« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »

2015年4月30日 (木)

いささか良ければ

元来、欠点に目が向いてクヨクヨと悩む神経質な性格である。

それが歳と共に、物事に対してかなり前向きで楽観的になってきたように思う。

Img_0641

まぁ細かい事を考える神経回路が劣化して、大まかにしか考えられなくなったのだ。

記憶力や思考力の低下だから老化だけど、これはどうやら悪いことではなさそうである。

Img_0642

歳を重ねるというのは面白いもので、細かい仕事が出来なくなった分老練になる。

それで、「大丈夫、何とかなる」と楽観的に構えることが出来るようになる。

Img_0643

それに人の目が気にならなくなったと言うか、ある意味マイペースを楽しめるようになった。

ホラ、先日書いた幸福の4大要素〔①目標に向かう、②感謝と絆〕の③と④の二つさ。

Img_0644

何事も楽観的に構えて、人のせいにするんじゃなくってマイペースで生きられるんだ。

歳を重ねるって事は、失敗や挫折も含めて当然ながら色々な経験をするってことだ。

そうして角が少しずつ取れて丸くなって、

Img_0645

情緒も安定して、目標が見えやすくなって知的好奇心だって高まるんだって。

ほらそう言やぁ、社会人大学や趣味の会でも圧倒的に高齢の方が多いよね。

貝原益軒先生の養生訓を覗くと、「いささか良ければ、事たりぬ」とある。

Img_0651

そして、全てのことに完全無欠を求めれば、煩いなりて楽なし」と書き残している。

正にその通りで、少しであったとしても気に入るものがあれば良いのである。

ともあれ、幸せの要素がドンドン増えていくのが歳を重ねることなら、これは幸いな事だ。

Img_0654

超高齢化時代を迎えつつあるこの国だが、国全体に幸福が増えていくことになる。

要はやり方次第と言うことで、高齢化をもっとポジティブに捉えるべきかも知れない。

そういう意味で、肩の力を抜いて出来ることをセッセとやれば良いのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月29日 (水)

何とかなる

今朝も暗いうちから起き出して、ブドウの蔓と房を手当てしている。

首の痛くなるのも何のその、遊びの為とは言え必死なのである。

Img_0655

それでも何とかなるもので、9時過ぎにはピオーネを除いて大方の格好がついた。

ピオーネは成長が大幅に遅れているので、帰ってからでも何とかなると踏んでいる。

Img_0652

それで足慣らしをせずはなるまいと、小笠山に出かけたのである。

もうすっかりと新緑で覆われた山は薄暗い程で、そのトンネルを一人走っていく。

Img_0650

仲間はもう帰りのランですれ違いながら「遅いなぁ」とか「どこまで行くの?」などと声を掛けていく。

暫くすると、15人程の山歩きの人たちに出会った。

Img_0649

聞けばもう連休に突入したとかで、連れ立って山頂まで歩きに来たのだと言う。

健康の為であれであれ、人は群れて行動するのが良い。

Img_0653

共通の時間を共に過ごし、一緒に汗をかけばもうそれだけで知己になれるんだから。

ともあれ道路には際立って車が多くなっている。

Img_0648

連休初日と言った風情の人も多く、この一週間をどう過ごすのか苦労?しているのかしら。

しかして私の連休は昨年に続いて北海道の旅ランである。

日本の最東端と最北端を走る旅は、寒さと雨の旅だったけど良い思い出になった。

Img_0647

今年は道南の名所を走ることになっていて、気心の知れた20人との連休が楽しみである。

そうだな、これまで以上に近しい交わりをしつつ北の大地を走るんだ。

Img_0646

家の事は、明日のうちに「何とか」してしまおうと思っている。

まぁ~、何とかなるさ!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月28日 (火)

しょうがないか!

持ち時間が少なくなって作業に拍車を掛けているが、生き荒く喘ぐばかりでさっぱり効率が上がらない。

どうしようもなかったら、半ば放棄をしようと考え始めている。

Img_0640

私の栽培している葡萄の作業で、事はそもそも今年の春の天候不順に起因している。

雨続きで成長が随分と遅れていたのが、ここにきて夏日が続き一気に成長した。

Img_0639

それで蔓の棚付も花房整理も終わらないうちに花が咲き始めている。

既にデラウェアは満開になっているが、これは先日ジベ処理を終えているから暫く良し。

問題はその他の品種で、今日までに花房整理を終えたのはシャインとベニバラードだけ。Img_0604

翠嶺にサマーブラック、それにピオーネが手付かずなのだ。

一品種最低でも5時間は必要だから…・・と言っても、体が悲鳴を上げているから??

上を向いて万歳をしながらの作業だから、30分もすると首が曲らないほど痛くなる。

Img_0603

なぜ慌てているかと言うと、1日から一週間の北海道走り旅に出かけるからである。

やはり勤労よりも道楽を優先するところが熟年の熟年たる由縁なのだが、

ともあれ残すところ二日だが、その間どれ程の時間をさけるだろうか?

Img_0602

それで出来る限りやって、それで出来なかった分は「ままよ」と考えた次第である。

と言うもの、花が咲けばその満開時にジベレリンの浸漬処理しないと種無しにならない。

そのジベ処作業を女房殿にお願いしているのだが、果たしてこれがどの程度手抜きするか?

Img_0601

要するに今年のブドウは、他力本願にならざるを得ないのである。

しかし、私とすれば一房でも多く彼女達を嫁に出したいと切望している。

と言う訳で、朝は暗いうちから晩の暗くなるまで、アホの様に上を向いているのである。

Img_0600

繰り返すが、これが実にキツイのである。

先日書いたように、幸せの重要な要素には「楽観主義」ってのがある。

Img_0599

「良いじゃないか何とかなるさっ」ってね。

それにしても、北海道から帰ったらナンジャモンジャになっているだろうな!!!

Img_0597

それでも、なるようになるさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月27日 (月)

歳月

当たり前だがボディーは少しずつ古びているようで、今では立派な中古品になった。

中古だけどとりあえず五体満足で、際立った故障はなさそうである。

Img_0617

それで新品よりも使い勝手が良いと言うか、これまでの経験の分だけ滑らかに動く。

だから、もっと相当長く使えると思うのだが、遺憾ながら使用期限は有限である。

誰もが歳月の移ろいの中にいるのだから、人生の有限はやむを得ぬ仕儀である。

Img_0615

臓器移植で不老不死が実現するとしても、時の流れの中に暮らす以上それは夢想だ。

秦の始皇帝が仙薬を求めて以来、古代中国では不老の薬が研究されてきたらしい。

その薬にはミイラや鉱物の粉末などがあって、

Img_0613

鉱物は確かに腐らない〔不死だ〕がそんな物が体に良いはずがない。

皇帝の中には逆に寿命を短くしてしまった人もいたらしく、事ほど左様に願望は強い。

その願望のお陰かどうか、私達の寿命は随分と長くなった。

Img_0612

例えば御伽草子にある一寸法師のおばあさんの年齢は、40歳過ぎなんだそうだ。

今じゃ40歳は正に働き盛りなのに、この時代には既に老婆だったんだ。

ともあれ寿命が伸びたのは結構だが、問題はその中味だと思う。

Img_0611

長生きして楽をしたいと言う人がいるが、実は楽をするだけでは何の面白味もない。

ほら、ひねもすボケーっとしていて、何も無かった日ってのはつまらないでしょ。

例えば温泉でゆっくりしようなどと考えても、飯と風呂だけでは全く所在が無いのである。

Img_0610

やはり旅行するにしても、歴史を訪ねるとかそれなりの目的が欲しくなる。

言葉を変えると、無駄じゃないことをやってるって感覚が何処かに欲しいってことだ。

老後の一日は千金に値すると言われるが、そりゃぁ中味があってのことだと思う。

Img_0606

一日24時間全部が貴方の時間だと言われたら、私はせっせとやることを創ってしまうな。

人間は、自分の自由になる時間が限られているからこそ安定しているんだ。

ただ、只今進行中の人生だけど、これが何処で終わるのか分からない。

Img_0605

だからこそ、歳月人を待たず・・・・・なんだな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月26日 (日)

