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2015年11月30日 (月)

冷や水

一般的には「年寄りの冷や水」と言われて、年齢をわきまえない暴挙のことである。

しかし私が天邪鬼な為なのかどうか、この「冷や水」が滅法好きなんである。

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過酷な長距離マラソンは勿論のこと、冬も出来る限り薄着で過ごすし空調は使わない。

鼻風邪くらいならいつもの山を走って体温を上げ、たっぷり汗をかいて治してしまう。

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お陰で歯医者は別にして医者にはとんと縁が無く、未だに掛かり付け医がない。

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そもそもこの言葉には、年配者に対する同情や憐憫と共に年寄り=駄目が含まれている。

「年配者は、その年齢をわきまえた慎重な暮らしを心掛けろ」と言うんだろうが、

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そもそも、夏の暑い日に冷たい水も飲めないような生活は送りたくないだろう。

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第一今じゃレストランだろうがホテルだろうが、あのコップに氷を浮かべたヤツが出てくる。

年寄りだって、飲むにしかずである。

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山に走りに行く時には、トランクに水のタンクを積んで出掛ける。

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走り終わって、このタンクの水を頭から浴びるのだが、

これも正に冷や水で心地良いことこの上ないのである。

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要するに、かつて年配者への警鐘として使われてきたこの「年寄りの冷や水」は、

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まったく逆の意味で理解すべきだ。

歳を取るに従って、兎角あれも止めようこれも諦めようと成り勝ちなものである。

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そして結果的に行動範囲をドンドン狭めてしまって、自分から「老人」になっちまううんだ。

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だからして、やはり冷や水は幾つになっても飲み続けたほうが良い。

そういう訳で、もう既に来年の100kレースを6大会もエントリーしてしまっている。

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2015年11月29日 (日)

らしさなんて・・・

女が女らしくなくなって、大人が大人らしくなく、年寄りが年寄らしくない時代らしい。

女性が男言葉を使っているし、幼い大人が増えて、逆に若々しい年寄りも多くなった。

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価値観や生活の仕方が随分と変わって、昔ながらの「らしさ」が形骸化しちゃったんだ。

例えば「初老」と言う言葉は、かつて40歳の呼び名だった。

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明治維新の担い手が2〜30代の「若者」だったことを思えば流石に実感がある。

人生50年の時代なら、確かに40歳は初老であっても何の不思議もないだろう。

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だけど寿命のはるかに伸びた今日、初老とは一体何歳頃を言うのだろうか? 

或は「敬老の日」があって、大抵は75歳以上の人を対象にしているのだが・・・・?

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何だか胡散臭く感じるのは、ただ単に長生きすりゃ「敬老」 なのかどうか?

どちらかと言えば、本当の「敬老」じゃなくって「軽老」で年配者を憐れむ会じゃないのか?

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本来敬老とは、年配者の生き方や実績に対して敬意を払うことではないか。

それはともあれ、自分は若者なのか、初老か中年か老人なのか分からないのである。

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メンタルで言えば「若者」だし、薄くなった頭を見りゃあ老人だろうが、

しかし、どうにも老人「らしい」生活が身に付かないのである。

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それに、年中あれをやってこれを済ませてと貧乏暇なしで、とにかく忙しい。

忙しすぎて、どんどん歳を取っていくことすら忘れてしまっている。

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・・と言う訳で、10年後(生きていれば)ちゃんと老人になれるのか心配なんだ。

1億総活躍らしいから、しょろしょろしてらんないしね。

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2015年11月28日 (土)

小笠山RC

小笠山とは、新幹線掛川駅の南側一帯に広がる標高264mの丘陵である。

標高の割には浸食がすすんで、かなり急峻な山容になっている。Img_3709

その小笠山丘陵の痩せ尾根を、もうかれこれ20年以上走り続けてきた。

ウバメガシに覆われた緑道を走ると不思議と落ち着いて、色々なことが思い浮かぶ。Img_3710

仕事での行き詰りや日々の雑事なども、走りながらフッと隘路が見えてきたりするのだ。

かつては土日祭日のランだったが、今では定年退職者が増えてほとんど毎日になった。Img_3711

早朝、山頂付近を起点に三々五々山に入り、15k程走って11時過頃には戻ってくる。

15kとは言え、起伏のある山のことだから3時間ほども要するのである。

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そういう休日の過ごし方を20年もしているんだから、山のことは知悉しているし、

共に汗をかいている走友との関係は極めて親密だ。

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だから特に口に出さなくとも、その日の調子やらも含め、

お互いに大抵のことが分かってしまう関係かな。

その仲間の輪が「小笠山RC」である。Img_3714

この20年の間に幾分の世代交代はあったが、基本的には似たメンバーが走っている。

起伏の連続する土道だから、相当に負荷がかかるがむしろ足には優しい。Img_3715

登坂筋肉が鍛えられて走り強くなるし、アスファルトと違って膝を痛めることが無い。

そんな訳でここに集まるのだが、本当は一種の大人のサロンでもある。Img_3716

走り終えて陽だまりに群れ、ワイワイと四方山話に花が咲かせ、それで英気を養う。

人間などというものは、そんな些細もない事でストレスを吹き飛ばすことが出来るんだ。Img_3717

考えてみれば私も、そういう意味で随分とこの山に助けられてきたと思う。

苦しい時も困ったときも、この山を走りながら乗り越えてきた。

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ところで今夜は、その山の仲間の忘年会なのである。Img_3719

慣例になっている民宿に集まって、たっぷりのご馳走を前に話題は昼間の続きだ。

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今年はNさんが醸造した自家製ビールが持ち込まれて、会は始まる前から盛会になった。

乾杯の後は今年の反省やら、来年挑戦するレースへの意気込みに花が咲く。

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ともあれ私達は、こうやって競い合い励ましあって、もう長いこと走っているのである。

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私が今日までやって来られたのも、勿論素晴らしい仲間のおかげだ。

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2015年11月27日 (金)

あなたは誰?

私は長子だった為かどうか、いまだに人見知りをする。

だから新しいコミュニティに入って行く時などは、ものすごく緊張するのが常だ。

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それは見知らぬ人々が皆「あなたは誰?」って、注目している様な気がするからだ。

誰?って言われても、氏名・年齢・出身地・趣味程度のもので・・・

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あれが出来ますなどと自慢する訳にもいかず、簡単に自分が表現できるはずもない。

結局のところ、第一印象で誤解されたりして本当の付き合いに至る何てことは稀だ。

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それに、そもそも「自分とは何か」と言うことすら、本人が分かっていないのである。

まぁ〜分かっているのは、気が小さくて・内気で・自信が無くって・自己表現下手で・・・・、

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緊張すると何時もどきまぎして、そのくせ正義感が強くって・・・ってなことかな。

哲学の本を開くと「我は 我なくして 我なり」と書いてあってまぁ〜訳が分からないが、

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自分ってなぁ〜その周りとの関わりによって、自分になるってことらしい。

つまり、人間は一人では決して自分なんて意識できないってことだ。

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禅問答はさておき、山を走っている時、畑を黙々と耕している時、総じて一人の時、

自分のどこかで「俺って何?」って無意識に思っているのは事実だ。

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生まれてこの方ずぅっと付き合って来たから分かっている筈なのに、それでも分からない。

躓いたり転んだり色々経験してきて、俺ってこんなもんかって漠然としたイメージはある。

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だけど自分のそのイメージと、他から見られるイメージとでは相当なギャップがある。

そんな思いもあって、果たして本当の俺は誰なのかと、又しても逡巡してしまうのである。

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先ほど電話が鳴って受話器を取ると、いきなり女性の声で「あなた、誰?」と言う。

とっさに「それが分からなくって、今困っているんです」と答えたら、プッと切れてしまった。

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2015年11月26日 (木)

