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2015年3月31日 (火)

ぼっち

人間ってのは一人じゃ生きられないけど、元来が孤独だと思っている。

どんなに親しい間柄だって、自分の心の中にある何ほどかは共有できないだろうし、

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そもそもがそれぞれ別の個体なんである。

生れてこの方、育った環境はみんな違うし、死んで行くのだって一人だろう。

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思えば、私は子供の頃から何時も一人「ぼっち」だった。

時に子犬がじゃれる様に無邪気に騒ぐこともあったが、

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自分の世界をはみ出すことは無かった。

「ぼっち」を生きるのは、実は楽じゃない。

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それで近頃は、やたら周囲に同調する付和雷同が流行っているらしい。

自分の考えや意見を言うのは馬鹿馬鹿しいことで、周りに合わせときゃ楽って訳だ。

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近年、ポピュリズムや衆愚に流れるのは、そんな風潮のなせる業だ。

自治会の会合などでも、大きな声で主張するもっともらしい意見が反対もなくまかり通る。

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長いものには巻かれろっ、どっちみち自分にゃさして関係ないんだからとなる。

大勢の中でまっこうから「それは違う」とは言い難いもので、要するに流されていく。

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かつてこの国が無謀な戦争に突入していく過程は、まさに衆愚の骨頂ではなかったか。

軍部の専横に誰もが巻かれて、何時の間にか誰もが反対も出来なくなっていったんだ。

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だからして私は、「ぼっち」ってのはとても大切にしたいと思っている。

浜名湖の土を掬い取って富士山を作ったと言う巨人「だいだらぼっち」の伝説がある。

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礫島が口から飛ばした梅干しの種だとか、姫街道の途中に足跡なんてのもあったりする。

姫街道を走りながら「ぼっち」って、そういうことかも知れないって思っていた。

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奇想天外な伝説は、一人ぼっちが成し遂げる何かをし指してるんじゃないかってね。

走るってことは基本的に一人だし、そういう意味じゃ「ぼっち」に適しているのかな。

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いやいや、皆で走るのはもっと楽しいけどね。

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2015年3月30日 (月)

装う

日本人の美質として「目立たない」と言うことが歴史的にある。

儒教の影響なのか「出る杭は打たれる」などと「目立つ」ことは戒められてきたのである。

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私なども、親からはそうやって育てられた。

引っ込み思案で何かと遠慮が先立つのは、性格と言うよりも育てられ方だと思う。

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近頃では随分変わってきたが、役人の服装は目立たないことが最優先される。

目立たないと言うことは、賞賛もされないが避難される要素も少なくなる守りの姿勢だ。

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それで鼠色のスーツが一般的なのだが、かつてはカラーシャツさえ咎められたのだ。

そもそも装いと言うものは、他人の目に自分は綺麗だと思わせるためにある。

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人は、他人とは違うという存在感を見せるために努力しているところがある。

それは常日頃からの姿勢であったり、会話術であれ明るさであれ、それに教養も含めて、

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とどのつまりは、人から評価されたいから努力しているのである。

しかるに百姓と言うのは目立ってはいけない人種だったのであって、

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私も百姓の息子として、遜って生きるように育てられたのである。

この点、西欧人は狩猟民族として目立つように育てられている。

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「この獲物は、俺が獲った」と主張するにはやはり目立つことが必要だ。

だから西欧人はその習性として、他人の目を気にしないし遠慮なく装うのである。

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この自己主張しない地味な国にあっても、女性陣にだけは装いが許されている。

やはり、女性は美しく着飾るのが良い。

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もうそれだけで、世の中は楽しくなるんだから。

それにあれだね、熟年者こそ目立つ行動(装い)が必要だと思うんだ。

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家に引っこんで余生を過ごすなんて世捨て人は止めて、

人の為に何か役立つことは無いだろうかって暮らすべきだ。

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これからの時代は、圧倒的多数を占める高齢世代の時代なんだから。

皆で、振舞いのおしゃれをしようよ。

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2015年3月29日 (日)

姫街道

東海道を東に進んで三河の国御油に至ると追分と言う所があって、

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そこで東海道は浜名湖を北回りする姫街道と今切れ口を通る本道とに分岐する。

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今日、私達はその御油から本坂峠、引佐峠を越えて気賀までの36kmを走るのである。

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マラニックは、その道すがら名所旧跡があれば寄り道することになっている。

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それでスタートして間もなく、御油の町中にある「西明寺」に立寄ることにしたのである。

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このお寺がまた平安時代からの由緒ある寺で、北条時頼や大江定基、

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それに武田の軍師山本堪助らの墓が有って、その立派な伽藍に驚くことしきりだった。

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更にはその裏側に回ると、この近在では最大級とも思える回遊式大庭園がある。

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杉苔にかこまれた池は後ろの峰を映して静かで見事な趣をたたえていた。

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満開の桜と共に暫し西明寺の結構を堪能して、おもむろに姫街道を東進した。

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豊橋の桜並木は四部咲きと言ったところで、花も楽しみながらのランである。

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途中、湖西連峰から本坂に抜ける山道に差し掛かる辺りから雨が降り始めた。

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かつてはこんな急峻な道しかなかったのだろうかと思わせる山越えである。

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その峠を越えると三ケ日の本坂で嬉しい歓迎があった。

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御油在住のIさんが先回りしてエイド(素麺にトン汁)を用意して待っていて下さった。

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素麺に熱い汁を掛けて頂き、ともかく峠越えの安堵と共に一息つくことが出来たのである。

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ここからは三ケ日の街を抜けて、もう一つの難所である引佐峠に向かう。

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引佐峠には像鳴き坂などとやはり急な登り下りがあって、

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殊に下りは、雨で湿った医敷石がつるつると滑ってとてものこと走ることはできない。

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その引佐峠を登り切った向こう側に、又してもKさん達がビールを用意して待っていた。

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Kさん達は豊橋ハーフマラソンを走り終わって駆けつけて下さったのだと言う。

自分達も疲れているのに、誠に仲間ってのは有難いものである。

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引佐峠を降りると残りは5km程で、ゴールの細江国民宿舎までは指呼の間になる。

9時に御油をスタートしてから7時間、降りしきる雨の中16時にはゴールとなった。

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その後は、国民宿舎の風呂で疲れを癒し、暫し談笑ののち解散となったのである。

今日も、雨の中楽しく走ることが出来たことに感謝しなければなるまい。

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2015年3月28日 (土)

春は駆け足

日長も長くなって、あんなに待ち焦がれた春が駆け足でやってきている。

勿論桜(ソメイヨシノ)も咲き始めたし、私のブドウの芽も動き始めている。

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一見枯れ木の様な葡萄の樹が、ある日突然芽を膨らませるのが不思議だ。

毎日ブドウを見回っているのだけど、今朝は何の変化も見られなかったのに、

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翌朝にはプックラと芽を膨らませている。

きっと誰か(春)が急いでやってきて、魔法をかけていくのではなかろうか。

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「オィ、起きろ!  もう春だぞ」ってね。

そんな春の気配に、私も畑仕事を急かされている。

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キュウリの苗を育て、ホウレン草の種を播き、ブドウの芽欠き作業などと忙しい。

あぁそれに、これから先はマラソン大会が目白押しで続く季節になる。

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勿論ウルトラの大会を含めての事である。

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それぞれの大会に向けて、仲間内の練習競争も始まっている。

マラソンは実に正直な競技で、事前にどれだけの準備をしたかで結果は決まってくる。

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サボっていて大会で好成績を残すなんてことは有り得ないのだ。

と言う訳で、みなさんそれぞれに黙々とトレーニングに励んでいる。

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そうなんだ、春には草木や私達に働きかける情熱の様なものがある。

それで穴倉に潜っていた諸々がその情熱に誘われて一斉に動き出すんだ。

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山には深山ツツジが咲き、ウラジロがゼンマイの様な新梢を伸ばしている。

鶯やシジュウカラなどの鳥たちの恋人を求めも声が広がっている。

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木々も小鳥や虫達も、そして私達も春を急いでいるのだ。

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2015年3月27日 (金)

よくあれかし

今朝は小学校の離任式とかで子供達が登校だから、暫らくぶりに街頭に立った。

天気も良くって空気もすっかり春めいて、子供たちも授業が無いためか楽しげである。

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ふと気づけば、我が家の桜は早や既に葉桜なのである。

それに今朝、出頭に茶碗を覗くと中に一本の茶柱が立っていた。

今日は何か良いことがありそうな・・・・そんな気分で家を出てきたのである。

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棒茶の一端が重くって沈んで立つのが珍しいのに過ぎないが、気分ってのは面白い。

