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2014年3月31日 (月)

ビバ吹奏楽

高等学校の吹奏楽部定期演奏会に出かけて、二つの大きな感動にめぐり合った。

学部創立以来30回を重ねてきた節目となる演奏会だ。

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吹奏楽と言うのは、一人ひとりの音を重ねて重厚な音楽に仕立てるところに魅力がある。

とは言え、現在の部員は14名に過ぎない。

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それでどんな定期演奏会が出来るのか、実は心配しながら出かけたのである。

しかし、そんな心配は瞬く間に消し飛んでしまった。

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50名余の卒業生が全国から駆けつけて演奏に加わったのである。

それぞれ多忙な中で練習を重ね、仕事もやりくりしての参集である。

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それに演奏に加われないOBは、舞台周りの手伝いを買って出ていた。

駐車場整理や観客誘導は、野球部の生徒達がキビキビとやっている。

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吹奏楽部の日頃の応援演奏への感謝の気持ちだという。

第一部のクラッシック・ステージは、

地元でバッハ合唱団を主宰し、顧問OBでもある保科洋さんに指揮棒を振って頂いた。

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第二部のゲスト・ステージでは、作曲でも著名な福田洋介さんが素晴らしい指揮をされた。

殊にこの演奏会のために福田さんに作曲して頂いた「調和のエンブレム」は、

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本校の校訓「中庸の道」がヒントなのだそうで、クラシカルなマーチであった。

この曲は、今後も色々な機会に演奏することが出来そうである。

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そして最後の第三部は懐かしく心温まるポップス・ステージであった。

半世紀余の学校の歴史を改めてしみじみと感じさせられた、

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その結晶の一場面として、正に素晴らしい演奏会ではなかったかと思う。

もう一つの感動は、一人の女生徒の頑張りと活躍であった。

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彼女は部長を務めていた昨年夏、

横断歩道を歩いていて、携帯を見ながら運転していた車に跳ねられた。

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危篤が続き、ようやく意識が戻ったのは3ヵ月後だったろうか。

一生寝たきりかと思われたその彼女が、口を利くようになり、そして車椅子を降り、

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とうとうこの演奏会に登場出来たのである。

足を引きずりながらではあったが、事情を知るだけに感動的で胸が熱くなった。

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今年のこの演奏会は、演奏の素晴らしさとは別に、

人のつながりや人間そのものを思わされる感動に溢れていたのである。

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実に素晴らしい吹奏楽のひと時を過ごすことができた。

正に、吹奏楽万歳である。ありがとう。

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2014年3月30日 (日)

雨を衝いて

今日は姫街道マラニック(西編)である。

生憎の雨の中だが、9:00に豊川の御油道をスターする予定だった。

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ところが、今朝の部落集会を失念していて、集会に出てから駈け付けることにした。

と言う訳で、私のマラニックはゴール地点の細江から逆走し、

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合流したら引き返すことにした。

降りしきる雨の中をたった一人で走るのは、かなり心細い。

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斜面のか細い街道は水路兼農道だったりして、小川の中を走るようなところもある。

それに苔むした石畳はツルツルと滑って、なかなかに走るってことができない。

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おまけに知っているつもりの道を随分と間違えた。

大勢で走っている時には何気なく通り過ぎたのか、一人では不安になることしきりなのだ。

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それでも象鳴き坂など急な上り下りの引佐峠を越え、大里峠へ。

そこで最初のランナーN田さんと出会った。

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三ヶ日あたりで出会うかと思っていたのに、随分と早い。

それから暫くして三ヶ日の町の入口近くで、思いがけずY本女子と出会った。

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足腰の故障で苦しんでいるはずのY嬢の意外な健闘にびっくりであった。

さてこそ、そのあたりから更に雨脚が激しくなって、雨宿りの店を探して必死に走った。

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やっとのことスーパーに入って弁当を食べていると、窓の外を一行が次々と走っていく。

この雨の中、他人からすれば「良くやるよ!」ってところだろうか。

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だけど私達にすれば、雨だろうか暑かろうが、マラニックはマラニックなのだ。

三ヶ日から折り返して、一部皆さんと共に帰りの道を走ることが出来たのである。

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やはり、マラニックは仲間があった方が良い。

これは、人生の歩みと同じだね。

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ともあれ15時過ぎ、奥浜名湖の国民宿舎の風呂に浸かって疲れを癒す。

残念ながら全コースを走れなかったけど、元気な皆さんの顔を見られただけでOK。

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奥浜名湖を見渡す風呂からは、雨上がりの空が明るくなっていた。

私の走行距離は25k位だったろうか、それでも十分な充足感がある。

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2014年3月29日 (土)

春なのに

久しぶりの山には、ミヤマツツジが浮かぶ様に咲いていた。

走り進むと、Nさんがワラビが出ていると言う。

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ワラビを探しながら18k走りって、かなり汗をかく気候になっている。

山さんが帰ってきて、大きな青大将(蛇)に出っくわしたと言う。

私の走っている山も、大急ぎで春支度をしているようだ。

気分も景色も新しくしてくれる春が、今年も本格化しようとしている。

この春を前にして、私の知人のYさんが突然亡くなって、Img_0398

そのお別れ会に出掛けてきた。Yさんは私と同郷で昭和13年の生まれだ。

昭和18年、満州開拓団の団長の父に連れられて吉林省にわたる。

昭和20年8月16日、終戦とともに逃避行が始まる。

満鉄の線路伝いに9日間食うや食わずで母子が歩いたと言う。

9日目に満鉄列車に拾われて、公主嶺の収容所に辿り着く。Img_0399

昭和21年満州より帰国した時、9歳だった。

そのYさんが個人営業のプラスチック成形業を始め、昭和39年には法人化し次第に成長していく。

昭和59年、株式会社ヤザキとなり、一昨年にはジョージア州に現地法人を設立している。

年末にご一緒したばかりで、これからの抱負を明るく語っておられた。

そんな企業人のYさんが、この2月、76歳で突然亡くなったのである。Img_0395

満州からの引き上げなんて話は、このお別れ会で初めて知ったことだった。

ご自身の苦労話なんてついぞ伺ったことが無く、

いつも前向きな話をされていたYさんである。

人の一生と言うものは、どんな苦労や成功などとは関係なく、

突然終わってしまったりするのだ。

死のその瞬間まで、明日の事を考えていただろうYさんを思うと、Img_0396

人生の無常を考えざるを得ない。

私だって、何時何があったって不思議ではない年代を生きている。

その私にしても、このただ今だって無限に生きられるかのように思っている。

殊に春は、命の蘇る季節だ。 冬の色を消し、

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新緑の若々しい景色へと日々衣変わっていく。

一人の精一杯生きた男の生涯を思いつつ、この春の景色の中に包まれていく。

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2014年3月28日 (金)

いよいよ幼保園

昨夜来の雨が去って、今朝はぽかぽかの春日和になった。

私の地区には4つの公立幼稚園と一つの保育園がある。

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その保育園は海岸から400mの所にあるし、幼稚園も河川の近くにあったり、

老朽化が進んでいたりして、今回ようやく幼保園として統合整備されることになった。

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それで今日は、その起工式にこぎ着けたのである。

大きな原動力となったのは、あの3.11の東日本大震災だ。

津波を機に統合移転を目指したのだが「子供を安全な所へ」では一致しても、

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海岸近くの自然豊かな環境は捨て難いとか、地域の火が消えてしまう、

津波の心配に加えて幼稚園が無くなったら若い人達が住まなくなる。

などと老若男女を問わず、執拗な反対の動きが続いた。

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私もその渦中にあって、何度も自治会とPTA役員の会合を持って話し合いを繰り返した。

結果として最後の決め手は「東日本の悲劇を繰り返すな」ということだったけど、

ともかくも統合への合意となって、市長への要請活動となった。

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それから議会での決定・用地買収・造成工事と、あれからもうまん丸2年が経過した。

起工式の式典は、そんなこんなを思い起こさせるものとなった。

それに、これだけの合意と施工が良くぞ短期に出来たものだとの感慨もある。

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自治会関係者を代表して玉串奉奠しながら、そのタイミングの幸運を思っていた。

ともあれ来年一月には、13の保育室や時間外待機室などを備えた最新鋭施設が生まれる。

次の時代へのフレームの一つになるだろう。

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まだ巡回バスの手当てなど課題は残るけど、少子化の中でも一歩前進だろう。

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2014年3月27日 (木)

