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2016年3月31日 (木)

淡墨桜を観ん!

世に日本三大桜と称される1000年以上を経た老樹がある。

福島県の三春滝桜、山梨県の神代桜、岐阜県の淡墨桜である。

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樹であれ人であれ、老成すればそれなりの風格を持つようになるべきだ。

しかして、その風格とは如何なるものならんと考えていた折、その淡墨桜が咲き始めたと聞かされた。

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それで矢も楯もたまらず、今日は押っ取り刀で岐阜県本巣市の山間にある桜を訪ねたのである。

はて2分どおり(くらい)も咲いているだろうかと、気もそぞろに急な坂を登っていくと、

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ヒノキ美林の裾にグウ〜ンと淡墨桜が大きく浮かび上がって、何と六分どおり咲きである。

桜は樹齢1500年、幹回りは15m以上はあろうかと言う巨木であって、Img_5228

その老樹がその老いを感じさせず、見事な風格で花を咲かせていた。

それは1500年もの間花をつけてきただけに、聞きしに勝る説得力と重みがあって、Img_5227

ウゥ〜ンと流石に暫く声が出せなかった。

無数の添え木に支えられているのだが、過去に何度も枯死寸前まで追い詰められ、Img_5215

最大の危機は昭和34年の伊勢湾台風で太い枝も折れ無残な姿に変わり果てたと言う。

しかし作家宇野千代らの尽力が実って、今日その姿を感動を持って観ることが出来る。Img_5209

それにしても、この3月に六分どおりも咲くとは、暖冬の影響とは言え珍しい事らしい。

多分もう一週間先に日延べしていたら、花は墨になっていたかもしれず、Img_5208

最高の雄姿に立ち会えたの幸運に一種の興奮を覚えていた。

これも風格を探す予感と言うべきか、遥々駆け付けた甲斐があったというものである。Img_5207

それにしても、1500年の風格は生命そのものを考えさせる何物かを秘めている。

淡墨桜の興奮が少し覚めると、近くの大垣にも桜の名所があることに気付いた。Img_5206

大垣城外堀(水門川)には石垣の上に桜並木があり、その下を舟下り出来るのである。

早速そのおつな風情を味わうべく舟着場に行くと、何とそこには新婚さんが。

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まさに春の風情となって、そよぐ春風と清楚な水の流れを楽しむ旅人になっていた。

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今日は、迷わず一直線に岐阜まで出かけて正解であった。

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2016年3月30日 (水)

ずっと走ってきて

コツコツと続けることが人生のコツだと、信じて続けてきたことが幾つかある。

漫然と続けりゃ物になる訳でもないが、馬鹿の一つ覚えにしてもその積み重ねは無形の財産になる。

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「確かに、そうだなぁ~」と思うことの一つに、走るってことがある。

40歳を過ぎてからランニングを始めて30年近く、ランニングは明らかに生活の一部だ。

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そしてもうかれこれ、地球を一週半(6万km])ほども走り続けてきた。

その継続の故に古稀を前にして100kを完走する力を維持しているし、走る仲間も増えた。

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一方、左膝は正座出来なくなったし、疲労から来る脚の鈍痛で夜半目覚めることもある。

果たして何時まで走り続けられるだろうかと不安になることもあるが、それはその時の事。

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そもそも太古の昔から、人は獲物を追って(猛獣に追われて)生きる為に走ってきたんだ。

そして多分、走ることが出来なくなったら、その人生を終えていたんだろうと思う。

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一人で走っていると頭の中が空っぽになって、その空っぽの頭が意外な事を思いつく。

汗をかき筋肉の疲労は積み重なって苦しいのに、頭の中は時空を飛んでいるのである。

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そんな長い間のランニングの積み重ねが、今では私の生き様と密接につながっている。

今日が3,623日目のこのブログだって、走り続けてきたことと不可分の関係にある。

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先日の「文章とブログ」で、十年になるのを機にブログを閉鎖しようか迷っていると書いた。

すると翌朝、ある方から「毎日楽しみに読んでるんだから、止めるな」と電話を頂いた。

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更に「ランニング記事を通じて、自分も走っているかの様に元気になる」とも仰っていた。

誠に心強い励ましに気を取り直しても居るのだが、やはり形を変えても継続すべきか?

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確かに継続は力だがそれに固執することなく、変化を考えて柔軟に継続するが肝心だ。

この30年間、走りながら、そして書きながら随分と色々な景色を見てきた。

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そしてこの間、世の中の景色も少しずつ変わってきて、私だって当然同じじゃない。

これからだって周りの景色も私も変わっていくから、要はそいつに柔軟に対応できる自分でないとね。Img_5016

それから、これまでの継続をバネに、未来の新しい景色を十分に堪能できると良い。

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2016年3月29日 (火)

居場所

あなたには、心地よい自分の居場所って、何処かにありますか?

それはあなたの家庭?、職場?、或は居酒屋の片隅か友達の所でしょうか?

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若い頃は、そんな自分の居心地なんて考えたこともなかった。

居心地が悪くったって無我夢中で、必死に堪えて仲間外れにされまいとしてきたし、

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不慣れな職場やあまり面白くない地域社会にも順応してきたからね。

そんな具合に自分の住処を広げて来たんだけれど、退職やら引退・離別やらと、

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歳と共に、次第にかつての領域(社会的役割)を放棄せざるを得なくなってくる。

果たして高齢になるに従って住む世界は次第に狭くなるのである。

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そういう意味で、心地の良い自分の居場所づくりはシニア共通のテーマだと思う。

だけど、どうでしよう? 自分の居場所はココだって・・・簡単にゃ見つかりませんよね。

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長年連れ添った糟糠の妻だって自分なりの生き方を始めているし、頼りにゃならない。

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長年付き合った友だって歳とともに境遇も心境も変わっていく。

相当に長く生きなきゃならないこの長寿社会を思うと、これはなかなか厄介でもある。

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取り敢えず私の場合には、ブドウや畑との付き合いは欠かせない居場所ではある。

それに自分のできるボランティアを少しずつ増やすこと、

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走る事は何時まで出来るかは別にして、それに代わる事を考えつつ仲間を増やすことだ。

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それで80歳位までは行けるんじゃないか、更にその先があるとすればそれは何か?

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まぁとにかく、過去に拘泥することなく、常に新らたな挑戦を試みる事だろうと思う。

未来を案ずるのではなく、未来は切り拓くことにこそ面白味がある。

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幾つになったって、みんなで面白いことを追い求め続けりゃ良いのさ。

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2016年3月28日 (月)

緊張との付き合い

「緊張で固まってしまう」そんな経験を、子供の頃から何度となく繰り返してきた。

特に「権威」なるものに弱く、知事や市長、大企業の社長等を前にすると非常に緊張する。

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同じ人間なのにと内心思いつつも、実際にその場になると顔は強張って、

その堅い顔のまま、訥々と思うことの十分の一も言えずに終わってしまう。

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同様に自己紹介が苦手だから、本来が自意識過剰なのかも知れない。

それに発言の機会が順番に回ってくるような場面は、特に苦手である。

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他の人の発言など耳に届かず、自分の発言すべきことを必死になって考えている。

それでいて、自分の番になっても、思ったことの半分も表現できないのである。

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気が小さいと言うか、周りを過剰に意識してしまう損な性分なのである。

そうだなぁ・・、緊張からの自由を手にしていたら、私の人生は全く違っていただろう。

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自治連の役員をしていた頃、○×総会などに来賓として出掛けることが結構あった。

会場に着くと対応する係員の顔がバリっと緊張するのが分かって、

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(緊張なんてする必要が無いのに)自分もあんな風だったのかと不思議に納得した。

自然体で対応すれば良いのだが、不必要に意識が高ぶってそれが出来ないのである。

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自分の意識は自分でコントロールされる筈なのに、時に緊張が思わぬ暴走をさせる。

体調が(極度に疲れてたりして)悪いと動悸が高まって声すら変わってしまうことがある。

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それでも古希に近い歳になって、事前に考えずに地のままが結果オーライと気付いた。

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何も特別良いことを言う必要が無いと思う様になったのである。

それに、誰だって他人にそれ程重大な関心を持っている訳でもないからね。

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それにしても、緊張が習い性となって久しく、特に女性の前では緊張するなぁ〜。

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2016年3月27日 (日)