元来人間は気分の動物で、常になんとなく良くありたいと思う心理がある。

未来のことは予測できないからこそ、自分のことは何でも良く思いたいのだろう。

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それに悩みの一つや二つ有るのが普通だしね。

そう言う意味では、人間は誰もが自己中心的で、自分あっての進退なのだ。

表向きは兎も角、物事の価値判断は自分にとって良いか悪いかである。

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それで誰だって、どう行動するのかはその自分が基本になっている。

家庭生活にしても社会の諸々の事だって、自分にとっての都合が肝心なんだ。

それで御神籤や占いが流行るのだろう。

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占いの結果が好都合なら喜んで受け入れるけど、逆なら全く受け付けない。

事ほど左様に、誠に以って現金なものなんである。

ところで、人間は何だかんだと言っても自分の為に生きている。

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私が葡萄を作ったり街頭に立ったりするのも、誰かに喜んでもらいたいからだろう。

もっと言えば、自分って存在を認められたいのかも知れないな。

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そうして、そんな自己愛と言う名の利己心を持った人々の集まりがこの社会だ。

私たちは日々、お互いの自己愛との折り合いの中で生きている。

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だから早い話、自分が認められたかったら相手を認めてやれば良いのだ。

原理は簡単なんだけど・・・人間は感情の動物でもあってそこが難しい。

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2015年3月26日 (木)

命の満足

誰だって物心ついてからこの方、それなりに懸命に生きてきただろう。

小学校から中学・高校、そして大学、就職して結婚、夢中で働く日々が続いた。

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働いて家族を支えながらも、子育てやら介護やら次々に目前の課題を片付けたりして、

ふと気づいた時には何時の間にか人生の晩年を迎えている。

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改めてそんな過去を振り返ってみつつ、「この人生の意味は何だったのか?」と思わない?

みんな、そうやって生きて死んで行くんだから、それで良いじゃないかとは思う。

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しかし、本当に自分の人生を生きたのかどうかっていう疑問は残らないだろうか?

それに「あぁ~、良い人生だった」って満足できるだろうかってことだ。

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人は自分の人生を生きているつもりでも、

実の所、流されるままに日々の仕事に追われているだけかも知れない。

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忙しい忙しいってね。

忙しいのは結構だけど、どんどん「自分なりの時間」が無くなっていく。

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だから人生は、受け身じゃ駄目なんじゃないか?

誰もがそれぞれの限りある命を燃焼させて生きているんだから、

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人には心が満足する様な我儘が有っても良いのではないかと思い始めている。

思えば子供の頃からずぅっと職場や組織などの様々な制約の中で生きて来た。、

そんな諸々から解放されて、伸び伸びと育てたいものを育て、旅行したい時には出掛け、

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時には食べたいものを食べ、自分が主体的にチョイスしながら生きてみることが必要さ。

いやなに、私の場合はもうとっくにそんな世界を生きているような気もするが…・

要は、そんな我儘を意識してやることが必要だと思っているんだ。

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自分の人生なんだからさ!!

あなたは、自分の人生に満足できている?

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2015年3月25日 (水)

諸行無常

依然として元気溌剌で来月の100k マラソンを目指してトレーニングに励んでいる。

足の故障も徐々に回復しつつあって、大きな障害がある訳ではない。

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それでとりあえず、私の人生も平均寿命位までは続くのかと思う一方、

誰もがそうであるように何時か無になるのだとの思いもある。

私の死生観なんて無いのに等しくって、只「無」になるんでしょってなもんである。

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その分、覚悟が無いと言うか本気で死に直面していないのかも知れない。

人は死ねば忘れ去られる・・・・・それだけのことだ。

最愛の女房?だって死んで3か月もすりゃ、恐らく語ることすらなくなるのかも知れない。

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人世とは所詮儚いものであって、それで良いんだろうと思う。

人間は現金なもので、あいつが退いたら今度は俺が・・・って誰でも思っている。

そんな態度が「存命中」に見えると、諸行無常と言うより、人間の沙我を感じてしまう。

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しかしそれとても面白い現象で、一つの人間模様として興味深く感じている。

私の後任に予定している人物の変わりようが面白いのである。

ともあれ、誰にだって明日が保証されているなんてことは無い。

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何時何が起こるのか分からないのが人生であって、その意味でも諸行無常だ。

ところでこの年度末、早送りのビデオを観るかのように月日が流れていく。

日々の出来事を伝える新聞の記事にも時の流れを感じこそすれ、新鮮味はない。

果たして人生に馴れ熟んでいるのかも知れない。

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それでも毎日、日々の流れの中に自分の存在意義を見つけたいと思う自分がいる。

この人生に本当に大切なものは何なのか…・そいつを探し求めている自分だ。

最近様々な夢を見ることが多くなった。

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過去の事、奇想天外な未来の事、摩訶不思議な幻想世界などとジャンルは広い。

何故、夢を見る様になったのかと思うが、ひたすらこれまでの人生を遡るメモリーの為せる業だ。

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そんなこんな色々あったけど、思うのはやはり諸行無常なんだろうと思う。

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2015年3月24日 (火)

時代と人

私達は今と言う時代を生きている訳だが、それはそれはとても良い時代だと思う。

何が良いかって、格差社会と言われるけど、基本的にはみんな同じ生活をしている。

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似た様な新聞を読んで同じTV番組を見て、7とかの似た様なコンビニで買い物して、

民主主義とばかりに言いたいことを勝手に主張して、食べるものだって大同小異だ。

世界最高水準の医療があり、将来はともかく介護や年金だって充実している。

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車や家電製品の便利がそろい、冷暖房のきいた所で過ごすことができる。

言ってみりゃ、かつての王様以上の生活をしているんじゃなかろうか。

セレブとか国会議員だって、乗る車種が少し違うくらいで「特別」がある訳でもない。

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それにイギリスの様な階級社会でもないから、覚悟の無い人が総理大臣に成っちゃったりする。

その考えていることだって、自分の健康と財産程度だから、

私の様な貧乏人とちっとも変わっちゃいない。

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そうして面倒なことは、全て別の誰か(政府や社会)がやってくれると思っている。

それで何の障害もなく生きられるんだから、これを良い時代と言わずして何とする。

だけどその分、日本人は押しなべて人間が小さくなった。

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幕末から明治・大正にかけて、この国は数々の英雄・偉人を輩出してきた。

そのお蔭で欧米列強の植民地にもならずに、今日の経済的繁栄を手にできている。

しかしながら、戦後は人物(豪傑)と言われるほどの傑出した人材はトンと出ていない。

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それは戦争の心配と貧困や病に対する怯えが無くなったことと関係している。

おまけに核家族で暮らしすし、脳みその中身だってメディア漬けで画一的だ。

要するにこの時代に生きる人々は、かつての時代のような苦労をしてはいないのだ。

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考えてみれば、世界で稀有な恵まれた環境で生きているのが私達だ。

隣の韓国は国民(男子)皆兵で一定期間の兵役があるし、

米国を含め世界の大部分の国の人々が軍隊を通じて死を意識している。

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戦争なんてやる馬鹿じゃいけないが、生きる(生存競争)にはある種の過酷さがある。

恵まれた温室の中で育ってきた私達には、一種の覚悟の様なものが欠けているんだろう。

本当の痛みや悲しみ・辛さを味わったこともないから、その死生観だって薄っぺらだ。

世界から多少軽く扱われるとしても、将来は兎も角、多分これで良かったんだろう。

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2015年3月23日 (月)

元気は創りだせ

テロや戦争やら、殺人や詐欺やら、そんな大層なことでなくとも人と人の行き違いなどと、

とかくこの世は住み難く思い通りには行かないものである。

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それで何時もやっかいな話題からは目を背けようとする癖がついている。

出来れば面白く暮らしたいのであるが、日増しに感動が少なくなっていくような気がする。

朝起きて新聞を読んで飯を食って・・・・・・何事も無く、風呂に入って布団にもぐりこむ。

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人間は、そんな平凡な毎日の習慣によって創られていく様だ。

月並みで波風の立たない日々の習慣も結構だが、それだけではやはり面白くない。

人世のモチベーションと言うか、元気を持ち続けて生きたいものである。

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そんな訳で「元気は何から生まれるのか?」って考えている。

かつて貧しかった時代には、働いて生活を豊かにすることが元気の源だった。

新しい家電が家に来るだけでウキウキしたものだが、今じゃ新車が来てもフゥン程度だ。

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そして衣食足りたこの時代の元気は、自分の目指す「事」を創り出すことから始まる。

事はハードでもソフトでも良いけど、ボケる程打ち込めることが大切だ。

ほら、ぐいぐいと走っている自転車は倒れることは無いでしょう。

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あれと同じで目標に向かって走り(ペタルを漕ぎ)続けることが出来るか否かだ。

