« 2014年5月 | トップページ | 2014年7月 »

2014年6月30日 (月)

人事異動と人

この6月、株主総会との関係で人事異動となる人も多いのではないか。

今日はある総会に出席して、組織人にとっての異動の重みを考えていた。

Img_1572

私もかつて、その悲哀を含め悲喜こもごもを味わってきたからだ。

そう、若い頃の事を思い出している。

就職して最初の赴任地が浜松だった。

Img_1571

浜松は宮仕えの初歩を学んだ所だが、やっと慣れたと思った2年後に沼津に飛ばされた。

明らかに左遷?と言うべきだろうが、所詮若輩の事だから…。

その沼津勤務も一人下宿住まいが馴れた2年後、今度は磐田市に転勤になった。

Img_1570

以後退職に至るまで、兎に角目まぐるしく勤務地が変わってきた。

つごう14回ほどの転勤を経験したことになる。

転勤で仕事の中身が変わるのは勿論だが、会う人も使う言葉すらも変わってしまう。

Img_1568

そういう意味で、転勤の度に苦労する一方で貴重な蓄積をもさせてもらった。

特に最初の転勤(左遷)地での経験は、

未知の勤務地だったこともあって忘れ難い貴重な経験になった。

Img_1567

転勤は新天地での再出発が出来る訳で、

そういう意味もあって、何時の間にか転勤を心待ちにする自分がいた。

新しいノートもそうだけど、新任地で自分を表現出来るってのは転勤の醍醐味だ。

Img_1566

ともあれ転勤・退任で生活は一変する。

生活のリズムも考える事も人間関係も大きく変わるのだ。

今日も退任する役員、栄進した方や退職者とお話しする機会があった。

Img_1565

表面は何事もないかのように振る舞ってはいても、

その心中には、人それぞれに募る思いがあるはずだ。

そんな人の思いを振り切って、組織は新陳代謝していくのだ。

Img_1569

人は、転勤によって大きくもなるし、小さくもなるもののようである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月29日 (日)

満観峰へ

誰が名付けたか満観峰、何と稀有壮大な名前ではないか。

それに山の登り口が「花沢の里」だと言う。

Img_1576

曇りのち晴れの天気にも誘われて、焼津市と静岡市境のその山に行ってみることにした。

9:30花沢の里に着くと、駐車場には既に車が一杯である。

Img_1575

花沢の里は石積みで平地を造った山里で、長屋門のような独特の家屋が続く。

あぁ~この道は、大崩れが通れないから宇津ノ谷峠に抜ける間道だったに違いない。

Img_1587

・・・などと思いながら、アジサイの花を眺めつつ山に入っていく。

人一人がやっとの急坂の道が続いて、直ぐに汗をたっぷりとかいている。

Img_1588

まだ朝も早いのに、何故か何組もの下山者とすれ違う。

ガイドブックには2時間半の行程とあったから、随分早くから登ったんだな~と思っていた。

Img_1579

ところが1時間半でガラリと景色が開け、 満観峰の頂上に着いてしまった。

どうやらコースを間違えて、日本坂峠を避けてしまったようだ。

Img_1585

山頂はその名のごとく絶景で、

西に焼津港、東には日本平に伊豆半島、そして富士山も少しだけ顔を出していた。

Img_1586

空気の澄む時期なら南アルプスの山々が見渡せるようだ。

ともあれ山頂には数多くの皆さんが三々五々休息していた。

Img_1584

その一組に混ざってお結びを頂いていると、愉快な会話が続いている。

皆さんの話によるとこの山は別名「年金山」なんだそうだ。

Img_1580

年金暮らしですることも無い人達が毎日登ってきて、ここで過ごすんだとか。

Img_1582

見渡せば確かに、かなりのシニア層に類する面々が多いようである。

Img_1581

かつての駿府に抜ける間道が、今では健康づくりに一役買っている。

標高470mの山だけど、年配者もそれなりに楽しめる山なのだ。

Img_1578

気まぐれに出かけたんだけど、やはり高い所は気持ちがいいな~ァ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月28日 (土)

備えるにしかず

災害は、忘れた頃に必ずやってくる。

これは私達先祖が身をもって体験してきたことだ。

Img_1558

例えは゛、あの富士山が噴火して宝永山が出来た宝永大地震は1707年のことだ。

それから4~5世代を経過した147年後に安政の大地震が起こっている。

ペリーが来航した翌年の1854年の事であった。

Img_1557

それ以後、1943年の幾分小規模な東南海地震を除けば、

この160年間、大地震はこの地域を襲っていない。

3.11の東日本大震災で再認識されたとは言え、「忘れた頃」になっているのである。

Img_1556

それで今日は、自治会長・防災会長等を対象にした防災講演会を開催した。

一昨年の「釜石の奇跡」と言われた群馬大の片田教授の講演、

昨年の大槌町の自治会長と山田町の役場職員を招いての体験講演。

Img_1555

そして今年は、女性の目線で災害後を考えてみようと言うことで、

避難所運営を始めこれまで様々な活動をされてきた山田葉子さんをお招きした。

実は山田さんは津波で自宅を流され、今もなお石巻市の仮設住宅暮らしをされている。

Img_1559

透析患者の兄のケアーを契機に、800人の避難所運営に携わるに至った経緯、

そしてトイレやら下着、妊婦や障害者支援などについて、赤裸々な体験談が続いた。

大いに参考になったが、正直なところ出来れば同じ体験をしたくないと言う思いが募った。

Img_1560

否、避難所などで暮らす様な事態が起こらないで欲しいと言うことだ。

とは言え、宝永・安政クラスの地震は、近未来に必ず起こるのだろう。

Img_1561

それは先日市が発表した「20年で11kの海岸に防潮堤を築く」前かも知れない。

その時が何時かは分からないが、私達に出来ることは「地域防災力」を高める事しかない。

Img_1554

個々の防災会で何が出来るのかを真剣に考えなければなるまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月27日 (金)

忙即暇

授業準備やら部活・雑用事務にと随分と過密な学校の先生の日課が話題になっている。

待ったなしの生徒達のために、自然とのめり込まざるを得ないのだろう。

Img_1315

放課後の部活の面倒を見て、明日の授業の準備をしてりゃ、直ぐに9時10時だ。

仕事と生活がもう一体化してしまっているのかも知れない。

先生方とは違うが、私もこのところ予定が立て込んでしまっている。

Img_1312

今日も学校の後は地区長会、夜は消防方面隊の披露会で、小学校の会議は失礼した。

ともあれ最近の人間は退屈が嫌いなのか、少しでも空白が有るとTVをつけたり、

ゲームやスマホを持ち出したりして、何かしていないと気が済まないようだ。

Img_1545

何もすることのない雨の日曜の午後なんてのは、素晴らしいと思うんだが、

する事が無いと怖いというか、ちょっと身の処し方に困るんだろうね。

考えてみれば、人は退屈を嫌って退屈しない方法を必死で考えてきた。

Img_1544

囲碁将棋・ゲーム、映画であれパチンコであれみんな退屈解消の手段でしょ。

私の場合は基本的に暇な筈なんだが、何故か朝から晩まで忙しい。

と言うよりも、時間が有れば葡萄の世話やランニングに当てているから「暇」がない。

Img_1543

ひょっとしたら、走るのを止めたら倒れるんじゃないかと思っているとか、

ボケーっとしていて認知症になるのを恐れているのかも知れない。

Img_1538

本当のところは自分でも分からないが、暇を埋め尽くしているのが快適でもある。

とは言え、時にはマラニックに出掛けたりして忙中閑を楽しむのも忘れちゃいない。

Img_1360

結局のところ、忙即暇なんだと思っている。

美味しいものを戴くのと同様に、みんなひっくるめて滔々と時間が流れて行く。

Img_1354

せっかく人生やっているんだから燃焼しつくさないと詰まらないでしょ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月26日 (木)