姫街道歴史エンジョイマラ

姫街道は豊川市御油に発し、磐田市見付で東海道に合流する。

浜名湖の今切れに直進するのが東海道で、迂回して山側を辿るのが姫街道だ。

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古くから入り鉄砲出女を取り締まった新居の関所を避けて、姫様が辿ったとされる街道だ。

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しかし旅する姫様など江戸期には無かったはずで、実際は今切れの渡しを避けたのだろう。

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ともあれ今日は、東海道と別れる御油から豊橋、本坂峠を登って大里峠へ、

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更に引佐峠を越えて細江神社までの35kmを走る歴史エンジョイマラニックである。

朝9時御油の宿場跡に集まったのは25人で、姫街道とあって圧倒的に女性が多い。

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心配された天候もまさに(この大会にしては珍しく)マラニック日和である。

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今年で5回目になるのだが毎年の様に雨の大会になって、青空は珍しいのである。

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だが昨年はほぼ満開の桜に迎えられたが、今年はソメイヨシノはほとんど咲いていない。

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暖冬の影響で、かなり開花が遅れているのである。

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と言うことで花を楽しむこともなく、淡々と本坂峠に向かってかなり速いペースで走る。

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急な石畳の峠を抜けると、そこにはI藤さんが私設エイドを設けて下さっていて、

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素麺にトン汁、それにキャベツの塩麹あゑをたっぷりと戴いて、腹ごしらえを済ます。

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三ヶ日の町に入ると整然としたミカン園が広がり、豊橋側と景色は一変する。

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その姫街道の一里塚を幾つもやり過ごして、やがてゴールの気賀の町に入る。

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走ること6時間、山の上の国民宿舎の風呂に浸かって疲れを癒しながら考えている。

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眼下には細江の街、その向こうに都田川から奥浜名湖が広がっている。

このマラニックに、私はもう5年も続けて参加してきている。

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眼下の景色は何の変わりようもなく、多分五年前と同じ佇まいを見せている。

或は変わったのは、この私なのだと考えていたのである。

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それも、この五年間に変わったのは何なのかってね。

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そりぁ確かに年齢は幾分ロートルになったが、仕事や仲間や環境も少しずつ変わった。

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そうして過ごしてきたこの五年間は、私にとってどういう意味を持っていたのだろうか?

勿論のこと、街道筋の神社仏閣や一里塚も何一つ変わってはいない。

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ただ、その前を通る私の気持ちが少しずつ変わってきたのである。

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2016年3月26日 (土)

文章とブログ

今学校では、文章(作文などの表現)力の低下が懸念されている。

選択式入試の弊害などとも言われ、それ故に記述式入試なんて議論がされている。

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私は字は下手だし、作文を書くことも決して得意ではなかったと思う。

それに子供の頃は、その書くべきことを考える習慣すらが無かったのだと思う。

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それでも学校の図書室の伝記や冒険物・探偵ものなどは、結構読んでいた。

高校の頃に、一時だけど小説家になろうと考えた位だから、書くことが嫌いじゃなかった。

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それでも、まとまった文章を書くようになったのは仕事に就いてからである。

仕事を進めるにはいつも起案しなければならず、それで文章を書くことが仕事になって、

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そんなセクションに長く務めたから、何時の間にか文章が苦にならなくなった。

しかし原義を修正するのが仕事の上司がいたりして、この文章を巡っては随分苦労した。

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散々苦労して仕上げたレポートをベタベタに直(改悪)されて激怒したりしてね。

だけどそうでなくっとも、それなりのまとまった文章を書くってことはかなり大変なことだ。

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それに文章の要諦はその巧拙もさることながら、何を伝えるのかが明確であること。

だから私の書く文には癖があって、どこかに自分の思い入れが伏線として入っている。

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文章を読む場合にも、中身(思い)の無いスパンメールみたいな文章は読みたくはない。

ところで毎日(3,619日)書き綴ってきたこのブログだが、期せずして2人から声があり、

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「同じ様なことを書いているね・・・」とのご指摘であった。

その時々に遭遇した思いや出来事を表現してきたが、読む方は「またか」の思いらしい。

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何しろ忍び寄る年波故(それ程と思っていないが)に、かなりボケが始まっているようだ。

やはり思うことも考えることも次第に固まってくるのかも知れない。

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かと言ってアンアン・ノンノンに出てくる味のないクリームの様な文章を書くのは、

そりぁ〜、逆立ちしても無理だ。

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それに何よりも、私は私でありたいとも思っている。

ともあれ、まん丸10年を機にブログを閉鎖するか、それとも・・・・と迷い始めている。

・・・読み手あっての、ブログだしねぇ。

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2016年3月25日 (金)

自分の風格

自分では、これまで脇目も振らずに、我が道を一直線に生きて来たと思っている。

だから、およそ「風格」などとは縁のない生き方であって、これは少々難しいテーマである。

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だが「風格のある老人になるために、人生はある」とのフレーズに触れ、少し考えてみた。

そもそも風格とは何か分からないから、先輩や同僚、友人或は芸能人を思い浮かべ、

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その風格の濃淡を類推してみたが、どうも人の欠点に目が行く性分で、納得を得ない。

あの人この人と思い浮かべるのだが、それぞれみんな生き方もキャラクターも違う。

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人付き合いの上手い人や世渡りの達人、堅物を絵にかいたような朴念仁や切れ者、

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一人我が道を行く孤高の人、真面目一途で面白みのない人etcが脳裏に浮かぶ。

その一人一人が自分の物語を生きている訳だが、どうやら風格とは観客の目線のようだ。

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歌舞伎役者が大見得を切る様に、その生き様を観客にどう見せるのかってのが風格!

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自分の物語の主役は自分だが、観客あっての物語であって、そこはやはり意識する。

その見せ方が「風格」に繋がるんじゃないかと考えたわけだ。

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つまり、風格のある人は、常に外向きのそういう演技をしている(出来る)人ってことになる。

そういう意味じゃ、残念ながら私は真っ裸の大根役者であって、風も格もないのが道理だ。

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しかし、そこそこの年配なんだし、今更風格なんぞって諦めてしまって良いものかどうか。

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翻って好々爺を演ずる手はあるが、中身はまだまだそんなにゃ枯れちゃいないんだ。

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いまだに、孫どもと本気で言い争うんだからなぁ〜。

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そもそも風格ある老人どころか、「老人」になることに自分が納得していないんである。

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・・ってことは、風格を演じるのはまだ先ってことかなぁ〜。

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いずれにしても、自分の風格は一生かけて自分で演じて創り上げるものらしいから。

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2016年3月24日 (木)

人生の季節

チュウリップが可憐に咲き揃い、桜も今まさにあの爛漫の時を今や遅しと待っている。

冬が過ぎれば春が来るこの春夏秋冬の移ろいは、何とも上手くできている。

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時には暖冬だったり涼しい夏があったりするが、やはり季節の変化を楽しめるのは良い。

人生もこの四季にたとえられるのだが、こちらには次の年があるわけじゃない。

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それに冬は空っ風、夏の台風、初夏の梅雨などの変動も決まった時期に有る訳じゃない。

人生の気候変動は、景気循環や動乱などと、その時代が遭遇させるものだからだ。

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戦国や戦中の嵐の時代を生きた人々と平穏を生きるのとでは、人生は雲泥の如く違う。

だから、人生のどの季節をどの様な環境下で過ごすかは、人生の一大事だ。

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嵐に振り回され翻弄されて生きるんじゃ、それは辛いものだ。

だが、出来ればそれを季節の風物詩くらいに楽しんでしまう方が賢明だ。

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ところで私の人生の季節は、晩秋から冬へといった頃合であろうか。

本来なら焚き木を集めて冬の寒さに備え、破れた壁を補修して冬篭りに備える時期だ。

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しかし次の年があるわけでもないし、それに時代は押並べて長寿高齢化社会である。

焚き木など集めなくっとも、羽毛のダウンが一枚も有れば十分冬は過ごせる。

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ウインタースポーツはもとより、人生の季節に逆らって思いっきり羽ばたいて見るべきだ。

いやなに、若者に身をやつすのではなく、世間に気を使って老人らしくする必要は無いってことだ。

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時代の風に流されつつもしなやかに逆らったりしながら、果敢に北風に向かうのも良い。

