« 熊よ | トップページ | 久方の千葉山 »

2015年6月13日 (土)

人生の素顔

極論すると人生に意味なんてある訳もなく、それ自体は空虚なだけかも知れない。

その空虚さの中で、自分を実感出来るような生き方を試みるのが人生なのだと思う。

Img_1223

子供の頃だって、忙しい忙しいと言っている今日だって、時間は長くって何時も退屈だ。

だからこそアレをして、これに挑戦してって、楽しいことを探して工夫しながら生きている。

Img_1224

私の場合は、走ることや書くこと、栽ることや出会うことがその工夫である。

そうして夢中になっていると、時間は短くあっという間に過ぎてしまう。

Img_1253

逆に苦しいこと〔例えば歯痛で朝を待つ時間など〕は無限に思えたりする。

その苦しい事ついでに・・、先日の飛騨高山ウルトラマラソンを思い浮かべている。

Img_1254

何時もそうだが、100kを走るウルトラマラソンは人の一生と随分似ていると思うのだ。

100k先に思いを定めてスタートラインに立っているのは、学生時代の自分かも知れない。

Img_1257

幾ばくかの緊張感と、これから始まるドラマに心をいっぱいに広げている。

Img_1258

元気に走り始めて汗をかき、確かに50k辺りまでは退職前の現役時代の様だ。

急な坂でも苦しくっても、それはもう大勢の勢いで克服していく。

Img_1261

それから後のラン〔人生〕は、決められた枠とてない自分だけの戦いの連続である。

肩はひび割れるように痛むし脹脛はパンパンに張ってくる。

Img_1266

それまでの強気な自信は消えうせて、時間と自分の体力との競争が続くのだ。

それでも、ひたすら淡々と前に進むことを言い聞かせている。

Img_1271

90kのラインを越えると心は随分と軽くなるのだが、足は中々前に進んではくれない。

それにしても・・・・、あの90k過ぎの1kmそして又1kmが際限ないが如く遠いのである。

Img_1272

たかが1kと思うのだが、その1kに9分もの時間を費やすのである。

それでもゴールと言う目的を目指して進むのは、そのゴールと言う拠り所があるからだ。

Img_1274

私達が生きるということは、目的を持ってそれを意識するってことだ。

仮に人生に何の目的も見出せないとしたら、到底生きてはいけない筈だ。

Img_1295

いやいやこれは人間だけのことではなく、私の葡萄たちが大きく葉を広げるのも

少しでも光を吸収する目的に違いないし、その先には豊かな稔があるだろう。

|

« 熊よ | トップページ | 久方の千葉山 »

人生論」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人生の素顔:

« 熊よ | トップページ | 久方の千葉山 »