私達は目標が空ろになると、忽ちにして退屈してしまうのだから。

人間てのは、退屈してたんじゃ碌なことは考えないものさ。

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それにもう一つのコツは、感動を演出するって事かな。

かつての職場に弁当を持参する男がいて、その男が毎食後「旨かった!」と叫ぶ。

最初は奇異な感じがしたが、何時の間にか彼の生き方に感心するようになった。

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細君手作りの弁当を「旨かった!」と毎度声に出すことで、彼は彼の人生を面白くしていた。

食事の度に〔仮に不味くっても〕「うまいっ」と叫ぶことで、元気が手に入るのだ。

勿論奥さんは、そんな亭主の為には心尽くしの弁当を準備するだろう。

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これは自分に対してだって同じで、

朝起きて一番には「よく眠れた。今日も元気で行こう!」って背伸びをしてみる。

一仕事終われば「やった。出来たぞっ」って爽快に叫べばよい。

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目標を追い続けて、尚且つ自分で感動を演出できりゃ人生は退屈しない。

・・・・と、つらつら考えているのだが、先ずは実行が肝心か・・・。

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2015年3月22日 (日)

人世の時間

毎日右へ左へと動き回りながらも、今では気分的にかなり自由な時間を過ごしている。

現役時代には二十日間の有給休暇があったが、これを消化したことなど一度もなかった。

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忌引きなどで年に2~3日休むことはあったが、ずる休みは罪悪って考えていたのだ。

だからやたら有給休暇を取る人間を、「あぁ~その程度の人間か」などと査定さえしていた。

今日の労働現場の価値観とは相いれないのだろうが、少なくとも私の価値観はそうだった。

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余暇は個人の時間で勤務は公のものだから、勤めている以上は当たり前だろうってね。

それに当時は、休暇を取って過ごすほどの「余暇」がなかったこともある。

皆が仕事しているのに、一人家の中で閉塞なんて出来ないって感覚だ。

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ともあれ、使い残した長大な有給休暇は全て勤め先に献上してきた。

この点、ヨーロッパ諸国ではバカンスのために一気に休暇を使っている。

北欧の国々の人たちは、日光を求めて南欧などに民族移動程の動きをする。

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それにクラインガルデンなどでの休暇も含めて、多彩な休暇スポーツがある。

ヨットやサイクリング、各種サロンなどと、人生を謳歌するツールが多彩に準備されているのだ。

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そもそも労働は人生を楽しむ為にあるのであって、余暇は労働の再生産の為にも必要なものだ。

人々がおおいに余暇を謳歌して消費してくれてこそ、経済は循環するのだ。

理屈はともかく、定年退職以降この循環を私的には上手くやっている。

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と言うよりも、余暇の拡大を基調に社会的な活動をバランスさせている。

走ることを中心に旅行も随分出かけるし、書くことや栽培することも抜かりなく熟している。

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この時期はブドウの芽萌の時期で、少しずつハウスでの時間が増えていく季節だ。

そうした四季折々の余暇の変化も、人生の時間を豊かにしてくれるようだ。

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只、風と共に去りゆく様な時間の流れを感じる分、夢中で働いていた頃が懐かしい。

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2015年3月21日 (土)

春の風

今日は、もう御彼岸の恒例になっている遠州三山マラニックである。

袋井市にある可睡斎、油山寺、法多山の三つの名刹を走って巡るランニングだ。

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曇り空ながら暖かな一日で、沈丁花が匂い、コブシや桃が咲き、

もう春の風情は十分てある。

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家康ゆかりの可睡斎では大黒天の足をさすり、ついつい健脚を祈願してしまう。

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油山寺の入り口には「知足」の道があって、そこを靴を脱いで歩く。

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そして僧正さんの読経と太古の響く御堂では、来月の100kの完走を祈っていた。

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この二山は10kほどで、最後の法多山まではかなり距離がある。

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途中、ツクシを摘んだりもしながら、四方山話をしながら春の野道を走るのである。

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話題はと言えば、あそこの坂道がきつかったとか、あの大会は大変で苦労したとか・・・

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ランナーの話題は総じて単純で、その単純な話題で盛り上がれるのが素晴らしい。

それに最近調子を崩している仲間の話題やら自分の調子やらに夢中になるんだ。

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そんなこんなのうちに法多山に到着して、三山巡りは一区切りとなるのだが、

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その後は皆で厄除け団子を戴いて、ゴールの「和の湯」まで残りの7kほどをひた走る。

正月2日の際とは打って変わって、三山とも比較的静かである。

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お互いに取り立てて信心深い訳でもないが、歴史ある名刹には何かが残っている。

それは長年に亘って積み上げられた知恵かも知れないし、

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人々の踏みしめた足跡かも知れない。

そうして現代に生きる私達が、定期的にこの場所を訪れることで感じる何かだ。

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法多山ではもうソメイヨシノがちらほらと、それに深山つつじが満開になっていた。

もう一週間もしないうちに、あちこちから花の便りが聞こえてくるのだろう。

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あの少しばかり重苦しい冬のトンネルから、私達はもう既に十分に解放されたのだ。

そしてやがて今度は、あの灼熱の夏に突入していくのである。

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彼岸は、そんな四季折々のなかの安らぎの時なのだろう。

それにしても、皆さんのおかげで今日の一日も素晴らしい日になった。

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2015年3月20日 (金)

卒業の日に

昨日に続き、今日は地元小学校の卒業式である。

私の卒業した母校でもあって、学校運営委員としても関ってきたが、

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何よりも「子供の安全を守る会」の一員として深くかかわってきた。

言うまでも無く、毎朝街頭に立って子供たちを見送ってきて6年が経過したのである。

あの時の小学一年生が、今日晴れて卒業なのである。

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この頃では両親揃っての出席も多く父兄の席は満員で、その中を緊張した子供達が入場する。

精一杯のおしゃれもあって、何時もよりもかなり大人びて見える。

腕白なあいつも居るし、礼儀正しいあの子も無口なあの子の顔も見える。

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校長の式辞に続いて型どおりの挨拶が終わると、来賓が紹介される。

私は紹介されて子供の方だけに向かって「みんな、おめでとう!!」と大きく叫んだ。

その声に何人かが「あぁ、あのオジサンだ。」と気付いた様子が感じられた。

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ともあれ卒業生と5年生全員参加のセレモニーが続いて、・・・これも大切な教育なんだ。

彼らは担任と一人ずつ握手して退場していき、卒業式はあっけなく終わってしまった。

・・・・で私はといえば、「六年間ねぇ~」とこの間の出来事を思っていた。

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雨の日風の日凍て付く日、私にも色々あったけど、

子供達だっていろんな思いをランドセルに詰め込んで六年間通ったんだ。

街頭に立つようになったのは、6年前に自治会連合会の役員を引き受けた事が契機だった。

その連合会でも幼稚園保育園の統合やら震災・防災対策、防潮堤募金などとあったし、

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それに何より多くの方々の知己を得たし、私のこの地域への実質的な登竜門でもあった。

そしてその連合会の役員も、この3月を持ってバトンを渡すことにした。

いやさ、街頭に立つことはこれまで同様続けるさね。

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まぁしかし、六年などと言うものは過ぎてみれば一時の夢の様なものである。

しかし、あのチッチャな一年生がこんなに大人びた中学生になるんだから素晴らしい。

その分私は馬齢を重ねたことになるが、世の中の新陳代謝とはそんなもんだろう。

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でも、私にとっては少しばかり感傷的な卒業式であった。

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2015年3月19日 (木)

未来を信じて

昨夜来の雨が降り続いていたが、今日は我が中学校の卒業式である。

庭の白木蓮の花が雨に濡れて散り始めていて、その下から立派な萌芽が覗いている。

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正に新たな脱皮をして巣立っていく今日の卒業生の様でもある。

さて卒業生にどんなはなむけの言葉が良かろうかと、今年は迷いに迷った。

それで少し早いのかも知れないと思いつつ、やはり人生について語りたかった。

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確かに15歳の彼らに「人生とは、何ぞや」などとは、どれ程通じるものかどうか。

それは古代の哲学者たち以来の永遠の課題だろうが、只はっきりしていることがある。

それはこの一瞬一瞬、一日また一日、そして一年一年の

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その積み重ねこそが人生だと言うことだ。

人世とは、何を積み重ねて来たのかが、その人の人生になるのであって、

何を学び、そして何を体験したかの集積だと言いかえることもできる。

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日々の勉強の積み重ね、部活に邁進する毎日であってもよい。

或いはコツコツと自分の得意なこと(笑顔でも気持ち良い挨拶でも)に磨きかけるのも良い。

それが自分の人生の未来を創っていくことになるんだ。

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だから青春の一時一時を大切にして、人生の一日一日をより有意義に重ねて行って、

