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2015年6月30日 (火)

つれづれに

色々と動き回っているとは言え、毎日特別な日常がある訳ではない。

9年程前、それまで書いていた日記をやめて、このブログを書き始めたのである。

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誰にも見せない記録(独り言)に限界を感じたし、もっと明るく発展的にしたいと思ったんだ。

以来3,400日余、毎日ブログを書いてきた。

とは言え余裕で書いてきたのかと言うと、最初の頃はテーマに窮することもあったし、

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夜遅く帰ったり旅行などと、物理的に書けなくなりそうにもなった。

日記は自分の心との対話だが、ブログには書けることと書けないことがあるからだ。

しかし何とか今日まで続いてきたのは、習慣の成せる業だろうと思う。

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それに、どなたが読んでいるのか定かではないが、毎日訪れて下さる方がいる。

お互いにこの世を生きる仲間だし、拙文なりとは言え、それで何かが伝われば良い。

そんな思いで、・・・書くことが何時の間にか私のノルマになって今日まで来た。

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コメントを寄せて下さる方もいるが、他の方のブログに比べると僅少の様らしい。

難しすぎて・・などとご意見も頂くが、私には面白おかしく書くなんて才はない。

ひたすら訥々と思ったこと体験したことを書くしかないと思っている。

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昨日の某紙に「自分を語るのは快感」とあって、

自分のことを書いたりしゃべることでトーパミンが分泌されるらしい。

果たしてそのドーパミンを求めて書いているのかと自省してみたが、???である。

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ただ、ブログを書かないと眠ることが出来ないのは事実である。

それはともかく、書くことは私の一部になっているし、書けるってことに安心もしている。

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2015年6月29日 (月)

昔を今に

定年退職した当座、環境の激変にいささか心の安定を欠く様な時期があった。

だけど、過ぎ去った過去を懐かしがるってな事だけは、それはよそうと思っていた。

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昔の職場の仲間が群れて時間を潰すなんてのは愚の骨頂だし、第一前向きではない。

だから絶えず新しい世界を開拓して、そこに身を置くように努めてきたのだが、

それでも、あの若々しい時への望郷は時折巡ってくる。

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それに嫌な事は時間と共に忘れてしまって、きのうの世界は何時も美しく甦るものらしい。

殊に無鉄砲な事でさえ、若さゆえに通用したあの体力を懐かしく思い出したりする。

昨日、走る仲間の後姿を眺めながら、そんな幾ばくかの懐旧の念がわきあがった。

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ランニングを始めたのは四十を少し過ぎた頃だから、もう四半世紀走っていることになる。

そうして週末には何時も小笠山の尾根を走って過ごしてきたのである。

その仲間の顔ぶれは出入りがあったとしても、みんな押並べて熟年になった。

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それで、かつてカモシカの様に飛んで帰ってきた山道も、昔の様にはいかなくなっている。

それぞれに何らかの故障を抱えたりしているが、それでも懸命に汗をかいている。

思えばこの四半世紀の間には随分いろいろな事があって、・・・・・・

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静岡国体のオープニングではチームを作ってダンスを踊ったこともあったし、

我が家の庭でワインと葡萄のガーデンパーティも何度かやったなぁ~。

浜北や掛川、御前崎や佐鳴湖の駅伝大会にも挑戦して楽しい時を過ごしたっけ。Img_1528

政権が変わったりリストラにあったり退職したりと環境も変わってきた。

そうして「今」は今なりの頑張りをしてるんだけど、時折そんな「時への郷愁」に浸る。

時は過ぎゆきて・・・なんたって、矢のように過ぎ去った四半世紀なのである。

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そうさね、誰だって若さって事に関しては、昔を今にしたいのである。

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2015年6月28日 (日)

海のものとも山のものとも

海の近くから長野県の山中まで一気に走って、この国の海と山を思っている。

走路のかなりの部分が「塩の道」と呼ばれた古くからの街道だ。

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海からは塩はもちろん魚などの海産物が、山からは木材や山の幸が運ばれた道だ。

昔は今では考えられない程に文物や人が密接に結びついていたのだろう。

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長野県に抜ける青くずれ峠の登り口に足神社があって、足を痛めた高齢者などが訪れる。

その昔北条頼久の足を治癒したのが由来だと書かれていた。

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果たして時の将軍がこの山中を訪れたものかどうか・・・・或は真実だろうとも思う。

その近くに悉平太郎の墓があって、かの霊犬はこの地で死んだと記されていた。

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シッペイ太郎は今の駒ケ根市の生まれで、見附宿に出没していた妖怪を退治したとされる。

その縁で駒ケ根市と磐田市は友好都市になっているし、シッペイは磐田市のマスコットキャラクターだ。

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当時の駒ケ根とを結ぶ道は「塩の道」しか無かった筈で、傷付いたシッペイが辿った道だろう。

今、かつての南北の交流を復元させようと三遠南信道の建設が進められている。

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もう20年も要しているのだが遅々として完成しないのは、青くずれの難所故だ。

それでもトンネル工事の試掘が行われていて、近いうち(?)に様相は変わるかも知れない。

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・・・としても、この北遠の地は高速道路の通過点になってしまうかも知れないし、

私達が辿った青くずれの古道は、何時か忘れ去られてしまう運命にあるのではないか。

おりからの地方創生の掛け声も、現実の経済の流れに押し流されてしまうだろう。

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今でも住民の都市部への移住が続いて、小中学校が次々と廃校になっていく。

残された子供たちはバスやタクシーで下流部の学校に通うのである。

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かつて私達を支えていた「山の地」を救うのは林業の再興だが、その道は遥か彼方だ。

海から90kを自分の足で遡って、確かに遠いのだが、より密接な縁を思った。

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2015年6月27日 (土)

北遠の風

降りしきる雨の中、昨夜の9時浜松駅をスタートして一路長野県の遠山郷を目指した。

浜松駅に集まったランナーは17人で、他に遠山郷観光協会のKさんも駆けつけていた。

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北遠の水窪まで浜松市になっているとは言え、県境の青くずれまでは81k、遠山までは90.5kある。

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しかも海抜10m程の所から、1082mの青くずれ峠を越える難路である。

ところが今回の企画は、「夢街道90k」である。

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そもそも夢街道とは誰が名付けたのか、水窪町を南北に貫く通りの名称である。

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水窪と言えば言うまでもなく山また山の山里で、しかも長野の飯田方面へ抜けるには中央構造線の難所がある。

この本州が大きく割れてずれた断層帯で、極めて崩落しやすく急傾斜だ。

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測丹するに、浜松市への合併に際し何とか南北が夢の街道として繋がってほしいと言う希望だったか?

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そしてこの「夢街道90k」マラニックの主催者は佐久間在住のS間さんである。

S間さんは、ずっとこの山里の推移を見てきて憂いを深くすると共に、その憂いを行動にしている一人である。

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一人でも多くの方に北遠に来てもらって、その良さも実状も知ってほしいと願っている。

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そしてこの企画に、今回も多くの方々が協力を買って出ていた。

夜中にもかかわらず、15k走った所では佐久間出身の方がエイドを設営して下さっていた。

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いやそれだけでなく知人や友人、佐久間に別荘を持つIさん、水窪の某商店などが応援してくださった。

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そんな多くの皆さんに助けられて走った私達だが、その行程は決して易しいものではなかった。

雨こそは午前1時ごろから小止みになったが、街灯とて稀な暗い夜道である。

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ランプがあるとは言え路面の状況は定かでなく、実際に路上にマムシを発見し、その報は携帯で後方へ。

それにナダラカとは言えずっと登りが続いている。

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午前4時近くなって辺りが薄明るくなると、天竜の川面に墨絵のように山影が浮かび上がる。

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昨夜来の雨は霧となって山肌に張り付き、水墨画の様な景観を作っている。

