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2016年6月30日 (木)

いま生きていること

どうやら、今日あたりから梅雨の中休みに入ろうとしている。

私の可愛がっている葡萄達は、この中休みの間に一気に色気づくのである。

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それで昨朝は袋掛に夢中になって、毎日の立哨に5分ばかり遅刻したのである。

すると今朝、私のいない間に通過したと思しき子供達から「昨日は、どうしたの?」の一斉コールがあった。

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暫しのやり取りだが、うっとうしい梅雨のひと時の何だか自分としては少し嬉しい一瞬だった。

ところで、私達は自分が生きてるって手ごたえを、どんな時に感じているだろうか?

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普通は日々の生活の開け暮れに追われて「そんなこと・・・・??」って感じかも知れない。

でも人生には、躍動する瞬間と言うか、俺は今生きてるぞぅ〜って実感が欲しい。

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現実の生活は様々な衣をまとっているのだけれど、それだけが生きるってことじゃない。

生活の衣装を剥ぎ取って、尚且つ一個の人間として「生きてるって」ことを実感したい。

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一人一人の人間は、実は大変に孤独な存在で一人で産れ一人で死ぬ事になっている。

そうであればこそ、精一杯の生き方をして、そして納得してあの世へ旅立ちたい。

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それに私達は、「今生きてる」って瞬間に励まされて、長い一生を送るのだと思う。

そして言うまでもなく、その瞬間は自分が意図して創り出すものなんだ。

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梅雨の夜はひときわ内に籠るものだが、自分の人生を顧みるひと時でもある。

そう言えば、あの良寛和尚に「半夜」と題する七言絶句があった。

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 回首五十有余年 (首を回らせば五十有余年)

 人間是非一夢中 (人間の是非は一夢の中)

 山房五月黄梅雨 (山房五月 黄梅の雨)

 半夜蕭蕭灑虚窓 (半夜蕭々として 虚窓に灑ぐ)

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五十有余年の来し方を振り返ってみると、我が人生も一場の夢のようである。

この夏の五月(旧暦)、庵の外には梅雨が降りしきり、

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この真夜中、人気ない窓辺をしょうしょうと濡らしている。・・・・・と詠っている。

あの子供達と戯れる天衣無縫な良寛和尚にして、一人の生身の人間は孤独なのである。

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やはり、いま生きているって瞬間は大事だ。

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2016年6月29日 (水)

異化してみる

我が家にもささやかな床の間があり、そこには何がしかの掛け物が下がっていた筈である。

だが今、ハテどんな掛け物だったか思い出そうとしても、片鱗も思い出すことが出来ない。

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自分で掛けた軸で時折目にしている筈なのに、放置久しく既に認識すらなくなっているのだ。

私たちの日常もこの床の間と同じで、淡々と同じ様な毎日が過ぎ去っていく。

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朝牛乳と新聞が届いて朝食を済ませ、質素な昼食を摂って、やがて夕刊と郵便が届く。

慣れ親しんだ日常的な物事は流れるように過ぎ去って、その泡沫すら残さないのである。

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かつてロシアの文学思想家ヴィクトル・シクロフスキーが、物事には異化が大切だと言った。

普段の私たちの生活と言うのは、その知覚そのものが自動化される様になっていて、

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言葉は勿論のこと感性だって条件反射を繰り返している。

つまり毎日の生活が水や空気の様な状態になって、今さっきの事すら忘れている。

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例えば昼に何を食べたのかとか、家内と何を話したのかなどは上の空である。

ところが普段とは違ったことがあれば、その際のことは良く覚えているものだ。

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例えば昼には珍しいご馳走を食べたとか、ちょっとした細君の誕生祝いをしたとかである。

だから私達は意識的に普段と違うことをして、自分の脳と感性を新鮮に保つべきなんだ。

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ところで私の工夫はと言えば、昔は通勤の経路を毎日変えるなんてこともしたし、一頃は毎日違う本を読んでいたこともある。

そして今では、日々のルーチンは大切にしつつも、その毎日は決して同じではない。

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作物は日々成長して新たなステージに移るし、このブログだって毎日同じ事を書いている訳ではない。

週末には決まって何がしかのイベントに出かけていて、逢う人だってその都度違う。

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普段と違うことをするのが異化だが、お陰で毎日を新鮮に過ごすことが出来るのだと思っている。

つまり、異化は老化防止の転ばぬ先の杖かな!!

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2016年6月28日 (火)

多様性を語る

小雨の降り続く中、小学三年生40名余がやってきた。

目的は、私の育てているブドウの見学と社会勉強である。

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先ずはブドウのハウス4棟に入って、7品種のブドウの違いを観察してもらった。

ハウスに入ると、子供達は先ずブドウが実ってぶら下がっていることに驚く。

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そして次は、品種ごとに色や形が少しずつ違うことに気付くようになる。

実は葡萄には、ヨーロッパ系・アメリカ系合わせて数千の品種があって、その果実も、

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紫色ばかりか黄緑色や黒色・赤色、形だって小さいのから大粒・ひょろ長いの等がある。

勿論枝の伸び方やジベレリン感応性も違って、同じ葡萄なのにと思うことすらある。

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私は多様なブドウ品種のうち7品種を育てているだけだが、その違いが気に入っている。

葡萄は古くからの果物で、旧約聖書のアダムとイブの話にも登場するが、

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その栽培の歴史は更に遡って紀元前3千年というから、もう5千年も栽培されてきた訳だ。

それ程長期間にわたって栽培され、今なお生き残っている品種は必ず良いところがある。

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小粒だけど味が良い、味はそこそこだけど成熟期が早い、病気に強い、大粒で美しい、

香り豊か、アルコール発酵し易いetcと言った具合で、その良いところを引き出すのが栽培のコツだ。

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今日やってきた子供達だって、みんな顔も声も、感じることも表現の仕方も違っている。

教育は、それぞれに異なる個性の中から良い要素を引き出して伸ばすことだ。

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例えば笑顔や挨拶が良ければ、それをとことん褒めて伸ばしゃその子の自信に繋がる。

それは運動でも勉学でも同じことで、人間必ず良いところを持つているものだ。

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ともあれ自然界の多様性は実に重要なことだけど、私達社会の多様な意見も大切だ。

色々な意見があって纏まらないようだが、多様だからこそ進歩があるんだ。

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英国のEU離脱は最悪の選択で、イギリスの民主主義もこんなもんかと思わせた。

しかし、行きつ戻りつリスクを伴いながらも人間の社会はそれで良いのかも知れない。

まぁ子供達は、ブドウの多様性よりもその味の方に関心があった様子だけど…

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2016年6月27日 (月)

人生わくわく

人間は、ワクワクすることが無くなると、心が次第に錆びるように出来ているようだ。

だから人は、自分への刺激を求めて、あれこれと行動を起こすのだと思う。

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それはスポーツであったり、旅行やご馳走、欲しかった物や新たな知識だったりする。

あぁ~勿論、好きな異性との出会いは、そのワクワクの最たるものかも知れない。

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ともあれ人生を面白くしたかったら、自分でこの「わくわく」を創りだす事が肝心だろう。

私のブドウ栽培を始めとした植物とのやりとりは、正に之だね。

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春夏秋冬に次々と新たな展開があって、時に落胆もあるが喜びも多い。

この時期は毎朝、オクラにキュウリ、トマト・ピーマン・ナスを収穫する。

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葡萄は、もう少しで早生品種(早生デラ、ベニバラード)が食べごろになる。

収穫量が多すぎれば、我が細君がセッセとマーケットに運んでいく。

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UMやマラニックは、旅行とスポーツ、それに出会いと食のトリプルわくわくステージだ。

精一杯体を動かして会話があって、美味しいものを戴いてその土地の景色を楽しむ。

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自分の足で辿るその先には、土地ならではの自然や人情、歴史や出会いが待っている。

私が毎週のようにあちこちに出かけるのも、むべ成るかなではないか。

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ペットを飼ったりコレクションなどの選択もあるが、今のところ現状で手一杯だ。

この夏には、旅行を兼ねて国外のUMを走る予定だが、これが相当に過酷なレースらしい。

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昨日最終案内が届いて、100kマラソンの参加者は16カ国からの70名とあった。

しかも、標高2,500mの山に二度も登り下りしなきゃならない(知らなかった!!)んだ。

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ヘリコプターによる救援体制が確保されているから大丈夫と書かれているが、

北緯50度の地だから気温だって低いし、果たしてどういう展開になるのか??

