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2014年8月31日 (日)

元気そのもの

明日からは9月で、あちこちで敬老会なるものが開かれる。

私もその主催者の一人だったこともあるが、どうもその「敬老会」の言葉が気にかかった。

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それで年寄りを敬うだけでなく、みんなで祝おうという意味で「敬老祭」とした経緯がある。

ともあれ、私自身「老」と言う字が「老さらばえた」イメージでどうにも好きになれない。

人の歳のとり様は千差万別で、片や矍鑠として100歳を迎える人がいるかと思えば、

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意識もなく寝たきりで生かされている人もいる。

それを十把一絡げに祝うことなんてとても無理なことだろうと思う。

とは言え、私の目にする年配者はみんな元気だ。

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ちょつとした斜面を求めて走りに出かけると、どこの山でも年配者が黙々と登っている。

山登りが日課と言う人たちもいて、ワイワイガヤガヤと一種のサロンになっている。

「あの人、最近顔を見せないねぇ~。どうかしたのかしら?」などの声も聞こえてくる。

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どなたも、歳は重ねても元気を失うまいと懸命なんだ。

若輩の私とて体力維持には、出来るだけ座らないなど殊の外努力している。

しかし、歳とともに頭髪は薄くなるし、

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100kレースの完走が次第に難しくなってきているのは事実だ。

それに加齢を一番感じるのは老眼の進行で、新聞や文庫本が裸眼で読めないのが困る。

更に何時も往生するのが旅先でのことだ。

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旅館に泊まって入浴する際、あのシャンプーとリンス、ボデイシャンが同じ様な容器で、

おまけにわざと小さくしているかと思うほど表示が細かくて、さっぱり見分けがつかない。

わざわざ老眼鏡携帯で風呂に入る人も無いんだから、何とかして欲しいものだと思う。

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どうやらこの世の中、超高齢化社会と言われながらちっとも仕様が変わってないんだ。

だけど、これからの消費の主流は高齢世代だ。

もろもろの生活用品も、高齢者仕様に変えた方がキッと売れるね。

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2014年8月30日 (土)

箱根の坂

小田原城は、言うまでも無く北条早雲の築いた巨城だ。

今日残されている城と違って城域が広く、城中には侍屋敷は勿論田畑まであって、

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当時とすれば相当に画期的な城だったらしい。

伊豆の韮山を本拠に箱根の坂を越えた早雲は、戦国時代を先駆けて、

この小田原城を拠点に根気強く関東を配下に治めていくのだ。

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そして早雲が88歳で亡くなると、本拠の韮山で火葬され、

遺言によって箱根湯本の古寺〔早雲寺〕に葬られた。

それ程に、彼にとっての箱根の坂は大きな意味を持っていたのだろう。

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俗に「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と言われるが、

むしろ逆に、それ程に箱根の坂は大変な険路だったということが出来る。

事実、駿河と相模は箱根が隔てる全くの別国だったはずだ。

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司馬遼太郎の「箱根の坂」を読んで以来、一度は箱根の坂を歩いてみたいと思っていた。

先日期せずして小田原を訪れる機会が出来て、ついでに思い切ってその坂を歩いてみた。

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否、ついでに歩けるような坂である筈も無く、実際は結構苦労して歩いたのである。

小田原の町から直ぐに温泉場に沿って傾斜が続き、

果たして馬が登れたのだろうかと思われるような急な山中を延々と登っていく。

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苔むしたそま道には石畳が累々と敷き詰められ、崖にも古い石垣が積まれている。

一体何時の時代のものなのか?

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この20k近い斜面の細い道のためにどれ程の人々の汗が流されたのだろうか。

恐らく想像も出来ないような期間をへて、この箱根古道は出来たのだろう。

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果たして早雲も通ったであろう道を辿りながら、漠然と人間の不可思議を思っていた。

登り詰めて広がりに出ると、芦ノ湖の向こうに富士山が悠然と聳えていた。

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2014年8月29日 (金)

今日もまたかくてありなむ

昨日は市防災会議に、そして今日は広域合併時に発足した地域審議会に出席した。

この審議会は合併から十年になるから、今年が最後の年だ。

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それで最近考えている以下のことについて発言させていただいた。

「十年一昔と言うがこの間、役場が遠くなったと言うこともあって、

地縁(地域の縁)が薄くなったと言う印象はどうしても否めない。

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無縁社会と言われるが、これからは福祉にしても防犯・防災にしても、

それぞれの地域でこの地縁をどう育むかが大切だと思っている。

このためには、地域の将来を考えながら

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地縁を育てるための企画・立案・実行をしていく組織がどうしても必要だと考えている。

合併審議会は、合併後の街づくりを担保する意味では一定の意味を持ってきたが、

具体的に住民自らが創り上げていく役割・機能は持っていない。

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そこで地域づくり協議会のような組織を立ち上げて、自治会がコアになりつつも、

地縁を育てる活動に主体的に取り組めれば素晴らしいと考えている。

地域交流センターができるのを機に、

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そういう方向を模索したいので市の物心両面の支援をお願いしたい。」・・・が要旨だ。

ともあれ毎度会議に出るからには、何事かを発言すべしと心がけている。

それは昨日の文脈同様に、この所とみに月日の流れの加速を感じているからでもある。

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大袈裟に言うと、この月日を無駄にしてなるものかと言う気持ちが少しあるのだ。

まさに釈迦が死に臨んで語ったという「諸行無常」なるが心境だ。

もう少し最近の心境を書き連ねると、「昨日またかくて有りけり 

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今日もまたかくてありなむ この命何を齷齪 明日をのみ思いわづらう」

藤村の千曲川旅情の「小諸なる古城のほとり 雲白く 遊子悲しむ」に続く一節である。

当時の藤村は、赤貧の中で三人の子供と妻さえ喪って失意の只中にあったらしい。

しかし、その自らの境遇すらも淡々と織り込んで達観しつつこの詩を書いた。

そう、誰にとっても「今日もまた かくてありなむ」なのだ。 

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2014年8月28日 (木)

晩夏の一時

降雨のお陰もあって、このところめっきり涼しく過ごし易くなった。

毎朝の葡萄の収穫も最終盤になって、安堵の一方幾ばくかの寂しさを覚えている。

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毎朝暗いうちから良く頑張ったなぁと思いつつ、このひと夏の出来事を思い出している。

走った後の頭から水をかぶって涼感の素晴らしかった小笠山の日々、

暑さの中でもあちこち出掛けたし、思わぬ出会いや別れだってあった。

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救急車に乗るなんてハプニングもあったけど、

そんなこんなが、みんな花火のように明滅して通り過ぎていった。

顧みれば既に秋風が吹き、どうやらこの夏も最終盤を迎えている。

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どうやら晩夏の黄昏のひと時には、忘れかけている記憶を喚起させる魔力もあるらしい。

そりゃ何事にも、一区切りの終わりには一抹の心残りがあるもんね。

いやいや、一つの終わりは始まりでもある。

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今日からは小中学校の新学期が始まって、私の朝の立哨も再開である。

今朝は学期初めということで、自治会の安心安全ネットの人達も立哨に加わったから、

夏休みボケで寝ぼけ眼気味な子供たちも少々の驚きつつ、

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「今日から、新学期ッ」と言う気持ちを新たにしたんじゃないか。

とは言え、初めて街頭に立って子供達を見送る方も、かなり戸惑っている様子である。

立哨とは言え、機敏な意思が必要なのである。

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ともあれこの新学期と共に、私たちの秋も始まっていく。

防災訓練や敬老祭やらはたまた秋のレースが続き、天高く駄馬の走り回る秋になる。

先ずは来月早々に走る秋山郷の50kでは、北陸の秋を満喫できるのではないか。

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夏の日は昏れ、コオロギが涼やかに鳴き競っている。

彼らにも、残されている時間は残り少ないのだ。

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2014年8月27日 (水)

めくるめく

実は今日は幾つかの会議が続いて、やはり幾分疲れ気味なのかもしれない。

最初の会議は、市議会各会派の代表の皆さんとの懇談である。

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テーマを絞らずに、それぞれの地域課題について話し合う時間を持っていただいた。

当然ながら、自治会側として要望することが多くなる訳だが、

議員には議員の立場もあって、まったく意見が一致しましたってなことにはならない。

一つ一つの地域課題に対する目線を相互に理解しあったって感じかな。

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それでも年に一度だけど、話をする中で「気持ち」が少しずつ見えてくるものである。

考えてみれば、議員も「地縁」に大きく依拠しているはずだからね。

それを終えて、今度は連合会の臨時三役会である。

議題は「地域づくり協議会」を作っていくについての課題等である。

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来年4月から、ちゃんと新しいボタンを掛けられるだろうか?

