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2014年9月30日 (火)

落花生

落花生を育てている。

薩摩芋と同様に保育園児達のための物だ。

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薩摩芋は既に子供達が収穫して、畑は彼らが踏み均して広場のようになっている。

それで今日は、落花生の収穫に子供達がやってきた。

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落花生は、咲いた花から一筋の管が降りて地中に入りその先に実をつける。

花が落ちて実を生らすから落花生と呼ばれる。

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少し珍しい生態の植物なんだけど、そんなことを保育園児に説明しても分かる筈もない。

実は、落花生の収穫はもう少し秋が深まってからと考えていたんだけど、

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二羽のカラスが引っ切り無しにやってきて、穿り返してピーナツだけを食べてしまう。

それで止む無く、収穫しようよって事になったんだ。

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子供達は「ピーナツ、好き!!」とか言いながら株を引き抜くのだが、

どうも自分たちの食べるピーナツと地中の落花生とはイメージが結びつかない様子だ。

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しかし最後は、段ボールに何杯かの収穫物を持って、意気揚々と帰っていった。

はて、この収穫物は誰が食べることになるのだろうか?

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ともあれ、これで葡萄に薩摩芋、落花生と今年の教育ボランティアは終了である。

今週から少しずつ畑を耕しなおして、白菜と玉ねぎの畝を作ろうと思っている。

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葡萄が樹に成って、薩摩芋は蔓から繁殖し、落花生が花が地中で実をつけるように、

子供達にも様々な個性があるし、その生育環境にもかなりの差がある

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子育てに熱心な母親の一方で、まったく??無関心な親だっている。

実は先日、地区社協の主催で子育て支援講演会を開催したんだけど、

小学校・幼稚園・保育園の全員に開催通知を配布したのに、集まったのは30人足らずだった。

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幼児を抱える母親のために、保育コーナーだって準備したんだよ。

仕事が忙しいとか、スポ少があるとか色々と事情はあるのだろうが、

それにしても幼児教育が強調される昨今、その理解不足に呆れるほど驚いた。

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子供は学校任せにして自分勝手な生活をし、気に入らなければモンスターだ。

苛め防止法ができたが、子供の人間関係のもつれをイジメだとねじ込む親馬鹿。

一体全体この国の家庭教育はどうなっているんだろうか。

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そんなこんな考えると、子供たちの教材作りに汗を流すのも何だかむなしい。

父兄の一人として「手伝いましょう」なんて人はいないしね。

しかし、誰かがやらなきゃ・・・・と思いつつ、多分これからも続けるだろうな。

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2014年9月29日 (月)

韋駄天

外道に盗まれたお釈迦様の骨をその足で奪い返したとされる、

どこまでも風の如く疾走するインドの神様である。

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俊足と言う意味では?だが、どこまでも走るって事では私達ランナーに似ている。

とりわけウルトラを走る人々の気持ちの中には、彼方のゴールーへの執着心が強い。

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昨日も、最終ランナーは制限時間超過の17時間近くを走り続けた方だった。

約束の門限を過ぎたのだけれど、

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私達はランナーの「最後まで・・」と言うその気持ちに寄り添ってゴールでお待ちした。

もう一人が、私が72k地点でピックアップした若い男性である。

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最後尾に付いていたAさんが別の方を見送っている間に見失ったランナーだ。

ロードバイク担当に探してもらったのだが、それから2時間近く消息が分からなかった。

各エイドが次々と撤収する中で、已む無く私が72k地点で待つことになったのである。

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辺りはもう真っ暗になって、流石に電車に乗って帰ったのではないかと諦めかけた頃、

向こうから歩いてくる一人のランナーが車のライトで浮かび上がった。

「居たっ!!」・・・・たった一人で完走を目指していたのである。

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私が話しかけると、「迷惑を掛けました。残念だけどここでリタイアします。」と言う。

車に乗ってから彼は「どうしても、100kを走りたかったんです。」と語り始めた。

「自分の足に自信があれば、何処までも行かれる。走っている人が羨ましくって、

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だから毎日練習して、今回初めて100kに挑戦したんです。

でも遅いし、ほんとに残念です・・・・、どうしたら良いんでしょう?」としょんぼりしている。

鈍足の私が走ることを楽しんでいるあれこれをお話しすると、随分元気になって、

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「来年、もう一度出直して絶対走って見せます。」と仰る。

ゴール地点に帰ると、一人の泣きはらしている女性がいた。

ゴールしてくるランナーを横目に、声を出してオイオイと泣いている。

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「私も、頑張ったんだ・・だけど・・・」彼女は80k地点で精根尽きて電車に乗ったのだそうだ。

いつも言うように、100kは人の足では途轍もなく遠い距離だ。

そんな距離を、かくも苦労しながら何故走ろうとするのか。

今朝ホテルで、清水市の年配のランナーにお会いした。

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「本当に、ありがとう御座いました。時間一杯だったけど、初めて100kを走りました。

こんなに嬉しいことはありません。

エイドは何処も心が篭っていて・・・」と晴々と語って下さった。

そう韋駄天の神様は、苦労と裏腹に私達に達成感と自信を与えて下さるのだ。

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2014年9月28日 (日)

エイドの一日

未だ暗い午前五時、浜名湖弁天島海岸を皆さんは元気良くスタートして行った。

ランナーを見送って、私達は直ちにそれぞれのエイド地点に移動である。

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最初の21k地点にテントを建て、あらかじめ下準備しておいたトン汁を作る。

このエイドでは、お結びに梅干、そして特製のトン汁を食べてもらう。

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それから私の育てた葡萄も十分食べて元気を出してもらうよう準備する。

実はこの100kの間、原則として10k に一箇所のエイドを設けていて、

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それぞれのエイドで担当者が責任を持ってランナーをもてなすことにしているのだ。

だから、エイドごとにそれぞれ個性がある。

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もう一箇所の私の72kポイントでは、伊藤さん特製のトン汁にソウメン、

冬瓜汁、それに加えてトマトをたっぷりと用意した。

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70k過ぎが一番疲労が出てくる頃で、

食欲を無くしたランナーは必ずトマトに塩を振って食べていく。

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雲ひとつ無い晴天の元、暑さの中でこのトマトが実に良く売れた。

もう疲れ果てていて、頭から水をかぶって正気を取り戻す人も多い。

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私もそうだが、100kレースではこの70k過ぎからが精神力の勝負なんだ。

とは言えランナーの間隔は大きく開いて、先頭ランナーの通過が12時10分。

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最終ランナーの通過が何と17時15分だった。

その後に更に後れて続くランナーがいて、

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この方はエイド撤収後18時にピックアップさせてもらった。

一人でも行方不明のランナーを出すことは出来ないからね。

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早朝から20時まで、たっぷりとエイドの一日が終わった。

ランナーの皆さんも大変だけど、実は私たちもそれなりに汗をかいているのである。

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走る仲間の手作りのこのレースは、人と人のネットワークで運営されている。

私も全国各地のレースでお世話になっているからね、恩返しさね。

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2014年9月27日 (土)

晴天の浜名湖

今年も、いよいよ明日が浜名湖100kウルトラマラニックである。

この大会は私たちランナー仲間の手作りの大会である。

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それで今年は21kと72kエイドも担当することになって、実は一昨日からてんてこ舞いであった。

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今朝から特製のドン汁の下ごしらえである。

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午前は子育て支援の講演会もあって、浜名湖入りは午後になった。Img_0311

エイド地点の確認を含めて浜名を一周したが、ピーカンの秋空でパノラマが広がる。

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改めてこの穏やかな浜名湖を味わうには、いろんなやり方があるのではないか。

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この浜名湖を、私達は十二分に活かしていないのではないか。

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午後3時過ぎにスタート地点の弁天島に着くと、今度はエイド資材の配分と積み込みである。

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その間に、ランナーが次々と到着してきて、嫌が上にも雰囲気が盛り上がる。

