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2015年1月31日 (土)

衣体

このところ夜が長い為かどうか、ちょくちょく夢を見る。

夢の中では、実に色々な場面に自分が遭遇しているのだが、

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翌日にはその中身をすっかり忘れてしまっている。

只、夢を見たってことはハッキリ覚えていて、

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あの夢は最近の出来事との関連だろうなぁ~と、ぼんやり認識している。

ところが昨夜は自分の現役時代の夢で、当時の見知った人がかなり大勢登場した。

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自分の転勤や出会いみたいなストーリー?で、しかも自分の定年が2年ばかり伸びていた。

まぁ夢の事だから肝心の所はぼやけてるんだけど、登場人物も含めちょっとリアルだった。

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しかしながら過去の夢を見るってことは心の老化かしらって、少し心配になった。

それに夢ってものは、何処かで自意識と繋がってるんじゃなかろうか。

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少し過去を思い浮かべれば、走馬灯のように幾つものドラマが浮かび上がってくる。

これまで多くの人との出会いや様々な出来事があって、

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その自意識も少しずつ成長と言うか、変化を遂げて来たんだと気付く。

夢は、そのほんの切れ端に過ぎないのだ。

ともあれ、この長い歳月の間に「自分」も随分と変わったと改めて思ったのである。

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毎日の暮らしは綿々と続いているから、自分の変化なんてのは普通は気付かない。

それに若い頃は、「自分」なんてことを悠長に考える余裕なんて無かったからね。

更に言うなら、餓鬼の頃には自分で自分の「えたい」が分からなかった。

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それが、もう古希に近い歳で過去の夢など見たりすると、

「あぁ、俺ももうそんな歳かぁって」改めて私自身の変化を思うのである。

本を読んでも感じ方は昔と確かに違うし、読もうとする本の傾向も変わった。

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当然ながら出来事への感じ方も、物事への対処だって格段に違ってきている。

これが老成?なのかも知れないが、自分の「えたい」が知れたって事だろう。

因みに「えたい」とは、僧侶の衣姿のことを指す「衣体」が語源だ。

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僧侶は身に着ける衣の色で宗派とか格式が分かるのだが、それが分かったってこと。

とは言え、私自身の衣体の下にある愚図で小心な自分はちっとも変っちゃいない。

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2015年1月30日 (金)

美意延年

人間の魅力と言うか、信頼を集める人の器量って一体何だろうって考えている。

それは学歴とか資産、はたまた地位や履歴でもない。

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この時代、「あの人は、立派な人だ」って人々の信望集める人は極めて少なくなった。

政治家も企業人も然ることながら、地域社会ではなお更のこと、

むしろ欠点の目に付く人の方が多くなって、大人物が居なくなったようだ。

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我々の人生と言うのは、人と人の付き合いが全てだと言ってもよい。

やはり楽しい話を聞きたいし、成程って得心出来れば得をした様な気分にだってなれる。

それが残念ながら、みぃ~んな大同小異の小粒になっちゃっている。

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それは何故だろうと思いつつ、たまたま「多岐亡羊」って言葉に出会った。

逃げた羊を追掛けて行くんだが、道が幾重にも分かれていては、見失ってしまうってこと。

私達は仕事でも学問でも行政でも、何事も細分化が進んで大局よりも末節に生きている。

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その専門領域でこそ実力を発揮出来たとしても、それは世間一般に通じる何てことは無い。

結果として、自分の中に閉じこもって利己的な思考しか出来なくなっていく。

戦後の教育も丸暗記の知識詰め込み主義で、人格を育てようって感覚すらなかった。

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お陰で威張りたがる人間が多くなって、その虚勢にがっかりさせられることも多い。

因みに先日は、ささいもないことで屋根屋にえらく威張られた。

足元が見えるが、その口調までが尊大な命令調になってね・・・・

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それはともかく、戦後の豊かさが苦労知らずで人間を甘えさせちゃったね。

人との付き合いは楽しいが、事ほど左様に視野の狭さには困りモノなのである。

人の事は兎も角、私なぞも春風駘蕩とは真逆でコセコセと人生を送ってきてしまった。

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反省しきりなのだが、凡人故に今更如何ともし難い。

「美意延年」は、心〔意〕を楽〔美〕しませれば年を延ぶと読む。

仮に腹の立つ事があったとしても、

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くよくよとストレスを溜めずに泰然と生きるべきだ。

そうすれば体にも良いし、仮に短命であっても楽しんだ分だけ得でしょってね。

人間の器はともかく、せめて心豊かに生きたいものである。

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2015年1月29日 (木)

地域づくり

このところ、年度末と言うこともあって各種の会議続きである。

昨日の午後は市議会総務委員会との懇談、夜は地区社協理事会、

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そして今朝は地域審議会、午後は地区長会に地域づくり協議会準備会だ。

会議の事前準備も含めて、次々と渡り歩いている訳だが、全ては地域づくりである。

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政府の地方創生は産業面が中心だが、私達の力点は地域の生活環境づくりに尽きる。

これからの時代、行政におんぶにだっこなんてことは有り得ないし、

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福祉も子育てもコミュニティーも防犯・防災も、地域から作り上げていかなきゃならない。

それて今、「地域づくり協議会」を設立しようと色々と走り回っている。

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人口2万人弱の地域を創り上げていく母体を作ろうとの試みだ。

当面は地区自治会と各種団体で構成して、徐々にNPOや有志を加えたらと思っている。

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ともあれ、時代は利己主義の蔓延する勝手放題の風潮である。

だけど誰かが「いやぁ~、この方が楽しいじゃん」ってやり始める人がなかったら、

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この地域はどんどん沈んでいく。

だけど切っ掛けさえ作れば、

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仲間が仲間を誘い、やがて人と人の顔の見える地域が出来ていくんだと思う。

だから行政の仕事も、ソフト面でそんな活動を助長する仕組みと仕掛けを作りゃいいんだ。

地域審議会でもそんな発言をしたが、市長にどの程度伝わったかどうか。

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それにしても、地域社会の仕組みをほんの少し変えるだけでも大変にエネルギーがいる。

波間を漂う笹舟の様なものだが、それでも向こう岸まで漕ぎ着けなければ何も始まらない。

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今はただ、私に出来る事を最後までやろうと思っている。

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2015年1月28日 (水)

人間青山

思えば、団塊の世代〔S22~24生まれ〕と言うのは因果なと言うか不思議な世代である。

終戦の混乱の中で大量に生まれて、その数の多さ故にこの国の趨勢に大きく関ってきた。

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良く考えると、この国の栄枯盛衰とも深く関係している。

戦後の復興は何も無いところから始まった訳だが、勤勉で安い労働力が基礎になった。

そして大きかったのは、為替が1$360円に固定されていたという点だ。

低賃金でどんと゜ん輸出を伸ばして企業を大きくすることが出来たんだ。

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やがて繊維製品などの輸出摩擦が激しくなって、ドルショツクが起る。

為替相場が変動相場に切り替わって円が高騰したのだが、

そのドルショツクと機を一にして社会に登場してきたのが団塊の世代だ。

円高で輸出に急ブレーキがかかって産業全体が悲観論で覆われていた。

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ところが、団塊の世代の社会参加が一気に国全体の内需を押し上げる。

乗用車や各種の家電・住宅などの消費資材を大量に消費するこの世代は、

低賃金で働く若年労働者が大量に現れたってこととも相俟って、

いわゆる高度経済成長へと牽引する原動力になったんだ。

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と言う訳で70年代後半から経済は一気に発展を続ける。

ところが、彼らが中年になって賃金も増高すると企業の競争力は次第に落ちていく。

団塊の世代の消費自体もピークが去って、例のバブル崩壊へと至るんだ。

リストラや価格破壊なんてのもあって、失われたこの国の20 年になる。

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団塊の世代は既に大半が退職して、年金頼りの生活に移っているのだが、

何故か次のムーブメントが見えてこない。

将来の年金削減を心配して貯蓄に励んでいるのか、大半が音無しの構えだ。

やはりこの世代が元気で大いに消費するようでないと、経済再生は無いのではないか。

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何と言ったって、高度経済成長を演出し、バブル崩壊と共に終焉させた世代なんだから。