この人生の冬の季節に颯爽と100kのウルトラを走るなんざぁ、その典型じゃなかろうか。

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せっかくの春夏秋冬だから、これもまたおおいにその季節を楽しむべきなんだ。

さてもこの春、余呉湖から富士五湖、八ヶ岳、高山とウルトラの転戦を控えている。

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人生の季節の気配を気にかけながらも、吾、この北風を乗り切って行かんとす。

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2016年3月23日 (水)

ウイング

団塊の世代の先頭を走ってきたから、幼稚園は入園拒否、学校は鮨詰め、その後も

狭き門の受験戦争を掻い潜って生き残り、今日に至っている。

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そして思うことは、何故あれ程に学歴が唯一無二のものとして信仰されたのかと言う事である。

私達の世代では、大学のグレード(難関大学など)で人生が決まる如く信じられていた。

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当時は大学も少なかったし、(私立は家計上駄目)入試の合否は一つの分かれ目だった。

ろくに勉強もしなかったが、それでも何とか端っこに引っかかって、大学に学(?)んだ。

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と言うか籍を置いただけで、ろくすっぼ講義すら出なくって、研究室の教官が時々催促の電話をよこしたくらいだ。

勉強しなかったから言う訳ではないが、実は社会での実力は学業成績とは関係ない。

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同期で卒業して私と同じ勤め先に入った男が、幸か不幸かもう一人いた。

私は超低空飛行の劣等生、方やもう一人は真面目に講義に出席し成績優秀な男だった。

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社会に出てやがて二人の前後関係は逆転し、その優等生は最後まで平職員で終わった。

高校の同窓会でも、旧帝大に入った優秀なヤツと会って「なあ〜んだ」とガッカリする。

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そのほとんどが、しがないサラリーマンで人生を終えようとしているからだ。

今になって思えば、大学へ大学へと競ったのは何だったのかと不思議にすら感じる。

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それは多分学生時代の過ごし方の違いで、勉強だけしてりゃ良いってもんじゃないんだ。

世間や人間を知る機会をどれだけ持ったか、アルバイトをどれだけしたかとか…、

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色々なことに関心を広げ様々な種類の人間とも関わる、一種の隠れた学力が肝心だ。

大学が無数に増えた今日では、選り好みしない限り大学には誰だって入学できる。

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だけど大学ってのは、入学だの卒業だのってことはさしたることじゃない。

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それよりもこの期間に人間としてのウイング(器でも良い)を広げる事が大切なんだ。

それもさぁ〜、過ぎ去ってから分かることなんだよなぁ。

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2016年3月22日 (火)

暇なればこそ

一仕事済ませてホッと一息つく、そして又次の仕事に向かう、人はそうやって生きている。

やるべき仕事が有るから暇な時間が貴重だし、その時間の流れの緩急を楽しめる。

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かつての現職時代に、定年退職後一年程で亡くなってしまった何人かの方が居た。

いずれもガシガシ仕事をして功なり名とげた人であって、組織のトップまで登り詰め、

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そしてアッと言う間に死んでしまうんだから、人生の儚さを思ったものである。

一つのことを成し遂げてその張りをなくしたショックは想像以上に大きなものだ。

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そもそも懸命に働いてきて、定年後には静かな晩年をなどと考えていたとしても、

成功一途に脇目もふらずに仕事してきた人間が、

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定年と同時に急に穏やかな気分になれるはずがない。

だが定年退職と共に、否応なく大量の「暇」ができるのである。

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そんな訳で定年になって自由闊達明るくなる人と、がっくり暗くなって老け込む人が居る。

どうやら、過去を上手く切り離せない人が暗く沈みこんでしまうようだ。

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元来人生の七割はムダな暇であって、その暇のために仕事が有るようなものだと思う。

暇のほうが人生の大部分なんだから、その暇を如何に過ごすかが人生を決めていく。

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利休や光悦を上げるまでもなく、間違いなく暇が人間を作るのである。

実は私のラン仲間には定年前後の人が多く、毎日をどう過ごすのかも含め、

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時折この暇の過ごし方が話題になっていて、事実大きな人生の分かれ目なんである。

飲んだり食ったりして、たわいの無い話をし、時にTVを見てとりとめも無く時間が過ぎる。

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それも一つの人生だろうが、やはりたっぷり有る暇な時間を過ごすには芯が要るだろう。

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しかもその芯は、現役時代から周到に準備しておくことが肝心だ。

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そう言えば私の毎日やっている事(例えばこのブログにしても)は、皆暇つぶしである。

暇ってのは、時間をうまい具合につぶす工夫をさせてくれる。

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葡萄作りにしろランにしろ、それが人生を面白くしてくれるんだから「暇」様々である。

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兎に角、人は死ぬまで生きるんだから、楽しく生きる如かずである。

暇なればこそ、人生は面白くすることが出来る。

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2016年3月21日 (月)

暑さ寒さも彼岸までとは良く言ったもので、桜の便りとも併せめっきりと春めいてきた。

そのお彼岸には、先祖の墓参りがこの国の人々の古くからの習わしであろうか。

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そして墓は先祖代々のという意味で、その家の象徴でもある。

しかし近年、墓や家を取りまく事情が大きく変わり始めている。

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死生観や宗教観の変化もさることながら、少子化で後取りがいないのが大きな理由だ。

あんな湿った暗い所に入るくらいなら、散骨の方がすかすがしいと考える人も増えている。

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昨日ある女性と話していたら、「私の代で墓じまいにする」と語りだした。

娘と二人住まいだが娘も結婚しないから、もう後代は期待できない。

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どうせ無縁仏になるんなら、墓そのものを無くして娘の負担も軽くしておこうと言う。

一所懸命は武装農民の時代に生まれた言葉で、その土地を守る拠点が家であり城だった。

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それが近世の商工業の時代になって、その土地を懸命に守る必要が無くなり、

かてて加えて家父長制の廃止が家の存在を希薄にした。

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家が守り受け継ぐものから、我がままが許される自在な空間程度に格下げされたのだ。

それに結婚しない風潮どころか、同性婚までアリのご時世だから家の存在は危うい。

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さらに夫婦別姓の議論も盛んだから、やがて「姓」が家のシンボルで無くなるかもしれない。

そんなことを思っていたら、インドネシアには名字の無い部族があるらしい。

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例えば、名前のスカルノだけで何処の家系の何のタロベーってのは関係無いってことだ。

もっともこの日本だって、明治になるまで一般庶民の名字は許されなかったんだからなぁ。Img_5065

名字の無いのも些か寂しい気がするが、改めて「家」を考える時期かも知れない。

かつて堀を高く囲ったお屋敷の時代からすれば、現代の家族は如何にもたよりなげである。

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しかし、来世がある訳でもないから、墓なんてどうでも良いのかも知れないな。

一方で、後代にしっかりと家を守り育ててほしいと言う気持ちは残るけど…・。

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2016年3月20日 (日)

石松の大洞院へ

今日は恒例の遠州三山マラなんだけど、三年に一度の石松祭りに合流することになった。

午前9時、集まったのは27名で、石松まつりに合わせての三度笠は4名である。

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先ずは可睡斎に向かい、そこから流れも清き太田川を遡って遠州森町に向かう。

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途中には名刹、毎年祇園祭の行われる山名神社があって、

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その傍らを通り抜けて、石松の墓のある大洞院へむかう。

途中、石松道中の一行と巡り会ったが、その一行は全て女子大生扮する清水一家だ。

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可愛いのなんのと言うか、頼りなさもあってカメラの目線は我らオジン三度笠であった。

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生まれて初めてのカメラの放列に囲まれてしまったのである。

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袋井から大洞院までは18kで、お寺では甘酒やら最中の接待をして頂き、

(石松一行の先触れと理解されたようで)石松の墓前で丁重なお参りを済ませたのである。

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石松の墓石は立派に修復されていて、(この墓石は削がれて3年でほぼ無くなってしまう)

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今日でも博打のゲン担ぎに墓石のかけらを持ち帰る人が絶えないのである。

さても賑わいの大洞院からは山を越え、遠州小国神社を目指すのである。

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途中には彼岸桜やレンギョウが花を咲かせ、その傍らを語らいながら足を運ぶのだ。

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小国神社は結婚式や出産のお礼参りやらで賑わっていて、春の黎明を感じさせる。

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その門前で昼食代わりにキツネうどんを戴き、本日のゴール「森の湯」に向かう。

