初老の繰り言
人間六十の坂を超えると、大げさに言うと「何があっても不思議ではない」年代に入る。
以前なら住宅ローンやら子供の独立やら、死んでも死にきれない足枷があったのだが、
その手枷足枷が何時の間にか嘘のように外れ落ちている。
それに一通りの人生はやり終えた訳で、少しばかり早めに旅立ってもどうと言うことは無い。
事実身の回りを見渡しても、一人二人と櫛の歯が抜けるようにいなくなる人も出てきた。
そうは言っても押し並べて長寿の時代であって、そうそう簡単には日は暮れそうにない。
でもたそがれ時だから、時々刻々と空は青ざめて、その濃さは確かに深まってはいる。
しかし北欧のたそがれの様なもので、日が暮れてから何時までも薄暮が続くのである。
いっそ一気に暗くなってしまえば観念のしようもあるが、何時までも生臭いのが長寿だ。
否生臭いだけでなく体形だってランナーだからスマートだし、気持ちも若い連中と同じだ。
この体形も、いっそ常滑焼の狸ように腹鼓を打てる程ならともかく、それも叶わない。
つまり、老人であって老人になれない状態が当分続く予感がするのである。
さすれば老後の無為な明け暮れを命尽きるまで甘受しなければならないとしたら、
「そりぁ、大変なことだぜ」と思わざるを得ないのだ。
ともあれ勝手にリタイアも出来ないから、万事自然体でやるべきことをやる他あるまい。
そう・・・、その一日が納得できる一日であるなら、それだけで十分であろう。
健康で仕事にも恵まれ、何一つ不満は無いのだが、それでも人生は難しい。
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