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佐久間から水窪に入るには「八丁坂」と呼ばれる急坂を登らなければならない。

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かつて塩の道として開かれたらしいが、とんでもない坂道でUさんは息荒く手を引かれて

登っていた。

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ともあれ幾つかの私設エイドに助けられながら、水窪に達したのは10時半過ぎである。

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ここからが最大の難所の青くずれ峠に向かうのだが、そもそも152号線はここで途絶えている。

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道なき道を登山する状態での峠越えをしなければならない。

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峠のピークに達するまでに2時間近くを要してしまった。

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さて長野県側に下る段になって、山全体が細かく崩落している姿に圧倒された。

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青くずれの意味を合点したのだが、その下る道すがらが容易でないことが直ぐに分かった。

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問題はヤマビルの襲来で、次から次にと降り注いでくる。

兎も角逃げるようにして山を下ったのだが、何人かがシャツや靴を血で赤く染めていた。

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そんな次第で遠山郷の「かぐらの湯」に到着したのは14時20分であった。

昨夜の9時からの所要時間は17時間と20分であった。

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2015年6月26日 (金)

人生の出来事

梅雨前線が北上して九州の雨域が近づいたのか、雨はシンシンと降り続いている。

リュックに明日の着替えと今夜のスペシャルドリンク、それに照明器具を4つ付けて、

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90kランの準備は全て終え、出掛ける心の準備と共にスタンバイは出来た。

余程のことがない限り、明日の昼過ぎには山向こうの遠山郷に辿り着けるだろう。

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昨日、細君に遠出を伝えると一言、「行かなくて、いい。」と言う。

何が面白くってそんなバカバカしい事を仕出かすのか?・・・・ってな気分だろうか?

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私自身でもよく説明できないが、強いて言えば「一度きりの人生でしょ!」ってことになる。

人は誰でも人生の大半を儘ならず〔家庭や職場の都合に合わせて〕生きている。

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その途中にゃ昇進があったり、交通事故に遭遇したり、台風や地震、親や友人の死など、

そりゃ・・・次から次へと大小取り混ぜて出来事がある訳だ。

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その渦中は無我夢中だから、すべてが後生大事で波乱万丈の物語だと思っている。

だけどどうだろう・・・定年退職して、家族もそれぞれ自立して、自分史を振り返ってみる。

すると「良くやったよな!」って思う一方で、

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「そりゃ至極当然なことで、当たり前でしょ」って声が聞こえてきやしないか?

「子供が独立して住宅ローンを返したら、もう~のんびりしたら?」ってのが

世間一般の様だろうが、しかしのんびり何をしてろって言うのか皆目分からない。

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幾分老いたりとは言え、まだまだ若々しい心と身体に恵まれていて、

それに自分の時間の逆行は無いのである。

しからば、今出来ることに最大限取り組もうって気にならないだろうか。

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とは言ってもこの宇宙、いや地球の中の小さな小さな自分でしかない現実がある。

そのちっぽけな自分にも出来ることがあるって事は、素晴らしいことだと思うのだ。

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人生の出来事は、自分で創り出さなきゃね。

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2015年6月25日 (木)

アクティブ症候群

時折「ジッと、してられないんでしょ!!」と言われることがある。

どうやら、何かに追いかけられているかの様に動き回っていると見えるらしい。

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確かに静かにしているのは寝ている時とブログを書いている時くらいものだが、

自分としては緩急をつけながらも、かなり意図的に自分の行動を律しているつもりだ。

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静かにブドウの房を巡視していることもあるし、オクラの収穫だって一人静かだ。

畑を耕すんだって、一人黙々と鍬をふるって静かに汗を流している。

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先祖代々と言うか・・人間は昔からそうやってセッセと働いて生きて来た筈だと思っている。

つい最近にオートメーションの時代が到来して、ディスクワークなるものが登場する。

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それで机の前でウンウン言っている訳だが・・・その方が異常なんだろうと思う。

私は真冬を除いて殆どを短パンで過ごしている。

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だから足も手も日に焼けて真っ黒・・・・マラソンの影響もあるが・・な健康色をしている。

○×湯などに行くと、真っ白でふやけたオジサン達から羨望の視線を感じる。

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ともあれ、自分自身でアクティブな自分が気に入っているのである。

と言う訳で、半年先までも次から次へと手帳は日程で埋まっていく。

思うに子供の頃の予定というのは、基本的に真っ白で何時も先に何があるか分からなかった。

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「▽◇ちゃん、あ〜そぼ!」ってんで、毎日がそれで充実していて良かったんだ。

ところが還暦をとうに過ぎた今日、自らアクティブにならない限り無言の行になる。

しかしながら、記憶をつかさどる脳(海馬)はずうっと昔のことも覚えている。

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俄かに老人(世捨人)然としてジッとして過ごせと言われても、そうは行かないのである。

そもそも海馬は歳と共に衰えるってことはなく、ただ過去の蓄積で知識量が増えて、

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その引き出しに幾分時間を要するようになるんだとか。(最近の学説)

パソコンのウイルス感染みたいになる何てことは(認知を除けば)無いのである。

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つまり、その気になれば何時までも若いってことで、病気でも何でもないってことだ。

そういやぁ〜、ちょっとした山に登ったって熟年ばっかりだよな。

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2015年6月24日 (水)

たのむを戒しむ

今日でこそあれこれ動き回っているが、自分は根っからタフなタイプではない。

どちらかと言えばひ弱で運動が苦手、家にこもって寂しく本を読んでいるタイプだ。

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それが今ではあちこちを走り回り、ウルトラマラソンでさえ数々走っている。

医者ともほぼ無縁で、いわゆる「掛かり付け医」も無い。

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それに「まだまだ若いし、これ程の健康体は無い」とさえ思っている。

更に同年代の人と比べても、見た目も若い〔?〕し歳をとるのが遅いんじゃないかと思う。

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とは言え・・・踵の痛みは慢性的だし、夜も夢を〔一晩に何本も〕見るようになった。

ウルトラの関門をクリアーするのも、昔の様に安気じゃなくなっている。

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それで自分の身体を「大丈夫、大丈夫」と思いながらも、

「自信過剰じゃ駄目だぜ」って言い聞かせてもいる。

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益軒先生の養生訓には「養生の道は、たのむを戒しむ。」とある。

たのむとは、自信過剰と言う事で、万事過信を戒めているのだが、

問題はどの程度が自信過剰なのか、個人差が有るし分からないってことだ。

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ところで今週末には浜松から山を越えて長野県の遠山郷まで90kを走る予定でいる。

浜松駅を21時にスタートして・・・・多分真っ暗な雨の中を走ることになりそうである。

熊避けの音色の良い鈴も準備したし、防水対策もばっちりである。

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あの暗く細い道を一人黙々と足を進めながら、「たのむ」と「養生の道」を考えたい。

人生の川は、自分の限界を瀬踏みしながら渡るのが常道だ。

瀬踏みもせずに臆していたら、この人生全く退屈になってしまわないか。

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人生のエネルギーは、やはり目標に向かって、

可能な限りの挑戦をすることで湧いて来るものだろうと思うのだ。

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2015年6月23日 (火)

一人ひとり

当たり前のことだけど、人はひとり一人違う個性を持っている。

これまでに随分と多くの方々に逢ってきて、そうして今更ながらにそう思う。

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考えることも行動も、趣味や生き方だって、顔が違うように人それぞれだ。

毎朝立っている街頭の近くに同級生が住んでいて、時折犬の散歩に出かける。

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顔を合わせると私は、子供たちにと同様に「お早うございます。」と最敬礼をする。

すると彼は、何時も照れたような顔をして「お早う」と言う。

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多分彼のほうが余ほどフレンドリーな挨拶なんだろうが、人目には随分なギャップがある。