素晴らしい人生を築かれんことを祈念すると申し上げて祝辞とした。

ともあれ、2クラス61名の卒業生は中高一貫で、ほとんどがそのまま隣の高校に進学する。

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そう言っては何だが、普通の公立中学卒業生よりも学力も含め一回りしっかりしていると思う。

今日も全員がきびきびとして、将来を頼もしく思えたのは私の身びいきだろうか。

因みに彼らの先輩達は、今年も東大や名大、早稲田・慶応、私立医学部等に合格している。

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目的をはっきりさせて一歩一歩努力すれば、それなりの事が出来ると言うことだ。

先週末、本校に突然エクザエルのAKIRAが訪れた。

臨時に体育館に集った在校生の前に突然彼が現れたから大きな驚きが広がった。

AKIRAもそうだがJリーグやプロ野球の選手なども含めて、卒業生も多士済々だ。

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そう、人生は決して迷路なんかじゃない。

自分が自分の足で、どのように歩いていくかで決まるんだ。

未来を信じて飛び立ち、この人生を大きく羽ばたいて欲しいと思う。

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2015年3月18日 (水)

ランと私

ランとは、もちろんランニングのランである。

このところ、年齢も関係しているのかどうか、決して快調な訳ではない。

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それでも先週は100k超の距離を走っているし、不調ながらも意欲だけは健在だ。

走るってことは決して楽なことじゃない。

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だけど走るってことは、動物としての私達の持っている本能だと思う。

獲物を捕るにしても外敵から逃げるにしても、先祖達は必死で走ってきたはずだ。

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それは子供達が走り回って遊んでいるのでも分かるし、そのこと自体が楽しいんだ。

ところで100kレースを一か月後に控えている。

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ウルトラは体を極限まで追い込まなければ完走できないレースだ。

満を持して臨んだ1月の宮古島100kでは、85kでリタイアを余儀なくされたばかりだ。

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その後のフォーム改造は、左足踵の骨折と右足の肉離れに繋がってしまった。

踵の骨折は3か月経過した今も痛みを伴っているのだが、それでも走り続けている。

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それで今夜のテーマは、一体私にとってランとは何なのかと言うことである。

ウルトラを走っていて60kを過ぎる辺りからは、苦しさを通り越して無心の状態になる。

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更に進むと足腰は棒の様になるし、着地の度に痛みを覚えて歩く誘惑が強くなる。

「なにくそッ」て気持ちと「もう、駄目だ」って言う自分の中での葛藤が続くんだ。

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そうして「何で、こんな苦しいことやってるんだ」と言う悔悟の気持ちと同時に、

「もう二度とやるもんか」と思うようにもなる。

ゴールまでの頭の中は「風呂に入って寝れるからな・・」ってしか考えていない。

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それでベットに倒れ込む時には、「もう、走らなくってよい」って安堵と解放感に満たされる。

それなのに、暫くして筋肉痛が収まると、不思議に次の挑戦を考えてしまうのである。

ウルトラはともかく、考えてみると私は苦しい時には走って気力を取り戻してきた。

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走ることで気持ちが晴れると言うか、何故か気持ちの転換が出来るのである。

あの箱根を走った金哲彦さんが、走ることで癌を克服したと書いている。

走ることで自らの免疫力を高めたのである。

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勿論私も多少の故障は押し退けて、動物の様に走ろうと思っている。

四本の足を使っているかのように腕(肩甲骨)を良く振って走るんだ。

一か月後のウルトラ100kは、私の再挑戦の試金石でもある。

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2015年3月17日 (火)

エイジフリーへ

日頃から私が走っている杣道は、ウバメガシ(姥目樫)に覆われた緑道である。

痩せ尾根の道だから保水力がなく、だからこそ乾燥に強いウバメガシだけが残ったのだ。

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ゴツゴツと奇怪に枝を伸ばしていて、杉やヒノキのスックとした姿とは程遠い。

成長が遅くて実に固い木になって、昔から備長炭の材として重宝されてきた。

それにしても「姥の目」と命名されているのが、何とも珍妙でユニークに感じる。

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樹の肌がガサゴソと老婆の目じりの様に皺がかっているからと説明されるが、

それでは何故「爺目樫」では駄目なのかと考えてもみる??

ともあれ、そのウバメガシに覆われた緑のトンネルがホームコースなのである。

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だから姥目に囲まれた異界を走っている訳で、こっちも爺だから丁度良い具合だが??

実は今夜はその「爺」に少しばかり異論を唱えたくって、書き始めたのである。

この国は、いよいよ本格的な世界に例のない高齢長寿社会に突入したと言われている。

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実際に日本人の平均寿命は男女ともに世界一位だ。

それに長寿を謳歌している国々はフランスやスイスなどで、押しなべて生活水準が高い。

長寿命は栄養や衛生、住居の向上、そして医療の充実のお蔭だし、それを支える経済の賜物だ。

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私の生まれた1947年の平均寿命は、なんと男50歳、女54歳だったんだから、

まさしく戦後の経済成長が今日の長寿を可能にしたのであって、慶賀すべきことだ。

だそれにもかかわらず、少子化とも相まって大変だ大変だの声ばかりである。

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そもそも、高齢者の定義が時代の変化を反映していない。

65歳以上を高齢者としたのは1956年の国連の報告書から始まるのだが、

当時(1955)の日本人の平均寿命は、男64歳、女68歳だったから、まぁ妥当な線だった。

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ところが今日、日本に限って言えば男79歳、女88歳になんなんとしているのである。

如何に何でも20年前後を「高齢者」として過ごすのは不自然ではないか。

制度的に高齢者を70以上もしくは75歳以上とすれば、困ることは何もなくなる。

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定年や 年金は70歳からとして、それが困難な人は福祉対象にすれば良いのだ。

社会の活力も湧くし、生甲斐が出来て各種の負担(医療費)だって少なくなるだろう。

いやいやこれは私の意見ではなく、山のウバメガシがそう言っていたという話である。

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2015年3月16日 (月)

至ってまとも

今夜も私ごとで恐縮だが、自分は極常識的で平凡な生き方をしてきたと思う。

否、「目立つな」とか「人の言う事を良く聞いて・・・」などと言われ続けて育ったから、

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とてものこと、破天荒だったり感性豊かな生き方なんて出来るはずもなかった。

言うならば、江戸時代からずっと続いてきた勤勉な農民のような「まとも」を目指していた。

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だから楽器も絵も駄目、歌は音痴だしスポーツも下手って訳で・・・・・

大向こう受けする様なパフォーマンスなんて出来るはずもない。

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今時の個性尊重の時代ならば「良いとこ無いじゃん」ってなことになりそうである。

それで今でも、野球や書の上手い人や創作家の皆さんには羨望の思いが強い。

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だが良く考えてみると、天性の感性なんてのは稀であって、大抵は環境で育てられる。

親がスポーツ好きならキャッチボール位は日常茶飯だし、

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日常的に音楽に溢れた家庭に育てば、自ずと音の世界に親しむようになる。

要するにどんな環境で育ったかであって、私に才能が無いのもドン百姓で育ったからだ?

まぁ言い訳は兎も角として、過去の経験や知識・出会いの蓄積が感性の源泉だ。

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だからして、いかに沢山のものを観て聴いて読んで行動するかが、

その人間の感性、つまり人間の幅になるのだろうと思う。

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それに、この「至ってまとも」と言う点については、日本人共通の資質かも知れない。

瑞穂の国として続いた長年の蓄積が、とっびた行動や発想を許容しなかったのだ。

そういう意味で、日本人は農耕民族だなぁって思う。

只例外があって、古くは中国の文明を素直に受け入れて来たし、

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明治維新後には欧米文化を、そして戦後は米国流をそのまんま受け入れてきた。

海外にルーツを持つ食文化(例えばカレーやラーメン)の様に、何時の間にか

この国なりのアレンジを施すのだが、いわゆる創造と言う点では突出したものはない。

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私もその一員として地味な人生を生きて来た訳で、この期に及んでやり直しも出来ない。

「至ってまとも」で結構じゃないかって開き直っている。

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2015年3月15日 (日)

こども園

あれから三年半、ついに私達地域の子供園が竣工した。

これに関わった一人として、感慨深いと言うその一言に尽きる。

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事の発端は4年前の3月11日、あの東日本を襲った津波である。

私の地域には公立の4幼稚園と1保育園があった。

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いずれも老朽化しているのだが、保育園は海岸から500m 程の波音の聞こえる所にある。

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三つの幼稚園は低湿地で川沿いに位置していた。

当然ながらあの大川小学校の悲劇が誰にでも想像できる立地なのである。

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震災から数か月を経ないうちに、幼稚園保育園では避難訓練が繰り返された。

