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2014年8月10日 (日)

日本人の芯棒

植物も人間も芯棒がなくっても生きられるけど、芯棒があれば真っ直ぐ立って居られる。

戦後の民主主義は芯棒のない猿真似ではないかと思っている。

言い過ぎのきらいもあるが、本質を自分のものにしていない点でやはり猿真だろう。

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この国の歴史は、優れた外国の文明を受け入れ咀嚼することで転換してきた。

古くは稲作文明を、そして儒教・仏教や都市づくりをはじめとした中国文明で国を創った。

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そして圧巻は、明治維新以後の二十年ほどだろうか。

社会制度をはじめ、汽車からガス灯に洋服、社交ダンスに石鹸からパンまで、

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「上等舶来」は文明開化とばかりに受け入れ、世界列強たることを悲願に驀進していく。

俯瞰してみれば、それが戦前までのこの国の歴史だろう。

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だがそれでも和魂洋才の掛け声通り、まだまだ武士道や儒教が広く染み渡っていて、

それがこの国に住む人々の芯棒的な規範だった。Img_1633

しかしながら戦争に負けて、過去がすべからく否定される時代になって、

日本人の生き方が根底から覆され、本来失ってはならない芯棒までが悪者にされた。

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倫理と言う言葉すら教育の場から忌避されたし、儒教や武士道は戦犯扱いになったのだ。

代わって気儘な「自由」を謳歌する訳だが、

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それが何時の間にか義務や責任を伴わない自分勝手放題主義になっていく。

ほんの少し前の政変も、悪者を作ってそれを梃に権力を得る手法したように、

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モンスターの如くやりたい放題、言いたい放題、他罰主義がまかり通る時代の到来だ。

欧米諸国の自由は、言うまでもなくキリスト教の教え(芯棒)を前提とした自由である。

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それはボランティア精神や博愛主義だったりと、基本は普遍的な社会規範だ。

神の前では、手前勝手が許されないのは当然のことだ。

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日本でも少なくとも戦前までは、行動規範として孔子の教えや武士道が残っていた。

だから子供の躾だって、卑怯なことはするなとか、嘘をつくな、師を敬えなどと…。

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或いは「孔子はこう言っている、だから守りなさい」などと、かなりの説得力があった。

この私だって母親から教えられて、当時は「かあさんは偉いなぁ~」と思っていた。

だけどそりゃ、みんな修身で教えられたことの受け売りだったようだ。

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しかしながらその受け売りが大切で、売るべき規範を持たない今の親は哀れなものだ。

しこうして今日の子供達は、「人間とはかくあるべきもの」と分からないまま成長してしまう。

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この国は今、物差し(規範)の違う人達の群れになって、右往左往の振幅を広げている。

やはり、「芯棒のない猿真似はだめだよ」と思うのだ。

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