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2014年2月28日 (金)

私達のアイデンティティ

昨年12月、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された。

四季折々の素材を生かした食の文化が評価されたものだという。

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確かにボリューム中心の欧米の食からすれば、和食には圧倒的な質感が有る。

とは言え和食とは、高級料亭のそれは当然ながら、我が食卓の粗食も然りである。

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それで最近、我が細君の余りにささやかな食卓を前にして、

時折「おぉ、これぞ無形文化遺産!!」と呟いてしまうのだ。

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ともあれ、私達日本人を象徴する文化とは何か?と考えると難しくなる。

一般的には茶の湯とか華道、武道、和服、日本舞踊などとなるのだが、

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果たして私達日本人がどれ程それに精通しているものかどうか。

女性の和服なぞ一人で着られる人とて少ないのだから、危ういものである。

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先日のインターナショナルフェアーでは、日本を代表するものとして祭囃子を登場させていた。

確かに幼い頃から目や耳に馴染んだ祭りは、郷愁を呼び起こす貴重な行事だ。

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欧米の祭りは、ブラジルのカーニバルのように大抵はイベントとして開会されることが多い。

この点、日本の祭りは歴史と神がかかわっている分、少々の重みはあるのだが、

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これも果たして日本人のアイデンティティーなのかどうか?

私なぞは、かつての収穫を前に豊作を祈念する鎮守の祭りの方がそれらしく思うのだ。

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事ほど左様に、自然と人間の営みをもとにした風景が消え、欧米同様の画一化の時代になっている。

古来の文化への人々の関心も薄くなる一方だろう。

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 挙頭望山月 〔頭を挙げて山月を望み〕

 低頭思故郷 〔頭をたれて故郷を思う〕

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日々の忙しさにかまけて、そんな郷愁に浸ることが少なくなった昨今ではあるが、

時には、ゆったりと〔本当の〕茶の湯を楽しむような気持ちが欲しいと思う。

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2014年2月27日 (木)

鳴虎

明渡来の掛軸「鳴虎」を寺宝とすることで知られる京都の報恩寺のことである。

この鳴虎図は文亀元年(1501)に時の後柏原天皇から下付されたものとされ、

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聚楽第に滞在したころの秀吉が度々見に訪れた。

よほど気に入ったのか、その伝来の虎図を聚楽第に持ち帰ったのだが、

その夜掛軸の虎が鳴いて眠れなかったと言い、直ちに返したと言う逸話が残されている。

この軸は寅年の1月3日にだけ公開されてきたものだが、今回精巧な複製が出来て、

今年から何時でも見物できるようになっている。

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ところでこの寺には、黒田官兵衛と息子長政の位牌が安置されている。

元和9年(1623)に徳川秀忠と家光が揃って皇居参内のために上洛した。

この時、相前後して黒田長政も入洛し、この報恩寺を宿舎にしたのだが、

長政は、この寺で持病の発作のために死去してしまった。

それで長政の「最後の部屋」と共に位牌が残ることになったと言う次第だ。

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ともあれ黒田官兵衛は秀吉の謀臣として活躍した男だが、

息子の長政は早くから家康に通じていたと言われる。

と言うのにも訳がある。

秀吉が中国攻めで苦労している頃、荒木村重の謀反事件が起こる。

その村重を翻意させるべく向かったのが黒田官兵衛だった。

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しかし管兵衛は、そのまま石牢に閉じ込められて村重の捕虜になってしまう。

しかし信長は、音沙汰の消えた管兵衛は寝返ったとみて、人質(長政)を殺せと命じる。

秀吉も止む無く長政をあずけていた竹中半兵衛に殺すことを命じている。

しかし管兵衛と入魂の半兵衛は、長政を殺したことにして匿ったのだ。

そんな経緯から、長政は秀吉を憎んでいたのかも知れない。

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ともあれ、その長政や秀吉が眺めたであろう鳴虎図である。

体の毛一本一本まで精緻で、白いむだ毛までがリアルに描かれている。

聚楽第にこの図を掛けた秀吉が、

異国の珍獣に「こりゃ、いかん」と思ったのも無理はないような気がする。

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この京都の小さな寺にも、歴史の一コマが残されていた。

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2014年2月26日 (水)

閑中忙

あちこち出歩いているのにもかかわらず、時に無性に旅に出たくなる。

それに現役時代と違って、予定をやりくりすれば十分にそのヒマは作れる。

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小人閑居して不善を為すのごとく、

たまには道楽をしてみたいという誘惑に駆られるのかも知れない。

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それで先日は、そんな言い訳をしながら三重まで走りに行った訳である。

だがそう思いつつ良く考えてみると、私の毎日は道楽ではないかと気付いた。

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作物栽培にしても各種のボランティアだって、はたまたこのブログを書くのだって、

朝起きてから寝るまで全ては己のために動いている。

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つまり家族を養って子供を・・・などと考えていないんだから気楽なものである。

全部が自分の時間と言っても過言ではない。

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自分の時間だから暇かどうかは別にして、その時間は人生の最大の果報だとも思われる。

どの道、人生高々100年も生きる訳ではなし、道楽に多忙は之結構な事と言わねばなるまい。

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私はこれまで忙中閑を求めてきた感があるが、どうも逆である。

人生そのものに意味が無いとすれば、与えられた時間を自ら裁量し、

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閑中に忙を求めて動き回れば良かろう。

人生二十年説なんてのがあって、二十年がひと区切りとすれば、

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三つの人生を終えて、既に最後?の新たな人生に突入しているのだ。

これは自分で設計して創造できるんだから、人生歳を重ねるのも悪くない。

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・・ってな訳で、精一杯やろうじゃないかと思っている。

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2014年2月25日 (火)

高台寺と家康

さて時代はずっと下がって、秀吉が秀頼を残して死んで後の事になる。

大阪の権力を奪取するために、家康はあらん限りの策略を巡らす。

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その最大の作戦は、豊臣家臣団の分裂工作だった。

武辺派の福島正則や加藤清正らと、石田光成を筆頭とする官僚派の対立を煽る。

そのお先棒をを担いだのが黒田官兵衛の息子長政だが、

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その大いなる黒子が秀吉の正室ねねだった。

正則や清正はねねが幼い頃から可愛がって育てた武将だ。Dscf0449

だから豊臣家臣団を分裂させるためには、どうしてもねねの歓心をとる必要があった。

俄然家康は、何のかんのと言いつつ寧々のもとに通っている。Dscf0450

結果として、関ヶ原の決戦では彼らをして家康に味方させることになった。

関ヶ原以後天下は江戸に移ったが、それでも大阪城には秀頼が蟠踞している。Dscf0451

これを何とか始末しなければ安心できない。

そんな政治情勢の中で、ねねの隠居所としての高台寺をつくるために家康が尽力した。Dscf0452

寧々も既に大阪の淀君一派を見放していたのだろう。

寧々は、家康の庇護で壮麗を極めた高台寺の時雨亭(茶室)から、

大阪城の火炎を眺めたと言う。Dscf0453

関ヶ原の後、寧々はこの寺で暮らし、関ヶ原から24年後の1624年、76歳で亡くなっている。

高台寺は度々の火災で多くの堂宇が失われたが、

今なお開山堂・傘亭・時雨亭などが当時のままの姿で残されている。Dscf0454

寺の霊屋には秀吉と寧々の木造が安置されているが、

この座像が昨年11月初めて修復され、改めてその実像を彷彿とさせている。Dscf0455

さてこそ歴史は非情なもので、寧々の一生も秀吉以上に波乱に富んでいた。

だけど結果論にしろ、家康に天下を取らせたのには寧々の力も大きかった。Dscf0457

高台寺は、そんな歴史の流れを今も感じさせるところだ。

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2014年2月24日 (月)

