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2015年5月31日 (日)

人生各々の流儀

人生を何十年もやっていれば、自ずとその人なりの流儀の様なものが生まれる。

癖と言っても良いが、やはり習い性となったものは流儀だと思う。

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常に前向きに生きている人はそれなりの精神性を持つし、ポジィティブな人は真逆だ。

とかく妬みや僻みを基調とした発想しか出来ないし、問題は常に他にあると考える。

「向こう岸、見ているだけでは渡れない」のであって、他人の悪口で憂さ晴らしに前進はない。

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私自身の流儀は北辰一刀流の様な一流ではないが、前向きてある事は間違いない。

例えば、昨日と今日は同じことを繰り返さないと言いうのも私なりの流儀だ。

通勤の道すがらだって昨日と同じ道は歩かないと決めて、もう何十年も過ごしてきた。

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「そんなの別に何ってことないでしょ」と思うなかれ、そんな些細なことから人生を変えてきた。

短いようで結構長い人生における好奇心の持続には、やはりそれなりの工夫が必要なのだ。

あるがまま惰性に流されるなら、人間はどんどん後退していく。

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そう言う意味じゃ「生きる意味は何か」「いかに生きるか」「自分の生甲斐は何か」って、

答えは出ないけど、何時までも青臭く考え続けることが必要だと思うのだ。

退職してからもう10年近くになって、人付き合いも生活も様変わりしたが、

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より人間らしくと言うか、日々の生活は昔よりも遥かに創造的になっている。

何を作ろうか、どんな工夫をしようか、何処に出かけようか、今日は何を書くか・・・・・

などと毎日がクリエイティブなのである。

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自分なりの人生の流儀は、出来るものではなく意識して創るものだと思う。

折角の人生だから、自分の足でしっかりと歩み続けたいと思っている。

そうして、人はそれぞれが自分流で生きれば良い。

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2015年5月30日 (土)

ライフスキル

久しぶりの休日?の様な気がする。

と言う訳で午前中はいつもの山を走って、午後は息子の家の生け垣を48本植えた。

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山ではホトトギスが鳴き、今年初めてのササユリの花と対面できた。

仕事があり、毎週大会を走り、そして休息があて、そんな具合に毎日が過ぎてゆく。

確かに人生には苦もあり楽もあって、スキルなんて言う簡単に生きる術なんてない。

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それでも「生きる為の術」ってことを繰り返し考えている。

と言うのも、昨日地元の中学校の運営協議会があって、ライフスキルを柱に教育を進めると言う。

子供達が人生を深く考えるきっかけになれば素晴らしいが、そんな教科書はあるまい。

否、あったら私が真っ先に勉強したい。

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否例えば、人と接した時に「好感度」を上げる接し方など・・・・色々と有るかも知れない。

そもそも江戸時代は読み書きそろばんで、教育のすべてが事足りていた。

今は英数国社理、その大部分が人をセレクトしていくための教科になっている。

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例えば今最も力を入れるとされる英語教育だって、物になった人がどれだけいるだろうか。

中学以降莫大なエネルギーを使って、果たしてどれ程の成果が上がったのだろうか。

そもそも、英語が不要な国に生まれ育って、言語としての英語が定着するはずがあるまい。

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その英語を小学校3年から教えようとするのが今日の流れだが、壮大な無駄かも知れないな。

それよりもキチッと読み書き算数を身に付けさせて、

ゲームによって失われてしまった読書習慣を身に付けさせた方が人生は豊かになる。

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そんなこんな色々と考えるが、「一人の人間の生きる術」を教えるって視点は正しい。

ただ、どうやって大人だって右往左往しているこの課題を教えるかである。

昔はさ…みんな親の背中を見ながら身に付けたんだけどね。

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今じゃ、親の背中は霞のかなたにあって、観たくても見られないのが現実だ。

あなたのライフスキル、ちゃんと子供達に伝えられていますか?

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2015年5月29日 (金)

フゴッペ

北海道の余市の近くにフゴッペという古代遺跡がある。

何時の頃の遺跡か定かではないが、海岸近くのボコとした岩の下に洞窟があって、

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その壁に幾つもの壁画が刻まれている。

大勢で舟をこぐ姿など、あの教科書で習ったスペインの洞窟と同じような、

当時の生活風景と思われる線画が刻まれているのだ。

堅い岩に何を使って掘り込んだものか、或いは何のためにこんな作業をしたのか?

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暗い洞窟の中でその図形を眺めながら、黙々と作業をした人々の事を思った。

オホーツクを渡ってきた人々なのか分からないが、彼らは自分をここに刻んだのである。

数千年前の彼らが、この土地に生き、この土地に立っていた証拠をここに残したのである。

文明とは程遠い時代の事だけど、感じたり思ったりすることは私達とそんなに違わなかったろう。

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何故生きるのかとか、恋しい心とかを語りつつ、この洞窟の中にいたのかも知れない。

或いは、寒さを凌いて洞窟に暮らす間に、退屈しのぎに刻みつけたのかも知れない。

綿々とした時間が経過し、そしてその絵の前に立つ私達はそのタイムスリップに唖然とする。

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恐らく切れ目のない繋がりの果てに、自分がここで呼吸しているのだと思った。

いずれにしても、彼らにも私達と同じ時間が流れていたのである。

人間とは、今を懸命に生きるそういう動物なのだと思う。

 

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2015年5月28日 (木)

人が好き

この世で何が幸せかと考えると、とどのつまりは人から好かれる事らしい。

しかし、人を好きになることも含めて、これは容易な事ではない。

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人間には、無くて七癖などと言われて、長所も含めて欠点だって皆持っている。

その自分の欠点を補おうとして、地位や肩書きに拘ったり虚勢を張ったりしてね。

普通はそんな欠点が先に目に付いて、中々人を好きになれないものである。

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私なぞは元来の引っ込み思案に加えて臆病で物惜しみだから、まぁ好かれようが無い。

それでもまぁ、僻み屋、悪口屋、怨恨屋、嫉み屋、それに罵倒屋に比べれば良い方だろう。

ともあれ、人に好かれたかったら先ずは人を好きになることだ。

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犬だって、その人が自分を可愛がってくれるか否かを瞬時に嗅ぎ分けるという。

人間なら、自分への好意を敏感に感じるものだろう。

そもそも人は自分と違う色々な面を持っていて、その違いに先ず興味を持つ。

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就職して真っ先に尊敬したのは、そんな先輩・上司だった。

そして「あぁ、俺はこの人の真似をすりゃ良いんだ。」と思った。

と言っても真似は真似に過ぎないのだが、それでもその後の大きな力になったと思っている。

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人は環境の動物でどんな所で生まれ、どんな人達と共に過ごしたかで別人になってしまう。

そう言う意味で、好かれる人と共に過ごすってのはとっても幸せな事だ。

そんなことがやっと分かる年代〔晩生だが〕になった今、とにかく人を好きになるよう努めている。

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その人の語る言葉を真正面から受け止めてね。

もとより走る仲間は皆好きだが、今そんな一人ひとりの個性を愛おしく思っている。

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2015年5月27日 (水)

時代と感性

若者は希望にあふれ、年寄りは消沈していると言うのが世の常識だ。

しかし人の考える〔感じる〕ことは、6~7才くらいから余り変わらないのではないか。

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今時の子供たちは向上心の欠如と言うか「あきらめ」てしまうのが早いらしく、

自分の進学や職業選択などの将来に対して、野心が無くて消極的だと言われる。

翻って私達の頃はどうだたのかと考えてみると、

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時代の流れに乗っただけで、今時の子供たちと変わらないかも知れないと思う。

子供の頃は、自分の家が農業だったから自分も農業を継ぐものと思い込んでいた。

そのうちに戦後の経済がかなり上向いて来て、

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どうせ農業やるなら大学で勉強して一流の農業をやろうと思うようになった。

それで農学部を選んだのだが、やがて高度経済成長が始まって時代が変わり始める。

同時に食糧難は解消して、一気に生産過剰の時代へと〔昭和44年の転作〕突入する。

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とりあえず就職するかって訳で、サラリーマン生活に入ってしまった。

サラリーマンやる以上は最善を尽くしたいと思ったし、人に負けたくなかった。

何が好きで何をしたいのかなんて考えるまでもなかった訳で、まぁ~それで良かった。

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多分、同世代の多くが似たり寄ったりで、その人生を選択してきたのではないかと思う。

中学から高校・大学と進学するに従って、少しずつ職業選択が絞り込まれて、

本人もその絞り込まれる中で、現実と擦り合わせながら「あきらめ」を育てるのである。

ただ今日と違うところは、経済成長のお陰でどんどんキャパシティが大きくなっていたし、

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誰の賃金も上がって例え適当な妥協をしたとしても「格差」は大きくならなかった事だ。

だけど今では、難関大学を目指して努力しても、その先が随分と細ってしまっている。

結果としてオーバードクターが増え、フリーターへの流れになっているのだが、

バブル崩壊以降は年功序列すらも危うくなって、パートで人件費を下げる時代だ。

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極論すると、ほんの少数のエリートと大多数の低賃金労働者の格差社会になりある。

今の若者はそうした状況を敏感に感じて、何事にも消極的なのかも知れない。

はてさて、若者は夢を持てとは言うものの、どうしたものか?

