« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »

2016年2月29日 (月)

初老の繰り言

人間六十の坂を超えると、大げさに言うと「何があっても不思議ではない」年代に入る。

以前なら住宅ローンやら子供の独立やら、死んでも死にきれない足枷があったのだが、

Img_4800

その手枷足枷が何時の間にか嘘のように外れ落ちている。

それに一通りの人生はやり終えた訳で、少しばかり早めに旅立ってもどうと言うことは無い。

事実身の回りを見渡しても、一人二人と櫛の歯が抜けるようにいなくなる人も出てきた。

Img_4799

そうは言っても押し並べて長寿の時代であって、そうそう簡単には日は暮れそうにない。

でもたそがれ時だから、時々刻々と空は青ざめて、その濃さは確かに深まってはいる。

しかし北欧のたそがれの様なもので、日が暮れてから何時までも薄暮が続くのである。

Img_4798

いっそ一気に暗くなってしまえば観念のしようもあるが、何時までも生臭いのが長寿だ。

否生臭いだけでなく体形だってランナーだからスマートだし、気持ちも若い連中と同じだ。

この体形も、いっそ常滑焼の狸ように腹鼓を打てる程ならともかく、それも叶わない。

Img_4797_2

つまり、老人であって老人になれない状態が当分続く予感がするのである。

さすれば老後の無為な明け暮れを命尽きるまで甘受しなければならないとしたら、

Img_4796

「そりぁ、大変なことだぜ」と思わざるを得ないのだ。

ともあれ勝手にリタイアも出来ないから、万事自然体でやるべきことをやる他あるまい。

Img_4795

そう・・・、その一日が納得できる一日であるなら、それだけで十分であろう。

健康で仕事にも恵まれ、何一つ不満は無いのだが、それでも人生は難しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月28日 (日)

夕陽

赤トンボに連想されるように、夕陽に詩を感じるのはやはり秋であろうか。

だが春霞を感じる様な今夕、暮れなんとする夕陽を眺めながら心の騒めきを思った。

Img_4766

そもそも夕陽を愛でる心は、有終の美であり、過ぎ去った過去への哀愁ではないか。

何年か前ロシアのハバロフスクを訪れた折、アムール川の対岸に沈む夕日に彼の地に倒れた日本兵の心を思ったし、

Img_4711

浜名湖に沈む夕日を眺めるのも何時も事が終わる際の名残りであった。

されど今夕の日没は、早春らしい沈むほど霞む様な儚い夕陽なんである。

Img_4712

かつて平安の昔、日暮れが一日の始まりとされた時期があったらしいが、

やはり日没に未来を感じる人は少なかろう。

Img_4713

私が夕陽を見て美しいと感じるのは、少なからず晩年の輝きへの思いからかも知れない。

私達の寿命が伸びたとは言っても、やはり60歳以降は人生の晩年なのではないか。

Img_4715

その晩年を、この夕陽程見事に輝いて沈むには如何すべきなのか・・・と言う胸騒ぎだ。

勿論、既に大抵の事はやり尽して来ている訳であって、これから何としようと言う訳だ。

Img_4721

漢詩を眺めると、晩唐の詩人李商隠の五言絶句「夕陽」が目に留まった。

彼は古代の陵墓の点在する古原に登って、栄華を誇ってきた長安を眺め詠っている。

Img_4726

時は暮れに向かわんとする頃、無性にこの唐の街と夕陽を見たくなったのである。

Img_4758

 向晩意不適 (暮れに喃々として 意 敵わず)

 駆車登古原 (馬車を駆って 古原に登る)

 夕陽無限好 (夕陽が 限りなく美しい)

 只是近黄昏 (さはされど 既に たそがれ)

Img_4759

ともあれ、今年は、どこから夕陽を眺めようかと思案している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月27日 (土)

耳糞の話

世は、子細な情報の氾濫する恐るべき時代である。

○○大臣が×▽の日を間違えたとか、・・大統領は黒人で先祖は奴隷だと言ったとか、

Img_4672

それでも政治関連は幾分許せるとしても、芸能ニュースに至っては馬鹿々々しさは極まっている。

某党と某党がくっ付く離れるが大ニュースになってるけど、あれだってどうでも良いことだ。

Img_4673

それでも毎日飽きもせず、何かあるのじゃないかと4紙の新聞に目を通すのだが、

所詮は目糞鼻糞の話ばかりで「人間如何に生きるべきか」など読み応えある記事は稀だ。

Img_4674

マスコミはそれで成り立っているとしても、それを許している私達が軽佻浮薄な時代を生きていると言うことだろう。

・・・と、そう思っていたのだが、人生を長いことやってくると、多少のことじゃ驚かなくなった。

Img_4675

例えば昔なら、環境大臣が環境の日を一週間勘違いしたら、トンデモナイと感じただろう。

だけど今は「そんなもんだろぅ。だからどうしたってんだ?」って感じになっている。

Img_4676

要するに、枝葉末節でメシを食っている奴が多すぎる時代だなぁ・・・って思っている。

それだけ平和で、私達は良い時代を生きているのかも知れない。

Img_4692

話は変わるが、先日綿棒を耳に突っ込んだらゴソッて音と共に違和感があって、

突然頭の右半分がマヒしたような感じで、右の耳が聞こえなくなってしまった。

Img_4694

たかが片耳聞こえなくなったくらいで、どうと言うこともないのだが、本心は深刻である。

それで「こりゃ、鼓膜を破ったか」と心配しつつ、翌日耳鼻咽喉科に駆け込んだのである。

Img_4697

すると医者は造作もなく、「あっ、こりゃ耳糞が一杯ですね」「ハイ、水」とか言って、

がりがりと両耳を穿って「ハイ、聴力検査をしましょう」・・・「異常無いでしょ」・・・・

Img_4704

診療費2,350円を払って放免されたのだが、保険を含めりゃ耳糞に一万円ほど払ったことになる。

ともあれ良く聞こえるようになった分、世の中の事どもにも感度が良くなるのかどうか。

Img_4707

だけど、むしろ耳が詰まったままで居た方が良かったんじゃないかと思い始めている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月26日 (金)

人生の目的

この人生に目的が有れば、そいつを達成したら満足してバイバイって事になるんだろうが、

どうやら目標はあっても、「人生の目的は?」となるとハテと悩んでしまうのである。

Img_4700

生かされているのか、生きているから生きるのか分からないが命は目的と関係なさそうだ。

だから人は、誰でもこの世に未練を残しながら死ぬのではないか。

Img_4691

先日の清水いいとこマラニックで富士山を眺めながら思っていたことがある。

晴れた日のこの時期の富士山はすっきりと全貌を顕わすのだが、それは午前中のことだ。

Img_4695

大抵は午後になると中腹付近に雲が現れて、半分方は隠れてしまうことが多い。

元より富士山は独立峰だから、あの辺りの気流は相当に速く雲は飛んで行きそうに思う。

Img_4698

ところが一端雲が纏わり付くと、そのままジッと動かないような姿をとることが多い。

理屈は、西から流れてきた水蒸気が富士山の地肌で冷やされて雲になり続けるからだ。

Img_4696

ともあれ人間の一生と言うものは、あの白い雲の物語みたいなものだろうって思ったんだ。

すうっと浮かぶように生まれて新陳代謝を繰り返し、やがて時が来るとスッと消えてしまう。

Img_4702

その間の目的と言ったって、時に裾野に雨や雪を降らせる位だろうか。

雲と人間と違うところは自分のDNAを残し続けようとすることだが、それだって・・・・

最近では、そんなことは打ち忘れて?生きている人達が激増しているだろう。

Img_4709

それに自分の関わったもの(例えば、此のブログに書いたこと)にしたって、どんどん忘れられていく。

残した筈のDNAだってどんどん混ざり合って、ご先祖様の影響は次第に希薄になっていく。

Img_4716

つまり富士山の裾野に浮かぶ雲と、さして変わりはしないのである。

まぁ~人生が雲を掴むようなものだとすれば、果たしてどう生きて死すべきかである。

Img_4742

やはり浮かんでいるうちは懸命に生きて、気がついたら死んでいたってなりゃ良い。

もっとも、死んだらそのことに気がつかないのかしら?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月25日 (木)