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わくわく(ドキドキかな?)しながら、少しずつ準備を始めている。

それはともかく、先ずは物好きを決め込んで、その気になってのめり込むところからわくわくは始まる。

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2016年6月26日 (日)

私の朝

今朝は、私にしては珍しく7時頃になって目が覚めた。

一面の無数の花を幾つにも切り分ける様な??、不思議な夢を見ていたようである。

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全身に疲労を感じながらも、久しぶりにたっぷり眠ったという実感があって、心地良い目覚めだ。

昨日は17時間も走った訳だが、朝食を済ますと何時もの山にランニングに出掛けた。

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一日の始まりである朝と言う時間は、手元からすり抜けるように素早く通り過ぎてしまう。

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ベッドでまどろむなどと言うことは絶えて無いし、何時もその日の予定に向かって走り出すからだ。

どんなに疲れていても明日はこれとあれなどと、自分に言い聞かせて眠るからでもある。

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昨日は眠ることなく走っていて、夜明けは佐久間から水窪に抜ける山の中で迎えた。

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墨絵の様な山の重なりが次第に色彩を帯び、傍らの草花が鮮やかに輝き始める。

通り抜ける山里には人影も煙も無く、今未だ眠りの最中なんだろう。

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青崩れ峠に向かう途中に足神神社があって、その傍らの大きな岩一面に小さな花が咲いていた。

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今朝見た夢は、多分あの花のイメージなんだろうと思った。

ともあれ、あなたにとっての朝はどんな具合でしょうか? 

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どうやら朝目を覚ますのが楽しい人と、それが苦痛だと言う人に二分される様ですね。

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起きてもすることのない人は後者、「さあ、この一日はこれをして・・・」って人は前者のようである。

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さても山から帰ると畑仕事、今日は大豆と赤カブを播いて、残りの時間はブドウの手入れ。

私のブドウたちは、それぞれに色付きを始めていて、最も可愛い時を迎えている。

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どんなに疲れていようと、朝を快適に動き出せば光は自分のものになる。

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2016年6月25日 (土)

時間を距離に

昨夜から今日にかけて、しんしんさん主催の「夢街道90k」の大会である。

浜松駅を午後9時スタートし、真っ暗な中を秋葉街道を辿って、長野県の遠山郷がゴールだ。

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浜松駅には遠山郷観光協会のサポート隊をはじめ、ランナー30名余が集まった。

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空は折からの梅雨模様で、小雨が降り続いていた。

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私達は浜松の市街地を抜け、間もなく浜北・天竜、船明・秋葉へと真っ暗な中に走り込んでいく。

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途中東京からエイドに駆け付けたS司さんやI藤さん、S木さんなどのサポートに助けられて進む。

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40k地点の秋葉ダムを過ぎると真っ暗だが、突然ピカゴロと雷が現れて、ぐしょぬれの私達の肝を冷やす。

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それでも淡々と足を進めるのだが、真っ暗な中のランは何故か時間の経過が距離に置き変わっていく。

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1時間経過すれば7kと言った具合に、時の経過はどれだけ目的地に近づいたかの目安なのだ。

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53k地点のI藤さんのエイドを過ぎると、佐久間から水窪に抜ける塩の道を辿る。

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この塩の道が、馬であったにしても良くぞこんな急坂を超えたものだと思うほどの悪路である。

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その塩の道を登り切った所に手書きの小さな横断幕があって、ここからは下りと私達を勇気づけてくれる。

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空が明るくなるころ、雨も小降りになって、周辺の山々は墨絵のように幽玄の世界になる。

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そして山の景色は、刻一刻とその趣を変えていくのである。

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夜を徹して走るとは、そうした地域の在り様を丸ごと体で体験することでもある。

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ともあれb@10時過ぎ、今回のコースの最大の難所「青崩れ峠」に差し掛かる。

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この峠に至るまでがもの凄い登りが6kも続いて、峠の向こう側は山蛭の巣窟である。

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私達8名は一列になって峠を駆け下り、林の切れた所に立ち止まってはお互いに蛭の有無を確認し合いながら進んだ。

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この間6匹の山蛭を見つけ、塩を振りかけて撃退することが出来た。

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それにしても、油断も隙もなく蛭たちは、久しぶりのご馳走をめがけて攻めてくる。

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それでも本日午後2時、南信濃遠山郷道の駅「遠山郷」にゴールすることが出来た。

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遠山郷並びに青崩れは、熊本に始まって日本列島を裂いている中央構造線上東端に位置する。

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為に山は崩れやすく、峠は昔からの難所として名をはせてきた。

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それにこの夢街道は歴史の道でもあるが、過疎地復興の道でもある。

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寝ないでサポートして下さった遠山の観光協会の皆さんの熱意には、感謝しても余りあるのだが、都市部に住む人々はもっと山に思いをはせるべきなのだ。

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2016年6月24日 (金)

平成のジイジ

参議院と言うのは良識の府で知識人の集まりかと思っていたら、そうでもなさそうだ。

先ずは顔が売れてて見てくれが良くって、それに若いって事が最大の魅力になる。

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ことほど左様に若さは素晴らしいものだが、私の目からは50歳位が人間として魅力的だ。

程ほどの人生経験があって話が通じるし、それに何と言ったって精悍だし働き盛りだ。

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ともあれジイジの話だが、昔は大家族で何処の家にも大抵爺さん婆さんが居た。

その爺さんは大概どてらを着込んで炬燵に入り、お茶を飲みながらTVで相撲を見ていた。

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子供(孫)からすると、生まれた時からの爺さんで、まるで置物みたいに思われていた。

そんな昭和の爺さんと比べると、平成の爺さんは元気そのものでパソコンを使いこなす。

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勿論、エアコンだから炬燵も無いし、TVの相撲を見るなんてのは稀な事。

当然ながら孫達から見えるジイジの姿は、50代の壮年と変わらない(?)のではないか。

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それに何たって、年金のお陰で孫を引き寄せる甘い汁を持ってる。

我が家には、500mほど離れた所に住んでいる孫が代わる代わるやってくる。

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目的は好きなTV番組だったり、おやつ作り、晩飯、気分転換の宿泊だったりする。

年寄りばかりの世帯に若々しいのが来ると、それだけで華やぎが生まれるからそれは歓迎なのだが・・・・。

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先日のバーバの誕生日には、手作りのプレゼントを持ってきて盛り上がっていた。

しかし、ジージの誕生日なぞは知らん顔で、そんな不公平をとがめると、

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一番下の孫娘が「だって、ここバーバの家でしょ!」とのたもうたのである。

そう言やぁ~お年玉も、私が準備してバーバが渡してんだから、ムベなるかなであった。

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一体全体、若々しいはずの平成のジイジは、孫達の目にどの様に映っているのだろうか?