そして6時からはウエルカムパーティである。Img_0327

主催者代表のHさんの挨拶に続いて、ランナー代表に北海道の毛利さんが立った。

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ともあれ、ランナーの交歓が進む中で、叔父さんバンドの演奏が始まる。

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興に乗ったランナーたちがダンスを踊りだすなど、良い雰囲気になった。

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そこに乗り込んできたのがタップダンスチームである。

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彼女たちは、毎年この大会に素晴らしいタップを披露してくれる。

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タップダンスは猛烈なエネルギーのダンスで、まさにマラソンとよく似ている。

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ことに高校生のグループのタップは、圧巻のダンスであった。

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ランナーの皆さんも、彼女たちに随分エネルギーを貰ったんじゃないか。

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タップのリーダー曰く「私たちと皆さんは臭いが同じなんです。」って・・・・。

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ともかく明日は5時スタートに向けて、午前3時から準備が始まる。

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明日は晴天の浜名湖をたっぷりと楽しんでもらおう。

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2014年9月26日 (金)

日々の流れを

このところ、連日のように会合が続いている。

ともすれば、会議に流されかねないと思いつつ、自分の役割を見つめている。

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例えば昨日は、O市の自治会連合会の皆さんをお迎えし、昨今の課題について意見交換した。

どこも同じような課題(超高齢社会化への対応や地域の担い手問題)を抱えている。

その中で少しずつ工夫しながら、次の時代を模索しているのだ。

それを終えて、午後は地区社協の四役会議だ。Img_0294

当面の様々な取り組みの最終確認を終えると、既に晩方になっていた。

続いて今日は、連合会の三役会議、午後は理事会である。

この数か月課題になっていた津波対策基金への取り組みがようやく決まった。

今年度から3か年間、毎年度一戸当たり500円を目安に募金を募ろうということだ。Img_0296

6万戸の全てが協力してくれたとしても、総額は知れたものである。

しかし、この町を守る防潮堤を市民一丸となって作り上げたのだという気持ちは大切だ。

当然ながら県や市・国も、そうした市民の熱意にこたえてくれるのではないかと言う期待もある。

ともあれ、しっかりと説明して募金活動を始めることが大切だと思う。Img_0297

そして今夜は、「夏祭り花火実行委員会」の決算総会である。

何しろ手作りの花火大会だから、寄付金集めから運営・決算まで特定の実行委員の負担になっている。

この辺も含めて改善点は多く残されているが、ともかく24回目の大会は成功裏に終わった。Img_0298

そのいずれもが、基本的にボランティアでやっていることだ。

忙しいなどと、愚痴を言っている場合ではなかろう。

これからの時代は、ボランティアこそが力を発揮する時代なのだと思う。

日々の流れをしっかりと受け止めて、一歩一歩前に進みたい。

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2014年9月25日 (木)

積み重ね

人は、日々の行動の積み重ねによって、自分の人生を決めていっている。

積み重ねの結果として、選び取った自分だけのの土俵が出来てくる訳で、

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ある日突然周りの景色が様変わりしてしまうなんてことは在り得ない。

そういう意味で、すべては自己責任なのである。

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かく言う私自身が、これまで如何なる積み重ねをしてきただろうかと考えている。

確かに馬齢こそは刻んできたにしても、これをやってきたという自覚もない。

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強いて言えば、ずうっ~と走り続けてきたし、このブログもそうだが書き続けてきた。

怠惰な私がブドウの栽培を始めて、もう20年飽くことなく世話を続けている。

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だからどうだと言うこともないが、よくよく考えてみると「今」はそれらの延長線上にある。

40代の頃、とてもではないが将来を見通すことなんてことは不可能だった。

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だけど確かに、あの頃におぼろげに考えて積み重ねてきた結果が今日なのだ。

羽目を外したり無駄なことだって色々と体験してきたけど、それはお飾りに過ぎなかった。

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他人は隣の芝生が緑に見えるようで、時に妬み心が露わらになる場面がある。

しかし当の本人は、やはりそれなりの積み重ねしかしていない人のようだ。

他人を羨んだとしても、或いは他罰に偏したとしても何も得るものはない。

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例えば100kマラソンを走ろうとしたら、あなたならどんな積み重ねをするだろうか?

とてものこと、積み重ねなしで走ることなんて不可能だと気付くはずなんだ。

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それと同じで、長い人生はすべてそれまでの積み重ねの結果でしかない。

それに新たな物事は、その人の積み重ねの上に重ねられていく。

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人生の分かれ目は単純で、それを選び取るか否かで決まっていく。

そんな簡単なことを、今になって「あぁ~、そうなんだぁ~」と思い始めている。

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2014年9月24日 (水)

老徴社会

人は誰でも歳をとる訳だが、それが今では一昔前に比べてとてつもなく長寿になった。

最近26%を越えたばかりの65歳以上の高齢者人口割合は、

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やがて2055年には4割になるんだとか。

おまけにその内認知症高齢者の割合も、15%から28%を占めるようになるんだと言う。

長寿は結構な事だが、問題は2025年から介護保険料を負担している40歳以上の人口が減少していくことだ。

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年金財源の枯渇問題もさることながら、

介護老人が増えて負担者が減るんじゃ介護制度の維持自体も危機に晒される。

当然、介護保険料を引き上げていかざるを得ないが、それとて限度がある。

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対処法の決め手は無い訳だが、国は各自治体に「地域包括ケアシステム」を構築しろと指示を出している。

地域の様々な資源を総動員して、超高齢化時代への自主的な対処方法を編み出せというのだ。

「包括ケア」などと説明されても、「介護保険料を払っているんだし、そりゃ自治体の仕事だろう。だから俺にゃ、関係ない」と考える人が一般的だ。

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ところが、包括ケアで取り分け強調されているのが「自助」と「互助」なのだ。

つまり自分の健康は自分で管理して、助けが必要になったら家族や友人・地域社会で何とか支えて頂戴と言うことである。

元気な日本を取り戻したいのは山々だが、構造的な問題は容易に解決できまい。

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老徴とは、肌にシミや皺ができて老化を傍目にも感じさせることだが、

この国のあちこちにそんな老徴が出始める時代になったと言うことだろう。

とは言え、先のことを憂いてばかりいても仕方が無い。

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それよりも、元気な老人社会を創り出すことが肝心じゃなかろうかって思っている。

仮に社会全体に老徴が現れつつあるにしても、現実の熟練世代は決してプアーではない。

年金に依存しなくたって、その気になれば経済力も社会的発言力もかなりある。

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それに何よりも、文化活動や趣味の世界を含め旺盛な消費行動力を持っている。

ITだってそれなりに使いこなしているし、若い人達とだって一緒に行動も出来る。

残された人生を楽しむ遊び心さえ持っていれば、この老徴社会を明るく出来るはずだ。

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私達は、もっともっと若く振舞って「やんちゃでヤング」であっても良いのではないか。

特に私達団塊の世代は、そんな「やんジー」・「やんバー」になることを目指したい。

草栄識節和 〔草栄えて 季節の和むことを知り〕

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木衰知風厲 〔木が枯れだすと 風が冷たくなってくる〕

雖無紀歴志 〔暦の記録が無くても 〕

四時自成歳 〔四季は自ずと歳をとらせる〕

怡然有余楽 〔それでも依然として 心楽しく〕

于何労智慧 〔何に小ざかしい智慧をはたらかすことも無かろう〕

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2014年9月23日 (火)

背景

物事には、すべからくそれぞれの背景がある。

どんな事件にだって、何故そんなことになったのかと言う訳があるだろう。

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私達の日々の行動や立場だって、それなりの背景を前提に成り立っている。

だから、仮に生まれた時や場所が異なったとしたら、全く別の人生を歩むはずだ。

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背景と言うものは、歴史や人々の生活とは切っても切り離せないものだろう。

静岡市立美術館で山本二三展をやっていると聞かされた。

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間もなく終わりと言うので、会議を終えて慌ただしく覗いてきた。