阿弥陀寺と清玉上人

京都の寺町にい弥陀寺という小さな寺がある。

開山は清玉と言う男で、

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この寺に本能寺で死んだ織田信長や森欄丸など百余名の墓がある。

何故この寺が信長公の本廟所になっているかについては、歴史を遡らねばならない。

実は清玉は信長の義母兄が助けた女から生まれた子で、

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母親が死んで子供だけが生きて残され、織田家で育てられた。

信長とは兄弟のように育てられたという。

ある時、清玉が自分の出自を知ることになり、出家して京に阿弥陀寺を建立した。

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織田家の後ろ盾があって立派な寺だったようだ。

やがて信長が天下人となって、本能寺の変へと時代が急転していく。

その本能寺が焼け落ちた後真っ先に駆けつけたのが、清玉とその僧侶達だった。

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信長の遺骸を運び出した後、清玉はおもむろに下賀茂神社の光秀の本陣を訪れる。

本能寺で亡くなった秀忠や欄丸らの御霊を祀りたいと願い出たのである。

さらに時勢は急変して秀吉と勝家の宿命的な対立がピークになっていく。

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信長の葬儀を岐阜でやると言い出したのは勝家だったが、秀吉は之を拒否し、

改めて信長の死んだ京都でやることに固執した。

信長の葬儀を誰が主催するかは、正に政略そのものだったからだ。

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葬儀は天正11年10月11日から15日まで続いたが、その場所は紫野の大徳寺だった。

棺には香木で造られた仏像が収められた。

葬儀は遺骨のある阿弥陀寺で営まれるべきだが、それを清玉は拒否したのだろう。

あるいは清玉は織田一族に信長の跡目を継がせたかったのだろうか?Dscf0464

だが、秀吉はそのことを根に持った。

やがて秀吉の天下が定まると、阿弥陀寺は寺町の一角に小さく移転させられたのだ。

そんな次第で、この小さな寺に信長たちの墓がある。

本堂には信長が使ったという手槍先が展示されている。Dscf0463

果たして、火事場から持ち帰ったものかどうか・・・・・。

蛇足だが、この寺は俳優の森光子さんの檀家寺で墓もある。〔森兄弟の子孫ではない〕

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2014年2月23日 (日)

京都脱出

少々寒い日になったが、徳川家康追跡マラニックである。

午前9時、近鉄の三山木駅が集合地点である。

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三山木は、家康一行と別れた穴山梅雪ら(7名)が殺されたところで、

梅雪の墓が駅の近くにあるらしい。

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梅雪が家康と行動を共にしなかったのは、変事に乗じて殺されると家康を疑ったからだ。

ともあれ、参加者172名が木津川を渡り、東の伊賀方面に向かって山に登っていく。

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ところが進むにつれて辺りが白っぽくなり、やがて道路の両側は雪になった。

轍の跡を走るのだが、それも凍っていてツルツルと滑る。

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おまけに氷風が吹いて、手は遂に感覚を無くしてしまった。

どの位登ったか分からないが、その山を駆け下りて、又しても次の山に向かう。

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この山では登りきったかと思うと、又くねくねと果てることが無く続く。

見えるのは遥かに連なる山々ばかりだ。

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辺りは一面の雪景色である。

午後1時近くなって、童仙房と言う盆地の様な所に出ると、

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そこでお粥を頂き、炭火で温まることが出来た。

そこからもう一つの大きな峠を越え、最後の下りに入った。

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だが伊賀に向かうこの下りが、何と10kmは続いたろうか。

ゴールの島ヶ原温泉(やぶちゃの湯)に到着したのは15時を5分超過していた。

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距離は50k弱だが思いの外の疲れである。

それはさておき、家康一行18名のことである。

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16世紀に今日の様な精緻な地図が有る筈もなく、山道故に絵図すら無かったろう。

それに一歩山に踏み込めば、その道が何処に通ずるのかさえ分からない、

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おまけに何時襲われるか知れたものではない。

長谷川の知己とは言っても既に信長はこの世にいない。

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土豪とて既に長谷川に何も義理立てする必要もないのだ。

仮に家康の首を差し出せば、法外な恩賞にだってありつけるだろう。

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と言うことで、家康たちは山道を辿りつつも、あちこちの間道を辿ったはずだ。

従って、彼らがどの道を辿ったかは今もって分かっていない。

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と言うよりも、彼ら自身が何処を辿ったのか分からないのだ。

ただ確実に通過した地点(立ち寄った)は、宇治田原、郷の口、小川鶴見城、

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柘植、加太、関、白子浜と分かっている。

今回のマラニックは、伊賀の手前までほぼ半分を6時間余で走ったことになる。

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この道を辿りながら、彼らの心細さ加減は想像するに余りあるな~と思った次第だ。

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2014年2月22日 (土)

知恩院と家康

京都は知恩院に来ている。

知恩院は鎌倉期に法然によって建立されたが、

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城郭と見紛うほどの今日の威容は徳川三代の帰依の賜物だ。

浄土宗が松平の宗旨と言うだけでなく、25世門主の存牛が松平一族の出身なのである。

戦国期の門主存牛は浄土宗中興の祖と言われる。

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今、知恩院は解体修復の最中だが、その三門が特別に公開されている。

幅50m高さ24mの三門は世界最大の木造の門で、二代将軍秀忠の寄進だ。

三門の楼上には宝冠釈迦如来像とその両脇に16羅漢像が祀られ、

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柱や天井には狩野派による極彩色の天女や飛竜が描かれている。

それはともかく、何故知恩院に来たのかを説明しなければならない。

実は明日、家康が京都脱出にあたって辿った道50kを走るのだ。

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事は天正10年6月2日に溯る。

あの明智光秀による本能寺の変である。

信長の招きに応じて京を訪れ、当日家康一行は堺見物に出かけていて難を逃れた。

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と言っても、光秀の袋の中に変わりは無かった。

家康は堺から信長への礼に京都に向かう途中で、茶屋四郎次郎の急報で変事を知った。

知ったが「もはや道は無い」と途方にくれてしまった。

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限られた供回りをつれているに過ぎず、正に進退窮まったのである。

それで最初に決意したのは「知恩院に入って、腹を切り織田殿と死を共に・・」だった。

だがその窮地を救ったのは、信長から派遣されていた長谷川秀一と茶屋四郎次郎だった。

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長谷川は信長の使い番の故に河内や伊賀に知己が多かった。

そのつてを使って伊勢海岸まで突っ切ろうということになった。

途中の伊賀では200人余の伊賀衆が護衛に当たったという。

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信長の伊賀征伐のとき、その落ち武者を家康の部下服部半蔵が匿った縁という。

とにかく家康は、この逃避行の成功があったれはこそ未来が開けたのだ。

因みに家康と同行していながら、不安のあまり別行動をとった穴山梅雪は、

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明智の網にかかって、家康の代わりに首にされている。

家康は、4日寝ずに山中を進んだとされるが、それでも幸運だった。

さて明日だが、私ならどの程度で走破出来るだろうか?

