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2015年4月 4日 (土)

書写山

姫路から5キロ程山手に入った所に書写山圓教寺がある。

標高371mのその寺域までは麓からロープウエイで5分程で登ることができる。

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比叡山同様の天台宗の修験道場寺であって、966年の開山と言うから歴史は古い。

この山を戦略的拠点として目を付けたのが、中国制圧を命ぜられた秀吉だった。

天正6年(1587)播磨制圧に際して、先ずはこの書写山に乱入して僧侶を追い払った。

数万の軍勢を納めるのに十分な僧坊が点在していたからだ。

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その僧坊が今日なお残っていて、京都清水寺に似た摩尼殿をはじめ大講堂・食堂・常行堂、

そして開山堂や金剛堂などと甍が続いている。

実のところ、その図太い柱で頑丈に造られた堂塔に立って、秀吉や官兵衛の気配を感じた。

三木城の攻防はこの書写山が策源地だったし、それに・・・

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思えば彼らがここで軍勢を進退させたのは450年前に過ぎないのである。

巨大な食堂を正面に三方を囲まれた広場に立った時、心なしか足が震えたのは何故か。

そう言えば、この地で幾つかの映画撮影がされていて、

監督達も同じような感覚だったのではないかと思った。

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映画は、あのトム・クルーズのラストサムライ、そして軍師・官兵衛などである。

官兵衛に至っては史実通りの場所で撮影がされたんだから、臨場感は当然とも言える。

それにしても当時2万7千石を領していたとされるが、天台宗の力は然るものだったのだ。

寺域の入り口に「慈悲の鐘」の鐘楼があって、その鐘を心を込めて突いてきた。

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全山に鳴り響くその鐘は、歴史を生きた人々と共に今日の私達に響く鐘だと思った。

書写山とは、誰が名付けたのか物思わせる名前ではないか。

歴史とは、かくも身近な所にあるのである。

眼下には、姫路の街の先に播磨灘が広がっていた。

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