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2014年12月31日 (水)

何気ない日常

今日も、この一年を振り返りつつ書こうとしている。

走って動ごいて新たな局面を求めた一年だが、でも逡巡も多かった一年だった。

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とにかく絶え間なく動き回っていたし、そのことで自分を良しとしていなかったか?

人間には誰にでもJ0hari windowってのがあるんだそうだ。

誰の目にも見えている公開された自分、自分だけが分かっている秘密の自分、

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自分ですら分かっていない未知の自分、そして無意識のうちに行動している盲点の自分。

どうやら今年の私は、前の2つの自分と付き合い過ぎてしまったきらいがある。

つまり保守的に振る舞ったと言うべきか、新たな自分を何ら見出していないと反省している。

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習慣が人を創る訳だが、その習いばかりでは人は新しくはなれない。

謙虚にひたすら謙虚に、人や時代に学びつつ自分を開拓するのは容易ではない。

新たな挑戦に、随分と弱気になっていたのではないか?

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今更、守らなければならないほどの自己などありゃしないんだ。

それでも己可愛さの習性は、人をして保守的にしてしまう。

まぁ~反省はしきりだが、既に年の夜であって、悔やんでも詮無い。

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望むらくは、来年こそ新しい自分を見出したいと思うのだが・・・・・。

とは言え、一年365日は日常の地道な積み重ねでしかない。

その何気ない日常の中に、どれだけの新たな工夫が出来るのかどうか?

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実は、未知の自分は自分で創るものなんだ。

その未知の自分を創る手練手管は、自分の目の動きやしゃべり方かも知れない。

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自分中心でなく相手中心にすることで、がらりと世の中は変わる。

そのガラリを新たな年に実験しようと思っているんだ。

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そうして来年の今日、どんな総括が出来るだろうか…・って思っている。

ともあれ皆さん、この一年間こんな私とお付き合い下さって有難うございました。

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Have a nice year !!

ジョハリの窓を覗きながら。

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2014年12月30日 (火)

良い夢をこそ見ん

今年もとうとう、明日一日を残すのみとなった。

今年は自治会や市役所関係での会合も多くって、自分の時間はかなり少ない一年になった。

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それでも北海道や宮古島をはじめ、東京や神戸・高山など随分あちこちを走ってきた。

それにブドウ栽培はまずまずで、新しい品種の房づくりについて新たな発見があった。

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蛇足だけれど、このブログの書き込みも休むことなく、今夜で364日目だ。

あぁ~、驚きと言えば、病らずで過ごして来たのに、救急搬送されるなんてこともあったな。

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楽しいことも苦しいこと色々あったけど、

定年退職後の生活パターンがそれなりの形に落ち着いてきたことが収穫かもしれない。

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今年は同級生で急逝した人もいるし、退職前後で体調を狂わせてしまった友人もいる。

そういう意味では、大きなトラブルに遭遇しなかっただけ大ラッキーと言うべきか。

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一年一年馬齢を重ねてしまっているが、まだまだ僅かずつでも前進できることに感謝しよう。

兎も角、明日の大晦日を越えれば時の連続性が途絶えて何もかもが新しくなる。

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年が明ければ真新しいノートになって、何をやっても初で新だ。

その新しいノートに何を書き込んでやろうかと考え始めている。

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最大のイベントは、あのジェスチャーと雄弁な喧騒の国、イタリア旅行だろうか。

それから北海道央のあちこちを走ることも企てている。

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長年かかわってきた自治会の役職は、今年度を持って新進気鋭に任せたいとも思う。

ともあれ年の夜には、そんなこんなを含め一攫千金の宝船の初夢でもみようかしら。

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初夢と言えば一富士二鷹三茄子が定番だが、続いて四葬礼・五火事だという。

定番の吉兆はもちろんだが、あとの二つは「あぁ、夢で良かった」と言う事らしい。

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良い夢を見るには「ながきよの とおのねむりの みなめざめ なみのりむねの

 おとのよきかな」と短冊に書いて、枕の下に入れておくと良いらしい。

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下から読んでも同じなのがミソで、・・・・世の中には酔狂な人が居るものである。

初夢はさておき、来年も夢を追い続けてみようと思っている。

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人は、希望があればこそ前に進むことが出来るのだから。

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2014年12月29日 (月)

人世はf淡々と

年の瀬が近づくにつれ、「人生たぁ、こんなもんさ」って思うようになる。

世の中は目まぐるしく動いていて、リーマンショックの様な経済パニックがあったり、

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大震災に襲われたり、イスラム国なんていう狂気の集団が勃興したり、

予想だに出来ない様な大変な事態が次々に起こっている。

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この一年だって、御嶽山の噴火や土砂災害なども含め、事件や事故も多かった。

そうした来し方を、「こんなもんか!」と達観してみている自分がいるんだ。

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どんな事でも大変だと思えば大変だが、まあ~こんなもんかと達観もできる。

それだけ色んな出来事を見てきたあかしでもあるが、老練ゆえの幸せか?

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それには「しゃあない」って諦観を伴っている。

実は、先ほどまで先輩の通夜に出かけていて、その方の思い出の写真を見てきた。

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正に人は歴史の中に生きているのであり、一個の人間の生涯は大小のドラマだ。

そのドラマも、生あってのもので死すればすべからく水泡に帰するのだ。

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思い起こせば、今年も同級生やら先輩やら、思わぬ人の死と向き合ってきた。

皆ぞれぞれの人生を生きたのだが、傍目に見れば様々な感慨だってある。

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一個の人間は小さなもので、何が出来たのかって考えても・・・・・なかなか難しい。

それでも毎日、明日に向かって精一杯に生きようと蠢いている。

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その積み重ねとしてのこの一年だが、果たして何が出来たのだろうか。

そんな反省の上に立っての「まぁ、こんなもんさ」なのである。

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まあ、欲張っても仕方ない。

人生は、焦らずに淡々と前に進むことが出来れば良かろうて。

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2014年12月28日 (日)

砂漠ランナー

今朝エコパで、初対面の金さんから「砂漠ランナー」と肩書きのある名刺を受取った。

日中韓の視覚障害と共に世界三大砂漠レースに挑戦するプロジェクトと書き添えてある。

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実は知人の視聴覚者Mさんが「ヨルダンの砂漠を走るらしい」とは聞いていた。

サハラ砂漠の北方にある砂漠らしく、ガラ場の多いその砂漠250kを6日間で走るらしい。

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日中の気温は50℃位で夜には氷点下になると言うが、夜は寝袋一枚だ。

その過酷な条件の中を12kの荷物を背負って走るのである。

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レースの三月初頭に向けて、Mさんは特訓を始めていると聞いてはいたのだが…

「小笠山で練習したい」と連絡が入ったのは、つい先日のことだった。

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我々健常者でも転ぶことの多い凸凹の山を果たして走れるものかどうか?

そんな心配をしたのだが、ヨルダンの方がずっと過酷なんだとか。

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それで今日、韓国籍の金さんと中国籍の李さん共々エコパに集まったという次第である。

ともかく山に取りつくとすぐに急傾斜の登りになる。

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木の根ばゴツゴツ出ているし、足を踏み外せば崖から転落して半端な怪我では済まない。

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その崖っ淵をロープとスティックの両側を持って登っていく。

私でも怖いのにって思ったら、「何、見えないから怖くない」んだとか。

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ハラハラもなんのその、登坂から3時間で頂上の小笠山神社に到着した。

そこで昼食を兼ねての暫しの休息である。

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金さんに伺うと、ヨルダンを走るのはおよそ300人で視覚障碍者はMさんだけ。

50℃の空気は暑すぎてマスクなしでは吸うことができない。

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だから目だけをだしてすっぽり覆って進むのだそうである。

想像を絶する一日50kだが、登り下りを考えると80k位になるらしい。

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それを6日間走る根性が必要だが、置き去りにされたら命がない訳だから、

人間は必死に何とかしてしまうんだそうだ。

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実は私も、数年後にサハラを走ってみたいと考えているのだが・・・・・

果たして実現するものかどうか?