勿体

威厳と言うか、それらしく振舞うことを勿体と言うらしい。

転じて物を大切にすることを「勿体ない」と言うんだから、何とも日本語の微妙な所だ。

Img_0624

私は「ブル(体裁)」事がおよそ苦手で、出来うる限りありのままでいたい性分である。

この点世の中には(私の近所にも)滑稽なほど勿体をつけている男がいる。

Img_0625

多分、幾分認知の気配があるのではないかと心配しているのだが・・・・。

余談は兎も角、私の場合はもったいないと言うよりも、かなりの貧乏性なのである。

Img_0626

今日でこそ物が有り溢れる飽食の時代だが、子供の頃には何も無かった。

母親に「ご飯をこぼすと、目がつぶれる」と教えられて育った世代である。

Img_0628

だから身近にある物を容易に捨てることが出来ないで、使い続けることになる。

休日の山に出かける時などは、穴の開いた靴下に既に底の剥がれたホーチミン草履、

Img_0634

紐で縛ったよれよれのズボンを履いて、10年は使い古したジャンバーの姿である。

それで何時も山の仲間に「何とかせぇー」などと言われてきたのだが、

Img_0623

本人は、何の不自由も感じていないのである。

むしろ、「これで十分使えるもん、良いじゃん」と貧乏性を誇ってきたのである。

殊更清貧と言うつもりはないが、そんなラフ(過ぎる?)な恰好を快く感じてきた。

Img_0622

とは言えタンスの中には封を切っていないランシャツが100枚余も詰まっているのだが、

何故か勿体なくって、古い物を捨てることが出来ないのである。

この貧乏性は、気が小さくって神経質であることにも関係していると思っている。

Img_0620

おおむしに楽観して生きることが出来ない性分と言っても良かろうか。

そう言やぁ~、財布の中の数少ないお札もきっちりと揃えているし、100円以上とその他の小銭も分けている。

Img_0619

使い古しの封筒の利用などを含め、身の回りの整理整頓ができていないと落ち着かない。

事ほど左様に、ブドウの枝がキチット揃っていないとムラムラしてくるのである。

こんな性分を最も嫌っているのが細君で、彼女の性格は全くのラフなのである。

Img_0618

破れ鍋に綴蓋とは良く言ったもので、これで永年夫婦やっているんだから大したものである。

だけど、今更自分の性質に抵抗しても詮無いと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月25日 (土)

晩春

今朝は久しぶりに小笠山に向かった。

満開であろうウワミゾザクラを確認しようと言うのが最大の目的だった。

Img_0633

先週のウルトラのダメージも大きかったが、

心機一転色々とやって再チャレンジの気持でもある。

もう五月のような風が吹いて、走れば全身じんわりと汗ばむ陽気である。

Img_0635

それで探しながら走ったのだが、そのウワミゾが見つからない。

もう遅かったか…と探していくと、果たせるかなもう既に花は煤けていて、

春のテンポの速さを改めて確認することになった。

Img_0629

ひとしきり走り終わってみんなでワイワイとランニング談義である。

それがもう、来月17日の八ヶ岳野辺山100kの準備の話なのである。

傷心の私にしてみれば、これから立て直すのは容易ではないと思い始めている。

Img_0627

そんな皆さんの気勢を背に午後はスポーツショップに足を踏み入れた。

シューズに入れるインソールをオーダーメイドで作ってもらったのである。

少しでも足への負荷を減らすために、

Img_0638

足にぴったりするソールが有効じゃないかと考えたのだ。

大枚1万円は、薄っぺらなソールの代金としては高いが、それで救われりゃ儲けものだ。

ついでにニューのシューズも買って、おまけに携帯用パソコンも買ってしまって、

Img_0637

今日は期せずして大散財の一日になった。

まぁ~春は一年の本当のスタートだし、それで今年一年ハッピーならと少々ハイな気分だ。

Img_0636

それに少しお酒もいただいて、ブログの書き込みも遅くなっちゃった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月24日 (金)

青葉若葉

まだ4月下旬だから、春は盛りとばかりに続いていると思っていた。

それであの帯の様に続くチューリップが見たくなって、最寄りの植物園で出かけたのである。

Img_0607

ところが桜は勿論青々とした葉桜だし、チューリップは既に僅かにその名残を残すのみで、

一面に初夏の風景が広がっていた。

Img_0609

どうも今年の春は雨ばかりでゆっくり花も楽しめず、落ち着かない春だった。

その為かどうか8品種育てている葡萄の成長格差が大きく、

Img_0614

ピオーネはやっと芽を出し始めたところなのに、デラウエアは一回目のジヘ処理を終え、

ベニバラードはもう花房整理の真っ最中になっている。

Img_0616

初夏の入り口に立って、今年もこの葡萄たちに追い立てられることになりそうである。

ともあれ植物園には保育園の子供達が賑やかだが、花は端境期で白藤もこれからだ。

Img_0621

気温もぐんぐん上がって初夏の気配に、慌てて園を後にすることにした。

時の移り変わりに応じて、キュウリやナス・ピーマンを植えなきゃならんと思ったのである。

Img_0630

そう言えば、既に新茶の取引も始まっているし、

小笠山近くの茶園は一面にあの萌木色で埋め尽くされている。

Img_0632

この春も右往左往してきたが、何故か心と体が季節の移ろいについて行かないようだ。

とは言え、今度の北海道の旅ランから帰れば、直ぐにあの暑い夏がやってくる。

Img_0631

・・・・そうやって、何気なく月日が流れていく。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年4月23日 (木)

今日は幸せ?

今更だけど、幸せって何かなぁ~って考えてみている。

そりゃ~、お金が有ればとか、夢が実現すりゃ、好きな人と一緒なら、楽しいイベントに、

Img_0535

或いは何事もなく平穏なら・・・etcてな具合で、幸せは人それぞれと言うべきだろうか。

私の場合何が幸せかと考えても、平凡な月日が流れていて「これだ」って思い付かない。

Img_0533

強いて言えば「ウルトラを完走した時」とか、「ずらり揃った葡萄の房を眺める時」などか?

先日ある方が、毎日手帳にその日一日が幸せだったかどうかを記録していると言う。

Img_0534

幸せな日には○、不幸だったら×、どちらでもなかったら△を書き込んでいるのだ。

それでどんな日に○が多いかと言うと、誰かと一緒に何かやったとか意気投合したとか、

Img_0556

話が纏ったなどとみんな人が関っていて、人と会うことが幸せを感じさせるらしい。

私の経験でも、確かにその日一日誰と会ったかは重要な要素になっている。

そう言えば先日も、河口湖の宿で一人の女性に話しかけられた。

Img_0558

一人で晩飯を食べていると「ご一緒してもよろしいですか? 」と・・・初対面の方である。

翌早朝のレース出発時に挨拶し、その日の晩飯もご一緒して頂いた。

しょげている私を慰めて下さったのだが、幸いにも翌日の朝食でもお会い出来た。

Img_0562

大阪のkeroyonさんでランナー仲間同士の会話が、今大会唯一の楽しい思い出になった。

彼女も毎日ブログを書いていて、何となく似たような生き方をも感じていたのである。

それはともあれ、幸せを感じるには四つの重要な要素があるらしい。

Img_0571

その一つは、前向きに目標に向かって努力して自己実現していく「頑張る」ってこと。

二つ目は、愛情や感謝など人に喜んでもらうことに起因する「有難う」ってこと。

三つ目が、「何とかなるさっ」て言う楽観的な生き方。

Img_0592

そして最後が、「私は私」って納得できる自立感情・・・・・だとされている。

そりゃそうだよね、自分の得意を楽しんで伸ばして、大勢の人達と関って感謝できて、

そこそこのところで満足できる余裕、それに人の目なんて気にしなけりゃ、そりゃ幸せさ。

Img_0595

そんな訳で、私も出来るだけ人とお会いして、○印を増やして行こうと考えた次第だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月22日 (水)