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やはりゆっくりと湯につかり、やはりまったりとした懇親会が始まるのだ。

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そこへ清水からやってきたと言う「一家」が押しかけてきて、類は類を呼ぶ理で、

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石松祭りを聞きつけて、装束を揃えてやってきたと言うのである。

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あるいは同類と言うか、人生をこよなく楽しもうと言う連中なのである。

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ともあれ今日も楽しく語り合いつつ走り、走る仲間の絆を確認し新鮮な時を過ごした。

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馬鹿々々しいなどと言うなかれ、これも人生の大切なステージなのである。

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2016年3月19日 (土)

感慨

古希になんなんとするまで、随分と馬齢を重ねて来ての一つの感慨である。

孔子は「吾十有五にして学に志す」と求道のプロセスを書き出している。Img_5087

はて何故十有五なのか、そしてそもそも「志す学」とは何かが分からなければ不可解だ。

これは勿論、勉強や読書を始めたという程度のことを言っているのではない。Img_5088

15歳位から自分はどう生きるべきかってことを真剣に思って生きろと言うことだろう。

実は今日は、第7回目のムーハウスでの人生の勉強会で「志学」をテーマに語り合ったのである。Img_5089

だけど、15歳は中学卒業の年頃で、まだまだ人生なんて見える時期ではなかろう。

でも修身講義録では、「全ての人間の自覚的な生涯は、この志学に始まる」としている。Img_5090

それで私はこれを勝手に「十有五にして、人生を学ぶことを志す」と理解してみた。

森信三先生は「人生の根本は、何よりもまず真の志を打ち立てる所から始まる」と言う。

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しかしながら、「真の志とは何か」となるとこれは難しいし、果たして自分の志如何と

考えてみても、「俺は赫々と生きて来た」とは言い難い。Img_5092感慨とは、果たして自分は、

この年になるまで真の志の元で生きて来ただろうかと考えてしまったからだ。

だけど、この点ではあまり大業に考える必要はないのかも知れない。Img_5095

聖人君子でない限り、後生大事に「自覚的な生涯」を貫徹出来るものではなかろう。

人それぞれに、何であれ自分が打ち込んできたものが、言うならば志なんだと思う。Img_5096

例えば、花の美しさを真に味わうことのできるのは、自ら花を育てた人だろう。

他人は花が咲けば目を留めるだろうが、花を育てた人間は花の成長の全ての段階から心を楽しませている。Img_5097

私のブドウ栽培だって、楽しんでいるのはその収穫ばかりではない。

枝の出方や花の姿などなど、彼女らの言葉が伝わってくるほど愛しんでいる。Img_5098

自覚的な生涯とは、何も天下国家を論じるばかりが志とは限らない。

志学とは、その人間の生きる姿勢ではないかと思う。Img_5100

ともあれ今日の勉強会は少々難しかったが、この余韻と感慨は今少し続きそうである。

激しい雨も午後には一気に晴れ上がって、午後は皆でジョギングを楽しみ、

暫しの人生を考える時間をみんなと共有したのである。

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2016年3月18日 (金)

希望の風に乗れ

本格的に桜咲くには未だ早いが、昨日・今日と相次いで中学校の卒業式に出席した。

人生に別れは付き物だが、15歳と言う年頃もあって独特な感慨を醸すのが卒業式だ。

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そして別れの涙は、この三年間の出来事との決別(過去からの脱皮)の涙でもある。

五里霧中・井の中の蛙が、少しずつ世の中をのぞき見るようになる年頃なのだ。

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あの頃を思い起こすと、不安が一杯ながら教師の指導のままに先だけを見ていたと思う。

そう・・・中学と言うのは、子供から大人への心身の最も大きな転換期であって、

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この時期に最初のボタンを嵌めるかのように、その子の人生の方向が粗方決まっていく。

そして、その後の毎日の積み重ねがその人の形や味を作っていくのだ。

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勿論花の姿や咲き方も様々な様に、やがてそれぞれのキャラクターになる。それも、

優等生が優等生のままで成長する保証などなく、人は成長の歴史の中で変わっていく。

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ところで、それぞれ式の最初に歌う君が代の歌詞に「さざれ石の巌となりて・・・」とある。

地学ではさざれ石は礫岩のことだが、それが「巌」になるには悠久の地殻変動が必要だ。

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それで今日は、あの長福寺の裏山の460mの遊歩道の話をさせて頂いた。

菊川に檀家20戸程の小さな寺があって、そこのユニークな坊さんが訪れる人に460mを歩かせる。

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何故460mかと言うと、10mを一億年に見立てて地球誕生から生命・恐竜登場など、

ホモサピエンスに至る歴史を辿る小道なっていて、最後の2cmの所に人類誕生とある。

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138億年前のビッグバンから46億年前にクォークが集まって緑の地球が生まれる。

その地球46億年の壮大なスケールからすれば、人類はたかだか2vmしか生きていない。

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しかも人類はその2cmの中で猿から進化を続け、そして累代バトンをつないできて、

その最先端のところに私達がいる。その人生も二度なし。

一度限りなんだから無駄にしちゃあいかん・・・・と言う説法の話しである。

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中学生には人生なんて考えるのは未だ早いかもしれないが、今正に脱皮しようとする

彼らには、何処かにその人生を見詰める目線を持っていて欲しいと思う。

それに、これから体験する時代の変化は、一種の自然の水の流れであって、

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緩急や障害物も含めて様々な出来事が現れるが、それも地球の46億年からすりゃあ然したることも無い。

ともあれ、学校を巣立つ若者よ、その弾む力を信じて自らの希望の風に乗って羽ばたけ!!

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2016年3月17日 (木)

お互い様

何時も走っているホームグランドの小笠山のことである。

昨年12月、突如「一般者立入禁止」の看板が立てられて、様々な人達が抗議してきた。

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歴史的に誰もが入山してきた里山なのに「国の山だから入るな」というその身勝手さに、

私もこのブログに森林管理署への苦言を書いたことがある。

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以来、歩く会や山岳会、自然観察の会や野鳥の会などが集まって対策を協議してきた。

市のトップや国・県・市の議員も動き始め、先日は山を愛する会の結成にもこぎつけた。

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そんな矢先、今回も突如「枯木を駆除し次第、順次立入禁止を解除する」と連絡があった。

「山を使うなら、その土地を市に借りさせろ」と言ってたんだから、青天の霹靂である。

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小笠山の尾根にはウバメガシが多く、確かに一部の木にはキクイムシが侵入していた。

虫の進入口からはポロポロと木屑が落ちてはいたが、枯れるまでには至っていなかった。

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キクイムシだって寄生先を殺してしまったんでは元も子もない。

それにキクイムシは木に穴を空けるが、その繊維を消化する能力がある訳じゃない。

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牛や人間だって牧草や野菜を食べられるのは(牧草は牛だけ)、腸内細菌のお蔭である。

それと同じで、キクイムシが隙間をつくると、そこにキノコの仲間が入り込んで消化を助けるんだ。

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而してナラ枯れなる現象が起こるとされているんだが、小笠山はそんなにゃなっていない。

ともあれ何本かのまだ元気なウバメガシが伐採されて、その犠牲を名目に「解除」だと言う。

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解除はもとより結構だが、何だか伐採されたウバメガシが可哀想に思えるのだ。

かつてこの小笠山はマツタケの山と言われたが、山が放置されて松茸が出なくなり、

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その次には松くい虫で松そのものが全滅してしまった。

松だって根っこに寄生する様々な菌類(菌が土を育て)と共生して生きていたんだろう。

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そういう自然の中で私達(ウォーカーやランナー)も鋭気をもらってきた。

勿論恩返しのつもりで、草を刈り取ったりもしてきたんだ。

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この間、いろいろとあったけど「清々と山を走れる」様になったことを歓迎したい。

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2016年3月16日 (水)

駆けっこ

全国各地に出掛けてウルトラなどを走っている自分を「不思議なもんだ」と思うことがある。

学校の頃一番嫌いな教科が体育と音楽で、特に体育の時間は厭だった。

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音楽は音痴だけど、音符の頭の部分を暗記したりして結構テストの成績は良かった。

音楽の場合には、それなりに誤魔化しが利いたのである。

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ところが体育では空振りをしたりずっこけたり、駆けっこでも後方の人影はまばらだった。