スタート五分前

我が家の前庭には今は亡き父親の植えた河津桜が三本あって、ほぼ九分咲きである。

何時もこの時期になると、この早咲きの桜を植えた親父のその姿を思い起こす。

Img_4764

そして桜は彼が思い描いたように、今年も一足早い爛漫の花を立派に咲かせている。

この花が咲くと春本番はもう直ぐで、マラソンのスタート直前の様に心がはやるのである。

Img_4765

そのマラソン五分前なら、スタートラインに並ぶ大勢に混じって自分のポジションに立ち、

マインドフルネスよろしく息を整え、あの「よぉ〜い、バァ〜ン」をジッと待っている。

Img_4763

今回こそは○×分で走ろうとか、何としても完走しよう、足は大丈夫だろうかなどと、

不安と自信と決意とが相俟って、心はフルフルと次第に緊張を高めていく。

Img_4762

なぁ〜に、走り出してしまえばそのレースの惰性で何とかなっていくのだが、

ともかくスタート前の緊張は、逸る競馬と同様いつも同じだ。

Img_4755

暦からすれば元日がスタートだが、卒業に入学、転勤のある春の方がスタート感がある。

新しいクラスでどんな友達が出来るだろうかとか、新しい仕事への期待や出会いとか、

Img_4723

兎に角春には花も咲くが、素晴らしい何かが起こりそうな予感がする。

まだまだ寒い日が続くこの頃は、そんなスタート前の気分になるのである。

Img_4720

とは言え実際にスタートしてみれば、ハァハァと息は苦しくなるし、スピードだって思うに任せない。

「今日は良かった」と思えるレースは三割もないだろう。

Img_4718

野球の打率三割が稀なように、人生だって三割もが思う様に出来たら立派なものだ。

Img_4717

それでも今回こそはと走り出すのが人生で、このスタート前の心の張りは好きだ。

もう間もなく、そんな三月を迎えようとしている。

Img_4710

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月24日 (水)

高校生と共に

今日は、エコパ周辺11kをコースにした校内マラソン大会である。

グランドが工事中で使えずゲートの外側での大会になったが、外は枝垂れ梅が咲きそろい、

Img_4745

それだけで春一番を走る様な気分にもなって、正に学年末の恒例の行事である。

私の高校時代にも持久走大会があったが、それこそ非日常的な行事で大変な思いをした。

Img_4747

日頃から走ることもなかったから、幾ら若いとは言ってもマラソンは随分と大変だった。

それにあの頃は(勉強ばかりしていた訳ではないが)、今よりも体力が随分無かったな。

Img_4749

果たして磐東の高校生も同様だろうが、私はその高校生と走るのが恒例になっている。

Img_4750

今回も最後尾からスタートして何人抜けるのか楽しみに走って、100人は抜いたろうか。

若い皆さんはスタート直後は凄いスピードで飛び出すが、次第にヘタって私に抜かれていく。

Img_4751

それでも流石に私には抜かれたくないと見えて、並ぶと加速するがやがて下がっていく。

中には、「何くそ」と抜き返して逃げていってしまう負けん気の強い男も勿論いる。

Img_4752

そりゃそうだよね、自分の年齢の4倍以上年長のジジイにだけは抜かれたかぁないもの。

だけど私が彼らを抜くことで、+-は別にして、それぞれの刺激にはなると思っている。

Img_4753

何くそって反応はともかく、ダメダーやションナイって反応だって、何時か奮起する契機になるかも知れない。

Img_4754

若い彼らには無限の可能性があるし、どんな経験だって将来の肥やしになるしね。

Img_4757

ともあれ、「あんなジジイが自分達と一緒に汗をかいて頑張っている」ってのが大事さ。

世間のことや大人の世界など、未だほんの僅かしか知らないだろうけれど、

Img_4760

だけど懸命に生きるって事さえ出来れば、そんなものは自然に分かってくるもんさ。

Img_4761

半分子供で半分大人の彼らは、これから自分で未来の物語を創り上げるんだから。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年2月23日 (火)

面白い未来へ

季節は目くるめく移り変わるもので、冬を過ぎれば春が訪れる。

新しい季節が訪れれば、古い季節から離脱して又それなりに生きねばならない。

Img_4677

人生もおんなじで、常に過去から離脱して不安ながらも次の未来へと向かっていく。

それで人は新年明けましておめでとうとか、ご卒業おめでとう、喜寿を迎え・・・・などと、

Img_4678

人生の節目節目の新たな未来への出発を「おめでとう」と祝ってきたのではないか。

Img_4679

それは間違っても、「今まで良く長生きしました」と過去を祝うものではないはずだ。

さように未来はいつも御目出度いものだが、古希を迎えようかという男の話である。

Img_4680

だから未来と言ったって、そんなに遠くの未来である筈がない。

余り長生きしすぎて介護施設のベランダから投げ落とされるのは面白くないから、

Img_4685

せいぜい、これから10年ってのが見当である。

ところで老年は冬の季節に準えられることが多いが、人が内面を振り返るのは冬だ。

Img_4686

咲き誇る花々や緑の氾濫、収穫・紅葉や祭りも無いから、季節の味わいは心の内に向く。

そうして自分の内面が見えるようになるのも、この老年期なのである。

Img_4687

しかし、体力はともかく心身共に充実しているのだが、その未来の中身が見えない。

Img_4688

中身を充実させて面白く生きてやろうと思うのだが、その未来が杳として知れない。

いやいや、何もやたら忙しく賑やかに生きようと言うのではない。

Img_4689

それに今現在だって十分に楽しくやっているのだが、どうせならもっと面白くしたい。

まぁ簡単に言うと「古希を迎え、おめでとう」と言われた後、さぁ何をやってやろうかと言うことである。

Img_4690

今から準備をしておかないと当惑するのではないかと、心底心配なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月22日 (月)

ニュー・オールド

団塊の世代は、憲法の制定された昭和22 年から24年までに生まれた世代である。

何しろ生き残って戦地から帰った男達が、ここぞとばかり子作りに励んだものだから、

Img_4667

この3年間に何と800万人以上も生まれたのである。

2014年の出生数が100万人程度だから、この3年間に8年分が生まれたようなものだ。

Img_4666

そして彼ら団塊の世代は、時代の変容の象徴として常に波頭を生きてきた。

つまり受験戦争から学生運動、経済成長と大量消費の担い手、ジーパンにスニーカー。

Img_4664

長じてはリストラ適齢世代を経て、介護破綻など高齢化社会の象徴になろうとしている。

それにニュー・ファミリーやニュー・ミドルなどと、時代の流行を創ってきたもの彼らだった。

Img_4662

その団塊の世代が2015年には全て高齢者となり、やがて後期高齢者になっていく。

とは言え時代は長寿社会であって、かつてよりも遥かに長く生きなければならない

Img_4659

かつて高齢世代のことをシルバーとかゴールドと称したものだが、そもそも金や銀は、

鉄と違ってむしろ装飾品であって、直ぐに何かに役立つってものじゃない。

Img_4658

今日の団塊の世代に金や銀の役割を期待するのは、まだ10年は早かろう。

確かに髪の毛に白い物が増えはしたが、まだまだ年寄りの真似事など出来るはずもない。

Img_4738

それに私たち団塊の世代には、新しい定年スタイルと言うか、

これからの時代を担うニュー・オールドとしての生き様(文化)が求められている。

Img_4735

さて、その若さから解放された代わりに得られる老年の新しい物語とは如何なるものか?