今夜だって、古稀になんなんとする平成のジイジは、夜を徹して走っているのである。

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そうだなぁ~、若い頃、この歳になって遥かな距離を走ってるなんて考えもしなかった。

確かに若さは如何にも魅力的だが、ただ若けりゃ良いってもんでもないんだな。

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2016年6月23日 (木)

蟻足

小学校の頃、片面ガラスの箱を作って蟻を飼っていたことがある。

ちょこまか動き回って何時の間にか整然とした巣を造る、その組織力は人間と同じだと感心した。

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それにランナーの列の様なあの蟻の行列は、否応無く組織の力を連想させる。ともかくも、

蟻はイソップ物語(蟻とキリギリス)のイメージもあって、働き者ということになっている。

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ところが最近の研究によると、蟻の二割は働くことなく遊んでいるらしいのだ。

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効率最優先で一丸となって群れを経営していると思いきや、一定数の待機組があるらしい。

いわゆる予備軍的存在らしく、働き蟻の一部に事故があるとそいつらが出動するのだ。

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それに群と離れてふらふらと歩き回り、時に餌を見つけたりするらしいから遊軍でもある。

人間集団と同じで、蟻は必ずしも謹厳実直な働き者ばかりではなくって、

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どうやら一定のショック・アブソーバー機能を持っていると言うことらしい。

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ついでに蛇足だが、蟻達はなぜか皆、左の二番目の足から歩き始めるらしい。

この点未だ自分で確認していないが、暇が出来たら虫眼鏡で眺めようかと思っている。

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人間の左利きのように、蟻だってやはり右利きがいるのではないかと思うのだ。

ともあれ、毎週のように蟻の行列(駆けっこ)に加わっている。

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何事も夢中になれば同じだろうが、殊に走ったり歩いたりすることで無心になれる。

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動く禅と言い換えることも出来るが、走っている間に心が軽くなるのだと思う。

それに私は、予備軍や遊軍的生き方では納得できない方だな。

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何事も自分からやって見なきゃ何も分からない。

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と言う訳で、今週末は浜松駅から長野県の遠山郷までの90kを走る。

生産的な事でもなんでもないのだが、そういうことに没頭するのが人生の醍醐味だ。

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大部分が夜間のランになるが、アレ・・蟻の夜は働かないんだっけ?

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2016年6月22日 (水)

本当の幸せ

松尾芭蕉が奥の細道の長い旅に出たのは、まだ46歳の若さだったと言う。

とは言え人生五十年の時代だったから、当時とすれば晩年に違いない。

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実際、芭蕉は51歳で亡くなっているんだから、旅は俳諧師としての人生の集大成だった。

その芭蕉の時代からすれば、私たちの寿命はゆうに3~40年は伸びている。

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そして短命の時代には、自分の短い人生で何を仕残せるかが最大の課題だったし、

だからこそ時間を惜しんで、燃えるように濃密な生き方が幸せだと考えていたのだ。

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明治維新を担った多くの志士達の生き方にも、多分にそんな気分を感じる。

だが定年後にも長大な時間が残される時代になって、当然ながら幸せ感だって変わる。

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第一「人の本当の幸せとは何だろう」って考える時間的余裕を持てるようになっている。

寝る間も惜しんで働くだけじゃなく、自分の心が満たされる何かを求めるようになった。

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物よりも本当の豊かさを考えるようになり、

実に多様な芸術やスポーツ・趣味の世界が私たち庶民のものになった。

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例えば、健康志向と相俟って、中高年の登山やトレッキングが盛んになっている。

だが、わざわざ大変な思いをして高い山に登るのは何故なのか。

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重いリュックを背負って一歩一歩喘ぎながら歩き続けなきゃ成らない。

足も背中も疲労がたまってきて、それで考えるのは「頂上はまだか」と言うことだけだ。

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あの坂を曲がった先まで行けば、きっと山頂がみえてくると期待しつつ頑張っている。

でも、そこまで行っても、また延々と杣道が続いているばかりだ。

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次第に重くなる体を叱咤して、何でこんな苦労しなきゃならんのかと思いながらも進む。

挫けそうになる自分を、心の中の何かがグッと支えているからだ。

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この苦しさの先には、きっと幸せがあると言い聞かせているのである。

精根尽き果てた頃やっとのことで頂上に到達し、その歓びにじわっと静かに満たされる。

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実はUMもこの登山と同じで、毎度性懲りもなく果てしない先のゴールを目指すのだ。

ともあれ、私達は長命の時代を生きている。

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それだけ長く生きるに相応しい生き方、幸せの見つけ方が問われているのだと思う。

そして本当の幸せは、自分の人生の現在位置を確かめつつ、自分なりの挑戦をするその先にあるのだ。

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2016年6月21日 (火)

梅雨のひと時

夜来の雨音で目が覚めた。

どうやら熊本辺りでは豪雨の被害が出ているらしい。

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その雨に半分濡れながら、何時ものように子供達を見送ったのだが・・・・・・

「はて、こんな雨でも来るのか?」と心配になった。

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実は今日は小学3年生が私の「ブドウ園」に社会学習にやって来る予定なのだ。

家に帰ると案の定、先生から「大雨のため、延期します」とTELがあったそうである。

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やむなく伸び放題になっていたブドウの徒長枝を除き、少し生育環境を良くすることにした。

ブドウは日当たりが悪くなると、下層の葉が褐変してしまうのである。

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折しも早生ブドウはもう色付き始めていて、来月初旬から収穫できるのではないか。

と言っても今年の成りは例年になく不良で、それでも同じ様にセッセと世話を続けてきた。

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春からのブドウ栽培の作業と言うものは、いつも両手を上げて万歳の恰好である。

それを半日、一日やると流石に往生するのだが、いつも「根気」って言葉を思い浮かべる。

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コツコツ、コツコツと作業していけば、やがて何時か(何日か後に)目的が叶うってね。

農作業もハイテクの時代で随分機械化が進んだが、ブドウ栽培だけは機械が使えない。

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もっとも親父の時代にゃ、田圃も畑もみんな手作業でコツコツやったんだ。

この瑞穂の国の人々が根気強いのは、そんな農耕のDNAの所以との説もある。

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ところで体力の限界を超えるUMは、その根気だけでは完走出来ない。

事前の準備は勿論、根気を通り越してひたすら淡々と走り続ける精神力が不可欠だ。

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こいつをどう補強するかが、私の当面の課題になっている。

強い雨音を耳にしながら、次のレースのこと(攻略)を思っていた。

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お蔭で、ぶどう棚は随分と明るくなったようだ。

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2016年6月20日 (月)

おいらの流儀

「大人は、誰も、始めは子供だった。しかし、・・・」と星の王子様には描かれている。

その子供の頃の通信簿の生活態度評価は、「協調性」がいつもAだった。

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主体性がなくて右顧左眄、周りの顔色を気にしながら生きてたって事だろう。

やはり世の中の全てが不安だったし、自分の力で生きることに自信がなかった。

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その反動なのか、物心付くようになって「主体的創造性」ってことを意識するようになった。

簡単に言うと、人の言うことに無条件で同意するのは止めようということだ。

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それに仕事でも、毎年同じことを繰り返す前例踏襲は出来るだけ避けるようにしてきた。

これは簡単なようで実は中々難しいことだが、結果としては自分を創ることに繋がった。

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特にこの三十年余、流儀とまではならないまでも自分なりの生き方を模索してきた訳だ。

ランニングや作物の栽培、ブログなどなどは、そのエレメントと言う事になる。

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ブログなど書いて何の意味があるのか、皿でも洗ってる方が益しだろうとの意見もあるが、

それは確かに書いたからって、それが人の心に届くなんて事大に考えている訳じゃない。

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それでも自分の声をブログと言う形で書き続けて、何時の間にか3,700日になった。

その書く事自体が習慣となり、自然と私のライフスタイルになったようである。

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それだって、ブログと言う形で自己表現を試みているに過ぎないのである。

ランニングも駿府公園の周回から始まってかれこれ30年、すっかり生活の一部になった。

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走ると言うことで自分と対話し、多くの走る仲間との交流が自分の世界を広げてきた。

