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2015年12月31日 (木)

今宵は初夢を見ん!

年の瀬に立って振り返り見ると、この一年のこもごもが幾つもの丘に重なって見える。

あそこも、向こうも辿って遥々歩いてきたなぁ〜、それも息せき切ってのことだった。

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人は「あの山に登ろう!」と思わない限り、わざわざ大変なことをすることは無い。

何もしなければ、一年経ってもその後には何も残っていないだろう。

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大変だろうが何だろうが、何事かに挑めばやはり自分の中に何かが残る。

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そういう意味で精一杯走ったし足跡も残ったのだから、良い一年と言うべきだろう。

4月に6年間務めた自治会連合会の役員を退任して、やれやれと安堵の年でもあった。

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ランでは1月の宮古島、4月の富士五湖と続いて途中リタイア余儀なくされた。

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足の踵の骨折やら肉離れと苦渋のスタートだったが、それも何とか持ち直してきた。

そして5月の八ヶ岳、富士山一周、高山の三週連続ウルトラを完走し自信を取り戻した。

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夏のヨーロッパ旅行では、マッターホルンの中腹まで登り、

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併せてあの空気の澄んだスイスの各地やローマの街をも走ることが出来た。

それにしてもマラニックなども含めて、随分とあちこちに出掛けたものである。

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最も思い出深いのは、仲間とともに訪れた北海道の余市や函館、美瑛などだ。

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あの広々とした大地の限りなく続く直線の道・・・パッチワークの様な畑を横切って・・、

宿での語らいなど過ぎてみれば夢の様な一時ではなかったか。

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そして先ほど、来年の暦を付け替え終えたところだ。

さて来年最大のイベントは、モンゴールの原野を走る100kウルトラマラソンである。

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だがその前に来月の宮古島100kをはじめ、高山や余呉湖など5大会のウルトラが控えている。

年齢の増高とは裏腹に益々アクティブに動き回ろうと言う魂胆である。

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それで昨年の轍を踏むまいと、今月は今日までに430kを走り込んだ。

来月の宮古島を快適なランでクリアーして、その後の展開に弾みをつけるつもりだ。

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と言う訳で、今夜は一足早くモンゴールの大平原を走っている夢でも見ようかしら。

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2015年12月30日 (水)

走る仲間と共に

「遂に・・・否、とうとう12月30日だ!!」と思わざるを得ない。

無為に一日一日を費やして来たつもりはないが、やる瀬無くも月日の方が上手である。

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あれもこれもと戸惑っているうちに、月日はドンドン過ぎ去ってしまうのだ。

しかし、その時を追いかける様な気持ちもあって、今年も随分とあちこちを走ってきた。

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各地のマラソン大会やマラニック、そしてウルトラマラソンだ。

私が走り始めたのは、ほぼ25年前からのことだ。

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仕事づくめの毎日じゃ駄目だと気付いて、少しずつ体を動かそうとしたのが始まりで、

最初は昼休みに駿府公園の堀を回ることから、次第にマラソン大会に出るようになった。

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最初の42.195kを走り終わった時にはよれよれだったけど「こりゃ、凄いぞ」って感激した。

それから5年程して、自分を試すつもりで2年がかりで八ヶ岳野辺山100kマラソンに出た。

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最初のウルトラは無理を若さで押し通して、14時間の制限時間の3秒前にゴールした。

宿に帰りついても階段の昇り降りができずに、這って移動するほどのダメージだった。

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それが何時の間にかウルトラを年に6大会は走るようになり、今は私の日常になっている。

殊にマラニックはスポーツでありレジャーであり、多くの走友おとの出会いの場でもある。

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このマラニックのお蔭で、日本列島の最東西南北端にも、北海道央や小笠原にも足跡を残すことが出来た。

単なる旅行ではなく、自分の足でその地まで数十キロを走って出掛けるんだから感慨もひとしおだ。

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まさに、マラニックによって人生を謳歌してきたと言っても過言ではないだろう。

勿論今年も北海道を始めとして、瀬戸内海の豊島など彼方此方を堪能してきた。

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そしてその度に、肝胆相照らす親しい友達が増えるのである。

そんな具合で、今年も仲間と共に走った思い出に満ちた一年になった。

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それにしてもこの一年、瞬く間に終わってしまう感があるが、その分充実していたと言うことだろう。

みい〜んな、走る仲間のおかげである。

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それに走る仲間は、みんな前向きに生きているからね。・・・人生が楽しくなるんだ。

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2015年12月29日 (火)

食卓の思い出

この北風の吹く時期は、自分の育てた野菜でキムチを作るのが習慣になっている。

白菜・人参・大根・ニンニクは自家製で、リンゴとセルリー・塩辛・キムチの素は買ってくる。

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その時々によって辛子や塩が効きすぎたり味は色々だが、これが旨いんだ。

子供の頃から何かを作るのが好きで・・・、それは多分に親父の影響だと思っている。

親父は母親を15歳くらいで亡くし、長兄が戦死したこともあって家事一切を担当してきた。

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親父が復員して私が生まれた訳だが、物日には必ず親父が調理を担当した。

芋汁やカツオのお叩き、それに飼っていた鶏をつぶして白菜鍋などだったろうか。

終戦直後の食べる物の無い時代で、サツマイモばかり食べて育ったから、親父の料理はいつも楽しみだった。

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その頃(10歳)から晩飯の支度は私の担当で、へっついでご飯を炊いて、みそ汁を作って、

暗くなって野良から帰ってくる両親を待つのが日課だった。

その合間に豆菓子を作るのを覚えて、がん豆を一晩水に浸しておいて頭に包丁で切れ目を入れる。

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それを油で揚げると切れ目がそり上がって、そいつを塩を振って食べるのである。

今ではツマミ菓子として市販されているが、これが空きっ腹には殊の外旨かった。

それはともかく、家族ってものを深く意識したのは、その一つテーブルを囲んで、

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互いに顔を見合わせながら倹しく食事する・・・あの風景からだ。

親父の機嫌の悪い時、母親のため息や苦情、明日をどうしようという心配、

当時の農家の生活は大変だったし、険悪な夫婦喧嘩を必死で小さな子供の私が止めたこともあった。

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家族の置かれた環境が雰囲気として幼い私にも伝わってきたし、我慢することや、

勇気を出すこと、家族の絆の中から自分の直面する困難を乗り越えることを学んだ。

だから食卓=家族の思い出なのである。

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翻って私が家族を作ったとき、遠距離通勤で大抵の夕食には父親の私はいなかった。

食材も家計も何不自由なくなったのに、かつての食卓の風景は無くなっていた。

故に子供達には父親の苦労や世の中への関わりなんて、全く知らなくて育ってしまった。

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食卓には世界の食材が様々に並び、沢庵に味噌汁の時代とは様変わりした。

しかし、そこにあの父親のいる食卓の風景は無い。

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私の家族の思いでは、あの貧しかった10歳前後の家族の風景なんだ。

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2015年12月28日 (月)

時の羽ばたき

残りの数日で、「安」に象徴されたこの2015年も幕を閉じようとしている。

人は明日の事ばかりを考えて暮らすものらしいが、この時期ばかりは過去に見とれて過ごしている。

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勿論悲喜こもごもで色々とあったが、総じて思い出すのは楽しい事ばかりなんである。

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中でも幾つものマラソン大会やマラニックは、仲間との出会いを含めて思い出深い。

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八ヶ岳から高山ウルトラ、欧州の旅もあり、浜名湖や三島・沼津、秋山郷や夢街道etc。

朝早く出かけて暗くなるまで、走って語らって、そして楽しんで、

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その一日は正に時を忘れるというか、夢中で過ごしてしまう。

あの試練に晒される100kウルトラの14時間も、過ぎてみればたったの一瞬に過ぎない。

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それがマラニックならなおのこと、話しながら並走すれば時間など忘れてしまう。

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そんなラッキーな時間を数多く過ごしたんだから、今年の人生も満足しなければなるまい。