ところで、人は生まれたその時代によって生き方も志も大きく変わる。

幕末、周防の僧月性の詩に、「男子志を立てて郷関を出づ 

骨を埋むるに何ぞ墳墓の地を期せん 人間至る処青山有り」とある。

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この国の新しい時代を創った人々の気概とは、かようなものだったんだろう。

青山とは骨を埋める場所であり、何処で死んだって良かろうと言うのだ。

はて、既に一時代を生きたこの世代、何処で死んだって良かろうに。

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2015年1月27日 (火)

心の居場所

毎朝街頭に立って「お早う」っと大きな声を出しているが、子供の反応は様々だ。

元気に「お早う御座います、行って来ます。」と応える子もいれば、黙って頷く子、

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声が出ずに口の中だけで何か言っている子、毅然と無視して通る子などだ。

元気な反応のある方が嬉しいが、他方で子供だって色々と大変なんだ~とも思う。

体調が悪かったり疲れていたり、それになにかと葛藤があったり苦しんでいたり、

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宿題をやってこなかったり、子供だって大人と同じ様にいろいろあるだろうからね。

そんな自分に不安を抱えている子供が、元気に挨拶が出来る訳が無い。

私達団塊の世代が餓鬼の頃は、TVも車はもちろん食べるものすら無くって、

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蒸かし芋を食って、鬼ごっこやカクレンボで群れを成して暗くなるまで遊んでた。

それに比べ今の子供たちは、恵まれ過ぎている分、逆にメンタル面で苦労している。

モノや情報が溢れかえった中で生活しているから、格段に多くの選択を求められるようだ。

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そうして、今の子供たちは「自尊感情」が低いと指摘されている。

自尊感情ってのは自分を肯定的に捉える力だ。

「何故、こんなことが出来ないのッ」って言われ続けて「僕は、どうせ駄目さ!」ってなると、

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もうそこから前に進むことが出来なくなっちまう。

おまけに、一種の被害妄想で他人をも否定的にとらえるようになる。

もちろん自尊感情が過剰になり過ぎると、自意識過剰でこれも困りものだけど・・・。

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自分の良いところも欠点も含めて、自分を大切に思うことが出来ればベターだ。

思うに我々団塊の世代は、この国が日進月歩で成長する時期に育った。

少し頑張れば必ず成功する時代だったから、不安はあってもかなり少なくて済んだ。

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次々に夢が実現してきたし、そうした意味でかなり自己肯定的な世代だ。

だけど今の子育て中の世代は、バブル崩壊後に成長した世代で就職にも苦労して来た。

自分や家族の将来にも大きな不安を抱えながら生活している。

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当然ながらそんな親の心理が、何時の間にか子供にも移っていくんだろう。

それにしても、自分に自信が持てないまま成人する子供は実に可哀想だ。

やっぱり、子供は丸ごと認めてやって、

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「よくやった」「頑張ったな~」って褒め続けて育てないといかんな。

子供は子供なりに、よぉ~く大人の心理を観察し感じてるんだ。

子供の心の在り処を考えた事・・・ありますか?

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2015年1月26日 (月)

もう一人の自分

便宜上かどうか俳人には俳号があり、舞踊なら名取り、作家ならペンネームがある。

この下世話な世間とは別の所の、もう一人の人格だよって言う表明でもある。

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私の場合、かれこれ15年ほど前に自分のペンネームを「山草人」と決めた。

何故山草人かは以前書いたが、戸籍上の俺とは違うぜって言う意識も濃厚にあった。

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実際の自分じゃ此処までしか出来ないけど、山草人ならここまで出来るって気持ちだ。

時には小説家が主人公に自分の本心を語らせるってな気分もあるが、

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そうは言っても母体は一つで、別の人間が動き出すような訳にはいかない。

それじゃあ何故ペンネームを創ったのかと言うと、

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確かにもう一人の別の人格が必要だという気持ちがあった。

当時は定年を前にして、これまでの組織人としての自分からの離脱を目指していた。

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それまでの組織の人間ではなくって、

自分の自立と同時に自分の新たな人生を切り開く先兵が必要だったんだ。

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・・・・・と思っている。

それで今、色々とやっているとは言え、かつての肩書も無く多くの部下がいる訳でもない。

裸一貫で、それも痩せ衰えたみすぼらしい姿で、なおまだまだ長い人生が残っているんだ。

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油断すれば産業廃棄物になりかねないこの身である。

と言う訳で自分を卒業して、向後改めて「山草人」として生きようかと考え始めている。

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自分の本名は戒名扱いにしておいて、対外的には「山草人」として歩くんだ。

ひょつとしたら、面白い生き方が出来るんじゃなかろうかってね。

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もう今更、誰に迷惑を掛ける訳じゃなし、思いのままの山草人を生きてみようと思うのだが・・・・。

幾分歯切れが悪いのは、そうは言っても「山草人」はやはり私なんだ。

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さてこそ、もう一人の私を本物にするにはどうすりゃ良いのか。

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2015年1月25日 (日)

何故に何故

二か月ほど前に行きつけの床屋さんから電話があって、今日で床屋をやめると言ってきた。

「実は、悪性の癌で・・・・頑張って来たけど…」と携帯電話の声である。

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「お大事に!}」と電話を切ったものの、

はてこれから何処の床屋に行けば良いものかと困っていた。

そんな折、女房が「あの床屋、やっていたよ」と言う。

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半信半疑で出かけてみると、あの床屋のグルグルが回っているではないか。

「何だッ、治ったのか」と思いつつ中に入ると、若い床屋がにこにこ笑っている。

兎も角、椅子に座って前の主人の話をすると、

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「あのぉ~・・・、二か月前に亡くなったそうですよ」と言う。

「エッ!」と驚いたのは、死の直前に常連客に閉店を知らせていたってことである。

それにかなり元気に見えた男が、コロッてかくも簡単に死んでしまうものかってこと。

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若い主人が「色々と、苦労していたようでしたからね」と続けた。

そう・・・・・まだ六十代の前半だったけど、3年前に新しい店を建てたばかりだった。

人間なんて死ぬまで生きるしかないんだって思いつつ、ジィ~ンと無情感に包まれた。

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そしてこの床屋も、どういう経緯かは別にして若い世代へと受け継がれている。

やがて数年もすれば、先代の存在だって忘れ去られていくのだろう。

俺だって100kマラソンがどうのなんて気張っていても、

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はかないこの世の定めなどは知る由もない。

人はさ、何時だって精一杯生きようと足掻いている。

走った後の山のサロンだって、やはり皆自分の存在を懸命にアピールしている。

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「俺は、ここでこう言う生き様してるんだぜ」って知って欲しいんだ。

平凡に生きて普通に死んでいく人生の残すものは、仲間内の記憶でしかない。

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望むらくはその記憶にプリントするために、人々は動き回っているのかも知れない。

自分の生きた証を何処かに残したくってね。

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男の平均寿命は80歳だが、2050年には90歳を超えると予測されている。

まぁ長寿は結構だが、あんまり長く生きりゃ良いってもんでもあるまいて。

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2015年1月24日 (土)

大寒の一日

何だか久しぶりの様な気がする晴天の休日である。

ホウレン草の調整作業を終えて、やはり山に向かう。

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実は宮古島の途中リタイア以降、自分の中でテーマを決めて走るようになっている。

そしてそのテーマが名付けて丹田走法なのだが、今日が本格的な最初の練習日である。

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腰を折って前かがみにせず、体を板のようにして腹を突き出し倒れこむように走る。

これが実際に走ってみると、驚くように早くって疲労が少ないのである。

何時もなら2時間半を要するのに、同じコースを今日は1時間45分で帰ってきてしまった!!!!

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一体全体、これまでの練習は何だったのかと夢のような結果に驚いている。

いくら頑張ってもスピードが出なかったのは、それはやはり腰が引けていたんだろうか?

ともあれ、これがどの程度継続して故障なく続けられるかが今後の課題だ。

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壁の前でウロウロしてたんだけど、やはり人生は何があるか分からない。

随分気を良くして帰って、午後からは作業の遅れている葡萄の剪定である。

これも夕暮れ近くまでの作業の結果、残り1棟を残すだけになった。

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やれやれだが、この後は堆肥の施用作業に移って、程なく出芽の時期を迎える。

そして今夜は、これまた久しぶりの遠来人(エンライト)の会の例会である。

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例会の講師は登山家の池ヶ谷尚利さんで、「人生は旅、人は旅人」と題してお話下さった。

池ヶ谷さんは日本三百名山を完踏されていて、現在は富士と名のつく360山を巡っている。

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とにかく全国蕎麦行脚を始めとして、遊ぶことを探し続けている趣味人である。

仕事も遊びにしてしまって、遊びの中で人生を学んできたと言う。

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まぁ羨むべき数寄者と言うべきだろう。

そして彼は、何時アウトになっても後悔しないし、人生が2度あるなら同じ道を歩きたいとおっしゃる。

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さてこそ、私は後悔ばかりの人生を歩いてきたし、

ならばこそ、残りの私の人生で何ができるだろうかと考え始めている。

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2015年1月23日 (金)

あぁ~英語よ!

