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2016年1月31日 (日)

修験者の道獅子ヶ鼻

私の住む磐田市最北部に獅子ヶ鼻公園があることは知っていたが、

これまでその奥の院にまで行ったことが無かった。

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今日は天浜名線敷地駅から獅子ヶ鼻、そして森町のもりの湯への21.4kのマラニックだ。

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朝9時、晴天の敷地駅に集まったのは40名余で、やはり楽しい仲間達ばかりである。

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一路獅子ヶ鼻を目指して走り始めたが、何故か幾分体が重い。

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それでも獅子ヶ鼻の真下に着く頃には薄っすらと汗をかいて、少しずつ足が上がってくる。

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その崖の真下から一気に急な階段を上って、そこからの10k前後が正に登山道になる。

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今朝までの雨でしっとりと濡れた斜面は滑り易く、かなり慎重に岩山を昇り降りしていく。

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これまで私の知っていた獅子ヶ鼻は入り口の部分だけだった訳で、

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奥の院の虫生までは変化に富んだ行者道が続くのである。

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それに途中には屏風岩や浮石、蟻の渡り戸、獅子の口、こうもり岩などと奇岩が続く。

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かなりスリリングな所もあって、結局この山を抜けるに2時間半を費やしてしまった。

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穏やかな里山のイメージは一変して、流石に行者の行き交った道なんであった。

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その険しいトレッキング道も、群れを成しての歩き走りでかなり楽しむことが出来た。

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虫生の村に降りて、そこのバス停でしばしの休息と昼食を済ませ、今度は森町に向かう。

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森町のゴールまでは10k程度で、今度は舗装道路を安心して三々五々走っていく。

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トレッキングが余りにもエキサイティングだったから、もう既に慣らしの走りになっている。

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ゴールの森林の湯には13時30分頃だったか、ゆっくりと湯に浸かって疲れを癒す。

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やがて休息室に集まって、やはり何時もの懇親会が始まる。

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町の人達のカラオケルームにもなっていて、なかなか見事な歌が続くお蔭で・・・・・

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しかし昼過ぎから風呂に入ってカラオケを楽しむ人達、私達だって同じ様なものだが・・・、

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人間はこうやって生きていくんだなぁ・・・なんて冷めた目で見ている自分が居る。

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ともあれ、今日も精一杯走って、みんなと楽しんで、一日が終わるんだから文句はない。

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やはり私達は、「今・ここ・自分」なんだと納得している。

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2016年1月30日 (土)

いま・ここ・自分

自己本位という意味ではなく、「いま・ここ・自分」が人生のすべてだと思う。

成仏とは死ぬことではなく、今日ただいまを生きる事である。

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幽霊には足が無く、前に出した手と後ろに引く尾っぽがある。

幽霊は尾っぽで過去を悔い、怨めしや〜で未来への不安、そして現在である足が無い。

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足を地に着けないのが幽霊であって、ともすれば私達だってそんな生き方をしてるかも。

今日は「囲炉裏端言いたいこと談義」で、菊川のに出掛けた。

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掛川から長福寺まで十数キロを歩いて、大谷和尚と囲炉裏を囲み人生を語るのである。

小雨まじりの道すがら、少し早咲の梅やボケ、河津さくらを楽しみながらの道程である。

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長福寺に着くと、その裏山の46億年の旅に出る。

100mを一億年に見立ててあって、地球誕生からの悠久を辿るのである。

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そして我々ホモサピエンスが登場するのは、460mのうちたったの2cmに過ぎない。

人類はその2cmをもう遥かに生きてきて、果たして私は何代目になるんだろうか。

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生まれて生きて、老いて病を得て死ぬって繰り返しを、どれ程やってきたのだろうか。

もちろんそれぞれ懸命に生きてきたからこそ、私が今ここに居るんだけど、

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果たして、そのことにどれ程の意味があるんだろうか。

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人は何故生きるのかってことだけど、多分その答えは「無」でしかないのではないか。

意味があるとすれば、今・ここに・この自分が生きているってことに尽きるのだ。

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私はこの4年間、毎年この長福寺を訪ねて裏山の460mを辿ってきた。

この間、間違いなく4年の馬齢を食んだのだが、白髪が増えこそ他に何をし得たか。

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幾ら考えても、精一杯生きてきたとしか言いようがない。

70年近く生きてきて思うことは、「人生にさして意味は無い。意味があるのは今」ってことだ。

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その只今、自分がどこで何をしているかってことにこそ意味があるってことだ。

そんな馬鹿々々しいことを、囲炉裏を囲んで酒を飲みながら語るってもの人生さ。

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そう、未来の為に今をこそ生きようと思う。

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2016年1月29日 (金)

秘すれば花なれど

外は、冷たい冬の雨である。

その雨を眺めながら、日本人の感覚の移り変わりの妙について思っている。

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実は内気な性分もあって、あの世阿弥の「秘すれば花なり」と言う言葉が好きである。

世阿弥は「秘することによりて大用あるが故なり」と、秘めるが肝心とさえ言っている。

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物事は秘めることで大きな効果が生まれ、逆にあからさまにしたんじゃ底が知れると。

臆病だからではなく謙虚と言うか、内に秘めた決意や奥床しさが好きだ。

だってお喋りよりも寡黙な方が重みがあるし、エロチシズムだって露骨じゃ台無しだ。

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着る物だって派手派手では直ぐに飽きるが、少し地味なのは味わいがある。

それに自己主張の強すぎる人よりは、少し控えめの人の方が深みを感じるだろう。

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食べ物もぎらぎら脂ぎって味の濃いものよりも、薄味のほうが素材が生きる。

ほらッ、お寺だって絢爛豪華な寺より、簡素でなんてことの無い寺の方が落ち着くしね。

この感覚は衣食住須らくに行き渡って、日本の美的感覚の基礎として根付いてきた。

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だけど欧米では、花は花、美は美が一般的で、エロチックも裸体でドライに表現している。

色だって極彩色の建造物が多いから、日本人とは本質的に違っているように感じる。

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とは言いつつ近世の私達はドンドン洋風化して、「奥床しい」は死語になりつつある。

村の集会などでも必要以上に(中身の無いヤツほど)自己主張して見せるし、

俺が俺がの主張が民主主義と錯覚したミーイズムが辟易するほど蔓延っている。

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そう・・・「秘すれば花なり」なんて言ってりゃ存在しないと同じと言わんばかりである。

友人がいつも「正しいことを言う時には、ちょっと控えめに・・」した方が良いと私に言う。

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この極意も秘すれば花で、よくよく心したいと思っている。

物事は露にすれば夢がなくなるが、淡くベールが掛かっていた方が膨らみがある。

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そうなんだけど、近頃のギスギスした世の中じゃ通用しないんだろうなぁ~。

ちょっと遅く帰りゃ「貴方、何処に行ってたのッ?」って問い詰められるしさ !!

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2016年1月28日 (木)

四季折々に

来週(4日)は立春で、どれ程の寒さがやってきても「もう、春だから」と、気持ちに幾分の余裕ができる。

それに3日は節分で、かつては何處の家でも「鬼は外・・」と豆をまいたものだが、

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今では恵方巻を食べる方が一般化しつつあるようだ。

「巻きずしを恵方(陰陽道の歳徳神の居る方向)に向かって無言で食べると願いが叶う」

と言うんだから全くもって安直で、どうやら海苔業者の陰謀が当たったと言うべきか。

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もとより歳徳神はその年の福徳を司る神様らしく、恵方に向かって事を行えば万事が吉らしいから、

何もわざわざ巻きずしを食べる必要は無さそうに思う・・・それに寿司が大き過ぎるしね。

それにしても四季折々、日本人は季節の変化に合わせてその歳時を寿いできた。

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この点、四季の変化の少ない東南アジアなどでは、日々の流れは単調で味気ない。

乾季と雨季があるにせよ常夏だから、毎日ぎらぎらとした太陽が照り付けている。

だから人々の生き方だって、自然に身を任せて暑さに馴染む方向に傾斜していく。

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南国の緑だって年中濃緑一色だから、あの木々の一年のリズムを見ることが出来ない。