心の情景

人は自分を理解してくれる人がいれば、どんなに苦しくっても生きられる。

けだし真理だが、現実には家族であれ交友であれ本当の理解者を得るのは難しい。

Img_0545

誰もが人から絶えず認められたいと欲しているのに、現実はそうはならないのである。

本当に認めるよりも認めた振りをして生活していることが多いからだ。

かつて南極昭和基地の隊員の一人に奥さんから来た電文が話題になったそうだ。

Img_0546

その電文には、たった一言「アナタ」とあったそうである。

・・元気ですか、・・心配してますなどと書くよりも、はるかに胸に広がりを持たせる言葉だ。

新婚夫婦だったのかどうか、お互いの信頼関係が有ればこその電文である。

Img_0547

新婚時代はそんな具合でも、それが時を経るごとにお互いに別の世界に住むようになる。

仕事場や学校などと、家庭とはそれぞれ別の世界があってそれなりにストレスも有る。

本当は在りのままの自分を受け入れて欲しいし、ストレスや本音を吐き出したい。

Img_0552

その本音が、ともすれば家族皆の駄々のこねあいになる。

それが上手いこと癒されるなら良んだけど、

大抵は本音のぶつけあいが喧嘩の元になっちゃう。

Img_0553

それで何時の間にか、聞いた振り、認めた振りをするようになっていく。

父親の権威を認めた振り、母親の存在を大いに評価した振りをしたりして。

何処の世界でも多くの人が本音を封印して、その自分なりの役割を「演じて」いる。

Img_0554

お互いに自立した一人の人間だし、その方がお互いに楽だしね。

そんな具合で、外目には安定している様に見える家族だって、

おおよそお互いに深入りしない微妙なバランス関係を作っているんじゃなかろうか?

Img_0555

実はこれは家族に限ったことではなく、どこのコミュニティでも同様だ。

その場の空気を読んで、言うならば空虚な認め合いのゲームをしているのだ。

まぁ人間ってのは、複雑で厄介な生き物だと思った方が良い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月21日 (火)

年齢ってヤツ

常日頃、自分の年齢を意識することは殆ど無い。

時折シニア割引があって、そう言えば先日の山梨県立美術館〔ミレー館〕は無料だった。

Img_0544

それにJRのジパングで「やぁ、歳を取るのも悪くない」と感じたりするくらいである。

しかしながら、人は生きている限り確実に歳を重ねて行く訳で、

Img_0542

体力も含めて、年齢から自由になるなんてことは有り得ない。

そして年齢がより多く話題になるのが幼児期と老人なのである。

Img_0541

幼児を前にして最初の言葉は大抵「幾つなのぉ~」「大きいねぇ~」などだろうか。

これに対して年寄りの場合は幼児とは逆に、「お幾つになられるのですか?」

Img_0540

「若々しいですねぇ~」「とてもそんなお歳には見えませんね・・・」などと、

想定年齢の少ない方が幾分元気だと見られるのである。

誰も同じ様に一年ずつ加齢するのだが、年齢に関しては人間は随分勝手なのである。

Img_0548

私も何時の間にか馬齢を重ねて、古稀まで残り数年と言うところまで来てしまった。

それで何時の頃からか、人生は多少の無理をしなくっちゃ駄目だと考えてきた。

自分に出来そうな楽な事ばかりやっていたんじゃ進歩は有り得ない。

Img_0573

少しばかり苦しくっても、背伸びして少し高い目標に向かって努力するべきだ。

初めは自分にゃ無理だと思えることだって、

悪戦苦闘しているうちに何とか実現していくものだってね。

Img_0574

そんな気持ちで生きて来て、さほど際立った成果を挙げた訳でもないが、

ともかく生き方として自分なりに納得している。

しかし、何となくではあるが事情が少しずつ変わってきているのかも知れない。

Img_0583

例えば一昨日の100kマラソンでも、かつてなら頑張り通せたものが、

それが次第に難しくなっている。

いやさ、あの登山家の三浦さんの例だってあるじゃないか、

マスターズ水泳で記録を作った100歳の女性だって・・・いるじゃないか。

Img_0585

要は訓練の仕方が問題なんであって、「もう歳だから・・・」は言い訳なんじゃないか。

やはり多少の無理は承知で、駄目でも挑戦を続けるべきだろう。

出来るところまでやって、そして何時か、

「この程度ならこの歳でもこなせるだろう」って目標を下げる時が来るまではね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月20日 (月)

特別な時間

この時期に出来る最大のパフォーマンスをしようと

思い定めてと臨んだ100kレースから一日が経過した。

Img_0557

未だにモヤモヤとした空虚感と言うか、自分の身体に対する失望感が漂っている。

夏目漱石は小説「道草」の中で、

Img_0559

「人生と言うのは、人の日々の時間に対する態度のことだ」と書いている。

確かに「あの瞬間にどうしたか・・・」ってことが、その人生の道筋を変えていくのである。

Img_0569

悔やんでいる「あの一瞬」と言うのは、昨日の11時10分から12時までの50分のことである。

もっとその気になれば、あの50分で6.6kmを走ることが出来たのではないかと言うことだ。

Img_0577

それを満開の桜咲く河口湖畔の道で、明らかに自分の心と安易な妥協をしたのである。

「次の次の関門jまでは16kを1時間半で走らなきゃならない。どうせ、そこで捕まるさ。」

Img_0579

心の奥底にそんな思いがあって、身体のどこかでブレーキをかけていたのではないか。

人生の毎日の二十四時間というものは,色々な出来事があったにしても、

Img_0584

大抵は平凡に流れていって所詮変わり映えしないものだ。

そして特別な時間と言うのは、自分の行動を決する微妙な分かれ道のひと時のことだ。

そして今、何気なく過ぎてしまったあの50分間の心の動きを振り返っている。Img_0586

雨がポツリポツリ降り始めてはいたが、富士山は傘雲を被りながら聳えていた。

満開の桜は時折風に吹かれて吹雪のように花びらを舞わせていた。

単に行楽に来ていたのなら・・・「あぁ、良い時期に来た。」で忘れ去った景色である。Img_0588

しかし私は、その桜の下をトボトボと歩いていた。

その弱気に襲われたあの一時を乗り越えれば、ゴール出来たかも知れないのである。

確かに、100k走破は歳と共に難しくなってきている。

Img_0589

何処かの時点で年齢と妥協せざるを得ないとは思っているが、

まだまだその時期ではあるまい。

改めてそれなりの準備をして、次のレースに臨もうと思っている。

Img_0591

だけど、遥かなる100kの旅は走って見なければ何が起るか分からない。

そういう意味で人生の旅路でもあって、これは単なる遊びではないのである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2015年4月19日 (日)

年齢と体力

午前2時、スマホにセットしたアラームで起床する。

直ぐに窓を開けると星が輝いているし、それに随分と暖かい。

Img_0560

良し今日こそはランニング日和とばかり、ハーフパンツに決めてゴアは仕舞い込んだ。

スタート地点の岳麓公園に向かうバスは、ホテル出発は3時15分の出発である。

Img_0561

実は富士五湖のレースは今年から大きく変わって、100kの部は15分刻で3Gスタートだ。

私はその最終組で5時のスタートである。

Img_0568

徐々に明るくなってくるとスタート地点の真正面に富士山が朝日に照らされて光っている。

その富士山を見上げながらのスタートで、この4年間で初めてのことである。

Img_0564

そう、これまでは雪の中や雨に濡れて走ってきたのである。

コースも一変していて、先ずは山中湖を一周して再び岳麓公園に戻ってきて、

Img_0570

そこから改めて河口湖方面に向かうのである。

もちろん登ったり下ったりで公園に帰ってきて、ほぼ40kで門限が何と4時間45分なのだ。

Img_0572

そういう意味じゃ、朝方だけで大きなエネルギーを使ってしまうことになる。

気候もよくって富士を眺めながらの欄で気分良く足を進めていた。

Img_0575

ところが20kを過ぎたあたりで肉離れで痛めた右足の脹脛に違和感を感じだ。

途端に「まずい、この足じゃ何処までいけるか?」と弱気な気分が支配する。

Img_0578

だけど何とか小康を得てスローペースながら走り続けている。

とは言っても歩くほどのスピードなのである。

Img_0580

それでも50kを6時間10分で通過したのだが、次の関門の時間を聞いて愕然とする。

56.6k地点で7時間〔12時〕だと・・・・そりゃ、この足じゃ無理だんべ!!となった。

つまり56kの関門でアウトを宣告されて、私にとっては最短記録になってしまった。

Img_0582

収容バスに乗ると右足の踵がうづいている。手テル。

どうも原因は骨折している右足踵にあるようだ。

それにしても、この2~3年の間にどんどんとスピードが落ちていっている。

Img_0587

認めなくはないが、これは年齢の成せる業なのかどうか?