ジャツク&ベティーが、ついぞ好きになれなかった。

振り返って思えば私も、英語には随分多くの徒労を費やしてきた。

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中学校の頃には英語塾に通っていたし、その後もNHKの英会話講座に何度も挑戦した。

通信講座のテキストに大枚を叩いたのも何度かあったし、

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30歳の頃には仕事を終えてから毎夜英会話教室にも通った。

そして定年退職してからは、車の中のCDは英会話に限っている。

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実に涙ぐましい努力なんだが、無能故に一向に英語を流暢に話すなんてことは無い。

中学以来誰もが英語には苦労したはずなのに、ものにした人は数パーセントに過ぎない。

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英語教育への多大な投資にもかかわらず、この国では英語が何故駄目なのか?

私の場合は必要が無いというか、折角覚えても使う機会が無いから直ぐ忘れっちまう。

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だって普段の生活で使う場所も必要も無いからね。

そう言やぁ、日経新聞が朝刊の2面に英文を対訳つきで掲載を始めている。

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時たまそいつを読もうと思うんだが・・・、それよりも他に読みたい記事が有るしね。

しかしながら、私達はとんでもないグローバルな時代に生きている。

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イスラム国の狂気に巻き込まれたり、120ドルだった原油が急に46ドルになったり、

毎日食べる物も世界中から輸入しているし、企業もこの国の中だけでは閉塞してしまう。

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そして、この国をガラパゴスにしているのが言葉の壁だとされている。

そんなこんなで今、国を挙げて英語教育に力を注ごうと躍起になっている。

教育再生の掛け声の下、中教審の答申が出されたがその目玉が英語教育だ。

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高大接続改革の為の入試改革と英語教育改革で、小学校中学年から英語を学ばせ、

5~6年生では初歩的な英語を使えるようにするとしている。

だけど日本語もまともに分かっていない子供達に英語が身につくのかどうか?

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この国の英語との遭遇は、ペリーの黒船が浦賀に来航した1853年だ。

そこから1853年の大政奉還まで、わずか14年で明治を迎えている。

この間の変化のスピードは物凄いもので、今日のグローバル化なんてもんじゃなかった。

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はてこの先、この国の人達が英語を普通に受け入れる為には、

普段から英語を使う場面が無いとやはり駄目だろう。

英検やTOEICだって単に資格になっちゃっているし、言葉は生き物だしね。

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ペリー来航くらいの覚悟をしないと、英語はものにゃならんげな!!

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2015年1月22日 (木)

エイジング

正直なところ、まさか自分が古希になんなんとする歳になるなんて思いもよらなかった。

しかしながら、一年一年と間違いなく馬齢を積み上げている。

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二昔ほど前ならそんな老いなどは考えなくとも、大抵はとっくに昇天している歳なんである。

だけど今日、食や医療或いは文化の進歩のお蔭で、

シルバー世代とは言え昔とは格段に実年齢が若くなっている。

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60歳の定年を迎えても未だ隠居や老成には余りにも早すぎて、

まだまだ現役以上にギラギラしてる人が多い。

新たな挑戦もしてみたいし、可能なら恋愛だってしたいなんて考えている。

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知らない土地のマラソン大会も走ってみたいし、まだ見ぬ世界を体験したいとも思う。

既にこの人生、最小限の責任と言うか、やらなきゃならないことはやってきたから、

もう人生の自由を得て、言うならば何が起ころうが怖いものなんてありゃしないんだ。

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・・と言う訳で新たな挑戦をしたいのだが、はて何から取り組むべきなのか?

旅行や山登りなんてのもやりたいが、

もっとアクディブな生き様が出来ないかと考えている。

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若い若いとは言っても、現実には昨年できたことが今年は出来ないなんて時期が、

きっと何時か来る訳だろうから、出来る時に出来る事をやっておきたいって焦燥もある。

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例えば、自分の足で日本一周の走り旅ってのはどうだろうか。

早春に太平洋側を北海道に向かって走り始め、初夏の北海道をぐるりと巡って、

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この後は日本海側を南下して鹿児島の佐多岬へ、帰着は冬で一年がかりになるかな。

勿論その土地の名所旧跡も訪ねつつ、後世に残る(?)手記を残せないだろうか。

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芭蕉の様な気の利いた詩文を残すことが出来れば、なおのこと・・・・・・?。

とは言っても、まだ数年先のことに成らざるを得ないだろうが、

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その間私の可愛がってきた葡萄はどうするのか悩ましい。

しかしながら、人生はとてつもなく長いようで思いの外短いんだから、

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何時まで生きるかは別にして、煩悩の塊を抱えて進もうと思っている。

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2015年1月21日 (水)

人生の風景

思えば私達は、風景の中で生きている。

印象派の画家達が切り取った様な特別な風景ではなく、毎日何気なく見ている風景だ。

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いや毎日のことだから、見ているようで実は見えていない風景なのかもしれない。

ご飯を食べたり口げんかをしたり、子供を見送ったりと、

或いはその風景は、自分の日々の生活の単なる背景なのかも知れないけど、

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それこそが自分の人生だという自覚をすべきなんだろう。

あの正岡子規は晩年〔と言っても三十代だが〕根岸の小さな部屋で暮らした。

肺結核で動くことも出来ない子規の為に、友人の漱石がガラス障子を送った。

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ガラスを通して小さな庭の景色を眺められるようにとの配慮だ。

三十六歳で物故した子規は、その窓を覗きながら写生するかのような歌を書いたのだ。

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時代は変わって、私達は各種メディアも含めて、目くるめく多くの景色に出会っている。

そして身の回りの何の変哲も無い景色を景色とも思わなくなっている。

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それでものぐさなこの私も、機を捉えては非日常的な景色を求めては動き回っている。

それも自分の足で景色を求めて動き回ってきたのである。

確かに日常から飛躍して出会う様々は、それぞれが魅力的なものだ。

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旅行は正にその異空間・風物との出会いの楽しさだ。

町興しの一環で、城下町を保存・復元した観光地が人を集めている。

確かにオォッとその異空間へのタイムスリップに驚きはする。

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しかしそれはミュージアムであって、見てくれと中味のギャップに違和感を感じたりもする。

それは未だ観ぬものを観ようとする好奇心を満足させてくれても、

自分の人生の風景にはならないからだろう。

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本当は身の回りこそが肝心で、人も地域もその小さな風景を研くべきなんだろうな。

自分の見ている風景は、実は自分の人生そのものなんだから。

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2015年1月20日 (火)

折り返してから

マラソンに例えると人生の折り返し点は還暦辺りだろうか。

否、120歳まで生きようって訳じゃなく、実質的な中味のことをイメージしている。

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誰もが「おぎゃあ」って合図で走り始めて、群れをなしてピーチクパーチク学校で過ごし、

その後は、だんだんにそれぞれ自分のペースで走るようになる。

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群れも次第にばらけて、やがて孤独な一人旅になってゆく。

それでもマラソンってのは自分の足で一歩一歩前に進む他ないのである。

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その一人旅の途中「オィ、もう少しでエイドだ。頑張れ!!」などと励まされたりもする。

褒められたり(昇進)とか躓いて立ち止まったりしながら、力を振り絞ってひたすら走る。

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いやさその途中には、結婚や離別、葬式やら喧嘩騒動、台風やら地震、転勤に左遷、

それに地震や台風なんかもあって、炊事やら風呂の掃除もしたりして・・・・。

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或いは自分の家づくりなどを通じて、単純じゃない人生の様々なことどもに遭遇する。

それでも走りながらの新たな景色は、興味と興奮とドキドキしながらの道程でもある。

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そんなこんな無我夢中で、やがて定年退職と言う人生の折り返し点がみえてくるんだ。

折り返しのコーンをぐるっと回ると、また別の景色が見えてくる。

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続々と懸命に走ってくる後輩たちの姿がそれさ。

「アレッ、こいつこんなとこ走ってやがる!」とか、同期がずっと後ろを走ってたりしてね。

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そして時には、すれ違いながら「ガンバレェ」などとエールを送る余裕すらできている。

そう言えば、この折り返し点に来るまでは、「人生」なんて言葉を使ったこともなかった。

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散々色々な雑事にまみれてきて、少しばかり人生の輪郭が見えてきたんだろう。

・・ってな訳で、私も今では繰り返し人生について書くようになっている。

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まあそれはともかく、折り返してからゴールまでの道程を考えている。

マラソンと違って、今来た道を取って返すならばともかくゴールまでのコースは様々だ。

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それにゴールまでの距離だって、行ってみなきゃ分からんが随分と個人差がありそうだ。

はてさて人生が100kマラソンなら、今頃私は何キロ地点を走っているのだろうか?