私も目下模索途上にあるのだが、只、一人で出来ることは所詮限られている。

Img_4734

それに今時の定年後のライフスタイルは千差万別で、団塊の世代も一枚岩であるはずが無い。

ともあれ「人生二度無し」と言うことを実感として感じ、未だ挑戦できるのが団塊の世代なのである。

Img_4733

さても老いの季節だからこそ、或いは大胆なふるまいも可能なのではないか。

団塊の世代の皆さん、最後になるかも知れないニューオールドの華やぎを見せようじゃありませんか。

Img_4729

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年2月21日 (日)

絶景の富士に向かって

昨夜来の嵐が過ぎ去って、今朝は嘘の様に晴れ上がり一面春の日差しの一日になった。

富士山を眺めながらの「清水いいとこマラニック」には、願ってもない日和である。

Img_4681

そう、昨年は雨で、そして一昨年は何と驚きの雪の日本平になったのだから。

Img_4684

スタート地点の清水駅では河津桜も五分咲きで私達を迎え、富士もくっきりと姿見せる。

Img_4693

この駅前から清水港を抜け、侠客次郎長の生家の前を通りつつ、日本平(307m)に登っていく。

Img_4699

次郎長はやくざの親分だったが、幕末に山岡鉄船との縁で足を洗い、

Img_4701

幕府沈船の死者を葬ることから茶園開墾まで地域に貢献したことで知られる。

Img_4703

・・・と言うことで、今回も三度笠に刀を差した5名と茶娘が彩を加えていた。

Img_4705

日本平(有東山)に登って行くにつれて、駿河湾に突き出した三保半島、海のブルーの

Img_4628

Img_4706

その広がりの向こうに悠然とした富士山の雄姿が色彩豊かに望めるのである。

Img_4708

たっぷりとその駿河の雰囲気を味わいつつ、ロープウエイで家康の眠る久能山へ渡る。

Img_4714

かつて久能山は有東山と一つの山だったらしいが、今では浸食で千枚屏風の崖になっている。

Img_4719

ともあれ久能山の階段を勢いよく下り降りて、石垣イチゴのハウスの続く三保街道へ。

Img_4722

そこからは駿河湾の縁を三保半島・羽衣の松(世界遺産)を目指して走る。

Img_4724

三保半島の折戸湾に向かう道筋の正面には、やはり富士山が聳え、疲れた足が元気づく。

Img_4728

折戸は江戸の昔、吉兆とされた「一富士、二鷹、三茄」の折戸ナスの産地である。

Img_4730

その昔、ここの促成ナスが家康に献上されて、珍重されたのである。

Img_4731

さても既に廃線となった三保鉄道の線路跡伝いに、鉄舟寺を経由して草薙に向かう。

Img_4732

鉄舟寺は武田勝頼の時代に久能山から強制的に移設された寺で、山岡鉄舟が再興に尽力したことからこの名がある。

Img_4736

次郎長は、この寺に幕臣たちの死体を葬ったのである。

Img_4737

この鉄舟寺からゴールの草薙までは6k余で、淡々と今日の35kを走り約5時間のマラニックを終えた。

Img_4739

天気にも恵まれた一日だったけど、やはり少しばかり疲れが残ったのだが、

Img_4740

しかしこれも湯上りの懇親ですっかりと霧消してしまった。

Img_4741

それにしても、走る仲間はいつも楽しい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年2月20日 (土)

人生の始終

この「人生の始終」は、森信三先生の修身教授録第6講のテーマである。

二十歳前の師範学校生徒を前にして、人生の門出に際しての心得を語っているのである。

Img_4658

要点は、人生は40歳を半ばとしてそれまでは虚心坦懐に学べ、40歳からが本舞台だ。

人生の前半生の準備こそが人間の仕上げ期の活動を決めるのだと言う。

Img_4669

確かに40歳頃は大きな分岐点であって、現に私にとっても様々な変化を始めた時期に当たる。

Img_4660

突然固いことを書き始めたが、今日は恒例のムーハウスでの人生の勉強会である。

次第に雨がきつくなる一日との予報で、集まって先ずランニングに出掛けることにした。

Img_4661

三倉の峠までの往復11kmをその雨にもめげず走らねば、勉強会は始まらない。

Img_4662

正にランニングは、人生の勉強をするにあたっての心身の陶冶なのである。

ともあれ、もう還暦を過ぎた人達が集まって、人生とは何かなどと真剣に語り合うのだから、

Img_4663

見ようによっては摩訶不思議な会だが、そこそこ生きてきたから語れるのが人生だ。

Img_4670

人生の始終の講義は森先生40歳の時のものだが、その40歳の彼が「40の声を聞いて

秋風に身を曝しながら、なお人生の道に迷っているようでは困る」と語っている。

Img_4664

何ともはや、古希になんなんとしても未だに人生を模索している身としては何としようか?

Img_4665

いやいや人生などというものは、生きてみなければ分からないものなんじゃないか。

…などと思いつつ、来し方の自分を何度となく振り返ってみている。

Img_4666

教員を長く勤めてきたKさんは、これまでの自分の信条は「正対」だったと語ってくれた。

どんな子供であれ物事であれ、それに真正面から向き合う事が活きた人生になると。

Img_4667

一生の内には正邪を含めて諸々の事件に遭遇する訳だから、これも生半可ではない。

ともあれ人生の始終については、「今・ここ・自分」ってことを考えたい。

Img_4671

今ここに居る自分が、どんなことを考え、どんな行動が出来るのかの積み重ね。

それがとどのつまりの自分の人生になるってことに、今日の結論が収斂したのかな??

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年2月19日 (金)

レール

男は、行き当たりばったりとか、出たとこ勝負の出来ない性分である。

例えば旅に出るにしても、前以って用意周到各種の情報を漁ってから出かけるのが常だ。

Img_4655

男の人生にしても、敷かれたレールがあったればこその六十数年であって、

小心者の男は、そのレールの上を脱線しないように辿ってここまで辿り着いたのだ。

百姓の小倅として生まれ育った男は、当然ながら百姓の生活しか知らなかった。

Img_4654

だから男は、オヤジと同様に少しばかりの田畑を耕して一生を終えるものと思っていた。

それが大学を卒業する頃になって、俄かに世の中の景気なるものがやたらと活気付き、

清水の舞台から飛び降りる心地で、サラリーマンと言う未知の世界に飛び込んだ。

Img_4653

そして乗り込んだ列車が、遥かに続くレールを支線に入ることなく走る準急列車だった。

もしあの時あの列車に乗らなかったら、全く別の人生になっていただろうし、

多くの知人の人生を知るにつけ、男はたまたま乗ったレールの幸運を思うのである。

Img_4651

しかるにそのレールも尽きて、男は後ろ髪を引かれる様な思いで終着駅を後にした。

ダイヤから自由になった訳だが、色々とあってまだまだ働き続けなければならない。

レールもダイヤも無い道が不安で仕方なかったが、今のところ何とかやっている。

Img_4602

それでも元来が怠惰な男は、存分に働くにはやはりレールが不可欠だと思っている。

仲間内でも時々管理社会を忌避する声を聞いたりするが、

そもそもマイペースで自在に生きられる人間なぞ、そうはいないのではないかと思う。

Img_4656

何事も同じで、男は一定の距離をみんなで走るマラニックの大会に好んで出掛ける。

それも、自主性の無い男にすれば、一人では心細くて続けられないからであって、

皆でゾロゾロ行くから、長い距離や山の中でもついて行けるのだと思っている。

Img_4657

ともあれ、レールの無い荒野だからと言って臆していては前に進めない。

だから男は恐る恐るながら、自由な生き方を模索し始めている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月18日 (木)