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今日一日6時間のトレイルだったけどMさん曰く「これで、ヨルダンに乗り込むダン」とか。

兎も角、Aさんの健闘を祈るばかりだ。

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2014年12月27日 (土)

ホーム最終戦

金融機関などを除けば大抵の事業所が正月休暇に入って、街はかなり静かになった。

と言っても私の休暇は、ホウレン草の収穫から一日が始まる。

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薄氷が張っている中での水仕事だから、暫くは指先が言うことを聞かなくなる。

袋詰めが終わると、風呂の残り湯に手を突っ込んで5分ほどは手先を温める。

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それに何故か今年は白菜が良く育って、これも朝のうちに収穫しておく。

それはさておき、今日はヤマハ発ジュビロのトヨタ自動車を迎えてのホーム最終戦である。

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Jリーグのジュビロと違って、ラグビーでは気を吐いているヤマ発ジュビロだ。

試合はのっけからジュビロの圧倒的な押しで始まった。

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トヨタ自動車は最大のライバルだが、今回はスクラムのパワーで遥かに勝っていた。

そうして結果は、26対10で圧勝となった。

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これで戦績は12戦を7勝4敗1引き分けだから、残り2戦の頑張りでトップ4は十分狙える。

トップ4に入れば、次はいよいよ優勝を決めるトーナメントだ。

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次の戦いの1月3日、秩父宮ラグビー場での東芝戦が楽しみになって来た。

ともあれ、ラグビーは体と体がぶつかり合う格闘技だ。

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そしてあの楕円形のボールは、その格闘技を律するエネルギーの塊だ。

プロの選手たちにとって、パスをつなぎボールを運ぶことに自分の人生がかかっている。

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体を張って突進する彼らの姿に、私達はやはり自分の何かを託している。

自分にできない何かを託している。

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トライなんて簡単にできゃしないが、敵陣を突破した時のあの爽快感はどうだ!!

歳末の一時、今年の様々な出来事を思いつつ夢中で応援する自分がいた。

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いやさ、来年だって挑戦をし続けるさ!!

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2014年12月26日 (金)

Hope is・・・・

もう直ぐ新しい年になるけれど、貴方の目指す希望は何でしょうか?

二昔前なら、多分誰もが車・クーラー・カラーTVを欲しいなんて答えたでしょうか?

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そして一昔前、旅行やら快適を求めて、心の幸福が欲しいなんて方向に変わってきた。

希望は時代背景や年齢と共に変わってきたんだけど、

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さて、これからの希望って何だろうって考えている。

今の時代は、物は満ち溢れている成熟した超高齢社会だ。

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余談だけど高齢社会とは65歳以上の割合が14%を越えた社会だけど、

既に25.1%になっているし、2060年には40%になると予測されている。

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団塊の世代がいなくなるまでは、年金だって支払いが大変って訳だ。

生活が豊かになって医療環境も整って長生きするようになったこともあるけど、

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合計特殊出生率1.2という少子化が、高齢化に拍車をかけているんだ。

極論すると、若い人たちが「苦労」をしたがらないってことが最大の要因かな。

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「あくせくしなくったって、何とか生きていける」って考えているのかなぁ~?

それに人間関係が下手って言うか、それぞれが厄介を避けて孤立化してるのかも知れない。

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子供会議の話を聞いていると、家族でもそれぞれが孤立している気配がある。

核家族化や単身赴任の増加などで、「家族団らん」を知らない子供達が増えているようだ。

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子供はTVマンガやラインで忙しいんだとかで、親も自分の事で精一杯って訳だ。

本当は家族の中での信頼関係が「希望」を育てるんだけどね。

ともあれ、私の来年の希望はウィーク・タイズだ。

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ウィーク・タイズは、ゆるやかな信頼関係で繋がる仲間のこと。

その仲間を増やすことさね。

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人は一人じゃ生きられっこないから、利害関係の無い仲間の存在が殊更必要だ。

改めてそんなことを考えながら動き回ってみようと思っている。

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Hope is Wish for Something to Come True by Action.

仲間の存在が、ワクワクする人生の物語つくってくれるに違いない。

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2014年12月25日 (木)

気心

「気心が知れる」と言う事は、人生の重大な要素なんだろうと思う。

人と人の関係は色んな利害関係や立場の違いがあったりして、

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気心を知るなんてことは、そんなに容易くできるものではない。

ところが遊びごと〔道楽〕の世界になると、まったく違った世界が生まれる。

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実は、「走友」について考えている。

山を走っている走友会の付き合いは、もう四半世紀になるからこれは別格にしても、

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マラニックや大会で顔を合わせる仲間達とも、まさに気心の知れる関係になっている。

バカ話もするが人生の重大事についても、率直な話の出来る関係が多い。

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お互いに汗をかいて切磋琢磨していることがそうさせるのだが、性格も大抵は見通している。

道楽にもいろいろあって、例えば碁敵なんてのは「碁敵は憎さもにくし なつかしさ」

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などと言われて、これも勝負事を通しての付き合いとしては微妙な味のする関係ではある。

しかしながら、走友関係と言うのは切磋琢磨ではあっても勝負事ではない。

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競争はしても、歳とともに「楽しく走ろう」と言う方向に傾斜してきている。

競うのは、実は自分との競い合いに重きが移っているんだ。

理屈は兎も角、走友との出会いは何時も心を開放させてくれる楽しい時間だ。

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養生訓を覗くと「心やすく静かなれば 天君豊かに、苦しみ無くて楽しむ。

身動きて労すれば 飲食滞らず、血気巡りて病なし」とあった。

心やすらぐ仲間と共に体を動かし続ければ、それは健康へと繋がると諭している。

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走友とは言っても、仕事も性格も生活の仕方もみんな違う。

だけど共通の趣味をベースにして、お互いの人間の味を知ることが出来るんだ。

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私が、走り続けていて良かったと思っている所以だ。

そうそう、養生訓には「道を楽しんで日をわたらば、大いなる幸なり」ともあったな~。

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2014年12月24日 (水)

彷徨

午前中のある委員会を終えてから、無性に走りたくなって山に向かった。

何時もの山だが人気とてなく、私だけの静かな尾根道である。

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もう何十年も走り続けてきた道で、曲がりくねってはいても彷徨うなんてことはない。

頭の中を空っぽにして無心で走っていると、何事も超越したかのような気分になる。

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しかしながら私達の人生の毎日は、戸惑いの連続で同じ日などは在り得ない。

当然ながら予期せぬ出来事にも遭遇するし、時に不安や緊張にだって出会うことになる。

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それはまた人生の面白さだし醍醐味でもあるのだが、右往左往の彷徨でもある。

そうやって彷徨って彷徨って来て、今ここに立って居るのだ。

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そんな人生の現実と、毎日書いているこのブログを比較してみている。

既に3,200日に渡って、私の毎日(人生の一部)を書き続けてきたブログである。

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「もっと、面白いことを書けないのか」などと言われもするが、結局私は私でしかない。

無理にくだけたことを書いたとしても、それは私の本音ではなくなってしまう。

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それに自分のノルマの一部としてブログを書くことを課してきたのだが、

それとて「今日は、何を書こうか?」と、彷徨の連続だったかもしれない。

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人世に筋書が無いのと同様に、予め書くことが定まっているはずもないからね。

時には書くのがはばかられることもあるから、一応は四方に気を使っている。

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「そんなにまでして、何故書くの?」って言われそうだけど、それが俺なんだなぁ~。

「筋書のないドラマを演じている馬鹿な俺を観察してやれ!」・・・・って言う俺がいるんだ。

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齢を重ねてはいても、幼稚な幼稚な自分がそこにいるってね。

