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2014年2月27日 (木)

鳴虎

明渡来の掛軸「鳴虎」を寺宝とすることで知られる京都の報恩寺のことである。

この鳴虎図は文亀元年(1501)に時の後柏原天皇から下付されたものとされ、

Dscf0470

聚楽第に滞在したころの秀吉が度々見に訪れた。

よほど気に入ったのか、その伝来の虎図を聚楽第に持ち帰ったのだが、

その夜掛軸の虎が鳴いて眠れなかったと言い、直ちに返したと言う逸話が残されている。

この軸は寅年の1月3日にだけ公開されてきたものだが、今回精巧な複製が出来て、

今年から何時でも見物できるようになっている。

Dscf0469

ところでこの寺には、黒田官兵衛と息子長政の位牌が安置されている。

元和9年(1623)に徳川秀忠と家光が揃って皇居参内のために上洛した。

この時、相前後して黒田長政も入洛し、この報恩寺を宿舎にしたのだが、

長政は、この寺で持病の発作のために死去してしまった。

それで長政の「最後の部屋」と共に位牌が残ることになったと言う次第だ。

Dscf0468

ともあれ黒田官兵衛は秀吉の謀臣として活躍した男だが、

息子の長政は早くから家康に通じていたと言われる。

と言うのにも訳がある。

秀吉が中国攻めで苦労している頃、荒木村重の謀反事件が起こる。

その村重を翻意させるべく向かったのが黒田官兵衛だった。

Dscf0467

しかし管兵衛は、そのまま石牢に閉じ込められて村重の捕虜になってしまう。

しかし信長は、音沙汰の消えた管兵衛は寝返ったとみて、人質(長政)を殺せと命じる。

秀吉も止む無く長政をあずけていた竹中半兵衛に殺すことを命じている。

しかし管兵衛と入魂の半兵衛は、長政を殺したことにして匿ったのだ。

そんな経緯から、長政は秀吉を憎んでいたのかも知れない。

Dscf0471

ともあれ、その長政や秀吉が眺めたであろう鳴虎図である。

体の毛一本一本まで精緻で、白いむだ毛までがリアルに描かれている。

聚楽第にこの図を掛けた秀吉が、

異国の珍獣に「こりゃ、いかん」と思ったのも無理はないような気がする。

Dscf0446

この京都の小さな寺にも、歴史の一コマが残されていた。

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