織り合せ

今年の春は、かなり遅れて急ぎ足でやってきた。

私の育てている葡萄の樹が、早生から順次新芽を覗かせ始めている。

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枯れ木の様に音なしだった樹が水を揚げ、ふと気付くと固い蕾を膨らませ、

その芽はアッと言う間に新枝へと移り変わっていく。

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毎朝ハウスを巡って、育てる新芽だけを残すための芽欠きをやっている。

この春の到来にホッとするひと時だが、この葡萄とも「出会い」だったなって思った。

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もうかれこれ20年前、親父の残した空ハウスをどうしようかと考えていた。

やがて葡萄づくりの悪戦苦闘と試行錯誤が始まるのだが、今は気の会った間柄だ。

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彼らのしゃべる言葉すら聞き取っているんだから・・・・。

思えば、私の付き合ってきたのは、勿論葡萄ばかりじゃない。

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この私の生まれた土地と自然があり、育ててくれた家族がいた。

たくさんの人々との出会いがあって、子供や孫にも恵まれている。

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この土地や人、様々なものとの出会いの中に私という人間もいる。

もとより、最初から自分が出来上がっていた訳じゃない。

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そういう意味で、人生ってのは色々な出会いで織り合せた織物なのかも知れない。

どういう色合いの織物になるかは、それは偶然と志の結果なのだろう。

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葡萄との出会いは、私のそんな試行錯誤の結果でもあった。

その出会いのお陰で、一年間をたっぷりと楽しむことが出来るんだ。

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葡萄に限らず、色々な出会いがドラマとなって飽くことのない毎日が続く。

人生ってのはとどのつまり出会いが全てなんだと思う。

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2014年3月26日 (水)

懸命

鶴竜が横綱に昇進して、その口上が「一生懸命」だった。

体力と技勝負の角界の事だから、その懸命と言う言葉に好感を持った。

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人は誰だって、懸命に生きている。

だけどどんなに頑張ったって、百点満点の人生なんて有り得ない。

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失敗に失敗を繰り返し、時には手垢にまみれて傷だらけにだってなる。

それでも死ぬ気になって掛れば、出来ないことは無いかも知れない。

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かく言う私だって、一生懸命生きているつもりだ。

だけど、何時も「オィ、お前は甘いぞっ」って見ている自分がいる。

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ここ一番って時には気張ったとしても、緊張が長続きすることは無いからだ。

人は馴れるってことで、自然とバランスをとっている。

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怠惰な自分に馴れっこになれば、それがその人の普通になる。

逆に次々と困難を引き受けているようでも、

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テンションがそのレベルならどぅってことは無い。

肝心なのは、自分をどのレベルで安定させるかなんだろう。

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すると問題は、どのレベルでの一生懸命かってことになる。

それに、意識が人間を変えるってこともある。

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横綱になれば横綱の意識に、組織の長ならばトップならではの意識になる。

一生懸命の度合いは格段に違って来るのだ。

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・・・ってな訳で、悪戯に肩に力を入れるんじゃなく、

人生は、自然体で前向きに生きることかな~。

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私は、懸命って言葉が好きだ。

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2014年3月25日 (火)

幸せは何処に

私達はどんな時に「あぁ~、幸せ!」って思うんだろうか?

普段は、スケジュールを毎日こなしているだけで、殊更幸せと感じることも無い。

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強いて言えば、汗を一杯流した後の一杯のビール・・・あれは少し幸せって感じるかな?

人は「元気で働けるだけ幸せ」だと言う。

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確かに病弱では、幸せなんて考えることすら無いかも知れない。

一昔前までは、生活が便利になる度に、手掴みできるワクワク感があった。

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子供の頃は、たまに脂ののった魚や肉を食べられるだけで、素朴に幸せだと思った。

初めて我が家にTVが入った時、堅いニュースや同じ画面の天気予報だったけど、

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人が動いているだけで、やはり嬉しかったし、感動したな~。

冷蔵庫や原動機付き自転車にだって、躍動するような幸せ感があった。

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だけど、それも何時の間にか当たり前になって、物じゃ感動しなくなった。

高校や大学に入った時、子供が生まれた時、幸せと感じただろうか?

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幸せどころか、やれやれと言うか、必死で生きてきたような気がする。

それじぁ、幸せって何だろうか?

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カール・ブッセは「山のあなたの空遠く 幸い住むと人の云う・・・・」と詠った。

遥かかなたに幸せがあって、そいつを追いかけて行けと言うのだろうか。

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確かに目標に向かって努力して、それに近づいている実感ってのは幸せだろうな。

だけど、そう簡単には実感なんて感じられないんじゃないか。

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そもそも人間は馴らされてしまう動物だ。

新しい場面には感動するけど、それも繰り返されると馴れてしまう。

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新しい刺激を際限なく求めるやっかいな動物のようだ。

そういう意味では、私達は同じところに安住することなく、挑戦し続けなきゃならない。

ともあれ、本当の幸せは人と人の心が通じ合った瞬間ではないかと思っている。

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人間にゃそれぞれ殻があってこれは簡単なことじゃないけど、

心許せる友を得るってのは人生の最大の課題だし、幸せだな。

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2014年3月24日 (月)

港神戸の香り

私自身海岸にほど近い所に住んでいるのに、めったに海には行かない。

それでも砂浜で海を眺めていると、茫漠とした無限を思わざるを得ないし、

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人間のちっぽけな存在を感じてしまうのが常だ。

だって、私の生まれるずっとずっと前から、

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何万年も前から波は絶えることなく打寄せていた。

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私がこの世から消えた後だって、同じ様な波動が続くんだろう。

この後生大事に生きていることが、余りにもちっぽけなことだと言うことに気付くんだ。

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先日の神戸ハーバーランドでは、とっても印象的な光景を目にした。

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コンチェルトの辺りだろうか、野天のレストハウスから大勢の人達が海を眺めていた。

その一様に海を眺める姿が、芝居の一場面を思わせるように幻想的だった。

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恋人達なのかも知れないが、

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みんな押し並べて神戸の海に魅せられているといった風情だ。

神戸の海は、自然のままではない。

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人間が智慧の限りを尽くして作り上げてきた海浜だ。

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その造形は感動的だし、人間の躍動的な可能性をも感じさせてくれる。

あの阪神淡路の震災からも、立派に立ち直っているのだ。

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今は空路の時代になって、かつての様に港町に漂う旅愁の風情は少なくなった。

マドラスはいなくっても、それでも、港町には独特の雰囲気が漂っている。

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言うまでもなく、神戸は港が作り上げた街だ。

湊川神社もポートタワーも、北野の異人館や南京町だって港の産物だ。

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神戸は味わうに足る街だし、幾つもの顔を持つ面白い街だ。

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2014年3月23日 (日)

遠足(とおあし)

極論すると人類は、弐本足で歩くことによって人間になった。

そして前史以来、私達の先祖は歩いて地球全体に拡散したし、

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歩くことによって食糧や仲間を得、

そうして人々の目標をかなえてきた。Img_0228

ところが近世に至って、石化エネルギーによる移動手段が発達した。

近所の買い物にすら車で出かける。

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それで人間は、どんどん歩かなくなってしまった。

結果としてメタボになったり、生活習慣病と同居するようになっている訳だ。Img_0237

歩くと言うことは、考えることに通じていると思っている。

歩かないのは、一種の人類の退化現象なのかも知れない。Img_0241

さてこそ私達のマラニックの効用を思っているのである。

毎週のように、全国各地を走り回って楽しんでいる。Img_0242

そこに行けば同好の士との和気あいあいの空間が広がるし、Img_0251

その土地土地の空気や人との出会いがある。

たかだか一日30k程度を走るのに過ぎないが、

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その街を征服できたかのような達成感だってある。

先日の神戸の街だって、走ったことで街のイメージは随分と変わった。

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細長く繋がる神戸は海や山と市街の別があって、それが濃縮されている街だ。

殊に臨海部は変化に富んだ絶景ポイントが続く。

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それは単に港が世界に繋がっていると言うだけではない。

行って自分の足で歩かねば分からない何かがある。

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ハーバーランドやメリケンパークなど、

人間が作り出した景観ながら、その傑作の一つが神戸かも知れない。

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その造形美に感動しながら走るのである。

ともあれこの十数年来、

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あちこちを走ることによって私の人生観を固めてきた感がある。

足と言うものは、歩いたり走ったりする為のものなんだ。

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それにその共通の行為によって、人は簡単に仲良くなれる。

自分の足を頼りに世界中を歩いてみたい。

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多分、ふらりと紛れ込んだ路地裏に本当の世界があるのだろう。

