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2014年6月10日 (火)

連判状の伝えるもの

郡上市白鳥町に白山文化博物館があって、そこに傘連判状が残されている。

江戸期には藩主の過酷な年貢取立てに抗して各地で一揆が起こったが、

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中でも郡上一揆はその代表的なもので、農民の死闘の末遂に藩主を更迭させている。

十数年前に「郡上一揆」と言う映画が作られていて、今回改めて観賞することが出来た。

3,500人余エキストラが協力したと言う、中々見応えのある映画である。

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ともあれ、あちこちにシミのある大きな傘連判状を見上げながら、

これに署名する際の村々の代表者の気持ちを考えていた。

事実、この連判を機に一揆は郡上一円に広がり、

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一揆から脱落する百姓を含めて、大変な騒動に発展していくのである。

そもそも江戸期の農民は半農奴の扱いであり、

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一揆の首謀者は大抵死罪と決まっていた。

それでも郡上の百姓達は、

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領主の増税策(検見)に反対して籠訴や箱訴(目安箱)を繰り返す。

命を捨てた訴訟とは切ないものだが、最後は幕府に訴えていく。

余りの騒ぎの広がりに手を焼いた幕府は、遂に領主の更迭を余儀なくされるのだ。

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しかし百姓総代を始めとした主だった者達は死罪・獄門となるのである。

所詮は権力に手玉に取られるのだが、しかし確実に一矢を報いた一揆と言えようか。

しかし、恐らくこの傘判状に名を連ねた人達は、何らかの形で殺されたのではないか。

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郡上は「郡上踊り」で知られる静かな山里である。

山を切り拓いて段々田圃を広げていった農民たち。

その百姓達に米すら食べられない生活を強いた支配階級。

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全てがそうでなかったにしても、連判状は江戸期の厳しい農村の現実を伝えている。

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