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残り20kなのか30kなのか、とにかく体力や気力を奮い立たせながらゴールに向かっている。

既にすれ違う後輩の姿とてなく、日差しだって西に傾いている。

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いやさ、焦ることはない。

人生はひたすら淡々と歩みを進めて、ゴールに倒れこみゃ良いんだから。

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2015年1月19日 (月)

山草のごとく

大寒を目前にしているのだけれど、朝の日差しがジリッと高くなり始めました。

私が毎朝立っている歩道の日陰が、溝蓋一枚ずつ短くなっていくんです。

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気配は儚げだけど、明らかに春に向かっている実感と言うのは嬉しいものです。

山の木々も寒さや乾燥に耐えながら、それでも梢の先をぽってりと膨らませている。

いやいや、野草や雑草だって気丈に生きている。

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もとより雑草と言う名の草は無いんだから、山の自然と言い換えてもよい。

ホトケノザやオオイヌフグリ、タンポポや小さな笹・・・それに名も知れぬ草達である。

そこここに小さな花を咲かせる春もいいが、寒さに耐えて生きるそんな草達が好きだ。

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その山の草にあやかって、自分のペンネームを「山草人」としたのだった。

あれから15年程になるが、果たして山の草達の様に逞しく歩んでこられたのかどうか・・・・?

逞しさは別にしても、彼らと随分共に過ごしてはきた。

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改めて思えば彼らは、春夏秋冬絶えることなく正に自然の風景を創り続けている。

私達は日々移り変わるその風景の中で生き、そして暮らしている。

そして当然ながら、感じることも考えることもその風景に育てられ助けられているのだ。

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それに山の自然は限りなく永遠で、私たちの持っている時間とは別次元のものだ。

年々歳々変化を続けながらも、人間の持つ時間を遥かに越えて存在していくのだから。

そういう意味では、一本の巨木よりも遥かに永遠なのかもしれない。

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ところで、山の自然に抱かれて走り続けてきた15年余だが、既に古稀に近ずいている。

気がつけば、これからの残り時間は高々15年そこそこな年齢なのである。

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そう思うと、目立つことの無い山草が殊更に愛おしく感じられるのである。

「人生は人の時間への態度」だということを胸に、山の一草になってみようと思う。

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2015年1月18日 (日)

リーダー

自治会から政党までどんな組織であれ、適切なリーダーを得ればそれだけで組織は様変わりする。

そのリーダーの要諦は、やはり大局的な視野と「腹」だろうと思う。

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目先の利害得失よりもこの組織は何をしなければならないのかを見通して、それを貫徹する胆力と言い換えても良い。

内輪の話で恐縮だが、この点我が市の自治会連合会長は何事にも腹が据わっている。

もちろん根回し的な所も如才がないが、これと決めたらと多少強引でもとことん前に出る。

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翻って自分はどうかと考えると、どうも左右を慮る調整型なのである。

波風は立たないかもしれないが、結局は何も出来ないで終わってしまいそうで、所詮リーダーには向きそうもない。

ところで、リーダーの最たるものは国の総理大臣だろう。

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かつての二人のリーダーの、ものの見事なほどの大失態を思い出している。

特に管直人なる宰相は、軽薄の際立った総理大臣として歴史に残るのではないか。

例示すれば際限がないが、就任時の演説でTPPを評して「平成の開国」と得意満面で言い放った。

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難しい国際交渉に臨もうと言うのに、その問題意識すら無かったのだろう。

それに「奇兵隊内閣」とか「奇兵隊首相」なんて言葉もしばしば使っていた。

自らを高杉晋作になぞらえたつもりだろうが、奇兵隊は所詮ならず者の集まりだ。

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その証拠に戊辰戦争後の解散命令に反抗して反乱を起こしている。

結果は、悲劇的な鎮圧と粛清となって結末を迎えている。

その歴史を踏まえての事かどうか、一国の首相や内閣をゲリラ隊に擬したのである。

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更に、あの東日本大震災に際しては、官僚機構の機能すら無視して単独スタンドプレーを演じ、

結果として政府そのものを機能不全に陥れたのではなかったか。

中国船衝突事件や尖閣問題に関しても、

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大罪を犯した船長を釈放する一方で真実を知らせた海上保安官を罰したのである。

かてて加えて、胡錦濤主席との会談に至ってはこれが首相かと誰もが目を覆った。

官僚や閣僚の言うことも聞かずにその部下を罵倒するのが常だったと伝わる。

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もっと言えば、退任に際してのダーティーなやりとりも皆が覚えている。

ともかく政権交代への期待を裏切った、およぞ為政者としての覚悟が感じられない御仁だった。

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ついつい脱線してしまったが、今日は民主党の代表選挙である。

是非とも自民党に対抗できるリーダーの覚悟を持った代表を選んでほしいと思う。

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2015年1月17日 (土)

器量

かつて器量よしとか器量人とか言われたが、その「人の器量」について書こうとしている。

器とは入れ物だから体の事だろうか、そして量はソフトだから体と心ほどの意味だろう。

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そして、それは人間を測る尺度でもある。

実は、今日はかつての職場のOBの集まりがあって、何年かぶりに出席したのである。

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まず最初に思ったのは、退職してからの方が人間の器量ってのは露出するってこと。

もちろん皆さんそれぞれに甲羅を経てきた人達だから、それぞれの年輪を感じさせる。

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しかしそれは、人によってかなりの差が出るもので、それぞれが生き様を表している。

人間として熟成して独特の味を出している人もあれば、未だギラギラしている人もいる。

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そうかと思えばこの期に及んでも虚勢を張っている人だっている。

誠に申し訳ないが、私はそんな人間の人生ウッチャーなのである。

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人と会話しながら「この人は、この会に何を求めて出席したのかな?」って思っている。

さて、それは人それぞれだろうが、実は会合の質はそれで決まるのではないかと思う。

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単に集まって飲むのだけなら、それだけのものでしかない。

しかしお互いに人生の何かを吸収し合うとしたら、それは又別の物になるのではないか。

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夏目漱石の「道草」に、「人生と言うのは、人の日々の時間に対する態度の事だ」とある。

誰だって無限に生きる訳でなし、たかだか数十年の時間しか持ち合わせていないのだ。

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折角人が集まるのなら、やはり己が人生を語りあうべきなんだ。

「時間に対する態度」ってのはかなり難しいが、簡単に言えば時間の使い方って事かな?

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のんべんだらぁ~りと過ごしても、目的に向かってひた走っても、同じ時間なんだ。

どちらを選ぶのかが、その人の人生ってこと!!

