いささか良ければ
元来、欠点に目が向いてクヨクヨと悩む神経質な性格である。
それが歳と共に、物事に対してかなり前向きで楽観的になってきたように思う。
まぁ細かい事を考える神経回路が劣化して、大まかにしか考えられなくなったのだ。
記憶力や思考力の低下だから老化だけど、これはどうやら悪いことではなさそうである。
歳を重ねるというのは面白いもので、細かい仕事が出来なくなった分老練になる。
それで、「大丈夫、何とかなる」と楽観的に構えることが出来るようになる。
それに人の目が気にならなくなったと言うか、ある意味マイペースを楽しめるようになった。
ホラ、先日書いた幸福の4大要素〔①目標に向かう、②感謝と絆〕の③と④の二つさ。
何事も楽観的に構えて、人のせいにするんじゃなくってマイペースで生きられるんだ。
歳を重ねるって事は、失敗や挫折も含めて当然ながら色々な経験をするってことだ。
そうして角が少しずつ取れて丸くなって、
情緒も安定して、目標が見えやすくなって知的好奇心だって高まるんだって。
ほらそう言やぁ、社会人大学や趣味の会でも圧倒的に高齢の方が多いよね。
貝原益軒先生の養生訓を覗くと、「いささか良ければ、事たりぬ」とある。
そして、全てのことに完全無欠を求めれば、煩いなりて楽なし」と書き残している。
正にその通りで、少しであったとしても気に入るものがあれば良いのである。
ともあれ、幸せの要素がドンドン増えていくのが歳を重ねることなら、これは幸いな事だ。
超高齢化時代を迎えつつあるこの国だが、国全体に幸福が増えていくことになる。
要はやり方次第と言うことで、高齢化をもっとポジティブに捉えるべきかも知れない。
そういう意味で、肩の力を抜いて出来ることをセッセとやれば良いのである。
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