防潮堤

先日のある会合で「やっと、政治が動いた!!」と感激の声を上げた方がいた。

我が磐田市にも11kmに及ぶ海岸があって、既存の堤防は6m~9mの土堤があるだけだ。

Img_1525

それを20年間30億円かけて高さ14mの防潮堤を築く計画が発表されたからだ。

実は海岸近くにも住宅や工場が数多く、3.11以降工場の撤退や地価下落が続いていた。

Img_1526

これまで国も含め行政の対応はレベル1 (100年に一度)への対応に限られていた。

それ以上はソフト対応(避難訓練や避難ビル設置)で我慢してってことだったのだ。

Img_1527

レベル2(3.11震災クラス)には対応したくっても、予算が無いと言うのが本音だった。

それが民間の寄付を募ってと言うことであれ、実行への道筋を示した意味は大きかった。

Img_1528

それで今日は、先行して整備を進めている浜松市の工事現場を訪れた。

浜松市は17kmの海岸線のうち、今年度は5kmを完成させるべく着々と進めている。

Img_1533

きっかけは一条工務店の300億円の寄付だった。

追っかけて市内の産業界が50億円の寄付を集めているが、いずれにしても民間の力だ。

Img_1534

それに比べると私の市域には、そんな力のある企業は少ない。

一人ひとりの募金を集めながら工事を進捗させることになるだろう。

Img_1535

ともあれ浜松市では既存堤防の内側にH13mの巨大堤防を築いている。

堰堤の中はCSGと呼ばれる土とコンクリの芯にし、両側に覆土して防災林にする。

Img_1536

幅60mもの巨大なもので、完成すれば堰堤上は市民の活用できる空間になる。

完成までには紆余曲折はあろうが、4~5年で完成させようと言うのだから凄い。

Img_1537

予想されるレベル2の最大津波高は14mだから完璧とは言えないが、力強い安心になる。

さてこそ我が地域で、如何にスムーズに計画を進められるかが問われる。

Img_1539

金策もさることながら自然環境や工事進捗への合意etc、課題は多い。

しかし地域を上げて、これをバックアップしなければなるまい。

Img_1546

工事は、この夏から始まるのだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月25日 (水)

明日は晴天?

人は、今日よりも明日への希望があるからこそ生きられる。

奇跡なんて、サッカーでなくとも滅多に起こるもんじゃない。

Img_1522

いやさ希望ったって、私の場合はそんなに大層な事じゃない。

私の場合、今日よりも明日の方が沢山の葡萄が色付くだろうってなことだ。

棚の下の房が日一日と色付いていくのは、それはそれは楽しい。

Img_1521

葡萄は兎も角、果実が稔るのと同じように未来が予測できたら良いと思うことがある。

確実に出るパチンコ台が分かるとか、当たり舟券が見えちゃうとかね・・・。

そりゃ私だって、日曜日の次は月曜がくるだろうとか、

Img_1520

明日も太陽が昇るだろうってことぐらいの予測は外れたことが無い。

だけどこの人生、見込み違いに次ぐ見込み違いの連続だね。

Img_1368

大誤算は、可愛いかった我が細君がかくも変貌するってことを予見できなかったことだ。

今もそうだが、私が生粋のウブなのだ。

もっとも、結果が分かってりゃ結婚なんてしなかっただろうな~。

Img_1365

実は先日も予測しそこなって、大変な失敗をしたばかりだ。

このところイラン情勢などで ガソリンの値段がかなり動いているでしょ。

Img_1357

リッター163円の表示を見て、「今だ」って思って満タンにしてほくそ笑んでいた。

ところが次の日、何と160円になっているではないか!!

Img_1355

明日を予測できなかったばっかりに、何と126円も大損してしまったのである。

事ほど左様に、先見力のある人を羨むのであるが、

Img_1351

果たしてバック・トゥ・ザ・フューチャーの様に未来が予知できたら幸せなのかどうか?

近未来の株価表を手にして濡れ手に粟なんてことを夢想しないでもないが、

働きもしないで大金を手にしたら、忽ちにして親族の騒動になるかもしれないし、

Img_1309

悲劇の始まりになるのは十中八九間違いの無いところだ。

それに結末の分かってしまったドラマの主人公を演じるのも御免こうむりたい。

まあ~人生は、ハラハラ・ドキドキ明日を手探りしながらの方が退屈しないだろうな~。

Img_1306

ともあれ梅雨の真っ最中だけど、明日の視察は晴れて欲しいんだけど・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月24日 (火)

能力って何だ?

人の能力って何なのかって、思った。

そりゃぁさ、記憶力が抜群だとか、身体能力が超人的だとか天才的な人は確かにいる。

Img_1519

天才的野球人とか天才ゴルファー、アインシュタインの知能の様な天才だ。

だけど、そんな秀でた能力を持っている人はほんの一握りに過ぎない。

大多数は凡人か私の様に凡人以下の人達だろう。

Img_1501

それに天才少年と言われた人が大成するかって言うと、それはかなり怪しい。

ここまで生きて来て振り返って見ても、あんなに勉強が出来たのにな~って思う人も多い。

逆に現実にスポーツ音痴で有名だった私が今、走ることを楽しんでいる。

Img_1514

走ることなんて大嫌いだったし、鈍足で有名だったのにだ。

スポーツだけじゃなく、私は子供の頃から「自分の能力の無さ」を痛感して生きてきた。

だから威張ったこともないし、おしなべて鼻にかける様な事すら皆無だった。

Img_1511

それでも人並みに生きてこれたのは、自分に能力が無いって分かっていたからだと思う。

勉強もせずに何時も100点を取る級友を、凄いな~って羨望の目で見ていた。

だけど能力ってのは人の一側面に過ぎなくって、万能である訳はない。

Img_1509

実際にその後の人生を振り返れば、やはりその通りだった。

その程度の能力は所詮五十歩百歩でしかなかった。Img_1508

特殊な能力を活かすのは大切だろうけど、それよりも重要なのは実は人間性なんだ。

それとさ、ウサギとカメの童話じゃないけど、コツコツとやり続ける意志かな。

Img_1139

他人よりも優れているって思いたいのが常だけど、所詮人間は大同小異。

自分だけが特別だなんて思わない方が良い。

Img_1126

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月23日 (月)