園児を叱咤して走らせて2km程離れたビルまで避難させるのである。

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転倒して血を流す子供やら泣き出す子、それでも父兄共々懸命の避難訓練をした。

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そんな折、市当局から地元の合意を前提に安全な場所に4園を統合する案が示された。

実はその「地元の合意」が曲者で、そのとりまとめを自治会に任されたのである。

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実際にPTA役員や地元の古老などに同意を求めると、押しなべて難色を示すのである。

誰でも幼稚園や保育園は近くにあった方が良いと思っているのだ。

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「幼稚園が亡くなったら、誰も住まない所になってしまう」「海が近くても、環境は素晴らしい」

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「1幼稚園を残しての統合は反対だ。」「遠くまで子供をどう通わせるのか」などなどと、

自分の住む所はそのままと言うこともあって、予想外の反対意見の噴出であった。

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それでも薄氷を踏む思いながら関係者のそれぞれを回って同意を取り付けていった。

最後まで渋っていたT浜地区のPTAも、自治会役員全員の説得で同意となった。

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それが大震災の年の秋口だった。

それから用地買収、埋め立て・設計・建設へと一瀉千里に進んで3年で16億円余の工事が終わったのである。

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広々とした敷地の中に幾つもの教室が広がり、小さな小さなトイレのオマルも沢山。

ともかく最速で最新鋭の幼保育園が出来上がったのである。

今日の式典では市長の隣に座って、少々晴れがましい気持ちで当時を思い出していた。

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ことだ市長の腹構え、そして地域の一致した盛り上げが無ければ、とてものこと成就できなかっただろう。

市長と「良い、思い出が出来ました」と思い入れ深く語り合ったのである。

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2015年3月14日 (土)

前を向いてみる

人は胸を張って前を見つめているつもりであっても、案外足元を見ていることが多い。

痛む所があれば、もうそれだけで神経はその局所に集中しているし、

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少しのトラブルがあっただけで頭の中はそのことでで一杯になってしまう。

「いいや、そんなことはない」と言いたいのだが、現実は自分の脈拍や体温が基準だ。

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心臓の鼓動テンポが速さの、そして体温が暑い寒いの基準になって物事を感じている。

今日も半日、いつもの山の中を走ったのだが、やはりうつむき加減で走っていた。

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木の根や石がゴツゴツと出ていて、躓いて怪我するのが怖いのだ。

もう20年も走っているからそれが習性となって、私はいつもうつむき加減で走るらしい。

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それで今年に入ってから、この形を変えようと色々と試行錯誤している。

それが今日、新鮮な驚きを伴って眼前に立体映像が広がったのである。

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景色は何時も走るウバメガシの杣道なのに、これが生き生きとしたパノラマになった。

一歩前に出ればそれだけ景色が変わって、3Dの映像の中を走っている感覚で迫ってくる。

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それに次々と移り変わって行く木々の一本一本が、「俺だって頑張って生きてんだ。」って、

或いは「やっと、気付いたのかよ~」と語りかけてくるんだ。

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私は一体全体、この20数年間何を見ながら走っていたんだろうか?

毎日のように見慣れた景色でさえ六すっぼ見ていなかったのである。

事ほど左様に、これまで馬車馬の様に走ってきて、

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人生の諸々をどれ程直視することが出来ているだろうかと不安になった。

机上であれこれと思い悩んでいなかったか、安直な道を求めるあまり何かを忘れていなかったか、

自分の主張を大切にして貴重な助言を無視していなかったか…などなどである。

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ともあれ、視線を杣道の向こうに向けるだけで景色は一変するのである。

人世の道筋の向こうに視線を向ければ、その先に何が見えてくるだろうか。

何だかウバメガシ達が、「おぃ、やっと気付いたのか」と言っている様な気がした。

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2015年3月13日 (金)

人世は積み重ね

自分探しや死生観、何の為に生きるのかなどと、この種のセミナーが賑わっている。

確かに「自分は何故、こんな事に苦労しなきゃならんのか?」と思うことも多いし、

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人に裏切られることだって日常茶飯だから、「何故、生きるのか?。」って思うのも当然だ。

そんなこんな迷いながら生きているんだけど、だけど現実は一つしかない。

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「今、こうやって生きている」って言う現実さ。

くよくよしていても一生、笑って過ごしても一生、一歩一歩前進するのも一生なんだ。

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最近思うのは、一瞬また一瞬、一日また一日、一年また一年、

その積み重ねが人生そのものなんだってことだ。

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そう言う意味じゃ「人生とは、何ぞや」何て考えるまでもなく、この瞬間なんだと言うことになる。

子供の頃どんな毎日を過ごしてきたか、職場ではどんな姿勢で取り組んだか、

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家庭の一日一日をどれほど大切にできただろうか・・・・などなどが今日の自分なんだ。

人は誰も、日記の一ページのように人生の毎日を費消している。

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一年たってどれ程の日記になったのか、10年過ぎて何ほどの年輪が出来たのか。

それが人生の現実なのだろう。

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これまで随分生きてきて、その程度の事がやっと分かりかけている。

若い中学生や高校生に「人生は積み重ねだ」と言っても、果たして伝わるのかどうか。

例えば、毎日「笑顔や挨拶」を磨き続けたとする。

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あぁこの子は笑顔が、挨拶が素晴らしいと思われれば、それだけで生きられる。

挨拶がそして笑顔が人をホッとさせることで、その人の存在は十分に価値あるからだ。

それはそれで良いのだが、はて私は人の為に何ほどの価値があるのだろうか?

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このキャラで大それたことなど出来る訳もなく、それでも生きようとしている。

そうさな、小さなことの積み重ねでも出来ることはやって生きよう!!

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毎日毎日、後悔することも多いけど、めげずに生きることが大切さ。

そうしてそんなこんな全部の積み重ねが、あんたの人生さね。

ご同輩諸兄よ、今日只今の姿がお互いの人生なんですぞ。

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2015年3月12日 (木)

腹構え

とかく人は弱い存在で、人生の岐路に立つと何時もその選択に躊躇するものだ。

私なども右顧左眄、周りの皆さんの動きを観察していることが多かった。

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腹が定まっていないと言うか、信念や覚悟がないから迷うのである。

この6年、自治会連合会の役員を務めて思ったのは、指導者は迷っちゃいかんと言うことだ。

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この点長年会長を務めてきたS会長は、一旦言い出したら梃でも前言を翻さない。

一見強情の様だが、それはとことん考えて「これで行こう」って腹を定めていたからだ。

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組織の責任者が付和雷同の皆さんの意見を聞いて、「それでは、こうしましょう」じゃ駄目だ。

その人物の軽重は、実はその人の腹構えで決まるのである。

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これは人の一生に関しても当てはまることで、自分の目標が定かでないから迷うのである。

とは言え、その目標を定めかねていることだって多いのが現実だ。

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私だって迷って迷って迷走しながらここまで来たが、最近では開き直ることが多くなった。

それで腹を固めるのは、大抵が夜寝ている時なんだ。

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「この先、こうしよう。」何て事を夢うつつに考えていて、朝には腹が固まっているって感じ。

誰でもそうだが、出処進退を決めるなんてのは誰でもあれこれ迷うものだ。

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しかし腹を固めると、これがスキッとするのである。

話は一転するのだが、このところの怪我続きで少々滅入っていた。

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左足かかとの骨折、続く右足の肉離れ、そして先日の転倒の怪我である。

来月に控えた100kが「到底無理」と思い始め、迷い始めていたのである。

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それが今日、山を走りながら腹が固まった思いがした。

それは、あくまでも自然体で走ろうと思い定めて事だった。

何も無理をすることはない。

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今日ただいまの自分を精一杯表現して、それで駄目ならそれも良し。

目標を達成できれば、その時は自分にご褒美を上げようってね。

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人には誰しも、秘めた決意ってものがあると良い。

それは走るってことに限らず、人生全般に亘むことであって、その腹構えが人生を創る。

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2015年3月11日 (水)

大学より少学を

人生はコツコツがコツだと、最近ではますますそう得心するようになっている。

卑近な例で恐縮だが、毎日300円の貯蓄を続けたとすると一年では僅か10万円余円だが、

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30年なら330万円程になって、貯蓄方法如何で500万円は優に上回るなるのではないか。

先日のOさんの講義で「大学より少学を、少学は大学となる。」と教えられた。

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経営コンサルタントのOさんは、その日の「何か一つ」を自分の栄養にするよう努めてきた。

例えば誰かの話に感心すると、それを自分なりに咀嚼して自分の語録にする。

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本や新聞を読んでも訪問先でも常にそんな意識を研ぎ澄ませて生活してきたと言う。

而して彼のネット上に登録された語録はドンドン積みあがって、既に700に喃々としている。

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語録は退蔵するのではなく、常にリニューアルしていくことで自分の財産にしてきたらしい。

