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2016年7月29日 (金)

サァェンバイノー

成田でモンゴルの飛行機に乗ると、アテンダントにアピアのイメージの女性がいた。

空路司馬さんの韃靼疾風録を読んでいて、その主人公庄助の思い人である。

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それはともかく、成田をたって空路5時間余、モンゴルの首都ウランバートルに到着した。

到着は午後8時なのだがまだ昼間、それにこちらは夏時間とかで日本と時差がない。

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モンゴルの地は、遥かな山並みが続いているのだけれど、そのいずれもが薄く緑に覆われ、不思議なことに耕地らしきものが一切見られない。

これが私の最初の驚きだし、本よりもはるかに軽快に感じる。

ともあれ13世紀、僅かな人口でユーラシア大陸の大半を征服し、元帝国を打ち立てた民族の地だ。

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漢民族は辺境の人々に獣篇や貉篇とかで表記したが、当時は狄(テキ)と呼ばれた。

どうやら「草原を駆ける犬の様なやつら」ほどの意味らしいが、その末裔の国である。

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ゴビ砂漠なども含めて全体として標高1500m程の高原にあって、中国で言う外蒙である。

前世紀、その中国から手を切る為にソ連に応援を求め、わざわざ社会主義化した。

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ブリャート・モンゴル人(現在のロシア領ブリャート共和国)がロシア革命に追随してモンゴル高原から中国軍を追い出したのである。

因みに余談になるが、ブリャート人はシベリアの低湿地で遊牧してきたモンゴル人で、

一説には日本人のルーツとも言われている。

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現在のモンゴル人は、このモンゴル高原に住む人々の他に、バイカル湖周辺に住むブリャートモンゴル人、そして中国に編入されて内蒙古に住む蒙古人に三分割されている。

そんな訳で首都の名はウランバートル(赤い英雄)だが、素晴らしい近代都市である。

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私達にはロシアと中国に挟まれた小さな国とのイメージがあるが、国土面積は日本の4倍もあって、

そこに僅か293万人(岡山県ほど)しか住んでおらず、それも130万人超がウランバートルに住んでいる。

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だから大草原をはじめ砂漠や針葉樹林、4000m級の山々や湖沼地帯に住む人は希少だ。

もっとも首都を離れれば上古以来の草原で、人々はパオに住んで放牧を生業としている。

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そこにはいわゆるモンゴリアンブルーと呼ばれる青く澄み切った空が、地平線まで続いているようだ。

と言うことでこの国は、酪農畜産をベースとする農業国、豊富な鉱物資源をベースにした鉱業立国、そして観光立国としての顔を持つ。

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今月初めの選挙で大政変があったばかりだが、空港から市中心部に向かう途中は、到る所建設ラッシュの感がある。

こちらの人々の使う言葉、サァェンバイノー(こんにちは)は、何だか「三枚の」と聞こえる。

明日はフブスグルに向かうのだが、向こうはパオ住まいだから、果たしてパソンコ環境が不明だ。ブログを書けるかどうか…

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2016年7月28日 (木)

残り10年?

「一度っきりの人生」ってなことを、このブログでも自分に言い聞かせるように書いてきた。

昨日発表された平均寿命は更に伸びた様だが、それでも男は80歳少々でバイバイだ。

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私が平均的かどうかは分からないが、まぁ普通ならそれ位までは寿命がありそうである。

とは言っても残りの時間は十年と少しだし、それが短いのか長いのか判断は付かない。

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ノンベンダラリンと生きるなら永過ぎるし、濃密に生きるんなら10年なんてアッという間かな。

人間ってのは、そういう意味で特殊な生き物のようだ。

地球上の人間以外のほとんどの生き物は、その一生を「死なずに生きる」為に費やしている。Img_6581

生きること(生命維持と生殖)が生存の全てで、恐らく自らの寿命を意識することも無いだろう。

ところが人間は、文明と言うヤツに助けられて余裕を持って生きるようになった。

と言うか、「生きるとはどういうことなのか」とか「「何故、生きる」などと余分な事を考えるようになった。

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それで、自分の生きた印の様なものを残そうとする。

例えばそれは墓だったり自伝、彫刻や音楽だったり、要するに「虎は死して毛皮を残し、

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人はその名を残す」って類の潜在的な意識なんだろうな。

静岡駅の南口にルノアールのブロンズが二体あって、ここを通る時いつも、

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彼の創作している様子やルノアールと言う人間を想像してしまう。

想像はするがルノアールは勿論、ロダンも家康も義元も、北条早雲も遥かに過去の人だ。

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どんな偉人や芸術家、或いは凡人だって、やがてその寿命が尽きれば死ぬのである。

そして人間にとって肝心な事は、自分の寿命の続く限り懸命に生きることだと思う。

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昨日までの高校野球県大会だって、私達が感動するのはひたむきな懸命さではないのか。

勝利を目指して戦う選手達も、それに応援する方だってみんな懸命だ。

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人生も同じ事で、一生懸命にゴールを目指す100k走の様なものだと思っている。

そんな訳で、残りの10年余を如何に懸命に生きられるのかが、これからの課題だな。

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2016年7月27日 (水)

How far is it from here to the gool?

モンゴル行きの支度をしているのだが、これが中々の重装備になりそうである。

ウランバートルで一泊して翌日、ロシア国境に近いフブスグル県のモロン空港へ飛び、

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その県都からジープで道なき道を数時間、キャンプ地のトイログに向かう。

トイログはモンゴル最大の淡水湖フブスグル湖の畔にあって、今回のスタート地点だ。

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そしてそのフブスグル湖だが南北136k、琵琶湖の4倍もの広さがあり、モンゴルでは海と呼ばれている。

モンゴルで最も風光明媚な所らしいからそれは良いのだが、問題は今回の大会のコースである。

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湖沿いを10kほど行ってそこから一気に2,300mの地点に駆け上がり、1700mまで下る。

そして再び25k地点から2,100mの地点を目指し、急坂を40k地点の1650mまで下る。

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更にダメ押しとも言えるが、55k地点から2000mまで登って下る相当にタフなコースだ。

それに北緯50度の高原だから平地でも気温は10度以下になるし、山の上は果たしてどの程度なのか?

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そんな難コースに加えて、地図にコンパス、水2リッター、防寒(水)具必携で、これをラグダの様に背負って走る。

まぁ良く調べもせずに、何とも恐ろしい大会にエントリーしたもので、少々呆れている次第。

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がしかし、今しか出来ないというか、エントリーできるギリギリの年齢でもあって、

この一ヶ月余り、それなりに走りこんできたし、体調も万全である。

問題はコースアウトせずに、ゴールまで辿り着けるのかどうかだが・・・・

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I `m lost.   I don`t know where I am.なんて成ったら・・それに訊ねる人も居ないだろうし!!

何とかゴールを目指すしかないが、この難コースを果たしてどれ程の時間で走れるのか?

