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2016年4月30日 (土)

今ここに

昨日同様に仲間が山に集まってきて、それぞれ思い思いに山道を掛けて過ごす。

私は、明後日からの大一番(225k)を前にして、もっぱら歩いていた。

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大切な人生の時間を、私達はもうそうやって永年過ごしてきた。

これは一見何の生産性もない事に精力を費やし、あたら貴重な時間を費消してたのか?

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幸若舞では「人間僅か五十年、下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしの如くなり」と詠う。

信長が好んで詠ったように、人生の時間なぞ正に束の間に過ぎないのだろう。

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しからば、その貴重な時間をどう生きるべきかと言うことになるが、

つまるところ、人が生きている「ところ」は、「今ここ」でしかない。

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そして、今ここをずぅ〜っと生きてきて、その繋がりの結果今ここに居るのである。

その間を走っていようが耕していようが、或はボケっとしていようが同じ今ここなのだ。

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実は、天竜川リバーサイドUMの48時間について考えている。

この自分との戦いの時間を、どのように考えて過ごすべきかと言うことである。

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道元の正法眼蔵に「・・いわゆる山を登り川を渡りし時に吾ありき、吾に時あるべし。

吾すでにあり、時さるべからず、時もし去来の相にあらずば、上山の時は有時の而今なり」

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とあって、自分が既に存在してるなら「時」もそこにあるのだと言っている。

自分が「今ここ」を全力で生きている時と処に、全ての存在があるのだとの教えだ。

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如何にも懸命でなければ、225kなぞ走り切ることは出来なかろう。

そして同時に、上山渡河をしつつ自分だけの時を過ごすのである。

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人生に無駄などあるものか!・・・在るのは「今ここ」だけだろう。

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2016年4月29日 (金)

何時もの山で

或はサラリーマンにとっては、一年で最も足腰の伸ばせる時期ではなかろうか。

春爛漫だし10連休という人もいるのだが、「何んにも、やることが無い」って声を聞いた。

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俄かに10日間休みだと言われても、当惑して終日のたりのたりで終わる人も多かろう。

この点私のパターンは決まっていて、予定が無いなら何時もの山に出掛けて走る。

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とは言っても先日の疲れが抜けなくて、天竜川ランに備えて12kの歩きに止めている。

歩きくらいと思うのだが、アップダウンの続く山道のこと、かなりの運動量になるのである。

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山に入ると、新緑のこの時期は雰囲気が普段と違って、華やいだ鳥の声に満ちている。

そう、正に鳥たちの恋の季節なのである。

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ミヤマやウワミゾ桜、山桜やヒカゲツツジなどの花は終わって、ササユリが育っている。

マムシ草だって盛期を過ぎて、夏の草への交代を始めている。

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時も季節も移ろって、こうやって月日は流れていくのかと思いながら黙々と歩く。

一方、この時期はブドウの芽吹きの時期でもあるのだが、どうした訳か不揃いで、

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もう開花直前まで成長した枝と、今から伸びようかと言うヤツとが混在している。

山から帰ると、そのブドウの枝付けやら花房整理、やご欠きやらと座る暇とてない一日だ。

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それも勢いの良い枝が揃っていれば張り合いが良いが、どうやら今年は半作になりそうだ。

毎年のように来年こそはと丹精込めて養生するのだが、残り何年続けられるだろうか。

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しかして道楽のブドウ栽培であって、いちいち滅入ることもなかろうと慰めている。

何も急くことは無い、出来ることを出来るようにやれば良いのである。

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2016年4月28日 (木)

時代の風景となって

若い頃はやりたいこともやらず(出来ず)に、随分恐る恐る生きてたなぁ〜って思う。

時代の流れや意味、それに自分が分からず、要は時代の風景が見えてなかった。

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それが馬齢を重ねたお陰で少しは眺望が利く様になって、今のうちにやっとかなきゃって事が増えた。

今の私には、今更ながら昔やりそこなったことを慌ててやっている様なところがある。

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誰だってそれぞれの時代の季節を生きているのだが、それが春と気付く頃には、大抵はもう夏になってる。

どの時代にだって様々な出来事があって、私達はその蠢く人間模様の中を生きている。

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やがて年の功と言うべきか、時代が醸し出す自分の前の風景の変化が見えるようになる。

それで京都などを訪ねて感じることの多くは、その風景の中でいろんな人が生きて、

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そして死んでいったという感慨になったりもする。

古都でなくとも、毎年走っているUM(八ヶ岳は19回目になる)だって風景は移っていて、

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かつて沿道で元気に応援してくれた、あのお婆ちゃん達の姿は当に無くなっている。

卑近な周りを見渡したって、暫らく前の餓鬼がもう立派な親父になっているんだから。

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その風景の変化を感じつつ思うことが、時代が変わったって何とか生きられるってこと。

一種の諦念を含め、地震があっても、政変や経済の波乱だって歴史の一部に過ぎない。

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私達の人生は多少の起伏があったとしても、何時だって時代の風景に溶け込んでいる。

その風景の一部となって、ごく自然に淡々と時代を越えて行くのである。

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そんな時代の季節を生きてきて思うことは、やはり「惜しめ、若き日を」ってことかな。

唐の詩人杜秋に「金縷曲」と題する詩がある。Img_5489

 勧君莫惜金縷衣(君に勧む 惜しむことなかれ 金るの衣)

 勧君須惜少年時(君に勧む 須らく惜しむべし 少年の時)

 花開堪折直須折(花開いて折るに堪えなば 直ちに須らく折るべし)

 莫待無花空折枝(花無きを待ちて 空しく枝を折ることなかれ)

そして、佐藤春夫が「若き日を惜しめ」と題して、次のように訳してもいる。

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 綾にしき 何をか惜しむ  惜しめただ 君若き日を

 いざや折れ 花よかりせば  ためらわば 折りて花なし

 

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2016年4月27日 (水)

万古不易

富士五湖UMを終え富士山を見上げながら、それでも人間の一生なんて小さいと思った。

あれ程疲労困憊した一日だったのに、たかが富士山の裾野の4湖を巡っただけだ。

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その富士山だって噴火や大沢崩れがあり、風雪に耐えてこの姿になっている。

富士五湖や忍野八海だって、その山から滲み出した水に過ぎない。

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万古不易かと思われる自然の営みも、時とともに少しずつ変わってゆくのである。

況や人間なんて、自分では不易と思って生きてはいても、歳と共に変わって当然。

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私だって10年前は、今よりは少しは若々しい事を考えながら行動していたと思ってた。

実はこれまで毎日書き続けてきたこのブログが、今日で3,650日目となった。

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この10年の間、その日その時の思いや出来事を書き残してきたのだが、

10年前の今日の書き込みは「自分らしさ」ってタイトルで、歳月こそ移っても同じ様な事を考えていたと気づく。

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世の中の変化と共に品は変わっても、ブログのシンコはちっとも変わっちゃいない。

それに世の中だって新陳代謝こそすれ、全く新しいことなんて多くはないんだ。

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当然ながら、私のブログだって寄せては返す波の音のごとくなるのも止む無い。

それでも元よりの浅学非才を省みず、10年は書くと決めて自らに課してきたブログだ。

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そして、ブログを書くことで失うものは何も無かったし、逆に多くの財産を得た。

その最大の財産が、非才ながらも考えるという習慣を得たことだろうか。

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そもそも書く事は考えることと同義であって、毎日のその一時が貴重な積み重ねになった。

それに次いで物見高くなったというか、好奇心をいやが上にも高く保つことが出来た。

好奇心は人をして行動させる源であって、お陰であちこちに出掛けたし体験もできた。

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目の当たりにすることで随分と私の世間は広がったし、目利力だって少しは磨かれたろう。

それにこの十年、ジャンルを越えて随分の書籍を読み漁ってきた。

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それで浅学非才を補えはしなかったが、それでも私自身の勉強にはなった。

ともあれ嗚呼10年、歳月は勝手に来て勝手に過ぎ去っていった。

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2016年4月26日 (火)

ドラマを豊かに

そろそろ古稀と云うところまで生きて来て、今更やっと分かり始めたことがある。

それは何の事は無い、人生のドラマは波乱はあっても色々豊かな方が面白いと言うこと。

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「若い頃は自分が何をしたいのか、或いは何が出来るのかも分からなかった。

だから嫌いな勉強も何とかこなして大学に入り、人並みに就職して懸命に働いてきた。

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妻や子のためと思えばこそ、自分の欲望なんて振り払って、必死に働いてきたつもりさ。

それなのに定年退職した途端に妻にはシカトされるし、子供だって寄り付こうともしない。

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あぁ~ぁ、この人生然したる楽しみもなく生きちゃって、そんな自分がバカだったなぁ。

仮に社会的に成功できなくったっても、もっと充実した一生があったんじゃなかろうか。」

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この期に及んではそんなことを考えたって遅いけど、フッとそう思ったことありませんか?

