人世の時間
毎日右へ左へと動き回りながらも、今では気分的にかなり自由な時間を過ごしている。
現役時代には二十日間の有給休暇があったが、これを消化したことなど一度もなかった。
忌引きなどで年に2~3日休むことはあったが、ずる休みは罪悪って考えていたのだ。
だからやたら有給休暇を取る人間を、「あぁ~その程度の人間か」などと査定さえしていた。
今日の労働現場の価値観とは相いれないのだろうが、少なくとも私の価値観はそうだった。
余暇は個人の時間で勤務は公のものだから、勤めている以上は当たり前だろうってね。
それに当時は、休暇を取って過ごすほどの「余暇」がなかったこともある。
皆が仕事しているのに、一人家の中で閉塞なんて出来ないって感覚だ。
ともあれ、使い残した長大な有給休暇は全て勤め先に献上してきた。
この点、ヨーロッパ諸国ではバカンスのために一気に休暇を使っている。
北欧の国々の人たちは、日光を求めて南欧などに民族移動程の動きをする。
それにクラインガルデンなどでの休暇も含めて、多彩な休暇スポーツがある。
ヨットやサイクリング、各種サロンなどと、人生を謳歌するツールが多彩に準備されているのだ。
そもそも労働は人生を楽しむ為にあるのであって、余暇は労働の再生産の為にも必要なものだ。
人々がおおいに余暇を謳歌して消費してくれてこそ、経済は循環するのだ。
理屈はともかく、定年退職以降この循環を私的には上手くやっている。
と言うよりも、余暇の拡大を基調に社会的な活動をバランスさせている。
走ることを中心に旅行も随分出かけるし、書くことや栽培することも抜かりなく熟している。
この時期はブドウの芽萌の時期で、少しずつハウスでの時間が増えていく季節だ。
そうした四季折々の余暇の変化も、人生の時間を豊かにしてくれるようだ。
只、風と共に去りゆく様な時間の流れを感じる分、夢中で働いていた頃が懐かしい。
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