思えば人生の、この時の流れの中で変わらないものなど何一つ無い。

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恒久普遍に思われる銀河系宇宙だって、時々刻々とその姿を変えるんだからムベも無い。

人は誰もが浦嶋太郎が開けた玉手箱のように、一年一年と老いて行くのであって、

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やがてその夢中で過ごした興奮と陶酔の一年だって、泡沫のように消えてしまうものだ。

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しかしそんな時の残酷さに打ち勝つ為には、沢山の思い出をしっかりとため込むことだ。

それに人生にゃ何があるか分からないし、やはり思い切って飛び立ってみることだ。

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禅の言葉にも「冷暖自知」とあって、何事も自分で体験してみなきゃ分からない。

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その跳躍の中にこそ、輝ける時のはばたきが在るに違いない。

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懸命に、そしてある時は惰性で生きてきたが、何歳になったって人生は計り難い。

反省もし、これで良かったと安堵もし、総じて気儘に生きた一年ではなかったか。

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それにしても、もう直ぐこの一年も玉手箱の煙と共に消え去るのである。

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2015年12月27日 (日)

マンドリンの一時

歳末の一時を、滔々と流れ溢れる音の世界に身をゆだねていた。

浜松マンドリンオーケストラの第42回定期演奏会である。

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アクトシティ浜松の中ホールはほぼ満席で、団員の皆さんの大変な努力の結果だろう。

それに団員50人余に加えてパーカッション、テノール歌手平尾憲嗣さんも登場する。

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先ずは第一部のイタリア・カンツォーネから始まり、平尾さんがオー・ソレ・ミオなどを歌う。

音に身を任せていると歳末であることを忘れ、うねる音の流れにうっとりとしてしまう。

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第二部は歌謡曲のメドレーで、かつて御馴染みの歌謡がマンドリンのアレンジで

次から次へと楽しく続くのである。

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さても十分楽しめたと思った頃、その第三部が始まったのである。

第三部は磐田東高や西遠女子学園、浜松市立高の生徒たちも加わって、100人の演奏だ。

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そしてその曲目は、鈴木静一作曲の交響譚詩「火の山」であった。

火の山とは阿蘇山のイメージらしいのだが、100人のつまびく音が川になって流れ始めた。

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その川の流れが静かな流れから怒涛の様な流れに変わり、また静まっていく。

人生の脈動のように…そう、音楽も実は人生そのものなのではないかと思った。

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一人一人の音はそれぞれでも、その音が寄せ合わさって一つの時代を創っていく。

それが指導者(指揮者)次第で素晴らしい時代にもなり得るのである。

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時に五木の子守歌の旋律が浮かび上がって消え、また荘厳で地響きのするような流れになる。

「・・・・ぼんぎり、あん人達ゃおらんどー・・・・」心の中で調和していた。

そしたまた、「そうだ、音楽は人生のドラマだ。」と思った瞬間に全身が熱くなって、

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どうしたことか、留めなく涙があふれ出してきたのである。

さしたる苦渋を舐めてきた訳ではないが、当然ながら人生には山谷がある。

そうした幾つかの経験があるからこそ、音の中に人生を感じてしまったのである。

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万雷の拍手とともに演奏は終わり、私は慌ててハンカチで顔を押さえていた。

気楽にマンドリンを楽しみに出かけたのに、・・・・思いがけぬ体験をしてしまった。

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2015年12月26日 (土)

浜石岳トレランへ

駿河湾を見下ろす標高707mの浜石岳が、今日のランの目標地点である。

千メートルを下回る山に岳と付くのは珍しく、それだけ360度眺望の利く特異な山なんだ。

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ともあれ暗いうちに清水を目指し、8:30に駿河健康ランドを元気にスタートする。

間もなく山に入って少し登ると、旧東街道の難所だった薩た峠に出る。

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言う間でもなく、ここからの眺望は我が国有数の景観にして無二のものなんである。

駿河湾に浮かぶ富士山と、その間を走り抜ける幹線道路のシルエットは絶妙だ。

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その峠の道の途中から浜石岳に向けて急坂を分け入っていく。

ミカン畑を抜けると直ぐに孟宗岳の林が続き、やがて杉ヒノキの根株を飛び越しながらの登山だ。

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はぁはぁと息を切らせながら登っていく途中に「立花池」があって、ここもコースなんである。

暫く下って山中の池を確認し、再び登り返して山頂を目指す。

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兎に角みんな元気で、野猿の群れの様に奇声を上げながらその悪路を掛け登っていくのである。

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まぁ、追いかけて行くのが大変と言うか、必死で後を追ったのである。

その甲斐あって11k余を登り詰めて頂上に近づくと、何と富士の頭が浮かび上がってきた。

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その山頂からは富士山はもとより、駿河湾の向こうの伊豆半島、日本平、箱根、

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そうして北に目を転じれば明石岳などの南アルプスが浮かび上がってくる。

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何よりも浜石岳そのものが、駿河湾に浮かび上がっているかのように感じられる。

その頂上で、こもごもにお弁当を戴いたのである。

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たっぷりと汗をかいて登って来て、この和気あいあいの一時に「良かった」を噛みしめる。

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一時間近く眺望を楽しんで、今度は由井の街に下って、広重美術館に立ち寄って、

そこから東海道を西に、スタート地点の健康ランドまで戻るのである。

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強い西風に前かがみになりながら、ひたすら温泉を目指して進む。

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14:30分頃にはその温泉に着いて、ゆっくりと体を温めたのだが、この温泉・・・

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様々な泉質の湯舟があって、その10余りの温泉を梯子しつつ疲れをいやす。

勿論湯から上がれば、今年最後の忘年会である。

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温泉の12階レストランだから、まさに絶景の眺望であって・・・今年も良い年でありました。

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2015年12月25日 (金)

あのころ

あなたは、「あのころ」って言われて、どんな頃を思い出すでしょうか?

長いこと人生をやってくると、その「あのころ」を夢の様に思い起こすことがある。

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子供の頃のこと、学生時代のこと、仕事に追われていた頃のことetcである。

その「あのころ」は、変化の少ない江戸時代以前の人々にだってあっただろう。

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だけど長寿社会に生きる私達の方が、遥かにその選択肢と余裕があるのではないか。

しかし「過去のどの時代に戻りたいか?」と改めて問われると、「ハテッ?」と考えてしまう。

自分の人生における一番良かった「あのころ」は何時かと言う事である。

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正直のところ、辛かった事や苦しかった事・大変だった事の思い出は幾らもあるのだが、

何故か嬉しかった思い出は瞬間でしか記憶されていない。

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進学や卒業、結婚や出産、昇進や・・・そういう事は、ほんの一時の喜びではなかったか。

考えるまでも無く、今この時を大切に生きているのだが・・・・

強いて戻ってみるなら、貧しかったけど家族が寄り添って暮らしていた子供の頃だな。

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両親は無我夢中で働いていたし、子供達も皆んな親を助けて出来ることをやっていた。

水道もTVも、車も冷蔵庫も無かったけど、年の暮れには新品の下着を買ってもらった。

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貧しいが故にしょっちゅう喧嘩もあったけど、みんなで力を合わせて生きていた。

それに何より、食事時には家族揃っての団欒があったな。

言うならば生活の大変さとは裏腹に、運命共同体として家族愛に満たされていたと思う。

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翻って今日、スマホを始めとした文明の利器に囲まれ、飽食の毎日を過ごしている。

世界は限りなく広くなって、情報も無尽に得られる時代でもある。

ところが「あのころ」溢れていた家族の心の繋がりは、消えてしまったのではないか。

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生活のパターンも意識も価値観も、それぞれがバラバラなんである。

それで生きられるんだから「豊かな」時代と言うべきなんだろうが、何か違う気がする。

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而してこの時代、それぞれの「あの頃」を思い出して、失ったものを探すべき時かも知れないと思っている。

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2015年12月24日 (木)

粗食と運動と

雨予報が一転晴天となって、しかもどうしたことか五月の様な温かさである。

雨の一日なら剪定作業と決めていたのに、お蔭で何時もの山を走ることになった。

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昨夜の雨で汚れが落ちて、ウバメガシの葉がキラキラと正に照葉している中を走った。