そりぁ~何の波乱もなく平穏無事に送るのも一生だけど、それだけじゃ物語りにならない。

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やはり生活に彩りを加えて、自分の人生のドラマは少しは豊かにすべきだろう。

・・ってな訳で、40歳を過ぎた辺りから、のっぺらぼうな自分を変えたいと思ってきた。

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と言っても根っからの小心者に然したるドラマが演じられる訳もなく、今日に至っている。

ドラマを豊かにするにはムリとムダが不可欠なようで、随分馬鹿な事をやり続けている。

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一昨日の富士五湖もさることながら、来週は48時間で225kmを走るレースに参加する。

天竜川の源流諏訪湖から河口の竜洋までのリバーサイド(?)を走るのだ。

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まぁ~些細な挑戦だが、自分では人生の物語の彩くらいに考えている。

それに人生は、よくよく考えると無理や無駄ばっかりで出来ている。

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だから、あえてその無駄を大事にした方が人生に味が出るんじゃなかろうかってね。

それにしても、人生ってのは過ぎてみないと分からんもんだな。

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2016年4月25日 (月)

忍野八海

富士五湖ウルトラは何時も天候が悪く、富士山が顔を出すなんてことは稀だ。

今年も例外ではなかったが、ホテルで目覚めると目前にドォ〜ンと富士山があった。Img_5550

この河口湖越しの富士山は、まさにこの地域の為に設えた様でさえある。

その富士五湖は言う間でもなく富士山の作り出した湖だが、そのミニ版が忍野八海だ。Img_5552

それで天気の良さに誘われて、忍野八海を一巡りしてから帰宅することにした。

忍野八海に足を踏み入れると、一部のランナーの他は中国人の団体で溢れていた。Img_5556

確かに中国広しと言えども、地底から水が吹き出す光景は大陸なだけに珍しい。

忍野八海にはその名の通り、富士山の雪解け水が湧き出す8つの泉がある。Img_5558

そのうちの一つ底抜(ぬけ)池は「榛の木林資料館」の中にあり、そこからの富士山が良い。

それで入館しようとしていたら、偶然にもKさん達(昨日の大会ボラ)と出会ってびっくり。Img_5562

実はKさんたちには、マラニックも含め何度も私達のランをサポートして戴いている。

ともあれ茅葺屋根の古民家(18世紀の建物で最古の民家の一つ)を歩いたのだが、

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それが何となく、そのお二人の雰囲気にとてもマッチしていた。

霊峰富士と呼ばれる様に神のまします山から湧き出す泉は、霊泉であって霊場でもある。

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それが忍野八海であって、昔から多くの人々を引き付けてきたんだろう。

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今もコンコンと湧き出ている泉を眺めているだけで、自然の命を感じてしまう。

その泉の上に霊峰富士が聳えているんだから、これはそのまま絵に描いた世界になる。

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それはともかくこの古民家は、江戸期に村役場として使われ、後北条の古文書も残る。

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昨日のレースで痛めた足を摩りながらの散策だが、それは心身ともに癒される景色だ。

kさんたちと昨日を振り返りながらお茶を飲み、今年もこの大会が終わった事を思った。

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自然は悠久の時を刻み、私達は刹那を生きているのだ。

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2016年4月24日 (日)

明確な目標のもとに

今日は、早朝からチャレンジ富士五湖100kである。

昨日の勉強会を中座し、長躯川口湖畔の宿舎に駆け付けたのである。

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晩飯にやっと間に合って、明日は午前3時の出発だからの支度を整えて早速就寝。

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しかしこんな時に限って頭が冴えて、少しウトウトしたが2時には起きて出掛ける準備である。

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出掛ける頃には昨夜来の雨も止んで、気温は例年よりもかなり高(温か)そうである。

100kの部は4:30からの三組に分かれてのスタートで、私は最後の組である。

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走り始めて30分ばかりすると、隣をやや年配の外国人が走っている。

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話しかけるとイタリアはボローニャ出身のサンフランチェスコ60歳と名乗った。

何でもウルトラは初挑戦なのだそうで、フルはユネスコマラトンで3時間50分を記録したらしい。

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それで気を良くしてウルトラ初挑戦らしいが、ペースが可成り速くフルのスピードである。

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ペースが早すぎたが、本人は会話の相手を欲していたようで、止む無く揃ってずっと走ることになった。

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さて昨年は56kの関門でシャットアウトされたが、今年は13時間48分(関門まで12分残し)で、揃って通過することが出来た。

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結局彼とは75kまで一緒で、スペシャル食料として持参しているパルメチザンチーズを進呈するから、

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最後まで一緒に走ってくれと懇願されたが、彼の足に豆が出来たのを汐に先を急いだ。

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ともあれ前半がたたってペースはグゥ〜ンと落ちて、90kからはとうとう全部歩くことになった。

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この何時果てるとも知れない100kの旅の終盤、私設エイドでスイカを戴いた。

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見ると熊本の西瓜で正に絶品の味わいと言うべき旨さだった。

その旨さと共に、何物か込み上げてくるものがあって、

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それを食べながら、「地震なんかで、へこたれるな熊本!!」と何度も叫んでいた。

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もちろん熊本に向かってだが、言葉はどうやら歩き始めている自分に向かっていた。

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ともかく真っ暗になって13時間45分でゴールの分厚いテープを切ったのである。

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14時間近く走り続けるのは、自分の根気と執念でしかない。

それでもヘロヘロになりながらもゴールを目指すのは、自分が決めたことだからだ。

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何が何でも完走するんだと!!

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2016年4月23日 (土)

人となる道

今日は恒例によって、もう既に8講目になる修身講義録の勉強会である。

森町三倉のムーハウスに集まったのは、岐阜や静岡からも含め14名である。

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今回の趣向は少し変わっていて、午前のランニングを兼ねて林業家のJさんを訪ねる。

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Jさんは三倉一帯の山主で、そのJさんの潅木林で新緑を満喫しようというのである。

先ずは選りすぐった材で造られたお宅にお邪魔すると、

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その奥の間の縁はそっくり自然の創り出す額縁になっていた。

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6代続いているという林業を中心にした山の生き方を伺った後、新緑の前山に向かう。

勿論走って行くんだが、思った以上の距離で山桜の巨木の下に着いたのは12時過ぎに。

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その木漏れ日の下で収穫した山菜(アブラギリ、タラの芽、ワラビ)を天婦羅にして頂く。

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その天婦羅が、新鮮さもあって何とも言えない美味なんである。

Jさんからは、シイタケ栽培の歴史やクロモジやモミ、コナラやアブラギリの巨木などの講義をして頂く。

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杉ヒノキの美林はあくまでも人工的に作られたもので、日本の自然は雑木林の中にある。

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異なった木々が競い合って暮らしていて、それでいてそれぞれが個性豊かなのである。

私達人間の世界は、ヒノキの林なんかよりも、遥かに雑木林の在り様に近いのである。

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ともあれムーハウスに急ぎ帰って勉強したのが、その「人への道」なのである。

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森先生の考えは、どれ程能力があったとしても「無用の人」では甲斐が無い。

一生を通じて目標(自己を役立てる方途)を明確にし、自己を錬磨し続けてこそ人だと言う。

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自分に何が出来るのかを考え、その為の努力(自己錬磨)を続けることで自己実現できる。

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しかし森先生の講義の様には、私達は容易にその目標を見出すことが出来ない。