そう、このマラニックこそが、本当の遠足ではないかと思っている。

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2014年3月22日 (土)

サンドバイパス

河口閉塞対策と養浜を目的とした日本で初めてのシステムが登場した。

昨日は県知事以下多数が出席して竣工式が開催され、

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大漁旗のなびく海岸の会場に、私も地元代表として末席に連なった。

太田川の河口に堆積する土砂をジェットポンプで液状化し、

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スラリー状態にして2.2km先の海岸まで圧送するのである。

総工費40億円で起工から5年を費やしての完成である。

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河口閉塞は全国の河川で見られる現象だから、

この施設には実証実験の意味合いもある。

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この施設で、一年間に8万㎥の土砂を移動させるのだと言う。

ともあれ袋井太鼓の演奏に始まって、国会議員やら何やら来賓の祝辞だけで8名。

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この地域の名士を総ざらい集めたような式典であった。

ところで私達の生活の便利さは、その多くが自然の改変によってもたらされたものだ。

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例えば上流にダムを築いて貯水し、利水や発電をする。

お陰で干ばつが無くなり工業用水も飲料水も不足することが無くなった。

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だがこの国の海岸は、押し並べて河川からの土砂供給で作られたものだ。

しかるにこのダムが、この土砂供給を止めてしまったのである。

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結果として海岸は痩せ細り、台風の度に防災工事に追われる事態に至っている。

同様に火力発電は地球の炭酸ガス濃度を高め、原発も又廃棄物で苦しんでいる。

ことほど左様に、人類は常に自然との知恵比べをしているかのようだ。

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さてこそ知恵を集めて一丁二石を狙ったサンドバイパスである。

難題打開の切り札となるかどうか・・・・盛大な竣工式はその期待の故であろうか。

自然の力への人類の挑戦でもある。

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2014年3月21日 (金)

春を求めて

春分の日、彼岸のお中日は恒例の遠州三山マラニックである。

遅れていた春もようやくその兆しを見せているんで、春を探しながらのランになった。

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風こそ強いが気温はかなり高くなっている。

朝9時前に袋井駅に集まったのは18人ほど、中には海老名市からのY辺さんも見える。

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こうしてお彼岸には何度もこのコースを走っているんだけど、その度に顔ぶれは違う。

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俄然話題も少しずつ違って来るのだが、今回はやはり春を求めると言ったところか。

走り始めて間もなく二つのグループに分かれてしまった。

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私は午後の用事もあって、その先頭のグループをひた走った。

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最初の可睡斎では、早咲きのボタンが迎えてくれた。

家康ゆかりの可睡斎はボタンで知られるが、その本番は四月半ばである。

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これからのレースシーズンの安全を敬虔に祈願し、次の油山寺に向かう。

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途中には早咲きの桜やらモクレンが、春の訪れを全身で知らせている。

その傍らを淡々と先を急ぐのである。

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油山寺では奥の院の三重塔まで回って、老眼平癒のお願いまでして来たのである。

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地獄の沙汰も金次第と言うようだが、御賽銭はほんの僅かで願い事は多い。

ともあれ、そんなこんなの話題と笑いのマラニックである。

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油山寺からは、一気に南に10k余り先の法多山尊栄寺に向かう。

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途中、ショートカットした後続のH子さんがツクシを採っている所に合流した。

路肩には一面ツクシが出ているんだが、近頃じゃこんな景色も少なくなった。

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ツクシを調理して春を味わおうって言う風習だって希少になっている。

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ツクシ摘みなんて、随分昔の思い出になっている。

H子さんが子供の様に夢中でツクシを採る姿に、私にも童心が蘇るようだった。

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ツクシだって、私達日本人の記憶には未だしっかりと残っているはずなのだ。

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それはともかく法多山のダンゴを食する皆さんを尻目に、私は先を急いだ。

ゴールの和の湯に着いたのは12::05だったろうか、

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温泉に浸かって、残念ながら次の催事に向かわなければならない。

皆さんは、温泉で恒例の宴会である。

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冷たい風が吹いていたけど、春は確かな足取りでそこまで来ていると確信したのである。

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2014年3月20日 (木)

季節は流れ

この年度末の時期は、季節の流れが一気に加速するかのようだ。

今朝の小学生達の中には、もはや昨日卒業した六年生の姿は無い。

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それで新しい通学班長が、少しぎこちなく旗を持って先頭を歩いている。

私は昨日に続いて今日は、地元の中学校の卒業式に出席した。

166名が緊張した面持ちで卒業式に臨んでいた。

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私がこの学校を卒業した時には400名余の卒業生だったから、少子化は極めて著しい。

ずらりと父兄も詰めかけていて、私の頃とは雰囲気もすべからく違うような。

時代の流れは、かくも諸々を変えてしまうのかと、別の感慨がわく。

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この少子化と相俟って、いよいよ本格的な高齢化社会が到来しようとしている。

卒業していく若々しい中学生を眺めつつ、高齢者問題を憂えているんだ。

私の住む市の高齢者は約4万人だが、このうちの14.6%が要介護老人だ。

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さらにその要介護老人の1/4は、認知症の老人である。

体は丈夫でも認知症老人からは目を離せない。

在宅ケアーが一般的になる時代で、介護者の負担はその肩に重くのしかかっている。

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加齢による認知は歳と共に増加する傾向にあって、

80歳代後半ではその40%が認知なのだそうで、誰にでも起こり得ることらしい。

そう言えば、昨夜の事である。

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書斎であれこれ夢中になっていて、何時までも晩飯にならないな~と思った。

それで階下に行って「飯は未だか?」と女房に言うと、怪訝な顔をしている。

その顔を見て、あぁ~さっき食べたな~と、思い出したのである。

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人の事どころか、こりゃ春先から我が身を心配しなきゃいけなくなった。

歳をとりたくはないもので・・・・・・

ともあれ、卒業生の歌った歌の歌詞に

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 桜咲く春の日 季節は流れゆく

 今あなたに 手を振って歩き出す 明日へと続く道を・・・・とあった。

私も、呆けずに歩き続けねばなるまい。

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2014年3月19日 (水)

旅立ちの日

今日明日は、多くの小中学校で卒業式が行われる。

私の所も、中学校第9期生の卒業の日である。

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2年生の見守る中に、威儀を正してきびきびと卒業生が入場し、

卒業証書が一人ずつ手渡され、校長式辞と続く一連のセレモニーである。

センチメンタルな行事だが、卒業生にとっては一生に一度の記念の日なのである。Img_0321

さて今日の私の祝辞だが「自分に、自分なりの種を播いて、しっかり育て続けて欲しい」

と、自分の経験を踏まえてお話しさせていただいた。要旨は、

「私も自分なりに幾つかの種を播いて育ててきた。Img_0322

その種の一つが走るということで、運動の苦手な私が少しずつ走り始めて、もう25年になる。

そしてこの歳でも全国各地の100kマラソンを走っている。

100kは浜松から名古屋まで位の距離だが、これを十数時間で走る。

だけど走り始めは兎も角、60k、70kと進むにつれて体は重く足も棒のようになる。Img_0310

それに天候だって雨が降ったり暑くなったり、さらに山や峠を越えなきゃならない。

そんな障害に「もう~歩こう。」とか「もう止めよう」との誘惑に何度も襲われる。

しかしゴールすると、その困難が大きければ大きいほど達成感には格別なものがある。

やはり苦しくっても、人生と同じで途中で止める訳にゃいかない。Img_0292

そして、やり遂げればやり遂げただけのことはある。

それで何時も、このウルトラマラソンは人生と同じだなあと思っている次第だ。

10kレースに例えると、卒業生の皆さんはまだ15kの地点を走ってる位でしょうか。Img_0289

レースは、まだ始まったばかりですね。

ところで、私が100kを走ることが出来るのは、走るって言う種を播いて、

それをずぅ~っと続けてきたからに過ぎません。Img_0323

人間は植物や他の動物と違って、生まれてから随分時間を掛けて少しずつ成長していく。

人がそれぞれ別の人間になっていくのは、

その成長の過程で自分にどんな種を播くのかどうかの違いではないかと思う。

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だから皆さんには、自分の土壌をよく耕して、自分なりの志と言う種を播いて頂きたい。

ともあれこれからの長い人生の道程を目標を持って一歩一歩チャレンジして言って欲しい。」

・・・・・とまあ、そんな趣旨の話をさせてもらった。

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毎年のことながら、中学生の三年間など瞬きをする間もない程に短い期間だ。

しかし、自分の一生を決める基礎は、この中学の三年間に養われるのだ。

卒業生諸君、未来を信じて飛び立とう、弾む若い力を信じて!!