毎朝の立哨(旗振り)も8年目になったが、これとて10年続けりぁライフスタイルだろう。

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ともかくも付和雷同でオドオドしてた餓鬼が、自分の足で立って一人で歩けるようになったと思っている。

それに何と言っても、大病することなく健康で過ごせている。

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流儀などと言うものはスタイリストや作家の少し変わった生き様かと思っていたが、

どうやら一人ひとりが自分なりに積み重ねて創ってゆくものらしい。

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2016年6月19日 (日)

自分との出会い

70年近く生きて来たから、これまで記憶しきれない程多くの人達に出会ってきた。

人に出会っては影響を受け、心を育て、時には愛情を育み、その出会いはまさに物語だ。

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思えば教示を受けた先輩や心を揺り動かされた出会い等、それこそが人生の要だろう。

長いこと籍を置いた職場だって、とどのつまりは誰と出会うかで勝負は決まった。

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つまり、他人と出会うことによって、自分を変えて(影響され、成長させて)きたのである。

ところで、朝顔を洗いながら自分の顔と向かい合いながら、時に「こいつが俺かぁ」と思う。

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自分とはガキの頃からずっと一緒にいた筈だが、未だにホントの自分に出会っていない。

頭髪も薄くなって死んだ親父に似てくるようだが、果たして親父は自分をどう考えていたんだろうか?

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息子の目からは町の議長を務めたり村の事で悩んだり、仕事はともかく目一杯生き抜いた。

私も何時の間にか、その親父と同じように生きている訳で、それに老い先もみえてきた。

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だけど70年近く生きて来たのに、私の中には二十歳の自分や四十過ぎの自分がいる。

穿った見方をすれば、この自分は未来よりも過去に生き始めているのかも知れない。

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あの頃はあれもこれも出来たのにと洗い直したって、結局何にもならないのにである。

ともあれ、一番親しいはずの自分とどう付き合うのかを改めて考えることがある。

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他人との出会いは一種の勝負みたいなものだが、自分とは簡単に妥協してしまう。

実はそれは、自分で自分を誤魔化しているに過ぎないのだ。

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そんな惰弱な自分ととことん勝負してみようか・・・・と思ったりもする訳だ。

幾分しわが多くなって弱気な顔を睨みつけると、鏡の向こうからも睨みつけている。

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「やれやれ、これが俺か!」と思いつつ、こいつに負けちゃならないと心している。

自分との出会いが、本当は最も難しいことなのかも知れない。

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2016年6月18日 (土)

恰好の良い足の女性なら、ミニスカートをはいて颯爽と闊歩するだろうがスカートはない。

スカートはないが気候が温かくなると、短パンで過ごすことが多くなる。

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毎朝間立哨から農作業を含めて、一日の大抵を短パンにTシャツで過ごすのである。

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それにマラソン大会なども大抵はランパンだから、自ずと日焼けして小麦色の足になる。

それで時々その足が話題になることがあって、今日も何人かから足を「褒めら」れた。

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実は今日は福田漁港シラス丼で、磐田駅に集まったのは三十数人。

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駅から南に漁港を目指すのだが、そのコース近くの我が家に立ち寄ってもらった。

ちょっとした私設エイドのつもりだが、寄り道もマラニックならではの楽しみである。

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私のブドウは未だ成長途上で見てもらうだけだが、何となく雰囲気だけは伝わる。

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ともあれ暫し我が家で休息の後、本来のコースに戻って太田川を下っていく。

太田川の河口には「渚の交流館」がオープンして、生シラス丼が評判になっている。

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福田漁港に水揚げされた魚をそのまま食べてもらおうとの試みで、隣には避難塔もある。

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その近くの芝生広場で輪になって昼食を取り、その後は海岸堤防を西に向かう。

梅雨の合間のかんかん照りとなって、爽やかな海風に背を押されと行きたいのだが、

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何と今日は30度を上回る無風状態で、夏草の茂る海岸堤防はムッと熱気が籠っていた。

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それで軽快な足取りとはいかずに、何時の間にか歩く時間が多くなってしまった。

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そんな折足が話題になって、「20代の若者の足だね」「その小麦色が良い」などと褒めてもらった。

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勿論、暑さ凌ぎのお世辞なのだが、ランナーにしてみると足を褒められるのは本望だ。

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途中で更にMさん宅にも寄ってお世話になり、15:20ななつぼし湯まで28kを走った。

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とにかく暑い一日って感じで、それに随分日に焼けで、私の足も真っ赤になっている。

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2016年6月17日 (金)

心の個室

人は誰も、望むらくは心温かで労わり合う様な気持ちで過ごしたいと思っている。

だけど現実には、然したることでなくともトゲトゲと自己主張し合って消耗している。

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家の中だって昔は田の字の家で、間仕切りはふすまや障子だけだった。

家族がいっしょくたに暮らしていて、喧嘩もしたけど心は緊密に繋がっていた。

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それが次第に個室化するようになって、今じゃ小さな子供だって密室で一人で遊ぶ。

心だって昔よりもずっと孤独になって、その分余計に癒しが求められる時代でもある。

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「ひきこもり」が一つの社会病になっているが、個室の時代がそれを助長していないか。

そもそも心は個室の様なもので、心のあり様は外からは窺がい知れない。

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必要以上にプライバシーが強調され、私達の心は何重もの密室に棲む様になった。

そして孤独な心は癒しを渇望するのだが、癒されないとなれば心の病気を引き起こす。

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哲学は良く分からないが、そこから派生した言葉の数々には引かれるものがある。

西田幾太郎の哲学に「自己は世界の一瞬間」って言葉がある。

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仮に孤独な世界に住んでいたとしても、その今の自分こそがこの世界の全てだと言う。

ややギャップがある気もするが、EU離脱騒動や為替、中国の覇権などの動きと私達の

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生活は密に連動しているのだから正にその通りでもある。

それに自分が消滅すりゃ、この世界も忽然と消えちゃうんだからね。

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飛騨は北アルプスの西端に位置していて、奥飛騨からは乗鞍や穂高の峰々が臨める。

上高地の大正池を生み出した焼岳は勿論、

穂高の向こう側には槍ヶ岳の突先が聳えていて、それこそ峻険な峰々が続いている。

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その恐ろしいほど険しい峰に取り付いてピークを目指す人達がいる。

孤独な心を赤裸々にして大自然と一体化させ、自分の中に深い心を求めるのだ。

あの剣が峰に挑むなど、とても軟弱な心の自分では無理だが、

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私の挑戦しているUMにも同じ様な要素があって、その成否はやはり心が支配する。

ともあれ北アルプスの峰々は、ちっぽけな人間のその小さな心を広げてくれる。

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2016年6月16日 (木)

餅の思い出

かつて我が家では、12月の28日か30日だったか大量の餅をついた。

その日は暗い内から外に釜土を設えて、蒸篭や伸し板を準備し半日かけて10臼程ついた。

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子供の私は火の番や手返しが専門だったが、小学3年の時父が病で倒れてしまった。

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それで急遽父代わって杵を握ったのが私で、あの重い杵を半日振り下ろし続けた。

今思っても大変だが何せ小学3年生であって、次の日から腕の扁桃腺が腫れ上がって、

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腕の上がらない数日を過ごしたことを今でも忘れない。

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餅がつき上がる頃、婿養子に出た叔父たちが家族ぐるみやってきて、餅を持って帰る。

家を継いだ者の務めとして、家を出た弟たちの面倒を見るのが当時の常識だった。

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ともあれ、あの餅つきが済むと、あの待ちに待った正月がやってきた。

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貧しい農村の倹しい生活の中で、元日の枕元に置かれた真新しい下着は眩しい程だった。

