« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

2016年5月31日 (火)

余禄

明日から都議会らしく、税金を余禄とばかり使い込んだ舛添都知事ははてどうするのか?

国民が挙って厳しい目を向けるのは、我々庶民に縁のない余禄だからだ。

Img_5867

それを政治家だけは、私物化してまかり通るとはまことに持って怪しからんことだ。

庶民に縁が無いと書いたが、長いこと人生やってきて全く縁が無かった訳でもない。

Img_5804

ハワイに銀婚旅行をした折、何故かエコノミーの切符でビジネスに初めて乗せてもらった。(単に空席だったから)

お蔭でビジネスクラスはこんなに楽ちんなのかって経験した訳だが、ヤツはファーストだ。

Img_5796

幾ら考えても私の余禄はそれだけと思っていたら、昔賃上げで+αってのがあった。

勿論高度経済成長期のことで、正規のベースアップとは別に今年は5千とか一万円上乗せしましょって奴。

Img_5792

まさに月給取りにとっては女房になんしょの余禄って訳で、あれは嬉しかったね。

ところで何故「+α」って言われたかと言うと、あれは野球の9回裏の表示から始まった。

Img_5790

リードしているチームが先攻なら9回裏は無いから、3対1+αで勝ったと表現したらしい。

ところがこれが飛んだ間違いで、本場のアメリカでは9回裏をXと書いていた。

Img_5789

それを手書きで書くからXがαに見えちゃって、この国だけに通じる+αが登場したって訳。

そんなことも知らずに当時の総評なんか「何とか+αを確保して・・」なんてやってた訳だ。

Img_5788

しかしながら幸か不幸か、今じゃプラスアルファなんて言葉は死語になっちまった。

そういう意味じゃ平成2年8月のバブル崩壊ってのは、時代を画する出来事だった訳だ。

Img_5786

そしてそれが、今では世界中がデフレ少子化の波に覆われている。

団塊の世代の一員として、あのインフレの時代が懐かしいんだよね。

Img_5866

殊更、あの+αで初めて食べたフレンチの美味しさが忘れられない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月30日 (月)

三界唯一心

方丈記に出てくる仏教の言葉で「三界はただ心一つなり」と読む。

この世界の出来事はすべて気持ちの持ちよう如何で、幸にも不幸にもなると言うのだ。

Img_5787

馬齢を重ねて鈍感になったのか、昔のようには物事に拘ることがなくなった。

「あぁ、そういうこともある」「それもそれ、深刻に考えたって詮無い」などと動じなくなった。

Img_5763

そもそも、何が幸不幸なのかということの判断基準すら随分変わったのではないか。

その上でこの「三界唯一心」と言われると、正にもってその通りと納得するのである。

Img_5756

いや何、全ての欲望から開放されたと言うのではない。

益軒の養生訓にだって「楽しみは是、人の生まれつきたる天地の生理なり」とあるじゃない。

Img_5876

気持ちに豊かなフレキシビリティを持ちながら、憚ることなく自分の楽しみを追求する。

それこそが、熟年者の生き方じゃなかろうかと考えるのだ。

Img_5874

それに楽しみが多ければ多いほど、自ずと人は元気になれるものだ。

そしてその楽しみは、折々の作物の生長だったり、子供達の元気な挨拶だって良い。

Img_5873

ごく平凡な日常の出来事を愛でる気持ちは、これは熟年者ならではのものではないか。

ともあれ人には、それぞれの年齢に相応しい生き方があるのだろうが、それとて差があって当然だろう。

Img_5872

私の場合はUMを走るからって、特別に若造りして無理している訳ではない。

レースに行けば必然的にその土地の風土や歴史に触れることが出来る。

多くの知己にも会えるし、自分の精一杯を試すことができる。

Img_5871

つまり世間並みを廃して、自分の好みに従い、自分のしたいことをしているだけなのだ。

それが当面の、私の「今ここ」を生きる要諦なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月29日 (日)

梅雨のとば口

山ではササユリが咲き始めているが、ウラジロやシダ類が繁茂して走路を塞いでいる。

そいつを除去しようと槇バサミを持って山に入り途中まで行くと、同じ様な人が二人居た。

Img_5745

Wさんが槇整枝機を担ぎ、Kさんは草刈機で6kの折り返し点からこちらに向かっていた。

奇しくも三人とも同じことを考えていた訳で、梅雨を前にした不可欠な作業とはいえ、

Img_5746

誰かがやるだろうと考えているんじゃなく、率先してやる心意気が嬉しい。

そうなんだ、杣道の整備は森林管理署ではなく、私達がこの30年ずっとやってきている。

Img_5747

俄かに入山禁止とした管理署の措置がバカバカしく思えたのも当然なことだ。

ともあれ今日の半日三人が汗をかいて、私達の走路は大幅に回復したのである。

Img_5744

その他スズメバチの女王蜂を捕獲したり、かぶれの木の除去等環境整備に余念ない。

帰宅した午後は、今夜からの雨を前にしてやらなければならない事が山積みだ。

Img_5755

先ずはタマネギを収穫して、その後にオクラ50本ほどの定植である。

次は大豆「一人娘」を播いて、残った時間はブドウの整枝作業で一日が終わってしまった。

Img_5902

作業をほぼ終える頃、ポツリポツリと雨の気配である。

良くしたもので植物はきちんと植えておけば、後は自ずと自力で成長を始める。

Img_5754

管理者は適時適切に手を添えてやれば良いのである。

さてもう直ぐ梅雨入りだが、植え揃った田の早苗もアジサイの花もその雨を待っている。

Img_5903

暫し我慢するのは我々くらいだろうが、ランナーは雨の方が快調に走れるしね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年5月28日 (土)

心のよりどころ

この国には、実に数多くの仏教由来の文化が残されている。

最澄や空海が唐から帰った頃、仏教は正に世界の最先端の技術であり文化だった。

Img_5893

人々は天国地獄を含め、これが人間の生涯だと、括目する思いで帰依したのではないか。

それが近世の化学なのか唯物論の故なのかはともかく、宗教の権威は剥落していく。

今では天国も地獄もその存在を信じる人は無く、仏教は葬式の様式に過ぎなくなった。

Img_5894

残された伽藍は、過去の文化として観光資源として生き延びているのが現実だ。

とは言え人間は本来弱いものであって、「何か」に自分のよりどころを求めるものでもある。

それは時に、困った時の神頼みかも知れないが、それが普通の人間だろう。

Img_5895

私にも経験があって、それは高校の入学試験の時だった。

入学試験の最初の科目が確か数学で、その最初の問題が分からなくてパニックになった。

そんな筈がないと思いつつも、その第一問で躓いて後は夢遊病者の様ではなかったか。

Img_5896

もう落ちると覚悟したが、その日の試験を終えて村の神社に詣で石ころを一つ拾ってきた。

翌日の試験は、その石ころをポケットに握り締め、ほぼ満点で終わったのだと思う。

Img_5897

後に高校の担任から、入試じゃ随分成績が悪かったと言われたことがある。

まぁ、恐らくポーダーで入学した訳で、入試に失敗してりゃ私の人生も随分違ったろう。

Img_5898

ついつい余談になったが、先日訪れた金指の初山宝林寺のことを書こうとしている。

江戸初期(1664)に明国の僧独湛禅師によって開創された黄檗宗の寺だ。

今日に残る建物の多くが明朝風で、普通の寺とは異なった異国情緒を漂わせている。

Img_5899

それはそれ、境内を訪れると自ずと俄かに仏教者になって、手を合わせてしまうのだ。

ともあれ人は、仏であれ恋人であれ、はたまた石ころであったとしても、心の拠り所を必要としている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月27日 (金)