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まぁ~、挑戦には常に不安が付きまとうものだし、やってみるしかあるまい。

そして仲間から、You did very wel.  Congratulations!と祝福されて、

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Oh , what a relief!(あぁ、ほっとした)って、そんな連想を膨らませている。

ともあれ How far is it from here to the  gool?(ゴールまでどのくらい?)って言葉は、度々使うだろうなぁ。

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2016年7月26日 (火)

自分を演じて

人は誰もが、自分の役割を演じて生きているのだと思う。

私もかつては懸命に子供や生徒・学生を演じ、長じてはサラリーマンとしての役割を務めてきた。

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勿論家庭においては父親であり夫であり、そして今では農園主でありランナーを演じている。

そんな具合にその時々の自分の役割を探しながら、そのことで自分の存在を確認していたと言える。

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とは言っても、それだけで生きている事に納得してきた訳じゃない。

人間だから怒ったり笑ったり、欲したり、時には嫉妬したり愚痴ったり、孤独に打ち沈んだりもしてきた。

色々な波乱にも度々遭遇したし、ともかくも70年近くそんな自分を演じてきた事に一定の感慨がある。

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失敗や挫折、悔いや反省も数多あるにしても、それなりに良く演じてきたと納得しているのだ。

それにこの先、幾つまで生きるか別にして、これまで以上の演技が可能なのかどうか?

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普通に考えればその可能性はドンドン狭まってくるだろうが、反比例して我が身の自由度は増していく。

自分に新たな役割を持たせることが可能になる訳で、もっと自由な演技が出来そうだ。

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要は、あふれるほどの大きな夢を持つことだろう。

登り詰めてここまで来たのだが、この尾根は未だ頂上じゃないし、後半生が控えている。

その後半の自分の人生を、しっかりと自分なりに創造せずばなるまいと思っている。

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ともあれ、出来る時にできることを貪欲にやらねば人生は終わってしまう。

それまでの間、どれだけの自分が演じられるのかが、人生後半の勝負である。

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2016年7月25日 (月)

夏休み

小学校も明日から夏休みで、登校する子供達の表情にも少しゆったり感があった。

この子たちは、明日から何をして過ごすのだろうかとフッと思ったのだが、

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はて、自分の子供の頃は何をやったっけ??・・・と思いだそうとしても何も浮かんでこない。

恐らくは宿題を気にしつつも、毎日その辺を駆け回って過ごしたんだろうと思う。

8月の30日になって、「夏休みの友」(とてものこと、友にゃならんかった)を前に必死になる。

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そいつを毎年のように、二日間でやっつけたという記憶だけが残っている。

思うのだが、どうせやりゃしないんだから、夏休みの宿題なんか出さずに、

飛びっきりの思い出を創るって課題にしたらどうかと思う。

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夏休みに一生の思い出に残る何かを主体的にやろうってことだ。

冒険でも競争でも、或は旅行や家族で何かを仕上げるってことだって良いな。

詰まんない一冊の空疎な「夏休みの友」の空欄を埋めるなんて作業は、所詮空しい。

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TVの漫画などを観て夏休みを過ごすよりも、もっと熱中できる課題を誰が提起するかだな。

同じ一生を過ごすんだから、子供の頃のそんな夢中が自分の一生の糧になるってこと。

誰が教えるのかと思うのだが…・夏休みの友なんかじゃ駄目だろう。

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「夏休みにゃ大いに遊べ。そして一つだけ心に残るものを創ること」そんな宿題が有ると良い。

と言って、今更やり直すなんてことできないが、私のこの夏の宿題はモンゴルの山だ。

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童心に戻って、夏休みを創るつもりでモンゴルを楽しんできたい。

そして、子供達同様にかけがえのない夏にしたいと思っている。

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2016年7月24日 (日)

孫娘

本来なら今日は草薙ぎ球場で準々決勝の予定だったのだが・・、止む無く何時もの山へ。

山はいつになく多くの(20人程)人が入っていて、この夏のひと時を汗していた。

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何時もの15kだが、毎日走っているためか随分体が楽になっている。

走った後は、何時もの様に仲間とのワイワイで、ひとしきり私のモンゴルランが話題になった。

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出場者が70人と圧倒的に少数で、100kの間に必ず一人になってしまうだろうこと。

多分、孤独な旅を強いられるだろうが、問題はコースアウトしてしまわないかと言うことである。

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GPSやらコンパスで何とかなるものかどうか? 

みんなが心配してくれるのだが、本人はもう既に「なんとかなるさ」って開き直っている。

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モンゴルでは池沼からスタートして山岳へ、後半の50kは高地平原を走ることになっている。

何とかヘリコプターの救援を待つことなく、完走したい(出来る)と思っている。

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午後は私の買い物もあって、孫娘と一緒に買い物に出掛けた。

ララポートは、夏休み入りと言うこともあって大変な賑わいであった。

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孫娘と言っても既に私よりも背丈が高く、もうすっかり「娘」になろうとしている。

ショートバンズ姿の孫と連れ立つて歩くのが、何となく気恥ずかしいのは何故だろう。

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ともあれ、しっかりと支払いだけは受け持たされて・・・・まぁ、それで良しとしている。

不思議なもので、確かに孫には甘いのである。

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残りの時間は、ブドウの徒長枝除去に汗をかいたのだが、これをやらないと来年の花芽が激減してしまうのだ。

夏の一日、その一日が音もなく過ぎ去っていった。

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2016年7月23日 (土)

再び愛鷹へ

今日は第4戦、袋井高校とのベスト8を掛けた戦いである。

事前の下馬評はエース加藤と袋井の稲垣との投手戦と言うことだったが、

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加藤はライトに回って温存し、4人の投手を継投して戦う第2戦と同様の作戦を取った。

結果は双方ともに打撃戦となって、エラーがらみで前半に4点を先取されることになった。

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流石に四点は重く、攻撃に打ち気が先攻してして、ヒット性の当たりも好捕されてしまう。

それでも後半に入って、やっとタイミングがあって加点を始めるのだが、遅かった。

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最終回の裏、五対三でランナー一・二塁、二アウトでバッター加藤となって、

一打逆転サヨナラの場面を迎えたのだが、ツウスリー後のバッテングは力が入りすぎた。

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結局、高ぁ〜いサードフライとなってゲームセット。

我が校球児たち、そして応援する我々の暑い夏の終焉となった。

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選手達には良く頑張ったと感謝したいし、尊敬したいくらい多くの感動も与えてもらった。

それにしても今回は、ナインの一人一人が大きく見えたし、ホントはもう少し勝ち進ませたかった。

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ところで、今日は「尊敬」と言うことを考えていた。

スポーツや職人の世界では、先達や監督は真に尊敬される存在だ。

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先輩の或は優れた技能を持つ人間の真似をすることから自分の上達が始まるからだ。

このあらゆるメカが発達した時代、尊敬と言うことを忘れた時代になっている。

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子供の頃、親父の背中は凄く大きく見えたし、何でも知っている凄い存在だった。

自分が生きていくには、この親父から学ぶ他ないと子供心に感じていた。

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翻って今日、子供達は果たして親父をどの程度尊敬しているだろうか?

幸か不幸か、世の中が均平化されて、地位や財産ってことがあまり意識されなくなった。

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同時に先達や親があんまり尊重されなくなったと言える。

親に依存しなくたって生きていけるもん…・ってことで、それが良いのかどうか? 