余白

どうやら人間ってものは、拘束されることで安定するものの様である。

例えば勤め人なら、毎日出社するってことで精神的に満たされているところがある。

Img_4643

だから「明日から来なくて良い」となった途端に名状し難く落ち着かない気分になる。

同様に私なぞもスケジュール依存症で、手帳に空白があるとそいつを何とか埋めようとする。

Img_4644

しかし考えるまでもなく、古希になろうかと言う歳だから空白が増えるのは当然のことだ。

空白ってのは、人生においては余白=使う予定の無い部分=だろう。

Img_4645

効率が最大の価値を持つ時代が続いて、かつてその余白を渇望していた時期があった。

そのやっと得られた余白(休暇)を何に使ったかと言うと、どうやら終日ノタァ〜としていた。

Img_4646

だけど人間は機械じゃないし、本当は余白にこそ人生の面白さがあるんじゃないか。

衣食住を得る為に働くことも大切だが、余白を如何に過ごすのかの方がもっと大切だ。

Img_4647

私だって様々な遊びや効率・損得とは無縁な部分があるから、毎日元気でやっていられる。

人のDNAだって、必ずしも効率的に配列されている訳じゃない。

Img_4648

大部分が何をやっているのか分からないタンパク質の集まりだ。

私達の脳細胞だって動いてるのは僅かで、ほとんどが空白(私だけ??)なんだ。

Img_4649

ともあれ、歳と共に人生を彩るその余白の部分が増えるのである。

だから歓喜してその時を待つべきだろうが、その余白の中身がどんなものか分からない。

Img_4650

まだ来ていない未来の余白だから気配すらなく、期待すべきものかどうか不安なのである。

それで・・・・最近では、大いに退屈したって良いじゃないかって思い始めている。

Img_4652

ただ、退屈することも含めて、何事も楽しんでやれって気持の方が大切だろうな。

それであなたは、自分の「余白」って考えたことあります?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月17日 (水)

人生の物語

一昨日の物語りついでに、歳を重ねたなりに人生の筋書きを俯瞰して眺め渡してみたい。

人生の物語は、何時だって自分が主役なのに何故か思う通りには進行しない。

Img_4638

脇役が待ったを入れたり、思わぬ事故やリストラに遭遇したりで、多くが挫折のドラマだ。

まぁその波乱にどう対処するかも含めて、それが人生の面白さかも知れない。

Img_4634

それに生涯の目標が簡単に達成されてしまっては、その後する事がなくなって淋しかろう。

だから求めて叶わないことが、(なにくそと)次の行動へのエネルギーになっていく。

Img_4629

「あの時ああすりゃ良かった」などと思わない訳ではないが、過去を悔いても無駄なだけだ。

ところで人生には青年の自立、中年の自立、老年の自立の三つのドラマがあるようだ。

Img_4627

青年の自立ってのは、親の庇護から離れて社会的な存在になる時のドラマだ。

近頃は引篭もりなど自立が出来ない青年もいるが、この巣立ちにもかなりの勇気がいる。

Img_4623

学校を卒業して稼ぐ身になるのは、怖さ半分・興味半分でかなり緊張したのを覚えている。

それが職場に馴染むにしたがって、何時の間にか「家」から自立している自分になった。

Img_4622

中年の自立は・・・・・、言うならば「自分なりのライフスタイルの確立」だろうか。

子育てを終えて仕事も軌道に乗って、子ばなれした後の生き方のドラマだ。

Img_4621

人間としてもその器量が問われるし・・確かに私も40を境に自分のスタイル作りを始めた。

走ったり、文章を書いたり、交際範囲を広げたり、ブドウ栽培を始めたのもあの頃だ。

Img_4620

「自分の人生」って事も考えたし、それが今日につながっていると思っている。

いずれにしても、会社や同僚・仕事べったりじゃ自立は出来ないだろう。

そして老年の自立、それが今夜の本論で、これは社会人から自由人になることだ。

Img_4617

自由人なんて言ったってモデルがある訳でなし、その晩年の自由を如何に生きるかってドラマだ。

社会的責任が希薄になって・・・つまり、居てもいなくても良い存在になるってこと。

競馬馬にたとえれば、もうレースに出る(増して種馬なんて?)ことは無いのである。

Img_4604

俯瞰して見れば取り合えず役割は終える訳で、それに残りの未来は老後だけだ。

「どうぞご自由に」と言われると人間あてどないものだが、

Img_4608

濡れ落ち葉などとんでもない、その境涯から自立するのが男ってもんさ。

それに時代がどう変わろうか、先のことは何とかなるって達観するのも自立のうちだ。

そんな訳で、これからの自分の自立ってことを真剣に考えている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月16日 (火)

ことばの力

今でもそうだが、小心者で人前に出ればオズオズとして、まともに話すことが出来ない。

前もって「この五点を話そう」と思って出かけても、話す途中で2つ位になってしまう。

Img_4630

それで最近では一点に絞って話そうとするのだが、それも何時の間にか支離滅裂になる。

兎角「話す力」と言うのは、容易に進歩しない難しいものだと思っている。

Img_4631

初対面の人の印象は、外見もさることながらその話し言葉が決定的な決め手になる。

それ程に話す力は、その人間性や社会性などライフスキルそのものの基礎でもある。

Img_4633

どんな言葉を使ってどの様に話すかで、その人格がおおよそ透けて見えてしまうのだ。

だからこの社会において人生を謳歌したかったら、その言語能力を高めるのが不可欠だ。

Img_4635

当然学校でも読書や討論などと言った形で聴き取り・話す力の養成に努めているのだが、

現実には日常のTV漫画やゲーム等に影響されて、会話は粗野になる一方である。

Img_4636

実は今日は地元の中学校の学校運営協議会があって、学校評価に関連して子供たちの言葉が話題になった。

最近の子供達は、その聞き取る・読み取る・話す・書く力が弱いと言う。

Img_4637

元より感じていた事だが、子供達の日々の生活環境が言葉になっていくのであって、

苦労なく後生大切に育てられる子供達に、豊かな感性を求める方が可笑しい。

Img_4639

それで、何となく上滑りな子供が増えたって思っているんだけど、違うだろうか。

Img_4640

言葉は私達が物を考えるツールであって、言葉を知らなきゃ考える事すら危うい。

それに言葉は自分を伝えるシグナルだから、ボキャヒンじゃ愛だって語れない。

Img_4641

更に会話や文章を書くことは、その一個の人間を切磋琢磨する手段でもある。

このひ弱な私だって、幾つかの言葉に何程助けられてきたか知れない。

Img_4642

さても学校任せではなく、私達ももっと豊かな言葉の力を身に着けなくっちゃね。

特に、子供達とは思いっきり心を開いて、心豊かなやり取りを心がけなきゃならないと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月15日 (月)

自分なりの物語

もう世間への見栄とか気取りはやめて、精々「自在」に生きるべきだと思う。

思えばずっと世間並みとか、誰それには負けたくないなどと、気張ってきたところがある。

Img_4593

家の中でだって「・・は、ねばならない」とムキになって、無駄なエネルギーを使ってきた。

この点家のカミサンは気儘で、すべからくがケセラセラだから何時も私は暖簾に腕押しだ。

Img_4592

しかるに意馬心猿、遮二無二突き進んできたんだから、まぁ~一人芝居とも言える。

因みに意馬心猿とは、気持ちは馬の奔走、心は猿が騒ぐってほどの意味である。

Img_4594

要するに取り越し苦労ばかりしながら、余裕無く生きてきたって事でもある。

それが最近では、それなりにツジツマの合うお芝居でも良かろうと思い始めている。

Img_4595

もともと人生には、自分が主人公のドラマみたいなところがあるから、

その演出を少し変えて、主人公の個性を自在にするように加減すりゃ良いんだ。

Img_4596

もとより自分が主役だから、筋書きを少し変えるくらいお茶の子さいさいだろう。

例えば、従来なら当然怒る場面で褒めたり笑ったりする事だって出来る。

Img_4597

時に応じて筋書きを付け加えて、舞台をドラマチックにしていく事だって可能だ。

例えば100kレースだとしたら、100kを完走することだけでもそれは大変なドラマだが、

Img_4600

それに誰かと競い合うって要素が加わることで、そのドラマの展開は格段に面白くなる。

勿論、その結果として良い記録をマークするって事も期待できるだろう。

Img_4603

自分がそういった物語の戯作者になる事が出来れば、そりゃぁ人生が面白くなるだろう。

人生は躍動を始めるし、仮に筋書き通りにいかなかったら、その一幕を下ろせば良い。

Img_4605

そう・・、そうなんだなぁ~、日々のドラマの展開にしたって、

「こいつぁ、ドラマの一場面」って考えりゃ、冷静に見られるし又別の味わいもある。

Img_4606

やはり人生の筋書きは、(もう残り少ないんだから)自分で書かなきゃね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月14日 (日)