歳々年々人同じからず

街頭に立って子供たちを見送っていると、今朝はやけに手先が冷たく感じられた。

思えば今年ももう直ぐ師走を迎えようとしているのだから、冷たくって当たり前である。

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春先には心配する程小っちゃかった子が、もうイッパシの餓鬼気取りで歩いている。

翻って街頭に立つ私は、何も変わっていないのではないかと、フッと思う。

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月日が移り進めば子供たちはドンドン成長していくのに、私は毎年同じ繰り返した。

ほぼ同じレースを走って、同じ作物を育てて・・・・そうして月日を費消していく。

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とは言え、かつてハーフを1時間30分台で走ったのに、今では1時間50分台がやっとだ。

唐の時代の劉廷芝の詩の一節、「年々歳々」を思い浮かべる。

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「年々歳々 花相似たり  歳々年々 人同じからず」だなぁ~と言う感じである。

人生には、安定した自己と他との交流、そして向かうべき方向が必要だ。

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前者は歳と共に体得し交流の幅だって太ってきたが、問題は「何処に向かうか」だ。

生きることであれ、仕事であれ、家庭を築くことや住家を創ることetc・・・次々と、

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かつては次から次へと目の前に目標が現れて、そいつを夢中になってクリアーしてきた。

マラソンだって、自己ベストを次々と更新して、さらに次こそはと意気込んできた。

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しかし今70歳を窺う歳になって、次なる目標は探さねば見つからなくなっている。

年々歳々同じことを繰り返す他無いとしても、私は花ではないのである。

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やはり人生の方向性(明確な目標)が必要だと、切なる気持ちで思っている。

最終的なゴールは別としても、その前に実現すべきものがある筈なのである。

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まだまだ続くこれからの旅は、そいつを探しながらの旅だと思っている。

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2015年11月25日 (水)

文明と環境

先日の豊島で感じたことを、もう一つ書いておきたいと思っている。

それは言う間でもなく近代文明と地球環境のことである。

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古代文明の発祥地はメソポタミア、エジプト、西インド、黄河流域の四つの地域とされる。

これらの地域では森を切り開き、農耕地を拡大させ、その富で都市文明を築いた。

だが今日、このいずれの地域でも森は消えて、むしろ乾燥地帯になっている。

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ヨーロッパ文明の源だったギリシャもしかりで、昔は森に恵まれた豊かな国だったらしい。

しかし今日のギリシャの山には木が無く、川には水もない。

紀元前に栄えたローマ帝国も、周辺の自然環境を破壊し尽くして崩壊したと言われる。

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古代はさることながら、今日の近代文明はもっと大規模に地球を痛めつけている。

オゾン層の破壊をはじめ、石化エネルギー消費と温暖化、全地球規模での森の破壊、

結果としての砂漠の広がり、海洋汚染、重金属や化学合成物質による汚染の拡散。

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何れも、いつかは人類の生存を不可能にする地球の破壊行為だろう。

それが分かっているくせに、私達は「まだ当分、自分の生きているうちは大丈夫だろう」と思って暮らしている。

時代は変わっても、かつて滅び去ったローマ帝国市民と同じなんである。

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豊島の悲劇は、豊島総合観光開発(株)が産廃業を始めて、廃油や汚泥の不法投棄を

10年近くに亘って続けた事に起因するが、当時国中に産廃が溢れていたのも事実だ。

それを安価に処理する方法が、目につかない離島に不法投棄することだった。

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投棄は簡単だが、それを元に戻すには膨大な時間と費用が必要になる。

豊島の場合も平成12年に環境保全に着手してから、もう既に15年が経過している。

豊島だけでは処理しきれずに、隣の直島にフェリーで運んで中間処理をするなど、

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地下水の汚染除去まで考えれば、いつ旧に復するのか見当も付かない。

中国のPM2.5や大河の汚濁はまだ耳新しいことだし、汚染した地球は元には戻らない。

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それでも私達は、「自分たちの豊かさのために」石油を汲み上げ化学物質を合成し続けている。

近代文明とその生み出した豊かさは、地球という宇宙船を汚すことで成り立っている。

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いつかどこかで突然に、その限界が露出するのだが・・・・。

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2015年11月24日 (火)

自分なりの歌

かつての年配者には、それなりの年齢相応のイメージがあった様な気がする。

例えば60歳ならそれなりの風采が、70ならば風貌が備わり、80なら風格が加わる感じだ。

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だけど今、寿命が延びた為かどうか、昔の様な歳相応の貫禄が無くなってしまっている。

一つには元気な高齢者が多くなって、その分老熟ってことが無くなったのかも知れない。

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それに高齢者のイメージを変えてしまったのは、社会全体の変化が大きく関わっている。

高齢者の経験に依存していた生産や生活の知恵が、

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パソコンや高度な機械に置き換えられて、年寄りがあまり必要とされなくなった。

むしろ逆に、年金負担やら電子機器音痴で足手まといになっている面すらある。

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出来るものなら姥(爺)捨て山に送りたいところ・・・・ってな訳で、風貌や風格とは無縁になっちゃった。

・・・・・とまあ、上手い具合に歳をとるってのは中々難しいなぁ~と考えていた。

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そんな折、先日の豊島でお世話になったN田さんご夫妻と接して、

「良い歳を重ねているなぁ~」と感じ入った次第だ。

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N田さんの本拠は神奈川の様だが、20年ほど前に故郷の豊島に家を建て、

今ではほとんどこちらに暮らしておられる様子で、漁船の船出の音など島の風光をこよなく愛しておられた。

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特に奥様は観光客が押しかける「島のキッチン」(レストラン)の担い手の一人で、

その厨房で働くかたわら、社会人大学などで多彩な活動をされている。

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殊に彼女の奏でるフルートの音色は絶妙なんだが、

そのドンと足を地に着けた姿が様になっているというか、素晴らしいと思った。

何と言うか、いろいろと経験してきた人生の風格が滲み出ている感じなんだなぁ~。

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白髪のご主人が又温厚な方で、その奥さんを上手くサポートされておられる。

この点、私なぞは元気なだけが取柄であちこち走り回ってはいても、

悪戯に馬齢ばかりが重なって、髪の毛も薄くなって風采も下がるばかりだ。

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N田さんの様にフルートでも吹ければと思うのだが、フトンをひくのがやっとである。

しかしながら、出来ない人真似よりも「自分なりの歌」しかないと思い直している。

それも、自分なりの歌い方があるだろうし、この先それはどんな歌になるのか・・・。

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2015年11月23日 (月)

希望の海へ

高松港と宇野港、犬島・男木島・小豆島・直島・豊島など11の島々で展開されているのが、瀬戸内国際芸術祭だ。

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海・島・場にかかわるアートをテーマにしていて、18の国・地域の78組のアーティストが参加している。

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かつて宇野と高松を結ぶ宇高連絡船は四国と本州を結ぶ主要街道だったし、

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それ以前に瀬戸内海そのものが古くからの物流の大動脈だった。

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しかし今日、そのいずれの所も過疎と高齢化、そして荒廃地の増加に悩む地域だ。

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昨日まで訪れていた豊島だってこの20年で人口は半減したし、住民の大半が高齢者だ。

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そこに今、世界中から若者が訪れるようになりつつある。

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瀬戸内を希望の海にしようと始まったその芸術祭に、年に100万人もが訪れている。

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アートの展示は、藪や山の中、溜池や廃屋、半分放置されている倉庫、社や学校の庭だ。

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とにかく、電動自転車で巡りながらそのアートを訪ねるのが若者達をひきつけている。

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私達は自分の足で走ってアートを辿った訳だが、実際にはアートは実に難しい。

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アーティストからすれば、誰もが着想するような平凡な作品では注目してもらえない。

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だから兎角前衛的なアートが多くなる訳だが、それを私の様な凡人には理解できない。

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人が「あぁ〜、これは凄い」と言うんで、あぁ凄いのか!と思うだけなのである。

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竹藪の中の溜池に立つ白い柱を眺めて・・・・一体どの様な感動をすれば良いのか?

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古い木造のベットに7つの小石が置いてあって、作家は何を訴えているのだろうか。

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極めつけは豊島美術館の説明のしようのないアート(空間)を何としようか。

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僅かな水滴と空間の造りだす変幻自在なその床を、人々は無言でじっと眺めている。

或は人生だって、この小さな水の塊と同様に虚ろっているのだが、

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はて、自分の人生にとって小さな一塊の水は、どういう意味にとれば良いのか?

いやいや、水そのものが生命のルーツなのであって、私達だって水で出来ている。

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その水の正体そのものがアートなんじゃないか。

宇野港近くにビーナスの彫刻があって、そのお尻に触って願いことをすれば、

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一つだけ願いが叶うとあって・・・・・これは実に分かり易く、早速良き巡り会いを願った。

それに「秋缶アート」ってのも、実に素直で?分かり易かったなぁ。

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ともあれ、凡人がアーティストになるには常軌を逸する他あるまいと悟った次第だ。

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2015年11月22日 (日)

瀬戸の秋

やはり昨夜は、芸術なるものへの感性を巡って、人それぞれのコメントがあった。

さらにフルートの演奏や皆での合唱、朗読などと瀬戸の秋を味わっていた。

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その鍋を囲んでの賑やかだった一夜が明け、天気も良さそうである。Img_3635

そして朝食は、宿の前庭のオリーブの木の下でテーブルを囲んだ。Img_3636

搾りたてのバージンオイルをパンに付けて、熱いコーヒーを戴く。Img_3632

実はわが国最大のオリーブ園はこの豊島にあって、今朝のバージンオイルは、

テーブルの上に垂れ下がるオリーブの実から搾ったオイルだ。Img_3641

その爽やかな食事を終えると永田さんの車に余分な荷物を預けて、走りだす。

今日は家浦港を起点に山を越えて島の南側をぐるっと巡るのである。

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先ずは朝一番、標高345mの壇山の山頂目指して息せき切って登っていく。

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40分程登り詰めると山頂展望台に至り、暫し瀬戸内の島々を眺め渡す。

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小豆島や屋島・五嶮島など大小の島々の絶景は勿論のこと、とにかく瀬戸の空は広い。

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しばしの休息の後、今度は少し離れた所の檀山展望台である。

眼下には男木島・女木島など鬼ヶ島物語に登場する島々が直ぐそばに見える。

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壇ノ浦の古戦場も指呼の間に見渡せて、昔の人々の土地勘を不思議に思ったりもする。

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この山頂部が最も高い所だから、後は心地良い島の下り道が続く。

暫く下って里近くなると立派なお寺に銀杏の巨木が聳えていた。

十輪寺である。Img_3662

この時期、その境内は一面にイチョウの葉がおり敷いていて錦の庭になっていた。

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この豊島はかつて豊島石の産地で、灯篭などの石細工をずっと産出してきた。

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苔の付き易い砂岩だから、利休なども随分と愛用したと伝わる。

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今は安価な外国産に押されて随分廃れてしまったらしいが、Img_3670

境内には幾つもの石細工が残る。

この十輪寺の下は昔からの集落が広がっていて、細い道を辿って「唐櫃の清水」や

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幾つかのアートポイントを辿りながら、鰯浜展望所(魚見広場)に向かう。

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魚見広場の真下を覗くと、そこには沢山の小舟が群がっている場所があって、

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多分アジの群れが船の下に来ているのだろう。

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ともあれ私達はオリーブの畑やミカン畑を抜け、麓の永田さんのお宅に向かってひた走る。

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丁度11時半頃、その永田さん夫妻の別邸に着いたのだが、

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何と夫妻は素晴らしい昼食を準備して待っていてくださった。

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勿論ビールも頂いて、地元産の野菜やタコ、そしてイチゴまでご馳走になったのである。

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ご馳走やらなにやら名残は尽きなかったが、帰りのフェリーの時刻が迫ってくる。

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永田さん宅から港まで、未だ4kほどを残しているのである。

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膨らんだおなかを抱えイグイグしながらも、秋の豊島を惜しみつつ港に向かった。

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途中色々と美術館やらアートを覗いたのだが、それは明日にしよう。

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今日は17kの秋を元気に走ることができた。

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2015年11月21日 (土)

豊島を走る

瀬戸内海は小豆島の隣に位置するのが豊島(てしま)だ。

かつて国内最大の産業廃棄物不法投棄事件で一躍有名になった島でもある。

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今その島は産業廃棄物の始末に苦しみながらも、アートの島として生まれ変わりつつある。

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とは言え過疎化が進み人口は900人(20年で半分)に過ぎないが、訪れるに値する島だ。

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岡山の宇野港に集まったのは15人、豊島フェリーで40分、豊島の安浦港に到着する。

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この辺りは見渡す限り島ばかりで、どの島が豊島かと見渡すうち、

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間もなく永田夫妻の出迎える安浦港に着いて、古民家を利用した民宿に入る。

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直ぐに予定のコースに走り出たのだが、狭い島の中で間違える筈もないと思いの外

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早速二転三転のコース迷いとなってウロウロするうち、例の廃棄物処理場に着いた。

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桟橋に産廃の運搬船が停泊し大型トラックが唸りをあげ、ブルドーザーが動き回っている。

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この施設は昭和50年代後半から平成2年まで不法投棄や野焼きが続いた所で、今はその産廃の危険除去を進めているる。

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あれから二十数年、外からの産廃は一切い搬入されていないのだが、

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莫大な税金を投入して、この地を再生しようと産廃処理が進められているた。

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予定では来年までに地上部の処理を終える予定とのことだが、とてもの事無理だろうと思われた。それに地下水はまだ手つかずだ。

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処理施設で色々とお話を伺って、地下水汚染の除去は予定が立たないそうで、

産廃投棄の後始末の大変さを改めて感じ入ってしまった。

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私達は方向を変え、今度は島の東部のアート地域に向かう。

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目的地は何とも不思議な豊島美術館なのだが、そこに向かう道すがら幾つかの空間アートがある。

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その幾つかを訪ねながら、我が芸術感のその貧しさを思うことになったのだが、

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そのこととは別に、過疎の島とアートは不思議にハーモニーしていると思った。

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やがて目的地の美術館が山の下に見えてきて、それが何と卵の殻を伏せて穴を空けたような建物である。

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入館の順番待ちをして中に入ると、これがまた唖然とすると言うか・・・・・

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作品は床のあちこちに落ちていると説明されて入ったのだが・・・・確かに・・・・

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生まれて初めて体験した「美術鑑賞」で、これはもうここに来て体験する他ないだろう。

美術館を出てさらに半島の先にむかうと、そこには心臓音のアーカイブがあった。

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真っ暗なその部屋に入ると、外国の某さんの心臓音がドンドンと響ていて、・・・・・

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胎内の様な心地を期待していたのだが、何とも得体のしれない生き物のように思ってしまった。

ともあれここから引き返して、ふるぅ〜い宿で今夜は芸術談義かな?

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ともあれ、この島には何か不思議なものがありそうである。

そうだなぁ〜、あちこち迷ったから20k位は走っただろうか。

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宿の外は、港である。

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2015年11月20日 (金)

いい加減

この歳になって、やっと「いい加減」に生きられるようになってきたと思っている。

いやいや、「いい加減なヤツだなぁ~」などと決め付けないで頂きたい。

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無責任と言う意味でなく、良い加減・・・つまり中庸って感覚が少し分かったって事だ。

自分なりのやり方、生き方の様なものを・・・・あぁこんな感じだろうとフンワリ思っている。

だから政治の世界の争いや安全保障法の騒動なども、醒めた目線で眺めている。

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悪戯に対立してみせる彼らの党利党略や無理が透けて見えるからだ。

下世話な話はさておき、やたらムキにならなくなったし多様な生き方も許容出来るようになっている。

それに自分自身、朝起き出してから寝るまのでの時間が、まるでベルトコンベアーに乗っているように流れていく。

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その流れを、やはり覚めた目で見詰めている自分が居る。

馬齢を重ねたお陰で色々な事件や人生の悲喜交々を見て来たし、体験もしてきた。

結果として、人生ってなぁ~こんなもんかと思っているのである。

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そもそも哺乳類は、おしなべて一生に五億回の呼吸と20億回の鼓動をするのだという。

それは象も鼠も人間もほぼ同じで、そいつを一生の間に費消するのが人生だ。

他人を巻き添えに自爆する気違い(テロリスト)もいるが、大抵は大事に使おうとする。

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誰にだって、緊張で心臓が早鐘のように打ったことや息せき切って走ることも有るだろう。

そんなこんなずぅ~っと経験して、「俺のいい加減はこんなもんだ」って感覚になっている。

自分なりの無理をして、冒険だってやって、それなりの達成感を求めてね。

たぶん一人ひとりに「いい湯加減」があるのように、人生にも「いい生き加減」があると思うのだ。

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一種の諦観かも知れないが、出来れはより良い「いい加減」を模索していきたい。

天気を気にしていたのだが、どうやら素晴らしい夕焼けが広がって生きた。

明日は、瀬戸内海のとある島を走ろうとしているのだ。

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2015年11月19日 (木)

柿食えば

エルニィーニョによる暖冬とかで、この晩秋は雨が多いようだ。

今日も全国的には晴れ予報なのだが、私の所だけはどんよりと時に雨が降っている。

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それでも日課の山走りの15kをこなし、午後は雨を押して柿の収穫に出掛けた。

遠州森町は次郎柿の故郷で、もちろん大産地でもある。

その柿園にたわわに稔った柿が放置されていて、(実は管理者が怪我で)収穫を依頼されたのである。

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とは言え、既に半分ほどは過熟状態で・・・・その熟れた柿をたっぷりと戴いて来た。

柿が色づくと医者が青くなると言われるほど、柿は健康に良いらしい。

しかし毎日食べても限りがあるから、近所に配る他あるまいと算段している。

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ところで、熟柿はたっぷりと熟れて落下寸前の柿で、それを啜るのは最高とされている。

柿園には、その熟柿が一面にぶら下がっていて、そいつを落とすのも今日の仕事だった。

熟柿が頭の上に落ちてきたり、とてものこと旨いなどと言っている場合ではなかったが・・。

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ところで、TPPを機に改めて農業悲観論が広がっている。

かてて加えて生産者の高齢化と後継者難である。

食っていけないと分かっている農業に携わる若者が在る訳もなく、高齢化が進んでいる。

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政府がどんな対策を講じようとも、残念ながら所得が少ないのが農業である。

外国から、どんどん安価な労働力で生産したものが輸入されるからだ。

今日の柿園を管理していたのは90歳の女性で、多分来年は無理だろう。

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而して、農村にはどんどん耕作放棄地(荒地)が増えていく。

工業(貿易)栄えて山河なし・・・・・これでこの国は良いのだろうか。

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2015年11月18日 (水)

初老の時

三日坊主でない人間なんて、この世に居ないのではないか。

誰だって三日坊主で終わってしまった経験が、幾つかあるに決まっている。

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呆れる程の三日坊主だから思うのだが、それは見方を変えれば好奇心の現われだ。

3日坊主だからこそ、あれこれと各方面に関心を向けることが出来るんだ。

その三日坊主がどうした事か、このブログだけはもう10年近く書き続けている。

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日記文学では永井荷風の日記「断腸亭日乗」が有名で、彼は42年間書き続けている。

その最後の記述は81歳の亡くなる前日で、日記は彼の生涯の物語だったのだと思う。

言わずもがな大作家の残した日記と私のブログは比べるべくも無いが、書き続けるその気持ちは分かる。

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何も無い一日など無いのだし、考えた事・体験したことを、記録として表現しておきたいという衝動だ。

それも歳と共に、何がしかの生きた証を残したくなる気持ちが強くなる。

年齢と言うのは不思議なもので、前半生の上り坂の時代と後半生の下り坂とでは考えることがまるで違う。

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実際問題、定年退職を境にして体の何処かにポカッと大きな空虚な部分が生まれる。

その後半生では、何故か自分の自然な居場所を見つけ出すのに苦労するのである。

その空虚を埋めるべく自立自尊のための毎日の努力が始まるのだが、

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書き残すって事は、言うならば自分の自立=居場所探しでも有る。

それに何たって自由度が高いから、その気(暇と金)になれば何だって出来てしまう。

そういう意味で、人生初老の時期こそが本当の人生の稔りの時期であろう。

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やはり、「君 須らく記すべし」なんだろうと思っている。

 荷尽己無擎雨蓋 (荷は尽きて すでに雨をささぐる蓋無く)

 菊残猶有倣霜枝 (菊はそこなわれて なお霜に倣る枝有り)

 一年好景君須記 (一年の好景 君須らく記すべし)

 最是橙黄橘緑時 (最も是 橙は黄に 橘は緑なる時)・・・・・宋の時代「蘇軾」

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2015年11月17日 (火)

暮六つ

江戸時代までの時刻は、日の出日の入りが基準になっていて、今日の時刻とは全く違う。

夜が明けた時が明け六つで、日が沈んだ時が暮六つだから、時間の長さは季節によって伸び縮みする。

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因みに6月16日の日没は18時58分だが、11月16日のそれは16時34分である。

この時期(晩秋)は随分と夜長になっている訳だが、昔の人々はその自然のリズムで生きていた。

生活の中心は農業だったから、日長の長い季節に労働が集中していたという訳だ。

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その自然のリズムが時計の24時間に変わった今日、人々の生活は夜も昼も無くなった。

交代制勤務もさることながら、世界は24時間動いていて何時何が起こるか油断できない。

あのパリの常軌を逸した無差別テロしかり、商品や株式の相場だってしかりだろう。

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いやいやそんな大層な事でなくとも、このブログへのアクセスだって22時頃(四つ時)がピークだ。

それに比べて私の生活は、申し訳ないが江戸時代の人々の生活に近くなっている。

大抵暮六つ頃にブログを書いて、夕食を済ますと早々に寝て、夜明けとともに起き出す。

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TVを見ない習慣がそうさせるのかも知れないが、自然と共にってのは案外良い気分だ。

ところで、そろそろ暮六つである。

外は雨になって、もう既にすっかり暗くなっている。

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菜種油の灯かりも惜しんだ昔の人々は、やはり寝るっきゃなかったんだろう。

そういう意味では、私達は凄い時代に生きている。

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自治会の役員を引き受けていた頃は夜の会合が多かったが、随分と安気になった。

この秋の夜長を有意義に過ごすには、如何にせん?

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やはり、読書かなぁ〜。

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2015年11月16日 (月)

椅子一つ

書斎と言うには小さな部屋だが、そこに古い机と椅子があって、そこが私の場(世界)だ。

机は昔叔父のお下がりを貰ったもので、木製の何の飾り気も無い古机だ。

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ただ椅子だけはそれなりに気に入っていて、何時もこの椅子と共に過ごしている。

手に入れたのは45年程前のことで、家具屋で気に入って思い切って買った。

メーカーも分からないが、半世紀もの間毎日使って何の支障も無いんだから優れものだ。

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思えば私の人生は、喜びも悲しみも、考える事も、この椅子と共に過ごしてきた訳で、

あの時(45年前)の買い物は、一つの人生の選択だったような気さえする。

そもそもサラリーマンにとっての椅子は、今だってその身分を象徴するものだろう。

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当時の職場では、当然ながら肘置きすら無いお決まりの事務椅子だったし、

これが係長・課長・部長と昇進するに連れてグレードが変わっていく。

殊更上司の椅子が羨ましかった訳ではないが、やはり家ではそれなりの「自分の椅子」が欲しかった。

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あれから無我夢中と言うか、遮二無二に突き進んだサラリーマン生活だったが、