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余談になったが、スポーツ(勝負)の世界は、戦ってみなければ結果は分からない。

たら、れば・・・の思いは残るが、これが結果であって、今年のチームは良く戦った。

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2016年7月22日 (金)

遊びをせんとや

毎黄昏時、家の近くを10k程走るようになって、かれこれ一ヶ月近くになる。

走りながら出会うのは、健康目的でウオーキング中の年配者、学校帰りの中学生くらいだ。

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ごく稀に見知った小学生が自転車で「こんにちは」と声を掛けていく程度だろうか。

子供の数も少なくなったが、それにしても学校から帰った子供達は何をしているんだろうか?

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私が子供の頃には、誰もが遊びを探して歩き回っていた。

かくれんぼに陣取り、馬飛びやら縄跳び、かえん捕り(殺生)、木登り、相撲などなどだ。

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それも物のない時代だったから、竹馬や竹とんぼ、凧だって手作りで作る遊びだった。

今は昔と言えばそれまでだが、今時の子供はTVかゲーム、ラインと言ったところだろうか。

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いやいや大人だって縁台将棋だの何だのと遊びを作っていた筈だが、

今時は年寄りがグランドゴルフやTVで時間を潰している。

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仕事から帰った大人は、晩酌しながらTVで過ごして、子供達と大差は無いのだろう。

「遊びをせんとや 生まれけむ 戯れせんとや 生まれけん 遊ぶ子供の 声聞けば

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我が身さへこそ ゆるがるれ」言うまでもなく梁塵秘抄にある歌謡だ。

その夢中になって遊ぶ子供達の声が聞こえてこない時代になっている訳だが、

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「遊びせんとや 生まれけん」は人間の性であって、人は幾つになっても遊ぶべしだ。

遊び心を忘れた人間は、歌を忘れたカナリア同様に魅力の無い存在かも知れない。

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問題は何をして遊ぶのかだが、遊びにも継続と言うか、のめり込むってことが必要だろう。

意識して自分をそこに持っていく、その為に次から次へと布石を打つってことかな。

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遊ぶ目標が出来れば、今度はその為にコツコツ努力する。

さてこそ当面私の目標はモンゴル100kを完走することで、その為に暑い中を走っている次第だ。

ポケモンGOも良かろうが、私はバカモンGOで遊びせんと思っている。

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2016年7月21日 (木)

愛鷹球場へ

今日は早朝から沼津の愛鷹球場に向かった。

夏の高校野球予選第三戦で、シード校の三島南との対戦である。

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愛鷹山は、実は私の若い頃の思い出の地でもある。

昭和40年代の後半、その愛鷹山の麓にある下宿から職場に通っていた。

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その下宿には進駐軍(黒人)との混血の男や、特攻隊の生き残りが住んでいたし、

沼津のこの辺りでは、終戦後のこもごもを色濃く残していた。

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晩飯を食いに行くと、そんな雑多な人種が入り混じって、あぁ〜これが世間だと思ったりした。

孤独に下宿に帰って月に照らされる富士山を見ようとしても、愛鷹山が遮って全く見えやしない。

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富士山は単独峰だが、唯一この愛鷹山と裾野で繋がっていて、ただ一峰の連れ添いと言える。

ともあれ、その愛鷹山の麓にある球場が今日の戦いの場なのである。

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三島南校は足を使った攻撃が得意とかで、取り敢えず今大会の天王山の一つである。

先発は加藤君で上々の立ち上がりだったが、二回に無安打で一点を献上してしまった。

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だが味方打線の援護もあって、それ以降は無難に完投してくれた。

打線はと言えば、4回以降ピッチャーにタイミングがあってきてホームランを含め9安打。

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対する三島南打線は2安打に止まった。

無難にというか、順当に勝ち上がってベスト16に名乗りを上げた。

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まだまだ成長途上だが、どんどん投打ともに頼もしいチームになっているようだ。

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さてこそ、明後日は又してもこの愛鷹球場でベスト8を目指して戦う。

愛鷹は、源頼朝が大掛かりな鷹狩をして武威を誇示した所でもある。

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2016年7月20日 (水)

何でもない一日

今日はアレをしてこれを済ませてと思うのだが、この暑さがその意志を半減させてしまう。

それでも少しずつと自らを励ましつつ、這いキュウリを植えるために畑を耕した。

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暑いからと言って何もせずに過ごせないのが性分で、殊に畑は次の展開に結びつく。

この時期に這いキューリをセットしておけば、秋の終り頃まで収穫が楽しめるだろう。Img_6505

葡萄も早稲品種から徐々に収穫が始まっていて、これも私の毎朝の仕事である。

この畑の収穫から始まる生活のリズムは私なりに気に入っていて、その為に頑張っている様なところがある。Img_6504

毎日やらなければならないことを、次々と準備しているのだ。

ところで時に思うのは、人は何を支えにして頑張っていけるのだろうかと言うこと。

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近頃の高齢者を対象とした調査では、豊かさよりもお金を指向する傾向が強いらしいが、

金はあるに越したことは無いが、仮に金があってもすべき事が無いんでは本末転倒なのではないか。

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そもそも人生の持ち時間は、平均的には人によってそんなに大きな開きがある訳じゃない。

その限られた時間、その一日一日をかけがえなく生きる工夫の方が肝心だろう。

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何にも無い空っぽな一日が幾ら積み重なったとしても、それは只生きていただけでしかなく、後々思い出すことも出来ないだろう。

後生大事に「老後」を生きるにしても、問題は如何に深く生きるかだ。

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そして深く生きるとは、まぁ~色々と挑戦してみると言うか、やってみることじゃなかろうか。

その過ごしてきた記憶(体験)をどれ程持ったかで、人生の充実度が変わってくる訳で、

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私達はそのためにこそ、美しい花を育て、音楽や芝居などの文化、スポーツを広げてきたのだ。

明日のことは兎も角として、先ずは今日の一日の自分の人生を大切にしたい。

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その、何でもないその一日が、自分の人生そのものだって事なんだなぁ・・・・。

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2016年7月19日 (火)

無所属の身にて

最近、何故か昔の現役時代の夢を見ることが多い。

中身は記憶できない程些細なことなんだが、かつて係った多くの人々が登場する。

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何故忘却の彼方にあった人物が登場するのか・・・それが夢の不思議な所だ。

夢はともかく、それだけ色々な立場で様々な人達と出会ってきて、その記憶が残っているってことでもある。

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現役時代は高々40年弱だが、その間平社員から副主任、主任、主査、係長、主幹、

課長補佐、課長、所長、局長、理事・・・・と随分色々な辞令(肩書)をもらった。

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その度に、椅子の形や机の大きさが変わって、仕事と責任が重くなっていった。

当然ながら、人との付き合い方、例えば飲み会のパターンだって刻々と変化していった。

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それが現役時代の宿命とは言え、今になって思えば大変な階段を登ってきたものだと思う。

それがある日突然自由の身になり、今では年金で国民健康保険税と介護保険料を払う身だ。

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社会的役割を幾つか果たさなければならないとは言え、基本的には無所属である。

縦割り組織の階層に拘束される緊張感からは、すっかり自由になって久しい。

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よって毎朝、短パン・ランシャツ姿で街頭に立ち、「お早うございます」と大声を出している。

それで子供達からは、朝の叔父さん或は葡萄農園の叔父さんと呼ばれている。

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付き合いの範囲も様変わりで、かつての職域は霧消し、今ではラン仲間がもっぱらである。

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時折かつての職場の同窓会などの案内があるが、大抵は失礼させてもらっている。