実は今月中旬からぐぅ〜んと運動量を増やしていて、先週は126kを走ったし、

今週も既に75kを走っていて、1月10日まではこのペースで通そうと考えている。

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今朝走り始めようとすると違和感があって、ウエストポーチが緩んでいるのに気が付いた。

緩むはずがないのに・・・と思いつつ、この10日間で痩せたんだと思い至った。

私はもともと食の細い(燃費が良い)方で、おまけに粗食で通している。

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朝はご飯に味噌汁、それに自家製キムチ程度で済ませてしまうし、昼は仕出し弁当。

夜だってご飯一杯に魚か肉が加わる程度なのに、ランを含め相当の運動をしている。

唯、この10日間で明らかに変わったのが晩酌を止めたことで、当然つまみも食べない。

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その代わりに、朝晩プロテインを飲んでいる。

そんな食生活の変化が運動量の増加と相まって、腹回りにまで影響してきたんだ。

慢性的な足の疲れはあるが、これを乗り切れば次の段階に行ける筈である。

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残りの期間は二十日を切ったがどこまで精進できるのか、兎に角挑戦を続けている。

ともかく目標(宮古島100k)があって、それに向かって努力できるのが嬉しい。

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とは言え、今年1月の宮古島では85kで思わぬリタイアを余儀なくされたことを思うと、

やはりどれだけ練習しても不安は拭えない。

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100kは限りなく遠い距離であって、そこを身軽に走り抜けるイメージを創りたいんだ。

あと二十日余り、とにかくコツコツとやるしかない。

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2015年12月23日 (水)

ぶきっちょ

最近でこそあまり悩まなくなったが、ずっと「俺りぁ〜、ぶきっちょだなぁ」と感じてきた。

学校で絵を描かされると、まるでピカソ(?)のゲルニカの出来そこないみたいになって、

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それに兎に角、図画の時間は馬鹿にされるんで憂鬱だった。

人の前に立てばドキドキと緊張して、オロオロと何をしゃべっているんだか分からない。

これは要するに自意識過剰なんだろうな。

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同様に人との付き合いが下手で、初対面の人となど話す言葉さえ見つけられなかった。

それに極め付けは大の運動音痴で、組体操では何時も最初に落下するし、

草野球をやればポールが飛ばずにバットが飛んでいくんで、みんなに恐れられた。

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長じてゴルフに誘われた折には、Tにボールをセットしての第一打の空振りはともかく、

そのボールは微動だにしないのに、振ったクラブが大きく弧を描いて飛んでいった。

そんなこんな、何かにつけて人並みに上手に出来ないんである。

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それで長い間「俺りゃ、駄目だ」っていう劣等感に苛まれ続けてきた。

だけど、そんなぶきっちょ人間でも、まんざら捨てたものではないのである。

何時の頃か、「何をやっても駄目だけど、何か一つくらい出来るだろう」と思う様になった。

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そのきっかけが夏休みの宿題の工作で、工夫して造った椅子が学校で表彰されたことだ。

その時「やりぁ、出来るじゃん」って思ったんだ。

そのほんの僅かな自信がきっかけになって、少しずつ勉強をするようにもなった。

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それに自分が不器用だって知っているから、何につけ人のしない工夫をする様になった。

加えて謙虚になったと言うか、器用な人の様にぶきっちょを馬鹿にすることはない。

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ことほど左様に、自分が不器用なことで見えてくるもの(何か)があるんだ。

今日まで人並みに人生をやってこれたのも、「ぶきっちょ」のお蔭だと思うこの頃だ。

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2015年12月22日 (火)

一陽来復の日に

まさに小春日和の一日になったが、今日は一陽来復の冬至である。

小学生も終業式で、明日からは冬休みに入る。

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とは言え、強烈なエルニーニョとかで暖かな日が続き、どうにも歳末らしく感じられない。

そんな人間どもの気分などと関係なく、地軸はフレを戻しながら正確に回転していく。

お蔭で明日からは少しずつ日長自体は(朝はまだ遅くなるが)長くなる。

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実は来月の宮古島100kを控えて、このところ毎晩10k程度走っている。

泥縄でも事前の走行距離を伸ばして、気休めにでもなればと思っているのだが、

このところ少しずつ日没が遅くなってきて、私の日暮れと共にのランも5分近く遅くなった。

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それはともかく、一陽来復で春に向かって今日から一年がスタートする日でもあるのだ。

カレンダーの方は、残りあと8日、この間に机の周りに溜った物を始末してスカッとしよう。

年の瀬と言うのは、過去・現在・未来のバランスの微妙な変化を意識する稀有な時だ。

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今年と言う一年が終わって、得たものも失ったものもあって・・・・、

そりぁ〜色んなことがあったから身の内に得たものだって多いが、失ったものもある。

その最大のものが一年分の命であって、その古びた分だけ経験と思い出が増えたんだ。

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だから、その命と引き換えの貴重な思い出を大切にしなければなるまい。

それに年と共に、生きていることの実感を意識するようになっている。

朝起きてから様々な活動があって、その一日の最後に10kを全力疾走する。

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するとベッドに入って、えも言えぬ命の満足感に包まれるのである。

「あぁ〜、今日も十分やり切った」ってね。

年の終わりと同様に命にもいつか終わりがある訳だから、だから大切に生きるのさ。

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2015年12月21日 (月)

おしきせ

私の普段の格好は大抵が同じパターンで、ズボンもブレーカーも何年も前の古い物だ。

時に靴下に穴が開いていたりして、山の仲間に「もっと、何とかならんか・・・」と笑われる。

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本人は、着古した物の方が汚れを気にする(農作業もあって)ことなく楽なんだ。

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出掛ける時にはそれなりにパリとすりゃ、それで良かろうと勝手に思っている。

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ランニングの場合には、毎度の大会で貰うあれだから、これもお仕着せである。」

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ところで「おしきせ」とは四季施とも書いて、幕府が同心などの属僚に与えた制服のことだ。

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そういう意味じゃ私の着衣は、その昔勤務先から支給された作業着だからおしきせそのものである。

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ラン仲間のオシキセガマシイ苦言も、無理のないもっともな指摘のようなんである。

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ともあれ毎年恒例の「浜名湖忘年ラン」が終わると、流石に年の瀬を意識するようになる。

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今年も100kの6大会を始めとして、数々のマラソン大会やマラニックに参加してきた。

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途中リタイアを余儀なくされて大変な思いをした大会もあったけど、

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何処にも仲間の温かな笑顔があって、それぞれ素晴らしい思い出を残すことが出来た。

先日の忘年ランでは、走りながらそんな一つ一つの大会を思い出していたんだ。

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真っ暗な雨の夜道をひたすら走ったこと、踵の骨折と肉離れで苦しんだひと時etc。

それも私一人ではなく、走っている一人ひとりがそれぞれの人生を抱えて走ってきた。

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そんな仲間の赤裸々な姿にも接してきた訳で、正に喜怒哀楽を共にしてきたのだと思う。

一年は単なる暦の区切りに過ぎないが、色々と盛りだくさん詰まった一年だったなぁ~。

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そうそう、格好こそはお仕着せだったけど、中身は常に新鮮だったさ。

それにしても、今日はもう師走の21日である。

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「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」(定家)なんて気持ちだ。

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2015年12月20日 (日)

安全ならでは・・

過激な国際テロが頻発するからではないが、この国の治安の良さを喜びたい。

ブラジルの地方では夜会の信号無視は当たり前なんだそうだ。

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うっかり赤信号で止まっていたりしたら、間違いなくホールドアップと拳銃を突き付けられる。

女性が夜間歩いていたりすると、忽ち強盗に取り囲まれる。

何も持っていなければ長い髪の毛をバッサリ切り取られ、それを奴らは売るのだそうだ。

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だから、みんな目つきが鋭くなっているとは、先日知り合ったブラジル出身者の言だ。