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2015年5月26日 (火)

キャンプの思い出

かつて(40年前)、静岡ファミリーキャンピングクラブに所属していて、毎月キャンプに出かけていた。

毎月だから春夏秋冬、冬は雪上や氷上、夏は酷暑の海などと様々な体験をした。

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子供達も小さくって、色々なワイルドな体験をさせたかったし、家族の絆が出来ると思った。

今日の様に車とセットのキャンプが容認されない頃で、何時も会場探しに苦労した。

それで何回かキャンプしたのが、先日の大野路キャンプ場だった。

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1月の例会だったか、テントを張って子供を真ん中にして寝たのだが流石に寒かった。

翌朝起きてみるとテントの中は呼気が凍って真っ白になっていて、

テントの中にあった牛乳パックはシャーベットになっていた。

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ともあれ1983年、大野路オートキャンプ場を会場に世界キャンプ大会が開催された。

世界15か国2.000人程のキャンパーが集まり、私達はスェーデンのホストクラブになった。

お人形さんのように美しい娘さんたちと、夜な夜な宴会を繰り広げた記憶がある。

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あの世界大会あたりを境に、日本でもオートキャンプが普及し始めていく。

がしかし、子供達が大きくなって・・・と言うよりも、女房殿が面倒臭がって、

そもそも当時のキャンプは、設営も含め炊事や後片付けが大変だったのである。

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当時の野路のキャンプ場は、転作田(芝生)をそのままキャンプ場にしていて、

今では様々な施設が出来ているが、広大な芝生が広がる野原だった。

しかしながら、あれから40年が経過した・・・・・・のである。

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光陰矢のごとしとは言うが、過ぎてしまった40年はいかにも短い。

しかしキャンプは、あの若かりし頃の新緑のように輝く思い出なのである。

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2015年5月25日 (月)

時には子供の様に

衣食足りてと言うか豊かな時代になって、人々のオタク化が目立つのだそうである。

オタクってのは、大人になりきらずに少年のような行動を続ける人を言う。

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・・・ってことは、休みの度にマラソンなどに現を抜かしている私なぞは典型的なオタクだ。

「もぉ~、遊んでばっかりで・・・」とのたまう山ノ神の仰る通りなのである。

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ところで普通の動物〔犬や猫、牛や馬など〕は、子供の時にはじゃれて良く遊ぶが、

成長するとそんな子供らしさを失って、繁殖と食糧確保に精を出すようになる。

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ところが人間は、殊に近世以降は一生を通じて遊び心を持ち続けるようになった。

そうしてその遊びには色々な呼名が付けられた。

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スポーツとか音楽、旅行や娯楽、芸術や文学なぁ~んて呼ぶようになったんだ。

何のことは無い、私達が常日頃かかわっていることの大部分がコレだ。

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つまり遊びまわる人ってのは、より人間らしい人間ってことになる。

そしてまた人間は遊びの中から、文化だの何だのとこの面を進化させてきたようだ。

そういう意味ではちょっと視点は違うが、

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ビル・ゲイツにしろニュートン、それにアインシュタインだって完全なオタクだ。

いやなに、自分のオタク具合を正当化しようってんじゃ無い。

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この手の屁理屈を言っても、うちの神さんはまったく聴く耳を持たないからね。

言いたいことは、童心に帰って夢中になって遊ぶってことが大切だって事。

この世の中は、損得の打算や地位だ名誉だのを追い求めるから暗くなるんだ。

そもそも私は、山ノ神に対しては風に吹かれる柳の様に従順なのだが、

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こればかりは何を言われても馬耳東風で、せっせと自分の道を行こう!!

ほらほら、歳をとると子供に帰るって言うでしょ。

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2015年5月24日 (日)

霊峰富士

富士の高根に降る雪も、京都先斗町に降る雪も、溶けて流れりゃみな同じ♪

溶けなけりゃ富士の白雪の方が、グレードが高いと歌っているようである。

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単独峰でこれだけ均整がとれて美しい山は、世界広しといえどそうは無いだろう。

世界自然遺産に登録された富士山だが、十分活かされているかと言うと???である。

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遺産になったことで不要な登山規制や登山料が始まって、逆のアクションになっている。

かつて行政機関で富士山一周駅伝の創設が話題になったことがある。

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だけど結局山梨県と静岡県に跨ることから、それも沙汰やみになった?

今回ぐるりと自分の足で富士山を回ってみて、富士山と人間のありようを思った。

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子供の国や富士急ハイランドのような遊園地ができていたり、富士五湖をはじめ、

忍野八海のような独特な観光地だってある。

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もちろん胎内や人穴、風穴や氷穴、青木が原樹海などと、自然の生み出した奇観もある。

それに日本の一大軍事基地、演習場としての富士山ろくの位置づけもある。

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それはそれで結構だが、「富士八景」(富士を眺めるベスト8景)が欲しい。

そしてその八景をめぐる駅伝大会やツーリングができれば、それは面白くないか。

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私も含め今回参加したランナーの多くは、やはり富士山を堪能することが目当てだった。

昨日一日自由富士山を眺めていたのに、みんな今朝も早朝から富士山を探していた。

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ともあれ朝食を戴いて、旅館前で

残った全員で写真撮影をして「まだ、どこかでお会いしましょう」と散っていった。

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賑やかな大阪の叔母ちゃん達、何時もお会いするラン友の皆さん、色々とありがとう。

やはり、富士山は素晴らしいよね。

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2015年5月23日 (土)

富士の高根を見上げて

午前零時、大野路の旅館前に点滅ランプを着けて勢揃いしたのは150名余である。

玄関前の皆さんを見渡すと、何故かレンブラントの夜警を思い出してしまった。

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ともあれ気温は寒くもなく暑くもなく、多分絶好の条件かも知れない。

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富士山が暗闇に薄く浮かんで見えていて、この富士を右手に見つつ18時間以内のランだ。

最初は夜景軍団の群れだったが、いつの間にかバラけて2〜3人の塊になっていく。Img_1021

夜間山中を一人で道を確かめながら走るのは大変なので、皆必死で塊を追うのである。

そして顔の見えない中で、四方山の人生話を交わすのが、Img_1022

何ともこんなシチュエーションならではのことだ。

途中から癌克服のためにマラソンを始め、Img_1023

そして今回初めて100kに挑戦する女性と一緒になった。

様々な人生の苦難を背負いながら、彼女は今出来ることをやるんだと明るく語っていた。Img_1025

彼女の口振りから察するに、とっくに癌など克服しているのではないかと思った。

私がいつも書いているようなことを、彼女は身をもって実践しているのである。Img_1026

病気であろうがなかろうが、人の一生は誰だって明日が保障されている何てことは無いんだ。

午前四時ころ、富士宮の白糸の滝付近で夜が明けると、くっきりと富士が浮かび上がった。Img_1027

清く雄々しくすっくと天に聳えている。

カメラマン達がずらり並んでいて、今朝はこの地点でダイヤモンド富士が見られるんだとか。

どうやら私たちは、少しばかり早く走りすぎた様である。

中5日のウルトラ100kでどの程度走れるのかが、今日の私の課題である。

ぐるりと距離を進めるにしたがって富士山の姿が少しずつ変わっていく。

そして嬉しいのは、数か所に仲間が設営してくれたエイドである。

本栖湖では、静岡から駆けつけてくれたランナーが待っていた。

山中湖には山梨県のランナーが夜っぴてヨモギ餅を作って待っていた。

90k地点には、東京と愛知県から駆けつけた仲間が大歓迎してくださった。

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自衛隊板妻の駐屯地、富士学校の演習地を抜ければゴールはまじかである。

そんなこんな、皆さんに助けられて15時間57分でゴールした。

マラニック故に、2時間も余分にランを楽しんでしまったのである。

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2015年5月22日 (金)