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退職してかなり経過したとは言え、そんな会に行けば私はまだまだ小僧っ子なのである。

そんなこんな、近頃では富に「人生とは」等と、人間の生き様を振り返ることが多くなった。

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その反映が昔の夢なんだと思うが、やはり無所属の今が良い。

すべてを自分で決めて、まさに自分の人生を今生きているという感覚である。

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2016年7月18日 (月)

第二戦突破

今日は三方原の浜松球場での第二戦である。

いよいよ梅雨明けとかで、気温も湿度も猛烈に高くなった。

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選手諸君も、そして応援の皆さんも言わずもがな汗びっしょりである。

今日の対戦相手は地元進学校の雄浜松北高校で、流石に気合の入った良い試合になった。

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ただ高校野球と言えども、油断大敵で勝負は水物・・・・采配はなかなかに難しいだろう。

今日の試合では第一回戦で完投した加藤君は温存、目まぐるしくピッチャーを替えることになった。

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結果的に初番で2点を献上することになって、9回までに何と5人のピッチャーを登場させた。

まぁ楽々勝つよりも、苦労しながら実力を確かなものにしつつ勝ち上がる方が良いだろう。

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投手陣はともかく、打線は引き続き順調でヒットにならなかった当たりもそれぞれ好打と言える。

今年のチームは、投打が調和したかなり良いチームに仕上がっているかも知れない。

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これからの展開が楽しみになってきた今日の試合だった。

ところでこの三方原の球場を巡って、地元も地域も政治をまきこんで揺れている。

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市長と知事は、東京オリンピックまでには海岸近くの篠原に新球場を建設したい考えだが、

西風の強い遠州のこと、果たして海岸の強風地帯に野球場を建設するのが最適かどうか? 

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確かに現在の球場は駐車場も少なく決して便利とは言えないが、何か策がありそうだ。

市の考えは、野球場を廃止して陸上競技場にする方向らしいが、さてどうなるか?

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それにしてもこの辺りは三方原の縁にあって、かつて三方原合戦の折、家康と信玄が進退した所でもある。

歴史は家康が城に籠って難を逃れ、信玄公は家康を無視して西に進軍していった。

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家康にすれば苦戦はしたが生き残って、将来の天下取りの道を残した戦いだった。

野球も、やはり対戦してみなければ結果は分からないのだ。

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2016年7月17日 (日)

今年もサマーラン

この暑さの盛り、汗をたっぷりかいて浜名湖を半周するのが恒例のサマーランである。

弁天島の海岸を8:15分スタートし、湖岸を12.4km走って舘山寺港に着く。

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ここで簡単な昼食を済ませて、10:30発の遊覧船で対岸の瀬戸公港に渡る。

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この30分弱の船旅は暫しの休息でもあるが、お互いの意思疎通の楽しいひと時でもある。

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死体遺棄事件があったばかりの浜名湖だが、湖面は何時もと何ら変わることは無い。

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涼やか風が吹き渡ってヨットやボートを楽しむ人達も多い。

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だが私達は自分の足で目的地まで走るのが、今日の楽しみなのである。

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ともあれ瀬戸港からゴールの弁天島までは21kの距離である。

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途中、知波田駅近くでは、ヨッピーさんがスイカや梅ジュースを準備して待っていてくれた。

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走る仲間の嬉しいもてなしで、ヨッピーさんは走るのを止めてこの為に一日を費やしている。

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お互い様と言うのは簡単だが、そんなに簡単に出来ることじゃない。

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お蔭(モンゴルを意識したこと)と淡々と走ることが出来て、新居弁天の宿に14:00には到着。

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そのまんま、前に広がる浜名湖に走り込んで体を冷やした。

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近頃の海水浴客は、日本人はめっきり少なくなって、どうも日系ブラジル人が多い様だ。

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それはさておき、私だって海に入るのはこのサマーランの後くらいのものである。

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暫し海を楽しんだ後風呂に入って、恒例の懇親会が始まる。

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毎年のことだが、和気藹々の夏のひと時は明日からの元気を生み出すもとになる。

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浜名湖は汽水湖になって数百年、今だに観光的には開発されていないが、

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静かで風光明美で、とてものこと死体を捨てる様な所じゃない。

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もう何度も何度もこの浜名湖を周回してきて、その度に浜名湖が好きになる。

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2016年7月16日 (土)

初戦突破

先週の雨で順延となっていた高校野球、その県大会がいよいよ本番となった。

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私も朝から磐田の城山球場に繰り込んで、その初戦を堪能させてもらった。

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先ずは開会式が行われ、それぞれ4組の小中学生が始球式をして試合は始まった。

初戦と言うものは、選手たちは勿論のこと応援する方も少しばかり緊張するものだ。

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それに初戦と言うのに、スタンドはそれぞれ満席に近い状態なのである。

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それはともかく、初回から2得点と上々の滑り出しで、ピッチングも安定している。

二回に一失点となったものの、毎回のように得点を加えるみかた打線に援護され順調だ。

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そして5回裏の快音一打のホームラン、これが今日のゲームを決めた。

結果として7回コールドで、このホームグランドでの初戦をものにしたのである。

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ところでこの城山球場は、徳川家康が築こうとして完成に至らなかった城之崎城の跡なんだ。

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今川氏が滅んだ後、信玄と家康との間に駿遠分割の密約が結ばれる。

駿河は信玄、遠江は家康が支配することになっていて、その拠点として築城を始めたのだ。

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ところが信玄が次第に勢力を増し、信玄の西上作戦が始まる。

その前哨戦磐田の見付を舞台とした一言坂合戦が起こるのだが、家康は逃げ場を失う。

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その窮地を救ったのが本田平八郎忠勝で、名槍「蜻蛉切」を振るって奮戦したと伝わる。

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このお蔭で家康は池田の渡しから天竜川を渡って浜松城に引き上げることができたのだ。

信玄の不穏な動きとも併せ、信長の助言もあって、背水(天竜川)の陣となることを避けるのが賢明と、城之崎城は完成を目前にして中止となったのである。

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そうして迎えたのが元亀三年の三方原合戦だった。

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ともあれ初戦をものにした我がチームは、明後日三方原の浜松球場で第二戦を戦う。

例年と違ってシードされること無くスタートしたが、落ち着いたたチームに育っているのが頼もしい。

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2016年7月15日 (金)

残軀

年齢とは「just a number」 と考える豪放磊落な生き方もあるにはあるが・・・、

物や金は使えば減るのが当然、だが、人間の体は使わなくても損耗していく。

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否むしろ、使わないことによる劣化(衰え)の方が顕著なのではないか。

40代からコツコツ走ってきた私は、お陰で医者要らずの健康を維持しているが、それでも

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自分では衰えなど自覚しなくているが、山で一緒になる若い人達との走力の差は歴然だ。

どうも、筋肉の弾力(跳躍力)と言うか、一歩一歩の弾み方が違うのである。

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それに疲労回復の度合いも・・・・・若い連中のように速やかではなくなった。

このところ毎日10k以上の距離を走り込んでいるのだが、暑さもあって疲労は溜り気味だ。

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ともあれ、あの伊達政宗が「残軀、楽しまざるべけんや」と言ったのは何歳の頃だろうか?