治安のよろしくないのはブラジルに限ったことでなく、日本ほど安心して暮らせる国は無い。

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実は一昨日、防犯活動の一環で銀行強盗対策の模擬訓練を視察した。

夕暮れ時の郵便局に二人組の屈強な男がやってきて、いきなりナイフを出して「金!」だ。

職員が取り乱すのも無理は無く、ものすごい迫力なんである。

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それに強盗が一人ならともかく、二人では何もすることかできない。

金庫から金を出して、強盗が持ち去るまで1分とかからなかった。

局長が気を取り直してカラーボールを握って追いかけ、車に投げつけるのが精一杯だった。

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それでも一人の職員が緊急通報のボタンを押していて、直ちに緊急配備態勢がとれた。

ともかく50分後、国道を逃走中の車を検問で発見、犯人は無事検挙となったのである。

・・・・が、これはあくまでも訓練なんである。

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数か月前に近所の郵便局に強盗が入って、3000万円が奪われる事件があった。

業務を終えた局長が裏口から退出するその瞬間、横原にナイフを突きつけられて、

局内に引き戻され、局長は犯人に気付かれない様に非常通報のスイッチを押した。

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金を出すまでまごまごと時間を掛けたのだが、何と通報の回線が切れていた。

それでこの悪運の強い犯人はまんまと大金をせしめて、今も逃走を続けている。

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その一か月後、この同じ局に又しても強盗が入った。

前回と同じパターンだつたが、今度は局長が必至で抵抗して犯人は逃げ帰った。

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何でも「模倣犯」とかで、それにしても同じ郵便局を襲うとは間抜けなドロボーである。

余談はともかく安全が担保されてこそ、私達は自由な活動が出来るのである。

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2015年12月19日 (土)

忘年ラン

今日は恒例の、浜名湖半周34kを走るマラニック納めの日である。

雲一つない晴天に恵まれて、何時もの顔なじみの人達が集まって楽しむ一日だ。

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北風は幾分強いけど、走ればどうってことは無い。

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それに今週はこれまでに110k走っているから、それプラス34kで143kになる。

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来月の宮古島100kを睨んでの中距離走なのだ。

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弁天島をスタートして11kで舘山寺の船着き場に着く、そこで昼食なんだが・・・・

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思い思いの弁当を戴いていると、外には既に沢山のカモメが集まって来ていた。

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「こいつら、何やら食べ物をくれそうだ」と見込んでのことである。

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確かにみんなカッパエビセンを買い込んで、カモメとの一時を楽しみにしている。

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対岸の瀬戸までの船に乗ると、一層多くのカモメが船と同じスピードで付いてくる。

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サマーランの時には一羽も現れないのに、この時期は餌が無いのか必死でもある。

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それでもカモメは可愛い顔をして、ひときわ愛くるしく感じる一時でもある。

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さて暫しの船上の休息の後は、残り23kの浜名湖西岸を走らなければならない。

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今回は来月のこともあり、歩くことなく走ろうと言うのが心したことであって、

結果として15時31分、ゴールのホテルに辿りつくことが出来た。

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しかし、34k程度でもかなりの疲労が残って、・・・・はて、走ってみなきゃ分からないが、

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依然として来月の100k攻略は未知数なんである。

ともあれ風呂からあがって、仲間と共に過ごす忘年会の一時は心開かれる時間だ。

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人それぞれ一年間走って来て、そうして年末のこの日に集っている。

そういう、一年間の達成感の様なものがあるんだな。

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それも仲間が居るからこそ続けられるんだし、年齢を忘れることのできる空間でもある。

みなさん、来年もよろしくね。

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2015年12月18日 (金)

朝っぱら

この時期に一番困ることは、日の出(今朝は、6時:55分)が遅いことである。

朝っぱら(五時半頃)から起き出して新聞2紙に目を通すのだが、一通り見終わっても猶暗い。

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明るければ葡萄の世話などやる事は多いのに、この如何ともし難い時間が困るのである。

子供達だって7時過ぎには登校するんだから、大抵は暗い内から起こされることになる。

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それでも皆「お早うございまぁ~す」と、元気に登校していくのだが・・・。

ところで私は朝起きて一番に牛乳を温めて、これを頂きながら新聞を開く。

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それで、その朝っぱらの温かな牛乳が、これが旨い。

空腹なところに腹に優しい温かな飲み物は何よりの安堵なんだろう。

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そもそも朝っぱらとは「朝腹」のことで、朝食前のすきっ腹と言う意味だったらしい。

その空腹と言う意味がいつの間にか「早朝」を意味するようになった。

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「朝飯前のお茶の子さいさい」とは、朝飯を食わなくても出来るほど容易だって事だ。

ともあれ何か入れて腹が落ち着くと「良し、今日も元気で・・・」と動き出す訳で、

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やはり「腹」には、人間の本心が宿っているのではないかと思う。

昔から「腹が据わる」とか「裏腹」、「腹黒い」や「腹が太い」、「腹が合う」、

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「腹をくくる」なんて言うし、武士には切腹なんて仕来りがあったくらいだから。

やはり覚悟ってのは、頭じゃなくって腹(丹田)で決めるんじゃなかろうか。

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それにしても今年もいよいよ押し詰まってきた。

今しばらく朝っぱらは暗いが、やがて日長が反転する訳で、それもまた楽しみである。

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忘年会やら新年会も幾つか続くから、皆と一緒に「腹鼓を打って」英気を養おう。

朝っぱらの暗いのも、今しばらくのことなんだと納得させつつ・・・。

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2015年12月17日 (木)

就業の未来

近くの街に、液晶だろうかディスプレイを生産している大きな工場がある。

この20年、随分景気が良いと聞いていた企業だが、どうやら近く工場を閉鎖するらしい。

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当然ながら多くの従業員は働き場を失う訳で、この寒波も一層厳しく感じているだろう。

かつての家電メーカーが押しなべて苦戦しているように、

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TVや洗濯機・冷蔵庫などの一般家電の多くが中国などで生産されるようになっている。

それでこれらの関連の生産工場もドンドン縮小を余儀なくされているのだ。

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グローバルな経済の下で、果たしてどんな産業が国内に残り得るのだろうか?

TPPとは正反対に国境を封鎖しない限り、政府がどんなに1億総活躍と旗を振っても、

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働き場が無くなっては如何ともし難いのである。

実は、TPPで最も打撃を受けるだろう農業のことを考えている。

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かつて2・3次産業が不況の折には、農業に戻って一時しのぎをする時代があった。

たとえ貧しくとも食べるものはあって、何とか暮らせたのである。

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勿論今日の農業は家族経営の小さな農業はどんどん減って、大規模経営だから・・・

簡単には雇用者を増やせないが、それでもパートなどで働く余地は残っている。

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私などの趣味の農業は最も安気かもしれない。

食べる野菜はほとんど自給できるし、米だって耕作委託先から入ってくる。

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それにTPPで価格が下がったとしても、そんなに大量に栽培してないから困ることもない。

僅かな年金でも、細々となら生き延びることが出来ると言う訳だ。

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余った野菜は近所の○×マーケットで安価におすそ分けして、地域に貢献もできる。

やはり国土(田畑や山林)を十分に生かす農業を大事にしないと困るんじゃないかな。

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高年齢者はドンドンその比重を増していくんだしね。

それに農業を衰退させることは、社会の弾力性を失わせることでもある。

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2015年12月16日 (水)

キャベツの気持

この時期、まさに山茶花(花言葉=謙譲)の似合う季節だ。

垣根の山茶花が控えめに、それでもちゃんとした存在感を持って咲いている。

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それに急に気温が下がって、北風と共にようやく冬らしい気配が濃くなってきた。

この寒くなる冬に元気に育つのがキャベツで、そのキャベツを今年は少し沢山育てている。

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防虫網をかけて大事に育て、ここに来てやっと中が丸まってキャベツらしくなりつつある。

実はキャベツはヨーロッパ原産で、日本には江戸時代にオランダから持ち込まれた。

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その日本に伝わったキャベツには丸く結球する性質は無くて、だから観賞用で育てられてきた。

その改良種が今日の観賞用の葉牡丹だから、これも食べようと思えば食べられる。

同時に器用な日本人は、結球キャベツは勿論のこと、カリフラワーやブロッコリー、

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そしてメキャベツ、プチベールなどを生み出して、今日の代表的な野菜になったのである。

而して世界で最もキャベツを食べる国になっている訳だが、

千切りにして生で食べるのは日本人だけのようである。

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ヨーロッパではキャベツは煮て食べているし、生で食べるのはウサギだけだろうか。

このキャベツ類が大好きな虫があのモンシロチョウで、正に「菜の葉に止まる」。

彼女らが卵を生みつけると青虫が穴だられにしっちまうから要注意だ。

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あぁそうそう、キャベツに良く似たレタスは、あれはキク科の植物だから全く違う野菜なんだ。

だからレタスを間違ってキャベツのように千切りにしたりすると、

包丁の鉄とフェノール物質(白い乳液)が反応して茶色に変色しちゃうだろッ。

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ところで私の畑では、キャベツと白菜が競い合って太り始めている。

寒くなってくると鍋物だから、当面は白菜から先に頂くことになるが悪しからず・・・・。

果たしてキャベツは、観賞用のままの方が良かったんだろうか?

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2015年12月15日 (火)

ひとりの空間

孤独が好きな訳でもないけど、どちらかと言えば一人で過ごすことが好きである。

それに改めて考えても、近年は圧倒的に一人で過ごす時間が多くなっている。

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今日もかなりの時間、一人で黙々と葡萄の剪定作業や畑を触ったりの一日だ。

まぁ~机に向かってポカァンとしていることも多いが、

一人の時間の最たるものは、実は淡々と走っている時のようである。Img_3863

そしてこの瞬間だって一人でブログを書いているけど、孤独を感じるなんてことは無い。

そもそも、人は一人が自然なんだって思っているからね。

ともあれ、人生には三つの「豊かな間」が有れば幸せになれるらしい。Img_3864

「豊かな時間」と「豊かな空間」、そして「豊かな人間関係」である。

では貴方にとって豊かな時間とは、何をしている.どんな時間だろうか?

家族団らんや恋人とのひと時、或いは演奏会や観劇のひと時、それとも一人の時間かな。

コツコツと努力して手にした達成感に満たされるひと時も、確かに豊かだ。Img_3865

でも忙しさに追われていると「自分の豊かな時間」に気付くことも無く過ぎ去ってしまう。

それから貴方にとって豊かな空間とは、どんな空間を思い出すでしょうか?

花に囲まれた・・、笑いのある・・、荘厳な・・、山頂に立って・・、広い芝生の・・、Img_3866

○×競技会の只中、中世ヨーロッパの町などと色々な豊かさが思い浮かぶ。

私は「俺は今ここに生きている」って、体で実感できるシチュエーションだな。

自分をそのどんな空間に置くかで、人生の風景が随分変わっちゃうんだよね。

三つ目の人間関係は、喧嘩をしたりして時に煩わしくなったりするが、Img_3867

やはり愉快な仲間との交流は人生の醍醐味だろうな。

そんな素敵な仲間とめぐり合う為に、人は悩んだりウロウロしてたりするんだ。

それで誰と何処でどんな時間をどんな素敵なシーンで過ごすかって考えると楽しいよね。

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人間には、他人と関わる自分、一人で外を意識する自分、一人で内に意識を向ける自分の三態がある。

それで最も大切なのは、内に意識を向ける「自分だけの空間」を持つことだと思う。

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2015年12月14日 (月)

ユウベの星

夕方のことをユウベと言うが、昨夜のこともユウベ(ユンベ)と言う。

語源を辿ると、かつて一日の始まりは日の出ではなく前日の夕暮れから始まったらしい。

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だから一日は、ユウベに始まってヨイ・ヨナカ・アカトキと続いてアシタで終わる。

少し異な感じだけど、平安時代までの通い婚の時代を考えると分かり易い。

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男がやって来るのがユウベで、帰るのがアシタなんだから・・・それが一日さ。

そのユウベのことを「たそがれ」とも言って、暗くなって誰か分からないから「誰ぞ彼」が語源。

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御託はともかく、昨日の不出来をあれこれと反省しながら、タソガレを思ったのである。

つまりその・・・俺もタソガレかなって意味である。

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それで今朝、「いやいや、昔の一日はタソガレ(ユウベ)から始まったよな」と気が付いた。

それで早速山に向かって、昨日の疲れを癒すつもりで15kを走り切った。

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流石にスピードは出せなくって、ゆっくりだったけどたっぷりと汗をかいたのである。

ここまでは従来と変わらないのであって、問題はユウベである。

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このタソガレ時をうまく活用することで、来月の100kウルトラが乗り切れないかと思案。

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そうだ「毎日、たそがれ時に平場を走ろう」と決意した次第。

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何しろ午後5時には真っ暗になるこの時期、走る時間はたっぷり有るじゃないか。

晩酌なんか飲んでいる場合ではなかろう。・・・と言う結論に至ったのである。

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名付けて、ユウベの星作戦である。イザ・・・

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2015年12月13日 (日)

久しぶりのフル

今日は袋井メロンマラソン、3月の静岡マラソン以来の久しぶりのフルである。

久しぶりだから慎重に走り始めたんだが、どうも昨夜のお酒が効き過ぎた様である。

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それにこの大会は10年振りくらいで、コースも昔とは随分変わっている。

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9:10エコパスタジアムをゆっくり走り始めたのだが、イメージは来月の100kであった。

余裕を残しながら後半につなげる走りが出来るか否かが今日のテーマだった。

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それに臍を押し出す感じで、出来る限り前傾しない様に努めることだ。

ともあれマイペースを心がけ、20kまでは6分ペースでこのまま行けるかと思われた。

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ところが、そこから予定より早くブレーキがかかって、MTさん、KUさん、

TKさんやYSさん、STさんやHIさんに次々と追い抜かれる羽目になった。

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それで後半は自分との我慢比べで、兎も角も歩くことは無かった。

それにしてもラン友に抜かれる度に思うことは、「歳は取りたくない」ってこと。

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俺だってかつては3時間21分で走ったことがあるのに、今じゃサブ4は至難になっている。

練習量は昔よりもずっと増えているのにも関わらずである。

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それで今回のゴールは4時間40分12秒、2534位/5893名にとどまった。

うぅ〜ん、宮古島100kへ大きな宿題を残しちゃったけど、もう残り時間は少ない。

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明日から頑張って、どれだけのリカバリーが出来るだろうか?

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宮古島ではYSさんやHIさんに、どうしても負けたくないんだけどな!!

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頑張れ山草人、明日から晩酌を減らして頑張るか。

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2015年12月12日 (土)

師走の雲

暖冬の気配が濃厚な年の暮れだが、幾つかの忘年会やらで否応なく年末気分にさせられている。

いつもの山に向かうと、先日の寒風でようやく山が色づいて、これも一気に晩秋である。

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言う間でもないが、残り10日ほどでクリスマスから歳末を迎えようとしているのだ。

日本のクリスマスは良く分からないが、欧米のそれは部屋を飾り立てて賑やかに過ごす。

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緯度の高い地域は夜が長いし、日の長くなるのを待ち焦がれるって感じだな。

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クリスマスも一種の太陽「再生」のお祭りに通じているんだろう。

その太陽は、冬至(12月21日)を境に少しずつ軌道が上がっていく。

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冬の太陽から春の太陽へとゆっくりと移り、やがて新しい年を迎えるのだ。

その転換期の一番暗くて、且つ又冬の訪れを前にしてのジングルベルなんである。

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早く新しい春が来てほしい・・・とは思うのだが、何せこの一年が余りにも短かった。

「良いお年を・・」とつい先日言い合ったばかりだが・・・・、

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果たして「よい年」にすることが出来たのかどうか。

一年と言ったって一日365日の積み重ねに過ぎない訳で、その一日一日が流されていなかっただろうか? 

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しかしいずれにしても、こうやって歳を重ねていくのである。

今夜は「御こう申様」があって・・・近所の忘年会とも言えるが、昔からの村の行事だ。

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山盛のご飯を庚申様に供え、和尚さんが般若心経唱える。

その後、何故か二礼ニ拍一礼してから、このご飯をみんなが一口ずつ戴くのである。Img_3745

元気でご飯が頂けることに感謝しつつ親交を図る趣旨であろうか。

所によっては(寝てはいけない信仰があって)、この会合が朝まで続く地区もあるらしい。

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農業が盛んな頃は年に数回のこの会が楽しみで働いたと言うが、

今は近所とて顔を合わせることもほとんど無い。

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年3回になったこの会で、お互いの顔つなぎをするってところかな。

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ともあれ、師走の雲もどんどん流れていく。

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2015年12月11日 (金)

体で考える

12月中旬と言うのに、この暖かさは如何したことだろう。

一昨日は山の中で蛇に遭遇した人も居て、蛇ですら季節を間違えている様子だ。

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そう・・私達は、多くの場合その体で感じて頭でものを考える。

私も昔は頭先行で、これでも結構繊細で神経質だった筈なんだが・・・、

走ることが習慣になってからの私は随分ノンキになったなぁ~と思っている。

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走りながら一歩一歩進んでいくリズムでゆっくりと何か考えているんだ。

山の中ではひたすら自分の体と対話していて、なぜ体で物事を考えるようになる。

頭の中だけがクルクルと先走るんじゃなく、体のリズムで考える癖が付くんだろう。

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そして走りながら、「思っている自分」の姿が上の方から見えるような気もするんだ。

それで、少々大袈裟だけど「離見の見」なんて言葉を思い浮かべている。

室町時代に能を大成させた世阿弥の言葉で、「花鏡」にでてくる。

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自分を第三者の目で客観的(正に客が見るよう)に見ることが、芸を高める極意だと記す。

是はもとより芸に限ったことでなく、私達が普通に生きている毎日にだって必要な目線だ。

兎角人は「世界は自分の為にある」って独り善がりに成りがちだから、大事な教訓だよね。

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ともあれ山の風に吹かれ、その自然の中に生きている自分を意識するのは楽しい。

世阿弥と言う人は、同様に「秘すれば花」とか「初心忘るべからず」などと、

人生の機微に触れる言葉を幾つも残しているのだが、

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「離見の見」は鏡に映った自分のことではない。

離れた所から見る自分だから、他人との触れ合いの中にある自分でもある。

先日、孤独な時間の大切さについて書いたけど、同様に「孤独で無い時間」も大事だ。

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そもそも人は他人との触れ合いで成長していくし、人生の刺激にも自分の鏡にもなる。

いずれにしても、正に人は人の間にある。

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2015年12月10日 (木)

日常というもの

朝暗いうちに起き出して、レンジで沸かした牛乳を飲みながら新聞を読む。

ホウレンソウへ水をやり、朝食を済ませて子供達の為に街頭に立って笑顔で「お早う」。

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帰宅して山ランに向かうか学校に出勤するか、その日によって違うが同じパターンだ。

日暮れまでの時間は、ホウレンソウの収穫やブドウの選定作業が続く。Img_3658

そうやって規則正しく月日が流れるのだが、暫くすると無性に非日常が恋しくなる。

贅沢にも、普段とは違う空間に自分を置いてみたくなるのである。Img_3659

旅は勿論の事、マラニックや各種の大会もその非日常の世界であって、

そいつを楽しみに日常を過ごしている訳だ。Img_3663

初めての土地を巡って走るワクワク感、それに加えて新たな出会いが殊の外嬉しい。

それはともかく、日常を絶ち切って新天地を求めた人達の気持ちを考えている。Img_3669

明治初期には海外から多くの人々がやってきて、神戸や横浜に異人街を造った。

国情も定かでなく言葉も通じない異国の地に移り住んで、その生涯を終えた人達も多いのだ。

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彼らの中には多分に野心家もいただろうが、それにしても多くは無名だ。

彼らはこの地で何を思って暮らしたのだろうかと考えると、それも面白い一生かと思う。Img_3789

土着農耕民族の末裔の私なぞは、とてものこと彼らの真似はできそうにないが、

しかし見方を変えれば、

この人生波は、乱万丈何處でどの様に生きようと同じ一生なんである。Img_3790

而して異国に移り住むのは無理としても、まだまだ冒険をしたい気持ちがある。

いやさ冒険が無理なら、自分なりの挑戦をしなくっちゃいかんと思っているのだ。Img_3791

出来れば、うぅ〜んと大きな冒険が良いのだが…・

非日常を恋して止まないくせに、それも日常という立脚点あってのことなのである。

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2015年12月 9日 (水)

一人であること

かつて「一人じゃないって~、素敵な事ね〜♪」って、楽しい歌が流行ったことがある。

恋人と一緒にいたり、気の合った仲間と過ごすのは、それは楽しいに違いない。

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私だってマラニックや走る会の楽しみの半分は、仲間に会えることだしね。

人は、とかく独りで居るのが不安でしょうがない。

だからラインの仲間になったり、グループを作ったりして、他の人を求めているんだ。

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でもそれだって、「・・・なったら、友達100人できるかな♪♪」って簡単に仲間はできない。

それなのに、たった一日電話やメールが無かっただけで、もう寂しく孤独だって思う。

それで用事も無いのに電話・メールしてみたり、「お茶しよう」ってな事で時間を過ごす。

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群れていれば「孤独」を意識しなくて済むから、その分安心していられるからだ。

だけど、元来人間は孤独なのが当たり前な存在だ。

もともと人は一人で生まれて来て、一人で死んで行くんだからね。

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それに何時も群れていると、一人でゆっくり考えることを忘れてしまう。

そして自分を見つめることの無い人は、常に人に流されてその人生を送ることになる。

「人付き合いが良いんだけど、でも少し軽薄だね」って人になってしまう。

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だからって、何も座禅をしなくったって良い。

何も考えない「空虚な時間」を持つ、つまり孤独に強くなることが大事だと思うんだ。

確かに私も毎日動き回ってい人にも会っているけど、結構一人で居る時間がある。

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一人で走っている時、黙々と農作業している時、ブログを書いている時、本を読む時だ。

そんな時に無意識に自分と対話していて、少しずつ自分が分かるような気もする。

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例えば、書くということはその中に自分を入れ込むことだし、考え直し軌道修正することでもある。

そうだなぁ、人は孤独になって自分と向き合うことで、少しずつ強くなれるような気がする。

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とにかく一人の時間と言うものは、とっても大切なひと時なんだと思っている。

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2015年12月 8日 (火)

我が身を知る心

「こんなもんか・・」と思いつつも、自分と言うのは分かった様で分からない。

昨夜は「遠来人の会」の忘年会で、取り敢えずハードな勉強会は止めることになった。

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この会は23年前から社会人大学を母体に続いてきたが、なにせ皆高齢になっている。

それで来年からはルーズな「縁来人」の会にしていこうと相談したのである。

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年配に成ればなる程世間は狭くなるから、コミュニティーは多くあるに越したことは無い。

あまりノルマを設けずに、臨機応変に楽しむ会を主催していこうと言う訳である。

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ともあれ人は、歳と共に考えることも、その行動も少しずつ変わっていく。

殊に人生における野心の様なものは、年と共に放物線のごとく萎んでいかざるを得ない。

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気持ちは若くとも、「それでもなぁ・・・」と自分で自分にブレーキを掛けるようになるんだ。

ビッグ何とかと言う家電の店を覗いて、「俺も・・・いよいよ、ついて行けねぇ・・」と思った。

ウェアラブル・・・やらIパッド、保温カップ、電子辞書などと、興味はあってもどう使うのか?