自分本位な生活を送るうちに、その人生を終えてしまうのが一般的かも知れない。

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もちろんそれぞれの人達が精一杯生きているんだが、

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世のため人の為に自己錬磨を続けられる人がどれほどいるだろうか。

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否百歩譲って、自分のことだけを考えて生きているとしても、

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ほんの少しだけ「自分を役立出せたい」って行動すりゃ良いんだ。

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それは、近所のゴミ拾いだって、それを10年も続けりゃ立派な自己錬磨でしょ。

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2016年4月22日 (金)

ブロガーのつぶやき

このネット上には無数の、まさに騒がしいほどの書き込みで溢れている。

それだけ多くの人が、何事かを書いて自分以外の人に知らせたいと思っているんだ。

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何故声を出すかって言うと、やはり自分は一人じゃないって確認したいんだろうな。

人間はほんとは凄く孤独な存在だから、遠吠えのように仲間(理解)を求めるんだ。

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私もこの10年近く、自分の感じたことや経験したことをブログと言う形で文章にしてきた。

書く事自体が自分の為でもあるが、潜在的には自分の存在を確認したいんだと思う。

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だけど、数多くのブロガーがどれ程熱心に書き込んだとしても、

世の中にゃ他人の事を知りたい(理解したい)って人間がそんなに多い訳じゃない。

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多くは単なる興味本位で覗くけど、目的が無ければそれ程熱心に読むはずもない。

それにブログに書ける事はほんの一部だから、そのほんの一部から何が分かるだろうか。

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そもそも人は、自分に関心の無いものには振り向かない方が普通だし、

逆にブロガーだって、炎上するほど注目されたらかえって厄介なことになる。

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一人の市井の人間にとって、ブログで注目されたって良いことがある訳でもないからね。

本当は、何故書くのか自分でも判然としないんだが、この10年のあいだ毎日、

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モノローグ(独り言)と言う態で、自分の心の中をまさぐりながら書き続けてきた。

だから基本的には独り言なんだけど、畢竟生意気にも何らかのメッセージを沿えるように心掛けてきた。

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おかげとこの間、多くの仲間の支えがあって、累計のアクセスは65万回を超えた。

サイレンとなブログなら続けられなかっただろうし、

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ここまで来れたのは誰かも分からない多くの皆さんのお陰なんだ。

勿論私も、書くことによって自らを鼓舞もし、前に押し出してきたって側面がある。

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ともあれ4月27日には、ブログを書き始めてから3、650日(10年)の節目を迎える。

飽きっぽいくせに良く続いたなぁ〜と思う一方、今では朝の立哨と同様に私の日課になっている。

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だからして、止めたら自分がまず淋しくなるだろうし、当分続けるっきゃなかろうて。

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2016年4月21日 (木)

人生の不思議

何のことは無い貧乏百姓の家に生まれて、体もきゃしゃで頭だって鈍くさいガキだった。

運動神経も学校の成績も駄目で、それでも母親は自分の子供に熱い期待を寄せていた。

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小学4年の頃だろうか、家庭訪問に来た教師が散々ダメ出しをして帰った。

母は、その教師の口調を何とも悔しげに語り、「僕は違う」と何度も言った。

その教師の顔も母の口調も私の心の奥底に、セピア色になっても明確に残っている。

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そのいらちのないガキが、少しだけ物心付き始めたのが中学2年の頃だったと思う。

「この子はやれば出来る」って母の口癖が、気持ちの奥底の伏線となって利いてきたんだ。

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何糞って勉強することが苛められっ子からの脱出口にもなって、ガキから離陸していく。

人生の分岐点は些細なもので、苛められっ子のまま一生を終えることだって有り得た。Img_5369

勿論その分岐点は幾つもあって、その分岐の結果が今日の自分なのである。

そう考えると、人生の機微の不思議を思わざるを得ない。Img_5368

就職してからだって同期の連中の中では、最もマイナーなセクションに長く置かれた。

その日影から見れば、日の当たるところにいる同期生が眩しすぎる存在だった。Img_5367

だけど日陰の生活は当に慣れっこであって、そこでコツコツとやる面白さも知っていた。

それに「何時か見てろ」って気持ちが常にあって、腐るってことが無かった。Img_5366

お天道様は東から西に動き、日の当たる場所だってどんどん移り変わっていく。

何も日向を追い掛けなくっても、動くことなく力を蓄えていれば何時か自分の上に太陽が回ってくる。Img_5365

人生の要は、その時にどれだけの力を発揮できるのか否かなのである。

私の母親は尋常小学校しか出ていないが、ガキにそんな当たり前のことを教えてくれていた。Img_5364

母は90を過ぎてなお矍鑠としていて、未だに頭が上がらないのはその私の母だからだ。

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2016年4月20日 (水)

新しい道

かつて就職したての頃、自分は仕事で前年(人)踏襲をするまいと心に誓った。

先輩や過去の事例の真似をしてれば楽だろうが、それじゃ進歩が無いし自分が活きないと思ったからだ。

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この心がけは、結局現役時代を通してずっと貫くことが出来て、

結果として、職業人としての自分を育てることに随分と役立った。

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人間(特にサラリーマン)はとかく習慣化する動物であって、

毎日が家と職場の往復で、たまにおでん屋で飲むくらいで単調な月日が過ぎる。

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例えば通勤だって、いつもの電車に乗って同じ車両の同じ座席に座って、

職場にむかって歩く経路もまったく同じって具合だろう。

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私もそんな習性になったが、ある時から毎日経路を変えて職場に行くことにした。

すると、それまで無意識に歩いていた道が、考える道筋に自然に変わっていった。

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当然ながら新しい道には新しい情景があって、慣れ親しんだ道のように油断して歩く訳にゃいかない。

唐突にこんな事を書き始めたのは、歳を取れば取る程新しい道が必要だと思ったから。

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当の私だって、何時の間にか毎日の生活リズムをルーチン化してしまっている。

慣れ親しんだ道なら途中でコケルこともないし、平穏無事なんかもしれない。

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だけど三食同じメニューを食すと同様に、変化のない毎日は誠に面白くない毎日でもある。

だから、一日一日の生活に抑揚をつけるように最大限の努力をすべきだろう。

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退屈なところにゃ行かない様にして、新しいシチュエーションを捜し求めて挑戦する。

各種のマラソン大会も勉強会や演奏会、はたまた講演会や行事もそのエレメントだ。

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生きていれば天変地異も含めて色々な事件に遭遇するものだが、それを凌ぐのも人生。

そうだなぁ~、人生には多少のドラマチックな部分があったほうが面白いし、

仮にコケたって、むしろそいつを面白がる位の方が人生の味になる。

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それで今日はパトカーの装備と110番センターを視察してきた。

ともあれ週末は、昨年49kでリタイアを余儀なくされた富士五湖100kに再挑戦する。

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2016年4月19日 (火)

歳の風情

自分は見かけも含めて、まぁ年相応なんだと思っている。

それに無理に若振ろうとか、若者の真似をしようと考えたこともない。

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仕事だって自分の年相応の役割を果たしゃ、それでよかろうと思ってやってきた。

とかく誤解されるのはマラソンを続けていることで、無理をしてるんじゃないかってことだ。

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しかしマラソンは、40歳の頃からコツコツと積み上げてきて、

その延長線上に今があるんのであって、傍から見られるような無理は少しもしていないのである。

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そりぁ〜100kは無理をしなければとても完走できる筈もないが、それも周到に計算をしての無理である。

出来もしないことをやる無理とは全く違って、別に若ぶって無理をしているのではない。

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昨日開催された120回ボストンマラソンで、50年前に優勝した君原さんが完走したと報じられている。

公原さんは現在75歳で、優勝は実に50年前の25歳のことである。

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そして彼のゴールタイムは4時間53分だそうで、私の印象は「もっと走れるでしょ」だった。

恐らく彼は良いタイムを記録するというより、50年前をイベントとして楽しんだのだと思う。

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マラソン人生には君原さんのような楽しみ方もあるが、

私の様な市民ランナーには、何時まで走り続けられるかって挑戦がある。

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現実に君原さんの記録を見て、「俺だって、75でそれ位は走れるぞ」って思ったんだから。

ともあれ私達団塊の世代の歳の取り方は、印象としてあんまりスマートではない。

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とかく過去を丸ごと引きずるか、その逆に全く諦念に浸るかのどちらかで、挑戦が無いからだ。

どちらにしても残された命をムダに費消してる訳で、不甲斐ない事極まりないと感じてる。

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そんなこんなの風景を眺めつつ思うことは、上手く歳を取るって難しいなってこと。

歳を取るにしたがって、その人間の性根(本性)が露出してくるしね。

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それでもこの道一筋、どこまでも突き詰めていって、ある日突然パタリと倒れるなら本望。

とにかく後悔のない歳の取り方をしたいと思っている。

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2016年4月18日 (月)

月の沙漠を

あの大正12年に生まれた(作詞は画家の加藤まこと)不朽の童謡について思っている。

子供の頃から何気なく歌ってきたのに、この期に及んであの王子と王女は誰かってね。

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しかも舞台は「月」の「沙漠」だし、金銀の瓶の中身は果たして何なのかも知りたい。

かてて加えて、ラクダに乗った王子と王女は一体どこに向かっていたのだろうか?