喧嘩をすりゃぁ何時も泣かされるし、苛められる事だってしょっちゅうだった。

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要するに運動神経が鈍いというか、運動音痴を自他共に認められていたのである。

だから、人生は競争だけど体力勝負じゃ勝てっこないと、この点では自分で諦めていた。

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戦国時代なら所詮落ちこぼれで、武将は言うに及ばず足軽にすら成れなかっただろう。

所詮勝てっこない勝負は諦めたが、それ以外で頑張って勝負しようって思っていた。

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それで運動が駄目な分、幾分かはせっせと勉強をしたってことかな。

中学の後半頃にはガリベンなんて言われたが、結果的に誰も苛める子は居なくなった。

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それが「体を動かすことは、俺にゃ合わない」と40歳頃まで信じて生きてきた男が、

ジョギングから10k・ハーフ・フルを走るようになり、何時の間にかウルトラの世界に居る。

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自分でも青天の霹靂だったが、これが私の生き方そのものを変えるきっかけになった。

以来幾ばくかロートルに放ったが、ハードなレースに次々と挑んでいる。

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それでも際立った故障も無いんだから、丈夫に生んでくれた親に感謝すべきなんだろう。

「禍福は糾える縄の如し」なんて言うけど、私の場合は運動音痴で結果的に良かった。

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あの頃には「自分は何故こんなにブキなのか」と悩んだものだが、

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その分別の生き方を見出すきっかけを掴むことが出来たんだから。

まぁ~何事も、「人の行く裏に道あり花の山」なんだと思う。

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兎に角今は、体を動かすことは素晴らしいことだと思っている。

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2016年3月15日 (火)

節目を生きる

何歳まで生きるのかは別にして、私達の人生には折々に幾つかの節目がある。

幼少期なら小学・中学・高校・大学と、その度毎に脱皮をするかの様に成人していく。

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やがて社会人になって大きく脱皮し、40歳くらいで又しても中年の転換点を迎える。

この時に人生の後先を考えることなく、のっぺらぼうで過ごしてしまうと後々付けが来る。

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私の場合には、この4〜50歳の頃に深刻に自分の人生を考えたのだが、

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お蔭で私の人生は(走る事や書く事、栽培や交流など)かなり転換し、今日に至っている。

次の大きな節目は定年前後で、ここで過去に拘泥するか否かで道は大きく二分される。

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四十年近く過ごした所だから未練も執着も残るのが当然だが、ここが人生の正念場だ。

過去と未来を峻別して毅然として新たな人生を構築するのが男の道だ。

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ここでも何とか過去を振り切って(OB友の会すら脱会して)、今ここに立っている。

現役時代は夢の中に登場はするが、相当程度に自立できたのではないかと思っている。

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これまでの人生をずぅ〜っと振り返ってみても、確かに重要な節目が幾度とあった。

しかし、どう逆立ちしたって人間が変わる訳ではない。

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人間は変わらないが生きる心構えと言うか、人生を考える度合いが深くなってくる。

それで最近、この次の節目はどこかと考えるようになっている。

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まぁ〜これは死ぬまで生きてみないことには、はっきりしない節目なのかも知れない。

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だけどこいつを見極めないことには、人生の起承転結にならんぞッて思ってもいる。

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かといってこれまでの様に、あれをやって・・これをやって・・と言うパターンとは違うのだ。

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そこには目標を掲げて一歩一歩それをクリアーするこれまでの生き方と違う人生がある。

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そんな訳で、この先の自分の物語を如何にせん・・・と思案を始めている。

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2016年3月14日 (月)

自然災害と時代と

窓の外は、冷たい雨が蕭々と降り続いている。

これも植物達にとっては、春を前にしての慈雨なのだろう。

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昨日の神戸の街、そしてメリケン波止場に少しだけ残された震災の痕跡を眺めながら、

自然災害の宿命のようなことを思っていた。

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あの震災までは、関西には地震は無いと漠然と信じられていた。

それが21年前(平成7年1月17日早朝)、6,437人の死者を出す地震が起こったのだ。

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ビルや高速道路が倒壊し、火災が起こったことがより人的被害を拡大させたようだ。

だが阪神・淡路からの復旧・復興は、大変多きなエネルギーで実現されたのが嬉しい。

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それにあの災害では、日本人の連帯と言うか、ボランティアが湧き出て力を発揮した。

震災でビルの4階が潰れた市役所も今では立派に新しくなっているが、その近くにImg_5007

震災で亡くなった6,437人の銘が刻まれた地下記念碑があって、さらにその傍らには

命の火が燃え続けていて、震災の記憶を呼び起こさせてくれる。Img_5008

ところで私達人間は大地は不動のものと信じて、その上に家を建てたりしているのだが、

地球のプレートは大陸を移動させる程の人間の時間を超えたスピードで動いている。Img_5009

だから関西や東北に起こったことは、この日本列島のどこにでも起こりうることだ。

ましてビルが立ち並び人々が密集して住んでいる今日、その被害は想像以上に大きくなる。Img_5011

東海地震が予測されて久しく、防災意識の高いとされるこの地域だって、実際には

備えをしているとはいえ、地震は起こってみなければ対処のしようが無いのが現実だ。Img_4931

地震の予知もどうやら今のところは難しそうで、この点で時代の変動も同じ様な部分がある。

リーマンショツクや中国バブル崩壊など経済変動程度でも私達は丸ごと飲み込まれるし、

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戦争ともなれば無尽蔵な規模で生命・財産が奪われるのは言うまでもない。

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地震の予知は無理にしても、時代のプレートの移動は少しは予知できても良さそうだが、

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ISの様な狂気集団が力を持ったり・・・・世の中は全くもって思うに任せない。

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そんなこんなを思いながら、元気に走ることのできる幸せを改めて考えたのである。

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2016年3月13日 (日)

神戸え・え・と・こ

朝は未だ寒気が居残っているようで、幾分肌寒い風が吹いている。

神戸市民広場駅前に集まったのは、関西のメンバーを中心に27名である。

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神戸と言う街は、六甲山が海に迫る様に塞がっていて、埋め立て地と渚の狭い地域に

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ギュっと街並みが詰まったように立ち並んでいて、高層ビルも見晴るかすように並ぶ。

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その間をかいくぐりながら、神戸の名所を25kほど巡って走るのである。

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先ずは海辺から中心街を経て山手へと上がっていき、新神戸駅の裏手の山に登る。

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新幹線駅のすぐ裏手なのだが、ここには古くから万葉にも歌われた布引の滝がある。

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雄滝と女滝があって、新幹線駅の裏手とは思えない程雰囲気のある滝でもある。

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山を下って北野の異人街を巡り、昼食はインド料理(ナン)を戴いた。

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北野は風情のあるところだけど、ここも外国人団体客であふれかえっている。

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ビーナスブリッジに登ると、神戸の街が一望に見渡せる。

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あの阪神淡路大震災から21年、もうほとんど震災の痕跡はみあたらない。

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ただ一カ所、ハーバーランドの一角に当時のままの岸壁が保存されている。

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ほぼ原形をとどめない状態に破壊されていて、21年の歳月が復興を果たしたのだが、

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震災の年に生まれた子供が成人式を迎える程の年月が経っているのである。

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やはり震災は、経験した人間には深刻な影を残している。

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ともあれハーバーランドからメリケン波止場へ、そして今回は灘に向かわず南京町に入った。

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横浜の中華街同様にごった返す通りで、ここで名物の肉まんを食べることが出来た。

どうやら中華街は異国情緒もあって、この日本では異空間なんだろう。

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ちなみに私達も、この肉まんを買い求める為に長蛇の列に並んだんだから驚きだな。

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この中華街からゴールのなぎさの湯までは3k少々である。

走った距離の割には疲れたが、16:50にはゴールとなった。

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たかだか25kを走るのに、何と7時間近くを要したのである。

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今回は灘の生一本の試飲は出来なかったが、たっぷりと神戸を堪能した気分である。

そう…、神戸は良い街である。

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やはり、一年に一度は走って巡れば、そのたびに新たな発見があるのではないか。

それにしても、神戸在住のイノさん達にはすっかりお世話になった。

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2016年3月12日 (土)

神戸の夜

明日の神戸マラニックを前に、今夜は神戸のカプセルホテル泊まりである。

新神戸に着くと、I上さんたちが迎えに出てくれて、早速生田神社に参拝することになった。

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生田神社は西暦200年頃に遡る来歴で、神話の世界から始まる縁結びの神である。