ともあれ、目的に向かって一本道を歩いているようでも、やはり人生は彷徨だろうな。

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その中で、それぞれが価値あるものを見出していく道程だと思う。

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2014年12月23日 (火)

春来たりなば

ちと早いが、今日から葡萄の剪定作業を始めた。

と言っても合間を見ての作業だから、総て終えるには一か月程はかかるだろう。

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実はこの剪定作業がブドウ栽培で最も骨の折れる仕事である。

葡萄はその年に伸びる新枝に花をつけるから、古い枝は1~2芽残して総て削除する。

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だから切り取る枝は、焚き木づくりかと思われるほど大量になる。

それにブドウの実や花がある訳でもないから、張り合いがないと言うこともあるな。

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しかし、この剪定なくしては葡萄を稔らせることは出来ないのである。

それで、やがて訪れる春の日に伸び出す新芽をまさぐりながら、一本一本鋏を入れるのである。

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この点、桜などは剪定などしなくても年々歳々万巻の花を咲かせてくれる。

この河津桜はもう二か月もすれば花を着けるんで、既にしっかりと準備している様子だ。

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そう思って畑を見渡すと、それぞれみんな春を待つ作業を終えたところだ。

この寒さにめげず伸び始めているスナックエンドウには、霜よけの藁を垂らしてやった。

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白菜には、寒さに耐えて甘さを蓄えるよう鉢巻を施した。

縮みこんでいるホウレンソウには、ビニールの覆いをして背丈を伸ばそうと試みている。

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いずれにしても、これからの厳寒期を乗り越えれば、わが世の春がやってくるんだ。

そう、植物はじっと耐えて待てば、やがて確実に躍動の陽春が訪れるのである。

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冬はひたすら力を貯め、その日のための準備期間だ。

私達にも、日一日と昼間が長くなるのを励みに春を心待ちにする気持ちが誰にもある。

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それに待つと言うことは、私達の人生の機微でもある。

試験の結果を待つ時の何とも言えない宙に浮いた気持、塩漬けの株の上昇を待つ諦めの気分、

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万全を尽くした仕事の成否を待つ不安、あぁそれに恋人を待つ焦がれるような気持ち。

電車を待つ、会議の始まりを待つetc・・・思えば待つ事ばかりの人生ではないか。

物事に窮した時、事の成熟を待つのも重要な処世だ。

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そう考えると何事も、植物同様にジッと力を溜めて待つのが肝心かな。

そして、芽を出すべき時にしっかりと勢いよくダッシュするのさ。

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2014年12月22日 (月)

一陽来復

今日は冬至で、明日からは太陽が日一日と勢いを増していく。

と言っても、当面は日没時間の反転で、夜明けの方は今しばらく遅くなる。

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ともかく運気が上昇に転じる節目、まさに一陽来復の日なのである。

それで気分一新のつもりで、今日から2015年の新しい手帳を持つことにした。

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師走に入ってから寒波が予想外に速く襲来し、それに雨天の多さもあって、

私のホウレンソウやレタスも随分と伸び悩んでいる。

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植物は日長に敏感に反応するから、たぶん来復で気分よく成長を始めるのではないか。

いやいや植物は言うに及ばず、私達だって日の長くなるのは元気に繋がる。

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生来の貧乏性もあって、我が家では原則として暖房機具は使わないことにしている。

空調施設もそれぞれ付けてあるんだが、もう10年以上も使ったことが無い。

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だから寒い夜はダウンを羽織って、足には毛布を巻いて過ごすのが習いだ。

俄然、早々に布団にもぐりこむことになって、夜の長さに辟易とするこの頃なんだ。

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そんな訳で、一陽来復は殊のほかの慶事なのである。

一陽来復はともあれ、復活はこの国全体のテーマである。

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人口減少からの復活、アベノミクスであれ何であれ経済の復活は経世済民に通じる。

疲弊した地方と農業の復活も大きな課題だろう。

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それも政府にばかり求めて批判ばかりでは、事は何も始まらない。

一人ひとりが自らの力で事を起こしていくことが肝心だろう。

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さてこそ私も、一陽来復と共に何を始めようかしらん。

真新しい手帳に日程を書き込みながら、我が来復を思案している。

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2014年12月21日 (日)

歳時記

とっても寒い日が多くなったけど、この寒さがあってこその日本の風土だ。

この寒さを乗り越えれば春が来て、やがて暑い夏を過ぎて秋に至る季節の移ろい。

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その四季の変化が私達を育んでくれた源である。

私達の先祖は、その四季折々に幾つもの節目を織り込んで生活の彩としてきた。

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正月になれば田起こし、七つ粥・・・・・などと切れ間なく、その時の歳時記があった。

何歳の頃だったか正月2日の早朝、親父と二人田圃に出て、六もとばかり土を起こして、

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その上に笹を立て白米を撒き、その上に清酒をかけた。

田圃には氷が張っていて、父と二人暫し手を合わせてその年の豊作を祈願したのである。

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ことほど左様に、稲作に関連した歳時が多かったのだろうが、時代の変化は容赦ない。

生活のパターンが変わって、今日残っているのは正月に雛祭り、端午の節句、祭礼くらいだ。

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何とも風情のない時代になって、親から子に受け継ぐべきことも減ってしまった。

ところで今年も、残すところ10日になってしまった。

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それで今日はミニ門松づくり教室に足を向けた。

四十数組余の皆さんが集まって、親と子、祖父母と孫それぞれに門松づくりに取り組んだ。

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年に一度のことで、昨年覚えたはずなのに、もうすっかり忘れてしまっている。

本来は親子代々材料集めから始まって、その家の門松づくりは引き継がれていた筈だ。

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でも今では、多くの家庭で店売りを買ってくるようになっている。

安直な飾りでは、松竹梅も千両の意味も三本の竹筒の意味合いも考える事すらない。

因みに最も長い竹筒を外側にして並べると、一年の役を払うのだそうだ。

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そしてその逆に、内側にして立てると福を招くのだそうである。

ともあれ、二つの立派な門松が出来て玄関に並べると、早やもう正月である。

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色々とあったけど、もう正月かと言う思いが湧いてくる。

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2014年12月20日 (土)

浜名湖半周忘年ラン

朝から氷雨が降る一日になった。

それでもここに集まるランナーはめげなくって、元気に雨の中を走り切った。

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浜名湖半周は夏のサマーランとセットになっていて、もう皆の恒例のランなのだ。

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弁天島をスタートして舘山寺まで走り、船に乗って対岸の瀬戸まで渡って、

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そこから20k湖岸をぐるっと回り込んで弁天島までの約40kのランである。

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雨の一日とは言え、走っていれば結構暖かい。

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舘山寺で思い思いの昼食をとって、・・・私はビールとカップめんだったけど…

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それぞれにワイワイとみんな楽しみに来ているんで、寒かろうが意に介する人はいない。

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船に乗り込んでも早速外に出て、カモメに餌をやるんだとかで寒い甲板に出ていく。

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何処にカモメがいるのかと思っていたら、たちまちにして船の周りがカモメだらけになった。

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どこからともなく、カモメは集まってくるんだ。

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それにしてもカモメは直線的に行動出来るけど、私達は湖岸を縫うように辿らねばならない。

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船外に出ると雨が激しくなっていて、ブルッとするほど寒くなっている。

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しかし、走る他温まるすべはない。

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と言う訳で、ノンストップで弁天島までの20kを走り切ってしまった。

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この忘年ランには、楽しい仲間だけが集まるような気がする。

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一年間をずぅ~っと走ってきて、今年も元気に走れたぞって気持ちを皆が共有しているんだ。

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パンヅまて゜くしょ濡れになって、凍えた体を湯に浸して、これで今年も終わるって実感がわく。

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それから忘年会なんだけど、私は別用があって出席できないことになった。

ともあれ、今年一年様々な思い出を作ってくださった皆さんに感謝しなければなるまい。

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走る仲間は、一人一人みんな素晴らしいものを持っている。

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2014年12月19日 (金)