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今日は、フリーハンドを得たOBの皆さんがどんな選択をしてるかってことに興味があった。

まさに人それぞれだけど、人は最後の最後まで颯爽と生きたいね。

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昔も今も、朝昼晩と一日は変わりなく過ぎていくんだから。

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2015年1月16日 (金)

自分の壁

壁にはかつてベルリンを仕切っていた様な障壁もあれば、目に見えない心の壁、

そして人生の過程で次々と希望の前に立ち塞がる壁などがある。

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私も若い頃は、友達との壁やスポーツ音痴の壁、勉強の壁などと、

しょっちゅう壁の前をウロウロしていた様な気がする。

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そして「僕は、大人に成れるんだろうか?」などと真剣に悩んでいた時期もあった。

勿論進学・就職も大きな不安を伴う壁だったし、異性の壁なんてのも意識下にあった。

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だけど外国語の壁のように未だに越えようとして越えられない壁もあるが、

大抵の壁は自然に消えてしまったり、迂回したり乗り越えたりしてココまで来られた。

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戦後復興と経済成長期のお陰で、戦前の様な時代の壁が低くなったのも幸いだった。

だけど何時の時代でも、自分の力では到底乗り越えられない壁に直面するのが常だ。

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そんな時にどうしたかというと、確かに悩みはしたがそれでも壁の前をウロウロしていた。

感覚が鈍感と言うこともあるが、簡単に「撤退」を決断できずにクズ愚図していたようだ。

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まぁそれに撤退しようにも後が無くって、結果として逃げて回ることも出来なかった。

それで壁の前を行ったり来たりしていた訳だが、人生は不思議なものである

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壁の下に割れ目を発見したり、何時の間にか壁を回りこんでいたり、

もう駄目かと思っていたら壁の向こう側からスルスルとロープが降りてきて助けられたり、

とにかく、人生にゃ本当の壁なんて無いんだと思う。

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この点、誰もが衣食足りる豊かな時代に育った若い世代は誠に耐性が無い。

自分の中に安易に幾つもの壁をつくって、簡単に志を曲げて撤退してしまう。

人はそれを「向上心が無い」と評すが、

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そんな風潮がやがてこの国を劣化させていくことになるのではないか。

そもそも人生における壁なんて、自分で作っ〔仮想し〕ているに過ぎないのだ。

ともあれ、私のこれからの大きな壁は実は「カレーの壁」なんである。

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かつて出来た事が次第に難しくなる壁を如何にして乗り越えようかと思案している。

もとより、100kウルトラマラソンも然りである。

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2015年1月15日 (木)

何を眺めるのか

宮古島を走りながら、単に走るのではなく何を眺めて走るべきか・・なんて思っていた。

それで昨日まで貼付したような沢山の写真を撮った訳である。

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宮古島の宮古島である所以みたいなものを感じ取ってやれッてね。

ともあれ私達は、朝起きてから寝るまで、

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出通勤途上や執務室の窓などから次々と色々な眺めと共に過ごしている。

そうして、どんな眺望を前にしているかで自ずと考えることも変わってくるはずだ。

私達は習性として〔バカと鶏でなくとも〕高い所には登ってみたくなる。Img_0143

例えば、それはスカイツリーだったりアベノハルカスだったりもするのだが、

高い所に登るのは、ひとえにその眺望を求めて登るのだろう。

歴史的に、眺望のきく小高い設けられてきたのが城だ。

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今日残されている城址に登ると、その下に広がる景色は市街地の広がりだけど、

その甍の下での人々の生活や街の機能までもが伝わってくるような気がする。

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かつての城主がどのような気持ちで城下を睥睨していたのかって、想像してみたりしてね。

そもそも城には、世間を眺め渡す覗き窓の様な機能が有るのかも知れない。

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思えばこれまでにどれ程の城址に登っただろうか?

藤堂高虎の築いた伊賀上野城は如何にも戦闘的な城だったし、浜松城、駿府城、仙台、

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はたまた広大な大阪城、長浜や井伊直弼の彦根城、小田原城などを思い出している。

その造りから城主の思想や時の情勢までも感じられるのは、やはり城からの気色だろう。

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城の景観と眺めはともかく、自分の目の前の眺めこそが、自分の人生の風景だ。

自分の買ったマンションからの眺め、丹精した庭の四季の移り変わり、職場の風景、

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人と人の出会いの場面や家族の団欒などを俯瞰すれば、すべてが見えてしまう。

そう言えば、NHK大河ドラマの実質的主人公である吉田松陰は、

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理屈で考えるのではなく愚直に現場を眺めて行動する人だった。

ぺりーの黒船をつぶさに視認し乗り込もうとしたし、

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遠く松前まで脱藩してまで赴いてロシアの脅威を感じようとした。

松蔭の例を持ち出すまでも無く、何事も高みの見物では物事の本質は見えてこない。

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人生はその渦中に有って、尚且つ何を見ているかが肝心なのだと思う。

そして、確かな景色を観る為にはアクティブに動くことだ。

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2015年1月14日 (水)

場づくり

人世とは、とどのつまり自分の場づくりなのかも知れない。

その「場」には、時間や空間の違う様々なシチュエーションがあって、

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言葉でいうなら仕事場や現場、土壇場や見せ場、修羅場や死に場所なんてのもある。

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就職したての頃は、先ずは職場での自分の立ち位置や立場を固めるのに夢中だった。

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やがてよちよち歩きながらも自分の見せ場なども出来たりして、

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出会いの場があって結婚。

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家庭と言う自分の居場所をつくり、時に逃げ場や修羅場になったりもした。

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定年退職してやれやれと思ったら、

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今度は地域の中に場所を得て、それなりの持ち場を担当することになる。

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まぁ~そんなあれやこれやの場数を踏んで、今日「ここ」に至っていると言う次第だ。

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いやさ、成り行きに任せて生きて来た訳じゃない。

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敢えて緊張を強いられたり苦労する修羅場に身を晒したこだっても数多い。

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人世は、その場しのぎで場あたりで生きることだって出来るかもしれない。

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だけど面白く生きようと思ったら、自分なりの場面を創りだすことだ。

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例えば、先日は宮古島と言う場を得て100kに挑戦する機会を作った。

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「何もそんな鉄火場の様な苦労する場を創るこたぁない」と思われるかも知れない。

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確かに難儀なことだが、あの苦痛から離れて数日なのに、新たな闘志に燃える自分がいる。

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年の初めに、あの暖かな宮古島を走ることのできる幸せがある。

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どんなに苦しくっても、100k先にはゴールがあって仲間が待っている。

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別に人生はマラソンだけじゃないから、様々なステージ(場)がある。

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逃げ場をひたすら探している「F」のような男もいるが、恐らくさみしい人生だろう。

自分をどんな場所や立場に置いて、その場面を楽しめるのか否かが人生だろう。

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やはり人生は、面白い場を創ってこその人生だ。

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2015年1月13日 (火)

人世の使い方

この人生、朽ちるまではスックと立って走り続けていたいと思う。

その極意が、丹田(腹)を据える事ではないか。

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リ・ターンのリとは、日本語で再挑戦の再であろうか。

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そして再とは、単に繰り返すことではなくって、改めて新しくやり直すことだ。

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新たな創造が無くっては再挑戦の意味がない。

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一昨日の敗戦の痛手から、改めて立ち直ろうとしている。

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スタート地点で言い聞かせた「ただ、ゆっくり」は明らかに間違っていた。

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「ゆっくり」が丹田を緩め、結果として早い段階での消耗となってしまった。

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思えば、100kを舐めてかかっていたと言うべきか。

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安直に完走と言う勝利を手に入れることを考え過ぎていた。

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それよりも、100kを走るんだと言う「腹」に力を入れるべきだったのだ。

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昨日の体幹にも通ずることだが、丹田がしっかりしていれば疲労は無いに近い。

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楽に走ろうと言う思いが前かがみになり、結果として歩幅を縮めてしまったのだろう。

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左様に人間の体は、使い方如何なんだと思う。

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要は、足で走るのではなく丹田(体)が前に出ていくイメージなのではないか。

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100kを走るのがすべてではなく、100kを走る自分の時間が大切なんだ。

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あの単調な東平安名崎に向かう30k近い真っ直ぐな道を楽しむには、「腹」から!!走るしかあるまい。

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丹田に力を入れて体全体を前に傾けることで、

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あの道のりを自分の時間にすることができるのではないか。

これで諦めてなるものか!!