真っ暗なうちに起き出して初詣し、後に家族で食べる鰹節のかかった餅の旨かったこと。

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餅は縁起の良い食べ物で、古来日本人の風物を創ってきたところがある。

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餅つき歌も各地にあって、その中にはかなり味わい深い中身がある。

例えば、生まれた子供は弥生の菱餅、布団にくるまる柏餅。親にそっくり鏡餅。

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万年栄えて善哉餅。金持ち娘は餅肌で、めでたく嫁入り大福餅ってな具合である。

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赤ちゃんが布団にくるまっているのが柏餅ってイメージも良いし、家族円満が餅にあった。

時代は様変わりして餅をつく杵の音も絶え、人と人の繋がりも年々薄くなった。

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今じゃ我が家も、餅はスーパーから買ってくる。

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そういやぁ〜、柏餅は和菓子屋の専売特許だ。

飛騨の山間の家屋を眺めながら、その遠い昔を思っていたのである。

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2016年6月15日 (水)

ホントの自分

カフカの小説じゃないけど、若い頃は自分が何か別のものになる夢を結構見た。

突然、優等生や大富豪、或いは武道の達人になって、苛めっ子を見返す痛快な夢である。

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現実の自分の置かれた状況の裏返しで、夢想がいつの間にか夢になったんだろう。

流石に長いこと人間をやって来た今では、そんな都合の良い夢とは縁が無くなっている。

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自分と小さな頃からしょっちゅう付き合ってきたが、ホントの自分とどれだけ出会ってきただろうか。

自分の心だって、もしかすると他人の心よりも分かりにくいところがあるし、

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まぁ~今では自分の力がどの程度かおよそ想像出来るが、ホントは知りたくない真実だよね。

そして自分に一番近い存在の筈なのに、ホントの自分のことは案外分からないものだ。

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それに人は自分の限界が分からないからこそ、新たな挑戦が出来るんであって、

その「未知」ってことは人生における大切な部分だと思う。

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無限の可能性を秘めているかも知れないし、尚且つその一寸先は闇でもあるからだ。

だからこそ生きる価値があるんであって、それは年齢に関わらず変わらぬ真実だろう。

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こんなことを書き始めたのは、醜態を晒している某知事の事を思ったりしたからだ。

満身自信家の彼は、自分の力を過信し何とか(誤魔化し)できると考えたのだろうか?

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辞職するようだが、いか様な事情があるにしろこれまでの経過は十分見苦しかった。

某知事の去就はともかく、人間はある程度の自分に対する幻想を抱いて生きている。

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それに人は誰もが「自分に、出来るんじゃないか」って根拠の無い自信がないと前に進めない。

100kのUMを走るのだって、自分の脚で走るにはそれ自体が途方も無い距離だ。

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毎日訓練を積み重ねて心と体の準備はすれども、結果はやって見無きゃ分からない。

そして先日のように失敗しても、それは誰の性でもなく自分に負けたのである。

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しかも、自分の能力が欠けていた訳ではなく、準備不足だと思いたい。

ともあれUMは、ホントの自分を探しながら走るのだと思っている。

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千光寺に登り着いてホッとしたら、そこには祈無魔完走と書かれていた。

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2016年6月14日 (火)

飛騨に思う

飛騨高山の静かで落ち着いたたたずまいは、金森氏治世の107年間に形作られる。

今日に残る古い街並みも当時の町割りに基礎があるが、金森氏は1692年に転封され、

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以降はずっと代官の治める幕府の直轄地となっていた。

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1771年第12代代官の大原彦四郎の時代に、当時この国最大の騒動が起こる。

世に言う郡上一揆で、彦四郎の圧政に対する戦いが足掛け18年にも渡って続いた。Img_6088

この騒動で9千人余の農民が罪に問われ、多くの農民代表が殺された。

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そんな歴史的な騒動を想像するのはとても無理な、何処までも静かな山間の地域である。

郡上一揆の責任を問われて郡代の大原氏は流罪になり、その後は養蚕などが奨励されたという。

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私達はその山間を、飛騨独特の秋色がかった住居を眺めながら走ったのである。

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飛騨高山UMの挑戦は今年で三年目だが、毎度高山市当局の熱心さに感じ入る。

市長は70kのゴールから最終19時まで、8時間も立ちっぱなしでゴールするランナーを迎えて一人一人ハグしてくれるし、

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帰りのシャトルバスに乗ると副市長が乗り込んできて、「如何でしたか?足は大丈夫?

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来年も是非高山に来て下さい」と挨拶して回る。

そう、高山は観光の盛んな地でもあって、UMも重要な産業振興の一環なのである。

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泊まった宿にも風情と情緒があって、リタイアで打ち萎れる私の心を幾分和ませてくれた。

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山また山の高山だけど、その静けさと人々の温かさに年々心惹かれる思いがする。

しかしそれにしても、高山の100kを走り抜くのは容易なものではない。

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幾つもの山を越え、なが〜ぁい登り下りの斜面を辿らなければならない。

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いやいやコースの難度ではなく、我が心の軟弱さを悔いているのである。

何が何でもとの思いが強ければ、74,1kからの完走も十分可能だったはずなんだ。

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それを「どうせ、駄目だ」にしてしまったのは、他ならぬ自分自身との戦いに負けたのだ。

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そんなことを思って、昨日から意気消沈している。

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そして、あんなに辛かったのに、早や来年のリベンジを考え始めているのである。

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年齢などは関係なく、その気になれば出来る筈なのだ。

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2016年6月13日 (月)

永遠のゴール

58kで沈没した野辺山から3週間経過し、再起を期して臨んだ飛騨高山UMである。

天気予報は曇りのち雨だが、会場に到着した4時頃には空は明るく晴れ始めていた。

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第一感暑くなるのかとの心配だが、高山の涼やかな風のお蔭か体も足も爽快である。

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ビッグアリーナをスタートして3k程で高山の古い街並みの路地を走る。

前日にk地さん達と枡酒で乾杯して、完走を期したあの酒蔵の脇である。

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流石に観光名所として一番の売りでもあって、落ち着いた古色に見せられる所だ。

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さらに城山公園を過ぎた正面の家の二階屋根に三人の姿が見えて、

彼らはこのUMの名物応援者でもあって、毎年この屋根の上からエールを送ってくれる。

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「良しっ、今日もごーるを目指すぞッ」って気になるのも、ここからずっと山に入るからだ。

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そもそも高山市は全国で2番目に面積の広い市だが、その大部分は山また山なのである。

当然ながらこのUMも、その幾つもの山を越えて走る様に設定されている。

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まず最初の峠が美女(何故美女なのか?)高原で、その次がカクレハ高原、次いで

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コース最高地点の1,345m飛騨高山スキー場まで急坂を登っていく。

それでもその間、エイドではリンゴやトマトのジュース、ヨモギうどん、カキ氷などを出してくれて、随分と疲れを癒される。

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登りにかなりの時間を費やして、スキー場到着時間はもう目一杯の時間になっていた。

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しかしこのスキー場からは15k余の下りが続き、ここで時間を稼ぐのが作戦だった。

それで急な下り坂を6分/kを切るペースで走るに走ったのである。

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結果50k通過が11時23分と、後半の50kに37分(5k弱)の貯金が出来た。

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貯金を増やそうと更に飛ばし、いよいよ60k地点からの地獄の千光寺への登りである。

この2k余の急登はもう登山そのもので、登り切った仁王門では閻魔様ならぬ妙齢の女性達が三味線の合奏で迎えてくれた。

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更に石段を登り詰めると、そこには円空仏寺宝館があって、円空の多くの仏像がある。

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立ち木に梯子を掛けそのまま仏像を掘ったと言う円空は、高山のシンボルでもある。