友かライバルか

私達はそれぞれ、それなりの衣服をまとって暮らしている。

その衣服は、それぞれの立場や役割であり、それに相応しい立ち居振る舞いだ。

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社会生活〔戦場〕における一種の鎧の様なものだと思う。

だけどそんな衣服を脱ぎ捨てて、明け透けなく付き合えるのが「友」だろう。

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お互いに共有するものがあって、話題だって通じ合えるものがある。

それでいて、当たり前だがチャンとそれぞれが別の世界と暮らしを持っている。

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二つの円が重なり合うその部分が友人関係と言う事になる。

人は一人孤独なままでは生きられないから、お互いの存在を認めてくれる友は不可欠だ。

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だけど友人などと言うものは、そんなに簡単に出来るもんじゃない。

日本の古い諺に「賢い人には友がない」と言うのがある。

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「賢い」ってのは、計算高いとか、相手の欠点が見えてしまうと言う意味だろうが、

付き合いには安心が必要だから、この諺は核心を突いていて納得できる。

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そもそも友人関係と言うのは、「馬鹿げたこと」を一緒にやれる関係でもある。

酒を飲んで馬鹿騒ぎしたり、どこぞに遊びに出掛けたり、マラソン大会で競い合ったりね。

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小利口な人はそんな無駄が汗はかかないし、バカバカしい事にゃ手を出さないからな。

ところで走る仲間は友なのかライバルなのか、或いは単なる仲間なのか思案している。

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走るようになってこの四半世紀、全国各地に多くの走友〔知己〕ができた。

会えば、話題は最近のランニングの調子から始まって様々に発展していく。

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そしていざレースとなれば、「負けるもんか!!」って何処かで意識しているんだ。

そんな仲間の存在は自分の励みであり、これまでrunを続けてこれた原動力でもある。

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お互いに共通の感情を分かち合うことの出来る貴重な友なんだ。

所詮束の間のこの世の命だろうし、その人生を共に燃焼させる友なんだろうと思う。

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そして永遠のライバルであって欲しいと思っている。

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2014年12月18日 (木)

習慣が人を創る

計画は立てても、やり遂げた記憶がない。

日記帳を買っても、最初の数ページを書いてそれで終わり。

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夏休みの初め「今年こそは」と意気込んで宿題に取り掛かるのだが、

それも結局は遊び呆けて最後の数日まで繰延してしまう。

それが子供の頃の記憶で、そんな自分が情けなくってしょうがなかった。

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いやいや高校時代だって、受験勉強のプランは構想してもついぞ実践に至らなかった。

そんな怠惰でだらしない人間でも、時代の波のお蔭で何とか人並みに今日まで至っている。

ヒンズー教に、「人生の前半は人が習慣をつくる。そして人世の後半は習慣が人を創る」

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という格言があるのだそうである。

これに倣うと、私の人生はグータラで終わっていることになるが、

40歳過ぎから習慣をつくることを始めたお蔭で、辛うじて間に合って今日に至っている。

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あの時、バブルの崩壊した頃だが、確かに自分の人生を変えようと思った。

その変える為に考えたことが、書くこと、会うこと、栽ること、走ることの四つだった。

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当然ながら三日坊主を覚悟していたのに、

恐る恐る始めたその四つが何時の間にか私の習慣になっていた。

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何故続いたのかと考えると、それは仲間の存在と自分の決心を公言したことだった。

他人に「俺は○×をやる」と言った以上、言を違える訳にはゆかないからね。

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口で言うだけでなく書き物にもはっきりと書いたし、それに書くための行動も必要だった。

しこうして、私のこうした習慣は数年の間に形成することが出来たのである。

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それから既に四半世紀が経過しているが、確かに今これまで培った習慣で動いている。

ヒンズーの教えの通り、人はどんな習慣を持っているかでその人ができる。

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習慣がその人の表情や容姿にだって滲み出すようになる。

何のことはない、自分を創ると言うことは自分の良き習慣をつくることなんだ。

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2014年12月17日 (水)

誇りと自信

「自分にどんな価値が有るのか?」って、誰もが不安な気持ちを持っているのではないか。

だから自分のやったことに対して人から認められると、それはそれは嬉しい。

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誰でも褒め言葉に対して無抵抗なのは、自分の自尊心を高めてくれるからだ。

それに人は、何がしかの自信が無いと何事も前に進めることが出来ない。

実は、子供達のことを考えている。

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少子化で切磋琢磨されることが無くって「箱入りの子供」が多くなっている。

かつて子供の多い頃は、どの家も貧しかったし子供になど構っていられなかった。

俄然子供達は、喧嘩したり怪我したりしながら、暗くなるまで遊ぶことが多かった。

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もちろん団塊の世代の子供達は、学校だって芋を洗うような状況だった。

虐めだってあっただろうけど、精神的な免疫力だって強かった。

だけど今、「若い時の苦労は買ってもせよ」なんて言葉は既に死語になって、

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可愛がられて箱入りで育った子供は、精神的にも実にひ弱だ。

余りにも傷付き易くって「○×に誘ってくれなかった」などと、

些細な出来事で「虐め」だと決め付けてしまったりする。

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どうも親自体が、子供かわいさの余りそんな風潮に加勢しているきらいもある。

苦労をどれだけ経験しているかで、その人の度量は大きく変わるのだと思う。

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何不自由なく恵まれて育った人は、幸せなようで実は永い目で見ると違うんだろう。

生きる為の自信は、幾つかの失敗や挫折を乗り越えていくことで育まれるものだ。

「箱入り」の一方で、親から「放任」される子供達も増えている。Img_0330

離婚が増えているのが、その最大の原因だ。

簡単にセックスして結婚して、そして又簡単に子供を残して離婚してしまう。

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自分の生活を優先する若い親にとって、子供の存在が疎ましいのかもしれない。

親にすら認めてもらえないそんな子供に、誇りや自信など育まれよう筈も無い。

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こども憲章を考えつつ・・・、子供達に誇りと自信を涵養するのは褒める他ないと・・。

自分に対する自信は、その人生をぐ~んと豊かにしてくれる筈だから。

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2014年12月16日 (火)

Zooっと・・・・・

毎日沢山の人達とお会いしている。

そしてその出会う人一人ひとりが、みんな違った個性を持っていて、

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観ようによっては、それはとっても面白い。

時々、「あぁ~○×に似ている」って、特定の動物を連想することがある。

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それで、人間を見飽きたって訳でもないが、何故か無性に動物を見たくなった。

動物園なぞ子供の頃に訪れて以来のことで、何十年か振りのことである。

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かつて動物園は一大テーマパークで、何処の園も子供達で溢れていた。

だけどディズニーだのアニメだのと、大人も子供も遊ぶところが増えたから、

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何処の動物園も閑古鳥が鳴いて中々大変なんだとか。

それで展示方法を演出的にしたりなどと、最近では随分と変わりつつあるんだそうだ。

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しかし動物園は、やはり様々な動物を観察しその生き様を眺める所だろう。

「あぁ、こりゃ、あの人とそっくりだわ!!」などと言いながらね。

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動物園の顔は、やはりゾウやライオン、そしてキリンなどの大動物だろう。

ところが意外にも牛やヤギ、はたまたウサギなどの身近な動物に人気が集まっていた。

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しかし私の関心は、スローロリスとアルマジロの生態に吸い寄せられていた。

スローロリスは大人の手の平ほどの小型のサルである。

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その名のように行動が極めてスローモーで殆ど年中寝て暮らしている。

これで良くぞ生きていけると感心する程の鈍だが、餌を獲る時だけは俊敏らしい。

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それに猿の中では寿命が長くって、スローライフの名人(猿)などとも言われている。

一方のアルマジロの類は常にすばやく動き回っていて、止まっていることがない。

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観ている方の目が回る程のスピードでグルグルと動き回っている。

一体全体、何の目的で始終動いているのかと傍目にも心配になるのである。

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翻って思えば、私は比較するまでも無くアルマジロ派なんだろうか?

