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2015年9月30日 (水)

新しさと感動と

既に今年も10月になんなんとし、一年の3/4を費消しようとしている。

過ぎに過ぎるものは人の齢、時の流れは益々早くなっていくようでもある。

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時の速さの感じ方は、その間の記憶の量と多分に関係があるらしい。

人間の脳には記憶指令センターの様な所があって、そこで記憶すべき情報を仕分けている。

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記憶すべき情報はまずもって新しい情報で、初めての体験はちゃんと脳に記憶される。

それまで知らなかったことや初めての道、初めて会った美人なんて情報である。

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だから記憶量が多いってことは、初体験が多かったってことになる。

子供の頃の時間は、全てが未知の世界だったから一年がとてつもなく長く感じられた。

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それが今じゃ、とかく毎日が同じことの繰り返しになってしまって、記憶することがない。

同じ景色を見て、同じ人と会って、馴染みの店に行って、・・てな具合で新しい情報がない。

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つまり、頭に残る記憶がエンプティだから、「あぁ〜、今年も終わっちゃった。」となる。

だから時には旅行や初めての大会に出掛けたり、そこで人と会ったりしなきゃだめだ。

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そう思って過ごしているんだが、それでも過ぎっちまうと、やっぱり時の流れは速い。

ところでこのところ、あれこれと出掛けたり暇があれば走っていて、少々疲労気味である。

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目が覚めると体のあちこちが軋んでいて、それを無理やり思い切って背伸びして糺す。

うぅ〜ん、これしきの事・・・ってな気分なんだが、動き出せばどうってことはない。

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簡単に言うと、「気持ちの良い疲労は、いいもんなんなです」よ。

身体は疲れていたとしても、毎日の達成感って奴が自分を動かしてくれるんですね。

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「今日は、これをやったぜ!」って気持ちが、脳に伝わってドーパミンを出す。

そいつが、一層「やる気」を掻き立てるって訳だ。

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それに「やったぜ!」って達成感は、長い間記憶として留まるものらしい。

だから、あんなに苦しかった100kなのにゴールの一瞬の達成感が記憶されて、

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何時もあの一瞬が鮮やかに蘇って、その感動をもう一度と次の挑戦が始まるんだ。

そうだよ、人生は「やった!」の連続でなくっちゃいけない。

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新しいことに挑戦して、そうしてそれが出来なくったって、それに感動すりゃ良いんだ。

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2015年9月29日 (火)

歳相応の痩せ我慢

近年の私は年の半分ほどの間、短パンにTシャツ一枚の姿で過ごしている。

街頭に立つ時にも、会合などでもそのカジュアルが許される限りは何時もこれだ。

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多少寒くってもこれで通しているから、私の足は日に焼けて黒光りしている。

会合で久しぶりに会う知人などは、「ここまで、走ってきたの?」と本気で聞いたりする。

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そこそこいい歳をした親父が、若者すらしない様な格好で可笑しいと言わんばかりである。

毎朝の子供達は真冬だって半ズボンが多いし、慣れればどうってことはないのだが・・。

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その子供たちがかつて、私の短パンを指して「おじさん、変だよ」などと言ったことがある。

しかし今では何の違和感も無く、「あの、短パンのオジサン」で通っている。

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それから100kマラソンだって、世の一般常識なら60代後半の男のやることじゃなかろう。

それから・・・えぇっと・・・、他にも幾つかやっているんじゃなかろうか。

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年相応って言葉通りに生きれば、周りに波風が立たないし評判にもならず確かに楽だ。

だけどそれじゃぁ、人生は輝かないし自由を謳歌出来る世代としてはもったいない。

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臆面もなく、どんどん年甲斐のない人間になって、年相応の概念を打ち破るべきなんだ。

「老後のため」なんて考えて引っ込んでたんじゃ、何時の間にか寝たきりに成りかねない。

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短パンは寒くなるといささか痩せ我慢だが、しかしこれは私の気力と心意気なのである。

そもそも年相応などと言う考え方は、年代で行動を枠にはめる間違った考えだ。

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せいぜい痩せ我慢を続けて、不良??は無理にしても、遊び心を持ち続けようと思う。

横並びもさることながら、誰だって自分のために生きているんだからさぁ〜。

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そう言うことで、世間体などに拘らず自分らしい生き方を貫く所存?だ。

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2015年9月28日 (月)

一行無き一日なし

夜空には、これぞスーパームーンって月が自信満々で輝いている。

ところでこのところ、アクティブな行事が過ぎ去って少し平穏な日々を過ごしている。

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例えば朝飯を食べながら新聞を読んで、街頭に立って、山を走り、畑を・・・と言う毎日だ。

それで晩方パソコンの前に座って、「はて、何を書こうか・・」となる訳だが、これが困る。

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平穏な毎日は大切だとは思うのだが、「昨日と同じ」毎日であってはならないからだ。

古代ローマの残した言葉に「一行なき一日もなし」との名言がある。

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時はドンドン過ぎ去って、歳だって取っていくんだし、毎日を特別な日にしなくってどうする。

そんな気分と決意が漂っていて、私の好きな言葉の一つである。

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そもそも惰性に流れるなんてことは真っ平だから、毎日何らかの「一行」を付け加えたい。

もっとも、特別な事が無いとしても日々感じたり考えたりすることは必ずしも同じではない。

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私達は、大抵の人々が自分の価値を追求しながら生きて居る。

それを下世話に列記すれば、生存だとか健康、快楽やお金、愛や名誉、美とか地位、

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はたまた平和や安全、自由とか満腹、美味や感動etcといった諸々の価値である。

そんな諸々を追い求めているはずだが、その時々によって優先順位が変わってくる。

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腹が減れば空腹を満たすことが最大の価値になるし、衣食足りれば感動が欲しくなるって具合だ。

その追い求める価値の積み重ねが人生って訳で、

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当然ながら、人によってその積み重ね方が違ってくる。

つまり生活習慣の違いがその人の個性になるし、その人の人格にも大きく関わっていく。

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だからその「一行」を大切にして、より良い生活習慣を目指したい。

あぁ~今夜は名月に酔ってしまって、心ならずも「余文」を書いてしまったようである。

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ともあれ、心は「何でも良いから、今日はこれをした」って事実を残したいと思っている。

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2015年9月27日 (日)

中秋の名月に

今年の8月下旬以降の天気はどうにも雨が多く、秋晴れの晴天が少ない。

今朝の小笠山だって、ウバメガシの林が深山幽谷のごとく霧に覆われて幻想的だった。

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それで山を走りながら、今夜の中秋の名月を心配していたのである。

今夜の月は、楕円軌道の月が最も地球に最も近くなるらしく、大きな満月になる。

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その心配していた月が、雲の切れ間から見事に昇ってきている。

更に明日はスーパームーンだし、暫し月を眺めてのこの一時を楽しめるのだ。

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忙しい世の中になって、ゆっくり月を眺めるなんて果たして何年ぶりだろうか。

平安の昔、かぐや姫は月に帰ってしまうのだが、近世の人間は月に行くことを考えた。

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そして最初の探査機が月に到着したのは1959年(私が12歳)のことだった。

それから多くの探査機送り込まれて、遂に1969年、二人の人間が月に降り立ったのだ。

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それで既に12人の人間が月に行っているし、382kもの月の岩石を持ち帰っている。

・・・となると、かぐや姫は何処にいたかなんて夢想は、儚く壊れてしまったのである。

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「人間は、月に行かない方が良かったのではないか」と、フッと思ったりする。

人々の飽くなき探究心は、科学と言う力を借りて悉く神秘を神秘でなくしてしまった。

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天国も地獄もなくなって神様の威厳はガタ落ちだし、先祖を敬う気持ちも希薄になった。

その分、コンピュータやスマホが大きな顔をするようになった訳である。

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而して月を眺めて人生を詠む風情は、どうにも現代人に似合わなくなったようだ。