浦島太郎の気分

もう梅雨に入ったかのような、まことにムシムシした陽気が続いている。

この陽気のお陰でナスやキューリ、ゴーヤなどの夏野菜も葡萄達も順調に成長している。

Img_5900

この20年ほど、毎年そうやって植物達と共にこの初夏を迎えているのだ。

そうして何時しか古稀近い年齢になって、齢だけは分別のある年増になったらしい。

Img_5901

自分はガキだガキだと思いつつ過ごしてきて、行動も考える事も未だにガキなのに、

何時しか時間だけは通り過ぎて行って、既に玉手箱を覗いている浦嶋の気分なのだ。

Img_5890

果たして、鯛や平目の舞い踊りは何時の事だったのかと訝しく振り返ってみたりする。

しかし、それらしい痕跡は正に夢か幻の如くなのである。

Img_5888

もとより人生に竜宮城などある筈もなく、誰もが過ぎ去った持時間を後悔するものらしい。

正に人生は長距離を走るマラソンと同じ様に淡々と亘るものらしい。

Img_5885

後になって、あの時もっと頑張って走ればあのゴールまで行けたのにと思っても、既に秋声なのだ。

「時は流れるというが、川岸に立って未来を見渡せる訳でもない。だから『時』は

Img_5883

人の生きた痕跡だ。」と言う意味のことを言ったのは鈴木大拙だったか。

そうしてその痕跡には濃淡、過ぎてきた時間の人による質の違いがあるのではないか。

Img_5882

人生の時間が無限にあると思っていた頃、確かに野放図に時間を費やしていた。

そしてこの期に及んで濃密な時間をと画策しても、所詮それは無理な事。

Img_5881

自ずからその人には、その人なりの時間の質があるのだろう。

Img_5879

さても、玉手箱は既に開けてしまって、残る楽しみ(期待)を何処に見出すべきか。

・・・などと考えなくとも、野菜や葡萄は丹精すれば毎年育つのだ。

Img_5877

そう、明日の休日は大豆を播こうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月26日 (木)

井伊家の千年

徳川四天王と呼ばれた赤備えの井伊直正、そして幕末の井伊直弼の出た井伊家である。

浜松市の北部、山間に水田が広がる井伊谷がもともとの本拠地で類題続いてきた。

Img_5892

初代は平安中期の共保で、井伊谷の田の中にある井戸から生まれたとされ、

その井戸の「井」が井伊家の象徴(旗印は井桁)となっている。

Img_5891

さて今日は、その共保公出生の井戸のすぐ北側にある龍潭寺を訪ねたのだが、寺は

来年のNHK大河ドラマの主人公が井伊直虎とあって、多くの観光客で賑わっていた。

Img_5868

直虎とは一体誰なのか、とかく「女」が強調されているが果たしてと言う関心である。

井伊氏がこの地に勢力を張って400年、時代は戦国となって勢力争いがこの地にも及ぶ。

Img_5887

この浜松地域は家康ともども今川義元の勢力下にあって、それが苦難の始まりになる。

永禄三年(1560)の桶狭間の戦いで多くの家臣と当主井伊直盛が戦死してしまう。

Img_5886

直盛の後を継いだ息子の直親も、今川家に謀反の疑いで誅殺され、幼児(直政)が残る。

この井伊家の危機に際して登場したのが、桶狭間で戦死した直盛の一人娘(直虎)だ。

Img_5880

幼い直政の後見人として実に様々な困難に立ち向かい、直政を家康に仕えさせる。

Img_5875

結果として徳川の盛運と共に、後の彦根藩主の井伊家へと繋がってゆく次第だ。

Img_5884

戦国の非情な時代の波に翻弄され、その波間で気丈に生き抜く一人の女と井伊家がテーマのようだ。

Img_5889

断絶しかけた井伊家を直政の養母として支え、家康の小姓(万千代)としたことから運が開ける。

Img_5878

ともかく井伊家は、初代共保から直弼まで1000年も続くんだから大変なものだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年5月25日 (水)

老年の贅沢

もう古稀に近い年齢だから、世間一般の年齢からすれば高齢者の範疇に入るだろう。

しかし、幸い私は老人ではない。

Img_5858

老人とは、歳をとって何もする事のない状態を指すのだからである。

農作業やランニングを含め、毎日をそれこそ忙しく過ごしているんだから当然だろう。

Img_5851

それに折々には、仲間とともにウルトラマラソンに全国(国外へも)各地へ遠征している。

多くの仲間に恵まれて楽しくも苦しい機会を重ねられるんだから、これは贅沢の極みだ。

Img_5831

贅沢とは分に過ぎた奢りであって、他人が真似できない事をやるって要素が多分にある。

UMはまさに分に過ぎた行為で、2~30代の若者だって容易に完走できるもんじゃない。

Img_5829

それをこの三十年足腰を鍛え続け、今日に至っても完走を目指すことができるんだから、

自惚れも含めて、他人に誇れる贅沢と言うべきではないか。

Img_5813

それに他に贅沢をしたくても既に欲しい物とてなく、蓄財の意欲もとっくに失せているし、

旨い物を食べるったって肉や魚はもう結構であって、自分の育てた野菜が一番美味しい。

Img_5812

まぁ~欲しいとすれば、いくら走っても疲れないランシューがあれば是非欲しいが・・・。

そもそも人間は「立って半畳、寝て一畳、いくら食っても二合半」なのであって、

着飾ったり飽食をしてみたところで、所詮知れているのである。

Img_5803

それよりもエイドステーションで呑む一杯の水、完走の後の一杯のビールの方が甘露だ。

そう言えば、先日のUMで仲間が途中で差し入れてくれた冷たい甘酒は旨かった。

そう・・・、それに走る仲間との交流から得られる元気も何よりだ。そして

Img_5802

改めて今やってみたい贅沢は何かと自分に問うてみても、これに勝るものはない。

翻って、世間一般では無用な贅沢を求めて動き、老人は病院通いに明け暮れている。

Img_5791

そんな世間を尻目に、渡世のしがらみを忘れて100k先を目指せるんだから素晴らしい。

いずれにしても、今をこそ生きれば良いのであって、それには健康が一番だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月24日 (火)

時間と私

50kのエイドで縁石に腰を下ろして、水を飲んでいると隣の若い男性が声を掛けてきた。

「随分良い時計をつけて、走ってるんですね」と、つぶやく様に言う。

Img_5832

「時計はともかく、今大事なのは中身(時間)だよね。もう、ぎりぎりだ。」「何とか、なりますよ」

そんなやり取りの後、彼は名前も言わずに一足先に駆け出して行った。

Img_5834

人は時計をもって時を測っていても、それぞれ人によって一秒は同じではない。

彼の疲労具合と私の疲労とでは、かなりの差があるからだ。

Img_5835

彼は残り五十キロを7時間で走るが、私には多分8時間以上が必要だったろう。

これは何も100kランに限ったことでなく、2016年という一年の経過だって同じだ。

Img_5836_2

若者は時間を追い掛けて過ごすし、私なぞは時を惜しんで一年を過ごす。

そう、1kmを何とか9分で走り抜けたいと念ずるのと同じだ。

Img_5837

そうやって、この地球の上をもう70年近く這い回ってきたんだ。

思えば私達は、小さな小さな岩の塊のこの地球の上に、無数のばい菌のように繁殖し、

Img_5839

考え、言い争い、何かを作り、戦争で殺し合ったり、愛し合ったり、そうやって生きて来た。

一個の人間は実に小さな存在だけど、その虫ッケラが必死でゴールを目指して走る。

Img_5844

だけど時の経過は非情で、いつしか時は化け物のようになって私を押し潰してしまう。

そういう意味じゃ、100kランも人の一生も同じさ。

Img_5847

時を見た人はいないのに、「とき」と言う呼称をどうして人は付けることが出来たんだろうか?