中庸であれかし

中庸ってことは、簡単に言えば「適度」ってなことになるが、実際にゃ中々難しい。

がむしゃらに目標に向かうのは兎角エゴになりがちだし、尊敬もされない。

Img_0619

かと言って、意欲が無くっちゃ無気力そのものになっちゃう。

つまり、適度な欲望を持ち続けなくっちゃならない訳だけど、その適度ってのが曲者さ。

Img_0652

大胆であれと言ったところで、只の大胆は無謀だし、慎重すぎるのは臆病に過ぎない。

人に親切にするのは大切だけど、自分が破滅してまでの親切は馬鹿でしかない。

Img_0660

事ほど左様に、喜怒哀楽や欲望と言った感情を適度に持つことが肝心らしい。

つまりは、自分の感情をどの程度制御できるかで、その人間の価値が決まる。

Img_0663

しかし現実の問題として、うちの細君の言動にゃ毎日のように腹が立つし、

かつては「子供がかすがい」だからって思ってたけど、

Img_0664

今じゃ、ローンがか細いかすがいになっている。

我が家はともあれ、近頃の風潮はこの中庸ってことからかけ離れた方向を向いている。

Img_0690

特に戦後は色々な制約から解き放たれて、私の勝手でしょって、

「プライバシー」なるものが一人歩きしている。

Img_0778

美味しいものだって幾らも有るから、飽食のし放題で肥満が闊歩している。

食欲をコントロールせずに楽して過ごすからだ。

Img_0788

TVやゲームでひねもす過ごすなんて怠惰な生活も現実のものになった。

炊事洗濯だって、コンビニとコインランドリーで済ますことが出来る。

オマケに都合の悪いことは皆他人のせいにして、勝手放題の個人主義がのさばっている。

Img_0828

経済の発展や生活の利便性で生まれた折角の「余暇」を、

自堕落な欲望で埋め尽くしている感があるでしょ。

昔の人は食べていくだけでも大変で、四六時中働かなきゃならなかった。

Img_0832

働きながら欲望を制御していたんだから、昔の方がよほど中庸だったろう。

それが今じゃ退屈を持て余して、始終スマホをいじったり、ゲームに没頭したりしている。

自分の欲望を何時も回転させていないと気が済まないんだろうな。

Img_0833

それで、ちょっとしたことでキレたりするんだよね。

私達は自分の体温や脈拍を基準に考えてるけど、

Img_0843

「それで良いのかな?」って時々考える事も必要だよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月22日 (日)

セクハラ

かなり苦手なことを書こうとしている。

男なら誰だって、その種のヒアリハットに心覚えがあるのではないか。

Img_1518

君子危うきに近寄らずで過ごしてきたつもりの私だって、

「何で、結婚しないの?」なんてことは何度も言っている。

Img_1516

それは合計特殊出生率が1.4を割って久しいからではなくって、

我が儘で結婚しないんでしょってことだ。

Img_1515

「一定の所得があって生活に困らなきゃ敢て苦労することない」て考え方の蔓延だ。

それぞれ自己を確立して生きることは大切だけど、子孫を残さないってのは犯罪だな。

Img_1513

それも勝手放題の個人主義の為せる技となりゃ尚更さ。

結婚もしない、子供も産まないで「子育て支援」を追求した都議(32歳)のことだ。

Img_1512

心無い的を得たヤジに余程ショックだったんだろう、今度は犯人探しに回っている。

或いはそういったヤジがあることを想定の上で質問したのかも知れない。

Img_1510

そりゃこの時代、ある程度の手厚い子育て支援は必要だが、それが全てではない。

その証拠は、少子化は豊かさと裏腹な現象だからだ。

Img_1507

この国だって貧しい時代には子育て支援なってなかったけど、子育てに必死だった。

自分が子供も産まないで、「税金で子育て支援」しろと言っても説得力はない。

ヤジの本人だって、思わず野次ったんじゃなかろうか。

Img_1506

議会の品位とかなんかとは別にすりゃ、下世話に考えれば極自然なんじゃなかろうか?

人間だって、自分の出来る範囲の繁殖は動物としての使命だよな。

Img_1503

セクハラを強調する近年の風潮は、かなり自然界に反しているのではないか。

この世の中、男と女しかいないんだしね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年6月21日 (土)

人の中で

「自己は他人との関係で成り立っている。

だから、人生は社会と関わらないと何にも始まらない。」

Img_1498

これはサルトル達が唱えた実存主義の真髄だ。

企業社会の一員で過ごしている時には、そんなことは考えもしないだろう。

Img_1499

だけど自由人となってみれば、「それは、そうだよ!」って思う。

昨日は廃棄物関係の話でクリーンセンターに出掛けた。

Img_1500

廃棄物減量化等推進審議会なるものがあって、その打ち合わせである。

ゴミは私達の生活の象徴でもある。

Img_1497

そのゴミを秩序だって処理できるようになったのは、つい最近の事かも知れない。

勝手放題社会でも「これは一定のルールが必要だな」って思う最初の生活規範だからだ。

Img_1353

これをルーズにしたら、多分私達の生活は収拾がつかなくなるのではないか。

…ってなことを、審議会を通じて発信していこうと思っている。

Img_1339

今日は、街の夏祭(花火大会)委員会、そして庚申様の集まりに出席した。

一夏を集約するような花火大会、その企画運営は並大抵のものではない。

Img_1321

でも手作りで海岸通り発展会が始めた大会も、今年で24回目を迎えている。

たかが花火だが、多くの人達の献身的な努力があって続いているんだ。

Img_1318

夜は、年に4度の庚申様の日で近所の皆さんとの懇親の場である。

近所に住んでいると言うだけで、日頃は会話を交わす機会とてない。

Img_1317

お互いの生活も違うのだが、顔を合わせて話をすることで人はつながっていく。

何でも無いそんな日常の積み重ねが、実は人生の実存なのだろう。

Img_1316

人は、人の中に生きてこそ人になる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月20日 (金)

スコレー

「人間は、何をしている時が幸せなんだろう?」ってことを考えてみたい。

忙しく働いていると「自由な時間」を渇望するようになる。

Img_1419

「あぁ~、たまにゃのんびりしないなぁ~」ってね。

でも、養護老人ホームに入って何もしない生活が果たして幸せかどうか。

Img_1474

自由な時間は一杯でも、無気力に生きるんでは意味が無い。

動物園の動物は命がけで餌を獲得する必要もなく、それは安楽な生活が出来る。

Img_1399

しかしながら、檻の中の動物が幸せだとは思えないのと同じだ。

私達も食べていくためには働かなきゃならない。

Img_1386

嫌々ながら働いているとしても、ちゃあ~んと「自由な時間」をつくっている。

その自由な時間のことを、ギリシャ語でスコレーと言うんだそうだ。

Img_1377

schoolの語源になった言葉だね。

人間は糧を求めて労働しながらも、スコレーを作って学ぶことを始めたんだ。

Img_1372

ともあれ私たちは、忙しい仕事が続くと休みが欲しくなり、

休みが続けば仕事の張りを求めるようになる。

Img_1371

現役をリタイアした後だって、何であれ人の役に立つことをやるべきだ。

確かに昔の様な簡単な〔昔のタバコ屋の様な〕仕事が無くなって、

Img_1370

何でも自動販売機のような機械に置き換わっちゃった。

その分便利になったんだけど、人間のやることが減っちゃった。

それでみんなが幸せになったのかというと、果たして???どうだろうか。Img_1369

誰だって活かされる場が必要なのに、そうした場面が減ってしまったからだ。

〔シャッター通り〕商店街にお婆ちゃんが一人で切り盛りしている履物屋さんが有る。

今時履物はスーパーで買うし、客など一日に何人もやってこない。Img_1363

それでも数少ない常連がいて、その客が来るのを楽しみにしている。

それに近ごろじゃ年寄りの集まるサロン化していて、その座主がお婆ちゃんなのだ。

つまりお婆ちゃんは、自分が活かされているからこそ、店を閉じることを考えもしないのだ。

Img_1359

人間は、安楽なんてことを考えちゃいけないね。

ストレスは考えようで、生活の張りにも成り得るのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月19日 (木)