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2014年3月18日 (火)

天空300mから

大坂天王寺にあべのハルカスがオープンした。

地下14階地上60階の日本一高いビルと言うことで、その最上階に登ってきた。

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事前予約やら搭乗券の引換やらと中々面倒だったけど、兎も角先駆けて登った。

その60階は、空中を散歩するかのような空間になっていて、それは絶景の眺望である。

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高い所に一度は登ってみたいのは、鶏と何とか・・・ではあるが、

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天王寺を訪れたのはそればかりではない。

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そのハルカス300の真下から北に500m程の所に四天王寺がある。

寺と言えは奈良京都だが、何故この大阪の高台に古刹があるのか不思議に思っていた。

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四天王寺は古刹も古刹で、飛鳥時代の593年聖徳太子によって創建されている。

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国家鎮護の道場として創建されたと言うが、その後何度も消失している。

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それに日本全国に広がっている「庚申」の原点がこの寺にある。

あの元和元年の夏の陣の折には、この寺の南門あたりに陣を張ったのが真田雪村だった。

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無勢で多勢に対する常道として、高台に陣を張ったのだろう。

真田は家康の本陣に向けてここから突撃を繰り返したのである。

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正面の石の鳥居(寺なのに?)は1294年の建立で重要文化財になっている。

それに鳥居に架かった扁額(1326年)には、釈迦如来転法・・・と鋳出されている。

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もとよりこの大阪の高台は難波の宮が営まれたところであり、石山本願寺の拠点だったし、

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信長や秀吉が天下の中心とすべき地と考えた所なのだ。

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地勢とは何時の時代も変わらないものらしく、その天王寺にあべのハルカスが誕生した。

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その天空300mからビルの群れを見下ろしつつ、しばしこの国の歴史を思っていた。

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難波の宮は大阪城のすぐ隣に位置していた。

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石山本願寺はまさに大阪その地だろう。

ハルカスのオープンを機に天王寺を訪れて、かねてからの宿題を終えたような気になった。

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2014年3月17日 (月)

御馳走

私にとって、ご馳走って何かなって考えてみている。

テーブル一杯の料理を並べられても、実はあんまり食欲がわかないからだ。

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それよりも簡素で新鮮なサラダなら、自然と箸が動く。

かつて垂涎だったステーキなんてのは、余程のことがない限り食べたいとは思わない。

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もう20年も前だろうか、茶道の師範のお宅に「茶事」に招かれたことがある。

事前に丁寧な招待状が届いて、訪れると控えの間に通され薄茶を頂く。

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その後屋外の待ち席に坐して鐘の合図を待つ。

ゴーンと鐘がなってからおもむろに疎水で手をすすぎ、躙り口から茶室に入る。

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そこからが本番の茶事になる訳だが、お酒に続いて次々と正に「馳走」が出てくる。

肉にしろ魚にしろ、勿論野菜だってそれぞれに工夫を凝らしていて、

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亭主が食材の由来やら調理について逐一説明して下さる。

季節に即した床の間の軸や器を眺めながら、これを2時間もかけて戴くのである。

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味は勿論の事その雰囲気とともに、ごれが本当のご馳走だと思った。

茶事の馳走とは、文字通りあちこち奔走して材料を集め、客を心から接待することなのだ。

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かつて戦国以来の茶事は、手を尽くして味方を得る手段だったのだろう。

戦後の食糧難の時代から20年位は、何を食べても美味しかった。

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子供の頃、たまに食べさせてもうう卵や肉の脂身は、この上ないご馳走だと思った。

独特の匂いのある給食の脱脂粉乳だって、旨くは無かったけど私達はあれで救われた。

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ともあれ今日の食の世界は、飽食を通り過ぎて選り好みの通の世界に入っている。

昼ドラで「ごちそうさん」ってのをやっている。

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よくよく考えてみれば、私達の歴史は食べるために走り回ってきた歴史だ。

今では何でも食べられる時代だからこそ、もっと「食」を考えねばなるまい。

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昼ドラは、時々そんなことを思い出させてくれる。

食道楽の大阪である。

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2014年3月16日 (日)

神戸ええとこ

さぁ~て、今日のこの日のことをどう書き伝えようか?

神戸の町を縦横に走って良い所を全て回り尽くそうというマラニックである。

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随分春めいた朝9時、ポートアイランドの市民広場駅前に40名が集まってきた。

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ポートアイランドは神戸港に浮かぶ人工の島である。

神戸という街は早くから開けた所だけど、六甲山と海との狭隘な地に細長く伸びている。

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もとより平地が無い訳で、それで後ろの山を削ってその土で海に島を作った。

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削った山は住宅地に、そして出来上がった島には物流や大学など企業活動の地になった。

私達はそのアイランドの中程をスタートの地としたのである。

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イベント会場などが集まっているその広場をスタートして、アイランドを半周するように、

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しおさい公園をぐるっと回って神戸大橋を渡り、

神戸の中心街を通って六甲の布引の滝に向かう。

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布引の滝は、新幹線新神戸駅の直ぐ裏山にある。

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新神戸は神戸の町を見下ろす六甲山の縁に位置しているのだが、

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あの新幹線の駅裏を160m程登ると、そこには次々と4つの滝が現れる。

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しかも、六甲山したのため池から流下する壮大な滝なのである。

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古来、随分多くの歌人によって詠われた、実は明媚な所なのである。

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その急斜面を息せき切って登り下って、今度は北野町の異人館通りを走る。

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今日は代案吉日とあって、あちこちに結婚式の場面が広がっていた。

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勿論のこと、観光客の姿も多くって、でも私達はそこを淡々と楽しみながら走る。

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風見鶏の館などを横目に走るのだが、一行は何時の間にかバラバラになってしまった。

スマホが鳴って、とあるレストランに集まることに鳴った。

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観光地の綺麗なレストランだったけど、そこで1時間近い休憩になってしまった。

勿論高価なビールを飲む羽目にもなってしまったのである。

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ともあれここで行程の半ばであり、気を取り直してビーナスブリッジに向かう。

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神戸港を見晴るかす高台で、春霞の彼方にまで神戸が広がっていた。

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そして今度は、その高台から再び波止場に降りていく。

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その途中では相楽園、関帝廟、湊川神社などと巡っていく。

やっとハーバーランドに下りると、入り口に何故かプレスリーの銅像がある。

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日米親善のためとか何とか・・・・

この後高浜岸壁を辿りつつメリケン波止場を走ったのだが、

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今日最大のパノラマというか、開放的でドラマチックな景観に圧倒させる想いになった。

とにかく、人間の作り出したものにしては、「ようやった!!」と褒めてやりたい気分だ。

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そのパノラマを堪能しつつ、今度は南京町に入って・・・・・

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南京町でブタ饅やらシュークリームをあさっていた人達もいたが、

私は元町から灘方向に電車で移動することにした。

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灘の酒蔵を巡りながら、ゴールの「なぎさの湯」に向かおうと言う魂胆である。

しかし、既に本町で14;30を回っていて、止む無く大石まで戻ることにした。

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そこには沢の鶴の工場と資料館がある。

昔の酒蔵の雰囲気をたっぷりと楽しんで、最後はやはり原酒を試飲させてもらった。

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しかしここで酔っている訳には行かない。

なぎさの湯までの海岸沿いの3kmを走らなければならない。

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とまれ16時、無事ゴールに行き着いて今日のマラニックは終わりである。

・・・・オマケは、ゆっくり湯に浸かって皆での完走パーティである。

神戸の名だたる所は全て一日で回ってしまった訳で、何だか申し訳ないような・・。

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今回は神戸在住の井上さん、中内さんのご尽力のお陰である。

今日一日、楽しみ過ぎたんじゃなかろうか。

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2014年3月15日 (土)

大坂の城塞

今日は、あの大坂城を訪れている。

秀吉はこの地に摂津・河内・和泉を睥睨する巨城を築いた。

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とは言っても、10万人が居住出来たと言うから、

今日の城の規模は秀吉の築いた当時の数分の一だろう。

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秀吉が築いた難攻不落とされた一世一代の城は、大坂冬の陣の後あらかた消失した。