犬も歩けば・・・・風な生き方をしている訳で、スローロリスの様な省エネ型ではない。

ともあれこの地球には、かくも様々な生き物が生活している訳だが、

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人間だけが異常に繁殖してしまって、この地球では一人我が物顔で振舞っている。

何だかこれで良いのか知らん?と、思わないでもない。

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やはりZOOっと、多くの生き物が共存できる環境を残しておかないとね。

動物園は、やはり人生を考えるミュージアムなんだ。

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2014年12月15日 (月)

歳末歳々

月日の流れは留め難く、今年も残すところ15日になった。

歳末入りと言うことで、今日から交通安全一斉キャンペーンが始まった。

それで今日は、早朝からのぼり旗を持って街頭に、

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そしてそのまま何時もの辻立ちである。

今年の冬将軍はかなり足早で、暫くは凍えた指先を風呂の残り湯で温める日が続く。

ともあれ、今日一番の写真は安倍川からの富士山である。

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静岡に出かけて何時も驚くのは、安倍川の橋の上から見える富士山の大きさである。

万里子の峠を抜けると、目の前に圧倒的な量感を持って富士山が浮かび上がってくる。

ビルが邪魔だけと、富士の存在感を感じるこの瞬間が何とも言えないのだ。

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会議を終えて東名を引き返し、今度は歳末特別警戒の出発式である。

昔からの習わしなのかどうか、年内に済ませなければと言う節季が近づいている。

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学校も学期を終え、企業ではボーナスの支給もあるだろう。

とかく年末は忙しく人々が動き回る時期だ。

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俄然交通事故も増えるし、犯罪も起こりがちな傾向にある。

ここは皆で明るい新年を迎えるための努力をしようというキャンペーンである。

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私の街では399台の青パトが走り回っているのだが、効果は目に見えない地味な行動だ。

それでも、この十数年犯罪の発生件数は減り続けているし、一定の啓発にはなっている。

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磐田東校吹奏楽部の演奏に送られて、次々とパトロールに出かけていく。

パトロール活動自体が、地域のコミュニティにもなりつつある。

年末が大きな節目なら、私達の日々の生活の中にもそれなりの節目が必要だ。

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特別警戒も「あぁ、もうそんな時期か! お互いに気を付けよう!」って気持ちが、

少しだけでも起こるならそれで良い。

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今年もはや年末かとの思いは別にして、この過ぎゆく歳時記を味わわねばなるまい。

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2014年12月14日 (日)

足音

今日は、数千人の足音に感動してしまった。

軍靴なぞではなく、マラソンランナーの靴音である。

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実は大会のエントリーに失敗して、地元の袋井クラウンメロンマラソンの応援に出向いたのである。

京都東山トレイルのネット申し込みが一日で終わってしまって、

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慌てて他のレースを探した時には既に何処も満員だったんだ。

ともあれ何時も走る側だったから、改めて外からレースを眺めるとまた違った感慨がある。

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その圧倒的な迫力が、タッタッタッと言う数千人の足音なんだ。

その足音の響きが一時間余にわたって続くのを聞いていて、何故か人間って凄いと思った。

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延々と果てることのない人の列の傍らに立って、その足音を飽きずに聞き続けていた。

寒風に向かって、黙々と歩みを進めるランナーの群れ。

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時折、知り合いのランナーが向こうから私を発見して声をかけていく。

応援と言うよりも、どうやら見物に徹してしまったようである。

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それにしても、かくも多くの人々が一様にゴールを目指して汗をかくのは何故なのか。

それは、私達人間の生い立ちとも関係する本源的な要求なんだと思う。

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太古の先祖たちは獲物を求めて走り回ったろうし、農耕だって体に汗する重労働だった。

今日でこそ石化エネルギーのおかげで我々は楽をしているんだけど、

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本来の私達は動き続けることによる活性を求めている。

人が考え事をする時に動き回るように、体を頻繁に動かすことで脳も活性化されるのだ。

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脇目も振らずに無心で走っているようだが、手の運動に加えて目や頭もフル動員している。

否無心なのかも知れないが、その頭を空っぽにすることで、新たな考えがわく。

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要するに走ることによって、心身のリフレッシュに繋がるんだろう。

楽しそうな顔もあれば、苦しそうな顔もある。

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人それぞれのマラソンの楽しみ方である。

走ることの出来なかった残念さはさておき、改めてマラソンの素晴らしさを感じていた。

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2014年12月13日 (土)

つきあい

今朝山を走っていたら、サイドバッグの中の携帯電話が鳴った。

取り出すと、行き付けの床屋のUさんからであった。

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床屋から電話なんて?…と思いつつ電話に出ると、何時もより少し暗い声である。

「体調が悪くなって、それで廃業することにしました。色々有難うございました」と仰る。

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何でも内臓に不治の疾患が見つかったらしく、

新築して間もない床屋を廃業する他ないらしい。

思えば散髪は極近い(肌を接する)付き合いだし、途端に妙な寂しさを覚えたのである。

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人間はまったく孤独では生きられないから、いろいろな人間関係が不可欠だ。

当然ながら様々な付き合いがあって、趣味の集まりや近所の付き合い、

職場や同窓のつきあいなどと、それ相応の付き合いをしている。

夫婦でもそうだが人間関係というものは中々厄介で、Img_0017

一心同体の付き合いかと思っているとさに非ず、逆にべったりし過ぎるのは長続きしない。

友人同士だって、すごく親密だったのに何かのきっかけで喧嘩別れするってこともある。

八方美人的に義務感を伴った付き合いをしていると、そのうちに鬱陶しくなってしまう。

群れを好む日本人のつきあいは、時として強制力を伴っていて、Img_0297

その場に居合わさないと危険な状況(イジメ)に陥りかねないことだってある。

私もその日本的な「つきあい」に長い間かなり流されてきたようだ。

しかしながら、もうそろそろ義務的なおつきあいからは卒業しても良かろうと思っている。

人間関係のしがらみで右往左往するのは、相当にうっとうしいからね。Img_0259

冠婚葬祭にしても年賀にしても、形だけのものは可能な限り減らしたい。

つきあいも、「あの人がいる」と思うだけで、ほっと出来る様な関係があると良いなぁ~。

それにしても「全快したんで、再開します」って、何時か電話があると良いんだが…。

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2014年12月12日 (金)

神は何処に

17歳の少女の演説を読んで感動を覚えた。

少女とは、史上最年少のノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんである。

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イスラム狂信者は、彼女の暮らすスワト渓谷で次々と学校を破壊し女性の学びを禁じてきた。

マララさんは、コーランのイクラという言葉は「読みなさい」という意味だと話す。

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しかしタリバンは、そのマララさんに対して戒律を破った者として殺すと声明を出している。

オウム真理教同様に狂信的宗教のおぞましさを改めて思った次第だが、

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科自然科学の発達した今日、かくも無軌道な宗教が何故指示されるのか考えねばなるまい。

直接的には貧困と間違った扇動的宗教教育があるのだが、

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他に頼るもの・すがるもののない人々の弱さがそこには有る。

いやイスラムの国々だけの事ではなく、そもそも私達には支えになる何かが必要なのだ。

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それは幼くしては無条件に受け入れてくれる温かな母親の愛であり、

長じては宗教であったり、教育によって得た自分なりの人生哲学だったりする。

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例えば無宗教な私にだって、漠然とした神はいると感じている。

その証拠に神々しい朝日には頭をたれたくなるし、

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巨木や岩礁にしめ縄があったりすれば自然に手を合わせたりする。

神社仏閣はおろかキリスト教会に入ったって、家内安全ぐらいは祈願している。

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そこには、ちっぽけな自分を遥かに越えた何かがあると思うからだ。