蓬莱の玉の枝

今は昔、竹取の翁というものありけり。野山にまじりて竹をとりつつ、・・・・

日本最古の物語「竹取物語」の冒頭部分である。

Img_1373

この竹から産まれたかぐや姫が月に帰ってしまう物語は、誰もが童話で知っている。

しかしこの竹取物語、古文で読むと味わいがかなり異なってくる。

物語とは作り話と言うことだから、奇想天外な展開は承知の上である。

Img_1356

とは言え、千数百年を経た今日の私達の発想を遥かに超えるのではないかと思う。

例えば「輝くばかりに美しいかぐや姫」を求めて5人の貴公子がやってくる。

姫は、その一人ひとりに驚くような難題を出す。

石作の皇子には、釈迦が使ったと言う「仏の御石の鉢」を探して来たらと言う。Img_1323

右大臣阿倍御主人には、焼いても燃えない「火鼠の皮衣」を欲しいと言う。

大納言大伴御行には、「竜の首にあるという五色に光る玉」を求めて来いと言う。

中納言石上麿足には、「燕の子安貝」を採ってきてほしいと言う。

そしてくらもちの皇子に求めたのが、「蓬莱の玉の枝」だった。Img_1327

もちろん人間が月に行く今日だって、かぐやの望みを叶えるのは困難な話だ。

それでも美しい姫の為に、男どもは知恵を凝らして努力するのである。

果たせぬかな、いずれも空しい結果となるのだが、これぞと言って姫の前に現れた男がいた。

三年の間蓬莱山を捜しようやく「蓬莱の玉の枝」を採ってきたと、くらもちり皇子は言う。Img_1328

「これやわが求る山ならむと思いて、・・・山のめぐりをさしめぐらして、・・・・・

その山のそばひらをめぐれば、世の中になき花の木ども立てり、・・・その中に、

いとわろかりしかども、・・・この花を折りてもうで来るなり。」

かなり長い苦労話をするのだが、要約は「多分、この花だと思います。」と言うことだ。Img_1331

くらもちの皇子は「そんなもの、ありっこネェ~」と思いつつ、姫を欺こうとしたのである。

結局、彼に協力して玉の枝を作った玉作りの匠達が押しかけて策は破れてしまう。

男どもはあえなく退いたのだが、今度は時の帝からお召がかかる。

「月の都の者」だから、やがて帰らねば・・」とそれにも応じない。Img_1333

帝は、月の都からの迎えに対して、2000人の兵士を遣わして守らせたと言う。

しかし、それも無力で帝に天人の持参した「不死の薬」を残し天に昇ってしまう。

帝はかぐやが居ない世を儚んで、天に近い山を探させる。

駿河の国の山が最も天に近いと知って、その山で「不死の薬」の壺を燃やさせた。

Img_1335

物語は「その山をふじの山と名づける。

その煙、いまだ雲の中へ立ち上がるとぞ。」で終わっている。

平安時代の初め頃、富士山は噴煙を上げていたのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月18日 (水)

人生に必要なもの

細君の食事が不味いとか多少の不満はあったとしても、何不自由なく暮らしている。

元気で毎日やることがあって、あれこれと考えることも有る。

Img_1374

朝早くから動き回って、晩方には幾ばくかの晩酌にありつくことも出来る。

それで、十分ではないかとも思う。

Img_1382

だが敢えて、人生にとって必要なものは何かと考えている。

よく下世話に言われるように、地位か名誉か、金か女か・・などは余り意味は無い。

Img_1383

「より良い未来のために」命を投げ出すなんてのも、あまり現実的でない。

ならば「人並みに人生を楽しむ」のかと言われると、月並みすぎて確信が持てない。

Img_1389

考えてみれば、これまで多くのものを手に入れるために汲々としてきたのではないか。

車をほしい、家を建てねば、それには金が・・・などとあくせく働いて来たし、

Img_1381

ネクタイも洋服も靴も必要不可欠なものだった。

だけど一通りのことをやり終えた今、そのネクタイすら不要になっている。

Img_1390

それで、改めて何が必要なのかと思案しているのである。

それに、世の中には私と同じような団塊の世代があちこちにいるのではないか。

Img_1379

先日、この6月で退任する役員と合う機会があった。

「これからは、残り少ない人生をやりたいことをやって過ごすんです。」とおっしゃる。

Img_1378

さてこそ、「そのやりたい事って、何です?」と、お節介にも訊ねてしまった。

両国の相撲を見て、歌舞伎を鑑賞し、隅田川のほとりを散策して暮らすとおっしゃる。

Img_1391

いやいやそれだけでなく、彼は私の想像を超える粋人だった。

はてそれも良し、彼にとって必要なのは「自由な時間」だったのだ。

Img_1394

私の場合、時間は本質的には自由だが、手帳の予定はびっしりと埋まっている。

それは私が選び取った予定なのだから、不満を言う訳にはいかない。

Img_1396

忙しいが、社会的に生きるということは、人生に必要な事だと思っている。

それに、尽きない探究心と敢為〔敢えて物事に取り組む心〕が有れば鬼に金棒だ。

Img_1397

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年6月17日 (火)

自然を感じて

この時期、最も快適な日々を過ごしているのだと思う。

毎朝、明るくなるのを待ちかねて起き出し、農作業に精を出している。

Img_1496

先ずはキュウリの収穫に始まって、ホウレンソウや葡萄への潅水作業を済ませる。

そこから先は、日一日と粒を膨らませている葡萄達との会話が始まる。

Img_1495

早生葡萄はもう色付きを始めていて、日々姿を変えていく彼らは実に頼もしい。

私達人間も自然の一部だから、当然少しずつ成長〔老化〕しながら生きている。

Img_1494

だけど葡萄にしてもキュウリ・ホウレンソウにしても、毎日のその変化の姿が見えるんだ。

私がどこかに出掛けていたって、ちゃ~あんと成長し前日とは違う姿をしている。

Img_1493

もっとも時に、悪戯に枝を伸ばしたり、粒がはち切れそうになっていたりするけど、

それも、私との会話不足のなせる業なのである。

Img_1492

ところで葡萄園の中にいると、彼らと共に生きてるって感じられる。

この時期のたわわに稔った葡萄は、豊穣そのものを目で味わうことが出来るのが嬉しい。

Img_1490

そうして、彼らがあれこれと語りかけてくるのもこの時期だ。

「私達、今一番水が欲しいのよね~」とか、「もう、腹一杯だ・・」とかである。

Img_1489

それに何時も世話をしている私への反応と、

その他の人〔細君〕とは彼らの対応も明らかに違っている。

Img_1270

彼女らは、私が部屋に入っていくだけで、もうそれだけでそわそわとしているんだから。

この点、長年走ってきた山のそま道とは趣が違う。

やはり山では、一人のランナーとして私は彼らの客なのだろうか?

Img_1271

親しげな顔こそすれ、 ウバメガシやアオキの声は聞こえては来ない。

或いは、賑やかな鳥や虫の声にかき消されてしまうのかも知れない。

Img_1488

それに比べると、ぶどう棚の下の私は正にご主人様なのである。

自然と共に生きる喜びを日々に味わっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月16日 (月)

いい男

・・と書いたものの、どうも不得手なジャンルに踏み込もうとしているようだ。

長年ギラギラとした社会を生きて来て、もう「いい男」を目指しても良かろうと思っている。

Img_1487

もとより今更美男子を目指そうったって、そんな事が適うはずもない。

円熟した精神性が身に付かないだろうかと言うことである。

Img_1486

亡くなった親父の事を考えている。

彼は戦地から帰ると身を粉にして田畑を耕し、一家の心棒として必死だった。

Img_1477

米では食えないことを悟って、いち早く施設園芸に取り組んだ。

誰よりも早くTVなどの三種の神器を購入し、その一生懸命が頼もしかった。

Img_1476

晩年は議会議長を務めたりして、彼なりの精一杯の人生を全うした。

或いは、この経済成長期の戦後の生き方としては、みんな同様な生き方ではなかったか。

Img_1471

赤貧の家や国をより豊かにすることが、男の生き方の典型だったからだ。

失われた20年を経た今日、果たして私達は何を模索してきたのだろうか?