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いやいや神様ばかりでなく、神戸は麺やジャズ、マラソン等やたら元祖の地であるらしい。

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古代からの港だから、そういう始まりの地として発展してきたのだろう。

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しかしあの震災の痕跡はきれいに無くなって、むしろ新たな近代都市になっている。

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それで今日集まったのは9名で、神戸貿易センタービル24Fのラウンジでディナーである。

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沈む夕日を眺めつつご馳走を戴いていて、気が付くと港に夜の街が浮かび上がっている。

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神戸ぇ・・・♪、泣いてどうなるのか・・♪、否、泣くどころかかなり盛り上がる前夜祭である。

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飲み放題のバイキング故に、否神戸の雰囲気に酔って、かなり酩酊の世界に入りつつあるようだ。

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神戸と言う町はアベックが溢れる街で、とこもかしこにも手をつないで歩く人達がいる。

アベックだらけの街と言っても良いだろう。

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そうだな・・・神戸で一人歩くのは似合わないようである。Img_4901

このバイキングの席が時間になると、次は三ノ宮のジャズ喫茶に出掛ける。

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神戸はジャズの始まりの地だからなのか、幾つかの生演奏の店があって、

今夜は少しシックなSONEのジャズ・ライブである。

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黒人のロアナシーフラのボーカルもさることながら、サックスやドラムに痺れたな。

2時間近くをそのジャズに身を浸し、明日への鋭気を養ったのである。

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良い仲間に恵まれて異次元の世界に遊び、そしてその自分の人生を思っている。

今日の一日が、そんな具合に終わっていく。

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2016年3月11日 (金)

あの日からの歳月

あの日の午後2時46分、事務所の自分の部屋で来客と面談中だった。

突然傍らのラジオ(?)から耳慣れぬ音が鳴り始めて、一体何??と思う間もなく、

大きく左右に揺れ始めて、やっとその音が緊急地震速報だと合点していた。

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そう・・あの時から、もうまん丸五年が経過したのである。

被災地へ足も運んだし、寄付活動の一端を担ったり地元の防災活動などにも取り組んが、

この五年間は自分自身にとっても「色々とあったなぁ」と、感慨深く振り返る歳月でもある。

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あの時は未だ勤め人の延長線上にいて、心身ともに自由人にはなり切っていなかった。

その後決定的に何かが変わったと言う訳ではないが、

自治会活動をはじめ地域との関わりが深くなるに従って、やっと足が地に着いて、

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張り詰めていたものが緩んでいくと言うか、心の自由が実感できるようになってくる。

まぁ〜私にとっては、仕事人間から地域人へのソフトランディングの期間でもあった訳だ。

ともあれ五年という短かな歳月であっても、人や地域も国さえも少しずつ変えていく。

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例えば、震災以降大きく変わったのは私達の国際感覚かも知れないと思うことがある。

あの震災は世界中に報道されたし、それで世界各地から多くの支援が集まった。

この島国(単一民族国家?)も世界の一員であって、決して一人じゃないって実感した。

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難民やら中東紛争は他人事と思っていても、何処かで共通項を感じるようになった。

そしてこの国には今、その後の円安もあって世界中から観光客が押しかけて来ている。

クールジャパンで全国どこに行っても、大量の外国人と遭遇する時代になっているのだ。

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考えてみれば、もともとこの国は単一民族でも何でもない。

古代においては縄文と弥生民族が混じり合い、

奈良時代だって百済や新羅から大量の渡来人がやって来てこの国の文化を担った。

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明治になってからだって、大東亜共栄圏を上げるまでもなく、留学生も多かったし、

孫文や魯迅も日本に身を置いて活躍した。

そうして今日、特に震災以降、本当の意味の国際化が始まりつつある様な気がする。

今夜は、この歳月を考えながら東北の酒を戴くことにしようか!!

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2016年3月10日 (木)

物語を楽しむ

人間は、その時々に自分の過去を一つの物語として創っていく生き物らしい。

幾多の失敗や挫折、幾ばくかの成功や功名、それらを取り混ぜてつなぎ合わせ、

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場合によっては虚構すらも織り交ぜて、現在の自分の気持ちを反映させた物語にする。

そうやって誰もが、心の中にそこはかとない自伝を抱きつつ生きているのだ。

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それでせっかく物語を創るのなら、出来れば物語りは幾分ドラマチックなほうが良い。

とは言え、戦争や震災、ホームレスだとか刑務所経験なんてのは願い下げであって、

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普通はそんな過激な事はないし、取るに足らないごくごく平凡な毎日を生きている。

その平凡すぎる人生を、演出の仕方によってちょっとしたホームドラマぐらいにはしたい。

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そう思うからこそ、マラソンやらマラニックやら日々面白いことを捜し求めている。

それでも足りなくって映画を見たり小説を読んだり、どこぞに出掛けたりもする。

ところで、先日はキュウリとオクラの種を播いたんだけど、今年は早くから収穫したい。

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葡萄の芽吹きを待つ支度を全て済ませたんで、それで今か今かと毎日見回っている。

玉葱は日に日に生長の速度を速め、馬鈴薯の芽もしっかり春を受け止めようとしている。

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大根と春人参を播いたんだけど、春を前にして猫が元気付いてかっからかしちまった。

ついでにウンコもしてった・・・・しゃくにさわるが、それもドラマだ。

毎朝立っている傍らの電柱にカラスが巣を作って・・・・昨日それを中電が除去してった。

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早咲きのチューリップが綺麗に咲いているらしいから、これも近々観に行こう。

それにあれだね、時代の変化を眺め渡して楽しむことの出来る年代でもあるんだな。

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そんなこんなつましく、予定も予定外も含め兎に角能動的に楽しむべくして今日がある。

私達は家族を含め、実に無数の観客に取り囲まれて、その目線を意識しつつ生きている。

だけど最大の観客は自分自身であって、その自分のために自分という役を演じている。

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そして、その人の人生は、大体がその人の望んだようになるものらしい。

他人の人生じゃなく、これは自分の人生だもんね・・この物語、楽しまなくっちゃ。

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2016年3月 9日 (水)

老木の花

山の尾根道を黙々と毎日走って、人一倍努力しているラントモがいる。

歳は既に76歳になんなんとしているのだが、精進の甲斐あって衰えを知らないようだ。

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そのラントモが、先日の静岡マラソンで昨年を上回る年代別3位(3時間50分)に入賞した。

人間の能力は才能×努力と言われてるが、彼の場合才能もさることながら努力が大きい。

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歳とともに(特に高年齢になれば)予測できない事が増えて、人間はいろいろと変わる。

仮に才能が溢れる人だって、コツコツ努力してなければこの歳でのサブフォーは無理だ。

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昨日、にこやかに結果を話すN目さんの話を聞きながら、熟年の才能の開花を思った。

それは「老木の花」かもしれないが、人間の物語はやりようで面白く展開するものだと・・。

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そしてその花は、ラントモの長い歳月に渡る心意気がもたらしたものなんだ。

翻って、鼻息荒く最初から飛ばしてレース半ばでくたくたになってしまった自分を考えた。

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そもそもレース前日と3日前に山を走っていて、その疲れが自覚するほど残っていた。

それを後先考えずに、無鉄砲な走りをしてしまったのは若気の至り(?)だろう。

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人間いつも調子が良いとは限らないもので、それは山もあれば谷もある。

その自分のペースを冷静沈着につかんで、その範囲内で最善を尽くすのが年の功と言うものだろう。

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この点、何時まで経っても私は学習効果が乏しく、そもそも気持ちが若すぎるようである。

それに須らく人には何程かの才能があるが、この点私には際立った才能は認められない。

走る能力も人並み以下だから、これはもう人の数倍の努力をしなければ追い付かない。

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25の能力なら4の努力で百だが、10の能力しかなけりゃ10の努力が必要になる道理だ。

元より鈍才を自認しつつ生きてきた訳だから、コツコつの積み重ねは自らに課してきた。

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それが私のキャラクターかと思うのだが、そろそろもう少し利口な計算が必要なようだ。

年老いてそれなりの風情のある花を咲かせるには、もう一歩の工夫をしないとね。

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2016年3月 8日 (火)

時は休むこともなく

庭の河津さくらがハラハラと散り始め、葉桜への衣替えを始めようとしている。

我が家に居着いてからもう20年、毎年律義に花を見せてくれるのだけれど、

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サクランボの様にそれが生殖に繋がる訳でもないから、ムダな努力じゃないのかしら?