それから負け惜しみではなく、大会事務局に苦情を言いたい。

Img_0590

幾らなんでもコース変更後の関門は厳しすぎて、

熟年者には至難のレースになってしまう。何とかせい!!!

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2015年4月18日 (土)

落穂拾い

明日はいよいよ、富士五湖〔四湖〕100kである。

それで河口湖に来たついでに少し足を伸ばして甲府市にある県立美術館を訪れた。

Img_0537

目的はジャン・フランソワ・ミレーの落穂拾いである。

あの何とも言えない哀愁を漂わせた絵は何を語っているのか・・本物で確かめようと言う訳だ。

ミレーはパリ郊外のフォンテーヌブローの森近くのバルビゾン村に移り住んで

Img_0538

種をまく人などの農民を数多く描いた人だ。

しかし「落穂拾い」に描かれた三人は農民ではない。

三人の向こうで収穫物を積み上げているのが農民であって、三人の女性は貧民なのである。

Img_0539

キリスト教の聖書に「収穫物の一部を貧民のために残せ」と言う教えがある。

その残された落穂を食べるものもない人たちに分け与えろというのである。

落穂を拾う3人をよく見てみると拾った籾の入れ物すら持っていない。

Img_0543

どのみち落ちている穂など僅かなもので、手の平一杯を拾うのがやっとなのかもしれない。

この絵を見ながら、私の子供のころを思い出していた。

戦前戦後の食糧難解消のために海岸近くの砂地を開墾して畑ができていた。

Img_0550

そこで夏はサツマイモ冬には麦を栽培していたのである。

毎年牛舎に乗せられて、その3kほど離れた畑に芋の収穫に出掛けるのである。

夕暮れ時になって収穫した芋を牛舎に積み帰ろうとするころ、

どこからともなくみすぼらしい身なりの数人がやってきて、掘ったばかりの畑に入っている。

Img_0551

親父が「あの人たちゃ、食べるものがないんだから・・・」と呟いた。

日本にだって戦後の食糧難の頃にはそんな風景があったんだ。

それにしてもミレーの描いた貧民はの身なりは、かなりしっかりしている。

Img_0549

一見土地すら持たない貧民とは思えないのだが、画面全体に漂う雰囲気は哀愁だ。

それほど大きくない絵だけど、生きていかねばならない人間の性が滲み出ている。

否、何とも言いようのない理不尽を感じるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月17日 (金)

君子の交わり

論語の一節に四十にして惑わず、五十にして天命を知る・・・と年代論がある。

私は四十の頃にはあれこれと惑いの只中だったような気がするから、随分と晩生である。

Img_0532

とは言え、古希に近い歳になってやっと分かりかけていることが幾つかある。

その一つが、家族や友人との関係で、人は淡白に付き合った方が良いと言うことだ。

人は一人で生きている訳ではないが、でも基本的には一人なんである。

Img_0531

泣くのも考えるのも、悩むのも病むのも、生きるのも死ぬのも自分一人でしかない。

だから自分の心の何処かに、「自分は一人で生きている」って覚悟がないと自立できない。

その覚悟が無いと、家族や友人に過剰な期待や思いを持つことになって、

Img_0529

結果として仲違いや諍いの元になるし、相手を認めることすら出来なくなってしまう。

今朝も子供達グループを見送りながら、そのカラー〔雰囲気〕の違いを思っていた。

何時も黙々と歩いていくグループ、笑い声の絶えない連中、何事か夢中で話す子達・・・・

Img_0528

実はそれぞれの関係性を保ちながら、人との接点を学んでいるのである。

中学生は何時も同じ2~3人の仲間で連れ立って登校していく子が多い。

それが半年もすると、何らかの仲違いがあったのか別の組み合わせに変わったりする。

Img_0524

仲間が欲しいしあの子は好きだなどと思っていても、ひょんなことから疎遠になる。

「同士」だなんて思って群れていても、何時の間にか異なった人生を歩む訳で、

そもそも人はどんどん変わっていくのである。

Img_0526

特段の利害関係の無い子供達であっても離合集散なんだから、大人なら尚更のことだ。

古来「君子の交わりは、淡きこと水の如し」という言葉があるが、けだし名言だと思う。

そもそも親しき関係と言うものは、淡々とした存在でなければ長続きしないのだ。

いやいや、もっと情熱的で肝胆相照らす仲でなければと仰るなかれ。

Img_0525

生活が異なれば考えも変わっていくし、それが普通の人間なのであって、

絶対的な友情が未来永劫続くなんて考えるのが間違っているのだろう。

そしてこれは夫婦関係だって同じであって、かつての愛情は今何処が普通だ。

そもそも、求めるべきは淡々とした交わりで良いのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月16日 (木)

認められてこそ

人は一人では生きられない・・・で、その訳を考えている。

それは先ずは、自らの存在を他人に承認されることが必要だからだと思う。

Img_0485

人は誰もが「人から認められたい」と基本的に欲している。

幼い頃には親に認めてもらうために泣き、甘え、反発さえしてきただろう。

長じても人間関係の最大の関心は、やはり友達や先生、上司から認められることだった。

Img_0517

人は他人に認められて初めて自分への信頼(自信)も生まれる。

俺にも出来るのではないかと言う、その自分への信頼さえあれば、

成功するって根拠など無くっても難しい課題に向かってだって行動に移れるのだ。

Img_0518

そういう意味じゃ母親の影響はとてつもなく大きくって、

厳しく育てるにしろおだてるにしろ、母親の愛は子供を信頼してやることから始まる。

言葉にしなくっても「貴方ならできる」っていう心からの支えだね。

少なくとも、私はそうだったと今にして思う。

Img_0519

こいつは子供も大人も同じであって、実は大のおやじも同類なのである。

先日の遠来人の会で、ある女性が自分の亭主の事を熱く語っていた。

「自分が惚れた男だもの、何があったって信頼している。」

「悪く言う人がいると、だけどこんな良い人だよって必死で反論する・・・・」んだって。

Img_0521

事実ご主人は一風変わったユニークな人だけど良い人である。

細君にそう言わせられる男は幸せ者であって、そして男はおだてりゃ動くんだ。

ともあれ認められたかったら、先ずは自分が相手を認めなきゃいけない。

認めるってことは、反論するんじゃなくって言い分を素直に聞いてやることから始まる。

Img_0520

「あぁ、そうなんだァ~。それかからどうしたの?」「なるほどなぁ~」ってな具合だ。

・・・と分かっちゃいるんだけど、兎角「だけど、お前なぁ・・・」とやってしまうのである。

それと私が100k走るのも、自分を確認(信頼)したいからなんだと思う。

それにしても・・・信頼されるってのは難しいなぁ~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月15日 (水)

幸福の条件

どうした訳か雨の多い春先で、午後になってやっとお天道様が顔を出した。

今年の桜は、雨続きで独り散った所が多かったのかも知れない。

Img_0396

その桜も<見上げればもう葉桜になって、宴の終焉と言うか一抹の寂しさを漂わせている。

一斉に絢爛と咲いてあっと言う間に散っていく桜は、季節の区切りの大きなアクセントだ。

そして私達は、その桜樹に自分の人生を重ねてみたりしてきたのである。

この私だって、満開に酔いしれていたこともあったし、緑繁る青葉の季節も過ごしてきた。

そして今は、紅葉になんなんとしている頃合いであろうか。

Img_0392

所詮人生は過ぎてみれば短いものであって、桜樹の一年に例えても不思議はないだろう。

その人間の短い一生が幸福であったかどうかの尺度は何かと考えている。

例えば「あなたは幸せですか?」と問われて「・・・・・・」と成るんじゃないかってね。

この国には(と言っても国産は恵比須天だけだが)昔から七福神と言うのがある。

大黒天、寿老人、恵比須天、布袋様、毘沙門天、弁財天、吉祥天で何れも幸福の理想だ。

Img_0390

かつて人々が求めて止まなかった七福神だが、果たして今日の彼らの人気は乏しい。

何故なら既に経済的にも物質的にもかなり豊かになったし、とんでもなく長寿にもなった。

コンピューターを含めて知的にもなった。

七福神の時代の幸福はすべて満たされたと言っても過言ではないからだ。

しかるに、精神を病む人々は増え続け、出生率は減る一方だし、人々の幸福度は???だ。

Img_0389

それは多分、私達の欲望には際限がないからだろうと思う。

だからこそ人間は今日の経済文明を築き得たのだが、それも物理的な限度にきている。

反面メンタル面での進歩が無くって、むしろ後退している所に問題がありそうだ。

宗教はキリスト教もイスラム教も含めて本来の福音を失ってしまっているようだし、

Img_0387

それに代わる人生哲学も生まれていない。

ただあれだね、「小欲知足」(足るを知る心)が育てば様相はかなり違ってきそうだ。

寿命にしろ財力にしろ、自ずと限界を心得ることが人生を豊かにするのではないか。

寿命だって、やたら長けりゃ良いってもんじゃないだろう。富だって同じこと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月14日 (火)