Img_1470

この間の変化と言えば、女性の社会進出が幾分進んで、少子化が加速した程度だろうか。

男どもは、かつての親父の世代に比べれば格段に覇気が感じられない。

Img_1463

イクメンだの家庭分業と言ってみても、どうも「いい男」の姿は浮かび上がってこない。

どうやら「いい男」に成る為には、幾つかの条件がありそうだ。

Img_1434

何でも金勘定で考える男は論外として、

一つには、自分なりの個性を育てていること。

Img_1433

音楽でも園芸でもその人独特の趣味は、自ずと人の味を醸し出す。

二つ目は、柔軟性かな。

Img_1414

自分の考えに固執することなく、異なった個性を受け入れられること。

三つ目は、自分の人生を楽しんでいるかどうか。

Img_1406

愚痴や中傷、天邪鬼で一生を送るのは正に貧しい生き方だ。

四つ目は、その人の精神性を磨くこと。

Img_1401

感受性って言っても良いかも知れないが、喜怒哀楽を含め感激できることが大切だ。

ともかく、誰に遠慮することも無く、いい男を目指そうと思うのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月15日 (日)

十本杉

久しぶりに十本杉にお目にかかろうと、千葉山トレランに参加することにしていた。

しかし、昨日電話で明日の会議にどうしても出て欲しいと依頼されてしまった。

Img_1467

中学校で少しばかりの事件があって、その対処を含めて話し合うと言う。

Img_1468

青少年に係ることなら出席せざるを得まいと、千葉山は午後から合流することにした。

Img_1469

ともあれ子供達が荒れるのは、家族も含めて絆が細くなったことに起因する。

地域も家庭もバラバラで、それが当たり前だな社会になっている。

Img_1475

教師が体罰をすれば父兄が挙って教師を吊し上げる。

どうしようもない生徒もいるもので、教師が殴られれば警察を呼ぶ他手立てはないのだ。

Img_1473

お陰で、警察は始終学校に出向かなければならなくなっている。

それはともかく、千葉山である。

Img_1472

私は柏原から登って皆さんとは逆走することにした。

柏原のエイドに着くと、そこにはもう最終組がやってきていた。

Img_1480

皆さんの来た道を遡って、太郎杉に対面しなければ来た意味がない。

4kmほど坂道を登って、あの樹齢数千年の杉達と久しぶりの再会を果たすことが出来た。

Img_1479

心中ただただ圧倒されるだけで、「どうすれば、こんなに大きく成れるのか」不思議である。

Img_1478

その無言の威厳に、ただ畏敬の念を感じるのみであった。

引き返して、ゴールのいたわりの湯に向かう。

Img_1481

どうだん原や竹林を抜けて、15時近くに皆さんの待つゴールに到着したのだが、

Img_1482

私は皆さんの半分も走っていないのである。

Img_1483

それはさておき、島田駅前に移動しての懇親会には一人前の顔で参加した。

皆さん、一日汗をかき、そして暫しの懇親の時間をこよなく楽しんでいる。

Img_1485

勿論私だって、心と心の快い疎通に酔っていたのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年6月14日 (土)

宗教国家の夢

奈良時代は聖武天皇の時代、全国60余国に国分寺・尼寺が造営された。

仏教と言う新しい文化で国を治めようとしたのである。

Img_1460

きらびやかな堂塔伽藍を配し、国分寺には20名の僧侶、尼寺には10名の尼僧をおいた。

僧侶は国の公務員であり、恐らくは豪族の子弟であったろうか。

Img_1451

仏教国家ブータンを想像している。

かの国では仏教を国教とし、学校は全てお経を唱えることから始まる。

Img_1453

仏陀の教えに基づいた国の運営だから、山国なのにトンネルが一つもない。

仏の宿る山(神体)に穴を開けることは御法度だからだ。

Img_1455

だからクネクネとした山道ばかりだし、そこに牛でも寝ていようものなら、

車は牛が退くまでじっと待つしかない。

Img_1456

輪廻転生で、その牛がこの間亡くなったお爺さんの生まれ変わりかも知れないからだ。

事ほど左様に生き物を大切にする。

Img_1457

仏教は極めて内を極める優しい宗教であって、

キリストやイスラムの様にやたらと諍いを起こさない。

Img_1459

聖武天皇が何を思ったのかはともかく、仏教こそがこの国を救いうると考えたのだろう。

ともあれ遠江国の国分寺・尼寺が私の住む磐田市に築かれていたのである。

Img_1462

741年に東西180m南北253mの回廊の中に、

金堂や講堂、五重塔を持つ壮麗な寺院が生まれた。

Img_1464

しかし819年に火災があって、そのご再建された形跡はない。

恐らく、聖武帝の崩御と共に次第に国家仏経熱が冷めて行ったのだろう。

Img_1465

今、この国分寺を再現させようと言う運動がある。

そのグループが中心になって、年に一度国分寺祭りを開催している。

今日がその国分寺祭りで出かけてきた。

Img_1466

しかしながら、たかだか70年余で忽然と消えてしまった歴史を再建すべきか否か?

歴史とは、本当は自分達の事を考える為にある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月13日 (金)

長生きするなら・・

ネズミの様な小さな動物は、心臓の拍動も早くて多くのエネルギーを使う。

それとは逆にゾウのような大きな動物は、

Img_1288

心臓もゆっくりだし、エネルギーも余り使わないのだそうだ。

その分寿命は、ハツカネズミの2~3年に対して、ゾウは70年くらいは生きる。

Img_1289

そしてこの両者とも、一生の間の心臓の鼓動はほぼ15億回なんだそうである。

生涯が短くてもどんどん子孫を増やすネズミと、ゆったりと生きるゾウ。

Img_1290

セカセカ短く生きるか、のっそりと長く生きるのか?

どちらの生き方が賢明なのかではなく、それがそれぞれの生命の選択なんだろう。

Img_1435

それでネズミもゾウも生殖を終えれば、セッセと死んでいく。

お陰で、自然界のバランスが取れていると言う訳である。

Img_1436

だがこの点人間は、かつて人生50年と言われた寿命がだんだん延びて、

痴呆やら介護・年金と、中々困難な問題を惹起している。

Img_1437

本来なら、20歳くらいで子供を作って、

孫の顔を見ればそれで生物としての使命は終わるのだろう。

ところが、今じゃ70歳の古稀なんて言葉は死語になった。

Img_1438

勿論その長寿は、膨大な医療費や食料・エネルギーの消費の上に成り立っている。

だから、だらだら生きられるのは、子孫にとって甚だ迷惑だとも言える。

何て言われると、長寿も随分と後ろめたくも感じられてくる。

Img_1449

やっぱりあれだね。

歳をとっても、それなりに後代や世のために役に立たないとね。

楽隠居なんてのは、人生50年時代の話だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月12日 (木)

サトルマインド

どうやら、先日来の咳は軽い肺炎だったようだ。

それはともかく、映画「郡上一揆」を観たからか、命ってものを思っている。

Img_1444

命を如何に燃焼させるかが人生だってことである。

私も、手入れもしないで、心臓も止めないでこれまで生きて来て、

「あぁ~、人生ってこんなもんか!!」って、何となく納得できるようになった。

Img_1441

私達も自然の一部だし、その自然に依拠して、

尚且つ人間の作り出した機能の中に生きている。

どんな世界を生きて来たかは、おおよそその顔を見れば察するようになった。

Img_1442

小学校の感謝の会に招かれた。

この5年間、毎朝雨の日も寒風の日も街頭に立って、子供達を見送ってきた。

教育的意味もあって、学校が感謝の会を催したのである。

Img_1443

その何百人もの子供達の前で、命ってものを思っている自分がいた。

今の子供は、TVの影響かかなり生意気な大人びた口をきく。

だけど当然ながら、人生(命)なんてこれっぽっちも分かっちゃいない。

Img_1445

分かっちゃいないからこそ猪突猛進できるのだが、

この子たち一人一人が、命を燃やしながら異なった人生を生きていく。

それを考えると、やはり自分の来し方を考えざるを得ない。

Img_1440

「俺は、ちゃあ~んと命を燃やして来たか?」ってね。

あの一揆に殉じた人々は、百姓の暮らしのために自らの命を燃やした。

自分の命を地域全体のために捧げたのだ。

Img_1446

勿論、命の燃焼のさせ方には色々とあるだろう。

放蕩に費やすのも、資産形成も、情愛に燃やし尽くすのも、天邪鬼で生きるのも、

人それぞれ、それも一生である。

Img_1439

しかしながら、望むらくは「感動」と共に命を燃やすにしくはない。

無限の可能性を秘めた子供達の顔を前に、そんな事を考えていた。

Img_1450
サトルマインドとは、生きる為の「微弱な意思」ほどの意味だろうか。

要は、心底何を蔵して生きるかである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月11日 (水)

