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2015年2月28日 (土)

たった、これっきり

今日は、掛川南部の長福寺に出かけた。

長福寺住職の大谷さんが一家言を持った人で、その囲炉裏端談義に出かけたのである。

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掛川駅から15kほどの昔の塩の道を辿りがら歩いていく。

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近世になって山を崩しトンネルを掘って、次々とバイパスを造ってきたのだが、

昔の道には、こんな山道だったのかなどと、それなりの風情がある。

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ともあれ15時過ぎには長福寺に到着して、そこから少しだけ長い旅をする。

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長福寺には少々広大な裏山があって、そこに640mの遊歩道が作られている。

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しかもそこは、この地球誕生以来64億年の歴史が刻まれているのだ。

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いやなに、10mを一億年に見立てて、その距離で自分の人生を考えると言う趣向だ。

山に入って一億年ごとを歩いていくと、海の誕生ら酸素の生成やら、・・・・

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やがて生命の誕生に至るのだが、人類の登場はずぅ~っと後のことになる。

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640mを進んで最後の1mmに満たないのが人類の歴史なのだ。

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そうして私達は、その最先端の先っちょを生きていることになる。

それも64億年の地球の歴史からすれば、計測することも出来ないほどの期間が人生だ。

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汗をかいて登ってきて、「たったこれっきり」でしかない。

だけど私達は、たったこれっきりの人生を息せき切って必死に生きているんだ。

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囲炉裏端の四方山話は時にあちこち寄り道をしつつも、最後は生き方に辿り着く。

小さな囲炉裏を囲んで世界の話をしながら、個の生き方になるのだ。

人それぞれの道を歩んできて、そうして今ここに立って居る。

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どんな経歴を経て来たとしても、人間裸になればみんな同じ様なものだ。

やがては、一人で死んで行かねばならないんだからね。

それにしても、精一杯生きているこの時間が、たったこれっきりなんだ。

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まぁ裏を返せば、たったこれっきりだからこそ悔いの無いように生きねばならないのだ。

人は誰も、一度は64億年を歩いてみた方が良い。

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2015年2月27日 (金)

同級のよしみ

刻一刻と春の足音が聞こえてきて、もうじき卒業・進級の季節である。

そして近世以降、この国では同じ年度に生まれた者は、原則として同級生になる。

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小学校から大学まで、子供達を年齢によって秩序だって教育するのが、この国の制度だ。

子供によって相当な幅があって当たり前だが、そんなことは斟酌されることはない。

そして「同級」ってことが、進学でも就職でも大きな意味を持ち続けてきた。

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だけど江戸時代の寺子屋は年齢に無関係だった筈だし、

そもそも教育に「年齢での区分け」が必要なのかどうか?

それに同級生との付き合いってのは、常に比較の対象であって中々厄介でもある。

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私の経験でも、巨大な集団だった故か嫉妬や不要な競争的警戒心を抱かれたり、

とかく心の内に屈折した競争意識を抱く間柄になりがちなのである。

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しかしまあ顔を合わせれば「オォ、元気だったか?」などと親しげに話しはするが、

その心底には容易に心許せぬ何物かが居座っているかのように思う。

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この同年齢同級と言う制度は、平等の名の下での幾ばくかの偽善を感じるのだが如何だろうか?

ともあれ今朝も一年生はそれぞれ蛍光色の鞄カバーを背負って、登校していく。

私も子供の頃から「人並みであれ」と育てられ、何とか落ちこぼれないで今日に至っている。

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たが、実際には中学校段階での不登校が5%にも達しているんだし、

人間の幅を認めずに、子供の段階で落ちこぼれを出す制度は一考の余地ありだ。

そもそも人を鋳型にはめ込むような教育は、そろそろ考え直すべきだろう。

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それは兎も角、鋳型教育の結果かどうか、

このところ自分勝手なことを主張する御仁が増えている。

国会の傍聴席から靴を投げ入れた男が有罪になって「秘密保護法は違憲だ。

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言論の自由を守るために靴を投げたんで、だから正当防衛で無罪だ」と公言していた。

シリア渡航を企てて旅券を没収された御仁は「自由渡航の権利侵害だ」と記者会見。Img_0009

毎日の様にこの種の「身勝手」が報道されるご時勢だが、

人間の幅を許容するって事とは大分意味が違うのである。

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2015年2月26日 (木)

春や春

門前の3本の河津桜が、このところの温かさにたまりかねて一斉に花開いている。

その花が、この雨で幾分しょげている様な風情なのである。

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その風情に誘われて、昨日に続いてついつい我が人生を思っている。

私の生まれたのは戦後間もない1947年で、もう既に68歳になんなんとしている。

何歳から老年と言うのか知らないが、随分生きて来たもので、もう若くないことは事実だ。

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いや本人は兎も角、世間の常識からすれば老年のとば口を少し進んだところか。

しかしながら、自分がその老年と言う区分を素直に受け入れているかと言うと、

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明らかにノンであって、とてものこと自分が老人だなんて自覚は微塵も無い。

ウルトラマラソンを走って何時の間にか山中に入り、随分と登って来たなぁてな感想かな。

それもこのコースは初めてで、自分が老人になるなんて考えた事もなかったし、

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それに第一、こんな山中のコースはかつて体験したことがない。

人は誰もが生きている限り、若者から中年へ、そして老人へと階段を登っていく。

そうして誰もが初めてその場所に到達するのであって、眼前の景色だって初めてのものだ。

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だからして、これから何処まで行けるのかと考えても、答えなぞある筈もない。

それに私が老年を受け入れられないのには、もう一つ訳がある。

それは昭和30年辺りを境にして栄養や衛生環境が大きく変わったと言うこと。

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今日の日本人の年齢は、かつてそれ以前の人々の7カケ位になっている。

それが証拠にかつて20歳前後で結婚していた女性も、30歳でまだ若いって言っている。

つまり私だって、今日ただいまに至って45歳を少し回った所と言うことになる。

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「未だ盛年」と言ったところで、誰はばかることもなかろうと思う。

常々、人間は目的によって生かされるものだと感じている。

殊に男は生殖が終わって定年を過ぎると、一種の諦念で「もう、いいや」って気になる。

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自分で自分を殺す方向に動き始めるのであって、それが老化だと言える。

例えば、セックスもそのバロメーターの一つになるのかも知れない。

確か養生訓には「還暦を過ぎたら月1以下にすべし」なんて書かれていたと思うが、

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それは多分に江戸時代の事であって、今日の貝原益軒なら果たして何と書くだろうか?

その気になれば俺だって…・・・チット無理があるのかしらん?