いや正宗で無くとも、残軀の残高を思う年頃になると、より一層己が人生を考える様になる筈だ。

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野心家の正宗の「楽しまざる」には、あれも之も今のうちにやっておかねばと言う気持ちがあったのに違いない。

しからば何をやったか・・・幕府に内密に欧州に舟を出したりしたのもその一つだろう。

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吾ら市井の人間にはとてもそんな冒険は出来ないが、傍観して朽ちるを待つ人生も味気ない。

ここはやはり、今の内に出来ることはやるに如かずである。

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酒あらば酒を楽しみ・・・と言った生き方も良いが、先ずは健康な体を精一杯動かしたい。

・・・ってな訳で、今年はウルトラマラソンを数多く走ることにしている。

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既に宮古100kに始まって、富士五湖100k、野辺山100k、高山100k、夢街道90kと走った。

この先モンゴル100k、浜松縦断90k、丹後100k、浜名湖80k、南伊豆85kと続く。

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何時まで続けられるkかはともかく、正に残軀たのしまざるべけんやの心境である。

何事も心して望まなければ、得られるものは何も無いのだから・・・。

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2016年7月14日 (木)

懸命であれかし

「人生二度なし」だから悔いのない様に生きろと言われても、じゃ〜どうしたら良いの?

「そんな生き方してたら損じゃないか、人生は二度とは無いんだぜ。」

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そう・・・・不良少年にいくら説教したところで、多分効き目はないだろう。

それに私だって大小の悔いばっかりで、悔い無い人生なんて果たして有り得るんだろうかって思っている。

この点、森信三先生は、それを「腰骨を立てる」生き方と表現している。

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腰と言う字は肉月の要と書いて、体の中心であって、ここが人生の姿勢を決めるという。

剣道や柔道、そしてマラソンも腰がしっかりしないと駄目だし、書や囲碁だって同じだ。

そう言やぁ〜、ヤクザや不良に腰骨がすっくと立ったヤツなんて居ないだろう。

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何事にも真正面に対峙して、「とにかく、俺はこれを遣り抜く」と言う姿勢が人生を決める。

結果はともかく、事に向かって如何に悩み、如何に深く、爽やかに生きたのかが大切だ。

要は、自分なりに懸命に生きることが肝要と言うことだが、実際の人生は難しい。

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挫折の材料は無数に転がっているし、人を恨んだり妬んだり、慢心したり失望したり、

それでも、どんな時でも腰骨をスクッと立てて前に進めるのかどうか。

実は私の前半生を考えても五里霧中、試行錯誤の連続の中を彷徨っていた。

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当時の日記にも「彷徨」って文字がいっぱい出てきて、つまり無我夢中で生きていた。

少しずつ走り始めたのはそんな頃で、自分の内面が体に向かって何かを求めていたのだろう。

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毎日机上で悩み続けることが多く、鬱屈した内面を吐き出したかったのでもある。

今になって思えば、走ることは「全力を挙げて生きる」ことにつながった。

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ゴールに向かって直向きに腰骨を立てることを覚えたのは、マラソンによってだった。

そして走ることは、実は生き方そのものにつながっている。

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2016年7月13日 (水)

不可解な来客

7月も半ばになって、我が家の葡萄がそろそろ収穫期を迎えようとしている。

このところ起床後一番にすることは、葡萄のハウスに入ってハクビシンorタヌキの食害を確認。

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そして帰宅して最初の作業が各部屋を回ってスズメを追っ払うことだ。

その次には、無残にも雀に食べられた果実を取り除くこと。

色付き始めても収穫には未だ早いこの時期、決まってスズメとハクビシンが襲来する。

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ハクビシンは棚の上から手を伸ばして葡萄をもいで、皮だけを吐き出していく。

スズメはチュンチュン言いながらあっちこっちを突くから、突かれた所から房が腐り始める。

スズメにとっては、稲穂が未だ出ないこの時期の葡萄は貴重な食料だから、危険を冒してもなおハウスに入ってくる。

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捕えて焼き鳥やタヌキ汁にでもしようと思うのだが、やつらも命懸けだから容易ではない。

まったくもって迷惑な来客で、やつらに見えないように房に傘をかけたりと苦労は多いのだ。

私にすれば半年間の丹精の賜物であって、この時期が踏ん張りどころなんである。

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そこに先日、新たな来客が現れた。

暫らく前に小学三年生の集団が「社会見学」に訪れたのだが、その中の何人かが葡萄が食べたいとやってきて、婆さんが幾つかの房を食べさせたらしい。

それで(行けば葡萄をくれる)と言う事になったらしく、今度はいい親父が子供を4人乗せて、

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我が家に車で乗り付けてきて、その子供たちはそれぞれに大きな袋を携えている。

そして、その親父が「葡萄をくれるらしいってんで・・・」とシラッとのたまう。

こんな大人をムゲに追い返す訳にも行かず、子供達にだけ葡萄を持たせて帰した。

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憎っくきスズメを上回る略奪者に呆れるやら・・何とも利己本位の社会もここまで来たかと驚いた次第だ。

しかし、この世の中には常識ってものがあるだろう・・と思うと、無性に腹が立ってきた。

子供達の為と思えばこそ、毎年サツマイモや落花生を育て収穫をさせている。

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勿論掘り取ったものは、子供達に無償で持ち帰ってもらってきたから、それと同じ伝と思ったんだろうか。。

しかも餓鬼共は、禽獣のように飢えている訳ではないのだ。

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2016年7月12日 (火)

人生の選択肢

頼山陽の十三歳の時の詩に「・・・すでに水の如し 天地始終なく 人生生死あり いずくんぞ・・・」とあって、

時は水のように流れ去ってしまい、この天地には始めも終りもない。しかし、人生には生死があるから、ぼやぼやしちゃおられない・・・と詠っている。

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これが十三歳の覚悟とは、頼山陽にしてさすがと驚く他無いだろう。

そして「人生二度なし」と言われると、今日この歳になればまったく持って得心するのみである。

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しかして、私自身そんな覚悟で生きてきただろうかと振り返っても、不甲斐なく反省するのみである。

しかしそもそも戦後の人々の生き方の大勢は、エスカレーターの乗り継ぎのようなもんじゃなかっただろうか。

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幼くは小学校の、次は中学校のエスカレーターにただで乗って、振るい落とされることも無く成長した。

やがてそれぞれ選んだ高校エスカレーターに乗り、大学のそれだって今じゃ狭き門ではなくなっている。

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その大学もトコロテンの様に押し出されて、今度はどのエスカレーターに乗ろうかと就活だ。

上手いこと磐石な企業のエスカレーターに乗ればそれは終身で、定年までは音も立てずに昇っていく。

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節目節目に岐路があるにしても、全体とすれば選択肢はそんなに融通無碍じゃない。

やがてエスカレーターが静かに止まるのが定年で、その時になって始めて、自分がエスカレーターの上にいたことに気付く。

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何の準備も無く下ろされると、明日からは浪人同様の右往左往が待っているのだ。