高山旅情

高山には以前一度訪れたことがあるはずなのに、そのイメージは随分異なっていた。

市域は東京都とほぼ同じ程だが、その92%が山である。

Img_1412

山に囲まれた一角に市街地が小さく固まっているのが、高山の中心部だ。

Img_1364

この市街地の南東の高台に高山城のあった城山がある。

Img_1362

高山の由来は、戦国前期に高山外記がこの地に城を築いたことに始まる。

Img_1366

ともあれ町の骨格は、秀吉の命で飛騨を攻略した金森長近が作った。

Img_1367

長近は1586年に国主になってから、高台を武家地にその下の地に町人の町を築いた。

今日の高山観光は、この時代の古い庶民の町屋なのである。

Img_1404

金森氏は6代続くが、やがて1695年幕府直轄地となって高山城も破却されてしまう。

城山公園の下に立派な高山陣屋が残っている。

Img_1407

幕府直轄領の郡代役所として残っているのは、全国でここだけのようだ。

実は昨夜書いた農民一揆は、この郡代役所が舞台なのである。

Img_1411

1771年、第12代代官の大原彦四郎の圧政に端を発した農民一揆は、

飛騨全体を巻き込んで足掛け18年間にも渡って続いた。

Img_1410

この騒動で9千人余の農民が処罰され、その指導者の多くは処刑されたのである。

金森氏の残したものに、町の東側一体に広がる寺町がある。

Img_1409

山裾に幾つかの寺を建立・移築し、これが連なって今日も寺町を形成している。

高山UMでは、早朝にこの一角を通り過ぎただけだったから改めて訪ねてみた。

Img_1413

寺を巡りながら4km程を散策し、その町と歴史を思っていた。

毎年4月と10月に威風堂々の屋台が古い町並みを辿る祭りは風物詩になっている。

Img_1403

夜っぴて踊り明かす郡上祭りもこの飛騨独特のものだろう。

しかしそこには、永い歴史の中に織り成された悲喜劇がある。

Img_1402

殊に、圧制に抗して戦った農民達の血もこの地の礎になっているのだろう。

とまれ、町はこうして今日に引き継がれ、人々はそこで生きて死んでいく。

Img_1358

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月10日 (火)

連判状の伝えるもの

郡上市白鳥町に白山文化博物館があって、そこに傘連判状が残されている。

江戸期には藩主の過酷な年貢取立てに抗して各地で一揆が起こったが、

Img_1424

中でも郡上一揆はその代表的なもので、農民の死闘の末遂に藩主を更迭させている。

十数年前に「郡上一揆」と言う映画が作られていて、今回改めて観賞することが出来た。

3,500人余エキストラが協力したと言う、中々見応えのある映画である。

Img_1423

ともあれ、あちこちにシミのある大きな傘連判状を見上げながら、

これに署名する際の村々の代表者の気持ちを考えていた。

事実、この連判を機に一揆は郡上一円に広がり、

Img_1426

一揆から脱落する百姓を含めて、大変な騒動に発展していくのである。

そもそも江戸期の農民は半農奴の扱いであり、

Img_1428

一揆の首謀者は大抵死罪と決まっていた。

それでも郡上の百姓達は、

Img_1427

領主の増税策(検見)に反対して籠訴や箱訴(目安箱)を繰り返す。

命を捨てた訴訟とは切ないものだが、最後は幕府に訴えていく。

余りの騒ぎの広がりに手を焼いた幕府は、遂に領主の更迭を余儀なくされるのだ。

Img_1429

しかし百姓総代を始めとした主だった者達は死罪・獄門となるのである。

所詮は権力に手玉に取られるのだが、しかし確実に一矢を報いた一揆と言えようか。

しかし、恐らくこの傘判状に名を連ねた人達は、何らかの形で殺されたのではないか。

Img_1448

郡上は「郡上踊り」で知られる静かな山里である。

山を切り拓いて段々田圃を広げていった農民たち。

その百姓達に米すら食べられない生活を強いた支配階級。

Img_1447

全てがそうでなかったにしても、連判状は江戸期の厳しい農村の現実を伝えている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月 9日 (月)

てんごの夢

ひるがの高原は名古屋と金沢を結ぶ桜街道の中間付近にある。

近くに分水嶺公園があって、その疎水が北に向かうと荘川となって日本海にそそぐ。

Img_1422

そして南に向かって流れると、長良川となって太平洋にそそいでいる。

その高原の裾野に、佐藤良二の生家がある。

Img_1421

彼はごく平凡な国鉄名金線のバスの車掌であった。

その男が、とてつもない夢を実現しようとしていた。

Img_1430

それは、ダム湖に沈む樹齢400年の2本の桜を救うことから始まった。

電源開発の理解を得て、40トンもの巨樹がダム湖畔に移植され無事に活着した。

Img_1431

それに勇気づけられて、名古屋から金沢まで桜の帯を作ろうと考えたのだ。

否考えたのではなくって、救われた桜の実を育て名金沿線にせっせと植えはじめたのだ。

Img_1418

休日の度にてんご(背負子)に苗木を入れ、その桜の帯を徐々に伸ばしていった。

12年間に2000本余の桜を植えたのだが、やがて病魔が彼を襲う。

Img_1416

治療のかいもなく47歳でこの世を去るのだが、彼の志は多くの人々に受け継がれた。

特にランナーには、

Img_1417

太平洋から日本海まで走る「さくら道」と言う大会がウルトラの登竜門になった。

二晩寝ずに走るこのさくら道は、とてつもなくハードな大会だが、

Img_1415

実は、私の走友の何人かが完走している。

佐藤良二さんの志同様に、人間やればできるのである。

今日は佐藤さんの生まれた山里を訪ね、

Img_1414

そしてダム湖畔に巨立する老桜を眺めることが出来た。

何れも、同行のK地さんの計らいのお陰である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月 8日 (日)