二三は、アニメーションの背景画家で、あの「もののけ姫」や「時をかける少女」

「ルパン三世」「未来少女コナン」などの背景画を描き続けてきた人だ。

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たかが背景画だろう…と言う気持ちが何処かにあった。

しかし物語の一瞬一瞬を背後で支えているのが、実は背景画であった。

そして私たちは、その風景によって感情を動かされ、物語に感じ入ることができるのだ。

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200枚に及ぶその風景画の数々を見るにつけ、ち密で写実的或いは空想の世界。

そうした物語の世界を自在に描き分けているのである。

歴史に残る名だたる画伯たちよりも遥かに自由に、自在な絵の世界を作り上げている。

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私はアニメ作品自体を見ている訳ではないが、背景画をみるだけでアニメの雰囲気が感じられた。

一瞬にせよ「たかが・・」と思った不認識が、まことに恥ずかしくなった次第だ。

あの広くもない美術館に、前日は6万人も押しかけたというのも頷ける気がした。

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とは言えこの背景画たちは、人の背中越しに見るのでは申し訳ないのではないか。

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2014年9月22日 (月)

定年後

つい先日、中学校時代の同級生の訃報に接したばかりだ。

自治会長をしている筈なのに最近顔を見ないなぁ~、と思っていた矢先だった。

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私の同窓〔団塊の〕世代は、一般的にはとっくに定年を迎えている。

継続雇用で職場に再就職したとしても、それとてもう終わりと言った年頃である。

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先日、誕生日の祝いメールを送った友人から返信があって、

「歳を取るってことは、こんなに悲しくて淋しいものかと涙している。」と書かれていた。

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それ程でもないだろう・・・素晴らしい歳のとり方をしてるじゃないかと思いつつ、

翻って、我が定年後の生き様を振り返ってみている。

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結論から言えば、40過ぎから生活を変えて良かったなぁ~と言うことに尽きる。

この事は以前にも書いたが、

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自分に「書く」「走る」「作る」「会う」と言う事を自分に課してきたことである。

その4つの事が相互に連関して、現役時代以上の生活の広がりを作ることができている。

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確かに毎日忙しくてボケッとしている時間は無いが、むしろそれを楽しんでいる。

走ることの達成感や葡萄等の成果はまさに果報だし、人間関係も広がり続けている。

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・・・・と書けば、定年後はバラ色の世界のように聞こえるが、

必ずしも問屋はそうそう安請け合いしてくれない。

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先ず定年後の3ヶ月間は、ある意味で途方に暮れていた時期だった。

この時期には、毎日午前中は山で走って時間を過ごした。

まあ、小笠山を毎日走ることで、定年後の一種の覚悟の様なものが出来たのだと思う。

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それから後、かつての土俵外に出て行くことが多くなった訳だが、

それはそれで何時も新たな局面への対応が求められる訳で、

実は凡庸な私にとっては苦労の連続である。

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確かに老化防止には限りなく有効だが、時にメンタルに溜め込むことがある。

それが先日の救急騒ぎになったのかなぁ~と少々反省している次第だ。

しかし、だからと言って弱気になる必要はまったくない。

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自分に出来ることをそれなりに粛々とやるのが自分の使命だと思っている。

それには、先ず心身ともに健康でなければなるまい。

ともあれ、人生の残りの時間は自分の時間なのだ。

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2014年9月21日 (日)

亀の旅立ち

この時期、亀が盛んに卵から孵っているようだ。

この遠州灘の海岸に産卵するのはアカウミガメだけだが、

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今では産卵か確認されるとすべてサンクチュアリーが掘り返して持ち帰り、

その保護下で孵化する。

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まったくもって自然のままではく無くなった訳だが、

現実は波打ち際まで釣り人やサーファーの四駆が乗り入れていて、止む無い措置だろう。

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子供の頃、亀の卵は普通に食べられていて、夜亀を待ち伏せたなんて話をよく聞いた。

何しろ食べるものが十分無かった時代だから、何でも食べられるものは食べたんだろう。

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亀はその長寿の故か、どこの国でも保護されているのが普通だ。

ハワイのあるビーチでは日常的に大きなウミガメが甲羅を干していて、

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上陸してくると綱を張って見張りが立つなんて風景もあった。

実は、亀の肉を刺身で食べたことがある。

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小笠原には亀食の習慣が残っていて、一定の頭数の捕獲が許可されている。

それで、店に陳列されていた亀肉を買って食べたのだが、結構美味しくいただいた。

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話がずれちゃったが、今日は子ウミガメの放流の話である。

青少年健全育成の一環で、サンクチャアリーの協力を得て恒例の行事になっている。

今朝も150人程の親子が集まって、それぞれ初めての体験をしてもらった。

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亀は今朝孵化したばかりだそうだが、もうひたすら鰭を懸命にあおぎ続けている。

揃って一斉に話すと、一匹残らず波打ち際の方向に向かって走り出す。

迷子にならないのは、海の明るさに反応しているからのようだ。

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それに一目散に海に入るのも、うろうろしてるとカモメなどに食べられちゃうからな。

秋の一時、親子たちはう亀が海に入ってしまっても、何時までも見送っていた。

放流した200匹余のうち、果たして成長して戻って来られるは数頭だろうか?

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実に厳しい生存競争の世界なのだ。

ともあれ全員で海岸のごみ拾いをして、解散となった。

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2014年9月20日 (土)

風貌

毎朝子供達を見送っていて、自然に何人かの名前を覚えてしまう。

どういう環境で育っているのか、それはいずれも印象の強い子供である。

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一人は体格は小さいのにまことに腕白で、それでいて親分を演じている。

何時も集団の先頭にいて、後ろ向きに歩きながら全体に目配りする様なところがある。

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私の「お早う!」にも、「ハロォーッ」とか「ハイ、オハヨウ」などと惚けた返事をすることが多い。

正反対に至極面倒見の良い女の子も印象に残る。

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手を引いたり背を押したり、仲良し学級の子の面倒を何時もみている。

やはり、優しい風貌をたたえている。

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大人の世界でも、お会いして小一時間も話をすれば、

その風貌とともに、おおよその性格のようなものが知れるものだ。

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そしてその風貌は、やはり子供の頃から少しずつ作られてくるのだろう。

話は変わるが、ガラス戸に映る自分の姿を見て「オッ」と驚くことがある。

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8年前に亡くなった父親に、あまりにも物腰が似ているからだ。

体格も違うし元々そんなに似ていないと思っていたのに、

頭髪が薄くなったせいか、このところ急に父の面影が姿を見せ始めているのだ。

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それから父は社交的で、町の議員や連合会長、老人会長などをやっていた。

逆に私は内気だからそんなことはすまいと思っていたのに、

何時の間にか似た様なことに足を突っ込んでしまっている。

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遺伝子を引き継いでいるんだろうから、風貌が似てくるのは仕方ないとしても、

行動パターンまで似てくるとはどうしたことであろうか。

まぁ~似た部分はあるにしても、私は私で父とは随分違う部分も多いのだ。

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それで、仏壇の写真に「俺は俺だぜ!」って、まだ突っ張っている自分がある。

ともあれ、それぞれの風貌はその人そのものなのかも知れない。

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2014年9月19日 (金)

三つの行事

今週末から秋の交通安全運動が始まるのに先立って、

朝から関係の人たちが集まって、街頭に立ち並んでいただいた。

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大勢が幟旗を持って立ち並んでいれば、

運停者には「おぉ~、そうか」程の運動自体を知らせる意味はある。

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しかし、次の瞬間には忘れてしまうだろうし、交通安全そのものへの効果は?????