これには、随分たくさんの課題がありそうである。

そして夜は、自治会長・防災会長合同研修会だ。

この秋から始まる防潮堤整備計画についてがテーマである。

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あの3.11以降、レベル1、レベル2と言う言葉が使われるようになった。

レベル1とは数百年に一度の地震、そしてレベル2は数千年に一度の大地震である。

国は早い段階から、レベル1への対策は進めるがレベル2への対策は出来ないと宣言してきた。

とてもそんな予算はありませんと言うことだ。

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だけど海岸地域に住む私たちにとって、スワ地震って時にレベルが1か2か何て分からない。

避難タワーまで逃げるにしても、予想される地震の津波は数分で襲来するのである。

高齢者や体の不自由な人は、とても避難などできないのではないか。

「やはり、それなりの防潮堤を造ってほしい。」と、県・市当局に要請をしてきたところだ。

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それが市長の英断で、20年をかけて整備を進めることが決まったのだ。

とは言え、予算が確保されての整備着手ではない。

かなりを民間の寄付を募っての推進になる訳で、わたし達も応分の努力が求められる。

それはともかく、防潮堤が作られつつあるというだけでも、安心度は高まるだろう。

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望むらくは、20年の工事期間をいかに縮められるかだ。

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2014年8月26日 (火)

学校だけでは?

自分の子供が卒業すりゃ、学校には関心が無くなるのが一般的だ。

否それどころか、家庭教育を放棄して子供を学校任せにしている親すらいる。

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一方学校では、教育の中身が複雑化しているだけでなく、

部活や非行対策・モンスター対応など教師達は繁多を極めている。

だから俄然、学校は物事を学校の中だけで処理しがちになっていく。

結果として、普通の人には学校の中で何が起こっているのかなど、分かるはずもない。

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そこで、もっと地域と関わりながらオープンな学校ができないかと言う試みが始まっている。

それが、コミュニティスクールだ。

私の住む学区でもこの指定を受けて試行錯誤が始まっている。

しかし、具体的に「どう関わるか」となると、それぞれ事情があるからなかなか難しい。

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学校運営協議会を作っても、形だけのものになりがちである。

そこで今日は、「学校は、今!」と題してコミュニティ・スクールフォーラムが開かれた。

協議会委員や教師、PTAなどが集まって、その在り方を考えようと言うのである。

かつて30歳代で当市の教育長を務めた文科省の山田素子さんを講師に、

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地元の人たちも加わってパネルディスカッションなどが行われた。

討論の中で感心したのは、城山中学の事例だ。

学校運営委員会の中に4つの部会を設置して、地域密着の活動を展開している。

1 地域人材掘り出し部会・・・・職業講座や体験学習などの支援活動

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2 文化伝承部会・・・・・・・・・・・はだか祭や見付大祭りへの参加と伝承、役割分担と教育

3 授業づくり部会・・・・・・・・・・教職員研修への参加と助言

4 学校づくり部会・・・・・・・・・・学校評価

協議会のメンバーには大学教授や大学生を含め22名、

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更には個々のメンバーは○×実行委員会の会長だったりするから傘下に専門家がいる。

・・ってな訳で、学校も地域も満足できる形で運営がされている。

勿論指導者を得たことや歴史的な背景も大きく関わっている。

ともあれ、この城山中学を目指すにしてはあまりにも人材不足だし、・・・・・・

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ともかく・・・学校の問題をあからさまに出してもらって、

地域で出来ることを一つ一つ見付けていくことから始める他なかろう。

それには、学校にも相当な覚悟が必要だな。

その学校も、明後日から新学期が始まる。

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2014年8月25日 (月)

生をたのしむ

杜甫の詩に「人生七十古来稀」(人生七十年 古来稀なり)の句が出てくる。

長寿が当たり前の今日、70歳では稀でも何でもないが、

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70歳に近づくに従って、その心境が良く分かるようになって来ている。

杜甫の詩文は「人生七十古来稀」の一節に続いて、

 「穿花蛺蝶深深見」(花をうがつ蝶が 深々として見え)

 「點水蜻蜓款款飛」(水に写る蜻は 款々として飛ぶ)Img_2184

 「傳語風光共流轉」(風光に伝えよう 共に流転して)

 「暫時相賞莫相違」(暫時 相賞して 相違うことなからん)・・・と詩っている。

人生七十年、どうせ長くもない人生だから、楽しむにしかずだ。

蝶々だって花の奥で蜜を吸っているし、トンボも水を叩いてゆるやかに飛んでいる。Img_2187

この大自然に伝え語ろうよ、共に流転しつつ生きる身なのだから。

しばらくであっても、お互いにこの時を愛であって楽しもうではないか・・・・と言うのだ。

正に同感と言いたいところだが、現実は宿題が次々と出てきてなかなかそうはいかない。

せめて楽しみながら事に当たるよう心がけるべきだろう。Img_2186

否、楽しめるよう苦労しようと言うべきだろうか。

一年間の丹精があればこそ収穫の喜びがあるブドウ栽培の様にね。

ところで今日一日は会議の日で、連合会の三役会議に続き理事会があった。

津波対策基金への対応や防災訓練計画、はたまた市行政への注文やらである。

どれも304自治会への周知を意識しながらの話だから、Img_2188

当然立場の違いもあって一様に進むものでもない。

合意形成を図りつつ、一歩一歩進む他はない。

杜甫のように、人生70年などと達観している場合ではないのである。

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2014年8月24日 (日)

救急患者のたわごと

昨日の書き込みにあちこちから「大丈夫か?」と心配いただいて、少々恐縮している。

救急車の乗り心地は決して心地良いものじゃないし、乗らないに越したことはない。

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しかしテキパキと容態を逐一病院に連絡しつつ、迅速に処置室に運び込まれた。

処置室では一気に血圧計が巻かれ血糖値と心電図等がPCに表示され、

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小腸が膨張していることが分かると腸のCT撮影、採血、担当医師への緊急連絡と続く。

私はこの間二度の嘔吐、一度の激しい下痢に加え滝のような汗であった。

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それでも一連の検査が終わる頃には痛みも大分治まって、

薬を戴いてタクシーで帰宅したのが午前4時近くだった。

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整腸剤とトンブク(痛み止め)を飲んで2時間ばかり仮眠して、ブドウの収穫を始めた。

救急患者から一転農夫に変身、嘘のような話だが事実である。

神は、貧乏人に片時の安息も与えてはくれないのである。

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ともあれ腸のほうは小康を保っているが、そもそもの原因はようとして知れない。

夏バテなのか、それともよもやのストレス性の腸炎なのか?