さりながらの高山UM

目覚めると熱は下がって、だるさも幾分軽くなっている。

「よしっ、走れる!!」朝一番の驚きである。

Img_1375

ホテルから数分の所、高山市役所のスタート地点には既に多くのランナーが待っていた。

高山UMはウエーブスタートである。

Img_1379

先発組を追って5:00高山の町を走り出す。

Img_1382

直ぐに古い町並みに入って、その町屋の間を抜けていく。

早朝にもかかわらず、かなりの人数が私たちを見送っている。

Img_1384

ここを駆け抜けるだけで、走れて良かったとの思いがこみ上げてくる。

やがて街を過ぎると山へ山へ、乗鞍や御岳の方向に向けて登っていく。

Img_1387

色濃い緑が低い雲に覆われて、桃源郷を走っているかのようである。

Img_1388

ペースは遅いが順調に走り続けている。

流石に牛首山の辺りでは歩くしかなかったが、37k地点の飛騨高山スキー場1340m

Img_1390

でほっと安堵のひと時をすごす。

Img_1392

ここからは15kはずっと下りなのだ。

元気を振り絞ってひたすらこの坂を下っていく。

Img_1393

とは言え、50k地点で既に12時を三分過ぎていた。

ウルトラを走り始めて、はじめての借金を背負ってのランが始まった。

Img_1394

それでも丹生川のエイドには門限の5分前に到着できた。

しかし病み上がり?のこととて、疲労感は既にピークに達しつつあった。

Img_1395

ともかく60kを過ぎ、64.7kのエイドまで来て遂にリタイアを決断した。

4時間30分残していたが、残り35kmはもう無理だと考えたのだ。

Img_1398

野辺山のリベンジはできなかったが、「よしゃ、良く走った」と自分を褒めていた。

収容バスに乗ると直ぐに眠り込んでしまったらしい。

Img_1399

ゴール地点に戻るとかなりの雨が降ったらしかった。

70kのランナーが次々とゴールしてきていて、その達成感に満ちた顔が眩しかった。

Img_1400

ともあれ、登りが続く高山はそんなにたやすく完走できるコースではない。

改めて、100kの困難さを考えている。

なお、風邪はかなり良くなったようだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014年6月 7日 (土)

走りと健康

飛騨高山に来ている。

実は、一週間ほど前から風邪気味で、最悪のコンディションである。

Img_0010

しかし、走らねばなるまいと思っている。

期せずして4人のランナーが集まった。

Img_0008

高山一二の「みつ岩」と言う料亭である。

一年前、Kさんから「美味しい店がある」と誘われたのがエントリーのキッカケである。

Img_0006

実はこの「みつ岩」のオーナーシェフも明日のレースに出るのである。

ともあれランナーの縁で寄せていただいた。

Img_0005

愛知静岡兵庫からの4人の話は、寄る年波にも関わらず健康だということになった。

みんなそれぞれ持病を走ることによって克服してきた経歴を持つ。

Img_0004

私だって、随分気丈になったし、便秘知らずですごしてきたのも走ることのお陰だ。

気持ちだって、走ることで若返ってきた。

Img_1365

高山は、戦災にあっていないからか古い町並みを残している。

古風な酒屋や味噌やなどが立ち並ぶ路地を歩くと、

Img_1366

江戸時代にタイムスリップした気分になる。

しかし、体がだるい。

Img_1367

或いは、最悪のコンディションかもしれない。

明日は、走ることによってこの風邪を治してやれと思っている。

Img_1368

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月 6日 (金)

日既に暮れて

静岡県でも高齢者の人口比率が26%を超えたそうだ。

いよいよ、本格的な超高齢化社会に入っていくのだろう。

Img_1348

時に、年金の額や支給年齢が大きな関心ごとになっているが、

人口の三割方が受給者と言うのでは国の貯えなど風前の灯なのかも知れない。

Img_1349

かつて一昔前には55歳定年が一般的で、未だ若いのにプラプラと年金暮らしを楽しめた。

働かなくっても収入が入ってくるんだから安気なものだが、そいつが老化を加速させた。

Img_1162

人や社会がその人を無用な老人にしてしまうからだろうか。

やはり人間は、幾つになっても社会の一員として一定の役割を担っているべきだ。

Img_1019

そもそも「老」の字は成熟を意味するのだそうだ。

若い人達のお荷物として存在するのではなく、もてる成熟を遺憾なく発揮すればよい。

Img_0966

家庭菜園でも良かろうし、最近では有償ボランティアの機会だって増えてきている。

私の地域の社会福祉協議会でも、現在本気で「生活応援クラブ」の立ち上げを考えている。

Img_0960

要望に応じて500円程度で草刈や買い物などの生活支援をするシステムを構築するのだ。

その得られる金額よりも、人の役に立つということの方が大切だろう。

Img_0920

畑の片隅にニンニクを育てていたのだが、今塔立ちしてニンニク坊主になっている。

一見ギガンチュームに似〔同じネギ科〕た花を咲かせている。

Img_0912

既に地下のニンニクはタップリと太っているんだから、

収穫してしまっても良いのだが、この花の故に畑から抜くのがためらうわれるのだ。

Img_0910

洪自誠の采根譚に「日既に暮れて しかもなお烟霞絢爛たり ・・・」とある。

ニンニクの花の様に、持て余す力を持ち寄れば素晴らしい花にもなるだろう。

Img_0829

この日本の社会は、その老人力によって初めて蘇るのではないか。

人間と言うのは、死ぬまでに何を成しうるかが大切で、

東大を出たとか、企業の部長を経験したなんてのは、枝葉末節なのだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014年6月 5日 (木)

支え合う時代へ

今夜は、自治会長・防犯委員研修会である。

それで今夜は、この研修会でお話したことを書こうと思っている。

Img_1345

「大変足元の悪い中お集まりいただいたことに感謝したい。

今夜は、何故防犯活動に取り組むのかを考えていただきたい。

Img_1343

実は 3日前、私の知人宅に泥棒に入られましてね、・・・

寝ている間に隣室にあった財布やビデオカメラが盗まれた。

Img_1342

勿論キャッシャカードも免許証も取られたんだけど、驚いたものがそっくり無くなっていた。

皆さん、何だとお思いになりますか?

それが何と、ゴミ箱のゴミがそっくり無くなっていたんです。Img_1347

ゴミだけ持ってってくれるなら歓迎もしますが、

恐らくドロボーは、ゴミを丹念にあさって暗証番号のヒントを探したんでしょうね。

盗難に気が付くのが速くって難は逃れたのですが、とにかく物騒な時代ですね。Img_1274

ところで私達の活動は、犯罪者を捕まえることでも追いかけることでもありません。

犯罪の起きにくい地域づくりのために、みんなで取り組むことです。

自治会の仕事は、江戸の昔は村十部(村八分は、火事と葬式だけ)って言われました。Img_1249

冠婚葬祭から家の普請、治山・治水や治安維持、さらには旅行までみんな村の仕事だったんですね。

それは多くの人々が村で暮らし働いて、移動が無かったこともあるでしょうね。Img_1248

近代というのは、その自治会の仕事を次第に外部化してきました。

消防署や葬儀屋・住建なんかですね。

特に戦後は様変わりをした訳ですが、Img_1238

大きく経済が成長して便利にもなった反面、考えてみると失った物も色々と有りますね。

私の子供の頃、何か悪戯をしたんでしょうね、

近所のお婆ちゃんにこっぴどく叱られたのを覚えています。Img_1237

晩方になると、味噌・醤油の貸し借りなんてのも普通の事だった。

だから、どの家にどの位借金があるかなんてのも、皆分かっていたんですね。

ところが今日、みんな勝手バラバラで隣の息子の顔さえも知らないで済むんでする。Img_1236

徘徊老人探しが時々ありますが、あれだって一昔前までなら、

誰かが「お婆ちゃん、何処行くの?」って、声を掛けていたはずでしょうね。

どうも戦後の日本人は、豊かさと引き換えに地域の絆ってのを無くしてしまった。Img_1235

民主主義を勝手放題個人主義と勘違いして取り入れちゃったんでしょうね。

先日伺った話ですが、中学の子供さんが食事を自分の部屋で一人で食べる。

お母さんに何故なんですかと伺うと「子供にだってプライバシーがあるでしょ」とおっしゃる。

Img_1234

家庭も地域もバラバラなんですね。

当然ながら、犯罪の起きやすい環境になっていると考えるべきでしょうね。

今年の高齢化率が26%を上回って、いよいよ時代も成熟の度を増してきた。Img_1233

役所に全てを押し付けるのは無理な時代で、お互いに助け合う時代になりつつある。

特に子供の見守りは、実は私も毎朝街頭に立っていまして・・・・以下略

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月 4日 (水)

