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2014年11月30日 (日)

東京い・い・と・こ

今日は東京のコレッて所を縫って約30k走った。

スタート地点の品川駅近くに集まったのは、総勢70名程である。

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天気も抜けるような青空で、小春の様な暖かさでもある。

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懐かしい顔にそれぞれ挨拶している間に時は過ぎ、

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9:00には品川駅を臨海副都心に向かう。

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ワイワイガヤガヤと走るうち、レインボーブリッジの登り口に到着。

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・・・・・ところがゲートが閉まっていて、良く見ると開門が10:00になっている。

昨年は通れたのにと交渉するも、昨年は夏時間で11月は冬時間なのだそうな。

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止む無くここで二手に分かれて、

私達はゆりかもめで向こう岸に渡ることにし乗り場に急ぐ。

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一気にお台場公園駅に降り立って、自由の女神象に向けて浜辺を走る。

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巨大なブリッジ越しに広がるビルの群れが、さも蜃気楼であるかのように林立している。

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ブリッジを渡らなかった代わりに、お台場公園をぐるっと回ってガンダムを見ていくことにした。

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フジテレビビルのすぐ南側に、これも大きなあのガンダムが巨立していた。

今では主に公園になっているこのお台場は、1853年のペリー来航の折、

ペリーの再来に備え、

幕府が威信をかけて突貫で作り上げ砲台を並べたところなのである。

どの程度の広がりがあったのか分からないが、今日では副都心の一角に入っている。Img_0395

お台場公園からは東京湾をぐるっと回って都心へと向かい、勝どき橋をめざす。

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勝どき端を渡って少し進むと築地場外市場の一角が広がっている。

新鮮な魚が食べられるとあって人が群れ集まっている。

それで私達も、その一角で絶品の寿司とビールを戴いたのである。

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ほほをポッと赤らめながらも先を急がねばならない。

京橋から銀座へ、銀座ではホコテンを快走することもできた。

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東京駅を右手に見て、今度は皇居を一周しなければならない。

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ところが一緒にいた女性陣の誘惑で・・・・一周を断念。

江戸城跡の一角を散策して、皇居一周5kを走ったことにしたのである。

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皇居からは、一路御茶ノ水を通過して湯島天神に至る。

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更に湯島天神から不忍池に出る。

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西郷さんに挨拶をして、

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上野から浅草通りを一気に浅草寺の雷門に向かう。

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スカイツリーがどんどん大きくなってきて、そのツリーを右手に見つつ、

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隅田川の川べりを遡っていき、ツリーからは暫し遠ざかるのだが、これはお愛嬌。

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じっくりとスカイツリーの全体像を楽しもうという主催者の計らいであろうか。

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それに、隅田川の川べりを走るのは、ランナーにとって一度はやってみたいランだろう。

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ともあれ向こう岸に渡って牛島神社を抜け、スカイツリーの足元に出る。

今日のマラニックは、その足元にあるおしなり橋がゴールなのだ。

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全員の集合を待って、今度は少し離れた銭湯で疲れを癒し、

例によって完走パーティが始まるのである。

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ともかく、今回もたっぷりとマラニックと東京を楽しませてもらって、皆さんに感謝である。

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2014年11月29日 (土)

走って新生

米国のソーク研究所のワレッド・ゲージ博士らの実験によると、

「運動で大脳の海馬の神経細胞が新生する」のだそうである。

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海馬は学習や記憶を司っていて、走ることで記憶力や認知能力が高まるらしいのだ。

これまでの定説は「脳細胞は加齢と共に減り続ける」のだったが、

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継続的な運動が脳を鍛え育てることが証明されたのである。

かねがね私は、走ることで自分の人生が変わったって書いてきた。

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実際、困った時、苦しい時にも走ることによってその出口を見つけてきたし、

人前でお話しすることのヒントだって、大抵は走りながら考えてきた。

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そんな経験からゲージ博士の研究に納得である。

それに私自身、常日頃から自分(脳)と対話しながら走っている。

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ウルトラマラソンの際には、脳と駆け引きしたり或いは戦いながら走っている。

「もう、止めたい」と指令する脳と戦っているのは誰なのか分からないが・・・・。

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ともあれ、もう既に四半世紀の間ランニングを続け、一ヶ月に100k~300k走ってきた。

仲間の存在も大きいのだが、とにかく休日の朝は先ず走りに出かけることを優先した。

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それは、私の脳が好んでそうさせたのかも知れない。

多分走るってことは、脳にとっても自分の機能がアップすることだと感じているからだろう。

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運動は体にいいと考えて来たけど、それもさることながら実は脳にとっても良かったんだ。

そう言えば走る仲間でアルツハイマー病になったって話は、これまで聞いたことがない。

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小説家や学者先生、はたまた医者のランナーも多いしね、マラソンが流行る訳だ。

昔「走るのは、中毒になるよ」って忠告されたことがあった。

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「そんな馬鹿な」って事だけど、

走ることの素晴らしさを発見したら続けるのが当たり前でしょ。

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それよりも、人間はもともと怠惰な動物だから、

運動を継続させるモチベーションを考えるべきなんだと思う。

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その点、素晴らしいランナー仲間と緑に覆われたランニングコースに恵まれた私は果報者である。

そうして明日は、多くの仲間と共に東京の良いところを縫って走るのだ。

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2014年11月28日 (金)

無益の事

毎日食って寝て、歩き回って排便して、喋って怒ったり笑ったり、随分永いこと生きてきた。

その長い年月に果たしてどうな意味があったのかと考えても、

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その答えは遥として見つからない。

思うに、逃げることなく、自分なりに懸命に生きて来ただけのようだ。

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結果として馬齢を重ね、もはや数年後には喜寿を迎えんとしている。

・・・先日、店頭で正月の松飾が売られているのを見て、そんなことを思ってしまった。

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既に師走を迎えようとしているのに、この一年何が出来たのかとの思いである。

やはり然したる事も出来ずに、悪戯に時を浪費してきた感がある。

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とは言え、所詮人生は無益な事の積み重ねなのかも知れない。

師走の声を聞いて、賀状を支度せねばと思案していると、宝船の絵が目に付いた。

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七人の神様がいっぱいに乗っているあの七福神の絵柄である。

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恵比寿、大黒、布袋、弁天、福禄寿、毘沙門、寿老人の揃踏みなのだが、

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それぞれの神様には、恵比寿天は商売繁盛、大黒天は何故か台所の神様、

福禄寿は寿命の神様、紅一点の弁天様は弁舌の神様などと役割分担がある。

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しかしながらその理由はかなり曖昧で、福禄寿と寿老人などの差は不明のようだ。

まぁ七福神全体が融通無碍で、それを信仰してきた日本人のいい加減さの象徴でもある。

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それに恵比寿様は日本生まれだが、他の神様はみんな外国生まれだ。

全国に関係する神社や寺があって、その神々を鎌倉時代以来祀ってきたんだから、

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一神教のキリスト教やイスラム教徒にすれば、あきれ果てる仕儀に見えるだろう。

ともかく、鰯の頭?すらご神体にしてしまう国柄なのである。

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ともあれ、エビス様とかホテイ様がユニークな衣でニコニコしてるのは目出度い限りだ。

毎日が愚かで無益などと考えてみても、所詮意味の無いことなんだろう。

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これまで通り、あちこち走ったり葡萄を育てたり無益な事を積み重ねようと思っている。

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2014年11月27日 (木)

文明に酔う

明治維新の元勲の多くが、西欧列強の文明を圧倒的な風圧で受け止めた。

それまでの攘夷論をかなぐり捨てて、文明開化へとひた走ったのは文明への憧憬故だ。

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そのお陰で今日の経済発展の基礎ができたといっても過言ではない。

そして戦後の文明は、豊かな物を伴いながら「民主」の声と共に米国からやって来た。

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戦時体制の抑圧からの開放とも併せ、私達はそれを全面的に受け入れたのである。

そして、戦後も既に70年である。

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私達の生活は飛躍的に便利で快適になったのだが、

巷では、勝手放題民主主義の弊害が目立つ時代になっている。

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親子関係の亀裂やら孤独な人々の増加、精神疾患患者の激増、