縁石に腰を下ろした私は、もう6分もそこにそうして放心していた。

Img_5856

絶対にゴール出来ない時間まで、待ちたかったのだ。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2016年5月23日 (月)

おのがじし

今日は初夏を通り越して、一気に真夏を思わせる陽気になった。

とは言え、やはり完走を逸したショックは大きく、どうにも元気は出てこない。

Img_5855

昨日の18時過ぎ、暫くゴールの傍らに佇んでゴールする一人一人の顔を眺めていた。

思い出すのは、13時間59分45秒でゴールした時の20年前の自分の姿だ。

Img_5854

あの時は涙でブラインドが掛かって、ゴールはぼんやりと黄色くかすんでいた。

大くの仲間が待ち受けていた訳でなく、だからこそ己が心底から湧き上げてくる物があった。

Img_5853

そのあの時の光景が、眼前に幾つも再現されているのである。

山を幾つも超えて100kという途方もない距離を己が力で走り切った感慨は言うに及ばない。

Img_5850

その精も渾も尽き果てた己が心には、ただやり遂げたという、そのことしか残っていない。

「もう、良い。早く帰って横になろう。」急に冷える体をかばいつつ、そう思っていた。

Img_5849

100kを走り切るには、100%の体力を発揮して尚且つ気力の上乗せが必要だ。

今回は、どうやらそもそもの体力が損耗していたとしか考えようがない。

Img_5848

体力の万全を期して、改めて出直すしかないのである。

100kを走るその一人一人には、己がじし(為為)とも言うべき何がしかの思いがある。

Img_5846

遊び半分で100k和走ろうったって、そんなことはおよそ不可能なのである。

一年以上の準備を積み重ねて、なおかつ思い入れを乗せて走り出すのだ。

Img_5841

今年五度目のエルトラだが、全勝の目論見が早くも崩れてしまった。

しかし人生と言うのは、それぞれ各自の成すこと「おのがじし」なのである。

Img_5840

この100kも正に己が為為であって、自分の人生の一つのイベントなのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年5月22日 (日)

ゴールは遥か彼方に

午前4時、レースの身支度を整え朝食を済ませ、会場へと車を走らせる。

白み始めた夜明けの空に八ヶ岳が浮かび上がり、その傍らに真ん丸な月が掛かっていた。

Img_5816

毎度のことだが、スタート地点に立って合図を待つ間に得も言われぬ緊張感が漂う。

その緊張感を山梨学院のチアリーダー達が和ませてくれる。

Img_5817

デカフォレスト(完走10回以上)の私は、3,700名余のランナーの先頭をスタートする。

午前5時、先頭集団は脱兎のごとく疾走をはじめ、私の心臓は200mも行かないうちに

Img_5820

早鐘のように打ち始め、慌てて自分のペースに適う集団の所にまで下げていく。

Img_5821

この段階でかなりペースを下げすぎた様で、数多くの見知った人達から声を掛けられた。

Img_5822

「おっ、今日は重そうだけど大丈夫?」っといった声である。

実際100kのレースは、走ってみなければ何があるのかわからないのである。

Img_5825

とにかく競い合わずに自分のペースで淡々と走ろう・・・・・そう言い聞かせていた。

Img_5828

最初の7kを過ぎると、八ヶ岳に向かって1900m辺りまで標高を上げていく。

Img_5830

その何時果てるとも知れない上り坂を走るのだが、何時の間にか歩くランナーに抜かれていく。

堪らずに競歩に切り替えたのだが、結果としてこのペースがずっと続くことになってしまった。

Img_5833

山を下った42k地点を過ぎた辺りまでに、仲間の多くにも先行されてそれでもマイペースを余儀なくされていた。

Img_5838

病み上がりの故か、今朝飲んだ抗生物質が頑張りを邪魔するのか、はたまた齢の成せる業なのか依然としてペースは上がっていかない。

Img_5842

やがて50kを過ぎたあたりの小海町で、12時の鐘が聞こえてきた。

完走ペースからは1時間も既に遅れているのである。

Img_5843

それでも59kの北相木のエイドまで頑張ったが、そこで沈没を決意することになった。

Img_5845

歳と共に年々ゴールは遠くなりつつあるのだが、殊に野辺山は特別なハードコースである。

暑さもあって、結局13名の仲間のうち、完走者は4名に止まったのである。

Img_5857

今年の野辺山は、兎に角ゴールが無限の彼方にあった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年5月21日 (土)

一人一人の100k

走る仲間と共に、長野県の松原湖畔に来ている。

八ヶ岳の麓にあって、かつてウインタースポーツの拠点ともなった所である。

Img_5805

この時期の湖畔は、一部のマス釣り客を除けば訪れる人もなく静かな佇まいの中にある。

私達はココを訪れると、決まって湖畔をぐるっと一周する習いになっている。

Img_5807

そう〜もうかれこれ15年もの間年中行事の様に、明日のランを前に気持を静めるのだ。

湖畔の木々も八ヶ岳も何も変わっちゃいないけど、年年歳歳私達は歳を取り、

Img_5809

一緒にやってくる仲間の顔ぶれも少しずつ変わってきた。

自分自身はどう変わったのだろうかと考えてみるのだが、確かに環境は変わった。

Img_5810

しかし気持ちは、不思議なもので20年前と少しも変わってはいないのである。

ともあれこの八ヶ岳までの道程はかなりあって4時間ほども車で走らねばならない。

Img_5811

途中、中部横断道の道の駅で昼食を取り、清里では毎年アイスクリームを戴く。

野辺山は標高1300m程度だから、登って来るに従ってヒンヤリと心地良い風に変わる。

Img_5801

その涼風に身を慣らしながらミルク味の濃いアイスを戴きながら、明日を思うのだ。

どんな展開になるのか、それは走り出してみるまでは分からない。

Img_5800

走り出せばもう、ただひたすらゴール目指すしかない。

Img_5798

その過酷な条件の中に、もう20年身を置いてきたのである。

Img_5797

そして、仲間の一人一人にもこの100kにかける思いがある。

Img_5794

その一人一人が、それぞれの思いを抱えながらこの人生の戦いに挑むのである。

Img_5795

さても和気藹々の夕食を戴きながら、明日への気持ちをそれぞれが語る。

Img_5793

あぁ、みんなが揃って完走出来りゃ・・・・良いんだがなぁ・・と思いながら。

互いの健闘を誓い合うのである。

Img_5814

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月20日 (金)

凡夫にして

もうかなり永い間生きてきた訳だが、結局なぁ~んにも出来なかったじゃないかって思いがある。

そりゃぁ、あれもやりこれもやり人並みの事はして来たにしても、何故か手応えに欠ける。

Img_5785

所詮人生ってのはそんなものさって、言い訳の様な慰めの声も聞こえてくるし、

天賦の才に恵まれた訳でなく、百勝の子倅としては精一杯やってきたさって思いもある。

しかし、そもそも「一事を成さん」と思わなかったし、やはり目標が小さ過ぎたんだろう。

Img_5784

明治の世なら未だしも、戦後の教育の中で「何を成すべきか」を知る事なく育ってしまった。

つまりそこそこ勉強しそれなりの学校に入って、ちゃんと結婚・・って凡夫のコースである。

それで何の不満もなかろうと言うことになるが、人の一生(幸福)には色々とある。

Img_5783

その生き方みたいなことは、学校教育を通じて教えられた記憶すらない。

実は今日の学校運営協議会で教室を巡りながら、そんなことを考えていたのである。

子供達には無限の可能性があるだろうが、その契機を作り出すのは教育でもある。

Img_5782

だけど若い先生方がどれ程一所懸命になったって、人生を教えるのは難しい。

でも子供達が未来に向かう(目標が定まった)時、明らかに彼らは変わり始める。

その動機付けこそ教育だと思うのだが・・・・・。

Img_5781

ところで、あの芭蕉が「ついに無能無芸にして 只この一筋に繋がる」と、書き残している。

謙遜かとも思うが、無芸無能だったからこそこの道に繋がったのだとの述懐でもある。

Img_5780

人は誰だって無芸無能で生まれてくる訳で、やはりその中で何を見出すかが人生だよね。

そういう意味で、何も見つけてこなかったんだから、あたら凡夫の人生と言うべきか。

Img_5762

ともあれ、子供達の心にどんな火を点すかって、教育ってのはそりぁ難しいことだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年5月19日 (木)