人生の段階

人の一生ってことを思っている。

生まれて成長して歳をとって、やがて体力が衰えて生涯を終える。

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それは極めて自然な事だが、その生涯のそれぞれの段階に何を成したかが人生だ。

内気で内向的な子供の頃のことを思い出すとやりきれないが、

それが密かな負けん気を育み、後のバネになった。

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学生時代には大いに自由にと言うか、自分の羽を伸ばした時期だった。

大阪万博が開かれて、時代は正に高度経済成長期に入ろうとしていた。

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初任給の33,150円は、数年を待たずして10万円を越えた。

それが当たり前と思って過ごして20年、暗転したのが平成2年のバブル崩壊だった。

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その二つの時代を通じて、まぁ精一杯の仕事人間をやらせてもらえた。

仕事は面白かったし、その仕事を通じて自分ってヤツが出来たと思っている。

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そうして今、かつて出来なかったことが出来る人生の成熟段階を生きている。

問題は体力だが、これは限度があるにしても鍛え方如何である。

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だいたいが、体力と言うのは足から衰えることになっている。

風呂場で垂れ下がった尻を見かけるが、あれが足と尻の筋肉の衰えの象徴だ。

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幸いにも私は盛年の尻を維持していて〔良く見たことは無いが〕、この点は磐石だ。

しこうして、この段階における人生の価値とは何かと考えているのである。

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それは人生の秋にして、それなりにもの皆が成熟する時であろうか。

しかしながら気持ちは若いままだし、果たして成熟とは何かと思案が続く。

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話は一転するが、今、富士山の東麓の裾野市大野路に来ている。

鎌倉時代の昔、源頼朝や御家人たちが広大な巻狩を繰り広げた所である。

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実はここには昔から広大なキャンプ場があって、懐かしい場所なのである。

そう、あれはかれこれ40年前にもなるのだが、ここで世界キャンピング大会が開かれた。

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私達もその一員で、確か1週間ほどを世界中の家族キャンパーと過ごしたのである。

その同じ芝生の上に床几を置き、一人向かい合わせに暮れなずむ富士を眺めていた。

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そこには圧倒的なスケールで裾野を広げ聳え立つ富士山がある。

今夜未明、この地をスタートして、右回りにグルッと富士山を巡る100kの旅に出る。

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そして明日の夕方には、「元気」にこの場所に戻ってくる予定なのである。

今できることは、最大限に自分の命を燃やすことだと思っている。

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成熟段階の人生は、俯いて日々を暮らすことではないのである。

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2015年5月21日 (木)

人って色々

人って、人によって育てられるんだな〜って思う。

もう既に随分たくさんの人々と関わって、そして今があると思う。

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子供の頃の馴染みは、苛められっ子だったせいかあまり良いイメージがない。

それと正反対に、学生時代の人間関係は人ってものを知った初めての体験だった。

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だから今でも、同窓生などの一人一人を思い出すことができる。

だけどその同窓生だって、既に会うことのできない人も何人かになった。

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就職してからの先輩や同僚、そして後輩とは無数のエピソードを創ってきた。

激論したこともあれば力を合わせたこともあって、競争相手だけど仲間だった。

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権威に弱い私は、上司には弱かった。

雲の上の存在のような人もいて、委縮して思うことの半分も言えないのが常だった。

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各段階の政治家なんかともかかわったが、立場を除けば同じ人だった。

そんなこんな、人って色々あったな〜って思う。

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ひょんなことからランナーズクラブの一員になって、その気楽な仲間関係が気に入っている。

もう20年もの裸の付き合いだから、言うならば肝胆相照らす仲間だ。

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それにそもそも走るってことは、自分に向き合うってことに他ならない。

黙っていたって気心は知れるし、人間の真のところが見えてくる。

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そういう意味で、私はランナーがとっても好きだ。

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2015年5月20日 (水)

養生?

今週末は富士山をぐるり一週100kを走ることにしている。

二週連続のウルトラランなのだが、走友たちの何人かから羨望〔?〕を含めて声がある。

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「歳なんだから・・・無理しない方が良いよ」と言う忠告である。

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確かに100k走ではダメージの回復に相当の期間を要するのが常ではある。

だから疲労が積み重なって・・・・と心配してくれているのだ。

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養生訓にも「養生の道無ければ、・・・・盛んなる人も、天年をたもたずして・・・」とある。

しかしながら貝原益軒の言う養生とは、日常の生活態度のことを言っている。

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つまり、「飲食を慎み、早寝早起きをして規則正しい生活をしろ」という極当たり前のことだ。

これはチャンと守っているんであって、私のマラソンは生活に緩急をつける為のものだ。

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益軒は「長生きすれば、楽しみ多く益多し」とも言っていて、定年後こそ楽しめると諭しているのだ。

益軒の頃は人生五十年の時代で、その後が無くては人生の味は分からぬと言うのである。

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今なら還暦以降の人生こそ、自分の人生を本当に楽しむときだと言うことになる。

つらつら考えてみても、確かに血気盛んだったあの頃よりも今の方が充実している。

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事の善悪はもとより、今を生きていることの大切さを味わえるようになっている。

その楽しみの一つが、私の場合ウルトラマラソンなのである。

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而して何ぞ躊躇なぞするものか・・・・大いに楽しめば良いと思っているのだ。

私の知人に、70歳近くなってから連続フルマラソンの世界記録を創った男がいる。

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確か彼は、101日間〔雨が降っても風が吹いても〕連続でフルを走ったのである。

その彼の記録をベルギーのステファン某が365日走って破ったばかりだという。

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私の場合、そんな無茶をしようって訳ではなくて、あくまでも楽しんでやるのである。

これ、人生の養生也。

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「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」〔益軒〕

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2015年5月19日 (火)

地上の現〔うつつ〕

人々は息を弾ませ、雪を頂いた八ヶ岳に向かってひたすら駆け登っていく。

まだ若葉になったばかりのカラマツが、静かにその人の群れを見下ろしている。

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行く手に聳える八ヶ岳の峰は、形を変えつつも悠久の時を経てそこにある。

そして蒼い峰々は、私達よりずっと遥かなる永遠の調べを奏でているのである。

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所詮人間の一生などと言うものは、その永遠の時間からすれば瞬時に過ぎない。

人々はちっぽけで瞬時の存在だからこそ、夢中で山を掛け登って行くのである。

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そしてそこには、自分と言う存在を永遠の世界に結び付けてくれる何かがあるのだ。

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林のカラマツの巨木が、ちっぽけな存在の自分を導いてくれるかのような・・・。

近頃では全国各地でウルトラマラソンが開催されるようになっている。

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だけどこの18年間、八ヶ岳山麓の大会を走り続けた理由はこの悠久の自然なのである。

山麓を切開いて高原野菜の畑としてきた人々の営みとは別に、

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私達は年にたった一度、自分を自然の時間の中に丸ごと放り込むのである。

人生の瑣末な事はすべて忘れて、ただ足を前に出すことにのみ専念する100kなのだ。

この100kの旅では、自分の卑小な人生の意味など省みる何の余地も無い。

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ただただひたすらに、ゴールを目指す心で満たされている。

世の中は大阪都構想の投票があり、安保法制云々と時々刻々と動いている。

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いやさ管理人不在の私の葡萄だって、刻一刻と成長を続けているのである。

誠に申し訳ないが、そんな「地上の現」を忘れ去って私達は山中にある。

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人は誰もが無心にひたすらその人生を生きているのだが、

或いは人生の何事も、夢中で駆けることに通ずるのではないかと思う。

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多分、人生とはそんなもんなんじゃないか。

今できる事に夢中で取り組むことが出来れば、そんなに幸せな人生は無かろう。

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2015年5月18日 (月)

一夜が明けて

あの昨日の苦闘は、節々に痛みを残しつつも爽やかな朝を迎えさせてくれた。

朝五時、足腰のリハビリを兼ねて高原の風を吸いに散歩に出た。

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宿から1km程登った所にあるリゾート施設から別荘地を抜けて、松原城跡に下る。

松原湖の東に連なる山々は、平安期の城塞跡らしく最後は武田昌信が攻めている。

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表示板の他は城塞らしきものは何も残されていないが、そこを下って松原湖へ。

朝の散歩は2時間余となって、昨日の余韻をかみしめながらの一時になった。

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朝食を終え、皆で八峰の湯へ向かった。

八ヶ岳の五峯を眺めながら入浴できる絶好の湯に浸かって、昨日の疲れをいやすのである。

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この湯は42kのゴール地点でもあって、昨日と打って変わって静かな余韻を残している。