家康の巧妙な詐術の和議で外濠も内濠も埋め尽くされ、

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夏の陣の時には、真田丸や三の丸・二の丸の城郭すらない裸城だった。

家康は、巨大な城を落とすには内部崩壊の他手はないと考えていたからだ。

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冬の陣の後、家康はその裸城を大野修理らを更に焚きつけて戦へと仕向けた。

落城後、その一望の野原となった城跡に土を盛り、高さこそ上げたが、

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申し訳程度に築いた城が今日の城の原型だ。

秀吉の築いた城は治下に埋まっている。

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ともあれこの大坂城は、歴史の大きな流れの中で幾度もその転換点に登場する。

信長が最も制圧に苦労した石山本願寺の攻防。

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豊臣政権の成立から関ヶ原を経て、徳川幕府確立に至る大坂城。

大阪が持つとも栄えた頃だろうか。

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そして、鳥羽伏見の戦いの直後、この城から江戸に逃げ帰った徳川慶喜。

戦国から封建、明治への節目に、この城が華々しく登場するのだ。

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明治維新からほぼ150年経過して、この町の市長が「大阪都」にすると選挙をやっている。

大きな候補者看板に一枚だけ小さなポスターが貼られている。

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大阪を府から都にして幾つかの区に枠組みを変えたところで、実態は何も変わるまい。

大阪は秀吉の時代を別にすれば、古来その地勢から商工業物流で栄えたのである。

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政治・行政よりも産業都市としての再構築こそが喫緊の課題なのだろう。

この点名古屋は、大坂よりもはるかに実を取っているのではないか。

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余談はともかく、何十年かぶりに訪れた大坂城は、今日の規模でさえ巨大だ。

休日とあって観光客も多いが、何故か韓国人の姿が目立つ。

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朝鮮半島を犯した悪の頭目として嫌われているはずだが・・・・。

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しかし、あれ〔大阪の陣〕から今年でちょうど400年になる。

城に登れば、東軍西軍のときの声が聞こえ、天王寺辺りで真田親子が奮戦していそうな気もする。

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秀吉の大坂城が落城したのは、たった400年前のことでしかないのが不思議だ。

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2014年3月14日 (金)

清流

この国の急峻な河川には、おしなべて音がある。

中でも天城山から流れ下る狩野川や河津川は、この国の河川の典型ではないかと思う。

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もとより伊豆半島は、富士と並んで最も雨量の多い地域だ。

その天城から相模湾に流れ下る河津川を辿って、とっても清々しい思いをした。

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たかだか15km程の流れだが、この間に9つの見ごたえのある滝がある。

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滝と言うものは、何故か人の心を高ぶらせるものらしく、

ドゥドゥと或いはクネクネと、何時まで眺めていても飽きさせない力がある。

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急峻な河津川では、滝ばかりでなくセセラギの音も一際高い。

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その瀬音も、ずうっと聞いていると何時の間にか耳に馴染んで聞こえなくなる。

時折ハッと気付くと、その瀬音に寄り添っていたことを思い出す。

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子供の小さかった頃、夏には家族で河原にテントを張ってキャンプした。

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ぐっすり寝静まった夜半、その瀬音で私は目を覚ます。

上流の降雨で流されてしまうんじゃなかろうかとか、何かと雄の感覚を研ぎ澄ます。

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瀬音は子守唄であり、私達の鼓動の様に命のリズムでもある。

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私達の命だって、この沢水と同じ様に止まることなく終末へと駆け下っている。

時に滝があり、せせらぎや淀みがあったとしても、その流れは止まることを知らない。

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それにしても、伊豆の山を駆け下る清流は清々しい。

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その一つ一つの滝すらも、時に激しく或いは妥協的であり、

私達の人生のドラマを思わせる。

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耳をそばだてなくったって瀬音は絶えることなく響いてくる。

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この水の流れを飽くことなく眺めていたいと言う衝動が起こる。

ずぅっとずぅっと、この瀬音を眺めていようと思う。

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この川の流れと同様に、私達も人生の川を流れ下っている。

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どんなに逆らおうが、この流れだけは止められないのだ。

ともあれ春夏秋冬、異なるその景色の中を私達も生きている。

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そして、私もその瀬音の一滴なのだと思う。

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2014年3月13日 (木)

人生ケセラセラ

外は強い雨とヒューヒューと強い風が吹いて、春一番なんだろうか。

一昨日までの寒さを思うと、今年の春は殊の外待ち遠しく感じられる。

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その雨と風の音を聞きながら、人の命について思っている。

釈迦が「生老病死」と説いたように、

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この世に生まれた誰もが、老いてやがて死ななければならない。

その間の、一代限りの人生のドラマを演じるのが人生だ。

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命のままに自然に生きられれば良いのだが、そこは波瀾万丈の世の中である。

所詮、百点満点の人生など有り得ない。

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挫折やほろ苦い失敗を繰り返しつつ、それでも人は必死に生を全うしようとする。

しかしこの国では、この十数年来一年間に3万人以上の人々が自殺してきた。

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景気回復の兆しが見えてきたこの2年、やっと2万7千人程度に減ったが、

それでも、あの東日本大震災関連死者よりも多くの人々が毎年自死しているのだ。

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先が見えないからって、何も慌てることはない。

おしなべて釈迦も達磨も、猫も杓子もやがて死ぬのだから…と思うのだが・・。

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とまれ痴呆症状の方に接したりすると、人の命とは何かと考え込んでしまう。

タンポポが楚々として道端に咲いている。

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その極自然な姿に、自分もタンポポであれば良いと思ったりする。

タンポポの様に、出来ることをやって命のままに生きれば良いと思う。

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タンポポだって、雑草の中で懸命に生きているんだ。

 有生必有死 (生あらば 必ず死あり)

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 早終非命促 (早く終うるも 命のちぢまれるに非ず)

     中略

 得失不復知 (我が人生の得失は また知らず)

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 是非安能覚 (是非 いずくんぞ能く覚らんや)

 千秋万歳後 (千秋万歳の後)

 誰知栄与辱 (誰か栄と辱とを知らんや)

 但恨在世時 (ただ恨むのは 世に在りし時)

 飲酒不得足 (酒を飲むこと 足るを得ざりしを)

  陶淵明の自祭文である。

 

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2014年3月12日 (水)

日々を新しく

望むらくは、子供達の様に若々しく日々新たな気持ちで生きたいと思う。

彼らは毎朝、田圃や畦道で小動物や植物などを見つけては、

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さも自慢げに私の所まで持ってくる。

私達にとってはさもない事が、子供達にとっては一つ一つ珍しく驚きなのだろう。

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だけど人は、朝起きて食べて寝るってのが習慣の動物で、

何時の間にか同じことの繰り返しに安住して、当たり前の毎日になってしまう。

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それに保守的で怠惰な心が、人をして新たな行動をさせないようにしている。

この点植物は、芽を出し葉を伸ばし花を咲かせ・・・と日々その姿を変えていく。

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その日々のいじらしい程の変化が楽しくって、私は植物を育て愛でている。

先日播いた春大根は、このところの寒波に萎縮して未だに芽を出してこない。

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痺れを切らしながらも、今日は春人参とキュウリの種を播いた。

春の到来を待ちかねて、躍動する春の日のための準備をしているつもりだ。

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日々を新しくするには、どうしても好奇心と行動する心が不可欠になる。

だけど日頃から不勉強な私なぞは万事万物知らないことばかりだから都合が良い。

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子供〔小学3年?〕の頃、4kほど東に見える山がどんな所か知りたくて堪らなくなった。

山のあなたの空遠くに幸いが住んでいる・・・ってなイメージだったのかも知れない。

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それで確か二人で小さな自転車に乗って冒険に出掛けた事がある。

山に取り付くと、実際には放置され荒れ果てて歩く道すらない山だった。

しかし、それが私の冒険の始まりだったように思う。

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ともあれ私の心の中には、未だにそんな少年が住んでいるのかも知れない。

兎に角、行動しなければ何も新しいものは見えてこないし、

新しいものとの出会いや感動は、それは命を潤す源ではないかとさえ思うのだ。

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人生には、体験しなければ見えない、そして聞こえないものがある。

それはお寺の鉦と同じで、しっかりと打たねば鳴ることは無い。

一度しかない人生だから、精一杯日々を新たにすべく行動したい。

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殊に、未だ見ぬ地を訪れることで自ずと新しい気持ちになれるようだ。

と言う訳で、今週末は大阪と神戸を訪れようと思っている。

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2014年3月11日 (火)