とは言え、人間は歳とともに自然に近くなるのだろうか…月がことさら美しく見える。

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やっと本来の秋らしく、虫の音が涼やかである。

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2015年9月26日 (土)

未知の世界に・・

私達人間は、飽くことなく未知の世界を探求し続けて生きてきた。

結果として、今日の世界が広がっているんだけど、その真因は一人の探求心に始まる。

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私の知人のKと言う男が、子供の頃マルコポーロの辿ったシルクロードに取りつかれた。

「何時か、その道を自分も辿ってみよう」と考えたのである。

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そして50歳を過ぎた頃努めている会社に申し出て、毎年シルクロードを走ることになった。

自転車であの治安の悪い地域を、ほぼ10年を費やしてとうとう完走したのが5年前だ。

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シルクロードと言ったって、果たしてマルコはどの道を辿ったのか定かではない。

それを文献を紐解きながら、現地の言葉を学びつつ辿った10年だった。

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それで今年は、仲間を募って世界の屋根と言われるパミール高原の旅に出た。

パミールは中央アジアの標高4000mを超える地帯だが、そこを2771k走破(車)してきた。

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アフガンとの国境沿いだからISの影響もあるし、彼らが帰ったその日に大規模な襲撃事件が起こっている。

ともあれ10人のメンバーは無事に帰国して、今日はその(パミール探検隊)報告会である。

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彼らは8月15日から9月4日まで標高4000m前後の所を旅したのである。

時には5461mのパンゾアクジョー峰に登ったりと、体調を崩しつつもタフな旅だったようだ。

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それもすべからく、未知との遭遇の連続であって、それはそれはエキサイティングな旅だ。

人間は極致を極め、月を目指し、そして更に遠くの惑星をも視野に入れている。

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でもこの地球にだって、私たちの知らない未知の空間が限りなく存在しているのだ。

仮にそこが荒涼たる砂漠だとしても、自分の力で足を踏み入れてみたいと思うのが人間だろう。

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目標が決まれば、ひたすらそこに向かって突き進みゃ良い。

そうやって人類は進化してきたんだ。

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ともあれ、来年の私の冒険はモンゴール高原100kの走破かな。

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2015年9月25日 (金)

ランと僕の人生

僕の人生にランが入り込んでから、もう25年余になる。

この間、何が変わったかと振り返って考えてみると、

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それは「走る仲間が好きになった」のと同様に「自分が好きになった」ことだろう。

ナルシストになった訳じゃなく、自分の人生を目一杯生きるのに忙しくなったって事かな。

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この25年の間に、世の中や生き方だって随分変わって、

全国でウルトラMを含めマラソン大会が競って開かれるような時代になった。

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僕の住む町だって、ジュビロメモリアルマラソンは街の一つの顔になっているくらいだ。

僕が走り始めた頃は、昼日中走っていれば、それは奇異に思われるのが普通だった。

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だから人目を避けて、日の出前に黙々と走るのが常だった訳だが、

マラソン人口が飛躍的に増えて、ランニングする風景が普通に見られる様になった。

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マラソンブームと言われて久しいが、どうやら一時のブームでは無さそうである。

体をドンドン動かすことが健康に繋がるばかりか、ランニングは人を積極的にするからだ。

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マラソン大会に限らず、挑戦という好奇心をかき立ててくれるんだ。

それにランニングの最中は「無」の境地に入って、その分物事が見えるようになる。

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振り返ってみても、幾つもの仕事や諸々の難事を山の中を走りながら解決してきた。

細い山道を走りながら「何だ、そうか!」って、出口への隘路が見つかるのである。

それに失敗が気にならなくなったと言うか、むしろそれは再挑戦のきっかけになった。

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ありのままの他人を受け入れられるようになったのも、走友との交流が大きいだろう。

マラソンは、自分の体と心を見詰めながら長い時間対話を続けるスポーツである。

そして、ランナーの心は常に現在に向けられ、その瞬間を存分に味わっている。

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言うならば過去や未来はさておいて、人生のその時を懸命に生きる訓練なんだと思う。

僕が生意気にも度々人生を思うようになったのは、やはり多分にランニングの影響だろうな。

継続って力だなとか、気持ちが物事を達成させるとか、自立心の涵養などと、

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幾つもの教訓を汗と共に体で学ぶことが出来たのはマラソンのお陰だ。

そして極め付け、それは達成感という最高の贅沢、『感動』を知ったことである。

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2015年9月24日 (木)

ほんとの私

人は誰でも自分の脈拍や体温、そして呼吸をもとにして物事を判断している。

自分の体温より温度が高けりゃ暑いんだし、自分の脈拍よりハイテンポなら速いと感じる。

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そういう意味じゃ、変温動物にすりゃ「人間てなぁ、身勝手な奴らさ」と言うことになる。

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一定の幅の内にある体温や脈拍はさることながら、考える事となると随分幅が広がる。

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人それぞれに自分の理想やら希望を色濃く持つようになっているからだ。

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それで往々にして誰もが「自分を分かって(評価して)貰えないもどかしさ」を感じている。

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もっと好かれる筈だとか、こんなに正直なのにとか、器量はともかく心は・・とか、

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こんなに尽くしているのに等と思いは千々に乱れ色々だ。

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人間は本来自分中心に生きていて、他人がそれ程関心を持ってくれる筈もないのに、

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それでも他人の評価が気になってしまうのが人間の常だ。

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それで「誰も分かっちゃくれない」などと落ち込んだりして、ダダを捏ねたくなったりする。

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と言ってもタダが許されるのは、18歳未満と75歳以上の人くらいのものだが・・・。

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だけど、分かって欲しい本当の自分の姿とは何なのか、実は本人にも良く分かっちゃいないんだ。

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ただ思っていることは「私は、もっと大切に扱われてしかるべきだ」ってことかな。

この点、勘違いのように良く分かってくれるのは「恋人」だろうな。

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あばたもエクボで、(貴方のする事、みんな好き♪♪〜)何でも良く見えちゃう。

さしずめ恋人のいない私なぞは、毎日寂しい思いをしているって訳だ。

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ともあれ慢心して生きているよりも、多少の不満をバネに奮起する方が良いよね。

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2015年9月23日 (水)

彼岸の三山巡り

20日に100kを走ったばかりだが、昨日は山を15k、そして今日は三山25kである。

お彼岸だし、可睡斎から油山寺、法多山を巡るマラニックは時宜を得ている。

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朝8:30、集まったのは40人余で、久しぶりの顔もあって、とってもハイになる。

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とは言え、100kの疲労もあって可睡斎に着く前にかなりの疲労を感じている。

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それでも久しぶりの走友とあれこれと話しながら走っていると、タンタンと気持ちよく進んでいく。

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私の足がそれを求めているようなリズムなのである。

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そんな訳で思いの外快調で、ゴールの温泉には13時には到着となった。

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ところで、この三山巡りには三つのステージがあって、それをそれぞれ楽しむことができる。

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一つは勿論三山を巡る走り旅で、手ごろな距離を無理なく走ることができる。

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二つ目は250mの地下から汲み上げている弱塩泉にゆったりと浸かって、

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英気を養い、そいつを楽しもうとする心のゆとりかな。

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三つめは、湯上りの和気あいあいの懇談で、こういう世界はラン仲間でしか有り得ない。

考えれば他愛のない話柄かもしれないが、それがまた楽しいのである。

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と言う訳で、今日はその三つともをたっぷりと味わってきたのである。

そして、その三ヶ寺で祈願したこと、それは「何時までも元気で走れますように!!」だ。

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お彼岸と正月に走る定番のマラニックだが、毎度飽くことなく楽しませてもらっている。

それは、やはり仲間の和と新たな出会いがあるからだろうと思う。

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祈願したように、これからもずっと走り続けるんだろうな。

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2015年9月22日 (火)

不安を突き抜けて

昔は、自分の人生や仕事、対人関係や自分自身に対して、兎に角不安で一杯だった。

転勤先で上手くやれるだろうか?、自分に何ができるだろうか?っていつも悩んでいた。

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そんな不安症の私が「何とか、やれそうだ」って自信を持つようになったのは40歳の頃だ。

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それから後だって、幾つもの山や谷を乗り越えてきて・・・・何故か不安は少なくなった。

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欲を出さないというか、まぁ〜こんなもんかと割り切って考えられるようになった事もある。

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経験は教訓となって、物事の先行きを見通す力になったからだ。

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それに歳と共に、新しい世界への挑戦が減っている事にも一因がありそうだ。

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そもそも、不安を感じるのは未知の新しい世界を前にするからであって、

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言うならば、不安はチャレンジャーの特権なのである。

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多少の不安があったとしても、出来る時に出来る事をやっておかなければ、

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何も出来ないうちに人生が終わってしまう。

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人生の残りの期間を推し量りながらも、思い切ってジャンプしなければならない。

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そう・・・、私の最大の不安は加齢に抗してどこまで挑戦が続けられるかである。

全く新しいことを始めようなんて思っちゃいない。

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例えば一昨日の100kマラソンだが、走友のNさんは74歳で見事に完走してしまった。

この夏、毎日のように小笠山を走り続けて、とうとう執念の様に目標を達成したのだ。

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「もう、歳だ」なんて戯言は止めて、精一杯前向きに生きることだ。

人は誰も年輪を重ね、やがて自ら朽ちていくのだが、生物は自分で葉を落とすのだ。

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来年の・次世代の(進化の)為に朽ちていくのである。

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ただその為には、精一杯の生き方をしなければなるまい…不安を突き抜けて。

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2015年9月21日 (月)

一夜が明けて

何時ものように、100kを走った後は前後不覚で眠り込んでしまう。

実は隣で寝ていたYさんが猛獣の様な凄い鼾の主なのだが、それも気にならず眠った。

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夜が明けるとみんな早々に起き出して、リハビリを兼ねた朝の散歩に出る。

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足腰が軋んでいるのだが、動かなければ返って固まってしまうからだ。

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網野の海岸には、十数年前に海の祭典が開かれてその記念公園が整備されている。

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公園には朝の散歩を楽しむ人も多く、ヨガのグループが朝日に照らされて爽快そうだった。

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何時もの様に嶋児(浦嶋子)神社の前で写真撮影し、思うに任せない足を慣らしていく。

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ここは日本海とあって、太平洋とは左右逆の方向から朝日が昇ってくる。

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お世話になった宿で丹後名物のばらずしの朝食を頂いて、一路遠州への道を辿る。

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高速道路の整備で便利になったとは言え、やはり帰路の道程は長い。

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途中鯖街道の要衝・熊川の宿に立ち寄って、例の鯖寿司の昼食を食べる。

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この熊川宿は街道で最も往時の面影を残しているところで、しばし古い街並みを散策する。

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若狭から京都へと鯖を担って運んだ歴史街道なのである。

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かつての京と言う所は不思議なもので、色々と日本海側との交流が濃厚なのである。

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やはり飛鳥時代以前、間人(たいざ)の例のように、大和朝廷の成立に大きく関わっている。

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朝鮮半島からの影響を濃厚に受けているんだろう。

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そう言えば天橋立の傍らに元伊勢神社があって、現在の伊勢神宮はここから移ったと伝わる。

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ともあれ帰路はさしたる渋滞もなく、無事帰着出来たのである。ヤレヤレ

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2015年9月20日 (日)

TANGO 風になれ

午前4時30分、気温17度と涼しい風が吹いている。

真っ暗な中、丹後100kは合図とともに2450人のランナーが動き始めた。

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先ずは久美浜方面に向けて九竜峠を越えていかなければならない。

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この九竜峠は、日本海に突き出た丹後半島の海岸の崖を竜がノタウツ様に上下にくねっている。

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早朝の真っ暗なうちは登り下りが分からないままに通り過ぎてしまうのだが、

久美浜を回って再度網野に帰る際は、これが大変な障害になるのである。

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ともあれ海にはイカ船の漁火だろうか、断崖の下の波音を聞きながら走り進んでいく。

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例年の丹後は暑いイメージだが今日は頗る爽やかである。

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と言う訳でペースは幾分遅かったが、順調に距離をこなしていった。

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制限時間の半分を7時間経過した7時間地点で、55k丁度であった。

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5kの貯金では、後半の7時間で45kを走らねばならず、やや厳しいペースであった。

それに57k過ぎからは碇高原への長い長い登りが控えている。

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その登りを出来る限りある数に走ることで時間を縮めようと、必死な思いで走っていた。

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それで碇高原の門限を25分残して(昨年に比べ15分早く)通過することができた。

碇高原の下り7km余りを例年にないほど快調なスピードで走り、再後半への余裕を残すことができた。

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昨年は、時間に追われて大変だったからね。

そんな調子でそれほど無理なく100kを熟したつもりだった。

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最後の1km、もう薄暗くなり始めた古い町の路地には、両側に一杯の人垣ができている。

足元にはボンボリに帯の様に灯が入って、上には幾筋もの鯉幟が泳いでいる。Img_2746

そして「よく頑張った!!」「お帰り」の連呼が続く。

ふと見ると、ひとりのご婦人が涙を流しながら手を叩いている。Img_2745

ランナーの感情が移入されて、周りの様子から感極まったのだと察せられたられた。

その人が気の間を最後の気力を振り絞って走っていたのだが、突然私の顔が崩れた。Img_2740

まったくもって、涙もろい男なのである。

ともあれ13時間40分、私達の長い一日は終わったのである。

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2015年9月19日 (土)

丹後へ

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シルバーウィークの初日と言うことで、高速道路は流石に渋滞続きである。

それでも京丹後市網野の会場には、9時間余り走って午後4時には到着した。

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よくよく考えれば行き帰りで真ん丸二日間も費やして、100kを走りに来るのだから奇特と言えば奇特で不思議でもある。

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それでももう7年余り毎年丹後に来るのが年中行事になってしまっている。

日本海に面したこの京都の街は、昔から丹後ちりめんの産地として知られた所である。

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それでその縮緬御殿が散見されて、かつての栄華をそこここに残している。

そして和服が衰退した今日でも、少なくなったとはいえあちこちから織機の音が聞こえる。

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一軒の工場を覗くと中に入れて下さって、真っ白な着物地を織っている様子が見物できた。

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昔ながらの大変な作業で機会が型紙に沿って織り込んでいくのだが・・産業遺産だね。

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縮緬はともかく、明日の受け付けを済ませて皆で乾杯をして、いよいよ明日への臨戦態勢である。

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いつも書くように、丹後は歴史情緒に溢れたところで、直ぐ近くの間人(タイザ)集落は聖徳太子(厩の王子)の母親の生まれたところだし、

静御前の生誕地、細川ガラシャの幽閉の地でもある。

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それに日本海側最大の前方後円墳があるし、天橋立の脇の元伊勢宮の存在からも、

大和朝廷の成立に深くかかわっている事が偲ばれるところだ。

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更に浦島太郎(浦嶋子)の故郷で、丹後風土記の記載が浦島伝説の元になっている。

その丹後の地を心行くまで踏みしめながら、精一杯の走りをしようと覚悟しているのだ。

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宿は馴染みの茂座衛門さんのお宅で、毎年集まる仲間が集まった。

さても心づくしのご馳走を戴いて、埼玉のKの三味線を聴いて「ことしも、いよいよか」の感を深くしている。

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さても、明朝は午前2時過ぎには動き始めねばならない。

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2015年9月18日 (金)

山の思い出

8月下旬に登った北岳・間ノ岳でのことを懐かしく思い出している。

あんなに苦労して登り、そして降りた事は忘れて、あの大自然の絶景の中での自分を思う。

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アルプスの山並みの中では、一個の人間の存在など蟻んこ程の大きさもない。

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崖下に足を踏み外せば間違いなくジ・エンドだし、一個の生命もここではかなり危うい。

北岳の山小屋に泊まって眺めた夜空に広がる星空は、何億もの星々の大パノラマだった。

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人間が死ぬと星になる・・・と言われるが、この天空に広がる宇宙に比べれば、

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人間なんてちっぽけな、本当にちっぽけな存在でしかない。

だって俺が死んだ後だって、この宇宙は何万年もずっと続くんだぜ・・・って思ったりした。

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いやいや「よい歳をして・・・」などと笑わないで欲しい、本当にそう思うんだから。

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あの満天に煌めく星空には、私達人間がとてものこと抵抗など出来ない永遠があるんだ。

間ノ岳を目指す早朝、k藤さんが指差す先は遥かに遠く、険しい尾根が連なっていた。

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果たして頑張れるか?・・と弱気の虫も顔を出すが、一歩一歩を重ねてやがて山頂に至る。

遂に登ったという安堵感と達成感、頂上に立ったあの感慨は何物にも変え難いものだった。

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見渡せは遥かにアルプスの山々が織り成して、その向こうには富士山の頂が見える。

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深い崖の縁にはけなげに小さな高山植物が咲き、この過酷な自然の中で生きている。

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私達が美しいと感じるもの、それは自然が悠久の時間と共に創り出したものに始まる。

正にその何十万年もの時間をかけて創り出された自然の上に、私達は立ったのである。

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そうしてこの大自然だって、やがては崩壊して消滅していくのかもしれない。

それでも、そこにしがみ付いて生きている生き物がいる。

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人間だって同じで、いつかは歳をとって死んで何も無くなるんだ。

雄大な大自然の営みは、私達有限の人間に大きな感動と教訓を与え続けている。

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2015年9月17日 (木)

地球の大きさ

窓の外には冷たい雨が降り続いていて、もうすっかり晩秋の様相である。

平安の歌人は「秋来ぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞ驚かれぬる」と詠んだ。

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だけど今年は、暑かった夏が俄かに消え去って、長雨と共に目に見えて秋になった。

私は夏が好きだ。

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びっしょり汗をかいて、たっぷりと長い一日を過ごすことが出来るからだ。

その一年で最も印象深い夏が急に過ぎ去ってしまったのを、心のどこかで惜しんでいる。

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それは何も、人生の夏が過ぎ去ってしまったから・・・・ばかりではない。

そうさなぁ~、少年のあの日を思い起こしても、夏はいつも一瞬のうちに過ぎ去っていった。

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私の今年の夏の最大のイベントは、ついこの間の訪欧だった。

緯度の高い筈のイタリア〔北海道の旭川辺り〕では37℃程の夏日だったし、

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スイスでも快適な夏を味わう事が出来た。

そのイタリアまで、シベリアを跨いでの2万kmが成田から12時間ほどで届いてしまう。

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成田を昼に出て地球の回転に沿って飛んだから、現地時間だと5時間で着いた事になる。

飛行機の窓から延々と続く大地を眺めながら、やはり地球の大きさを感じようとしていた。

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徒歩でこの地球に広がっていった人類にとって、地表は永遠に続く未知の大地だったに違いない。

そう、アフリカで生まれた人類の祖先は何万年もかけて住む地域を少しずつ広げ、

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ユーラシア大陸を越えアメリカ大陸にまで渡って行ったのである。

彼らにとって、この地球は想像することも出来ない巨大な世界だった筈だが、

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今日の私達はこの地球の大きさをアラアラ把握することが出来るのである。

フッと私の走った距離が気になったが、月150k×12ヶ月×25年=45,000k程度だろうか。

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地球一周は4万kと少し、半径は6,400kと少しも変わってはいないのだが、

25年も毎日走り続けてやっと地球一周と言うことになるのだが、ともかく今日の地球は格段に小さくなった。

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その分排ガスの増加やらで温暖化が進んで、息苦しくなっている訳で、

この秋雨も地球を狭くしちゃった裏返しかも知れない。

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而して、掛け替えのない、大事にしなきゃならない地球号なんだ。

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2015年9月16日 (水)

心の自由

先週の「今をこそ生きる」の最後に、「そりゃ、心の自由を得る」ことだって余韻を残した。

それで今夜は、人生の自由って何じゃろかって考えてみたい。

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それは世の中一般に言われる自由ではない。

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兎角世の中には、溜息をついたり不平や悪口を言いながら「自由」を強調する人が多い。

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政治が悪い景気が駄目、あの人が余計な事を・・、雨が続いたなんて、そんなことは関係ない。

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あるがままの自分を受け入れて、世の中の全てを楽しんでやれって言う自由だ。

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勿論好奇心旺盛で、どんな人や出来事からも学ぼうとする自由度を持っている。

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だから興味があれば誰にでも話しかけるし、ありの侭の他人をも受け入れてしまう。

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過去をクヨクヨと悩んで時間を浪費することはないし、自暴自棄になるってことも無い。

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つまり取り越し苦労なんてせずに、何時も現在という時を味わう自由だ。

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だけど現実には、私達は四囲気を配って猫さながらに気配を察して生きている。

他人の意見に振り回されたり、甘い誘惑にフラフラっと傾いてしまったりもする。

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世の中には理不尽な事だって一杯あるから、ついついそっちに目が向いて不平を言う。

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自分可愛さの余り体裁を繕ったり、虚勢を張ったりと言うのが人の常だ。

でもそれじゃ何時までたっても、人生を楽しむなんて事はできゃしない。

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四六時中、惨めな自分を眺めていなければならないだろう。

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大切なのは自分の心の内であって、自立できる人にはその心の強さがある。

転んだって良い、直ぐに立ち上がって再び走り始めればやがてゴールに至るだろう。

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そうして現在と言う時を、傍観せずに最高に充実させることだ。

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本当の幸福ってのは、何事もわだかまりなく受け入れる心の自由の事ではないかと思う。

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2015年9月15日 (火)

靴と共に

かつて某国大統領夫人が何千足もの靴を持っていて、羨望と批判の的になった。

靴なぞ飾っておいても詮無い訳で、一日に何度もおはき替えになったんだろうか?

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この点私なぞ靴には全く無頓着で、通勤快足とか言う安い靴を敵のように履いてきた。

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靴は一足きりで、その安い靴を朝から晩まで履き通しだから、靴も余程疲れると見える。

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それで半年もすると、決まって雨水が入るほど履くに耐えられなくなったものである。

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そんなに身近な存在だったのに、兎に角当時は靴になど気を配る余裕すらなかった。

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人前に立つ様になって、流石に「足元を見られ」ては拙かろうと靴のグレードを上げた。

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すると、それまで履いていた靴の三倍も長持ちして、「貧乏人は、だから駄目なのか!!」と納得させられた。

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以来、安い靴は極力避けているし、それにTPOで一日に何度も履き替えるようになった。

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朝の辻立では白のスニーカー、ここ一番の外出は一張羅、カジュアルにはそれなりの靴。

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山に向かうには勿論ランシューで、これはずらりと揃っている。

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某大統領夫人ではないが、ランシューはこれまでに100足超も履き潰してきたのでないか。

次々にニューモデルが登場するが、何時ぞやの経験から出来るだけ高価な靴を買うようにしている。

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レースでの一番大切な同伴者は靴であって、出来ればベストな状態で完走を目指したい。

だからレースの前になると、ついつい新しい靴を買ってしまうのである。

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旅に出ても可能な限り走ることにしているから、鞄の中には何時も靴が鎮座している。

そんな訳でいつの間にか、靴は愛着のある人生の友になっているのだ。

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千足の靴はともかく、その数は思いのほか人生の幅を表しているのかもしれない。

今週末に控えている丹後100k レースを前に、はてどの靴を履くべきかと思案している。

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人生も旅もマラソンも、靴の上に乗っかっているのだから。

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2015年9月14日 (月)

先延ばし

私は天性の愚図である。

夏休みの宿題だって、やろうやろうと思いつつ何時も最後の二日間で片付けてきた。

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困ったことが出来して、ウロウロしているうちに出口が見つかって、

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物事は「時が解決する」って学んだこともあった。

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だけど愚図は結局駄目で、昨夜も尿意を催してウトウトと・・・早くトイレに行きゃ良いのに。

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今朝は大根の種を播こうと鍬を持ち出したのだが、堆肥を運んで施肥をしてと考えて、

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・・・暑いなぁと先延ばしにした。晩方、涼しくなってからやりゃ良いわってね。

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先延ばしは、当面の困難を忌避する行為だけど、早く片づければ気持ちもすっきりする。

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だけどグズグズと引っ張って、結局何かと気をもんだ分だけ無駄ってことになる。

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そんなこんな色々と経験を積んできて、近頃では多少は利口になりつつある。

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これとこれをやるって、その日の朝までに決めて、自分に命令するのである。

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自分の中のCPUに、その日の行動をプログラミングするのである。

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このシビリアンコントロールが徐々に奏功する様になって、私自身が可成り素直になった。

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これが子供の頃からできてりゃ、人生もかなり変わったんじゃなかろうか。

それはまぁ〜歳の功と言うべきかもしれないが、ぐうたらジジイに成らなくって済んでいる。

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ところで人は、物事を先延ばしして何もやらなければ、当然退屈することになる。

そして退屈ってことは、自分の時間を自分なりに充実させる能力がないってことだ。

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だから退屈するかしないかは、自分の選択次第なんだろう。

今回の訪欧も本当は逡巡していたのだが、やはり出かけて良かったと思っている。

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出掛ければ出掛けたなりに思うこともあるし、貴重な体験だってできた訳で、

やはり人生は先送りでなく、先ずはやってみることから始まるんだ。

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2015年9月13日 (日)

ことさらな対立

今日はほんの軽い山歩きをしたくなって、豊橋砥鹿神社の奥の院、本宮山に登った。

標高789mの山で、週末ともなれば大勢のハイカーで賑わうところだ。

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とは言え急な階段や岩を超えて奥の院まで一気に登るのは大変で、汗びっしょりになった。

ハイカーは数人のグループやアベックが多くって、一人黙々と登る人は少ないかな。

御爺ちゃんが孫を連れて、若いファミリーの一行などが、とっても微笑ましくここは平和だ。

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時に精悍なランナーが駆け上がって行ったりするが、とても後を追う気にはならなかった。

山を下りて帰りしな、交差点に大勢の人が立っていてプラカードを掲げている。

9条を守れとか戦争と大書したカードを持っている人が多く、安保法案反対活動らしい。

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その姿を見て、誰かに踊らされている感じで、白々しい気分になったのだが、それは私だけだろうか。

悪戯に「戦争」を誇張して、法案への反対と言うか、反政権の気分を盛り上げようとしている。

反対も結構だが、本当にこの人達が「どうすれば平和が保たれるか」考えたことがあるのだろうか。

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世界の中での、この国の危うい位置を考察したことがあるだろうか。

世界の力関係は時々刻々変わっているし、イスラム国なんて理不尽な勢力も台頭している。

歴史認識なんてのは、そもそもその国の都合でしかないのだが、

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それを錦の御旗にする国もあり、いよいよ失った覇権を再現したいと考える国もある。

そりぁ〜、戦争なんてまっぴらだし、私だって体を張って戦争には反対するさ。

だけど一方、一国平和主義なんて孤立主義が通用する時代ではなくなっている。

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世界の平和のためには、国際社会が力を合わせて平和を維持する集団安保が不可欠だ。

この国の悪弊は一方に偏ることだが、未だに健全な野党が育っていない。

悪戯に対立軸を強調することで党勢を造ろうとする政党ばかりで、残念ながら

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その扇動に踊らされている人々も多いのが現実だろうか。

本当は客観的によぉ〜く、色々と考えてみることが大切なんだけどね。

政治向きのことは極力書きたくないんだけど、ついつい愚痴っちゃったなぁ〜。

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下世話な話は、やだね。

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2015年9月12日 (土)

らしさ

先週までイタリアにいて感じたのは、やはりそれらしい恰好をしているってこと。

男はイメージ通りだし、女性はラテン系特有なのか皆おっぱいを半分出してるし、

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難民は難民、ジプシーも一目瞭然だ。

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それがこの国だと思ったのだが、だけど私達だって目一杯自分らしさを演じている。

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人にはそれぞれ立場みたいなものがあって、それは変なプライドかも知れないが、

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多かれ少なかれ、人はそういう役割を演じているのではないか。

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組織の長ならば当然それなりのリーダーシップを発揮しなければならないし、

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サポートするべき人には、またそれなりの役割がある。

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話は飛ぶが、最後まで残っていたブドウの収穫を始めている。

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今年のブドウは熱い夏が続いて色づきが悪く(ブドウは一日の温度差で着色する)、

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赤くなるべきブドウが青いまんま秋を迎えてしまったのである。

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紅葉が急に寒くなる北の山々で燃えるような色を発するのと同じだ。

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「らしく」ないブドウは、当然旨くないって評価される訳で、売るに売れなかったのだ。

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だけど、これが意外に結構おいしいのである。

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美味しいのだが、どこか苦労知らずって感じが残っている。

人間も見た目だけじゃなく寄り添ってみないと、本当のところは分からない。

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分からないが、やはり酸いも辛いもわきまえて、自分を演じる事ができるかどうか。

どうやら・・・・そう言うことで人の評価は定まっていくようである。

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始めっから中身がないのに、虚像を演じようとしてもそれは無理ってもんだ。

人は自分の中身を創りつつ、一歩一歩山を登って行くのだと思う。

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果たして私は、楽なところをずぅ〜っと渡り歩いて、だから何時までも青いのかなぁ〜。

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2015年9月11日 (金)

風の音色

我が家の裏に竹薮があって、台風の時などには恐ろしい程のしなりを見せる。

それでいて嵐が収まれば、何事も無かったかのように静まってその存在を消してしまう。

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ともあれ雨が過ぎ去って、今日は何事も無かったかのように涼やかな秋風が吹いている。

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その風には春夏秋冬、ほのかな風や冷たい風、寂しい風や嬉しい風など色々とあって、

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そんな風を心で感じる時は、或いは心境に何がしかの変化がある時だろうか。

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季節の変わり目、何事かが一段落して落ち着いた時、心が夢中になっていないとき、

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それは時に不思議な風であって、心をそよがせる風でもある。

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生きていれば毎日、当然のごとく何らかの出来事が出来する。

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中にはチクリと痛いことや、悔悟や悲しみ、明日への不安だってある。

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手放しの幸福感などありようも無い。

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それでも、肌にささやかな風を感じることがある。

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それは多分、私たちをそれとなく励ます不思議な風なんだと思う。

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禅の言葉に「風、疎竹に来たる。風過ぎて竹声を留めず」とある。

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まばらな竹林に、さぁ~っと風が吹いていくと竹はサラサラっと葉をならす。

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だけど風が過ぎ去れば、元の静けさに戻って音も無い・・・とそのしなやかさを表現する。

私達だって、時にそよいで音を立てるが、それも過ぎ去れば忽ち平常に帰る。

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毎日止まることなく走り回って来て、フッとそんな風を感じるのはそんな時だろう。

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それに秋風は殊更、人にものを思わせるのかも知れない。

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2015年9月10日 (木)

今をこそ生きる

私は貧しい農家に育ったし、ずっと「美味しいものは、最後に食べる派」だった。

楽しみは後に取っておいた方が、「最後に、これが食べられるぞ」って言う先憂後楽派だ。

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だけど歳を経るに従って、そんなに沢山食べられる訳でなし・・・と思うようになった。

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考えてみると、一人の人生も同じ様なものなんだと思う。

生きるのは今しかないんであって、過去についてジタバタしても何の得るところもない。

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未来をこうしようと思ったとしても、明日大地震が起きて生きていないかも知れない。

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心配事は子供の事や健康のこと、仕事や対人関係、経済や事故と際限がない。

つまり色々と考えて心配したって、所詮無駄な苦労だってことになる。

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老後はどうなるのかって心配して貯蓄に励んだとしても、しっかり老後になって、

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さぁ海外旅行やスポーツをやろうったって、それは無理ってもんだろう。

それで、「今をこそ生きる」って書いたんだけど、実際には障害が多いよね。

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人がどう思うかとか反対するんじゃないかとか、気落ちしたり不安になったりってね。

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そもそも私達は子供の頃(成績評価)からずぅっと、人の評価を気にして生きてきたしね。

それでも最近、歳を取るって良いじゃんと思うようになった。

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それは、あんまり人の評価(評判や悪口)が気にならなくなったってことだ。

「それでも、まっ良いか!」って、聞き流せる幅(鈍感力)を得て、馬耳東風になりつつある。

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まぁ〜女房が何を言おうが、ニコニコしてりゃ良いってことだ。

それよりもイジイジと、未来のために今を浪費しないことだ。

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そこまで了解しても、「さて、今何をすりゃ良いんだ」って戸惑いが残る。

しかしそれはまぁ〜、あれこれに拘泥されずに自分の心を自由にするってことだな。

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2015年9月 9日 (水)

氷河特急

スイスのサン・モリッツ〔1775m〕からツェルマット〔1604m〕まで走る高原列車だ。

幾つもの石造りの高架橋やループトンネルを通り、オーバーアルプ峠〔2033m〕を越えていく。

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EXPRESSだから特急のはずだが、これが時速30k 位と世界最遅速の特急列車である。

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列車全体がパノラマ車になっていて、移りゆく外の風景をゆったりと楽しむのが売りで、

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全コースを乗ると10時間にもなるから、車中でフルコース(食事)を楽しんでいたりもする。

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だが何と言っても車窓からの眺めが秀逸で、

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列車から飛び出して歩きたくなるような道が牧場や谷に沿って延々と続いている。

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このアンブラからベルニナ線周辺の景観はユネスコの世界文化遺産に登録されている。

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その道をロードレーサーで爽快に走っているグループも散見されるし、

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側を流れる川には、ゴムボートで何処まで下っていくのか、ウエットスーツに身を固めた人達がいる。

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この沿線には、トレッキングや登山を含めて無数のアウトドアの舞台が広がっているのだ。

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そして最も印象深いのは、終着のツェルマットの佇まいだろうか。

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聳え立つマッターホルンは勿論のこと、古くからの谷の暮らしの雰囲気を残しつつも、

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今日ではアルプス観光の最大の拠点〔観光の町〕になっている。

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真っ青な空に乾燥した空気、そこにゼラニウムの花で窓辺を飾った木造?の建物が並ぶ。

そしてその周りをモンテ・ローザ、ドーム、マッターホルン、ユングフラウ等の高山が囲む。

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マッターフィスパ川に沿って街の裏手を歩くと、マッターホルンが少しずつ姿を変えていく。

幾つもの悲劇をも生み出したこの孤高の山を眺めながら、自然と人々の営みを思う。

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橋の上でホルンを見上げていると、偶然70歳前後の老夫婦と知り合った。

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何とこの夫婦は、このツェルマットを訪れるのが4度目だという。

「ここが好きで・・・」と仰るのだが、アクティブに動き回る風情でもない。

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人それぞれの、地球の歩き方があるのだ。

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2015年9月 8日 (火)

体験価値

人生とは、とどのつまり何をどの様に体験したのかに尽きるのではないかと思っている。

ついこの間までの暑さが嘘のように消えて、窓の外は時折秋雨の風情である。

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「秋は夜風に乗ってやって来る」と思っていたら、今年は雨と共にやってきたようだ。

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8月22日に北岳に登ってから18日しか経ていないのに、もう随分昔の事の様に思われる。

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暫らく忙しかったからだろうが、冒頭に書いた様に体験が無ければ人生は無に等しい。

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その体験を売り物にしているのが旅行業やエンタメ業だが、外食や出版だって同じだ。

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押並べて産業足りうるものは濃淡はあるにしても、須らく体験価値を売り物にしている。

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例えばコーヒーなら、豆で売るよりカップで、更にはサービスを付加すれば価値は上がる。

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私達も何もせずにグチを言って過ごすことも出来るが、何か行動した方が充実している。

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望むらくは人と会って、体験への前向きな話が出来ればそれに越したことは無い。

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そういう意味で、人生は行動力如何ではないかと思うのだ。

勿論行動のためには、そのエネルギーと言うか、気持ちを養うことが大事だ。

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人の人生には長短も濃淡や幸不幸もいろいろとあって、思う様になるものでもない。

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それに人間には、それぞれ培った厚みたいなものも有るしね。

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それでも、尽きない興味に真摯に向き合うかどうかが人生の中味になる。

とは言え、興味ってヤツは次から次へと膨らんで、際限がなくなるものだ。

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私で言えば、例えばトランスヨーロッパに挑戦しようかとか・・・夢みたいな話かな。

まぁ~それが無理なら、それに近いことで我慢しとこぉ・・てなことかな。

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私は何時もカメラを持つのが習慣になっているけど、

トレイルなどで「オッ、綺麗」と思っても、「もっと良いのが出てくるさ」と通り過ぎてしまう。

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そんな時に限って、二度と同じ花や景色に出会え無かったりするものだ。

ともかく出来る時に出来ることをやらないと、結局何も出来ずに終わっちゃう。

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そんな訳で生きている限り、懸命にその人生の道を駆け抜ければよいのだと思う。

つまり、やりたい事が無くなったら人生はそれまでさ。

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4年前亡くなったランナー「原健次の森を歩く」を手にして、そんなことを思った。

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2015年9月 7日 (月)

大河の源流

欧州の大河、ライン河、ローヌ河、ポー河、ドナウ河の源はスイス・アルプスの山中にある。

例えばライン河は、アルプスを流れ出てスイスからリヒテンシュタイン、オーストリア、ドイツ、

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フランスなどの国々を巡ってオランダで大西洋に注ぐ1300キロの旅をする。

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ドナウ河はドイツからの流れとイン川が合流して黒海に注ぐのだが、そのイン河の源は

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先日訪れたルンギン峠の氷河だし、ローヌ河の源流はマッターホルンだろうか。

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年々縮小しているとは言え、高山からの氷河の流れは絶えることない水流を作っている。

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いずれにしてもスイスは、ヨーロッパの給水搭なんである。

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そのスイスでは、スケールの大きく且つ厳しい自然を生かして研き続け、

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そしてその中に溶け込む国づくりをしてきたのだろう。

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結果として世界中から人々が訪れ、その人間性を回復させるリゾートになっている。

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例えばスイスには9つのアエトフライ〔車進入禁止〕の町がある。

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マッターホルンの麓のツェルマットもその一つで、車は手前の駅ティツシュで降り電車で町にはいる。

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そしてツェルマットには電気自動車が行き来している。

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この町は16の4000m級の山々に囲まれていて、その名峰に挑む基地になっている。

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だから毎年、幾万もの人々が、神々しいほどの自然に見せられてこの谷を訪れる。

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当然ながらここを基地として名峰に挑む人達が居る訳だが、

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マッターホルンだけでもこれまでに500名余が命を落としている。

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それにしても、自然の厳しさと人間の夢とを、簡単には調和させてくれないのである。

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さりながら、ツェルマットには古くからの木造の建物も残ってはいるが、

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多くは窓辺をゼラニュームで美しく飾ったホテル群になっている。

朝夕にヤギの群れが街の通りを通り抜けるが、観光的要素が多くなって、

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現実には牧畜農業は細々としたものになっているのに違いない。

だがそれでも、放牧を中心とした農業がこの国の美しさを作り出しているのである。

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近くにエーデルワイス山があって、多くのハイカーが花を求めて登って行く。