日々と園芸

時折ブドウ栽培者の・・と紹介されるのだが、私は何も「農業」を営んでいる訳ではない。

だけど日々の生活の中で最も時間を使っているのが、この作物を育てることなのだ。

Img_5777

春夏秋冬様々なものを育てているが、最も力点を置いているのが7品種のブドウ。

この時期は花房整理からジベ処理・誘引にと、起き抜けからセッセと動いている。

Img_5778

しかし私の園芸は葡萄ばかりではなく、それぞれの時期の野菜を育てていて、

この時期は馬鈴薯の収穫やオクラの定植で忙しく、間もなく玉葱の収穫だし、

Img_5779

ナスやピーマン、カボチャ、スイカ、ウォーターメロン、キュウリ、赤カブ、大根、ゴーヤ、トマトの世話だってある。

あぁ、今日はニンニクの収穫をしたんだが、まずまずの出来で年末のキムチ用だ。

未だ生育中のジャンボにんにくは、見るからに大きな玉が出来ていそうである。

Img_5776

この時期が殊更忙しいのは、保育園と幼稚園用のサツマイモの畝づくりを急くからだ。

ともあれ、私の時間はこうした園芸を含めボケッとする暇がない。

時には自分でも「良くやるなぁ〜」と感心するが、一面でこれが楽しみなんである。

Img_5766

今日は春ニンジンの種をまいたが、これだって一週間後には小さな芽を出すだろう。

それぞれの作物の日々の成長を愛でながら、一日一日が過ぎていくのである。

Img_5761

仮にマラソン大会などで2〜3日留守をすると、彼らは大きく成長していて私を驚かす。

そうだなぁ〜、ブドウの枝なんかは4〜5日目を離せば、拗ねて暴走を始めてしまう。

Img_5760

とにかくこんな植物達に取り囲まれて、私の毎日がある。

それを、こよなく幸せだと思っている。

Img_5759

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2016年5月18日 (水)

飛んで候

やはり貧乏性と言うべきか、昔からゆったり泰然としているのが苦手なのである。

家にいても、ソファーに座って飲みながらTVをゆっくり見るなんて事は先ず無いし、

Img_5767

旅に出たとしても、疲れも厭わずその近辺をウロウロと歩き回ったりするのが常だ。

貧乏性には違いないが、人間はそもそも動き回っていてナンボって生き物でもある。

人類が二本足で歩く様になったのは600万年前らしいが、以来歩き回って進化してきた。

Img_5768

そして、私達の先祖となるホモ・サピエンスの登場は20万年前とされているが、

人間は今日に至るまでそのほとんどを狩猟採集民として、走り・歩いて生きてきた。

槍を投げ地面を掘り、荷物を背負って運んだり、体を使うことで生き延びてきたんだ。

Img_5769

一万年前に始まった農業は人類の生活を大転換させたが、それも重労働が必要だった。

要するに緩慢で満ち足りた衣食住を謳歌できるようになったのは、250年前の産業革命以降のことに過ぎない。

結果として肥満と生活習慣病に悩まされ、医療費のかかりすぎる社会になってしまった。

Img_5770

つまり人間にとって動かない生活はギャップがあって、スポーツこそ救いと言う次第だ。

ところで、薬効のお陰か幾分咳も減って体調が戻りつつある。

なにせ今週末は、私にとって20回目となる八ヶ岳野辺山100kウルトラマラソンである。

Img_5757

東日本大震災で中止になった年を除けば、20年もこの大会を走ってきたのである。

そもそもウルトラを走る契機も、この日本一過酷と言われた大会を目指したからだ。

今より若かったけど、それでも100kのクリアーは、そのつど難度の高いものだった。

Img_5758

ともあれ、かつては一年に一度の節目として走ってきた思い出深い大会なのである。

この二十年の歳月の流れと言うものも、走る私にとって又一つの「時」の魅力でもある。

UMには「生きている時間」を感じさせる何かがあって、

Img_5764

歳は重ねはしたが、それでも挑戦を続けられることに、一匹の人間として満足している。

まぁ~何はともあれ、人間生きている限り体を動かさなきゃ駄目だ。

続きを読む "飛んで候"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月17日 (火)

捨てられない

定年を過ぎて以降、何度か身の回りのものを少なくしようと努めてきた。

不要なものが多くなりすぎて(その時は必要だった)収拾が付かなくなると思ったからだ。

Img_5775

だからネクタイや背広だって随分処分したのだが、新しい物は中々処分できない。

現在最も嵩張っているものは、完走Tシャツで次々と大会に出るから新品が箪笥一杯だ。

次に処分に困るのが書類の類で、これも次から次へと新参者がやって来る。

Img_5774

3ヶ月の間使わなきゃそれは不要なものだから、その間は積んでおくことにしている。

それが、その間にずっしりと積もってしまうのである。

それにこのゴミゴミ感を増幅しているのが、同居人の困った癖である。

Img_5773

困ったも何も、どうした性分か整理はしないし捨てることもしないから、

どの部屋もガラクタが山積みになって、実は本人が一番困っている。

それで、当然ながら「あれがない。これがない。」と三日に一度は大騒ぎするのである。

Img_5772_2

つまり捨てられないのは、仕事の要領と同じで何が必要か分かっていないからである。

ともあれ、歳と共に健忘症ぎみは当然のこと、頭に乗せた老眼鏡を探すんだから。

どれ程の物を胎蔵したところで、そんなものは生涯使わずに終わる筈だ。

Img_5771

従って、歳を取るにしたがってスリムな生活を目指すのが正解だろう。

と言ってはみたものの、いずれやろうと思いつつ放置してきた事どもの多いこと、

どうやら何事も、だんだん面倒になるようで、何時になったらスキッとできるかしら?

Img_5765

もっとも同居人に言わせりゃ、私も「産業廃棄物」らしく、要するにゴミの類だ。

整理整頓の出来ない家人のこと、間違っても私を不法投棄するなんてことはなかろう。

そう思って、たかをくくっている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年5月16日 (月)

止むを得ず医者へ

先日の天竜UMで無理をしたせいか、以来、どうにも体調が思わしくない。

いやどこが悪いという訳でもないが、ゴホンゴホンと咳が止まらないし痰が出る。

Img_5742

眠っていて咳が出るから夜中に目が覚めて、どうにも熟睡できないで居る。

どうやら老骨に鞭を当て過ぎて、体が幾分悲鳴をあげている様子なのであるが、

なぁ~に、走って体温を上げりゃどうってこともなかろう山に行くと、見咎めた走友のNさんが医者に行けと言う。

Img_5741

自分の力で直る病気と、抗生物質の力を借りないと治らないものがあると言うのである。

流石の医者嫌いの私も「野辺山100kを週末に控えていることだし」と医者に行く気になった。

法外な国保の負担金(年に70数万円)を収めていることだし、一度くらい医者に行っても罰は当たらないだろうと。

Img_5740

ともあれ、人間にはとかく言われなき自己過信と言うものがある。

容姿や風貌だって、鏡に映った自分よりは本物の方が良いに決まっていると思っているし、

声だって他人が認識する声よりも遥かに説得力のある良い声だと信じている。

Img_5739

そんな具合に人は誰も自分で自分の自画像を描いて、ひたすらそれを演じている様なところがある。

私も凡夫の習いで、自分のことは自分で分からい!!・・・って思っている。

しかし、現実には客観化された状況に素直に従ってみることも大切なんだろう。

Img_5738

と言う訳で、ヤブ医者と評判の某医院で抗生物質を処方してもらうことにしたのである。

すると待ち時間30分、診療きっちり20秒「随分喉が渇いていますね」だって、・・で終了。

まぁ兎に角、抗生物質を含め処方箋をお願いして薬屋へ。

Img_5729

後は、薬効に期待するばかりである。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2016年5月14日 (土)

