人生各々の流儀
人生を何十年もやっていれば、自ずとその人なりの流儀の様なものが生まれる。
癖と言っても良いが、やはり習い性となったものは流儀だと思う。
常に前向きに生きている人はそれなりの精神性を持つし、ポジィティブな人は真逆だ。
とかく妬みや僻みを基調とした発想しか出来ないし、問題は常に他にあると考える。
「向こう岸、見ているだけでは渡れない」のであって、他人の悪口で憂さ晴らしに前進はない。
私自身の流儀は北辰一刀流の様な一流ではないが、前向きてある事は間違いない。
例えば、昨日と今日は同じことを繰り返さないと言いうのも私なりの流儀だ。
通勤の道すがらだって昨日と同じ道は歩かないと決めて、もう何十年も過ごしてきた。
「そんなの別に何ってことないでしょ」と思うなかれ、そんな些細なことから人生を変えてきた。
短いようで結構長い人生における好奇心の持続には、やはりそれなりの工夫が必要なのだ。
あるがまま惰性に流されるなら、人間はどんどん後退していく。
そう言う意味じゃ「生きる意味は何か」「いかに生きるか」「自分の生甲斐は何か」って、
答えは出ないけど、何時までも青臭く考え続けることが必要だと思うのだ。
退職してからもう10年近くになって、人付き合いも生活も様変わりしたが、
より人間らしくと言うか、日々の生活は昔よりも遥かに創造的になっている。
何を作ろうか、どんな工夫をしようか、何処に出かけようか、今日は何を書くか・・・・・
などと毎日がクリエイティブなのである。
自分なりの人生の流儀は、出来るものではなく意識して創るものだと思う。
折角の人生だから、自分の足でしっかりと歩み続けたいと思っている。
そうして、人はそれぞれが自分流で生きれば良い。
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