そう言えば高校受験の折、鎮守にお参りし小石を一つ拾って受験に臨んだ事があった。

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その小石を握り締めて平常心を保とうと思ったのである。

つまり、仮に鰯の頭だろうが何だろうが、自分の信じるものが神になる。

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イスラム過激派は、不幸ながらその過激な鰯の頭に洗脳されてしまった人々だ。

やはり宗教は、自分なりの納得がなくっちゃいけない。

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カミさんは家に、神は自分の心の中にいるんだから。

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2014年12月11日 (木)

俺のプライド

自分にとってのプライドって何だろう?って考えている。

他人に侵されてはならない孤高の精神みたいなものだろうか?Img_0026

一般的にはそのプライドを持つことが、自信を持って生きていく力に繋がるのだと言う。

だけど、それがそんなに簡単なことではない。

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かつて「武士は食わねど高楊枝」などと、貧しくても志さえあれば良しとされた。

確かにプライドは自分の心の軸になるだろうけど、自惚れや慢心・虚栄心にも通じる。

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私の様な凡人には、時としてそれがストレスになってしまうかも知れない。

それで近頃じゃ、プライドって言葉自体があんまり使われなくなっている。

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それはさておき、「俺は駄目だ。」「あなたは駄目ね」などの、否定からは何も生まれない。

大人だって子供だって、誰かが認めて(支えて)くれると思えば一歩前に進むことができる。

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或いは「恋する人の為に苦しいことだって乗り越えよう」って意欲も湧く。

人は一人で生きるのではなく、人に生かされる所以だ。

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子供・市民憲章について考えている。

子供達の成長期は、これからの長い人生を生き抜くための大切な準備期間だ。

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この間に生きる為のエッセンス・・・例えば礼節や生き方・・をどれだけ備えられるか。

例えば先日書いたように、読書習慣を持つことでどれ程も人生を豊かにできるだろう。

そんなあれやこれやを盛り込んだ、市民ぐるみで取り組む「行動指針」を創りたい。

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やはりその基礎は、自分ってのは大切な存在だってこと、愛してくれる人がいるってこと、

自分にもやればできるってこと、・・・・・そんな自尊感情を育むことだ。

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さてこそ私のプライドだが、そんなものは今更どうでも良かろう。

いまだに知命すら覚束ない我が身だが、子供達の為なら何でもできよう。

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2014年12月10日 (水)

楽しむ道

論語の中に「知者楽水 仁者楽山 知者動 仁者静 知者楽 仁者寿」と言う一節がある。

賢人は川の水のように活動的で楽しんで生きるが、

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聖人は山のように動かず静まって天寿を全うする・・・と説くのである。

どちらの生き方が良いのかは人それぞれだが、私は断然前者である。

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そもそも小心で引っ込み思案な性格な上に、子供の頃から目立つな・自制しろ、

出る杭は打たれる・隠忍自重・敵を作るなetcと教えられて育った。

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だから前半生の私は、喋るのもおずおずと慎重に慎重な世渡りをしてきたと思う。

勿論、博打はおろか、投資や女性すらも避けて通っていた。

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今思えば真面目一筋で、誠に面白げのない人生をよくもやってたなぁ~って感じである。

だけど、所詮慎重なだけの人生はつまらない。

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「こうなりたい」って言う欲望が無いと人間は積極的にはなれない。

むしろ子供の様な童心を持ち続けて、遊びまわっているほうが元気が出る。

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そんな事に気がついたのは、ランニングを始めてからである。

マラソン大会に出るような人達は、大体が真面目な人が多い。

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その真面目さから少しだけ顔を出そうって人がね。

それで走る仲間の輪の中に入って、随分刺激を受けて楽しむ道を覚えたって訳だ。

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それから後、引っ込み思案を少しずつ脱して、色々なサロンに出かけることが多くなった。

それで世間に出て行くと、自分と生き方も考え方も違う人たちと出会うことになる。

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その出会った多くの人たちが、やはり「自分の人生」を考えているんだな。

それで演奏会を開いたり○×の会を作ったり、あれこれと試行錯誤し挑戦している。

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人生を如何に楽しむかって考えているんだ。

それで私も「こりゃ、面白おかしく生きんといかんなぁ~」と思うようになった次第だ。

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子供の頃から本能を去勢されて育てられたけど、どうやら本能を信じた方が良さそうだ。

それに人間の一生なぞ、儚い僅かな一瞬に過ぎなかろう。

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所詮同じ一生ならば、

仲間と共に道楽に現を抜かして、子供のように思いっきり楽しく騒いだ方が良い。

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而して、今日の不良おやじを楽しんでいるって訳だ。

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2014年12月 9日 (火)

男同士

正直言って、私には仲間はいるが、友人は極めて少ない。

毎日のように様々な会合に顔を出しているから、知己は普通の人よりは多いはずだが、

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人間が淡白なのかドライに出来ているのか、人にのめりこむことが無い。

かつての同級生は、たまに同窓会で顔を合わせるくらいのものだし、

かつての職域の人達との膨大な交友は、退職と共に数年でそれぞれ彼方の人になった。

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そして、そもそも男同士の関係と言うのは、何らかの目的によって成立するものだと思う。

太古の昔、一人で狩をしても得られる獲物は少ないから、チームで狩をした。

生活の都合上息の合った仲間を募ったのに過ぎない。

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取った獲物は実力に応じて分配したのであって、そこに必要以上の情などなかったろう。

その狩りの仕組みが、今日の企業社会になっただけであって、

あんなに毎日飲んで親しくしていたのにと思っても、

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退職すれば、顔を合わせる必然性が無くなるのは当然のことだ。

俗に、友人の多い人には人徳が有るとされるが、その人徳とは如何なるものだろうか?

怒らないとか温厚だとか言うのかも知れないが、

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極論すれば八方美人で表面上の関係ではなかろうか。

適度に仲間になって適度に付き合う関係を、真の友人と言い得るのかどうか?

一方、この高度に組織化された社会では知人縁者は多いほうが良い。

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何か物事を始めようとする時、知人がいるといないのでは雲泥の差がある。

しかし、男は無理をして社交的になる必要は無いと思っている。

いやいや、これは第一線を退いたから言うんではなくって、

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本来男は孤独であるべきだと思うからだ。

無理に馴れ合って生きたって、所詮何も生まれやしないしね。

しかしながら、出会いを求めての努力は一生続けるべきだろう。

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そのためには、当然ながら自分の行動範囲を広げなくっちゃならない。

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2014年12月 8日 (月)

音のきらめき

私の住んでいる町は、かつて別珍コールテン(織布)の街として知られていた。

ガチャマンと言われて、織機がガチャと音を立てると万札が入ってくると言われた時代があったが、それも今は昔のことになって久しい。

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否それどころか、ガチャの音すら聞かれなくなって、かつての工場跡もかなり減った。

その町を通る国道の脇に、生垣に囲まれてひっそりと古い民家〔工場?〕が残っている。

この木造の建物は今、DOLCE倉庫と言うしゃれた名称で呼ばれている。

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かつて織物工場の倉庫だったようで、戦中・戦後には国有綿保管倉庫として使われた。

国有綿など有ったのかと、物の無い配給時代を連想させる建物である。

その古色蒼然とした建物を、ある音楽愛好家が音楽ホールに改装した。

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それで今日、コンサートや朗読会、落語会などの会場になっているという訳だ。

実は昨日、知人に誘われてそのDOLCEに出掛けたのである。

主催は「暮らしの菓音」というお洒落な名の無店舗菓子工房である。

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音楽とコラボしながらスイーツを楽しもうという趣向である。