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私の再度は、新たな挑戦の始まりでなければなるまい。

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この人生は、須らく自分の言葉や時間、そして人生そのものの使い方如何じゃないか。

そいつをこれしきの事で諦めてはなるまい。

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改めて、丹田を意識する生活を始めている。

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2015年1月12日 (月)

体幹

春風の吹く沖縄から、冷たい空っ風の静岡に2時間で到着する。

当たり前と言えば当たり前だが、静岡空港の有難さが実感としてわかる。Img_0001

ともあれ、完走できなかったが足は真っ赤に日焼けして帰ってきた。

宮古はサトウキビの畑の広がる島で、この3月までが収穫の最盛期だと言う。Img_0004

それでこの時期は、製糖工場が24時間ぶっ通しで稼働している。

とは言え、ザワザワとキビのなびく畑で働いているのは、かなりの年配者だった。Img_0015

サトウキビのハーべスターも散見されたが、大抵は手作業での収穫のようだ。

今年で4年目の宮古島で、立派な墓の並ぶ奇観も含めて、Img_0017

グルグルと島を巡ってきたから島の様子はかなり分かってきた。

開放的で明るくって、独特な言葉も残っていて、やはり来年も訪れたい島だ。Img_0018

だけど今回の体たらくでは如何ともし難く、飛行機の中で対策を考えていた。

行き着いた結論が、「体幹」を鍛えるしかないと言うことである。Img_0022

スピードに関係なく一定の時間で推進力が失われるのは、

姿勢が変わるからではないのか。

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小笠山での日々の訓練で足腰は十分鍛えている。

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しかし、その体全体の運動時のバランスをとる体幹が弱ると訓練自身が意味をなさない。

スクワットや背筋・腹筋の強化は当然としても、何とかして体幹を鍛えるねばなるまい。

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その体幹を構成する筋肉と言うのが複雑で、どうにも分かりにくい。

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要するに日々の姿勢に留意して、意識して体をかっこ良く保てば良いのだろうが…・

それは体を常に真っ直ぐにする意識が肝心だと言う。

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しかし、その訓練の方法が分からない。

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体を折ることなく真っ直ぐに前傾したまま走ることが出来れば、失速は防ぐことができる。

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次のレースは4月だから、それまでの間何とか工夫を続けてみたいと考えている。

歳と共になどと言いたくはないから、力任せではなく合理的な工夫をしてみたい。

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どなたか、良い方法をご教示頂けませんかしら?

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2015年1月11日 (日)

タンディガータンディ

今晩は、不本意ながら敗戦の報告になってしまった。

よって、何を書いても言い訳になってしまいそうだが、素直に顛末を記すことにする。

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宮古の天候は晴れで、4月を思わせるほどに暖かい。

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朝は2:15分に起床だが、実は殆ど眠れなかった。

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2:30ホテルのバイキングで朝食をしっかりと食べてから、バスでスタート地点に向かう。

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スタートは5:00だが宮古の日の出は静岡よりも1時間は遅く、真っ暗である。

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スタートに際し心していたのは、ゆっくりと自分のリズムで走ることだった。

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決して人と競わずに人の後ろも追わない〔たとえプロポーション抜群の女性だったとしても〕こと。

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更に言うなら、ひたすら前を向いて俯かない事を言い聞かせていた。

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作戦が奏効し順調な滑り出しだった。

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池間島に渡る長大橋だって、心地よく往復したんだ。

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が、何故なのか異変は突然起こった。

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54kを過ぎた辺りだろうか、重要な回線が一本切れたかのように突然スピードが落ちた。

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一生懸命走っているのに歩くほどのスピードなのだ。

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まぁ兎に角ゆっくりでも淡々と進んでいけば、何時か回復するだろうと甘く考えていた。

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ゆっくり走ってきたこともあって、50kエイドで10:50と、貯金は一時間弱しかできなかった。

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それでも復調すればよいのだが、逆に着地するたびに両足に痛みを感じ出している。

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歩く他無くなったが、それでも痛みは増すばかりの初めての経験となった。

この間に持ち時間はどんどんと費消していく。Img_0037

そして当面の目標にしていた東平安名岬〔75k〕を回る頃には14:40を回っていた。

残り25kを4時間20分で走らなければ間に合わない。Img_0038

普通のコンディションならさしたる問題も無いが、ナンタってスピードが一向に出ない。

ともかく行ける所まで走ろうと決意して前に進む。Img_0042

だが80k地点で遂に自分と妥協してしまって、門限まで8分残してリタイアを決意した。

随分の距離を残してしまった訳だが、残り20kを7/時間で走りきる自身が無かったのだ。Img_0047

さてこそ失速した理由が何なのか、さっぱり分かっていない。

飯はちゃんと食べたし、練習も何時もどおりにこなしてきた。

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単なる加齢による体力の消耗??なのかどうか。

もっともゆっくり走りながらも、右へ左へと位置を変えて宮古らしい写真を撮ったのが?

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まぁしに角、多くの皆さんのお陰で80kまで走ることが出来ました。

タンディガータンディとは、宮古島の言葉で「ありがとう」である。

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2015年1月10日 (土)

宮古の土

昼飯を食って静岡空港に向かった。

寒風の吹く静岡から13:05発の沖縄便で南風の吹く宮古島に向かったのである。

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机上ではアテンダントの女性から応援のポストカードを頂いて感激・・・。

宮古への直行便だけど、途中那覇で小一時間の待機時間があった。

思えば那覇は一昨年のマラソンの帰りに羽田の大雪で立ち往生した空港である。

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ロビーでの退屈しのぎに少しばかり空港の外に出てみることにした。

一月の厳寒期だが流石に沖縄で、ブーゲンビリアの花が咲いている。

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少しく散策しながらも、明日の大会へのテンションを上げようとしている自分がいる。

屈伸をしたり早足踏みをしたり、やることは全てやってきたのに気持ちは逸っている。

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18:15、やや遅れて宮古空港に到着すると、先着のWさんが車で迎えに来てくれていた。

宮古は幾分西に位置しているから、未だ幾分明るい。

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今回で四度目の宮古島だが、あの懐かしいほの温かな風に接しサトウキビの畑を見て、

何故か今回はこれまで以上の感傷に包まれた。

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サトウキビやカボチャの畑ばかりの島で、特産と言えば焼酎程度の孤島である。

日本のハワイのようにとも思うのだが、如何せん水源も天候も味方してはいない。

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だからこの島ではトライアスロンやロードレースなどの大会で人を呼び込んできた。

その宮古島を一周する今年国内最初のウルトラマラソンなのである。

今年のレースの結果如何だが、果たして来年も来ることができるだろうか?

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「なぁ~に来年も来るさ!!」と思いながらも、確信の持てないでいる自分がいる。

ともあれ宿は例年通りのドイツ村である。

夜は群馬のKさんのサンシンを聞きながら、明日の作戦を考えていた。

ともかく、明日はゆっくりとスタートして後半勝負と行こう!!

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2015年1月 9日 (金)

明日への夢

どうもこの・・・、歳とともに未来への夢というものは少なくなるものらしい。

とりたてて手に入れたい品も、是非とも食べたい美味とて思い付かない。

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言うならば、胃の腑の大きさも身の程もわきまえる年齢になったらしい。

ところで、アベノミクスの影響で高級商品の売り上げが幾分上向きらしいと聞く。

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はて私にとって高級品とは何かと考えてみたが、あんまり浮かんでは来ない。

強いて言えば、少し快適なランニングシューズとゴアテックスの防水衣くらいだろうか?

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私は1947年の生まれだが、昔は夢を追いきれない程欲しい物があった。

中学の時親父が白黒TVを買い求めて、あの時は家に革命が起った程の驚きだった。

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その後冷蔵庫や電子レンジなど電化製品によって、生活は随分と便利で快適になった。

そして程なく人の一台の車社会の到来である。Img_0099

兎に角、この次にはこれ、そして次にはあれって言う「あこがれ」がずっと有ったと思う。

思えばその最後が、家を新築した時買った100万円の壁掛けTVだった。Img_0100

そのTVだって数年後には十万円以下で売られるようになって、

新しさを追掛けて流行の波の先端を乗りこなすなんて、およそバカバカしくなった。Img_0102

格好良い商品が安く売られていても、買おうという気持ちのほうが無くなった。

それにこのバブル崩壊以降の賃金抑制もあって、世間の消費意欲は極めて低調だ。Img_0103

特に若い連中は、夢を追うよりも生き延びることに重点を置いているかのようである。

だけど考えてみると、夢を追わずして何の為に生きているのかとも思う。Img_0104

生き延びるのは、未来への希望があったればこそではないのか?

この辺が、若い人たちの心底の計り知れないところだ。

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私達は本来、より心豊かでスマートでアクティブな暮らしを追求すべきなんだ。

そいつを諦めるったぁどうした料簡だい!!!

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と粋がってみたものの、お手本がみみっちかったのかも知れないとの反省もある。

それで昨年、プチ贅沢な時計を買った。

やはり安物よりもそれなりに心地良いのだが、その機能にゃ何の違いもない。

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はてさて、私達は何を未来に求めるべきなんだろうか?