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世は正にストレス社会だから、とごにだってストレスは蔓延している。

同じストレスでも、人によって鋭く受け止める人と、さほど感じない人がいる。

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つまり要は、そのストレスにどう対応するのかが肝心なんであって、

一般的に人々は酒で憂さを晴らしたり、はたまたスポーツをしたり、

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良くないことだが女房に当たったり、不要な喧嘩をしたりするのが常だろう。

まあ、私の場合は先ずは走ることだが、

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それよりも、そもそも鈍感力に優れているからストレスを感じないと思ってた。

否、鈍感力ってのは力でも何でも無くって、単に鈍いってこと。

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或いは最近、その生来の鈍さが鈍って、ストレスを感じやすくなったんだろうか?

それにしても、腸がストレスで萎縮するんならともかく、膨張するってのはどういうことか?

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たわごとはともかく、調子が良くなるまでアルコールは止めることにした。

食べるものは女房のおかげでいつも質素だけど、更に質素に・・・とほほ。

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2014年8月23日 (土)

煌け晩夏の花火

今夜は、恒例のいわた(ふくで)花火である。

恒例とは言うものの、この太田川河口で打ち上げる花火には紆余曲折がある。

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30年前、海岸地域の青年達が「賑わいを創ろう」と寄付を募って花火を打ち上げた。

寄付と言ったって、そんなに右から左集まるものでもなし、悪戦苦闘の連続で続けた。

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遂に力尽きて今年最後となった時、俄かに「花火をなくすな」の声だった。

それで、町の商工会議所が乗り出して引き継ぐことになったのである。

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寄付の集まり方もグンとアップして、リーマンショックも乗り越えて今日に至っている。

その後の市町村合併もあって、今回が最初の「いわた」花火と言う訳である。

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もとより、数万発を打ち上げる袋井の花火のような豪華さはない。

だけど花火の全てが太田川の川面に写って、ちょつと良い感じの花火大会なのだ。

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午後からの凧揚げ大会に始まって、銭太鼓、ベリンダガールズの歌、よさこい踊り、

ハワイアンダンス、ゆかたペアコンテストと、河川敷広場では次々と行事が続く。

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ところで、暑かったこの夏もそろそろ終盤を迎えている。

この28日からは、小中学校も新学期が始まる。

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毎年のこととはいえ、暑かった夏を懐かしむ時期がすぐにやってくるのだろう。

この一年の繰り返しは人の一生にも似て、過ぎし日々は再び訪れることがない。

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一つの花火は、空に打ちあがってほんの一瞬の煌めきと共に儚く消えてしまう。

花火を見上げながら、「人の一生だって、同じ様なものだなぁ~」って思う。

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夜空に煌めいているその時が全てなんだ。

実は昨夜半、突然の腹痛で目が覚め激痛にそのまま動けなくなって、救急車中の人となった

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目を開けると病院の治療室 に冷や汗でぐっしょりとなっていた。

めったなことも無かろうが、或いはこのまま・・・・・と微かに考えていたようだ。

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医者などの世話になるのはいったい何十年ぶりの事だったろうか?

何でも小腸全体が腫れていて水も溜まっているとか、そう言えば確かに下腹が膨れている。

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治療のおかげで小康を得て明け方には帰宅することができた。

しかしながら、たかが小腸が腫れたぐらいで何も考えられなくなったのには驚いた。

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今夜は、人間の他愛無さも噛みしめながら煌めく花火を見上げていた。

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2014年8月22日 (金)

老者を活かす

世は、高齢者のあふれる時代である。

私も定年〔60歳〕をとっくに過ぎたという意味で、老者の部類に入るのだろう。

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そして今日ただいま、この国には私と同年輩者が溢れかえっている。

而して、その老者の多くが年金にぶら下がるしかない無為徒食生活で、

何時の間にか老人の境涯に追い込まれつつある。

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その年金だって、何のかんのと減らそうとする力が働いているのだが・・。

ともあれ個人差はあるにしても、70歳なんてまだまだ働ける年代ではないかと思う。

現実に企業人や政治の世界じゃ70歳程度ではバリバリの現役だ。

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老害などと揶揄するむきもあるが、何もすべてが若けりゃ良いって限りは無い。

バリバリの彼らは、矍鑠としてこの時代をリードしなお盛んだ。

一方のサラリーマン諸氏は、定年になった途端に老い込んでしまう。

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もとより両者の気力体力にそんなに違いが有る訳じゃない。

その違いは、マラソンで言えば通過点とゴールの違いだろう。

60歳定年をゴールと決め込んで全力疾走してきたら、やれやれってなるのも当然だ。

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もう走らんでも良いってね。

人間はメンタルが肝心で、何ほどかの課題を抱えていたほうが毅然と生きられる。

それを定年というゴールラインによって、引退の引導を渡しちゃっている。

一方のバリバリ組にとっては、60歳はせいぜい何番目かの関門通過地点でしかない。

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行動力だって判断力だって、経験に裏打ちされて十分役割を果たしている。

まあそれにしても、不景気〔失われた20年〕が続いたこともあって、

この国では老者を生かす仕組みが出来ていない。

以前高齢者ももっと働くべきだと書いたら、「若者の仕事場を奪うな」とコメントがあった。

しかし、それなりに歳をとっているからこそ出来る仕事だって結構あるはずだ。

歳をとったら引っ込め・・・などと言う発想はもう御免こうむりたいものである。

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2014年8月21日 (木)

地縁の宿命

今日は、同じ市内の御厨公民館を訪れた。

来年4月からスタートする「地域づくり協議会」の事例研究である。

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御厨地区の人口は2千余、予てから公民館活動が活発で、体育大会やら文化祭をはじめ、

老人宅を訪問する活動や青少年健全育成活動などを活発に展開している。

それでも近年では行事がだいぶ減って、納涼祭、ハイキング、マラソン大会、

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バレーボール大会、インディアカ大会、ソフトボール大会などは休止しているという。

簡単に言えば住民の価値観の多様化のためと言うことになるが、

参加者もその担い手も減って行事を維持できなくなったのだ。

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ほんの少し前まで(昭和30年頃まで)、人々は生まれた地域で働いてその地で死んでいった。

ところが今じゃ住まいは単なるねぐらで、生活の基盤はそれぞれ他にある。

なにもそんなに熱心に近所づきあいをする必要が無いということだろうか。

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それに今じゃ、娯楽だって幾らだってあるからね。

・・・ってな訳で、地縁は薄くなる一方なのが現実だ。

実は自治会活動は、最低限の地域コミを維持しようと踏ん張っているに過ぎない。

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現実には、高齢世帯の増加に伴うもろもろやら、防災やごみ処理・防犯もあるしね。

さてこそ私の地区は人口2万人弱、この地区で果たして実効性のある協議会が可能かどうか。

実際に企画し・行動できる組織でなければ意味がないと思っている。

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地域住民が自らの意志で地域のことを考えると言うのは、今時容易いことではない。

多くの住民は誰か(自治体)が準備してくれると思っている。

だけど、財政的にももうそんな時代ではなくなりつつあるのだ。

はてさて、この地域をよりよく変えていく力は何処にあるのか?

そのためのコアとなる組織が地域づくり協議会なんだが…。

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2014年8月20日 (水)

歩み続ける

極めて当然ながら、人は毎日自分の人生を歩み続けている。

夜明けを待って起き、食べて排泄し、一日の何がしかを仕出かして眠る。

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大抵は、そうやって月日を費消していく。

しかしながら、同じ様な繰り返しに、

時に「毎日毎日生きるのも、結構疲れるもんだ」と思うような事だってある。

空を見上げれば、入道雲が西から東へ流れていく。Img_2144

逆らうようにして鷺が一羽、何の用事が有るのか一路南西の方角に飛んで行く。

思えば、私達の毎日だってあの鷺の用事とさして変わらないのではないか。

山で汗をかいても、100kマラソンを走ったとても、葡萄を育てたとしてもそれだけのことだ。Img_2157

家族のことを思って進退しているとしても、

それとて家族はそれぞれに生きている筈である。

それ程、諸々を気負って背負い込んむことは無かろうとも思うのだ。

まぁ~時にそんなことを思うのも、切迫した生活をしていないからだろう。Img_2145

苦労が無いというか、恵まれていると言うべきだろうか?