それでこの日の演奏は磐田マンドリンアンサンブルの皆さんだった。

夢みる想い、ドミノ、白い恋人たち、風の丘、草原、トロイカ、涙のカノンが次々と演奏され、Img_0050

そして最後には、クリスマスソングの聖この夜で締めくくられた。

快いひと時を過ごしながら、マンドリンの音の粒がキラキラと光って聞こえるようであった。

ベースのギターの上にマンドリンのメロディーが流れるのだが、

草原の向こうから陽の光が差し込んで牧草がキラキラと光っている様な感覚かな。

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ともあれ剥き出しの梁と木造の軟らかさとが相俟って、不思議な空間が出来上がっている。

随分と心地が良くなって、美味しそうな焼き菓子を手に帰宅した次第である。

実はこの主催者の守屋さんは、学校運営協議会でもご一緒させて頂いている方だ。

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2014年12月 7日 (日)

災害列島の住人

12月に入ったばかりなのに、日本海側では大雪が続いている。

あの3.11から3年9か月になるが、この間にも随分いろいろな災害があった。

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広島の土砂災害から御嶽山の噴火、長野北部地震などと立て続けである。

言うまでもなく私達は、火山と地殻変動で出来上がった列島の上に住んでいる。

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それにその大部分の人達が川が造った海岸端の沖積平野に集まって暮らしてきた。

地震や津波、洪水や雪害などにもともと脆弱な所だが、そこが住み易い所だったからだ。

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その災害列島の上に巨大な産業集積をしたのだが、

同時に大きなリスクの上に立っているのも事実だ。

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必ず近未来に起こるだろう東南海3連動地震に、

果たして、高度に人口集積されているこの国は持ち堪えられるだろうか。

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私の住む町では、市域の7割の地域が震度7 に襲われるという。

建物の耐震化が進みつつあるとは言え、7割の住宅が半全壊すると予測されている。

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避難タワーなど最小限の津波避難対策は出来たと言っても、

それは1m/秒で避難すればと言う前提であって、実際には液状化で道路はガラバ状態、

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おまけにその道だって倒れた住宅やブロック塀で通れない可能性が高い。

予想される最大12mの津波だって、震源地如何で上振れだって考えられる。

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そうなったら・・・・「しょうがないよ」と言う人が大半だけど、何とか命だけは守りたい。

防災教育は学校を始め女性グループやボーイスカウトまで広がりつつあるが、

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果たしてどれ程の減災効果が育っているだろうか。

そういう意味では、予測不可能で災害は起こってみなければ分からない。

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今日の地域防災訓練では、避難所運営訓練を中心に様々な取り組みが展開された。

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その訓練会場の多くを巡回して回ったが、地区の指導者によって随分温度差がある。

それでも参加した一人一人が何がしかを得て帰れば、少しずつ減災になるだろう。

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避難所などで生活したくはないが、その可能性か確実に増えている。

「俺には、関係ーネー」と思ってるあなた、そんな訳にゃいかないと思うよ!!!

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誰だってそんな事あって欲しくないと思っているその時、必ず奴らはやってくる。

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2014年12月 6日 (土)

言葉を忘れた子供達

子供達の語彙が少なくなっているという。

毎日のようにTV漫画を見てスマホやゲームに興じてるから、情報量は多いはずなんだが、

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国語の全国学力テストの結果を見るまでもなく、単純な言葉で生活しているらしい。

言うまでもなく、人類が他の動物と違うのは高度な言葉を発達させたことだ。

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言葉によって文明を引き継ぎ、そして発達させてきたんだ。

それに言葉は考える力そのもので、語彙が少ないってことは、

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物事を考える際の部品が少ないってことになる。

その原因は、多分読書量が減っていることと関係があるだろう。

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経験的に考えても、文章の上手い人は必ず読書家でもある。

私なぞも、もっと本を読んでおけば良かったと思っている一人だが、読書はやはり習慣だ。

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子供の頃にその習慣を身に着けなければ、

恐らく一生そのまま(貧困な思考)で終わってしまうだろう。

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昨日の学校協議会では、この読書をさせるための工夫をすべしと強く意見した。

本読み競争をさせるとか、読後感想バトルをやるとか・・・・色々考えられるだろう。

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町の教育委員会では小中一貫教育で、卒業までに英会話の出来る子を育てるとしている。

とりあえず使う場のない英会話が、果たしてどの程度子供達の身に着くだろうか?

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英語教育への努力を意味なしとはしないが、

もっと国語力・読書力を育てた方が豊かな人生に繋がるのではないか。

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一方には非行に走る子供達もいる訳で、教育は親の在り方とも相まって難しい。

ただ、その非行がちな子供達にだって、

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本を読む力が備わって入れは何か救いになるような気がする。

人が生きるには何がしかの支えが必要だけど、本の中にその支えが有るんだよ。

続きを読む "言葉を忘れた子供達"

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2014年12月 5日 (金)

自由と支え

ハウスの中とはいえ、この寒さの襲来にも耐えてキュウリが一本育っている。

その巻き髭でしっかりと支柱を掴んで、なお上に伸びようとしている。

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このキュウリを眺めながら考えたこと、それは人にも自分を支える何かが必要だってこと。

戦後の私達は、様々な束縛から離れて自由を謳歌することから始まった。

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民主主義の名の下にとにかく「個人」が尊重され、

ともすればエゴや利己的主張を個人主義と錯覚してしまったようだ。

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欧米の個人主義はキリスト教の倫理が前提になっているのに、

私達にはそんな前提も制約も無かった。

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それに戦前までは確固たる家制度があって、家の恥などと色々と制約されていたが、

その家父長制度も占領軍によって破壊され、誰もが「自由」と言うことになった。

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その自由と同時に「お天道様が見て・・・」とか世間様などの制約も次第に薄らいでいく。

しこうして、他人のことはさておき金々と儲け至上主義に走ってきたのだろう。

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家からも社会からも自由の身になったものの、

何だか足元にスースーと頼りなさと不安が漂っている。

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「自分は一体何者なのか?」って言う、浮き草の様な不安だろうか。

そもそも人間には、自分を支える何か〔哲学とか制度とか〕が必要なのだ。

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幕末で考えれば、どの藩の人間かが大変大きな問題だった。

金門の変の後では長州人と言うだけで、新撰組などに次々と殺されたんだから。

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ともあれ、あの頃は誰もが藩を背負って動き回っていたんだろう。

時代が変わった今日、藩に代わって依存する先は会社や組織になった。

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自己紹介では真っ先に「○×会社の・・」とか、「△▽学校の・・」などその帰属を語る。

聞いている方も「あぁ、そういう人か」と、それで納得するのである。

確かに信頼に足る帰属先がある人は、大きな顔で世間を闊歩できるのである。

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ところが定年退職して風来坊の私なぞは、支柱の無いキューリの様なもので、

イエに帰ったって、かみさんには粗大ゴミと疎外されるばかりで、

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ただただ地べたを這い回るしかない。

個人主義には、そいつを支える何か〔ボランティアなど〕が必要なんだ。

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2014年12月 4日 (木)

自分を生きる

少々難しくなりそうなテーマを掲げてしまったかな~ ?