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2014年2月21日 (金)

あがる

ここ一番と言う時、そのかなり前からドキドキとして、

結局本番でも、言うべき大切なことを忘れてしまったりと失敗は数えきれない。

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そして何時も「小心で自意識過剰なドジ男」を悔やむのが常だ。

しかしあがると言うことは、それなりに良いことでもあるようだ。

そもそも「あがる」場面は、特別なシチュエーションで意識が高揚して、

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始めから普通ではない状態になっている。

そのハイな状態だからこそ表現できて伝えられることもあるだろう。

だけど問題は「あがり過ぎる」ことにあるようだ。

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真央ちゃんのフリーは正に圧巻の出来だった。

始めっからSPでもこれが出来りゃ、文句なしの金だったろう。

世界の舞台を歴戦してきた浅田真央でさえ、かくも精神のコントロールは難しいのだ。

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ところで今日は、学校で小学校3年生と一緒に給食を戴いてきた。

教室に入ったとたんにグルッと取り囲まれて「おじさん何で来たの?」「アッ、私知ってる!」などと、熱い歓迎を受けた。

空いた椅子に導かれて座ると、生徒が私の給食を運んできた。

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小さな椅子に座って子供達と給食を頂くのは、多分50年以上前以来のことだ。

給食の時間だからかどうか、みい~んな明るくって屈託がない。

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私も3人の子供と会話しながら美味しく味わった。

「頂きます」他の合図も生徒がやるんだけど、それも心地よい号令である。

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思えば、子供達は「上がる」と言うことを知らない。

大勢の母親たちの参観している場面だって、堂々と発表している。

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むしろ「あがって」しどろもどろしている場面を見たことがない。

つまり「失敗したらどうしよう。」なんて考えないんだな。

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元気はつらつとした子供達を横目に、少々自分が恥ずかしくなった次第だ。

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2014年2月20日 (木)

この遠州には、北の山々を吹き抜けてくる冷たい空っ風が吹く。

私も、この空っ風に晒されて育った。

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だからなのかも知れないが、風に向かうイメージが好きだ。

高校の頃には、毎日約4kmの砂利道を北風に向かって自転車を漕いだ。

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お陰で真冬でも学校に着く頃には、結構体が温まっていた。

やがて車社会になって風を意識することが少なくなっていたけど、

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近年では逆に風と共に過ごす時間が増えている。

毎朝街頭に立って風向きを感じているし、最も風を味わうのは山を走っている時だ。

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私のペンネーム〔山草人〕は「自然の中に」程度の意味だが、

自然の中に在って、山も草も人も皆目に見える。

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だけど風は、山の草や木々が揺れそよいで初めてそれと知れる。

目に見えない風と風土が私達の気質を育んでいるのだ。

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谷を吹き上がってくる寒風は誠に冷たいけど、

春から初夏に掛けての走路をわたる微風は何とも心地良い。

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だから走りながら、風に話し掛けることだってあるんだ。

ともあれ風にも世間の風や時代の風、追い風や逆風などと色々とある。

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それに人にだって風格とか風貌・風体などがあって、何となくその人物を表現する。

そもそも人は、どんな空気の中で生きてきたかによって大きく左右される。

幼児期の環境から学びの風景、職場の風習などなどだ。

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色々な会議に出席して、多くの方々と頻繁にお会いしている。

会議自体にも風〔雰囲気〕があるが、発言される人にもその背景となる風を感じたりする

私達は政治や経済などの時代の風の中を生きているのだ。

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そうして、その目に見えない風に少しずつ動かされてもいる。

だけど風見鶏を決め込むのだけは止そうと思っている。

か細い春風に誘われて、我が家の河津桜が花を咲かせ始めている。

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2014年2月19日 (水)

平成の命山

あの3.11の大震災以降、少しでも安心を得られるよう様々な試みがされてきた。

私の住む地域は海抜の低いデルタ地帯で、海抜も2m程度しかない。

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それに元より農村地帯と言うこともあって、高いビルとて見当たらない。

仮に南海トラフが動いて津波が襲来しても逃げる所とて無いのが現実だ。

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それで幾つかの地区に、おっとり刀で避難タワーが作られた。

それ自体は単に鉄骨で高い所を作ったに過ぎず、実に無機的な景色になっている。

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だが、今度隣町に出来た「命山」は、人工の山だけあって趣が違う。

どっしりとして逃げ込むには十分な信頼感があるのだ。

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それに鉄骨の建物と違って、普段は公園としてもそれなりの機能を果たす。

かつてこの海外沿いには、江戸時代から幾つかの命山が築かれていた。

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それが近世の開発でほとんど取り払われて、今日に残っているのは2か所だけだ。

100年近い地震の周期は、私達の過去の苦い経験を忘れさせるには十二分な時間なのだ。

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ともあれ、平成の命山は海抜10mながら、どっしりと安心を醸し出していた。

私の街には太田川(二級河川)が流れていて、幾度もの水害にあっている。

それで8m程の堤防が築かれているが、この堤防が液状化で2/3沈下することが分かった。

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堤防の下部がゆるゆるの粘土だったんだ。

増水時はともかく、地震の後に襲う津波には堤防は無いに等しいと言うことになる。

そこで早急にこの堤防の地下を補強することになった。

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昨日から始まったのがこの補強工事で、堤防の裾をコンクリで固めることになった。

5mほど土を掘り下げながらコンクリを注入して撹拌、土ごと地下に壁を作る。

この息の長い3km程の工事は3年を要するのだが、地域にとっては大きな安心材料だ。

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もう一つ、太田川の河口近くから分岐する防僧川の入り口に巨大な防潮水門がある。

この水門は津波などの際には閉鎖されて、津波は遡上しないとされていた。

ところが一定の震度でこの水門が動かなくなることが分かった。

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それでこれも急遽、耐震工事が始まっている。

あれやこれや、3.11の災害は私達の地域にとっては大きな教訓として活用されている。

本当は、レベル2に対応できる防潮堤が出来れば良いのだが、

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これは今後数十年を要する課題だ。

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2014年2月18日 (火)

ガマンの価値

中学生の頃、隣の席の男の子のノートに「忍」と大きく書いてあった。

「今は、サボロー君とは縁を切って、受験に向けて頑張ろう」程の意味だったろうか。

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私達〔ベビーブーマー〕の目前には受験地獄が控えていたからだ。

兎に角、私達団塊の世代はガマンの世代だった。

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私なぞ、幼稚園も満員で入れて貰えなかったし、

終戦直後の家には金も無かったし、着るもの食べるもの、遊ぶところも無かった。

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それがやや一段落したら、今度は受験地獄に出世競争とガマンが続いた。

