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2015年10月31日 (土)

人恋し

今日の街には突飛なコスプレ溢れ、ハロウィンを楽しむ人々が居る。

ケルト人の魔除けなどなんのその、仮装そのものを楽しむお祭りになっている。

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「常日頃の自分と違う自分になってみたい」そんな願望が誰にでもあるのだ。

一時の仮装で別人になど成れる筈がないのだが、儚いひと時の戯れなのである。

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別の人間になれるかどうかは、実は人と人の関係性の中にあって、

人からもっと別の視点から見てもらいたいと言ういじらしい願望てもある。

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人間は不思議なもので、自分の為に生きているようで、実は人のために生きている。

極端な場合には、人のために自分の命を捨てる事さえ出来る存在なんだ。

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良い例ではないが、あの太平洋戦争で死んでいった多くの若者は、国に残る家族の為にと信じて死んでいったのだ。

死ぬのは極端にしても、人の為に生きられるならそれ程幸せなことは無い。

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ともあれ、人のために役立っているって気持ちは、私達の存在に不可欠な心である。

私が毎日の様に汗を流して畑を耕すのだって、誰かに喜んでもらいたいからなんだろう。

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それはさておき、明日はいよいよ小笠山トレランである。

それで早朝から山に入って、迷いそうなカ所に白線を引く作業で汗を流した。

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草を刈り邪魔になる枝をどかして、スズメバチを駆除してきたが、最後の仕上げがこれだ。

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天気も良さそうで、エイドの準備も含めて皆さんを迎える準備は整った。

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自分たちのホームコースに多くのラン仲間を迎えるのだから、私達も少し鼻が高い。

明日は、少しばかりこの山が賑やかになるのだ。

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それだけでも、人恋しく嬉しくなるのだ。

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2015年10月30日 (金)

未だ来ない未来

私も含め多くの人々は、先々の目的(目標)を決めないと、動き出すことが出来ない。

だから私達は、未だ来ない未来の予定をセッセと手帳に書き込んで安心している。

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空白があれば「この日は、どうしようか?」って心配になってしょうがない。

つまり「ああして、こうなって・・・」って、計算づくで生きるのが習い性になっているのだ。

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定年退職後幾分余白ができて、決まっていない「未だ来ない未来」を考えるようになった。

人間の一生ってのは、生まれて歳をとって病気になって死ぬことであって、

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始めっから○×をしなければって・・、明確な目的をもって生きている訳ではない。

毎日会社に行って仕事をして、夜には同僚と付き合って、子供の面度を見て、ローン返して・・・・・?

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そんな諸々から開放されて、改めて「未だ来ない未来」は自由なんだと思う様になった。

尚且つ、先のことは分からないじゃんってこともね。

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だから目的なんか考えずに、目の前の関心事を一生懸命やりゃ良いんだと考えている。

ところで話は変わるが、毎日のように出掛けて走っている小笠山のことだ。

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戦後の小笠山も、その時代と共に人の人生同様に変化をし続けてきている。

その昔「十文山」と呼ばれ、入山料十文を払って日々必要な薪炭を刈る里山だった。

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またの名が「マツタケ山」とされ、沢山のマツタケが採れた。

それが戦後山に人が入らなくなって、当然ながら山は荒れマツタケは絶滅してしまった。

次いで、松そのものが次々と枯れてあらかた無くなった。

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枯れた松が放置されて松くい虫の大発生となったからである。

そして今、残ったウバメガシが木屑を噴出し、ナラ枯現象に悲鳴をあげ始めている。

カシは、カシノナガキクイムシの食害とその媒介するナラ菌の毒素で枯れてしまう。

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この虫は、特定の樹を集中的に攻撃する「集合フェロモン」を出すのだ。

そして、若くて元気な樹は避けて、立派な老木を集中的に襲うのである。

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一種の「山の高齢化」とも言える現象なんだが、松や樫が悪い訳じゃない。

彼らだって懸命に生きてきて、たまたまその時代に遭遇しちゃったに過ぎない。

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迂遠な話になったが、人間だって必ずしも計算通りに生きられる訳ではない。

いずれにしても、生まれてきて歳をとって病気になって死ぬことに変わりないのだ。

未だ来ぬ未来は、或は宝物なのかもしれない。

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2015年10月29日 (木)

半ズボン

トレードマークと思われるほど、一年の大半を半ズボンとランシャツで過ごす。

だから腕も足もてかてかと黒光りしているし、健康にもすこぶる良い。

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この格好で外出は勿論、農作業や汚れ仕事もこなすが、洗濯が簡単で誠に都合が良い。

時に寒くないかと言われるのだが、慣れっこでどうと言うこともない。

ところが先週の山で、ラン友の一人が「みっともない」と言い始めた。

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私の格好が「呆け老人が、寒さも感じなくなって徘徊しているようだ」と直球で来た。

「どんな格好であれ俺の勝手だい」と切り返したものの、少しばかり痩せ我慢を反省した。

と言うのも、若い時の若々しい恰好は、それ自体を溌剌とした肉体がカバーしてくれる。

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それが、歳なんか取るまいと若いスタイルに固執しても、それは唯の虚勢にしか見えない。

そんな訳で北風の吹き始めた今朝、やっと一本のズボンを探し出して履いたのである。

暦を見れば既に11月間近であって、半ズボンは小学生だけになっていた。

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…俺、小学生と同じくらい代謝が良いんだけど…・・と思いつつも、世間の風を思っていた。

そうだよな・・古希になんなんとしている老人が、短パンにランシャツじゃ、

見ている方の立場が無いって訳だ。

ともあれ、気晴らしにと富士山の雄姿を見んと浜石岳(707m)に登ることにした。

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四十年ほど前に登った記憶とネット情報を頼りに出掛けたのだが、やはり分からない。

結局、由井駅を過ぎて青少年野外活動センターまで行き、そこから登り始めた。

登りがきつくて大変だった浜石岳の記憶は何のその、何てことは無く山頂に着いてしまった。

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しかしその代わりに、遠州は雲一つない晴天だったのに、一面雲に覆われて富士の足元すら見えなかった。

浜石の絶景をと勇んだのが軽挙妄動、これも年寄りの軽薄さかとすごすごと山を下りた。

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まぁ〜、改めて出直すさ・・・時間は幾らでもあるんだから!。

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2015年10月28日 (水)

紅葉の頃

秋はいつも、木々の変化と共にやってくる。

そして、今年も既に晩秋を迎えようとしている。

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柿ノ木は黄金が咲いたかのように実を輝かせているし、みかんも日一日と色付いている。

殊に雑木林に入ると、山全体の光や風がまさに季節そのものを感じさせる。

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と言っても、明治以降の大植林運動で日本の山々は杉・檜の暗い林に変わってしまった。

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金の為とは言え、日本人は何とも無粋な努力をしてしまったようだ。

それでも僅かに残された雑木林に入ると、それは別天地に来たかのように嬉しくなる。

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先日の赤沢美林やヒョウ越峠に向かう山道を思い出している。

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落葉を始めた山肌には落ち葉が降り積もり、陽の光が明るく降り注いでいた。

コナラやマテバシイの根元にはドングリやシイの実が無数に落ちている。

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今年は木の実が豊作らしく、野生の動物達も食べきれないのだろうか。

時々、かさッこそッという微かな音がして、梢から落ちる樹の葉が枝に触れる音なんだ。

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胸いっぱいの空気を吸いながら、その樹林を森の探検者の様に進んでいく。

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すると何だか、ずぅ~ッと昔からこんな暮らしをしてたんじゃなかろうかって思えてきた。

人間はその時々の都合に合わせて森を壊して田畑を拓き、街を造り自然を作り変えてきた。

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だが太古の昔、私達の先祖は押並べて森の幸から生活の全てを得ていた筈だ。

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食べ物は勿論のこと、薪炭や材木など身の回りの生活資材の悉くは森のものだったろう。

正直なところ、自分のことだけで精一杯で過ごしてきて、森のことなど気づきもしなかった。

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それが近年になって、ようやくその清新な美しさに目が向くようになっている。

それに何より、その雑木の林を歩く機会を得られるようになったのが素晴らしい。

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このところ毎日、「はて、今度は何処に出掛けようか?」って考えている。

やはり、私自身が紅葉の時期を迎えているからだろうか?