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2015年2月25日 (水)

大切なもの

自分にとって大切なものって何だろう・・・って考えている。

それがコレッて鮮明に思い浮かばなくって、強いて言えば健康とか交友関係かな。

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実はかつてはかなりはっきりしていて、子供の頃には自分の城〔小部屋〕だった。

あばら家の一角に過ぎなかったが、掃除を欠かさなかったし部屋の外も掃き清めていた。

就職したらそんな拘りは打ち捨てて、一転仕事の鬼?〔仕事馬鹿〕になった。

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それでも後半はそれが幾分緩和されて、趣味や自分の住家を大切に思うようになった。

それが定年退職して以降、価値観が一気に拡散してしてしまった。

家族だってそれぞれ自立すりゃ良いんであって、ボランティアは楽しみの様なものだし、

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外敵に向かって釈迦力で守らなきゃならないものも無くなった。

つまり世間に向かって虚勢を張ったり、必要以上に謙虚でなくっても良くなったんだ。

そう言えば人は、多かれ少なかれ自分を装って生きている。

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愛想笑いしたり強がりを言ったり、時には虚勢で嘘をついたりとね。

フグが体を大きく膨らませるように、或いは小魚が体色を変えて外敵に対抗するように、

人も俺は偉いんだぞッと威張って見せたり、強いんだぞッて虚勢を張ってみせたりする。

それは殊更自分を大切にする必要からだろうし、同時に大切なものを守るためだ。

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ともあれそんな虚飾を取り払ってみると、「さて、大切なものは・・・?」ってな思いである。

つまりは淡々と、身の丈にあった自分に出来ることをやれば良いと言うことになる。

道端に小さな花や蕗の薹を見つけて「オッ、春だ!!」と感激してみたり、

久しぶりに見つけた茶柱に今日の出来事や出会いを期待したり、

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子供達のちょっと元気な「お早う御座います」に「おぉ、良いなぁ~」と感心したり、

兎に角、事の大小にかかわらず喜んで暮らすことが出来れはそれに越したことはない。

それに時期時期に応じて自分の目標となる課題を設定して、

そいつを一つ一つやり遂げつつ、子供のように素直に喜怒哀楽すりゃそれで良い。

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かてて加えて、何時も書いているように人は一人じゃ生きられない。

一人じゃ寂しいし、だからこそ恥をかきながらも自分以外の誰かを求めるんだろう。

と言う訳で、これからは交友関係は最も大切なものになるかも知れないな。

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2015年2月24日 (火)

年齢不詳

梅や桜が咲き始めているように、人々の心にもそれぞれの春が来ようとしている。

間もなく卒業やら入学、転勤の時期を向かえ、時はジリジリッと移っていく。

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しかしながらそれを眺めている私にとって、それは単なる景色の移ろいに過ぎない。

私は一つ所に止まっていて、周りが勝手にぐるぐると動いている感覚である。

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年齢とは不思議なもので、確かに一年ごとに歳取っているはずなのにその自覚が無いのだ。

古稀まで数年を残すだけなのに、二十代の頃と変わりない内面で街を歩いている。

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内面の若さに比べて、肉体ばかりが不当に年老いていくようだ。

昨日の肉離れも、そのギャップだったのかも知れないと反省している。

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否実際には、内面だって肉体と相前後して歳を重ねているのだろう。

ただ外見のようにそれが見えないんで、まだまだ若いと思い込んでいるのかも知れない。

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しかしながら、多分これからの時間も相当に長いとすると、このギャップは大問題だ。

歳をとったからと言って、単に好々爺然として過ごせは良い時代ではない。

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特に内のカミサンは、楽隠居なんてさせてはくれないしね。

しかしまあ、若さってものは無条件で素晴らしい。

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若さの内面には色々な悩みや将来への不安を抱えているにしても、

そんなものは未経験なだけで全く問題じゃない。

それよりも、加齢に如何に立ち向かうかは、この高齢社会の抱える社会問題でもある。

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特に団塊の世代は、老いを新鮮に楽しむくらいの気迫が無いと閉塞してしまう。

「まだこんなことが出来る」とか、「今度は、これに挑戦する」って気概を持ち続けたい。

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シニア世代ってのは何歳からなのか知らないが、もっと老いを面白くすべきだと思う。

まだまだ青年の私だが、少しずつそんな訓練をせんといかんかなぁ~。

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2015年2月23日 (月)

肉離れ

今日は朝からエコパで校内マラソン大会が開催された。

毎年この大会には、高校男子の11kを一緒に走ることにしているのである。

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雨上がりに春一番の南風が吹いて、何とこの時期には珍しく4月中旬の陽気であった。

最後尾からスタートして何人抜けるかと言うのが、密かな楽しみなんである。

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スタート前「俺に負けるなよ」と声を掛けると、「ハイ、負けます。だけど自分に勝ちます」って返ってきた。

そうだよな、誰もが精一杯走るのが大会の意義なんだ。

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高校生たちにとって、この11k程度ならどうと言うこともない運動量である。

気温が高かったこともあってマラソンはハイペースで進んだようである。

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と言うのは、私の抜き去る生徒が思いの外少ないく感じたってことだ。

しかしながら、私が一人また一人と抜いていくと、ナニクソとばかりに後ろをついてくるんだ。

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だから上り坂だからと言ってスビートを落とす訳にもいかず、必死で走る羽目になった。

ところがエコパスタジアムに帰ってきて残り半周と言うところで変調をきたした。

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ホーム改造で痛めた左足踵を庇って走ったためか、右足が動かなくなってしまったのだ。

右足の肉離れらしく、歩くことも侭ならないほどの重症である。

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と言う訳で、ぴっこを引きながらのゴールになった。

さてこそ、来週の静岡マラソンは「無理か!」と観念することになってしまった。

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それでもゴールは55分だから5分/kmのペースで走り切ったのである。

どうもフォーム改造以降の経過は、必ずしも思わしくはない。

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どこかに無理を強いている様なのである。

来週以降毎週のように大会にエントリーしているのだが、はて・・・・どうしたものか?

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しばらく様子を見てから、テーピングしてランニングしてみようかと思案している。

ともあれ、この春一番で河津桜がびっくりして一斉に花を開き始めている。

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何とか春本番までには足の調子を整えるべしと祈るばかりである。

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2015年2月22日 (日)

馬鹿ならばこそ

平凡な人生にだって、それなりのドラマがある。

当然ながら、その気になれば誰だって一冊の本くらいは書けるだろう。Img_0010

何時の頃だったか(高校?)、小説を書こうと準備していた時期があった。

スケルトンを考えて大学ノートに書き始めたのだが、10P位書いて頓挫した。

それは自分の書いたそのノートを読み返して、余りの稚拙さに自分で呆れたからだった。

だけど日記は書いていたし、書くと言うことに昔からそれ程の抵抗はなかったと思う。Img_0009

四十才を過ぎて職場の仲間で同人誌を出すことになって、私も書かねばならなくなった。

そしてイザ書こうとして、その文章力の稚拙さに改めてたじろぐことになった。

つまり私も含め大抵の人は、日頃から文章を書くことに練れていないのである。

聞いて言葉を覚え、話し読んで言葉の幅を広げるのだが書かなくても済んでしまうからだ。

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それはネット社会で誰もが発信できる時代になっても、基本的には変わっていないと思う。

実は書くってことは勇気のいることで、その壁を乗り越えないと文章を操れないからだ。

例えば私の書いているこのブログにも、私と言う人間が赤裸々に顔を出している。

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その心底を知られることを恐れるなら、とてものこと文章なんか書けるものではない。

自分の本性が露見してしまう上に、自分の書いたことを裏切る訳にはいかないからだ。

それはまぁとにかく、三千数百日書き続けてきて良かったこと、それは・・・

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一つには、自分ってものが少しは分かったかなぁ~ってこと。

人は何よりも自分に関心がある筈だけど、その自分ってものが実は良く分かっていない。

それが書くことによって、少しずつ形作られていく様な気がするんだ。

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二つ目には、テーマへの関心の広がりと言うか・・・・、

目の前のテーマに対して、簡単に通り過ぎずに立ち止まって考える癖が出来た事かな。

そして三つ目は、書く為の行動の広がりが私の世間をより広くしてくれたことだ。

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私の様な凡人は、耳学問・目体験でしか世界を広げられないから、行動する他ない。

元来が引っ込み思案な人間を、「書くこと」が積極型へと転換させてくれたんだ。

だけどまあ、あれだね。

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馬鹿にならなきゃ、文章なんて書けないな。

書きながら、改めてあぁ俺は馬鹿だなぁ~って思うしね。

そしてあなたも、馬鹿になってみませんか?