やはり家康公の言うとおり、人生は重荷を背負いて行くがごとくであろうかと・・・。

ともあれ、この暑さに茹だって倦怠感を覚えたとしても次の瞬間には又走り出している。Img_2165

雲の向こうには幾つかの宿題も待っているし、丹後の100kレースだって近いのだ。

やるべきことをやってこその人生であろう。

人間は生まれ、生き、そして死んでゆく。Img_2164

それだけなんだが、それはそれなりにとっても重いものだ。

そう思い込むことが、肝心なんだろうと思う。

 行到水窮処 〔行きては 水の窮まる処に至り〕

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 坐看雲起時 〔座しては 雲の起る時を看る〕

王維の白雲悠々と題する詩の一節である。

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2014年8月19日 (火)

自分ってヤツ

人にはそれぞれ個性があって、そいつを大事にしながら生きている?

それが一般的常識なんだろうが、そもそも「個性」って何ぞやって思う。

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それぞれの環境が作り出した癖であって、環境が変われば癖も変わるのではないか。

かなり昔のことになるが、女性団体の歌に「自分らしく生きよう・・♪」なんて歌詞があって、

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その歌詞が気になって直後の挨拶で「今歌った自分らしい自分って、

考えたことありますか?」って発言したもんだから、

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キョトンとされてしまって・・・・「理屈っぽいヤツ」と思われたんだろう。

だけど私は、自分なんてものは徐々に創り上げて行くものであって、

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始めっから在るものじゃないと思う。

にも拘らず、学校では個性を大切にと教えるし、自分に合った仕事を探しなさいなどと言う。

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極め付けは結婚で、自分〔の個性〕に適った人を探すのだというが・・・・?

そんなヤツが居る訳が無いんで、性的要求の赴くままに結婚するに若かずである。

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それが妙な教育をするもんだから、「僕には、合った異性がいない」何てことになる。

私なんかエイヤアって結婚して2年ほどして、「あぁ、しまった」と思った。

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それで、これは彼女を変えなきゃならんと思って、二言くらい文句を言うと、

何とこれが十倍くらいになって返ってくるのだ。

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そのうちに返ってくるのが茶碗や箸になって・・・!!

とてものこと相手(の個性)を変えるなんて出来る訳もない。

ここは静かに、自分を変える他あるまいと観念した次第ではあるが・・・・。

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まあ事ほど左様に、人間は環境に順応するように出来ているのである。

それにアレだね。

みんな普通の人間で、特別な自分なんてのは無いってことだね。

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2014年8月18日 (月)

磐田モデル

3.11のあの大震災以降懸案だった防潮堤の工事が始まる。

磐田モデルとは、捨て場所の無い大田川掘削土等を使って安価に工事を進め、

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裾野を広く取った防潮堤の法面には防災林を復元するやり方だ。

レベル2では最大12mの津波が予想されるが、防潮堤の高さは14mになる。

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ともあれ20年の歳月を要するとは言え、その安心の第一歩であることは確かだ。

問題は必要な資金の大くの部分を寄付に依存していることだ。

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市は、この10年間に事業に必要な30億円のうち5億円を広く一般から募ることにしている。

もとより容易に集まるような金額ではないが、

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防潮堤の延伸と共に基金も増えることを期待したい。

自治会の一人としても、何らかの募金運動をすべきではないかと思っている。

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ともあれ今日は、県や市の関係者、商工会議所・商工会、市議会議員などが集まって、

工事の安全と完成を祈願する地鎮祭が開かれた。

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鍬入れも堤防型に見られた砂山に向かってである。

この暑さでテント張りの下は蒸し風呂状態だったが、

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津波対策になるとなれば何のそのの我慢である。

計画ではこの堤防の最上部は幅5mだから「宮城県の千年希望の丘」のような、

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11kの細長いの海の見える公園になれば素晴らしいだろう。

堤防上を往復するハーフマラソンが出来たら・・・勿論20年後だけど私も出場するさ!!

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2014年8月17日 (日)

命の営み

夜明けとともに日が昇り一日が始まり、やがて夜がやってくる。

この夏も間もなく秋風が吹き、日長がグングン短くなって冬を迎える。

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ずっと続くかと思われるその冬も、ほどなく春を迎え一年が繰り返す。

寝て起きて、食べて排泄して、そうしているうちに子供が生まれ、この世を去る人もいる。

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命の営みは、すべてが繰り返しである。

但し同じ繰り返しのようで、同じ日・同じ年・同じ人生なんて在り得ない。

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生きているということが、常に何事かを求めている限り新しさを加えていく。

否それが新しいことなのかどうかは兎も角、新奇と聞けば行ってみたくなる。

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今日は、先月オープンした春華堂(うなぎパイ)の菓子ミュージアムに出かけた。

各種の菓子作りを見せながら小奇麗に販売する新企画の店舗である。

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ケーキやらパイ、蕨もちや赤飯を垂涎させるように展示・販売している。

夏休みの日曜とあって押すな押すなの盛況である。

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ともかく甘い香りに誘われて異空間での一時を過ごしたのである。

人はかくのごとく、味わい、語らいかつ笑い、時には涙してその営みを続けている。

人生は、その営みに如何程のドラマを演出し得るかに尽きる。

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小心に生きればそれなりの、大胆に生きたからと言って成功するとは限らない。

それでも身の程を精一杯に羽ばたくのが、命の肝心なのではないか。

迷い戸惑い悩むことだって、人生の大切な一部なのだ。

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この夏の終わりとともに、スポーツの秋が始まり遠征が続く。

どこまで続けられるか、自分への挑戦である。

所詮は一度限りの人生だから、自分の不幸を他人のせいにする様な生き方はすまい。

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望むらくは、感謝とともに生きたいものだと思っている。

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2014年8月16日 (土)

人間 到る処青山在り

我が家は、4世代10人が同居している珍しい世帯である。

今じゃどこだって家族の縁も薄くなっていて、我が家だって同居しているというに過ぎない。

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縁が薄くなるのは、生活がそれぞれみんな違うからだ。

かつては、自分が生きるために親父から農作業の一部始終を学ばねばならなかった。

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当然ながら、親父を見る息子の目線も違ったはずだ。

とは言え、我が家でもたまには小旅行ぐらいには出かける。

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昨日の午後は、蒲郡の竹島近くの古いホテルで食事をしてきた。

何でもホテル登録第一号の産業遺産とかで、つくりはアールデコ様式の城郭風建築である。

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マジックショウなどもあってそれなりに楽しめたが、値段はかなり高めであった。

それはともかく、どこに行っても代わり映えしないという印象が残った。

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誰とどこでどういう時間を過ごしたかの方が肝心で、旅行そのものに余り意味がなくなった。

寝て起きあれこれと動き回って食事して、そうやって毎日が過ぎていく。

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夜は10時過ぎには横になるのが常だが、暑さの故か寝る格好に苦労している。

右になったり左になったりうつ伏せになったり、クーラーなぞはついぞ掛けたことはない。

それでも安眠しているのだろうか、3時ころの新聞配達の音で目が覚める。

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それから明るくなって鳥が鳴きだすまで、半分夢を見ているのである。

今日はあれをして、その次にはこれをしてと・・・・一日をなぞっていることが多い。

ともあれ、朝飯も仕事も家族一人一人の行動はそれぞれ別々である。

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そういう意味では何も同じ屋根の下で暮らす必然性は何もない。

ただ便宜上、その方が安上がりと言うか好都合だからに過ぎない。

近頃、「身軽になって、気儘な暮らしをしたらどうか」と思うことがある。

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只、ブドウが困るなぁとか、色々とあって惰性を打破するのは容易なことではない。

しかしながら、何処にだって俺一人生きるくらいの青山は在ると常に口ずさんでいる。

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2014年8月15日 (金)

69年

私は、親父が戦地から復員して生まれた子供である。

あの狂った戦争を指揮したのは、一体全体どんな正常人だったのか?