些細もない表現型なんだけど、そんなことにも「その人」を感じてしまうのである。

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いやなに、その人がこれまで生きてきた道筋や心境と言った諸々を感じるのだ。

それに面白いのは、子供の頃から尊大だった人は大人になってもそんな気風が残っていて、

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人間の個性は遺伝・環境・教育とは言われるものの、三つ子の魂は健在のようだ。

ともあれ私達は、一人一人違った個性と出会って、一瞬心を通わせたりして、

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そうして、大抵はまた違う道を歩いて行くのである。

ひとり一人が皆、自分なりの道を歩いて行くのである。

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そう思うと、人との出会いや心を通わせるってことは奇蹟の様なものかも知れない。

ことさら人が好きと言う訳でもないが、人の生き方には大いに関心があって面白いと思う。

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かつて小泉首相が「人生いろいろ」と発言して物議(?)をかもしたが、実際にいろいろさ。

誰もが自分の体温や脈拍を基準に行動してるけど、実はみぃ〜んな違うんだ。

妥協と協調のないのは困るけど、みんなそれぞれ違った意見があるから面白い。

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そんなこんな、長いこと人生やっていて一番面白いのが人間だ。

誰もが、一生懸命に生きているんだから…。

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2015年6月22日 (月)

土着人

今朝は一気に晴れたのだが、直ぐに梅雨空に戻ってしまった。

どうやら今年は、中休みも無く梅雨空が続くのかも知れない。

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そんな空模様をよそに、私の育てている葡萄たちは少しずつ色付きを初めている。

それで毎朝、葡萄の一房一房に新聞紙の傘をかける作業に精を出している。

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実はこの時期〔田圃の稲も穂孕み前で〕、鳥達も食べるものに不自由しているらしい。

それでスズメやヒヨが天窓から来襲して、この色付始めた葡萄をつつくのである。

新聞紙の傘は、葡萄の房を彼らの眼から隠す為のものだ。

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ともあれ土着の農家だったために、葡萄のハウスや畑を含めて管理範囲がかなり広い。

その一面に、この雨を得た雑草〔スギナやコウブシなど〕が次から次に繁茂する。

だから作物を育てることは、この雑草とたえず戦うことでもある。

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それに草取りを始めとして生垣の管理、竹薮の整理や畑の世話などに追いまくられる。

とは言え時間は限られている訳で、何かの作業を手抜きするのが常態化している次第。

都会のマンションに住むなら全く無用で過ごせる事だが、田舎じゃそうは行かない。

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耕作放棄地の増加も懸念されるが、田舎の景観は人々の絶え間ない管理で保たれているんだ。

それに土地と共に暮らすってのは、確かに大変だけど何とも言えない安心感がある。

四季折々の季節の移ろいも、それぞれの作業を伴って退屈をさせることが無い。

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「大変でしょ・・」とは言われるが、今では田舎に土着して良かったとつくづく思っている。

幾分形が変わったとしても、先祖代々この土地に生きこの土地で死んでいったのである。

そうして身体一つで生きているのではなく、土地一緒に生きているという実感がある。

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不思議なもので、改めてそんなことを感謝出来る年代になったと言う事かも知れない。

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2015年6月21日 (日)

人生の意味

毎日懸命に生きているのに、そんなことを考えるのはおよそバカバカしいとは思う。

それでもフッとした契機で「俺って、何の為に生きているのかなァ〜」って不安になる。

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所詮人間の一人や二人居てもいなくっても、別に世界が変わる訳でもないんだし、

随分生きてきてつらつら思うのは、そもそも人生は意味のないものらしいってことだ。

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家族や親しい人が居るじゃないかって言うが、それだって犬や猫と何処が違うだろうか。

毎日職場に通って働いて、夜が来て晩酌して眠るとまた朝が来る。

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人はその人生が無意味だってことを考えない(気付かない)ようにして、

その日その日を繰り返して生涯を終えるのだ。

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そう・・・、だからこそ私達は自分で自分の生きる意味を創るっきゃないのだと思う。

別に、私がコセコセと動き回っている理由についての屁理屈ではないが、

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確かに目的に向かってひたすら向かっている時には、心が限りなく安定しているのだ。

実は一人の珍奇で哀れな男のことを考えている。

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その男は、このブログに下卑てバカバカしいコメントを書き付けるのだが、

恐らくは生きる目標を持たぬままに、他人への嫌がらせがささやかな生甲斐なのだろう。

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たちどころに削除されるコメントなのに、如何にも可哀想な人なのである。

ともあれ、ことほど左様に人間は何らかの存在を求めていることの査証であろうか。

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この世界や人生が無意味なら、とにかく私達は自分なりの生きる動機を持たなきゃならない。

そんな訳で、次から次へとターゲットを作って、その無意味に抵抗してるって次第だ。

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それにその一つ一つが、またどんどん面白くなってくるしね。

人生ってなぁ・・、自分で自分の物語を創るものなんだね・・・その意味を。

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2015年6月20日 (土)

シラス丼目指して

こんなマラニックがあるのかと思うが、磐田駅に50人近くが集まった。

福田漁港の漁師料理を食べて走ろうというマラニックである。

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このマラニックは、私の近在を走ると言うことで、「お寄りください」と言わない訳に行かず、

結果として全員が私の家経由で福田漁港を目指すことになった。

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これはそれ、マラニックの融通無碍の良いところだが、準備不足を恥じることになった。

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ともあれ雨まじりの梅雨空をものともせず、皆さん漁港を目指しての一目散である。

マラニックの良いところはその場を楽しむことである。

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私の家はともかく、丼屋の昼食も長い行列を経てやっとのことで食にありつける。

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この漁師料理は、5年程前に市長の肝いりで始まった。

シラスはともかく、遠州灘では様々に魚がとれる。

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その漁獲のかなりの部分が捨てられていて、それを有効利用しようと始まったのが丼屋だ。

ともあれ浜のバラックでその野性的な丼を戴いて、28k先のゴールを目指したのである。

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自分の住む近くを走ると言うことだが、改め自分の地域を知るというか新たな趣がある。

福田漁港を出て海岸線を西に向かうのだが、どうも右折地点を間違えたようで。

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行きすぎて4kmほども余分に走ることになった。

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途中、あのゴビ砂漠マラソンを完走したおっとっとのお宅でお世話になり、

兎も角、豊田町の温泉に辿りつくことができた。

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初めてお会いする人も多く、マラニックの楽しみが一層増したような気がした。

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2015年6月19日 (金)

ロートルの戯言

昨日の続きの様な話になりそうだが、人間の寿命について考えている。

人生50年の時代からすれば、100歳超の人も増えて寿命は随分と長くなった。

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とは言え生き物には、それぞれ一定の生きる時間が割り当てられている。

遺伝子の中に寿命が組み込まれていて、それがテロメアらしいが何とも不思議てある。

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例えば馬や牛は20年から25年だし、犬や猫は15年程度だ。

スズメは5年程度なのにカラスは10年で、インコは数十年も生きるらしい。

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それぞれ進化の過程で、この地球に順応するために最適〔?〕な寿命が出来たんだろうが、

同じ鳥でも何故そんなに寿命が違うのかなど、科学的にも分からない事だらけだ。

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ところで先日、静岡県が新たな年齢区分なるものを発表した。

それによると青年は18~45才、壮年は46~76歳、老年は77歳以降なのである。

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65歳以降を老人としているこれまでの区分に、常々違和感を感じていた私としては、

おおいに我が意を得たりと久々に納得したのである。

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寿命は全能の神が決めたもうたとしても、

その人の人生を一方的に65歳から老人と決め付けるのはけしからんと思っていたからだ。

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それに76歳までならば、まだまだ随分と色々と出来る時間があるではないか。

昨日ある事務所に立ち寄ったのだが、一人から「爺さんが、そんなに走って良いのかね?」と言われた。

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私は即座に「爺さんとは、一体何歳なんだね」と問い返したものである。