とは言え他に啓発の方法はないしなぁ・・と思いつつ、

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私は何時もの場所で殊更大きな声を出して旗を振り子供達を見送った。

二つ目の行事は地元中学校の運動会で、その立哨の足で学校に向かった。

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こちらは例年のこととは言え、クラスの絆を深めるチャンスであり、

それぞれ少しの和やかさと、これから始まる競技への緊張感が漂っていた。

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最初に生徒会長〔女性〕が挨拶で大会の意義と各学年それぞれへの期待を語った。

大人顔負けの挨拶で、中学生でも凄いなぁ~って聞き入っていた。

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切磋琢磨と書かれたのぼり旗が立っていて、

こんな素晴らしい子がいると、生徒たちへの影響もどこかにあるはずだ。

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競技はスエーデンリレーに続いて二人三脚バトル競争などと続く。

まあ、運動会は程ほどに失礼して、私は自分の学校へ。

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そして夜は三つ目の行事で、10月の祭りを前にしての祭典連合会の全体会議である。

各自治会長や祭りの幹事長が集まって、祭典の注意事項などを最終確認するのだ。

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私からは、地域社会から年々縁が薄くなっていく折、

この祭りを通して、より良い縁(人と人の関係)が育てられるようにとお願いした。

子供の参加は勿論のこと、年配者も参加できるような心遣いをお願いした次第だ。

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ともあれ三つのイベントはそれぞれ関連は無いにしても、

高齢者が増え子供の数が減っていく時代背景の影響を色濃く受けている。

それは高齢者の関わる事故が年々増え、

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学校の生徒数が減って、地域の祭典ですらその担い手に困るってことでも明らかだろう。

これからの時代を創る模索は、経済を含めて未だ始まったばかりなのだ。

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2014年9月18日 (木)

宇連山へ

愛知県北部の宇連山(929m)に登ってきた。

ゆっくり登山することで、丹後100kで散々痛めた足腰をほぐそうと思ったのである。Img_0217

とは言え宇連山は岩の尾根を急登坂しなければならず、かなり厳しい山だ。

愛知県民の森から登り始めて30分程でかなり汗をかいて先を急いでいた。

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すると岩の向こうに大勢の姿が見えた。

近づくと、何と20人程の幼稚園児たちが2人の先生に連れられて登っているではないか。

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大人でもこわごわ登る急坂を小さな足で登っている。

「転げ落ちたら大変なことになる。」とこちらがヒヤヒヤする程なんだが…・。

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先生は「毎年、来るんです」と言っていた。

思うに、蓬莱辺りの山里の幼稚園で子供達が日頃から山に慣れているのかもしれない。

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ともあれその子供達を追い越して、痛む足を無理やり上へと運ぶ。

人間ってのは不思議なもので、目指すべき山頂まで行かなければ納得ができない。

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いや、山頂があるからこそ、そこまで登ろうとするのだろうか。

ともかく、やっとのことで昼過ぎに山頂に到着、軽い昼食をとって、帰りは北尾根を下った。

おおよそ5時間半の行程だったろうか、降りた頃には随分と体も軽くなっていた。

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このところ調子の良くない胃腸も、登山している間は何ということもない。

ところで、杜甫に「登高」と題する七言律詩がある。

 風急天高猿嘯哀 (風は急に 天は高く 猿のうそむくこと 哀しく)

 渚清沙白鳥飛廻 (渚は清く 砂は白く 鳥は廻って飛ぶ)

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 無辺落木蕭蕭下 (落ち葉ははてもなく 蕭蕭として下り)

 不尽長江滾滾来 (尽きざる長江は 滾滾として来る)

 万里悲秋常作客 (故郷を去り 秋を悲しんで 常に旅人となり)

 百年多病独登台 (一生 病がちにて 一人高台に登る)

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 艱難苦恨繁霜鬢 (艱難 はなはだ恨む 真っ白の鬢)

 潦倒新停濁酒盃 (役にも立たぬまま 新たに止どむ 濁酒の盃)

そう言えば私も、先日の救急騒ぎ以来晩酌を断っている。

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2014年9月17日 (水)

秋立ちぬ

朝夕ぐっと涼しくなって、木の葉もほんのり紅葉の気配を見せている。

田圃ではコンバインが動き回って、瞬く間に田園の景色が変わっていく。

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早朝窓を開けると、ひんやりと透明な風を感じて、季節の移り変わりを実感する。

今年の夏は、一気に消えてしまって突然秋になったような感がある。

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夕暮れ時、秋の雲を眺めながら今日一日の出来事を振り返っていると、

何故か幼い頃のことを思い出してしまった。

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どうも秋の夕暮れと言うものは、昔を思い出す頃合らしいのだ。

それは他愛もないことで・・・、子供と言うのは不思議な行動をする。

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犬が穴を掘って骨を隠しておくように、大切なものをどこかに隠した記憶が無いだろうか?

60年も前のそのことを突然思い出して、一人苦笑いをしたのである。

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私の場合、宝物はビー玉だったか小銭だったか・・・?

兎に角、ビニールの袋に入れて出来たばかりの農道の隅っこに埋めたのである。

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当然埋めたことすら忘れていたんだけど、何時の間にか農道も舗装されて数十年、

今では何を埋めたのか確かめることも出来なくなったが、確かにあそこに埋めたのだ。

ともあれ、既に六十有余年の歳月には、思い出すことすら出来ない事どもが詰まっている。

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思えば、何が出来たと言う訳でもない極めてささやかな人生ではある。

しかし私にとっては、子供の頃埋めた宝物同様に、

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良かれ悪しかれは別にして、どれも大切な思い出のはずである。

それにしても、遠い過去を思い出すというのは、馬齢を重ねた故なんだろうか。

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自分では明日のことを考えたいと思っている訳で、これは秋の気まぐれと思いたい。

うかうかしていると、直ぐに冬がやってくる。

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2014年9月16日 (火)

老いの坂

老いなどと言うものは、他人はいざ知らず自分には関係ないと思って過ごしてきた。

そもそも60代は老け込む年代でもなく、

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幾分の体力の衰えはあったとしても気力は十分なのだ。

それに何と言ったって、60年余に渡って積み上げてきたものがある。

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持って人生の仕上げの期間であり、思うままの自己実現だって出来ようかと思っている。

しかし現実の老いの坂道は、なだらかにじわじわと長く続くようなのだ。

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そして、やがて人の手を借りなければ生きられなくなるパターンが多い。

国全体の高齢化率が26%にもなろうとしている折、

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ボケ対策も含めて高齢者対策はやがて大きな社会問題にならざるを得ないだろう。

一昨日まで宿泊した丹後の民宿の夫婦も随分年老いた。

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もうかれこれ10年近く宿をお願いしているが、宿の主はもう80歳に近いだろう。

昨年までは、100k走る私たちを車で追いかけながら応援してくれたりしたのだが、

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寄る年波で今年はもう無理だという。

昨日届いた職場のOB会の名簿を何気なく覗くと、何人かの同僚の物故を知ることになった。

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ただ「そうかぁ~、死んじゃっのか!」と驚くばかりで、

人間ってのは簡単に死んじゃうもんだなぁと改めて思った。

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もっとも、何をしていようと何時死のうと、すべては「死ねばオシマイ」なのである。

私が老いを意識しなくて済んでいるのは、今月で90歳になる母親のお蔭でもある。

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矍鑠として農作業をしているし、自分の仕事を探して回っている。

グランドゴルフは欠かさないし、新聞は隅から隅まで読んで毎日日記を書いている。

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やや耳が遠くなっているのを除けば、とても90歳とは思えないのである。

そのお袋を間近に見ていると、とてものこと「老い」などとは言ってられないのである。

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実は丹後100kのウンザリするほど延々と続く坂道を登りながら、

「老いの坂・・・」なんてことを思っていた。

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気持ちは走っているんだけど、傍目に見れば歩いているのと同じこと。

気持ちは前に向かっているんだけど、ちっとも足は言うことを聞いてくれない。

自分では如何ともし難い体の動きは、明らかに老いではないかと。

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2014年9月15日 (月)

鯖街道

丹後を走った翌朝は、何時も浅茂川河口の八丁浜界隈を散歩する。

この網野町は浦島太郎(浦嶋子)生誕の地としての伝説があり、

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前方後円墳や浦嶋子の墓など、浦島にちなんだ史跡も幾つか残されている。