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結果として310万の死者と諸外国にそれ以上の死者を出した。

とてものこと、正常な人間のやることとは思えない。

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しかし、私たちの先祖が仕出かした出来事であることに間違いはない。

その狂った戦争から、既に69年と言う月日が流れた。

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戦後、強いられたとは言え不戦の誓いのもとに過ごしてきた69年である。

再び他国を攻めるなど有り得ない選択だが、中国・ロシアの支配下で暮らすのも嫌だ。

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70年の時を経て、眠れる獅子がようやくその姿を現しつつある。

軍事大国としての中国である。

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覇権を進めようとするかの国に対して、確かに安全を担保したい。

集団的自衛はその為だろうが、私たちの69年の不戦の誓いと矛盾しかねない。

さてこそ、今日は戦没者慰霊祭に出席した。

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小中学生の広島慰霊の報告もあって、私も静かに菊の花を手向けてきた。

馬鹿馬鹿しい戦争をしてはならない。

しかし、この国の主権はキチッと守らねばなるまい。

若くして戦地に散った叔父の遺影が、確かにそう言っている。

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2014年8月14日 (木)

色即是空

田舎はお盆の最中で、迎え火を焚いたり、盆切りに回ったり仏教者らしく振舞う。

盆切りは、昔から村中の初盆のお宅を回る習わしである。

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その多くが会ったこともない方々なのだが、とにかく村中が初盆宅を訪ねて動き回る。

今年は5軒だったが、私の見知った人は一人だけだった。

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しかしながらそれぞれのお宅を訪ねていくと、

「あぁ、ここにこんな人が住んでいたのか」と改めて知るのである。

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誰がどこでどんな暮らしをしていようと、さして意味はないのだが、その現実は見えてくる。

人は何だかんだと御託を並べているが、死んでしまえばそれだけでしかない。

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それに、その生活の在り様が御託に通じていることもある。

実は今日は葬儀もあって、般若心経に続く三日の修證義を聴きながら人生を思った。

この国では高齢化もあって年々死ぬ人が増えてきていて、年間130万人ほどにもなった。

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これが2030年頃には160万人を超えそうだというが、多分私もその一人なのだろう。

ともかく、生まれて来た以上は一度は死ななければならない。

死を前提にするならば、この世のもろもろの事(色)は須らく空虚(空)になる。

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そして仏教では、この世に残るのは因と縁だと教える。

私流に解釈すれば、人と人がどの様に関わり合って生きたかが全てと言うことになる。

松明を焚き盆切りに出かけるこの盆は、その縁を新たにする機会なのだ。

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さて問題は、色即是空・空即是色である人生をどう生きるかということである。

経文には、当然ながら好き勝手なことをやって生きろとは書いてない。

殺すな・盗むなから始まる十戒を守って生きれば、天国に行けると言うのだ。

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十戒は至極当然なことの羅列だが、それ程誰もが品行方正に生きられるものかどうか。

しかも、もし天国も地獄も来世も無いとなったらどうなるのかと言うことについて、

きわめて残念ながら明確にされてはいない。

とは言え、色即是空とはこの世の在り様の正鵠を突いている。

Oll  is  yanity

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2014年8月13日 (水)

災害と一緒に暮らすんだから

田舎に暮らす私なぞ、山を走り田圃の広がりを眺めて暮らしているから、

春夏秋冬その変化を愛でているし、自然の営みの中で生きていることを実感している。

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都市に暮らす人達も台風で交通機関が途絶えたりすると、途端にそのことを思い出す。

自然豊かなのだが、実はこの列島は自然災害がきわめて多い稀な地域らしい。

日本列島の面積は、世界の陸地面積の400分の1でしかない。

しかるに世界中で起こる大地震の2割、火山の噴火の1割が日本で起こっている。

勿論、沿岸部に集中して住んでいるから津波の脅威にいつもさらされている。

それに加えて、毎年のように幾つかの台風に襲われるのだから、

他国の十数倍の自然災害のリスクを背負って暮らしていることになる。Img_2147

この点、日本に住むブラジル系の人々は災害を知らないから鈍感だ。

自主防災会の訓練になかなか参加しないのも、そんな感覚の違いがあるからだろう。

先日、被災地の釜石に長期派遣されていた県職員の体験を伺う機会があった。

彼は家族と共に被災地に住み、救援活動に従事してきたのである。

子供さんは、あの釜石の奇跡で有名になった小学校に通ったという。Img_2146

あの小学校では、全校生徒が一旦は校舎の三階に避難していた。

想定通りなら、それで安全と判断されたからである。

ところが学校の前に道を中学生が「津波が来るぞっ・・」と叫びながら山の方に向かう。

それを見た子供達が、階段を下りて中学生の後を追った。

その後この学校の屋上を超える12mの津波が襲った訳だから、Img_2145

あわや小学生全員が犠牲となるところだった。

奇跡と呼ばれる所以だが、これとは別に「釜石の悲劇」と呼ばれる出来事もあった。

決められた避難所が高台にあって遠いと言うんで、

避難訓練の際だけ便宜的に避難所として使っていた公会堂があった。

この仮の避難所に避難した全員が亡くなってしまったからだ。

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避難訓練がアダになった訳だが、同じ様な訓練でもちゃんとやることが大切だ。

習い性となって、その訓練が自らの命を救うことになるかも知れないからだ。

9月1日の総合防災訓練ももう直ぐである。

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2014年8月12日 (火)

皆有営

人にはそれぞれ選び取った生き方がある。

もちろん幸不幸も含めて、自らの思い通りになる人生なんて無かろう。

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思い通りにならないからこそ、悔しいし一面で面白いのかもしれない。

寂しいことだが、時に人は何故か根拠もなくヤキモチを焼くものだ。

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隣の芝生が青々と見えて仕方ないが、水や肥料を施しているのを知らないのである。

悪者を仕立てて自らを慰めても何も得られるものはない。

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韋応物の五言古詩の一節に

 貴賤強異等 (貴賤 等を異にすと言えども)

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 出門皆有営 (門を出ずれば 皆営むあり)

 微雨夜来過 (微雨 夜来過ぐ)

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 不知春草生 (知らず 春草の生ずるを)

 誰謂薄世榮 (誰か 世榮を薄くすと謂うや)・・・・抜粋だが、

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「処世の違いは色々とあっても、世の人々は一度家を出れば営利を求めて、

それぞれ何事かを営んでいる。Img_1922

折から昨夜は小雨がひとしきり降ったから、この雨で草も一斉に生え出すだろう。

自分は世間の栄誉を軽んずる奴だと言われるが、とんだ見当違いだ。」と心境をうたっている。

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応物は自分を取り巻くそのままを涼やかに詩にしているが、

古代中国の世を思えばその生臭さも相当なものだろう。

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ともあれ人は人、一生懸命に自分の人生を生きれば良いのだと思っている。

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2014年8月11日 (月)

聞蝉

朝六時過ぎ、ブドウの調整作業をしている私に蝉の大合唱が降りかかる。

蝉しぐれなんて優しさではなく、岩をも突き通す嵐のようでさえある。

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「そんなに忙しく鳴いて何とする?」と思うのだが、蝉たちは夏の短さを知っているのだ。

思えばこの夏も既に立秋を過ぎ、朝だって日の出が随分遅くなった。

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それに一昨日はツクツクボウシが鳴いていたし、日暮らしのあのカナカナって音も聞こえる。

蝉の声を聴きながら、「あぁ~、これは挽歌だ」と思った。

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蝉にとっての夏は、この世からおさらばする刹那でしかない。

だから私たちには、殊更せわしなく蝉の声が聞こえるのではないか。

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それに「急がなきゃならないのは、或いは俺かも知れない」と気付いたのである。

蝉たちは、まさに全身全霊で秋の到来を告げている。

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翻って秋から冬を迎えようとしている自分は、未だにもろもろを迷い続けている。

悟ることなんて、何一つ有ったろうか。

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孔子の言った「知命」の歳をとっくに過ぎたというのに、何一つ達観など出来ないでいる。

黄土に、蝉の死骸が一つ二つ転がっている。

おそらく昨日まで、忙しく騒がしく鳴いていたあいつではないのか?