旅愁

英語ならノスタルジア(nostalgia)と言うのだろうか。

あちこちと旅するのは好きだが、一人でとなると少し躊躇する。

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だから私の旅は、何時も人と会う旅であることが多い。

殊に最近では、マラニックが最高の旅ではないかと思い始めている。

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仲間と共に自分の足でその地を訪ねることで得られるものは多い。

例えば先日の伊豆にしても、若い頃伊豆半島の根元に2年間住んでいた。

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それに仕事の関係で伊豆半島は隅から隅まで知っているつもりだった。

ところが、それは車であちこち走り回っていただけで、

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本当の伊豆の味わいを通り過ぎていたようだ。

明治の道を辿って天城を越え、滝を観ながら河津川を下るなんて考えもしなかった。

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自分の足で踊り子の道を歩いて、初めて川端の抒情が見えてくる。

河津川の中程、細い橋のたもとで地元の年配の方とお会いした。

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伺うと、70年ぶりに開催する同窓会の下見に来たと言う。

少年期に学校の旅行で小水力発電所を見学に来たことがあって、

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そこを再び訪ねようと計画しているらしい。

振り返ると、橋の向こうに半ば朽ちかけた建物が見える。

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70年前には、河津川の水を引いて発電をしていたのだ。

お歳を伺うと若々しく83歳だと言いながら、しきりにマラニックの私達を羨む。

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多分彼は、時空を遡る旅を羨んだのではないか。

70年前を訪ねるのも人生の旅情だが、私達はその土地にただよう旅愁を追っている。

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美味しい料理を提供して下さった民宿の親父さんが、

あれこれと私達の行程を、半ば呆れながら聞きたがる。

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俺は料理の工夫が好きで、それに命をかけているとも言う。

彼は、突然現れた奇人の私達と何時までも別れを惜しんでいるようだった。

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彼にすれば、稲取から伊東に自分の足で向かう私達は、

正に100年前の藁草鞋を履いた旅人と同じなのかも知れない。

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稲取港で出会った親父さんは、朝早くからヒモノづくりに忙しく働いていた。

サンマや烏賊、鯵や金目が絵の様に綺麗に並んでいる。

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港の朝市だって、訪ねて見なきゃ分からんぜよ。

城ヶ崎ピクニカルの9kmだって辿ってみて、初めて分かるものがある。

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確かにあの城ヶ崎の一角は、地質も植生も他の伊豆半島とは違うようだ。

流れる空気も少し違うかも知れない。

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今伊豆半島には、震災直後に激減した観光客が戻りつつある。

国道には、関東方面からの車が途絶えることなく続いていた。

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それは嬉しいことだけど、

この三年間に潰れてしまった観光施設も数多い。

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伊豆を訪れる観光客は、温泉と幾ばくかの観光施設を回って、これが伊豆だと理解する。

だけど、やはりその土地を歩くことで得られるものとは違う。

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そもそも、観光とは見ることもさることながら、

その土地を丸ごと味わうことではなかろうか。

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旅するならば、せめて旅愁に浸りたいではないか。

海辺の松一本にだって、旅愁が漂っている。

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2014年3月10日 (月)

城ヶ崎ピクニカル

今回のマラニック〔試走会〕は、2デイズで企画されている。

それで2日目は、稲取温泉から伊東温泉までの海岸線を40km余走ることになっている。

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早めの朝食を済ませて8:00には宿をスタート、先ずは稲取の半島をグルッと周る。

先日来の寒波が居座っていて、温かな伊豆とは言え冷たい海風が吹き付けている。

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稲取港に出ると漁師が既に干物を干していたり、それに朝市も開かれていた。

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しばし朝市に飛び込んだのだが、荷物を増やす訳にもゆかず眺めるだけ。

市では山葵やら海産物やらが一杯で、観光客達が漁師鍋を味わっていた。

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稲取を出ると、ここからは暫く国道を辿るほか道がない。

東海岸の国道は歩道部分が無くって、おまけに切れ間なく車の流れが続く。

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車に気をつけながら路肩をひた走り、片瀬温泉~北川温泉~赤沢温泉と辿る。

赤沢温泉には日帰り入浴宿〔1600円〕があって、是非入りたいね~などと話していると、

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その手前に足湯があった。Img_0131

早速、その足湯につかって足を休め暖を取り、安上がり〔ただ〕の温泉となった。Img_0132

赤沢から3kmほど進むと大室山が遠望されて、いよいよ天城高原の入り口である。

その大室山では、雪のために度々延期されてきた山焼きをやるらしい。

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ともあれ、少し早いが昼食をとレストランに入って、暫しの大休止となったのである。

30分程も休んだだろうか、この天城高原駅からは国道をそれて城ヶ崎に向かう。

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別荘地を南下しながらフッと見上げると、

先ほどまで枯れ草で覆われていた大室山が、何と真っ黒になっているではないか。

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私達がレストランに入っていた丁度その時、10分程で山焼きが終わってしまったのだ。

気を取り直して城ヶ崎ピクニカルコースに向かう。

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この城ヶ崎は、約4000年前大室山が噴火して溶岩が流れ出して出来た半島だ。Img_0140

その溶岩が波に削られて、切り立って出入りの激しい溶岩石海岸になっている。

その岸壁の上に、くねくねと上ったり下ったりのハイキングコースが9km続いている。

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これが私達の走るピクニカルコースだ。

海岸が近づくと柱状節理の岩がそそり立ち、波打ち際には亀甲模様の岩が見える。

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直ぐ近くには蓮着寺が静まっていて、ここは日蓮上人の法難の地なのだそうだ。

鎌倉幕府によって伊豆に流罪となった日蓮は、この俎板岩に置き去りにされたと伝わる。

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進めど進めど、なかなか城ヶ崎が見えてこないが、

1時間ほど走って、やっと遠くの岬に灯台が見える。

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やがて門脇崎に達して、高さ23mもある海の吊橋を渡る。

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すると間もなく、あの城ヶ崎ブルースで知られる海岸の突先である。

ここを初めて訪れたのだが、この一帯は伊豆半島の中では別世界の感がある。

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道理で東尋坊と同様に自殺の名所?としても知られた所な訳だ。

私達は更に富戸港に向かって先を急ぐのだが、途中には、

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幕末に江川太郎左衛門が黒船に備えて築いた砲台跡などもある。

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ともあれ、このピクニカルコースを脱した時には、既に14時を回ってしまっていた。

この富戸から伊東温泉までは15kmは残っていて、とても約束の15時には間に合わない。

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そこで止む無く、富戸漁港を経て伊豆急富戸駅から伊東駅まで電車に乗ることにした。

と言う訳で、やっとのこと伊東の銭湯に浸かって疲れを癒し、

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駅前の飲み屋で反省会となったのだが、たった一人16時ゴールの完走者がいた。

恐るべし、tomoさんである。

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次回は、稲取から伊豆高原駅まで電車で移動して、そこから伊東まで走るべきだな。

それに、この城ヶ崎海岸のピクニカルコースは大変だけど誠に素晴らしい。

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2014年3月 9日 (日)

天城越

いよいよ、伊豆の踊り子の辿った道を走るマラニックである。

三島駅に集合した一行15人は、伊豆箱根鉄道で修善寺へ。

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今日はここからバスで少し行った水生地から、天城八里を走るのである。

そしてゴールは、河津桜の並木を通りながら東海岸の稲取温泉である。

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ともあれ、水生地を10時半にスタートして、踊り子歩道に入り踊り子橋を渡る。

側の文学碑には「道がつづら折になって、いよいよ天城峠に・・・」と小説の冒頭部分が刻まれている。

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そう、私達は踊り子たちが在所の大島に向けて歩いた旧天城街道を辿るのだ。

天城には先日来の雪がかなり残っていて、やはり冷たい風が吹いている。

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その九十九折の道を上りきると、そこには明治38年に開通した旧天城トンネルがある。

「暗いトンネルに入ると、冷たい雫がぽたぽた落ちていた。

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南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた。」と川端は書いている。

川端の描いた踊り子も、この真っ暗なトンネルをくぐったのだろう。

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「私」が踊り子一行を見かけたのは長岡だった。

彼は、可憐なその踊り子を追いかけで、息を切らせながら山を登ってきたのだ。

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トンネルを出ると、そこにはかつて茶店があって「私は」そこで休んでいる一行に追付く。

