時代と人
私達は今と言う時代を生きている訳だが、それはそれはとても良い時代だと思う。
何が良いかって、格差社会と言われるけど、基本的にはみんな同じ生活をしている。
似た様な新聞を読んで同じTV番組を見て、7とかの似た様なコンビニで買い物して、
民主主義とばかりに言いたいことを勝手に主張して、食べるものだって大同小異だ。
世界最高水準の医療があり、将来はともかく介護や年金だって充実している。
車や家電製品の便利がそろい、冷暖房のきいた所で過ごすことができる。
言ってみりゃ、かつての王様以上の生活をしているんじゃなかろうか。
セレブとか国会議員だって、乗る車種が少し違うくらいで「特別」がある訳でもない。
それにイギリスの様な階級社会でもないから、覚悟の無い人が総理大臣に成っちゃったりする。
その考えていることだって、自分の健康と財産程度だから、
私の様な貧乏人とちっとも変わっちゃいない。
そうして面倒なことは、全て別の誰か(政府や社会)がやってくれると思っている。
それで何の障害もなく生きられるんだから、これを良い時代と言わずして何とする。
だけどその分、日本人は押しなべて人間が小さくなった。
幕末から明治・大正にかけて、この国は数々の英雄・偉人を輩出してきた。
そのお蔭で欧米列強の植民地にもならずに、今日の経済的繁栄を手にできている。
しかしながら、戦後は人物(豪傑)と言われるほどの傑出した人材はトンと出ていない。
それは戦争の心配と貧困や病に対する怯えが無くなったことと関係している。
おまけに核家族で暮らしすし、脳みその中身だってメディア漬けで画一的だ。
要するにこの時代に生きる人々は、かつての時代のような苦労をしてはいないのだ。
考えてみれば、世界で稀有な恵まれた環境で生きているのが私達だ。
隣の韓国は国民(男子)皆兵で一定期間の兵役があるし、
米国を含め世界の大部分の国の人々が軍隊を通じて死を意識している。
戦争なんてやる馬鹿じゃいけないが、生きる(生存競争)にはある種の過酷さがある。
恵まれた温室の中で育ってきた私達には、一種の覚悟の様なものが欠けているんだろう。
本当の痛みや悲しみ・辛さを味わったこともないから、その死生観だって薄っぺらだ。
世界から多少軽く扱われるとしても、将来は兎も角、多分これで良かったんだろう。
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