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蝉の命にも人生にも、おのずと限りがある。

私はそしてあなたは、蝉ほどにしっかりと鳴きおおせているだろうか?

悩み嘆き、怒りそして笑い、悔しがっては後悔し、また改心しては一歩進む。

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毎日毎日が同じ繰り返しだし、そうやって無為に月日が流れていく。

これで良いのかオーシーツクツク・・・・・。

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何時しかセミの鳴き声が、般若心教とダブって聞こえていた。

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2014年8月10日 (日)

日本人の芯棒

植物も人間も芯棒がなくっても生きられるけど、芯棒があれば真っ直ぐ立って居られる。

戦後の民主主義は芯棒のない猿真似ではないかと思っている。

言い過ぎのきらいもあるが、本質を自分のものにしていない点でやはり猿真だろう。

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この国の歴史は、優れた外国の文明を受け入れ咀嚼することで転換してきた。

古くは稲作文明を、そして儒教・仏教や都市づくりをはじめとした中国文明で国を創った。

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そして圧巻は、明治維新以後の二十年ほどだろうか。

社会制度をはじめ、汽車からガス灯に洋服、社交ダンスに石鹸からパンまで、

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「上等舶来」は文明開化とばかりに受け入れ、世界列強たることを悲願に驀進していく。

俯瞰してみれば、それが戦前までのこの国の歴史だろう。

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だがそれでも和魂洋才の掛け声通り、まだまだ武士道や儒教が広く染み渡っていて、

それがこの国に住む人々の芯棒的な規範だった。Img_1633

しかしながら戦争に負けて、過去がすべからく否定される時代になって、

日本人の生き方が根底から覆され、本来失ってはならない芯棒までが悪者にされた。

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倫理と言う言葉すら教育の場から忌避されたし、儒教や武士道は戦犯扱いになったのだ。

代わって気儘な「自由」を謳歌する訳だが、

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それが何時の間にか義務や責任を伴わない自分勝手放題主義になっていく。

ほんの少し前の政変も、悪者を作ってそれを梃に権力を得る手法したように、

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モンスターの如くやりたい放題、言いたい放題、他罰主義がまかり通る時代の到来だ。

欧米諸国の自由は、言うまでもなくキリスト教の教え(芯棒)を前提とした自由である。

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それはボランティア精神や博愛主義だったりと、基本は普遍的な社会規範だ。

神の前では、手前勝手が許されないのは当然のことだ。

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日本でも少なくとも戦前までは、行動規範として孔子の教えや武士道が残っていた。

だから子供の躾だって、卑怯なことはするなとか、嘘をつくな、師を敬えなどと…。

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或いは「孔子はこう言っている、だから守りなさい」などと、かなりの説得力があった。

この私だって母親から教えられて、当時は「かあさんは偉いなぁ~」と思っていた。

だけどそりゃ、みんな修身で教えられたことの受け売りだったようだ。

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しかしながらその受け売りが大切で、売るべき規範を持たない今の親は哀れなものだ。

しこうして今日の子供達は、「人間とはかくあるべきもの」と分からないまま成長してしまう。

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この国は今、物差し(規範)の違う人達の群れになって、右往左往の振幅を広げている。

やはり、「芯棒のない猿真似はだめだよ」と思うのだ。

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2014年8月 9日 (土)

世界の果ての通学路

久しぶりに映画を見て「生きるって、そういうことだよな」って思った。

フランスの映画だが、ストーリーも何もない。

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ただひたすらに、四組の学校に通う子供たちの姿を追っている。

夏休みももう半ばで、私の毎朝顔を合わせて来た子供たちはどうしているだろうか?

「もうすぐ夏休み!」とにっこり微笑んでいたあの子、たぶん真っ黒に日焼けしてるだろう子。

何不自由なく学校に通う子供達とは違って、映画に登場する子供達は「命」そのものだ。Img_2152

象の群れを避けながら15kのサバンナを駆け抜けていくケニアの兄弟。

幼い妹を気遣いながら、石ころの山や砂地を抜けて2時間かけて走って学校に向かう。

履物だって自分で作った粗末な草履だ。

「僕は勉強して、世界の空を飛ぶパイロットになるんだ。」と目標は鮮明だ。Img_2154

パタゴニア平原の18kを馬に乗って通学するアルゼンチンの兄弟がいた。

幼い妹を馬の後ろに乗せて、山を越え谷を越えての通学である。

「お兄ちゃん、前に乗りたい。」と言う妹に馬の傍らを歩く兄貴の顔。

初めて一人で馬に乗って本当にうれしそうな妹に「手綱を離すなよ!」と13歳の兄貴が言う。

アトラス山脈の22kを越えて学校に向かう少女達3人、一人が足を痛めて動けない…。Img_2155

手に持つ布袋には一羽の鶏が入っていて、町に着くとこれで食べ物と交換するのだ。

これはもう旅行だ。

兄の乗った車椅子を押し・曳いて泥濘の道を通う3人兄弟。

ごく自然に当たり前のように足の不自由な兄とともに、道なき道を行く。Img_2156

その兄は「貧乏なのに、足の不自由な僕を学校に通わせてくれる。大きくなったら、

医者になって、僕のような子供を助けるんだ。」と澄んだ目で語る。

子供達にとって、学校に行くってことは自分の人生の希望そのものなのだ。

学校に行くってことが、こんなにも大変で運命的なことだなんて考えてもみなかった。Img_2157

今月末には学校が始まる。

子供達を見送る私の目線が、少しだけ変わるかもしれない。

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2014年8月 8日 (金)

自在の身

 「高臥閑行自在身」(高臥 閑行 自在の身)

 「池邊六見柳條新」(地辺 六たび見る 柳条の新たなるを)

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白居易の池上閑吟と題する詩の冒頭部分である。

自分は何時何処でのんびり横臥しようが、気儘に歩き回ろうが、

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全てが許される自由の身になった。そうしてこの自在の身になって、

我が家の池のふちの柳が新芽を吹くのを六度も見た。・・・と始まり、

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だが未だ達者でそれなりの働きが出来ると続く。

白居易62歳の作とされるが、

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私も定年から既にまん丸6年を経て、おおむね白居易の心境に達している。

かつての宮仕えは38年間も勤務したんだから随分長かろうと思いきや、

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今にして思えば人生のほんの一時に過ぎなかった。

あんなこんなの苦労や失敗の数々は思い出すが、それとて既に遥か昔のことになった。

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トータルで考えれば、良い上司や同僚に恵まれて、それなりに良い時を過ごしたのだろう。

そしてこの定年後の6年間は、また新たな現実の中を生きている。

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すべからく自分の選択した道だし、

身も心も達者で自分の出来ることなら、何にでも挑戦すべしと考えてきた。

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閑居して過ごすも、四囲に見聞を広げて過ごすも同じ一生であろう。