城下町駅伝

昨夜は春一番(?)が吹き荒れて、止むかと思われたが雨の一日になった。

その雨の中、掛川城下町駅伝競走大会が開催されたのである。

Img_4598

掛川城は関ケ原の戦いまでは山之内一豊の城として知られ、上杉攻めからの反転の折、

家康に味方し「我が城をお使いくだされ」と、東軍結束への流れを決定づけたとされる城だ。

Img_4599

関ケ原での一豊の軍功はさして無かったのだが、結果として土佐80万石への出世する。

その城が15年程前に復元されて、城下町風の街づくりも進められてきた。

Img_4607

それで城の周りには、城郭風の銀行などとそれらしい建物も数多い。

今日はその城の前の大通りを往復しつつ、4名でタスキを繋ぐレースだ。

Img_4613

よって、我が小笠山RCは3チームのエントリーである。

前半に行われた小中学校の部には97チームが走って、沿道はその父兄で溢れかえった。

Img_4616

そして一般の部は134チームだったが、流石に若いチームは速くって圧倒された。

とは言えそれでも、みんな雨に打たれながらも気持ち良く走ることが出来た。

Img_4618

それと言うのも、沿道からの予想外(知人が多く)の応援があったからかも知れない。

それにしても、実に懐かしい顔ぶれに不思議なほど随分と出会ったのである。

Img_4619

しかし駅伝と言うのは、いつ走ってもゼイゼイと喘ぐほど苦しいものである。

Img_4624

タスキの威力と言うべきか、普段のマラソンとは全く異質なものになる。

ともあれ汗をかいた後は、例によってみんなでワイワイと食事して・・・・・・。

Img_4625

身体を精一杯動かすってのは、実に気持ちの良いものである。

Img_4626

それも世話をする仲間が居るから出来るんだろうな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年2月13日 (土)

到る時に青山在り

自分の生まれた時からの年(歳)を基準に、物事を思案するのは止めようと思っている。

そもそも年齢などと言うものは社会通念の一般論に過ぎず、その個人差は余りにも大きい。

Img_4585

65歳以降は老人だって言われたって、現にバリバリの現役が無数に居るだろう。

あの京都の若きイクメン(?)代議士の行状を見ても、若けりゃ良いなんて事は有り得ない。

歳をとれば確かに視力、聴力、生殖能力そして柔軟性は減退するかも知れない。

Img_4586

だけどやっぱり、歳をとればとっただけの味わいや処世の面白さが備わるものだ。

それは豊富な人生経験にもとずく、いわゆる「年の功」の成せる業だ。

それに色々な世代を生きてきたから、少年から青年・思慮深い老年まで演じ分けられる。

Img_4587

現に私などは、カミさんの前では従順な子羊を通しているが、

魅力的な女性の前では少年のごとく羞らい、勿論中年のスケベさも併せ持っている。

そしてブログを書いている時には、人生を達観した成熟人間を演じている。

Img_4588

つまり、人間には歳相応なんて考えは不要であって、生のままに生きれば良い。

そういう意味で、人間は歳を経たればこその「到る時(処)に青山在り」なんだと思う。

増して年配者にはキャリアの威力やボケの迫力もあって、周囲を動かす力がある。

Img_4589

発言や行動だって、現役時代には考えられない程自由に出来るようになっている。

そう、あの大久保彦左衛門をやりゃ良いんだよ。

もはや、歳なんて気にすることは無いと思っている。

Img_4590

 西郷隆盛と共に入水した僧月性の七言絶句「壁に題す」を眺め、そんなことを考えた。

 男児立志出郷関 (男児 志を立てて 郷関を出ず)

 学若無成死不還 (学 もし成る無くんば 死すとも還らず)

Img_4591

 埋骨豈惟墳墓地 (骨を埋むる 豈に惟だ墳墓の地のみならんや)

 人間到処有青山 (人間 到る処に 青山あり)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年2月12日 (金)

ムリして家族

先日「親と子と少子化と」で核家族について書いたけど、あまり家族に拘るのはもう古い。

私の世代は、ずう〜っとマイ・ファミリーへの憧憬と言うか、夢を抱いて生きてきた。

愛しい女性と結婚して、可愛い子供達に恵まれて、時には家族で旅行してって・・Img_4581・・。

男はひたすらその為に働いてきたと言っても過言じゃなかろう。

それに、家族が寄り添って生き延びてきた永い歴史がそうさせたんだろうが、

家族を大切にすべし(壊しちゃいけない)という、かなり強い社会通念もあった。

ところが今じゃ、バツ1とかバツ2も珍しくなくなって、夫婦別姓やら同性婚やらと様々だ。

つまり家族と言えども人間の集まりの一つであって、一心同体じゃないって訳だ。

それを家族だからって、愛情や労わり、理解や許容を過剰に期待するから無理が生じる。

家族の構成員もそれぞれ生身の人間であって、その役割を過剰に課すのは禁物だ。Img_4582

濡れ落ち葉なんてのも過剰な依存関係で、自立できないから頼ってしまう人間の弱さだ。

とは言え、身も心も寛げて多少の我儘も許される空間は、家庭の他には無い。

確かに私達の生活の拠り所であるには違いないが、それも一種の方便なんだと思う。

先日、老母と二人暮らしをしてきた友人に会うと、「俺は、もう駄目だ」と言い始めた。

その老母の余命が幾ばくも無く、自分一人では生きられそうも無いと言うのだ。Img_4583

長く老母の面倒を見ているうちに、何時の間にかそのことに過剰に依存していたのだ。

何時も言うように、元来人間は弱く淋しい存在だから、つい拠り所を求めてしまう。

だから最近では、家族ってのは何となくフワッとした関係で良いんだって思ってる。

何だか頼りない気もするけど、家族も一種の生活互助組織として機能すればよい。

Img_4584

そいつが機能しなくなりゃ、改造するか分解するか、はたまた組み替えることだな。

少しドライかも知れないが、もうそろそろ既成の概念は振り捨てても良いんじゃなかろうか。

太宰治の言う「家庭の幸福は諸悪の本」ってのにも、どうやら一理ありそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月11日 (木)