梅雨を前に

今夜から雨が続くらしく、いよいよ梅雨の季節を迎えようとしている。

梅雨には、やはりアジサイが良く似合う。

Img_1341

我が家にも真っ赤い花やら涼しげな青、或いは白いアジサイが咲いている。

アジサイの名は、アズ〔集まる〕サイ〔藍色〕に由来するらしい。

Img_1340

アジサイの花の色は、一般的には土壌が酸性だと青、アルカリ性だと赤が咲くとされている。

Img_1287

硫安を施肥して試してみたことがあるが、必ずしもそれだけでは色は変わらなかった。

赤いアジサイは、アントシアニンという赤い色素によって赤くなる。

Img_1291

青いアジサイは、アントシアニン+補助色素+アルミニュームが揃うと青くなる。

補助色素は花が色付き始めるに従って花の中で合成され、

Img_1292

アルミニュームは土の中から吸収する。

アルミはどの土にも含まれているが酸性状態で溶け出す性質を持っている。

Img_1293

だから土が酸性の場合に青い花が咲きやすいと言う事にはなる。

しかし、この反応は品種によって格差が大きいらしく、色をコントロールするのは中々難しい。

Img_1296

まあそれでも、土を酸性にしてアルミを含むミョーバンを施せば青くなる確率が高くなる。

庭の白いアジサイで試しているところだ。

Img_1300

ところで昨日の体育大会は、ぎりぎりのところで雨を免れた。

暑さも一服の最高の天候に恵まれて、中高生達も気分良く競技や演技に汗をかいていた。

Img_1305

やはり白熱するのはクラス対抗のリレーだが、キャタピラレースや

Img_1308

5人が横一線になって走る競技、ムカデ競争タイムレースなども盛り上がっていた。

若いエネルギーが迸った一日だったし、随分と良い雰囲気の体育大会だった。

Img_1313

一日を終えて、今日は心なしか静寂が学校を支配している。

人もアジサイのように群れて、得意な色の花を咲かせるのだろう。

Img_1314

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月 3日 (火)

雄叫び

誰だって「やったぞぉ~」って、体一杯で表現したいことがある。

況や若者達が精一杯競い合って、その最後に演じるのがエッサッサだ。

Img_1324

数百人の若者たちが、上半身裸で離合集散・その心意気を表現する。

もちろん圧巻は、その地響きのするような雄叫びである。

Img_1325

学園の体育大会は、この雄叫びを目当てに数百人の父兄が駆けつけて賑わった。

文武両道が校是の学園で、進学・スポーツ・文芸共に気を吐きつつある。

Img_1326

とは言え、男女サッカーや剣道、野球などのスポーツは、もう一歩の所で県優勝を逃している。

Img_1329

いずれ量から質への転換点が訪れて、今日の壁をきっと突破してくれるだろう。

特に野球は、今年こそは壁を突破できるのではないかと期待している。

Img_1330

ともあれ今日の体育大会である。

先週の東陵祭(文化祭)に続く大きなイベントだが、各クラスが良くまとまって闘っていた。

Img_1332

知・徳・体を丸ごと自分達のものにしようと学んでいる。

リレーで優勝した仲間の激励にクラス全員が走り出していた。

Img_1319

エッサツサでは演技を終わって、指導教官を胴上げする風景も感じるものがあった。

Img_1320

若さは一生懸命と表裏一体であり、観る者の心をも元気にさせてくれる。

いやさ彼らとて、青春の一時をこのように過ごしたことを忘れないだろう。

Img_1336

何故って、体育大会も楽しむものと分かっているのだ。

精一杯体を動かし、そしてもう一つの個性をパフォーマンスしている。

Img_1337

あぁ~、若いってことは素晴らしいと思わざるを得ない。

俺だって、彼らと共に雄叫びを上げたいんだッ。

Img_1338

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月 2日 (月)

自分の時間

{他の誰かの人生を生きて時間を無駄にしてはいけない」とは、あのジョブズ氏の言葉だ。

果たして「自分の時間」とは何かと考えている。

Img_1276

一日は24時間だし、自分の手持ちの時間は自ずと限られている。

その限られた時間を目一杯使って、動き回っているのが現在の私だ。

Img_1275

だから、私だけの特別な時間がある訳ではない。

毎日のスケジュールをこなしながら、朝晩の時間は耕すことに使っている。

Img_1273

早朝の作業に続く立哨に始まってブログを書くまで、TVなど眺めている時間は皆無。

「一体、自分の時間は?」と聞かれるが、その隙間の無い時間が自分の時間そのものだ。

Img_1272

エンプティーな時間があれば、遅れている畑作業に充填しなければならない。

今朝も保育園児達のための芋畝づくりに精を出し、汗びっしょりになった。

Img_1271

ホウレンソウの次の播種もしなければならないし、葡萄の生長も旺盛しきりだ。

見方によれば、時間に追われる毎日だが、本人には至ってその自覚は無い。

Img_1270

それが自分の生き方だと考えているからだ。

息抜きは強いて言えば、時間を作ってあちこちのマラソン大会に出掛けることかな。

Img_0878

昨夜の懇親会では、各自治会長の皆さんと一人ひとり話しをする機会が出来た。

就任から2ヶ月で戸惑いつつも、皆さん前向きに取り組んでくださっている。

Img_0828

これだって「押し付けられた」と嫌々やったとしても一年、自分を試してみたって一年だ。

私の自治会連合会役員は、もう既に6年目になっている。

Img_0920

「誰かがやらにゃぁ~」と引き受けたことだが、自分に出来ることを淡々とやる他無い。

「自分の時間」ってのは、どうしてもやるべき事が有ってのことだね。

Img_0956

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月 1日 (日)

「民主」主義のくびき

このところ自治会関係の行事が続いて、右へ左へと駆け回っている。

今日も午前は一斉河川清掃で多くの人に出て戴いて、投げ捨てゴミを集めた。Img_1277

人が見ていなけりゃと心無い人が如何に多いかを感じさせるゴミの量である。

ダンプ5杯ほども集まっただろうか。

ともあれ三々五々集まって下さった人達は、Img_1278

この地域のために少しだけ貢献したと言う満足感と共に引き上げていった。

こんな小さな積み重ねが、自治を少しずつ育てるのだろう。

昼からはT地区の安心町づくり協議会の総会に招かれた。

Img_1281

実はこの会合で「昭和のくびき」のような話をさせていただいた。

要旨は、戦後の昭和の時代が得たものと失った物と言うことについて考えて欲しかった。

Img_1282

子供の頃どんな悪さをしたのか覚えていないけど、近所のお婆ちゃんにこっぴどく叱られたことが有る。

夕方になると「味噌を貸してほしい」とか、そんなことが当たり前の時代だった。

Img_1241

貧しかったと言えばそれまでだが、それが高度経済成長を経て勝手放題の時代になった。

人の事なんて知るか、とそれぞれが利殖に励んだのだ。

Img_1226

結果として、隣家の息子の顔も知らなくなった。

痴呆老人の徘徊も振り込め詐欺も「俺の事じゃねぇ~」ってね。

Img_1225

高齢化もどんどん進んで皆で助け合う時代が来ている。

どんなコミュニティーを作れるのかが、これからの地域間競争になる。

Img_1224

人の一生はそんなに永い訳じゃない。

お互いに生きているうちに、出来ることをやろうじゃないか。

Img_1284

まあ、そんな昭和の功罪を話した。

そして今夜は、年に一度の48自治会の会長さん達との懇親会である。

Img_1285

色々と話は膨らんだが、ともかく楽しんで一年間を精一杯やろうと言うことに尽きる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年5月 | トップページ | 2014年7月 »