一時に一事

元来私は幾つもの事を並行してやるのは苦手で、それで成果を挙げることなんて無理だ。

聖徳太子(そう称される人物は居なかったが)は7人の陳情を同時に聞き分けたと言う。

Img_5749

どんな人間であれ、そんな芸当が出来るはずもない。

現役の頃、人事異動で俄かに場違いの部署に配置され一時に多くを背負うことになった。

流石に私もたまらず、毎晩の様に徹夜してこなそうとして、一時はパニックに陥った。

Img_5750

だが大抵は事前に布石を打って、その時々は一意専心することにしている。

ところで、今年の私が育てているブドウの事を書こうとしている。

もう二十年数年栽培してきたのだが、かつて無い不出来になりそうなのである。

Img_5751_2

何時まで待っても芽が出ないし、遅れて出てきた新芽もバラバラで萎凋して芽すらある。

暖冬の影響なのかと思ったが、堆肥に何か変な物質が含まれていたのか原因不明だ。

それでもここに来て、それぞれの品種ごとに花が咲き始めている。

Img_5752

やっと本来のブドウ園になりつつあるのだが、誘因やらジベ処理、芽欠きが一度になって、

毎日が正にパニック状態なのである。

何とか例年の稔りの半分程確保したいと思えばこそ、毎日足を棒にして上を向いている。

Img_5753

朝五時頃から作業を始め、流石に夕方になると本当にぐったりとしてしまう。

それも花房の無い枝も多く、来年のための養生なのである。

趣味で育てている7種類のブドウだが、それぞれに愛着も思い出もある。

Img_5748

何もそこまで頑張らなくてもと思うのだが、やる(栽培)する以上は成果を上げたい。

それに私がブドウを栽培しているつもりだが、実はブドウに遊んでもらっているのかも知れない。

この遊びを放棄したら、来年から遊んでくれないからなぁ〜。

頑張らなくっちゃ・・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月13日 (金)

街頭に立って

雨の日は兎も角、今日のように天気が良いと気持ちまでが晴れ晴れとする。

それで「あぁ、気持ちが良いなぁ~」って、田圃の向こうに見える子供達の姿を見ながら呟く。

Img_5737

勿論、寒風に晒されて駆け足をしなからだったり、横殴りの雨に閉口することだってもある。

それでも毎朝、街頭の交差点で子供達を見送るようになって、既に八年目に入った。

その7年間で印象深く記憶している子供は、やはり元気で挨拶をする(活きてる)子だ。

Img_5730

集団登校で群れの中に埋没する子供が多いから、集団をリードするそんな子は目立つ。

実は昨日は「子供の安全を見守る会」の総会で、小学生全体と対面する機会があった。

立哨活動している人が皆参加してる訳ではないが、昨日は16名の皆さんが集まった。

Img_5731

皆さんいずれもご年配で、私が一番若いくらいだから、子供達からすりゃ大年寄りだな。

それで町の交番長さんも「身の安全害第一ですから・・・」と無理をしない事を強調してた。

しかし立哨中に万が一の事があったら、当然ながら応分の責任を覚悟しなきゃならない。

Img_5732

旗振りとは言っても、そんなに安気なものでもないのである。

この8年の間に子供少しずつ入れ替わっていって、すっかり新しくなっている。

Img_5736

初期の頃の5~6年生は既に大学生なんだから、こちらの年輪の増高も止むを得まい。

とは言え、この間の私の身の回りの景色はあんまり変わってはいない。

Img_5735

高度経済成長の頃には、道が出来新しい家が建ちと目まぐるしく移り変わったものだが、

最近では子供の顔ぶれこそ変われど、しばし同じ景色が続く安定感がある。

Img_5734

これもその時代の雰囲気なのかと、自分の来し方を思ったりしている。

ともあれ、磐州一番のマンモス校と言われた小学校も、今では普通の学校である。

Img_5733

子供たちと一緒に校歌を歌って、「これからも、これは俺の日課さ」と思った次第だ。

子供を見守るからにゃ、体を張って守らんとね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年5月12日 (木)

時代遅れ

人は誰も、自分の体温(温度)や脈拍(速さ)或いは生活を基準に物事を判断する。

自分の体温より高い温度が熱いのであり、脈拍よりハイテンポが速いと感じるのだ。

Img_5675

その時代を生きてるなぁ~って認識は、その時代の文物を享受事で得られる。

Img_5672

それでこれまでずっと、自分は進取の(時代を先取りする)気性だと自任していた。

事実、初期の高価なパソコンや100万円の壁掛けTV(今じゃ数万円)も、無理をして買った。

Img_5676

車も早くからハイブリッド、機器の進歩もハイテンポだったから次から次へと買わされた。

Img_5679

そんな些細なことで時代のテンポに同調してきたのである。

ところが、ここにきて時代についていけていない自分を諦め気味に眺めている。

Img_5680

兆しは子供達のゲームから始まった様で、あの小さな箱に夢中になるのが分からない。

Img_5681

試みにゲームに挑戦しようとしても、その何とか戦士やら何とやらが全く機能不全である。

まぁこれはガキの世界だからと放棄したのだが、どうやらあの辺から時代に遅れ始めた。

Img_5682

長年愛用したガラケーは数年前にスマホに代えはしたが、機能はガラケーそのまんま。

Img_5683

それも充電機能が駄目(実はコンセントが抜けていた)になって、錯誤の買い替えだ。

そのスマホだが、走友達がラインやらフェイスブック、地図情報を使いこなすのを尻目に、

Img_5684

自分が如何に時代に遅れてしまっているかを思い知らされている。

Img_5687

それにしても、スポーツ関係のメカは、GPS機能やら走行軌跡記録、ラップと脈拍など、

どんどん新しいものが登場して、私は一人置いて行かれるままなのである。

Img_5688

それにしてもスライドショウすら一人じゃ作れないんだから、相当に遅れっちまってる。

Img_5691

さりとて、時代遅れではあってもそれほど困る訳でなし、まぁいいかって思っている。

そのうちAIの発達で家庭用アンドロイドなんかが開発されて、一家に一台なんてなるかも?

Img_5693

これもうちには愛妻が居るから、○×年式の高畑充希型なんて入れたら大変な事になるしなぁ~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月11日 (水)

春の心境

南宋時代の陸游に「山頭の石」と題する69歳の時の一首がある。

Img_5674

 秋風万木枯 (秋風に万木枯れ)

 春雨百草生 (春雨に百草生ず)

 造物初何心 (造物 始めより何の心ぞ)

 時至自枯栄 (時至れば 自ずから枯栄す)

 惟有山頭石 (惟だ山頭に石ありて)

 歳月浩莫測 (歳月 浩として 測るなし)

 不知四時運 (四時の運るを知らずして)

 常帯太古色 (常に太古の色を帯ぶ)

 老翁一生居此中 (古翁は一生此の中に居り)

 脚力欲尽猶蹐攀 (脚力 尽きんと欲して 猶お攀じ登る)

 時時撫石三嘆息 (時々 石を撫して 三嘆息す)

 安得此身如汝頑 (いずくんぞこの身の 汝の如く頑なるを得ん)Img_5725

どうした訳か神様は、草木に四季の移ろいを与えたのだが、山の石だけは昔のままだ。

自分の一生はこの自然の中にあって、脚力の衰えにも拘らず未だに山によじ登っている。

そして時々傍らの石を撫ぜ、俺も山の石のようであったならと溜息をつく。・・・と言う詩だ。

Img_5720

ところで今年も既に、葉桜も含め山は一面の新緑で覆いつくされている。

あの浮き立つような初春の華やぎも早過ぎ去って、今正に初夏を迎えんとしているのだ。

Img_5707

古稀を目前にした陸游ならずとも、月日の流れの無情を思うのは止むを得まい。

しかし実は、無情だとしても人生は限りが有るからこそ面白い。

Img_5705

思えば大した仕事もしてこなかったけど、それでも自分なりの春夏秋冬を過ごしてきた。

これからだって、たとえ脚力は衰えるにしても、山があればよじ登るだろう。

Img_5703

登ったなら、石を撫ぜる代わりに自分の足腰を撫ぜてやろう。

だって石には動きはないし、ささやかな花を咲かせたと言う達成感もないでしょう。

Img_5698

花を咲かせ実をならすために歳を重ねるって事は、自分らしさに近づくことなのだろう。

そういう意味じゃ、歳を取るっては実は良いことなんだ。

Img_5695

けだし、どんな具合に歳を取るかが問われている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月10日 (火)