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やはりこの場でも、新たな世代区分〔76歳まで壮年〕は多いに説得力を増したようだ。

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幾つになっても生きるということは、それは目的を持つと言うことである。

その目的が、壮年と言う一言でおおいに広がりを見せたような気がするのだ。

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言葉は意識だし、言葉によって救われることもある。

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2015年6月18日 (木)

雨過天青

今日も曇天で時折の雨が木々を濡らせている。

二階の自分の部屋から夕暮れつつある外を眺め、時間の不思議を思っている。

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実は今日は静岡で会議があって、そのついでに市立美術館の「青磁のいま」を覗いた。

青磁の歴史は紀元前に遡り、瀝青の陶工が玉(翡翠)の美しさを追求してきたものだ。

確かに透明感のある吸い込まれるような青磁には、何か時空を超えたものを感じる。

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青磁の故郷は浙江省で、25年程前に浙江の青磁を博物館を訪れたことがある。

当時の中国は未だ発展途上で博物館とて何だか埃っぽくって、

「あぁ、これが茶人の数寄か」程度の感想しか抱かなかったような気がする。

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そして四半世紀が過ぎ、改めて青磁を見て回っている自分がいる。

青磁は明治以降この日本でも盛んに造られるようになって、工芸品としても発展した。

しかし数千年前の青磁とその歴史、そして自分の前の青磁が何とも不思議なのだ。

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時の経過や人間の作為と言うものの不思議と言ってもよいだろうか。

そもそも時間とは何なのか・・・過去はもはや存在しないのだし、未来も来てみなければ分からない。

現在だって過去になってみて初めて時間足り得るのだ。

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そんなこんなを考えながら、歴世の陶工は「永遠」を求めて磁器を焼いたのだと思った。

この国の茶人たちが青磁を珍重したのも、そこに永遠の晴天(希望)を感じたのかも知れない。

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それにしても、四半世紀前の自分と今の自分と何処が違うのかと思案している。

時間とは、なんと不思議な演出をするものかと思いつつ…。

雨過天晴とは、かつて中国皇帝が青磁の青を喩えた言葉だが、・・確かにそんな感じだ。

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2015年6月17日 (水)

大人の遊び

子供の様な感覚のまま歳だけとっちまったから、「飲む・打つ・買う」遊びのことではない。

そもそも遊ぶと言う意味が良く分からなくって、人生はひっくるめて遊びだと思っている。

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食べる為とされる仕事だって、

自己実現と言うか・・十二分に楽しませてもらったと思っているんだ。

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そんな訳で書いたり喋ったり、作ったり走ったり、そんな今やっている事の全てが遊びだ。

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言うまでも無く、ウルトラマラソンもその最たるものである。

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後白河法皇が編纂した「梁塵秘抄」に、当時の庶民が歌った今様が収録されている。

そこには「遊びをせんとや生まれけむ。戯れせんとや生まれけん。遊ぶ子供の声きけば、

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我が身さえこそ揺るがるれ。舞え・・・」とあって、大河ドラマ「平清盛」のテーマにもなった。

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苦しい生活の中でも子供が遊ぶように夢中で生きたい、と言う願望が背景にあるからだ。

ともあれ遊ぶとは楽しむ事だろうから、人生を遊ぶように生きられたら最高かも知れない。

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しかし何事も楽しむ為には、そのための地道な努力〔苦労〕が不可欠だ。

美味しい葡萄の収穫のためには地道な管理作業、完走の美酒の為には弛まぬ訓練だ。

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話は変わるが、この宇宙は150億年前の大爆発〔ビックバン〕で生まれたとされる。

以降宇宙は猛烈な勢いで膨張しつつ、無数の銀河を誕生させてきた。

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そして約50億年前にこの太陽系銀河が出来て太陽が生まれ、

周りのガスから地球が生まれたのは45億年程前のことらしい。

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さらに地球に生命が誕生し人類が登場するのはたったの1億年前のことだ。

その超大な宇宙の履歴からすれば、私達の一生は塵ほどの実態すらない短さだ。

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それでも人々の遊びと言う好奇心が、今日の人類と文明を切開いてきたのである。

まあ、「遊びは人の行間を広くする」らしいから、

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女房殿の冷たい視線をものともせずセッセと遊ぼうと思っている。

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2015年6月16日 (火)

梅雨のひと時に

曇天続きで雨量こそ多くはないが、季節は梅雨真っ盛りである。

それでもデラやベニバラードなどの早生ぶどうは、健気に色付きを始めている。

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正に光陰矢の如しで、アジサイの花に心癒されつつも、既に年の半ばと慨嘆している。

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やがて梅雨が明ければ、あのカーッとした日差しと暑さ故に時の経過も一気に早まるのだ。

それにこの夏は、更にあちこちを走り回ろうと思っているから尚更だろうか。

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ところで、「自分は一体何を求めて走るのだろうか」と改めて考えている。

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仲間との係りなど理由は色々とあるが、自分を突き動かすのは何かを求める意志だ。

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そしてその何かとは、「心を満たしてくれるもの」に尽きるような気がする。

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何故100kもの苦行をするのかと問われれば、そう答えざるを得ないのである。

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「人生の意味」と同じで、心を満たしてくれるものを捜し求めて走るのである。

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「はて、それで満たされるのか」と言うと、それ程人生は単純なものではない。

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100k走ればスカーッと扉が開くなら誰でも走る筈だが、そんな事は有り得ない。

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だけど、もし走らなかったとしたらどうだろう?  むろん何一つ得られる訳がないのだ。

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されど「求めよ、さらば与えられん」と言う訳で、挫折にもめげず挑戦を続けている次第だ。

それに難しいことにだって殊更挑戦するのが、人間の人間たる所以ではないか。

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身体中が悲鳴を上げ始める60k過ぎから、本当のウルトラの世界が始まる。

皆無言で黙々と足を進めるのだが、意識は次第に「無」の状態になっていく。

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「淡々と・・・・」もう呪文のように念じつつ、目標に向かって自分で自分を仕向けるのだ。

目指すゴールへと自分の意志を向かわせることが、既に自分の人生そのものになっているのである。

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そして、ゴールラインを踏んでも「完走したんだッ」って実感は俄かには湧いてこない。

むしろ苦しさから解放された喜びはあるが、自分の存在を実感する瞬間は後のものだ。

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その瞬間は、その夜から数日の間にじわりじわりと波状的にやってくる。

自分への信頼を伴って・・・・。

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2015年6月15日 (月)

当たり前

このところ深酒などをして奇妙な夢を見たりする。

だが夢などというものは、起き上がって暫くすれば日常の出来事が押し寄せてきて、

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夢の中身など5分もしないうちに正に霧消してしまうのが常だ。

ブドウのハウスに入って一仕事済ませ、牛乳を飲みながら新聞を読む。

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日々の出来事が当たり前の様に伝えられていて、不幸なニュースさえ日常になってしまう。

大昔なら仰天するような事だって、今では慣らされてしまって単なるニュースなのだ。

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朝起きて・・・・仕事をして、ご飯を戴いて・・・風呂に入って寝る。

そんな平和な日常はとても素晴らしい事なのに、時にその日常がとてもやりきれなくなる。

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「こんな同じ繰り返しで良いのだろうか」という不安に駆られるのである。

時の流れるままに当たり前の日常を過ごし、人生の日々を費やして良いものだろうかと。

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恐らく誠に贅沢な不安なんだろうとは思う。

だがその不案が、非日常を求めて次々と行動を求めている。

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ほぼ一か月の間に3つの100kレースに挑戦したのだって、そう言うことかも知れない。

昨日の仲間内の会合で「気違いの様に…」と紹介されたが、確かに何かに急かされている。

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しかしである・・慣れ切った生活は何時しか生きている実感を失わせるのではないか。

