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2015年7月 6日 (月)

今、生きてる?

自分自身が時の流れと共に移ろっているから、普段は自分の内に時の流れは感じない。

ところが身の回りの変化に触発されて、時間の経過に言い知れぬ感慨を抱くことがある。

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それは身近な人が亡くなって・・・そうだな、親戚の葬儀の場などでも時の隔世を感じる。

先日は集落の昔からの庚申の宴があって、いつも私は若造の部類だと思っていた。

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それが改めて回りを見渡すと、それぞれ代替わりしていて自分が既に長老になっている。

その自分の位置に気付いた途端、「あぁ人は、誰もが浦島太郎を経験するんだ」と思った。

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その気付きのきっかけが、いわゆる玉手箱だね。

人は誰もが夢中で生きているんだが、その夢中が「竜宮場での日々」ってことになる。

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「浦島も玉手箱を開けなきゃ良かったのに・・」と思うのは、それは人生の摂理にあわない。

ボケない限り、誰もが玉手箱を開けざるを得なくなって、そうやって歳を取っていくのだ。

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この点、子供たちや青年期の人達には、玉手箱の存在そのものが見えていない。

そうして自分は無限に若く、限りなく生きるって信じている。

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それで人生の終点が視界に入るかって頃になって、限りある人生を実感するのである。

実は昨日の160kランを思っている。

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雨の中の睡魔と疲れ、フヤケて血の滲む足を引き摺りながら走り通した12名の思いだ。

もうみんなボロボロで、歩くのも大変な人たちばかりだった。

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そこには自分自身に目標を課して、そいつを完遂することに全力を傾けた男達がいた。

体は右へ左に揺れていたけれど、どの顔も凄烈で「生きてる!!」って顔をしていた。

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思うに私たち一人ひとりの竜宮城も、亀の背に乗る決意をしなければ行かれない。

砂浜で遊んでいても一生だが、それはひょっとすると夢を見ている様なものかも知れない。

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折角の人生には、やはり一種の「敢為」こそが必要なんだと改めて思った次第だ。

そして「花は盛りに、月は隈なきのみ見るものかわ〔徒然草〕」で、熟してこその美しさがあるってね。

今、生きてるって感じられる瞬間をどれ程持てるだろうか。

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