他人事じゃない

どんなに強がりを言っている人だって、一個の人間は実に弱い存在である。

だから人は、ギリギリ切羽詰まらない限り、常日頃は仮面をかぶって生きている。

Img_4574

そんな平凡人からすれば、突然この事件の犯人に仕立てられた北川元校長の芯の強さに敬服している。

彼は2008年、「高校調査書改ざん指示」(公文書偽造)なる容疑で突然逮捕され、

何と345日間もの間(否認を続けたが故に)代用監獄に拘留され続けた。

Img_4575

どうすればそんな長期に渡って拘留できるのか(法的根拠が)分からないが、

三方が壁の3.5畳の薄暗い拘置所におかれ、ずっと自白を強要され続けたのである。

発狂する寸前まで追い詰められたと言うが、しかし彼は一貫して否認を続けた。

Img_4576

そもそもの事件は、某教師が内申書改ざんは校長の指示だったと言ったのが始まりだ。

それが中谷元天竜市長の贈賄事件に発展し、裁判では関係者の供述から否認のまま有罪が確定してしまった。

裁判以降、北川さんは支援者と共にこの冤罪を晴らすべく戦っているのだが、

Img_4577

何とも無情な時が流れ、もう8年が経過してしまっている。

一旦確定したものを覆すのは容易な事でなく、2014年にやっと再審請求に漕ぎ着けた。

以降、裁判所・検察・弁護側の三者協議が五回にわたって開かれてきた。

Img_4578

そして昨年10月、贈賄したとされた元天竜市長が「自白は虚偽だった」と証言したのだ。

中谷元市長は任意で30日間、逮捕後23日間収監され、贈賄を認めれば解放される誘惑に負けたと言う。

彼は既に高齢でもあって、このままでは死にきれないと偽証罪を承知で証言台に立ったのである。

Img_4579

一部公開された警察の捜査報告書を見る限り、二転三転する認否でどうにも無理のある自白と考えられる。

そもそも調査書に校長が関わる筈もないし、「ハイ承知しました」って改ざんを承知する教師もいないだろう。

この「事件」は初めから変だと思われるのだが、それでも裁判所は未だに再審開始を決定していない。

Img_4580

裁判所は公平なものと思い込んでいる我々からすると、誠に不思議な司法の世界だ。

ともかく長期に渡ったとしても、再審開始に向けて応援の世論を高める他ないだろう。

仮に自分にそんな冤罪が降りかかってきたとしたら、果たしてどこまで頑張れるだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月10日 (水)

人は淋しき

今頃そんなことが分かったのかと言われそうだが、やはり人は誰も淋しく生きている。

淋しいから群れたがるし、連れ添ったり賑わいや共通項を求めたりして生きている。

Img_4148

人と人が本当に分かり合って親密になるには、実はとんでもなく大変なことだ。

だから、みんな仮初めに親密なフリをして暮らしてる。

Img_4311

結局は自分こそが大切なんであって、だから余計に淋しいんだと思う。

長距離のマラソンを走るのだって、確かに仲間の存在は大変な励みになる。

Img_4313

だけど走るのは自分自身であって、その自分の中の気持ちが砕けりゃそれで終りだ。

マラソンを走っていて「俺は、淋しさを乗り越える為に走っている」って思うことさえある。

Img_4314

否、これはマラソンに限ったことではなく、日常の全般に亘って言える事かも知れない。

夫婦や家族の繋がりだって同じで、そりゃ赤の他人とは違って淋しさを緩和してくれる。

Img_4315

だけど、その絆を突き詰めると果たして(心の中は)どうだろうか?

原爆実験やミサイル発射で得意がっている隣の将軍様だって、本当は孤独で淋しいんだ。

Img_4317

そもそも爺さんが貧しい大衆を煽動して革命を起こし、ライバルの同志を次々と殺して、

やがて独裁者になって今日の専制独裁体制を築いた。

覇者になってやった事は、かつての王侯貴族と瓜二つだし、その孫も同じことだ。

Img_4324

社会主義も共産主義もその支配の手段でしかなかった訳で、人間の性を露にしている。

話が大業になったが事ほど左様に、世は人の孤独や淋しさで動いているのではないか。

それに人は言葉でつながっているのだが、その言葉に温かさが薄れてきていないか。

Img_4359

もっともらしい言葉は巷に溢れているけど、中々に人と人を結びつける言葉は少ない。

寂しさも含めそれは多分、TVやネット、様々なイベントや文明の利器に囲まれた生活とも関係している。

Img_4146

便利で快適な生活を手にした一方で、私達は人と人の汗で支えあう生活を忘れたのだ。

ともあれ、「人は、淋しいのさ」って事を忘れないで、みんなと一緒に生きる事が肝心だな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月 9日 (火)

撥ねられないで!

とうとう、起きてはいけない事がこの街で起こってしまった。

昨日の朝、青信号で歩道を横断中の児童2名が右折してきたワゴン車に撥ねられ死傷した。

Img_4565

この二人は少し遅れて登校してきたのか、街頭に立っていた指導員が去った直後だった。

私同様ボランティアだろうが、何とも悔いの残る事故になってしまった。

この7年間、毎朝街頭に立って児童を見送ってきたが、実は何度も冷や汗をかいてきた。

Img_4566

稀なことだが、横断歩道の手前で車が止まり、児童が横断を始めているのに、

その止まっている車の右側を高速で追い越していく車がある。

正にあわやと言う瞬間が生まれる訳で、何度か背中を冷たいものが流れたことがある。

Img_4567

仮にその瞬間に児童が撥ねられでもしたら、運転手は逮捕されるにしても、それだけでは済むまい。

だからそれ以降、子供を横断させる際には私が横断歩道の真ん中に立って通せんぼし、

車から子供たちをカバーする様に誘導してきた。

Img_4568

車との距離は幾分あったにしても、止まらない可能性もある訳で、

スピードを緩めずに走ってくる車の前に出るのは危険だ。Img_4569

しかし朝の通行量は相当なもので、止む無く「撥ねるなら、先ず俺を・」と体を張ってきたのである。

流石に今朝は、事故の大々的な報道の故か、全ての車がピタッと止まってくれた。

Img_4570

そんな様子を見てきて感じていたのかどうか、一人の女の子が意外な言葉を発した。

大きな声で「おじさん!! 車に撥ねられないでね。」と言うのである。

Img_4571

自分達よりも、よっぽど「おじさん」の方が危ないと思っていた様子である。

小学2年の女の子は死んでしまった訳で、まぁ〜こんな事故があるととてものこと、

Img_4573

他人事とは思えないのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月 8日 (月)

親と子と少子化と

「核家族」と言う言葉は、昭和40年頃に登場したんじゃなかったか。

経済成長と相俟って新しい時代の始まりって気分もあったが、当然ながらあの中に年寄りは存在しない。

Img_4401

別居独立を条件に家族を作って、始めっから年寄りの指図は受けないことになっている。

思えば今日の高齢世帯の増加と介護問題は、あの頃に遡って始まっているようだ。

勢い老後の面倒を見ないから、介護保険で国が面倒見ざるを得なくなったのだ。

Img_4402

そもそも、牛や馬の子は体毛に覆われて生まれてくる。

生れ落ちると直ぐに脚を踏みしめて立ち上がり、一人(頭)前になれば親子の縁は切れる。

ところが人間の子供は裸で生まれ、立って歩いて口をきくまで何年もかかる。

Img_4403

親は半生をかけて子供を一人前にするのだが、その代わりに子供達が老後を支えた。

それが今じゃ牛馬と同じく赤の他人同様になって、親の世話を国に見させようとしている。

政府や自治体がおっとり刀で婚活事業を始めたり、人口減少対策を模索している。

Img_4404

だけど、この少子化は一向に止まる気配すらない。

結婚しない男女が激増しているし、結婚はしても子供を生まない家庭も多いからだ。

そもそも苦労して子供を育てる価値を疑っているんだから、それもムベ成るかなである。

Img_4405

かつて、「核家族」にはそれなりの若々しいイメージがあった。

だが、その核家族の時代も既に終わって、「家族」の機能そのものが問われている。

我が家も世間同様に、親は親・子供は子供で勝手にやるのが当たり前になっている。

Img_4407

毎日食卓を囲むのは年寄りばかりだし、それも時には個食になんなんとしている。

それもコンビニで弁当を買ってくりゃどうと言うことも無いが、何か空しい。

「お前達の世話にはならん」と言ってきた手前、

Img_4408

今更「君には忠、親には孝」なんて言葉を持ち出しても始まらんしねぇ。

老人(死ぬ人)ばかりのホームが乱立しているが、それが果たして健全な社会なのかどうか。

昨日の森町ロードレースでは70(女性は60)歳以上の完走者に高齢者特別賞を出していた。

やっぱり年配者も死ぬまで元気でないといかんなぁ~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月 7日 (日)