いやいや、我慢と言うよりもそれが当たり前だったんだ。

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ところが、今日の事情は一変している。

子供の数が少ないこともあって、好きなものを食べさせ、好きなように我儘を通す。

何不自由なく育つ子供たちに「忍」などという言葉は無縁だ。Dscf0405

だから思い通りにならないと、直ぐに「切れる」と言う事にもなる。

そんな挙句の果てに児童虐待とか、ストーカー殺人なんてことも起こる。

グッとガマンすることが出来なくって、感情のコントロールの仕方が分からないのだ。Dscf0407

学校でも同様で、静かに座って先生の話を聞くことが出来ない子供が増えている。

もっとも、ガマンと進歩はかつては裏腹の関係にあった。

家電製品の発達は不便やガマンを解消することだったし、Dscf0408

乗り物だって同様で、江戸の昔はみんな歩いて行動していたんだ。

お陰で私達はガマンしなくて済むようになり、快適な生活を手にした訳で、

ガマンは人類の進歩の出発点だったんだ。

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しかし我慢を忘れた社会は勝手放題の殺伐とした空間を作り出す。

殊に子供達は、人の気持ちを思いやることが出来なくなっている。

何でも自分の思い通りになると錯覚させる育て方を蔓延させてしまったからだ。

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だけど、この世渡りに一番必要なものは、実は我慢だと思う。

何とか、我慢できる子供を培う教育が出来ないものだろうか。

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2014年2月17日 (月)

異文化と共に

人口17万の私の住む街には、外国籍の方々が7千人近く住んでいる。

リーマン・ショツクの頃には一万人近かったから随分と減ったが、それでも

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ブラジル、ペルー、ベトナム、中国、フィリピン、インド、韓国籍など多彩だ。

それぞれ生活習慣や文化にも違いがあって、時にトラブルや非行に繋がることもある。

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それでお互いの理解を深めようと開催されたのが、インターナショナルフェアーだ。

学生達のシンポジュームに続いて、各国の伝統文化や料理を味わうことが出来た。

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その会場で一番感じたのは、それぞれアイデンティティを大切にしてるんだなぁ~って事。

それぞれのサロンがあって、言葉も芸能もかなり大切に伝承している。

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必ずしもこの国に溶け込もうとするだけではないのだ。

むしろ日本人の方が、彼らとどう付き合うのか戸惑っている場面が多いのではないか。

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それに、私達自身が「日本の文化」にどれだと精通しているかと言うと、はなはだ怪しい。

さらに私達は、もともと異文化に馴染めない独特の島国気質を持っている。

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日本語の特殊性もあって、外国語アレルギーも多分にある。

とは言え時代はどんどんグローバル化して、国境の壁は後進国のものになりつつある。

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クルドやチベットなど無数の民族対立が依然として続いてはいるが、

欧米諸国に旅行して驚くのは、先ずは人種の混在と共存だろう。

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この点、日本の内なる国際化は始まったばかりで、

自治会などの地域社会だって色々と苦労しているのが現実だ。

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ゴミ出しや防災、日々の意思疎通難、修学児童の扱いなどなどだ。

私の所では304自治会に名簿〔承諾済み〕を渡し、戸別訪問して防災訓練への参加を呼びかけたりしている。

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共同の行動を取ることで、少しずつ融和が進めばと期待している訳だ。

だけど「みんな一緒に・・・」などと言うのは、日本人のお節介なのかも知れない。

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ともあれ、昨日は少し変わった料理をあれこれ、美味しく頂いた。

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2014年2月16日 (日)

飾り瓢箪

瓢箪には、その豹げた語呂や形の故か滑稽なイメージがある。

NHKの「ひょっこり瓢箪島」もそんなコミカルな設定だった。

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その瓢箪は、かつてはヘチマ同様に実用品として容器などに使われたが、

今ではノスタルジックな装飾品になっている。

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今日は地域のコミュニティー協議会の主催で、その飾り瓢箪づくりの会があった。

下づくりした千成瓢箪にモミジ葉などを使って、絵模様と塗装で仕上げていく。

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少し難しいかな~と心配したが、作業そのものは和気藹藹とスムーズに進んだ。

コミュニティーは、一緒に何事かをやって初めて動き出す。

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笛や太鼓で「仲良くしましょう」と呼びかけた所で、何も前に出ることはない。

そういう意味で、「事づくり」は地域づくりの大きな課題だ。

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誰かがそのきっかけを作らねばならないのだが、大抵は「面倒くさい」が先立つようだ。

今日の瓢箪だって、塗飾りからだったが、

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やがてこれが瓢箪を育てて、そのコンクールにまで発展するかもしれない。

人の一生は何を面白くやれるのかだが、その素材を探しあぐねている人だって多い。

協議会では、そのヒントを創ろうと試行錯誤を続けているんだ。Dscf0346

私もこの春先には瓢箪の種を播いてみようと思っているが、正に「瓢箪から駒」、

来年のこの会に持ち込んで、案外面白い遊びが出来るかも知れない。

一緒に連れて行った孫娘も、存外気に入った様子だ。

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ところで「瓢箪の川流れ」と言う表現がある。

川の流れと共にチャップン・チャッポンと滑稽に浮き沈みしつつ流れていく。

その形故に沈みもせず、頭を出したり横になったりしつつ下っていく。

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これ・・・私達の生き様かも知れず、瓢箪には殊更愛着がわく。

良い時間を作っていただいた。

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2014年2月15日 (土)

ひと時

一年で最も待ち遠しいのが、春は弥生の頃ではなかろうか。

その弥生まで、残すところ二週間である。

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さしずめ昨夜来の風雨は、春を呼ぶ嵐だったのだろうかしら。

ともあれこの島国に住む人々は、その四季折々を慈しみ味わいつつ暮らしてきた。

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当然ながら食べることにも季節があって、中でも和菓子には彩と思い入れがある。

田舎育ちの私にも、母親の作ってくれた柏餅やぼた餅には鮮烈な憧憬が残る。

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ノスタルジーなのだが、時にそこに行ってみたくなる。

磐田市に香りの博物館があって、和菓子と香り展をやっている。

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それで休日のひと時を、この展示を見て過ごすことにしたのである。

展示は雛飾りを中心に懐かしい季節の菓子が並んでいた。

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そう私達の歴史は、よもぎや桜葉、葛や米粉を季節なりに多様な菓子にしてきている。

桃の節句には早咲きの桃の花を飾り、紅・白・緑の三色の菱餅を供える倣いだ。

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真っ白な雪がとけスクスクと緑が広がって、やがて紅の花を咲かせる。

子供の健やかな成長を願っての習わしだ。

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遠州地域には米粉を使った白雪糕があるが、これも近頃じゃ珍しくなった。

食べ物も時代と共に移り変わるもので、菓子はもっぱら軽い洋菓子に移りつつある。

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しかしながら、時には季節と民族の知恵の詰まった和菓子を味わいたい。

さしずめ春には桜餅が良かろうか。Dscf0333

我が家の河津桜は、一杯に花芽を膨らませて開く頃合いを今や遅しと待っている。

春は、もうそこまで来ているのだ。

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と言う訳で、少しゆったりとしたひと時を過ごしたのである。

ところで、一時とはいか程の時間かご存知だろうか?