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幾ら想像しても分からないが、ただ悲しい運命を背負って旅する二人の叙情を思わせる。

実は昨日のマンドリンフェスティバルで、

島田マンドリンアンサンブルの演奏した月の沙漠幻想曲に感動してしまったのである。

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マンドリンとチェロの切なくも迫るような音色と相俟って、「こりぁ人生そのものだ」と思った。

改めて歌詞を確かめても、加藤まことは千葉の海岸で自分の人生を描いたのではないか。

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 月の沙漠を遥々と 旅の駱駝が行きました 金と銀との鞍おいて 二つ並んでゆきました

 金の鞍には銀の瓶 銀の鞍には金の瓶 二つの瓶はそれぞれに 結んでありました

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 先の鞍には王子様 後の鞍にはお姫様 乗った二人はお揃いの 白い上着を着てました

 広い沙漠を一筋に 二人はどこに行くのでしょ 朧にけぶる月の夜を

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 対の駱駝はとぼとぼと  砂丘を越えてゆきました 黙って越えてゆきました

敢えて解説するまでもないが、誰もがそれぞれ大切なものを瓶に携えて旅するのが人生。

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その大切なものをしっかりと結わえて、愛する人と共に果てない「沙漠」をゆくのである。

長い長い旅路だから、もう語ることとてなくなって、ひたすら黙って砂丘を越えていく。

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気持ちは、100kを走っていて頭の中は真っ白で、体だけは前に進めていくあの心境だ。

それに沙漠の旅は二人でゆくって処に、この歌の奥深さがある。Img_5479

ともあれ音楽性はちっともない男だが、音の世界に身を浸すのは好きな方だ。

そして、時としてその音の世界で意外な夢を見たりもする。

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昨日の県マンドリンフェスティバルでも、100名余の合奏の圧巻も含めて、

そんな素晴らしい一時を過ごすことが出来たのである。

 

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2016年4月17日 (日)

老いるショック

昨シーズンは3週連続で100kを走ったのに、近頃さっぱり筋肉の疲れが抜けなくなった。

先日の70kウルトラから10日も経過するのに、朝起きると足腰が重たくて関節が痛む。

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どうやら、酷使からくる多発性筋炎の類ではないかと思っているが、

筋力を回復させないと今シーズンが乗り切れないと、かなり気持ちが焦っている。

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それでレバニラを食し、プロテインを飲み、運動量を幾分減らして養生しているのだが・・。

気持ちはまだ十分に若いのだが、3〜40代の体を70になっても維持するのは困難だ。

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まだまだ・・と思いながらも、自分の年齢と適度な折り合いを付けるべきだと思い始めた。

自分の若かった時代を引きずるんじゃなく、老熟したそれなりのパフォーマンスを目指す。

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とは言え、どうしたらそれが実現できるのか、練習一つとっても、それがなかなか難しい。

この点、近世の世界を大きく動かしているオイルショックに似ている。

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かつて「油断」と呼ばれた石油危機があって、

トイレットペーパーが店頭から無くなったり、重油の割当などと大騒ぎになった。

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オペックが登場して産出量をコントロールし、中東の存在が急激に大きくなった頃だ。

それで油をがぶ飲みしていた産業が、大きく省エネへと舵を切り替えたのが48年頃。

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その石油はやがてオイルピークを迎え、枯渇に向かうと思われていたのに、

何時の間にかシェール・オイルなるものが登場して、逆に供給過剰になった。

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安くなるから良いと思ったら、今度はその石油関連産業が景気の足を引っ張っている。

来週辺りも、その産油国の動向に又もや振り回されることになるのではないか。

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ともあれ中長期的には、紆余曲折を経ながらも資源は枯渇の方向に向かっている。

当然ながら私の生命力も有限であって、残りの資源を如何に上手く使うかが大切だ。

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しかも、ケチるのではなく有効に使うのが肝心だろう。

と言う訳で、そうだなぁ・・・孫娘から見て「元気で恰好よいジイサン」でも目指そうか。

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2016年4月16日 (土)

スケジュール

長いこと宮仕えをしていた頃からの習慣で、今でも手帳を手放せないでいる。

組織の枠組みに自分を嵌め込み、その中を動き回るには手帳は重要なアイテムだった。

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そして流れるようにスケジュールをこなすのは、爽快でもあり自分としては楽だった。

それで今でも手帳には2か月先位までおよそ空白が無く、何らかの予定がセットされている。

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だから仮に手帳を忘れでもしたら、それはソワソワと落ち着かないのは必定である。

勿論予定と言っても現役時代の時間刻みではなく、その日の幾つかの予定程度だが、

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記憶し(出来)なくなって久しく、予定は手帳に記入した時点で忘れることにしている。

だから手帳が無いと困る訳で頻繁に手帳を見るから、まぁスケジュール依存症の部類だ。

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仮に一か月先の土日が空白だったりすると、何とか空白を埋めようとする自分が居る。

時には日頃の疲れを癒そうかと考えるべきだろうが、それが出来ないのである。

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子供の頃から「時は金なり」なんて教えられてきたから、要は貧乏性なのである。

しかし、世は高齢化社会で、歳を取れば仕事が無いから怠けるよりしょうがない。

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はて、どうやって怠けようか?・・・・って、最近じゃ思案をする様になっている。

江戸の昔なら縁台将棋とか夕涼み、盆栽に井戸端会議なんてのがあったが、

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今じゃ老人世帯ばっかりで、ふるぅ〜い女房の愚痴を聞いて過ごす他ない。

つまり、手帳を手放した途端に、ボケるより他にない御爺さんになっちまうだろう。

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果たして世の中の高齢者の皆さんは、どうやって終日過ごしているんだろうか?

正直なところ、私の感覚では想像だに出来ないのである。

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それで、酒飲みの休肝日のように、何にもしない日を決めてパジャマで過ごそうかって考えている。

だけど・・・俺に出来るかしら?  

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2016年4月15日 (金)

気ままな自然の中で

学校が始まって、新入生も新しい仲間と集い、もうすっかりその生活に慣れつつある。

毎日通勤電車が動き、ネット情報はその時々の動きを伝え続けている。

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電光掲示板に株価が点滅し信号機は規則正しく切り替り、いつもの通り工場が稼動する。

人それぞれの役割に沿って人々が動き、人間が作り上げたシステムは概ね順調だ。

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だけど人間の心とか自然というものは、けっこう気まぐれで、とても管理しきれない。

人間関係はややこしいし、第一自分の喜怒哀楽すらコントロールできないでいる。

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況や自然の気まぐれは、地震や火山・大雨などと、その度合いは相当なものだ。

人間は自分達の創ったシステムで計画どおりに生きているようでも、実は自然の論理に大きくつつまれて生きている。

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殊に田舎で生まれ育った私なぞは、どじょっこふなっこ時代から今日まで自然と共にある。

日常的に山の中で過ごしているし、マラソン大会だって大抵は田舎を闊歩している。

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それに季節季節の野菜を育てているから、自然の気まぐれとの付き合いは日常茶飯だ。

実は私の育てる葡萄の発芽がかつて無い異変で、最近になってやっと芽を出し始めた。

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野には花が咲き、桜や柿だって青々と若葉を茂らせているのに、とち狂ってしまった様だ。

原因は暖冬で寒さに遭遇しなかったからだが、発芽の遅さは明らかに減収になる。

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葡萄は芽を出して回りの温かさに驚き、十分成長しないまま慌てて花芽を出すからだ。

しかしまあこれも自然の気紛れの成せる業だから、怒りを抑えて優しくケアーする他無い。

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そもそも人間の関係しない自然も無くなって、暖冬だって私達が原因かも知れないから。

それはともかく、外は若葉が目にまぶしい良い季節になった。

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ナスやピーマン、キュウリなどの夏野菜もすくすくと成長を始めている。

これもすべからく、自然のもたらす恩恵なのである。

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つくづくと、田舎者に生まれて良かったと思っている。

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2016年4月14日 (木)

誇れるもの?