時の移ろい

窓外の蕭蕭とそぼ降る雨をの音を聞きながら、時の流れを見つめている。

夜が明けて午前が過ぎ、正午を迎えると昼下がり、夕方がやってきて日が暮れる。

Img_0509

何時の間にか夜になってやがて一日が尽きていく。

その間に何らかの出来事があったとしても、押しなべて特に変哲もない一日が終わる。

私達の毎日と言うのは、残念ながらそうした平凡な積み重ねであるらしい。

だから自分の人生をコンクなものにしたかったら、精一杯に動くことだ。

Img_0508

動き回ってその一瞬一瞬に、何らかの自分の納得を残すことが出来るならそれで良い。

やり遂げたっていう納得は、移ろい行く時の場面への自分なりの目印になるだろうから。

誰と会って何を話し、何処を走り何を感じたのか、播いた種に如何なる働き掛けが出来たのか。

何を考え何を書いたのか、発した言葉にどれ程の心がこもっていたのかなどである。

Img_0507

それにしても、時の移ろいは恐ろしく速い。

先日の自治連の総会で6年間に渡った役員から解放されたのだが、

これだって「エッ、もう6年」と信じられない程短い期間にも思える。

しかし現実に私が初めて街頭に立ったあの時の小学4年生が、既に高校生なのだ。

Img_0506

うっかりと時を過ごしていると、これからはもっと時の経過が早まりそうでもある。

自治連から解放されて、幾分の時間的余裕が生まれそうだ。

それで、その空いた時間を今度は何に使おうかと思案しているのである。

当面はランを中心とした旅に精を出すのだが、それだけで良いのかどうかと困っている。

Img_0503

つまり・・・「退屈」が生まれやしないかって心配しているのだ。

元来がせっかちで、走っているか本を読んでいるか、書いているか考えているか、

それとも人の中にいて話しているか農作業か・・・

とにかく四六時中、心が働いていないと気に入らない困った性分なのである。

Img_0502

まぁ~、その(動けなくなった)時にゃ箒を手に庭でも掃いていりゃ良いか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月13日 (月)

人世のコントロール

橋本秀夫さんは「心は、何処にあるのでしょうか?」と言って、その話を始めた。

橋本さんは独学で精神医学を志し、現在「こころ活塾」を主宰している方である。

Img_0510

最初に精神医学の歴史から話が始まったのだが、それは空恐ろしい歴史なのだ。

精神を病んだ人間を拘束・隔離しその人の脳を破壊することが治療だった。

それは電気ショックや薬物、或いは外科手術よる脳細胞の破壊が行われてきた歴史だ。

Img_0511

そして今なお、その流れ(植物人間化)は続いているのだと言う。

しかし今、「心の病は実は脳内物質のアンバランスによって引き起こされる」

とする分子整合精神医学がようやく普及し始めているのだと言う。

Img_0512

だから麻薬的な化学物質の投与ではなく、ミネラルやビタミン類、マグネシュームなどの

自然物質の摂取でバランスを整えつつ、カウンセリングで直せるのだとおっしゃる。

考えてみれば「うつ」にしろ「精神失調」にしろ、心の病は何がしかの原因があって発症しているのである。

子供の頃苛められたとか、母親の愛情欠如や暴力、過剰な期待などだろうか。

Img_0513

そうして今では、600種類を超える精神病がリストされている。

先天的にしろ後天的にしろ何らかの原因で精神を病むのだが、仮に侵されたとしても、

人間には心身を健康に復元させる力が備わっているらしい。

だからその自然治癒力を最大限にしてやれば回復に向かわせることができる。

Img_0514

精密な血液検査の上で、最適な量の栄養素を食物から与えるのが大切だと言う。

そう言えば、マックとコーラで偏った生活してる人間は確かに切れやすくなる。

人間も生き物だから、その行動は「脳内物質」によつてコントロールされていても何の不思議もない。

それに人には5つの遺伝子的欲求があって、そいつが満たされないとメンタルになる。

Img_0515

欲求とは、愛と所属、認められたい、主体的であること、楽しみを得たい、生存したいだ。

その五つのどこかが決定的に満たされないと、精神病になるのだ。

そういう意味じゃ、ほかの動物よりも人間はかなり軟な生き物である。

だけどそんな原理が分かっていれば、この社会を上手くやっていくツールにもなる。

それが「人間関係をつくる7つの習慣」だ。

Img_0516

それは相手の言うことをひたすら聞いてやる(傾聴)、支援する。、励ます、尊敬する、

信頼してやる、受け入れてやる、・・・と言った相手との柔軟な交渉姿勢だ。

これでこじれてしまった夫婦関係でも、暫く努力するだけで一気に好転するんだとか。

誰だって、基本的な欲求が満たされりゃ嬉しいからね。

ともあれ、橋本先生のお話を伺った後、ひとしきり人生論に花が咲いたのである。

精神病は、自分が生み出しているのである。

続きを読む "人世のコントロール"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月12日 (日)

山萌える

小笠山もシジュウカラや鶯など、鳥たちの囀りで随分と賑やかになって来た。

杣道を進んで行くと、突然ケキョ・ケキョ・ケキョ・ケキョと甲高い声を出す鶯。

Img_0498

この声が私には「キタ・キタ・キタ・誰か来た」と聞こえて・・・警戒警報なのである。

木立の間には、、山桜の花が振り撒かれた細い道がずっと続いている。

Img_0499

ふと道端に目をやると、そこには蕨が勢いよく伸び出している。

そして私は、毎年のようにこの春一番の蕨を美味しくいただくのである。

Img_0497

それに今年は、雨量との関係なのかマムシ草が多いような気がする。

茎を観る限りマムシの肌とそっくりだし、鎌首を持ち上げた花筒も良く似ているのである。

そう言やぁ~、マムシも湿った所が大好きだったな~。Img_0496

尾根筋の間に広がる茶畑が突然のように明るくなった。

あの萌木色の新芽を一面の見せ始めたのである。

ところでこの時期、里山の景色は時々刻々と移り変わっていく。Img_0493

常緑の灌木が多いのだが落葉樹もかなり混じっていて、若葉を一斉に出しつつあるからだ。

それに常緑樹も古い葉を落として新手と盛んに交代作業を始めている。

何だか人間社会の人事異動や新入学の様と何処か似ているようだ。Img_0500

ともあれ、山全体が萌えているのである。

この山の若返りの瞬間を描いた画家達の絵を思い出すのだが、

自然の若々しさを描こうとした彼らの気持ちが少し分るような気がする。

Img_0495

そんな風景を描いたのは、決して若い画家ではなかったようにも思う。

この私とて、かつては萌える山並みを見てもさしたる感慨も湧かなかったではないか。

歳をとるとは何とも不可思議なものだと一人感心しているのである。

Img_0494

このところ、足の怪我もあってか走るスピードが落ちて来ている。

否、怪我ではなくって加齢の.成せる技なのかどうか?