私達は落葉があるからこそ、春の新緑を満喫できるのである。

それに日々の会話だって「ほら、あの桜の咲く頃に・・」とか「珍しく雪の降ったあの時」なと゜Img_4454

思い出だって季節の変化の装いをまとって、色彩と共に浮かび上がるのである。

そしてこの四季があるからこそ感傷も深まって、それだけ心の表現も多彩になるんだ。

そう言えば、ウルトラマラソンやマラニックも、季節によって随分違った展開になる。Img_4453

それに平板な天候の時のレースよりも、特異な天候のレースは忘れられないもんね。

人生だって同じことで、山や谷を乗り越えてこそその深みが増すってことだろうな。

それから恵方に少し似た姿が、京都の大文字焼きの際の芸子達の習慣だ。Img_4452

大文字に灯が灯ると盆に酒を酌み、これを目の高さに捧げ持って大文字の火が映るのを見ながら酒を啜る。

燃える山に向かって盆を捧げ持つ芸子の風情は、また得も言われぬものだろう。Img_4449

ちなみに今年の恵方は南南東だから、恵みの神は海の向こうからやってくるのかなぁ。

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2016年1月27日 (水)

変遷の中に

私の住む地域には二つのスーパーがあるのだが、近くそのうちの一つが閉店するという。

街で初めて出来たスーパーだったと思うが、物流の変化にもう続けられなくなったらしい。

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かつて私の子供の頃の買い物と言えば、近所の「よろず屋」と決まっていた。

そこは村衆のたまり場で、店の叔母ちゃんは子供達一人ひとりの名前も知っていた。

総合スーパーが出来てその万屋が立ち行かなくなったのは何時頃だったろうか。

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やがてコンビニがあちこちに出来て、日常の買い物は近くのコンビニへと移っていく。

かつて栄華を誇ったデパートが潰れ、スーパーにも淘汰の波が押し寄せる。

同様に日常生活も便所が水洗トイレに、情報はネットやスマホに、住宅も今様に変わり、

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移動は高速道路や飛行機へと変遷して世界中に旅行できるようになった。

それが生きてきた70年近くの間に起った訳で、途轍もなく目まぐるしい時代の体験だと思う。

そしてその変遷の起点が、あの大阪万博あたりじゃなかったかと思っている。

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就職した頃だったが、あの明るく広がる千里を訪れ世界の広さと奥行きに感嘆したし、

それに見るもの全てが目新しくって、夢が一杯あった。

長蛇の行列の中で、先行きの大きな変化を予感していたように思うし、自分も若かった。

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あれから半世紀、経済成長を経て長寿高齢化の成熟した時代を迎えつつある。

総じて随分な変遷の時代を生きたものだと思うが、自分も馬齢を重ねてここに居る。

そうして、その自分そのものは何にも変わっちゃいない様な気がする。

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何時の時代だって、人は生まれて、歳をとって、病になって死んでいく。

こうして時代を眺めている意識だってアッという問に消えて、存在すら忘れ去られるのだ。

ともあれ見るべきものは見てきたし、果たしてこれから何が見られるだろうか。

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  白髪(唐の詩人 張九齢)

宿昔青雲志 (宿昔 青雲の志)         その昔 青雲の志

蹉跎白髪年 (蹉跎たり 白髪の年)       残念ながら既に白髪の歳

誰知明鏡裏 (誰か知らん 明鏡の裏)     よく磨いた鏡を覗き込んでは

形影自相憐 (形影 自ら相い憐れまんとは) 我が肉体を相憐れむとは 

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2016年1月26日 (火)

永遠の青二才

かつて若い頃、少し大人びた栗原小巻よりも、可愛さのある吉永小百合の方が好きだった。

私も潮騒やら伊豆の踊り子など、あの純な乙女に仄かな恋心を抱くサユリストだったのだ。Img_4473

その吉永小百合は1945年の生まれだから、今年の3月で70歳になる。

紛うことなく古稀の婆さんの筈なのに、若々しくってとてもそんなにゃ見えない。

俳優は特別なのかも知れないが、それでも日本人の顔はみんな昔よりもずっと若くなった。Img_4472

祖父の遺影を見ても私よりずっと若くして亡くなっているのに、とんでもない爺さんだ。

人生50年の時代を生きた人達、例えば明治の元勲や戦前の政治家の写真をみると、

30~40歳で亡くなっているのに、実に貫禄があって如何にも指導者全としている。Img_4471

あぁ夏目漱石も50歳前に亡くなってるけど、残されている写真は立派なもんだ。

それに比して、古稀になんなんとしている鏡の中の我が貧相な顔は如何したことか。Img_4470

人の顔はその人生を映し出すというから、苦労知らず鈍らで生きてきた故なんだろう。

それに考えることが貧弱で、精神年齢は何時までも青二才(26歳くらい)を続けている。Img_4469

所詮天下国家を考えていた昔の人達と比べるべくもないが、それにしても風采が無い。

どうやら人の風韻というものは、その時代背景や環境が創り出すものらしいから、

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戦争や動乱を知らない私達が甘っちょろいのも仕方あるまい。

それに若さは、栄養水準の変化もさることながら、若さが価値を持つ時代と関係している。

時代がハイテンポに移り変わって、いつのまにか老人の出番(価値)がなくなって、

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それで、誰もがカメレオンの様に若作りするようになったってことかな。

更に加えて、これからの超長寿社会を考えりゃ、古希くらいじゃ威張ってられないもんね。

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やはり永遠の青二才で結構だと思い始めている。

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2016年1月25日 (月)

縁をつなぐ

この人間の世の中は、人との出会いや結びつき、決別や忘却が全てかも知れない。

その縁にも親子に始まって幼馴染や同級生、夫婦や友人などと様々な結びつきがある。

その反対に競い合い反発しあう縁だってある。

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中でも職場での人と人の出会いや結び付きが、その半生を左右する場合だってある。

振り返ってみれば、これまで随分と素晴らしい先輩諸氏に恵まれてきたと思う。

それに飽き足らなかった訳ではないが、何時の頃からか職場外での出会いを求めて、

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幾つかのサロンや研究会、或いは同人に加わるようになった。

例えばお茶と水研究会やめだかの学校等で、そこで多くの方々に巡り合ってきた。

生き方も考え方も立ち居地の違う人達との接点は、私の狭い世界を随分広くしてくれた。

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とは言え、人と人が結び付くのはそんなに簡単じゃなく、その接着度にも濃淡がある。

笑ったり泣いたり、歓喜や励まし、喧嘩したり仲直りしたり、悪口や褒め言葉も含め、

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とにもかくにも、私達の行動の先には必ず縁のある人が居るはずだ。

しかも縁のできた人との互いの距離も時々刻々と変化していて、

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その縁をどの様に結んでいくのかが、実は人生の面白さなんだろうと思う。

実は一昨日、23年間続き130回の例会を持ってきた「遠来人の会」の解散総会があった。

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知的研修旅行や講演会などと有意義な会なのだが、お互いの高齢化が遠因だ。

とは言え会は一端解散して、新たにゆるやかな「縁来人の会」を発足させることになった。

定期的な例会を持つのではなく、会員が適宜呼びかける形でイベントをやる会だ。

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ともあれ縁は繋がる訳で、その130回目の例会はHさんの講演「パミール探検の旅」だ。

20日間余に亘ったシルクロードを辿る2000k余の旅のあれこれを紹介したのだが、

それぞれ皆さんが自分の事として興味深く聞いていて、まさに是も縁だと納得する。

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さても例会を終えると、やはり懇親の場に移って一人ひとりが「これから」を語る。

縁とは不思議なもので、そんな具合に人の縁は繋がっていくのである。

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2016年1月24日 (日)

立ち木を見る

今日は例によって、森信三先生の修身講義録を学ぶ勉強会である。

朝から森町三倉のムーハウスに集まったのは、いつもと少し顔ぶれの違う10人である。

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先ずはそれぞれの今年一年の目標等についての交換の後、暫しのランニングに出る。

外は粉雪が舞って気温は零度付近だったが、大日山の峠に向かって6kほど登っていく。

途中にはもう紅白の梅や蝋梅が咲いていて、「エッ、こんなに寒いのに・・」とやや驚きつつ、

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山間の寒いところに隠れていた春を見上げて、「来て良かった」と独りごちていた。

約1時間で峠に至る頃にはジワリと汗をかいて、帰りは脱兎のごとく坂を下っていく。

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ムーハウスに帰るともう昼食の準備が始まっていて、それぞれ持ち寄ったご馳走で・・・・

おでんやら寿司、野菜のドレッシングや柿プリンなども戴いて満腹になったが、

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本番の勉強会はこれからだから、居眠りをするって訳にはいかない。

勉強は第五講で前回に続く「教育者の道」である。

森先生は教育の要諦は「眠っている一人の人間の魂の覚醒をめざすこと」だと言う。

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そのために、まず学ばなければならないのは親や教師だと説く。