先日訪れた飛騨の鍾乳洞を思い出している。

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石灰岩の山に出来た洞窟は、そしてその鍾乳石は太古の時代からの産物だ。

人間の一生などはその数ミリにも満たないのだろう。

そんなに短いからこそ、最大限コンクな人生を生きたいと思うのだが・・・・。

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確かに心配や悩みが無い訳じゃないなく、日常生活だってそんなに容易じゃない。

それでも、そんなことは至極当たり前だと思うのだ。

その当たり前の世界にだけ埋没したくはないのである。

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2015年6月14日 (日)

久方の千葉山

いゃ〜ぁ、今日は一日楽しんできました。

島田駅から千葉山・智満寺を経由していたわりの湯ゴールの20kのマラニックだ。

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島田駅に集まったのは40名余で、ほんと肝胆相照らす仲間が集まった。

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5k程北に進むと、智満寺に向かう丁仏参道があって、古くからの参詣道である。

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一丁毎にお地蔵さんがあって、智満寺まで33体のお地蔵さんがある。

梅雨のこととて今朝まで雨が降っていたけど、幸いに木漏れ日もあって最高のマラ日和だ。

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先週の100kの後遺症もあって軽快とは言えないが、それでも楽しく走ることができた。

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古刹の智満寺には裏山があって、そこに神代杉と同様な十本杉がある。

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そのうちの3本は雷に打たれたりして倒れてしまったが、大杉や雷杉などが健在で、

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今回のマラニックではその一本一本をチェツクするのが義務付けられている。

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そうでなくとも、千年余を 生きてきた大木を前にすれば誰もが敬虔になる。

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確かに何度逢っても彼らの生きてきた重みにはかなわないのである。

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十本杉から柏原に下っていくのだが、途中で仲間がエイドを設営してくれていた。

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それが先日ゴビ砂漠マラソン190kを完走したブラインドランナーのオットットだった。

皆さんに感謝のつもりでと仰っていたが、大変なレースを走り抜いたのは彼の意志だ。

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エイドに感謝しつつ大井川に沿って下っていき先端の柏原から折り返していたわりの湯へ。

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とっても良い汗をかいて、13:35にはゴールとなった。

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後はゆっくりと温泉に浸かって、仲間との談笑である。

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最後は島田駅に帰って懇親会となって、何時もの通り表現のしようがない程盛り上がって、

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改めて親しくなれた人もいて、マラニックならではの一日になった。

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一日を謳歌したというか、とっても爽やかな一日になった。

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2015年6月13日 (土)

人生の素顔

極論すると人生に意味なんてある訳もなく、それ自体は空虚なだけかも知れない。

その空虚さの中で、自分を実感出来るような生き方を試みるのが人生なのだと思う。

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子供の頃だって、忙しい忙しいと言っている今日だって、時間は長くって何時も退屈だ。

だからこそアレをして、これに挑戦してって、楽しいことを探して工夫しながら生きている。

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私の場合は、走ることや書くこと、栽ることや出会うことがその工夫である。

そうして夢中になっていると、時間は短くあっという間に過ぎてしまう。

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逆に苦しいこと〔例えば歯痛で朝を待つ時間など〕は無限に思えたりする。

その苦しい事ついでに・・、先日の飛騨高山ウルトラマラソンを思い浮かべている。

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何時もそうだが、100kを走るウルトラマラソンは人の一生と随分似ていると思うのだ。

100k先に思いを定めてスタートラインに立っているのは、学生時代の自分かも知れない。

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幾ばくかの緊張感と、これから始まるドラマに心をいっぱいに広げている。

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元気に走り始めて汗をかき、確かに50k辺りまでは退職前の現役時代の様だ。

急な坂でも苦しくっても、それはもう大勢の勢いで克服していく。

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それから後のラン〔人生〕は、決められた枠とてない自分だけの戦いの連続である。

肩はひび割れるように痛むし脹脛はパンパンに張ってくる。

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それまでの強気な自信は消えうせて、時間と自分の体力との競争が続くのだ。

それでも、ひたすら淡々と前に進むことを言い聞かせている。

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90kのラインを越えると心は随分と軽くなるのだが、足は中々前に進んではくれない。

それにしても・・・・、あの90k過ぎの1kmそして又1kmが際限ないが如く遠いのである。

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たかが1kと思うのだが、その1kに9分もの時間を費やすのである。

それでもゴールと言う目的を目指して進むのは、そのゴールと言う拠り所があるからだ。

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私達が生きるということは、目的を持ってそれを意識するってことだ。

仮に人生に何の目的も見出せないとしたら、到底生きてはいけない筈だ。

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いやいやこれは人間だけのことではなく、私の葡萄たちが大きく葉を広げるのも

少しでも光を吸収する目的に違いないし、その先には豊かな稔があるだろう。

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2015年6月12日 (金)

熊よ

飛騨は山国で随分とヒグマの多いところらしい。

高山スキー場からの下り道にも「時々、熊も通ります。」と標示されていたし、

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奥飛騨の熊牧場には、数百頭の熊が「飼育」されていた。

月の輪熊は植物性のものが主食らしいが、ヒグマは植物も食べるが肉食である。

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それで時に牛などが襲われて腹部を食い荒らされたりするのである。

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そういう意味では、ヒグマはこの日本列島で唯一の猛獣なのだ。

かつてはマタギと呼ばれる猟師がいて、

熊の胆や毛皮を目的に冬眠中を狙う壮絶な猟をした。

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しかしそうした猟も無くなった今日、ひょつとしたら熊は増え続けているのかも知れない。

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訪れた熊牧場では熊に簡単な芸をさせていたし、客に餌〔ドライフルーツ〕を求めてくる。

立ち上がって手〔?〕を叩いて餌を要求するのだが、それが又愛想があって若い女性客を喜ばせていた。

熊も、生き残るために必死なのである。

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牧場では普段は配合飼料〔とうもろこしなど〕を与えているらしいが、

多分そんなに十分には与えないのだろう。

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客は深い堀を隔てた安全な所から餌を投げるのだから安気なものだが、

小熊は兎も角、大きな熊は500k以上はある。

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あんな熊に襲われたら・・・・想像するだに恐ろしい。

そんな熊を眺めながら、アラスカを駆け巡った写真家の星野道夫さんを思い出していた。

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星野さんは過酷な北極の地に棲んで熊と自然の膨大な写真を残している。

しかし彼が残した最後の写真は、

鮭の遡上する川の岸に座ってシャツターを押している時のものだった。

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熊は鮭を腹一杯に食べて、人を襲う恐れが無いと判断していたのだろうか。

「クマよ」と題された写真〔大自然の中の感動的な熊の姿〕に彼の言葉が添えられていた。

「気がついたんだ おれたちに 同じ時間が 流れていることに」と。

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それ程に愛情をこめてシャツターを切ってきた写真家を、熊は食い殺したのだ。

二十年間に亘って北極の風の中に身を晒し、自然と人間を追及した写真家だった。

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2015年6月11日 (木)

ワイングラスの美酒

もうアレから四日になるのに、足の筋肉は鈍い倦怠感を保ったままである。

無理をさせたんだから仕方ないと思いつつ、高山の古い町並みを振り返っている。

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実は、高山で買い求めた清酒「号外品」をワイングラスに注いで味わっているのだ。

これが香りとともに実に旨い。

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ひと口飲んでは「美酒が飲めるってのは、良いなぁ~」と一人味わい悦に入っている。

もとより酒は弱くて味とて分からないのだが、それでもこの酒は旨いのである。

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「古川蔵祭りで好評だった純米吟醸酒で、これは旨い。」と、毎年立ち寄る駅近くの若い酒屋の主人が進めてくれた酒である。

否、酒そのものよりもあのウルトラの余韻が、気持ちを高揚させるのかも知れない。

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ところで高山の町には酒屋〔蔵〕や味噌蔵が幾つかあって、小路にも洒落た店が目立つ。

立ち寄った酒蔵では欧州人が枡酒を味わっていたし、

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老舗で出していた試飲の味噌汁も五臓六腑に染み渡るように旨かった。

古い町並みと言っても、その一軒一軒に情緒があって、日本的な装いも洗練されている。

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マラソンは兎も角として、ゆっくりとこの町を味わうのも趣があって良いだろう。

ともあれ、やはり思いは先日のウルトラマラソンに向かってしまうようだ。

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ひだ高山の大会は、高山スキー場〔1,345m〕など幾つもの山を登り下りするのだが、

誰もがその登りを含めて自分の足での所要時間を考えながら走っている。

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ところが中々計算通りには行かなくって、特に最後の87kから3k程の登りは想定外だ。

ゴールに間に合わなかったランナーの一人が「最後に、あんな坂が有るなんて・・

もう二度と来るもんか!!」と市長に毒づいていたのも分かる気がする。

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エイドには特産の品を並べてあって、しかも美味しかったのだがトラブルもあった。

走友と同宿の一人は、宿に帰って間もなく救急車の客となった。

エイドで出されたお結びが原因で、急性食中毒を起こしたらしい。

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それでなくっても、同じ動作を14時間も続けるんだから腕も肩も猛烈に痛くなるし、

体力だって相当に弱ってくる。

しかし過ぎてみれば、そんなこんなが良い思い出なんだなぁ~。

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2015年6月10日 (水)

若さと心意気

梅雨の晴れ間で、絶好の体育大会日和になった。

今日は先週の文化祭に続く中学・高等学校合同の体育大会なのである。

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文化祭同様に各クラスの一人ひとりが持ち味を発揮し、絆を深める重要な場でもある。

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各クラス毎にお揃いのTシャツを着て、

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クラス対抗のリレーやグルーブ競技等で大いに盛り上がりを見せた。

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自分の分担競技に夢中で、あるいは受け狙いでお道化て・・若さ故の貴重な一時なのだ。

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それに父兄の見物も数百名と相当に多く・・・、と言うのもお目当てがあるのである。

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既に本校の名物ともなっているダンスHIGAXILEと集団演技「エッサッサ」が見せ場なのだ。

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ダンスは、本校出身のXILEのあきらさんが母校の為にプロジュースしたものである。

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高校女子生徒全員が浴衣姿で踊る若々しいダンスだ。

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そして体育大会の最後は、男子生徒全員で演技するエッサッサである。

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この三十数年来の伝統となっている独特の演技で、見るものをフルフルっとさせる。

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月明かりに獅子が天空に向けて吼える様子を躍動感と共に表現しているのだが、

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正に若者の雄たけびであり、勝どきとも言える集団演舞なのである。

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自分も見物するよりも演技する一員でありたいと思うのだが、それは既に無理というもの。

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若さ故にそのエネルギーがほとばしるのであって、

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私などの演技では遠吠えになってしまう。

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この学校で3年間このエッサッサを演じた彼らは、

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きっとこの一時を力にする時があるのではないかと思う。

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人間はここぞと思う時にこそ、心底から力を絞り出して頑張るものなのだ。

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高校の3年間など、過ぎてしまえば瞬くほどの期間に過ぎない。

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その青春の中に仲間とともに演技したこの一時を忘れないでほしいと思う。

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人生は人それぞれで、それぞれが幾筋にも分岐した道を歩むことになるのだけれど、

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あの時、ここにこうして同じ行動をしていたことこそ、貴重な青春の1ページだろう。

ともあれ、多彩に繰り広げられた体育大会は終わり、

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明日からは勉学に部活にと学校生活は続くのである。

あえて思うのは、若さには何物にも代えがたいエネルギーがある。

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若者達よ、そのエネルギーを自分のこれからの人生の為に燃やし尽くせばよいのだ。

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2015年6月 9日 (火)

ロートルの上高地

奥飛騨に行こうと思ったもう一つの理由が、隣が上高地だと知ったからである。

奥飛騨の平湯から赤岳の下に掘られた安房トンネルを抜けると、そこが上高地である。

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上高地は20代の頃一度訪れたことがあるが、その頃の印象は・・・・特に深くはなかった。

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1896年、日本アルプスの父とされる英国人ウォルター・ウェストンがその著「日本アルプスの登山と探検」で、上高地の素晴らしさを欧州に紹介したことから注目される様になった。

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赤岳の噴火で泥流が梓川を塞ぎ、大正池が出現したのはその後のことだ。

私が訪れた頃には、未だ大正池には枯れて幹だけになった木々が林立していた。

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その上高地を再度訪れたなら、私の目にどう映るのかと言う興味があったのである。

奥飛騨の宿で目覚めると未だ雨が降っていて、山々は白く霞んでいた。

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「コリャ、行くだけ無駄か?」と思いつつ、平湯の駐車場に向かう。

上高地への車乗り入れは規制されていて、

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奥飛騨からは平湯からシャトルバスで安房トンネルを越す他無いのだ。

そのかなり長いトンネルを抜けると、

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トンネルを抜けると雪国・・の様に、何と向こう側は晴れて日が差して山が見えていた。

ついていると言うか、上高地が私の訪れを待っていてくれた様にも思われた。

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早速大正池から歩き始めたのだが、昔〔40年前〕の記憶とはかなり印象が違っていた。

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新緑を迎えたばかりで、カラマツなどの木々も明るく輝いている。

整備された木道を辿って進むと、清流とその綺麗な自然が何処までも続いている。

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訪れている人達の多くは中高年の団体で、みんなその何も無い自然を味わっている。

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そうなんだ、この自然は欧米人好みの豊かさなんである。

日本人も昔と違ってあまりガツガツとはしなくなり、

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少しは上高地の良さが分かるようになったのだろう。

そんな中、トイレの前で記念撮影する中国からの旅行者がユーモラスに思われた。

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まぁ~かく言う私も、彼らと同じ様なものである。

ひとしきり歩いてから、下世話な河童焼きと甘酒を頂いたんだから・・・。

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ともあれ、上高地は一人で歩くところではなさそうである。

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2015年6月 8日 (月)

宴の後

この数日のマラソン旅行は、言うならば現実から抜け出した別の世界だ。

下世話な日常から抜け出て、アクティブな精神世界に自分を置く。

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多分、その中では私も別人になっているのだと思う。

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昨夜はバタっとベットに倒れ込んで前後不覚のまま今朝を迎えた。

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起き出すと足腰がギーギーと音を立てている。

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だけど気持ちはとっても爽やかで、「あぁ〜良かった」と言う満足感に満ち満ちている。

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とまれ現実に戻らなければならないんで、リハビリを兼ねて高山の町を散策した。

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昨日走ったあの古くからの小路を抜けて、高山城跡へ登って行った。

高山の城は秀吉の下で働いた金森氏が築いたのだが、1692年に幕府の天領となった。

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以降は幕府の代官が支配する地となって、あの郡上一揆を引き起こしたのである。

だが天領となったことで江戸の文化がこの地域に入り込み、あの絢爛たる高山祭が生まれる。

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町々には飛騨の名工たちが技を尽くした山車が造られて、今日に伝わる。

高山城址を後にして、その山車の展示されている高山祭屋台会館を訪ねてみた。

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伝統に培われた時代的な祭りがそのまま今日に引き継がれている訳で、

高山の人々の心意気を感じさせている。

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祭りも同様に高山の町は戦災がなかったことから、古い街並みをそのまま今日に残している。

新たな自由宅を建てるにしても、その伝統を踏襲することで今日の高山が維持されているのだ。

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祭り会館の隣に、日光東照宮の精巧なミニチュア(10/1)が展示されていた。

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大正期の名工たちが15年を費やして作成したものだそうである。

人間は突き詰めるとトンデモナイものを作り上げてしまうものなんだろう。

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100kへの挑戦は、意味合いは違うが人間の限界への挑戦でもある。

高山の町を散策しながら、ちっぽけな人間のやることを考えていた。

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金森氏だって、いわんや秀吉だって、高山の匠達も、そして私達だって懸命に生きている。

高山市の市長だって、この街を何とかしたいと懸命である。

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レースを終えて現実に戻るのだが、人間の本質は変わることはあるまい。

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2015年6月 7日 (日)

百花繚RUN

暑くもなく寒くもなく素晴らしいマラソン日和になった。

午前3時、高山駅からシャトルバスでスタート・ゴールのビッグアリーナへ。

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流石に会場は何時もの緊張感でみなぎっているが、仮装ランナーのグループも元気だ。

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古く狭い路地を駆け抜けるとあって、今年も3グループに分かれてのウエーブスタートである。

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誰の声かとのぞくと、出発前の先頭でしきりに話しているのは高山市長であった。

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それにまあ、話術が巧みと言うか、市長自らこの大会への熱の入れようが伝わってくる。

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ともあれ今年からコースが随分と変わって、古い街並みを抜けるのは3.5k地点になった。

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昨日歩いた町並みはやはりマラソンが通り抜けるには情緒がある過ぎるかも知れない。

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だが皆さんは、明るくなり始めた街並みを大いに楽しみながら走っている。

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そのはずれのお宅の屋根の上に、今年も夫婦そろって応援している人がいる。

高山の大会は、ぐるっと100kがそんな具合だったといっても良いだろう。Img_1284

もちろん昨夜の料亭三岩の皆さんも総出で応援して下さったのである。

しかしコースは緩和されたとはいえ依然として難コースが続いていた。Img_1287

スタートしてから40kで飛騨高山スキー場1,345mまで登るのだがこれがきつい。

それにスキー場からの下りは延々と8kmも続くのである。Img_1288

ランナーはそれぞれにカラフルなウェアーを身にまとい、そしてそれぞれの走り方をしている。

おそらく思っていることも、挑戦のきっかけもみんな違うのである。Img_1289

スキー場からの長い下り坂でリタイアしてしまう人もいれば、最後まで粘る人もいる。

前半にきついコースが集中しているためか。50k通過は6時間15分だった。Img_1290

後半への貯金は45分しか無い訳で、この時点で厳しい展開になることが想定された。

丹生川支所のエイドを抜けると千光寺に向かう。Img_1294

とは言え62k地点からの千光寺への登りがとてつもない傾斜で、歩くにもしんどいのである。

途中の市の担当者に「もう少し緩傾斜にしてもらえない?」と言うと、Img_1299

「そうですね、地元の人もよう登りませんからね〜」と答えが返ってきた。

やっとの思いで寺の下まで来たかと思ったら、そこから108(煩悩)の急階段があった。Img_1297

正に心頭滅却すれど煩悩が燃えるが如くきついのである。

お蔭で下りの6k余りはジェツトコースターで、何とか時間を稼ぐことができた。Img_1298

ともあれ100kの道のりは、延々と続くのである。

最後の登りの「ななもり清見」ではNHKのランマスのクルーたちとたびたび相前後することになった。Img_1300

彼女も流石にこの最後の坂でへばってしまった様子だった。

ともあれ私は、この10k残した時点で残り時間は90分であった。

1k9分で走れば完走できるのだが、果たして足が動くのかどうか?

それでも10kを過ぎると幾分元気も回復してくるものである。

弱気の自分にムチ打って走りに走ったのである。

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残り1kの表示を過ぎて完走が確信できた瞬間、何故かエッへへへと笑い・・・否、泣いていた。

「こんな難儀な無茶をやりゃがって・・・・」と口の中で叫んでいた。

ゴールに飛び込むと、真正面に高山市長がヌッと手を伸ばして待っていた。

「おぃ、待ってたぞ」・・・そりゃそうだ、彼は8時間もこのゴールに立って一人一人を迎えたのである。

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とにかく、15時間55分10秒でこの3大会のシリーズを締めくくることができたのである。

今年の春には、「もう、完走は無理か」と思い始めていたのだが、何、諦めないことだな。

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2015年6月 6日 (土)

飛騨高山

飛騨の江戸時代は幕府の直轄領だった。

だから代官がこの広大な地域を管理した訳だが、その陣屋が今に残っている。

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国の史跡になっている高山陣屋で、豪壮な屋敷跡で往時を偲ぶことができる。

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ともあれ城下町と同じで、高山の中心部には古い街並みが今に残っている。

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酒屋やみそ蔵など、昔のにおいを漂わせながら街並みが続いている。

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明日の受け付けを終えてその街並みを歩くと、外国人も目立つけど多くの人々がある。

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かなりは明日ウルトラを走る2800人の一部であろうか。

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開会式で高山市長が、ずっと(最後まで)ゴールで待っていると言っていた。

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市長自ら陣頭指揮でこの大会を盛り上げようとしているのである。

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しかしながら全国で最も広い面積(東京都と同じ)を有する高山市である。

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もちろん山あり谷ありで、過酷なコースが待っているのである。

この30日間で3回目の100kウルトラである。

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過去の二回に比べて幾分体が軽いように感じられて、昨年のリベンジを是非果たしたい。

ともあれ、今夜は走友のKさんと3人で、この高山の料亭三岩でご馳走を戴いた。

実は三岩のご主人もランナーで、明日は71kを走るのである。

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おまけに店の常連さんなどがチームMを結成して、皆さん(私達)を応援して下さるという。

そうなんだ、街ぐるみでこのウルトラレースを支えてくれているのである。

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それに高山のエイドは、それぞれの場所で工夫を凝らしていて、それが楽しみでもある。

なんでかんで、明日は頑張ってみるべぇ〜。

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2015年6月 5日 (金)

好奇心のかけら

「面白そうじゃん!!」とか「そりゃ、何だろう?」って気持ちは、全ての行動の原動力だ。

逆に「面倒くさい」って思うと、ついつい足が前に出なくなってしまう。

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そういう点で、好奇心は何か行動をしようとするガソリンみたいなもんだ。

実は今週末に飛騨高山ウルトラマラソンにエントリーしていて高山に出掛ける。

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送られてきた観光ガイドブックを見ていて、奥飛騨には未だ行ったことが無いと思った。

それに「奥飛騨慕情」って歌があったし、ついでだから是非行ってみようと思ってしまった。

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それで今日は、車を飛ばしてまったくの飛騨の山中まで来てしまったという次第だ。

来てみれば槍ヶ岳や穂高連峰、乗鞍岳の麓の山の又山の中である。

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その山の中の宿が山寂びたというか、この飛騨造りの和風旅館であった。

同宿の客はスイスとオーストリー、そしてドイツからの客らしい。

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鄙びた和風旅館に北アルプスの山々が控えているのだから、EUの人々にはたまらない。

気温は10度未満と今なお低く、湯に浸かりながらアルプスに来たという実感がする。

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奥飛騨慕情とはどんな歌であったのか思い出せないのだが、多分こんな雰囲気だ。

宿の近くにクマ牧場があって、5〜60頭の熊がいた。

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この辺りでは少し山に入ればヒグマに合うこと頻りなんだそうだ。

アクティブなウルトラの前のひと時、一人でこんな風に過ごすもの結構詩的だと思った。

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そうなんだ、温泉とはこうでなくっちゃならない。

お陰で納得したというか、好奇心は持つに越したことは無いと改めて思った。

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そもそも人間に「こりゃ、何だろう」って思う心があったから、

人類の歴史が開けたんだし、あのお月さんにまでも行けたんだからね。

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それにあれだね、嫌々勉強させられるんじゃ何も身に付かないけど、

仮に好奇心に燃えて勉強してたら、きっと私だって博士になれたかも??

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本当は好奇心の塊でいたいんだけど、まぁ「かけら」くらいは離すまいと思うのだ。

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2015年6月 4日 (木)

自己愛にて候

子供たちに如何にして自尊感情を育てるか、それが教育現場の課題になっている。

子供の行動をよぉ~く観察していて、適時的確に褒めてやるのだが、実は中々難しい。

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第一、本音で「この、出来損ないめ!」と思いつつ、褒めるなんてことは不可能だろう。

そもそも自尊ってことは、自分自身を愛することだ。

そして私達が生きる事ができるのは、ひとえに自己愛のためなんだと思う。

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自分が可愛いから苦しいことにも耐えるし努力もするし、一生懸命に生きる。

言い換えると、自己愛こそが私達の正真正銘の姿かたちだ。

それでその自己愛は、色々な表現形となって現れる。

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自惚れや虚栄、利己心や我執なんて言い方もあるが、いずれも我が身可愛さから始まる。

例えば、この私のブログや多くの人が書いている日記も、極論すると自己愛の証だ。

多分永年に亘って日記を書き続けられる人は、自分を大切にする気持ちが強い人だ。

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そうでなければ、毎日欠かさず書くことなんて事が出来るはずがない。

吉田兼好が徒然草を書いたのも、政治家が手記を日記として残すのも皆同じだろう。

日記がいずれ世に出たなら、自分の思いや行動を理解して欲しいと言う自己愛の露出そのものだ。

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私もブログ以前は日記を書いていたが、その日は記録と同時に反省が多かった。

もとより自分だけの記録だから、反省も自己愛そのものだったかも知れない。

この点、衆人に公開しているブログは「俺は、ここにいるぜッ」と書いている訳で、

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言うならば自己愛の象徴かも知れないと思っている。

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2015年6月 3日 (水)

梅雨の日に

昨日までの干天が一変して、今朝はどう観ても本格的な梅雨空である。

カラカラに乾いていた畑の野菜たちには、願っても無い慈雨である。

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梅雨空に如何にも映えるもの、それはアジサイの花だろうか。

それに雨に打たれて一際生き生きとして見えるのが、植え揃った田の早苗だ。

この梅雨空のもとで、グイグイと青々とした一面の稲田が育つのである。

その雨の中を子供たちも傘をさして、中学生は合羽を着て元気に登校していく。

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そしてこの子供達の人生も、それぞれ異なり違った行路を辿るのだろうが、

その違いの多くはどんな環境で育ったかが差配する。

それから、何時自分って者を発見〔見詰める〕するかってことも重要だ。

いずれにしても飽食に甘んじればそれなりの人生だろうし、

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適度な艱難辛苦は人を磨いて玉にする。

ともあれ、人は誰もが変化に富んだ人生を送れる訳ではない。

伝記小説や歴史小説などで先人・偉人の波乱万丈の物語を聴かされても、

感興は大いにあるにしても、その多くは自分に係りの無い事柄だ。

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それよりも誰もに共通する人生の課題は、精神の内面の充実や洗練が肝心だろうか。

どんな境遇に遭遇したとしても、自分なりに人生を豊かにすれば良いのである。

ところで人は誰でも、胸の奥深くに自分だけの色のガラス玉を持っているらしい。

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そうして何時の日にか、そのガラス玉が金色に輝く時を夢みて生きるのだという。

しかしながら、そんな夢を実現できるのは万人に一人居るかいないかであろう。

とまれ誰のガラス玉だって、雨に濡れて輝き、太陽や星を映して輝くのである。

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人生の要は、たとえ平凡な人生だとしても、折々にそうやって輝けば良いと思う。

それには何時も夢を抱いて、限りなき挑戦を続けることだな。

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2015年6月 2日 (火)

感動は何処に

子供の頃は見るもの聞くものが皆目新しくって、すべからく感動の連続だった。

それが大人になるに従って、「まぁ、そんなもんだろぅ」ってな調子になる。

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一般的には鈍感になって、感動とはどんどん遠ざかってしまうようだ。

だけど頭を軟化させないためには、感動は是非とも必要なのである。

そして感動こそは、それまでに培った感性のなせる業と言っても良いだろう。

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だから人によって感動する対象が異なるのだが、それが多いに越したことはない。

文学であれ美術あれ、或いは音楽や様々なシーン、そしてスポーツだ。

思えばその感動を求めて、自らを修羅場に追い込んで生きてきたようなところもある。

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ところで今日、私のブドウを見学に小学3年生がやってきた。

何人かの顔見知りもいるが大半が初顔である。

葡萄のハウスに入ると、流石に「アッ、ブドウが成っている」との声が上がった。

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珍しげに眺めているのだが、何故か次の声が出ない。

それで「このハウスに入って、気付いたことは?」と聞いたのだが、ほとんど反応が無い。

このハウスには3種類のブドウがあってね、小さいのと大きいの・・・・と説明する。

しかしながら、まだ青くって食べられそうもない為か、今人反応が鈍いのだ。

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例えは「何時、食べられるの? 」とか「どれが、おいしいの?」「種は、あるの?」などだ。

次々と質問攻めにされると思っていたオジサンは少々残念なのである。

今時の子供達はあちこち出かけているし、それにTVでの疑似体験を摘んでいる。

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子供ながらにして感動が少ないのも無理からぬことかもしれない。

だけどさ、感動って生きるエネルギーじゃないかって思うと、少し寂しくなった。

人生はドラマだし、その折々にやっぱり「やったぜ!!」って感動しなくっちゃ面白くない。

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子供達から、感動を奪ったのは誰だ。

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2015年6月 1日 (月)

俺の方が・・・

「隣の家に蔵が建ちゃ腹が立つ」ってなもんで、人間はみみっちい存在かも知れない。

逆に言うと、優越感こそが人を支えているところがある。

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その優越感を隠して、外面は慇懃無礼で謙虚を装っていたとしても、

心の底には他人よりも少しでも前に出たいと願っている本性がある。

他人よりほんの僅かな優位を探して、それで安堵するのが人間の本性と言っても良い。

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俺のほうが・・・とか、あの人よりもと思う心である。

しかし表向きは誰もが自分の内心を隠して、平穏な仮面舞踏会を演じている。

だけどその競争心を掻き立てて、優劣を競わせているのが実は教育の世界だ。

テストに現れる学力は絶対的で、他の多くの中での自分の位置が決まってしまう。Img_1151

優位に立ちたかったら勉強するしかない訳で、それを競わせるのが学校だ。

その結果が難関大学への切符だったりするが、逆の見方をすると振るい落とす装置だ。Img_1159

だから教育者は、よくよくその修羅場を分かった上で、生徒達と接するべきだろう。

先ずは、一人ひとりの子供達をとことん愛情をもって好きになることだ。Img_1150_2

その上で彼らが生きて行くのに必要な知識と技術〔読み書き算盤〕を教える。

そうして子供達が、その知識を自分で組み合わせ発展させるように促せば良いのだ。

幸いにも多様な価値が認められる時代が来ているし、人生は色々でもある。

そういう意味じゃ、教師の人間力こそが肝心なんだろうと思う。

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今日の私学協会の総会に出席してそんなことを考えていた。

それぞれの私学は原則として転勤がないが、それはむしろ本当の教育にはベターだ。

江戸期の「塾」が様々な人材を育てたように、教育は実は人なのである。

私学の教師は、大抵自分の教え子とは一生の付き合いになる。Img_1139

そうならば、子供の将来を俯瞰しながら導くことが出来るのではないか。

大勢の子供達を見ている訳で、生徒ごとの向き不向きも大まかには分かるだろう。

それに人の生涯の師になれるとすれば、それは教師冥利に尽きるだろう。

私学は、もっともっとその個性〔優れたところ〕を発揮出来るだろうと思う。

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