人が前向きに生きる上で「そこはかとない自信」を持つということは、大変重要な要素だ。

根拠はなくとも何となく「自分にもできそうだ」って、心の内によぎるものがあれば、

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人は、そこそこの困難にも立ち向かって前に進むことが出来るようだ。

そしてその自信の源泉は、どうやら過去の経験などで培った自分が誇れるものらしい。

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それは若さや美貌だったり、成績や褒めてもらった記憶、或は腕力や体格だったりもする。

特に褒められるってことは人の自信に繋がるようで、その対象は笑顔や挨拶だって良い。

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笑顔をとことん磨くことで、自分の人生を切り開くことだって可能だと思っているくらいだ。

ところで人に「自信を育てろっ!」と言ってる当の自分の誇れるものは何かと考えている。

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いやいや実は考えても思いつかなくって、はたと思案している態なのである。

子供の頃、クラスに一人や二人は親分肌で自信満々の子供が居た。

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それを横目に「すごいなぁ・・」と畏敬の念で眺めていたのが私で、その私はオズオズと

人の動きを見ながら、ひたすら目立つことのないよう注意深く振舞っていた。

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学校の成績だって3と2ばっかりで、通信簿の行動評価なんて酷いもんだった。

それに加えて体育も音楽も駄目で、大人しいだけが取り柄の子供だった。

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そんな子が少し物心付くようになったのは中学1年の頃だった。

切っ掛けは夏休みの工作が最優秀で表彰されたことと、正月宿題の書初め入選だった。

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それが動機かどうか、2年になってから少し試験勉強をする様になって・・・・、

成績は鰻登り(??・・ベースが低いから当然か)に上がって、強いて自信と言えば、

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その頃「なあ〜んだ、やりぁ出来るじゃん」って思って、今日に至ってるってこと。

それと、下隅(?)が長かったから、およそ慢心することを知らないのが取り得かな。

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更に付け加えると、「出来るじゃん」の延長で走り始め、今日に至るも100kへの挑戦を続けてる自分のしつこさかな。

枝葉を取り払ってみると、人生はかなり単純なもんだとも思える。

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2016年4月13日 (水)

無駄で結構

古稀に近い歳になっても100kマラソンを走る私は、どうやら村の変人になっているらしい。

それも感心ではなく「何の得にもならんに、ネェー止めりゃ良いのに・・」と哀れんでいる。

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どうやら、いつか何処かでポックリ逝くんじゃないかと噂している様子なんである。

確かに、朝から晩まで走っても世の為人の為に役立つ訳もなく、況や何の得も無い。

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だけどそもそも、この世の中(人生も私達の存在も)ムダの塊りなんじゃなかろうか。

例えば、あの誰もが経験した受験勉強が人生に何がしか役立っただろうか。

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大抵は、無事合格すればそれでおしまいで、みぃ~んな忘れちゃったんじゃないか。

あれは単に進学する為の関門であって、受験勉強なんてものは、

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関門突破の為の単なる準備以外の何物でもなく、たかがテスト、それだけのことなんだ。

従って、役立つとか役立たないとかを考える方がバカバカしいんだ。

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ただ、あの時頑張ったなぁ~ってプロセスは残って、この点はマラソンと似ている。

現実に節目節目のマラソン大会が私の張りになっているし、甲斐にもなっている。

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或いは、そのマラソン大会のために毎日があると言っても過言で無いくらいだ。

ところでこの世の中、何事も効率が至上になっていて、兎角役立つことが優先される。

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だけど良く見渡してみると、世界はどうでも良いことで成立っているんじゃないかと思う。

日本を代表する文化「茶の湯」や「能」「歌舞伎」にしても、遊びそのものが文化だろう。

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新聞を開いて最初に見る野球やサッカーの結果だって、囲碁将棋の世界だって、

とりあえず生産性や効率とはまったく縁のない事柄だ。

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戦後の経済成長は効率の追求によって成功したが、必ずしも尊敬された訳じゃなく、

何故かエコノミックアニマルと世界中から揶揄すらされた。

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そして今日の長寿成熟社会を迎えても、未だに心は効率至上主義のままなのである。

それで、遊びに呆けるのには、どうしても後ろめたさが残る。これからの時代、

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高齢者は元より、村の衆ももっと遊ぶことを考える方が幸せになれるんじゃなかろうか。

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2016年4月12日 (火)

人生の回り舞台

もう随分たくさんの舞台を懸命に踏んできたのに、一向に役者としては未熟なままである。

それに思い返せば、それぞれの舞台に自分以外の多くの役者が登場した。

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子供のころ、学生時代、幾つもの職場の社会、地域コミニティなど・・・色んな役者が居た。

その場の多くの役者と共に、毎日幕が開くとその場その場でひたすら自分を演じてきた。

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楽屋だろうと思っている家だって、或はそれは人生の重要な舞台だろう。

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泣いたり笑ったり、歯止めなく怒ったり、天性のままに演技できる舞台なのかも知れない。

当然ながら、人生の舞台にもちゃんと客席が用意されていて、

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その客席の一人一人が、自分の人生を演じながら横目で勝手に観賞している。

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だから、私達は自分一人で芝居をしてる訳じゃない。

でも人生の舞台じゃコケるのも、見えを切るのも結局は一人で、観客はあくまで野次馬だ。

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つまり、どれ程の真迫の演技をしたところで、期待するほどの評価など望むべくもない。

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それでも人間って奴は、毎日毎日舞台に上がって、その舞台で精一杯を演じ続けている。

私もそこそこの老練な役者になったはずなのに、・・・その嘘を演じるのが下手なんだ。

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それで気持だけは若い役者を、相も変わらず演じ続けようとしている。

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そうだな・・・花道などは無用の沙汰であって、生涯武骨な役者で良かろう。

時に心通じる役者と巡り会えば涙して抱擁を交わし、そうやって人は老いていく。

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芝居がはねて外に出れば多分辺りは真っ暗だろうし、せいぜい舞台をこそ楽しもう。

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そう思って、人生の物語を生きている。

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2016年4月11日 (月)

曰く言い難い色合い

湖面から湧き立つように靄が現れてたなびき、陽が昇るにつれて桜が白く輝き始める。

桜花のその白や薄紅が眩しいほどに明るく、湖畔に静かな華やぎを広げている。

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湖面はただ静かに、その桜と賤ヶ岳の山並みを映している。

余呉湖は琵琶湖と正反対にあくまでも静的で、如何にも天女が舞い降りそうな湖だ。

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湖畔の桜の下には、思い思いの人達がやってきて、静かな時の流れを終日過ごしている。

私達が息を切らせながら先を急ぐのとは、又別の時間がそこには流れているようだ。

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初老の夫婦が絵を描き始め、やがて何周目か走り終わる頃素晴らしい桜絵に仕上がる。

自然の色合いは印象派の絵画の様に淡く、そこで過ごす人々の姿もこもごもに静かだ。

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ここには花見の宴の猥雑は無く、静かに行く春を愛でんとする人々の色合いが濃い。

私達の日々の現実と言うものは、喜怒哀楽や葛藤の連続でおよそ赤裸々なものだが、

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静かな環境の中に身をおけば、それはまたその自然の色に染まっていくものらしい。