人を教えることは、自ら学ぶ果てしない一道だと。

兎角上から目線で知識を押し付ける教育が一般的だが、子供達の魂を発芽させる温床になるのは至難だ。

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殊に森先生の著述を読みながら反省しきりだったのは、親としての失敗である。

教育とはエジュケートだが、その意味の多くは「引き出す」ことであって、押し付けることではない。

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私自身子供たちに対して何を引き出し得たのかと考えたのである。

そもそも「親」とは立ち木を見ると書いて、自分の子供の良いところを引き出す役目じゃなかろうか。

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しかるに、未だに自分の子供の長所を見つけられないでいる自分は何なのか。

生きる為に懸命に働いて来たんだからってのは言い訳であって、

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子供の「心のスイッチ」に気付かなかっただけなのだ。

今更人生をやり直す訳にゃいかないから、せめて孫達に何かできないかと思っていた。

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峠の寒さの中で咲く紅梅白梅は、そんな「いのちの教え」なのかも知れない。

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2016年1月23日 (土)

ラン友

何年かぶりの寒波襲来らしいが、今日からランニングの再開で山に向かった。

宮古島から一週間経過したが、今回は疲労の回復が極めて遅くって特に足の爪が痛い。

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足全体の腫れは引いたが、爪6本位が少し浮きあがって黒くなり始めているのだ。

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ともあれ山に入ると、今日も十数人のラン友が思い思いに走っていた。

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昔は揃って走っていたが、走力や体力の違いからこの十数年は各自の走りになった。

もう言うまでもないが、私達は既にこの山を25年近くも走り続けてきたのである。

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当然ながらこの間には、涙や汗や喜び、笑いや怒りなどと様々なドラマがあった。

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走ることだけでなく、それぞれの家庭や職場での起伏などもそれなりに共有してきた。

肝胆相照らすと言えば簡単だが、それぞれもう少し深いところで繋がっていると思う。

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それに人生の盛りの時期25年の付き合いだから、半端な付き合いではないと言っても良いだろう。

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RCに規約や会費がある訳でもなく、それでも気持ちで自然に結びついている仲間だ。

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午前中のひとしきりの走りの後、その昼近くはいつも四方山話に花が咲く。

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その小一時間の団欒が何故か気晴らしになって、次の活力源になっていくのである。

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今日はすれ違う人毎に「完走、おめでとう」「やぁ、頑張ったじゃん」「良かったねぇ」などと、

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それぞれエールを送られて、何だか黄綬褒章でも戴いたかの様に嬉しくなってしまった。

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思えば今日まで走り続けてこられたのは、この仲間達との競い合いと励ましのお蔭だ。

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それぞれに年齢も仕事も、そして走力の違いがあったにしても、それでも競い合ってきた。

むしろ、それぞれ違いがあるからこそ会話も弾むし、和気藹々の仲間が出来たのだろう。

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そしてお互いの共通項は、この山を走ると言うことだけなのである。

そうしてこのラン友が合い連れだって、あちこちの大会に遠征するのである。

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同じユニフォームに身を包んで、仲間意識を大いに膨らめる時だね。

故障で走れなくなった仲間も時折はやってきて、お互いの顔を見て安堵して帰っていく。

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私にとっては、みんな掛け替えのない仲間達である。

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2016年1月22日 (金)

人生って何?

人は時とともに変容すると言われるが、自分じゃごく自然に歩いてきた様に感じている。

それでも改めに考えてみると、スポーツ音痴の私が日常的に体を動かすようになり、

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内気で臆病な餓鬼が人前に立つようになり、こうして自分の文章を人前に晒すようになった。

出不精で人見知りの激しい男が、毎週末には人を求めて出掛けるんだから正に変容だろう。

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あぁ・・それよりもっと変わったのは家の中で、子供の独立はともかく夫婦が単なる同居になった。

妻は一人でコタツに入ってTVを見ているし、隣に座ると「うるせぇなー」ってな目で

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ジロリと睨まれるから、私は止む無く書斎で一人過ごすことが多いのだ。

或いはこういうふうに景色が移ろって、人生は終わっていくんだろう・・・・って感じもする。

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かつて色鮮やかだった家の中が次第にくすんだ色になって、それが当たり前になる。

書斎の脇に書棚があって、その一角に私のかつての作品(書き物)が並んでいる。

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出版した本や現役時代に書いた仕事関係の資料、講演録の一部などだが・・・

そのさして大きくも無い本棚の一角に、何かの拍子にフッと目が行くことがある。

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過去の追憶に生きるのは意味が無いが、それでもそれが私の生きた記録なんである。

その「生のかたち」も女房達には猫に小判で、やがて私と共に霧消していくのだろう。

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更に書棚の下に小ぶりの箱があって、中にウルトラマラソンの完走メダルが入っている。

無数のメダルでズシリと重くなっていて、コイッアー私の汗と苦闘の結晶である。

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だが是だって他人にしてみれば無用の長物で、真っ先にゴミとして処分されるだろう。

それが空しいなどという感懐は若い時の戯言であって、それが至極当然なのである。

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思い出の写真であろうが書き物であろうが、その本人の記憶が輝かせるのだから、

親子であれ夫婦であれ、その体験(苦労)を共有しなかった者に執着がある筈が無い。

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まだまだ若いという気持ちは十分にあるが、客観的には人生の峠は既に後ろにある。

それでも人生とは何なのか定かでないが、多分人生とは自分自身のことでしかないんだろう。

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だから、出来そうな事は悉くやり尽くそうと思っている。

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2016年1月21日 (木)

寒さの中から

今日は二十四節気の大寒で、流石にそれらしく寒い一日になった。

そして今しばらくこの寒さが続いた直ぐ後には、立春が直ぐそこにやってきている。

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立哨の朝「お早う!行ってらっしゃい。」と叫びながら、この寒さももう少しだと思っている。

そう・・・もう一か月もすれば梅が咲き始めるだろうし、桜花だってじきのことになる。

オリンピックまであと何日と遠望するように、あの大会まで残り何日、卒業まで・・・・などと、

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私達は目指す先の区切りをつけて、そいつに向かって励んできたんじゃないか。

そして、その時の流れは幾つもの区切りをドンドン乗り越えて、

誰もが何時の間にか「歳月」を生きてしまうんだ。

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私もそうやって馬齢を重ねているが、お蔭と大病する訳でもなく四苦(生老病死)も縁遠い。

虚弱体質だった私が変わり始めたのは40過ぎからで、走り始めたことに起因している。

いつしか山の中を走る様になって、体質ががらりと変わった様な気がする。

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山の中で汗をかき身体を自然の中に投げ出していると、猥雑なものが毛穴から蒸発して、

アクティブに生きる力だけが身体の芯に残るようになった。

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健全な精神は健全な肉体に宿るというように、考えることも前向きになった。

而してこの20年余り、今はウルトラマラソンの世界を「楽しむ」境地に入りつつある。

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昔のように深く悩むこともなくなったし、生きるとは前向きに走ることだと思う様になった。

勿論世の中には悲しい事や不安なこと、ショツクを受けたりイライラしたりする事も多い。

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だけどそうした諸々を達観して眺められる精神力も、山の中で得たと思っている。

この季節の移り変わりを含め、大自然の中のあまりにも小さな存在だけど、

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その懐に抱かれて生き、やがて死んでいくまでの僅かな時間を精一杯燃焼させたい。

そんな思いで、春を待っている。

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2016年1月20日 (水)

千里の道も・・・

いまだに、先日の宮古島100kマラソンの余韻に浸っている。

何時果てるとも知れない、あの100kの道程を走り切ったという満足感でもあろうか。

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100kを走るためには、目標のゴールまでおよそ20~30万歩の積み重ねが必要になる。

目標は遥か彼方にあって、辿り着くには飽くことなく地面を踏み続ける他に方途は無い。

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それに途中の山坂や雨や風など様々な障害を乗り越えて行かなきゃならない訳で、

その一歩一歩を懸命に走ろうとするのだが、それは内面の弱気の虫との闘いでもある。

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「もう、止めよう」「もう、駄目だ」「何の為にこんな・・」って、心の奥底の悪魔が囁くからだ。

それでも走り始めた以上、一歩一歩諦めずに前に進むのが100kマラソンだ。

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そういう意味で、私達の人生の歩みと実に良く似ているなぁ~と思う。

人生には100人100様の様々な生き方があるだろうが、

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その違いの多くは、毎日何を考えているのかによって大きく差配されていく。

当然ながら、前向きな思考や思い(目標)が、間違いなく私達の可能性を広げてくれるからだ。

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ただしかし、どんなに高邁な目標を抱いたとしても、そこに向かって前進するには、