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「今、なん時だい?」「そろそろ八つ時よ!」「ちょっくら休んで、おやつ(お八つ)にするか」

・・・・などの会話は、江戸時代までのこと。

その昔の一日は十二時、だからひと時は今の二時間と言うことになる。

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昼間の「明け六つ」と日暮れからの「暮れ六つ」だ。

誰もが季節のリズムで、そいつをたっぷり味わいつつ生きてきたんだ。

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2014年2月14日 (金)

かくてありなん

自分の毎日の生活を考えて見ている。

退職後、自分の生活の幅を確保しようと腐心してきた。

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だが、毎日ちょこまか齷齪と動き回っているようで、案外同じことを繰り返している。

朝は夜明け前に起きて、あちこちのカーテンを空け新聞を読む。

顔を洗って朝食を済ませ、街頭に立って子供たちを見送る。

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そう、今朝は雨に濡れて大変だったけど・・・

帰ってパソコンをチェックしてから、野菜への潅水などを済ませ、・・・

いろんな日課は省くが、まあ~おもむろに用事のある所に出かける。

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午後は4時頃には帰宅して雑用を済ませ、夕食後にブログを書く。

夜は十時過ぎにはベッドにもぐりこんで、とにかく毎日はパターン化している。

年間の葡萄や野菜作りにしても、季節季節で暦どおりの作業を繰り返している。

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勿論昨年の反省を踏まえて幾ばくの工夫をすることはあるが、基本は変わらない。

年間のレースだって、宮古島から始まって・・・・と年間スケジュールはほぼ同じ。

つまり春夏秋冬の日々をmannerismで送っているのだ。

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それでも、春には花が咲き、時に雨や嵐もあって、子供たちの成長もある。

それでも、あれこれと思いを巡らせ時に悩むことだってある。

規則正しいその毎日は、同じようであって決して同じではない。

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幾つかのその起伏が弾みとなって、暮らしを楽しむことが出来る。

まあ、私なりのマンネ・リズムを結構気に入っているのだ。

「昨日 またかくてありけり、今日も またかくてありなむ

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この命 何を齷齪 明日をのみ思ひわづらふ」〔藤村〕

多分明日だって、かくてあると信じつつ・・・・。

今夜は全国的に雪だが、この地域だけは雨だ。

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2014年2月13日 (木)

人生行楽在勉強

大雑把に言うと、既に隠居の身分である。

とは言え、落語のご隠居のようにゴロゴロしながら好き勝手に生きている訳でもない。

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公の束縛から少し解放されて、遠慮や気兼ねから幾分遠ざかった程度の隠居だ。

その隠居が、時々人生についてあれこれと書きたくなる。

不思議なもので、馬齢なりとも積み重ねたが故に何を言ってもそれなりに様になる。

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それで調子に乗って、今日は「人生は行楽すべし」と言おうとしている。

人生を「謳歌する」という表現がある。

人の一生には悲喜交々様々な出来事が付いて回るし、

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自分の考えどおりに物事が進むなんてことは在り得ない。

だから謳歌なんて出来る訳はないと、昔は考えていた。

しかし歌にも、楽しい歌・苦しい歌・悲しい歌など色々とあって、

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その様々な事どもをひっくるめて歌うのが謳歌じゃないかと思うようになっている。

色々あるけれど、くよくよしても詮無い、それを皆楽しんでやれってね。

それにはジッとしているんじゃなくって、何事にも首を突っ込んで行動することだ。

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花が咲けば見に行き、面白い本があれば読む。

大会があれば進んで参加し、精一杯頑張ってみる。

人生楽しむに如かず、まさに是謳歌ではなかろうか。

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欧陽修の「豊楽亭小飲」と題する七言古詩の一節に人生行楽在勉強とある。

「人生の行楽は 強いてこれを勉めるに在り」と一生懸命に楽しめと言うのだ。

万物は時と共に隔てなく移り変わり、もう間もなく通津浦々に春の風が覆うようになる。

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桃や杏などの花々も自ずと咲き乱れるだろう。

その華を眺める娘たちが、その花々と素朴な美しさを競うように。

人生は一生懸命に楽しむべきものだ。

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酒があれば、これを味わっていただこう。

花と娘を笑うよりも、老いたりとは言え共に楽しもうぞ。

・・・・てな、意味かな~。

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造化無情不択物 〔造化には情無し 物を択ばず〕

春色亦到深山中 〔春色 亦た到る 深山の中〕

山桃渓杏少意思 〔山の桃 谷の杏 意思少なきも〕

自趁時節開春風 〔自ずから時節おいて 春風に開く〕

看花遊女不知醜 〔花を見る娘達は 醜さを知らず〕

古粧野態争花紅 〔古粧 野態 花の紅と争う〕

人生行楽在勉強 〔人生の行楽 強いて勉めるに在り〕

有酒莫負瑠璃鍾 〔酒あらば そむくなかれ 瑠璃のさかずきに〕

主人勿笑花与女 〔主人 笑うなかれ 花とむすめを〕

嗟爾自是花前翁 〔ああ なんじは 自ずから是花前の翁なり〕

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2014年2月12日 (水)

見るべきほどを・・

静岡市南部の市街地に「登呂遺跡」が残されている。

戦後間もない頃に水田の溝や田下駄・住居跡が発見された弥生の遺跡である。

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太古の弥生時代をぐっと身近な存在にした発見だった。

この遺跡の東に見える山が、その意味のとおりの有東山である。

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またその有東山の麓には草薙神社があって、日本書紀の故事を今に伝えている。

先日久しぶりにこの遺跡に立って、私達の先祖の見ていたものを考えたのだ。

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東の有度(東)山を眺め米や土器を作ったのは当然のこと。

だが、それだけでは無かったはずだ。

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あの山の向こうには、あの川(安倍川)の向こうには何があって、誰が住むのか。

美味しいものが、綺麗に輝くものが有るかも知れない。

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何時も未知の空間を思い描いていたはずだし、実際に冒険にだって向かったのではないか。

登呂の生活が何一つ不自由のないものであったとしても、人はやはり未知を知りたくなる。

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私達が旅に出掛けるのも、新たな試みを始めるのも、新たな風景を見たいからだろう。

恐る恐るだって新たな体験をしてみたいんだ。

毎日毎日の日々の営みはそれは大切なことだけど、人間はそれだけでは満足できない。

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何か一つ一歩でも半歩でも前に進むなら、十二分な納得が得られる。

一歩進むことによって山の向こうが見えてくれば、それは感動の新しい世界だ。

人は、大なり小なりその感動を求めて生きているのだと思う。

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だからこそ人々は、登呂の時代から今日まで、次々と新しい景色を作り出してきたのだ。

人は時に保守的になるが、私達を取り巻く世界そのものが動いている。

多くの人々が新しい風景を希求するから時代が動く。

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しかも、インターネットの発達でその回り舞台の速度は一層早まっている。

新しい景色を観たいと言う気持ちは、弥生人も私達も少しも違わないだろう。

そして、やがて人は清盛の四男、平知盛のように「見るべきほどのものは見つ」と、

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諦観と一定の納得でこの世を去るのだろう。

果たしてこれから、どれ程の新しい風景を見ることが出来るだろうか。

弥生の風景は、私達の心の古里でもある。

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2014年2月11日 (火)

徒然なるままに

今日の休日は日程も無くって、いわば休養日である。

日頃あくせく過ごしていると、こういう日の過ごし方が難しい。

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勿論何時もの様に朝早くから山に向かい、静かな気分で走り始める。

この間から始めた体全体で走る走法を意識しつつ、姿勢を正して走るのだ。

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それでついつい18kmも走ってしまって、既に11時過ぎになっていた。

帰りには「しんしん」に寄って、肥料と不足している馬鈴薯の種イモを求めた。

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ささやか昼食の後、ホウレンソウの間引き、

それが終わると葡萄の堆肥を広げて灌水、ジャガイモの植え込み、ブドウ棚の補修と続く。

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薄暗くなって引き揚げ、ふと万歩計を見ると2万9千余歩になっていた。

これが私の久しぶりの休日なんだが、何故か「人は休日をどう過ごしてるのか?」と思った。

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仮に何もすることの無い休日があったとしたら、・・・・・・

図書館に行く、○×温泉の客となる、それとも頃合いを見計らって居酒屋行きだろうか?

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もう何年も前になるが、先輩に「退職しても、何かやってないとアル中になるぞ。」と言われたことがある。

ジッとしていられない私なぞは、或いはそうなのかも知れない。

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そもそも人間が生きているのは、何がしかをする為であって、

何もすることが無くなれば消滅すべしとすら思っている。

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たとえ、しがない人生を生きていたとしても、そこには生きるべき甲斐が必ずある。

徒然なるままに日記を書くのだって、家の掃除をするんだって幾ばくかの意味がある。

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ただしかし、何もすることがないのは困るだろう。

しがない男は、徒然なるままにそんなことを思っている。

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2014年2月10日 (月)

梅は魁

季節が動いている。

その動きをはっきりと知覚させてくれるのは梅の花だ。

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桃や桜はほど良い頃を選んで花を咲かせるのだから、とやかく言うことは無い。

しかし梅はどうだろう、 一昨日の雪のような厳寒の中で花咲かせる。

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この寒中に凛として咲く梅の姿は、春を引き寄せる健気な先導者に思える。

それも桜のように華やかではなく、密やかに漂う香りがある。

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これこそが春の先駆けの香りなのだ。

それに梅花は、明け方の冷たい風にふれて一斉に開くという。

静岡に出かけた帰り、丸子でその梅の香を感じて車を止めた。Dscf0297

梅園に入るとその芳しさは一層しっかりとして、もう六部咲きにもなっているだろうか。

今年は、梅の花が少し早いのかもしれない。

紅梅白梅が織り成して、丸子の山そのものが色づくいて見える。Dscf0296

実はこの梅園、縁主がもてあまして地域の有志がオープンさせている。

しばし佇み、たっぷりと梅の香を吸い込んで車に戻った。

人も季節も先んじて行動すれば、当然ながらその風雪に耐えねばならない。Dscf0293

しかし、どうだろうか。

梅花が桜の咲き乱れる中に咲いたとしたら誰が愛でるだろうか。

魁には先駆けの役割があり、試練の中だからこそ意味がある。

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この時期、梅の花を求めて集まる鳥もあるのだ。

私もその鳥の一人なのか、清楚で少し遠慮がちな梅花が好きだ。

ほのかな香りは、乙女の黒髪の香に似て・・・。

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梅をこよなく愛した王安石は、以下のごとく梅をめでている。

牆角数枝梅 〔庭の角 数枝の梅〕

凌寒独自開 〔寒を凌いで 独り自ら開く〕

遥知不是雪 〔遥かに知る 是れ雪ならずと〕

為有暗香来 〔暗香の来たるが有る為なり〕

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2014年2月 9日 (日)

親米派

NHKの昼ドラで「ごちそうさん」ってのをやっている。

食は万人の共通話柄だが、あれは戦前のつましい時代のご馳走である。

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決して豪華ではない素材を美味しく食べる。

日本食が世界遺産に登録されたようだが、それは正にかつての日本食ではないのか。

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今日のご馳走と言えば、フレンチだったりイタ飯だったりが一般的だ。

御節にしても少しリッチな弁当も、その中味は十二分に洋食である。

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揚げ物や肉類がこれでもかとたっぷりと入っている。

一体全体、この日本で本当の和食がどこで味わえるのかと言いたい。

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・・・と悪態をつこうとして、はて私の毎日が和食だと合点した。

熱いご飯に豆腐の入った味噌汁。

それに自家製のキムチ(和食??=漬物)があれば、他には何もいらない。

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極め付きの和食党であって、パンは余程のことがない限り食さない。

我が細君は、私の好みを知っていて?j、毎度これしか作ってくれないのだ.。

それを静かに噛締め、あぁ~俺は親米派だとつくづく思う。

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今更大きく成長する訳でもなし、肉や魚など無用の長物である。

さてこそ、時には肉も食べたいものだと思わない訳ではないが、ひたすら忍従である。

それはともあれ、ご飯は万能食であって、茶漬であれ何であれとにかく好きだ。

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鰯のおかかをかけて少しの山葵を添えた「猫飯」なんて最高だね。

ってな訳で、日本に生まれて良かったとつくづく思うのだ。

親米派ではあるが・・・・・。

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2014年2月 8日 (土)

雪の日本平

うぅ~ん、今日は荒れ模様の天気になって随分色んなことがあって…・。

ともあれ、清水の良い所を巡るマラニックである。

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それが自宅を出る時点からつまづいてしまった。

駅に行って電車に乗る段になって、1時間遅れていることに気付いたのだ。

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さて困ったと思っていると、そこに臨時急行富士山トレインが入ってきた。

世界遺産富士山を楽しむ電車らしいが、そいつに飛び乗った。

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こんな雨の日なのに子供ずれ親子などで随分混み合っていたが、

何とそこにミス御殿場が歓迎に回ってきて・・・・・・。

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ともかく清水にはスタート時間に6分遅れて到着できた。

雨は蕭々と降っていたが電車の中で着替えた股旅姿でダッシュである。

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4km程走ると最後尾に追付いて、徐々に日本平に向けて坂を登っていく。

中腹頃から周囲が白っぽくなってきて、道はシャーベット状になっていた。

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この日本平(有東山)は標高308mなんだが、山頂に着くと辺り一面雪国であった。

ともかくレストハウスで暖をとるうちに、横殴りの吹雪になって、

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おまけに、久能山に渡るロープウエイが全面運休になってしまっていた。

急斜面の側道を降りて三保に出るか、それとも引き返して草薙の湯の向かうか?

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暫く議論があったが、暖房の利いたレストハウスにいても濡れた体は震えている。

とうとう引き返してゴールの草薙に向かうことになった。

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それでも元気な女性陣は、外に飛び出して雪合戦の真似ごとに興じていた。

しかし私は、股旅姿でろくな防寒もしていなくって、既に手はまったく感覚が無くなっていた。

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戻るにしても、草薙まで8km程雪の中を走らなければならない。

強風に煽られて三度笠はかぶれなくなるし、マントはずっしりと重く垂れさがっている。

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しかし立ち止まることもできず、ひたすら距離を縮めるしかなかったのだ。

12:30、やっと草薙の湯に辿り着いて靴を脱ごうにも手の指は動かず・・・・・。

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やっとの思いで湯船に浸かって、人心地を取り戻すことが出来た。

雨のマラニックも随分走ってきたけど、途中で撤収は今回が初めてである。

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ともかくたっぷりの時間が出来て、みんなでゆったりと何時もの宴会である。

随分と宴が盛り上がったころ、一人(ともぞうさん)が濡れそぼって入ってきた。

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何と全コースを走りきってきたと言う。!!!!!