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眩しいほどの照明の中にそれらの商品が輝いていて、「自分の時代」を考えてしまった。

古き良き時代の人間が、次世代の船に乗っていくべきかどうかと言うことである。

子供の頃「明治は遠くなりにけり」なんて言葉を聞いたことがあるが、昭和も遠くなった。

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はて、向後の我が人生如何にすべきか・・・・なんてことを考えたのである。

ジ・エンドまでは相当な距離がありそうだが、そいつばっかりは分からないし、

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新たに何かを企てるにしても、それも少しばかり躊躇する年頃なのだ。

それでも、新たな挑戦は生きている印だし、やはり呆けている場合じゃないな!!

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世阿弥の風姿花伝に「我が身を知る心 得たる人の心なるべし」とあった。

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2015年12月 7日 (月)

いい歳

小欲知足の境地でもなかろうが、年とともに楽に生きられるようになったと感じている。

さほどあくせく働かなくても生活ができて、自分の時間を好きなように使って、

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食べ物だって直ぐに腹一杯になるし、子供の事であれこれと気を病むこともない。

言うならば、好きなように暮らしているんだから、これ以上の贅沢は無いのではないか。

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貴族とは「額に汗しなくても、食べるに困らない人」の事らしいから、さしずめ貴族になったのである。

それに、あれだね。

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人生の山谷をそれなりに越えてきて「人生ってなぁ~、こんなもんだぜッ」って、

なんとなく達観出来るようにもなっている。

加えて「時間は人生で最大の資産」だが、その無形の資産がまだたっぷりと有る。

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これを「いい歳」と言わずして何としよう。

ところで先日、横浜の山下公園に係留されている貨客船「氷川丸」を見物してきた。

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氷川丸は1930年に建造され、戦時中は病院船として3回も触雷したが沈まなかった船だ。

シアトル航路など太平洋を254回も横断し、この間に2万5千人余の客を運んできた。

そして今は引退し、産業遺産(有形文化財)として、古きよき船旅の世界を披露している。

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今は人気の無い客室や食堂などを見て歩きながら、

往時の賑わいや渡航者の気持ちにしばし思いをはせたのである。

アッという間に到着する航空機とは全く違った世界が、そこには展開されていたのだろう。

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しかし引退して係留されている氷川丸は、もう既に博物館であって貨客船ではない。

そういう意味では、氷川丸の「いい歳」は終わっているのだ。

ひるがえって、私は現役バリバリlの「いい歳」なんである。

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かつて脳細胞は加齢と共に減るってのが常識だったが、その常識は今じゃ逆転した。

大脳皮質は中年以降も努力如何でドンドン増殖するらしく、消耗品ではなかったのだ。

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而して、損耗を惜しむことなく、まだまだ大海原を十分に航海できるのである。

22歳年下の女性を妻にしたあの貝原益軒は、長命の上に人生の達人でもあって、

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「楽しみは 是人の 生まれ付きたる 天地の生理なり」と養生訓に書き残している。

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2015年12月 6日 (日)

自己の魂の道

自分の生涯をかけて追及し続ける道、それが「魂の道」と言うのだろうか。

かつて教師あれ軍人であれ、自分の仕事が国や民族の発展につながっていた。

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少なくとも、一人一人がそいつを実感しながら仕事に邁進していた時代があった。

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そういう意味で、明治・大正と言う時代は正に「坂の上の雲」を目指した時代だったと思う。

明治に生きた人々の心意気は、

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自分の仕事がこの国を支えているって実感を持っていたことだろう。

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昨日は例の「人生を学ぶ勉強会」で、第4講を素材にそれぞれ意見交換したのである。

当時40代前半の森信三先生は、師範学校の学生に対して「諸君は生を教育に求めたのだ」と話し始める。

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自分の命を教育の世界に注ぎ込むのが魂の道で、それが力強い国民を創り出すのだと。

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時代の雰囲気を背負っているとはいえ、まだ若い森は自信を持って人生を語っている。

今日、40歳そこそこで人生を語ることのできる教師が存在するだろうか? 

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畢竟わたしなぞは、還暦を過ぎてやっと「人生って、こんなもんか」って分り始めた程度だ。

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ともあれ勉強会の後は、暫しのランニングに出て日没が早く帰りは暗くなってしまった。

会場のムーハウスに帰ると、I藤さんをコック長に忘年会の準備が進んでいた。

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I藤さんの拘りの素材で、私達も山芋擦りに暫く夢中になる。

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力を合わせて支度が出来ると、今年一年の反省と人生を語る会になっていく。

一人一人のトークにも味があって、この会は素直に人生を語れるのか素晴らしい。

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そして忘年会は延々と翌日にまでずれ込んで続いたのである。

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でも皆さん如何でしょう、近頃素直に人生を語りあう機会なんでありますか?

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そんな真っ正直な仲間に恵まれた私は、幸せだなぁってつくづく思います。

人生は限りあるもの、結核に冒された長塚節が出雲に旅した折の歌が切ない。

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「手を当てて 鐘は尊き 冷たさに 爪叩き聞く そのかそけさを」

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誰にだって人生の終末は分からないんだから、そのかそけさを大事にしなきゃね。

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2015年12月 5日 (土)

頑張らない子供達

近頃の子供たちは、「何、くそッ」って頑張らないんだそうだ。

新興国の子供達が目を輝かせて頑張るように、俺達の子供の頃にゃそうじゃなかった。

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終戦直後の生まれだけど、食うものも着る物も十分じゃなかったし、頑張るしかなかった。

子供心にも、生きてくってことは頑張ることだと思っていた。

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だけど今日、全てに満たされた子供達にハングリー精神を求めたって所詮無理なことだ。

近頃の子供は、「もう、このくらいで良いよ。」って、直ぐに諦めてしまう。

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粘り強いと言うか、高みを目指して頑張るって気持ちが始めっから無い様だ。

自分と適当なにところで妥協して、そこに安住してしまうらしい。

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そんな子供たちに、「どうすれば、頑張る自分が好きだ!」って思わせるかがテーマだ、

昨日の、学校運営協議会のテーマである。

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少人数学級だし更に数学などでは半数(15人くらい)の授業が行われているし、

補助教員がついて一クラス2名の先生で対応したり、特別支援学級があったり、

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私達の子供の頃に比べれば、羨む様な手厚い教育体制が整っている。

だけど、子供たちは「坂の上を目指す」ってことをしない。

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彼らは、頑張らなくってもそれなりに食べて行けるって、何処かで計算しているんだ。

確かに福祉政策の充実した今日、欲をかかなきゃ何とか生きて行けるさ。

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だけどさ、人生ってなぁ〜生きて死ねばそれで良いってもんじぁない。

でも、その人生を教える教育は無いし、現状じゃ教えられる人もいない。

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本を読ませる・読み聞かせるくらいが関の山だが、それすら難しくなっている。

まぁ〜良し悪しではなく、とどのつまりは時代が人を育てるのである。

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それでも、なぁ〜・・・・・何事かを一つ一つやり遂げていく達成感はぜひ欲しい。

あの達成感の素晴らしさこそが、人生の醍醐味なんだよな!!。

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2015年12月 4日 (金)

春画を覗いて

英国で好評裏に開催されて話題になった春画展が文京区の永青文庫で開かれている。

時折新聞に記事が掲載されていたこともあって、是非見てみようと思い立ったのである。

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永青文庫は閑静な住宅街の中に在って、古い邸宅を活用しているイメージの館だ。

その小さな美術館に大勢が押しかけていて、絵を見るよりも人垣の後ろから覗く感じで、

それも老若を問わず女性が7割くらいを占め、その春画を食い入るように見ている。

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室町から江戸時代までの200点余の肉筆画や版画が展示されていて、

人の列が動かないからどんな凄い絵があるのかと思うのだが、実はさしたることも無い。

作者は春信や歌麿、北斎や狩野派の名だたる絵師達である。

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狩野派は大名家などの嫁入り道具として、浮世絵師は庶民のおおらかな性愛を描いた。

「艶好虎の巻」の様なノウハウの絵もあるしね。

やはり何時の時代も、性愛は子孫繁栄のもとだから、多くの需要があったんだろう。

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しかし正直なところ春画に惹かれて出掛けたものの、どう眺めたものか戸惑ってしまった。

印象派の絵を眺めれば温かな気分になるし、宗教画ならそれは又厳粛な気分になる。

しかし春画と言うものは、調度とかその格好、表情などに関心が向きがちで、

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どうしても覚めた目で眺めてしまうのだが・・・?

