人世は積み重ね
自分探しや死生観、何の為に生きるのかなどと、この種のセミナーが賑わっている。
確かに「自分は何故、こんな事に苦労しなきゃならんのか?」と思うことも多いし、
人に裏切られることだって日常茶飯だから、「何故、生きるのか?。」って思うのも当然だ。
そんなこんな迷いながら生きているんだけど、だけど現実は一つしかない。
「今、こうやって生きている」って言う現実さ。
くよくよしていても一生、笑って過ごしても一生、一歩一歩前進するのも一生なんだ。
最近思うのは、一瞬また一瞬、一日また一日、一年また一年、
その積み重ねが人生そのものなんだってことだ。
そう言う意味じゃ「人生とは、何ぞや」何て考えるまでもなく、この瞬間なんだと言うことになる。
子供の頃どんな毎日を過ごしてきたか、職場ではどんな姿勢で取り組んだか、
家庭の一日一日をどれほど大切にできただろうか・・・・などなどが今日の自分なんだ。
人は誰も、日記の一ページのように人生の毎日を費消している。
一年たってどれ程の日記になったのか、10年過ぎて何ほどの年輪が出来たのか。
それが人生の現実なのだろう。
これまで随分生きてきて、その程度の事がやっと分かりかけている。
若い中学生や高校生に「人生は積み重ねだ」と言っても、果たして伝わるのかどうか。
例えば、毎日「笑顔や挨拶」を磨き続けたとする。
あぁこの子は笑顔が、挨拶が素晴らしいと思われれば、それだけで生きられる。
挨拶がそして笑顔が人をホッとさせることで、その人の存在は十分に価値あるからだ。
それはそれで良いのだが、はて私は人の為に何ほどの価値があるのだろうか?
このキャラで大それたことなど出来る訳もなく、それでも生きようとしている。
そうさな、小さなことの積み重ねでも出来ることはやって生きよう!!
毎日毎日、後悔することも多いけど、めげずに生きることが大切さ。
そうしてそんなこんな全部の積み重ねが、あんたの人生さね。
ご同輩諸兄よ、今日只今の姿がお互いの人生なんですぞ。
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コメント
相田みつをさんのことばに
いまここ自分
その
合計が一生・・・と
投稿: ヒロボー | 2015年3月14日 (土) 08時55分