本来、人の性分は微妙な変化を伴っていて、さまざまな色彩を帯びているものだ。

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それが同じ色に染まろうとするなら、同じ景色の中に佇み時を過ごすのが一番だろう。

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日蓮の書に「書は言を尽くさず、言は言葉を尽くさず、言葉は心を尽くさず、時々見参の時を期せん」とある。

心を尽くそうと思っても、なかなかに人と人が心を通わすのは難しいもの。

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だが、桜の下に半日もゆっくりたたずむ二人連れの姿に、不思議な安堵を覚えていた。

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桜の下で語らう壮年のカップルと目が合って、彼は団子を口に運びながら、こちらにとても良い微笑みを向けた。

確かに彼らの間には、羨望を覚える程の豊かな時間が流れているのである。

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私は少し手を上げて通り過ぎたのだが、やがて再び睦まじく散策する二人とすれ違った。

今度は「美味しそうだったよ」と声を掛けると、にこやかに「頑張ってるなぁ」と返って来た。

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成熟してふくらみのあるカップルの雰囲気に、ホッコリと不思議なほど嬉しくなっていた。

それぞれ人は物語を生きている。そして、人生と言うのは自分の物語のことだ。

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余呉湖の柔らかな静けさは、そんな時の流れを曰く言い難い色合いに染めていた。

その昔、激しい戦いのあったことなど嘘のように・・・・

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2016年4月10日 (日)

賤ヶ岳に登って

レースの行き帰りに北国街道を通るのだが、その脇にある賤ヶ岳に登る機会は無かった。

それでかねてから、豊臣政権を成立させたこの古戦場を一度は訪れたいと思っていた。

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何故、この賤ヶ岳が帰趨を決めたのかって興味である。それで、

少しきつかった羽衣ウルトラを終え、今日は余呉湖畔から賤ヶ岳に登ることにした。Img_5442

賤ヶ岳は琵琶湖と余呉湖を隔てる421mのやや急峻な丘陵である。

北国街道を北から進む柴田勢と、南から攻め登る羽柴勢にとっては、Img_5444

地形的に、まさに瓢箪の首の様な隘路になっている。

だから余呉湖側に布陣した柴田勝家と、木之元から賤ヶ岳に陣を張った羽柴秀吉とは

がっぷり四つに対峙する形になった。

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戦局は膠着と思われたのだが、歴史の通説では勝家の甥の佐久間政盛の拙攻を機に、

秀吉方が一気に賤ヶ岳から攻め下って、勝家勢は総退陣・敗走したとされている。

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実はこの通説は太閤記の記述に由来し、その太閤記は前田家の家臣が纏めたものだ。

賤ヶ岳の合戦では、真っ先に戦線を離脱して退却を始めたのは前田利家だった。

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実際はどうやら前田勢の退却が契機となって、膠着しかけていた戦線が動いたのだ。

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しかし太閤記に、自分の主家の前田利家の裏切りが契機になったと書けるはずもなく、

佐久間政盛に敗因を押し付けたのが真実らしい。

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ともあれこの戦いでは、福島正則や加藤清正らの秀吉子飼いの若者達が大活躍する。

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世に言われる賤ヶ岳の七本槍である。

賤ヶ岳の山頂の秀吉陣跡に登ると、余呉湖はもとより琵琶湖一帯が広く見渡せる。

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この賤ヶ岳からは両軍の動きは一目両全であったろうし、天王山に匹敵する場所だ。

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昨日一日を走り通した7,8kの余呉湖を眼下に見下ろしながら、地の利とはかくなるものかと合点がいく。

当然ながら、440年前の余呉湖一帯は大変な激戦地になったのだろう。

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だが、湖面にはさざ波一つなく鏡の様に静まり返り、

満開の桜がいにしえを遥か彼方に押しやっている。

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2016年4月 9日 (土)

天女の羽衣

余呉湖を楽しむ天女の羽衣伝説ウルトラマラソンのスタートは、午前7時である。

フッディパル余呉のスタート地点に集まったのは、えらく目立つ仮装の数人を含め160人。

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山上のロッジを5k天野駆け下りて、やがて余呉湖の周回コースに入るのである。

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余呉湖の周り6.8kmは丁度桜が満開で、その輝くように白い桜の下を巡って走るのだ。

思いがけずの満開で、どうやら今年は桜の当たり年の様である。

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余呉湖は別名鏡湖とも呼ばれ、澄んだ湖水の表面が波立つこともなく、静まり返っている。

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この湖面が対岸や岸辺の桜を映し、まさに魔法の鏡の様でもある。

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その湖畔に老いた柳の巨木があって、天女の衣掛け柳と記されている。

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何でもその昔、天女が白鳥となって降り立ち、この柳に衣を掛けて水浴をしていたそうな

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それを土豪の某が隠し、天女は帰れずに止む無くその男に嫁して一男をもうける。

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やがて天女は羽衣を見つけ出して月に帰ってしまい、残された子供は母恋しと泣き続ける。

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その子を京の都の男が憐れんで養子とし、やがて成人して菅原道真と名乗る。

ここでは、あの天満宮の主、菅原道真は天女の子供なのである。

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羽衣の真偽はともかく、この余呉湖一帯は、あの柴田勝家と豊臣秀吉が雌雄を決した賤ヶ岳の戦いの古戦場であって史跡も多い。

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湖畔の一角に「槍洗い池」なる場所があり、槍の名手清水某が敵を前にして槍を洗った所とされる。

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洗いながら「雑兵の血が、おぬしの血と混じっては遺憾でな」とでも言ったのではないか。

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敵を目の前にして悠々と槍の穂先を洗う清水の心理作戦に乗って、その相手はまんまと槍の餌食になったという。

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さても私達は、その湖畔を10周回するのである。

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始めは輝く桜に見とれ、湖畔の春を楽しんでいたのだが、次第にその桜の味わいが変わってくる。

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先週の疲れが残っているのか、6週目辺りから相当の疲労感を伴っていた。

やがて一周7,8kmを回るのに一時間を要する様になっていた

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そんな訳で悪戦苦闘した70kだったが、9時間28分でゴールすることが出来た。

70kでこんな苦労している様では、再来週の富士五湖100kが思いやられるなぁ〜。

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レースが終わると盛大な完走パーティーが始まる。

色々と景品もあって、この大会の楽しみなイベントになっているようだ。

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しかし私は、このブログを書くために一人寂しく中座したのである。

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2016年4月 8日 (金)

まあ、ぼちぼち

自分では、毎日を忙しがって生きている訳ではけっしてない。

ただ自分のペースで過ごしているのだが、人から見るとあんまりそうは見えないらしい。

例えば昨日からの日程にしても、午前中の入学式が終わると、ネクタイを黒に変えて

直ちに斎場に駆け付けて隣家の葬儀の手伝いで、三日のならいまで務めて帰宅。

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外は嵐だから外仕事が出来ず、布団に入ってから綿密に今日の時間割を考えている。

今朝は早朝に起き出して、先ずは芽出しをしたオクラの鉢上げ200鉢、次いで

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堆肥を運んで畝を耕しキュウリの定植を済ませ、やっと朝食である。

お茶を一飲みすると子供達の立哨に出掛け、帰ってネットのチェックを済ませる。

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昨夜の風で大分散ったろうが、今日こそは桜の見納めをしようと考えていた。

それで東名を飛ばして、フラワーパークの「花の競演(桜とチューリップ)」を観に出掛けた。

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これは名残を楽しむ気持ちもあるが、実はブログの写真をため込む目的もあるのだ。

桜はまだまだ健在で、じっくりとビューポイントを回ることが出来た。

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これも慌ただしく帰宅して、今度は来月植えるキューリの鉢上げを終え、

やっと一部屋だけ芽の出だしたブドウの芽欠き作業を一通り終えると暗くなり始める。

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慌てて晩飯を済ませ、今日は20時までにMさんのお宅に出掛け、一緒に遠出の予定だ。

実は明日の余呉湖70kウルトラマラソンを走るために、滋賀県まで駆け付けるのである。

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今夜は仮眠程度になるが、なぁ〜に余呉湖を10周だから道に迷うこともあるまい。

