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2014年7月31日 (木)

身を絆す

人間とは、そもそも身勝手で我がままなものである。

毎日が忙しく、特に不自由もなく健康で暮らしている。

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今日も五時前に起床して、毎日のようにブドウの収穫・出荷作業、

それに続く祭事を済ませて山に向かい、暑さの中を12k走って汗をかく。

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午後は二つの懇談と会議を済ませて、今ここに座っている。

充実した良い日であったと総括すべきところだが、心中少々の悔いも残る。

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それでかどうか、杜甫の詩の一節を思い浮かべている。

 「細推物理須行楽」 (細かに物理を推すに 須らく行楽すべし)

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 「何用浮名絆此身」 (何ぞ用いん 浮名もて此の身を絆すことを)

よくよく物の道理を考えてみると、人生は何よりも生を楽しむことが肝心さ。

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虚名などどうでもよいことで、自分を制約することなどなかろうに・・・という意味だろうか。

そう言えば、このところ少しばかり忙し過ぎたのかも知れない。

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だがしかし、やることがあると言うことほど幸せなことはない。

小人閑居して不善をなすの道理で、自儘に過ごせば夫婦喧嘩が関の山だろう。

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そこそこに自絆して、幾ばくかの社会貢献ができれば何よりだと思い直している。

さてこそ、自由が有難いのは一定の規律・拘束があったればこそだ。

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猛暑が続いて、我が世短しとセミの大合唱が続いている。

 「人生七十古来稀」 (人生 七十 古来稀なり)

 「都非少壮時」 (すべて少壮の時に非ず)

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長くもない人生をどう生きるかは人それぞれだが、精一杯燃やし尽くすが肝心だろう。

人生を楽しむとは、どれだけ苦労できるかではなかろうか。

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2014年7月30日 (水)

可欠な人

人の社会は、それぞれ役割分担し合ってできている。

だから人は、「あぁ~、俺も何がしかの役に立っている」って自覚を欲しがる。

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子供だって、「僕も、必要とされているんだ。」って思うことで成長できる。

いやさ未来のある子供のことは兎も角、定年後の熟年者について書こうとしている。

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私も定年前はかなりの数の部下が居て、幹部会議やら決済やらと忙しい毎日だった。

つまり、「俺が居なきゃ、何事も始まらんだろっ」ってな気分も確かにあった。

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「俺はこの組織に不可欠な人間なんだ」っていう思い込みと言うか、まあ錯覚だね。

ところが何時の間にか定年の日を迎えて、花束なんかを貰ったりしたら、

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次の日から元部下が、私の役割を私以上にしっかりとやってるんだからショックだった。

それで当たり前だが「別に、俺で無くったっても良かったんだ・・」と相当な寂しさを感じた。

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かてて加えて無職になったから、先ずは名詞に書き込む肩書きに困ったもんだ。

名詞など只の紙っぴらだけど、習い性となった癖とは恐ろしいものである。

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ともあれ、定年の日からかなりの歳月を費やして、名詞を出すこともトンと無くなった。

ボランティアも含めてあちこちに首を出していて、毎日忙しく過ごしている。

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しかし、自分を不可欠な人間なんだなんて錯覚することは無くなった。

何時でも代替え可能なことを承知の上で、出来ることをやろうと思っている。

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何種類かの名詞も有るにはあるが、それを出すことはめったに無い。

そもそもこの世の中に余人を持って変え難い人間など稀な訳で、

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地震とか責任感は必要だが、特別な自尊感情などは無用の沙汰だろう。

彼方に古希の山が伺える歳を迎えて、ようやくそんな感じになっている。

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所詮「乃公〔ダイコウ〕出でずんば・・・」って程の器でもないしね。

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2014年7月29日 (火)

道しるべ

佐世保高一年生の凶事は、とてものこと常軌の沙汰とは思えない。

しかし、何故高校一年生が一人住まいしているのかも含め、

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この時代の抱えている問題の一端が垣間見える。

元凶は勝手放題民主主義である。

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家庭も社会も自己主張ばかりで、責任ある行動がとれない人達が増えている。

親が子供のしつけを満足に出来ずに、その苦情を学校に・・・。

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モンスターは常態化して、学校はその対策に多くの手間暇を費やしている。

子育てを放棄して自分の幸せをと血迷う親のもとで、子供がまともに育つ筈がない。

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「親に捨てられた」子供は十中八九坂を転がり落ちていく。

問題は、佐世保だけではなくって、どこでも起こっていると言うことだ。

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確かに子育てに方程式がある訳でなく、親と子の真剣勝負だ。

親だって日々戸惑いながら子供と接している。

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言い聞かせたって分からない子供には、ビンタの一つも張りたくなるのは通りだ。

でもさ、愛情が注がれているならそれも良し。

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左様に、子供を育てることは親にしても社会にしても一大事業だ。

この5年余、毎日街頭に立って子供達の顔を見続けてきた。

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心が躍っていた子が落ち着いてきたり、急におとなっぽくなったり、

その度に「あぁ~、この子も成長したな」などと、子供達を見続けてきた。

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この子達が自分の良い所を見つけて、自信を持って行動するようになって欲しいと…。

ともあれ、勝手放題は地域にも蔓延していて、

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「地域で子育てをしよう。」などと言っても笛吹けど簡単には踊ってくれないだろう。

だけど、何もしないよりは一歩でも前進したい。

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そんな訳で、市のこども憲章を創ることになった。

今日はその第一回の会合があって、子供にも親にとっても道しるべになるような、

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そんな簡単な合言葉をつくって、月替わりで運動として進めようと言うことになった。

子育ては人生観や世界観、はたまた生き方にも関わることだから、

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それを簡単な合言葉にするのは容易なことではなかろう。

しかし、市民総参加で次世代の子育てを考える時だと思っている。

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当たり前のことが当たり前にできるように・・・・・。

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2014年7月28日 (月)

山のあなた

小学校の何年生の頃だったか、遠くに見える山に何があるのか知りたくなった。

それである日、小さな自転車で遥かな道を辿る冒険に出掛けた。

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その山のキワまでやってきて、そこからは雑木の山が延々と続いていることを知った。

「山のあなたの空遠く、幸い住む」と言うが、そんな別天地など無かったのである。

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「なぁ~んだ。」と思いつつ、それでもその冒険自体は満足だった。

古来人は、「地平線の向こうに、何があるのだろう?」との期待と憧憬で世界を広げてきた。

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旅に出たり山に登るのも、異性への思いもその未知への憧れの故だろう。

或いは100kマラソンの様な自分の可能性への挑戦だって、あの三つ子の魂と同じだな。

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そして人生そのものが、「山のあなた」を訪ねる旅なんだろうと思っている。

旅を続けているうちが青春だし、旅〔冒険〕が出来なくなったらそれが老いというものだ。

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それにしても冒険にはリスクが付物だし、

人は誰しも「この期に及んで、敢えて苦労を背負い込むのか?」って気持ちになる。

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そのくせ、冒険の無い毎日には退屈で往生するのである。

歳を経ると共に、体力の多少の衰えはいなめない。

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その衰えが、苦労を厭うのだろうか?

だけど気持ちが老化を拒否している限り、万年青年でいられるのではないか。

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人生を燃焼するに足る挑戦が出来るのか否か、私達熟年者にはそれが問われている。

今では大病しない限り90歳前後まで生きなきゃならない時代だ。

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その膨大な時間を寝て暮らして何とする。!!

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仮に行き着く先が荒れた雑木林だとしても、やはり行って見なければ分からない。

苦労も人生の貴重なエレメントなんだ。

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2014年7月27日 (日)

防災力は何処に

かつて田舎では何処だって、防火も防災も住民の手で担っていた。

青年は原則として消防団に入って、訓練しつつ併せてコミュニティーを作っていた。

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もっとも私の場合は団塊の世代で該当が多く、かつ遠隔地勤め人と言うことで、

消防団への勧誘すら無くって…・・未だに恨みに思っているのだが・・・。

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当時は同期生の多くが織布や農業など6~7割が自営業だったからだ。

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時代は変わって常設消防が整備され、自衛消防は補助に回る場面が多くなった。

とは言え、いざ河川の反乱とでもなれば、とてものこと常設消防の手におえない。

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堤防を守るのは水防団を中心にした地域住民でしかない。

私の家の近くを太田川が流れていて、かつてはかなりの頻度で堤防が決壊した。

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私の記憶では七夕豪雨の時の印象が鮮烈だが、近年の決壊は絶えて久しい。

七夕豪雨の時には、当時の消防団が大活躍をした。

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しかし今では団員のほとんどがサラリーマンで、

いざサイレンが鳴っても参集できる人は限られるのが実情だ。

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どの程度の防災力が担保されているのか不安でもある。

しかし、何時起こるのか分からない水害に備えて常設水防を置く訳にはいかない。

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やはりイザと言う時には、地域に住む人たちが地域を守る他なかろう。

と言う訳でこの暑い中、今日は恒例の水防演習があった。

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消防団を始めとして警察やNTT、日赤奉仕団、中電、地元自治会などが参加して、

交通規制訓練やら堤防保守訓練、救難訓練などを繰り広げた。

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基本的に毎年同じようなことをやっている訳だが、実はそれが大切なことだ。

繰り返しやってきた訓練はネイザと言う時、無意識のうちに行動がとれるからだ。

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この訓練を「・・・またか」などと思わない方が良い。

水害なんてけっして有って欲しくはないが、自然の為せることは分からない。

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想定をしておくにしくは無いのである。

ともあれ汗をたっぷりとかいて、今日の訓練を終えた。

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2014年7月26日 (土)

金時山へ

先日ブログをご覧になっているある方に「今週はどちらに・・・?」と聞かれた。

そう・・・、毎週のように遊びほうけていると(事実そうだが)思われているようだ。

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小山町で「富士山金太郎まつり」が開催されると言う記事があった。

それを覗いて、ついでに金時山に登ってやれと思った。

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マサカリ担いで金太郎、熊にまたがりお馬の稽古・・・♪ の金時山である。

熊にまたがって馬のように走れる物かどうか???と子供心に凄いと思ったことがある。

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金太郎は、桁外れの豪傑だったんだろう。

武家の旗頭の源頼光の聞き及ぶところとなって、求めに応じて都に登る。

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それが坂田ノ公時で、やがて源頼光の四天王の一人に出世する。

そして36歳の時の大江山の酒呑童子退治では大活躍をするのだ。

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この金太郎の噺が流布されたのは江戸期である。

お伽話では、山の中で自由奔放に暮らしていた金太郎は、成人して坂田ノ公時となる。

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四天王のひとりとして大活躍し、

そして主人頼光の没後は、再び足柄山で自由に暮らしたとされている。

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一人の豪傑の人生が、金時山を舞台に終始しているのが面白い。

ともあれ新東名を走って御殿場線の足柄駅に向った。

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傍らの河川敷では金太郎まつりで賑わっていて、渓流下りなどで家族が楽しんでいた。

そいつを横目に一路足柄古道を1時間半、ひたすら登って足柄峠に向かった。

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実は、42年前に私は一度金時山(1212m)に登ったことがあるのである。

足柄峠に着いてどうもイメージが違うので案内板を見ると、金時山は更に80分とある。

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ええいままよと、そのまま山頂を目指したのであるが、昔とは随分雰囲気が違う。

急な階段を汗を浸らせて登っていくと、富士山が頭を覗かせている。

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御殿場市を一望に眼下に見下ろしながら、昼過ぎにやっと山頂に立つと合点がいった。

確かに昔登った金時山の景色で、かつては反対側から尾根を登ってきたのである。

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富士山はもとより芦ノ湖も一望に広がっている。

年老いた「金時娘」も健在で、しばし時の流れの不思議を味わっていた。

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そんな訳で、今日は再訪してみたいと思っていた山に懐かしく再会したのである。

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2014年7月25日 (金)

人生勿体無い

付けっ放しの電気などを消して回るのが常である。

口癖の『勿体無い』が故に、女房や嫁さんから嫌われるのだが、こればかりは致し方ない。

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資源を大切にするのは当然だが、私が最も勿体無いのは一日の時間なんだ。

何時の頃からか、一日をフルに動かないと勿体無くてしょうがなくなった。

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何時もノテッェ~としている女房は「根が貧乏性だから・・」と軽蔑している様子だ。

否女房でなくとも、先日は二人の方から「何時、のんびりするの?」と聞かれて答えに困った。

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一人は「もう散々働いてきたから、もうのんびりさせてもらう」と仰る。

もうお一人は「やっぱり、のんびりって必要でしょ。」と言う。

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お二方とも女性だが、よほど「のんびり」が好きらしい。

つい私は「どういう状態が、『のんびり』ってこと?」と尋ねてしまった。

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そもそも私は、何もしないでのんびりなんてこのは自殺行為だと思っている。

時間ってのは、自動的(無為)に過ぎ去った時間は無に等しいのではないかと思う。

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農作業であれ家事であれ、人が何かをしているから時間が動くんであって、

その充実の度合いで時間の経過は早くも遅くもなるのではないか。

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ならば農道的に自分に働きかけて、稔り多い時間を過ごしたほうが得でしょ。

まあ、屁理屈を言えばそういうことになる。

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だから、ドテッと目的意識無くTVを見るともなく見るなんて最低の人生だと思っている。

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たった一度この貴重な人生の日々である。むざむざ無為に過ごすことはあるまい。

只でさえ馬齢を重ねるほどに、持ち時間が少なくなるのだから。

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2014年7月24日 (木)

ケルン

私が登ったのは富士山くらいのもので、登山に関してはほとんど知見を持たない。

山は怖いものというイメージからか、これまで避けて通ってきたような気がする。

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先日そんな素人が、幾つかの雪渓を越えて白馬乗鞍岳に登った。

山頂はまだか未だかと思いつつ登って、ケルンを見た時の安堵感を何と表現すべきか。

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登山者が山頂に小石を積み上げて出来るあのケルンだが、

風や雪で崩れてしまうかもしれないのに、自分の登山の証として積み上げていく。

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暫し休息しながら「山には、ケルンがある」んだと改めて思っていた。

ひょつとして人生も、一個のちっぽけな石を積み上げるのと同じかぁ~ってね。

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「何処何処の山に登って、小石を一つ置いてきたっけな~」てのが人生って訳。

家族やら仕事やらと結構重い荷物を背負って歩く人生だけど、

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それはそれで大切な事だけど、一人の人生に特別後生大事な意味がある訳でもない。

幸不幸だの運不運だのと言ったって、所詮何時かは消えゆく命でしかない。

折角生きるんなら、少しばかりの困難を乗り越えてみた方が面白かろう。

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「この山の向こうには、何があるんだろうか?」ってね。

・・・・そこまで考えてきて、

はたと「果たして俺は、これまでに幾つの山に登って来た?」と不安になった。

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還暦までの人生だから、そりゃ~多少の波乱万丈はあったさ。

だけど大局的には、ますまず平穏無事に過ごしてきてしまったようだ。

果たして、登り詰めたはずの山頂にどんな小石を残してきただろうか?

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否、仮に残してきたとしても、

そのほとんどは崩れ去っているのではないか、・・と言う現実に気付くのだ。

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「まあ~、良いじゃないの。人生なんてそんなもんさ。」と言う声も聞こえてくる。

登山そのものが、当人にとって意義が有ればそれで良かろう。

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それに、この人生第二期の登山にこそ、より意味のある小石を残せるかも知れない。

軽そうで半ば重たくもあるケルンという言葉の響きにも感じ入っている。

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2014年7月23日 (水)

剣ヶ峰

人には誰にでも、越えなければ頂上に至れない刹所がある。

世のサラリーマンだって経営者にだって、

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誰にだって「あぁ~、あの時が・・」って事が有る筈だ。

最初から「俺は、程々でいいや」って人は別にして、

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大方は定年までの出世競争を必死で走ってる筈だ。

だけどみんなが皆上手くいくなんてことは無くって、

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ここ一番の見せ場で踏ん張れた者だけが、頂上を目指すことが出来るのだ。

勿論この私にだって、振り返ってみればそんな時が確かに何度かあった。

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実は今日の野球を応援しながら、何故かそんな事を思っていた。

結果は、剣ヶ峰の大切な試合を敗退してしまったのだが・・・・。

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今日はエースの斎藤君が最初から9回を投げ通した。

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投手戦になると思っていたのだが、エラーを含め意外な展開になった。

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勝負事は結果が全てだけれど、振り返ってみれば勝機は確かにあったのである。

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しかしながら兎に角、我が校の球児達の夏は敢え無く終わってしまった。

野球は終わったが、若い彼らの前にはこれから何度もの剣ヶ峰が現れるだろう。

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その時にこそ、剣ヶ峰を乗り越えていけば良い。

一本道の人生とは言え、その道を選び取るのは自分自身なのだから。

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それは、持ち時間の決して長くない高齢者の部類に入った私達でも同じさ。

生きるってことは、他から何かを与えられることじゃない。

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自分から挑戦しつつ、その生き様を晒すことではないかとさえ思っている。

望むらくは球児たちの様に、ネバーギブアップの心で歩み続けたい。

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2014年7月22日 (火)

ゴミの話

私も定年退職して幾分時間が経過しつつあるせいか、年々居心地が悪くなる。

女房の普段の顔からは、「ふん、粗大ゴミめッ」といった雰囲気が感じられる。

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それを鈍感力で辛うじて凌いでいるのが現状だ。

そんな折どうした訳か、粗大ゴミの悲哀が通じたのかどうか…?

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市から「廃棄物減量化等推進審議会委員」をお願いしますとの文書が舞い込んだ。

ゴミを出さない・増やさないのは大賛成で、これこそ我が身の事とお引き受けした次第だ。

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それで女房殿に「廃棄物減量化委員になったンだから、

まかり間違っても俺をゴミに出すなよ。」とついつい口が滑った。

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すると女房殿曰く「何言ってんのよ!! あなたは産業廃棄物でしょ!!」

「捨てたくたって、許可なく捨てられないから困ってるんじゃない・・・!!」だって。

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ともあれ今日はその審議会があって、

市民一人当たり8,600円の税金をゴミ処理に使ってる。

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その総額が14億円余で、排ガスやら最終処分場など課題も多いことが分かった。

とてものこと、亭主を粗大ゴミに出してる場合じゃないんだ。

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ゴミの集積所だって街中ではトラブル続きだ。

大体においてゴミの出し場が確保できない。

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「俺の土地にゴミを置くなんてけしからん」「我が家の近くにゴミ置き場設置反対」etc、

自分達みんな事なのに、ここでもミーイズム、間違った民主主義が罷り通っているようだ。

民間が資源ゴミの収集に乗り出しているとはいえ、それは資源として金になる物だけ。

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結果として処理できない物だけが自治体に押しつけられて、出費は嵩む一方になる。

私達は毎日ゴミを出し続けていて、

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もしこれを止めれば忽ちにしてゴミの中で生活する羽目になる。

折角審議会の委員になったんだから、皆さんと楽しくゴミ談義をしたいと思っている。

兎も角、私同様ゴミだからって役立っていたんだから、やたら粗末にしないで欲しい。

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2014年7月21日 (月)

出会いの人々

人生は常に未知との出会いだし、その積み重ねこそが人生だろう。

中でも人と人の巡り合いは、場合によってはその人生の帰趨を決めてしまうかも知れない。

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私だってこれまでに実に沢山の出会いがあったし、これからだって有るだろう。

勿論、中には不幸な遭遇や気まずさを伴う出会いもあったけど、

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一人でいては不可能な様々な刺激や動機、はたまた幸運すらも出会いの賜物だった。

「鈍才は縁を縁とせず、凡才は縁を縁とし、秀でた人は縁無きを縁とす」と言われる。

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私はその鈍才に類するようで、

特に若い頃は、多くの出会いに恵まれながら、未知のまま別れてしまうことが普通だった。

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何気なく出会って、何時の間にかその人の存在を忘れてしまうって感じかな。

「俺が」って気持ちが強くって、自分一人の力で生きるものだと思ってた。

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或いは、自分が生きるのに精一杯で、人の魅力に対する感度が薄かったようだ。

今にして思えば、随分損をしてきたのかも知れない。

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だけど、人間は一人っきりでは幸福になんてなれない。

そして、その人生のカギをこの広い世界の誰かが持っている。

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どうやら、その人を求めてと言うか、探しながら歩くのが人生らしい。

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今更にして、ようやくそんな気持ちになっている。

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とは言え、インターフェイスが俄かに無数にできるなんてことは有り得ない。

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だから出逢いの度に、努めて自分のレーダーの感度を少しでも高めようと努めている。

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男女を問わず出会いを求めたいのだが、感度を高めてもレーダーの性能が今一で、

そのチャンスは何時もするりと逃げて行ってしまう。

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いやいや、人の魅力は至る所にあるじゃないか!!

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2014年7月20日 (日)

暑さに向かって

梅雨明け目前まで来た今日は、浜名湖サマーランである。

暑さを突き抜け、浜名湖半周33k余を走ってたっぷりと汗をかくマラニックだ。

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8:15、JR弁天島駅前を32名が揃ってスタートする。

遠くは山口県からの参加者がいるけど、大抵は顔見知りの仲間ばかりである。

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誰もが自分の走力で走るから、次第にバラバラの縦隊になる。

だけど三々五々隣り合ったランナーと四方山話などをしながら歩を進める。

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13k程走ると舘山寺港に着く、そこからは瀬戸港まで船で西岸に渡るのだ。

湖面を渡るそよ風が心地良くって、全員が展望デッキに登っている。

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湖面にはヨットやら水上バイクやらが浮かんで・・・・何時もの浜名湖である。

瀬戸から弁天までの距離が長いのだが、新所原でとっても嬉しいエイドがあった。

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ヨッピーさんとうっちゃんが冷たいスイカやらメロン、

冷たい飲み物をそろえて待っていてくれた。

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ここで随分時間を費やしたが、この快さを振り切って、再びゴールに向かって足を運ぶ。

だけど先を急ぎつつも、どうしても歩きたいと言う気持ちになる。

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それに、今日はたっぷりと時間があるのである。

そんな時、先方にKRさんが歩いていて、遂に二人で6~7kも歩いてしまった。Img_1998

しかしまあ、予定の時間内に弁天島の旅館に入って、今度はそのまま海の中に入った。

久しぶりの海水浴である。Img_2006

ほてった足が程よく冷えた頃、今度は全員で例の如くの宴会である。

そんな訳で、今日一日タップリと汗をかいて、爽快な時間を過ごすことが出来たのである。Img_2007

それも参加した皆さんのお陰だ。

人はそれぞれ、大なり小なり心配事やストレスを抱えて生きている。

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ただ淡々と無心で走ることで、そんな色々なモヤモヤが消し飛んでしまう。

明日から又、ガンバロッてね。

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やはり人生は、暑さに向かってだって常に挑戦することが肝心だね。

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2014年7月19日 (土)

初戦

高校野球静岡大会が始まっていて、今日から29日の決勝戦までが続く。

心配された梅雨末期の雨も免れて、この第一戦を全校で応援した。

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対戦相手は、3高が統合して誕生したばかりの天竜高校である。

とは言え、エースピッチャアーの前評判は高い。

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果たしてどの程度打ち込めるだろうか?、と言うのが関心事だった。

だが思いの外、打線も好調でつたない攻めにも拘らず5点を先取した。

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しかし、ピッチャーを17番・15番・3番・11番と継投していく内に3点を取られてしまった。

実力差からすれば意外な展開だったろう。

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それで9回、とうとう我が校のエース斉藤誠哉君の投入となった。

彼の期待通りの140k超の投球で、この初戦を5対3で勝利したのだが・・・、

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少しもやもやが残ったかな。

もっとスキッと勝てないのかと言うことである。

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3年前の大会では決勝まで進んで、静岡高校に位負けで実力を出せずに敗退した。

今年はそんな全ての過去を払底して、謙虚に一戦一戦を戦い取る。

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最後までNever give upで全力を発揮してもらいたいと思っている。

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ともあれ取敢えずの剣ヶ峰は、今度の21日の桐陽戦だがおおいに期待したい。

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それにしても、キビキビトした高校野球は素晴らしい。

私はスポーツ(特に球技)音痴で、草野球ではボールよりもバットを飛ばして恐れられた。

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とてものこと、彼らの様なチーム連携プレーの真似すらも出来ない。

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だから、彼らの姿を何時も眩しく感じているんだ。

それが、この初戦ではより一層輝いて見えたんだが、これは贔屓目だろうか。

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それは勝負には時の運もあるが、

今年は謙虚に挑戦していくことで、新たな何かが得られるのではないかと感じた。

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2014年7月18日 (金)

自分の言葉

言葉は過ぎれば聞き苦しく、足りなければ意味を成さない。

聴き心地が良くって自然な話をしたいが、何時も終わってから後悔ばかりだ。

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げに、言葉は誠に難しい。

先日の会合で、会長が惚れ惚れすると言うか素晴らしい挨拶をされた。

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聴衆が頷くように分かりやすく話し、その内容にも成る程と思わせるものがあって、

しかも〔何時ものように〕語尾がしっかりとしていた。

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私も立場上あちこちで挨拶を求められるが、何時もお仕着せのモンキリ調でしかない。

如何すれば上手く話せるのかと悩むのだが、

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その極意はどうやら「自然さ」と「自分の言葉」、そして「語尾のメリハリ」らしい。

自然さとは、言いたい放題あるがままと言う事じゃなく、自然な姿勢とでも言うべきものだ。

とかく話を強調しがちなものだが、誇張も飾りもせずに自然に話す。

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自分を飾ったり隠したりするような言葉は使わない。

それも当然ながら、話そうとすることが消化され「自分の言葉」になっているのが前提だ。

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自然体で自分の言葉を紡ぐことが出来れば、それは本物になる。

とは言え、不特定多数の人達を前にして自然に話せったって、そりゃ容易ならざることだ。

話に詰まったらどうしようと心配したり、緊張から早く開放されたいという誘惑もある。

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だからして、構えることなく在りのままの自分で話すことは中々難しい。

この点、私には書くことのほうが性に合っていると思う。

この3000日を越えたブログだって、書き表すことの訓練と言えなくも無い。

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何処かで出会った言葉の切れ端を材料にして、自分の言葉にする試みでもある。

まあ~話すことも書くことも、とどのつまり自分の体験や腹中から出てこないと、

中々相手には伝わらない。

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心で話すというか、自分を晒す勇気こそが肝心なんだと思う。

それとあれだね、物事は最後のセンテンスまではっきりさせないとね。

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2014年7月17日 (木)

夏の音

朝は、6時少し前から蝉が一斉に鳴き始める。

今日は猛暑日となって、梅雨明けは未だだけどもうすっかり盛夏である。

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残り数日で夏休みを迎える子供達に、「後2日だね」と声を掛けると、みんなニコリと笑う。

やはり、夏休みは嬉しいのである。

私の子供の頃の夏の音は、開け放った座敷で昼寝しながら聞いた風鈴の音かな。

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あぁ~それとアイスキャンディー売りのチリンチリンと言う鐘の音と、

「お馬の親子」の音楽を流していた馬車のパン売りの音だろうか。

キャンディー売りの音が聞こえると、一円札を5枚握りしめて通りに飛び出していった。

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冷蔵庫も扇風機も無かったその頃、冷たくて甘いキャンディは嬉しかった。

ともあれ葡萄の収穫を終えて、久しぶりに何時もの山に夏の音を聴きに出かけた。

上空に風の音はするけれど、林の中は存外風が少なく、生温かな空気で包まれていた。

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蝉の大合唱かとは思いのほか静かなもので、草の下から夏の虫のささやきが聞こえていた。

鳥たちもほぼ営巣を終えた頃と見えて、求愛の声も聞こえてこない。

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午前の里山は、拍子抜けするほどに静かであった。

夏空は青く、どうやら冷夏の予想ははずれそうである。

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久方ぶりにWさんと会うと、やはり「サロマは駄目だった」と述懐する。

どれだけ事前の訓練を積んだとしても、

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100kの道のりを楽々と完走できる年代ではないと言うことか。

いやしかし、それでも挑戦を続けているのだ。

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山の木々達は、そんなひた向きな私達を静かに見守っている。

もう既に、9月の丹後100kに向けての準備が始まっているのだ。

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2014年7月16日 (水)

気色と言うもの

人々の生活が周りの気色を変えていく。

この国のこの50年余のモータリゼーションと都市化は、景観を激変させてきた。

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私は生まれてからこの方、ずっと田舎に住んできたから変化は少ない。

しかしそれでも、かなり変わったものだなァ~としみじみ思うことがある。

終戦直後の生まれだが、その頃の農村風景は不整形な田圃が延々と続いていて、

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その中をくねくねと細い野良道が蛇のように横たわっていた。

恐らく、江戸時代の景色とそんなに変わっては居なかったのではないか。

それが昭和30年頃の耕地整理で枡状に整えられて、道も真っ直ぐになった。

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学校への途中に一軒の鍛冶屋と小さな鋳物工場があって、凄いな~って覗いて通った。

その水田の広がる「トオモン」に家が建ち始めたのは、昭和50年頃からだろう。

人口の増加と農業振興地域の線引きがきっかけになっていた。

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お陰で、村の人口も一挙に三倍くらいになった。

それまでの農村からサラリーマン中心の就業構造に変わって、

村の景色も有り様も一変した

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それを支えたのが車で、間もなく一人に一台の時代がやってきた。

当然ながら道路も作り変えられて、ほぼ今日の景色になった。

しかして、世は超高齢化時代を迎えている。

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子供の数は減って高齢者ばかりが増え、独居高齢者への支援が課題になっている。

やがて近い将来、この景観も少しずつ変わらざるを得ないのだろう。

実は昨夜、LED化組合の設立準備会があって、電気工事関係者が集まった。

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磐田市では、市政10周年に併せて管内の防犯灯を一挙にLED化することにしている。

町を明るくすると同時に省エネにも貢献、併せて仕事を増やそうということでもある。

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自治会管理の防犯灯は約1万2千もあるから、相当の事業量になるだろう。

これも地域の景観を変えていく一つの時代の波だろう。

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それに家電店が激減して、電気工事だって随分と変わりつつあるのだ。

取りとめもなく、そんなことを考えていた次第だ。

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2014年7月15日 (火)

自立と自衛

毎日のように集団的自衛権を巡って喧しい情報が流れている。

だけど、何だか本質を避けて末梢的な議論が大半な様な気がするのだ。

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そもそも集団的自衛ってのは、「国と国との力関係が変わって、

強大な軍事力を持っていたアメリカの庇護の下に居れば良かった時代は過ぎ去った。

だから友好国がお互いに助け合って国を守りましょっ。」てことだろう。

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力が衰えつつあるアメリカにすりゃ「何時まで、俺に抱っこにおんぶなんだよ!!」だろうし、

「いい加減に自立してくれ。」と言うのは当然のことだ。

戦争なんてやるのは愚の骨頂だし、もう世界は戦争の時代ではない。

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しかしながら、近隣某国のように軍事力を背景に圧力を掛けるのが外交の常套手段だ。

軍事力が劣るからって、尖閣も海洋資源も仰るとおりですってな訳には行かない。

一定の歯止めとして、イザと言う時の備えは絶対に必要だろう。

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今更この国が軍事大国を目指すなんてナンセンスだから、集団でと言うことになる。

簡単に言うと、そういうことなんじゃなかろうか?

だけど戦後のこの国では、「国を守る」なんて議論はほとんどされてこなかった。

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その一因として、秀吉の刀狩り以来の伝統がありそうだ。

USAなどと違ってこの国では市民は武器を持たない。

韓国などのように国民皆兵でもない。

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市民の安全(警察も防衛も)はお上任せにしていて、その部分での意識は極めて脆弱だ。

アメリカで銃規制が出来ないのは、

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防犯もさることながら国に対する抵抗権だとの見方もある。

圧政に対しては、それに抵抗する権利を市民が持つというのだ。

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とてものこと倒錯していると思うが、個人も国もそれ程に自立意識が高いということだろう。

賛成反対はともあれ、これを機に国の存立についてこぞって考えるべきだと思う。

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2014年7月14日 (月)

一得一失

高速道路を走って森の中の静かなペンションを訪れたのは昨日までのことだ。

そう・・私達は、高度に分業化された機能社会に生きている。

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だから、例えばフライドチキンを食べながら鶏を思い浮かべる人は少ないし、

稲や野菜の特性を知らなくっても、それを味わうことが出来る。

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一人ひとりが、職業と言う極限られた機能に特化することでこの社会ができている。

そうした分業のお陰で、私達は快適で便利な生活を送れるのだが、

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一方で、私達はありのままの自然や一個の人間としての存在を実感したがる。

山に登るのも、家庭菜園で作物を育てるのも、そんな自己実現の一種かもしれない。

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・・・などと、実は白馬村に泊まりながら余計な事を考えていたのである。

白馬連山の麓に広がる平坦な森林地帯に、点々と瀟洒なペンションや別荘がある。

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週末その別荘にやってきて、小鳥の声に浸りながら程ほどの不便を承知で滞在する。

近くではスキーもトレッキングも登山も出来るし、

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それに何よりも自由に生きられる空間が広がっている。

実はオーナーのさおりさんに「何故、ペンションをやる気になったの?」と尋ねたのである。

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すると意外にも、この村を気に入ったのは夫君だと語ってくれた。

忙しさを縫って度々スキーに訪れているうちに、この村に住みたくなったのだと。

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冬季には2mもの雪に埋もれる村に住んで、ペチカで薪をたく。

時にお客がやってきて、

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親しく人生などを語り合うことが出来たなら素晴らしい・・・と言う次第だろうか。

とは言え、夫君は忙しい毎日でめったに来られない。

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それで、さおりさんがオーナーを務めているのである。

田舎とは言え、近くにはコンビも雰囲気の良い温泉もある。

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夫君は、その不便と便利の程よい加減が気に入ったのではなかろうか。

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近頃では何処の町ものっぺら坊にミニ東京化して、

誰もが代わり映えのしない生活を余儀なくされている。

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そんな毎日から離れられる別天地があれば、それに超した事は有るまい。

一得一失なのである。

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2014年7月13日 (日)

ラージヒル

昨日は乗鞍岳山頂から下り始めて、アッと息を飲む美しさと出会った。

白馬乗鞍岳の雪解け水をたたえた周囲2kmの白馬大池である。

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栂池から2時間余り登ってきて良かったとつくづく思った。

やはり未だか未だかと登ってきて、だからこそ雲上の楽園に辿り着くのだろう。

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その大池のコバルトブルーの湖面には、神秘的な氷が残っていた。

まさに自分の足で登らなければ見えない風景であった。

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ともあれ今日は、アフター登山の観光である。

さおりさんにお世話になったペンション「ホームズイン」を後にして、

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先ずは、あのオリンリンピックのジャンプ競技場に向かった。

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ジャンプ台の頂上まで登れると言うのでリフトでノーマルヒルの位置まで登り、

そこからはエレベーター、更に階段を登って行って頂点に至る。

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一体どれ程の高さになるものか・・・その階段で足がすくんでしまった。

下がそのまま見える階段を恐る恐る上り詰めると、白馬村を一望できる高台に出た。

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メルヘンそのままの緑の中の別荘地帯が広がっていた。

その眼下に、真っ逆さまに下っていくジャンプスロープが見える。

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かつて罪人を罰することから始まったと言うジャンプ競技である。

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やがてそのスロープに灌水が始まって、高校生の練習が始まった。

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シューと言う滑走の音に続いてふわりに浮き、ドスンと着地の響きが伝わってくる。

他人のことながら、そのスリルにしばし息をのむ思いで見つめていた。

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ジャンプ競技は想像以上に迫力のあるもののようである。

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次に向かったのが、白馬五竜高山植物園である。

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下からゴンドラで1500mほど登った山の頂で、300種ほどの高山植物がみられるのだ。

この時期、コマクサを始めとしてクロユリやチングルマ、青いケシやヤマリンドウなど、

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そしてエーデルワイスが咲いていた。

あの歌に出てくるエーデルワイスだけど、実に質素に咲いてた。

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戻り梅雨なのか雨も降り出して、これが昨日なら大池の景観はどうだったろうか。

いやいや、場合によれば雪渓で登頂を断念していたのではないか。

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まったくの幸運と言う他ない。

ともあれこの三日間、仲間と共に素晴らしい旅が出来たことに感謝しきりである。

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2014年7月12日 (土)

白馬乗鞍岳へ

早朝7;00には栂池に向けて出発である。

スキーの本場だからリフトやゴンドラが整備されていて、

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先ずは栂池パノラマウェイから乗り込む。

ゴンドラ乗り場からは杓子岳や白馬岳子蓮華山、

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白馬乗鞍岳が連なってパノラマが見える。

ともかくゴンドラを乗り継いで27分、国立公園の栂池自然園〔標高2020m〕に到着する。

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栂池の湿原を縫って5kmほどの遊歩道が整備されていて、水芭蕉やらリュウキンカ、

キヌガサソウ、コッコウキスゲ、イワカガミなどの高山植物が一杯咲いている。

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それに残雪も多くって、私達はその歩道を走って巡るのである。

最も奥の展望湿原に出ると、白馬大雪渓・北アルプスを間近に望む絶景ポイントに出た。

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登山開始の時間が迫っていて、

絶景を眺めるのもそこそこにビジターセンターに取って返す。

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9;45今日の本番の白馬乗鞍岳〔2437m〕へのアタックが始まった。

勿論急な岩場の登坂が続くいて、息を切らしながら登っていく。

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少しヒンヤリとした風が吹いて、汗をかきながらも他の登山客を追い越していく。

実は何を隠そう、私の装束はランパン・ランシュウにTシャツなのである。

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トレッキングと言うことで、大丈夫だと踏んだのだが流石に登山客はあきれていた。

それでも難なく登っていったのだが、大小の雪渓を越えていかなければならない。

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急な雪渓では前の登山者の靴跡を忠実に辿って行くのだが、如何せん靴がすべる。

滑落すれば何処まで滑り落ちてしまうのか・・・かなり緊張の時間が続いた。

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それに雪は流石に冷たくって、手を着くたびに冷たく冷えていく。

まあ~それでも何とか幾つかの雪渓を乗り切って、12:00少し前に山頂に着いた。

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山頂で皆で昼食を済ませ下り始めると、白馬大池の絶景が広がっていた。

登ってきた者にしか味わえない至福の景色と言うべきだろう。

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しばし岩場を下りながら、残雪に囲まれた大池の美しさを味わっていた。

絶景と分かれて今度は蓮華温泉に下るのだが、これが限りなく遠く感じられた。

ごつごつとした岩道を下って2時間余、やっと微かな硫黄臭が感じられる。

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山中の露天風呂で、4ケ所に浴槽が散らばっている。

この浴槽に白馬連山を眺めながら男女一緒に浸かった。

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この気分は・・・・疲れを癒すだけでなく、ここまで来て良かったという事だろうか。

台風一過の絶好の天気に恵まれて、一日素晴らしい体験をさせていただいた。

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幹事の中田さんに感謝しきりである。

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2014年7月11日 (金)

白馬へ

台風8号が嘘のように消えてしまって、今日は予定通り長野県は白馬村に来ている。

あの長野オリンピックのジャンプ場の直ぐ近くの友人のペンションに泊まるのだ。

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白馬連山の麓のまことに涼やかな所で、

瀟洒な別荘やペンションが立ち並んでいる。

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白馬三山にはもうすっかり夏雲が掛かり、山並みにも力強さを感じる。

その山並みを眺めながら温泉に浸かる。

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ペンションの近くに倉下の湯と言う温泉場があって、

硫黄臭のする黄色くにごった湯に浸かり、夕焼け雲を不思議な気分で眺めていた。

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ペンションは、微に入り細に渡ってメルヘンチックである。

明日は仲間と共に北アルプスに踏み入って、栂池高原をトレッキングするのである。

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とは言っても、ここに来るのは初めてのことで、さっぱり地理不案内である。

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もっぱらトライアスリートの中田さんの案内でトレッキングし、

とりあえず山中の蓮華温泉に向かう。

男女混浴の露天風呂だけど、みんなそいつを楽しみに走るのである。

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ペンションの前庭での前夜祭でしっかりと盛り上がってしまった・・・・・・・。

みんな愉快な仲間たちである。

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2014年7月10日 (木)

農業離脱志向

水田の稲が青々と勢い良く成長している側に立って子供たちを見送りながら、

昨日に続いて、この国と農業について書いてみようと思った。

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それは言うまでも無く、この国は黎明期から近世まで瑞穂の国、農耕の国だった。

稲作の伝わって農耕が始まったのは縄文の昔に遡る。

以来、天皇が五穀豊穣を祈る神官であるように、米は財力(権力)の源だった。

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だから当然ながら、この列島に住む人々は米には特別な愛着を持ってきた。

社会の仕組みも、江戸時代の税が物納〔米〕だったように永らく米が中心だった。

しかし、泥田に這いつくばって米の生産を担う農民は生かさず殺さずで、

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年貢米を搾り取ることで支配階級が成り立ってきた。

機械化の進む以前の米作りは、まさに過酷な筋肉労働によって成り立っていた。

私だって5~6歳の頃から田圃で稚苗を取ったり、稲束を抱えて集めたりと手伝ってきた。

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そう言えば「男」と言う字は、「田」を「鋤」で耕す者を意味してたっけ。

だから子供心にも、「生きるって、大変だな~」などと体の芯から感じていた。

それでも大学に入る頃まで、「俺が家を継いで百姓やるしかない」って思っていた。

しかし折からの高度経済成長の足音が、私の進路を転換させていく。

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私と同年輩の人々は、押並べて同じような進路を辿っているのではないか。

国民のほとんどが農業に従事していた時代が、この頃から急激に変わり始めたのだ。

考えてみると、江戸時代だって農業を商人なりに転進した人が豊かになった。

いやいや、戦国期の秀吉のように農業が否だから侍になって成功したんじゃなかったか。

どうも、総じてこの国では農業をしなくて住む境遇が立身出世だったようだ。

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今日では食料の6割は海外から輸入されているから、みんなで農業しなくて良くなった。

逆説的には、農業の負担が軽くなったから国が豊かになったと言える。

TPP交渉が煮詰まりつつあって、結果次第では農業は更なる危機に直面する。

未来永劫食料が輸入できるのなら、それでも良いのかも知れない。

しかしながら、かつての後進農業国が押並べて産業転換に奔走している今日、

この国だけが都合よく立ち回れるのものかどうか・・・・?

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2014年7月 9日 (水)

胡瓜〔キュウリ〕

時ならぬ巨大台風8号が近づいて、

塩害で作物が全滅した一昨年の台風を思い起こしている。

今日まではキューリもゴーヤもナスもオクラも、みんなすくすくと育っているのだが・・・。

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実は今年は、例年のオクラに代えて次々とキューリを育てているのだ。

春先のハウスで育てたキュウリは、既に暑さとウドンコ病と虫にやられてしまった。

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それで現在は畑で段階的に育ててるんだが、この台風で果たして生き残るのか否か?

ともかく毎日のように数十本の収穫があって、そいつを女房が金に替えてしまう。

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キューリは大部分が水分だからか、その成長力の旺盛さには感心する。

幼果の花が終わると瞬く間に収穫期を迎え、忘れていると黄色く図太い瓜になってしまう。

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毎朝畑を回って収穫して歩くのだが、これが又実に清々しいのである。

さてキューリの原産は、胡地とされる西域である。

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漢の時代に長安に伝えられ、故に漢字では「胡瓜」と書く。

じゃ何故日本で「キューリ」と呼ばれるかと言うと、それには深い訳が有る。

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3世紀に胡人が後趙国を建国したのだが、この異民族の王が胡瓜の名を嫌った。

もともと華人は異民族に蔑称をつける習いだが、「胡」の字には「たわごと」の意がある。

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それで黄色い瓜だから「黄瓜」と呼ぶべしとされて、それが奈良時代にこの国に伝わったらしい。

もっとも今日の食卓には黄色く熟した瓜はなく、未成熟の青いのが並ぶ。

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私達が口にしている一本のキューリも、元をただせばタクラマカン砂漠を渡って、

しかも中国大陸の異民族支配の歴史まで背負っているのだ。

漬物にもサラダにも、そして寿司ネタにしても歯ごたえが良くって美味しい胡瓜。

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とは言え、私の口に入るのは出来損ないの屑ばっかりだけど・・・・。

それにしても、キュウリの歯応えは絶妙だね。

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2014年7月 8日 (火)

歴史の佇まい

近頃は、日本全国何処に行っても代わり映えしないのが常だ。

しかし先日訪れた近江八幡市の旧城下の風情は、

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この数百年の人々の気概を感じさせてくれる。

旧城下町の中ほどに白雲館という明治10年に建築された建物がある。

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当時の人々が金を出し合って、文明開化の子供達のために建てた小学校である。

費用は当時の金で6千円と言うから1億円くらいだろうか?

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望楼は、ヨーロッパの教会の名残なんだろう。

この小学校では、当時の児童は200名余だけど何と女児の方が多かったという。

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商人町のことで男児は大都市に丁稚奉公で出ていたとしても、

女性教育にも早くから熱心だったことが伺える。

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やがて生徒数が急増して、学校としての利用は15年ほどで終わってしまって、

その後は役場や信金として使われてきたようだ。

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だがそれも、建物の老朽化のために戦後は空き家状態が続いた。

現在の建物は、平成に入ってから修復された建物である。

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この白雲館に対面して先ず、磐田市に現存する見付小学校とそっくりだと思った。

見付の町でも当時の人々が力を合わせて洋館の小学校を建てている。

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当時はこの国全体が国づくりへの黎明の中にあって、

学校づくりに見られるように地方でも市民の力があちこちで勃興していたのだろう。

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白雲館は一例に過ぎないが、古くからの町並みや八幡堀はこの地の歴史そのものだ。

八幡で忘れてならないのは名誉市民第一号のウィリアム・ヴォーリズだろう。

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彼は若くして布教のために来日したのだが、後に建築家として一生を終えている。

彼がこの国に残した洋風建築は無数で、もちろんその多くが八幡に現存している。

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ただ白雲館は、彼の設計ではなく地元の大工によって立てられたものだった。

八幡のたたずまいは、確かに私たちに歴史の積み重ねの何事かを伝えている。

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普段私達は、自分が生きているこの時代のことしか考えない。

だけど昔からの積み重ねのを踏まえて暮らしている。

現代の私たちが、果たしてどれ程の価値ある歴史を残すことが出来るだろうか??

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2014年7月 7日 (月)

元気の源

日常的に走っている人は、走ることは当然としても何事にも総じて元気である。

いやさ、日々の行動も考えることも若々しいと言える。

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例えば、先日の石巻登山マラソンの参加者の平均年齢は50歳くらいかな?

そして、その半数は女性である。

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石巻の大会の醍醐味は、その後の宴会に走る以上のエネルギーを使うことだろう。

宴会ともなれば、むしろ女性の方がパワーを発散することが多い。

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勿論男性陣とて負けてはいないが、どちらかと言えば2ショットを好む傾向にある。

ランナー仲間で共通の話題に事欠かない上に、

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多くの異性と会話できる貴重なチャンスだからだ。

女性の多くも子育てを終えて一段落と言った年代だから、再び輝く時代を模索している。

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そして人が若返るには、やはり異性との交流とちょっとした恋心かも知れない。

宴会を眺めていても、何だかみいぃ~んな生き生きと輝いている。

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そうして暫しの宴が終われば、「それじゃね~」と三々五々散っていく。

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大方が次の大会での再会を期して、それまで自分の日常に精を出すのである。

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実は私だって、マラソン大会などでは何時も青春時代を謳歌している。

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異性を見れば素敵だなぁと思い、少しながら気持ちをときめかす。

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もっとも何も起こりはしないのだが、華やぐ気持ちになるだけでラッキーだと思っている。

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お互いに、せっかくの人生だからね。

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2014年7月 6日 (日)

復活ラン

今日は、恒例の石巻登山マラソンである。

石巻山は、三河湾を見下ろす標高356mの石灰岩の山である。

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毎年この時期の、山頂近くにある石山荘を起点にした登ったり下りたりの大会である。

9:30、いつもの仲間達50人程と共に、葡萄や柿園の広がる方向に一斉に走り始める。Img_1667

とは言っても平地は最初の2k m程だけで、

その後は2,1kの急坂を登り下りしなければならない。Img_1669

ランナーがすれ違う度にお互いに激励の声を掛けあって、15k程の距離を走るのだ。

私もマイペースで1時間42 分、気持ち良い汗をかいて走り終えた。Img_1670

途中、「あぁ~、気持ちがいいなぁ~。二年ぶりの石巻だ!!」と、私を抜き去った男がいた。

野辺山の100kを奇跡的に完走したあのタケちゃんである。

二年間の闘病の末に血液癌を克服して、今日は昔同様に走っていた。Img_1672

正に、彼にとっての「復活ラン」なのだ。

人は「もう駄目だ。」って、身も心も落ち込ませてしまっては、それで終わりだ。

「なにくそ、病なんかに負けて堪るか!!」の気持ちの積み重ねが、

遂に復活の日を創ったのだ。Img_1673

朝晩20kの通勤ランをずうっと続けてきた根性が、容易に挫けない強い男を育てたのか。

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とかく人は自分に甘くなりがちだけど、敢えて荷物を背負う気概が人を強くする。

ともあれ、走り終わってから石灰岩の露出する山頂まで登ってみた。

眼下に豊川・豊橋の市街地が広がり、この一帯が一望に見渡せる。

この石巻には、戦国期には山城があって、平野部に睨みを利かせていたのだろう。

石山荘に引き返して入浴を済ますと、既に大宴会が始まろうとしていた。

汗をかいた後のビールは実に美味で、それに久しぶりの仲間との会話が楽しい。

まあ、和気あいあいの宴会は延々と続いて、旧交をたっぷりと温めたのである。

今日も、復活らんのタケちゃんを含め良い出会いに恵まれ、素晴らしい一日になった。

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2014年7月 5日 (土)

心の目

遠来人の皆さんとともに、遠州三山の古刹「油山寺」を訪れた。

油山寺は1300年程前、行基菩薩が開山した密教真言宗の寺である

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その昔、孝謙天皇(道鏡と縁のあった女帝)の眼病を、

るりの滝の水で平癒させた故事に因み、目の御仏様として知られる。

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その古刹を訪れ、快光住職の法話を伺い、なおかつ宝物の数々を見せていただいた。

この住職は、この三十数年間毎日朝晩の滝行をされている方で、

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心の闇に迷い込んでいる人々の相談にも乗っておられる。

目の御仏様と言うことで、眼病の方の祈願も多いが、

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それよりも心の悩みの相談が多いんだとか。

近世の豊かさは、私達の我儘を当然のように満たしてくれている。

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その一方で、本当の幸せとは何かを見失ってしまった。

毎日、るりの滝に打たれつつ、和尚はそのことを考えるのだそうである。

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実は仏は天国にいるのではなく、心の中にこそ存在するのである。

自分を律して他人に大らかになってみれば、心の闇は自ずと晴れてくる。

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様々な例を挙げながら、ご本人の生き様と併せ、大意でそんな講話であったか。

昨年2億6千万円程を投じた本堂が落慶したばかりである。

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実はこのお寺の檀家は40余戸でしかなく、多くが全国の信者の寄進なのだそうである。

講話の後、数々の書画や仏様を拝観させていただいた。

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鉄舟・海舟や西郷隆盛の書などが無造作に飾られていたが、

落慶した本堂の天井画もこれまた中々に味があった。

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それはともあれ、私が最も気に入ったのは和尚の書「不動心」であった。

それにしても、一万日も滝に打たれるとは生半可じゃない。

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2014年7月 4日 (金)

まちづくりの主役

今日は近江八幡市を訪れた。

近江八幡市では、平成19年に「協働のまちづくり条例」を制定し、

住民主体のまちづくりを進めている。

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人口八万余の街で、小学校区毎にまちづくり協議会を設立し、

その「まち協」が主体となって住民による住民のための様々な活動を展開している。

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活動拠点は、やはり教育委員会傘下にあった公民館を廃止して

再編されたコミュニティセンターであった。

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「八幡まち協」(人口1万2千人)の役員の皆さんのお話を伺って、

正に唖然というか、圧倒されてしまった。

「住民による活動とは、こういうことか!!」と、その質量ともに充実した活動に対してである。

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近江八幡は、言うまでもなく近江商人の古里である。

街の旧市街には古くからの商人の屋敷が軒を連ね、江戸期さながらの風情を残し、

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豊臣秀次の築城と共に作られた碁盤の目状の往時の城下町を彷彿とさせている。

住民の多くは本能寺の変で焼き討ちされた安土から移り住んだと伝えられ、

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信長も踊ったと伝わる「左義長まつり」もこの地に残されている。

琵琶湖を行き交う商船を通過させた八幡堀や楽市楽座など、

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自由商業都市だった歴史が自主・自立のこの地の風土を創ってきたらしい。

例えば、葦が生茂って荒れ果てていた八幡堀を今日の姿に復活させたのは、

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息長い広範な市民運動とボランティアの活動だった。

商人町の保全だって、その市民の力に負うところが大きい。

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そうした長年の市民活動が基礎となって、今日の「まち協」が出来ているのだと感じた。

健康づくり教室や育児サロン活動などを展開する福祉部会。

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自主防災や夜回り防犯活動などを進める安心安全部会。

八幡堀の清掃などを進める環境部会。

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子供塾や健全育成活動を推進する子ども育成部会

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市民運動会やハイキングなどを実施している体育部会。

納涼まつりや文化のつどいを開催している文化部会。

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HPやまち協だよりなどの広報活動を行っている総務部会などの分厚い活動である。

とてものこと、一朝にして真似のできるものではない。

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当然ながら、その活動を数百人の市民が分担して継続させているのだから。

やはり住民意識をつくっているのは、歴史と伝統そして指導者の力なのだ。

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2014年7月 3日 (木)

甲賀市へ

滋賀県甲賀市に来ている。

あの甲賀忍者の里なのだが、コウガとばかり思っていたらコウカなんだそうだ。

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元々は「深鹿」が由来らしく、10年前に広域合併して今は人口10万弱の市になっている。

訪問の目的は「地域の絆をどう育てるか」を学ぶことである。

甲賀市では自治振興会を中心とした地域内分権を進めていて、

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市内23の地区に、住民の様々な代表による自治振興会が組織されている。

その自治振興会に市から一括交付金が出ていて、住民による一種の自治が行われている。

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自治の中身は生涯学習や環境づくり、防災・防犯、健康福祉づくり、スポーツ・青少年健全育成などである。

住民の体育祭や文化祭、防犯や防災活動が振興会単位に展開されているのである。

私達の訪れた伴谷自治振興会は人口1万2千程の地区で、

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住民自らが「地域づくり3ヵ年計画」を策定して、各部会がその活動を進めていた。

実は今、私達の磐田でも、従来の公民館を廃止して「交流センター」に衣替えし、

地域活動の拠点にしようと準備が進んでいる。

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地域力の蓄積度合いの差もあって果たして上手く展開できるかとの心配もある。

そこで先進地域の活動をつぶさに学び、

これからの組織作りに生かさなければならないと言う訳だ。

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この伴谷地区でも昔からの地区長組織との調和など、色々と工夫しているようであった。

さすがに甲賀忍者の末裔・・・・?・・・であろうか。

確か伊賀忍者は組織力、甲賀忍者は個々の力量に秀でていたらしい・・・?

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そもそも地域の力は、その地域の活動の積み重ねで培われていく。

マクロに考えれば歴史そのものの反映でしかない。

ただ、誰かがその基礎の石垣を積み上げ始めなければ、何も変わっていかない。

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しかして、マンパワーの喚起が地域の絆を作るというっても過言ではあるまい。

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2014年7月 2日 (水)

趣味こそ人

今夜は、趣味について書きたい。

人は夢中になれる趣味があれば、それだけで心豊かになれると思うのだ。

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心酔している趣味は、その人の価値観を鮮明に映し出すもののようだ。

それにたかが趣味とは言え、一朝にして趣味になるものでもない。

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やはり一定の期間をかけてのめり込むと言うか、その醍醐味を体得することが大切だ。

そうしてやがて、それが何物にも代えがたい「いのちの趣味」になるかも知れない。

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趣味と言っても、旅行・スポーツ・音楽・文芸・園芸などと無数のジャンルが有る。

私もオートキャンプや囲碁、ゴルフやアマチュア無線などと、随分色々とやってきた。

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家族を連れて毎月各地でキャンプしていた頃があって、

雪上キャンプの経験も忘れられないが、それも子供が大きくなって止めてしまった。

囲碁は学生時代からめり込んで日本棋院の初段、

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町の碁会所の世話をしていた時期があったけど、長らくご無沙汰の限りだ。

アマチュア無線もスマホの時代への様変わりで消えてしまった。

ゴルフは早朝の打ちっぱなしでトラック何台分かの玉を打ったけど、私にはあわなかった。

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その他にも瓢箪作りとかロードレーサーや水泳、石集めとか鳩飼育などと遍歴した。

言うならば、そんな趣味の世界が私のもう一つの履歴書かも知れない。

ともあれ、結局のところ今も続いているのはランニングと園芸かな。

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この二つには、私のフリーな時間の全てを当てているから日課の様なものだ。

しかしながら、心配なのはどちらも体力を必要とすること。

特にランニングは一体何歳まで走られるのかと言うことである。

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勿論仲間との付き合いは生涯続くだろうが、

そうは言え、走ることが出来なくなる日が何時か来るに違いない。

すると、ランニングが「いのちの趣味」では無くなってしまうかもしれない。

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しかしまあ、それまでには今少し間が有りそうだから、オイオイ考えることにする。

この点園芸は、命の尽きるその日まで続くのではないかと感じている。

いずれにしても、趣味はその人間の心の世界そのものである。

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2014年7月 1日 (火)

年延い

年甲斐と書こうとしたのだが、トシバイの方が良かろうと思い直した。

「年相応の思慮・分別を備えた」ほどの意味だろうか。

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しかして、年相応の分別とは如何なるものかとの思案である。

長寿が当たり前になって、シニア層の社会的位置がどんどん高まっている。

消費行動にしても言動にしても、高齢者の動向は日に日に重みを増している。

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勿論、年金問題を含めてではあるが、

数は力であって、良きつけ悪しきにつけ時代の風になりつつある。

そこで問題なのが、「いい年をして、そんな・・・・」などと言われる年寄りの分別である。

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例えば私だって、四捨五入すれば古稀なんだから一昔前なら「お爺」には違いない。

現実に孫どもには毎日「ジイジ」と呼ばれて、はいはいと・・・返事しているのも事実だ。

しかしながら、「お爺のくせして・・」などと言われると、全く持って不本意なのだ。

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毎朝の立哨は超短パンにTシャツ一枚だし、それが私の普段の格好だ。

とてものこと、ジジイの格好では有るまいに !

山の中を猪のように走り回っていて、100kウルトラマラソンにも挑戦を続けている。

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果たして、これが年相応なのかどうか?

考えることだってかなり子供っぽいし、あちこちに首を突っ込んでウロウロしている。

まさに年寄りの分別とは程遠い生活と言われてもしかたない。

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しかし、「もう年だから」なんて隠居の発想は、昔作られた時代遅れの発想に過ぎない。

シニアの分別が抜け殻のような生き方だとしたら、そんなものは願い下げにしよう。

人生は、命を精一杯燃焼させてこそ何ぼのものだろう。

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だから、これまでの分別の概念を一新させる方が肝心なのではないかと思う。

つまり、「年延い」とは年をとる毎にますます輝くような生き方をすべきなのだ。

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とにかく、どんどん年甲斐の無い行動をしようと思っている。

そして「熟年の『サマ』は私達団塊の世代が創るのだ。」と臆面もなく考えている。

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