀忍者に守られつつ辿った逃避の道を走ってみようと考えている。

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