明日は終日走り続けて、夜は多分盛大な打ち上げだろうか・・・・ってな具合である。

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まぁ〜「ゆとりこそ人生」って声もあるが、ゆとりは人によって随分考えが違っている。

私の場合は、自分のやりたいことを計画的に進めるのが「ゆとり」なんだ。

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だってよくよく考えてみりぁ〜、関心のない人からすれば皆無駄なことばっかりでしょ。

でも、今日の桜とチューリップは豪華だったなぁ〜。もう、週末じゃ駄目だぜ。

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2016年4月 7日 (木)

六十有五にして

あの儒教の祖である孔子の言葉に「吾、十有五にして学に志す」との表現がある。

「志学」の扁額が掲げてある学校もあって、学びを極めようとする人の合言葉でもある。

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紀元前の事だが、孔子様は15歳頃から読み書きそろばんを志したというのではない。

その頃から天下国家を愁い、自らの人生と治世の為の努力を始めたと言っているのだ。

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しかして、私の15歳の頃を振り返ると右も左も分からずに、何の疑問も持たずにいた。

教師の示す枠内で、ひたすら落第を避けるための努力しかしていなかったと思う。

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そうして人生如何を考える様になったのは、畢竟このブログを書き始めた頃からだろう。

そして孔子の論語の語句に触れる度に、老いてなお自分の浅学菲才を思うことになる。

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とは言え、人生には経験して初めて分かることが無尽にある。

而して六十有五にしてやっと「あぁ、人生とはおおよそこんなもんだろう」の境地なんだ。

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ところで今日は、関係する学校の入学式で346名の新入生を迎え入れた。

孔子の言う十有五歳の多感な若者達であり、彼らの人生は正にこれから始まるのだ。

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新しい学校で学ぶべきことは、日常の勉学はもとより自分の自信を育てることだろう。

根拠がなくても「自分にも出来る」と言う、その自分の心を育てることで前に進める。

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それにはやっぱり自分の長所・得意を見つけて、それをコツコツと磨き続けることだ。

そしてその長所は、笑顔だって優しさだって、スポーツや得意な科目だっていい。

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汗をかき時には苦しみながらも、その自分を育てる努力がきっと将来の役に立つ筈だ。

そうだな・・、その十有五の若さが少しだけ「自分の人生」を考えるようになれば、

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彼らの未来はもっと大きく新たな展開を見せるだろう。

ともあれ、何事にも積極的に取り組んで経験を積むことだ。

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それにしても、若さって奴は危なっかしいけど、素晴らしい可能性を秘めている。

彼らの、新たな羽ばたきと出発を心より祝福したい。

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2016年4月 6日 (水)

ゆずり葉

今日は春爛漫の一日で、地元の小学校と中学校の入学式にそれぞれ出席させてもらった。

午前は初々しい小学生、そして午後は6年経って、ここまで成長した中学生である。

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心身ともに成長する少年期だが、学校で切磋琢磨することで心が育まれる時期である。

中学新入生は大人びた顔の一方に童顔が見えたり、かなりの個人差も垣間見える。

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勿論、毎朝見送ってきた何人かの顔もあって、呼名に元気な声を出していた。

明日から始まる立哨では、彼ら中学生は自転車通学になる。そして、

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集団登校に新たなピカピカの一年生が混じって来て、又新たな楽しみが加わる。

とは言え明日は春の嵐らしく、小っちゃな子供達にとって最初の試練になりそうである。Img_5318

淡々と式の進行に身を任せていたのだが、何故か「ユズリハ」の樹を思い出していた。

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ユズリハは庭木や正月飾りに使われる常緑高木で、少し大きめの葉が付く。

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その葉に特徴があって、新葉が成長すると、旧葉がハラリと落ちて切り替わるのである。

それで代々切り替わる(ゆずり葉)縁起の良い樹とされている。

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そうだな・・小学校から中学校も切り替わりだし、親が子を育てるのも同じ様なものだろう。

昨今そうも言ってられないが、子供が一人前になれば親はさらりと身を引きゃ良いんだ。

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ともあれ街頭に立って子供たちを見送り続けて、明日からは早や8年目に入る。

そう・・あのランドセルに蛍光色のカバーを着けていた小っちゃな子供が中学生なんだ。

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そう思いながら、月日の流れをユズリハの様に感じてしまったのである。

そして老々の人生は半ば終わりかけているが、彼らの人生はこれからなのである。

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だからこそ、「いざや、自分を育てろ!!」と、心の中で叫んでいた。

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2016年4月 5日 (火)

春暁

春は弥生(旧暦の3月だから草木の萌えだす今頃?)、日に日に快い季節に向かっている。

春眠暁を覚えずとは良く言ったもので、この時期の暁の布団は実に心地良い。

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とは言え、寄る年波の故か早々に這い出してしまうが、子供の頃のまどろみは忘れ難い。

例年ならこの時期は暗いうちに起き出して、葡萄の芽欠き作業をするのだが、

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どうした訳か、多分暖冬の為に、今年は未だに眠っていて芽が膨らんで来ないのである。

仕方ないから、3紙の新聞を隈なく読んで春暁の時間を潰している。

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ところで葡萄の芽生えはともかく、春は生命力の湧き立つ季節だ。

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桜はもとよりチューリップなどの草花、馬鈴薯や果樹たちが目を覚まし花を咲かせる。

山に入れば鶯ばかりか、メジロやサンコウチョウ、それにカラスまでもが営巣に忙しい。

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いやいや私達だって、ついつい出かけたり、人に逢いたくなるのもこの時期だ。

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どうやら春の光には、万物を目覚めさせる力があるのである。

だがこの点、葡萄は低温に遇わないと温かくなっても容易に覚醒しないようだ。

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この地球上の生物は、何らかの刺激によって覚醒するように出来ている。

例えばこの私だって、何らかの刺激や触発があるから、このブログを続けていける。

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それは思いや感動であったり、興味や出来事、或いはテーマがきっかけだったりもする。

そうしてそれは、この自分の生命力と密接につながっているような気がするんだ。

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だって、生命力が衰えたら感動なんてしなくなるだろうし、書くことも難しくなる。

そして生命力は、明るいもの、朗らかなもの、元気なもの、そして懸命から生まれてくる。

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 この季節にはいつも、唐の時代は孟浩然の五言絶句「春暁」を思い浮かべる。

 春眠不覚暁(春眠 暁を覚えず)

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 処々聞啼鳥(処々 啼鳥を聞く)

 夜来風雨声(夜来 風雨の声)

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 落花知多少(花落つること いか程かを知らんや)

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2016年4月 4日 (月)

邯鄲の夢

中国の戦国時代趙の都市邯鄲でのこと、慮生という若者が道士から不思議な枕を借りる。

そして盧生が見た夢が一代出世物語なのだが、夢が醒めてみれば元の趙の道端だった。

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正に人生の栄枯盛衰は、夢の如く儚きものであるとの教えである。

ところで先日、私も邯鄲の夢のごとき深い夢を見たのである。

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マラニックの打上で少しばかり缶酎ハイを頂いて帰宅し、机の前でブログを書き始めた。

ところがいつの間にか眠り込んでしまったらしく、ハッと目覚めると外が明るいではないか。

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時計を見ると6時で、その瞬間に慌てて出掛ける支度を始めた。

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翌日は早朝の6:23の電車に乗らにゃならんと思い定めていたからだ。

慌ててもこれじゃ間に合わんと窮してから、何だか変だ・・やっと待てよと思い始めた。

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果たして俺は布団にも入らずに一晩過ごしちゃったのか??、そんな馬鹿なってね。

よくよく確かめると眠っていたのは30分ほどで、マラソンに出掛けるのは翌日であった。

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それにしても一日を錯覚させるほど深い眠りだった訳で、余程良い夢だったはずだが、

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その後のバタバタのお陰で、肝心の夢の内容をすっかり失念してしまっていた。