春一番のマラソン

いよいよ、マラソンシーズンのスタートと言っても良いだろうか。

今日は遠州森町で開催される第45回森町ロードレースである。

Img_4551

かつて森町と言えば、寅蔵の浪曲森の石松「流れも清き太田川〜♪〜♪」で有名な町だ。

遠州の小京都と呼ばれ、何故か誇り高くって平成の大合併にも孤高を守った町である。

Img_4552

その大会ももう45年目にもなって、私が40歳の頃から参加している大会である。

Img_4553

連れ添いの在所ってこともあって、あの頃は女房の家族が挙って応援してくれていた。

しかしその在所もお袋さん一人になり、今は会場近くの病院に入院している。

Img_4554

出走前に病院に立ち寄ると、「今日は娘の婿が走る」と自慢していたそうである。

Img_4555

さても名物の空っ風も吹くことなく、気温11度と温かな晴天のマラソン日和になった。

準備運動を終えてスタートラインに並ぶ頃には、昨年の記録を大幅に更新すべく意気込んでいた。

Img_4556

勿論体調も気力もすこぶる快調なんだが、もう一つスピードがアップしていかない。

Img_4557

少しもどかしい気持ちのままに考えていたことは、マラソンってのは爽快に走らんと駄目だなってこと。

色々な大会に出ているけれど、どの大会も自分なりのテーマをもって走っている。

Img_4558

例えば今日は、昨年の記録を上回って(出来れば1時間45分代で)走ることだった。

Img_4559

宮古島100kのことを思えば、何とか可能ではないかと考えたのである。

しかし、それは気持ちだけのことで、結果はそんなに甘いものではなかった。

Img_4560

それでも精一杯気持ち良く走ることができて、ゴールで戴いた甘酒の旨いこと絶品だった。

Img_4561

結果は1時間48分54秒で、昨年よりもたった6秒だけ早かった。

歳と共に体力が劣化する年代に入っている訳だから、まぁ〜頑張ったと言うべきか。

Img_4563

今日を皮切りに毎週何らかの大会が続くのだが、気分としては上々の滑り出しである。

Img_4564

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年2月 6日 (土)

別の未来を・・

人は普通、歳を重ねるとともに保守的になると言うか、フレキシビリティーを失ってくる。

過去の経験や蓄積に囚われて、次第に新たな冒険をしなくなるからだ。

Img_4512

この私にしたところが、余程魅力的な誘いがあったとしても、

先ずは、今の立ち位置を離れて生きることが出来るのかと心配してしまう。

Img_4513

住む家があり家族が居て特に不自由なく暮らせるんだから、何を今更望むのかってね。

まぁ〜人は押し並べて、そうやって歳をとって死んでいくんだろうな。

Img_4514

考えてみれば、私の人生にもこれまで幾つもの分岐点があった。

進学の選択や伴侶との出会い、就職や職場での処世、自分の世界の創造などだ。

Img_4518

その「あの時」を思い起こして悔いてみても、今更やり直すことは出来ない。

その出来事の一つ一つを精一杯の事として肯定し、そうして現在の自分がある。

Img_4510

だからして過去を糺すのは無意味だとしても、多少ともこれからを模索することなら出来はしないか。

Img_4500

人生の成熟期を迎えた人間にとって、過去に安住するのは容易いことだ。

だけど過去に拘泥することなく、別の未来を目指す勇気があればそれは正に若さになる。

Img_4501

それに、未来への希望や夢の無い人生なんて味気ない。

ここは多少の無理をしても、新たな未来を目指そうと思っている所以だ。

Img_4503

さて問題は、私にとっての未来とは何かなのである。

脱兎のごとく走って来て、さて「目指すべき別の未来」は?と模索し始めているんだ。

Img_4504

とは言え、まかり間違えば只の放蕩爺さんになりかねないしなぁ〜。

Img_4505

確かに、これからの生き様は難しいぞッて感じている。

Img_4508

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月 5日 (金)

世は移ろい

中国の経済成長が減速して、世界の景気動向が俄かに怪しくなり始めている。

そもそも年率10%超の成長が限りなく続く訳が無く、一人っ子政策で高齢化が顕著だし、

Img_4406

やがてかの国の6%の成長だって高すぎる水準になるだろう。

若々しい青年が歳をとって何時しか老人になる様に、人にも国にも栄枯盛衰があるのだ。

Img_4422

まあ隣の国のことはともかくとして、戦後70年、この日本も随分と変わった。

TVが登場し、電話やファクスが普及、それが携帯になり、インタへネットの時代になった。

Img_4421

そして子供の数がドンドン減って、街中や山歩きでも見かけるのは老人ばかりになりつつある。

Img_4495

その日本の国が若々しかった頃(私の子供の頃)、宝くじの一等賞金は100万円だった。

あの頃の大人の夢は「百万長者」になることで、当時の金利は7~8%だったから、

Img_4420

百万円あれば、それが一生遊んで暮らせる金額だった。

私が就職した頃には物価も上がっていたが、それでも初任給は33,150円だった。

Img_4419

その頃(昭和43年)三億円強奪事件があって、暮れのボーナスを運ぶ車が襲われた。

当時の人々はその三億円の桁違いの大きさに驚嘆し、故に大騒ぎになったのである。

Img_4418

それにしても・・・あの犯人は3億円もの大金を一体どの様に始末したんだろうか?

今仮に1億円があったとしても、10年国債の金利0,04%以下だから年に40万円程度だ。

Img_4410

金の価値も金利も隔世の感と言わざるを得ない。

はてさて、この先世の移ろいは如何なる方向に向かうのか?

Img_4498

やはり縮小均衡と言うか、大衆文化が花開いた江戸三百年のような生活スタイルを創ることかな。

無理な経済成長を求めるんじゃなく、身の程にあった生活をしながらせっせと遊ぶ。

Img_4409

そして、そのせっせと遊ぶ文化を創造するのも、私たち団塊の世代かも知れない。

金なんて預金しても増えないんだから、人生を謳歌する為にしっかり使うことだ。

Img_4497

消費が増えれば、経済はそれなりに回り始めるんだから、私達が率先しなきゃね。

だからこの人生、おおいに燃焼させようぜ!!

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年2月 4日 (木)

春愁

毎朝の立位置の日影がドンドン短くなって、もう直ぐ日が当たる様になろうとしている。

今日は立春なんだと納得する傍らで、ほのかな憂いの様なものがわいてくる。

Img_4474

木々が芽生える春は、すべてのものが動き出す季節であって、何らかな新事態が生まれる。

Img_4475

卒業に新入学、転勤や送別などと世の中は動くし、自分も脱皮を迫られるのかも知れない。

Img_4476

或はこの歳になってもなお、長年の習い性となった年中行事に反応するのだろうか。

いやいやこの憂いは、自らの加齢に対する畏怖なのかも知れない。

Img_4478

かつて年齢を重ねることは、一年一年ずう〜っと自分が成熟することだった。

大人になったら、卒業したら・・、就職したら・・、課長になったらって、何時も先を見ていた。

Img_4480

そして今現在、果たして私の先にあるものは何なのか…・って言う憂いなんだと思う。

それはさぁ〜、何時も書いているように当面の目標は次々と設定しているさ。

Img_4483

しかし、その先の先にはやがて人生を締め括る時が来る訳で、そいつが春を複雑なものにしている。

Img_4484

考えて見れば累代、子々孫々、私達はそうやって世代を繋いで来たんだから、どうと言うことは無い。

Img_4487

後代の事は後代が考えりゃ良いんであって、自分が幾ら心配したって無益なことだ。

そりゃそれで、勝手にすりゃ良い。

Img_4489

しかしなぁ〜、俺の人生だって、もっとやるべき事があるんじゃなかろうか…。

何も前ノメリになることは無くって、あの世とやらに行く前に淡々とやるべき事がある。

Img_4492

そいつにお前さん、未だ手を付けていないんじゃない?