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2015年2月21日 (土)

人恋し

人は一人では生きられないけど、だけど人は一人で生きて死ぬ運命にある。

様々な人と出会って関わっていながらも、何時の間にかたった一人の自分に気が付く。

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人恋しくってウロウロしていた時期があったけど、

人間ってそんなもんさって割り切るようになって、何時の間にか寂しいとは感じなくなった。

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かつて学生の頃、皆と酒を飲んであの与謝野鉄幹の「人を恋ふる歌」を歌った。

 妻をめとらば才たけて 顔うるわしくなさけある

 友をえらばば書を読んで 六分の狂気四分の熱

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 恋のいのちをたづぬれば 名を惜しむかなをとこゆえ

 友のなさけをたづぬれば 偽のるところ火をも踏む

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若さに酒の勢いが加わって、自分の人生もかくやあらんと夢想していたんだと思う。

しかし現実の人生は、そんな理想を夢見るほど甘味なものではなかった。

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初心な私は最初の職場で出会った女性にたちまち虜になってしまったし、

後で考えるとちっとも才たけてなんかいないし、顔うるわしくとは程遠い女性であった。

友を選ばばなんて言っても、現実には出会った人たちと上手くやるのが精一杯で・・・・。

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学生時代のあの放歌は、青臭い青春のうたかたに過ぎなかったのである。

ところで、「やはり人はたった一人なんだ」ってことを考えている。

上野千鶴子著「おひとりさまの老後」って本が、ひところ話題になったことがある。

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老後の大変さの事が書かれているのかと思ったらそうではなかった。

福祉の話ではなくって、人はとどのつまりは一人なんだってことを書いた本である。

多くの友人に囲まれて生活しようが結婚しようが、何時かはたった一人になる。

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そうして「結局は一人じゃん」って気付くことになるってね。

人は元来が孤独な存在だからこそ、人恋しくなるんだろうな~。

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ほらっ、山の中を一人歩いていて人に出会ったら、それは嬉しいでしょうに!!

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2015年2月20日 (金)

子供が危ない

今日は、地元の小学校の運営協議会である。

先ずは皆さんと共に学校給食(261円)を戴いた。

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私達の子供の頃はコッペパンに脱脂粉乳だったが、今はご飯が中心になっている。

それに分量も学年によって加減されていて、アレルギー対応も個別に管理されている。

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6年生用を食したのだが、見かけよりも美味しくてたっぷりと満腹になった。

ところで協議会では、子供達の言葉の力についてが中心議題になった。

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子供達は言葉の発達によって情緒が安定してくるし、考える事や想像力も高まる。

しかし、何かのきっかけで言葉を発することなく、犬の様に「ウゥ~」っと奇声を(長時間)発し続ける子供が毎日何人かいるんだそうだ。

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その原因は、多分に親との十分な対話が無くて育って、発すべき言葉を知らないようだ。

当たり前のことだが、私達は言葉があって初めて物事を考えることができるし、

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意思疎通も可能なんだがその言葉を知らない・・・・何か歯車が狂っているんだろう。

今の子供達は、昔と違って退屈するってことがない。

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実は退屈するってことは大変大切なことで、退屈が遊びの創意工夫を生み出すのだ。

しかし今日、絶え間なく刺激的な情報がシャワーのように降り注いでいる。

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TVからは一方的な情報が流れているし、ゲームの世界は全く無機質な世界だ、

「人を殺してみたかった」って言う心理も、あながち分からないでもない世界なんだ。

一方的な刺激を浴びている間は、人は言葉を組み立てて考えるなんてことをしない。

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言葉の出ない子供の一方で「バカヤロー」「死ね」「るせー」などと乱暴な言葉が飛び交う。

そんな子の親に限って子育ては学校任せだし、時にはモンスターであったりする。

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子育ては幼児期からの家庭教育が肝心と言われて久しいが、親は全く理解していない。

世界有数の豊かな国を創り上げた日本人だが、豊かさとは裏腹に子供の心は貧しい。

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耐えることも不自由なことも知らず、そして考える事すら失おうとしているのではないか。

働くことは大切だが、子供と向き合うことはもっと大切だと思うのだが…・

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2015年2月19日 (木)

単調な中から

人生の日々と言うものは、色々な刺激があったとしても、それ自体単調なものだ。

朝起きて顔を洗って・・・・就寝までのパターンもさることながら、

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仕事だって大抵は毎日同じ様な事を繰り返している。

私の葡萄の管理作業を例にするなら、つい前日までは延々と剪定〔枝切り〕をしていた。

これだって何千本もの枝を根気良く切っていくのだからかなり退屈な作業だ。

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これがやがて新枝を伸ばすと誘引やら花房整理と延々と単調な作業が続くんだ。

そして何時しか稔りの時を迎えるのだが、この間を思えば気の遠くなるような退屈だろう。

ランニングだって、数十キロを淡々とジョグするのは、退屈でなくって何であろうか。

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しかしその積み重ねがあって初めて、あのレースでの達成感を享受出来るのである。

サッカーやバスケの子供達が毎日同じ様なパス回しの練習をしている。

剣道だって単純な素振りが基本だから、延々とこれを繰り返していく。

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あぁ~、それに勉強も基礎トレーニングだから根気勝負かもしれないな。

そしてそんな単調な作業を繰り返すことが出来るのは、人間くらいのものかも知れない。

ライオンは狩り以外の時は寝ているらしいし、猫や犬だって同じようなものだ。

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だけど人間は、その退屈さに耐えることをバネにして大きな刺激を手にしてきた。

何事でもそうだが、退屈な作業の積み重ねは「ため」の様なものである。

押並べてその単調な努力の結果、「面白さ」の段階に至ることが出来るのだと思う。

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一方で私達は、退屈さを恐れて安易に刺激的なものを求めてしまう。

スポーツであれ奇抜なニュースであれ、ドラマや旅行も一定の興奮を与えてくれる。

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だけど本当は、私達は退屈さこそをもっと大切にすべきなのかも知れない。

この点、始終TVの前で育ち、ゲームや遊園地で刺激なれしている子供たちは、

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感動が少ないばかりか、単調な生活に耐える力が衰えているのではなかろうか。

それに私達も、余りにも刺激を求め過ぎているのだ。

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2015年2月18日 (水)

人に嗤われても

白梅がほころびて、日差しにも心なしか温かみを感じる三寒四温の時期である。

もうすぐ早咲きの桜が咲き始めるだろうし、あの心浮き立つような春がやってくる。

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夜の長さや寒さ、霜焼けなどの我慢とも今しばらくのお付き合いである。

この春夏秋冬の緩急の繰り返しは、或いは人生の至福ではなかろうかと思っている。

この点、私達の人生は四季の折なしと同じと言う訳にはいかない。

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改めて振り返ってみると、ずう~っと我慢の時を過ごしてきたと思うのは私だけだろうか。

