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2014年8月29日 (金)

今日もまたかくてありなむ

昨日は市防災会議に、そして今日は広域合併時に発足した地域審議会に出席した。

この審議会は合併から十年になるから、今年が最後の年だ。

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それで最近考えている以下のことについて発言させていただいた。

「十年一昔と言うがこの間、役場が遠くなったと言うこともあって、

地縁(地域の縁)が薄くなったと言う印象はどうしても否めない。

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無縁社会と言われるが、これからは福祉にしても防犯・防災にしても、

それぞれの地域でこの地縁をどう育むかが大切だと思っている。

このためには、地域の将来を考えながら

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地縁を育てるための企画・立案・実行をしていく組織がどうしても必要だと考えている。

合併審議会は、合併後の街づくりを担保する意味では一定の意味を持ってきたが、

具体的に住民自らが創り上げていく役割・機能は持っていない。

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そこで地域づくり協議会のような組織を立ち上げて、自治会がコアになりつつも、

地縁を育てる活動に主体的に取り組めれば素晴らしいと考えている。

地域交流センターができるのを機に、

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そういう方向を模索したいので市の物心両面の支援をお願いしたい。」・・・が要旨だ。

ともあれ毎度会議に出るからには、何事かを発言すべしと心がけている。

それは昨日の文脈同様に、この所とみに月日の流れの加速を感じているからでもある。

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大袈裟に言うと、この月日を無駄にしてなるものかと言う気持ちが少しあるのだ。

まさに釈迦が死に臨んで語ったという「諸行無常」なるが心境だ。

もう少し最近の心境を書き連ねると、「昨日またかくて有りけり 

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今日もまたかくてありなむ この命何を齷齪 明日をのみ思いわづらう」

藤村の千曲川旅情の「小諸なる古城のほとり 雲白く 遊子悲しむ」に続く一節である。

当時の藤村は、赤貧の中で三人の子供と妻さえ喪って失意の只中にあったらしい。

しかし、その自らの境遇すらも淡々と織り込んで達観しつつこの詩を書いた。

そう、誰にとっても「今日もまた かくてありなむ」なのだ。 

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