「そいつ」が分かりゃ苦労しないんだが、春は待ち遠しくてもこの憂いを何としよう。

Img_4493

 春愁茫々寒天地 (春愁 茫々として 天にみつ)

 我行未到愁先至 (我が行く手 未だ至らざるに 愁い先に至る)

 満願如雲忽復生 (満願 雲のごとく たちまち復生じ)

  ・・・・・・・・・中略

 愁与酒如風馬牛 (愁いと酒は 風馬牛の如しと)

Img_4494

     陸游「風馬牛」・・・・風馬牛とは何も関係ないんだけど・・・ってこと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月 3日 (水)

傾家時作楽

人は、歳を経るにしたがって刹那的に成るのかも知れない。

陶淵明の「雑詩」を眺めながら、我が意を得たりと言うか、「確かにそうだよ」と思っている。

Img_4439

淵明は「傾家時作楽」と詩って、家を傾けても時に楽しみを作って暮らすと宣言している。

何も家計を振り返らないという訳ではないが、自由になった時間をたっぷり使おうって気分は同じだろう。

Img_4436

しかも、その趣味の時間のために使う金銭を惜しむということは無い。

その同(団塊の)世代がそっくり高齢者の範疇に入って、「楽」を探しているのだから、

Img_4438

商売とすればこれを商機としない術は無かろうと思う。

私も現在はランが中心だが、いずれ山歩きや里歩き、国内外の歴史探訪、美味探訪、

Img_4430

自分ならではの作物づくりなどに時間を割いていきたいと思っている。

ところで今の年寄りは誠に大人しくなって、若い連中に苦言を呈するなんてしない。

Img_4428

金と暇を持っているにしても、昔取った杵柄が通用しないのが理由だ。

技術も日進月歩だし、社会の仕組みもドンドン変わって昔の知識・経験が陳腐化した。

Img_4427

分からない事があればネットが全てを解決してくれる。

よって年寄りが何を言おうが、若者は関心を示さないと言う事だろう。

Img_4426

だからして、これからの年配者は一生懸命遊ばなきゃ駄目だと思う。

若い連中が羨ましくなるほど遊んで、長寿成熟社会を牽引すべきだと思っている。

Img_4424

 昔聞長老言 (昔 長老の言葉を聞くに) 

 掩耳毎不喜 (耳を覆いて常に喜ばず)

Img_4425

 奈何五十年 (あれから五十年)

 忽己親此事 (忽ちすでにこの事に親しくしている)

Img_4417

 求我盛年歓 (我が盛年の歓びを求めること)

 一豪無復意 (一ごうも思う訳ではない)

Img_4416

 去去転欲速 (時の流れはいよいよ速まるようで)

 此生豈再値 (この生 あに再びある訳でなし)

Img_4423

  傾家時作楽 (家を傾けて 時に楽しみをなし)

 竟此歳月駛 (此の歳月の駛るを終えん)

 有子不留金 (子あるも 金を留めず)

 何用身後置 (何ぞ用いん 身後(死後)の措置)

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月 2日 (火)

オヤジのこと

親父が亡くなって、そろそろ10年になる。

オヤジは農家の次男坊に生まれ、15歳で母親と死別して結構苦労してきた人だ。

Img_4440

長男が出征して間もなく戦死してしまって、人手が貴重な農家だから主婦を兼ね、

炊事・洗濯・兄弟の面倒など家のこととは全てやったきた。

やがて自分も徴兵されて中国に出征、八路軍に追われたり野戦病院に入ったり、

Img_4441

ともかく終戦後復員して戻ることが出来て、それで私が生まれたのである。

私が二歳の頃に祖父が亡くなって、若干25歳の若造が家を支えなきゃならなくなった。

だから家のことや村のこと、勿論家業の農作業や生活のこと全てを若くから背負ってきた。

Img_4442

その苦労してきた分世慣れたところがあって、後に町議会議長を努めたりもした。

稲作だけでは生活できないと見越し、当時多額の借金をして温室栽培を始めた。

多角経営の先駆けで、キュウリやトマト、その後にはメロン栽培に取り組んだ。

Img_4443

徐々に経済が立ち直りつつあった頃で、そんな時期はずれの野菜が高値で売れた。

だけど肉体労働で成り立つ農業だったし、戦地で痛めた脆弱な体に無理があったのか、

病気をしては入退院を繰り返すことが多かった。

Img_4444

そんなオヤジの人生を、ハラハラしながら見つつ育ったのが私である。

反抗期にはそのオヤジと取っ組み合いの喧嘩もしたし、とにかく「世話」を掛けた。

今考えると、オヤジは商社マンなどの方が適性があったかと思うが、

Img_4445

当時は終戦直後の食糧難で、田舎から外に勤めに出られるような時代じゃなかった。

それに自分の人生を考えるより先に、家族を食わせて生きるのに懸命だったと言える。

今の私の様に道楽をする訳でもなく、働き詰めの一生ではなかったか。

Img_4446

ただ人生の後半に議員になって、同僚とあちこち出掛けていた頃は生き生きとしていた。

中学生の頃、それまで落ちこぼれに近かった私が稀な成績を取って勇んで帰宅した。

その時の嬉しそうなオヤジの笑顔が今でも忘れられない。

Img_4447

何も孝行らしいことは出来なかったが、やはり何処かで長男を頼りにしてたんだろうな。

息子にとってのオヤジは、時にライバルでもあって中々複雑な関係だ。

でも近頃じゃ、そんなオヤジの必死に生きた人生を一つのドラマに見立てたりしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月 1日 (月)

暇と遊び

定年退職してからは年中仕事に縛られている訳じゃなく、俗に言うヒマは結構ある。

そのヒマにあれこれ紐をつけて、忙しい忙しいと動き回っているが昨今だ。

Img_4520

もっともこのブログをご覧の方は「何だ、こやつ毎日遊び呆けてるくせに」とお思いかも知れない。

しかし農作業も含めやるべきことはそれなりにやって、尚且つ真剣に遊んでいるのである。

Img_4521

そもそもこの地球上の大抵の動物は、その活動している時間のほぼ全てを生存のために使っている。

勿論、アリの昼寝なんて見たことないように、アリやネズミにヒマなんか無いのである。

Img_4525

だけど人間だけが、科学や石油エネルギー等のお蔭でヒマというものを手に入れた。

その折角手に入れたヒマを(ボケーっとしてないで)上手く使おうと考えたのが人間で、

Img_4526

それで踊りや歌が生まれ、スポーツや絵画・彫刻などと、いわゆる文化ができてくる。

簡単に言やぁ〜文化とは、私達のヒマつぶしと遊びのことなんだろうが。

Img_4529

だから、ちゃんと遊ぶことが出来るのか否かが、文化人と野蛮人の違いと言うことになる。

而して私の場合、その楽しく遊ぶってことが緒についたばかりだろうな。

Img_4530

先日ある人から「あなたは糞真面目で、面白くない人生やってきて…云々」って言われちゃった。

確かにそうかもしれないって思う反面、「俺って、二兎は無理なんだよな・・」ってことと、

Img_4533

「やっと、俺にも自由な時代が来たジャン・・」ってな気持ちで聞いていた。

Img_4534

人生にもいろんなステージがあってさ、人生を楽しむのはこれからさッて思ってる。

Img_4535

所詮ヒマなんて、冷蔵庫に入れてとっておいても利子なんて付かないんだから、

Img_4541

使えるうちに面白おかしく使いつぶすのが賢明なのさ。

Img_4542

自分が生き生きとするような事のためにヒマをつぶすなら、それが最高さ。

Img_4547

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »