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2015年12月 3日 (木)

人生百に満たず

うかうかしてるとジジババの仲間に入れられる年代だが、まだ矍鑠と脂が乗り切っている。

老人扱いするなら、80歳を過ぎた辺りからが適当だろうと勝手に思っている。

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自分で80歳過ぎからが老人と決めるなら、未だまだ一時代を謳歌できる訳だ。

と言うのも、実はこの歳になってやっと人生が少しずつ分かり始めている。

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だから、70そこそこでジ・エンドなんてんじゃ困るのである。

人間なんて、若い頃はそれこそ夢中で生きていて、色んな生き方や出来事を見て来て、

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それで少しずつ「あぁ、人生ってこんなもうか」って分かるようになるんじゃないか。

その年頃は、多分60歳を過ぎて幾分余裕が生まれた頃だと思うんだ。

私も65歳を過ぎて、あれこれ自分ってものが少し見えるようになった。

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とは言っても、自分の中には色々な要素を持った自分が居て決して単純じゃない。

時と場合に応じてそいつに適合した自分を登場させ、それなりに世間を渡ってきたんだ。

そして自分の中のどの要素を育てるかで、その人の個性や人格が出来る様に思う。

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自分と出会うには、やはり孤独な一人の時間を持つことが不可欠だ。

沈思黙考でなくとも、本を読んだり文章を書いたり、・・私の場合は長距離を走っている時、

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それに黙々と農作業をしている時に一人の世界に入っている。

言うならば「動の座禅」の様なもので、何も考えずに中空を飛んでいる。

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でもそんな時間だからこそ、心の内面の自分と対話しているような気がするんだ。

それにしても、動き回るとすれば残り十数年になっている。

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やはり思いは「人生百に満たず」って処へ向かう。

 人生不満百 (人生は百に満たず)

 常懐千歳憂 (常に千歳の憂いを懐く)

 昼短苦夜長 (昼は短くして夜の長きに苦しむなら)

 何不取燭遊 (何ぞ燭をとりて遊ばざるか)

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「どうせ短い一生 その人生おおいに楽しむべし」と詠う漢代の西門行の詩である。

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