荷おろし症候群

先日はたかだか5kgだが、荷物(リュック)を背負って長距離を走る大変さを味わった。

5kgを背負って仮に100k走れば、足には20万歩×5=100万kgの負荷が掛かるのである。

Img_5726

何と延べにして二本の足で千トンもの負荷に耐えるんだから大したものである。

だから長い人生を亘るには身軽に越したことは無いと思うのだが、そうは問屋が卸さない。

Img_5724

男は家族を背負い仕事を抱え、あくせくと苦しい事のみ多かりきの激職をこなす。

やがて定年退職となって、長年勤めたが楽しいことの少なかった職場を去る。

Img_5717

荷を降ろしてようやく悠々自適の生活が出来ると思ったとたん、急死してしまう人が居る。

それが荷おろし症候群で、人間は用がなくなれば自分を始末してしまう生き物らしい。

Img_5706

つまり、人はそこそこの荷物を背負って生きる方が元気でいられることになる。

もっとも、荷物がなくとも気ままに生きられる場があれば良いのだが、Img_5704

この点、昔は男は家父長として関白然と威張っていられたのである。

関白は大将以上だから誰憚ることなく身勝手に振舞える訳だが、それも今は昔のこと。

Img_5702

一方、山のカミは健在で、やはり大将以上だから女が長生きする訳もここにある。

ともあれ、早死にしたくなかったら、男はそこそこの荷物を背負えば良いのである。

Img_5696

かくして私も、畑を耕し葡萄を栽り、山を走りエトセトラと奔走しているのではある。

それもマラソンなら走った後の達成感が良いし、葡萄ならあの収穫時の楽しみが殊更だ。

Img_5694

勿論マラソンだって容易な事じゃないし、眺めているだけで葡萄が稔るはずもない。

それぞれ悪戦苦闘の連続だが、その苦闘を楽しむのも実は人生と達観している。

Img_5692

やはり家康公の東照宮遺訓どおり「人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し、

急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。・・・・」なのであろう。

Img_5690

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月 9日 (月)

京の気配

比叡山の山道をたどって大原に降り、三千院に近づくと独特な気配に満たされる。

新緑のもみじに覆われた小道には、小物を売る瀟洒な店が並び、

Img_5708

大原女の姿こそないが、物言いすら独特な響きを漂わせている。

三千院は最澄が延暦寺を建立する際、ここに草庵を置いて拠点としたことに始まる。

Img_5709

後に皇子・皇族が住職を勤める門跡となって明治に至っている。

Img_5710

それ故かどうか、入り口には城郭かと思わせる厳しい御殿門があるが、

寺に入れば、往生極楽院を真ん中にしていたって閑静な寺域が広がっている。

Img_5711

その庭を辿ると杉木立の中に苔の大海原が続き、もみじの緑が眩しく輝いていた。

Img_5712

小道の脇にさり気なく小水路が流されていて、小草の一本にまで京の気配を感じさせる。

長年に亘って育まれた風とでも言うべきか、極自然にしつらえた美がそこにはある。

Img_5713

実はこの三千院を過去二回訪れているのに、記憶しているのは御殿門の辺りだけだった。

Img_5714

私の記憶が朦朧なのか、季節の違いか、三千院の見せ方が変わったのか分からないが、

人間の記憶など左程に曖昧なものなのである。

Img_5715

ところで私達は夫々に人気(ヒトケ)を発散していて、この点京都人は独特な雰囲気がある。

Img_5716

その言葉の独特なリズムが醸し出す空気が、京を特別な地にしているのかも知れない。

否京都に限らずこの人間社会は、自然の大気と同様に人気につつまれている。

Img_5718

強気や弱気、陽気や陰気などが重なって、景気の変動をも差配していくのだから。

Img_5719

その人気の醸し出す雰囲気によって、私達も大なり小なり拘束されているのである。

そして千年の都である京都は、その歴史の「気」をただよわせているのだ。

Img_5721

ともあれ三千世界には、私達の須弥山(娑婆)の他に10億個の世界があると言う。

Img_5723

極楽もその一つらしく、往生極楽院の天井には天女舞う極楽浄土が描かれている。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年5月 8日 (日)

晩節を全うす

人(細君を含め)が何を言おうが、自分の生きたい様に生きれば良いと思っている。

かつて隠忍自重を専らにしてきた男が、そう思う様になったのは60歳前後からだろう。

Img_5658

家族にも社会にもやるべきことはやったし、もう自由に生きるべきだと悟ったのである。

晩節とは晩年の節操のことだが、節操とは正しいと信じたことを守って変えないことである。Img_5659

以来、出来る限り自分を解放し、意欲のままに行動するよう努めている。

それに限られた時間を惜しむかのように、今出来ることを追い求めてもいる。

Img_5661

物欲も金欲も無くなって久しいが、物事に挑戦する意欲はコンコンと湧いてくるのだ。

世の中には人生の終わりを目前にして、「自分の人生とは、何だったのか?」と思う人が多いらしい。

Img_5663

左様に過ぎし来し方を恨みを込めて振り返ったって、時既に遅しで仕方ないのである。

しからば、今出来ることを全力でやることが、晩年の生き方ではないかと思うのだ。

Img_5664

それを老いの妄執などと笑う輩は、出来ぬ自分へのやっかみに過ぎまい。

誰しも志を持ち、それをよすがに長年頑張ってきた筈だが、それは自分を押し殺してのこと。

Img_5667

定年退職後、そのことに少しずつ気付く様になって、晩年の良さはこれだと確信している。

多少の我がままは許されるし、色々と見てきた分その視力と反比例に世の中が見えるようになった。

Img_5668

而して、晩年になってまでウロウロと迷うことは無いのである。

何処まで出来るか、私の挑戦もまだこれからである。

Img_5670

晩年になって、人生とはこんなに楽しいものだったのかと再発見している。

Img_5671

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年5月 7日 (土)