ともあれ千光寺から少し登るとその後は7k程の下りで、兎に角精一杯下っていく。

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所が70k辺りから猛烈な疲労感を感じ出して、緩い下りでも歩くことが精一杯になった。

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後続のランナーにドンドン追い抜かれるようになって、気持ちも弱気に傾いて行く。

それでも最終関門(74k地点)を1分30秒前に通過したのだが、いつものUMなら

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「よおし、ここから」となるのだが、後続のカットされたランナーの波に押され、

遂にゼッケンを外しバスの人になってしまったのである。Img_6096

「何とかなった」という思いは、時間の経過と共に強い悔悟の念となったのである。

高山のゴールまでは基調として下りだし、再び元気になったかも知れないのである。

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ともあれ、UM100kは2大会連続のリタイアとなってしまった。残念至極。

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2016年6月11日 (土)

人は無限に

やっと(半年振りに)個人番号カードを取りに来いって通知が来て、市役所に行って来た。

それで私にもカードができた訳だが、カードには有効期限があって10年だと言う。

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更新時には暗証番号が必要だから覚えておけと言われて、ハテと考えてしまった。

そりゃぁさぁ、人は誰でも無限に生きていると思って毎日生活している。

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だけど実際は明日の事だって分からない訳で、10年先の自分が想像できないのである。

だから、10年先に果たしてカードの更新が必要な(出来る)のかどうか・・・・

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次いで、カードに貼付されている写真の額がぐっと広くなっているのが気に入らない。

「もっと、毛が有るだろぅ」って苦情を言っても、暖簾に腕押し。

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そもそも、自分の顔をまじまじと眺めるのが苦手なんである。

そう・・、歳を追うごとに、自分の顔に関して出きれば曖昧に捉えたい気持ちになっている。

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毎朝鏡に向かって顔を洗い薄くなった髪を撫で付ける時も、出きるだけ顔を見ないようにしている。

実際顔なんてどうでも良いんだが、しかし顔にゃ生き方が現れるって言うしね。

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果たしてこの顔が、俺の人生なのかって思いもあるしね。

ところで、何時の頃からか何か物を買う場合丈夫で長持ちする物を買うようになった。

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例えば靴や名刺入れとかボールペンだったりするが、時にこっちの方があと何年持つかと思うことがある。

背広だって靴だって恐らくは私限りの物だろうし、私も含めすべて使い棄てなんだ。

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人生には何度も節目ってヤツがあって、入学とか結婚・就職、子供の成人などだ。

それで大きな節目の定年退職を過ぎて暫らくなるが、次の節目はハテ何かと考えた。

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ハテ孫の結婚かなとも思ったら、どうやら次の節目はお墓のようである。

聖書にだって、汝は額に汗してパンを得、そして土にかえるとあるではないか。

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人生に、永遠は無いのである。

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2016年6月10日 (金)

エッサッサ

日本体育大学由来の演舞「エッサッサ」を、この33年間学校の伝統として受け継いでいる。

学校では体育大会が近づくとこの練習の掛け声が響いてきて、期待が高まって行く。

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今年の体育大会は少し肌寒さを感じる梅雨空だったが、トリの15時には数百人の見物者が集まった。

そしていよいよ太鼓の合図とともに、校庭の四方の隅から男の群れが押しかけてくる。

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校庭一杯に整列展開し、獅子が天空に向けて吼えるかの様にエッサッサの雄叫びを上げる。

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その若者達の力溢れる躍動感は、勇壮でありなおかつ将来への心意気さえ感じさせる。

500人程の男子生徒一人ひとりには様々な思いがあるだろうが、それはそれ青春の一駒として貴重なものであるはずだ。

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つまり、誰でも自分の人生の主役は「自分」だと思っている筈である。

殊に自分の主張や意志を何より大切にする近代では、無私であるのはむしろ難しい。

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服装や趣味、聴く音楽だって人によって異なっていて、共通項がドンドン少なくなっている。

しかるにこの群舞の中では、誰もが1/500の自分を演じているのだ。

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そうして現実の社会だって、理想とは裏腹に自我の露出過多は摩擦を生み出すだけだ。

世の中の動きも必ずしも個人の意図通りではなく、個人を越えた大きな力で動いていく。

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人生の主役は、実は「集団の中の一人である自分」なのである。

そうして私達は、何気ない他人の一言や顔に浮かんだ薄笑いなどを気にしつつ、

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大局よりも実は小さな関心事に翻弄されつつ暮らしている。

だから500人もが上半身裸で一糸乱れぬ行動をするなんで、もうそれは人生の一大事じゃなかろうか。

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ともあれ、私達は明日我が身に何が起るかを知らないで生きている。

知らない未来だからこそ、明日は生きるに値するのだろう。

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何故か今年の群舞は、そんな思いを湧き起こさせるエッサッサであった。

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2016年6月 9日 (木)

豊かさと子供達

今朝は特別支援の子供達が、サツマイモ挿しに我が家にやってきた。

その見物にと保育園の子供達も訪れて、ブドウ畑を見学して帰って行った。

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「まだ、食べられないね」などと、一時は我が家の界隈が随分賑やかになった。

そうなんだ、子供達が数人いるだけで、周辺の雰囲気は様変わりしてしまう。

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然るにこの国では少子化の流れが続いていて、今まさに高齢者の国になろうとしている。

少子化もさることながら、結婚というごく普通のことが普通でなくなりつつある。

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それが経済的理由とかで、政府が低所得の初婚者に補助金まで出すという。

昔から「貧乏者の子沢山」と言われて、経済的に苦しくたって子供だけはちゃんと育てた。

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それは子供の存在が一種の老後の社会保険でもあった訳で、今じゃそれが国になった。

子供が無くっても、ちゃんと老後は国が面倒みてくれるから、子供で苦労しなくても良い。

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そんな風に安易に考える人が多くなったのかどうか?

しかし、あまりの少子化に国の財政も怪しくなって、景気だって一向に上向く気配がない。

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これが仮に、特殊合計出生率1.8に回復とでもなれば、一気に様相は変わる筈なのに。

何故結婚して子供を産まないのかって、その理由は経済だけじゃないだろう。

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今の人達は、本当は子育ての煩わしさを忌避したいんじゃなかろうか。

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苦労して育てたって、親の期待どうりに育つなんてことは稀であって、子育ては厄介さ。

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例えば先日北海道で行方不明になって7日ぶりに発見された子供さんだって、

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果たして親の言う通りにはならない相当に芯の強い子供だったからこそ生還した?

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真偽のほどは分からないが、ともかく子供は親の思い通りにはならないものだ。

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幼い一人一人の顔を見ながら、この子たちの将来を想像してしまうのは歳のせいか?