人に嗤われるような人間になるなって言われて育ち、

子供の頃は目立たない様にずっと小さくなっていたし、大人になっても常に他人の視線を意識していた。

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こんな恰好してたら目立つんじゃないかとか、極力自分の意見を言わないとかね。

そんな自分を少しずつ変え始めたのが40歳を過ぎた辺りからだけど、

三つ子の魂は尾を引いて、世間はオドオドと渡るものと言い聞かせてきたところがある。

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だから人は人と割り切って、現役時代もスタンドプレーは一切しなかったのだが、

結果としてそれで信頼を得たわけで、今ではそれで良かったと思っている。

しかしながら、ふと「今年ばかりの春暮れなんとする」のかも知れないと思うようになった。

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昨日は隣家の葬儀があって、私と同じように控えめに生きた方が亡くなった。

低血糖症で時折意識を失うことがあったようだが、最後は交通事故だった。

それに今しがた、53歳の後輩の課長の訃報にも接してしまった。

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押しなべて、人は必ず死ななければならないのである。

男の平均寿命にはまだまだ間があるから若いなどと言うのは幻想かも知れない。

さすれば、我慢などはもういい加減に放棄したらどうか。

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思うところを貫くのなら、人に嗤われたって良いじゃないか。

むしろ自分自身が、人を嗤うなんてことをしなきゃ良かろう・・・・って思い始めている。

今日は一日中会議の日だったけど、そんなことを一人考えていた。

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当たり前だが、残りの人生で今日が一番若い日なんだから・・・・・・・。

開き直りだろうが、やっとそんな気分なんだ。

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2015年2月17日 (火)

生きる力

今日は、地元中学校の学校運営協議会である。

授業参観ののち、学校評価や学校経営構想を巡って意見が交わされた。

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来年度の最大の教育目標は、「生きる力」を育むことだと言う。

生きる力とは、社会的に生きていく為の能力を育てると言うことだが、

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具体的には、人として自立し人と関わり、そしてこの社会に参画することである。

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その為に聞く・話す・読む・書くといった言葉の力を育てることであり、

当たり前の規律や生活習慣を習得し、尚且つ生き方を学ぶことだ。

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ところで学校はもう年度末で、三年生は来月の高校入試に向けて自習であり、

二年生は修学旅行を目前にしての学年全体の研修である。

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普段通りの授業は一年生のみであったが、女生徒の剣道やらも参観して回った。

そしてそこには、既に半世紀も前にここで過ごした自分がいた。

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果たして私は、この中学校でどの程度の「生きる力」を養い得たのかと考えていた。

子供から大人への入り口で、ほんの僅かずつ世間の風を感じ始めていた頃だ。

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苛められたりもして、自分は一人だって言う「個」を意識した時期だ。

何くそっていう気持ちを本を読んだり、自分ながらに勉強することで過ごしていた。

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当時、中学の教師から何かを学んだのかどうか?

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それは定かではないが、私の人生の大きな出発点であったことだけは確かだ。

そう、半分子供で半分大人のこの子達に「生きる力」を与えることが教育の本懐だろう。

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しかし現実には、5%は不登校だし、学校が駄目な子供も25%はいる。

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学校はソーシャルワーカーや特別支援教員を配して対応しているのだが???

物には恵まれていたとはしても、心に恵まれない子供が増えているのだ。

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これからの時代に「生きる力」とは、一体何なのか?

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私達の頃には、学ぶことは豊かさを得る近道だったのだが…。

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2015年2月16日 (月)

つれづれなるままに

富士山がすっぽりと雪の衣を着て、その圧倒的な存在感を見せ付けている。

何時の時代の人々もこの山を見上げて、何がしかの感動を受けてきた。

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幕末の横井小楠は「男児の境涯 寄せて芙蓉の第一峰にあり」と書き残したし、

万葉にも「田子の浦ゆ 打ちい出てみれば真白にぞ富士の高根に雪は降りける」とある。

さらに平安時代の「更級日記」には、「富士の山は、この国也」と記した後に、

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「山の頂の少し平らぎたるより、煙は立ちのぼる。夕暮れは火の燃え立つも見ゆ。」と

書き残していて、この頃には盛んに噴火していたのである。

それは兎も角、私の富士山を見る目も、以前と随分変わってきたなぁと感じている。

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かつて仕事で行き来していた頃には「あぁ、今日は綺麗だ。」程度の感想でしかなかった。

富士山にアクティブに挑戦した時期には、何度も登山競争に参加した。

それで既に二十数回は登頂してきたし、裾野でキャンプしたことも随分あった。

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そうして今は、私自身のモチベーションも変わって、富士を見る心の構えも違ってきた。

何と言おうか、何処かでゆったりと終日眺めていたいような気分なのだ。

何かに特段に追い立てられることはないし、自由に出来る時間だって作り出せる。

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成果や生産性ばかり追いかけてきた頃とは違って、

美しいものを美しいと感じるゆとりが少しは生まれたのかも知れない。

ゆとりと言えば、予定の無い時には何時だって山の中を走っている。

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同じ道を淡々と登ったり下ったりと、思えば全く単調で退屈な作業の繰り返しだ。

そいつを飽くことも無く、もう数十年も続けているんだから、私も根気強い。

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そうして最近思うのは、その単調な営みの中からこそ「ゆとり」が生まれるってことだ。

富士を見上げるゆとりもしかり。

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この時代、世界中の残虐なニュースや事件が殺到するように降ってくる。

そんな余りにも多くの刺激を振り切って淡々と生きることが出来るとすれば、

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それは自分の身体をひたすら淡々と歩ませることだ。

一昨日は、孫娘のチョコ工房と化した台所を愉快に淡々と眺めていた。

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2015年2月15日 (日)

書くことの妙

今日も一時、ワイワイと走後の井戸端会議に花が咲いた。

何を話したかって言われても、それは取り留めもない話なのである。

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だけど何事かを話すってことは、とっても大切であるに違いない。

ところで人間が人間である所以は何かっていうと、幾つかあって、

先ずは直立歩行から始まって火を使う、道具を作る、そして始終?セックスするなど。

他の生物とは色々違いがあるけれど、人間の進化を決定づけたのは言葉を操ることだ。

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聖書に「はじめに言葉ありき」って書かれているように、私達は言葉によって創られてきた。

最初に覚えたのは話すってことで、オッパイを吸いながら懸命にアンテナを伸ばして覚えたんだ。

言葉を話すことからやがて「読む」ってことに発展していく。

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マスメディアの発達した今日では本も含めて情報があふれかえっている。

だけどほんの少し前までは、本は貴重品だった。

私も本立を買ってもらって、そこに一冊また一冊と本が増えていくのが嬉しくって、

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子供の頃から本は愛おしくって財産だって感じていた。

流石に書籍の氾濫する時代になって、ネットや電子書籍の登場で本の価値も大分変わった。

それで私もやっと本を廃棄し始め、もっぱら図書館を利用するようになっている。

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ともあれ、話すことから始まって読むことで知見は広がっていくのだが、

言葉を覚えた人間にとって肝心なのは、書くことではないかと思っている。

会話は受け答えで創造が無い訳ではないが、書くことは自分の中で言葉を紡ぐことだ。

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言葉を組み立てていくと思わぬ発見だってあるし、発展させることもできる。