一度しかない人生は、それで良いとする考え方もある。Img_6411

しかし、かつての人生五十年と言われた時代ならともかく、それから三十年前後は生きなきゃならない時代である。

しかるにもう既にエスカレーターはないし、道は自分で切り開くしかないのだが、それは老いの細道でしかない。Img_6410

この段階になっての「人生二度なし」は、悔悟の述懐でしかないだろう。

やはり「人生二度なし」の教訓は、小中学生遅くとも高校生にこそ大切だと思うのだが、Img_6419

その頃にゃ人生なんて永遠に続くと思っているのであって、頼山陽は例外なのである。

それにしてもエレベーターを降りて、健康なのにやることが無い人生なんてヤダ。Img_6407

やはり一億総活躍社会の中には、高齢者もしっかりと組み込んでもらわねば困るのだ。

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2016年7月11日 (月)

文福茶釜

狸の恩返しなど全国に伝わる茶釜伝説の一つが、静岡の古寺にもあった。

丸子宿の奥まった所の吐月峰柴屋寺に、足利義政公から下付された文福茶釜が伝わる。

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この茶釜は長く京都金閣寺に住んだ連歌師宗長に贈られたもので、宗長は今川氏親の庇護を受けてこの地に閑居した。

氏親は義元の父親だが今川氏の跡目相続を巡る争いの折、この丸子城の一角で十余年を過ごしたと伝わる。

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宗長は氏親と共に現在の柴屋寺で長い時を過ごしたのであり、中秋の名月の折には決まって茶会が開かれた。

夜の9時頃東山(寺の東の山)の笹岳の間から月が吐き出される(吐月峰)様に登ってくる。

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その「待月」の間が自然の風詠を楽しむひと時であって、茶会や琵琶奏などが続いた。

京の将軍義政から下付された茶釜はこの際に使われたのだが、一晩湯を汲み続けてもなくなることは無かったと伝わる。

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勿論大勢が茶席に相伴していた訳だが、ご馳走は連歌師宗長の「話」であって、

人々は宗長の話を聞くのに夢中で、茶釜に水が注がれるのも気付かなかったのだろう。

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まさに京都の雅な文化を伝えるひと時であって、故に福と文化を分ける茶釜なんだろう。

柴屋寺のその赤茶けた茶釜を眺め、待月石などを見渡すと、室町中期(1504年)の人々の姿がほのかに浮かんだりする。

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応仁の乱で荒れ果てたとしても、それ程に京の文化は大切なものだったのだろう。

この小さな柴屋寺の設えは、須らく今日と銀閣寺を擬して造られていたという。

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そんな思いを宗長は「山しろの 宇治のかほりに 堪え難し 種をまきおく 柴の山畑」と書き残している。

ちなみに宗長は一休和尚の弟子であって、和尚から賜った鉄鉢なども伝わっている。

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駿府の片隅の鄙びた歴史の一ページを垣間見る思いだった。

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2016年7月10日 (日)

ビアーラン

蒸し暑い一日だったけど、私なりに30数キロを走った。

午前は朝早くから何時もの山の登り下りを15k、一旦帰宅してから浜松に向かった。

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浜松駅スタート、砂丘の中田島海岸を走って駅に戻る20k程のランである。

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実は、熱い最中焼けた砂浜を走るんだから、それはたっぷり汗をかいて旨いビールを飲もうという魂胆なんである。

私はモンゴル100kが頭にあるから、午前中の山、そして午後は沙漠のイメージである。

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毎日あれこれイメージしながら10k以上をこなしているのだが、まぁ〜出たとこ勝負と言うか・・・・、

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最後は仲間の存在と精神力が成否を決めると思っている。

ともあれ今日のランだが、浜松駅から中田島海岸までは5kほど、開放的な海岸に出て、

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そこから砂浜を延々と走るのだが、昨日の雨のお蔭か砂が締っていて意外に走り易かった。

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海岸には波打ち際で遊ぶ家族づれやらで、かなり賑わいを見せていて、

その傍らを黙々と走るのは、さすがに私達だけであった。

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午後4時半、浜松駅に戻って汗を拭き、近くのデパートの屋上のビアーガーデンに繰り込んだ。

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これが3,800円と少々高いのだが、食事の質が良いとかで行列が出来ていた。

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ともかく各種のビールを戴きながら(と言っても元は取れないが、)皆の談笑が楽しい。

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遠来人の会の皆さんも集まってきて、一番の大勢で盛り上がったのである。

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それにしても、知己と言うのは良いもので、こんな場でも挨拶要らずで話ができる。

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たまには、こうしたビールランも良いものである。

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2016年7月 9日 (土)

稚心を去る

今日は仲間が集まって人生を学ぶ定例の勉強会で、第11講目である。

折からの雨なんだが、やはり走ろうと言うことになって、雨の中を10kほど汗をかく

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登りの5kは大変しんどいのだが、その分帰りは爽快なランニングが出来て心地よい。

それも走りながら、時折交わす何気ない会話が気に入っている。

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ともあれ1時間半も走って帰ると、もう昼近くなって、早速の昼食会になった。

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これが例によって、漬物を始めとしてデザートのトウモロコシやスイカ、キュウイや私の葡萄などの差入れもあって、これか又楽しいのである。

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がしかし、今日のテーマは「人と禽獣の異なる所以」であって、これは簡単じゃない。

現実にこの世には、寝て食って人に迷惑を掛けるのを何とも思わない輩だって数多いる。

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この私だって、子供の頃はお袋に「それじゃ、犬猫と同じでしょ」って、よく叱られたものだ。

この点森先生は、「真の人生の叡智から生まれる自己心を越えた深み」こそが大切だと言う。

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不断の自己に対する反省と自覚こそが、天地人生の道を明らかにするとも・・・・。

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確かに禽獣との違いは、自分の使命を自覚して、その為に努力するのが人間だろう。

だが「人生の意義(使命)は何たるか?」と真正面から問われると、忽ち戸惑ってしまう。

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しかも、寝て食って繁殖するのは禽獣だって、ちゃんとやっているんだからね。

ところで幕末の安政の大獄で殺された橋本佐内が15歳の時「啓発録」を残していて、

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この書の最初の書き出しが「去稚心」だという。

当時は15歳が元服とはいえ、子供くさい心を脱しなければ世の為人のためには働けぬと言うのである。

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子供心とは自己中心の思考であり、つまり禽獣の生き様に近いと言える。

まぁ難しいことはともかく、今日は「人と元気と地域をつなぐ」をテーマに活動している

若々しいF見さんのお話しを伺うことが出来た。

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F見さんは箱根駅伝をも走ろうとした方で、今でもパラリンピックサポートなど多彩な活動をしている。

そして彼の研究テーマが、「走ることは生きること」なのである。

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若さも素晴らしいが、発想だって我々の時代とは大違いだ。

ともあれ、私もいい加減に稚心を捨てなければなるまい。

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2016年7月 8日 (金)

夢の中の親父

昨夜は、久しぶりに元気で笑っている親父の夢を見た。

何故親父が登場したのか、残念ながらその筋立てを思い出すことが出来ないが、

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そもそも夢など見ないでぐっすり眠りたいのだが、なかなかそうはいかないのである。

夢と言うものは、日々の心配事から派生した心の葛藤から生まれるから、大抵は苦しいものだ。

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悪夢と言うか、追い詰められて絶対絶命と言うところで、はっと目覚めるパターンだろうか。

それが珍しく笑顔で何か言っていたのだが・・・・、その親父が死んでもう10年になる。

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私の今の年齢の頃は、親父は議員をそろそろ辞めようかという頃だっただろうか。