ともあれ私の差し迫った夢は、明後日の100kを気持ち良く走りきることである。

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2015年1月 8日 (木)

分水嶺の平成元年

平成も既に27年を迎えているのも一つの感慨だが、

改めて振り返るとこの元年は大変な節目だったようだ。

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消費税が導入されたのもこの年だし、世界の冷戦終結も元年だ。

日経平均が今では信じられないが、3万9千円の最高値を記録していた。

今になってつらつら思うと、あの1989年はこの国の分水嶺だったのだ。

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それは翌平成2年のバブル崩壊で一層はっきりし、この国は一気に下降線をl辿り始めた。

言うまでもなく、失われた20年に突入していくのである。

今では人口減少が当たり前になっているれど、その予兆が言われ始めたのも同時期だ。

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因みに、静岡県の高校入学者数のピークが平成元年の56,727人なんだ。

それが、平成25年には何と42%減の32,838人になっている。

更に平成45年には六割近く減少して23,723人になると予測されているのだ。

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平成元年前後から少子化が極めて顕著になったと言うか、結婚すらしなくなってしまった。

この国の経済成長が止まって低成長になったが、まだまだ十分な豊かさを持っている。

しかるに人間の方が過敏になって、経済成長にもブレーキをかけるようになっている。

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子供が少なくなったのは賃金が下がったからではなく、本当は結婚しないからだ。

低賃金で結婚できないなんてのは嘘で、結婚が怖い世代が増えちゃったんだ。

昔は、一人では生活できなくっても二人なら生活できるって言われたが、

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今じゃ社会保障で一人でも生活出来るようになったのが大きい。

ともあれ結婚できない若者の激増は困ったもので、生殖は生き物の本来の使命だ。

それに生き物は、生殖しないとその寿命も短くなるのだそうだ。

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国の人口問題研究所の調べによると、

既婚男性より未婚男性の平均余命は9年も短いんだそうだ。

40歳の未婚男性の平均余命は30.42年、対して既婚男性9.06年なんだとか。

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結婚によって生存条件が改善される面もあるが、生甲斐がまるで違うだろう。

所詮人間は一人では生きられないんだ。

それに雄雌を知ることなく生きたして、人生の面白いドラマは生まれないと思うのだ。

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余談になったが、そんな具合で平成元年は私達にとっても大変な分水嶺だったのだ。

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2015年1月 7日 (水)

PCにむかひて

正に兼好法師の徒然草のごとく、つれづれなるままに 日くらし PCにむかってきた。

そして、心に移りゆくよしなし事を そこはかとなくブログに書きつけてきたのである。

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700年前の兼好法師は、全部で243の小話を書き綴ったのだが、

そのつれづれとは、どの程度の期間だったのか?

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ともかく私の場合はこれまでの3,175日、毎日徒然なるままにPCに書き付けて来た。

徒然草には、「そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」と書かれている。

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「妙に馬鹿ばかしい気持ちがする」って意味らしいが、

果たして彼の本音なのか自嘲して見せたのかどうか?

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私は「何の為に書いているの?」と言われもするが、「バカみたい」などとは思わない。

とてものこと、徒然草の様な名文はおろか教訓も残せないが、

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自分の軌跡の一部を表現してきているつもりだ。

ブログと言うよりも公開日記を書いているイメージだけど、

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可能な限り何らかのメッセージも含ませようと努めてはいる。

振り返ってみればこの9年近くの間、馬齢も重ねたが生活環境も随分変わった。

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そんな変化の中での「心に移るよしなし事」は、私にとって人生そのものかも知れない。

ところで、昨夜からとっても強い空っ風が吹き続けている。

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今日も夕方は、その強い風に吹かれてのホウレンソウの収穫作業である。

道楽とは言え、永いこと育て、そして冷たい思いをして20袋作っても2千円になるかどうか?

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直売場で買って下さる方は、一袋150円のホウレンソウ作りの苦労を知るや否や?

細君が言うには「虫が喰った跡がある。」って、わざわざ返品に来る人もいるんだとか。

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ホウレンソウはもとより、このブログに書く私の「よしなし事」は虫食いばかりである。

それでも我慢してご覧頂く人がいるからこそ、書き続けられるのだと思う。

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つれづれなる日々は、まだまだ永劫に続くような気もするし、そうでないような気もする。

まぁ、とにかく歩き続ける他ない。

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2015年1月 6日 (火)

何時までも


今日から小学校の新学期が始まって、街頭での立哨の再開である。

黒い雨雲が垂れ込めた薄暗い学期始めだから、こども達も起きるのが大変だったかな?

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それでもこども達は、何時もと変わることなく登校していく。

学期の初日ということで、今日は各自治会の役員の皆さんも勢揃いして下さった。

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大の大人が子供を揃って見送る姿は・・・・言ってみりゃ少し異様かもしれない。

それでかどうか、子供たちを見送りながら「この旗振りも、もう既に6年になる。」と思った。

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次いで、果たしてあと何年続けられるだろうかって考えている。

どだい男の平均寿命は79歳程度だからなぁ~、などと思ってもみる。

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それに限界が来るとすれば、100kマラソンの方が先だろう。

かつて途中リタイアなんて無かったのに、昨年は5大会中2大会リタイアを余儀なくされた。

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この11日に今年最初の100kを走るのだが、完走が年々大変になっているのは事実だ。

これも果たして何処まで続けられるのだろうか。

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死んでみたことが無いから分からないが、何時かはこの世からサラバする時が来る。

まあつらつら考えてみれば、この世の快楽も欲望も、はたまた苦労や苦難も、

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透かして見れば、生きていればこその賑わいではないのか。

何をやって死ぬのか、何をやらないで死ぬのかっていう僅かな違いでしかない。

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あの・・・、骸骨が酒を飲んで滑稽に踊っている擬人絵のようなもんで、

本人は真剣に精一杯生きているんだけど、傍目にみりゃそんなモンかも知れない。

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ところで昔に比べりゃ寿命が随分長くなっているが、人間には四つの期間があるらしい。

第一期は妊娠期間、第二期は誕生から性的成熟期で、第三期が繁殖期間

そして第四期が繁殖力を失って死ぬまでの期間だという。

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女は何故かこの第四期がとっても永くって、男は第三期が永いんだって!!!

ついでに男は第四期とは無縁で、

繁殖能力を失えば同時に寿命も尽きるのが男の一生らしい。

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まあ、それが男の存在価値なんだろうが、どうにも不公平感を感じるんだが・・・?

ともあれ繁殖能力を失ったとしても、それはそれとして歩み続ける他あるまい。

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2015年1月 5日 (月)

ちいさな選択

誘われて行くか行かないか、それを食べるのか食べないのか、読むか読まないか、

はたまた、その日どんな格好をするのかって、私達は何時も選択に次ぐ選択をしている。

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食べたいものを選ぶ様な感覚で、或いは時の気分で適宜チョイスしているのだが、

その日々の小さな選択が何時の間にかその人の生活習慣になっていく。

そして以前書いたように、その習慣こそがその人を創るのだ。

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ついつい食べてしまう人はメタボになるし、運動習慣はスリムな体を作るしね。

読書習慣は文章力を涵養するし、アクティブな行動は世間を広げていく。

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更に言うと、景気や日本経済だって、そんな毎日の私たちの選択の結果なんだ。

消費税が上がるからその前に買っておこうッて選択が積み重なって、

その後の景気停滞を招いているし、そいつから脱却するのも私たちの選択次第だ。

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或いは世界の重大事〔例えば戦争〕だって、そんな選択の積み重ねなんだろうと思う。

とどのつまり、人生は何を選んだかって事の結果と言うことになる。

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もう半世紀以上生きているから、今更選択に迷うってことは少なくはなった。

少なくはなったが、それでも何か面白いことはないかって探している自分がいる。

そうして面白いことのありそうな道を選ぶんだ。

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ところで今日は仕事始めの日だが、市の主催で初めての賀詞交換会が開かれた。

政財界や行政などの主だった人々がお互いに交流する機会だが、

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千人近い人だから単なるセレモニーになるが、市長の所信を含め気分は改まる。

誰と会ってその後どういった展開が可能かは、その人の選択次第だろう。

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ともあれ私達の日々の生活では、答えの無い問題も次々と現れる。

それでもこの一年間、そんな小さな選択を楽しむことが出来れば素晴らしいと思っている。

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とりあえず、明日朝一番に女房にどんな声を掛けようかしら??