仮にそうであるなら、これからは体力を維持するための戦いが限りなく続くのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月11日 (土)

自治連の締め括り

全国にどれ程の数の自治会・町内会があるだろうか。

確かに何処の地域にも何がしかの自治組織があって、慣習に沿って維持されている。

Img_0492

イヤイヤ、なかなか立派な活動をしている所もあるが、多くは苦労しているのが現実だ。

その原因の一つは、時代の変化の速さだろうか。

かつて農業を基礎として集落に依拠して生活していた時代には、

Img_0488

自治組織は田植えの時期決定から水の配分、葬式や家普請と、村十分を仕切っていた。

しかしそれは今は昔、かつての村の仕事は葬儀屋や消防・警察にと悉く外部化された。

そして自治会は行政機関の下請け的な親睦団体化の傾向にある。

Img_0489

増してその空洞化した自治会の連合会は、形ばかりの所が多いのではないか。

ところが、私の街の自治連はこの合併以降の10年、自治会の新しい形を作ってきた。

課題の広域化に対応して幾つかの自治会ごとに「地区自治会」を組織し、

Img_0490

広域自治会としての活動を充実させて、防犯や防災・福祉などの活動を進めてきた。

単位自治会の個々の委員では対応困難でも、5~6人の委員(福祉委員や保健委員etc)

が集まれば、それなりの行動に移せる訳で、それを地区長が指揮する形を作ったのである。

Img_0491

その形作りを主導してきたのがS連合会長で、少々強引なくらいな指導力をもっている。

その会長が今日の総会で8年間勤めた会長職を退任したのである。

私も傍らでお手伝いをさせて頂い他のだが、須らく勉強することばかりであった。

Img_0504_2

何度となく、「あぁ~、組織ってのはこうすりゃ動くのか!」って思った。

歳月を経たとはいえ、この304の自治会が間違いなく進化したのである。

ともあれ今日を持って、新たな執行部に引継ぎしたのだが、間違いなく「これしかない」路線なのである。

Img_0505_2

自治なんてのは、自分達で創るんであって、待っていて何もできるものではない。

只、誰がどういう思想性を持ってそれを担うかなのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月10日 (金)

地方って・・・

お城のある街はそれだけで恵まれている・・・と思った。

世の中は一人で生きている訳ではないから、土地土地に人々が集まって暮らしている。

Img_0394

幸せになりたいとか、仲間が欲しいとか思いながら、それぞれ健気に暮らしている。

しかし、住んでいる人達の顔は違っても、どの街もみんな同じ様な顔をしている。

Img_0398

中心部にはシャツターの閉まった商店街が残って、郊外にショッピングセンターがある。

しかもコンビニや全国チェーンSCだから店の品揃えも同じで、まったく変わり映えしない。

Img_0400

当然ながら、知らない街に足を踏み入れても、皆同じで珍しくも面白くも無い。

昔はそれぞれ地方政府(藩)があって、城の周りにはそれなりの町並みがあった。

Img_0402

もちろん食べ物を含め独特の地方文化と呼べる異なった色が、その土地の特徴だった。

言葉や風俗も少しずつ違っていて、旅をする楽しみはその味わいではなかったか。

Img_0404

古い町並みを保全する動きも有るが、現実の生活との乖離を埋めるのは至難の業だ。

日本全国何処に行っても面白くないから、それで旅行は海外へとなるんだろう。

Img_0405

かつて大分県で一村一品運動が始まって、全国の地方から注目を浴びたことがある。

確かキャッチフレーズが「梅栗育ててハワイへ行こう」だったか。

昭和50年頃のことで、当時は未だそんな地域おこしが可能だったのである。

Img_0406

しかし経済が世界全体を覆い尽している今日、グローバルと敢えて言うまでもなく、

経済的な力がその国や地域の大きなキーになっているし、経済は熾烈な競争だ。

地域おこしは、その就業の場を含めた経済力無しでは空念仏に終わる。

Img_0408

政府は地方創生を旗印にしているけれど、これを実現するのは容易ではなかろう。

地方創生と聞いて「ホンマかいな?」って感じるのは当然だろう。

味のある地域を創るには、地域の資源を研いてその土地の特色を際立たせることだが、

Img_0409

東京から一方的に流れる情報の元で、果たしてどれ程の成果が得られるだろうか。

いっそ、高齢者が際立って元気な街とか、日本一コミュニティー活動が活発など、

ソフト面での個性的な地域を目指したらどうだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月 9日 (木)

落葉帰根

中国の古い諺に「落葉帰根」と言う言葉があって、華僑などでは強い希求であるらしい。

どんな木の葉も、落葉になって根元に帰ってくると言う望郷の言葉である。

Img_0428

私なぞは今住んでいる処で産婆さんの介添えで生まれたんであって、

永らくこの地で生活してきて、恐らくはこの場所で死んでいくことになるのだろう。

Img_0423

そういう意味では「落地生根」〔降りた地に根を張って、その地に骨を埋める〕のである。

狩猟民族と違って大半が農耕民だったこの瑞穂の国では、

Img_0422

大抵の人々が数キロの範囲で暮らし、その村内で生涯を終えてきた。

だが人々が大都市へと極端に移動したり、世界中で生活するようになったこの時代、

Img_0420

故郷を離れて生きる生き方が一般的になった。

そして故郷は随分と遠くなって・・・と言うか、ふるさとは何処にも無くなった感がある。

Img_0419

ずぅ~と同じ所に住んでいても、現実の景色も環境も様変わりしている。

つまり、兎追いし彼の山・小鮒釣りし彼の川なんてのは、何処にも無くなっちゃった。

Img_0417

そうして同時に人生観や死生観も随分と変わった。

故郷とは自分の住む処であって、そこが都〔故郷〕に成らざるを得なくなったと言える。

その一方で、心の中に故郷の様な感覚〔イメージ〕」が出来ていて、Img_0414

それは自分が生き生きと活動していた「時代」なんだと思う。

それは夢中になって働いていたあの頃だし、

次々と文明の利器を手に入れてどんどんと豊かになりつつあった夢の時代だ。Img_0413

そう・・・私の場合は昭和50 年からバブル崩壊〔平成2年〕辺りが故郷の様な気がする。

単なるノスタルジー〔郷愁〕なんだが、そんなことを考える年代になったのである。

先日訪れた姫路の地で、「一所懸命」に生きた当時の人々なら、Img_0410

今日の時代をどう思うだろうかと少しばかり気になった。

いずれにしても、今でも落葉帰根は心の中に在る。

風で吹き飛ばされまいと、必死でここに生きている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月 8日 (水)

風景の中の自分

私は、一面に水田の広がるトウモンの傍らにある農家に生まれた

家の軒先に黄土〔広場〕があって、そこは四季折々の生活の為の場だった。

Img_0431

春にはサツマイモの蔓を採るムロが作られて、中からはカブトムシが何匹も出てきた。

秋になれば黄土一杯に足の踏み場の無いほど筵を敷いて籾を干し、

当時は全て天日乾燥だったから、それを反転させるのが学校帰りの私の仕事だった。

Img_0430

そして乾燥した籾を入れたカマスが山積みになると、村の衆がやってきて籾摺りとなった。

家の裏手は竹薮で、その藪の中に秘密の基地を作って遊んでいた。

随分昔の話だが、それが私の原風景と言うか、子供の頃毎日見ていた風景である。

Img_0434

その風景も経済成長と共に既に一変していて、トウモンには家々が建ち、

籾摺りや稲村、裏の竹薮も無くなって、黄土は車置き場になった。

改めて考えてみると、随分と情緒と言うか面白みが減ったような気がするのだが、

Img_0432

私達はそうした日常の風景の中で育つのだが、同時に感受性も育てられるのだろう。

そんなことを考えたのは、姫路城の西側に広がる好古園を巡りながらだった。

好古園は姫路城を借景にした回遊式日本庭園で、

Img_0435

かつての武家屋敷を活かして9区画の趣の違う庭が創られている。

姫路城の重役たちが歴代培った庭も一部残っているのか、見事な庭園になっている。

それで彼らが、それぞれの屋敷に好んで庭を創ったのは何故なんだろうと思ったのだ。

Img_0429

庭は日々の暮らしの中に在る風景だから、庭などは単なる背景に過ぎなくなって、

実際には見ると言うよりも感じていたのではないか。

そして何時の間にか、その風景の中に居る自分を彼らは生きたのではないか。

Img_0421

しかも、彼らは如何ともし難い大自然を、小なりとは言え我が物にしていたのだ。

対して我が百姓達は、何時も自然の猛威と格闘しつつ恩恵を手にしてきた。

もとより呑百姓の感受性と武家のそれとは違って当たり前なのである。

Img_0425

ともあれ、今日の私達はコレッと言った風景を自分のものに出来ていないのではないか。

自分の風景が、見えなくなったと言うべきか…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月 7日 (火)