八丁浜の海には早朝にもかかわらず数多くのサーファーが浮かんでいて、

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まるでアザラシの群れのように見えたりする。

ともかく、昨日の酷使で痛みきった足を労わりながらの散策である。

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ところで今日は、帰路に立ち寄った熊川宿について書こうとしている。

途中まで鯖街道に沿っての帰路になる。

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そして鯖街道とは、若狭の小浜から山道を越えて京都に入る若狭街道の別称である。

かつて若狭地方は、日本海と畿内を結んで、大陸文化の受け入れ口だった。

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そして18世紀後半以降、若狭で大量の鯖が水揚げされるようになった。

そのサバに軽く塩を振って、竹籠に背負って京都に急送する業が興った。

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京都は古くからの都だったけど、新鮮な海魚を食べるのは難しかった。

その海の魚を食べるために生まれたのが鯖街道と言う訳だ。

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サバを背にその荷を次々と中継しながら100kの道を走って運んだ。

そうして、早朝に若狭に水揚げされたサバが、

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早ければその日の暮れ方には京都に着いたと言われる。

正にサバの輸送がこの街道の繁栄を支えていたのだが、熊川宿はその中心だった。

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塩をふって人の背で100kを運ばれたサバは、この間にほど良く塩が馴染み、

京都で美味しいサバズシになったようだ。

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丹後からの帰り道、この熊川に立ち寄って昼飯にした。

勿論、昼食は酢でしめた「さばずし」である。

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この鯖街道随一の宿場は、盛時には荷継問屋が軒を連ねていたというが、

今では道の駅の他は番所跡など古い建造物群が保存地区として残され、

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街道の観光地になっている。

立ち寄った折にも、TVの録画撮影がされていたが、今日では鄙びた山里である。

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宿場の通りを歩きながら、しばし鯖を担って京に急いだ人達のことを思った。

何だか、私たちの100kマラソンに似ているようでもあり・・・・

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実はこの街道は、鯖街道100kマラソンの舞台であり、熊川はそのエイド地点でもある。

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2014年9月14日 (日)

風になれ

朝4:00、外に出ると星が煌めいているのに、雨がぱらついていた。

例年に比べ随分涼しいし、それに何よりも眠れなかった割に体が軽い。

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「これは、最初は抑えて入ったほうが賢明だなぁ」と考えつつ会場に向かう。

今回の参加者は大会記録なのか、既に二千数百名がずら~っと並んでいた。

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はるな愛さんの少々多弁なトークの後、4:30に号砲と共に長い一日が始まった。

後方に並んだこともあって、消耗がすこぶる少なく順調な滑り出しである。

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七竜峠を越えて久里浜に抜ける間に夜が明けてくる。

ペースはゆっくりながら順調に進んでいく。快調と言うべきだろう。

絶対にマイペースと言い聞かせながら走っている。

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12k地点には「あと88k」とプラカードを掲げ、蜂のコスチュームの女性が応援してくれる。

応援はともかく、ランナーはユニホームも多彩だが裸足の女性ランナーや突っ掛けの人などもいる。

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かと思えば、下半身裸かと思わせるようなドキとする若い女性のコスチュームも・・・・

ともあれ、52k地点のあじわいの里に10:40頃には到着してしまった。

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結果的に驚くほどのハイペースなのである。

続いて11:30には弥栄庁舎のエイドステーションに到着。

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ここからは碇高原に向かって15k程の上り坂が続くのである。

ここは歩いたり走ったり・・・・しかし徐々に持ち時間を費消して、

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結果として碇高原の門限通過は10分前になってしまった。

さてこそ、又してもここから門限に追われる地獄のランになった。

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碇高原からの下りを飛ばしたこともあって、80k地点辺りではもう性も根も尽き果ててしまった。

走ろうとしても、何時の間にか歩き出してしまう。

83kの最後の関門こそクリアーしたものの、「何時止めようか?」などと思い始めている。

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しかし、1k当たり8分で走ればゴールに間に合う時間が残っている。

何とかなるはずなんだが、心の中では止めよう、否走ろうと葛藤を繰り返すようになった。

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足は、前に進むものの直ぐに歩きになってしまう。

歩いたんじゃ8分で1k進むのは困難なことは分かっているのに、思うに任せない。

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半ば諦めかけていた時、彼方に「残り5k」の表示板が見えてきた。

時計は門限まで40分を残している。

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ぎりぎりの時間だが、何とか時間内にゴールできるかもしれない。

下り坂が続くし・・・・、一縷の希望が見えると俄然元気が出てきた。

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不思議なもので、ともかく足がリズムにのって順調に前に出るようになった。

網野の町に入ると門ごとに人が出ていて「後1k、お帰りなさい」の大合唱が起こっている。

その応援に励まされ、一層足は速まって、13時間57分でのゴールとなった。

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これで今年は3勝2敗と、とうとう勝ち越しをマーク出来たのだ。

風呂から出て、皆で完走パーティが盛り上がったのは言うまでも無い。

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ともあれ100kは、とてつも長い距離だ。

体はよれよれだけど、そいつを走りきった満足感と自分との戦いに勝利した感慨にしばし浸っていた。

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2014年9月13日 (土)

流雲千里

今週も車を飛ばして一路丹後半島に来ている。

明日の丹後100kマラソンを走るためである。

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途中、元伊勢の一宮に立ち寄って完走祈願をしていくことになった。

天橋立の与謝野町側の宮で、天照大神が三重の伊勢神宮に祀られるまでは、

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この神社に祀られていたことから元伊勢と呼ばれる。

ここはかつて縞の財布が空になると唄われた宮津だが、

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恐らくはこの一宮と深く関係しているのだろう。

神妙にお参りの後は、リフトに乗って裏山に登った。

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この山頂の傘松公園に登って天橋立をのぞくのが素晴らしい。

俗に股のぞきなどと言われるが、

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ここから逆さに眺望すると確かに天に通じる梯子のように見える。

その昔、イザナギの神が地上のイザナミに会うために

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天から掛け降ろした「愛の通い梯子」が倒れて出来たのが天橋立といわれる。

それで生まれたのが天照な訳で、伊勢に移されるまでは三種の神器はここに収められていた。

傘松公園から眺めていると、そんな話がなるほどと得心できるのが不思議だ。

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ともあれ、しばし素晴らしい眺望を楽しむことが出来た。

ついでにと、公園の更に上の山にある西国28番札所の成相寺を訪れた。

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この寺はその縁起から、一つだけ願いをかなえてくれるという。

大きな釈迦涅槃図の掛け軸や仏像群と共に、左甚五郎の「真向きの龍」などもあった。

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古色蒼然とした寺で、古いものを有り難がる日本人には打って付けであろうか。

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宿は何時もの宿で、イザナギではないが一年に一度同じような顔ぶれが集まる。

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言うならば、この宿は出会いの架け橋であろうか。

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流雲千里と書いたが、明日走るのは高々25里である。

神頼みでは如何ともし難いが、最後は精神力でしかない。

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年と共に完走が難しくなってはいるが、最後まで諦めずに走ってみようと思っている。

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2014年9月12日 (金)

変貌

少し長い時の変化について考えている。

時と共にこの地球も、そして私たちを取り巻く自然環境も生活も変貌してきた。

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例えば、私のホームグランドになっている小笠山である。

およそ30~40万年前に当時の大井川の河口付近の扇状地が隆起して出来たとされる。

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南アルプスから流れ出た土砂が堆積し、それが丘陵になったんだから激変だ。

北側の崖は残され、海に向かって出来た斜面が雨水によって次第に削られて、

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やがて幾つもの襞が出来きて今日の痩せ尾根になっているのだろう。

その何十万年もの山の歴史のほんの一瞬を私達は垣間見ている。

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自分の庭のように思いながらも、やはり山は母なる悠久の大地なのだ。

そして、命って儚いなぁ~って思わざるを得ないのだ。

私の生きてきた70年近い歳月だって、正に大きな変貌の期間だったのではないか。

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第一25億人位だった世界の人口が、今では70億人にもなっている。