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2015年1月 4日 (日)

今年も飛ぼうぜ!!

式服を新調しようと思って、普段着で某洋服屋に出かけた。

それなりの服を求めようと品定めしていると、若い店員がやおら「もう、スーツは着ないでしょうが・・・」と言う。

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????一瞬間が開いて「そんな事はない!!! 毎日着ているよ」と強調すると、

「そうなんですかぁ~」と訝しい。

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「大体において私を何だと思ってんだぁ~」と怒鳴るべきだったかも知れないが、

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それ程に爺むさい恰好をして出掛けたのも事実だから、ここはジッと我慢の子であった。

だが結果として、虚勢を張って飛びっきり高価な式服を買う羽目になってしまった。

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人間、短気と虚勢は損の元だねぇ~。

ともあれ、今日は走友会揃っての初詣である。

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何時もの山頂に集まったのは13人で揃いのユニフォームで法多山尊栄寺に向かう。

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山頂は2℃位に冷ていて耳が痛いほどだったけど、それも4km程で温まってくる。

それに今日だけは何時もと違って揃って走る分、幾分気分が高まるのかも知れず、

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ユニフォームと相俟って何となく正月気分なのである。

山を抜けて法多山の参道に入り、参拝者の群れをすり抜けて走っていく。

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実をいうと、是がまた大変な優越感(俺は元気だぞッって)に浸る一時なんだ。

と言う次第で最後の階段も駆け上って、改めて今年の健康ランを祈願した訳である。

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こうやって、仲間と共にもう何年初詣ランをやってきただろうか?

虚勢を張ってはいても、既にかなりのジジイになっている筈だ。

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しかし、気持ちは20年前と何にも変わっちゃいないんだ。

この遠州では、走ることを「飛ぶ」と言う。

急いで行くことを「飛んで行け!!」ってね。

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その走る日課も既に始まっていて、来週は宮古島100kウルトラマラソンである。

お屠蘇気分に浮かれていては、とてものこと100k走るなんて不可能だ。

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まあ、それなりの準備はしてきたから、後は気力だけだ。

そう、今年も気を張って、何処までも仲間と共に飛ぼうと思っている。

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2015年1月 3日 (土)

初出

青学大の圧倒的な勝利で箱根駅伝が決着し、いよいよ今年も本格的なスタートだ。

それにしても昨日の箱根の坂を上る青学の走りは、駒沢と対照的に圧巻だった。

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その箱根駅伝も91回目の歴史的な大会で、何時も「箱根八里」の歌を思ってしまう。

「箱根の山は天下の険/函谷関も物ならず/万丈の山 千尋の谷/前に聳え後に支う/

雲は山を巡り 霧は谷を閉ざす/昼なお闇き杉の並木/・・・・・八里の岩根踏み鳴らす・・・」

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その万状の山をアッと言う間に駆け登ってしまうのだから凄いものである。

昨年の夏だったか、あの坂を私も駆け登ってみようと走ったことがある。

結局、小田原から箱根の関所まで半日を要してしまったっけ。

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それはともかく、今日は恒例の消防団初出式である。

自衛消防と言う組織の一年のタガを締める儀式ともいえる。

数百人の団員が勢ぞろいして、軍隊式号令のもとに進退する。

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歴史は、人間を一つに組織化することによって創られてきた。

室町末期には腕力に優れた者が力(権力)を蓄えて行ったし、形が変われど今でも同じだ。

一定の支持を固めた者が何らかの力を持つようになっている。

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そういう意味で、消防団と言うのは象徴的な組織かも知れない。

火事であれ水防であれ、いざとなれば組織立って動けるのは消防団だろう。

その自覚を改めて確認するのが、この初出式なのである。

とは言え、サラリーマンばかりの時代になって、消防団員の成り手が年々減っている。

いざ火災となっても、駆けつけることのできる団員は限られるようになった。

その分、常設消防に依存する他ないのだが、地域の絆は小さくならざるを得ない。

共に汗をかいてこそ、地域の連帯は培われるのである。

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箱根でタスキを繋いだ若者たちは、恐らく生涯の仲間でありうるだろう。

彼らは、平々凡々と学生時代を過ごす連中とは明らかに違っている。

消防も地域も、次の時代をどうするのか迷いに迷っている。

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2015年1月 2日 (金)

本音の自分

人は誰だって、生のままの自分で生きていたいと思っている。

だけど現実は飾ったり格好つけたり、どこかで自分を演出して生きているんだ。

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まあ~それは人が進歩していく過程なんだけど、何時かは本音の自分にならにゃいかん。

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「守破離」って言葉があって、自分のお手本を見つけてその真似を続ける時代が有る。

やがてそのお手本の型を崩してもっと自分なりにできないかって試行錯誤の時がある。

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そして何時の日か、そのお手本を離れて自分なりの人生のスタイルを確立していく。

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生のままったって、真似だけしていても駄目だし、やはり俺は俺って成るべきだ。

今日はマラニックの後、温泉に入って飲みながらそんな人生論を語り合った。

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実は今日は、恒例の新春遠州三山を巡るマラニックだ。

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JR袋井駅に集まったのは55人の仲間達で、9:00元気に可睡斎に向けて走り出す。

冷たい風が吹いていたけど、5kmも走れば体はポカポカと温まってくる。

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この禅寺では昨日から1,200体の雛を並べた雛祭りが始まっていた。

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ゆっくりしたかったが、私達は次の油山寺を目指して先を急いだ。

油山寺では新装なった社殿ばかりでなく奥の院の三重塔もしっかりとお参りし、

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今年の元気と自分なりの目標の着実な前進を祈願してきた。

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そして進路を南に向け、法多山を目指して10kmを淡々と走る。

やがて法多山の善男善女の群れに紛れ、行列をして参拝を済ませた。

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勿論団子を戴いて、今日のゴールである和の湯まで5kmを走り13:00のゴールとなった。

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ここの温泉は得も言われぬ泉質で、コーラの様な色でありながら澄んでいる。

湯に浸かりながら箱根駅伝の最終場面を観戦し、みんなと共にフグ料理を楽しんだんだ。

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それがまたフグのゼラチンが蕩ける様で美味しくいただいたのだが、

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実はここのフグは養殖で毒がない。

温泉で温めながら最適な環境で育てられることによって、あの毒が無くなるんだとか。

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人間も同じで、どんな人を見本にしたのかとか育つ環境次第で変わるんだろうな。

まあ純粋培養よりも少しは毒があった方が、人間としては面白いかもしれない。

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その毒の兼ね合いは自分で創るんだ。

ともあれ、年の初めは順調に走り始めたようである。

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2015年1月 1日 (木)

ポチっと幸せ

2015年、明けましておめでとうございます。

何だか・・・、とうとう2015年を迎えてしまったという気分なんです。

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今朝は暗いうちから氏神社に詣でて、初日を遥拝の後社殿での直会であった。

帰宅してお雑煮を戴いて、やはり山へ行かなければなりません。

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随分と冷たい風が吹いていたけど、なぁ~に走りゃポカポカと温まります。

帰宅してお節を食べ孫達にお年玉を配って、珍しくTVを観たり見なかったりの午後でした。

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何の変哲も気負いもなく、私のこの一年がスタートしたのです。

振り返ってみるとこれまでの私の元旦は、「今年こそは・・」とかなり意気込むのが習いでした。

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それがどうしたことか、今年はかなり小市民の気分なんです。

「良いじゃない! そのちょっとした幸せを味わおう!!」って思っている。

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古希に近い歳なんだから至極当たり前なんだろうが、少しばかりスタンスを変えようとしているんだ。

世の中には、泣ける話や笑える話、はたまた深刻な話が一杯にある。

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これまで、そんな時勢の当事者のように渦中に自らを投じて来たけど、

ちょっと立ち位置を変えた方が良いかもしれないって考えている。

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少子化や高齢化、経済や福祉、教育や学校の在り方などと課題は山積だし、

何時だってそれは大変な時代なんだ。

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その大変な時代を、あんまり大変だって考えずに一年を過ごせないだろうか?

もちろん、私の出来ることは精一杯やるさ、今年もね。

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と言う訳で、今年もよろしくお付き合いくださいね。

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