そもそも絵を眺めるのは感性なんだろうが、とてものこと情緒的な感性は無理だ。

言うならば、過去の時代の性風俗を学ぶってな感じかな。

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まぁ~それにしても、春画を描く柔らかな線とパロディー的なところには感心したなぁ~。

それに「豆判春画」ってのがあって、かつて大名達が新年の初登城の際に

お互いに交換しあったんだとか。 まさに天下泰平ならではである。

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性が商品化されて溢れかえっている今日、その天下泰平のおおらかさが嬉しい。

やっぱり春画も芸術で、ゆっくりとおおらかに時代を眺めるものなんだろうなぁ。

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2015年12月 3日 (木)

人生百に満たず

うかうかしてるとジジババの仲間に入れられる年代だが、まだ矍鑠と脂が乗り切っている。

老人扱いするなら、80歳を過ぎた辺りからが適当だろうと勝手に思っている。

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自分で80歳過ぎからが老人と決めるなら、未だまだ一時代を謳歌できる訳だ。

と言うのも、実はこの歳になってやっと人生が少しずつ分かり始めている。

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だから、70そこそこでジ・エンドなんてんじゃ困るのである。

人間なんて、若い頃はそれこそ夢中で生きていて、色んな生き方や出来事を見て来て、

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それで少しずつ「あぁ、人生ってこんなもうか」って分かるようになるんじゃないか。

その年頃は、多分60歳を過ぎて幾分余裕が生まれた頃だと思うんだ。

私も65歳を過ぎて、あれこれ自分ってものが少し見えるようになった。

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とは言っても、自分の中には色々な要素を持った自分が居て決して単純じゃない。

時と場合に応じてそいつに適合した自分を登場させ、それなりに世間を渡ってきたんだ。

そして自分の中のどの要素を育てるかで、その人の個性や人格が出来る様に思う。

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自分と出会うには、やはり孤独な一人の時間を持つことが不可欠だ。

沈思黙考でなくとも、本を読んだり文章を書いたり、・・私の場合は長距離を走っている時、

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それに黙々と農作業をしている時に一人の世界に入っている。

言うならば「動の座禅」の様なもので、何も考えずに中空を飛んでいる。

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でもそんな時間だからこそ、心の内面の自分と対話しているような気がするんだ。

それにしても、動き回るとすれば残り十数年になっている。

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やはり思いは「人生百に満たず」って処へ向かう。

 人生不満百 (人生は百に満たず)

 常懐千歳憂 (常に千歳の憂いを懐く)

 昼短苦夜長 (昼は短くして夜の長きに苦しむなら)

 何不取燭遊 (何ぞ燭をとりて遊ばざるか)

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「どうせ短い一生 その人生おおいに楽しむべし」と詠う漢代の西門行の詩である。

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2015年12月 2日 (水)

物から「こと」へ

私の時代には、車やクーラーなど諸々の「もの」が豊かさの象徴だった時代が続いた。

正に「もの」が高度経済成長の種だった訳だが、

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バブル崩壊前後から「心の豊かさの時代」と言われる様になった。

物から心へと時代の価値観が変わったと言う意味だが、さて心豊かとは抽象的である。Img_3747

人々は「豊かさは物じゃないよな」と納得しつつ、心の豊かさの中身を掴みかねていた。

いやいや、あなたの「豊かさ」って何って考えた方が早いだろう。Img_3748

私の豊かさは、何事かに参加して人と一緒に何かをやり遂げる事かなぁ〜。

例えばそれは100kレースであったり、○×パーティーだったり、勉強会かも知れない。Img_3751

或は、ジュビロのサッカーやラクビーを仲間と一緒に楽しむことでもある。

旅行だって・・・仲間と一緒ならこれもまた豊かさを実感できる。Img_3752

心の豊かさってのは、人生を充実して生きる為の「こと」なんじゃないか。

そんなことが少しずつ理解されるようになってきた。

皆で体験して、みんなで熱狂して、そうして月日が過ぎていく「コト消費」の時代なんだ。Img_3753

コトには学んだり遊んだり競ったり、体験したり汗かいたりって色々とあって、

横浜みなとみらいに安藤百福発明記念館(カップヌードルミュージアム)がある。Img_3754

百福が戦後の混乱の中で小さな小屋で試行錯誤の末インスタントラーメンを発明する。

1958年にチキンラーメンを売り出して以降の発明と発見のミュージアムだ。Img_3755

このラーメンの歴史は、正に物の豊かさから心の時代への変化と重なっている。

私も随分インスタントラーメンにはお世話になってきたしね。

このミュージアムでは、オリジナルラーメンを作ることが出来る。Img_3756

それで今日も、大勢の高校生たちが、カップの装飾から麺づくりまで体験していた。

これも歴史や産業、クリエイティブな思考や製造体験まで「こと消費」その物だろう。

やはり私達にとって、自分自身が体験するdoの発想が豊かさを生み出すのだ。

何であれかんであれ、やってみなきゃ分からんでしょうが!!

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2015年12月 1日 (火)

ファーストエンペラーの墓

紀元前247年、2200年も前に初めて中華帝国を統一した男(秦の始皇帝)の墓である。

春秋戦国時代を終わらせ官僚機構を整備し、厳格な法治を断行した男である。

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彼は不老不死を求めただけでなく、巨大な始皇帝陵と併せ地価宮殿と軍団を残していた。

軍団は8千体の実物大兵馬俑で、彼が統治した人類史上初めての官僚群を想起させる。

その墳丘は陝西省西安市の郊外に丘陵の様に広がっていて東西940m・南北2165mと、

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それ自体一つの巨大な都市の様な広大さである。

兵馬俑は、その墳丘から1.5km離れた所から、偶然に(井戸を掘っていて)発見された。

中華帝国の原型を創始した秦だが、その秦帝国はわずか15年で崩壊してしまっている。

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史記にはこの辺の事情を・・・あらまし次のように記録している。

始皇帝は法による厳格な支配と絶え間ない巨大土木工事に人々を動員し続けた皇帝だ。

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その始皇帝は何度も支配地を視察しているが、黄河下流を巡行中に重態に陥って、

自らの最後を悟り、長男の扶蘇(ふそ)に後継を託す遺書を残した。

始皇帝の死は伏せられたまま行列は(死臭を消す為に魚を乗せて)進むのだが、

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その間に、中車府令(官房長官)の趙高(宦官)による「胡丘の謀」と呼ばれる策謀が起る。

始皇帝の封書は破棄され、末子の胡亥を後継者とする旨の遺勅が作成されるのだ。

一向(胡亥・趙高・李棋(総理大臣))らが首都咸陽に戻ると、早速胡亥が即位し、

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次いで20数人の兄弟に罪を着せて次から次へと殺してしまう。

やがて共犯者のはずの李棋が追い落とされて殺され、実権を宦官の趙高が握る。

その内国のあちこちで反乱が起るのだが、そのさなか趙高は二世皇帝に鹿を献上する。

ただし「陛下、これは馬で御座います」と献上し、訝る胡亥を一顧だにせず、

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周りの者一人ひとりに馬か鹿かを尋ねていく・・・・と、その殆どか馬だと答える。

もちろん鹿と答えた忠臣は、直ちに趙高の命令で処刑されてしまうのだ。

今日私達が使う「馬鹿」という言葉は、「鹿を馬だと言う」この故事に由来する。

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やがて項羽の軍が咸陽城に殺到し、秦三代目子櫻を殺し、略奪の上宮殿を焼き払った。

この時、兵馬俑にも火がかけられて荒らされ、赤や青で彩色されていた麗々しい軍団は歴史の彼方に忘れられてきたのだ。

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その軍団が41年前に発見・再現され、そして今私はその威容の前に立ち尽くしている。

国立博物館「兵馬俑展」で、権力と言うものの儚さと始皇帝の幻を目の前にしている。

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