人世の景色

人世の景色とは少し大げさかもしれないが、毎日何を眺めているのかと言うことである。

なかには毎日奥方の美形を眺めて過ごすと言う奇特な方もおられようが、

Img_0478

大抵はありふれたもの、さりげなくそこにあるものを見て過ごしている。

そうした何でもない眺めが、人の心に何がしかを働きかけてきて人生を創っていく。

Img_0480

それはオフィースからの眺めかも知れないし、遠くの山並み、

或いは星降る夜空や車の行き交うハイウエーの流れかも知れない。

Img_0479

時に私達は、非日常的な景色を眺めたくなって旅に出る。

そしてその海辺の眺めや山頂からの見渡し、美しい城や古い街並みに心癒されるのだ。

Img_0448

ところで、私の毎日の眺めは何かと言うことを考えている。

そこには、学校が始まって集団登校する子供達を見送る自分がいる。

Img_0449

この時期、毎朝ブドウのハウスに入るのだが、一斉に芽吹き始めた木々が連なっている。

勢いよく若葉を吹き出している彼女らを眺めながら、「俺だって、ここに居るぜッ」って思う。

Img_0450

やはり、若い春の芽吹きに元気づけられているのである。

マラソン大会に出かけて、元気な応援に出合うと本当にうれしくなる。

Img_0453

マラソンの景色は、見物人は眼中に入らないが、熱心な応援の心が目に飛び込んでくる。

そこには額に汗して走るランナーと同じ姿勢を感じるからだろう。

一昨日の桜マラソンは、最初の10kで300m程一気に登るのだが、そのランナーの背中は、

Img_0463

無心に登っていく背中なんだけど、やはり何かもの言う景色なのだ。

様々な人生を背負って、そして今この有東(日本平)山を乗り越えて行くってね。

Img_0455

このところ不順な天候が続いていて、無性に青空が恋しく感じる。

天候も、私達の心を差配する重要な景色なのだ。

この目の前の風景は、実は自分の人生の風景なんだ。

Img_0466

人世ってのは、そりゃぁ誰もが何気なく生きている。

しかし、改めてこれが「人生の眺め」さって見渡してみると、けっこう新鮮に見えてくる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月 6日 (月)

新年度に

このところの不安定な天候が続くが、菜の花ばかりは花盛りである。

と言ってもかつて歌われた「菜の花畠」は今は無く、アブラナ科の抽苔ばかりなのだが・・。

Img_0467

ともあれ「菜の花や 月は東に 日は西に」と言った風情の日々である。

そして桜が吹雪のように散り始めている中、実質的な新年度が動き始めている。

Img_0469

今朝は小学校の入学式で、緊張した様子の一年生を連れた親子の姿が初々しい。

ついこの間の卒業式では150名を見送ったばかりだが、今朝の新入生は91名に減っている。

Img_0470

少子化の流を改めて実感するばかりだが、一体何処まで減っていくのだろうか?

何時かも書いたように「子供を持つことが人生のリスク」として定着しつつある以上、

Img_0471

この流れは止まるところを知らないのではないか。

社会的に老後を心配なく過ごせるとしたら、子供に費やす苦労などは以ての外、

Img_0472

自分だけ勝手に生きれは良い・・・・・確かに子育てには苦労が耐えないが、

しかしその苦労をしてこその人生ではないかと思うのだが・・・・。

価値観の違いとは言え、そこまで自分勝手が蔓延して良いものかどうか?

Img_0475

ともあれ新入生は少ないものの、2年生達の立派な歓迎セレモニーもあったし、

それに新一年生達も緊張も何のその、ちゃんと「礼」も出来るし中々しっかりしている。

幼稚園に行かなかった私の時代には、極度の緊張状態にあった記憶が有るのだが・・・。

Img_0476

続いて午後は、中学校の入学式に出席した。

その新入生の一人に孫娘もいて、何と言うか時の流れをひとしお感じていた。

新入生は165名で、私の同級生が400人程だったことを思うと隔世の感がある。

Img_0477

校長が呼名と同時に一人一人握手して回って、入学式のセレモニーは終わった。

卒業式のあの情緒的な雰囲気と比べると、入学式は明日からの緊張の儀式なのだ。

こうやって刻一刻と時は進んでいくのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月 5日 (日)

日本平

今日は31回目になる日本平桜マラソンである。

この大会は、私がランニングを始めた頃からの思いで深いレースなんである。

Img_0443

7回大会くらいだったろうか、兄弟マラソン大会の浙江省西湖マラソンへの誘いがあって、

テレしずのクルーと一緒に参加して浙江省の大変な歓迎を受けたことがある。

Img_0445

と言っても、大会前日の歓迎会で紹興酒を飲み過ぎて二日酔いのまま走ることになった。

当時は中国でのマラソン大会は珍しかったのか、沿道は黒山の様な人垣で大変だった。

Img_0446

その西湖を渡る道には白い「ギンモクセイ」の花が満開で、異国情緒を満喫したのである。

Img_0451

そう、あの頃は、西湖を巡る歴史ドラマも知らずに走ったのである。

あれから二十年余を経て、中国も経済成長で様変わりをした。

Img_0452

その分、日本との友好ムードが顕著に薄らいだのが残念だが、

Img_0454

本来大陸の人間は打算で進退していると言う点を私達は覚えておかねばならないだろう。

ともあれ、小雨の中の大会になったが比較的温かくって、コンディションは良好だった。

Img_0457

桜も満開を少し過ぎた辺りだろうか、草薙運動場を出て10kはひたすら登りである。

標高307mが日本平の山頂で、そこから清水港に向けて5km程下るのである。

Img_0458

しかし誰が名付けたか「日本平」とは稀有壮大な名前ではないか。

眼下に三保半島と清水港を見下ろし、その上には霊峰富士が聳えているからこそ納得できるのである。Img_0459

確かにかつては日本一の絶景だったと思うのだが、既に清水周辺は一変してしまった。

宅地や工場が広がって、あの昭和20年代までの目の覚めるような景色は今は昔である。

Img_0462

そんなことを考えつつ走っていたのだが、今日は霧に隠れて眼下も何も見えない。

ひたすら頑張ってと言うか、無心のままに23.5kmを走り切って、2時間17分だった。

Img_0464

昨年の記録よりも3分も遅くなっていた。

しかしまあ足も本調子ではない中で、順調に走られた分今度のウルトラへの布石にはなった。

Img_0465

そしてレースの後は、例によって仲間と共にワイワイの昼食である。

しこうして、いよいよ今年もレース本番の季節を迎えたのである。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015年4月 4日 (土)

書写山

姫路から5キロ程山手に入った所に書写山圓教寺がある。

標高371mのその寺域までは麓からロープウエイで5分程で登ることができる。

Img_0436

比叡山同様の天台宗の修験道場寺であって、966年の開山と言うから歴史は古い。

この山を戦略的拠点として目を付けたのが、中国制圧を命ぜられた秀吉だった。

天正6年(1587)播磨制圧に際して、先ずはこの書写山に乱入して僧侶を追い払った。

数万の軍勢を納めるのに十分な僧坊が点在していたからだ。

Img_0437

その僧坊が今日なお残っていて、京都清水寺に似た摩尼殿をはじめ大講堂・食堂・常行堂、

そして開山堂や金剛堂などと甍が続いている。

実のところ、その図太い柱で頑丈に造られた堂塔に立って、秀吉や官兵衛の気配を感じた。

三木城の攻防はこの書写山が策源地だったし、それに・・・

Img_0438

思えば彼らがここで軍勢を進退させたのは450年前に過ぎないのである。

巨大な食堂を正面に三方を囲まれた広場に立った時、心なしか足が震えたのは何故か。

そう言えば、この地で幾つかの映画撮影がされていて、

監督達も同じような感覚だったのではないかと思った。

Img_0439

映画は、あのトム・クルーズのラストサムライ、そして軍師・官兵衛などである。

官兵衛に至っては史実通りの場所で撮影がされたんだから、臨場感は当然とも言える。

それにしても当時2万7千石を領していたとされるが、天台宗の力は然るものだったのだ。

寺域の入り口に「慈悲の鐘」の鐘楼があって、その鐘を心を込めて突いてきた。

Img_0441

全山に鳴り響くその鐘は、歴史を生きた人々と共に今日の私達に響く鐘だと思った。

書写山とは、誰が名付けたのか物思わせる名前ではないか。

歴史とは、かくも身近な所にあるのである。

眼下には、姫路の街の先に播磨灘が広がっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月 3日 (金)