教育問題や住民自治、一人ひとりの公徳心や高齢化時代の福祉も危機に瀕している。

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ところで、元田東野の作詞で吟詠される「中庸」を知った。

 勇力男児斃勇力 〔勇力の男児は勇力にたおれ〕

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 文明才子酔文明 〔文明の才子は文明に酔う〕

 勧君須択中庸去 〔君に勧むすべからく中庸を択び行くべし〕

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 天下萬機帰一誠 〔天下の万機は一誠に帰す〕

・・・・と朗々と歌うのである。

明治中期の詩だが、この吟詠を聞きながら今日の社会を思ったのである。

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確かに軍部の闊歩する「勇力」の時代があったが、それも敗戦と共に滅びた。

戦後の個人主義礼賛は、まさしく「文明に酔」って無節操軽薄を招いたのではないか。

そして私たちに求められているのは、自己をしっかりと持った中庸の道ではないか。

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世の中の全てのことは、誠を尽くすことから始まるのではないか。

とまあれ私なりの解釈ではあるが、一人の人生に当てはめても、この詩は味わい深い。

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無謀な勇気や腕力は身を滅ぼす元だし、物や金・損得に固執する生き方は味気ない。

ここは難しいが、「中庸」を探りながら生きるべきであろう。

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2014年11月26日 (水)

ASDK

地域の青少年健全育成会がASDK運動を進めている。

A挨拶、S掃除=整理整頓、D読書、K交通安全・健康の頭文字である。

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子供達に日頃から心がけてほしい事柄である。

それで小学校とPTAが毎年ASDKに関連した標語を募集している。

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先日、学校協議会の折に優秀作品り表彰があって、標語の軽妙な素晴らしさに感心した。

A・・・・あいさつは、少しの勇気と、良い笑顔

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S・・・・物にもね、住所があるの、おかたずけ

D・・・・読書から、夢を広げて、飛び立とう

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K・・・・気をつけよう、なれたこの道、事故の元

何の気負いもなく、親子で相談して(あるいは日々の会話から)生まれた言葉だと言う。

お母さんやお父さんの子供の接している姿を彷彿とさせるし、Img_0173

標語作りも良いきっかけになると思った。

近頃、親の教育放棄が話題になる。

特に離婚が増えて片親で、尚且つその親が自分中心で子育てを放棄してしまう。Img_0145

小学生の子供がたばこを吸っていても黙って見ている親がいる。

俄然子供の行き場がなくなって、群れを成して坂を下っていくパターンである。

一人一人は良い子なんだけど、ラインなどで悪と繋がると手に負えなくなってしまう。Img_0148

小中学生で取り返しのできない事態になるなんて、実は大人の問題なんだ。

地域で子供を見守ろうとは言っても、基本は愛情だから自ずと限度がある。

少子化だから大切に育てられている訳ではなく、

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むしろ兄弟の多い貧乏時代の方が切磋琢磨して健全だったのではないか。

ともあれ、一人の脱落者が学校全体に影響を及ぼす訳で、他人事では済まされない。

住民の多くが口ずさんで行動出来る様な「こども憲章」を創りたいと思っている。

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2014年11月25日 (火)

歴世の庭

桑名は「桑名の殿様」の謡曲にあるように、ハマグリの産地として知られる。

三つの大河が流れ込むこの桑名の浜には、昔からハマグリが大量に発生した。

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殿様は、そのハマグリを毎年将軍家に献上したのだそうである。

幾分大味で特に好きと言う訳ではないが、「浜の栗」と言うのだから美味な代表だろうか。

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ともあれ、その揖斐川の河口近くに紅葉の映える古い庭があると言うので出向いてみた。

幕末から明治にかけて一代で財を成した諸戸清六の御殿である。

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あいにく御殿は修復中で観ることは出来なかったが、庭をゆっくり案内してもらった。

煉瓦蔵の脇をくぐると、色付いた木々の広がる瀟洒な回遊式庭園が広がっていた。

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蒼石や赤石をわたって進むと幾つかの茶室があって、藤茶屋にでる。

この茶室から藤を愛で、そしてその前に広がる菖蒲池を眺めるのが絶景らしい。

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御殿の前には琵琶湖を擬した池庭が広がっていて、

揖斐川の干満にあわせて刻々と景色が移り変わると言う。

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庭のあちこちに風変わりな灯篭が立つのも、この庭の見所らしい。

実はこの庭は室町時代から続くらしく、戦国期には織田家臣矢部氏の館だった。

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江戸中期に矢部家が断絶し、商人の山田彦左衛門が住居となる。

明治になって興隆してきた諸戸清六が、この山田長者屋敷の主となって今日に至る。

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と言う訳で、随分古くからの邸宅な訳で、その時代時代の趣向がそこここに見える。

推敲帝〔茶室〕や京五条から移したという橋杭灯篭などは江戸中期からのものらしい。

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ところで、その長者屋敷の主となった諸戸清六〔1846~1906〕の立志伝である。

庄屋の家に生まれたが子供の頃に没落し、各地を点々としながら育ったという。

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やがて桑名に落ち着いて船宿を営みつつ、米の仲買を基礎に財を成した。

一つには時代の転換があったろうし、

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この揖斐川・長良川・木曽川の水運に着目した清六の眼力が成功の要因だったろうか。

清六は、資材を投じて水道や消化栓施設を設置するなど、桑名の発展にも貢献している。

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2014年11月24日 (月)

人と人

引っ込み思案で顔見知りで、他人と仲良くなるのがとっても苦手である。

私だけかと思っていたら、これが意外にも大多数を占めているようだ。

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折角の人生だからみんな仲良くやりゃ良いのにと思うのだが、それが簡単じゃない。

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殊に地域では、共通の生活基盤が少なくなって、近所付き合いも極めて疎になった。

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隣の家の息子の顔も知らないのが、縁の薄くなった今日の現実なのである。

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それで何とかふれあいの機会を創ろうと言うことで、昨日は地域のイベントがあった。

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社会福祉がテーマなんだけど、多くの関係者が半年もかけて準備してきた催事だ。

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24もの出店が並び、舞台では各種の園芸も披露されて、随分多くの方々で賑わった。

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とは言え、この地域には2万人近くの人々が暮らしているんだから、多いとは言い難い。

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皆それぞれの価値観に安住していて、

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そんな地域の行事も関係ないと思っているのである。

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もっとも、ただ単に参加するだけでは、人と人との触れ合いが叶うかと言うと?????だ。

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むしろ人によっては疎外感を感じるかもしれない。

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人と人が仲良くなるには、共に汗をかくことが必要だ。

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共に目的に向かって苦労をすることで、人と人が分かり合えるからだ。

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この点、実行委員会に加わって準備してきた民生委員会や福祉委員会etcの皆さんの絆は

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さらに一歩深まったと言えるのではないか。

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それに「アッ、こんな活動をしている人たちがいるんだ」って

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知らせる機会にもなっただろう。

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ところで私の収穫はと言えば、人間観察である。

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ボランティアの子供達の動き具合、各団体の活性度合い、意外な一面を見せる人。

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舞台で日頃の活動の成果を見せる人、などなどと随分感じるところがあったなぁ。

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トン汁もお汁粉も美味しかったし、人と人の温かさを感じた一日である。

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最後は、餅まきで催事を終えたのである。

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2014年11月23日 (日)

圧巻のナイアガラ

やはり感動などと言うものは、行って感じてみないことには起こり得ないだろう。

木曽三川ウルトラの前夜、あの「なばなの里」に出かけてみたのである。

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もうすぐ暗くなろうかと言う夕方、タクシーを降りると広い駐車場は車で一杯であった。

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「えらい、人出やなぁ~」などの声を聴きながら、入場券を買う列の後ろに付いた。

なばなの里では毎日点灯時間が変わっていて、この日は17:15分であった。

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人々はその点灯時間を目安にやってきていたのだ。

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人の列に押されながら、イルミネーションの輝きを眺めつつ歩いた。

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「まあ、どこも同じだろう。」と先日のつま恋を思い出していた。

だが、大きな池の広がりの前まで来て息を飲んだ。

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水が流れるようにイルミネーションの流れが続き、水には淵の紅葉を映しだしている。

「ふぅ~ん、うまく水を活かしているんだ。」と、少しだけ来て良かったと感じ始めた。

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園内は一方通行で、どんどん押し出されるように流されていく。

・・・と眼前に、300mの光のトンネルが現れた。

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長いってことは、アベックだったらさぞかしロマンチックなんだろうななどと先を急いだ。

光のトンネルを抜けると、そこには別世界が広がっていた。

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無数の人々の背中越しに、巨大な滝が流れ落ちていたのである。