学生時代の試験前の一夜漬けのように、一気に多くを学ぼうとしても身には付かない。

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それよりも少しずつ継続して学び続けることが、人生を豊かにしてくれると言うのである。

ともあれ、言うは易くして行い難しなのであるが、心掛け次第では可能になるだろう。

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私のコツコツは、このブログで言えば今夜で3237日目の書き込みである。

書きっぱなしでさっぱり財産にはなっていないが、まぁ~ボケ防止くらいにはなるだろう。

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ところで先日は、久しぶりに第87回めだかの学校に出席したのである。

おもしろ人立「めだかの学校」は年に4回の開校だから、この集まりは既に22年になる。

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誰が生徒か先生か・・・と、この22年の間に集まる人達も随分と入れ替わったし、

発起人だった4名のうち2名が既に故人となっている。Img_0024

今回も給食の時間に続いて校長の訓話があり、OさんとM女子の授業があった。

ここに集まってくる人達は、それぞれ何かを探し続けている人達でもある。Img_0025

校長・教頭も教師・用務員も毎回入れ替わりで担当するのだが、その人柄が表出する。

その人柄を見るだけでも面白く、今回の学校もアッと言う間に終わってしまった。Img_0026

三ヶ月に一度のこの会でしかお会いできない人も多い。

人と人はみんな違った環境で生きていて、だからこそ互いに学びたいと思っているんだ。Img_0027_2

少学で大いに結構ではないか。

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2015年3月10日 (火)

城ヶ崎から伊東へ

マラニック二日目の朝もどんよりと曇って、海からの強い東風が吹いていた。

この日は稲鳥から伊豆急で伊豆高原駅に移動し、Img_0119

伊豆高原駅から海岸沿いを縫うように辿りつつ伊東に向かうのである。

稲取駅へ途中港では朝市が開かれていて、金目汁を無料で戴いたりもした。Img_0124

稲取はかつて石の切出し場だったらしく、あちこちに運び出そうとした巨石が残っている。

江戸築城に際して各藩が競ってここから江戸まで運んだのである。Img_0125

駅前には、10人程で引っ張らないと動かない大きな石がコロの上にあった。Img_0126

この一帯の海岸は大室山の噴火で流出した溶岩で出来ていて、

溶岩が冷やされて出来た柱状節理や波の侵食で生まれた数々の絶壁が続いている。Img_0129

そのゴツゴツとした溶岩流の上に細い「自然研究路」が出来ていて、

あちこちに突出している岩に気を付けつつ、登ったり下ったりしながら走っていく。Img_0130

正にユネスコの自然遺産としての伊豆ジオパークの代表的な自然・地形の只中である。

岩の上にはヒメユズリハをはじめヤマモモの巨木などが密集している。

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海岸を覗くと、そこには極めて男性的な千変万化に岩の巨立した岬が続いている。

伊豆半島独特の荒くれた三崎が幾重にも重なっていく。

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そのそれぞれの三崎にはいがいが根、まえかど、もずかね、しんのり等の

ちょつと変わった名が付けられている。

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この地域は昔からボラ漁が盛んで、その江戸時代からのボラ漁の漁師が名付けたものだという。

岬の名は、ボラの漁場を示すのに必要だったのだろう。

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何とも荒々しく爽快な景色の中を進んで行くのだが、

景色に気取られていたのか、岩に足を取られて転倒してしまった。

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しかも2度も転倒したのである。

その二度目の転倒で、草に隠れていた岩に顔面をぶっつけて血を流す羽目になった。

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ともあれ怪我も何のその、

気を取り直してなお進むと、まないた岩に続いて蓮着寺に至る。

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「立正安国論」を著した日蓮が鎌倉幕府によって流されたのが「まないた岩」

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後に日蓮の法難にちなんで小田原北条氏によって造営されたのが蓮着寺である。

蓮着寺から先に少し走ると城ヶ崎海岸を中心としたピクニカルコースへと入る。

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ここは、かなりの数の観光客が入って来る景勝地である。

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城ヶ崎は「城ヶ崎ブルース」に歌われた自殺の名所でもあるのだが、Img_0146

実は私はこの歌を「城ヶ島の雨」と勘違いして記憶してしまっていた。

「雨はふるふる城ヶ島の磯に 利休鼠が・・・・」と歌われる白秋の歌である。

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城ヶ崎の「利休鼠」が何故歌になるのかと、かねてから不思議に思っていたのだが、

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これは「利休ネズ」と言う色のことらしく、磯の侘しさを表現したものらしいと分かった。

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いずれにしてもこの歌は三浦半島の城ヶ島の歌であって、城ヶ崎ではなかったのだ。

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ともあれこのピクニカルコースはまだまだ続いて、漁師の「ぼら納屋」で終わる。

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そこからは舗装道路になって、富戸漁港を経て川奈から伊東へ20kの走旅である。

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途中、海岸に沿って広大に広がる川奈ゴルフコースぞいに進み川奈崎に立寄らねばならない。

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ところがこの川奈崎への道は、道なき道でやっとのことで辿り着く羽目になった。

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川奈崎はゴルフコースの最北端に位置していて、立ち入りできず、

遠回りして灯台に至ったのである。

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ここからは本道に戻って、一路「道の駅マリンタウン」に向かって走る。

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そして二日間の最終ゴールは、遥かに見える半島の更に向こう側である。

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ともかく14時半には道の駅に到着し、後はゆっくりと湯に入って疲れを癒すことが出来た。

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旅情に加えて変化に富んだコースで、たっぷりとマラニックを楽しんだ二日間となった。

しかし、この顔面の怪我は、家に帰って如何説明したものか??

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2015年3月 9日 (月)

湯ヶ野から河津へ

福田屋のある湯ヶ野に近づくに従って、桜がそこここで艶を競うように咲いている。

梨本から南は、景色を眺める限りもうすっかり春なのである。

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その桜樹の下を河津川に沿って走っていく。

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「伊豆の踊り子」のクライマックスは、やはり湯ヶ野の二日間だろう。

福田屋に投宿した夜は激しい雨になって、そこに踊り子の打つ太鼓の音が聞こえて来る。

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それで芸人達が宿と向かい合った料理屋の座敷に呼ばれているのが分かるのだが、

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それをじっと聞き耳を立てている「私」は気が気ではない。

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「太鼓の音が聞こえる度に胸がほうと明るんだ。・・・太鼓が止むとたまらなかった。

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雨の音の底に私は沈み込んでしまった。・・・乱れた足音が暫らく続いた。そして

ぴたと静まり返ってしまった。私は目を光らせた。この静けさが何であるか・・・・」

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翌朝男に誘われて湯に行くと、向かいの湯にあいつらが来ていますと教えられる。

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「私は川向こうの共同湯の方を見た。湯気の中に七八人の裸体がぼんやり浮かんでいた。

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突然裸の女が走り出して来たかと思うと、・・川岸へ飛び降りそうな格好で立ち、

両手を一ぱいに伸ばして何か叫んでいる。手拭もない真裸だ。それが踊り子だった。」

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川端独特の短い文章の続くこの表現は、心の情景をも鮮明に浮かび上がらせる。

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今は文学館になっている福田屋から川向こうを眺めながら、そんな情景を思い浮かべた。

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踊り子一行はこの湯ヶ野から下田街道に向かうのだが、私達は河津を目指して走る。

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暫らく進むと河津川沿いの両岸はもう桜の花が溢れ返って咲いている。

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そして幾分水かさを増した河津川は晴れ間の暖光を受けて、瀬音を高く響かせている。

清流に満開の桜、そして堤防には菜の花が咲くのだから、これはもう春爛漫の景色だ。

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河津の町が近づくに従って花見客が増えて、走ることも出来なくなる。

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その花見会場の中央付近で折り良く「踊り子」と出会った。

ともあれ一時はマラニックをも忘れて、すっかり花見を楽しんでしまったのである。

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しかしながら今夜の宿は稲取だから、河津からなお10k余を走らなければならない。

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東海岸に出ると、俄かに冬に戻ったように強く冷たい海風が吹いていて、

今夜の温泉をひたすら求めて一目散のラストランになったのである。

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その後はゆっくりと湯に浸かって、みんなで和やかな宴席となったのは言うまでもない。

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2015年3月 8日 (日)

旅は道連れ

三島駅に集まったのは、栃木や東京からの方も含め16人であった。

三島からは伊豆箱根鉄道で修善寺に、そしてバスで天城の水生地下から走り始める。

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それこそつづら折りの道を少し登ると「伊豆の踊子文学碑」がある。