それは化学肥料による農業生産の拡大などが大きく係っているのだけれど、

その大元は石油を始めとした化石燃料と車による輸送手段の発達だ。

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石化エネルギーが衣食住を始め、就業形態や生活様式をも一変させてしまったのだ。

子供の頃、親父に原動機付自転車の荷台に載せてもらったことがあった。

とてものこと、その頃〔昭和20年代〕には田舎で車を見ることなんて無かった。

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それが就職して間もなく、カローラ〔中古?〕で通勤するようになって、

今では家族に一人一台が不可欠になっている。

田圃を耕すんだって、牛から耕運機に、そしてトラクターになった。

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田舎の風景だって、諸々の使い勝手に合わせて相当に変貌して来た。

「小鮒釣りしかの川」も懐かしさと共に消え去ったのである。

目まぐるしく変わってきたこの数十年だが、山の変化は微々たる物だ。

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台風で木が倒れたり幾分の土砂の崩壊があったとしても、それも自然の一部だ。

やがて私達が消え去ったとしても、この山には何も変わることのない時が流れ続けるのだろう。

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2014年9月11日 (木)

まちの風韻

用事があって、月に1~2度は静岡市に出掛ける。

かつて毎日通った所だからか、それが一か月のリズムの様な気晴らしになっている。

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そして何時も「まちって、随分と雰囲気が違うもんだなぁ~」って思う。

どこの街も車中心の時代になってその中心部が空洞化してしまっているのが普通だが、

静岡市の繁華街は昔と変わらぬ賑わいを見せている。

特に産業らしい産業もないのに、夜も昼も商店街が生きている稀有な街なのだ。

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その訳は、県庁所在地で県庁はもちろん数多くの企業がここに支店を置いている。

俄然全国から人も集まって、一種の支店経済が成り立っている。

それに多くの都市が郊外に広がったのに対して、この地では

広がりようにも南は駿河湾、そして三方を山に阻まれて拡散できなかったこともある。

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加えて商店街の力が強く、近年まで大規模店舗が立地しなかったのも一因だろう。

人間性も駿府時代の流れを残して、実におっとりとしている。

まあ、静岡市内で買い物客が値切るなんて場面を見たことがない。

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行政機関だって政令市でありながら、県におんぶにだっこの印象が色濃い。

私は、ほのかに歴史の香りを残したその落ち着いたまちが気に入っている。

一方の政令市である浜松市はどうかと言うと、静岡市と正反対の産業都市然としている。

中心部にはすでに商店街らしきものは無くなっているし、郊外に大きく広がっている。

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活力は感じても、全国どこにもある情緒を感じさせない街になっているようだ。

翻って、人口17万の私の住むまちはどうすべきかと考えたりもする。

しかし広域合併から10年と言うことに加え、

産業構造が昔とは大きく変わって、既に住宅地(ベッドタウン)としての色彩が濃い。

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逆立ちしても、そんなに個性的な「まち」には出来ないのではないか。

人は働く場さえ確保できれば、何処でも気に入った所に住める時代になっている。

とは言え家屋敷抱えている身になると、おいそれと引っ越しなどできるはずもない。

とすれば、少しずつ住み良い「まち」をみんなで模索する他ない。

住めば都だからね。

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2014年9月10日 (水)

ふるさとの山

沖積平野の海岸近くに育った私にとって、山は少し遠い存在だった。

だから子供の頃から、そこはかとない山への憧れがあったような気がする。

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毎週通っている小笠山は、自宅から8km程東にある標高264mの里山だ。

大部分が国有林になっていて、約6,000ha程の緑のコロニーとして広がっている。

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北側が大きく隆起して切り立ったケスタ地形になっていて、

南に向かって手の平を伏せたような形の尾根が海に向かって伸びている。

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その痩せた尾根道が、私達ランニング仲間のグランドなのである。

小笠山はさておき、この日本列島は山あり川ありが普通の風景の骨格になっている。

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仮に広い平野だったとしても、どちらかの方向には必ず山が見える。

その山々からは幾筋もの小川が流れ出していて、

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その無数の支流を集めて大井川や天竜川のような大きな川になる。

海や川が多いってことは、道路整備や治水もコスト高で、

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大陸のアウトバーンようにブルドーザーで均せば道になるって訳にはいかない。

オーストラリアなど山の無い大陸では、広大な国土にトンネルが一つもないんだから。

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先日訪れた飯山は、千曲川の流れや山々など、ある意味で日本人の原郷と言える。

飯山のこの岸辺は菜の花公園になっていて、春になると一面に菜の花が咲き乱れる。

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子供の頃歌った「菜の花畠に、入日薄れ、見わたす山の端 霞ふかし♪・・」〔朧月夜〕

の風景そのままが現出されるのだ。

実は作詞者の高野辰之は、この飯山近くの山村に生まれ育った人である。

高野辰之はこの飯山盆地を原景に、

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「故郷」「春の小川」「春がきた」「紅葉」などの唱歌を生み出している。

春の小川はさらさら・・・・♪、秋の夕日に照る山・・・♪、春が来た春がきたどこに・・・♪、

いずれも私達が馴染み口ずさんできた歌だ。

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飯山駅のある所は斑尾だったと思うが、斑尾山にはブナの巨木があった。

その斑尾山の水も千曲川に流れ込んで飯山盆地を流れ、新潟に入って信濃川となる。

高野辰之の「小鮒釣りしかの川」は、斑尾川だったか或いは千曲川だったのか?Img_0094

いずれにせよ私達は、ふるさとの山や川と共に生きている。

この国は、大都市だけで成り立っている訳ではないのだ。

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2014年9月 9日 (火)

秋晴れ

台風一過なのか、随分久しい秋晴れの一日になった。

昨日は旧暦の8月15日、その中秋の名月も実質的に今日に繰り延べの感がある。

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さても今日は珍しく予定の無い一日で、朝子供達を見送るとそのまま山に出かけた。

雨後の小笠山はしっとりと静かで、一人で走るには少々寂しいくらいだった。

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それでも足元には様々なキノコが顔をのぞかせている。

かつてはこの山でも松茸がとれたようだが、今はいずれも毒キノコだろうか

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松茸の採れたのは薪炭を求めて人が入っていた戦前までの話だ。

石化エネルギーに依存するようになった戦後は山を管理する人とてなく、

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今では二次林として自然のままの山(コロニー)になっている。

その分、イノシシやタヌキなどの動物が増えて、私達の一人占めの山ではなくなっている。

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ともあれ、もう20年以上この山に通っているのだから、自分の庭のようかと思いきや、

さにあらずで、蛇をふんずけやしないかなどと何時も緊張している。

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特に秋には、スズメ蜂やマムシに要注意なのだ。

しかし、この登り下りを繰り返す尾根道を走り続けてきたお蔭で、

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随分と若々しい体力を維持できている。

それに困った時には、幾度となくこの山で打開の処方を見つけ出してきた。

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多くの友人を得るきっかけも、この山を共に走ることから生まれたのだった。

左様に私のこれまでの人生で、これ程縁の深い所はない。

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そんなこんなを思いながら、今日も午前中は山で過ごしたのである。

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今夜は、月(15.5夜)が殊の外美しく見える。

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2014年9月 8日 (月)

私の走り旅

思えばこの十数年来、随分と日本全国に出掛けてきた。

そして、そのいずれもがランニングを目的としたもので、ほんの小さな旅である。

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確かに小さな旅だけど、様々な人達との出会いと、その土地を踏みしめる旅でもあった。

今回訪れた飯山は、実は10年ほど前に訪ねたことがある。

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当時の市長が知り合いで、招きに応じて市長の案内で市内各地を回った。

確か3月の下旬だったか、高原は未だ雪に覆われていて、

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その雪を踏みしめてブナの巨木を見に行ったし、

地蔵堂物語の舞台(撮影)となった場所も訪ねることができた。

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だから今回走っていても、「あぁここは・・・」と思うところが何箇所かあった。