それに便利なことに、今では悪筆を気にすることなくブログやツイッターで発信できる。

勿論書くことは、それ自体一人芝居だけど、それでも書いているだけで孤独ではなくなる。

かつて明治大正時代は、芥川や夏目漱石、尾崎紅葉などと多くの文人が登場した。

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彼らは温泉宿などに逗留して想を練ったが、まさに限られたプロの世界だった。

ところが今では自宅に居ながらにして、文章を書いて外に発信できる時代だ。

そんな次第で、拙文を臆面もなく書き続けている訳だが、これは止められない楽しみだ。

自由に書けることは、大変な娯楽ではないかとも思う。

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2015年2月14日 (土)

泡沫の定年後

梅の花があちこちで咲き始め、凛とした花が春の兆しを伝え始めている。

そして春は、人事異動の季節でもある。

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このところ相次いで、今年定年を迎える後輩の何人かに会った。

既に定年まで秒読み段階に入っていて、こころなしか微妙な不安心理が伺われたのだが、

思えば私も、定年前後の暫らくの間心もとない気分で過ごしたと思う。

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かなり前からその日の来ることを想定して準備していたとは言え、イザとなるとね。

一番ショックだったのは、それまでふんだんに有った情報が手に入らなくなったこと。

それで半年もしないうちに、私の知見は一気に古ぼけて使い物にならなくなった。

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いずれにしても、四十年近く汗をかいた喜怒哀楽の舞台を去るのは切なかった。

しかし、あれからもう7年が過ぎようとしているのである。

ところで、60歳で定年を迎えるとその人は8万時間の自由が得られるという。

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ほぼ在職時間と同じで、一日の余暇11時間×365日×20年なんだという。

その無限とも思われる長大な時間を、旅行をしようが趣味に遊ぼうが思いのままなんだ。

上司の命令もないし、苦労だって減るだろう、パラダイスではないかと思われるが、

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実は人間は、自由ほど不自由なのである。

一日たったの11時間だけど、はてさてこの時間をどう潰すのか四苦八苦することになる。

それが「濡れ落ち葉」だの「TVの前の産業廃棄物」と揶揄される所以だ。

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幸い私の場合には趣味のランや葡萄栽培を含めて自治会やら学校やらと、

今のところ家に居ることが無くって、濡れ落ち葉には成らずに済んでいる。

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しかしながら残されていたはずの8万時間は、既にその1/3を費消してしまっている。

さてこそ、体力は可能な限り温存するとしても、

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残りの2/3のパフォーマンスこそ人生の肝心だと心している。

定年後の時間を泡沫にしない為には、自分に楽をさせないことかな。

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2015年2月13日 (金)

オイルピーク??

このところガソリンが安くなってホッとしていると言うか、何だか油断ならない気分だ。

原油〔WTI〕が100$代に急騰したのはオイルピークが言われた10年ほど前のことだ。

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資源はもうこれ以上増えなくって減っていくだけとされて、油価は高騰を続けた。

ガソリンも高くなったけど、重油の価格も数倍になって施設園芸や漁船が苦しくなった。

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そしてこの遠州地域では、特産の温室メロン栽培がほぼ崩壊してしまった。

その原油価格がこの一年、嘘のように下がり続けて、遂に往時の半値になっている。

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シェールオイル開発が進んだと説明されるが、何だか狐に化かされた様な気もする。

それに今じゃ下がり過ぎて、産油国の経済不安やらエネ産業への心配が多くなっている。

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私もHB車に乗っているし省エネ機器も普及し、再生エネの太陽光や風力発電も増えた。

地球温暖化抑止と相俟って誠に結構な流だったのに、世の中何が起るのか分からない。

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しかしながら、人々が遠隔地まで飛び回り快適で便利な生活が出来るのも石油のお陰だ。

あんまり忙しく便利になりすぎて、人々がやたらとイライラするようになったが、

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石油が無くなれば人々は余程ゆったりとした暮らしが出来るのではないか?

生活テンポが昔に戻るんだから、車も激減するだろうし、炊事洗濯なんてのも・・・・・?

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だが人間は一度手にした便利さを決して手放さないだろうから、それも困りものである。

話は変わるが、走るということは原始的な行為で当たり前だがガソリンは要らない。

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子供の頃学校で課せられる単純な運動が嫌いだった。

校庭をぐるぐる回るらされるなどおよそ愚の骨頂で、

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大人になったらこんなバカらしい事はやらなくて住むと思ってた。

ところがである、世の中何が起るのか分からない。

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どうした訳か、大の大人になった今でも嬉々として走りに出掛けるのである。

マラソンと言うのは自動車と違って、自分の身体で距離を自覚できる行為だ。

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ガソリンを使わずに、自分の身体だけで何かを理解するにはもってこいだ。

それに、本来見えるべきものが見えてくるしね。

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2015年2月12日 (木)

感受性

俺はドンで鈍いって、いつも思っている。

人が死んだと聞いても、「あぁ、そうか」って驚きはしても冷静に受け止めてしまう。

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そのことに涙するには相当の思い入れが必要だが、元来が淡白にできている。

だから、本当は儀礼的な葬式なんかには行きたくないんだ。

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それに、私は人が何を考えているかなんてことを斟酌しない。

先日も息子の家普請の建舞いで、知人から「何坪の家なの? 」と聞かれた。

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私は単に「知らない」と答えたのだが、その人は怒り出してしまったのだ。

私は息子から聞いてもいないし興味もなくって本当に知らなかったのだが、

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その彼は知っていて知らないと言われたと判断したらしい。

実は同様に「配慮が足りなかったなぁ~」ってことがままあって、その度に反省している。

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事ほど左様に私は、かなり自分の世界を中心に歩いているようなのだ。

だが半面で、私はものすごく涙もろい。

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この間の防災講演会でも、山村さんの講演を聞きながら涙を流していたし、

本を読んでも映画を見ても、感動は必ず涙を伴って襲ってくるのだ。

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広がりのある美しい景色に感動するし、時に絵や音楽にだって躍動することがある。

同様に否なことには、徹底的に落ち込んでしまう。

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人にグサッと何かを言われたりすると、ぐずぐずと何時までも思い悩んでいたりする。

そういう意味では結構ナイーブなんだが、実はしっかりと安全弁がついている。

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感情は一気に高まりこそすれ、案外に長続きせずに忘れてしまうんだ。

まぁ~、そうやってバランスをとって生きてきたのである。

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でもまあ、最近では人生は鈍い方が幸せかもって思っている。

家のかみさんなんて、馬耳東風で何にも感じてないもんね。

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ともあれ、心の躍動する春がもうそこまで来ている。

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2015年2月11日 (水)

見た目

毎朝、よれよれのモンペの様なズボンに親父の遺品の外套を着て街頭に立って居る。

子供達は私を「どこかの暇なしがない御爺さん」って、多分思っているのではないか。

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その爺さんがスクワットをしていると、見かけた子供がその真似をしながら通り過ぎていく。

思えは何時の頃からか、自分の外見・風体をまったくと言ってよい程気にしなくなった。

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家に居る時は更にラフないでたちで、前掛けをして古びた帽子の畑仕事着で過ごす。

時たま宅配便が来たりして玄関に出ると、業者の方は「昼間っから暇を持て余している

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無職の呆けかかった爺さん」と言ったあしらいで、めっぽう懇切な言葉を使う。

私もそれに応じて、少々おっとりとボケを装って(或いは、実態かも?)みることもある。

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そんな私も人前でしゃべったりする時には、きちんと良い靴を履いてスーツを着る。