スイスはハイキングやトレッキング、そしてトレイルなどの絶好の舞台なのだ。

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望むらくは、季節を選んで一ヶ月くらい逗留してみたいと夢想したのだが・・・・。

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2015年9月 6日 (日)

秋山郷へ

昨日は欧州から帰って直ぐだけど、長野県の飯山から新潟県境の秋山郷50kを走った。

車を飛ばして飯山の道の駅に着いたのは0:30頃だったか、テントで少しばかり仮眠して、

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長野ランナーズの皆さんと合流し、8:00開通したばかりの新幹線飯山駅をスタートする。

飯山は高野辰幸の故郷で、「ふるさと」などの童謡の故郷でもある。

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新潟に向かって流れる千曲川に沿って走り、10kほどで秋山郷に抜ける山道に入る。

秘境秋山郷は、長野県栄村から新潟県津南町に抜ける谷沿いの山里だ。

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それに百名山の苗場山や鳥甲山の登山口でもある。

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かなり急な坂道を登って標高1450mのカヤの平高原に達したのは11:30頃だった。

途中にはブナの林などのこの地域独特の美林が続いている。

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カヤの平高原に着くと、皆で和気あいあいの昼食を済ませ、ここから山道は幾分下り勾配になるが、まだ先は遠い。

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谷は次第に深くなっていって、その奥底から巨木が立ち上がっている。

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その道の途中、35kほどの所に美しく勇壮な滝があると言う。

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私達の走路から1,4kほど谷底に降りなければならないのだが、立ち寄っていくことにした。

途中の道が流されていたりして、果たして滝があるのかと心配しながら進んだのだが、

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そこには約束通りの素晴らしい滝が、ドウドウと音を立てて私たちを待っていた。

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中段にある深い滝壺には削られずに残った突起状の岩があって、滝の規模も形も素晴らしい。

そして、何かもの言いたげな滝だった。

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ともあれ、道草した分先を急ごうと、途中で湧水を飲みながら目的地の切明の宿に向かったのである。

その切明温泉は川湯で有名なところで、河原を掘れば温泉がわき出してくる。

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勿論のこと、私たちはそのまま河原に降りてランニング姿のまま湯につかったのである。

この川湯で足の疲れを癒しつつ、差し入れのビールを美味しく戴いたのは何とも贅沢だった。Img_2663

湯から上がると、今度は皆さんとの懇親会で、この地の食を楽しみながら語り合う。

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初対面の方もいる分話は盛り上がって・・・・・

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その懇親会を中座して、今夜の村の夜祭に行くことにした。

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平家の落人伝説の残る村の夜祭は、独特の山里の情緒を残していて、

この日を楽しみに村に帰る人々の気持ちが分かる気がする。

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生憎雨に降られて残念だったけど、谷に渡したナイアガラは成程と思わせるものだった。

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このランと皆さんとの出会いで、私の時差ぼけもしっかりと解消したようである。

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2015年9月 5日 (土)

イタリアンパスタ?

ヨーロッパから帰って、久しぶりに街頭に立った。すると、

小学4年の女の子が「ひっさしぶりぃ、何処に行ってたの?」と元気に話しかけてきた。

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「イタリア」と答えると「じゃ、イタリアンパスタ食べてきた?」と言う。

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今時の子供は実におませだが、帰国したばかりの為かこれが凄く新鮮に感じたのである。

少女がスパゲッティやマカロニと言わなかったのに感心したのである。

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日本でマカロニといえばあの穴が開いた太くて短いヤツだが、パスタは綿製品の総称で、

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当然ながらスパゲティーや日本で言うマカロニはパスタの一種なんである。

ところで今夜は、私の感じたイタリアについて書こうとしている。

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イタリアでは今、二週間余のバカンスを終え続々と保養地から帰って来つつあるところだ。

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街の中にも少しずつ車が増えて、ようやく経済活動が動き始めるところである。

その経済だが少しずつ上向き加減の様だが、失業率得に若者の失業が多いようだ。

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その為かどうか、ミラノでもローマでも隙間と言う隙間は落書きで覆われている。

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それでも人々の表情は明るいというか、例の如く盛んに自己アピールをしている。

そして専らの関心事は、今日のご飯が美味しく食べられる事と、綺麗な女性に会えること・・・・らしいのである。

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私もそのことに依存は無いが、この自由闊達で現実的なイタリア人の気質は、

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自分をあまり表に出さない日本人とは正反対のように見える。

とは言えイタリアは雑多で、町には黒人や顔を覆ったアラブ系も目立つし、

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それに至る所にジプシーの乞食やシリア等からの難民と思しき物売りがいる。

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そういうものを全部受け入れているのがイタリアであって、そもそもアラブやギリシャ、

フェニキアやノルマン、スペイン人などの交じり合っているのがイタリア人だ。

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1860年にイタリアを統一したカヴール首相は「今度はイタリア人をつくらねばならない」と

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言い残しているが、これは未だに大きな課題のようである。

紀元前からの壮大な歴史は、必ずしも今日のイタリアとつながっては居ないのである。

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ともあれ、日本と同じ第二次世界大戦の敗戦国にローマだけは無傷で残された。

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そのローマで、私達が人類の歴史を味わえる事を僥倖としなければなるまい。

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2015年9月 4日 (金)

ローマを走る

テレベ川の東側一帯の丘に築かれたのが古代ローマで、城壁で囲われた都市だった。

蛮族の侵入を防いでいたのだが、ローマが世界帝国として拡大し無用の壁になった。

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そこで、シーザーの時代にはこの壁を取り払ってしまった。

だがローマの力が衰えてゲンマン民族の侵入が始まった三世紀には再び壁が造られた。

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この三世紀に造られた壁が、今でも3.5kに亘って残っている。

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さて、ローマを離れる朝のこと、朝食を済ませるのもそこそこにホテルを飛び出した。

この壁に沿って走れば道に迷うことはあるまいと考えたのだ。

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先ずは通勤の人々で賑わい始めた街をベルニーニホテルから西にテレベ川に向かい、

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途中のオベリスクを眺めながら、2000年もの時の流れを思いつつ石畳を踏みしめていた。

やがて壁の末端部に出て・・・、壁の外側に環状線の様な自動車道が走っているのだが、

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その歩道を北に向かって走っていくと、次第に歩道が細くなってやがて無くなってしまった。

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引き返す訳にも行かず、高速で走る車の脇をすり抜けて壁に沿うことに努めていた。

ローマ最大のボルゲーゼ公園と思しき広場に出たのだが、右側に在ったはずの壁が左側になってしまっていた。

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方向感覚がさかさまになってしまった訳で、頭の中はかなりのパニック状態である。

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・・とそこに、パンテオンの女神のような美人のランナーが向かって来るではないか!!

躊躇することなく、エクスキューズミー・・・、すると素晴らしい笑顔が返ってきて・・・

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私は随分と想定とは違った道を走ってきてしまっていたらしい。

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ともあれ、教えられた道を進んでいくと、見覚えのある笠松を発見してヤレヤレである。

急に気が楽になって、USA大使館前を快調に走り下って宿に帰りついた。

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全ての道はローマに通じているはずなのだが、広場が幾つもあるし方向感覚が難しい。

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wifiでスマートフォンのGPSを使えば良かったと学習した次第だ。

シャワーを浴びてから、宿の近くにあるカプチーノ教会に向かった。

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この協会は別名ガイコツ寺と言われる極めて特異な教会なのである。

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一階部分は美術館風で司教が描いた宗教画などが陳列されているのだが、

地下に入るとそこは墓地になっていて、その壁には無数の人骨のオブジェが広がる。

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写真を撮れないのが幸い??だが、・・・・・

法衣をまとったミイラが何体もあって、実に4,000体の人骨が使われているという。

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歴代の司教達の骨らしく、血と肉体を人々の救済に捧げたキリストに殉ずるのだろうか。

私なぞは、死んでまで自分の骨を晒すなんて勘弁してよと思うのだが、どうも感覚が違うようだ。

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ところで、実はこの教会は私達にも関係があって、

イタリアを代表するコーヒーのカプチーノは、この教会の法衣の色に因んで名付けられている。

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この骸骨たちがまとっていた衣を戴くんだから、カプチーノは何ともありがたいコーヒーなんである。

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2015年9月 3日 (木)

ローマ帝国の人々

世界帝国の首都であったローマ市民は、言うならば特権階級の集まりだったのだろうか。

紀元前(日本は縄文時代)から、上下水道が整備されていて、あちこちに泉が流れていた。

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トレビの泉もその一つの末端に過ぎない。

1,200人も収容できるサウナや温水プールを備えた総合娯楽場(からから浴場)があり、

ローマの市民はここで集い寛いでいた。

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時にはベンルー広場で戦車レースがあり、コロッセオの猛獣格闘ショーがありとイベントも多彩で、縄文人からすれば驚嘆の世界だろう。

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もちろん社交も活発だったろうし、ローマの人々は決して退屈していなかったはずだ。

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サンタンジェロ城はその貴族たちの住んだ所であり、この一角には市場や娯楽施設などの諸々の施設が集中していた。

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城の隣のあの巨大なコロッセオでは5万人もの観客を集め、

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ヒョウやライオンなどの猛獣と人間(奴隷)の死闘が繰り返されただけでなく、

陰惨な公開処刑や剣闘士同士の殺し合い、人々はその勝者を賭けたのである。

コロッセオの舞台にはアリーナ(血を吸わせるための砂)が敷き詰められ、

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奴隷たちは地下に幾つも設けられたエレベータからせり上がって来る動物と戦わされたのだ。

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今日残されているコロッセオは笠松の向こうにレンガがむき出しになっているが、

かつては大理石に覆われ、

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5万人も収容できるその壮麗な競技場には、入場ゲートが60数か所もあった。

そして、この巨大なコロッセオは紀元72年からわずか8年で建設されたと記録される。

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晩夏とは言えローマの日差しは刺すように強く、気温は37度を記録していた。

それでもコロッセオの上部には心地良い風が吹き込んでいて、

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若い人達も2千年前のこのイベント会場で無邪気に楽しんでいた。

ペガティーニの丘の反対側には、戦車が走りながら戦う競技場が残っている。

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鞭を振り上げ、車輪には刃物を回転させたりして、これも死闘を繰り返すのだ。

鞭で撃ち落とされた御者は、間違いなく命を落としたのではないか。

この戦車レースは紀元前7世紀から続いていたとされ、ローマの戦力強化に寄与したのだろう。

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何れにしても、彫刻や建築技術だって今日に比肩するものだし、都市づくりの発想も今日と何ら変わらない。

人間とは何なのかという問いに対して、ローマ帝国の栄華の跡は私達に人間の歴史の何事かを伝えてくれる。

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乾燥した空気の中に強い日差しが降り注ぎ、オゾンの匂いにおいが漂っている。

この地でジュリアス・シーザーもアントニウスも、そしてクレオパトラもその時代を演じたのである。

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2015年9月 2日 (水)

免罪符

ローマでの宿はホテル・ベルニーニ・ブリストルで、かつてオバマや安倍首相も泊まったホテルである。

そのホテルの前の広場に、18世紀の彫刻家ベルニーニの設計した噴水がある。

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そしてテベル川を超えた向こう側には、スイスの傭兵が立つヴァチカン市国サンピエトロ寺院が聳えている。

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キリストから天国のキーを授けられ、一番弟子(キリストの後継者)とされたペテロ(サンピエトロ)の墓の上に建設されていて、

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カソリックの総本山であって、レオナルド・ダ・ビンチらが活躍した舞台でもある。

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教会は礼拝堂の長さだけでも185mあって世界で最も巨大だ。

そして教会の前の広場(20万人収容)がベルニーニの設計である。

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18世紀にこれだけの規模(信者の集まり)を想定していたんだから、カソリックの力は絶大だったと言える。

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この巨大な建物は120年を費やして建設されているが、もちろん先立つ物が必要だった。

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その資金を集める為に、教会は「免罪符」を発行し続けたのである。

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この御札を買えばすべての罪が許されると言うんだから、キリスト教も大したものである。

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当然ながら反発が起こって、1517年のマルチンルターらの宗教改革からプロテスタントが生まれる。

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ところでサンピエトロ教会の壁面には一面にフレスコ画が描かれている。

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因みにフレスコ画は、壁の上に塗られる漆喰の上に描くのであって、

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漆喰が乾ききらないうちに描くのが良いとされ、英語のフレッシュの語源になっている。

絵は当然ながら聖書に因んでいて、キリスト教の成り立ちの物語である。

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その天井と壁面の画を10年余を費やして描いたのが、ダビンチらであった。

因果応報を含めてキリスト教の教えが分かりやすく具象されているのである。

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その天井画を眺めながら、仏教との違いはダビンチの様な演出家の存在と、

ダビンチを生み出したギリシャ彫刻の様な下地の存在如何ではないかと思った。

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キリスト教は、かくも豪華で信仰を集める拠点を造り得たのだが、仏教にはその世界的拠点は無い。

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キリスト教のおかげでイタリアには何百万もの観光客が訪れる訳だが、特に25年に一度聖年と言われる年があって、

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由緒ある4つの教会の「開かずの門」が開かれて、これを目当てに一層多くの人々がやってくる。

前回は2000年だったが、法王がフランシスコ法王に代わって、

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何故か2025年まで待たずに例外的に今年11月から聖年とすると宣言したばかりである。 

宗教も、人生のドラマの巨大な装置なんだ。

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2015年9月 1日 (火)

ローマの休日

私にとってのローマのイメージは、やはりオードリ・ヘップバーンのあの映画である。

撮影されたのは60年前らしいが、ローマはその当時と少しも変ってはいない。

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いやいや60年どころか、この2000年来基本的には変わっていないのである。

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市内の所々に市の告示があって、その印刷物にはS・P・Q・Rと書かれている。

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「ローマ元老院諸君並びに市民の皆さん」と言う意味で、二千年前からの慣習なんだそうである。

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それでその告示の中身はというと、「ゴミはゴミ捨て場に捨てましょう」ってなことらしい。

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元老院諸君こそはいなくなったが、ローマの下水道は2千年前の施設を、現代でもそのまま使っていし、張り巡らされている石畳みだってそうだ。

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いまだに、当時の施設がちゃんと用を足しているのである。

それに建物は古い建築の中身を改装して使っているにすぎず、道に至っては

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「すべての道はローマに通ず」と言われた当時の街道がそのまま使われている。

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地下鉄も2本だけしかなく…もっとも掘り返せばどこも遺跡だらけで掘ることもできないらしい。

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しかしそれでも都市としてやっていけるんだから大したものだが、

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悪口を言う人は「歳を取っても頑張っている娼婦」などと口さがない。

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つまりローマ帝国時代は巨大な国家の首都であって、世界中から富が流れ込んでいた。

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今もイタリアの首都であり続けているし、観光客は何もしなくても押しかけてくる。

観光資源は、まさに無尽蔵ですらある。

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それにローマ法王庁があって、キリスト教徒の献金が絶えることはない。

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しこうしてローマは、二千年来野垂れ死にすることなく生き続けているという訳である。

因みに、映画にも登場したトレビの泉前には、改修工事中にもかかわらず観光客が溢れている。

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スペイン広場も当時のまんまで、階段の中央あたりに忽然と粋な王女が現れそうな気がする。

ところでイタリアの日曜の昼は、母親のところに集まって食卓を囲むのが習慣らしい。

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それに夏休みのバカンスも続いていて、市内はずいぶん静かである。

それでもレストランの前には、生成り色の帆布製のパラソルが広がって、

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その下では、若いカップルも含めワインを飲みながら食事する風景が広がっている。

そう言えば、ROMAを反対から並べるとamorで、ラテン語で「愛」なんである。

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ローマは、古ければ古いほど自慢ができる、摩訶不思議なところである。

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