その飯山にあと148日で新幹線の電車が止まるのである。

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この雪深い町にも、随分と来易くなるのに違いない。

ともあれ私達は走り旅だから、野の道や山中を一歩一歩自分の足で辿る他ない。

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今回の50kだって土地勘のない初めてのコースである。

カヤの高原から先の鳥甲山の裾野を走りながらも、

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その鳥甲山の頂を見られたのは45kも走った後であった。

苗場山とて同様で、地図のイメージと実際とではおよそ違うのである。

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それに、こんな山中に足を踏み入れてその土地の空気や景色を丸ごと味わうなんて、

走るという目的が無かったら有り得ないことだろう。

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それに共に走りながらの会話で、初対面のランナーとだった10年の知己になれる。

おそらく、共に汗するものの特権なんだろう。

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だからこそ、その地を走るために高速道路を6時間もかけて出かけるのである。

今回も民家など無い山中を30kも走り続けて、途中では湧き水の美味しさに感激した。

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やがて苗場山麓の谷底にゴールの切明温泉の一軒宿が見えた時、

「あぁ、今回も走ったぞッ」って、何とも言えない感慨が沸いてくる。

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それに渓流に自然湧出しているこの切明温泉は、とっても渓流の似合う温泉だった。

私の旅は、毎度そんな旅だ。

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神戸や東京の良いところをグルッと走ったり、離島を巡ったり、歴史の舞台を辿ったり、

この日本の地の最北端、最東端、最西端、最南端も走って訪れることが出来た。

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走り旅は体験の旅であり、日常から少しだけ切り離された時間の旅でもある。

走り続けるのは決して楽ではないけれど、その分思い出の密度は高くなる。

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特に、苦労を共にした仲間達との絆もね。

走り旅は、私にとって正に「壺中の天」である。

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2014年9月 7日 (日)

秋山郷

秋山郷は、長野県栄村と新潟県津南町にまたがる中津川渓谷の30kである。

鳥甲山と苗場山に挟まれたこの渓谷沿いには13の集落がある。

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平家の落ちうどの村とされるが、秋田県からマタギが移り住んでそのマタギの文化が残っているとも言われる。

山深くそれだけ獲物も多かったのだろうが、田とてなく木の実や雑穀で細々と暮らしたとか。

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いずれにしても、昭和になるまで車の入る道すらなかったという深い谷に沿った秘境だ。

昨夜私たちが泊まったのは、秋山郷の最南部に位置する切明温泉である。

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この辺一帯は日本一の豪雪地帯で、8m近い積雪をも記録しているという。

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当然ながら、冬季には訪れることすら難しい所だ。

昨夜は、地元のランナーの皆さんとの大懇親会の後、

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21時近くになって10kほど先の小赤沢集落にバスで向かった。

日本百名山の苗場山への登山口がある集落で、年に一度の秋祭りがあるという。

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その山里に着くと、小雨の降る暗い中に大勢の人たちが蠢いている。

やがて直ぐ近くの沢から花火が上がって、その音が山の中に小気味よく響く。

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花火が終わると、ぞろぞろと神社の広場に移動して、丸くなって踊りが始まった。

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のよさ踊りとかで、老若男女が歌い手に続いて唱和しながら踊り継いでいく。

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どうやら街に出ていた人たちがこの祭りには帰ってきて、夜遅くまで踊り明かすのだ。

私達も見よう見まねで踊りの輪に加わって、ひとしきり祭り気分を味わわせていただいた。

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思えば、こんな素朴な祭りはかつては日本全国にあったのではないか。

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私の子供の頃の秋の収穫を前にした鎮守の祭りも、随分楽しい思い出として残っている。

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踊りは蕭蕭と降る雨の中でも途切れることなく続いていた。

ともあれ夜も遅くなって、心引かれる思い出祭り会場を後にした。

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お蔭で、そんな懐かしい光景を残像にぐっすりと眠りにつくことができた。

そして今朝は、新潟の津南まで中津川沿いの山道をバスで遡ったのである。

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左手には第二の谷川岳とも呼ばれる鳥甲山が切り立った横原を見せて続いている。

この辺の地層には柱状節理が多く、布岩や月夜立岩などが知られる。

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やはり谷底ははるかに深く、木々は雑木で秋には見事に紅葉するらしい。

南の遠山郷に北の秋山郷と並び称される長野県の秘境である。

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津南近くの見玉集落では、眼病治癒に霊験のあるという見玉不動尊を訪れた。

さてこの地域では今、ジオパークの指定に向けた運動がすすめられている。

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2014年9月 6日 (土)

飯山から秋山郷へ

昨夜は飯山I近くの道の駅「ふるさと上野」でテントを張って野営した。

到着したのが午前一時過ぎだったから、朝までのしばしの仮眠である。

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取りあえずの朝食を済ませて飯山駅に着くと、もう既に懐かしい顔ぶれがあちこちに。

この古い駅舎の直ぐ隣には立派な新幹線駅が完成間近じかであった。

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あと150日でここに新幹線が止まり、この雰囲気のある駅は廃止されるのだそうだ。

余談はさておき、この秋山郷までを走るために集まったのは30人余である。

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そして8:00、地元ランナー4名を先頭に雲に霞むカヤの平高原に向かって走り出す。

さしたる高原でもあるまいと思っていたら、何と標高が1245mもあるのである。

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今日はずっと山の中を走る訳で、途中にコンビニも自販機も一切無い。

必要なものを携行しての50kなのだが、

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実は栄村振興公社のマイクロバスが荷物運びを兼ねて前後を走り、一部給水をして頂いた。

運転手も写真を撮ってくれたりと、この地ならではの好意と感謝する他無い。

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登っていくに従ってシラカバが増え、やがてブナ林へと移り変わっていく。

そう言えば、このカヤの高原はブナの自然林で知られている所だった。

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ともあれ先ずカヤの平高原に登り切るまでの25kが大変で、

頂上のキャンプ場に到着したのは12時近くであった。

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山頂で軽い昼食を済ませ、今度は鳥甲〔トリカブト〕山の麓に沿って苗場山近くまで下る。

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下りとは言え雑魚川渓谷の谷は深く、この25kも相当な距離である。

やっとのことで長野県栄村秋山郷の切明温泉に到着したのは、16時近くであった。

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実はこの切明温泉は、傍らを流れる中津川の川原を掘ると温泉が湧き出すのである。

早速走った姿のまま川原に降りて、混浴となった。

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少し硫黄の臭いがして、この50kの疲れがお湯に溶け出していくかのようであった。

疲れをいやした後は、参加者全員での大宴会。

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更に夜は、秘境秋山郷の素朴な小赤沢まつりへと出かける。

その様子は、明日書くことにしよう。

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2014年9月 5日 (金)

夢見る力

近頃、胃腸の具合が芳しくない為か碌な夢を見ない。

大抵は、難しい仕事に直面して苦しんでいる現役時代の場面だったり、

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外国語の単位が取れなくて困っている学生時代の場面だったりする。

たまには、絶世の美女と意気投合するなんて場面が有っても良かろうと思うのだが、

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如何した訳か現実の世界と同じで、ついぞそんな甘みな夢に遭遇することが無い。

ともあれ、歳と共に衰えるのはやはり「夢見る力」じゃないかと思った。

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翻って先日やってきた幼稚園児達にとっては、

次々と新しい出来事と出会って、或いは毎日が夢の様なものじゃなかろうかと。

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もう少し成長すると「未来への不安」が伴うのだろうが、今は正に天真爛漫である。

喧嘩したり泣いたり走ったり、大人がもう遠い昔に失った能力を彼らは持っている。

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世界を旅したり、億万長者になったり、大発明をしたりと

奇想天外な夢を抱けるのは何歳くらいまでだろうか?