多分少しは顔も引き締まっているだろうし、皆さんはそれなりに見てくれている様だ(?)。

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昔の人は「馬子にも衣装」と言ったが、それは衣類が貴重だった時代の話だろう。

今時衣類に困っている人は少なかろうが、根が貧乏性だから勿体ないが先に立つ。

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と言う訳で、まっことこの国のGDPに貢献できないのである。

ところでランナーのいでたちは随分カラフルになったが、基本的には大同小異だ。

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大体においてランパンにランシャツだから、身に着けているもの自体が少ないからね。

このランシャツに関しては、私はものすごくリッチなのである。

各大会の参加賞で増え続け、袖を通さぬままのシャツが50着はあるのではないか。

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ともあれランナーの見た目は、ウェアーよりも体形とフォームだ。

つまりランナーには、「馬子にも衣装」は通用しないのである。

そういう意味でも、ランナー仲間は分け隔てなくって気分が良い。

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反面で、物のあふれる時代に着るものなど・・と思うのだが、

人は多分にそいつを手掛かりに人を判断しようとする。

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この世の中未だに「ボロは着てても、心の錦」は通用しないのである。

と言う訳で、背広も随分処分したのだが一張羅はいまだに温存している。

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2015年2月10日 (火)

空想好き

最近はともかく、昔から随分と空想の世界に遊ぶのが好きだった。

無い物ねだりと言うか一種の現実逃避なんだけど、それで憂さを晴らしていた。

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空想の世界では、どんなに難しい事でも簡単に実現してしまう。

学校の成績が悪かった頃には、何でも覚えられるマシンみたいな物を発明して、

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一気に得意満面の優等生になってしまうんだ。

当時は金利の高い頃で1,000万円あれば一生遊んで暮せた頃だが、

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どんな方法かは忘れたがリッチになった夢を見て、それで貧乏を乗り越えていた。

異性への関心が出始めた頃には、

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モテない現実とは裏腹に空想の世界では何故かモテまくってしまう。

それからアレだ、苛められてその仕返しに、スーパーマンになって登場するんだ。

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流石に大人になってからは、宝くじの一等に当選する空想が多かったかな?

あの「当選金を、はて何に使おうかっ?」て考えるのは実に楽しかった。

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しかしながら、空想は空想のまま今日まで終始してしまって、

すっかり諦観に浸ってしまったのか、最近では空想する力がさっぱり衰えてしまった。

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そう言えば宝くじも買わないし、行動自体がかなり保守的になったのかも知れない。

話は一転するが、学校に保育園の子供達がやってきてサッカーを楽しんでいった。

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高校のサッカー部員が相手をするんだけど、1人対10人位で対戦したりして、

子供達の群れが右へ行ったり左へ流れたり、何だか夢のような世界なんだ。

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保育園の子供にとって高校のお兄さんは絶対的な巨人だ。

その巨人に向かって群れてボールを追いかけていく。

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その高校生のガリバーが、小魚の群れを軽くいなしながらボールを操っている。

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その傍らに「こいつらぁ~、これから無数の夢と空想の世界を持っている!」んだって

つくづく思っている私がいる。

やはり、空想はチャレンジャーのものなんだ。

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2015年2月 9日 (月)

いろんな人が居て

最近の話題はといえば、随分と宗教に係る事が多くなった。

永いこと平穏の訪れることの無い中東諸国のありようが多分に影響している。

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イスラムとユダヤ、そのイスラムに至っては宗派の違いで殺し合いすら展開している。

宗教とは一体全体何の為のものか?と言うのが、私たち日本人の偽らざる感想だ。

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キリスト教を含め多くの宗教が一神教で、他の神様を認めないことから来ているんだが。

この点日本人はおおらかなもので、仏教だろうが神道だろうが、八百万の神々を・・・・、

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余りにも神様が多すぎて、これって無宗教ではないかと思うくらいだ。

でもまぁそれは、生活の困窮度合いと宗教心は比例するらしいから歓迎すべきことだろう。

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ところで、その日本人の国民性の最たるものが「軽躁」なんだそうである。

熱しやすく醒め易い、何かあるとわっと騒いだかと思うと直ぐに忘れてしまう。

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歴史的に何度もそんな経験をしてきたし、それだけ衆愚に成り易い訳で納得する部分だ。

宗教を気にしなくて良いし、確かに時流に流され易い国民だが一人ひとりは多彩だ。

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話はコロリと変わるが、依然として振り込めサギが横行している。

それで実は、静岡が大阪の数倍の被害者を出しているという。

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これを静岡県人としてどの様〔お人好し、疑わない、金が有る?〕に理解すべきなのか?

この点こそは、「都」にならんとする大阪人を大いに見習うべきかも知れない。

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ともあれここまでは余談だが、世の中には色々な人が居て楽しいのだと思う。

人は大抵、会話する時には自分のこと〔経験〕を話すのが普通だ。

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そしてその経験はみんな違う訳で、だからこそ会話が成立する。

それに人間は常には自分自身と言う檻の中に自分を閉じ込めて生活しているんだけど、

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人と人の交流がその檻の境界線を広げてくれるようだ。

カニが自分の甲羅に似せて穴を掘るのと同様に、人も自分の尺度でしかものを見ない。

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そして、この世界を広げてくれるのが人と人の出会いだ。

昨日も、多くの方との会話で私の甲羅が少し柔らかになったような気がする。

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2015年2月 8日 (日)

清水いいとこ

今日も雨の中、しっかりと楽しんできました。

清水駅から走り始めて日本平に登り、ロープウエイで久能に降りて、

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三保半島をぐるり一周、更に清水に向かって走り草薙の湯がゴールの36kである。

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集まったのは40人余だけど、雨を承知で参加するだけあってそれぞれの思いがある。

実は昨年、何十年ぶりかの雪で日本平山頂で立ち往生し、撤退を余儀なくされたから、

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今年こそは走り切ってやろうって思いもある。

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変化に富んだこのコースを、望むらくは晴天で走りたいのだがなかなか思うに任せない。

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冷たい雨が降り続いて、やはり今年もかなり寒かった。

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そんな雨の中を走って何が楽しいのかと思うかも知れないが、

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人間は決めたことをやり遂げるのが楽しいんだ。

それに多くの仲間がいて、人生の機微に触れることもさんわりと話しながら走っている。

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とは言え、日本平や三保からの富士の絶景も見えないし、

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山頂の展望台にも誰一人いないのは寂しい。

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何時も込み合うロープウエイでは、台湾からの団体客を除けば人は疎らだ。

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久能山東照宮にも立ち寄る気力すらなく、滑らない様にとあの階段を駆け下りたのである。

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三保の松原に到着しても何時ものおでん屋さんが閉まっていて、

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それでも近くの食堂でサクラエビかき揚げうどんで温まって、しばしの体力を回復させる。

ここまでで2/3を走り終えて、今度はぐるりと清水の港湾を回り込んで草薙にむかう。

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草薙とは、太古の時代坂の上田村麻呂が東征の途上、

火責めを剣で防いだと言うあの神話の草薙だ。

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ともあれ走行時間6時間、15時近くにゴールすることが出来た。

走り終われば暖かな湯に浸かって、それよりも一層心ぬくむ仲間の輪の中で温まる。

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言うならば、試練の後のご褒美であろうか。

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冷たかったことも足の痛かったこともすべて忘れて、これが明日の活力なんだ。