そう・・・、昨日のレースはもう既に過去の事だと悟らせてくれるのだ。

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この余韻と言うものは、完走するのと出来ないとでは全く異なっている。

お蔭で今回は、快い疲れとなってその余韻が心を弾ませている。

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もう駄目かもしれないと思って挑んだレースだったのに、出来たじゃないかっていう自信だ。

とは言え、何度も何度も「もう、止めよう」と思ったのは事実である。

それを押して前に進めさせたものは、仲間の存在を含め様々な思いだ。

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応援してくれているだろう人たちの顔も繰り返し思い浮かべていた。

人間なんて一人じゃ弱いもんでね、沢山の人々の応援が最後まで走らせてくれたのだと思う。

私達小笠山ランナーズクラブの、今年最大のイベントは終わった。

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参加した一人一人にとっても、気持ちも新たに来年のこの大会を目指して練習するのだ。

そして、このかなりハードルの高い100kレースは、私たち一人一人のバロメーターでもある。

よしゃ、今年も頑張るぞってね。

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2015年5月17日 (日)

淡々と

車に乗り合わせて宿を出たのは、午前3時少し前である。

会場の野辺山体育館周辺は三千人余のランナーでごった返していた。

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今年の八ヶ岳野辺山100kマラソンは21回目(震災で中止があって実質20回)で、

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20回完走を果たしたランナーが3人誕生した。

私の旧知の星崎さんもその一人だが、私は18回目のチャレンジである。

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100kの道中には様々なドラマがあって、過去のそんな出来事を思い出しながら列に並んだ。

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実は10回以上の完走者(デカフォレスト)は、最前列からスタートすることになっているのである。

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スタート前には目前で山梨学院大学のチアリーダーが、毎年パフォーマンスしてくれるのだ。

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歯切れの良い動きを眺めながら、「ひたすら淡々と走ろう」と自分に言い聞かせていた。

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他人に影響されるのではなく、早くも遅くもなくひたすら走るのである。

ただ、体力を温存するために急な登り坂は原則歩くことにした。

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当然ながらタイムは遅くなるが、今回は私自身との真剣勝負のつもりなのだ。

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18k程坂を登っていくと今回のコースの最高地点1908mに届き、そこからは下りが多くなる。

登りの時間ロスを下りで挽回するのである。

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昨夜準備したスペシャルドリンクのおかげで、あまりエイドのお世話にならずに先を急いだ。

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それでも60kを過ぎたあたりから、「淡々と」が思うに任せなくなってきた。

足腰に鉛をぶら下げたようになって、

緩い登りであろうがフラットであろうが、歩くしか仕様がなくなってくるのである。

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そして71k過ぎからは一時間余も歩いたろうか、

もっとも急坂が延々と続く馬越峠は歩くしかないのである。

山頂の通過は門限の50分前であった。

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山頂からの5k余りの下りを上手く走れれば完走が射程圏内に入ると計算できる。

先が見えれば、18回目の挑戦だから攻略方法は慣れている。

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と言う訳で13時間53分、ゴールのテープを切ったが、顔はすっかり崩れてしまっていた。

何と昨年から4レース目の涙の完走なのである。

兎も角、長い長い私の一日が終わった。

人生も人それぞれなように、マラソンにも様々な人生のドラマがある。

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2015年5月16日 (土)

さやかに風吹いて

爽やかな天気に恵まれた先週の札幌の空気を思い出している。

歴史こそ明治以来のものだけど、しっかりとした落ち着きと清涼感を漂わせる街だ。

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もう何度か訪れているのだけれど、その度にここの空気に酔いしれる。

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今回訪れた日の夜にはテレビ搭に登って、あの札幌の夜景を堪能した。

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下から見上げるよりも余程高く感じられ、夜景自体が旅情を掻き立ててくれたものである。

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そして明朝は、明るくなるのを待って近回りを気持ちよく走って回った。

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大通公園のチューリップはもとより、道庁前の花壇にはスズランが咲いていた。

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あの時代、札幌農学校のクラーク博士にしても、

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壮大な北海道の開発と大きな可能性を秘めて、これからの時代を見詰めていた。

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当然ながら「諸君、大志を・・・・・」となってしかるべきだったろう。

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明治の人々が新しい時代に向かって坂を駆け上ろうとする時代だったのだから。

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碁盤の目に大きく仕切られた札幌の街は、そんな当時の人々の気持ちをも表現している。

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江戸期の人々にとって西欧のレンガ色の文明は圧倒される程眩いものだったろう。

旧道庁舎は、そんな西欧文明への強烈な憧れと、

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自分達のこれからを模索する当時の人々の気概を映しているのだろう。

ともあれ150年で北海道もこの国もここまで来たのである。

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隔世の感と言うべきだろうが、人々の気概も様変わりしているのではないか。

イヤイヤ他人の事ではなく、自分自身に問うているのである。

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「お前は、これまで何をしてきたのだ」と・・・、札幌の風がそんな具合にささやいていた。

人の一生には限りがあって、どうせ高が知れた事しかできないのである。

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そんなことは知れているが、札幌の街をを吹き来る風が私に言う。

古希ななんなんとする私に「お前にも、何か出来たのではないか・・」と。

旅の空は、物思わせるものである。

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実は今日、長野県の八ヶ岳山麓に来ている。

北海道に似た牧場もあって空気も涼やかで、ついつい札幌を思い出したと言う次第だ。

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そう・・・・明日は、私の試金石ともなる100Kウルトラマラソンを走るのである。

何も考えず、ひたすら淡々と走ろうと心に決めている。

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2015年5月15日 (金)

秘すれば花?

世阿弥の風姿花伝に「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」とある。

秘伝の奥義は人に見せず、秘め隠しておくからこそ価値が有るというのがそもそもの意味だ。

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それを私達は、たとえ才能があってもなるべく秘めておく方が価値があると解してきた。

正に何でもパフォーマンスしてしまう欧米人と日本人〔文化〕の違いなのであったが・・・。

だけど戦後の日本人の生活は、住居や生活様式もすっかり欧米化してしまった。

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慎みとか恥じらいなんて美意識は今は昔で、露出万能な風潮が目立つようになった。

露出も女性タレントの全裸姿は良しとしても、自分勝手な自己主張はいただけない。

言うだけは言ってもやる事はやらないという・・・秘すればとは逆の風潮なんである。

私も「目立つことはするな」と教えられて育ったのだが、五十頃からそろりと変わってきた。

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目立つといっても毎朝街頭に立って小旗を振る程度だから知れてはいる。

この立哨もこの四月から7年目になって、何時の間にやら習慣化してしまったようだ。

とは言え、この寒いのに・・・とか、雨の中を・・などと躊躇うことも無い訳ではない。

それに「こんなことをやっていて、何の価値があるの?」って自問自答かな。

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実は昨日、「子供の安全を守る会」の年に一度の総会があったのである。

総会の後、講堂に集まった全校生徒との対面となって、

代表生徒の感謝の言葉を聞き、一緒に懐かしい校歌を歌って帰って来た。

そんな訳で、これからも止める訳にはいかなくなったのである。

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ところでこの会の会員は、若い人が加わってくれないからドンドン高齢化している。

80歳近い人がヨロヨロと歩道に立って旗を振っているのである。

名物お婆ちゃんはそれはそれで価値あるのだが、「それでは、私か・・」と言う人が無い。

「そんな恥ずかしいことを・・」と言う気持ちを振り切る勇気と秘めた志に至らないのだ。

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「秘すれば花」とは、何時かは自分を役に立ててこその花なのである。

恰好なんかつけずに、出来れば勇気を持って花になってみようよ!!