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2016年6月 8日 (水)

若さへの憧憬

若さってやつは、もうそれだけで美しく見えるものだ。

殊に集団ごとに演舞して躍動し、走り、競い合うとなれば尚更である。

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実は恒例の中高合同体育大会が開かれて、その若さの発露に圧倒される一日だった。

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集団演舞を数多く組み込んでいる事もあって、多くの父兄も熱心に参観していた。

演舞は、号令とともに複雑な隊列の動きをする集団行動に始まり、ソーラン節の演技、

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卒業生のエグザエルあきらが振付けたダンス、そして伝統のエッサッサと続く。

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更に特徴的な競技は部活対抗リレーで、野球部やサッカー部を始めとして、

バレーやダンス部、弓道、剣道、テニス、バスケ、フットサル、水泳などの部活が競う。

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競うと言っても、それぞれの部活の得意技を活かしてのことであって、これが中々面白い。

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例えば剣道部は、400mもの距離を2人で激しく組打をしながらのリレーだから大変である。

それはともかく、体育大会のメインはリレーを含めての走りっこであって、

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若く鍛えた体が美しくすっ飛んでいくのは爽快ですらある。

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精一杯走って勝敗は明らかだし、特にリレーは自分達の力で勝った達成感に歓喜する。

ならば負けた方は不幸かと言うと、やはり自分達が力を合わせた結果に納得している。

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とにかくスポーツには、人にもたらすスカーッとした感じがあるんだ。

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各クラスごとにそれぞれ揃いのユニフォームを着ていて、応援もその喜びも集団ごとだ。

その色とりどりのユニフォームを眺めながら、美しさがその中に在るって思った。

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そもそも美しいと言う字は羊が大きいと書き、なぜ大きい羊が美しいのかと言うと、

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大きい羊なら皆で分け合って腹を満たすことが出来るからである。

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勿論物事に立ち向かって、みんなで分かち合うことこそが本当に美しいことなんだ。

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マラソンだってそうだけど、自分の力で走りきったという達成感は何物にも代え難い幸福だ。

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若い彼らにとって、この美しさの記憶はおそらく生涯のものだろう。

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2016年6月 7日 (火)

人生の焚火

先日土肥へ向かって走る途中、土産物屋に立ち寄ってビワソフトを食べている時のこと。

年配の旅行者から「オタクら、何処から走って来たの?」と声を掛けられた。

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狩野川の河口から云々と説明すると、「へぇ・・」と珍奇のまなざしを向けてきた。

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「イヤイヤ金は無いけど、きんりょく(筋力)だけは有るから、自分の足で楽しんでる。!」と蛇足説明を加えると、

「そんなことは無いでしょ。たっぷり年金を貰っていそうに見えますよ・・・」と返って来た。

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この年配のオヤジは精一杯の世辞のつもりだが、少し人の生き方の違いを感じたようだ。

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(「こいつら、俺とどうして違うのか?」と明らかに落差を感じた瞬間を見逃さなかった。)

そもそも神様は、この地球上で楽しむようにと人間をおつくりになったのだ。

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だから精一杯楽しむべきだが、ただ老いという薬味をちょっとお付けになったのである。

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モンテニューは「若者は人生の坂を登っている。老いては人生の坂を転げ落ちていく。」と言った。

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しかし、転げ落ちるかどうかは、人生の薬味の味わい方如何ではないかと思うのだ。

歳を重ねることは病気でもなんでもないんであって、精一杯活動的に楽しめばよい。

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もう歳だから無理しないように・・・・なんて言ってるから、坂を転げ落ちて行くのだ。

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この年配のオヤジ、一見私と同年輩のようでもあり、少し複雑な表情で去っていった。

年金で優雅な生活なんて出来るはずもなく、自分の足でしっかり楽しむのが肝心なのさ。

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現実に人生の焚き火は、まだまだ赤々と燃えているのである。

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予備の焚き木だって、まだたっぷりと積んであるんだから。

而して歳を重ねるほど十二分に人生を楽しんで、いずれその日が来たら、

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昔の西部劇の台詞の様に、「俺は、人生の焚き火に十分温まった。去る時が来たようだ。

後の人に譲ろう。出かける用意はできている。」と渋く呟いて去ればよい。Img_6000

だけど、もしその場面が夏だったりしたら、呆け老人扱いだなぁ~!!  ・・・どうしよ?

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2016年6月 6日 (月)

湯ヶ島から土肥へ

二日目の予定は、天城峠から猫越峠、仁科峠、風早峠、南無妙峠を経て船原だった。

しかし梅雨入り宣言と歩調を合わせるのように、昨夜からの雨が続いていた。それで、

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千m超の幾つかの峠越えは無理と判断し、船原峠を越えて土肥に向かうことにした。

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7:00には宿を出て「出口」に移動し、そこから船原峠に向かってひたすら登り、

峠からは一気に土肥海岸に向かって走り下る約25kのコースである。

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もう随分昔、この辺りが仕事の管轄区域だったこともあって、随分行き来したところだ。

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だけど自分の足で辿るのは初めてで、車の感覚とは随分違っている。

その上り坂の街道を淡々と2時間半余り登って峠に到着。

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小降りの雨に新緑が照らされて、むしろ晴れて暑くなるよりも快調な走りだったか。

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船原峠は当初予定したコースの最終地点だから、そこに登って山道の危うさを納得。

その峠で、大分早い昼食とした。

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数時間前に朝食を頂いたばかりなのに、宿で準備してくれた弁当がとても美味だった。

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暫しの休息の後、今度は土肥温泉まで12kの下りである。

途中のみやげ物店でビワソフトの幟を見つけ、土肥が白ビワの産地だったと思い出した。

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立ち寄って頂くと、これがお洒落で尚且つ結構な美味に大満足である。

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昨日立ち寄った農家直売のトマトも良かったし、伊豆の海山の幸は皆美味しい。

ともあれ12時近くには土肥温泉に到着し、みんなで日帰り温泉で汗を流す。

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後は清水港までのフェリーの時間まで、美味しい魚介を頂いて・・・・・・。

フェリーに乗り込むと、何とフェリーの航路が県道223(フジサン)号線なんだそうだ。

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それに梅雨空の合間から、富士山が墨絵の様に印象的な姿を現した。

それにしても、前日は狩野川の河口から天城へと風情の変化を楽しみながら走り、

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そして伊豆の西海岸に降りて、駿河湾を横切り清水港への今回の旅は如何。

お酒も含め美味しいものも沢山頂き、時間がゆったりと流れた二日間ではなかったか。

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それに、温泉にも何度か浸かったしね。

今週末のUMの準備にもなって、伊豆の遊び方としては素晴らしいと思う。

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2016年6月 5日 (日)

水の道・狩野川遡行

狩野川は天城山に発して伊豆半島を流れ下り、蛇行して沼津港から駿河湾に注ぐ。

天城湯ヶ島の源流から河口まで38kの水程を土地の歴史を織り込みながら流れている。

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例えば昭和33年、この地域を襲った狩野川台風は死者1269人と県史上最大の災害となった。

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狩野川上流の橋が倒木でせき止めめられ、その水が一気に下流を襲ったのである。

その狩野川が駿河湾に注ぐ河口に集まったのは、6名でアットホームなマラニックになった。

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今日の河口は津波対策の水門(ビュウオ)で守られて、決して開かれた川にはなっていない。

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だが私達はその末端まで行ってスタートし、これから狩野川の流れを遡るのである。

蛇行した流れが辿りつく沼津の街(人口20万余)に、狩野川は辛うじて潤いを醸している。

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その幾つもの橋を潜りながら清水町から三島へと、川の流れを遡っていく。

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7k程のところで本城公園に道草したのだが、ここは狩野川が大きく蛇行した突端の城で、

北条氏の築いた最先端の出城(徳倉城)で、かつて狩野川は北条と武田の国境だったのだ。

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今川義元が桶狭間で討ち死にするまでは北条と今川は極めて親和的だった。

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しかし駿府に武田勝頼が侵攻するに及んで険悪となり、狩野川を挟んで対立したのだ。

ともあれ私達は、狩野川の堤防を三島市から函南・韮山・大仁・修善寺へと登っていく。

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その道すがらの韮山は源頼朝の幽閉の地(蛭ヶ小島)だし、修善寺は源頼家が殺された所だ。

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それになにより、この伊豆半島の田方平野は戦国時代を象徴する北条早雲が勢力を蓄えた地でもある。

それはともあれ、伊豆の山々と川の流れを眺めながら、私達の長い道のりが続く。

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それでも16時頃、やっとのことで天城湯ヶ島の出会い橋に辿り着くことが出来た。

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ここは二つの支流が合流して狩野川となる所で、それぞれ男橋と女橋が掛かっている。

そして私達の宿は、この橋に程近い民宿「しきや」である。

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夜は、提灯をかざして蛍を見に出掛けたのだが、これが風情豊かで感動してしまった。