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2015年2月 7日 (土)

互近助

今日はTVでお馴染みの防災研究者、山村武彦さんの講演を拝聴した。

講演の内容は、被害者にも加害者にも傍観者にもなるなと言うことから始まって、

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イザ地震で人は何故機敏な動きが出来なくなるのか、防災訓練の在り方に及び、

とどのつまりは近所で助け合える日頃からの習慣作りの必要性に至る。

瞬間的に凍りつき症候群に陥ってしまう人々、そして覚醒させるきっかけづくり、

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思い込みや先入観によってどれ程沢山の命が失われたことか。

型はまった防災訓練から生きた防災訓練への脱却の必要性などなど。

映像と共にいちいち納得させられる講演で、自身の防災意識の甘さに恥じ入ってしまった。

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お話を伺って、山村さんは厳つい顔つきとは裏腹に凄く感受性の高い人だと感じた。

1964年の新潟地震でのボランティア活動を機に、防災アドバイザーを目指した人である。

私も早速出来ることから始めねばと思うのだが、さて何から始めてよいものやら…・。

自治会をリードすべき立場にありながら、現状を変えるのは容易でないことに気付くのだ。

圧倒的に多くの人たちが「自分だけは大情夫」だと思っているし、徹底した傍観者だ。

まぁ~全てが自己責任ならそれでも良いが、現実には誰もが加害者に成りかねないのだ。

火を出せば延焼させるだろうし、救援に来てくれた人を危機に陥れるかもしれないからだ。

肝心なのは近所で防災意識を共有することだが、これは個人ではなかなか無理がある。

やはり山村さんの提唱のように、組織的に「防災隣組」を組織していくべきだろう。

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話は変わるが、私の市では3.11の震災を教訓に「津波防災地域づくり計画」を検討している。

震災以降避難ビルの指定などが進められてきたが、これとて1m/秒での避難が前提だ。

液状化で道路はぼこぼこ、ブロック塀や家屋の倒壊などを考えれば到底無理だろう。

私の住む地域では、発災後19分で浸水が始まると想定されているのだし、問題点は多い。

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それに海抜2mに満たない地域が4kくらい内陸まで広がっていて、避難はより難しい。

果たして海岸から数キロ離れて住む人たちが、避難行動をとるのかすら疑問だ。

そんなこんなもあって、11kの海岸線 に沿って高さ14mの防潮堤の建設が始まっている。

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とは言っても建設資金は寄付依存だし、上手くいっても完成には20年は要するだろう。

それに防潮堤が完成すれば安心かと言うと、それは一定のヘッジに過ぎない。

やはり浸水警戒区域内の住民の避難行動は不可欠なのである。

そのことも、まだほとんど知らされてはいない。

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2015年2月 6日 (金)

自分の顔

昨日の冷たい雨から、一転の晴天である。

遥か北の山々もくっきりと浮かび上がって、こんな日はウキウキして気分が良い。

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それに何よりも、朝の私の立位置にまで日差しが戻ってきているのが嬉しい。

人生は、毎日毎日の繰り返しである。

雨の日も風の日も、そして今朝の様な心地良い日だってある。

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それに人生の毎日は、山あり谷ありの道が当たり前で決して平坦ではないから、

毎日上機嫌で居られるのかって言うと中々そういう訳にも行かない。

何度も何度も立ち止まりながら、笑ったり怒ったりむっつりしたりしながらの毎日だ。

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それがまぁ~、在りのままの自分なんだけど、そんな積み重ねが自分の顔になる。

顔と言うものは不思議なもので、自己中心的な人はあざとい顔になるし、

尊大な人は不遜な顔をしてるし、サギなんてやる人間はおよそ下品な顔になる。

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穏やかな顔や清々しい顔など様々な顔があって、多分にその顔は日頃の行いの反映だ。

爺むしてきた自分の顔は品格も味わいも感じられなくって好きではないけれど、

それでもまぁ、これまで背負って来た顔だからそれなりに認めてやっても良と思う。

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元気の無い自分の顔を見ると、「時には、こいつも褒めてやらにゃ・・」と思ったりする。

かなり以前のことだが、北海道の千歳マラソンに参加したことがある。

支笏湖から折り返しが大変苦しくなって、あの時は必死になって頑張ってる自分を褒めた。Img_0130

そして「ゴールしたら、美味しいカツ丼を食わせてやるからな」ってね。

それでゴールしてカツ丼屋を探したんだけど、何処にも見付けられなくって・・・・。

ともあれ日々の行動も顔の見てくれも含め、人生はすべて自己責任なんだ。

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一足飛びに新幹線に乗ってなんて訳にゃいかない。

そして人生は着々寸進、目の前のことをせっせと一つ一つやり遂げることだ。

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2015年2月 5日 (木)

時間を生きる

人世の主人公は、どんなに大切な人があったとしても自分の他には存在しない。

そして人世とは、生まれて・生きて・死ぬことである。

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自分が主人公なのだが、誕生は自分の意志ではないし、

死に方も認知症になったりして思い通りでないかも知れない。

しかしながら生き方は、その気になれば自分の思いを貫くことが出来るだろう。

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どうせ生きるんだから、誰もが出来れば良い人生を歩きたいと思う。

その歩くべき道だが、自分の後ろにはくねくねと歩いてきた道が彼方から続いている。

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しかしこれから未来に向かう道は、在るようで無い様な漠とした道筋なのである。

思えば、これまで幾つもの山に登り、険しい崖や谷を越え峠だって幾つも越えてきた。

もちろん、その大変だった思いは感慨を伴って時に蘇るが、だがそれは過去の事である。

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不思議なもので、何としてもと頂上に向かっている時には、思いの外の力が湧くものだ。

しかし今は、フッと息を抜いて

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「時の流れの在るがままに身を任せても良かろう」なんて思っている。

つまり、何としてもあの山を目指そう・・・・としていないのである。

言うならば、峠の茶屋で甘酒を飲んで休息している様なものかも知れない。

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当然ながら峠は幾層にも重なっていて、遥か向こうに目指すべき山がある筈なのだが、

その姿が判然としないのである。

そうして、この主人公にとって最も大切なものって何だろうと考えている。

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在るがままに無為に過ごすにしては、あまりにも貴重な時間である。

何が重要で、何を生み出すべきなのか。

しやさ、ごくごく平凡で普通の人生を生きようとしている。

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それでも楽しく生きようと思えば、今日と言う日に全力を尽くすべきだろう。

冷たい雨の降る一日、

切り取った葡萄の枝を焼却しながら、延々とそんな思いで逡巡していたのである。

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2015年2月 4日 (水)

自分のペース

文明の力は凄いもので、アッという間に地球の裏側にだって行ける時代だ。

移動だけじゃなく、情報も仕事も会話や食事すらも忙しく、みんなが急いで暮らしている。

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そんな具合に便利になった反面、自分のペースで生きるってことが難しくなっている。

だけど急ぐってことは、本来見えていることも見ない事だし、考えないことだよな。

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・・・昨日、山を走りながら思っていたことである。

山の尾根道を登ったり下ったりしながら淡々と走っていると、

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つい「先を急ぐこと、無いよな・・」って思ってしまう。

それはランのフォーム改造で視線が上向きになったことも多少影響している。

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木漏れ日の上には、ちゃんと空があって、奇妙な枝振りの樫がゆっくりと頑張っている。