播磨の城

播州の片田舎に姫山と呼ばれる丘があって、そこにちょっとした寺の様な小城があった。

城主は不在で、東に5キロ離れた御着の小寺氏だった。

Img_0388

黒田官兵衛の祖父重隆が姫路にやっ〔流れ〕てきた当時のことである。

困窮していた重隆は、広峰社の御師達と組んで北近江に伝わる目薬を作り始める。

Img_0391

薬は、山に生えているカエデ科の「目薬の木」の樹皮を砕いて煎じて作るのだが、

その薬売りが成功して郎党を従えた幾ばくかの勢力になっていく。

Img_0393

やがて黒田氏は小寺氏の被官となってその小城を任されるに至り、

後の黒田官兵衛はその姫山の小城で生まれる。

Img_0395_2

城らしい構えを造ったのは官兵衛で、そこに織田の力を背負った秀吉が播磨入りしてくる。

秀吉は書写山を拠点に三木城の別所長春を滅ぼして播磨を平定。

Img_0397

その後官兵衛の進言で姫路城に入り、毛利攻略の拠点としたのである。

と言う訳で、最初に三重の天守を築いたのは秀吉であった。

Img_0399

ともあれ時代は秀吉から徳川へと変わっていき、

今日の姫路城を築いたのは関が原の戦いの後播磨52万石の主となった池田輝政だ。

Img_0401

しこうして5重7階の天守は1607年に完成するのだが、

大阪夏の陣の後、今度は本田忠正が入城し、息子に再嫁した千姫と共に暮らしている。

Img_0403

最も美しいとされる姫路城はそんな歴史ドラマを辿っているのだが、

いずれにしてもこの地を舞台にした人々の動きは司馬遼太郎の播磨灘物語に詳しい。

Img_0440

その姫路城が5年を費やして「白過ぎ」〔白鷺〕と言われる程に甦えったと言う。

それで思い立って、矢も盾もたまらずに新幹線に飛び乗ってしまったのである。

Img_0407

姫路駅から徒歩10分でこの世界文化遺産の足元に到着するのだが、

それが満開の桜と相俟って人の波が陸続と続いている。

Img_0411

その桜越しに、美しいとしか言いようの無い壮麗な城郭が延々と広がっている。

「思い切って、来て良かった!!」と溜息をつくばかりの美観なのであった。

Img_0424

既に徳川の世が定まって戦争目的の城は不用になりつつあった時代に、

これ程広大で美しく凛々しい城郭を築いた池田輝政とはどんな男であったのか。

Img_0415

この城を巡りながら、ドイツバイエルン州のノイシュバンシュタイン城を思い出していた。

この城は、19世紀ルートヴッヒ2世が築いたのだが、正に芸術の城として建てられている。

Img_0416

ルートヴッヒ2世は統治不能者とされて軟禁されて直ぐ謎の死を遂げるのだが、

今になって思えば、今日のバイエルン最大の観光資源を残したのである。

Img_0418

因みにディズニーランドの城は、このルードヴィヒの城がモデルになっている。

同じ様に今、この姫路城には世界各国から観光客が訪れている。

木造建築なのに、天を突くように威風堂々と白く聳え輝く大天守、

Img_0426

天守から西に連なる西の丸櫓群とも併せ、その美的バランスには寸分の隙も無い。

確かにこの城は、我が国最大の文化的遺産だと納得するばかりだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月 2日 (木)

人世は長さじゃない

人生五十年と言われたのは、つい先ごろまでの事である。

歴史小説を読んでいても五十を過ぎた人間は既に長老であって現役ではない。

Img_0386

隠居後の伊能忠敬などはおよそ例外なんだろうが、それでも享年は・・歳である。

江戸時代の人々は、いやいや明治も大正も、人生とはそうしたものだと納得して、

働いて子を成して、まったくあっさりと死んでいった。

Img_0385

この点子供も産まない現代の人々は、80,90歳を過ぎてなお綿々と生に執着している。

彼らの死生観と今日の私達と、一体どこが違うのだろうかと不思議に思う。

最近、それは達成感の違いではないかと思っている。

Img_0384

変化の少ない江戸時代の人々にとって、ある意味人生は退屈なものなんじゃなかったか。

娯楽だって所詮知れているし、後代を一人前にすりゃ「これで、俺の役目は終わった」って、

知人も少なくなるし命を悟ることで、あっさりと死に直面できたのではないか。

Img_0383

歳を取ったとしても世の中に特段の変化がある訳でもなく、

同じことの繰り返しで、その退屈さに終止符を自分で打ったてことだろう。

ところが今日、福祉が行き渡って自分が死ななくったって後代はそれ程困りゃしない。

Img_0377

否それどころか、後代すら作らない人が多くなっているんだから責任意識はない。

それに自己執着と言うか、自分ってものをかなり過大に評価している。

実際は平々凡々な人間なんだけど、認められたい目立ちたいって気持ちを捨てきれない。

Img_0376

「俺なんか、大した人間じゃない」と思いつつ、やはり人は自己愛の中に浸っている。

それに遊びも含めてその気になれば、やることは無数にある。

「もう、これでいいや!」って納得することが無くって、延々と管に繋がれて生きることになる。

Img_0310

そういう意味じゃ、昔の人は自然な生き方をしていた訳である。

はて、長生きできるようになった私達は果たして幸せなのかどうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月 1日 (水)

大変だからこそ

団塊の世代が六十代の後半に差し掛かり、それぞれの人生の結論を出しつつある様だ。

「ここまで、来ちゃった」というのが実感だが、人の一生は最後の最後まで分からない。

Img_0341

成績優秀で卒業した同級生が就職して大成したかと言うとそうでもないし、

落ちこぼれだった男が自営業で矍鑠として頑張っていたりする。

Img_0342

学生時代に皆から注目されたマドンナが難病で早世したりと・・・・。

人それぞれの道を歩いて来て今日に至っている訳だが、

Img_0327

何がその人生を決定付けたのかと考えると、やはり人生は不思議だ。

多様な選択肢があるこの現代を生きて来て、それぞれ今日に至っているんだから、

Img_0325

「あぁ、あの時」「あの人と巡り合ったから・・・」などと、詮無い総括が出来るかも知れない。

でも一面で、人生と言うのは正直なものだとも思う。

運不運が有るにしても、基本的には「生きる姿勢」がその結果を決めたのではないか。Img_0378

用心深く平凡な暮らしを求め続けてきた人は、起伏も少ない選択をしてきたろうし、

穏やかで苦労も少なかった分、面白味の少ない人生だったのかもしれない。

天賦の才能があっても、和光同塵と世間の塵に同化してしまえばそれだけのことだ。Img_0379

その逆に波乱万丈で破天荒な生き方をして、今日を迎えている人も居る。

思うのは、波風を避けて暮らしてきた人は、多分話題だって少ないだろうなって事。

人生はそれぞれだからとやかく言うことは無いが、後生大事に生きても面白くはない。Img_0381

私なぞは馬鹿ばっかりやってきたし、失敗だって自慢できる程数多い。

それで思うのは、やはり困難な事をやってきて初めて面白さが分かるってことだ。

人生は躊躇することが幾らもあるが、敢えてそいつに挑戦することから面白くなる。

Img_0382

例えば、100kを走るなんて無謀な事を敢えてやってみる。

すると弱くだらしない自分が見えてくるし、それと戦う自分が居るってことも分かるんだ。

これは走ることに限らない。

登山なら、麓から荷物を背負って山の頂に登ってこその眺望だろう。

Img_0311

誰だって楽をして過ごしたいと思うのが常だが、それじゃホントの面白さは分からない。

実は、人生の面白さは困難の中にこそあるようだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »