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2014年2月24日 (月)

阿弥陀寺と清玉上人

京都の寺町にい弥陀寺という小さな寺がある。

開山は清玉と言う男で、

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この寺に本能寺で死んだ織田信長や森欄丸など百余名の墓がある。

何故この寺が信長公の本廟所になっているかについては、歴史を遡らねばならない。

実は清玉は信長の義母兄が助けた女から生まれた子で、

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母親が死んで子供だけが生きて残され、織田家で育てられた。

信長とは兄弟のように育てられたという。

ある時、清玉が自分の出自を知ることになり、出家して京に阿弥陀寺を建立した。

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織田家の後ろ盾があって立派な寺だったようだ。

やがて信長が天下人となって、本能寺の変へと時代が急転していく。

その本能寺が焼け落ちた後真っ先に駆けつけたのが、清玉とその僧侶達だった。

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信長の遺骸を運び出した後、清玉はおもむろに下賀茂神社の光秀の本陣を訪れる。

本能寺で亡くなった秀忠や欄丸らの御霊を祀りたいと願い出たのである。

さらに時勢は急変して秀吉と勝家の宿命的な対立がピークになっていく。

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信長の葬儀を岐阜でやると言い出したのは勝家だったが、秀吉は之を拒否し、

改めて信長の死んだ京都でやることに固執した。

信長の葬儀を誰が主催するかは、正に政略そのものだったからだ。

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葬儀は天正11年10月11日から15日まで続いたが、その場所は紫野の大徳寺だった。

棺には香木で造られた仏像が収められた。

葬儀は遺骨のある阿弥陀寺で営まれるべきだが、それを清玉は拒否したのだろう。

あるいは清玉は織田一族に信長の跡目を継がせたかったのだろうか?Dscf0464

だが、秀吉はそのことを根に持った。

やがて秀吉の天下が定まると、阿弥陀寺は寺町の一角に小さく移転させられたのだ。

そんな次第で、この小さな寺に信長たちの墓がある。

本堂には信長が使ったという手槍先が展示されている。Dscf0463

果たして、火事場から持ち帰ったものかどうか・・・・・。

蛇足だが、この寺は俳優の森光子さんの檀家寺で墓もある。〔森兄弟の子孫ではない〕

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コメント

本能寺の一件は、未だに議論が、別れますよね。
光秀の陰謀説を習いもしたけど、それでは、光秀が、余りにも低脳か乱心者になる。
黒幕説が、正しく思えてしまいます。
ならば黒幕第一は、秀吉ですか~?
信長って仏教徒でしたか~?
信長の首を是が非でも欲しがったのは、光秀でじゃないの?
骨もないのに、寺に槍ですか?


森光子さんが、眠るのは、事実ですね。
村上家は、森光子さんの実家のようです。

投稿: ひろ | 2014年2月25日 (火) 19時53分

 確かに信長は神も仏も信じない男だったけど、織田家はれっきとした浄土宗を宗旨としていたようですね。

 信長の骨を焼け跡でどう識別したのか分かりませんが、清玉上人は 光秀に信長以外の骨を拾ってまつると申し出たようです。
 清玉と信長関係を熟知していた光秀は、それですべてを納得したと伝えられている。

 恐らく、清玉がこれと決めて仕分けたのでしょう。

 はて、手槍先は鋭く光っていて、とても焼け跡から持ち出したものとは・・・・? これも歴史秘話でしょうかね。

 明治の初めに天皇から信長に「正一位」が追贈されて、それまでの従一位から格上げされています。その式典も、この阿弥陀寺で催されていますね。
                山草人

投稿: 山草人 | 2014年2月25日 (火) 21時03分

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