小説の冒頭部分が彫られていて、いよいよここからが青春のドラマへの入口かと思う。Img_0059

ここで水上さんが一句「九十九折、今じゃランシューで駆け抜ける」

天城トンネルまではかなり登って行かねばならない。Img_0060

昨年は道の両側にはゆきがずっしりと積もっていたのだけど、Img_0061

今回はうっすらと白いものが見える程度だ。Img_0062

気温は2度程度で立ち止まるとたちまち寒くなる。Img_0063

やはり天城さんの山頂近くまで登って来たのだからと納得しているとトンネルの入り口である。Img_0065

明治の頃にはこの入口に茶屋があって、そこで踊子と私の心の触れ合いが始まるのである。Img_0066

トンネルそのものは、明治38年に総工費10万円余を投じて開通したとある。Img_0067

その後この場所は、プラトニックな心中事件の場にもなったりしたところだ。Img_0068

暗いトンネルに入ると、川端の当時と同様に「冷たい雫がぽたぽたと落ちていた」Img_0069

そして、「南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた」Img_0070

とっても冷たくって手もかじかんでいたのだが、気分は不思議なもので南国を思った。Img_0071

小説にも「湯が野までは河津川の渓谷に沿うて三里余りの下りだった。Img_0072

峠を越えてからは、山や空の色までが南国らしく感じられた」とある。

天気は時に小雨交じりの曇り空だけど、峠を越えたとたんに桜が咲いているのである。Img_0073

まさに100年近く前、踊り子一行が辿った河津川沿いの杣道を走っていく。Img_0074

路は落ち葉がぬれて滑り易く、昨日来の雨で水嵩を増した水音と共に進む。

あちこちにワサビ田佗あって、この地域独特の風情を醸し出している。

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二階滝を過ぎて宗太郎の杉並木(明治の造林)を走り抜けると初景滝に至る。Img_0076

そこには「伊豆の踊子と私」の像があって、中国人観光客であふれていた。Img_0077

河津七滝を堪能しつつ下って、梨本でお昼を戴くことになった。Img_0079

ここでは勿論、名物のワサビ丼を戴いた。

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ご飯におかか、その上にワサビがタップリ乗ったシンプルなものだけど、

これがピリッと快く意外に旨いんだ。

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梨本から湯が野までは2km程下った所だろうか。

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「私」は湯が野に二泊しているのだが、逗留先は「福田屋」だった。

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その福田屋からが昨日記した心の振れ、そして翌朝の対岸の共同浴場の場面になる。

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その福田屋が今日なお現存しているのである。

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とまれ、そんな風情を堪能しつつ私達は走り下っている。

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続きは、明日にしようか・・・・・・・。

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2015年3月 7日 (土)

抒情

川端康成の「伊豆の踊子」を読んでいる。

もう何度目だろうか、それに吉永小百合の踊子(映画)も昔観たことがある。

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かつては単なる短編小説だろうくらいにしか考えていなかった。

だけど何度か読むうちに、色彩がいよいよ鮮明になっていく不思議さを感じている。

小説は「道がつづら折になって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が・・」と始まる。

峠の茶屋で踊子一行に再会しつつ凛々しい顔の踊子に思いを傾けるのだが、

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20歳の私は胸騒ぎばかりで先発する一行を素直に追うこともできない。

それでも後を追いかけながら「暗いトンネルに入ると、冷たい雫がぽたぽたと落ちていた。

南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた。」と逸る気持ちを表現している。

やっと追いついて「湯が野までは河津川の渓谷に沿うて三里余りの下りだった。」と記し、

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その三里を連れの男と他愛もない話をしながら下って行くのである。

湯が野で一行と一緒の宿に上がると、踊り子が下から茶を運んでくる。

「私の前に座ると、真紅になりながら手をぶるぶる振わせるので茶碗が・・・・

まぁ! 厭らしい。この子は色気づいたんだよ。と四十女が呆れ・・・」と、そこで私の妄想が消えて我に戻るのである。

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そしてその夜、向かいの料理屋に宴席があって、その宴の音が聞こえてくる。

私はじっとその音を聞いているのだが「そして、ぴたりと静まり返ってしまった。

私は目を光らせた。この静けさが何であるかを闇を通して見ようとした。

踊子の今夜が汚れるのであろうかと悩ましかった。」

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露天風呂風呂に入って、川向こうの共同湯に裸の踊り子を見たのは翌朝だった。

「両手をいっぱいに伸ばして何かを叫んでいる。手拭もない真裸だ。それが踊子だった。

若桐のように足の良く伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、

ほうっと深い息を吐いてから、・・・・・」子供なんだと得心するのである。

下田街道沿いのところどころの「村の入り口に立札があった。物乞い旅芸人 村に入るべからず。」

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二十歳の一高に通うぼんぼんと物乞い同然の旅芸人とでは、余りに格差があり過ぎた。

それでも淡い恋心は万人共通のものである。

伊豆の山々をその淡い色合いに染めたのが小説「伊豆の踊子」だった。

ともあれ今日は、その踊り子達が辿ったであろう山中の小道を走ってきた。

少し長くなったので今夜はこれくらいにして、詳しくは明日書くことにしよう。

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2015年3月 6日 (金)

老年を生きる

昨日の続きである。

私達は他の生物と同じ様に、生まれて成長し、老いてやがて死んでいく。

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だけど人間が他の生物と決定的に違うのは、子供の時期と老年が極めて永いことだ。

大抵の生物の一生は、基本的に生殖期で終わることになっている。

傷だらけになりながら川を遡上して産卵し、終わると同時に死んでいくサケの様なものだ。

ところが人間は、生殖能力が無くなっても、それでも延々と生き続けるのである。

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定年とされる年齢を超えて30年前後も、一体全体何故生きるんだろうか?

年金や医療が大変になるとか、社会の活力が減るとか、邪魔者のように言われているが、

長寿は生産活動に余裕が出来て、人類のやっと成し遂げた到達点なんじゃないか。

生産や生殖から開放されて、生物的には一見余分と思われる期間だが、

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実はこれは人間の人間らしさを実現させる重要な時期なんではないか。

思えば生活の為とは言え、長い時間ベルトコンベアの前に拘束され、声をからしたり、

営業の毎日だったり、緊張に次ぐ緊張の時間を通り過ぎて、やっと手にした安息である。

もう既に次世代は独立してそれなりの歩みをはじめている。

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これを余生として死をひたすら待つのだとしたら、余りにも勿体無いというべきだろう。

かつて出来なかった趣味の世界へと足を踏み入れ、思いっきり遊ぶべきなんだ。

葡萄の様な果樹や野菜を育てる営みは、或いは自分の命のリズムを拝復する営みでもある。

ボランティアとしての子供達との交わりも、その為に生きているのだと思うことがある。Img_0005

時間だってゆったりと流れるし、これこそが老年の新たな価値ではなかろうか。

そう言えばこんな感覚は、欧米の先進国では早くから実現していたような気がする。

長寿成熟社会は、老年代の充実があってこそ初めて生まれるのだと思う。

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2015年3月 5日 (木)

色即是空

近頃、「死生観」などと言う言葉をあちこちで見かけるようになった。

死亡者急増時代を前にしての一種のブームなのかも知れない。

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それで「俺も、自分の死生観を考えてみよう」ってな気になっている。

死生観と言うものは、育った時代によって大きく変わるものらしい。

江戸時代の葉隠には「武士道と言うは死ぬ事と見付けたり」とあって、

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如何に立派に死ぬかが生きる姿として考えられてきた。

そして戦前までの日本人は、多分にその江戸期の影響を引きずって、

戦争中は極端だったとしても、とにかく死ぬ事ばかりを考えてきたようだ。

私の母などもそうだが、素朴な感覚として「死んだら土に還る」と言う意識を持っている。Img_0013

昔は野焼きが一般的だったし、自分の親達をそうやって野に送って来たからだろうか。

ところが私達(団塊前後)の世代の人間は、かなり違ってきている。

私もそうだが、戦後の物不足を経てその後の経済成長期を駆け抜けて来ているから、

豊かさの実現こそが生きる事だし、ゴールは要するに「無」になる事だと割り切ってきた。Img_0014

車や最新鋭の家電を得ることが、それ自体大変な輝きを持っていたからね。

だから戦前の人達と違って、あまり「死」なんてことを考えることなく生きて来られたんだ。

そしてその私も含む彼らが、どんどん死んでいく時代がこれからの20年あまりである。

生の充実こそがすべてと割り切ってきた世代だが、正直な所「無」の境地など分からない。

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只、全て動かなくなって灰になったら、単なる無機物になるって理解しかない。

それまでに、出来ることをやっておこうってね。

実は、死生観を考える上では、貧乏を経験した世代は幸せな世代だ。

私達の次の世代にはその経験は無く、物が溢れ返った中で生活してきたから、

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豊かさは当たり前であって、それを求めることが生きるモチベーションに成りようもない。