「私は」凛々しい顔の踊り子を意識して、面と向かいながら口もきけないでいる。

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そんな彼に踊り子はさりげなく席を譲るのだ。

ともあれ、トンネルを出て寒天橋を渡ると、その直ぐ下に見えるのが二階滝である。

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二階滝からは河津川沿いの細い山道を下っていく。

河津川の水を引いた山葵田があちこちにあって、伊豆の旅情を感じさせる。

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そま道を進む間に、幾つかの滝が現れる。

河津七滝である。

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雪解け水と相まって豊かな水量がその清流を流れ下っている。

私達は、その河津川沿いにせせらぎと滝音を聞きながら下っていくのである。

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その川沿いには、学術保護林とされている宗太郎の杉並木(美林)が続いている。

釜滝・エビ滝・蛇滝と辿って初景滝に至ると、

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そこには「伊豆の踊り子と私」の像があった。

福田屋の湯に入って『「向こうのお湯にあいつらが来ています。ほれ、こっちを・・・」

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と言われて川向こうの共同湯を見ると、Img_0083

湯殿の奥から突然裸の女が走り出してきて、手を振っている。』

「ああ、子供なんだ」と思ったあの場所である。Img_0086

滝はまだまだ続き、清流をたっぷりと堪能する。

カニ滝・出会滝・大滝と下っていくと、やがて桜の花が広がってくる。Img_0090

もう河津の街が近いんだ。

やがて川沿いに二本の帯の様にピンクの花が伸びている。Img_0097

花は盛期をやや過ぎたとはいえ、川岸には花見客が溢れ進むことも儘ならない。

その河原に私達を待ち受けていた男がいる。

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ビールを冷やして待っていたのはK山さんであった。

ひと時の休息の後、花を堪能しつつも、Img_0103

私達は更に東海岸の稲取まで8km余を走らねばならない。

気温も下がってきて、先を急がねばならない。Img_0109

やがて午後五時、弾む心とは別にかなり疲れて宿に入った。

風呂に入って、食事の席につくと、ご馳走が色鮮やかに広がっている。

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やはり伊豆の民宿はコレでなくっちゃの声。

金目鯛を始め、まさに食べきれない程のご馳走を堪能して一日を終えた。

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抒情と旅情、仲間たちの笑顔と咲き乱れる花、やはり伊豆は素晴らしい。

それに暫しの間、踊り子と私の気分を味わえたのは何よりであった。

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2014年3月 8日 (土)

長寿社会の輝き

一般的に「老齢人口が多くなると社会は衰退に向かう」と言われる。

確か、この国がデフレスパイラルから抜け出せない理由の一つとされていた。

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仮にこれが事実なら、政府が何をやったってこの国には未来は無いことになる。

確かに医療・介護費用の増大や就業人口比率の低下は負担だ。

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とは言え、生まれてきた以上歳をとり、やがて死ぬのは誰も同じ。

要は、老若にかかわらず命をどのように燃焼させるか否かだ。

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この国の個人金融資産の8割は60歳以上の人達が持っているのだそうだ。

だけど「将来の年金支給が心配・・」などと宣伝され、高齢者は萎縮して使うこともしない。

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それに60歳で定年と言うのも、あまりにも中途半端だし、個人差がありすぎる。

70歳が定年でも、この社会はしっかりと回転するのではないか。

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保育所の待機児童が問題になるが、同居世帯なら「ばぁば」は大張り切りすると思う。

それに熟年の経験や社会的ノウハウは、もとより若い人達の及ぶところではない。

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「高齢者が働くと若い人の職を奪う」などと馬鹿をいう人がいるが、

デフレ経済を固定して考えるからだ。

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高齢者もしっかりと働いてパフォーマンスして金も使う。

そうして経済も少しずつ成長を続けていく姿こそ目指すべきなんだ。

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私の母親は88歳を過ぎたが、私以上の農業労働力だ。

毎日「今日は、これだけ出来た。生き甲斐だょ~」と言っている。

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要は、この国に住む人々の命の燃焼のさせ方如何なのだと思う。

熟年者諸君、胸を張って表に出て、この国と社会のためにもう一働きしようではないか。

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向晩意不適 〔夕暮れに向かって 心晴れぬままに〕

駆車登古原 〔車を走らせて 古原に登る〕

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夕陽無限好 〔夕陽 限りなく好く〕

只是近黄昏 〔ただこれ 黄昏に近し〕

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晩年の輝きを謡った李商隠の詩である。

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2014年3月 7日 (金)

己が姿

鏡に映る貧相なその姿ではなくって、俯瞰してみる別の自分の姿のことである。

山の中を走りながら、走っている自分を空から見下ろしてみているのだ。

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そこには、息を切らせて無心で足を運ぶ自分の姿がある。

山の中では小さな小さな存在でしかない。

そんな男だって、「自分はこんな男だと思われたい」って思っている。

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一種の虚栄心だけど、それは誰だって同じで、

人それぞれに、かっこ良い自分や惨めな自分の姿のイメージを持っているんだ。

そして時には「ああ今は、こういう自分を演じなければ・・」などと考えている。

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ハレの時にはハレの自分を、ケには喪の自分を演出するんだ。

それで肝心な事は、その自分の姿をちゃんと他人にも分かってもらいたいと言う事だ。

人がどう思おうが俺は俺だと言いながら、実は人がどう思うかを細心に気遣っている。

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しかも、それは切なる願望すらあるようだ。

人間は弱い存在で、孤高を保って一人で生きるなんてことは出来ない。

だからこそ尚の事、自分を他人がどう思っているのか気になって仕方ない。

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つまり、人はそれなりに認知されてナンボだからだ。

子供達がラインなどでハブ(孤独)を強いられるのを過度に恐れるように、

私達は自分一人で毅然として生きることは難しい。

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結果として派閥が出来たりするし、女性の仲良しグループもそんなもんだろうか。

「自分は、こう思われたい」と考えるのは、虚栄心そのものである。

しかしその虚栄心があるが故に、この社会秩序が保たれているし、

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世の中の進歩だって虚栄心が牽引しているようなものだ。

そんな具合で、私達は他人の心に映る自分の姿に囚われる弱い存在だ。

杣道には姥目樫の木々が思い思い気儘にに枝を伸ばしている。

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この樫の木の様に在りのままに自然に生きりゃ良いんだが、それが中々難しい。

それに人間はそれぞれ勝手だからね。

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2014年3月 6日 (木)

伊豆の踊り子

啓蟄と言うのに今朝は氷が張って、冬に逆戻りの北風が吹きつけていた。

子供達はこのところ幾分薄着になっているから、殊更寒そうに学校に向かう。

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残り2週間で春休みに入るんだから、確かに春は近いんだ。

庭の河津桜は、昨夜来の強風にも散りもせずほぼ満開である。

菜の花や桜草とも相俟って、我が家の一足早い春を演出している。

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今週末に伊豆に出かけることにしている。

伊豆に心を移しつつあるからか、この河津桜を眺めながら「伊豆の踊り子」を連想した。

川端のこの「伊豆の踊り子」は大正期の作品だが、

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この小説によって、伊豆の旅情のイメージが作られたと言っても過言ではないだろう。

私の記憶は多分映画によってだろうが、可憐な踊り子の旅姿が脳裏に浮かぶ。

そんなことを考えていたら、ふとこの小説を読んだ事があっただろうかと思った。

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それで、おっとり刀で読み始めたのである。

と言っても、この小説は短編で30分程で読むことが出来る。

川端は、一高の私と14歳の可憐な踊り子との束の間の縁を抒情的に描いている。

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貧しい旅芸人の一行に感心を持ったのは、凛々しい顔の踊り子に心引かれたからだ。

そして天城峠から下田までの旅を共にするのである。

踊り子がしきりに本を呼んでくれという。

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「私が読み出すと、彼女は私の肩に触る程に顔を寄せて真剣な表情をしながら、

眼をきらきら輝かせて一心に私の顔を見詰め、瞬き一つしなかった。」・・・・・

旅の間、さしたるドラマがある訳ではないのに、若者の心の機微が描かれる。

一読しながら、私自身が20歳の青年に立ち返ったような気にさせてくれるのは嬉しい。

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私の今度の伊豆の旅は、

天城から河津までの踊り子の辿った八里を忠実になぞって走るのだ。

一高の学生であるかのように、踊り子の純真な心の動きを思いながら・・・。

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2014年3月 5日 (水)