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誰でも最初に現実を痛いほど思い知るのは結婚かもしれない。

バラ色の未来を思い描いて結婚したとしても、

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厳粛なる現実の前には如何ともし難いからだ。

それも職場の肩書きがついたりして、その役割を分相応にこなすうちに忘れてしまう。

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そうやって世の中の都合に合わせて歳をとり、

次第に夢を忘れたオジサンになっていくのだろう。

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しかしである。

分別臭い顔はしていても、オジサンは一皮剥けば立派な子供の顔を併せ持っている。

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ただ過去の経験に照らして、少しばかり現実的な夢を見るようになっているだけだ。

アレをやってコレをこなして、未だ見ぬ土地を走って・・・・などと夢想の限りである。

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而して私も、まだまだ夢見るオジサンなのだと思う。

子供たちにあやかって、大いに夢見る力を劣化させまいと誓った次第だ。

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2014年9月 4日 (木)

秋の兆しに

あれ(救急搬送)以来、晩酌を断っている。

胃なのか腸なのか、痛む訳ではないが依然として以前にない存在感があるからだ。

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特に寝ている時には、そいつを重く感じるようなんだ。

実は現役時代を含めて、年に一度の「人間ドック」の検診を受けていた。

しかし、今年から受信しないことにしたばかりだ。

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人間ドックに行くと例年のように肺機能がどうのこうのと、精密検査を進められる。

すっぽかして「それ見ろ」と言われるのも癪だから、検査に行くと決まって異常ありません。

何だか医療機関の稼ぎに協力させられている思いが強かった。

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それに、そもそも医者にどれ程のことが分かるのかにも疑問を持っている。

今回だって、2度もCT撮影したのに原因すら教えてもらえなかった。

要するに「分かりませんね。整腸剤を飲んで様子を見ましょう」でしかない。

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要するに自分の体は自分で管理するしかないし、

自分の体も自然に任せた方が良いと思うようになっている。

いじくりまわされて心身ともに病人になるくらいなら、

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医者だって分かっていない人体の自然だし、知らぬが仏で過ごした方が良かろうとも思う。

ともあれ、日に日に秋の気配が深まっている。

稲穂が頭を垂れ、コンバインが動き回って収穫が始まっている。

我が家の栗のイガが割れて栗の実がコロコロと落ちている。

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桜の葉がハラハラと散って、葉密度が随分と薄くなった。

萩やオミナエシ、鶏頭などの秋の花々が咲いて、

日長が短くなるのとと相まって幾ばくかの寂寥感を漂わせている。

我々人間も、その大自然の循環の中にある。

そこそこの熟年なんだから、多少のガタがきても当たり前と言える。

その故障をいちいちあげつらってどうするのか、・・・と言う気分である。

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2014年9月 3日 (水)

workaholic

この過ぎにし夏も、休みらしい休み〔?〕も無く終わってしまった。

もとよりサラリーマンではないんだから、何時も休みのようだがさにあらず。

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ジッとしているのが苦手で、何時も何事かで走り回っている。

それは子供の頃の遊びと同じで、

例えば水遊びでも、子供はもう100%その遊びに興じて没頭してしまう。

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私はかなりの早寝早起きで、この夏の間は午前五時頃には起き出して、

寝室以外の窓を開け放ってから、葡萄の収穫・調整作業に没頭していた。

それが終わる頃になって、女房どもが起き出して来るのである。

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朝飯前の2~3時間だけど、時々時間感覚が無くなって、

その日の朝の約束を失念してしまうことすらあった。

その収穫を今年は既に50日余続けてきたのだが、

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日の出も次第に遅くなって、既に五時では薄暗くて作業できなくなっている。

寂しいことに、もう直ぐ収穫作業は終わりになるのだ。

その代わりに、今はせっせとホウレンソウを播いている。

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播けば播くほど、やがて収穫の時がやってくる訳で、

又冷たい水仕事〔萎凋防止のため出荷時に水に浸す〕が始まるのだ。

休みと言えば、朝の立哨は夏休みだったけど、それも始まっている。

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それにいよいよスポーツの、そして文化の秋であり、手帳は行事で埋まっていく。

内心その毎日を楽しんでいるだから、やはりワーカホリックなのかも知れない。

考えてみると、どうやら仕事の種を播いて歩いているかのごとくであり、

これは終生治ることは無さそうである。

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ともあれ陶淵明の詩の様に、「盛年重ねて来たらず 一日再び明日成り難し」なのだ。

そして詩は「時に及んで まさに勉励すべし」と続くのだが、

私にとっての勉励は、まさに懸命に走ることなのだと思っている。

歳月は人を待たずなのだから!!

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2014年9月 2日 (火)

60人の子供達

人間は幼児期の体験と言うものを、何歳くらいから覚えているものだろうか ?

因みに私の記憶は、小学校一年で当時近所の上級生が毎日迎えに来てくれたこと、

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そして学校帰りに買ってもらったばかりの傘を用水に流してしまったことだ。

更には、小学一年の時の担任の先生と校庭にあった二宮金次郎の像くらいだろうか。

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それ以前の事は、幼稚園に行かなかったからかとんと記憶にない。

ともあれ、今日は我が家に60人の幼稚園児がやってきた。

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お目当ては、私の育てているブドウである。

2kmほどの道を手を繋いで歩いてきたから、子供たちにとっては小遠足だ。

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ブドウはあらかた収穫し終えているから、残りわずかでしかない。

それでもブドウのハウスに入るなり、口々に歓声を上げている。

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「わぁ-、ホントにブドウだァ!!」とか「僕、食べたことある。」などとかまびすしい。

ひとしきりハウスの中を見物した後、

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彼らの為に残しておいた5種類のブドウを食べてもらった。

と言っても60人もだから、秩序維持には保育士さんたちも大変である。

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青組、桃組、紅組と順番にブドウを持って、近くに座らせることから始まる。

ともあれ最初はそこまでで、そのあとは自由に食べ放題・・・・・

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「僕、もう16個食べたよ。」「そうなんだ、すごいねぇ」などと、ひとしきりの歓声が響いた。

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それでも何故か泣き出す子がいたり、ブドウの皮の剥けない子供の世話など、

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小さな子供の面倒を見るのは容易なことではない。

それに十人十色の個性があるしね。

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それでも1時間余りして「ブドウ狩り」と声を出して記念撮影の後、仲良く帰っていった。

はてさて、今日のささやかな体験はどの程度彼らの記憶に残るだろうか?

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そして、ブドウ作りのおじさんのことは、果たして覚えていてくれるだろうか?

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2014年9月 1日 (月)

新たな出発に

朝起きて腕時計を見ると、時刻よりも先に「1」の日付が目に入った。

そうしてその1が、何故か殊更新鮮に思えたのである。

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葡萄の収穫を始めとした夏の諸々をほぼ終え、今日から秋が始まるといった感覚である。

例年、この9月の訪れを待って幾つかの事を始めることにしている。

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先ずは、毎週少しずつホウレンソウを播くことだ。

ホウレンソウでハウスが一杯になるには1ヶ月半近くを要するのだが、

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その頃には片端から収穫が始まって、秋から冬に掛けての日課になっていく。

冬季の私の自慢は自家製のキムチなんだが、今日、その材料となる白菜の種を播いた。

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畑には今はサツマイモの蔓が一杯に繁茂しているけど、

やがて保育園の子供たちが収穫していく。

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その跡を直ちに耕して、いちめんの白菜畑にしようと目論んでいるのだ。

走ることも、夏の間にかいた汗の結果を出すのがこの秋だ。

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今週末は長野県飯山市の秋山郷50kを走る。

百名山の苗場山と鳥甲山に挟まれた渓谷を辿って走るのだろうか?

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そして来週末には、いよいよ丹後100kウルトラマラソン大会を控えている。

夏の汗を何とか完走へと結び付けたいものだ。

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そんなこんなの私の秋が始まっている。

週末に孫を連れて出掛けた噴水ショウの残影が、夏の終わりを納得させてくれた。

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花火同様に儚いスペクタクルだけど、水の面があり落水もある。

人生の起伏を、そしてまた思いの外の展開を表現してあまりある。

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何事も諸行無常、輝いている今こそやるべきことに懸命でなければなるまい。

夏の終わりは、また新たな始まりなのだ。

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