100kマラソンの様に地味で単純な一歩一歩を積み重ねなきゃならない。

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やはり目の前には次々と問題が現れるだろうし、そいつにめげない精神力だって必要だ。

そしてその精神力は、何が何でもゴールまで行き着くって言う深い思いから生まれる。

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人生は一日の連続、その一日一日の積み重ねに過ぎない。

見かけは時間の経過だが、実は肝心なのは「何」を積み重ねるのかということだ。

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必要なのは目的地を明確にすることだが、一瀉千里に行き着くなんてことはあり得ない。

それに始めから無理だよって思っていれば、そこに到達なんて出来る訳がない。

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どんな事だって実現させるには「何が何でも、あそこまで行くんだ!!」って思いから始まる。

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そうして、一日一日をコツコツと積み上げていくことで、

気がついたら何時の間にか100k先のゴールに立っていたってことじゃないかな。

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100kはそういう距離であって、まさに私達の人生と同じじゃないかと思うんだ。

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2016年1月19日 (火)

時の旅人

温かな宮古島から帰って、改めて旅の醍醐味について考えている。

旅は空間の移動なんだが、本当は時間の旅かも知れないということである。

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宮古島には、マラソンを目的にしてもう5年も続けて出かけている。

毎年のこの時期、海を隔てたこの島に渡って、その同じ空気に身を晒してきた。

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そこにはタコノキやガジュマルの並木が続き、時にキビの畑の隣にハイビスカスが咲く。

同じ宿に泊まって同じものを食べ、同じ風の音を聴いてきた。

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その同じ所を辿って三日間を過ごすのだが、しかしそれは決して同じ繰り返しではない。

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万物は流転し変化するのである。

この5年間を振り返ってみるならば、実はそれは時の歴史の旅だったとも思えてくるのだ。

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島の景色だって少しずつ変わってきたし、それ以上に私自身の心身の変化がある。

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それにこの島で巡り合う人だって、当然ながら移り変わっていく。

そうして最大の移り変わりは、昨年或いは一昨年と異なる『時』なのである。

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ラン仲間の中には「色んな所に行きたい」と新たな大会を求めて旅する人が居る。

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だが私は同じ大会を繰り返し訪れる方で、八ヶ岳は20回、丹後は10回と言った具合だ。

それぞれそこには自分の歴史が刻まれていって、単なるマラソンではなくなっていく。

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そう言えば八ヶ岳野辺山は今年は22回大会になるはずだが、私の人生の歴史でもある。

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いつも節目節目にこの大会があって、その時々の泣き笑い共に記憶の中に残っている。

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これは単なる自分の立ち位置を変える旅とは、明らかに別物だと思う。

殊に非日常的な南国の宮古島は、サンゴ礁から出来た土からして異空間であって、

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シーサーをながめ蛇味線の音を聞くだけで、それはもう旅の空間に入り込んでしまう。

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その上、その島をぐるりと自分の足で踏みしめるんだから、それこそ旅人である。

人生と言う有限の時間の中で、この南の島で過ごした一時は実に幸せな時間であった。

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島でのこの一時は、時の旅人にとって人生の道標の様なものなのかも知れない。

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2016年1月18日 (月)

サトウキビの島の102k

宮古島は、言う間でもなくサトウキビの畑が一面に広がる島である。

昨日もそのキビが強風と雨に打たれて、ザワザワザワとしなる様に揺れていた。

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こんな天候にも関らず、畑に出て収穫作業にいそしむ農家の人達が見られた。

一部で大型のハーべスターも動いてはいたが、大部分は農家の手作業での収穫だ。

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ところで昨日は色々とハプニングに遭遇したが、最大の驚きは102k走ったと言うことだ。

ハプニングは、早朝の真っ暗な中で大粒の雨が降り出したのが引き金らしい。

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私達はサトウキビのザワザワを耳にしながら、池間大橋に向かって走って行ったのだが、

その橋の手前で折り返すのが本来の予定のコースだった。

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ところが先頭のランナーがあまりに早く、それに係員が雨を避けて車に入っていた。

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ランナーは折り返しの案内も無かったからドンドン橋を渡っていく。

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それに気づいて追いかけた時には既に1k先まで行っていて、止む無くそこを折り返し点にしたと言うことらしい。

お蔭で私達はこの早朝の時点で2kも余計に走らされた訳で、

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私も含めて「何故こんなにペースが遅いのか」と不思議に思ったのも道理だった。

この2k(15分)を差し引けば、50k地点を予定通り6時間で通過していたはずなのだ。

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まぁ〜その2kの為にリタイアを余儀なくされた人も多かっただろう。

大会事務局は急遽ゴールの門限を20分延長したらしいが、それが全体に伝わることは無かったからだ。

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最も大雨注意報やら暴風警報で大会の中止を検討してたらしいからてんやわんやだ。

エイドだってコップを置くだけで水は溢れていたし、パンやバナナも水に浮いていたしね。

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雷鳴がとどろいて前が見えないほど降られていた時、突然頭を半鐘でたたかれたようなショックがあった。

自分の中で「お前はこんな濡れ鼠になって、一体何をやってるんだ!馬鹿野郎」と言う。

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確かに客観的に考えりゃ、馬鹿か狂人でなきゃこんなことはやらんだろうと言う状況だ。

でも人間ってのは不思議なもので、ゴールが決められりゃ黙々とそこに向かっていく。

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それに過酷な状況に置かれりゃ、それだけ自分の中の奥深くで自分との対話がある。

その葛藤の中で自分が試されるって感じかな。

サトウキビの畑、雨が葉を叩く音、自分の足音・・・・102kか、ゴールが遠かった訳だ。

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2016年1月17日 (日)

結晶の涙

未だ随分先と思いつつ過ごして、とうとう宮古島100kワイドーマラソン当日となった。

丑三つ時の午前2時起床、ランの支度をして2時半から朝食、3時45分には会場に移動。

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天気予報は不穏な予報をしていたが、夜空には所々に星が光っている。

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ともあれ漆黒の闇の中を午前5時スタートとなる。

伊良部大橋の開通で今年から大幅にコースが変わって、幾分楽しみでもある。

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先ずは來間大橋をその真ん中まで進んでUターンの走行距離調整である。

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と言っても洋上を渡る訳で・・それが猛烈な北風に煽られながらの渡橋となった。

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渡り終わったころだろうか、突然大粒の雨が降ってきた・・・随分早い襲来である。

だが雨は一時で終わり、所々の晴れ間に星が光り出している。

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15kくらいから伊良部大橋が暗い中に突然浮かび上がる。

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この橋は長さが3.7k程もあって、往復するだけで1時間半も要するのである。

おまけに折からの突風もどきの強風で、帽子を手に持って体を斜めにして進んでいく。

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橋の向こう岸から折り返すと、夜空が薄明るくなって、橋の威容が全貌を表す。

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橋の長さ故に、すれ違う仲間とエールの交換もしながら暫し橋を楽しむ。

そんな具合に気を取り直して、猛烈な向かい風に向かって足を進める。

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お蔭で、足の調子は頗る好調なのだが、ペースはかなりゆっくりである。

これで完走できるのかと不安になるのだが、精一杯走っているから仕方がない。

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次に向かうのが1.5kほどある池間大橋である。

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この橋の上も、驚くほどの強風だが夜が明けて木漏れ日に光る波間が美しい。

ペースを心配しながらもかなり順調に足を運んで、50k地点を6時間15分でクリアーした。

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十分ではないが、後半の50kへの45分の貯金である。

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50k地点からは平安名崎に向かう26kの直線が続いていて、これが延々と行けども行けども岬に届かない。

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そうこうする内に一面の黒い雲に覆われて、雷鳴が轟き大粒の雨がたたきつけ始めた。

忽ちにして歩道は水のプールになって、みんな水溜りを避けて車道を行くのだが、

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その車道も水であふれている。

水も滴る様な良い男・・・と言いたいが、吹き付けた雨が体を樋にして流れ落ちる感じだ。

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ようやく疲れを感じ始めて、前傾しない走法に切り替えた。

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そもそも走ろう走ろうと前屈みになると腰が引けて返ってスピードが出なくなる。

前に進もうと考えずに、体重移動に徹して足を一歩一歩前に出すことに専心する。

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これが可成り功を奏したのだが、横殴りの雨や暴風、水溜り、落雷などがその走りを邪魔する。

その度に「淡々と、体重移動」と自分に言い聞かせている。

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人生と言うのも自分が前に出ようとすればするほど、やっかみや悪口、邪推などと、