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2015年5月14日 (木)

ライフスキル

子育て(教育)には、試行錯誤の連続で多分正解と言うものは無いのではないか。

結果がすべてであって、私などは特別に学校でスキルを身に付けたなんて記憶もない。

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人間の子供だって、生きる為に何が必要かって必死に感じながら生きている。

だから放っておいたって、それなりに何とかなるものだと思う。

とは言え、時代は少ない子供をいかに育てるかを問うようになっている。

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それでライフスキル教育がクローズアップされていると言う次第だ。

昨日は地元の小学校で学府教育協議会の研修会が開かれて、そのテーマがそれだ。

そしてこの日のモデル授業のテーマが「友達」で、小5の子供達が考えていく。

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友達とは、友達として大切なこと・・・を考えるのだが、実は大人でも難しいテーマだ。

そりゃ仲良く遊ぶって事では共通かもしれないが、

大人の世界に入っていくに従って、職場の同僚・ライバル、飲み友達、ラン友、

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同志、幼馴染などと様々なシチュエーションが生まれてくる。

人生経験の少ない子供達にそこまでのスキルを求めても無理と言うものである。

無邪気なそして素直な意見交換が続くのだが、

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まぁ・・・友達ってことを考える端緒にはなる。

そんなグループでの意見交換や発表を通じて、「自尊感情」を育てようと言うのである。

今の子供達には「どうせ、俺なんて」と自分に自信の持てない子供、

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それに自分の感情がコントロールの出来ない子供が増えていると言う。

貧しくてものどかだったかつての時代と違って、

心と体をすり減らすようにして生きている人が多くなって、

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結果として子供たちもかなりナイーブな育ち方をしているのかも知れない。

時代の変化はともあれ、義務教育で必要なのは読み書きそろばんと、

そしてライフスキル(生きていく力)を涵養することだろう。

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沢山の子供達が切磋琢磨しながら、時には涙を流し悔しい思いをしながら・・・

自分の一生を生き抜く基礎をつくることだ。

今の子供達が特別ってことは無いんだ。

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2015年5月13日 (水)

自分なりの時間

常日頃から、かなり規則正しい生活をしているつもりだ。

夜明けと共に起きて畑仕事を済ませ、子供たちを見送りに街頭へ・・・・

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晩方はブログを書いて晩飯を済ませ・・・・そして決して夜更かしはしないと言った具合だ。

そして折々に旅ランに出掛けるのだが、

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そのイベントがあっと言う間に遠い昔の出来事になってしまう。

幾つもの・・・幾つもの出来事が積み重なって、それが皆高速で過去の事になっていく。

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私の回りの時間経過が速くなった訳でもないのに、月日の変化が際立って速くなった。

この地球の一回転は24時間であり、365日で元の所に戻ってくる訳だが、

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出来るものなら、もっとゆっくりした地球外の惑星に飛び出したいと思うくらいである。

歳を取るに従って時間の流れは速さを増す。

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そして愉快なことは、誰もが体験している様にあっと言う間に過ぎ去ってしまう。

時間は人によって永くも短くもなる訳で、その人なりの時間が存在するんだろう。

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実は、このブログを書き始めてから今夜で3,300日になった。

正味9年間ほぼ毎日書いてきたのだが、この間の時間の経過を思っているのである。

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退職を数年後に控えて、退職後への自分なりの時間の積み重ねを記録したいと考えた。

それも内に秘める日記ではなく、公開のモノローグとしてのブログを選択した。

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そしてブログを書くことが、結果として私の行動をアクティブにしてくれた様である。

それに書くことは、少しばかり考えることだし、物の見方もかなり変わったかも知れない。

地球が太陽の周りを9週する間に、一体私は何をしてきたのだろうか。

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振り返ってみても、取り立てて何が出来たと言う訳でもなさそうである。

まぁ私なりの時間を、その時々の今をひたすら生きてきたってことかな。

その足跡を拙い文章で余すところなく記録してきたつもりだ。

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それも、ご覧頂いている方々がいるって事が励みであることも事実だ。

ともあれ、このブログもあと350日で10年になる。

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2015年5月12日 (火)

旅をしようよ

北海道の旅は、人も景色も天気も会話もすべからく味わいのある楽しい旅になった。

それで、いまだに旅の余韻を引き摺っているのである。

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おまけに無性に旅に出たいと思うようになって、それも一人旅でなく、喧嘩の旅でもなく、

仲間とのワイワイの旅をし続けたらどんなに素晴らしいかと思うのだ。

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そもそも人類は七百万年前、アフリカのサバンナを旅立ってこの地球に拡散したのだ。

食べる為の旅だっただろうが、人々は旅をしながら住処を作りそこを故郷にした。

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故郷が出来るとまた旅をするといった具合に地球上に広がっていったのだろう。

未だ見ぬ世界を求めて、好奇心いっぱいの人々が世界を広げていったのだ。

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だから旅をすれば元気が出るし、仲良くなれるし、そして旅は人を変えるのだ。

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ところで私たち一人一人の人生も、それ自体が旅なのではないか。

それも飛行機や特急券などの無い、自分の感性と選択の旅だと思う。

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右か左か、はたまた乗るか乗らないか幾つもの選択をして、そしてここに今立っている。

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あの時ああすればなどと悔やんでも、そんなものは何の意味もなさない。

ただただ一本道の人生を歩いてきて、今ここに立っている。

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あの時こうしておけばなどと思っても既に過去の出来事なのである。

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しかし、旅にはまだ見ぬ未来がある。

誰と出会って何事かと遭遇して、ハラハラドキドキかも知れない未知のドラマがある。

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誰がどうしたなどと些細なことはさて置いて、これからの旅を考えたい。

殊更ハッピーなんてことは不要だが、次は何が起こるってドラマも面白い。

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自分をそんな様々舞台に乗せて、この人生を味わうことが出来りゃそれもまた面白い。

旅の空には思わぬ出会いもあろうし、考えることだって一味違っている。

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さあ友よ、思い切って旅に出ようよ。

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2015年5月11日 (月)

負けるな瘦せ蛙

このところ毎朝5時から葡萄の部屋に入って、棚付やらジベ処理などと忙しい。

限られた時間内にどれだけの作業が出来るかと精を出している。

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しかしながら、作業は無限と思われるほど残っていて溜息をつくこともしばしばだ。

とは言え、諦めてそこで放棄してしまっては結果は見えている。

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ここは100里の道も一歩から、コツコツと少しずつ片付けて行く他無い。

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否・・・葡萄の管理作業もさることながら、100kレースへの挑戦を間近に控えている。

それなのに1月の宮古島でのリタイア以降、我ながらめっきりと弱気になっている。

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足の故障や走力の劣化もあって、もう完走など出来ないのではないかとの思いである。

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今週末から始まるウルトラシーズンを前に、あれこれ駄目な理由を考えてしまうのだ。

長時間の過酷で苦しい状況の続くウルトラはメンタルとの勝負でもある。

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人は誰も負けず嫌いだろうが、私もかなりの負けず嫌いだと自負している。

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負けるのが嫌なら負けないための工夫と言うか、それなりの構えをしなければならない。

先ずは弱気の虫を撃退することだが、やはり攻めの姿勢を維持することが肝要だろう。

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攻めとは、目標に向かって戦い続ける意欲に他ならない。

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これは人生観にも係る事で、コツコツと練習を積み上げて結果を出すしかない。

しかし、100kを走るウルトラマラソンは途中で何が起るか分からないし、

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弱気の虫を押さえ込んだとしても、時間との勝負もクリアーしなければならない。

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さて6日後に迫った八ヶ岳野辺山100kウルトラマラソンは、最大の試金石となりそうである。

仮に完走できなくっても、自分に負けずに走ろうと思っている。

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それに何の意味があるのか、柳の枝に飛びつこうとする痩せ蛙と同じだ。

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とにかく今年一杯は100kに挑戦して、何とか完走を目指そうと思う。

それで駄目なら痩せ蛙、改めて戦略の再構築さね。

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早朝の野辺山、スタートしたらもう前に進むしかないんだ!!

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肩の力を抜いて、あの山々を越えてゴールまで是非とも辿り着きたい。

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2015年5月10日 (日)

シニアの今昔

里山の頂上付近に車を止めて、結構な大人たちがたむろしている。

時たま通りかかる車が、何ごとかと言った視線で徐行しながら通り過ぎていく。

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毎週末の風景で、何時もの杣道を走り終えた面々の然もない四方山話なのである。

四方山とは言え来週末に100kレースを控えているから、この話で持ち切りである。

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今年こそは初完走だとか、あそこの坂を何分で通過しないと危ないなどと際限がない。

それも改めて顔ぶれを見れば立派なシニアで、若者が尻込みする様な話ばかりしている。

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より過酷なレースへの挑戦を指向していて、弱気な(歳の)話をすると笑われてしまう。

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現実にはかなりの馬齢なのだが、気持ちは依然として3~40歳代なのである。

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しかし考えるまでもなく、団塊の世代がおおむね高齢者のぶるいに入って、

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シニア層が社会の多くを占める超高齢社会に突入しつつあるのだ。

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そしてシニア層には暇と金の余裕もある訳で、消費行動だって彼らが主導している。

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殊に孫と元気、それに趣味の世界向けには金の糸目が無いように見える。

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かく言う私も年金の引き出しは、孫の要望かランニング関係だからすっかりシニアだ。