叡山に登りて

今日は、かねてから訪れたいと思いつつ果たせなかった比叡山への登山である。

事前調査も十分なトッチーさんのツアーに加えて頂いて、実に楽しく有益な一日になった。

Img_5653

比叡山は大比叡(848m)と四明岳からなる山で、延暦寺の存在によって歴史的山となった。

Img_5655

延暦寺は平安遷都に際し、新都の鬼門鎮護を名目に最澄が堂塔を建て天台宗を始めたことに由来する。

Img_5656

以来堂塔伽藍は比叡山にひしめき、多くの僧兵を擁して、政治にも大きな影響を与えた。

Img_5657

だが政争に深く関わり過ぎて新興勢力信長の逆鱗に触れることになって、

Img_5660

あの元亀2年(1571)、叡山は数万の軍勢に囲まれて、堂塔伽藍を焼き払われ、

Img_5662

僧俗のことごとくが殺されたとされている。

Img_5665

しかし、叡山に登っての印象としては、とてつもなく広い山容であって、

Img_5666

果たして伝えられる様な事が可能だったかどうかと言うことである。

Img_5669

ともあれ一旦は滅びた延暦寺だが、1642年に根本中堂が再建され、大講堂や釈迦堂、

Img_5673

横川や阿弥陀堂、東塔、にない堂、釈迦堂など、今日の延暦寺となっている。

Img_5677

今日の私達は、八瀬の比叡山口から叡山ケーブルに乗り、着いた所から歩き始めた。

Img_5678

先ずは大比叡へ、そして山を下って大講堂の上に出て、根本中堂や釈迦堂を巡る。

少し戻り山中の修験道を辿って横川へ、そこから再び山中に踏み入って大原(三千院)に。Img_5687

途中で王城の地を見下ろす玉体杉の下で弁当を広げ、三千院まで14km余を歩いたのである。

一昨日までのUMの疲れも癒えぬまま、むしろリハビリを兼ねての山行であった。Img_5689

歩きながら、唐から帰ってこの山に堂塔を建てて天台宗を創始した最澄を思っていた。

彼は少し遅れて帰国する空海に先だって、本格的な仏教を広めようとしたのである。Img_5697

それも国家鎮護を大義名分として利用しつつ、後の栄西など名だたる仏教者の祖となった。

一方空海は、密教の不可思議な魔力(人間の弱さ)を基礎に新たな勢力を広げていく。Img_5699

同時代の最澄と空海は決定的なライバルとして精神世界を二分していくのだ。

あくまでも独自の世界を創り出した空海に対して、最澄は最後まで人間的だった。

Img_5701

最澄は悩みに悩み抜いた人だったかもしれない。

しかし後の代になって、天台宗は様々な方向に分岐して発展していくのである。

Img_5722

山の背に幾つも並ぶ地蔵を眺めると、信長に殺された僧俗かとも思われて、

比叡山は、僧兵の闊歩した時代までを想起させる不思議な所である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月 6日 (金)

感動し得るのは人間だけ

さて、佐久間ワープ組3人が再スタートしたのは14時丁度である。

その先には、エイドで見送った若手の強靭なランナー6名が走っている。

Img_5605

思ったより足は軽くスローペースだが走れて、やがてヨッピーさんとHさんの姿が消えた。

一人で黙々と進むと遥か先方に一人の若手ランナーが見え、次第に距離を縮めていく。

Img_5627

彼は木の枝を杖にして秋葉ダム湖岸を「歩けなくなったら、如何しよう」と呟いている。

ここまで既に170kを走り続けて来て精根尽き果て、歩くことすらまま成らなくなっていた。

Img_5628

先を急ぐ私にしても、既知の道なのに車と違ってさっぱりはかが伸さないのである。

ともあれ薄暗くなり始めた頃秋葉ダムに着いて、Aさんの私設エイドで一息付いているとポツリと雨が当たった。

Img_5629

雨具を携帯してない為、本降りになる前に14k先のコンビニに行き着かなくてはならない。

それでも19時頃コンビニに入ってカップ麺を啜っていると、外は本格的な雨になっていた。

Img_5630

天竜二俣を抜けて飛龍大橋を渡ると街灯もなく、真っ暗な道が続く。

否、道と言うよりも、この200k地点からは堤防の下の河川敷を走ることになっている。

Img_5633

強風と雨の叩きつける中、小さなライトで照らしても、なにせ暗闇に加えて嵐である。

道らしい道を見つけても暫らく行くと直ぐにブッシュに突っ込んでしまう。

Img_5634

後ろから「オィ」って声がして振り返っても、明かり一つ見えず強い雨の音だけが残る。

これは危ないと思って堤防をよじ登り、今度は堤防の端を歩き始めたのだが・・・

Img_5635

堤防上の車は高速のまま疾駆しているのだが、その一台が私の前で緊急停車した。

そして、窓を開け「あなた・・・、大丈夫???」と声を掛けてきた。

Img_5636

丑三つ時、嵐の中をそぼ濡れてたった一人歩いてれば、それは幽霊か気違いだろう。

それで今度は東側に下りて農道を進む事にしたのだが、これが真っ直ぐな道がない。

Img_5637

忽ちにして道に迷うことになって・・・足を引きずりながらウロウロ・・・誰もいない。

やっと見知った(らしい)道に出るも、今度は自然に自分の家(磐田市)に向かっていた。

Img_5638

物凄く寒いしもう無理だ。家に帰って出直そう・・・と、そう思ったのである。

それでも旧豊田町辺りまで来て正気に戻り、改めてゴールを目指す気になった。

Img_5641

とにかく南に向かえば国道150号線に出ると考えたのだが、何せ方向が確かでない。

それでも午前4時、ゴールまで1km程の所で、車が止まって聞き知った声がした。

Img_5642

M木さんの車で、ゴールには既に休む所が無く自宅にランナーを避難させるという。

車に乗ると急激な安堵感に覆われて、Mさんのお宅でずぶ濡れの衣服を脱ぎ、

Img_5643

シャワーを戴いて間もなくベッドで眠り込んだのだが、何度もうなされて目が覚めた。

目が覚めても直ぐ深い眠りに入って、頭の芯子で自分が生きていることを実感していた。

Img_5645

Mさんが迎えに来たのは8:00頃か、外に出ると昨夜の風雨は嘘の様な青天だった。

Img_5646

真っ青な空の下、緑の芝生に南国の風景が広がって、それがゴールのパラダイスだった。

Img_5647

次々とやってくるランナーは、その芝生に腰を下ろし、辿り着いた安堵感に浸っていた。

Img_5648

そう・・・誰もが様々な困難を乗り越えて、この場所にやって来たのである。

私も完走こそ出来なかったが、160k+15kを辿ってここにやって来た。

Img_5649

そうさ人間以外の動物、それに幽霊や気違いじゃこんなことはやりぁしない。

Img_5651

人間だけが、感動を手にすることの出来る生き物なんだから。

Img_5652

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2016年5月 5日 (木)

大天竜の流れⅡ

午前1時頃(50k辺り)、コンビニを見つけて給水していると20代の青年が話しかけてきた。

「何処から、何処まで行くの?」と、諏訪湖からと話し始めると、目をまん丸くして、

Img_5612

「ゥェエエ・・・・」と絶句して、暫く私を見つめていたがヌッと手を伸ばしてきた。

握手をしながら「もう・・・驚きました。気をつけて行ってください。」と、良い青年である。

Img_5613

しかし、内心は「この爺さんと婆さん、この深夜に気違いだぜ!」と思ったのに相違ない。

ともあれ夜道の一人旅は辛いから、途中からずっとヨッピーさんとの二人連れである。

Img_5614

今回のUMでは17枚の1/25000地図が渡されていて、その一枚を握り締め走っている。

私の地図には5km毎の到達予定時刻を書き込んでいたが、ほどなく無理なことに気付く。Img_5615

二人で地図を睨めっこして道を確かめるのだが、何度も間違えるのである。

65k地点では確信して進んだ道だったのに、何故か地図にないコンビニがあって、Img_5618

不安になってコンビニで確かめると、私達は天竜川を遡ってかなり来てしまったらしい。

仕方なく来た道を引き返すのだが、その度にゴールを目指す気力が削がれていく。Img_5619

夜が明け始めたそんな頃、天竜下りで知られる天竜峡の駅が目の前にあったのである。

最初は131kmのレストステーションまで至近の駅(おおぞれ)まで30kカットを考えた。Img_5620

しかし朝になって駅員に確かめると、「この電車は止まりません」とにべもない。

仕方なく佐久間までワープすることにしたが、この970円のタイムマシン(飯田線)は、Img_5622

萎えてしまった私の心を蘇生させる絶妙な力を持っていた。

佐久間から残りの距離は75kに過ぎなく、それに駅近くでS間さんがエイドを設けている。Img_5624

エイドを手伝いながら休息し、14時を期して再スタートをきることにしたのである。

S間さんは朝早くからエイドの店を広げて、ランナーの到着を待っていた。

私もスイトンの具(ニンジンや馬鈴薯)を刻み、温かな日差しの下でウトウトと眠りにつく。Img_5625

やがて12時頃からランナーが来始め、160k近く走ってきた疲れも見せずに去っていく。

聞けば、レストステーションでもほとんど休息せずに走り続けてきたと言う。Img_5626

正に可能性の限界を追及している彼らを動かしているものは何なのか。

S間さんがエイドに大書していた様に、人間だけが感動できる動物なのなんだろう。

再スタート後もやはり異変を含めて苦しい道程で、その顛末は明日にしよう。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2016年5月 4日 (水)

