元気は創りだせ
テロや戦争やら、殺人や詐欺やら、そんな大層なことでなくとも人と人の行き違いなどと、
とかくこの世は住み難く思い通りには行かないものである。
それで何時もやっかいな話題からは目を背けようとする癖がついている。
出来れば面白く暮らしたいのであるが、日増しに感動が少なくなっていくような気がする。
朝起きて新聞を読んで飯を食って・・・・・・何事も無く、風呂に入って布団にもぐりこむ。
人間は、そんな平凡な毎日の習慣によって創られていく様だ。
月並みで波風の立たない日々の習慣も結構だが、それだけではやはり面白くない。
人世のモチベーションと言うか、元気を持ち続けて生きたいものである。
そんな訳で「元気は何から生まれるのか?」って考えている。
かつて貧しかった時代には、働いて生活を豊かにすることが元気の源だった。
新しい家電が家に来るだけでウキウキしたものだが、今じゃ新車が来てもフゥン程度だ。
そして衣食足りたこの時代の元気は、自分の目指す「事」を創り出すことから始まる。
事はハードでもソフトでも良いけど、ボケる程打ち込めることが大切だ。
ほら、ぐいぐいと走っている自転車は倒れることは無いでしょう。
あれと同じで目標に向かって走り(ペタルを漕ぎ)続けることが出来るか否かだ。
私達は目標が空ろになると、忽ちにして退屈してしまうのだから。
人間てのは、退屈してたんじゃ碌なことは考えないものさ。
それにもう一つのコツは、感動を演出するって事かな。
かつての職場に弁当を持参する男がいて、その男が毎食後「旨かった!」と叫ぶ。
最初は奇異な感じがしたが、何時の間にか彼の生き方に感心するようになった。
細君手作りの弁当を「旨かった!」と毎度声に出すことで、彼は彼の人生を面白くしていた。
食事の度に〔仮に不味くっても〕「うまいっ」と叫ぶことで、元気が手に入るのだ。
勿論奥さんは、そんな亭主の為には心尽くしの弁当を準備するだろう。
これは自分に対してだって同じで、
朝起きて一番には「よく眠れた。今日も元気で行こう!」って背伸びをしてみる。
一仕事終われば「やった。出来たぞっ」って爽快に叫べばよい。
目標を追い続けて、尚且つ自分で感動を演出できりゃ人生は退屈しない。
・・・・と、つらつら考えているのだが、先ずは実行が肝心か・・・。
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コメント
たしかに
平凡な毎日がいいかもしれないが
それが
毎日では・・・果たしてそれがいいか?
やはり
同じ毎日ならエキサイティングに生きたい!
それには
いろいろと行動することだ。
行動すると
いろいろな問題や悩みや楽しみが生まれる。
それを
ひっくるめて楽しめば、すばらしい人生に
なると思う。
平凡もいい。
エキサイティングもいい。
両方いい。
投稿: ヒロボー | 2015年3月25日 (水) 09時31分
思うに、平凡に、極平凡に生きてきた。
誰からも目立つことなく、平凡に生きることが後生大事だと考えてきた。
そんな内気な私が外を見渡そうとアクティブになったのは、走ることからだった。
自分の体を動かすことが心をも動かすことに繋がっていった。
由来、考え悩み痛むことも多くなったが、それ以上に感激も喜びも多くなった。
人生は、喜怒哀楽、天真爛漫な方が楽しい。
何も、遠慮し続けて生きることは無い。
自分の人生を、自分の足で、しかと歩めばよいのである。
誰のための人生でもない。ひたすら前を向いて歩めばよいと思っている。
山草人
投稿: 山草人 | 2015年3月25日 (水) 19時21分