様々なところで障害と遭遇するものだが、それも多くの場合前傾姿勢に原因がある。

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ところで80k近くまで仲間内では私が先頭をキープして走っていたのだが、

例によって写真を撮りながらのランなのだが、平安名崎灯台の写真を撮ろうと構えると、

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その画面の中に思いもかけないHIさんが飛び出してきた。

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信じられなかったが、追いついてきたのである。

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それから先が大変で、ひたすら逃げることになって、結局100kを一度も歩くことなく走り切ることになった。

100kは延々と何時果てるとも知れない距離だ。

終わりの無い人生が無いように、その100kの旅もやがてゴールを迎えるのだ。

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やはり練習は嘘をつかなかった訳で、色々な出来事があったが、12時間44分でゴールすることが出来た。

ゴールのテープを切った瞬間、血と涙が一粒の結晶となってポロリと地面に落ちた。

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2016年1月16日 (土)

南の島にて

今日は、やっと冬らしい風の吹き始めた静岡空港から一飛、温かな宮古島に来ている。

曇り空だけど、もうこちらでは洋ランの花が咲き、温かな南風が吹きよせている。

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このサトウキビの畑に覆われた島を訪れるのは、もう五度目になるだろうか。

常夏のハワイにも匹敵するこの島には、漆黒の夜空に浮かぶ星空と緑色の海がある。

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信号機もあまり見ることのない島だけど、キビ畑を渡る風の静けさが殊の他気に入っている。

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昨年、伊良部島に渡る4.7kmの橋が開通して、これが歩いて渡る日本最長の橋になった。

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マングローブの林や海中水族館と並んで、この橋も島の観光ポイントになろうとしている。

宮古空港にはEKさんが迎えに出てくれて、受付も宿にもスムーズに着くことができた。

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宿は今年も、うえのドイツ文化村の隣にあるブリーズベイリゾートである。

そのリゾートが随分にぎやかだと思ったら、夏川りみさんのコンサートが開かれていた。

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ここはかつては100kレースのスタートゴール地点だったが昨年から下地に変わっている。

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この宮古島は、その温かさを生かしてトライアスロンや100kレース、バイクやマリンなど、

アウトドアスポーツの拠点になりつつあるようだ。

宿に着いて明日のスタート準備を終えると、いつもの店でゴウヤチャンプーを戴きながら、

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お互いの明日の健闘を誓い合ったのである。

新たなメンバーが増えたものの、一昨日まで楽しみにしていたWさんが急遽来れなくなった。

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仲間が一人欠けるのは何とも寂しいものだが、その分も含めて私が走ろうと思っている。

ともあれ新参の二人は、私を追い抜くのを目標にやってきている。

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多少老いたりとは言え、そこは経験で何とか好記録で走り抜きたいと思っている。

とは言え、100kの旅は始まってみなければ分からないのである。

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イザッと気張ることなく、今夜はぐっすり眠ることにしよう。

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2016年1月15日 (金)

あぁ、私は凡人

今更改めて言うまでもないが、つくづく私は凡人だなぁ~と思っている。

世の中には、普通の人には頑張ったって到底出来ない事をやってしまう人がいる。

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学生時代にも卒業を待たずに世界放浪の旅に出た男がいたし、

労働運動にのめり込んでいった友人や文芸活動を目指した人も居た。

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そんな彼らを横目に「俺にゃ、出来っこない」と端から諦めて、羨ましいとも感じなかった。

こちとら百姓の子倅で、そもそも育ちも環境も違わいって気持ちだったと思う。

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かてて加えて、人に後れを取るまいって、根っから劣等感の塊だったような気がする。

就職すると否が応でも出世競争が始まるのだが、

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同期の突出した(見下した目線の)ヤツには何時も心がざわざわとしたものを感じていた。

自分の実力はさておいて、「何であいつだけ・」と嫉妬する力だけは一人前だったようだ。

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30歳過ぎた頃、「身の丈」を考えるようになって、自分の出来ることが増えた気がする。

そもそも幾ら努力したってオリンピックの選手になれる訳でなく、ノーベル賞も無理な話だ。

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物事には出来る事と出来ない事がある訳で、ある程度の諦念の元で安住するしかない。

少し悔しいがそれがこの世界なんだから、その中で出来ることを探しゃ良かろうって訳だ。

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所詮俺なんて普通の人間であって、何の得手も無いただの人なんだッて分かって、

理想を追い求めるって事を止め、妥協に妥協を繰り返して今の私が居るってわけだ。

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だから私の人生は失敗の連続だとも言えるが、しかしそれは結果論でしかない。

その時にゃ惰性であったにしても、その選択しかなかったと思うからだ。

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それにしても人生には無限の選択肢があって、或いはあの時、別のチョイスをしていればと思うこともあるにはある。

しかし私は、いつも際立った選択をせずに「凡人の選択」をしてきたようだ。

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そういう意味じゃ、自分を何ほどのものでもないと端から認識しているのである。

そして今じゃ、それ(身の丈にあった生き方)で良かったと思っている。

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2016年1月14日 (木)

無限の思い

静岡に出掛けたのだが、安倍川の橋に差し掛かると突然大きな富士山が浮かび上がる。

何故大きく見えるのか分からないが、今日も「オォー」って感じだった。

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次の瞬間アレッと思ったのは、「こりゃ、秋口の富士山だぜっ」ってことだった。

本来なら真っ白に雪化粧しているはずで、とうに寒に入ってるの今日も雪が無い。

どうも狂っているのは気候ばかりでなく、年初来の株式市場も大荒れの展開である。

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やはり気候は春夏秋冬それらしく、景気の動きも微速前進であって欲しいものだ。

ところで人間というものは、自分の中の欲望を次々と更新しながら生きる動物だ。

だけど唯一、老化だけが諸々の欲望や心配を弱め鈍らせるのだと物の本に書いてある。

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世の中はどんどん高齢化社会になっている様で、自分もその一部なんだろうが、

その・・・高齢化社会のコアを担っているという実感は未だない。

いやさ、自分がその高齢者の一人だと言う認識が皆無なんである。

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トラクターで周りの水田を耕している人達だって、大抵は70代後半の人達だし、

この農村部に住んでいる限り、未だまだ十分に若いのである。

確かに欲望に関しては、物欲こそは無くなったが、必要以上に食べないだけだし、

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それに、これ以上必要なものが無いだけのことである。

だが、やりたいことは次々と登場する。

そもそも人の情熱というものは、常に新しいことに向けられるし、

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新たな経験こそが胸をワクワクさせてくれるものだ。

だからこそ、今年も新たな試みを伏線として幾つか準備している。

ナニ、昨今の波乱含みだって、人生を変化に富んだ面白いものにしてくれるかもと思えば良い。

異常続きで始まった年初だが、果たしてどんな一年になるのか興味と不安は尽きない。

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2016年1月13日 (水)

10年たったら

森鴎外の55歳の時の著作に「なかじきり」があって、

その冒頭に「老いは漸く身に迫って来る。前途に希望の光が薄らぐと共に・・・」とある。

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陸軍軍医総監を退職して間もなくの頃の作で、人生の中じきり、

つまり中間決算のつもりだったのだろうが、彼の寿命は残り5年でしかなかった。

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大文豪も自分の寿命は全く分からなかったのだが、果たして人はいつ老いを感じるのだろうか?Img_4198

勿論人それぞれだろうが、関わっている社会的役割と大きく関係するのではないか。

幸いに私の場合、定年退職の還暦は気持の変化こそあれ、単なる通過点でしかなかった。

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或いは、気持ちの切り替えを含めて考えれば「中じきり」だったのかも知れない。

だがその後の自由度が増した分、遊ぶことも含めて羽ばたいている様な気がする。

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だから次の古稀を過ぎてからやっと「老いは漸く・・・・」って感じるのかなぁ~と思っている。

身辺の諸々の整理は、その辺からぼちぼちやりぁ良かろうと見当付けているのである。

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とは言え、これ(寿命)ばっかりは、棺桶に足を突っ込んでみないことには分からない。

だから、それ(老が身に迫ったと自覚する)までは「もう年だから」と思わない事にしている。

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だって、10年先に生きていて振り返ってみれば、今の自分は十分に若いはずだもの。

それにどうやら「老年から見た世界の新鮮さ、面白さはちょっと口では説明できない程で、

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夕映えが美しいように、その世界も中々味がある。」らしいとも言われる。

その様でありたいと願うが、その夕映えには未だまだ私は若すぎるのだと思っている。

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さりながらその老境に至った時、その次の10年後が果たして考えられるだろうか?