夢の内容は兎も角、もう一つ心配になったのは、いよいよボケが始まったかと言うこと。Img_5259

ボケには前兆があって、時間的感覚や位置感覚が薄れて代名詞が多くなることだ。

さらに昂進すると自分のしたことと他人の仕業なのかが曖昧になってくるのだそうだ。

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さても明らかに時間的感覚が一日ずれた訳だから、先ずはボケの前兆を疑うべきだろう。

私はボケるっくらいなら死んだ方が良いんであって、幾らか心残りのうちに手を打つ方が人間的だと思っている。

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寝たきりの恍惚の人じゃ家族の介護も難儀だし、それに本人にとっても幸せじゃない。

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自分も精一杯頑張って、家族も医者も「もうこの辺だね」ってとこで区切りゃ良いんだ。

それにしても、折角の邯鄲の夢(別の一生)を忘れるとは、まったく欲しいことをしたなぁ。

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2016年4月 3日 (日)

日本平を走る

昨日の30kに続いて、今日は日本平桜マラソン23,5kmを走ってきましたぁ〜。

草薙から日本平(有東山)の山頂(307m)まで登って清水側に下り、

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裾野をぐるっと回って草薙に戻るコースだ。

昨日の疲れがどの程度影響するか心配だったけど、山頂付近(10k)まで一時間丁度。

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まずまずのペースで登り切って、そこからは一気に5kほど下りが続くのだが順調だ。

ところで今日走ったこのちょっと大袈裟な名称「日本平」の由来について一くさり。

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日本平は海に面した側が大きく隆起して出来たケスタ地形の山で、

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東照宮のある南側の久能山との間は、大きく浸食されて切り立った崖になっている。

裾野のスタート地点近くには草薙神社があって、

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この日本平一帯はヤマトタケルが東征の折、剣で野火を打ち払った所とされている。

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それで山頂近くには日本武尊の像があって、日本平はその日本武尊に由来するのだ。

307mの山頂に立つと眼下に清水港が広がり、三保半島が海を柔らかく仕切っている。

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加えて港の向こう側にデェーンと富士山が鎮座して、正に日本(平)の景色なのである。

そして世界遺産に登録された三保半島は、この有東山が浸食された土砂で出来ている。

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要するに、私達は神話の舞台をぐるっと巡って走るのである。

桜も丁度間に合って、その桜のアーチの下を息を切らせながら淡々と登っていく。

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日本平ホテルのある山頂部分に到達すると、かなり開放的な気分になる。

芝生と桜が華やいだ雰囲気をかもし、晴れていれば東側に富士の絶景が望めるのだ。

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今日は曇天ながらも清水港や三保半島が薄靄の中にうっすらと浮かんでいた。

そのエスパルス球場のある清水側に向かって、脱兎のごとく急な坂を駆け下りる。

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坂を下った所にある15k地点の関門が厳しく、その時間が気になるのである。

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が、難なく関門を通過し、後半の8kmはかなりペースが落ちたが2時間18分でゴール。

とは言え、レース終了まで12分を残すのみとなって、年々大変になるこの大会だ。

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かつて(つい最近まで)は、関門なんて気にしたこともなかったんだがなぁ〜。

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2016年4月 2日 (土)

歩は心豊かに

「走らまいか、桜道」そんなハギさんの呼びかけに、浜北御園公園に集まったのは14人。

桜道とは、太平洋から日本海に一筋の桜街道を作ろうとした荘川桜の道だが、

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今回はその荘川桜の子孫の、浜北から森町を経て掛川までを走るのである。

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浜北の荘川桜はほんの数輪咲きだったが、私達は天竜川を越えて東に向かって走る。

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東海道線の駅で言えば、浜松から天竜川・豊田町・磐田・袋井・愛野・掛川の区間31kである。

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ほぼ天竜浜名湖鉄道に沿った道筋で、かなり咲き揃った所もあって沿線の桜が美しい。

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・・・・・しかし、ソメイヨシノはやはり幾分遅れていて、未だ三分咲と言った所であろうか。

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三々五々、私達は思い思いに淡々と東に向かうのだが、それは一人ではない。

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一緒になった東京から参加のSさん81歳と話しながら、自分の十数年後を考えてしまった。

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私が80歳を越えてもやはり桜は咲くだろうが、自分は果たして走ることが出来ているだろうかと。

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聞けばお孫(娘)さんも走る仲間の一人で、既に曾孫が居るんだとか。

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桜とその桜を辿って走る人、桜に戯れながら、そうやって私達は時の旅をしているのである。

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掛川に入って、原谷川の畔で円陣を作って暫しの花見昼食となった。

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桜の下(と言っても、一分咲きだが・・)での、四方山話のひと時である。

何にも考えずに、ひたすらこのひと時に自分を浸している。

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少々のアルコールが入ったが、ゴールは未だ10k先の掛川城である。

もう既に花桃が色とりどりに咲き、暫し目を楽しませてくれる。

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更に淡々と(まさに人生の様に)走り続けて、15時、

あの山内一豊が高知に移るまの居城だった掛川城に到着した。

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ほぼ6時間走った訳だが、これも過ぎ去ってみればほんの一時に過ぎない。

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そうだなぁ・・・、これまで過ぎ去ってきた人生の道すがらと変わらないのである。

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共に汗して走った仲間は人生の友垣であって、一人一人が愛おしく思われる。

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さても、生きるとはそんなものかな・・・と、幾分の悟りの境地で過ごした一日であった。

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いやいや現実へと目を覚まし、立ち寄ったのは城下の一角にある🍢屋である。

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みんなで今日一日の疲れを癒し、次の再会を期したのである。

しかして、人生とはかくの如くならんや!!

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2016年4月 1日 (金)

自由への旅立ち

待ち焦がれていた春が大きく膨らんで、今年も既に今日から4月である。

人事異動やら就職入学・退職卒業などと、悲喜交々に新たな環境に身を置く人も多い。

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特に長年努めた勤務先を退職する人達は、新たな生活スタイルを創らにゃならない。

当然ながら希望に胸膨らませて退職と言う人ばかりではないだろう。

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私も高齢者の仲間入りを(自覚は無いが)して暫らく経過したが、それでも春の来る度に

自由への旅立ちの気分が頭をもたげて、70歳になったらどう過ごそうかと考えたりする。

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何をしても自由なんだから極楽の様なものだが、実は自由は制約の中でこそ価値を持つ。

毎日24時間ご自由にと言われると、俄かに何をして良いものやら定かでなくなってしまう。

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仮に少しばかりの趣味に首を突っ込んでみたところで、それも一時凌ぎに過ぎない。

それに自由に行動するって事は、何処かにハザードがあったり、道が無くなったりして、

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つまり全て自己責任であって、それなりのリスクを伴うものだ。

そして私達団塊の世代が、次々と本格的に自由を手にする時代がきている。

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望むらくは、この日本が変わるほどの自由人の動きが生まれないものだろうか。

趣味でも消費でも、はたまたボランティアであっても、成熟人生はこんなに楽しいってね。

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出来れば次々と何かを生み出すことに取り組めば、世の中は明るくなる。

そんな居心地の良い生活スタイルを創って、そいつに慣れなきゃなるまい。

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兎にも角にも、自由への旅立ちは目出度いことなのだ。

さてこの春をどう味わうか、唐の姚合の五言律詩「春日即事」では次のように詠われる。

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 春来眠不得(春来たりて 眠りを得ず)・・・・春になってから、どうにも眠れない。

 誰復念生涯(誰か復た生涯を念わん)・・・・いまさら我が生涯を思っている訳でもない。

 夜聴四隣楽(夜は聴く 四隣の楽)・・・・・・・夜になれば四方から音楽が聞こえてくる。

 朝尋九栢花(朝は尋ねる 九栢の花)・・・・・朝になれば大路の花を訪ね歩く。

 軽煙浮草色(軽煙に草色浮かびて)・・・・・・うすもやにくっきりと浮かぶ草の色

 微雨濯年華(微雨 年華を洗う)・・・・・・・・・小雨に洗われる季節の花々

 乞暇非関病(暇を乞いしは 病に関するに非ず)・・暇を取ったのは病だからじゃない。

 朝衣在酒家(朝衣 酒家にあり)・・・・・・・・・・仕事着を飲み屋のかたに取られたからだ。

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