凄い。

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2014年2月 7日 (金)

酒と文章

親父がまったくの下戸だったこともあって、私もアルコールには耐性がない。

だから、居酒屋で一人飲むなんてことは、

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とてものこと間が持たないと言うか、有り得ないことなんだ。

TVなどで居心地よさそうな居酒屋の場面を観ると、不思議な光景に思えてしまう。

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とは言え、少しばかりの晩酌を習慣とするようになってから、酒は昔より強くなった。

宴会の席などでは無理をして飲んで、結構はしゃぐ事も出来る。

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それに大勢でワイワイやりながらの雰囲気は嫌いではない。

それでも、酒そのものを旨いと思って飲んだことがない。

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晩酌をするのは、ドキドキと体が温かくなって心が自由になれるからだ。

酒の力を借りて自分ひとりの心の中に入っていく気分である。

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肴は、その自分自身の心かも知れない。

そして、気分が少しばかりハイになってから、おもむろにパソコンの前に座る。

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すると元より気の利いたことは書ける筈もないが、文章の歯切れだけは良くなる。

立派な文章は書けないが、エイ・ヤーと自分の思いを開放的に記すことになる。

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だから「・・である。」などと、俄然いさぎ良い書きっぷりが多くなる。

つまり、このブログは自分に酔って書いていることが多いのである。

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とは言え文章は人だから、モノローグだとて油断は出来ない。

著名人の書き込みのように問題になることはないとしても、

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あからさまな浅学菲才の暴露は最小限にとどめたい野心はある。

その辺がアルコールによって幾分軟らかくなるのである。

ともあれ中国の諺に「酒を飲むのは時間の無駄、酒を飲まないのは人生の無駄」とある。

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はて、酒が自分の人生にとってどれ程有益かは兎も角、

一日の終わりにゆったりと自分の中で酔うのは、確かに人生の至福の一時だろう。

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2014年2月 6日 (木)

遂げる

午前中、S市の自治会役員の皆さんが60人余訪れた。

私達連合会が中心に進めている防災対策アクションプログラムを勉強したいと言う。

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これは私達が地域防災文化(日常化)にしようと取り組んでいる試みだ。

ともあれ熱心な質疑が2時間余続いたのだが、

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自治会主導でのこの様な取り組みが珍しいらしく、かなりの数の視察を受け入れている。

組織は、役員の決断と指導力次第で生きて動くようになる。

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とは言え、市内304自治会のそれぞれに温度差はある。

されど、これも少しずつ高いレベルに平準化しつつあるような気がする。

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視察対応を終え午後は、少し早いが馬鈴薯の植え付けに取り組んだ。

汗をかいて畑を耕し種芋を一つずつ配置していく、

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彼らは春の音を聞きながら幾つかの芽を出し、やがてたわわに小芋を膨らませる。

これも作業を終えると、もう直ぐに芽を出しそうな爽快感がある。

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更に続いて、葡萄への堆肥の施用である。

私は堆肥を中心とした有機肥料でブドウを育てていて、大量の堆肥を毎年施用している。

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この作業を今月中に終わらせねばならない。

まあ、着々と進めているんだが、これまた一部屋作業を終える度に充実感が満ちる。

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これでもう「春の芽吹きを待つばかりだ。」っていう安堵と期待を伴ってね。

さてこそ、何事も「やり遂げる」ってことは、私達の最大の歓びとなる。

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自分の体を動かして物事を成し遂げる実感は、誰にとっても最大の歓びだろう。

ラインの前に立つ作業など分業化が進んだ今日、自分の成果が見え難くなっている。

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だからこそ、マラソン大会には人が溢れるのだろうと思っている。

たかが走ることだけど、一生懸命汗をかいて努力すれば、

やはりそれなりの達成感を確実に得ることが出来るからだ。

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殊に男は、その達成感を求めて生きているのだと思う。

毎日何を成し遂げたか、それを反芻しつつ眠れる人生でありたい。

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2014年2月 5日 (水)

玉手箱

朝、顔を洗う時だって、急いでいるのかめったに自分の顔を見ることはない。

それがどうした訳か、今朝は鏡の自分と目が合ってしまった。

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その瞬間、自分の顔が心なしか爺さんになったなと哀れみを覚えたんだ。

幾ら見直しても、決して若々しくは見えないんだから致し方ない。

あの紅顔の美青年??がと思わないでもないが、

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玉手箱を開けた浦島太郎ほど突然の事でもないから、何の不思議もない訳である。

確かに私の顔も幾ばくかの変貌を遂げたが、この間にもっと変わったのが気色だ。

幼い頃の、子鮒釣りしかの川も兎追いしかの山も今は無く、

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学校帰りに兎の餌を採った野道だってみんな舗装されちゃった。

畑は工場になり、町にはビルや住宅・商店街が広がった。

やがて車社会となって商店街は寂れ、郊外のショッピングセンターへと移り変わる。

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かつて世界の工場と称された製造現場だって、

中小企業までが次々と新興国へと移っていった。Dscf0202

目に見えない景色はもっと変貌していて、真空管からトランジスターへ、

そしてICからLSIへと変わって、どこからでも瞬時に世界と繋がるようになった。

私達は常に今を生きているのだからそれが当たり前だが、Dscf0200

考えてみれば正に「往時渺茫全て夢に似たり」である。

浦島太郎なら「帰ってみれば こは如何に♪」と歌うところであろうか。

ところで、浦島太郎は何故玉手箱を開けてしまったのだろうか。Dscf0193

実は浦島太郎の童話にはモデルがあって、丹後の豪族浦嶋子がその人である。

彼は遣唐使船で唐に渡った一人で、命懸けの航海で持ち帰ったのが玉手箱だ。

玉手箱の中身は、私の推察では稲作技術書だろう。Dscf0192

彼はその技術を持って全国を行脚した農業改良普及員ではなかったか。

米の増収に感謝した人々は、浦島神社を建てて彼を祭った。

ともあれ、帰国後の生涯を世のため人の為に尽くして、アッと言う間に爺さんになった。Dscf0191

・・・・と言う次第だろうと思っている。

つまり、やるべきことをやり遂げたのなら歳をとるのは当たり前ってこと。

問題は、何もせずに玉手箱を開けて唖然としていることだ。

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実は、玉手箱は人の心の中にあるのだ。

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2014年2月 4日 (火)

夏炉冬扇

今夜は、続けるってことについて書こうと思っている。

何故か若いころは移り気で、一つことをコツコツ続けることが出来なかった。

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勉強でも宿題や日記でも、体を動かすことも何時も三日坊主で終わっていた。

折角買ってきた分厚い日記帳だって、大抵は10ページも書けば終わりだった。

そんな男が、どうしたことか40歳を過ぎた頃から心を入れ替えた。

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幾つかの事を継続してやり始めたのだ。

その頃、走ること、書くこと、会うこと、作ることなどを少しずつ始めたんだ。

そして継続するために、そのことを実は一つ一つ口外した。

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つまり「俺、これから走ることを始めたんだ。」とか「農の風景誌に毎号寄稿する。」とかね。