大天竜の流れ

さて、第一回天竜川リバーサイドUMについて報告せずはなるまい。

天竜川の源は、信州は諏訪湖の岡谷、釜口水門に発する。

Img_5600

中央アルプスの水脈を集め、伊那、駒ケ根やら飯田など幾つもの町や村を縫う様に流れ、

遠州の磐田市竜洋で遠州灘に注ぐまでの2百数十キロを流れ下るのである。

Img_5601

もっとも近年では、川の上流程水量が豊富で、流量は下流ほど少はなくなっている。

佐久間ダムや秋葉ダム、船明ダムなどに水を貯め、導水管によって丘に導き、

それを工業・農業・飲雑用水として使う様になったからで、天竜の水は陸地を流れてる。

Img_5602

今回のウルトラマラニックは、この流れに沿って225kを48時間以内に走ろうと言うもの。

この途方もない試みに挑戦すべく岡谷湖畔公園に、全国各地から79名が集まった。

Img_5603

流石に猛者ばかりで、スタート前はコースを確認したり、旧交を温めつつスタートを待つ。

同日12:00釜口水門上を、新聞記者らに見送られてスタートし長い三日間が始まった。

最初の群れは間もなくそれぞれのペースとなって、2〜3人の幾つものグループになる。

Img_5604

私は225kを意識して、あくまでもスローペース(9分/1k)で進むことにしていた。

しかし9分を維持できたのは最初の30k程度に過ぎず、6kほどのリュックを背負っての

Img_5606

ランは思った以上に疲労をため込んでいく。

コースの多くが山中なために、十分な水と反射材を含め幾つものライトを持つからだ。

水を切らして5kmも走ろうものなら、忽ちにして舌と顎がくっ付いてしまう。

Img_5607

それでもあちこちで地元のRC(米俵マラソン)や仲間の特設エイドには随分助けられた。

40kも走ると辺りは真っ暗になって、蛙の大合唱の中を蛍のような仲間の点滅燈が光る。

Img_5608

その真っ暗な中を地図を確認しながら進むのだが、

これが何度となくコースアウトすることになって、その度に疲労が倍加していく。

17枚の地図を持っているのだが、細かな分岐となると景色が見え無い分間違い易い。

Img_5610

一緒に走ったヨッピーさんと道を確認しつつ進むのだが、はてこれはどっち?という場面に何度も遭遇する。

後ろから来た仲間に何度も助けられたのだが、結局大きく4度ほど道をそれて12kは余分に走ることになった。

Img_5611

メンタルもかなり疲れて、夜も白けてきた4時、85k地点がたまたま天竜峡駅だった。

かなり遅れていたので、天竜峡から大嵐まで電車!と駅に飛び込むと、55分発とあった。

実は6:55発の間違いだったのに、それでもう乗り込むことに決めてしまったのである。

Img_5616

時刻の違いに気付いた時にはもう手遅れで、駅のベンチに横になっていた。

兎に角、眠たくて寒いのである…そう言えば、前日はほとんど眠れていなかった。

Img_5617

ともあれUMは、まだ始まったばかりであって・・・・・続きは明日にします。眠たい!!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年5月 3日 (火)

老年の性根

古希になろうかと言う歳だから、「未だ壮年」と強弁しても些か空しい響きが残る。

100kUMを完走しようがしまいが、紛れもない老年の範疇に入っているのだ。

Img_5394

その老年が末期の思い出にと、天竜川225kの超UMに挑戦している。

225kを走り続けるには、ひたすらの忍耐と精神力の持続しかあるまい。

Img_5498

50代ならまだしも、肉体の力だけではとても続きそうにない。

歳と共に記憶力にしても風体だっても、若い頃に比べりゃ格段に衰えているだろう。

Img_5499

先日の父母会で50代の皆さんとご一緒したが、その色艶と言い羨む若さを持していた。

だけど外見は比べるべくもないが、畢竟老年には老年なりの精神性が有るわいと思った。

Img_5501

長いこと人間やってきた老練さに加えて、経験と気力じゃ十分競争出来そうである。

そう・・これが犬猫なら肉体の衰えはそのまま引退となるが、人間は気の動物だ。

Img_5504

人をコントロールしているのは気であって、気の張りを失うことが致命的になる。

前回の勉強会の際勢い余って「無用の人にはなるまい」って話をしたけど、

Img_5508

自分は無用だと思った途端に、人は何処までも落ちていくものだ。

だから私が100UMを走るのも、まだまだ元気でっせってアピールなのかも知れない。

Img_5485

ともあれ、髪は薄くなったが、気持ちの若さこそ老年の花だと思っている。

人間は、肉体が全てではない。

それを、この225kで証明して見せなければなるまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月 2日 (月)

人生はその中身

随分と長寿の時代になったが、果たして自分は何時まで生きるんだろうか。

これが分かりゃ何かと算段のしようもあるのにと、フッとそんなことを思うことがある。

Img_5598

しかし、自死でないかぎり、こいつばっかりは分からない。

まぁ残っているとしても20年が目一杯だろうが、長く生きりゃ良いってもんでもないと思う。

Img_5595

例えば信長や漱石は五十年しか生きなかったけど、まさに時代を疾走して生きた。

それにほんのつい最近まで人生五十年と言われて、それが多くの日本人の覚悟だった。

Img_5597

映画や芝居を観ても、だらだらと間延びした長い作品じゃ退屈してしまう。

同様に私達の人生だって、生きた長さよりもその内容に価値があるのだと思う。

Img_5594

呆けて寝たきりで何年生き長らえたとて、それは長く死んでいたに過ぎない。

徒に長く生きようと養生に努めるよりも、充実して生きることに邁進すべきだ。

Img_5593

とは言え、「じゃぁ、どうしたら充実した生き方が出来るの?」って反問されそうである。

勿論私にも分からない訳だが、ただそれは「今と言う時間を懸命に生きる」ことだと思う。

Img_5592

山に入ると朽ちた木や倒された木があって、その傍らでは多くの木々が勢を競っている。

木漏れ日の下にはササユリなどが育ち、それぞれがバランス良く生きている。

Img_5596

夫々の所で精一杯生きているんだが、無理に生きようなんて気配は微塵もない。

そういう意味では、人間も成すべきことをやり終えたら無理に生きなくても良いのだろう。

Img_5599

長生きよりも、為すべきことを為しているか否かである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月 1日 (日)

不安亢進症?

昔ほどではなくなったが、私はかなりの心配性(慎重体質)である。

殊に過去の歴史を掘り下げると、16世紀頃に東日本大震災同様の地震・津波があり、

Img_5573

5年程後に九州で大地震、間もなく京都などと短期間に大震災が続いたなどと聞くと、

今回の熊本・大分の地震がやがて東海・東南海地震を誘発するのではと思ってしまう。

Img_5567

それでなくたって、安政の大地震(1864年)から既に162年も経過しているのである。

100年から150年感覚で繰り返すと言われる地震のこと、何時起っても不思議ではない。

Img_5566

それにしても、この日本列島は地震・津波・台風・洪水・火山噴火と転変地変の宝庫だ。

もともとの火山群の頂上が、海の上に顔を出して出来た列島だからだろうか。

Img_5561

その災害の巣の様な所に根を下ろして、八百万の神々と共に息づいてきたのが日本人だ。

結果的に諦念を基礎として、惻隠やら忍耐やらの独特の国民性を持つに至っている。

Img_5559

しかるに熊本の地震で空き巣やら暴行があったと聞くと、怒りを超えた感情がわき出すのだ。

それにしても地震は心配しすぎても楽観しても駄目で、正しく恐れて準備する必要がある。

Img_5557

人間の命はたかだか数十年に過ぎず、地震の周期は100年から千年なんだから、

考えようによっては、たまたま遭遇した世代の運が悪いのである。

Img_5548

そう思って、必要以上に心配することなく明るく生きりゃいいのさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »