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2015年12月 1日 (火)

ファーストエンペラーの墓

紀元前247年、2200年も前に初めて中華帝国を統一した男(秦の始皇帝)の墓である。

春秋戦国時代を終わらせ官僚機構を整備し、厳格な法治を断行した男である。

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彼は不老不死を求めただけでなく、巨大な始皇帝陵と併せ地価宮殿と軍団を残していた。

軍団は8千体の実物大兵馬俑で、彼が統治した人類史上初めての官僚群を想起させる。

その墳丘は陝西省西安市の郊外に丘陵の様に広がっていて東西940m・南北2165mと、

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それ自体一つの巨大な都市の様な広大さである。

兵馬俑は、その墳丘から1.5km離れた所から、偶然に(井戸を掘っていて)発見された。

中華帝国の原型を創始した秦だが、その秦帝国はわずか15年で崩壊してしまっている。

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史記にはこの辺の事情を・・・あらまし次のように記録している。

始皇帝は法による厳格な支配と絶え間ない巨大土木工事に人々を動員し続けた皇帝だ。

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その始皇帝は何度も支配地を視察しているが、黄河下流を巡行中に重態に陥って、

自らの最後を悟り、長男の扶蘇(ふそ)に後継を託す遺書を残した。

始皇帝の死は伏せられたまま行列は(死臭を消す為に魚を乗せて)進むのだが、

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その間に、中車府令(官房長官)の趙高(宦官)による「胡丘の謀」と呼ばれる策謀が起る。

始皇帝の封書は破棄され、末子の胡亥を後継者とする旨の遺勅が作成されるのだ。

一向(胡亥・趙高・李棋(総理大臣))らが首都咸陽に戻ると、早速胡亥が即位し、

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次いで20数人の兄弟に罪を着せて次から次へと殺してしまう。

やがて共犯者のはずの李棋が追い落とされて殺され、実権を宦官の趙高が握る。

その内国のあちこちで反乱が起るのだが、そのさなか趙高は二世皇帝に鹿を献上する。

ただし「陛下、これは馬で御座います」と献上し、訝る胡亥を一顧だにせず、

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周りの者一人ひとりに馬か鹿かを尋ねていく・・・・と、その殆どか馬だと答える。

もちろん鹿と答えた忠臣は、直ちに趙高の命令で処刑されてしまうのだ。

今日私達が使う「馬鹿」という言葉は、「鹿を馬だと言う」この故事に由来する。

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やがて項羽の軍が咸陽城に殺到し、秦三代目子櫻を殺し、略奪の上宮殿を焼き払った。

この時、兵馬俑にも火がかけられて荒らされ、赤や青で彩色されていた麗々しい軍団は歴史の彼方に忘れられてきたのだ。

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その軍団が41年前に発見・再現され、そして今私はその威容の前に立ち尽くしている。

国立博物館「兵馬俑展」で、権力と言うものの儚さと始皇帝の幻を目の前にしている。

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