大抵の事は遣り終えたって時期で、・・・老人会の会長を止めて急速に気力が弱った。

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親父の寿命を考えりゃ、我が寿命だって残りはそんなに永くはないのかも知れない。

いやバングラデシュの事件ではないが、人は誰だって次の瞬間に何が起るか分からない。

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だからって杞憂のような、そんな心配をしていたら生きてはいられない。

仮に絶体絶命になったとしても、ハッと目覚めて又頑張るのが人生だろう。

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人生は、未来を夢見(楽観し)つつ前に前にと歩みを進めた方が良いに決まっている。

だから私だって、来年の予定を幾つも計画しているし、挑戦を縮小する気などは更々無い。

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問題は年をとっていくことだが、これとてそれなりの妥協の仕方があるだろう。

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とにかく、今出来ることを、出来るうちにとことんやることだ。

人は生まれ、人は生き、そして人は死んで行くのであって、その間を必死で生きりゃそれで良い。

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果たして、親父はそんなことを言いに現れたのではないか。

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2016年7月 7日 (木)

山へ

今度のモンゴルの100kレースでは、前半に2400mの山を二つ越えねばならない。

標高差に加え、下りで相当なダメージを覚悟しなければならないだろう。

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それで出来る限り山登りの体験をしておこうと思い立ったのである。、

と言って2〜3千mの山では、登ると言ってもそう簡単じゃない。

そこで山梨百名山の中から、少し風変わりな日向山1660mに取り敢えず登ることにした。

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少し遠いのが難点だが、何だか面白そうな山である。

山梨県北杜市の白州町(甲斐駒ケ岳)のすぐ隣に位置して、花崗岩の白砂が際立つ山だ。

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8月下旬に甲斐駒ケ岳に登ることにしているから、丁度良かろうとの思いもある。

それで今朝は早朝から新東名で新清水へ、中部横断道も一部使って10時過ぎに登り口に着いた。

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「道の駅はくしゅう」から7〜8k登った所に10台ほど置ける駐車場があって、

平日なのにもう先発者でほぼ一杯になっていたが、一人登山者としては安心して登れる。

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登山道はハイキングコースになっていることもあって、実によく整備されペースを守れば気持ち良く登っていくことが出来る。

登り口から頂上まで10/1〜10/9の表示があって、自分のいる位置が分かるもの気に入った。

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ともあれ、カエデやカラマツの下をキラキラとした木漏れ日が照らし、爽快な登山だ。

鼻歌まじりと言いたいが、やはりかなり汗をかいて75分余登ると、急に辺りが明るくなった。

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林を一歩抜けると、その向こうには真っ白な砂浜(?)が広がっていた。

それも白い岩の露頭もゴツゴツと、まことに持って奇観と言うべきか。

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おそらく日向山の由来は、この突然日向に出たような感覚になることから命名されたか?

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花崗岩が強い北風で風化して砂状になるのだが、立ち木も根元を浚われて徐々に倒れていく。

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日向山の山頂は、大自然の厳しい一つの変化を見せているのだった。

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当てずっぽうに選んだ山だが、今日は面白い体験をすることが出来た。

やはり、一見は百聞にしかずだね。

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2016年7月 6日 (水)

永遠に

今朝は、私にとっては25,075回目の朝である。

特に意味は無いが、このブログが3,700日余だから永いと言えば永い日時だ。

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昔、eternally(永遠な)って言葉が好きで、永遠に忘れない等と頻繁に日記に書いていた。

あの頃、少年の心には確かに永遠と感じるものがあったし、言葉自体に甘い味があった。

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あぁ~そうだ、アンドレ・ジイドを読んで、その人を思う心に永遠を感じたりしたのだった。

だけど今になって思えば・・・・・・、

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現実には生命も自然もすべからく流転し、永遠などはこの地上に何一つ存在しはしない。

秀吉や家康のような時代の覇者だって、何一つ永遠を手にし得なかった。

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存在しないからこそ永遠と言う言葉が生まれ、若かった私はそれを求めたのだと思う。

ところで、自分にとって本当に必要なものとは、一体何なんだろうかと考えている。

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家族か?、将来の健康か、はたまた地位か、名誉か、金か、女か、仕事か。

それとも人並みに人生を楽しむことなのか、逆に冒険の世界に身を晒すことか。

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健康な体と一杯のビールがあれば、今更他には何も必要ない様な気もするし、

本当は、自分が何を必要としているのか分からないのかも知れない。

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イヤイヤ、私達はいつも何かを手に入れようと懸命に走っているのだけれど、

だけど、それが本当に必要なものなのかどうかとなると途端に怪しくなると言うべきか。

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例えば金星にロケットを飛ばしたり、臓器を培養して移植したりするんだって同じことだ。

そうした未来への努力は、畢竟、私達の永遠への探究心の成せる技なのではないか。

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ともあれ永遠なんて言葉は、今時、照れくさくって口にすることも出来ない。

ただ出来ることは、自分に残された命を精一杯燃焼させるだけだ。

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そして今でも、少年の日のあの頃と気持ちは少しも変わってはいない。

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2016年7月 5日 (火)

七夕

七夕と言う行事は、家庭のと言うよりは幼稚園などの催事になってしまった。

子供の頃は旧暦の七夕で、夏休みの早朝里芋の葉に溜った朝露を集め硯を摺った。

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下手な字を恥じながらも、短冊に「お父さん、お母さんありがとう」などと書いていた。

短冊をぶら下げた笹竹を軒先に飾ると、母がそいつをホントに嬉しげに見ていた。

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終戦から間もない昭和30年頃の事だから、家族みんなが生きる為に懸命に働いていた。

甘い物なんてめったに口に入らなかったが、母がおはぎを作ってくれたっけ。

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そんな昔のことを思い出したのは、例年のごとく子供園から笹竹を取りに来たからだ。

早朝のうちに新岳を20数本切り出しておいたのだが、その内15本ばかりを持って帰った。

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「7日の七夕会には是非おいでください」と園長の笑顔が素晴らしく、ついつい来年の約束もしちゃった。

子供たちに、果たして七夕をどう教えるのだろうか。

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今時の子供達が、天の川を隔てた愛の物語をどのように受け止めるのだろうか。

それはともかく、近頃では天の川は薄くなって・・それに星空を見上げるなんてことも絶えて久しい。

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そう言えば夏の大三角形と呼ばれ、頭の上に大きく光る三つの星があった(る)。

こと座のベガ、わし座のアルタイ、白鳥座のデネブだ。

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実はこの夏にはモンゴルに出掛けることにしていて、たぶん子供の頃の星空に対面できるだろう。

否それどころか、空いっぱいの星に圧倒されるかもしれない。

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ところでモンゴル人は、北極星をアルタン・ガダス(黄金の杭)と呼ぶのだそうだ。

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北極星があの星空を支えているイメージで、はて彦星はどんなか、とくと眺めたいと思っている。

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2016年7月 4日 (月)

アジサイ

今日も猛烈な猛暑日になったが、アジサイの花を見るといつも梅雨の花だなと思う。

我が家にも数本のアジサイが花を咲かせているのだが、

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梅雨が何処かに行ってしまって、心なしかゲンナリしてるように見える。