ともあれ10年先から考えれば、この今の瞬間が最も若いんだから、何事も溌剌と挑戦するしかあるまい。

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要するに人は気持ち次第、心一つで行動も変わるってことだ。

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2016年1月12日 (火)

何故走る

走ることは・・・、増してウルトラを走ることは決して楽な事じゃない。

精も根も尽き果てて、足腰に鉛の塊を付けたように重くなって動かなくなる事だってある。

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誰かに強制された訳でも・・・頼まれた訳でもないが、それでも走り続けてきた。

そうして何時しか、心と体がより過酷なウルトラマラソンに向かっていくようになった。

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何かが・・・走り切ること自体が目的であって、そいつが私を突き動かすのである。

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人間が長距離を走れるように進化したのは、人類の狩猟採集生活に起因するらしい。

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獲物の動物が疲れ果てて倒れるまで粘り強く走って追いかけたことによると言うのだ。

事実今でも、ケニアなどでは人々は子供の頃から素足で大地を駆け回っている。

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だが農耕の歴史の長い日本の百姓の息子が走ることと関連があるとは思われない。

それに走るって事は、球技や武道などに比べれば実に単純で面白みに欠ける。

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特にウルトラマラソンは、自分の限界に挑戦する根気の勝負だ。

何時もの事だが50kを過ぎた辺りから、繰り返し襲ってくる苦痛と自分との戦いが始まる。

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「もう限界だ、止めよう! 歩こう!」の呻きと、「何言ってるんだ、止めてたまるか!!」の葛藤だ。

ギシギシと軋む肩や腰、それに重い足を引き摺りながら、悪魔の誘いと闘い続ける。

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世間の諸々や体裁などは剥ぎ落とされて、そこには地の生があるだけだ。

全てを丸裸にされて、100kの道すがら自分の性根が試されていく。

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80k、90kとそれでも前進し、もっと遠く、生まれたまんまの原始的な深い所まで行くと、

不思議な事に、それまでの疲労感がすぅ~っと引いていく時がある。

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筋肉の痛みがなくなる訳ではないが、自分の魂が宙に浮かんでいる様な感覚かなぁ~。

自分が自分自身と繋がっているって感じ・・・つまり一種の自己実現の体感といえる。

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私は、これを静の座禅に比肩する動く「禅」だと思っている。

それは、あのグッとくる表現し難い達成感は走る大きな動機だが、

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本当は自分の心との対話こそがウルトラの真髄なのかも知れないと思っている。

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2016年1月11日 (月)

趣味に生きる

幸せな事に、私の毎日は趣味三昧と言うか、広義の趣味活動で埋め尽くされている。

葡萄やホウレンソウの栽培、毎朝の立哨やマラソン・マラニック、Img_4183

更にはこのブログだって勿論趣味の範疇だ。

作物の栽培は営利と思われがちだが、採算を考慮すれば成り立つ訳がなく全くの趣味だ。

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立哨を始めてもう7年になるが、ある時「幾ら貰ってるんです?」と聞かれたことがある。

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馬鹿々々しくって返事もしなかったが、お礼を貰って毎朝立てるなら立ってみるが良い。

何れも趣味でなくっては、できないことだと思っている。

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勿論このブログだって、まったくもって自分の足跡を印すつもりで書いている。

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それから言うまでもないが、私の最大の趣味はウルトラマラソンである。

一年間の節目節目に大会があって、来週の宮古島を皮切りに既に9大会を予定している。

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昨年は8大会中2レースで途中リタイアしてしまったが、今年は全レース完走が目標だ。

と言う訳で昨年12月は470k、年が変わって昨日までの10日間で195kを走ってきた。

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毎日3時間程度走っているんだから、趣味とは言え相当に入れ込んでいるのは確かだ。

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その走り込みと同時に晩酌を止めて体調を整えてきたんだが、体重もかなり減った。

それで昨日の湖西連峰トレイルを境に、今日からは体に蓄積した疲れを抜く調整期間だ。

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とは言え果たして5日間で疲労がどの程度抜けるのか、これも未知の経験なのである。

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少なくとも昨日の激しいアップダウンで、今日は自覚出来るほど足に疲労が残っている。

まぁ〜結果は間もなく出ることになるが、本人はいたって楽観している。

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それにしても、趣味となればどんな困難なことでも出来てしまうから不思議だ。

好きな事でしっかりと疲れるってのは、実に気持ちの良い事なんである。

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2016年1月10日 (日)

トレイルランの面白さ

何年ぶりの参加になるだろうか、今日は湖西連峰トレイルランである。

スタート地点の二川、岩谷緑地公園には170人余が集まった。

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二川は旧宿場町だが、それ以上に岩谷観音が江戸時代から知られ、参勤交代の大名にも信仰されたと言う。

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岩谷観音と言われるように、岩の上に気高く立つ観音さんはなるほどと思わせる。

ともあれ私達は細い山道を登って行くのだが、大勢故に3分刻みの時差スタートである。

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険しい岩だらけの山道を登ったり下ったりするのだが、急登が続く最初の5kmほどが最も苦しい。

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それを過ぎると浜名湖と三河平野を見渡す尾根道に出て、少し寒いが絶景を走る。

この湖西連峰にはハイカーも多くって、疾走する私達も声を掛けながらのランになる。

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ハイカーにとっては170人もが駆け抜けていくんだから、ちょつと戸惑い気味でもある。

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13kほど先の多米峠には豊橋RCの皆さんがエイドステーションを設けて下さっていて、

ビールと美味しいカレーを戴き、ひとまずヤレヤレと休息する。

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しかしその先が険しくって、廃寺跡から本坂峠へと辿っていく。

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17kの折り返し地点にやはりエイド(お汁粉)があって、残りの距離を考えればもう安堵。

一緒になる仲間は変われども楽しい会話も続いて、体は苦しくても心は弾んでいる。

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それに岩の間や椿の林、青木の森などを抜けながら、

変化に富んだコースを楽しんでいるから、時間の経過をほとんど感じない。

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それにしてもこの湖西の山々は「タフだけど、良いランニングコースだなぁ」と感心していた。Img_4212

一人ではとてもこんな調子では走れないだろうけど、

とにかく走り続けて14:09に石巻神社前にゴールすることが出来た。

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4時間33分のランで、来週の宮古島100kの総仕上げが出来た気分である。

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まぁそれからは早速風呂に入って冷えた体を温め、100名余の大宴会となった。

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何というか、目一杯走って皆でその疲れを癒すなんてのは、フルコースの楽しみだね。

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ともあれ何かとサポートして下さった豊橋RCの皆さん、お疲れ様でした。

感謝・感謝です。

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2016年1月 9日 (土)

一般者通行禁止

新幹線掛川駅の南側ほど近くに、6,000ha程の緑のコロニーが広がっている。

標高264mで南に向かって痩せ尾根を伸ばして連なる小笠山丘陵である。

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太古の昔、大井川の河口の扇状地が隆起して出来たとされ、川砂利の山である。

礫の山だから保水力がなくって杉ヒノキは育たず、古くは黒松を植林したりした。

現在は乾燥に強いウバメガシなどの雑木林になっていて、その大部分が国有林だ。

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その国有林を管轄しているのが某森林管理署で、その管理署が11月末暴挙に出た。

突然、国有林だから入ってはいけないと言い始めたのだ。

それであちこちに、「一般者通行禁止」(一般車ではない)なる掲示をしている。

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その理由は、枯れ木や枯れ枝が落ちてくるかも知れないので安全でない。

もし通行者が怪我をしたら自分達の責任を問われるので・・・と言うのである。

そもそもこの小笠山丘陵は自然観察教育林に指定され、古くから人々が出入りしている。

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昭和40年代には四阿やベンチを設置し、山頂付近にビジターセンターも整備されている。

それに近年は高齢者の増加や健康志向が相俟って、歩こう会の呼び掛けばかりでなく、

日々散策に訪れる人々が増えている。

私もその一人で、もう既に25年間もトレーニングと健康増進のグランドにしてきた。

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そして遊歩道の草刈りをしたり、朽ちた階段を補修してきている。

彼らは「管理道」だと主張しているが、そもそもこの雑木の丘陵で営林などしていない。

それに実は国有林の経営はとっくに破綻していて、十数兆円余の長大な赤字だ。

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赤字が故にかつての営林署をさっさと森林管理署にクラ替えをして、開かれた国有林を目指したのではなかったか。

