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2014年12月 3日 (水)

時代と人

上野の不忍池近くに、旧岩崎邸が都立庭園として保存されている。

明治28年に岩崎弥太郎の長男久弥が建てたもので、終戦時にGHQに接収されたが

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その後国に返還され、往時の1/3の規模ではあるが洋館など3棟が残されている。

時代を謳歌していた三菱の邸宅だけあって、英国の建築家コンドルの設計で、

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17世紀英国のジヤコビアン様式風の見事な装飾が施され、三菱の往時が偲ばれる。

三菱の創始者、岩崎弥太郎について考えている。

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広く知られているように、弥太郎は土佐の地下浪人で赤貧の中から立身した人だ。

土佐藩の獄中で同房の商人から算術・商法を学んだことが契機となって活眼する。

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藩執政の吉田東洋に才を認められ、土佐商会の長崎留守居役となる。

その留守居役が、やがて坂本竜馬の亀山社中の経理を任される事になっていく。

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時代は変わって明治6年、廃藩置県が彼にとっては一大転機だったかもしれない。

土佐藩が抱えていた莫大な負債の肩代わりに船2隻を入手し、海運業を興した。

竜馬の目指していた海運会社がベースになっていたのかも知れない。Img_0307

後藤象二郎が藩の借金を弥太郎に押し付けたのだが、これが三菱商会の始まりだ。

彼が財を成すのは、新政府の貨幣全国統一だった。

各藩の藩札を新政府が買い取ることを事前に知って、藩札を大量に買い占めたのである。Img_0308

10万両を工面して暴落していた藩札を買い集めたという。

裏で情報を流したのは後藤象二郎で、

要するに、今で言うところのインサイダー取引で巨万の富を得たことになる。

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その後の三菱商会は、台湾出兵や西南戦争でも輸送業務を独占し、政商として振舞う。

ともかく時代の流れを背景に、明日食べるものすら無いような境遇から、

一代でこの国を代表する財閥になったんだから前代未聞と言うべきか。

その弥太郎は明治18年51歳で没し、弟の小弥太、そして長男の久弥へと代替わりしていく。

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人は所詮時代の制約の中で生きるものだけど、・・・・人間の運命は分からない。

弥太郎は創造的な人物ではなかったように思うが・・・・、

時代の動きを嗅ぎ分ける動物的な感覚と度胸の座った男だったのだろう。

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