果たして桜は何のために一年に一度、全身を花で包んで見せるのか?、と思ったりする。

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そして「桜は、良いよな!」って思うのは、一時にしても豪華に咲き誇る瞬間があるからだ。

自分の一生を振り返ってみたって、そんなに咲き誇る瞬間なんて無かったよな・・・ってね。

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考えてみれば、幾ばくかの記憶だけを残して(それもやがて呆けと共に忘れるだろうが・)

時は静かに、そして休むこともなく流れ去ってしまったのである。

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その人生の日々にしたところが、多分九割ぐらいはムダに過ごしてきた様な気がする。

そりゃあ・・一割程度は仕事もしたし、家庭をつくり幾ばくかの教養を得んともしてきた。

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だけどそれだって、必要が無くなったらドンドン忘れて、何時の間にか元の木阿弥だろ。

そういう意味じゃ人生はムダだらけで、ムダのために人生を消費しながら生きているんだ。

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もっとも、人間ってのはどんな無駄を積み重ねてきたのかで、その人の味が創られる。

空振りの仕方如何でヒットが生まれる野球の様なものかも知れない。

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そう言えば野球もムダばっかりで、二割打てば一流の選手だが八割はすごすご凡退だ。

野手に至っては一試合に一度もボールに触ることもなく終わる(ムダな)選手だっている。

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それでもヒットばかりじゃ草野球になっちゃうし、アウトを重ねるからゲームになる。

事ほど左様に、ムダの質と量こそが人生の味わいになる。

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先日もマラソンを走りながら、そのムダのために汗をかいて苦労している自分が居た。

足は痛くなるし肩も腰もギイギイ音を立てて、それでもゴールを目指して歯を食いしばる。

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確かに・・・・、走ったからって世のため人の為になる訳じゃない。

でも、桜が花を咲かせるように、こういうムダって大切だと思うんだ。

これからも、自分の人生のムダを大いに愛おしもうと思っている。

 

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2016年3月 7日 (月)

走る文化

ゴールして清水駅から電車に乗ると、乗っていた乗客が駅周辺の混雑に目を丸くしている。

「今日は、一体何があるの?」と言うのだが、マラソン大会と聞いて「こんなに沢山の人が!」と驚いていた。

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「それで、参加料は幾ら?」と言うんで「一万円」と答えると、「へぇぇぇぇー」と呆れていた。

考えるまでも無く、足は痛めるしマメもできるし、かなり苦労して酷い目にあうのに、Img_4870

それに大金を払って参加するんだから、マラソンは不思議なものかもしれない。

そんなマラソンに東京は3万5千人、この静岡でも一万人余が嬉々として走るんだから、Img_4869

これはもう文化なんだとしか言いようが無いだろう。

それに最近では、あちこち何処に行ってもジョガーを見かけるようになった。

一昔前までは、昼日中に大の大人が用事もないのに走るのは恥ずかしかったけどね。Img_4865

走る風景がごく普通になった訳だが、それは世界全体から見れば例外的なようだ。

朝からそこここをジョグする風景を見かけるのは限られた(恵まれた)地域でしかない。Img_4859

まぁ、西ヨーロッパにアメリカ、それに日本くらいかもしれない。

ドイツやイタリアでは普通にジョガーを見かけるが、中国やロシアでは見たことが無い。Img_4858

かつて、ロシアのハバロフスクを走っていて、野犬の群れに追われて冷や汗をかいたことがある。

彼の地ではジョギングなどと暇な事をしている人はまずいないから、放し飼いの野犬は、Img_4857

走っている人間を見ると「何故か異常に興奮して、群れを成して追ってくるのである。

それにロシアの野犬は真っ黒な狼そっくりで、今思い出しても背中に冷たいものが走る。Img_4853

アメリカはジョガーの多い国だが、時にクーガー(ヒョウの一種)に襲われる事もある。

それに女性の場合は白昼のレイプもあるらしいから、都会を離れたら要注意だろう。Img_4852

この点、この日本では全国何処だって走ることが出来るんだ。

シリアやアフガンと比較するまでも無いが、ジョガーで溢れる国は平和で豊って事だ。

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2016年3月 6日 (日)

静岡マラソン2016

てっきり雨と決め込んでいたんだが、雨はほんの一滴でむしろマラソン日和になった。

駿府公園をぐるりと取り囲んだ12,000人の人々の群れは、それは大変な数である。

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徳川家康だって、駿府にこれ程の軍勢を集めたことは無いのではないか。

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ともあれ、私のフルマラソンは昨年12月のメロンマラソン以来である。

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その前回も悪戦苦闘して、「こんなに大変なことは体に悪い」なんて思いながら帰った。

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それが風呂に入って死んだ爪をさすりながら、仲間に抜かれた悔しさが込み上げてきた。

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そして次回こそは、それなりの落とし前を付けなくちゃならない、とそう感じていた。

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不思議なものでこういう感じは、フルマラソンに限って感じる特別なものの様である。

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ハーフなら苦しくなる前に思いっ切り走り切って終わってしまうし、

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これがウルトラなら、制限時間内に兎に角完走するための工夫に終始する。

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しかしフルマラソンを走った時は、決まって「こんな筈じゃない」って不満が残るのである。

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さて今日のレースだが、20kまでは快調でほぼ6分/kを切って走っていた。

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ところがその辺りからペースが落ち始め(昨日山を走った疲労か?)、次第に抜かれていく。

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そして中間地点辺りから次第にエイドの食事が登場して、先ずはしぞーか🍢を戴いた。

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大根に黒ハンペンだが、口に入れた途端これが熱くって・・・それでも意外に美味しかった。

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次は、久能残東照宮近くでのイチゴと安倍川もちである。

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これをタンマリいただきながら「そうだよな、楽しまなきゃ損だよな」と、

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自分勝手に宗旨替え(妥協)してしまったのである。

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そう思ったとたんに足がグゥ~ンと重くなって、後続のランナーに次々と抜かれていく。

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・・・と言う訳で、結局のところ4時間39分、5845位でのゴールとなってしまった。

昨年よりは45分早かったとは言え、メロンMの落とし前どころではなかったのだ。

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と言うことで、今日も十二分に疲れを感じる羽目になったのである。

なんとも、何度繰り返してもフルマラソンの走り方というものは難しいものだ。

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それでもヘトヘトになりながらもめげずに、もう25年も走っているんだから、これは永遠のテーマだ。

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2016年3月 5日 (土)

自分への好奇心

陽気にせかされた我が家の河津桜が、今を盛りとばかりに咲き誇っている。

この桜も明日からの雨て散ってしまうのかと思うと、如何にも名残欲しい気持ちになる。

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ところでこの桜が開花し始めると、私は春に向けてのブドウの目出し作業に忙しくなる。

ブドウの部屋を清掃し、堆肥を施用、そしてたっぷりの潅水を繰り返すのである。Img_4814

落葉以来ずっと潅水を絶っていたから、土はカラカラに乾燥していて水を弾いてしまう。

だから土と水を丹念に馴染ませるように、一度の潅水に一時間余も費やすのである。Img_4767

ブドウへの潅水をしながらフッと前を見ると、ガラスの向こうに見事に満開の桜がある。

そしてこのガラス越しの桜が、直接眺めるよりもむしろ艶やかに見えるのには驚いた。Img_4768

ガラス枠のコントラストとフィルターが、桜を桜らしくグッと引き立たせるんだろうか。

ともあれ、見慣れた桜も見ようによって随分と変わるのである。Img_4769

それはさておき、明日は又しても雨になってしまうだろう「静岡マラソン」である。

その雨の中を12,000人ものランナーが「好き好んで」静岡から清水に駆け抜ける。Img_4770

「マラソンには、人間の存在に深くコミットする何かがあって、マラソンを経験すると

人生そのものの色彩が幾分変わってしまうのではないか。」と村上春樹は書いている。Img_4771

さらに続けて「何度も、めげることなく走るのは、一種の自分への好奇心ではないか」と。

確かに「何処まで頑張れるか」、自分を試してやろうって気持ちは何時もある。

その「自分はどこまで出来るだろうか?」と言う好奇心があるからこそ、これまで30年近く

走ってこられたのだと思う。Img_4811

そして村上さんの言うように、走ることによって私の目の前の景色は大きく変わってきた。

変わったのは桜への思いや見方だけじゃない、自分を見る目が違ってきたのだ。Img_4812

自分との付き合いは死ぬまで続く訳だが、年齢を重ねても可能性はむしろ広がっている。

やはりどこまで行けるのか、とことん試してみなけれはなるまい。

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2016年3月 4日 (金)