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2015年10月27日 (火)

小笠山トレラン試走

小笠山トレランが、いよいよ今週末に迫ってきた。

ついこの間始まったばかりと思っていたのだが、今年はもう第9回になるのである。

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小笠山は標高264mの里山ともいうべき丘陵なのだが、半月前に遭難騒ぎがあった様に

起伏が急峻で、痩せ尾根から滑落すれは数十メートルも落下するような山だ。

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20万年ほどの昔は大井川の河口だったらしく、その河口の三角州が隆起して山になった。

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北側が大きく隆起して南側が海に沈みこむ様な形になっていて、北側は切り立った崖だ。

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トレランではその切り立った尾根を26km走るのだが、これが登り下りを含め中々きつい。

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今日は大会を前にして試走をしようと計画したら、参加者は4名になった。

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昨年は大量のスズメバチがいたし、迷いそうな分岐や崩落個所などのチェツクも必要だ。

ここはホストクラブ(小笠山RC)として、抜かりなくというつもりである。

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心配していた天気も一日晴れに恵まれ、スズメバチも極めて少ないことを確認できた。

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朝9時にエコパスタジアムに集合し、息を切らせて一気に山頂へ向かう。

途中、「六枚屏風はどこか?」と尋ねる二人の年配者に出会った。

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一か月ほど前、SBSが放映したことで俄かに訪ねてくる人が増えているのだ。

山頂到着は丁度11時だったが、小笠神社で少々早めの昼食となった。

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天気良し空気良し(それに相方の女性も良し)で、先ずは美味しくビールで乾杯。

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だがこれから先が延々と長いのであって、私達は淡々と(無口になって)折り返しに向かう。

エイドステーション設定予定の所には、もちろん誰もいない。

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途中、夜勤に向かうDさんと別れて、3人でひたすらつま恋のゴールを目指した。

空は高く、秋番刈の終わった茶園がキラキラと輝いて、小笠山も既に秋である。

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里に下りると渋柿が枝をしならせて、ドラゴンフルーツのハウスもあって、

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もう直ぐゴールだって気持ちになってくる。

到着は15:30、気の合った4人で心地良く試走を終えたのでした。

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参加される世界中の皆さん、今年も楽しく私達の小笠山を満喫しましょう。

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2015年10月26日 (月)

ふるさとを思う

昨日の第29回国盗り綱引きは、長野県飯田市南信濃の遠山郷が舞台である。

飯山市中心部から車で1時間、山深い谷あいにある人口2千人ほどの郷だ。

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南アルプスから伸びる尾根に、日本のチロルとも表現される下栗の里などがあって、

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人々がどうやってこの山中に「郷」を切開いてきたかを教えてくれる。

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実はヒョウ越峠からの帰り道、急な斜面につづら折れた小道を駆け下った。

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そのヘアピンを曲がる度にススキの穂が金色になびき、

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熟れ柿が真っ青な空に星の様に浮かんでいた。

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向かいの山を見上げれば、錦織なす緑に黄・赤の絨毯が峰の上まで続いて広がっている。

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ご老人が静かに、たくわんにするのだろうか大根を吊るし干していた。

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のどかであくまでも静かな山里の秋である。

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しかし道に迷って訪ねようとしても、人の姿はようとして見つからない。

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過疎化の現実は「故郷は遠きにありて思うもの」などと、言っている場合ではなくなっている。

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その救いを求めるような思いが、あの国盗り綱引きや遠山マラソンの試みなのである。

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一年に一度のあの綱引きを見るために、近くから遠くから多くの人たちが詰め掛ける。

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会場を見下ろす斜面には、その遠州・信州の息詰まる一瞬を三々五々待っている。

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村の子供たちの太鼓が披露され、浜松の女性ユニットが家康賛歌を歌う。

子供たちや一般参加者のエキシビション綱引きがあり、村祭りの如く賑やかだ。

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それがいよいよ本番となると、その山の中の広場は水を打ったように静まり返る。

そして勝負がつくと、フーっとため息を吹き出すような音とともに歓声が沸き上がる。

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色づいた山のモミジが、そんな人々の風景をジッと眺め下しているのである。

イベントは普通、自治体を跨いで行われることは稀で、

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連帯して事を起こそうとするだけ地域の危機感が強いのだ。

それに私達のマラニックだって、佐久間に住むシンシンさんが

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地域を思う気持ちから企画したものだ。

トレッキングにしろ紅葉狩り・ハイキングなどと、

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どんどん人が入ってくるようにしなきゃってね。

北遠の山里には、私達が忘れてしまったような人情が漂い、素朴な温かさがある。

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国盗り綱引きも、素朴な山里の一大イベントなのだ。

(散りちりて 杣に織り敷く 紅葉かな)

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2015年10月25日 (日)

国盗りマラニック

戦国時代の遠州と信州は、何度となく領国を巡って戦を繰り返してきた。

最後の戦が信長・家康と武田勝頼と言うことになるが、

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その遠州と信州境には、ヒョウ越峠と青崩れ峠の険しい峠がある。

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この日本列島が真っ二つにずれた中央構造線上の峠で、地質も極めて脆く、

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三遠南信道の計画も遅々として進まない難所なのである。

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今日はそのヒョウ越峠で新たな国境を決める綱引き合戦があった。

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遠州軍は浜松の鈴木康友市長の采配のもと、

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かなり善戦はしたのだがあえ無く負けてしまった。

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これで国境が遠州側に1mずらされることになったが、仮に6万3千年負け続けると、

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国境は遠州灘まで後退して、遠州は無くなってしまうと言うから恐ろしい。?

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ともあれ私達は午前7時、飯田線の水窪駅近くに集まって、

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青崩れからヒョウ越峠を越え、その国盗り綱引き合戦を応援に行こうと言うのである。

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佐久間在住のシンシンさんの先導で、先ずは青崩れ峠への急な坂道を延々と登っていく。

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水窪の街中ではシンシンさんの知人が待ち受けていて、私たち一人一人に差入れを下さる。

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峠の途中には「足神神社」があって、その昔北条の将軍の足の怪我を直ちに治したとか。

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勿論私達も、足が命のランナーであって、敬虔な祈りをささげたのは言うまでもない。

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かつて遠山に抜ける街道だった細い道を辿って青崩れ峠まで行く。

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その峠から少し戻って、今度は1400m近い山々を登り下りしてヒョウ越峠に向かうのだ。

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紅葉真っ盛りの明るい林が続いて、その落葉が厚く積もって足元が見えないほどである。

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サクサクサクと信州と遠州の境を2時間も進んだだろうか、下の方から声が聞こえてくる。

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国盗山を下ると、そこは今日の戦の会場だった。

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甲冑を着た戦国武将や行司などが揃い踏みで、いよいよ綱引きが始まらんとする。

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それぞれの口上も戦国風でまた面白いが、今年は行司のさばきが一番光っていた。

それにしても綱引きというものは、見ている方も力の入るものである。

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遠州軍の負けを見届けたからには、早々に撤退せずは命が危ないと私達は山を下る。

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この敗走の26kmが、中々に遠かった。

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安堵できるゴールは、遠山郷を超えて天竜村の飯田線平田駅である。

この駅舎には、素晴らしい温泉があって、戦の疲れを癒すにはもってこいなのである。

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と言う訳で山を越え谷を越え、36kmを8時間、ともかく命があって良かった。

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2015年10月24日 (土)

就活に婚活、地域活性化に終活まで、何にでも「活」をつけたがるご時世である。

何だか「それ、走れ・・・」って煽られているような気がしないでもない。

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実は私自身、かつては随分とこの「活性化」と言う言葉を多用してきた。

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この課題を何とかしたいって言う思いが、「○×の活性化」って言葉になったんだ。

それである先輩から「活性化ってのは、どうもね」と窘められたことがある。

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「駄目になってるから頑張れ」と同じで、あんまり人を動かす力にはならんと言うのである。

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当時は「何言ってるんだ」程度に受け流していたんだが、今になって成程って思う。

何を思うかって…人生は、何も皆歩調を合わせて歩かなくたって良い…ってことだ。

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自分なりに納得して「我が道を行く」のも、立派な人生じゃないかって思う様になっている。

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朝の立哨で、毎日みんなと遥かに遅れて登校する3人の子供が気になっている。

通学班ごとの登校だから、普通はそれぞれのグループが群れになって歩く。

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それに遅れた子供は、懸命に走って追いつこうとするのが普通のパターンである。