五月の連休を使った長期旅ランも小笠原から始まって、波照間島などの沖縄諸島、

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北海道は昨年と今年で、いずれも定年退職してからのパフォーマンスである。

勿論遊んでいるばかりではないが、人生の一日一日を精一杯動き回ろうとしていることは事実だ。

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そう言う意味で、かつての小旅行程度に止まっていた親父の世代とは様変わりしている。

勿論アクティブなシニアばかりではないだろうが、

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チャンスがあれば動こうとするのが団塊の世代だと思う。

今回の北海道の旅ランだって、シニアならばこそ実現できたのではないか。

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20人の仲間と共にした7日間は、童心に帰ると言うよりも本当に若返った気分だった。

どうせ一度の人生なら、出来る時に出来ることをしておかないとアカンからね。

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これからの10年、シニアの創る新しい時代が始まろうとしているかも知れない。

そして20020年のオリンピックが終わった辺りから預貯金の減少が始まるだろうし、

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シニアも次のステージを模索することになるんだろうと思う。

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2015年5月 9日 (土)

旅の空

たかだか7日間の北海道の旅だったのに、未だに幾ばくかの興奮的余韻が残っている。

走った道すがらの景色、神威岬や襟裳岬の絶対的な自然、土地で出会った人々、

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宿で戴いた御馳走、仲間と語り合った事や出来事、それらが走馬灯の様に浮かんでくる。

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そう言う意味で、私達は旅らしい旅をしたのだと思う。

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しかし、余市の醸造所と松前城を除けば日本人の姿が少なかった。

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五稜郭や襟裳岬・昭和新山でも中国人が目立ったし、

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シンクゥラァ~(お疲れ様)なんて言葉が通じた。

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美瑛の土産物屋も圧倒的に中国語だったし、自転車の韓国人アベックにも出会った。

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アンニョンハセヨォと声を掛けると、ハセヨォと応答してくれた。

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政府は外人観光客の誘致に力を入れているようだが、観光地は何処も外国語の世界だ。

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日本人が国内旅行をしなくなったのは、この国の観光地が何処も同じになったからだ。

そもそも旅行と言うのは、日常を離脱できる非日常的空間を求めての事である。

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松尾芭蕉が旅に出たのだって、異空間に身を置いて自らの表現を広げることだった。

この点、私達の旅は点ではなくって線なのである。

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私達の旅が新鮮なのは、観光地は走る為の目標地であって達成感を味う場所だからだ。

温泉旅館は何処も苦境が続いているが、温泉と御馳走では既に人は集まらないのだ。

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観光に必要なのは、その土地で何を体験できるのかになっている。

全国各地でマラソン大会が開かれるようになったのも、そんな必要からだろう。

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マラソンには多くの人が集まるし、人が動けは同時に金も動くのである。

ランナーにしてみても、全国各地に足をのばして走るついでに観光できるのである。

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そんな訳で、私もマラソンのお蔭て随分各地を訪れる事が出来ている。

それにしても今回の旅では、ことさら空が印象的だった。

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美瑛の丘の上の空、強い風の吹く岬と空のコントラスト、襟裳に向かう海と空、

それに五稜郭に散る桜と鯉のぼり、札幌の明治の建物も青い空に浮かんでいた。

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やはり旅と言うものは、自分の足で旅する旅が良い。

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2015年5月 8日 (金)

走る力

今回の北海道旅ランでは全体の移動距離が1730k、私のランは120k程度だった。

それでも車で通り抜けるのではなく、自分の足で辿る旅ランは実感を伴った貴重な旅だ。

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今回も地元の人々との触れ合いや旅ランならではの景観や空気をたっぷりと味わった。

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そしてこれは、元気で走ることが出来るからこそ得られる喜びだろう。

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ただ気にかかることがあって、それは齢と共に仲間の走る力が弱まっていることだ。

仕方ないと諦めるのは簡単だが、人生はそれでは面白くない。

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それで北海道の真っ直ぐな道を走りながら、

お互いの走る限界について語ったり考えたりしていた。

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人に寿命があるように、人それぞれに走る絶対量が存在するのかも知れないと言うこと。

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若い頃から走っていた人が、そこそこの年配になって急に走れなくなってしまう。

そうかと思えば、還暦近くなって走り始めた人が、思わぬ走力を維持し続けていたりする。Img_0854_2

私も40代から走り始めていて、

年に2,000kを20年以上走っているから優に地球一周していることになる。

絶対量が有るとすれば果たして、何時まで走り続けることが出来るのかそれが心配なのである。

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勿論、人には個人差があって、70歳後半でもウルトラを悠々と走る方もいる。

しかしながら軟骨が磨耗したりして、歳をとれば誰だって運動能力は低下する。

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衰えは筋力の低下からで、特に膝と背中の筋肉で下半身から始まるとされる。

そりゃ~歳をとれば多少の故障や運動能力の減耗は止むを得ないのだが、

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しかしランナーにとっては、走れなくなるって事は人生の大転換と同様な意味を持つ。

そういう意味で、医学的根拠があるのかどうか「走る力の限界」は大いに気に掛かる。

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ところで私達は、運とか偶然を殊更大切に思ったりしがちなものである。

そうして、この人生の「運」には絶対量があるようなのである。

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使ったから減るってものではなくって、(私の場合、あまり使った記憶が無いのだが…)

ツキは歳と共に少なくなっていくものらしいのだ。

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つまり、ギャンブルでも何でも、長くやればやる程ツキは落ちるものなんだそうである。

そりゃまあ人間には寿命があるんだから、それも解せない訳ではないだろう。

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問題は、その残されたツキを如何に上手く使って生きるかって事だろうか。

脱線したが、筋力の衰えが原因ならそいつを最小限にする努力をすれば良い。

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それからいよいよ走れなくなったら、ウオーク&ランに切り替えることだって出来る。

要は、人生を楽しむ気持ち次第かな。

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2015年5月 7日 (木)

美瑛という所

7日間にわたった北海道ジャーニー・マラニックも今日が最終日である。

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昨夜の宿は旅人宿「給食室」で、昨夜はオーナーのN子さんの温かなおもてなしに

大いに寛いだ時間を過ごすことが出来た。Img_0935

最初に宿の名を伺った時には「宿の名前が給食室だなんて・・??」と思っていたのだが、

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実は元ランナーだったN子さんは、学校の給食室で働いていた調理師である。

岐阜県在住の方で、退職と同時にこの美瑛の地に宿を開設し、

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観光シーズンだけをこの美瑛で過ごしているのである。

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言うならば、それ程美瑛という所が気に入ったと言う訳だ。

農業以外にこれと言った産業や観光施設が有る訳でもない人口1万のこのまちに、

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年間120万人の旅行者がやってくる。

それは何故なのかと考えていた。

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実は私が美瑛を訪れたのは二度目で、観光バスで丘の上から展望したのが最初だ。

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その時の印象は「ふぅ~ん、確かに整然と綺麗だが・・」程度だったと思う。

しかし今回、美瑛のあちこちを歩き回って見て、成程なぁ~と感じたのである。

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美瑛の最大の魅力は、丘の織り成す英国の農村のような風景である。

折り重なる丘には、小麦や馬鈴薯・豆やビートなどを栽培する農業の営みが有り、

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その営みは厳しい自然の変化と共に折々の変化を見せていく。

農地と農地の間に残されている木々も、その風景に独特のアクセントを醸している。

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ケンとメリーの木、マイルトセブンの丘、親子の木、セブンスターの木などはその一部に過ぎない。

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CMに恰好の風景として取り上げられたことから始まっている。

その良く管理された農地(丘)の向こうには十勝岳を始めとした山々が借景をなしている。

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確かに美瑛にはどこか異国を思わせる情緒が漂うのである。

聞けば冬季には氷点下15度にもなって、一面が雪に覆われるのである。

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それが春の到来と共に一気にアスパラカスが芽を出し、牧草は緑の帯を創り、

農業に携わる人々の生活そのものも活力を生み出すのだ。

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農家にお邪魔して、そのアスパラカスを分けて頂いた。

人々の営みこそが美しさを創りだすのである。

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2015年5月 6日 (水)

遥かなる美瑛へ

今日は富良野(北海道の臍)から美瑛の宿まで、約40kを走る最終日である。

やはり起床は5時前で、宿近くの十勝牧場まで行くことにした。

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ジェツトコース道路を走り、幾つもの牧場を越えて行くのだが、北海道は広い。

