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2014年11月20日 (木)

曖昧と輪郭と

先日、ある地区で「ふれあいフェスティバル」が初めて開催された。

トークセッションとカラオケを中心にした地域の集いだ。

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私も加えてもらって、懐かしい歌を皆さんと一緒に歌わせていただいて、

余りに久方ぶりの合唱歌で、何だかえも言われぬノスタルジックな気分になった。

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こんな温かな行事は是非続けて欲しいと思うが、

日本には欧米のようなホームパーティは無いし、日本人は概して「ふれあい」が下手だ。

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とかく自意識過剰で本音を出したがらないから、付き合いは表面だけのことになる。

ニコッと笑って意味不明な言葉を交わすってのが、曖昧日本人の典型だ。

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宗教だって神社も寺社も並存してるし、道祖神だってキリスト教だって拝んじゃう。

神も仏も頼りがいのある方が良い訳で、そのご神体だって相当に良い加減に出来ている。

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欧米の一神教のように、何もそんなに青筋立てる必要も無いって訳だ。

そんな具合に、日本はあいまいさを高度に発達させてきた国だ。

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ところが、食べるものに関しては極めて繊細な一面を残している。

私も沢庵は切目正しく整っていないと旨くないし、刺身にはスパッと鋭利な輪郭が必要だ。

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煮物だってそれぞれ素材が生きていないことには、和食とは言えないだろう。

茹でて綺麗に切り揃えたホウレンソウに、たらりとあの醤油を一滴垂らして頂く旨さ、

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それがゴテッとした固まりで出てきたら食傷でしょうが。

この点中華でもイタメシでも、況や欧米の食も基本的には形よりも量本位なのである。

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そうそう・・・、日本人には純粋を尊ぶって傾向もあるよね。

先日ある飲み会でビール談義になって、「スーパー○△はビールじゃないよね」と言い出した。

麦芽100%でなくってコーンスターチが入っているから不純なビールだという主張だ。

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だけどどうだろうか、目隠しして飲んだら果たして旨いのはその不純ビールなんだよね。

ともあれ、ふれあい上手な日本人を目指したいが、

刺身の切り口のようにスパッとした自己主張ばかりが良い訳でなし、

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純粋さだけよりも清濁併せ呑む方が魅力的かもしれないな。

まぁ~地域のふれあいは、出会いの機会を増やすことから始まるだろう。

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