ウバメガシの成長は極めて遅くって、結果として金属のように硬い幹になる。

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人間は勿論だが、山の木にだってそれぞれの生き方があるんだ。

10年ほど前、「スローな気分で生きてみたら」と題して本を出版したことがある。

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思えば無いものねだりで、あの頃が一番忙しく動き回っていたようだ。

時は移って今では、マラニックも含めて全国各地を自分の足で歩きまわっている。

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走ることも然ることながら、出掛けた土地のあちこちを歩き回っているのである。

歩くことは見付けることであり、時には人と出会うことでもある。

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土地の風土なり歴史を感じて、何がしかの刺激を得るのは何物にも変えがたい至福だ。

寄り道してでもあちこちを巡ってみたいと思う。

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人間は便利さに弱いから、この時代にゆっくり生きることは中々大変だけど、

ゆっくり歩むことで、皆の見過ごした何かに気付くかもしれない。

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「俺もそろそろ、本気で自分のペースを考えるべきかなぁ~」などと思っていたのだ。

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2015年2月 3日 (火)

季節の節目

今日の節分は、文字どおり季節を分ける一日になった。

我が家の朝食は、何と恵方巻きがドンと皿の上に載っていて、これが旨いものかどうか?。

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中の具はウナギや卵焼き、それに大きな刺身などが入っていて、食べ易くもない。

しかしまあ、これも春の行事だから、孫と黙って南南西を向いた。

しかしながら、ドジなことに「願い事」が思い浮かばないのである。

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隣の孫娘は、何を思っているのかひたすら黙って食べている。

「フン、餓鬼の真似が出来るか!」と思いつつ、半分焼きもちを焼いている。

ともあれ気を取り直して山に向かい、改めてランニングフォームを確認してきた。

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一昨日のハーフでのフォーム改造で痛む筋肉を鞭打ってのランである。

次いで午後一番の仕事は、遅れていた馬鈴薯の畝づくりだ。

種イモは既に芽を出して、未だかまだかと土に入るのを待ち焦がれている。

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それから剪定の終わった葡萄に、半年ぶりに灌水をしたのである。

葡萄は原産が地中海で乾燥に強く、稔りの最盛期以降まったく水を与えていない。

ハウスの中だから普通の植物なら枯れてしまうところだが、

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ブドウは何処かに根を伸ばして、幾ばくかの水分を得ているのだろう。

ともあれこの初めての灌水は、ブドウの春を迎える節分の行事なんだ。

たっぷりと地面を湿らせて、堆肥と石灰分を施していく。

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すると彼女たちは目を覚まし、今月の末には芽を出し始めるのである。

否、それ以上に私自身の気分として、これからブドウの季節が始まるって転換点になる。

作業をすべて終えて頭上を見上げると、河津さくらがふっくらと花芽を膨らませていて、

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今にも咲き出しそうな風情なのである。

言うまでもなく、春はもうすぐそこまで来ているんだ。

そして黄昏時、私の今シーズン4回目のキムチ作りである。

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材料はセロリとリンゴ以外は全て私の育てたものである。

これがさぁ~、鬼は外の豆なんかよりもずぅっと、実に美味いんだなぁ~!!!

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2015年2月 2日 (月)

馬耳東風

荒れ果てた山地で敵でもない人間の首をナイフで切り落とす映像を中継る・・・

その常軌を逸したISILの蛮行に言葉を失う。

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狂気の集団とは言え、人間はかくも残虐になれるものかと・・・。

「何故、そんな所へ行った?」との声もあるが、リッチな国に安住する者の感想でしかない。

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ひょっとして後藤さんは、

反面教師的に本当の豊かさとは何かを探していたのではなかろうか?

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戦後のこの国の人々は、ひたすら豊かさを追い求めて走り続けてきた。

次々と登場する新たな商品を買っては豊かさを喜び、酒を飲んでストレスを発散してきた。

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バブルが崩壊して「本当の豊かさはモノより心・・・」なんて言われはしたが、

それは上辺だけの事で、相変わらずの拝金主義がこの国中に蔓延している。

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一方で高齢者の万引きが増え、うつ病や引きこもりも激増したと言ってよいだろう。

そしてモノや情報の溢れる社会で、依然過剰な欲望を持たされ続けているようだ。

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「老子」は「知足」と言う事を説いた。

彼は、知足者富〔足るを知る者は富む〕

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    強行者有志〔努めて行う者は志あり〕と書き残している。

老子の生きたのは紀元前五世紀だが、その時代に果たしてどんな物があっただろうか?

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多分寄り添って生きるのがやっとの暮らしだったろうし、その中での「知足」なのである。

そんなことを考えると、人間なんて気持ちの持ち様如何なんだと思い至る。

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人の顔色を伺ったり、体面を気にしたり、クヨクヨ・齷齪の毎日が「馬鹿」らしくもなる。

そう・・、馬は鼻先にぶら下げられた人参を追って走るらしい?が、人間はどうだろう。

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右顧左眄することなく、自分なりの目標に向かって歩めているのかどうか。

パスカルは、「人はみな死刑囚として生まれついている」と人生を評しているが、

中東での悲劇に命のはかなさを思うと同時に、自分自身のことを改めて考えている。

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時の流れはたゆむことも無く、もう既に日射しは春を思わせる。

ところで馬耳東風の東風は春風のことである。

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馬の耳元を春の風が吹き抜けても馬は一顧だにしないと言うのだが、

私達は与えられた限られた時間を自分のものとして生きなければなるまい。

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2015年2月 1日 (日)

丹田走法

今日は、春一番の森町ロードレースである。

気温は低いが雲一つなく晴れ上がって、風も程々のマラソン日和だった。

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朝早くから町民センターはごった返していて、顔見知りもあちこちで準備をしている。

寒い時期なだけに、室内で準備ができるのは実にありがたい。

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ところでこの大会は、先週発見した新しい走法を実際に試す初めてのレースである。

それである意味、まなじりを決する気分でスタートラインに立ったのである。

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丹田を突き出すような気持ちで腰を曲げることなく走ろうと心していた。

とは言え、付け焼刃の走法で走り始めはギクシャクと随分ぎこちなかったが、

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次第にリズムとペースが出来てきた。

1キロ5分のペースで確実に進んでいて、尚且つ疲れも少ない。

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何時もの様にカメラは持って走ったのだが、撮影は一切止めてランに徹することにした。

ひょっとしてこの調子なら、1時間40分程度でゴール出来るんじゃないかってね。

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確かに折り返し地点を過ぎてしばらく(15k位まで)は快調な走りだった。

だがその後、急速にスピードが落ちてしまったようだ。

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改造したホームが崩れた訳でもないし、疲労だってそんなに感じていなかったのにである。

と言う訳で、誠に腑甲斐ない・・・否・丹田甲斐のない結果に終わってしまった。

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しかしまあ、記録は1時間49分0秒 年代別49位/153人で昨年より6分ほど早い結果だ。

フォームを変えてから一週間にしては上出来と言うべきかもしれない。

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それにしても、何故急にスピードが落ちたのか、大きな課題が残った。

言い訳を言うなら、フォーム改造の際痛めた左足の踵に難があったか?

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あちこち痛いのだが、普段使わない筋肉を使ったと言うことだろう。

ともあれ、この航続距離を伸ばす訓練を続けてみようと思っている。

たかがマラソンだけど、奥が深いなぁ~。

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