敗戦で親父が復員してきて、それで私の人生が始まることになった。

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世は米国の合理主義を受容しようと国を挙げて猪突する時代だった。

学校では、工場でキチッと働くことの出来る子供を育てるのに懸命だった。

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言うなら画一的であまり個性のない子供が歓迎され求められていたんだろう。

それに団塊の世代って事もあって、何しろ数が多かった。

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だから学校もすし詰めで、「人よりも一歩前に」って何時だって競争に次ぐ競争だった。、

「頑張れば、必ず報われる」って、誰もがちこぼれまいと必死だった。

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その渦の中に居た人々がみんなトコロテンが押し出されるように産業社会に放り込まれ、

結果としてあの高度経済成長時代が実現するのだ。

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そこでは企業戦士などと煽てられて、誰もが個性を企業の色に染めて生きることになった。

いやいやその個性だって、企業社会の中で作られた個性だったろう。

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本当の自分なりの世界や考えを持つ事も無く、ずっと過ごしてきた様な気がする。

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他の人の顔色を見ながら控えめに「そうですね・・・」などと言いながら、

つとめて出る杭にならない様に生きてきたん、だ。

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「自分って、何なんだろう」って思い始めたのは、40歳を幾分過ぎた頃だった。

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仕事も家庭も幾分落ち着いた頃だったし、

それに何と言っても、あの平成2年のバブル崩壊で目が覚めた。Img_0350

随分晩生だったけど、自分の人生がこのままで良いのかって・・・・思い始めたんだ。

一人ひとり違った顔をして勝手な事を言っていても、結局はみんな同じことをやっている。

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だけど、それぞれ自分なりの物語があっても良いじゃないかってね。

それで始めたのが走ることだったし、書く事や作ること、そして人と合うってことだった。

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そして今では、そいつが『私』の大部分を占める様になっている。

もしあのまんま突っ走っていたら、とっくの昔に産業廃棄物になっていたと思うのだ。

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極めてささやかな自分だけど、その自分を生きていることを褒めてやりたい。

やはり他人との比較ではなく、自分を生きなければなるまい。

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2014年12月 3日 (水)

時代と人

上野の不忍池近くに、旧岩崎邸が都立庭園として保存されている。

明治28年に岩崎弥太郎の長男久弥が建てたもので、終戦時にGHQに接収されたが

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その後国に返還され、往時の1/3の規模ではあるが洋館など3棟が残されている。

時代を謳歌していた三菱の邸宅だけあって、英国の建築家コンドルの設計で、

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17世紀英国のジヤコビアン様式風の見事な装飾が施され、三菱の往時が偲ばれる。

三菱の創始者、岩崎弥太郎について考えている。

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広く知られているように、弥太郎は土佐の地下浪人で赤貧の中から立身した人だ。

土佐藩の獄中で同房の商人から算術・商法を学んだことが契機となって活眼する。

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藩執政の吉田東洋に才を認められ、土佐商会の長崎留守居役となる。

その留守居役が、やがて坂本竜馬の亀山社中の経理を任される事になっていく。

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時代は変わって明治6年、廃藩置県が彼にとっては一大転機だったかもしれない。

土佐藩が抱えていた莫大な負債の肩代わりに船2隻を入手し、海運業を興した。

竜馬の目指していた海運会社がベースになっていたのかも知れない。Img_0307

後藤象二郎が藩の借金を弥太郎に押し付けたのだが、これが三菱商会の始まりだ。

彼が財を成すのは、新政府の貨幣全国統一だった。

各藩の藩札を新政府が買い取ることを事前に知って、藩札を大量に買い占めたのである。Img_0308

10万両を工面して暴落していた藩札を買い集めたという。

裏で情報を流したのは後藤象二郎で、

要するに、今で言うところのインサイダー取引で巨万の富を得たことになる。

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その後の三菱商会は、台湾出兵や西南戦争でも輸送業務を独占し、政商として振舞う。

ともかく時代の流れを背景に、明日食べるものすら無いような境遇から、

一代でこの国を代表する財閥になったんだから前代未聞と言うべきか。

その弥太郎は明治18年51歳で没し、弟の小弥太、そして長男の久弥へと代替わりしていく。

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人は所詮時代の制約の中で生きるものだけど、・・・・人間の運命は分からない。

弥太郎は創造的な人物ではなかったように思うが・・・・、

時代の動きを嗅ぎ分ける動物的な感覚と度胸の座った男だったのだろう。

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2014年12月 2日 (火)

極東の華

近代都市東京をマラニックしながら、明治以降のこの都市の変遷を思っていた。

明治以降と言っても、たかだか150年にもならないんだから、つい最近のことだ。

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1853年に東京湾に姿を現したペリーの艦隊は、人々に圧倒的な科学の力を見せ付けた。

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幕末の維新への原動力はその外国からのインパクトであったし、

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以降、その欧米の持つ科学的合理主義への脅威と憧れが、この国を突き動かしてきた。

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明治から昭和にかけては、文明開化と富国強兵にひた走って戦争の辛酸を舐めた。

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戦後は米国の圧倒的な物量と自由経済主義に瞠目したのだが、

殊にマンハッタンの高層ビルや自家用車、食料を含めての諸々の生活用品だった。

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その自由で開放的なアメリカを追い求め、その結露がこの東京になったんだろう。

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この間ずっと「舶来」は憧れだったし、ほんのついこの間まで、ジョニ黒などの洋酒や

英国の洋服生地、アメリカ煙草などと言った舶来品を極上として礼賛してきた。

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そう言えば、到来物のジョニ黒を開けられずに、応接間に飾っていたなぁ~。

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そもそも「舶」の字には、遥々船で運ばれてくる白人文明のイメージがあった。

明治以来、極東のこの列島に住む人々は、誰もがそうやって、

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追いつけ追い越せと深刻な顔付きで生きてきたのだろう。

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グローバルな時代になった今日であっても、それは形を変えて

エルメスやルイ・ヴィトンなどへの憧れとなって続いている。

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それ程に物も思想も、はたまたファッションや芸術も素晴らしいと考えてきたようだ。

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しかし今日のこの東京の姿を見る限り、

舶来と言う言葉は既に死語になったと言えるのではないか。

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英国のロンドンやドイツ・イタリアの都市と比べても、これ程進化した都市は無かろう。

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もっとも、一極集中が際立っているに過ぎないという見方もあって、・・・・・

確かに戦後の日本は、かつての富国強兵と同様の勢いで東京を膨らませてきた。

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結果として地方の人口減少や希薄化、一次産業の衰退を招いたとも言えるだろう。

しかし極東のこの国が、150年でこれほど変化するとは誰が考え得ただろうか?

仮に今、ペリーがお台場の海に再来したとしたら、如何なる言葉を発するだろうか。

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極東の地に世界屈指の都市の華が出現しているのである。

ちなみに極東とは、ユーラシア大陸の東端の更に東のはてであって、

西洋から見ての僻地の表現である。

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2014年12月 1日 (月)

巨大なおもちゃ箱

東京と言うのは、大部分がかつて海であった所を埋め立てて出来上がっている。

私達が走り始めた品川はその最南端部に相当するのだろうか。

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そしてレインボーブリッジは、隅田川などへの開口部を跨いで走っている。

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汐入とか汐留などの地名が残るのは、そんな古の地形ならではの事だろう。

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その臨海地域には、巨大な建物群が無機質な雰囲気を持って林立している。

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巨大なジオラマを見ているような、得も言われぬ都市の姿なのである。

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しかもその姿は、時々刻々と移り変わってもいる。

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何時の間にか新しいタワービルの群れが建ち、新たな道や橋が出来ている。

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そして海から隅田川の流れを遡れば、そこはこの国の心臓部そのものである。

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この巨大な都市は高々300年の歴史だろうし、その多くが人の手によって創られてきた。

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一体どれ程の知識と経験、どれ程の時間と経済力と人々の労力がつぎ込まれたのか。

ここには人や物が満ち溢れ、私達の日常の寸法とは桁外れの空間がある。

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静かに流れる隅田川の川面には、晩秋の冷気が満ち満ちていた。

その堤防の内側の水辺に遊歩道があって、私達も少しだけ走ったのだが、

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都市に住む人々の日常的なランニングコースにもなっている。

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川辺のギャラリーなどと称して浮世絵が描かれていたりするのだが、

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その水辺にブルーシートできっちり囲った小屋が並んでいる。

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ホームレスの住まいで、一坪くらいの小屋が小奇麗に並ぶのは時代の切れ端なのか?

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住人はどんな由来の人なのか、兎も角外目には清潔に暮らしているようにも見える。

その傍らを走りつつ、時代からドロップアウトした生活を良しとする人間の心を思う。

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彼らは、決してランニングなんて悠長な楽しみを持たないだろうし、

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私たちこそが、この豊かな時代の恩恵を十二分に味わっているのだろう。

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