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伊豆は源氏の地だし、頼朝から北条へと時代の盛衰を見てきたところだ。

当然ながら蛍は源氏だろうし、高々この間800年の時の流れでしかない。

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そんな思いを胸に、音高く流れる狩野川の音を子守歌に眠りについた。

伊豆は、やはり良いところだ。

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2016年6月 4日 (土)

惑える者にして・・

時の流れの速さに驚くと言うよりも、過ぎ去ったことすら自覚できていないから不思議だ。

徒然草に「期するところただ老と死とにあり。その来ること速かにして、念々の間に止まらず」

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とあって、続けて「惑えるものは之を恐れず」と書かれている。

心迷えるものは、時が経過し老いや死が来るのも気付かないし恐れないと言うのである。

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セカセカと動き回って、他愛の無いことに懸命になっている毎日だし、惑いとは私の事だろう。

そもそもUMなぞの些事に夢中になって、折角の人生の時間を費やしているんだから、Img_5914

愚かと言われても仕方なしであって、人生を短く生きているというべきだろう。

だけど私達は、何もやることの無い長ぁ~い退屈な時間は苦手なものだ。Img_5913

それに後々、空虚な時間よりも忙しく走り回った時間の方が遥かに充実しているものだ。

だから単調平板な時の流よりも、短くとも充足した歳月の方が貴重だ。Img_5912

喜怒哀楽も一杯な、時間をそれこそ短く感じるような生き方こそ望ましいと思うのだ。

人が生きてりゃ楽しいことや嬉しいこと、はたまた緊張や不安、心配事などで一杯だ。

だからこそ、時間は素早く過ぎていくんであって、何も無けりゃだらだらとしか流れない。Img_5910

私も老来、来年には古稀になんなんとしている訳だが、明らかに惑える者らしく、

この自らが重ねてきた年齢(過去)よりも、依然として今日と明日に忙しいのである。

と言う訳で、今日は朝から仲間とともに狩野川を遡って天城湯ヶ島まで走った。Img_5909

この一日も、瞬く間に過ぎ去ったと言うべきだろう。

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2016年6月 3日 (金)

未来について

子供達の後姿を見ながら、年甲斐も無く「未来」なんて言葉を思い出していた。

子供の頃、何も知らないし出来ない自分の将来が不安で仕方なかった。

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この子供達も同じなんだろうかと思いつつ、不安だからこそ前を向いて歩くんだと思った。

私達は、自分の能力だって、明日わが身に何が起こるかだって知らないで生きている。

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まぁこれ位の事なら出来そうだとか、明日の予定はこうだから何があると予測はしている。

だけどホントは知らない訳で、仮に全部分かっていたら、それは生きるに値しないだろう。

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失敗すると分かってりゃその貴重な失敗の経験すら失うし、分かった成功じゃ面白くない。

つまり、先行きの分かった人生なんて、そのものがまるっきり面白くなくなっちゃう。

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人間の能力だって、本当はやってみなきゃ分からないのである。

それなのに、子供達の顔を眺めながら、その一人ひとりの将来を想像する自分が居る。

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不遜かも知れないが、ここまで生きてくると何となくそんな予測が出来るのである。

だけど本当は、誰の人生も一寸先は闇であり、光であり得るのだ。

だからこそ、私たちは黙々と生きているし、生きる価値があるのだと思う。Img_5919

それに、その人生の評価なんて、一体誰が評価出来るって言うのか?

とどのつまり、人生は自分で経験して、自分で納得するしかないのではないか。

それにしても我が身に関わることだが、不安の減少に比例して未来も影が薄くなった。

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人生はそれ自体が実験であって、色んな試行錯誤をしながら自分を試してきた。

そして、その残りの実験がどこまで可能なのか、そいつが試されているのである。

そういう意味で、子供達には無限の可能性と未来がある。

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2016年6月 2日 (木)

天地有情

梅雨入り前のひと時、今日は風も爽やかで青天の一日になった。

朝、子供達のやって来るまでの一時、暫し田植えの終わった田圃を見つめてうろうろ歩く。

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すると何匹かのおたまじゃくしの間に、全身緑がかった一匹の田蛭を見つけた。

おたまや蛭がこの天気をどう感じているのか分からないが、何だか伸び伸びと感じたのは気のせいか。

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イヤイヤおけらや獣たちの話ではなく、自分自身の気持ちの在り様を考えている。

その日その日で塞いだり燥いだり、腹を立てたり落胆したり、ほくそ笑んだリと複雑だ。

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旅に出れば旅の気分になり、非日常的な空間に心をさらせば感動もする。

それを私達は、自分の心の中から発する感情だって思い込んで生活している。

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だけど良く考えてみれば、それは世界全体の醸し出す一点景に過ぎない。

梅雨空の下では幾分陰鬱な気持ちになり、天高く晴渡ればそれだけで晴れがましくなる。

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この天地が感情的なら、その大自然の一分である私達も当然影響を受ける。

況や人間世界をやであって、自分の感情なんてそもそも固有のものである筈がない。

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様々な現象に影響されて喜怒哀楽しているに過ぎないのだ。

殊に情報の溢れ返るこの時代、消費税が、中国・北朝鮮が、慰安婦がと心配しすぎだ。

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だけど人は、そんな些細なことに一喜一憂することによって生甲斐を感じてたりもする。

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歳を重ねて老来頑固になる人は、天地有情を悟らない人なんだろうと思う。

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ともあれ、天地は感情で満ち溢れいるのだが、望むらくは心穏やかにこの天地と調和したいと思っている。

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だからこそ人は、自然を求めて出掛けたりするんだろうな。

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2016年6月 1日 (水)

年寄りの遊び場

先日「小笠山を愛する会」の役員会があって、自然観察会や遊歩道整備に取り組むことになった。

その会合の最後に、「いずれにしても、年寄りの遊び場を守っていきましょう」と集議一決。

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集まった誰もが、そういう時代だってことに得心していたのである。

ともあれ直近の静岡県の高齢化率が27.6%になって、もう2~3年で3割を超えそうである。

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いよいよと言うか、年寄りが元気に過ごす環境づくりがますます必要な時代だ。

当然ながら年齢を重ねる程体力・筋力を維持する必要がある訳だが、その認識が少ない。

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年とともに出不精が当たり前になって、特に男は人に会うことすら少なくなっていくようだ。

ところでセカンドライフで肝心なのは、「ちょきん」「きょうよう」「きょういく」だそうである。

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「ちょきん」はお金ではなくて、冒険家の三浦さんほどでなくとも、ちゃんと筋力を貯える事。

これには日常的に運動する習慣が必要で、最近じゃジム通いって人も多くなった。

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この「貯筋」って事に関しては、私はマラソンと農作業で人並み以上に維持している。

「きょうよう」は、教養豊かに越したことはないが、それよりも今日の用事である。

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人間は本来生かされている面があって、必要とされるからこそ元気で生きていられる。

それは飼い犬の散歩だってかまわないが、その日の用事が生き甲斐につながるのだ。

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三つ目の「きょういく」は、言わずもがなで今日行く所があるってことが肝心だって事。

実はこれが一番難しい課題で、普通は年とともに行くべき所は減っていく。

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私の場合は用事が無ければ山に行くのだが、この点常設のサロンがあると好都合だ。

そこには誰かしら仲間が居て、やるべきことを画策できればベターだろう。

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私にとって山の仲間は、サロン同様に登山や忘年会、UMへの挑戦などと忙しい。

もっとも私時自身は、年寄りだなんて自覚はさらさら無い訳だが、

いずれにしても、貯筋のできる今日行く場所があるってのは有り難い。

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それに小笠山には、春夏秋冬の自然の変化もあるしね。

この時期、山には笹ゆりの花が可憐に咲き始めている。

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