宿に帰る道筋を心配しながら25k位は走っただろうか。

十勝平原の一角に突然素晴らしい白樺の並木が現れた。Img_0886

北海道の典型的な一つの風景ともいうべき並木をしばし堪能し、更に奥へと向かう。

数百haもの広大な牧場を見渡す展望台へ行くと、

そこはかつて映画「戦争と人間」のロケ地でもあった。Img_0887

ともあれ帰りを急がねばならず、カーナビの記録を頼りに引き返す。

やっと7;00の朝食に間に合って、直ちに新得駅の集合8;00場所に急いだ。

今日はここから富良野まで車で移動して、そこからランが始まるのだ。Img_0890

途中富良野までの間に狩勝峠、そして中富良野の幌前駅(映画ポッポや)に立ち寄る。Img_0891

高倉健と広末涼子の好演したあの映画のロケ地である。

さてもスタート地点に急がなければならない。Img_0895

今回のスタートは北海道の中心点(臍)の富良野小学校である。

10:30ここから美瑛を目指して、・・・・何故かずっと追い風に送られて快調に走り始めた。Img_0896

富良野はラベンダーの町だが、花には少しばかり早いがチュウリップや芝桜が美しい。Img_0900

それに雪をいただいた山々を借景に牧歌的な風景がずう〜っと続いている。Img_0903

美しさというものは、人々の端正な営みが創り出すものであろう。

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丘の斜面を計算したように使って作物がキチンと植えられている。

それはビートや馬鈴薯、ネギや麦、そして牧草の畑である。

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やはり北海道は広大で目印がない。

それで地図を見ながら走っても戸惑うこと頻りである。

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それでも美しい景色を眺めながらのランは足の疲れを忘れさせてくれるようだ。

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それでもけっこう疲れた頃、赤い橋を渡ると美瑛の町が見えてくる。

今日の宿は元ランナーが経営する民宿「給食室」であるが、そこまでが3km ほどで

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寒い風が吹き出す中かなり苦労して17:48、やっとの思いで宿にたどりついた。

40kを7時間半近くのランになったが、途中で新田牧場でアスパラカスを戴いたり、

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仲間といろいろな話ができたんだからこれほどの幸福はない。

人生は一度限りであって、その間に何ができるかがその人生なのである。

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この数日間の北海道だって、観光バスで通り過ぎればそれだけの感慨でしかない。

しかし、一歩一歩を踏みしめながらの旅ランは、実は人生の旅でもあるのだ。

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今回ご一緒していただいた旅ランナーの仲間の皆さん、楽しい思い出をありがとう。

時にはつらい人生も、雨のち曇りでまた晴れる。

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そんな時こそ野の花のけなげな心を知るのです。

野に咲く花のように風に吹かれて・・・・・・。

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2015年5月 5日 (火)

ピリカノカ襟裳岬

今日は様似アポイから襟裳岬に向けて33kmを走る。

昨夜来の雨も上がって、少し寒いが私は短パンでのランである。

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襟裳への道は太平洋の波打ち際に沿って、北上していく。

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波音が何時の間にか当たり前になって、自分の呼吸の音のほうが高くなっていく。

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8:00丁度にアポイ山荘をスタートして、黙々と足を運んでいく。

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この日高の街は、あの日高昆布で知られたところだが、波打ち際には無限に昆布が見える。

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岬への道のあちこちに漁家の皆さんの姿があって、コンプを干した所が続いていく。

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この昆布には少々の所以があって…発端はあの森進一の歌だという。

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「襟裳の岬は〜♪、何もない春です♪」と歌われて、是非とも特産物作ろうと立ち上がったという。??

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ともあれ、今日では日高昆布は最高級の昆布である。

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それに襟裳に向かう海岸はジオバークに指定されていて、自然の造形もまた美しい。

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その美しい海岸を辿って3時間余り、岬に近づくにしたがって「何もない」景色になっていく。

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一面の枯草の丘陵が続いて、先を行く仲間を追うのだが容易に追いつくことができない。

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それでも12:05、遂に突端の岬に辿りついたのである。

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さすがに風が強く短パンでは忽ち手足が冷たくなっていく。

しかし、岬には神威岬同様に神々しい雰囲気が漂う。

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しかして、ここに立つことができただけで、幸せであろう。

ところでエリモとはアイヌの言葉でオンネエンルム(大きな突き出たところ)である。

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ちなみにピリカノカとは、美しい形である。

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岬の食堂で焼きウニ(千円)を戴いて、次の幸福駅に向かう。

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今では廃線になってしまっているのだが、大勢の人が押しかけている。

幸福とは、かくも人をして希求の最たるものなのである。

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だけど幸福は、まさに心の問題であって青い鳥のように求めれば求める程遠のくものなのである。

しかし、私たちは元気でこの北海道の大地を走り回るだけで幸せなのではないか。

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そして今夜の泊りは新得と言う町で、これが宿を探してさ迷い歩く羽目になった。

北海道ではカーナビは全くあてにならないのである。

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20時過ぎ、やっとのことで宿の向かえと巡り会って事なきを得たのである。

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2015年5月 4日 (月)

北の桜

今朝も朝5時からのランである。

函館山近くの民宿から山の手の教会群を抜け、函館港に向かった。

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今年の北海道は昨年と打って変わってランパンで十分な温かさである。

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函館山に向かう斜面は洋館を含めて、一種の高級住宅街になっていて函館の歴史そのものである。

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そんな雰囲気を朝霧の中に感じながら、市街地地図を頼りに走っていく。

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地元のランナーなのか旅行者なのか、意外にランナーの姿も目立つ。

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教会や赤煉瓦の港町、朝市、更にはこの北海道開拓にまつわる記念碑など、

函館の主な名所を軒並み走りながら味わうことができた。

たかだか150年余の歳月なのだが、ここではもう既にれっきとした歴史なのである。

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しかし函館の街を堪能するあまりに少しばかり遠出になってしまって、

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宿への帰りが大変で、息せき切って疾走することになったが、

今朝はそれでも10k余を走って、函館のあらましが分かった様な気がした。

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兎も角早朝ランは道も空いているし、街の空気を味わうにはもってこいである。

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ともあれ朝食を済ませて、五稜郭に向かった。

五稜郭は安政年間にこの国初めての洋式城郭として築かれた軍事拠点である。

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近代戦に備える為に築かれたのだが、それよりももっと兵器の進歩の方が早かった。

大砲の発達で軍事的にはあまり意味をなさなくなったのである。

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そして、その五稜郭に立てこもったのが、会津戦に敗れて敗走してきた幕軍だった。

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榎本武揚が率いる幕臣や新選組の生き残りなどで、

この五稜郭を拠点に北の大地に新しい国を建国しようとしたのである。

時は、既に京都に新政府が樹立されていた明治初年のことである。Img_0796

結果は歴史の教える通りであり、榎本は降伏し土方歳三達は最後の突撃を敢行する。

50名を引き連れて突撃した土方らは官軍の一斉射撃の前に潰えることになる。Img_0797

何百人もの勤王の志士を扼してきた土方らに生きる道は無かったのであるが、

その土方歳三は35歳で死ぬのだが、街中の終焉の地には記念碑が作られていた。

五稜郭には万余の桜が植わっていて、残念ながら花弁が僅かに残るのみだった。Img_0813

その吹雪のように散り舞う残桜が、五稜郭に立て籠った人々の様に感じられた。

例年なら連休に満開のはずの桜だが、これはこれで良かったとも感じた。

そして城を見るとは知りたくなるのがランナーの性である。Img_0815

五稜郭の周りを二周半走って(一周が1.8k)、歴史とはこう言うことかと考えていた。

名残は尽きなかったが、五稜郭を後にした私たちは洞爺湖方向に向かった。Img_0817

途中、イカ飯の元祖で美味しいと評判の森町に立ち寄ることにした。

すると森町では桜まつりの真っ最中で、少し早い昼食を桜の下で味わうことにした。Img_0819

実はこの森町は、遠州の森町と友好町になっていて、町長の奥さんに桜湯を戴いた。

さてこそ、桜吹雪の中のイカ飯であった。

腰を上げて今度は洞爺湖の近く、昭和新山に立ち寄った。Img_0827

昭和18年、突如として麦畑が盛り上がり4か月余りで山になってしまった火山である。Img_0830

近くの有珠山はたびたび噴火を繰り返していて、Img_0829

近年では1977年、2000年の噴火が記憶に新しい。

さて最後は、麦圃生山の昭和新山を後にして、アイヌ民族博物館に立ち寄った。

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白老町のポロトコタンで、アイヌ語で大きな湖のそばの村である。

