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2015年3月17日 (火)

エイジフリーへ

日頃から私が走っている杣道は、ウバメガシ(姥目樫)に覆われた緑道である。

痩せ尾根の道だから保水力がなく、だからこそ乾燥に強いウバメガシだけが残ったのだ。

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ゴツゴツと奇怪に枝を伸ばしていて、杉やヒノキのスックとした姿とは程遠い。

成長が遅くて実に固い木になって、昔から備長炭の材として重宝されてきた。

それにしても「姥の目」と命名されているのが、何とも珍妙でユニークに感じる。

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樹の肌がガサゴソと老婆の目じりの様に皺がかっているからと説明されるが、

それでは何故「爺目樫」では駄目なのかと考えてもみる??

ともあれ、そのウバメガシに覆われた緑のトンネルがホームコースなのである。

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だから姥目に囲まれた異界を走っている訳で、こっちも爺だから丁度良い具合だが??

実は今夜はその「爺」に少しばかり異論を唱えたくって、書き始めたのである。

この国は、いよいよ本格的な世界に例のない高齢長寿社会に突入したと言われている。

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実際に日本人の平均寿命は男女ともに世界一位だ。

それに長寿を謳歌している国々はフランスやスイスなどで、押しなべて生活水準が高い。

長寿命は栄養や衛生、住居の向上、そして医療の充実のお蔭だし、それを支える経済の賜物だ。

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私の生まれた1947年の平均寿命は、なんと男50歳、女54歳だったんだから、

まさしく戦後の経済成長が今日の長寿を可能にしたのであって、慶賀すべきことだ。

だそれにもかかわらず、少子化とも相まって大変だ大変だの声ばかりである。

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そもそも、高齢者の定義が時代の変化を反映していない。

65歳以上を高齢者としたのは1956年の国連の報告書から始まるのだが、

当時(1955)の日本人の平均寿命は、男64歳、女68歳だったから、まぁ妥当な線だった。

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ところが今日、日本に限って言えば男79歳、女88歳になんなんとしているのである。

如何に何でも20年前後を「高齢者」として過ごすのは不自然ではないか。

制度的に高齢者を70以上もしくは75歳以上とすれば、困ることは何もなくなる。

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定年や 年金は70歳からとして、それが困難な人は福祉対象にすれば良いのだ。

社会の活力も湧くし、生甲斐が出来て各種の負担(医療費)だって少なくなるだろう。

いやいやこれは私の意見ではなく、山のウバメガシがそう言っていたという話である。

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