一期は夢よ

「そこそこの年金と貯金がありゃ、趣味の園芸でもやってゆるゆる過ごしゃいい。

あくせく動き回って、揚句に苦労を背負いこんで何が面白いんだ?」

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「人生にゃ軟着陸も必要だぜ。」と、ご親切な忠告をして下さる方もいる。

確かに、それが定年後の日本人の一般的イメージとなっている感がある。

しかし、人生に残された空白の時間がある限り、着陸してしまっては何ともならない。

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青年の一時間も老年のそれも変わりない訳だから、人生は飛べる限り飛ばねばなるまい。

否むしろ、なまなかな若年者よりも、熟年なればこそ出来ることだってある。

・・・・・・と、そう思っている。

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「身の程」なんてことを言う人もいる。

過去の経歴に拘ったり、卑屈に自らの限界を決めてしまって動かない。

それで「俺りぁ~、駄目だよ」となるのだ。

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だけど人の可能性なんて、やってみなきゃ分からない。

制約が無い分、若い頃よりもむしろ自由奔放に活躍できるってこともある。

そして、三浦雄一郎さんを上げるまでもなく、幾つになったって人生はチャレンジだ。

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くすんで生きたって仕方無かろうし、

人から見たら少し狂って見えたとしても一歩前に出た方が良い。

逡巡しているよりも、行動しながら考える方が理に適っている。

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とは言え、安住することなく日々新たな生き方をするのは容易ではない。

 「なにせうぞ くすんで   一期は夢よ ただ狂へ」

戦国期に世界に羽ばたいた堺の商人達が歌った小唄である。

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2014年3月 4日 (火)

人生ってもの

人生と言うものは、何もない人生の空白の時間を、

それぞれ自分なりのやり方で埋めているにすぎない。

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かつて、勤めていた職場が自己実現の場だと信じていた時期があった。

確かに、私は職場や同僚と切磋琢磨する中で育てられた。

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しかし、退職して肩書が無くなった途端に、実現したはずの自己は霧消してしまった。

今、自由の身になって、あちこち首を突っ込んでいるが、それが自己実現だとは思わない。

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そもそも、実現すべき自己とは、一体何なのだろうか?

人間としての成長が自己実現だとしても、「ああ、あの人は出来た人だった」と言われて・・。

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それで一生が終わったとしても、それをどう評価すべきか本当のところは分からない。

むしろ、気ままに放蕩の限りを尽くして一生を終えるのと、果たしてどう違うのだろうか。

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人は誰だって、その時代や社会、民族や政治、経済や家族、

はたまた気候や資源など様々な制約の中に生きている。

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多分、八割方はあがいてもどうしようもない壁(制約)によって決定づけられている。

自分の努力で何とかできるのは、二割くらいのものかも知れない。

この半世紀の間に、食料も生活資材も豊かになって選択の余地は格段に増えた。

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それにも拘らず、この国では年間3万人もの人が自殺している。

それほどに人生は思うに任せないものなのだが、

人それぞれ与えられた条件の中で、自分なりのやり方で精一杯生きねばならない。

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「自分なりのやり方」で淡々と生きることが、自己実現そのものかも知れない。

それにしても、残された空白の時間はそんなに多くは無い。

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2014年3月 3日 (月)

真っ直ぐ自然に

春の到来故かどうか、私の気持ちも心なしか揺らいでいるようだ。

それでふと、毎日の自分の行動を考えてみている。

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もとよりあちこち動き回っているけど、それで良いのだろうかってこと。

毎日、色んなことを考えたり思い付いたりする。

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弱気になったり強気になったり、時に千変万化でもある。

でも、直ちに行動に移したこと以外は、思い付いたことすら忘れてしまう事が多い。

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頭で考えるだけってのは、結局何もしないのと同じことなのだ。

それで、既にボタンの掛かっている道を飽かずに粛々と歩いている。

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何もしないでいる自分と言うのが想像できないからだ。

とは言え物事には熟度や転換点があって、何時までも同じという訳には行かない。

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そんなこんなを思案する年度末なのである。

所詮人間の考えることは、その行動から始まるのだから。

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先ず一歩前に出て、それからの思案だろうと得心しつつ・・・。

ともかくも、自然のままに真っ直ぐに進む他あるまいと思っている。

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ところで春は急ぎ足で近づいている。

苦労して育てた白菜が悉く菜の花になりつつある。

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満開近い河津桜とのコントラストが絶妙で、花を咲かせるために白菜を育てたような…。

白菜を追いかけるように、大根達もモゾモゾとし始めている。

四季折々、植物は人間よりも実に正直である。

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それで学校から帰ってから、大根を抜いてマーケットに届けることにした。

それに白菜の後には「春大根」を播くことにして、この作業に熱中したりである。

加えて露地のホウレンソウも持って行ってもらおう。

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とにかく体を動かすことで、この春を受け入れようと努めている。

葡萄のハウスに入ると、彼らはもう発芽に向けて吸水し始めたようだ。

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2014年3月 2日 (日)

買い物難民

この話は山間僻地のことではなく、私の住む直ぐ近所でのことだ。

高齢化が進んで、近頃では何処でも老人の一人暮らしが増えている。

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農村部には高齢でも介護知らずで元気な人が多く、大抵がピンピンころりとなる。

誠に結構なことだけど、一人では解決困難な課題も多くなっている。

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昨年3月、地域の中心にあった食品スーパーが閉店した。

それで最も困ったのが、車とて無い独り暮らしの老人たちだった。

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自治会が調査すると32人のお年寄りが途方に暮れていた。

宅配ではどうか、タクシーで?、デイケアーのバスを借りてなどと、

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地区の役員が集まってあれこれ対策を考えても、全て挫折してしまう。

最後に手を差し伸べたのが農協で、JA支店の会議室で毎水曜に市を開くことになった。

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すると、この食料品中心の市が開店前から行列が出来る程大好評となった。

好評の理由は、みんなが集まってワイワイ話が出来るってことだった。

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店の前にはテントが張られて椅子が並び、ストーブに当たりながら談笑する。

お年寄りにすれば、この週に一度が待ち遠しいらしいのだ。

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店は、自治会の民生委員や福祉委員、それにボランティアが交代でサポートしている。

そしてこの一年で、農協の会議室は地域のサロンになった。

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これは、私の家から3kmほど離れた地区の話で、他人ごとじゃない。

これも困りごとを放っておかずに、自治会指導者が奔走したればこそ実現したのだろう。

耳障りの良い「社会福祉」だが、大抵は自治体におんぶにだっこの福祉だ。

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しかもその自治体には、これからの高齢化を支える財政的余裕は無くなっている。

地域の人々がお互いに支え合っていかないとやっていけない時代が来ているのだ。Dscf0514

つまり福祉ってのは、自分達がお互いに助け合うことなんだ。

「俺だけは、買い物難民なんかにゃならんぞ」って思っていたとしても、

いずれは自分の事なんだし、利己主義を卒業しなくっちゃな~。

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2014年3月 1日 (土)

やよ励めよ

昨日来の春の陽気で、我が家の3本の河津桜が一斉に開花している。

そして春は、子供達が学園を巣立つ時期でもある。

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そう今日は、我が高等学校の279名の卒業式典の日である。

3年間などはたちまちにして過ぎ去る日々であり、はや幾とせの感慨しきりである。

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思えば高校時代と言うのは、大人でもあり子供でもある誠に不思議な時期だ。

それに最高学府に向けての予備校的な切磋琢磨すら求められるのだから、

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のほほんと過ごす三年間では有り得ない。

私は校長の式辞の後、以前ブログにも書いた「コツコツが忽」をはなむけの言葉にした。

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要旨は、「人生の一本道を目標に向かってひたすら進んで行ってほしい。

そしてその目標は、どうせなら自分にはちょっと無理かなと思う位で丁度良い。

少しずつコツコツと積み重ねていけば、やがて目標は近づいてくる。

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皆さんの前に未来に向かって広がっている人生は、コツコツが拓くだろう。」と話したのだ。

一部の私立大学を除けば、大学の合否発表はこれからだ。

仮に失敗したとて挫けることはない。

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その失敗を倍返しで人生の糧にすりゃ良いんだ。

彼らの前には、私などに比べれば永遠と言うほどの未来があるのだから。

若い彼らの、本当の人生はこれから始まる。

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素晴らしい送辞に、感極まる答辞へと続いた。

この様な青春の一ページに臨席できるだけで、果報と言うべきだろう。

卒業生諸君、未来に向かって、はつらつと胸を張って思いっきり羽ばたけ !!、

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今こそ、いざさらばだ。

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