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アイヌの歴史や文化を伝える施設で、改めてアイヌの悲劇を思う機会となった。

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この話は昨日も書いたから省略するが、アイヌは厳然とした日本列島の原住民なのである。

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そしてアイヌ村では、舞踊や音楽にしばし思いをはせて、ここから190k宿までの旅だ。

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今夜の宿であるアポイ山荘に着いたのは20時過ぎになってしまった。

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もっと書きたいことはあるのだが、今夜はこれくらいにしましょう。

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2015年5月 3日 (日)

積丹から函館へ

今朝はやはり5時からの外出である。

昨日2名がコースをオーバーランして神威崎に行くことができなかった。

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それで是非神威崎にと言うことで、早朝のカムイに片道3k程の行程になった。

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この神威崎は強風で知られ一年の半分ほどは閉鎖されてしまうのだが、

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実に私たちはラッキーで静かな朝に恵まれて、岬を独占状態で堪能できたのである。

ところでカムイとは、アイヌ語で神様と言うことである。

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そしてアイヌの人々が神と崇めてきたのが岬の先に巨立している神威岩である。

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そのアイヌの話は後程にして、7:30には宿をたって5k程コースを戻って積丹半島へ向かった。

この積丹岬の近くに島武意(これもアイヌ語)と呼ばれる絶景地がある。

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早朝だからか、モデルの写真撮影が行われていたが私達がドヤドヤと押しかけて・・・?

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崖の途中にはカタクリの花が咲き誇っていたし、暫し美しい海(美女?)を楽しむことができた。

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ところで今日は積丹から函館までの416kを移動するため、ランの予定は無い。

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ひたすら日本海沿いの道を南に下って函館を目指したのである。

そしてこのコースの途中はかつてニシン漁で栄えた町が続くニシン街道なのである。

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それで道すがらかつてのニシン御殿にお邪魔すると、子孫のお婆ちゃんがおられて、

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ニシンで前浜が盛り上がったことや、座敷でお札の虫干しをした話などをしてくださった。

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ニシン御殿を後に次に立ち寄ったのは、松前城である。

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丁度桜まつりの真っ最中で250種一万本の桜があるという。

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しかし満開の桜をよそに、私はアイヌのことを考えていた。

そもそもこの日本列島の原住民はアイヌ民族であった。

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その彼らが大和民族に追われて最後にたどりついたのが北海道なのである。

そのアイヌを支配し搾取し続けてたが、この松前藩なのである。

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江戸時代、松前藩は唯一無石高(一万石扱い)の藩として存在した。

そして米を納める代わりに海山の幸、材木と海産物を納めたのである。

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特に海産物は北海道の各所に番屋を置いて、労働力はもっぱらアイヌだった。

彼らは松前藩に管理され男も女も奴隷として酷使され、衰微していったのである。

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まさに少数民族の悲哀を…いや美劇と言ったほうが正しいだろう。

明治後になってそんな事実がやっと明るみに出るのである。

北海道の地名の大部分はアイヌ語に漢字を当てはめた名になっている。Img_0771

この倶知安とか積丹などは彼らの生活の名残なのである。

ともあれ今回は北海道最南端の白神岬を経由しての函館入りである。

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遠くには青森の山並みが浮かび、この北海道の位置関係を意識せざるを得ない。

函館の夜は函館山の近くの宿である。

それで夕食の後、皆さんとともにロープウエイで函館湾の突先に聳えるこの山に登った。

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もちろん、あの100万ドルの夜景が目当てだが、これが大変な人でごった返していた。

やっとの思いで写真を撮ったのだが、帰りはロープウエイに乗れずに、

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夜道を40分余り歩いて山を下る羽目になった。

まぁ、これもランナーのやりそうなことではある。

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2015年5月 2日 (土)

小樽から神威岬へ

北の桜は満開を少し過ぎた程だが、澄んだ空気に似合って何処か涼やかに感じる。

それにチューリップやスズラン、コブシなどが咲いて、春と初夏が同時にやってきている。

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とは言え山々には残雪があって、その下の木々も未だ新緑若々しい色合いである。

今朝は5:15連れだってホテルを後にして札幌市内を走ることにした。

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昨日行けなかった主だった所を見て回ろうというのである。

先ず向かったのはサッポロファクトリー、アイビーに覆われた赤煉瓦の醸造所である。

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隣には明治期の建物永山武四郎邸が残っていて、周りの木々と共に明治を感じさせている。

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気温は可成り温かく、ランニングしながら軽く汗ばむ程度である。

次に方向を反転して大通公園から時計台に向かう。

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時計台は明治の武道場跡、碁盤の目になった札幌の街は極めて分かりやすい。

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次に向かったのは旧道庁で、榎本武揚が活躍した当時の建物である。

やはり赤煉瓦の豪壮な建物で、私も現役時代にはここで開かれた会議に参加したことがある。

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そんなことを思い出しながら、北海道大学の植物園へ・・・ここも素敵なところだ。

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と言う訳で朝食前に7kmほどを走ることができたのである。

朝食とミーティングを終えて小樽に向けて40分余り車で移動して、あの運河から今日のランが始まるのだが、・・・。

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予定ではカムイ岬まで77kを走ることになっていて、とても時間的に無理な行程である。

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当然ながら様子を見て途中でワープする訳である。

それで取り敢えず余市のニッカウィスキー・・・あのマッさんの舞台を目指したのである。

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途中伊藤整の文学碑に立ち寄ったりしながら海沿いに走っていく。

波は静かで透き通るようなコバルトブルーで、上からウニが沢山見える。

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竹鶴政孝さんの余市蒸留所には12:10分に到着したのだが、連休とあって凄い人である。

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それに蒸留塔や貯蔵庫が美しく立ち並んで、先ずは来てよかったという印象であろうか。

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次いで試飲棟を訪れるとなんと10年物と17年物モルツ、それにリンゴジュースが飲めるのだ。

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全部タダだから、御客がごった返していて、当然私たちもその一員になったのである。

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離れ難かったが先を急がなければならない・・・ここで時間の都合で35kほどワープ。

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神威岬まで9kのところで下車(気持ちよく寝ていたのに・・)させられて、走り始めた。

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一時間少々で神威の駐車場に到着、やれやれと思ったら岬は1k程先だという。

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その岬への道を辿り始めて、初めて遭遇する圧巻のパノラマにすることになった。

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岬へ続く道筋には万里の長城を連想させる柵が続いていて、

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後ろを振り返れば北海道の山々が雪をかぶり、正に自然の造形の妙が展開している。

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蝦夷三大絶景とかで、かつては女人禁制の岬であったそうな。

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兎も角、息をのむ絶景をしばし楽しみながら宿への道を急いだのである。

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あぁ〜、良いものを見せてもらったという感慨であろうか。

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そんなこんな、夜はまたみんなで盛り上がったのである。

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2015年5月 1日 (金)

さあ、札幌だ

北海道走り旅の第一日目である。

早朝、目覚めれば雲の一片も無い青空で、新幹線の窓から富士が気分よく聳えている。

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羽田を10時発の便だが、飛行機とは人を別の空間に飛び越えさせる不思議な箱である。

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もう昼前には千歳に着いてみんなで昼食を食べているのである。

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空港からはレンタカーで札幌へ、そして今日は観光の一日なのである。

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先ずは札幌大学の構内でクラークの像へ、しかしこの大学は途轍もなく広いね。

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それに校内を疎水が流れていて、市民の憩いの場にもなっていてとっても良い空間だ。

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それから、クラークついでに10kほど離れた石狩平野が一望できる羊ケ丘展望台へ。

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ここのクラーク像は大学構内が入場禁止になって、

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1979年にクラーク博士来道100年を記念して造られたものである。

さてこそ広大な平原と札幌ドームを見渡せるのだが、入場料520円は合点がいかない。

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ともあれウロウロしているうちに晩方になって、夕食はサッポロビール園である。

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ここはサッポロビール工場の一角で、マトンや野菜、

それにビールも飲み放題食べ放題と言う訳で明日からの鋭気をたっぷりと養ったのである。

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そんな次第でたっぷりとビールも戴いて、帰りはさっぽろテレビ塔に登った。

あの大通公園を見下ろす絶景のポイントである。

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夜景というものは、人をしてセンチメンタルにさせるものでもある。

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今回の旅を共にする20人、それぞれ個性もキャリアもあって、みんな楽しい人達である。

そんな仲間と、今回の旅を通じて更に肝胆相照らす事ができると思うと心が弾む。

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そして明日は70k余を走ることになっているのだが、果たして・・・・?

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