目一杯羽ばたいたとしても、それでも狭く小さな世界でしかないのだ。

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所詮は自分の歩いた目の届く範囲しか分からないのである。

それでもせめて自分の足跡を記そうと始めたのが、このブログである。

そしてモノローグは、既に三千余日となった。

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歩いてきた人生は面白くもあり、時に空虚でもある。

だからと言って逡巡していても詮無い、いかに生きたのかが人生の全てなのだから。

ともかく「高臥 閑行 自在の身」なのだと、改めて言い聞かせている。

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2014年8月 7日 (木)

ファシリテータ

立派な日本語があるのに、やたらとカタカナ言葉を使いたがる風潮がある。

フリーダムを自由と訳したように、仮に適当な日本語が無ければ言葉を創れば良い。

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集会をフォーラムと言えば、さも立派な集まりのように思われる。

つまり、カタカナ言葉は一種の目くらましなのである。

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ともあれ今日の本題はそのカタカナ言葉ではなくって、ファシリテータのことである。

ファシリテータとは、「スムーズに事を運ぶ人」とでも理解すれば良いのだろうか。

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実は今日、小学5年から高校一年生の集まる「こども会議」なるものがあった。

市内の各学校から選ばれた60人が集まって、

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「自分達が成長していく上で大切なこと」について話し合ってもらおうという会議だ。

緊張気味な子供達は4~6人のグループに分かれている。

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今日初めて会った、しかも年代も違う子供同士がテーブルを囲んでいる。

「さぁ、どうするのか?」と思っていると、そのファシリテータなる人達が登場して、

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先ずは「最初はグー・・・とジャンケンゲームを始めた。

ファシリテータの言うグウ・チョキ・パーに対して、素早く反応するゲームだが、

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子供たちが一番苦労していたのは、ファシリテータに負けなければならない時だ。

ジャンケンに勝つことは習い性となっていても、意図的に負けるのは苦手って訳だ。

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まぁ~、そんなウォーミングアップの後、「大人に守ってほしいこと」についての話し合い。

それぞれの発言を模造紙に書いていく。

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更にグループを入れ替えて、今度は「自分達が大事にしたいこと」について話し合う。

年齢差のある子供達が一つのテーマで話すなんて出来るんかいなと思っていたのだが、

ファシリテータのお兄さんお姉さんたちは、笑顔で子供たちを引っ張っていく。

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最初は緊張していた子供達だが、次第に打ち解けていく。

それぞれの発言だけど、小学生も高校生もさして違いはない。

要するに「自分の言うことをちゃんと受け止めて聞いてほしい」と言うこと。

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そして子供達は「一人一人を認め合う」ことだって、ちゃぁ~んと知っている。

さてこそ今日の子供会議の結果は、市の児童憲章づくりのベースになる。

ファシリテータ(ボランティア)の皆さんは、

ちゃんと子供達から必要なことを引き出してくれたのではないか。

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2014年8月 6日 (水)

食い物

終戦直後の生まれで、麦飯とサツマイモで大きくなった世代だ。

それでサツマイモやカボチャはタップリと食べてきたから、今では手が出ない。

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お袋が今でも、「あの頃、卵を食べさせてやりたかった。」と時折言う。

庭で飼っていた鶏の卵すら換金して、家族の口には入らなかった時代だったからね。

それでもお彼岸には小豆を煮てボタ餅を作ってくれて、

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甘いものに飢えていたから特別美味しかった。

時は変わって飽食の時代である。

だが歳の故なのか、それとも愚妻に調教されたのか、とんと食にはこだわらない。

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炊きたてのご飯に味噌汁、それに塩昆布でもあれば、もうそれで十分である。

肉や魚・揚げ物もたまには食すが、そんなに食いたいとは思わない。

ランニングの後などには、ご飯は特別に美味しくなる。

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それに出来損ないのキュウリなどの野菜があるから、これも食べなきゃならない。

まあ~兎に角粗食で、年金生活に入っても食費に関してはあんまり困りそうに無い。

ところで私は毎年、畑で特大のニンニクを育てている。

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その今年収穫した大量のニンニクが、一度も食べずにそのままになっていた。

この暑さの最中である・・・、ふと夏ばてが気になって、そのニンニクの山に目が向いた。

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そう言えばこのところ暑さでぐっすり眠れないなぁ~などと思いつつ、

「そうだ、ニンニクを食おう」と思い立ったのである。

それで善は急げで、早速大粒のニンニクを油で揚げて食べることにした。

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ところで、ニンニクは癌の予防にも良いらしい。

そう言えば、あのドラキュラの嫌いなものは日の光と十字架、それにニンニクだ。

何故ニンニクなのかと思っていたら、

あの吸血鬼は、実は癌のことらしいとどこかに書いてあった。

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日の光は運動や殺菌力、十字架は精神力、そしてニンニクは栄養と強力な臭気だ。

そう言われてみれば、三つとも癌に効きそうではないか。

運動とニンニクは揃ったから、後は精神力かぁ~・・・・。

まあ、そんなことを思いながらニンニクを片手に焼酎を頂いた次第である。

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2014年8月 5日 (火)

我が農園

雨を期待したのだが、今日も飛びっきりの夏日になった。

窓の外には剣道部の小気味良い竹刀の音と歯切れの良い気合が続いている。

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それに中学野球選手権だろうか、隣の球場のアナウンスの声も時折響いてくる。

夏休み中とは言え、学校には部活や夏期講座でかなりの生徒が登校してきているのだ。

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さてこそ、過ぎ行くこの夏の毎日を振り返っている。

考えてみると、私の日常の時間の大部分は作物と共に過ごしている。

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8品種の葡萄の収穫は真っ盛りだが、その他にも様々な野菜を作っている。

この時期はオクラにキュウリ、ナスに人参、サツマイモに落花生、

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枝豆にゴーヤ、ミニ冬瓜にピーマンなどを栽培している。

遊びで毎年ゴーヤのトンネルを作るのだが、何故か孫達は見向きもしない。

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大量に作っているサツマイモと落花生は保育園の子供たちの為の物だが、

葡萄の他オクラとキュウリ・ゴーヤは毎日女房が市場に持っていって金に替えている。

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とてものこと消費しきれないからだが、私にとっては売ることに関心は無く、

兎に角汗をかいて栽培し、その結果としての収穫が唯一の醍醐味になっている。

そんな訳で、朝は五時前から畑に出ているし、帰宅すれば直ぐに畑に出る。

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畑に空きスペースがあれば、次々と時期を追って育苗するのだ。

この時期は、秋きゅうりと白菜の育苗中だし、ホウレンソウ作りの準備も始まる。

作物を育てることは、後々の期待を育てることだと思っている。

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今しかない、もしくは「あとがない」ような刹那的な生き方とはかなり違う。

人は多くの場合、後が無いと考えるからがむしゃらに突進する。

ところが畑では、常に次は如何しようと考えるのである。

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恐らく私たちの祖先だって、ずぅ~っとそうやって生きてきたのだと思う。

効率が悪いからって、安易に輸入すりゃなんてのは、如何にも刹那的生き方だな。

そうさ、農園には何時も明日の希望があるんだ。

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さて次は、何を作ってやろうかってね。

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2014年8月 4日 (月)

唯我独尊

人生の全ては自己の確立の上に成り立っている。

それぞれ一人ひとりが尊い存在で、「俺は俺」で納得できりゃそれで良い。

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釈迦はそんなことを言いたかったのではないか、などと余分な事を考えていた。

実は今日は、はまぼう学府一貫教育研修会があって、

小中学校・幼稚園の先生達と共に、発達心理学が専門の渡辺弥生先生の講演を伺った。

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先生は『先ずは、どのように子供の感情が育まれ変化していくのかを知るべきだ』と言う。

子供が問題行動を起こすのは、「どうせ俺なんて・・・」と言う自暴自棄から始まる。

強圧的なしつけや虐待が子供の攻撃性や衝動性を高めるのだ。

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逆に褒められたり認められたりすることで子供の自尊感情が育まれていく。

自分を大切にする気持ちが思いやりなどの他者への心の広がりを作っていく。

しかも子供の心は、乳幼児期からの親との関わり方で大方が決まってしまうらしい。

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親に先ず求められることは、「子供に積極的に反応してやること」だ。

子供の応答性が高まれば、自然に自律へと成長していく。

鏡に映る自分が分かるのは何歳からか?

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『後ろめたい』感情を持つようになるのは、何歳だろうか。

自分の事と他人の事の区別ができるのは、さらに成長してからだろうか?

「うん、うん」って頷いて人の話が聞けるようになるのは?

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子供がかんしゃくを起こすのは何故だろうか?

要はそれぞれに発達過程があって、少しずつ出来るようになるんだ。

そいつを知って、上手く子供の感情を育ててやることが必要なのだ。

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性格のせいにして片付けないで、その深層を考えると長所に転換できるかもしれない。

まぁ~、3人の孫たちと接していても一筋縄ではいかないし、子育ては難しい。

それに今日の親達は仕事もプライベートも忙しすぎて、子供と接する時間が限られる。

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親が気が付いた時には既に手遅れってなことが多い。

家庭と学校が共に歩むことがきほんだが、

子供の「自尊」を育てるために地域も一役かって、子供を育てる社会環境を作るべきだ。

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地域全体としての「子育ての社会常識」運動、

例えば、元気な挨拶とか、TVを見ながら食事しない、夜のスマホは止めるってな事かな。

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2014年8月 3日 (日)

過去を耕す

今日は高校の同窓会総会に来賓として招かれた。

例年をはるかに上回る盛会で、役員の皆さんのご努力もあるが、

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遥奈さんが駆けつけて下さってのミニライブの効果も大きかった。

遥奈さんは2年前卒業したばかりの新進気鋭のシンガーソングライターである。

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ミニアルバム「深海彼女」やシングル「クローバー」を出していて、

K-MIX静岡で「遥奈の音楽日和」を担当したりと、徐々にその活躍の幅を広げつつある。

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代表歌「春と消えた」では、私には春の歩幅は大き過ぎた・・・と歌っている。

さしずめ高校の3年間は「春」だったのかも知れない。

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ともあれ同窓会というのは、ある意味で過去を耕すことだろうと思う。

とかく私達は毎日を前のめりに、今日ただいまに囚われて忙しく生きている。

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だけど時には、フッとその今を離れて、過去の世界に出かけてみるのも大切なことだ。

私の高校時代は、受験地獄のただなかであんまり良い思い出はない。

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だけれども毎年のように同窓会には出席していて、その度に来し方の厚みというか、

重さみたいなものを感じて帰ってくることが多い。

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自分にも17~8歳という不安と希望を抱えた青雲の時代があったことの再確認である。

言うならば同窓会は、その時代へ手っ取り早くタイムスリップする道具のようなものなのだ。

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長寿高齢化のこれからの時代には、同窓会はこれまで以上の意味を持つ集まりになるかも知れない。

その演出だって、往時を映像で想起させるようなやり方もあるだろう。

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そして人は、過去を少しだけ耕すことで、新たな元気を得られるかも知れない。

かつての学友の活躍に拍手したり、その人生観から学んだり、

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若い人達にだって人生の糧を提供できるようなやり方があるだろう。

ともかく、同窓会を楽しく意義ある会に成長させる時代が到来していると思う。

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2014年8月 2日 (土)

男と女

自分で言うのもなんだが、異性に関しても随分うぶだったな~と思う。

異性なるものが分からなかったし、或いは女性も自分と同じようなものと思っていたかも。

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それで就職して最初の職場で出会った女性と結婚した。

「妻を娶らば才長けて、見目麗しく情けあり」と信じ込んでいたのである。

しかし一緒に暮らすようになって直に、

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自分とは行動基準も価値観も何もかも違う生き物だったことが分かる。

しかしその頃には子供が出来て、とにかく男と女なんてことよりも夫婦が大切になった。

働いて家庭を支えるのが男の仕事といった社会通念も大きかったかな。

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それにその頃には仕事が忙しく、帰宅は夜中と言ったパターンが続いていた。

だから家のことはすべてカミサンにまかせっきり。

俄然、嫁さんの権限が家中隅々に及んでいて、私は雇われ亭主に成り果てていた。

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特に子供達は、みぃ~んなカミサンの味方で、多勢に無勢。

なるほど味方のはずで、カミサンの育児は子供を甘やかすことが全てだった。

たまに顔を合わせる親父は叱るばかりだから、勝負は始めから自明だ。

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本来は母親がきちっとしつけて、

父親は「まあまああ、母さんそんなにきつくしなくっても・・」てのがが理想だよね。

男と女なんて不得手なことを書き始めたら、ついつい愚痴になっちゃった。

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ともあれ、男の場合妻をめとる段階で人生の7割方が決まるんだだろうな。

世の中には色々な夫婦が有るけれど、そんなこんなを乗り越えて生きている。

子育てに限らず苦労はつき物だし、そりゃケンカだってするだろう。

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そして私の愚痴なんて、苦労でも何でも無いんだろうと思う。

最近では結婚しない男女が激増して、結果として少子化に拍車を掛けている。

一定の経済力がありゃ、好んで結婚して苦労することは無かろうってことらしい。

しかし人生ってのは、その苦労も人生の大切な要素になっている。

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楽珍な人生なんて、生きなかったのと同じことになるような気がする。

まぁ~、今日は息子の家普請の地鎮祭で、自らの来し方を邂逅していたのである。

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2014年8月 1日 (金)

夏の海辺

炎暑が続いているから、海岸の砂もさぞかし灼熱地獄の様になっているだろうな~。

かつて夏には、みんな海へ海へと出掛けたっけなぁ~と回想している。

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だけど最近じゃ、海はあんまり歓迎されていないようだ。

四囲海に囲まれてた海洋民族も、意外と海との接点は少なくなっている。

先日回った浜名湖でも、海水浴客には外国人ばかりが目立っていた。

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3.11の大津波以降、どうやら私達は海岸を忌避する傾向もあるようだ。

かつての海水浴場は何処だって人が一杯で、砂浜の砂が見えないほど賑わっていた。

浅瀬は人が多くって濁っているから、綺麗な水を求めて何時も沖に泳ぎ出た。

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そこから振り返って浜辺の雑踏をみると、何だか別世界を覗いているような気がした。

ところが近頃では、こぞって夏を海で過ごすなんてことは無くなった。

今の人達は、海岸で砂にまみれて遊んだりしないのだ。

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他に遊ぶ所が幾らもあって、みんなクーラーのきいた快適な所ばかりだし、

それにリッチな人は海外の涼しいところにだって向かう。

どうやら今日の私達日本人にとっての海は、

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親しむというよりも、精神的な結界としての意味合いが強いようだ。

海の向こうの国々との隔たりとしての海であり、水平線の彼方で思考は終わってしまう。

それに貿易や漁業のための港湾を別にすれば、

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日本人は海を欧米の人たちほど積極的に使おうとしていない。

オーストラリアやニュージランドでは、「シーサイド」と言うだけで高級リゾートだ。

ヨットを浮かべ海洋スポーツを日常的に楽しんでいる。

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静岡県には約500k、私の住む磐田市には11kの海岸が有るけれど、

それでも多くの人達にとって海は決して身近なものじゃない。

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毎早朝、かすかにシラス漁船の音に聞こえてくると少しだけ海を意識する。

この私だって、海岸に踏み入るのは年に一度の海岸清掃だけだからなぁ~。

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