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ところがこの三人は、のったりノッタリと意図的?にゆっくりと学校に向かう。

多分毎日遅刻すれすれなんだろうが、少しも動じる気配無く悠然と歩いて行く。

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痺れを切らして「ちゃんと、歩けよ!」と言っても、ニコッと笑って動じる気配はない。

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そりぁ〜、毎日キビキビと元気に登校することに越したことは無い。

だけど最近、半ば落ちこぼれに近い彼らの人生は案外面白いかも知れないと思っている。

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何も、人と同じである必要なんてない。

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自分なりの生き方が出来りゃ・・・その覚悟があるなら、その方が面白い。

そもそも人生にゃ、その人の数だけ生き方があるんだからね。

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やっぱり「活」ってのは、葬式の引導で和尚が一声を発する(カァ〜ツ)あれかな。

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2015年10月23日 (金)

強く正しく

自分の人生を振り返ってみて、まぁ〜普通に生きちゃったのかなぁって感じている。

色々なつまずきや悔やまれる事だって一杯あるけど、それをグチグチ考えても無駄だ。

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そんなこんなひっくるめて「まぁ、こんなもんか!」って、自分の何處かで思っている。

人には人それぞれの生き方があって、

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そもを私達は親や先輩、映画の場面、そして歴史や小説などから学びつつ生きてきた。

就職をして最初の赴任地に切れの良い(格好良い)男が隣席にいて、「あぁ、仕事はこうすりゃ良いのか」って思った。

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それで私の社会人の第一歩は、現在某市の市長をしているその男の真似をすることから始まった。

勿論一枚も二枚も上手な男だったが、モデルとなる先輩に恵まれた私はラッキーだった。

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次に映画で言うなら、最も影響されたのは「風と共に去りぬ」と「シェーン」かな。

ゴーン・ウイズ・ザ・ウィンドゥには、時代の風に翻弄されながら生きる強さを考えた。

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それからシェーンのあの印象的な最後の場面、

去っていくシェーンに少年が叫ぶ「カム バァ〜ク! シェーン」は今も耳に残っている。

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当然ながら少年は私であって、シェーンはその私に「ビー・ストロング・アンド・ストレイト」

(強く正しく生きるんだ)と言って去っていくのである。

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映画は学生の頃だったような気がするが、このイントネーションが全身に染みたね。

小説も随分と読んだけど・・・アンドレ・ジードなどを読んで恋に恋する様な気分があった。

年頃って事もあったのか、無理をして恋をした振りを(誰もが)してたんじゃないか。

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結果としては、言わずもがな今日に至るのだが・・・・、まぁ良いか。

色々とあって波乱万丈と言う気もするが、均せば淡々とした人生なのかもしれない。

そもそも人生は退屈なもので、滅多に意外な事には出くわさないのである。

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還暦を過ぎて自由な時間が増え、あの映画のビー・ストロンク・アンド・・が浮かび上がる。

身も心も自由に「強く正しく」生きられる時を迎えているのだと思いたい。

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2015年10月22日 (木)

三上の想

畑仕事やランニングやらと圧倒的にアウトドアの日常だが、少しは物を考えたりもする。

それは、葡萄の管理作業をしながらとか、別のことをしながら考えていることが多い。

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中国に三上って言葉があって、想を練るには馬上・枕上・厠上(三上)が良いとある。

今ならさしずめ馬上は電車内だろうし、それに寝床とトイレと言う事になる。

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私の場合は慌しいトイレとバタンキューの寝床はとても無理だが、電車は貴重だった。

30年近く朝晩1時間は乗っていたから、この通勤に費やした時間は膨大だ。

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若い頃は新聞に目を通してしまうと、うつらうつらってな具合だった。

だけど何時の頃からか本を読むようになって、本に没入して乗り越したことは数知れない。

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その度に「また、やったか!!」と悔やむのだが、その翌日も乗り越すなんて事が結構あった。

「読書亡羊」ってな言葉を思い出すのだが、

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羊飼いが本に夢中になっているうちに羊が何処かへ行ってしまったと言うんだね。

まあそのお陰で、雑学を含めて少しは物知りになったかなと思っている。

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読んだ本は歴史物が多く、中でも司馬遼太郎の著作は講演録や紀行も含めて隅から隅まで読んでいる。

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そんな具合で車中では何時も時空の旅をしていて、まぁ~色々と学ぶことが多かった。

電車通勤の無くなった最近では、本に集中することが少なくなって寂しいが、

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時間がある限り、図書館にある随筆の類を手当たり次第に読んでいる。

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それはともあれ「三上」だが、私の場合には「走りながら」を加えなければならない。

50歳位から現在の山道を走ることが多くなって、その細い道を淡々と走っていると、

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様々な想が浮かぶと言うか、人前で話す内容は勿論のこと、隘路の打開策まで、

走ることによって気分が変わるからか、随分と得るものがあって助けられた。

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そう言えば村上春樹を始め、最近の作家には走る人も多い。

静の座禅に対して、走ることは動の座禅ではないかと思っている。

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それに走ることは、私にとっては日課の様なものだしね。

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2015年10月21日 (水)

恋のパワスポ

昨夜、市のある会議に出席してのことである。

少子化の流れを食い止めようと、今年から公営婚活事業が始まっている。

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何回目かのその現場を視察した某委員が「あれじゃ、駄目だ。」と言い始めた。

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キャンプ場でバーベキュウをしたのだが、男女が別々に集まって肉を焼いている。

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それで男も女もひたすら黙々と作業するばかりで、会話が全く無いんだと言う。

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メールでは色々と書けても、現実の会話が出来ないし、話題も乏しいと推察する。

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だから「婚活をやる前に、事前教育が必要だ」と仰るのである。

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私もさもありなんと、自身が女性の前ではひたすら寡黙で俯いていた事を思い出した。

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もっとも今だって同じ様なもので、女房の前ではひたすら従順で寡黙なんだが…?

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それはさておき、わざわざ婚活の集まりに出席して一言の会話も無く終わるんじゃ空しい。

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と言うよりも、この国の未来が危ういと言うことになるだろう。

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伴侶を求めたかったら遮二無二アタックするのが肝心だが、

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今時の若者にはハングリー精神はなく、失敗して傷付くのを極端に恐れている。

そんな苦労(思い)をする位なら、一生独身のほうが気楽って訳だ。

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そんな訳で市当局も、様々なシチュエーションを創って婚活をやろうとしている。

だが、恋のパワスポなんてある訳もなく、

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私に言わせりゃ「一緒に汗をかけ、苦労させろ」ってことになる。

○×プロジェクトを婚活チームに担当してもらうとか、

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チームとしてスポーツ大会に出場するとか、畑を耕して作物を育てるとか・・・。

そうそう、男女をペアーにして500mずつリレーするんだって、話題は一気に広がるぜ。

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とにかく連帯して汗をかくことから始まると思うのだが、そんな企画が欲しいなぁ〜。

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2015年10月20日 (火)

現場こそ原点

このところ時々警察の仕事について勉強させていただいている。

警察と言っても、交通安全やら治安維持、防犯、犯罪捜査とその守備範囲は相当広い。

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犯罪だって近頃じゃ振り込め詐欺やらIT犯罪、覚せい剤などとジャンルも様々になっている。

中でも犯罪捜査は警察の日常業務の中でも特別分野で、多岐に亘る専門知識が必要だ。

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そして、その捜査自体が徹底した鑑識が基礎になっていて、収集した無数の指紋から必要な指紋を探し出すことは勿論のこと、

微かな足跡や唾液・血痕、髪や皮膚の滓まで、犯罪現場に残された全てを収集する。

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殺人現場の血の海の中から極微量の犯人の血液を見つけ出すなんてこともあるそうだ。

その極めて地味な作業を根気強くやるのが鑑識なんである。

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実は今日、県下の各警察署が参加する現場鑑識競技会があって、それを視察してきたのだ。

5人が一つのチームになってそれぞれの専門技量を発揮しつつ、その技を競う。

と言ってもやる事は地味なもので、与えられた物件から丹念に指紋を探し出すことや、

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同様にかすかな靴跡から鮮明な跡形を浮かび上がらせること・・・・・良く分からないが・・。

ともかく「ある傷害事件の現場」が想定されていて、そこから正確にどれだけの資料を集められるかを競う。

いずれも再現不可能だから、指紋採取一つにしても失敗は許されない仕儀だ。

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TVのドラマ「科捜研の女」なら次々と資料で犯人を追い詰めるんだから面白いが、

現実には鑑識現場が捜査に口を出すことなどあり得ないだろう。

いずれにしても、現場を保全してそこから正確な資料を拾い出すことが全てに繋がる。

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若い女性警察官の、科学者が顕微鏡を覗くかのような対応が印象に残った。

私たち世間一般としては、警察は何だか怖いところってイメージが強い。

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出来ればあまり関わりたくないってのが本音ではなかろうか。

だけど警察があるからこそ私達は安心して生活できるんだし、本当は近い存在なんだよね。

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2015年10月19日 (月)

妻籠の宿場町

「荷道の 坂に熟柿 灯を点す」〔山口誓子〕と詠まれた様に、板塀の軒先に干し柿が輝き、

千本格子の前には大きな糸瓜が幾つもぶら提がって、

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山里の風情は秋そのものであった。

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実は赤沢美林の紅葉をたずねた帰り道、

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妻籠宿に立ち寄って江戸期の木曽路を堪能してきたのである。

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南の東海道に対して内陸〔上州、信州、美濃〕の山中を貫くのが中山道だ。

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中でも木曽路は険しい谷沿いの山道が延々と続くのだが、その険しい地形ゆえに、

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妻籠や馬籠など幾つかの宿場が江戸時代の面影を留めたまま保たれてきた。

妻籠の通りに足を踏み入れると、往時の宿場ならではの建物が軒を連ねて続き、

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広く開け放った店先には「ねずこ下駄」などの木工製品、五平餅や栗きんとんが並ぶ。

1kmほど続く宿場町のほぼ中央に妻籠宿本陣(島崎家)があって、藤村の母の実家である。

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その斜め向かいのヒノキ造りの立派な建物が脇本陣で、藤村の初恋の人(ゆふ)の嫁ぎ先。

そう、あの島崎藤村の詩情は、この黒渋く光る宿場町で育まれたのである。

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宿場の坂を登っていくと、突然道筋が直角に曲げられていて(枡形)、外敵の侵入を防ぐ目的で造られたと言う。

更にその先に進むと昔ながらの水車が回っていて、恐らく精米の為に使われたんだろう。

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この川沿いの宿場町は、まさに時代劇のセットに入り込んだかのような景色なんである。

早くから町並み保存に取り組んできた歴史があって、良くぞ残し得たって印象かな。

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思えばこの国の近代化は嵐のように急激にやってきて、風景も人々の生活も様変わりさせてしまった。

戦前までは何処の田舎だって茅葺屋根が並んでいたし、

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東海道の53宿だって、妻籠とそれ程違っちゃ居なかっただろう。

ともあれ私達は自分達の育まれた原風景を訪ねて、何ともフシギな面持ちで宿場を歩く。

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そして地の物を使い・生かして、自然と共に無理なく生きてきた人々の営みを思うのだ。

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さても、折角守り残されてきた昔の町並みを、単なる観光地にしてしまっては勿体無い。

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2015年10月18日 (日)

臨機応山

今日は、三島・沼津いいとこマラニックである。

水の都三島の源兵衛川の疎水を辿り、沼津アルプスの山々を登り、狩野川に下る。

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三島の水、沼津の山と海を堪能するマラニックである。

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三島と言う所は、かつて富士山の湧水に浮かぶ様な所であって、

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今でもあちこちから湧水が噴出している。

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私達のスタート地点は、小浜池の湧水に始まる源兵衛川を辿ることから始まる。

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源兵衛川は、三島湧水会の長年の市民活動の結果蘇った川で、2.2kで消えてしまう川だけど、

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透き通る水中に三島バイカモ茂り、その傍らの飛び石を渡る心地は、正に癒しの空間だ。

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今年は幾分水量が少なかったけど、それでも一部裸足になって渡る区間もあって、

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これはこれで今回のマラニックの特異な思い出なのである。

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次いで少し下って、東洋一の湧水源である柿田川を辿る。

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日々膨大な量(三島沼津の上水)を噴出し続ける湧水なぞ、この国には他にあるまい。

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その柿田川の流れを下り、沼津に入って先ずは駿河湾を見下ろす香貫山に登る。

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山頂からは、蛇行して海に注ぐ狩野川、弓形にしなって続く千本松原が一望に見渡せる。

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香貫山はともかく、今回のマラニックの難所は続く横山・徳倉山・鷲津山・大平山である。

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いずれも、ロープ(鎖)につかまって下っては急な登りを繰り返すのである。

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当初の心づもりでは、徳倉山から降りて、御用邸公園を経て海岸をと思っていた。

ところが今回の参加者(特に女性軍)は、沼津アルプスを最後まで走る覚悟だった。

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結局その女性たちの鞭に追われて、とうとう大平山まで汗をかいてしまった。

沼津アルプスは、丁度伊豆半島が本州に衝突したその接点の部分で、

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植生も岩の組成も様変わりする所で、そんな地形の変化を楽しみ(?)ながらのランだ。

とは言え大平山山頂に着いたのは13:20で、約束のゴール時間には間に合わなくなっていた。

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止む無く多比に降りてバスで御用邸公園まで行き、そこからゴールの吉田温泉を目指すことにした。

吉田温泉は大正期から続く銭湯で、今では沼津市唯一の銭湯になってしまった。

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その古色を楽しみながら疲れを癒し、最後のステージは魚河岸丸天での懇親会である。

名物の海の幸を堪能しながらの楽しいひと時が続く。

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実はマラニックの楽しさは、さんざん汗をかいて、その後に全てをクリアーする時間があるってことなんだ。

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と言う訳で、もう既にあんなに大変だった山登りを忘れてしまって居るから不思議だ。

秋の日の一日、今日もたっぷりと楽しむことができました。

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皆さん、ありがとう。

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2015年10月17日 (土)

錦秋

今日は、信州は木曽の赤沢自然休養林にまで遠出をしてきた。

この秋、もう既に紅葉真っ盛りの所があると聞いて片道3時間、勇んで出かけたのである。

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中山道の妻籠宿から更に車で1時間ほど登った所に、その赤沢美林が続いていた。

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俎板の様な流紋岩に覆われた道川に沿って、その1.1kmをトロッコ電車がゆっくり登る。

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その沢沿いには、真っ赤なコハウチワカエデ、黄色も鮮やかなシロモジ、紫のマルハノキ、

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などが織り成す紅葉が続いているのである。

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この標高1100mの森は、木曽五木(ヒノキ、サワラ、ネズコ、アスナロ、コウヤマキ)で代表される。

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伊勢神宮のご神木もこの地から切り出されるそうで、その一面の緑の中に紅葉が映える。

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未だ紅葉には早いのではないか? と半信半疑で訪れたのだが、何と艶やかなことか!!

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同行の美女三人の色香も褪せて見える程の自然美であった。

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その美しさはともあれ、この年になって紅葉というものを楽しめる自分に驚いている。

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かつては、紅葉なぞ桜の盛期に比べれば寂しいものとの思い込みがあった。

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だけど今、思えば自分自身が紅葉の時期を迎えつつあるのである。

この古い葉を落とすからこそ、来春には萌える様な新緑(新生)が可能になるのだ。

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人も含めて諸々の生物が、そうやって新陳代謝を繰り返しながら生きてきた。

その次世代にタッチする寸前に、全身を赤く・黄色く染めて散っていくのである。

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太古の時代にあっては、紅葉は人々に冬支度を急がせるシグナルであったし、

今日の私にとっては、人生の秋を悟らせる警鐘のようにも思われる。

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自分自身、若い若いと思いつつ過ごしているのだが、紅葉しないにしても冬は近い。

いい加減次代への引き継をしとけよって、言われているようで気恥ずかしい。

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そんな思いと共に、一足早い静かな秋を楽しんできたのである。

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2015年10月16日 (金)

人生は楽しむべし

ここのところ、気持のかなりの部分が畑に向かっている。

ニンジンに続いてタマネギの種をまいて、ニンニクを植えて、大根を間引いて・・・・。

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昨日からは、毎日出勤前に一時間ほどホウレンソウを播種していている。

帰宅してからの今日の仕事は、白菜とキャベツの定植であった。

植物は適度な管理さえしておけば、良くしたもので勝手に芽を出しすくすくと成長していく。

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この間、私が何をしてい(何処に遊びに出掛け)ようが、一人で伸びてくれるのである。

例えばホウレンソウにしても、この一か月でハウス一杯に播くから、彼らが順次伸びる。

毎日グイグイと伸びて、約60日で収穫出来るようになる。

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実は今は、この彼らが勝手に伸びてくれるってことを楽しむ季節なのである。

そりゃ種を播くまでには堆肥を運んで耕してと、かなり汗をかいているのだがそれはそれ。

苦あれば楽しみ有りである。

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それに天高くスポーツの秋だから、週末は毎週のようにマラニックに出掛ける。

そして私があちこち足を延ばしている間も、私の畑の作物はすくすくと成長を続けるのだ。

もちろん100kマラソンを走るために、山を走って練習に勤しむ間だってそうだ。

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マラソン同様に何事も一朝にしてこと成るなんてことは無くって、

当然ながら事前の仕込みが必要だ。

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この周到に事前の仕込みをすることが、人生を楽しむコツなんだと思っている。

つまり、七難八苦はともかく艱難辛苦があればこそ、その楽しみは深いものになる。

100kを走り切るには、やはり相当な積み重ねが必要な年齢になっている。

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あの感動の一時の為に、尼子十勇士の山中鹿之助ではないが、「我に七難八苦を与えたまえ」と祈る気持なんである。

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2015年10月15日 (木)

文章を書いていて

ブログは、典型的な自己顕示の手段じゃなかろうか・・・と思った。

だいたいに於いて人間は、人〔他人〕から認めてもらいたくってしょうがない生き物だ。

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餓鬼の頃には母親・先生に、そして長じては世間に認められることが自己実現になる。

母親に褒められりゃ心がほっこりしたし、○×表彰とか勲章もそういう代物だろう。

とにかく一個の人間を誰かに分かってもらいたいと、誰もが心密かに思っている。

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その流れで、そこそこの人生を歩んでくると人は何か記録を残したいと思うようになる。

私も同様だが、自費出版やら寄稿、更にはブログを書くってなことになる訳だ。

五月に訪れた北海道の古墳時代の洞窟に、岩を削って幾つもの絵が残されていた。

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誰が残したかは別にして、長期間の根気と決意が無ければ書けない労作である。

文字が出来てからは、手記や日記など膨大な記録が残されているのは言うまでもない。

落書きが典型的だが、方法は違っても人は誰でも書きたいって願望を持っている。

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考えるまでも無く、人生は過ぎ去ってしまえば何にも残っちゃ居ない。

その人が死んでしまえば、その記憶すら数年を待たずに泡沫のように消えていく。

神武・綏靖・安寧・・・昭和・今上と125代続いている天皇家だって、その名すら記憶されていない。

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況や我々平民をやということで、万事泡沫の夢と言うことになる。

江戸時代の旗本夫人井関隆子の残した天保年間(1840年頃)の日記を読むと、

当時の暮らしの中で何に心を痛め、何が関心ごとであったのか、その心の機微まで知ることが出来る。

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文章や絵は人をかなり正直に表すものだし、そういう意味では自分の顔と同じだ。

顔といえば、人の性格は自ずとその顔に表れるし、その顔からはどんな人生を歩んできたかだって想像できる。

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長い間の生活習慣が習い性となって、顔の形や表情に染み付くのだろう。

同様に〔或いはそれ以上に〕文章も、何を書くかも含めて実に正直に人を映し出す。

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逆に言うと、自分を隠しておきたかったら文章を書かないに越したことは無い。

文章は、その人の人間性なのだと信じている。

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2015年10月14日 (水)

矩を越えず

もう間もない冬を前に、昨日は富士山の山頂部分だけが白く化粧をはじめていた。

秋から冬への装いの兆しで、この日本の四季の移ろいは誠に見事だ。

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困った事に移ろいは四季ばかりでなく、古来稀な年齢にまで残すところ2年になろうとしている。

論語には「70にして心の欲するところに従って矩をこえず」と書いてある。

矩とは、「自然の道理に従って無理はしない」ってなことだろうが、この無理が難しい。

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「60にして耳順う」は、素直に人の意見に耳を傾けりゃ良いんであって、これに異論ない。

だが「矩」は、その人の生き方次第で随分と違うのではないかと思うのだ。

無論、油っぽいものは食べないとか、暴飲暴食はしないってな事なら分かるのだが、

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もう歳だからあれもこれも止めようってんじゃ、自ら老いを背負い込むようなものだろう。

90歳になったお袋が今朝、「もう歳だから、髪の毛を染めるのは止める」と言い始めた。

直ちに反対したのだが・・・・、そと目を意識しなくなったら人は終りだと思うからだ。

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ともあれ馬齢を重ねたことで得たものは、人生が見えてくるってことだろうか。

自分がどの程度の人間で、何が出来て何が出来ないかって事がおおよそ分かってくる。

それに何故か、私の永年の親友だった怠惰との関係にもヒビが入るようになった。

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がむしゃらが通じたくなったから、コツコツって持続力に転換したって事かな。

更に言うならば、自分ってヤツを見詰め、コントロールしている自分が居るって事。

その自分の中のGPSが、とりあえず私の「矩」ってことになる。

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これまでの人との縁を大切に、我が道の限界を極めれば、それで良かろう。

ウルトラマラソンだろうが、ブドウ栽培だろうが、結構奥は深いんだからして。

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そう言えばこんな至言があった。小才は、縁に出会って縁に気づかず。

                    中才は、縁に気づいて縁を生かせず。

                    大才は、袖で振り合う縁も縁とする。

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ともかくこれからは、心の欲するところに従って矩を広げる」のが正しいと考えている。

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2015年10月13日 (火)

生きる糧

シリアをはじめとして中東で際限なく殺し合いが続き、留めなく難民が溢れ出ている。

何故騒乱が続くのかって言えば、それは食えないからだ。

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人は何がどうなっても食べることなしには、その生命を維持できないようにできている。

そのギリギリのところで、食べていくことができないから殺し合いが始まるんだ。

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食量が細って飢えへの恐怖が難民の流出を起こしている。

中東の困難はさておき、この日本では相も変らぬ飽食が続いている。

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誰もがこの国で(戦中戦後の様な)飢えが起こるなんて、考えようもない時代が続いた。

だけど時代を遡れば天保の大飢饉など、数知れない餓死者を生み出してきたのである。

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今この国では、1億2千万人の食料を生産することは不可能になっている。

純粋に国内の農業で支えるのが可能なのは、5千万人程度ではないか。

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トウモロコシや小麦・大豆・牛肉などと、多くの食料輸入で私達は生きている。

それは、或は私達が買わなければ中東に向かった食べ物なのかもしれないのだ。

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ともあれこの国には、まだまだ外国から食料を買いあさる金がある。

それがTPPの大筋合意で、もっともっと農産物を買うことになりそうである。

国内で有り余っている米を7万トン余、リンゴもブドウも豚肉も大量に買いますと約束した。

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ニュジーランドでは早くから日本向けにリンゴを輸出しようと準備していた。

羊のいなくなった牧草地をリンゴ畑に変え、日本の品種を栽培してきた。

だけどこれまでは関税とコドリンガの防疫で輸入が阻止されてきた。

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だけど、今度のTPPで大量輸入となれば、国内のリンゴ産地は生き残れるのだろうか。

沖縄など島嶼部の産業はサトウキビ生産だが、果たしてこれを支える行政措置が可能かどうか。

それがかなわなければ、宮古島などは無人島になってしまうのではないか。

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グローバリゼーションとは、勝手気ままな弱肉強食の経済である。

それは、人々の幸せとか国の成り立ち・文化とは相いれない思想である。

経済も大切だけど、それ以上に私達の民族の未来への担保が必要だと思うのだが。

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2015年10月12日 (月)

その一歩

毎朝起き出して第一歩を踏み出す時、勤務先へと玄関を出る時、何を考えているだろうか?

仮に「今朝は、連れ添いに労いの一言を・・」って考えていたとしたら、目を擦りながら

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遅くなって起き出してきたとしても、「少し疲れてるんじゃないの?」となって、

「御免なさい。寝坊しちゃった。直ぐ支度するからね」ってな具合になる。

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それが何も心になかったとしたら「何時まで寝てんだよ。もう○時じゃないか」となって、

「何よ! 私だって疲れてんだから、自分でやりゃ良いでしょ。」って朝から角が立つ。

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玄関を出る際に「今朝はあれをして、これを済ませて、あぁ彼にはお礼を言っとかにゃ・・」

などと段取りを考えていれば、午前中の仕事は頗る順調に滑り出すのではないか。

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とにかく、この一日に自分が何をやり遂げたいのかを明確にすることだ。

実は、先日の勉強会で最も印象に残ったのは、

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≪第一歩の覚悟≫ 「目標が、その日を決める」と言う言葉であった。

この言葉は、ランナーにとっては頗る分かり易い言葉だ。

マラソンのスタートラインに立って、ハーフかフルか、はたまたウルトラかで、

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まるっきりその覚悟(意識)が違うからだ。

ハーフのつもりで100kを走りだしたら、忽ちにして途中リタイアと言うことになってしまう。

逆に100kのつもりでハーフを走ったんじゃ、ただ走っただけで終わってしまう。

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つまり、誰だってスタートラインに立てば、それなりの覚悟をしているって事である。

否、何事のスタートラインであったとしても、目標をはっきりさせることが肝心なんだ。

一年365日、「今日は、・・・・」って覚悟して過ごしたとしたら、どうなるだろうか。

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或は「今年は、・・・・を実現しよう」ってはっきりと意識して過ごしたとしたら、人生は別物になっていく。

分かっちゃいるんだけど、なかなかこれが「知行合一」って訳にいかないんだよね。

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2015年10月11日 (日)

祭り囃子

浮かれて調子を合わせたくなる様な祭り囃子が聞こえてくる。

生憎の小雨日和となったが、祭りはそんなことはお構いなしに今夜の盛り上がりを迎えている。

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一年に一度の無礼講と言うか、村の衆の出会いの場なのである。

かつて「農」の時代には始終顔を合わせていたろうが、今ではみんな初顔だ。

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世代交代もあろうが、それよりも近所に住んでいても顔を見る機会は皆無になっている。

生きる為の生活の在り様が様変わりした訳だが、伝統の祭りは営々と引き継がれている。

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村の天神社の来歴は440年前に遡ると知らされたが、この社をここに住む人々の子々孫々が守ってきたのである。

これは宗教とか主義は既に通り越して、人々が生きてきた歴史に他ならない。

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440年の間には飢饉や災害・疫病・戦乱など、様々な試練があったはずだし、

それでも性強く生き残ったのが私達なんだろう。

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神社では権禰宜が海の幸山の幸を神前にささげ、宮司が祝詞を詠う。

自然の恵みへのひたすらな感謝と、人々の平穏無事を祈るのである。

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かしこみかしこみもうまうす・・・のは、圧倒的な八百万の神々(自然)への畏敬である。

今日でこそ豊作が当たり前だが、ほんの一昔前までそれは神頼みでしかなかった。

台風が一吹きしただけでその年の全収穫を失うことだってザラにあったし、当然餓死者が出ただろう。

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水争いで隣村と竹槍での諍いになった記録だってある。

そう、人々は命を懸けて農にいそしみ、自然の恵みのおかげで生き延びてきたのである。

祭りは、そんな重厚な歴史を背負ってるのだが、屋台を引く人々にそんな気遣いは無い。

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時代と共に生き方も変わり、人と人のかかわり方も様変わりした。

と言っても、それはたかだかこの70年の事なのである。

そして祭り囃子だけが、昔と同じなんだろうと思う。

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2015年10月10日 (土)

10年しゃにむに

このほぼ十年、職場や家庭から解き放たれて、自分の為にしゃにむに生きてきた。

出世競争もなくなって、子供も自立し、家のローンもあらかた終わって、

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これからは我が道を開拓せんと、しゃにむに走ってきた。

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そして古希まで残すところ数年となって、ちらりと振り向いて過去を振り返っている。

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実は昨日床屋に行って、目の前の些か老けた男の顔をしげしげと眺めていた。

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この男の顔は、鏡に映った影であって私自身ではあるまいと思ったのである。

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この十年の私は、根を張ることを忘れて上に伸びるばかりのかつての生活を悔いてきた。

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だから、かなり思い切って枝葉を切り落とし、相当に根太い人間になったと思っている。

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しかしながら、目の前に映る男の顔は、目じりは細く下がり、髪は薄くなっていて、

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誰が見ても年相応の初老の男に過ぎないのである。

こんな時は誰だって、フッと自分の人生を考えるのではなかろうか。

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さても今日は、恒例になった人生を学ぶ勉強会である。

集まったのは9名で、テーマは第三溝「生をこの国土にうけて」である。

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人間として生まれ、この地に育ち得たことをどう受け止めるかと言うことから話は始まる。

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私達は、暑い寒いなどと我がままを言いながら過ごしているけど、

その四季がどれ程の福音をもたらしているかを考えはしない。

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日本の文化は、この四季に育まれ、累代の子々孫々に受け継がれてきたものだ。

確かに家族の絆は細くなり、地縁だってか細いものに成っているけど、

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だけど島国に生まれ育った私達の係累は、世界の中では特異な存在なんだと思う。

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古来この国はやまとの国と呼ばれ、「大和」と書き表されてきた。

8月末に訪れたミラノ万博では、その「和」「輪」が大きな評判を呼んでいた。

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シリアやIS、パレスチナ、難民の押し寄せる欧州を思えば、「和」がどれ程価値あるものか言わずもがなである。

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ともあれ、気の合った仲間と一緒にジョグし、食べ物を分け合って楽しみ、そして・・

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人生を語るなんて贅沢は、この和の国に生まれ育ったからこそ出来る幸せなんだろうと思った。

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2015年10月 9日 (金)

夢と現

日に日に日長が短くなって、止む無く早々にベットに転がり込む日が多くなった。

私はめったにTVを観ないし、老眼に鞭打って蛍光灯下で本を読むのも辛いものがある。

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それで「寝るっきゃないか」となる訳だが、俄然一晩に何本もの夢を見るようになった。

夢の素材は子供の頃や現役時代が多いが、そのストーリーは誠に以って奇想天外だ。

そもそも夢は記憶の片端が無秩序に露出するものらしく、その切れ端を脳が無理やりストーリーにしてしまうようだ。

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夢の中では嵐で家が水浸しになったり、殺人事件を目撃したり、苛められたりと、

どうした訳か「寝覚めの良い夢」は殆ど上映されないから不思議だ。

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そのような記憶のストックが無いから言うまでもないが、例えば異性に好かれたり、

宝くじに当たったなんて夢は絶無なのである。

それで、夜が待ち遠しくなるような夢を見るために、何かオマジナイが無いか探している。

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ともあれ、毎日のように夢を見るのは、一種の老化なのかしらと疑っている。

記憶の量も生きてきた分だけ多いし、トイレに起きたりして熟睡度が低いからだ。

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ところで高齢者の仲間入りした団塊の世代の諸君は、その膨大な時間をどう過ごしているのだろうか?

何がしかの活動をしている人が多いんだろうが、図書館や健康ランドが朝から賑わっているらしいとも聞く。

羨ましい話ではあるが、一方で日々これ退屈と格闘をしているのかも知れないとも思う。

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あの漫画のサザエさんやカツオくんはもう何十年も歳をとっていないが、私達は歳をとる。

医学は随分と寿命を延ばしはしたが、不老不死は無い訳であって永遠の現実は無い。

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寿命が延びた分、その膨大な時間を如何にすごすかが、誰もの大きな課題なんだろう。

うちの90歳になる母親は仕事を探して歩いているし、新聞は隅から隅まで読む。

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私が寝た後もTVを見ているし、毎日日記を書いてから寝ている。

一つの理想だと思っているのだが、母は夢を見るのかどうか…・。

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人一人が生涯を生き抜くと言うのは、それはそれ大変なことなのだと思う。

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2015年10月 8日 (木)

明神山へ

北にそれた台風23号の影響だろうか、空が抜けるように青く澄んだ一日だった。

そんな空の青さに誘われて、街頭で子供達を見送りながら、「そうだ、明神に」と思った。

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明神山(1016m)は愛知県の蓬莱山近くにあって、これまでも何度か登っている山だ。

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道は知っていると確信に満ちて三遠南信道を降り、蓬莱湖の方向に向かっていた。

「あれっ、変だな」と思いつつ、途中で2人に道を聞いたのだが要領を得ずに進む。

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とうとう蓬莱湖を一周する頃になって、決定的な間違いに気づいて引き返した。

過去の記憶など、正にいい加減なものであった。

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この間1時間ほどをロスしたのだが、無事乳岩の登山口に着いたのは10時過ぎだった。

そこから宇連川に沿って登っていくのだが、大きな岩が多くそれを迂回しながら登っていく。

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途中の岩場(鬼岩)ではロッククライマーが、登山道の真上に降ら下がっていた。

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こりゃさ、若くなけりゃ出来る芸当ではないな。ともあれ・・

山道は樹木の根が無塵に露出していて、むしろ根に捉まりながら胸突き八丁を登る。

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二時間余りで、あの尾根の「馬の背」に達してヤレヤレで、山頂が間近に見えてくる。

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不思議なもので何度か登っているはずなのに、この大変なアプローチの大半を忘れている。

やっと山頂の展望台に登ると8人ほどの登山者が昼食をとっていて、ひとしきり山話である。

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ここから左から仙丈ケ岳・甲斐駒ケ岳・北岳・間ノ岳と続いて、何と富士山も見えていた。

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ところで険しい林の山道を登って来て、突然一面の眺望を前にするとホッとする。

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・・と言うか、ヤレヤレ目的地に到達したっていう安堵感とともに、安心感が漂うのだ。

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ひょっとすると、これは太古の昔からの人間の習性なのかもしれないと思った。

林の中では猛獣も含め何が現れるかわからない、それが平原の広がりに出れば如何ともなる。

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それは兎も角、遥かに登ってきた蓬莱湖を見下ろしながら、「一歩」だよなって思った。

「一歩一歩登って来て、こんなに高くまで来ちゃった」・・・人生と同じだね。

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私達は、そうやって生きてきたんだ。・・・天高く、山登る、秋

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2015年10月 7日 (水)

脳の若さと日本人

人の若さを決めるのは、外見や年齢もさることながら、実はそれは脳の活動次第らしい。

近年の脳科学は、「脳細胞は再生しない」という常識を見事に否定している。

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神経細胞のネットワークは、新しい刺激を受ければ、死ぬまで増え続けるらしいのだ。

要するに、脳は使えば使うほど活性化するって訳だ。

逆に漫然と同じ事を繰り返す生活をしていれば、どんどん歳を取っちゃうことになる。

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と言う事は、若々しく生きるには脳を若返らせるような工夫をすりゃ良いってことだ。

運動したり、文章や絵を書いたり、ドキドキしたり毎日のパターンを変えたりしてね。

だけど歳と共に初めての体験は減って、取り敢えず必要なことしかやらなくなってしまう。

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こんな事を書き始めたのは、国の経済もこれと同じかも知れないって思ったからだ。

戦後の混乱が収まった昭和30年代初頭から、この国は猛烈な経済成長を遂げた。

バイクや車、家電製品が次から次へと人々の夢を膨らませ続けたし、皆若く輝いていた。

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簡易水道の蛇口から水が出て、白黒TVが入って、原付自転車に乗って・・・・、

田圃の耕作が牛からティラーになって、そして軽自動車や冷蔵庫に洗濯機ってね。

そうやって、今日が昨日とは違う毎日が四半世紀も続いたんだから凄い。

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私の初任給33,150円も3年で倍になったように、給料も毎年のように上がったな。

それが平成2年からの失われた20年、デフレ続きで人々の行動も頭も眠っちゃった。

結婚や子供を生み育てることすらも避け〔?〕る風潮まで出来ちゃったんじゃなかろうか。

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この眠っている間に日本のGDPも大きく縮んだし、生き方自体が老化したんじゃないか。

例えば、この国のGDPが中国に抜かれたのは4年前だが、僅か4年で中国のGDPは日本の倍以上の規模になっている。

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中国の習近平が、軍事や外交でも大きな顔をするのはあながち無理も無い。

先日のタジキスタンに行ったた人達が「中国の軍用車が国境の外側〔他国領内〕を堂々と走っているのに驚いた」と報告していた通りである。

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中国の経済減速が世界を揺り動かしているのも、そういう背景があってのことだ。

先日訪れた欧州では、中国語の表示はあっても日本語にはお目にかかれなかった。

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その国の経済の規模が、東シナ海の軍事基地建設のように国の行動を大きく変える。

ともあれこの国の人々は、世界の中で小さくなった自分の姿が見えていないようだ。

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やっぱり私達が挙って、脳を若返らせる行動をするようでないと未来は明るくならないな。

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2015年10月 6日 (火)

収穫の秋に

今年は柿の大変な生り年の様で、どこの庭の柿も鈴なりで、ヒヨドリが歓声を上げている。

この時期、我が家にやってくる保育園児の目的は、サツマイモと落花生である。

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春先に蔓をさしてから数か月、この夏の照りにもめげずにしっかりと太ってくれたようだ。

実は一昨日、幼稚園の赤・青・桃組は既に掘っていって、今日は特別支援の親子だ。

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幼稚園児とは違って、芋堀よりも砂遊びと言ったところだが、それでも掘れば得意満面だ。

一方、保育園児は近くの田んぼに出掛けて稲刈りの体験である。

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今時の稲作は、私の子供の頃とは違って数十ヘクタールを耕す大規模農法だ。

そのコンバインの傍らで、鎌を持って一株ずつの刈り取り経験である。

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こんなものは経験でも何でもなく、唯の遊びに過ぎないがそれでも私達のルーツだ。

終戦直後に生まれた私は、餓鬼の頃から家事を仕込まれて、農作業でも働き手だった。

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今じゃ信じられないだろうが、小学一年の頃から一人でご飯を炊き、みそ汁を作り、

風呂を沸かして父母の田んぼからの帰りを待った。

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それだって「へっつい」で藁を丸めてくべるんだし、風呂はバケツで水を運んで…・・。

祖父祖母も早くに亡くなって核家族だったから、小さな妹二人の面倒を見ながらであった。

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秋になれば、刈り取った稲わらをハズまで運んだり、脱穀作業で埃まみれになっていた。

今思えばまるでオシンの世界だが、当時の農家じゃ珍しい風景じゃなかっただろう。

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嫌な思い出があって、小学3年の学校で「昨日、やったこと」を発表させられた。

私はありのままを言ったのだが、その若い男の先生は「嘘を、言うな!!」と怒鳴った。

トラウマと言うのだろうか、それから成績は低迷し、一段と内向きな子供になった。

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この歳になっても、その時の先生の顔を忘れることができないでいる。

ともあれ、時代は変わっても収穫の秋は、やはり喜びの時ではないか。

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誰だって、自分の力で掘り取った芋は、他の芋とは違うはずだ。

TPPが大筋合意となって、農業にはまた新たな試練が押し寄せようとしている。

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この国の山河を営々として耕してきた農業だが、いずれは滅びることになるのだろう。

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2015年10月 5日 (月)

オヤジ顔

人間は歳をとって必ず老いることになるが、先ずはi顔付きが次第変わってくる。

表情が少なく全体に腫れぼったくなって、喜怒哀楽に精彩を欠く様になるのが普通だ。

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人生に対する興味が少なくなって、顔つきにも精彩を欠いて来るからだろうか。

昨日は走り終えて余程疲れた顔をしていたのかどうか、風呂で隣に割り込んで来た男に声を掛けられた。

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「○×さんでしたよね」と言われ、「面影が似ているんで・・・・」と仰る。

人違いと分かって「いやなに、今日は実は40年ぶりの同窓会でして・・・」と続けた。

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その頬のたるんだオヤジ顔の男の歳を聞くと、何と72歳だという。

と言う事は、自分では精悍な筋肉と緊張した風貌を保っているつもり〔?〕なのに、

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このオヤジと同年輩と思われたと言う事になる。それで・・・

こちとらぁ~仕事も趣味にも打ち込んでいる最中で、毅然とした美意識だって持ってらい。

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抜け殻みたいな顔しやぁがって、同じにすんない!!って、内心毒づいていたのである。

そもそも気持ちが若々しく躍動している限り、体の老化だって最小限に止まるはずなんだ。

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とまぁ~そう思ったのだが、一面で「俺も一括りにすりゃ、老の仲間か」と覚っていた。

ただしかし、だてに老化しやぁしないぞって決意と共にである。

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老いる事は簡単でも、老いるに値する人生を生きるためにはそれなりの覚悟がいる。

どだい、人生の面白さは未知の世界に分け入って行く好奇心にある。

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結果は分からないにしても、目標に向かって挑戦を続けることに生き甲斐があるんだ。

翻って、だらだらと重力に任せて坂を下るような老化には、何の魅力も無い。

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だから痩せ我慢であっても、そんな老化には徹底的に抗戦していきたいと思っている。

「もう、歳だから・・」なんて諦めはまだ早い、これからこそが人生の本番だと思いたい。

何よりも、今現在を謳歌してるんだからね。

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2015年10月 4日 (日)

浜名湖一周マラニック

今日は、浜名湖一周60kを総会に走り終えることができました。

昨年まではずっとエイド担当で悔しい思いをしていたんだけど、

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今年からマラニックに徹することになって、昨年までエイドの仲間もみんな走っています。

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元は私達ランナー仲間が集まって、地元の100kレースを創ろうと始めた試みだ。

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浜名湖と言う資源は、様々なアウトドアの資源になるし、その一役を担う心意気だった。

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過去3年間、みんなで目一杯頑張って一つのモデルを示してきたんだが、

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地元の観光協会も行政も結局何の反応も起こそうとはしなかった。

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ボランティアだけの大会に限界があって、今年から自己責任のマラニックにしたのである。

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100kは午前1時スタート、80kは6時、そして私の60kは8時弁天島スタートである。

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三かは総勢150名程だけど、分散しているしアーリースタートもあって、8時の仲間は10人少々だった。

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走り始めてすぐに汗をかきだしたが、心地良い風があって随分と爽快な走りになった。

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それにT橋さんと二人の走りはテンポも合って、結局55k辺りまでご一緒させて頂いた。

それからエイド、数は少なくなったとは言え、3か所+αのそのエイドが素晴らしかった。

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まぁエイドの皆さんの笑顔と励ましに助けられて、今日もたっぷりとランを楽しむことができたのである。

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浜名湖には、多くの釣り人が出ているし、私達の他にもサイクルツアーやハイク、

ヨットや水上スキーetcと、この大自然を楽しむ人たちが増えているのは嬉しい。

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人生はそれなりに長いんだし、天高い最中何も家に閉じこもっていることは無い。

地域創生の旗が振られているけど、自分達の資源をアクティブに活用することを

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何故もっと考えないのかと不思議に思う。

結局は、施政者の目がそこに届いていないのだろう。

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ともあれ、集まった皆さんもそれぞれに苦しみ、そして楽しんでいたのではないか。

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2015年10月 3日 (土)

汗をかく

無駄な汗が嫌いだから節汗に努めているが、それでも人一倍汗をかいている。

例えば何時もの山を走るにしても、大量の水を背負って常時補水しながら走る人が居る。

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当然ながら、頭のてっぺんから爪先まで汗だくで帰ってくる。

私の場合はペットボトル一本少々で、体が求める必要最小限の補給で我慢する。

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これで人目には「汗、かいて無いじゃん」となる。

半日程度なら後で補給すれば良いんであって、これで十分だと思っている。

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ところが14時間走りづくめのウルトラマラソンとなると事情は変わってくる。

可能な限り水を飲むようにしていて、2.5kごとの給水ポイントではコップ2杯は飲む。

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それでもレース後半になると喉が渇いて仕方なくなるんで、最近ではペットボトル持参だ。

もっとも、そのペットボトルにはかなり濃いスペシャルドリンクを入れていて、

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中味はメイプルシロップに岩塩、それにレモンの搾り汁を入れている。

これを一口含んでは、エイドの水をコップ二杯飲むのである。

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そうやって幾つかのウルトラを走ってきたが、次の日には一日小水が出ないことが多い。

ともあれ、必要な汗は目一杯かくことにしている。

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走ることのみならず、畑を耕すのも人力だし、可能な限り車は乗らないで歩くし、

エアコンは原則として使わないってな具合だ。

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これから温室でのホウレンソウ栽培が始まるが、これは必要以上にに汗をかく。

・・・ってな訳で、一年中汗をかいているのだが、汗と言うものは実に心地良い。

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無駄な汗をかく必要はないが、アクティブな汗はそれこそ生きてるって証拠だ。

そして良い汗は健康の源だし、大いに良い汗をかき続けようと思っている。

明日は浜名湖60kだから、これも良い汗を流せるぞっ!!

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2015年10月 2日 (金)

人生の日切れ切符

夜が明けると同時に、この一日が瞬く間に終わっていって、それに押し流されている感じ。

畑の模様替えやら部屋の片付け、衣替えなどと季節なりに宿題は幾つもあるのだが、

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それよりも、自分が「時」にドンドン押されていて、「これで良いのかなぁ~」って時々思う。

これはひょっとして、日毎に昼間の短くなる秋特有のメランコリーなのかもしれない。

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子供の頃からの好きな言葉の一つに「思則得之」って孟子の言葉がある。

「思えば則ち之を得る」、真剣に思い続けていれば必ずそれが実現するってことだ。

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人生に困難は付き物で、随分色んな谷や川〔困難〕を乗り越えてきたなぁ~と思う。

挫折もパニックも落胆も度々経験してきたけど、でもその度にこの言葉に励まされた。

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そう言やぁ~、仕事のことで10日ほども眠れず、腰周りに水泡が一杯出来て苦しんだこともあった。

「思えば成る」とは言いながら、どう思えば良いのかすら分からなかったのである。

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ともあれ、紆余曲折ながらも前に向かって歩いている時には希望がある。

それがどんなに難しい事だとしても、目標に向かって努力できるって事は幸せなんだ。

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・・という意味で、「あなたが今、目指している人生の目標は?」と問われたら何と答えられるだろうか。

否、妻や子供・孫たちのことではなくって、自分自身のことである。

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昔はあれこれと目標が多くあって、満たされている目標なんて無に等しかったと思う。

だけど今、つらつら考えてみても、これからの骨太な道筋は容易には見つからない。

精一杯燃焼しながらも、目標の無いまま毎日の人生を費消しているって感じかな。

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「精一杯生きているんだから、それで良いじゃん」って声も聞こえるが、何かが不満だ。

或いはこんな感覚は、人生の切符が残り少なくなっての焦燥なのかも知れない。

日暦を一枚ずつめくって来て、その日暦がかなり痩せて残り少なくなっている。

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残りの枚数がどれ程か分からないが、今のうちにやっとかにゃならんって焦燥だろう。

とにかく未だに半分生臭いし、気持ちよく年を取るって難しいよね。

人生の切符が買えるんなら、もう少し買い足したいんだがなぁ~。

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2015年10月 1日 (木)

Perseverance

何もない一日なんて欲しくないって、このところ毎度の様に書き続けている。

だけど現実には、毎日が波乱万丈でドラマチックなんてことがある筈もない。

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例えば冷たい雨になった今日だって、早朝から火事があって・・・・、

学校近くで飼われていた馬が逃げて行方知れず、それで何故か小中学校が休みになった。

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暇になった孫達がやってきた程度がドラマと言えはドラマだ。

ただ、辻立ちも中止になったから、雨の降ってくる前にと、

朝早くから山に出かけて、いつもの15k程を走ってきた。

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山はセミの声もなく静まり返っていたが、一人黙々とウバメガシの林を走っていく。

折り返す頃には雨が降り出して、それでも「今日も走れた」ことに満足感を味わっていた。

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帰宅して買い置きの焼きプリンを食べながら、

何となく「性強く生きる」って、このperserveranceだろうって思った。

「一日一快」って言ったのは誰だったか、花を飾るとか、ケーキを食べる、人と会うetc、

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何でも良いから、一日に一つはちょっとしたワクワク・ドキドキを持とうってことだ。

意図的に一日一快を求めることが、人生を若々しくしてくれるって言うんだよね。

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まったくもって異論はないが、「快」だけでなく、同時に「苦」も大事なんじゃないかと思う。

苦と言っても、私の場合は「耐える」とか「継続」「成し遂げる」なんて意味になる。

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英語のperserveranceは、丁度そんな意味を含んでいるのではないか。

世の中にゃ、一朝にして物事が成就するなんてことは無いからね。

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失敗しながらもコツコツと、辛抱強く続けることで何かが見えてくる。

あぁ〜そうだ、ほら「幸せは、シワと汗で出来ている」??って言うでしょ。

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この歳になってつくづくと、「才は乏しくとも、継続は力だ」って思っている。

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