何故って、いずれ莫大な赤字は国民の税金で穴埋めせざるを得ないんだから。

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かつて現場で働いていた人達も削減され、管理署の役人が山に入ることも少なくなった。

ろくざっぱ山の様子も知らないくせに、危険も何もあったもんではない。

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日常的に山に入っている私達は、山を熟知しているし危険の有無くらい十分知っている。

それに山に入っている人は、誰だって自己責任で行動しているのである。

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奥入瀬渓流で事故があって管理責任を問われたのが切っ掛けらしいが、

小笠山の様な昔から人々が出入りしてきた里山に、立ち入り禁止とは合点がいかない。

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どんな署長かは知らないが、保身で凝り固まった現場を知らない官僚なんだろうか?。

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2016年1月 8日 (金)

安心・安全の国

多分、無頼漢達にとって、この国はとっても住み難い国なんだろうと思う。

戦国の世なら腕力一つで伸し上がることも出来ただろうが、この国ではヤクザは流行らないからだ。

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何もシリアのISやアフガンを上げるまでも無く、世界中で最も安全で安心なのはこの国だ。

夜道を一人で歩ける国は、世界中探してもそんなに多くは無いだろう。

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振り込み詐欺や強盗があるとは言っても、それでも犯罪は確実に減り続けている。

そういう意味で、私達は本当に恵まれた環境を享受していると言えるのではないか。

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実は今日、安倍川の河川敷を会場に県警の視閲式があって、多くの関係者と共に視察してきた。

言うならば、警察の出初式である。

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機動隊など各部隊から装甲部隊・ヘリ部隊までの入場行進のあと、視閲官の巡閲。

交通機動隊のデモンストレーションや警備部隊訓練とキビキビトした行動が続いた。

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正月だからと言って特別に何かが始まる訳ではないが、

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警察組織の訓練を兼ねた県民へのアピールでもある。

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同時に警察官自身の使命感や自覚を促すことにも繋がるのだろう。

この国の警察組織は、明治の初め薩摩の川路利良がフランスに学んで創設したものだ。

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只、川路が薩摩に送り込んだ密偵が、あの西郷隆盛らの西南の役の発火点になったのだから歴史は皮肉なものだ。

その警察制度が今では交番制度を始め、治安の要として世界の模範にもなっていて、Img_4150

やはりその機能は組織ばかりでなく、一人ひとりの警察官の資質によって成り立っている。

私達にとって安心・安全は、水や空気同様に当たり前であり当然のことでしかない。

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だけど少し周りを見渡すだけで、それが正に稀有なものだと分かるだろう。

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決して身近なものではない警察だが、縁の下の力持ちとしてちゃんと認知すべきだろう。

それに今年は伊勢・志摩サミットもあるし、あの忌まわしいテロが侵入しないとも限らない。

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安心・安全こそが私達の生活基盤なんだから。

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2016年1月 7日 (木)

自分の存在

誰もが泣きながら生まれて来るんだから、その生涯をずっと笑って過ごすって訳にゃいかない。

人生には生老病死・四苦八苦、幾ばくかの困難や苦労・悲嘆があって当然なんだろう。

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天真爛漫に見える子供達も、皆それぞれにそれなりの悩みを抱えている。

私も子供の頃を思い起こすと、常に漠然とした不安の中に居た様な気がする。

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「自分は、果たして生きて行けるんだろうか?」と言うぼんやりした将来への不安だ。

時にそんな自分の存在への不安に押し潰されそうになって、夢中で何かを始めたりした。

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ISの自爆攻撃(特攻)に身を投じる若者も、或はそんな不確かさへの不安が昂じて、

およそ狂った世界に入り込むのかも知れない。

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そう・・・あの頃は、ひたすら「何かできる自分」になりたいと思っていた。

中学の頃か高校生だったか小説を書こうと思い立って、大学ノートにスケルトンを書き、

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10日間位夢中で書き進んだ事があったが、そいつを読み返し馬鹿々々しくなって止めた。

ある時は外交官になろうと、外務省に「どうしたらなれるか?」と手紙を出したこともあった。

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確かなものは何もなくって、つまらない自分が・・・溺れる者藁をもつかむって感じかな。

思えば、自分の存在価値を懸命にまさぐる様な気持ちだったのだろう。

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ともあれ不安は前進へのバネにもなって、大学生になって随分と空が晴れた気がした。

それは多分、先ずは一段階だが少しだけ自分の存在に対する証明が出来たからだろう。

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それが就職、結婚、出産、昇進と重なって、子供の頃の漠然とした不安は霧消した。

勿論、かつてとは異なった不安と戦うことになるのだが、それは別の課題だ。

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やはり自分の存在を確認するってことは、人生にとって必要不可欠なことなんだ。

古希まで残すところ数年と言う所に来て、やっと青春の日々が見渡せるようになった。

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或はこれからだって、「自分の存在」を確認しながら一歩一歩進む他ないのだろう。

年の初めに、改めて人生ってものを俯瞰している。

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2016年1月 6日 (水)

・・・故に吾あり

今年の干支の申年の「申」はシンと書いて、植物がすくすく成長する様を表している。

申に人偏をつければ「伸びる」と言う字になるように、猿は単なる十二支のはめ込みなのである。

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と言う訳で、今年は何かを「伸ばす」年にしたいと思っている。

取り合えずマラソンの記録を伸ばそうと走り込んでいるが、早速胴回りがゴソッと痩せた。

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これで宮古島100kは万全と思いたいのだが、さてどうなるか楽しみでもある。

とは言え「食は養生にあり」というし、スタミナに加えて是非とも「福」も欲しいから、

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先日は、フグ(フク)のコース料理を美味しく頂いてきた。

その河豚も温泉で養殖したもので、フグチリからから揚げ・雑炊までフルコースだ。

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さて何事も伸ばすには体と心のバランスが大切で、そこから生を養うことが始まる。

・・・とまぁ屁理屈から書き始めたのは、コメントのあった「唯我独尊」について書くためだ。

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「天上天下唯我独尊」とは、釈迦が誕生の際に言ったとされる言葉だ。

解釈は様々だが私は、誰もが自分自身が大切(尊い)であって、自分があってこそ全てが始まると解釈している。

逆に言うと、「自分ってもの(中身)が無くっちゃ、そりぁ駄目だよ」と諭したと思うべきだろう。

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それに、自分を肯定できない人間は他人を肯定できないものでしょう。

そういう意味で、唯我独尊は素晴らしい褒め言葉だと思う。

ただ、時たま「自分勝手だね」の意味で間違って使ったりするから厄介なだけだ。

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勿論、無名のコメント氏は前者であろうと思っている。

いずれにしても、人は「吾思う、故に吾あり」なんだと思うのである。

ブログの中身にも色々とあって、「なるほどなぁ~」と感心する、或いは楽しいもの、・・

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それから・・何か面白いこと無い?、TV見た?、アイドルの○×が、疲れるよなぁ・・・etc

読む人にもよるだろうが、私はほんの僅かでもフグの様なビリビリが欲しいと思う方だ。

フグはそもそも味も素っ気も無い魚だけど、その毒があればこそ珍重される訳だ。

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そんな訳で、これからもちょくちょく私の毒を盛り込みまっせ ! !

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2016年1月 5日 (火)

リ・スタート

どうも日本列島の・・いや世界の気象が怪しいのか、春の様な年末年始だった。

元日の晴れて風のない朝など、啄木の様に「何となく 良い事あるごとし」と思いたいのが人情だろう。

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年初と言っても月が替わり、曜日が変わっただけの事なのに、

不思議なことに一転新たな気分になるのである。

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季節感に乏しいスタートではあったが、そろそろエンジン始動の気分になっている。

そして中東ではサウジ勢とイランの険悪な争い、中国発の証券市場激震と波乱含みの年の初めである。

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通常国会も早々に始まり、世の中の慌ただしい動きは、昨年と何ら変わることない。

私達だって今年こそはと希望に胸を膨らませてスタートするのだが、

いつの間にか惰性と徒労の連続になっていく。

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それでもまあ〜今年もマイペースで「良い日一日」を求め、

望むらくは気持ちよく過ごそうと思っている。

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その為には昨日の「贅沢」に加え、やはり快適な体調維持を目指すことだろう。

私の場合には、快く走ることが出来ればそれは望ましいコンディションと言うことになる。

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冬至から半月を経過したところで、少しずつ日長が伸び始めたばかりだが、

新年を迎えると俄かに、春の便りが聞こえる様になる。

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何処かで梅が咲いたとか・・・それにこの2日には雛飾りとボタンを見てきたばかりだ。

一足早い春の兆しは、春を待ち焦がれる気持とも相俟って実に気分の良いものである。

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この歳になって、ようやく自分の一生ってものにもあらかたの見当が付き始めて、

その分夢は萎んだかもしれないが、人生を楽しむことが出来るようになった。

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人生は実に平凡で具体的で、

自分が行動しなきゃ何も得られないってこともよぉ〜く分かった。

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それに春を心待ちにする気分は、人生が無限ではないってことを悟った証であろうか?

そう・・・・人生にも春夏秋冬、その方が人生はより面白くなる。

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ともあれ、明日から小学校も始まって、いよいよ今年も本格的な始動である。

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2016年1月 4日 (月)

人生の贅沢

孫娘宛の賀状に偶然目がいって、そこに「いっしょのクラスになるといいね」と書かれていた。

もう直ぐ始まる新学期にクラス替えがあるんだろうか?・・などと思いつつ、

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自分の子供の頃の友達を思い浮かべていた。

小学・中学・高校と随分沢山の顔は浮かぶのだが、交流の続いている人は一人もいない。

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特別淡白で人嫌いと言う訳でもないから、幼馴染と言うのはそんなもんかと思っている。

それに私達が団塊の世代の先頭で、何をやるにしても激烈な「競争」が付いて回ったからかも知れない。

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因みに大学以降は知人・友人・先輩・上司など、正に人の中で生きてきたと思っている。

更に馬齢を重ねた今日、その輪は二重三重と広がる一方でもある。

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しかもその付き合いは、あの幼少期のものとは明らかに質が違っている。

人と人との出会いと交流は、それは人生最大の贅沢なんだろうと思うに至っている。

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ほどほどのボロ屋に住んでいて、着るものだってこの期に及んで買うほどのことは無し、

食べ物に至ってはご飯一杯と味噌汁に干物一枚で腹いっぱいだ。

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贅沢しようと思ったって、今更もう物なんて要らないのである。

と言う訳でマラニックやらマラソンに出掛けるんだが、これだって裸同然のランパン・ランシャツで足りちゃう。

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それにそこには出会いがあるし、差し引きプラスになって帰ってくると言う次第だ。

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今朝山を走っていると、後ろから追いかけてきた仲間が「随分、痩せたねぇ」と言う。

後ろから見るとほっそりとして見えて、無駄な肉が無くなったと言うのである。

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「そりゃ一か月に470kも走りゃ、痩せるよなぁ〜」などと、近しい関係を感謝していた。

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ともあれ贅沢には、「幾つになってもやるべき事がある」ってことも大切だ。

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仕事であれ遊びであれ、人はその社会性(人の役に立つ)を失っては駄目だ。

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この点遊びにも仕事にも、そして友人にも恵まれて、随分な贅沢をさせてもらっていると言うことになる。

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2016年1月 3日 (日)

RCの初詣

もう15年目くらいになるだろうか、恒例のランニングクラブの初詣である。

揃いのユニフォームを作ったのが切っ掛けだったか、毎年列をなして颯爽と走ってきた。

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・・いやいや、それは昔のことで、今では皆それぞれに歳を撮ったが、足は衰えちゃいない。

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小笠山の山頂に集まって、尾根道を辿って法多山へと向かう。

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参道に入ると善男善女でごった返しているその中を縫って、本堂まで駆け上がって行くのだ。

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何時もの様に本堂前で記念撮影をして揃って参拝するのだが、

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祈願すると言うよりも、毎年元気で参詣出来ることへの感謝の祈りである。

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ともあれ名物の団子(五本一組)を戴いて、五体満足で過ごせますようにと汗をぬぐう。

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これも昔からの恒例の行事になっている。団子を戴きながら…・

傍らのNさんが「何時まで、みんなと一緒に走れるかなぁ〜」と一言、Nさんは76歳だ。

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そのNさんは、昨年の丹後100kでは私よりもずっと早くゴールしているのだ。

まだまだ元気で走れるだろうけど、誰だって永遠にって訳にゃいかない。

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どこかで限界に直面するはずだが、そいつは努力次第でかなり遅らせられるだろう。

思えばRCの仲間とは、もう20年以上共に汗をかいてきたのである。

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気兼ねが無いのは当然で、そうだな・・・気心の知れた人間関係は稀有なものだし、

みんな得難い仲間なんである。

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そんな訳で今年も、仲間と共に泣き笑いを含め、色々な場面に遭遇するんだろうな。

そして来年の今日、やはり揃って初詣することを期そうと思う。

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2016年1月 2日 (土)

遠州三山詣で

正月恒例の三山巡りに集まったのは、何と47人の大勢になった。

それぞれ「今年もよろしく」と挨拶を交わし、9時には元気に袋井駅をスタートする。

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北に向かって先ずは可睡斎に参拝、今年はここも例年になく参詣客が多い感じだ。

次の油山寺に向かう皆さんをしり目に、私は巨大雛壇を覗いて行くことにした。

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たかがひな祭りと思っていたのだが、それがまぁ〜びっくりぽん、ホントに巨大だった。

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確かにこれがお寺さんかと思うほどに、塔頭のそこここに雛様が一杯で、もう春だった。

春と言えば別の部屋にはボタンが咲き誇って、それがまた美しくアレンジされている。

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その春を見とれている間に仲間に大きく後れを取って、止む無く油山寺をパスする。

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そのまま一路法多山を目指してひた走り、混雑の続く参道を抜けて12時には参拝。

今度は和の湯まで6k余を西進するのだが、これが渋滞の車が延々と続く道である。

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正月とは言え、何と日本人は辛抱強い(参拝に丸一日)のかと思わざるを得ない。

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ともあれ私達はその脇をすり抜けて、12:40にはゴールの温泉に到着。

ゆっくりとお湯に浸かりながら、箱根駅伝の山登りを応援することとなった。

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さぁ〜て、小一時間も浸かって体がふやけた頃、新年会が始まるのである。

私は今年もフグ(福)のコース料理を戴いて、今年一年の鋭気を養ったのではある。

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と言うことで、今年も幸先の良いスタートになった。

思えば渋滞にはまって、或はYVをみて、又は屠蘇に酔って過ごすよりもはるかに快適だ。

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そう、この一年を快適に過ごそうと思ったら、アクティブに行動するに限るだろう。

時間はまっちゃくれないんだから、追いかけても自ら時間を使うことだ。

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それで遠州三山での願いごとは「半月後となった宮古島100kを完走すること」だ。

100kは、走ってみなければどんなドラマが待ち受けているのか分からないからね。

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2016年1月 1日 (金)

正月を迎えて

いよいよ2016年のスタートですね、新年明けましておめでとう御座います。

今年も例年通り、村の神社で夜明けを迎えました。

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揃って初日の出を遥拝し、社殿に入って神明宮さらには伊勢神宮への参拝とするのです。

参拝の後は直会と称して供えのお神酒を戴き・・・・私は早々に退出して何時もの山へ。

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それにしても風もなく静かで温かく、まことに穏やかな正月を迎えました。

その温かさもあって年々正月らしさを、新鮮に感じられなくなっています。

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それはかつての大掃除が小掃除になり、注連飾りも購入で済ませてしまうし、それに

つい最近まで暮れには餅をついて大きなお供えを作ったのに、今じゃ買ってきて終わり。

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正月を迎える助走と言うか、心の準備を省略しちゃったからでしょうね。

まぁ〜ともかく、正月を迎えるのはめでたいものと決まっている。

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何故正月がめでたいのかと言うと、(早速理屈っぽくて恐縮ですが)蘊蓄を一言。

そもそも、一月と言わないで正月と言わせる、これは古代中国の政治に由来する。

中国初の統一帝国は秦でその始皇帝の名が「政」、そして政の生まれたのが一月だった。

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始皇帝は秦が誕生すると、自分の生まれた1月を政月と呼ばせたのである。

後世、それを正に改めて「正月」と書くに至ったという。

もちろん、新年の初めを正しくありたいという気持ちを込めてのことだろう。

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それから、おめでたいは「愛でる」に由来して深く愛情を抱くということだろうか。

それも「ご超歳をお喜び申し上げます」と、元気で新年を迎えたことを寿ぐのである。

と言う訳で、今年もまた一歳の馬齢を重ねなければならない。

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ところでこのブログだが、今日で3,535日目となって、この春にはまん丸10年を迎える。

3,650日は当面の目標だから、少なくともその到達点までは書き続けようと思っている。

はてその後は、これはまた思案のしどころだ。

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「何となく 今年は良い事あるごとし 元日の朝 晴れて風無し」(啄木)でありたい。

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