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2016年5月28日 (土)

心のよりどころ

この国には、実に数多くの仏教由来の文化が残されている。

最澄や空海が唐から帰った頃、仏教は正に世界の最先端の技術であり文化だった。

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人々は天国地獄を含め、これが人間の生涯だと、括目する思いで帰依したのではないか。

それが近世の化学なのか唯物論の故なのかはともかく、宗教の権威は剥落していく。

今では天国も地獄もその存在を信じる人は無く、仏教は葬式の様式に過ぎなくなった。

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残された伽藍は、過去の文化として観光資源として生き延びているのが現実だ。

とは言え人間は本来弱いものであって、「何か」に自分のよりどころを求めるものでもある。

それは時に、困った時の神頼みかも知れないが、それが普通の人間だろう。

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私にも経験があって、それは高校の入学試験の時だった。

入学試験の最初の科目が確か数学で、その最初の問題が分からなくてパニックになった。

そんな筈がないと思いつつも、その第一問で躓いて後は夢遊病者の様ではなかったか。

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もう落ちると覚悟したが、その日の試験を終えて村の神社に詣で石ころを一つ拾ってきた。

翌日の試験は、その石ころをポケットに握り締め、ほぼ満点で終わったのだと思う。

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後に高校の担任から、入試じゃ随分成績が悪かったと言われたことがある。

まぁ、恐らくポーダーで入学した訳で、入試に失敗してりゃ私の人生も随分違ったろう。

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ついつい余談になったが、先日訪れた金指の初山宝林寺のことを書こうとしている。

江戸初期(1664)に明国の僧独湛禅師によって開創された黄檗宗の寺だ。

今日に残る建物の多くが明朝風で、普通の寺とは異なった異国情緒を漂わせている。

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それはそれ、境内を訪れると自ずと俄かに仏教者になって、手を合わせてしまうのだ。

ともあれ人は、仏であれ恋人であれ、はたまた石ころであったとしても、心の拠り所を必要としている。

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