その一時代が終わって今はほぼ無位無官の自由人である・・・・・と言うか、

輝かしい盛年をとうに過ぎ、今や子羊の如く、哀れにもただ過ぎにし人生の余光を拝しているにすぎない。

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その黄昏時、お気に入りの椅子に座って毎日ブログを書くのである。

悠々自適とは言えないが、現役時代とは比較にならないほど気楽ではある。

日中は畑を耕し、気が向けば山に出掛けて尾根道を走り、疲れればこの椅子に座る。

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そして、これは私の自慢できる唯一の空間かも知れない。

古机は兎も角として、この自由度の高い椅子は長年慣れ親しんだ心地良い環境なんだ。

だから僕は、死ぬまでこの椅子を手放さないだろう。

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 不著衣冠近半年 (衣冠をつけざること半年に近し)

 水雲深処抱花眠 (水雲深き処 花を抱いて眠る)

 平成自想無官楽 (平成 自ら思う 無官の楽しみ)

 第一驕人六月天 (第一に人に驕るは 六月の天)・・・・清の時代(袁枚)

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2015年11月15日 (日)

ジュビロメモリアル

冬もそろそろ入り口で、今年も本格的なマラソンシーズン入りである。

昨夜来の雨もスタートが近くなると止んで、西の方から青空が広がってきている。

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今年は1万2千人程がエントリーしているとかで、流石にスタートは長い列ができた。

だがその列の中から、何人かから声をかけて頂いた。

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何れも懐かしい顔で、「大会に来て良かったな!」って思ってしまう。

それにこの大会は、運動の応援がずっと賑やかだ。Img_3414

中学校や高校の吹奏楽、消防の楽団、幾つもの幼稚園や保育園児の整列。

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勿論ジュビロの選手もあちこちで応援に立っている。

そのジュビロだが昨日の試合に勝つことが出来なくて、勝ち点で三位と並ばれてしまった。

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J1に自動昇格するには、来週の最終節で勝利しなければならなくなったのである。

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ともあれマラソンは、Aさんと一緒だったこともあって相当なハイペースで進展した。

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最後3kmの登りからガクッとダウンしてしたが、それでも心地よく走り切ることが出来た。

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ネットタイム1時間55分6秒、種目順位で78位だから、相当に頑張ったと言える。

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サッカーもマラソンも「気持ち」がその結果に大きく影響する。

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昨日のジュビロが大一番を委縮してしまったのに対して、何だか今日は伸び伸びと走ることが出来たようだ。

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晴れ上がってきた空と風が心地よかったしね。 

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・・・と言うことで、ハーフだからアッと言う間に終わってしまったのである。

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2015年11月14日 (土)

老い来たりて

一か月ほど痛いのを我慢してきたのだが、どうしようもなくなって歯医者に行った。

すると「あぁ、これはもう駄目ですね」と、あっさり残り少ない歯を抜かれてしまった。

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痛んでいたとは言え、長年にわたって私を支えてきた部品の一つである。

共に歩んできた歯は抜かれてしまったが、

しかしまあ改めて思えば、この人生も随分遠くまで来たものだと感じ入る機会になった。

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子供の頃の感覚なら、6〜70年はもう歴史の範疇ではなかろうか。

しかし馬齢は重なりはしたが、気持ちは未だに若く依然として少壮の気分なのである。

身体だって歯・目・マラ・髪を除けば、まだまだ十二分に若々しく使えそうである。

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強いて難点を上げれば、ベットで訳の分からない夢を見ることくらいだろうか。

それも脳味噌の襞に夢の素材が沢山詰まっているからだと思えば、さしたることもない。

しかしながら、歯・目・・・の衰えと、この若いメンタルのギャップはどうしたものだろうか。

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老いは初めての経験とは言え、歯が一本無くなっても、気持ちは何も変わっちゃいない。

まだまだ、あれをしてこれもやってと計画は次々とあって、はて老化とは何なのか。

美人を見れば心ときめくし、新たな挑戦を日々考えている自分が居る。

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来夏には、モンゴルのサンシャインサンセット100kマラソンを走ろうとしている。

今シーズンだって、レースの予定は次々と入っていて、とてものこと老いる暇はないのだ。

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とは言え、一回限りの人生であって、巻き戻しなど出来ようはずもない。

淡々と東の海に向かって駆け下るだけなんだが、要は如何に下るかだな。

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 百川東到海 (百川 東の海に至れば)

 何時復西帰 (何れの時にか復た西に帰らん)

 少壮不努力 (少壮 努力せざれば)

 老大徒傷悲 (老いて後 徒に傷悲せん)・・・・・と漢の時代の長歌行にあった。

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2015年11月13日 (金)

人生の好時節

メタセコイアの樹が、あまり見慣れない紅葉の風景を作り出していた。

メタセコイアは「生きている化石」と呼ばれた樹で、ヒノキ科の落葉樹だ。

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新生代(約6500万年前)の地層から化石として発見される一種のジュラシックツリーで、

絶滅したと思われていたが、1945年に中国四川省で発見されて世界の各地に広まった。

ガーデンパークの一角のその並木が、少し変わった雰囲気を醸し出していたのである。

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人類の出現が600万年前、私達の先祖ホモ・サピエンスの登場はおよそ20万年前だから、

とんでもなく太古の昔から生き続けてきた特別な「樹」なんである。

それはともかく私達の先祖は、その大部分を走ったり地面を掘ったりの狩猟採集で生き延びてきて、

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ようやく農耕が始まったのは1万年前に過ぎない。

・・・ってなことを思ってメタセコイアを見上げていたら、好時節って言葉が浮かんできた。

良い時代に生まれたなってこと、そしてこの紅葉と同様に人生も頃合い良しって事だ。

既に、仕事や雑事であくせくとつまらない事に煩わされることも少なくなって、

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こうして春夏秋冬の変化をゆっくり味わうことが出来る。

殊に目の前には、6500万年もの太古の時代から生き続けてきたメタセコイアの樹が有る。

その悠久の歳月を思えば、私の一生などはケシ粒ほどにも値しないのである。

俗念に煩わされるままに、この春夏秋冬を味わうことなくして何としよう。

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衣食足りて適度な運動に十分な睡眠、仲間にも恵まれて何不自由ない暮らしである。

それに歳とともに顔の皺が増えた分だけ、脳味噌にだって幾分皺が増えているだろう。

いやさ、季節の変化だけでなく人生百般を味わい尽さねばなるまい。

宋の時代の慧開禅師の句には、次のように表現されている。

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 春有百花 秋有月(春は百花有り 秋には月有り)

 夏有涼風 冬有雪(夏は涼風有り 冬には雪あり)

 若無閑事掛心頭 (もし閑事の心頭に掛かること無ければ)

 便是人間好時節 (すなわち是れ 人生の好時節ならん)

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2015年11月12日 (木)

箱庭

今日はブログ用の写真が欲しくって、浜名湖周辺をうろついた。

湖北の丘陵(450mほど)の尉ヶ峰に登って一帯を展望すると、そこは正に箱庭だ。

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都田川の流れの下流に広がる浜名湖と猪鼻湖、そこに幾つもの岬が突き出して、

庄内半島や今切口が繋がって、その周辺部に人々の生活空間が広がっている。

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長年の間、この界隈を右へ左へと走り回ってきたし、実際に自分の足でたどっても来た。

見下ろす眼下の一帯にはかれこれ100万人が住んでいるのだが、そんな風には見えない。

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かつて遠江と呼ばれて琵琶湖に擬せられた所なのに、近江の文化度には遠く及ばない。

そこ住む私たちだって、この箱庭の地勢をさほど意識していないのである。

昭和の初期の頃だろうか、弁天島の一部が埋め立てられた他、さして開発された歴史もない。

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この遠州に住む人々の関心は、湖を埋め立てて広げるよりも産業起こしに向かっていた。

トヨタを初めとしてヤマハ・スズキ・ホトニクスの発祥の地だし、今でも製造業の地だ。

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かつて駿河湾に面した沼津に住んでいたことがあって、富士山を借景にした伊豆半島、

そしてあの底深い駿河湾のパノラマに圧倒されたことがある。

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あれから比べると、浜名湖は確かに箱庭なんである。

人の心も東に行くほど大雑把になって、浜名湖周辺はちまちまとやたら忙しい印象だった。

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その土地によって産する物(農水産物)が違う様に、産業も人の心も色合いを変えるのである。

それにしても尉ヶ峰から見下ろすと大部分が湖面で、人の暮らす所はかなり狭く見える。

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色づき始めたミカンがたわわに稔って、山側の段々畑はようやく活気を帯びようとしている。

晩秋の一時、この界隈で生きてきた自分のことを・・・・暫し佇んで思っていた。

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時代も人も、そして地域も、目に見えなくとも少しずつ変わっていくのである。

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2015年11月11日 (水)

教育にも競争

私は団塊の世代の先頭だから、何時も「狭き門」をやっとの思いで潜り抜けてきた。

だから義務教育はともかく、高校・大学は合格すれば祝電が来る時代だった。

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時代は大きく変わって平成の今日、少子化が進んで中学卒業生の数も激減している。

その少子化に合わせて学校の数や定員が減っているならともかく、少人数学級とかで辻褄を合わせてきた。

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結果的に公立も私立高校も定員に満たない学校が激増している。

かてて加えて、教育の世界には競争と言う考え方が余りない。Img_3351

教師として採用されれば、研修はあるにしても競争の波に晒される事は無かった。

競争のないが故に、依然としてお仕着せ教育がまかり通っているともいえる。Img_3352

しかし時代の波は、生徒が学校を選ぶ時代になったことで徐々に変わり始めている。

今日は私学振興大会があって、教育の進化(個性に即した教育)などのアピールがされたImg_3353

教育は「公立」が前提とされる風潮があるが、高校なら1/3は私立学校が受け持っている。

公私そして私立学校同士が切磋琢磨して、教育をより良いものにしたいとの思いである。Img_3354

言うならば、私立の存在によって初めて、公立も含めた教育の進化が促されることになる。

しかし公立高校授業料無償化は公立学校の話で、就学支援金が出来たとは言え、

公私間の父兄の負担格差は依然として大きい。Img_3355

そもそも高校の場合の公的負担は、公立学校は全額税金で賄っているのに対して、

私学への公的負担はその1/3に過ぎないのである。

余りに少なすぎるのではないかと言うのが、私立学校関係者の一致した言い分だ。Img_3356

それはさておき、今日は高校生の料理レシピコンテストがあった。

郷土の食材を生かして味な味を生み出そうと言うアイディアコンテストなんである。Img_3357

そのアイディアを某ホテルのシェフの手でアレンジし、今日のお披露目となったのである。

いやぁ〜お蔭で、素晴らしい味、否アイティアを堪能させて頂くことが出来た次第である。

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2015年11月10日 (火)

生涯現役

かつて、あの民主党が大きく期待されて政権を取った頃、同じテーマで書いたことがある。

「自分は、生涯現役を目指したい」ってなことを書いたかと思う。

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すると神奈川県のY山さん(民主党員)から、即座に「若者の職場を奪うな」ってコメントがあった。

確かに背景には不況が長く続いて就職難って背景があったが、

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私は「この政権は直ぐ駄目になる」ってその時直感したものだ。

政治なんてものは所詮は夢を売る商売で、政治家自身で何かできるってもんでもない。

それが大量退職を始めた団塊の世代に、政治は何のメッセージも無いじゃんと思ったのだ。

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それからかれこれ7年、政府が一億総活躍の一環で「生涯現役社会」を目指すと言う。

具体的には65歳以上の雇用を奨励すると言うのである。

そもそも近年の少子化の流れで、労働人口(60歳未満)の減少はドンドン続いていく。

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その正反対に、元気な高齢者がかつてないウエイトを占めるようになろうとしている。

その年金負担で、国の財政はアップアップとなるのは目に見えているんだ。

それに勿論個人差があるが、押しなべて75歳くらいまで難なく働ける。

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労働の質だって、昔の様な重労働よりも柔らかな労働の方に傾斜している。

むしろ高齢者ならではの職場、例えばホテルの接客とか、コンビニの店員、コンサルタント、

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ケアマネ、教育の場にも色々ありそうだ。

要するに、社会全体としてそれぞれの出来る役割を発揮できる社会こそ、成熟社会の目指す姿だろう。

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働く方だって僅かばかりの年金で細々暮らすより、働いて得た金を使う方が気持ち良い。

1億総活躍には、被害妄想と言うか世論は必ずしも評価していないが、

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その批判している世論こそ、みんなが幸せに生きられるビジョンを示すべきだろう。

この国の病弊は、朝日新聞など一部のマスコミが生み出している様な気がする。

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2015年11月 9日 (月)

男の哀愁

昨日の10周年式典の帰りに多くの人と逢ったのだが、

その度に側の女房から「主人です」と紹介されて面妖な気分になった。

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まぁ付き合いの広いのは良しとしても、ホントに「主人」と思っているのかどうかである。

そもそも主人とは家長であり、働いて一家の生活を一手に支えている実力者のことだ。

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当然ながら、その恩恵を受ける妻や子は傅いていなければならない筈なのに、

我が家にあって最も尊大なのは山の神であって、主人と呼ばれた当人は口ごたえさえ出来ないでいる。

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そうだなぁ~、我が家にもオヤジの時代までは確かに「主人」が存在した。

オヤジは、正に一家の生活を背負っていたし、何もかもがオヤジ中心に動いていた。

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だが戦地での病気の後遺症で病弱だったから、子供心にも「オヤジに何かあったら大変だ」って思っていた。

貧乏だったけど、オヤジ中心に一家がまとまって生きていた感がある。

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翻って今日、それぞれが働いているとは言え家族はばらばらで、とてものこと「主人」なぞ存在しないのである。

その古い家族制度を破壊したのは、戦後の輸入民主主義だった。

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民法改正で長子の独占相続や父母の扶養義務が無くなった。

それに加えて学校では徹底して権利が教えられて個人主義が蔓延するようになった。

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親子であってもそれ以前に一個の人権だと言う訳で、親が働いて子供を養うのは当たり前

、妻や子はそれを恩恵ではなく権利として受け取るようになった。

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給料の振込みなんてのも、その頃始まったんじゃなかろうか。

結果として、かつての主人の権威は失われ、労働の責任と義務だけが残された。

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働き蜂の様に忙しく働く毎日だったが、夜も帰りが遅いし家では常に孤独だった。

お陰で子供は自由に成長したが、学校では「親に孝行」を教えないから、父親には反抗で報いるようになった。

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かくして、かつての「主人」は下宿人になり下がっ・・・否、濡れ落ち葉・居候になったのだ。

・・・・とまぁ、孤影悄然と寂しい限りだが、

元気に登校する子供たちを見ながら、働き蜂ってのはそんなもんさと思っている。

あぁ〜、民主主義万歳!!

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2015年11月 8日 (日)

ビリーブ フューチャアー

未来をみつめ 未来を信じ 未来を拓く・・・・市歌に盛り込まれている歌詞だ。

言うでもなく人は「何時か輝く未来へ・・・」と思うからこそ、前に向かって歩めるのだ。

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そういう意味で、未来と言う言葉には無限の明るさがある。

今日は市政施行20周年記念式典があって、どうやらそのテーマが「未来」だった。

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少年達のマーチングバンドに始まった式典は、市政功労者等の表彰の後、

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あのラグビーの五郎丸歩さんとマレ・サウさんの登場である。

何度もヤマハスタジアムで観戦してきたから、あのポーズは少し変と思ってたんだけど、

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今度のワールドカップで世界的に認知されてしまった。

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ともあれ彼らも近くに住むこの街の住人なのである。

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続いてアカペラグループINSPiによる演奏で、やはりメンバーの一人が町の出身である。

伺うところによるとこの冬からNHKのみんなの歌に登場するらしい。

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ともかく、これがアカペラ?と思うほど多彩な音域を出してしまうグループである。

INSPiの演奏を堪能した後は、

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シッペイと共に登場した福田こども園の園児達と新採市職員のシッペイダンスになった。

見附宿に伝わる悉平太郎伝説に因むユルキャラだが、もうすっかり定着した感がある。

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その次が未来を担う子供たちが登場し、「こども憲章」のお披露目である。

昨年の何回かのこども会議会議に始まって、策定委員会が設けられ検討してきたものだ。

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私も関わらせて頂いたものだが、子供たちによる子供たちの憲章が一番だろう。

そしていよいよフィナーレが、今春出来たばかりの市歌の全員合唱であった。

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私自身も色々と関わってきたって事もある為か、素晴らしい式典だったのではないか。

それ(式典)はともかく、自分自身の未来は如何なものかと考えてしまった。

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年配者にとっては、歳とともに未来は狭くなっていくのである。

後代に託する未来はともかく、自分自身の未来を明るく切り拓く事を考えねばなるまい。

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2015年11月 7日 (土)

人生の曲がり角

年の瀬が近くなってきて迷っていたのだが、今年から年賀状を止めようと思う。

正月に届く分厚い手紙の束は、社会的活動の証なのかも知れないが、

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何だか古習に過ぎなくなって、如何にも形式的で「もう、いいだろう」って気になっている。

必要があれば、一斉メールの配信ってやり方もあるし、このブログで挨拶だって良かろう。

心配なのは賀状でしか音信の無い人に「彼奴も、死んだか!」と思われることだが…。

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まぁ〜何時かは死ぬんだし、それでも良いか〜って思っている。

思えば、どんどんどんどんと付き合いを広げて来た青年期から壮年期があった。

そいつを何時までも広げたままで居る訳にはいかないんで、どっかで清算する必要がある。

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仕事だって同様で、若い時と同じようにしようって方が間違っている。

隠棲して好きなことをして暮らす・・・と言う訳にはいかないが、そんな頃合いなのだ。

今日も山で「随分、薄くなったね」と言われた…勿論髪の毛のことである。

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好きで歳をとっている訳ではないが、もう古希に近いと思うと他人事の様に年齢を思う。

他人事だと思うのは、その古希を迎えんする男が100kを走り、来週もジュビロMを走る。

世間一般の常識から推し量ると、どうにもギャップを感じてしまうのである。

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山から帰ると手に鍬をもって畑を耕し、今日もホウレンソウを播いた。

もう一週間もすると、播く所が無くなってしまう。

それでも彼らは日一日と成長し、若々しい生命力を見せてくれる。

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けだし人間は、人生の曲がり角を悟りつつも、精一杯生きることが肝要だろう。

古希を過ぎたって、やる事は無限にあるのだから。

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2015年11月 6日 (金)

人生の三本の柱

毎日、ホウレンソウを播いている。一人で黙々と、一粒そして一粒と播いている。

単純な作業の繰り返しで、何にも考えずに黙々とその作業に徹している。

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私の性分が内向きと言うか、そんな具合に一人自分の世界に入り込んでいることが多い。

考えてみれば走ることだって、農作業やこのブログを書くのだって一人の世界だ。

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しかし人間は孤独な存在だとは言え、一人だけで生きることなんてできゃしない。

人間には、自分を支える三本の柱が必要らしく、そのバランスをしっかり取れという。

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その三本とは「自分の世界」であり、「親しい人達との関係」と「目標を持つ」ことだ。

「自分の世界」は、本を読んだり物を書いたり、或いは一人で酒を飲んだり考えたり。

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人の存在感や重みは、どうやら一人での過ごし方から生まれてくるような気がする。

とにかく自分だけの世界だから、自分で創り上げる他無い。

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まぁ〜私の場合には、このエリアがかなり大きいかも知れない。

と言って一人では折れてしまうんで、どうしても「人と人の親しい関係」が必要になる。

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家族もさることながら、人生には仲間の存在がどうしても必要だ。

そもそも人生とは、人と触れ合うことだろうと思っている。

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四半世紀の間ランニングを続けてこられたのも、仲間が居て切磋琢磨してきたからだ。

このブログだって、10年近く書いてるのも読んで下さる人に恵まれたからだ。

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勿論畑仕事だって、収穫物を愛でてくれる人が居るから励むんだ。

事ほど左様に、人と人の関係が人生の起爆剤になっている。

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それに三本目のアチーブメント(心の羅針盤)は、生きることに方向性を与えてくれる。Img_3007

試しに目的地も無しに車を走らせたとしたら、・・・・?Img_3006

一体全体何処に向かってよいのか困るのは必定だろう。Img_3005

目標を立ててそれに挑んで行くって事は、やはりこれは人生の重要な支えになる。

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そんな訳で、私も後の二本の柱をもっと太くしなきゃならんと思っている次第だ。

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2015年11月 5日 (木)

田を濁す

もう死語になっていて、その意味すら想像出来なくなっているのだが、

この言葉は私が子供の頃耳にしただけなのに、今でもその情景と共に思い出す。

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戦後暫く経っても、田を耕すのは人力中心の大変な作業だった。

正月2日に「田起こし」の祭りをして、以降あの広い田圃を鍬一本で起こしていくのである。

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三本鍬で起こせるのは一度に稲一株ほどで、それを隅からぽっくりぽっくりと起こしていく。

気の遠くなる作業だが、暗くなるまで要して田圃一枚を耕しおおせるかどうか・・・。

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急いて耕せば息が上がって、30分程もしないうちに動けなくなってしまう。

だから一定のリズムで、ぽっくりぽっくりと耕すのである。

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春先になると田に水を張って、代掻き(均平にどろどろにする)作業になる。

これも大変な作業だが、急かずにじっくりじっくりと田圃を均しながらどろどろにする。

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そんな作業を横目に「大変だねぇ〜、もう少しだぁ〜ね」と、近所の人が通り過ぎていく。

そんな時、疲れた腰を伸ばしながら「ぼつぼつ行っても、田は濁るでねぇ〜」と答える。

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昔の農村のどこにでも見られた風景なんである。

コツコツと耕していれば、やがて何時かは田植えの出来る状態になると言うのである。

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そんな60年も昔の風景を、畑を耕しながら思い出すのである。

ホウレンソウを播く畝は40m程もあって、端まで耕すのにかなりの時間を要する。

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「あぁ、えらい・」と一息つきながら、「ぼつぼつ行っても・・」とこの言葉を反芻している。

それに100kウルトラマラソン・・・、あれは途方もなく根気のいる競技で、

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「もう、止めよう」と言う誘惑に常に晒されるんだが、やはり「ぼつぼつ行っても・・」を思う。

一枚の田圃だって何日も何日も汗を流して、そうやってこの国の人々は生きてきたんだ。

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「お前は、その子孫だろう」って思ってね。

何も耕耘機を買えば楽が出来るのだが、農耕民族の末裔は頑として鍬をふるう。

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やがて、田が濁るまで。

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2015年11月 4日 (水)

次なる仕事

帰宅すると、90歳を過ぎたお袋が鍬を振り上げて畑を耕していた。

子供達が芋を掘って踏み固めたところで、私が耕しあぐねていた部分である。

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「あんたが大変だから、少しでも・・・・」と言いつつ、自分の出来ることを探している。

母親は、生きるって事は何事かをやることだって確信しているようだ。

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これがスズメやハトならひたすら食うことに専念し、生殖・育児を終えればそれが一生だ。

人間は食うためにゃ働かなきゃならないし、その後半生がとてつもなく長い。

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それに人生は先行き何がある分からないのに、それでも延々と生きなきゃならない。

本来あとが無い人生を目論見や打算、そして努力や希望で先を創って生きている。

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さらに人は高齢に成ればなるほど、現実に残りの時間(あと)が無くなるのである。

だから、憑かれるように「次の仕事は何をやろう」って考えるのだろう。

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私も白菜・キャベツの次はレタスを植えて、エンドウを播いてと次々と仕事を創っている。

この点畑仕事は季節ごとに際限が無くって、しかもエンドレスなんである。

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貧乏暇無しと言うが暇が無い方が幸せだし、高齢者にとっては老化を防ぐことにもなる。

近世になって寿命が延びたのは、医療の発達もさることながら、

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娯楽や趣味を含めて私達の「やること」が激増したからではないか。

その気に成れば世界中の旅も出来るし、ゲートボールならずとも無数の娯楽がある。

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ともあれ、人間長生きをしたかったら「自分の仕事」を創ることだと思う。

ボランティアであれ遊びであれ、出来れば世の為人のためになることがベターだ。

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それも楽な事じゃなくって、自分に少々の無理をさせるくらいが丁度良い。

ウルトラマラソンも、自分を試すには絶好の機会だしね。

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そんな意味で、遊びごとにも仕事にも恵まれた自分はラッキーだとつくづく思っている。

次なる仕事は限りなく、そして目標はお袋と同じピンピンコロリだね。

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2015年11月 3日 (火)

ベスト4の壁

家庭であれ学校であれ、教育の要諦はその子供に自信を付けさせることである。

四囲知らないことばかりで不安と共に成長している子供達にとって、

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褒められるってことは何にも代えがたい喜びだ。

褒められりゃ次も頑張ろうってなるし、

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それに何より「自分にも、やりゃあ出来る」って気付くことができる。

何事も「どうせ、出来ないさ」と思ってやる馬鹿はいないんで、

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根拠がなくても「何とか出来んじゃないか」って思うからこそ挑戦するんだ。

私の関係している学校は文武両道、生徒の長所を見出して伸ばすことを目指している。

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勉強でもスポーツでも文化面でも何だって良い、一芸は百芸に通ずで、

自分の得意を伸ばしているうちに、だんだんと横幅だって広くなっていく。

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難関大学にも毎年進学しているし、剣道をはじめ野球やサッカーの実力は群を抜ている。

私自身はお仕着せの教育を受けてきて、暗く重っ苦しい高校時代を過ごしてきたが、

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あの時代に得たものって何も無かったような気がしている。

そんなお仕着せの教育よりも、若い時には色々やって思いっきり羽ばたいてみることが必要なんだ。

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前置きはともかく、今日は富士総合運動場にサッカー準々決勝の応援に出掛けた。

サッカーも野球も準々決勝までは毎年のように顔を出しているのだが、ここが突破できない。

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それで今年こそとの思いで出掛けたのだが、相手は最強豪の静岡学園である。

サッカーは、技量もさることながら「気」のスポーツでもある。

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今年も優勝を目指すチームの気に飲まれたと言うか、終始ボールを支配され、

前を向いてボールを運ぶことが出来ない。

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それでも後半一点を返したが、結局3-1で敗戦となってしまった。

ともあれ、近年はこのベスト4の壁の前をウロウロしている。

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サッカーも野球も、もう一つ脱皮するための何かが必要なのである。

それは「自分たちにも、必ず出来る」って気持ちかも知れない。

これで秋の大会は終わったが、今度は勉強で借りを返すんだ。

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2015年11月 2日 (月)

今日もまたかくてありなむ

今朝から随分久しぶりの雨になって、・・・窓の外を眺めながら昨日の小笠山トレランのことを思っている。

人と言うものは、歳と共にそれなりの新しい事実と出会いつつ生きるものらしいってことだ。

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昨日のマラニックの後半で一人の若い男性(41歳)と一緒になった。

黒装束で一見かなり走り込んでいる様に見えたが、相当に疲れて少し足を引き摺っていた。

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その疲れを若さでカバーしつつ、何とかゴールまで辿り着こうと必死な様子だった。

5kほど一緒に走りながら、気を紛らすつもりで山や植物のことなどを話した。

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六枚屏風に降りて「何故、こんな地形が生まれたんだろう?」って話がきっかけだった。

彼は初めてのトレイルでその大変さに驚きつつ、

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それに加えて、私の様な年配者が元気なのにも感心している様子である。

考えてみれば四半世紀もの年齢差があるのに、若い彼を私はリードしていたのである。

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山を走るにはそれなりの「登坂筋肉」が必要だってことも、お話ししたかな。

ともあれ、その若い好男子と一緒に走りながら、逆に自分の年齢を考えてしまった。

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振り返れば、私がランニングを始めたのは彼と同年輩の頃で、

もうかれこれ四半世紀も走り続けてきたのである。

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彼と一緒に走りながら、昔の自分と一緒に走っているんじゃなかろうかって思った。

つまり若い若いと思っていたのに、突然現実の自分の年齢を感じてしまったって次第だ。

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つらつら思えばこの四半世紀、西へ東へとあくせく生きてきて、

昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなん・・・なのである。

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好きで馬齢を重ねた訳ではないが、人は生まれ人は歳を重ね、やがて人は死ぬのである。

少しばかり感傷的になって、何故か島崎藤村の詩「千曲川旅情のうた」を思い出している。Img_3268

 昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ

 この命 何をあくせく   明日をのみ 思いわづらふ

 ・・・・・いくたびか栄枯の夢の・・・・中略・・・・・

 過ぎし世を 静かに思へ  百年も 昨日のごとく

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2015年11月 1日 (日)

びっくりぽん

今日も一日、十分に疲れて楽しい一日を過ごすことができました。

たかだか26,4kmに過ぎないんだけど、小笠山は想像以上にタフなトレイルである。

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甘く考えて走りだすと、大抵は最初の6kmでギブアップと言うことになりかねない。

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ともあれ9:30エコパスタジアムをスタートして、標高264mの山頂を目指す。

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この最初のエキサイティングコース6kmが最もアップダウンの激しい尾根道なんだ。

でも今年は、初めての人が多かった割にはスムーズにこの6kを乗り切った。

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頂上を過ぎた所のエイドステーションには、私たちの仲間も含めてホットな出迎えがある。

ここでビールと美味しいカレーを戴いて英気を養い、次の12kmに取り掛かるのだ。

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この私達が何時も走っている12kは、一気に260m近く登ってきた後ではかなりきつく感じる。

それでも淡々と走り続けて、と言うか・・・

「あぁ、大変だなぁ〜」って思っても、それも一時の過去のことになっていく。

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最後尾近かった私達は、次々と折り返してくる皆さんとすれ違いながら進む。

やがて折り返し地点に辿りつくと、そこには「びっくりぽん」と書いた立て札があった。

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この一言(符丁)を読み取るためにはるばると走ってきたのである。

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それからエイドの地点まで戻って、再度ビールを戴く。

ゴールの「つま恋」までの7kmは、全体的に下りで気持ちもかなり楽になる。

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下りに入るところに「6枚屏風」と呼ばれる珍しい崖がある。

長い年月が造り上げた小笠山の地形ならではの自然の造形だ。

その谷に降り立って、しばし幽玄の世界に入り込む。

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そこからは、もう一気に下ってゴールを目指す。

ゴール近くに、U野さんの親戚の方々が揃ってエイドを設けて下さっていた。

それがビールにホルモンを焼いて、トン汁やら甘酒と至れり尽くせりなんである。

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誠にもって感謝のしようもなく、・・・後ろ髪を引かれる様な思いでゴールに向かったのだ。

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ゴールのエコパゲートには15:25の到着となって、今日のランは終了である。

で、そのハイテンションのまま今度はつま恋の森林の湯に向かった。

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ゆっくりと温泉に浸かって、恒例の完走パーティーが盛り上がったのは言うまでもない。

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それにしても、この秋の一日をたっぷりと汗をかいて楽しんだトレイル。

色々な時間の過ごし方があるだろうが、大変タフだけど素晴らしい時間だと思う。

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