思わず「ホーッ」と声を漏らしたんだが、それ程に巨大な滝なんだ。

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目の前には波打つ川の流れがずっと広がっていて、

その向こうに巨大なナイアガラの滝がとうとうと落ちている。

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それも幻想的な音楽に合わせて、四季折々の一日が朝昼晩と移り変わっていく。

この巨大な作り物の前で、ただただ佇んでいる私がそこにいた。

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発光ダイオードを創りだしたのは日本のノーベル賞学者の皆さんだ。

省エネで素晴らしい革命的光を生み出したのだが、こんなエンタメも可能にしたんだ。

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北米に本物の滝を見に行くよりも、恐らくこの方が素晴らしいかも知れないと思った。

LEDの可能性は、まだまだ広がっていくのかも知れない。

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とまあれ、帰る段になって鏡池の傍らに人が滞っている。

群集心理で覗きたくなって人垣をかき分けていくと、是がまた得も言われぬ美しさで・・、

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池に映る紅葉が本物以上に艶やかなのである。

ビールを少し戴いていたんだけど、決して酔ってはいなかった。

だが、李白や陶淵明ならどんな五言絶句を紡ぐだろうか。

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それとも、ただ眺めるばかりで詩など生れないかも知れないな。

まあ、それ程に光に陶酔した一時を過ごすことが出来たのである。

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2014年11月22日 (土)

あぁ濃尾平野

今日は、木曽三川ウルトラマラソンを走りに桑名にやって来た。

木曽三川とは、木曽川・長良川・揖斐川のことで、愛知岐阜三重の三県を跨いで走る。

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この三川は、この国の骨組みを為す内陸部の山や谷を流れ、

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いずれも寄り添うように濃尾平野に流れ下っている。

と言うよりも、この広大な平野部は三川が作ったのである。

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だからこの三川が流れ込む下流部は、かつて洪水の常襲地帯で輪中が有名な所だった。

堤防で囲われた中に集落が在った訳だが、堤防が整備されたことで輪中が撤去され、

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そこを昭和34年9月26日、伊勢湾台風が襲った。

海水が逆流し堤防の決壊でこのあたりは一面の海になり、

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300人余の人命が失われ、排水が終わったのはその年の暮れ近くだったという。

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ともあれこの大会のスタートはその輪中公園で、そにの合図はウルトラマンである。

開会式にはウルトラマンに加え関係4市の市長、そこに愛知県知事が飛び入り参加して、

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中日スポーツ紙発刊記念のこの大会を大きく育てようとの意欲を語った。

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朝は肌寒く少々震えていたんだが、走り出して堤防にび出すと、

そこには春のそよ風の様なさわやかな川風が流れていた。

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そう、18k地点までは私達は木曽川と長良川を仕切る堤防の上を遡って走る。

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右左の川面には秋晴れの青空が映えて、明るい絵の様である。

濃尾平野の内陸部に入るに従って三つの川はそれぞれ袂を分つ様に離れていく。

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そこから私達は木曽川に沿って30kまで遡るのである。

その堤防上に延々と蟻んこのようにカラフルなウェアーのランナーが続いている。

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先週ハーフをそして先々週60k走っているから、うまく調整できたのか極めて快調だった。

それでスタートからずっと6分/kのペースを維持して走っている。

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30kの折り返し地点を2時間57分で通過し、このペースで最後まで行けるかもって・・・・

しかしそんな甘い話がある筈もなく、35k辺りからぐぅ~んとペースが落ちた。

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それでも40k地点を4時間12分に通過して、何とかなるかもって思っていた。

だけど前半飛ばした付けは確実にやっていた。

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50kが5時間44分とペースダウンして、とうとう歩き始める始末になった。

ともあれ、円谷プロダクションが主催のこのレースには、仮想ランナーも目立って、

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苦しかったけど、そんな一面でも楽しむことができた。

それにこの大会は、直線コースが多くてランナーがひときわ目立つ大会のようだ。

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それにしても、濃尾平野は広大でこれだけ走っても北に山が見えてこない。

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淡々と走るんだけど、あぁ~濃尾平野は広かったってのが感想かな。

ゴールがずいぶん遠かったけど、7時間20分で輪中ドームにゴールできた。

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そして完走賞は、円谷プロのウルトラマンの刻印されたメダルである。

私も、予想外の苦労の末やっとウルトラマンランナーに成れた次第である。

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2014年11月21日 (金)

汽笛一声から142年

東京駅が開業してから100年だそうだ。

旅人も物資も須らく徒歩か馬車(一部水運があったが)で移動していた江戸時代、

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明治以降の本格的な文明開化は、全国各地に鉄道が張り巡らされてからだ。

鉄道が新橋・横浜間を初めて走ったのが1872〔明治五〕年なのに、

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東海道線の開通はそれから42年後のことになる。

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西南戦争による財政悪化や路線論争などがあって、この時期までずれ込んだからだ。

だが1914〔大正3〕年に東海道線が敷設されると、この国の人の流れは一変していく。

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更に50年後の昭和39年に東海道新幹線が出来て、又新たな時代を創りだしたのだ。

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そうして今まさに、リニア新幹線開通に向けてその工事が始まろうとしている。

鉄道は最も基礎的インフラとして、この国の形を変えてきたといって過言ではないだろう。

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私の遠隔通勤だって鉄道があったから可能になったし、最近年は新幹線通勤だった。

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その電車の中では議論もしたし、読書と言う形で今の私にとって代えがたい時間だった。

ともかくも、電車にまつわる思い出は限りが無い。

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先日、機会あって名古屋市港区金城ふ頭にあるリニア・鉄道館を訪れることが出来た。

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ここには蒸気機関車からリニアまで39両もの実物車両が展示されていて、

各種の映像などと共に、乗車したり運転体験なども楽しむことができる。

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正に鉄道マニアにとっては絶好の遊び場である。

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だが私にとっては、その実物よりも鉄道にかかわる歴史展示の方が興味深かった。

それに鉄道模型の精巧で大規模なミニチュアがリアルに素晴らしい。

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東京から大阪まで実際の都市を俯瞰するようで・・・・、

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都市間や町々を走る各種の電車がそのまんまに再現されて動いている。

まあ、如何に電車が都市の機能と密接に関わっているかって事を言いたいんだろうな。

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そして最後に体験したのが、リニア車両への5分間の試乗である。

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前面や窓には時速500kの画面が流れ、タイヤ走行から浮上走行への変化を体感できる。

浮上走行では全く微動だにしない静かさに驚く。

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これは模型を使っての試乗だけど、今度のオリンピックの折にはこいつが走るんだ。

とは言え、果たして乗る機会があるのかどうか・・・・・未来と言うのは分からないからね。

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兎も角、一度は訪ねてみて損は無い施設だろう。

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2014年11月20日 (木)

曖昧と輪郭と

先日、ある地区で「ふれあいフェスティバル」が初めて開催された。

トークセッションとカラオケを中心にした地域の集いだ。

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私も加えてもらって、懐かしい歌を皆さんと一緒に歌わせていただいて、

余りに久方ぶりの合唱歌で、何だかえも言われぬノスタルジックな気分になった。

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こんな温かな行事は是非続けて欲しいと思うが、

日本には欧米のようなホームパーティは無いし、日本人は概して「ふれあい」が下手だ。

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とかく自意識過剰で本音を出したがらないから、付き合いは表面だけのことになる。

ニコッと笑って意味不明な言葉を交わすってのが、曖昧日本人の典型だ。

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宗教だって神社も寺社も並存してるし、道祖神だってキリスト教だって拝んじゃう。

神も仏も頼りがいのある方が良い訳で、そのご神体だって相当に良い加減に出来ている。

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欧米の一神教のように、何もそんなに青筋立てる必要も無いって訳だ。

そんな具合に、日本はあいまいさを高度に発達させてきた国だ。

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ところが、食べるものに関しては極めて繊細な一面を残している。

私も沢庵は切目正しく整っていないと旨くないし、刺身にはスパッと鋭利な輪郭が必要だ。

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煮物だってそれぞれ素材が生きていないことには、和食とは言えないだろう。

茹でて綺麗に切り揃えたホウレンソウに、たらりとあの醤油を一滴垂らして頂く旨さ、

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それがゴテッとした固まりで出てきたら食傷でしょうが。

この点中華でもイタメシでも、況や欧米の食も基本的には形よりも量本位なのである。

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そうそう・・・、日本人には純粋を尊ぶって傾向もあるよね。

先日ある飲み会でビール談義になって、「スーパー○△はビールじゃないよね」と言い出した。

麦芽100%でなくってコーンスターチが入っているから不純なビールだという主張だ。

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だけどどうだろうか、目隠しして飲んだら果たして旨いのはその不純ビールなんだよね。

ともあれ、ふれあい上手な日本人を目指したいが、

刺身の切り口のようにスパッとした自己主張ばかりが良い訳でなし、

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純粋さだけよりも清濁併せ呑む方が魅力的かもしれないな。

まぁ~地域のふれあいは、出会いの機会を増やすことから始まるだろう。

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2014年11月19日 (水)

晩秋の憂い

日一日と日長が短くなって、それに朝晩はめっきり冷えるようになった。

辻立ちの交差点も建物の日陰に入ってしまって、北風と共に一層の肌寒さを感じる。

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何時ものように私の朝は早いんだけど、畑をいじろうにも明るくなるのを待たねばならない。

今朝も5時頃起き出して、「あぁ、夏だったら今頃はブドウ棚の下で・・・」などと思ってい.る。

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今年は残暑がなくって一気に秋が来て、その秋がずぅっと続いてきた感がある。

そんな気候の故か、山の紅葉は例年になく鮮やかである。

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赤に黄に濃淡をつけて、晩秋の陽の中でいい色合いを見せている。

彼らが紅葉するのは、私たちに冬の到来を告げるシグナルでもある。

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そして葉を落とす木々は、来春の芽をキチッと準備したことを告げている。

寄る年波ゆえか、冬の寒さと夜の長さは耐え凌ぐというイメージが強くなった。

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俯いて背を丸め、到来する冬をやり過ごそうと言った気分だ。

しかしながら畑は少し違っていて、この冬にこそ力を溜め込もうとする野菜がある。

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玉葱や馬鈴薯がそうであり、ホウレンソウも冬にこそ美味しく育つ。

そんな訳で昨日は、大量の玉葱を定植した。

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白菜には鉢巻をさせて、たっぷりと美味を蓄えられるようにしたんだ。

エンドウも霜を避けて成長できるよう立派な棚をこしらえた。

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そんな具合で山の木々と同様、畑の冬支度もかなり進捗したと言えるだろうか。

・・がしかし、頭では分かっていても心の問題が残る。

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やはり昼が長くって活動的なほうが、考えることも行動も前向きになるでしょ。

たっぷりと汗をかいて、冷えたビールをカーっと飲む快感は暫らくお預けなのだ。

ところでメランコリックな心だけど、人間はやはり頭ではなくて心で行動する。

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それに心には勢いってものがあって、心がいじけると動きが取れなくなる。

そんな訳で、この冬もあちこち走り回って心を刺激しようと考えている。

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2014年11月18日 (火)

意欲の源

人生は挫折の連続だし、挫折にめげずにどれだけ新たな意欲を湧かせられるかだと思う。

子供の頃から苛められたり、がっかりしたり落胆したり、ハラハラしたりの連続だった。

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自分で運動音痴だと思っていたし、実際に野球やテニス・水泳も苦手だった。

苦手はどうしても避けて通るから、子供の頃はけっこう一人ぼっちで過ごしていた。

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自分が何者か分からなかったし、鬱々と本を読んで過ごすことが多かった。

そんな内気な少年を支えてくれたのが、気丈な母親だったかも知れない。

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19で嫁に来た彼女には、「なにくそッ」って気持ち・・・負けん気があった。

何時の頃からか、私にもその「負けるもんか」って気持ちが起こるようになっていた。

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今で言うところの自尊感情を持ち始めたのは、中学2年になってからだった。

駄目なガキでも「目標を持って、やれば出来る」って、思えるようになったんだ。

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それからの人生だって、勿論一本調子である筈がない。

仕事にしても人間関係にしても、随分悩んだり失敗したり困ったりしてきた。

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それでも何時の頃からか、時間が解決するってことや何とかなるって楽観する様になった。

思えば、挫折する度に打たれ強くなって来たのかも知れない。

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それに、些細なことで投げ出したら、そこで人生は終わりって分かっているからね。

40歳過ぎから走ることを始めて、程なくウルトラマラソンに挑戦するようになった。

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100kを走り続けることは、口で言うほど簡単なことではない。

その途中では、何度も何度も「こんな苦しいこと、何でやってるんだッ」って思う。

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でも、途中リタイアした後の悔しさは並大抵のものじゃない。

そのリタイアの挫折をリカバリーするために、また新たな挑戦への意欲を湧かせるんだ。

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もっともっと鍛錬して、今度こそ何とか走り切ってやろうってね。

人生もマラソンと良く似ていて、失敗したら起死回生、倍返しでやり遂げりゃいいんだ。

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兎も角、人生は投げたら終わりよ!!

「何くそっ」って、新たな意欲を持ち続けないとね。

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意欲の源泉は、前に向かって進もうとする自分の心にある。

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2014年11月17日 (月)

弥生の大革命

この日本列島に住む私達は一体何処から来たのかということを考えたい。

人類の歴史は、500~600万年前から猿人・原人・旧人・新人へと進化したとする説、

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否そうでなく、20万年ほど前にアフリカから拡散したとするイブ説まで実に多彩だ。

そのマクロな説は兎も角、この列島には旧石器の縄文の時代から人々が住んでいる。

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その縄文人は、どうやら陸続きとなっていた寒冷期に、

アジア大陸や島嶼部を含む東南アジアからやってきた人々らしい。

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頭蓋骨の形態やDNA分析による埴原らの遺伝学的な研究によって、

原日本人が東南アジアから移り住んだ人々だと言うことが科学的に証明されつつある。

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およそ2万年前の平均気温は現在より7~9度低く、日本列島も大陸と繋がっていた。

マレー辺りに住んでいた原アジア人が、永い年月かけて陸地伝いに移動してきたらしい。

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やがて気温が上昇して大陸と切り離され、独特の縄文人として進化していく。

その永い永い縄文時代を激変させたのは、

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朝鮮半島や中国中南部から海を渡って新たにやって来た人々だ。

その渡来の流れは縄文末期から七世紀まで約千年にわたって続くんだ。

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様々な理由で次々と海を渡ったんだろうが、移住を余儀なくされた権力者の一族

それに付随する一般民衆、更にはボートピープル的な難民がいたんだろう。

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その彼らが稲作などの農耕や金属器、はたまた織物などの技術をもたらした。

この異文化が流れ込んだことで、採集狩猟を中心だった縄文の生活も激変する。

勿論、在来の人々と渡来してきた人々の対立と融合を伴いながらである。

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それに栄養状態の改善で体格も良くなって、人口も爆発的に増えただろう。

縄文人との混血もどんどん進んで、今日の日本人の原型が生まれたのだろう。

やがて農業が生み出す富の集積が権力を育て、この国の基礎が涵養される。

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そして6世紀頃畿内で成立した朝廷は、

大陸の進んだ技術を取り入れる為に施策として積極的に渡来人を受け入れる。

百済や高句麗の人々が大挙してこの列島に移り住んだのはこの頃だ。

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ところで沖縄の人々とアイヌは、縄文人の形質を色濃く残していると言われる。

地理的な影響で混血が遅れたとされ、弥生革命の証明にもなっている。

いずれにしても、この列島では文化的な大転換期が2度あったbことになる。Img_0186bs

この縄文から弥生への大転換であり、もう一度は明治維新後の変化だ。

ともかく、日本人は日本人だけで固有に出来上がった集団でないことは明らかだ。

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2014年11月16日 (日)

心もとないジュビロだけど

今日は、ジュビロ・メモリアルマラソンである。

ジュビロ磐田をバックアップする・・・そんな趣旨で始まったマラソンなのである。

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だがそのジュビロは昨日も負けて、J1昇格には23日の最終戦に勝って、

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次の昇格戦に勝ち抜かねばならなくなった。

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残念ながら、首の皮一枚の所まで追い込まれた状態にある。

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ともあれ、メモリアルマラソンは参加者1万人余と過去最大を記録した。

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マラソンの人気ランキングでも常に上位を維持し続けている名物大会になっているのだ。

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その理由は、一重に沿道の応援の素晴らしさにある。

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市内の高校の吹奏楽部は勿論、すべての幼稚園児が沿道に出て応援している。

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私の地区では、校長を先頭に小学生の一団が応援に出ていた。

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女性グループのシッペーダンスやら祭囃子やらと、ずぅ~っとコースは賑やかなのである。

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そんな場面を写真に収めつつ、記録を目指したのだが寄る年波か・・・・、

足の方は思うに任せない。

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実は、このマラソン大会のコースは我が家の近くを私の通過する。

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当然ながら知人縁者は数多く、私の名前が何度連呼されたことか。

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と言う訳で、スピードを落とす訳にはいかず、汗びっしょりでのゴールになった。

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ネット1時間51分17秒、年代別では71位だからまずまずではある。

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ウルトラを走る私にすれば、ハーフはアッと言う間に終わってしまうレースだ。

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夢見心地のうちに終わってしまって、

何だか、走ったという実感がないままレース終盤を迎えてしまう。

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それにゴールして直ぐ、

壇上に登って10kの部入賞者のプレゼンターを務めなければならない。

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表彰式に臨んで思うのは、

入賞は必ずしも歳の若さではないってこと。

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それにランナーはみんな、スラーッとして素晴らしい体形をしているってことだな。

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そうだなぁ~、たっぷり汗をかいたし、

今日のレースは、私なりに燃焼した良い大会になったようだ。

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2014年11月15日 (土)

過去の災害に学ぶ

1959年のあの伊勢湾台風から、今年で55年になる。

1,200人余の死者を出した狩野川台風の翌年のことだった。

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我が家でも瓦が音を立てて飛ばされ、

親父と二人で風で弓のように撓る玄関戸を必死で支えていた。

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やがて親父が逃げようと言い出して、家族揃って庭の隅の木の下に逃げた。

私は12歳だったが、家が飛ぶ程の恐ろしさを味わったのは、

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これまでに伊勢湾台風だけで、あの時の記憶は今でも鮮烈である。

日本の都市は総じて海岸線沿いにあって、海岸には防潮堤がめぐらされている。

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伊勢湾台風では、その伊勢湾の6.5mの防潮堤を越えて10m余の高波が襲ったのだ。

防潮堤はひとたまりもなく決壊し、ゼロメートル地帯に広がっていた都市はほぼ水没した。

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結果として5千人余の死者を出し、

干拓によって出来ていた街々は長期に渡って海となった。

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海岸堤防が再建されて、排水が終わったのは年の暮れ近くだったという。

それがあの伊勢湾台風のあらましである。

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この国の災害対策は、この伊勢湾台風を機に始まったと言っても過言ではない。

今日は、自治会長の皆さんと共に、名古屋市港防災センターを訪れた。

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センターでは伊勢湾台風を追体験できるだけではなく、

火災からの避難やら過去の地震の揺れを再現体験などリアルな防災を実感できる。

防災センターでの台風時のドラステックナな3D映像を観て、

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雨戸のガタガタとなるあの音を聞きながら、55年前の恐怖を思い出していた。

台風の脅威もさることながら、親父ってのはこうやって家族を守るんだって・・・・・

別の意味で人間が生きる原点のようなものを身に染みて学んだ台風だった。

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あれからもう55年にもなるのが嘘のようだが、近年は幸いにも大きな台風災害はない。

しかし、地震災害同様に台風も決して侮ってはならない自然災害だ。Img_0169

今日は静岡県の防災センターとは一味違って、少し泥臭い体験をさせてもらった。

やはり深刻な災害の経験は、未来に大きな教訓を伝えてくれる。

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南海トラフの動きが心配なこの地域に私達は暮らしている。

起こってみなければどれ程の災害になるのか分からないが、慢心は禁物だろう。

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2014年11月14日 (金)

ゴミのゴミ

昨日は、廃棄物関係の審議会があって、広域粗大ゴミ処理施設に出掛けた。

日頃から家内に粗大ゴミ扱いされている私にすれば、

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それはどんな施設かと戦々恐々の思いで出掛けたのである。

田圃の中に忽然と建つ綺麗な建物がその処理施設で、廃プラや不燃ごみ・がれき等を扱う。

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自転車や冷蔵庫、包装容器やプラスチック類を仕分け、

砕いたりして再生原料としてリサイクルに回す前処理をする工場である。Img_0163

毎日回収されてくるプラスチック容器などにも色々な物が混入していて、

これを手作業で仕分けして再生業者の受け取る規格にするんだから大変な作業だ。

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それからゴミ処理場から出る焼却灰を埋設している最終処分場についても話題になった。

私達は毎日のように多くのゴミを排出しながら生活している。

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ゴミを減らすことは出来ても、出さずに生活できない時代なのだ。

そのゴミが焼却場に持ち込まれ、今度は大量の焼却灰が出る訳だが、

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この処分は現状では埋め立てる他無い。

この処分地の確保を巡っては何処の自治体でも頭を痛めているんだが、

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更にこの処分灰には大量の塩が含まれていて、この処置も中々大変なのだ。

食物残渣やら何やらの中には私達の使った塩が残るが、償却しても塩は残ってしまう。

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更に排気ガスから塩素clを除くための処置が一層塩分濃度を高めてしまう。

その灰の中に濃縮された塩分が降雨の度に染み出してくるんだから厄介である。

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焼却灰を溶融固体化して砂条のスラグを作ることも試みられているが、

今度はそのスラグを使う場所が限られる上、当然多くのコストがかかる。

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リサイクルは是非とも必要だが、経費を考えると実際には中々難しいのである。

私達は当たり前のようにゴミ袋を出しているんだけど、

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ゴミ問題については自分の事として、もっと考えなくてはいけないようだ。

ところで私の様な再生不可能な粗大ゴミは、扱ってくれる所がなさそうである。

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2014年11月13日 (木)

空っ風

今年の秋は随分と暖かな日が続いて、その為かどうか紅葉が少し早く鮮やかなようだ。

それが今朝は一転、遠州名物の冷たく強い北風が吹き始めた。

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いやじっさい、もう十一月も半ばなのである。

もう間もなく師走を迎えるんだから、空っ風が吹いて当然だし・・・と思い直した。

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しかしながら、日長が短くなって、時間がドンドン蒸発するかのように消えていく。

地球の回転軸が何故傾いているのかはともかく、

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この日照時間が私達の大きなバイオリズムになっていることは言うまでもない

日長の長くなる春先には、何につけても開放的で動きも活発になる。

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でも日に日に昼間が短くなるこの時期は、少しばかり陰鬱で行動だって萎縮してくる。

冬将軍を前にしては、何時も薄着の私もさすがにダウンを着て街頭に立つからね。

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だけど私達は、夏の暑さや春の麗らかさではなく、

この冬の空っ風と共に育ってきたのだと思う。

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高校の頃、自転車で風に逆らって学校に向かいながら、何時も「何くそッ」って思ってた。

寒風の中で凍えながらハウスに菰を掛けつつ、「生きる為の営み」を覚えた。

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水洟を拭きとるもんだからテカテカになった上着で飛び回ったあの頃、

それが今でも私の体の芯に生きている。

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確かに夜が長く寒いこの時期は堪えるけど、この時期の雌伏こそが明日を明るくする。

学校から帰って畑を見渡すと、路地のホウレン草が厚くなった葉を揺らしていた。

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それに早生の白菜が、もうすっかり結球して美味しそうなんである。

木々も野菜も、たっぷりの養分を蓄えて春に備えるんだ。

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「北風小僧のカンタロー♪」なんて歌を思い出しながら、そんなことを考えた。

外では依然として、ヒュー、ゴーっと空っ風が吹いている。

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よかろう!!  この空っ風を楽しんで乗り切ってやろうではないか。

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2014年11月12日 (水)

ほんとの自分

昨夜書いた事に関連して、「やはり自分って何だろう」って考えている。

人は自己愛や自己肯定感が無いと前に進めないと言われる。

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だから教育では、子供を意識的に褒めて自信を育てる事が大切になっている。

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「ほらっ、あなたにも出来るでしょ。」ってね。

多分私だって、叱られたり褒められたりしながら、

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それでも何とかやれるって感じてきたから、今日ただいまがあるんだろう。

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しかし本当のところは、今でも自分って存在があやふやで良く分かっていない。

時にものすごく弱虫になるし愚かだし、直ぐに腹を立てたり、

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単純単細胞で、相手への思いやりを欠いた言葉を使ったり、

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けちで臆病で、尚且つ何時も劣等感と同居してるし、実に沢山の弱さを抱えている。

自己嫌悪することだって度々だしね。

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だから、本当の自分ってものが何処にいるのか、必ずしも定かではないんだ。

そりぁさ、自分が可愛いのは事実だが「自己愛〔自信?〕」の自覚も無い。

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だって、何時どんな顔が飛び出すのか分からないんだから。

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だけど、そんな色々な要素を内部に包含しているのが人間なのかもしれない。

人間の違いは、その多くの要素の中のどの部分を顕在化させるかどうかであって、

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初めっから定まった「ほんとの自分」なんて者が存在する訳が無いんだ。

つまり俺と言う人間は、何処にでもいる他の人と大同小異ってこと。

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ただ馬齢のお陰で、自分の弱さが何処にあるかって事が分かるようになっ分、

危機的場面でも幾分の対処が出来るようになっているだけだ。

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どうやら自分を愛するって事は、ひっくるめて冷静に自分と付き合えることらしい。

自分らしく生きるって事は、現実の自分と向き合って妥協しつつ選択することだ。

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そうさね、これまで通り謙虚に生きれば良かろう。

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2014年11月11日 (火)

自分らしさなの?

この言葉が魅力を持ち始めたのは、バブル崩壊の少し前あたりだろうか。

個人が強調されて、「自分らしく生きよう・・」なんてことが説得力を持ちだした。

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しかし良く考えると、何が自分らしいことなのか分からなくなってくる。

そんな抽象的なことなのに、何故市民権を持つに至ったのだろうか?

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それはどうも極論すると、消費が飽和する中での消費開発戦略だったようだ。

例えば、家に一台で十分だったTVも、

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家族がそれぞれ見る番組が違えば家族の数だけ必要になる。

寄り添って生活していた家族が別々の生活を始めれば、

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住宅にしても生活用品にしても、それだけ需要は確実に増えると言う訳だ。

そんな訳でこの四半世紀、

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核家族が当たり前になり、尚且つその一人一人もプライベートを主張するようになる。

個室にこもって、TV・パソコンはおろか冷蔵庫も車も別ってな風にね。

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つまり『自立』を煽れば確実に商品市場は拡大するってことなんだ。

そんな風潮が広まるにしたがって、結婚もしないし子供もいらないってことになっていく。

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だって、自分なりのこだわりの生活をするには邪魔な存在だからだ。

もちろん口うるさい親もお節介な隣人も、厳しい上司も、すべからく自己実現の邪魔者だ。

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そして一点豪華にベンツに乗って・・・・・、

或いはロレックスをはめて自分らしさを強調してみたりする。

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ほらっ、時計のPRだって「あなただけの…」って強調してるでしょ。

おまけに自分の容姿や愚鈍さまでも、親(他人)のせいとして認めようとしないんだ。

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前政権時代に一斉に顔をのぞかせた、あの他罰主義もその流れだったろう。

だけど、それが果して自分らしいってことなのかどうか?Img_0055

自分らしさってのは、他の人々とのかかわりの中で、

環境の変化と折り合いつつ創り上げて行くものなのに、そんな事は一顧だにしない。

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本当の自分らしさは、家族や地域・職場のかかわりの中で育まれるものなんだ。

どうも私達は、真逆の「自分らしさ」を追い求めていたのではなかろうか。

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商業主義に乗せられてね。

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2014年11月10日 (月)

川根路の秋

奥大井紅葉マラニックは接阻峡から寸又峡経由、川根温泉までの60kを走る。

まだ薄暗い午前6時、接阻峡の宿を出発する。

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心配した雨も降らず暖かな朝である。

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今回は例年と少し変わって、スタートから3kほどの平田から旧道の山道を辿った。

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この等高線沿いの道を行くと、寸又峡に向かう街道の頂上部に出られるのである。

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ほとんど使われていない道のようで、あちこちに崩落もあるが紅葉が素晴らしい。

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どれ程進んでからだろうか、前方に動くものが見えた。

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アッ、イノシ・・・・と声が出たのだが、明らかに走り方が違う。・・・熊だッ!!

慌てて道端の枯れ木を拾って構えたが、幸いその時には熊は道の向こうに走り去っていた。

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まさかとは思っていたけど、本当に熊に出合うなんて…・!!!

もっとも、我々の侵入に熊の方が驚いたんだろう。

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ともあれ、錦織なす山肌を堪能しながらのランである。

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坂を下って寸又峡に入ると、燃えるようなドウダンつつじやモミジの紅葉が迎えてくれる。

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それに大間ダム湖の水がコバルトブルーに静まって、その紅葉を映している。

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まだ8時過ぎ、ダム湖に掛かる静かな夢のつり橋を渡る。

何とも、絵の中の一瞬を演じているような場面が続くのだ。

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しかし、この頃からポツリポツリと雨の気配が始まっていた。

寸又峡から折り返して山を登り、今度は千頭に向かう。

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長島ダム湖の近くでKさんと友人の二人がエイドを開設して下さっていた。

美味しい柿と洋ナシを戴き、そして特製の梅ジュースを熱くしていただいた。

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実はもう土砂降りで、雨がウインドブレーカーを通して全身ずぶ濡れなのであった。

暫しの元気をもらって、千頭駅めがけて雨の中をひた走る。

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止まれば寒くなるから足を止める訳にはいかないのだ。

千頭駅には11:20に着いて、熱い天ぷらそばを食し、直ちに川根温泉に向かう。

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ここから川根温泉までは26kである。

とは言え、足にはかなりの疲労感があって、おまけに雨も負担になっている。

でも一歩一歩、1kまた1kとゴールまでの距離を縮めていく。

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塩郷など幾つかのつり橋を渡り、ついに15:05川根温泉にゴールとなった。

朝から9時間05分で60kを走ったことになる。

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朝のうち紅葉を存分に楽しんだ分、午後はひたすらゴールを目指す他なかった。

ともかく、ゆっくりと湯に浸かって疲れを癒し、祝杯で労をねぎらった。

大変だったけど、やはりこの達成感は何物にも代えがたいのである。

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2014年11月 9日 (日)

川根路のかおり

奥大井紅葉マラニックを前にして、川根路を旅した。

JR金谷駅に集まったのは9人である。

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埼玉、品川、町田、兵庫、杉並、それから地元の4人で、随分と役者が揃った。

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新川根駅からは、蒸気機関車に揺られて千頭に向かう。

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汽車が汽笛と共に動き出すと、さっそく名物弁当を広げてダジャレの応酬が続く。

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ビールの酔いがほのかに回って、顔のほてりと共に外の山々の紅葉が目立つようになる。

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窓を開けて山の色づきをを眺めていると、懐かしい匂いが流れ込んできた。

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汽車のボイラーで焚いている石炭のにおいである。

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咽ると言うほどのものでなく、何だかとても懐かしい香りなのである。

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それで子供の頃、ずっとこの匂いを嗅いでいたことを思い出したのである。

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親父の温室のボイラーの担当が私だったのだ。

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毎日学校から帰ると、貯炭場からボイラー室に石炭を運んで火をつけるのが仕事だった。

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焚きつけの上に薪を置いて火が盛んになると、上から石炭を入れる。

その時のあの匂いと同じだと気が付いたんだ。

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その暖房の石炭も中学に入るころには重油に変わって、随分楽になった記憶がある。

しかし、この大井川鉄道の目玉は、

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依然として毎日何本かの蒸気機関車を走らせ続けていることだ。

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過疎地のことで経営は苦しいが、ポー・・シュポシュポと健気に気を吐いている。

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この夏にはトーマス君を走らせて、大いに賑わったのも記憶に新しい。

程なく千頭に着いて、ここからはトロッコ列車で接阻峡に向かう。

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だが私達は、長島ダム湖の中に浮かぶ湖上駅で下車して、接阻峡まで歩いて向かうことにした。

幾つものつり橋を渡り、紅葉を映す大井川の流れを横目にちょっとしたピクニックである。

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宿に入って今度は接阻峡温泉に向かう。

ここの泉質は炭酸泉とかでぬるぬると天下逸品なのである。

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そして夜の宴会だが、今回は小所帯だからコンクな交流になった。

お互いが見えるというか、実に楽しいひと時を過ごして明日に備えたのである。

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2014年11月 8日 (土)

個食と子供たち

辞書にも、この言葉〔孤食も〕がちゃんと乗っている時代だ。

それ程に「一人でご飯を食べる」ことが多くなったのだろうし、

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家族がテーブルを囲んでいたとしても、TVに夢中で食するなら事は個食と同じだ。

個食は就業形態の多様化などによって増えたんだろうが、

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食べ物を家族みんなで分け合う必要が無くなったこともあるだろう。

私の子供の頃は、やたら腹が空いていたんだけど、

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学校から帰って食べられるものと言やぁサツマ芋程度だった。

こっそりお櫃からご飯をつまみ食いなぞしようものなら、お袋にこっ酷く叱られた。

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そのお袋が、自分の食べる分をコソッと私に分けてくれたりした。

今では考えられないけど、兎に角限られた食事をみんなで分け合って食べていた。

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だが時は移って、世はまさに飽食の時代である。

飽食だけではなく、コンビニで何でも売っているし、それにチンだけで調理も要らない。

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それにしても、共に食事和するのが煩わしいとは如何したことだろう。

アメリカのファミリーって言葉には、共に食事する人って意味があるらしい。

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そう言えば、西部劇には焚き火を囲んで食事しながらそんな言葉を使っていたっけ。

パキスタンの山岳地帯は近年では物騒な所だが、

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スリー・カップス・オブ・ティーと言って、

「一杯目はよそ者。2杯目は客、三杯目は家族」として扱われるのだそうだ。

貧しい生活の中で、三度もお茶に招くなんてことは余程のことなのだ。

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食料と水がこの上なく大切な所で、それを分かち合うのは友愛の最高の印になる。

いやいや、辺境のイスラムの地に限らず、

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親しくなった恋人同士が二人の呼吸を合わせるには、先ずは一緒に食事することだろう。

職場の仲間が誘い合って居酒屋で一杯やるのも含めて、

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人は一緒に飲食することでお互いの波長を合わせて行くのである。

個食は食料が貴重ではなくなったことの裏返しであり、人が一人でも生きられる環境になったて事なんだろう。Img_0082

豊かさの産物には違いないが、それは利己を可能にしても本当の豊かさではあるまい。

家族を忌避して一人で食う飯が、果たして幸運を導き寄せるだろうか?

答えは、考えるまでも無かろう。

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2014年11月 7日 (金)

マラニックで元気

埴原和郎著「日本人の成り立ち」と言う少し難しい本を読んでいる。

この日本列島に住む人々が、一体何処からやってきたのか?について書いている。

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その要点は何時かの機会に書くとして、その本の冒頭に含蓄のある言葉があった。

「人間は体だけで生きているのではなく、また文化だけで生きているのでもない。

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人間は自然から与えられた体と、自ら作った文化の狭間で、

たえず自然環境の試練を受けながら生きている。」

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・・・・ちょっと難しいけど納得できる言葉だ。

以上は前置きで、今夜は健康について書こうとしている。

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健康で生活する為には、バランスの取れた食生活と規則正しい生活と運動は常識だ。

だけどそれだけでは駄目で、実はメンタルが健康に大きな影響を与えている。

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他の人間とどのような会話をしたかとか、何人と笑いあうことが出来たとか、

或いは周りの人から何かを期待されているとか、・・・・

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兎に角、自分を取り巻く社会的な環境が健康を大きく左右する。

例えば、ストレス一杯の生活が癌を誘引することは良く知られていることだし、

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「笑う門には福来る」ってなことも実感できるよね。

正に人間は社会的な動物で、人から認めてもらえないとドンドン落ち込んでしまう。

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「自ら作った文化の狭間」ってのは、歴史的に積み重なった文化もさることながら、

日々の人と人との関係や生活文化なんだろうと思う。

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だから毎日俯いて生きるんじゃなくって、外で皆と飛び跳ねるのが良いなぁ~って思う。

走って歩いて、語り笑い合って、心も体も軽く〔足はちょっと重く?〕なるからね。

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先日の小笠山トレイルも、たっぷりの自然の中で心と体を開放する大会だった。

心温まるエイドやお祭りとの遭遇もあったしね。

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それに一日、随分と笑ったし語ることも出来た。

人間は、やはりアクティブに動き回ることが肝心だな。

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2014年11月 6日 (木)

平和のコスト

何だか、叱られそうなことを書こうとしている。

政府が、合計特殊出生率を1.8にすると言い始めた。Img_0087

一体全体、どんな政策を繰り出せばそんな奇跡的なことができるのかと思う。

かつて人口は、その国で生産できる食料によって決まっていた。

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例えばこの列島の人口容量は旧石器時代なら3万人、粗放的な農業の時代は700万人、

そして集約農業が始まると3,300万人くらいになった。

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それ以降の国際貿易の時代が始まると、食料生産の軛を離れて人口が増えていく。

そして人口の制約は、生活水準を維持できる範囲に限定されるようになった。

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つまり誰もが、自分の生活水準を維持するのか子供を増やすかの選択をするに至ったのだ。

それで多くの日本人が、自分の生活水準を維持するが為に人口抑制行動をしだした。

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極端な話、結婚もせずに利己的な生活を享受した方が良いという選択も有りになった。だけ

それが今日の極端な少子化の原因である。

さらに少子化の大きなファクターに家族の崩壊がある。Img_0092

かつての家族と言うのは、運命共同体であり生活共同体だった。

家族みんなが寄り添って生活しなければ、食べることも住むことも出来なかったのだ。

それが幸か不幸か、飽食だけでなく一人で生きる方が楽な時代になってしまった。Img_0093

家族愛や隣人愛などは貧しい時代の話で、

一人で生活した方がずっと自由で潤沢な消費生活を享受できる。

弱者は公的機関に任せて、自分は孤独でもその方が楽でよいと考えるのだろう。Img_0094

そういう意味では、少子化も家族の崩壊や地域の分解も平和と豊かさのコストなんだろう。

ともあれ、今日の少子化を逆転させるためには、子供を産んだ方が得にしなきゃならない。

例えば、子供一人産んだら一千万円の報奨金を出すとかね。Img_0095

だけど消費税を2%上げるのに四苦八苦している財政では、とても無理だね。

それにさ、金のために子供を産むなんて・・・・変な奴が現れないとも限らないしね。

本当に子供を増やしたかったら、国民全体の生活水準を下げれば良い。

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そうすれば必然的にキャパシティ(人口容量)は増えるし、働き場所だって行き渡る。

賃金も少なくて済むから、企業の競争力も増すって訳だ。

だが、果たしてそんなことが可能なのかどうか?

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2014年11月 5日 (水)

女性は輝く

今日は可睡斎の僧坊で防災への女性参加についての研修会があって、

それで今夜は女性について書こうとしている。

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「女性が輝く社会」の実現が大きな政治課題になっている昨今、これまた異論も喧しい。

男が働いて家庭では育児に家事の専業主婦が理想と言うクラッシックな意見やら、

女を経済成長の道具にするなのアジテーションなどと百家争鳴の感もある。

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男女共に働かなければならない時代になっているのは事実なのだが、

むしろ、男と同等の扱いを求める意見は少数派かもしれない。

それにしても、私の生まれた頃には一人の女性が平均4.5人を産んだんだから、

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今日の日本の少子化〔合計特殊出生率1.25〕は驚くべき低さだ。

見方によれば、女性が子供を産むのを放棄してしまっているとも言える。

原因としてはっきりしていることが二つある。

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一つは、女性の学歴が高くなると、何処の国でも出生率は低下するということ。

出産育児が女性の自己実現を妨げるからだ。

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もう一つは、教育費が高いと経済的負担から出生率が低下すると言うこと。

だから対策は、先ず女性の識字率を下げることだが・・・、これは政策として暴論だ。

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だから次善の策として学校教育費を高校まで無料にしてみたのだが・・・、

これが何故か、さっぱり効き目が無かった。

残る手段が子供を産んだ女性を優遇する子供手当てだったんだが、Img_0104

これも財政的に遣り繰り出来ずに頓挫したばかりだ。

それに、子供の有る無しで不公平感もあったしね。

要するに八方ふさがりということらしい。Img_0105

しかしあれだね、この国の開闢以来の男社会をひっくり返すことが肝心なんじゃないか。

生産活動にしろ政治・経済・自治活動すべからく男が牛耳ってきた社会を変えること。

例えば、あちこちで展開している自主防災活動だって、男ばっかりでやっている。Img_0106

女性はせいぜい炊き出し班ってことになる。

だけど東日本大震災で証明されたように、女性が多くの分野で役割を担わない限り、

弱者として女性の犠牲が多くなるばかりだった。

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避難所のありようにしても、物資配給・生活再建にしても然りだ。

経済活動だけでなく、社会全体としても女性の登用が不可欠な時代だろう。

自治会長だって、その半分が女性でも何の不思議も無い筈なのだ。

出来る限り早期に、配偶者控除なんて差別制度は廃止すべきだ。

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2014年11月 4日 (火)

ムスリムと教育

ムスリムとはイスラム教徒のことである。

国際無法集団のイスラム国を上げるまでもなく、

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私達は、イスラム教とは何と物騒な宗教かと身構えるようになっている。

現実に世界の火薬庫はことごとくイスラム圏に起因しているのだから、

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アラーはかくも悪辣非道な宗教者であったのかと思うのも無理はない。

しかし敬虔なイスラム教徒が過激なテロリストである筈もなく、極普通の市民でしかない。

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テロを培養し続けている温床は貧困と教育にある。

パキスタンやアフガンの貧困層を支配しているのが、

オイルマネーを後ろ盾にした宗教団体だ。Img_0099

ワッハーブ派のアル・ハライマン財団や国際イスラム救援機構は、

教育の空白地域に万余の礼拝堂を建て、同じだけの神学校を運営している。

そしてその教師たちは、学も無く過激思想に洗脳されたテロリストたちなのだ。Img_0100

貧しさからの脱却を求めて神学校を頼る子供達の多くがイスラムの戦士に育てられる。

毎年、神学校に学んだ8万人余が新兵としてタリバンの戦士になっているという。

彼らは一日中、ムハンマドのコーランを唱え、ジハード(聖戦)を教えられる。Img_0101

かつて日本の特攻隊教育と瓜二つだ。

イスラム教に問題があるのではなく、イスラムに名を借りた過激集団がその元凶だ。

オサマビン・ラディンはその典型だが、その活動資金はサウジなどからのオイルマネーだ。Img_0102

ともあれ、無垢の子供達を洗脳するのは簡単な教育である。

イスラムの世界はともかく、この平和な日本では教育が国を支えている。

少子高齢化で学ぶ機会はふんだんに恵まれていると言える。Img_0103

実は、今日は私学振興大会があって、改めて私学の大切さを考えていた。

静岡県では2/3が公立校に学び、1/3の子供達が私学高校に学んでいる。

そして、その私学は多様な教育実現を目指して競い合っている。

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お仕着せの公立学校に明らかに刺激を与えているのが、私立の学校の存在なのだ。

イスラムの国々を上げるまでもなく、教育はこの国の将来を創っていく。

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2014年11月 3日 (月)

小笠山を堪能

昨日と打って変わって、北風の吹く冬のような天気になった。

気温が下がったからスズメバチの動きも鈍くなるだろうが、

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予定通り危険個所にRCのメンバーが立つことになった。

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私もスタート20分前に先発して、蜂の集まる樫の木に行くとやはり5匹ほどがいた。

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スプレーで駆除しても10分もすれば新手がやってくる。

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そんな訳で、最後尾を見送るまでふきっ晒しに立っていた。

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その最後尾の女性たちと共に、最初に小笠山神社の祭礼に立ち寄った。

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多聞神社の祭礼をすり抜けていくと、崖の下で流鏑馬が行われていた。

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見物していると「引いて見る?」と声がかかって、私達も一本ずつ弓を引かせてもらった。

なんともはや、異な経験が出来たのである。

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小笠山神社に詣でると、「まぁ~一杯」と言うことになって、今度はお神酒を頂いてしまった。

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しかしながら未だ半分も走っていない訳で、大急ぎで先を急いだのだが、

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次はエイドステーションで突っかかってしまった。

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ビールやカレーを戴いて、すっかり良い気分になるとやはりね・・・・・・。

気を取り直して、私達の何時ものホームコースを走る。

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4km程で最後尾のグループと出っくわして、そこからUターンしてつま恋に向かう。

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最後の4kmはずっと下りだから、そんなに負担はかからない。

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だが、もう20k余りの登り下りですっかり力を使ってしまっている。

そんな折、つま恋の手前で待っていてくださったのはU野さんの御親戚の皆さんだ。

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至れり尽くせりの御馳走を準備して、待っていて下さったのである。

私は、甘酒にビール、そしてトン汁を戴いてしまった。

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実は毎年、この山の上で親戚総出のエイドをしてくださっているのである。

と言うことで15:30つま恋にゴールとなったのである。

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その後は何時ものように風呂に使って、皆さんと共に宴会で疲れをいやす。

ともあれ、誰一人スズメバチの被害にあうことなく、一日を終えることができた。

RCの仲間の尽力の賜物である。

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やはり小笠山トレイルのコースは、素晴らしく楽しむことのできるステージだ。

今日も一日、すっすりと楽しんでしまったのである。

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2014年11月 2日 (日)

スズメバチとの戦い

仲間が刺された。

今日は明日に小笠山マラニックを控えての最終チェックである。

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山に立ち入ってほんの少しの所で三番目を歩いていた仲間が「痛いッ」と叫んだ。

その場所は、先週もう一人の仲間(Kさん)の刺された辺りだ。

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戻ってよく見ると、土手の淵に3cm位の穴が開いている。

スズメバチの巣に違いない。

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その穴に向かって、蜂駆除スプレーを吹きこんで、太い丸太を突っ込んで蓋をした。

ところが瞬く間にその丸太にスズメバチが群れ集まってきた。

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巣の中からなのか外からなのか?、巣はパニックになっているから我々は逃げる他ない。

とにかく、この場所を人が通らないよう迂回路を作って、先を急ぐ。

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今朝は雨上がりで気温が高いこともあって、めっぽうスズメバチの数が多い。

駆除スプレーもたちまちにして使い尽くすことになった。

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スズメバチは一匹の女王蜂を中心に大きな社会を形成している。

極めて好戦的で、巣の近くに立って居るだけで攻撃対象にされてしまう。

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不思議なものでオス蜂は一切働くことをせず、女王蜂にかしずいている。

働くのはメスの蜂で、彼女らは女王蜂がいる限りセックスも産卵もしないのだ

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何ともスズメバチの女王帝国は、そら恐ろしい社会らしいのだ。

ともあれ私達は、何度も蜂の群れに遭遇しながらスプレーで駆除しつつ進んだ。

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しかし、全部駆除したと思っても、10分もすれば別の一隊がやってくる。

一体全体、この山にはどれ程の蜂の群れが生息していることか。

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何ヶ所かに迂回路を作ったのだが、迂回出来ない狭い道も何か所かある。

仕方がないから明日は、我々RCのメンバーが先行して駆除し、

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マラニックに参加される人たちをガードすることにした。

何とか天気も良さそうだし、スズメバチの被害さえ無ければ素晴らしいマラニックになるだろう。

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2014年11月 1日 (土)

元気の源

私達人間も、この大自然の一部に過ぎないことは言うまでもない。

だけど、どこかに我々は自然を超越したような意識があるのも事実だ。

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そうして人間関係のあれこれに囚われ、日々を忙しく送っている。

そして、仕事が上手くいかないとか、あの人に嫌われたなどと、しょげたり落胆したり、

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元気になったり落ち込んだりを繰り返している。

私達はその起伏の原因を、バイオリズムや星占いに求めたりしているのだが、

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でもそれは、只の気遊びに過ぎない。

考えてみると、私が元気がなくなるのは大抵は山と遠ざかっている時だ。

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定期的に山を走れている時には、体調は勿論元気も充実している。

それにマラソン大会やマラニックでは、おおいに気を充填してもらっているようだ。

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貝原益軒の養生訓に

「人の元気は、もと是天地の万物を生ずる気なり。是人身の根本なり。」とある。

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人間も自然の一部だから、天地の気と自分の「気」が繋がっていても何ら不思議はない。

逆に自然を離れたゴミゴミとした暮らしが、気をすり減らしてしまっているのではないか。

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天地の気と人の気が通い合っているとしたら、務めて自然の中に身を置かずばなるまい。

・・・と言う訳で、今週末からは毎週レースに参加することにしている。

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今日から11月、天高くスポーツの秋だもの。

とりあえず3日は、小笠山トレイルである。

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