言葉を変えれば、生きる意味を見つけるのが大変ってことで、

結果として結婚しない人々の増加や極端な少子化に繋がっているのかも知れない。

まぁこのことについては、今後ゆっくりと考えてみようと思っている。

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2015年3月 4日 (水)

ささやかな良き人世

雨上がりの朝、春の気配を探しに何時もの山に出かけた。

未だ覚束ない脚を馴らしつつゆっくりと走ると、幾分湿った広葉樹の葉がキラキラと輝く。

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樹間を差し込む光はもう春の日差しで、そこここで鶯が鳴き交わしている。

春に誘われて恋人を求めるのか、鳴き声までが艶っぽく響いてくるんだ。

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ウルトラ(富士五湖)まで1ヵ月半しかないが、なに焦ることはない。

マイペースで粛々とアップすれば良いのであって、結果はその時の事だと思い定めている。

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人生は目標に向かっての飽くなき挑戦なんだが、一方でこの人生を楽しまねばなるまい。

五感をフル稼働させて、この限りある人生を味わい尽くす事も私達の使命だ。

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観るべきものを見、味わうべきものを味わい、学ぶべきものを学び、そして考える。

「人間は考える葦である」とパスカルが言ったように、考えてこその人間だ。

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猿だって歩くし、手を使い笑う動物だって結構数多い。

喋るってことだって、特定の動物間での意思疎通はされているようだ。

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考えるってことは悩ましいことでもあるが、やはり人間らしい行為だと思う。

私もブドウやホウレン草などを栽培し、毎朝子供達を見送りながらささやかに考えている。

地域や学校で起こる様々な事象に関しても、自分なりに感じ考えている。

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精一杯考えたとしてもこの人生、自分の出来る事なんてタカが知れている。

今日の午後は、市のこども憲章策定委員会があった。

この時代、人々の行動を規制するなんてことはタブーだから、ひたすら呼びかける他ない。

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命の大切さやお互いを尊重すること、感謝すること、礼節ってこともあるよね。

夢を持って挑戦するってことや自分の可能性を信じることも必要さ。

大人も子供も関係なく必要なことだ。

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そんなこんな、毎日書いているこのブログの様にとりとめもないが、

そんなささやかで精一杯の人生が、「これで良いか」って少し気に入るようになっている。

少しは、自分の人生を認めてやろうって気分だ。

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2015年3月 3日 (火)

やよ励めよ

今朝は、我が家の河津桜が満開になった。

雨予報にも関わらず当分降りそうな気配も無く、今日は晴れて高校の卒業式である。

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巣立っていくのは252名で、体育館には在校生・父兄併せて千名余が詰めかけている。

幾分緊張気味の卒業生が入場して粛々と式典は進み、

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中でも在校生の送辞とそれに卒業生代表の答辞が秀逸であったろうか。

式歌と校歌斉唱まで1時間半、あっけない程の時間で卒業式は終わってしまった。

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実は前日の卒業を前にした表彰式で、「こうやって明日は、皆さんは卒業して行くんだ・・」

って話しかけたこともあって、何だかもう少し余韻を残したい気分が残ったのである。

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しかし何事もそうであるように、

高校の3年間だって過ぎてみれば瞬く間程の時間に過ぎないのだ。

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そしてその余韻こそが、人生の一種の味わいなのかも知れない。

明日から彼らの前に次々と現れる壁を思えば、

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高校時代は、既に過ぎ去った出来事の蜃気楼なのである。

言うならば人生は、自分の眼前の壁にどう立ち向かうかだと言っても過言ではない。

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進学や就職、結婚や仕事は勿論の事、様々な場面で自分の壁に突き当たる。

ただ、些細なハザードに怯んでいたら、人生はそれなりのもので終わってしまう。

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それに壁なんてものは、大抵が自分自身が作っ(仮想し)てしまうものであって、

見方を変えれば意外と越えて行けるものなのである。

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そういう意味で「困ったなぁ~」って時には、簡単に諦めずに壁の前をウロウロと

行ったり来たりして見ることが大切だとお話しさせていただいた。

それから私の信条としている「継続は力」ってことも伝えたかった。

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足を故障したとは言え、依然として100kを走る力を保持し続けている(と思っている)。

それはただただ、継続的にトレーニングを積んできたからに他ならない。

私達の人生も同じで、目標に向かってコツコツ努力して、

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そうしてその目標を一つ一つクリアーして行けば良いのである。

若い諸君に、「今こそ分かれめ やよ励めよ」とエールを送り続けたいと思う。

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2015年3月 2日 (月)

絶学無憂

古代中国は周時代の老子の言葉である。

「余分な知識を求めるなんてしなけりゃ心配も生まれないと言う意味だ。

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つまり、知識を得ることが人間に不幸をもたらすと言うのである。

実は先日の囲炉裏端談義でのやり取りを思い出している。

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話の端緒は近世の経済的発展がむしろ不幸を生み出しているって事だったろうか。

全体としては豊かになったのに、常にプアー感や格差問題、不満を増幅している。

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果たして経済成長が人々の幸福を生み出さないのではないかと言う話だった。

ブータンの国民幸福度が最近にになって揺らいでいるという。

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実はブータンと言う山国は極めて情報が少ない所で、人々が助け合って生きていた。

保育園も老人ホームも存在せず、大家族或いは近所の人々が面倒を見るのだ。

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言うならば日本の江戸時代のように、貧しいけれども赤貧の無い社会だ。

ところが近年のブータンにはTVや携帯電話が入り、次々と「近代商品」が必要になった。

富の格差が生まれ、国民全体の幸福度は急速に失われつつあるらしい。

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かつて共産主義が跋扈して世界を二分して対立する時代が続いた。

マルクス・レーニンの仮説を信じたばかりに、

100年余に亘って無尽蔵の対立と殺戮を伴った悲劇を生み出した。

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今になって考えれば、そんな架空の理想郷〔共産社会〕という情報が無ければ、

知識人も労働者も何ほど幸福だったか計り知れない。

今日只今だって、中東やアフリカの革命や解放闘争、宗教ドグマが、

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無尽蔵の悲惨や抑圧を生み出していることを考えれば、下手な知識は無いほうが良い。

私達は今、インターネットを通じて様々な事件〔殺人場面さえ〕や情報を得る事が出来る。

確かに便利といえば便利なのだが、片や不幸福を増幅させているのかも知れない。

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とは言え、未知なものに対する私達の好奇心は一種の宿命でもある。

ただ、知識が私達を幸福にするとは限らないって事を知っておいた方が良さそうだ。

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2015年3月 1日 (日)

何とか完走

第2回静岡マラソンは昨年に続いて雨の大会になった。

それでも全国から1万2千人がエントリーしている静岡県最大の大会である。

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その1万2千と言う数に心惹かれる部分があったのだが、何と私はGグループスタート。

ほとんど最後尾からと指定されていて、スタートの合図があっても列は微動だにしない。

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スタートラインに到達したのは7分後だった。

それもペースはゆっくりだし中々前に進まなかったのだが、私にはそれが有難かった。

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月曜に肉離れから間もないから、右足脹脛には丁寧にテーピングしていた。

テープの効果でぴっこは引かなかったが、やはり違和感と少々の痛みを伴っていた。

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兎に角慎重に走るしかないし、途中リタイアも想定していたのである。

しかしペースこそ遅いが浅間大社前を通過し、駿府公園を一周する辺りから順調になった。

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やがて駿河湾沿いの三保街道に出ると、雨に加えて冷たい風が吹き付けてくる。

この三保街道を一往復半するのだが、このコースは多分ホノルルマラソンを意識している。

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富士の雄姿や久能山・伊豆半島の山並みをたっぷりと堪能できるように設定されている。

しかしこの雨じゃ、ただただ寒いだけで何も見えやしない。

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その雨の中を依然としてスローペースで最終組近くを走っていた。

途中幾つかの関門があって、後ろの方の組が次々とカットされていく位置である。

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足に特別な変調はないのだか体が傾いて重く、一向にスピードが出せないのである。

やはり最初の元気なうちに距離を稼いでおく必要があったのだが、悔いても詮無い。

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しかしながら、ここまで来たら何としても完走したい一念であった。

指先が氷のように冷たくなって、全く感覚がなくなっていた。

たかがフルマラソンなのに、相当の疲労も感じだしていた。

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それでも清水の街に入って、やがて港のタワーが見えてくると、少しは元気が出た。

ゴールゲートがかなり遠く感じられたが、5時間20分44秒でのゴールである。

総合順位は何と7975位と言う途方もない新記録である。

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しかしまあ、この足で良く走ったと自分を褒めてやったのである。

いゃあ~、今日は近年にない疲れである。

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