自分一人で決めるだけじゃなくって、他人に口外することで自分を縛った。

結果としてそれはほぼ成功して、今日の私の積み重ねにする事ができたんだ。

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例えば、このブログである。

このブログを書き始めたのは、もう8年前になる。

最初の数か月は書いたり書かなかったりで、気の向くときだけ書くんじゃ何時か消えてなくなると思った。

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ある時、「俺は、毎日書く。」と宣言した。

それ以来約3,000日、しつこく書き続けてきた訳だが、やはり継続の力は大きい。

アクセス数もこの春には50万になろうとしているし、何より私自身が少しずつ変わってきている。

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表現し難いが、自分を俯瞰して観る習慣が出来たし、日々の行動自体がかなり変わったろう。

昔なら止めようと思うことも、今では積極的にやろうとする。

そのことで随分と私の世界が広がったような気がするのだ。

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もとより浅薄非才な山草人であって、書くことは正に夏炉冬扇、

とてものこと人の役に立つようなことは書けないが、夏の囲炉裏だって、

寒い冬の団扇だって、時には反面教師として慰めぐらいにはなろう。

そんなモノローグ(独り言)なんだが、励まして下さる方もいてここまで続けてこれた。

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ことほど左様に、

たかが数十年の人生だけど、生きてみると結構長い。

どんなことだって、これと思ったことを(仮に詰まらないことでも)続けてみることだ。

どんなことでも、続けることで得られるものが必ずあると思っている。

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2014年2月 3日 (月)

爺力

暇があれば何時も、古い作業帽を被って農作業をしている。

この時期は、ホウレンソウを播いたり馬鈴薯の植床を作ったり、

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はたまた葡萄の発芽に向けての準備作業などに精を出している。

かれこれ20年も、同じようなパターンの歳月を送っている。

そんな私も、とりあえずジイジと呼ばれる年恰好になってしまった。

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私のイメージする爺さんと言うのは、寅さんに登場する笠智衆のような・・・

枯れて悟りきっていて尚且つ頼りにされる存在であった。

だけど何時までたっても、小津安二郎の映画に出てくるような爺さんには成れそうにない。

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それは未熟な人格の故か、若しくは長寿社会の必然かのどちらかだと思っている。

右も左も年寄りばかりの時代になろうとしている訳だから、世の中が珍重する筈もない。

それに核家族化が当たり前になって、年寄も自立せざるを得なくなっているのだ。

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かつての年寄りは、決まってソフト帽をかぶっていた。

そんな熟年男の姿は、人生の荒波を乗り越えてきたしるしの様にも思えたものだ。

しかし今日、その帽子の似合う年寄も、更には帽子すら少なくなっている。

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日本人が帽子をかぶるようになったのは明治になってからだ。

それが消えつつあるのは、満員電車や車の普及でじゃまになったとか、

冷暖房や道路舗装などで必然性が少なくなったことが原因とか。

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更にはヘアースタイルを強調する若者にとって帽子は邪魔者だからね。

さりながら私は、野球帽を中心にかなり帽子を愛用している。

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頭髪が薄くなったこともあるが、帽子を被ることで10歳以上若く見えるからな!!。

ともあれ笠智衆は無理だから、若々しく動き回る好々爺を目指したい。

爺と言ったって、若い人たちに負けないだけのパワーも兼ね備えているからね。

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そういう意味じゃ、これからは爺力の時代ではないのか。

爺は爺なりのパワーで精一杯やって、人生楽しむに如かずである。

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2014年2月 2日 (日)

雨の森町ロード

今日は春一番となる森町ロードレースである。

朝からあいにくの雨だったけど思いの外走り易くって、私としては好タイムでゴール。

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久々に45分をきって1時間43分14秒、年代別32位でした。

好結果の理由は、実は昨夜Dさんのブログを覗いたことにある。

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Dさんは最近故障続きでリハビリを続けてたんだけど、このところ復調傾向にある。

それも走法の改善で良い結果が出せたとあった。

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胸を大きく開いて手と肩を一緒に動かす。

腕と共に肩を大きく引いて、そのリズムを足に連動させるんだという。

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要するに体全体で走るって事だけど、今日は早速その真似をしてみたんだ。

普段の私は、走ろうという気が強すぎてどうしても前傾姿勢になってしまう。

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結果的に歩幅を縮めることになって、思うほどスピードが出ない。

それが今日は上半身の動きが足につながって、疲れが極めて少ない。

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と言う訳で、11月のジュビロが1時間55分だったことを考えると、

びっくりするような好結果になった。

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Dさんに感謝しなければなるまい。

とは言え、マラソンは楽しんで走るもの。

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雨で仮装ランナーは少なかったけど、森の石松やら海女ちゃんスタイルには、

沿道から結構な声援がおくられていた。

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しかし今日の雨ではマントも重くなるし、三度笠のお二人ともかなり苦しんだようである。

で、一夜師匠のDさんは今回も超元気で、伺えばU野さんを追い抜いてしまったんだとか。

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ともあれ、今回の森では幸先の良いスタートがきれた。

来週は清水マラニックと、春に先駆けてマラソンシーズン突入である。

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今回は、甘酒を6杯程も戴いたから、その効果もあったのかな?

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2014年2月 1日 (土)

人生の一本道

還暦を過ぎた頃、人生には枝道も幾つかあるけれど、結局は一本道だと思った。

それも、立ち止まることも引き返すことも決して出来ない自分だけの一本道なのだ。

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高村光太郎は、「自分の歩いた後に道が出来る」と言ったが、

それは自分が通り過ぎた道に過ぎなくって、他人が同じ道を辿ることは難しい。

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その一本道は、時に妖怪の様な大木に遮られている事もあるし、

猪の様な獣に出っくわすことも、可憐に咲く野の花が広がっていることもある。

今振り返ってみても、走馬灯の様に無数のそんな場面を思い出す。

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そして、その私だけの道は誰かが真似できるものでもない。

そんな獣道を随分と歩いてきて、この先の道も幾分は見通せるようになった。

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勿論何に出っくわすか分からないにしても、道は続いていくと言う意味である。

孔子は「之を知る者は之を好む者に如かず、

之を好む者は之を楽しむ者に如かず」と言ったと記録されている。

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これを人生の道程に準えて考えてみたい。

この世の成り立ちも分からず恐る恐る歩き出したあの頃、

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見るもの聞くもの須らく目新しかった。

そいつを学び必死に自らの血肉にしようしとた日々があった。

そして色々と経験する中で、自分の生きられる道を見出していく。

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まあ好んだと言うよりも、自分の得意とした分野を歩き続けるようになった。

だがとてものこと、その人生を楽しむなんて境地に至ることは無かった。

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やがて、定年退職となって第二の人生を歩くようになっている。

さてこそ、人生を楽しもう楽しもうと思うのだが、

依然として魑魅魍魎とも出会うし、解決困難な課題にも日々直面している。

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そんなこんなで、人生の一本道はまだまだ前途多難らしい。

望むらくは、その残りの一本道を楽しむ者になりたいものである。

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