自分の物語

人は誰もが、自分の物語を紡ぎながら生きている。

私もこれまで七十年近く生きてきたんだから、当然いろんなことがあったに決まっている。

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今考えれば小さな失敗を思いつめたり、或いは鬱状態で苦しんだ事だってあった。

その当時は、後生大事にその事が人生の全てであるかのように感じていたのである。

だけど今、大抵の失敗は既に忘却の彼方にあって、物語の材料にするには役不足だ。

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自伝を書くつもりは無いが、書いても起伏が少なくって、あんまり面白くないなぁ~と思う。

私達の人生は、谷川の岩の間や滝を流れ下っていく水の様なものだと思う。

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時に岩を乗り越えたり、砕け散ったりし、よどみに滞留することだってある。

嵐に押し流されたり泥流と化したり、場合によっては氾濫する流だってあるだろう。

もうかなり海に近い所まで流れ下ってきて、下流から流れの物語を思っているのである。

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そりゃあ私だってそれなりに波乱万丈で、人工の水路をただ流れてきた訳ではない。

大小いろいろな岩にも滝にも遭遇してきたし、亜流に流れ込みそうになったこともある。

そんなこんなを振り返って、それでもこの自分の物語はかなり平凡だと思うのである。

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そもそも人生が物語なら成功だけでは話にならんし、失敗や挫折があってこそ面白くなる。

そういう意味で人生は、失敗しないことより失敗しても立ち直る強さこそ肝心なんだろう。

ともあれ物語りは面白いのが一番だから、成功も失敗も楽しまなくっちゃならない。

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自分の物語を楽しむのは当然として、その物語を構成している世間や時代も楽しみたい。

例えば時代は私達が生きる川の様なものだから、その時代の風景を面白く見てみる。

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付和雷同で人と同じ景色を見てたんじゃ駄目だが、斜に眺めたり上から眺めたりしてみる。

それにしても70歳目前の頃合が、人生の物語を考えるのに程よい年齢なんだろうか?Img_4772

人生がこんなもんだって早くから分かってりゃ、もっと楽しめたのになぁ~。

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2016年3月 3日 (木)

持ち味

人生には進学とか就職、・結婚や定年など幾つもの節目がある。

その一つ一つを通り抜けながら、何時の間にかその人独特の味を醸し出すようになる。

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だからある程度経験を積んだ中年から老年期は、人間の味に関しては重要な季節らしい。

それなりの持ち味が出来ていて、その自分の味に自分で責任を持たなきゃいけない。

・・・・なんて言われると、「はて、俺の味ってどんな味だろう?」って少しは気になるだろう。

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確かに世の中には個性の強烈な人もいるし、存在そのものすら希薄な人だっている。

料理に例えれば、塩だけとか砂糖だけの味付け、はたまた味の無いかの様な淡白さだ。

この点私は、全て控えめで目立たないように生きてきたから、あんまり(面白)味が無い。

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自分では中庸を目指して努力したつもりが、ただの凡庸で終わってしまったらしいのだ。

その時々で匙加減を変えればどんな味だって出せるさ、なんて言わないで欲しい。

人間の味というものは、少しずつ(スパイスの使い方を覚えたりして)変わったりしても、

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そんなに簡単に「持ち味」が変わるもんじゃない。

それに世間の枠に合わせて生きてきたから、そもそも自分の味が分からなくなっている。

まぁ〜それはさておき、歳を取ったらそれなりの「味わい」があるのは、その人の魅力だ。

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その味が甘いのか酸っぱいのか、はたまた辛いのかは別にして、何らの制約もない。

残りの時間だって、精一杯伸ばしても20年持つかどうかである。

而して、もうそろそろ自分の持ち味を、ゆっくり吟味しても良い年ごろなんだと思う。

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本来の甘口に、少しばかりのスパイスでまろやかさを加えるとかね。

もっとも、ただの頑固が持ち味だったてんじゃ救いは無いか!!

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2016年3月 2日 (水)

やよ励めよ

この時期には、あちこちからあの「仰げは 尊し」の歌が聞こえてくるような気分になる。

我師の恩は兎も角として、未来への不安と新たなステージへの期待に身を震わせつつ、

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「身を立て 名をあげ やよ励めよ」と背中を押されたのを思い出すからだろうか。

今日は私の関係する高校の卒業式で、卒業生の顔を眺め渡しながら脳裏に何度も何度も

その「やよ励めよ」と言う言葉を思い浮かべていた。

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17・18の若い彼らは、何物にも変え難い無限の可能性をその内に秘め持っている。

だが今は、如何ほども先が読める訳もなく、勢いに任せて突き進むだけだろう。

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彼らにとって人生の終りなど無に等しく、それは永遠に続くものと感じているに違いない。

それがロートルからすれば羨むべき若さだということを、若い彼らは知らない。

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だから「やよ励めよ」と言う言葉は、そんな彼らにこそ似合うのである。

思えば、あれから既に50年と言う歳月を費消している我が身を振り返れば、

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50年が正に光陰矢の如くほんの一時の間に過ぎず、盧生の邯鄲の夢の如くであって、

果たして、名を挙げることも身を立てることも十分ではなかったようだ。

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しかしそうだとしても、既に50年前に戻ることなど叶わないのである。

だからして、この若い皆さんにその「人生二度なし」を伝えたいと思うのだ。

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それで今年も私のウルトラマラソン経験に託して、諦めず最後まで走ることを話した。

それに100kマラソンも長いけど、人生はもっともっと長いウルトラだってね。

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 千里鶯啼緑映紅 (千里鶯啼いて 緑 紅に映ず)

 水村山郭酒旗風 (水村 山郭 酒旗の風)

 南朝四百八十寺 (南朝 四百八十寺)

 多少楼臺煙雨中 (多少の楼台 煙雨の中)・・・・江南の春(杜牧)より

春は、もう直ぐそこまで来ている。

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2016年3月 1日 (火)

エイジレス

昨日は「初老の繰言」を書いたのに、今日はその反対かと思われるかも知れない。

しかし、か程に私も含め年齢に関する社会通念は拭い難く強いものだ。

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生まれて20年たったら成人、四十過ぎたら中年、65を越えたら老人の仲間入りってね。

目に見えない超えられない年齢の壁がそこに存在するかのようだが、

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だけどそれは、教育や雇用などの必要上作った行政の決め事に過ぎないのである。

その昔、江戸時代の元服や隠居なんてのも、それぞれの都合でやっていたし、

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そもそも年齢だって、「幾つになった?」などと聞くことは無かったんじゃないか。

それに歳と言うものは、時計の針のように順序だって経過していくものでもない。

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その生き方によって急激な老化もするし、生涯を通じて若々しく過ごす人も居る。

若さが命のプロスポーツの世界や大器晩成の画家を挙げるまでも無く、人間は年齢ではないって事も確かだ。

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私も若い頃は一途なだけで、小心で始終ビクビクと自信が無かったしそれに苦しかった。

中年になった頃を考えると、仕事と家庭に縛られて無我夢中で過ごしていた。

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初老に達して視力や生殖能力は衰えたが、反面、人生で最も余裕を持てる様になった。

かてて加えて、「トシのコウ」なる権威(?)さえ少しずつ生まれてきているんだ。

つまり、色々と考えてみると「今が、一番良い」んじゃ無かろうかって結論になる。

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年を取るのは「下り坂」と考えがちだが、その逆に若けりゃ上り坂って訳でもない。

人生は何に取組んでいるのかが肝心で、そもそも上り坂も下り坂も無いのである。

而して「年寄りらしく生きよう」なんてのは愚の骨頂であって、精一杯羽ばたきゃ良いんだ。

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時には子供の様に甘えてみたり、中年のスケベさを発揮したり、人生を達観したりってね。

どうせ生きるなら、なるたけ楽しみながら生きるほうが良いもんね。

やはり、人生は前向きな方が良い。

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