元気そのもの
明日からは9月で、あちこちで敬老会なるものが開かれる。
私もその主催者の一人だったこともあるが、どうもその「敬老会」の言葉が気にかかった。
それで年寄りを敬うだけでなく、みんなで祝おうという意味で「敬老祭」とした経緯がある。
ともあれ、私自身「老」と言う字が「老さらばえた」イメージでどうにも好きになれない。
人の歳のとり様は千差万別で、片や矍鑠として100歳を迎える人がいるかと思えば、
意識もなく寝たきりで生かされている人もいる。
それを十把一絡げに祝うことなんてとても無理なことだろうと思う。
とは言え、私の目にする年配者はみんな元気だ。
ちょつとした斜面を求めて走りに出かけると、どこの山でも年配者が黙々と登っている。
山登りが日課と言う人たちもいて、ワイワイガヤガヤと一種のサロンになっている。
「あの人、最近顔を見せないねぇ~。どうかしたのかしら?」などの声も聞こえてくる。
どなたも、歳は重ねても元気を失うまいと懸命なんだ。
若輩の私とて体力維持には、出来るだけ座らないなど殊の外努力している。
しかし、歳とともに頭髪は薄くなるし、
100kレースの完走が次第に難しくなってきているのは事実だ。
それに加齢を一番感じるのは老眼の進行で、新聞や文庫本が裸眼で読めないのが困る。
更に何時も往生するのが旅先でのことだ。
旅館に泊まって入浴する際、あのシャンプーとリンス、ボデイシャンが同じ様な容器で、
おまけにわざと小さくしているかと思うほど表示が細かくて、さっぱり見分けがつかない。
わざわざ老眼鏡携帯で風呂に入る人も無いんだから、何とかして欲しいものだと思う。
どうやらこの世の中、超高齢化社会と言われながらちっとも仕様が変わってないんだ。
だけど、これからの消費の主流は高齢世代だ。
もろもろの生活用品も、高齢者仕様に変えた方がキッと売れるね。
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