ガクアジサイのあの花に見える部分は実はガクであって、花は真ん中の粒の部分だ。

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それにあの赤や青の色合いは、その土壌のPHによって咲き分けるのだが、品種によって感応性はかなり異なるようだ。

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アントシアニン色素が酸性なら青、アルカリ性なら赤に変化することで色が変わるからだ。

それで花言葉は「移り気」なんだそうで、花瓶に飾ろうと思っても水揚げがすこぶる悪い。

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それはさておき、昨日も一昨日もそのアジサイを眺めながら走っている。

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昨日の石巻山の登山道にも所々に咲いていて、片目でちらりとその移り気を見たりする。

それにしても自分で感心するくらい、毎日セッセと走りこみを続けている。

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来月初めに予定しているサンライズ・サンセット100kUMに向けての準備のつもりだ。

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昨日だって、このランは何時終わるのかと思いながら急な坂を登っていた。

それでもゴールは決まってるから、暑さを我慢してるうちにやがてホッとする瞬間が来る。

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つまり頑張って二時間余走れば、後は風呂に浸かってそれから宴会が待っている。

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夕方走っている10kだって、その後にゃ冷やした缶ビール一を飲む楽しみがある。

言ってみれば、美味しいニンジンをぶら下げて走る馬の様でもある。

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そう言えば、私達はマラソンに限らず、何事につけ自分との駆け引きをしつつ生きている。

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ランナーだって、走り続ける理由も人それぞれで、その動機付けも違っているのだろう。

ただ多くの仲間は走ることそれ自体が生活の一部になっていて、仮に走れなくなったら、

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その時には途端に元気をなくしてしまうのだと思う。

マラソンに限ったことではないかも知れないが、走る事には人生的色彩が濃く映し出されるようだ。

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アジサイの花色の移ろいのように。

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2016年7月 3日 (日)

弓張りの山の要

今日は、石巻山登山マラソンである。

豊橋の石巻山の麓に集まったのは、既知の皆さんが多く30名余である。

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真夏のこのマラソンは、標高356mの石巻山を一往復半する少しタフなイベントで、

ラン+風呂+宴会の三部構成の言ってみれば納涼マラソンである。

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それでも自己ベストを目指す人やら、今年も元気に完走しようというランナーが行き来する。

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斜面を行き交いながら、お互いに何度も顔を合わせるのが他の大会と違うところだ。

実はこの大会は、もう既に30回を超えて続けられている大会で、それだけに味がある。

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特にたっぷり汗をかいて風呂に入り、その後の宴会が信じられないことに、

何と3時間を超過して続くのである。

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走るスタミナとは違うとはいえ、何時の間にか午前の疲れを忘れてしまうから不思議だ。

ともあれ、走り終えて後、石灰岩の露出している山頂を目指した。

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20分弱の急登だが、ここに来るとこの山頂に達することなく帰るのが惜しく思われる。

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殊に先に登った二人の美人が待っていると聞かされ、足の疲れも何のその・・・・。

石巻山は戦国時代の城塞跡でもあって、山頂からは豊橋の先の海までも見張らせる。

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その石灰岩の露頭に立つと、さっきまで裾野をウロウロしていたのが嘘の様にも思われる。

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毎年元気でここに立てる幸せを、少しばかり感じていた。

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頂上近くに石碑があって、誰の歌か次のように刻まれていた。

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「弓張りの 山のかなめと 天そそる 石巻の峰は 神います山」

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或は石巻神社を詠ったのかも知れないが、確かに扇の要の様な位置に聳えている。

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私にとっても、この大会が終わると夏本番が始まるのである。

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2016年7月 2日 (土)

色彩の掌(たなごころ)

この梅雨の晴れ間のひと時、たっぷりと汗をかいて山道を掛けている。

その杣道の緑陰からはそよそよと涼風が吹いていて、汗ばんだ体をそれは癒してくれる。

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苦しくも心地良い時間を過ごして帰ると、N山さんが赤と黄の西瓜を準備して待っていた。

どうやら最終組になった私の為に、残しておいてくれたのである。

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その西瓜が渇ききった体に浸みわたる様に入ってきて、スイカの色彩までも好ましく思った。

実は好ましい色合いはスイカばかりじゃなく、私達は色んな色彩に心身を動かされている。

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この時期の私のブドウは、それぞれの品種の個性がその色合いと共に表現されてくる。

黒いブドウ、赤いブドウ、紫のブドウ、緑のブドウ、そのそれぞれが自己主張を始める。

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収穫まではまだ間があって、これから甘みが増していくのだが、その黎明が心地よい。

いやいやブドウだけでなく、トマトの色付きやナスの黒だって食欲を促す色彩だ。

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思えばこの時期、そうした様々な色合いに励まされて生活しているのである。

そうしてみんな身の周りにあって、秋のあのがらんとした寂しさがないのが良い。

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そうそう最も豊穣な時季を迎えていて、緑のピーマンなども毎日笊一杯収穫している。

続いてブドウ達も残り10日ほどから順次収穫期を迎え、私の朝は一層に忙しくなる。

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蒸し暑くて大変な時期だけど、私にとっては結構躍動の季節なのである。

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今日は山から帰って、10月から収穫する細ネギを大量に播種した。

何事も一朝にして成るなんてことはなく、細工は流々事前の準備が全てなのである。

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2016年7月 1日 (金)

人生という旅路

昨夕、葡萄ハウスで作業していると、見知らぬ若い男が家の前をウロウロしている。

「何か?」と声を掛けると、「光回線の件だが、ネットの分かる若い方はおりませんか?」と言う。

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目の前に居るじゃないかと言いかけて、「うちはモバイルだから・・」とお引取り願った。

かなりの年寄りに見られたのが、全く持ってしゃくだったのである。

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しかしまあ、古稀に限りなく近いんだから、社会通念からすれば年寄りなんだろうなぁ~。

それにしても私自身年寄りになったと言う自覚は、全く無いのだから不思議だ。

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強いて言えば、髪が薄くなって白い物がチラホラし、それに老眼が進んだ位である。

日常的に山の中を走っているし、UMを中心に次々とレースにも挑戦し続けている。

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とてものこと年寄りなどと言っている暇はないのだが、ただスピードは遅くなっている。

昔の様に、ここ一番での頑張りが難しくなっているのだ。

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それで考えることは、出来れば滑走路に車輪をつけずに低空飛行を続けること。

もう30年近く走ってきたが、もう空高く舞って自己ベストを更新するのは無理だろう。

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ならばこれまでの浮揚力の蓄積を元に、これからは低空飛行の持続を目指すのである。

それにしても「光陰は百代の過客」であって、人生は長い長い旅なんだと思う。

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改めて振り返って思えば、何時の間にか私ももう70年近くを旅してきたのである。

「月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ

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馬の口とらえて老いを迎える者は、日々旅にして旅を棲家とす」と奥の細道の冒頭にある。

しかして今日の旅は馬でも舟でもなく、瞬時に世界を巡り、寿命も遥かに延びている。

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或いは芭蕉の時代に比べれば、私達は格段に多くの光陰に接するのだろう。

老化をさほど意識せずに済むのも、その近代文明の福音でもある。

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ともあれこの旅路を失速することなく、低空であれ限りなく走り続けようと思っている。

そして、老人の仲間入りはせいぜい喜寿か傘寿を迎えてからだろう?

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