サァェンバイノー
成田でモンゴルの飛行機に乗ると、アテンダントにアピアのイメージの女性がいた。
空路司馬さんの韃靼疾風録を読んでいて、その主人公庄助の思い人である。
それはともかく、成田をたって空路5時間余、モンゴルの首都ウランバートルに到着した。
到着は午後8時なのだがまだ昼間、それにこちらは夏時間とかで日本と時差がない。
モンゴルの地は、遥かな山並みが続いているのだけれど、そのいずれもが薄く緑に覆われ、不思議なことに耕地らしきものが一切見られない。
これが私の最初の驚きだし、本よりもはるかに軽快に感じる。
ともあれ13世紀、僅かな人口でユーラシア大陸の大半を征服し、元帝国を打ち立てた民族の地だ。
漢民族は辺境の人々に獣篇や貉篇とかで表記したが、当時は狄(テキ)と呼ばれた。
どうやら「草原を駆ける犬の様なやつら」ほどの意味らしいが、その末裔の国である。
ゴビ砂漠なども含めて全体として標高1500m程の高原にあって、中国で言う外蒙である。
前世紀、その中国から手を切る為にソ連に応援を求め、わざわざ社会主義化した。
ブリャート・モンゴル人(現在のロシア領ブリャート共和国)がロシア革命に追随してモンゴル高原から中国軍を追い出したのである。
因みに余談になるが、ブリャート人はシベリアの低湿地で遊牧してきたモンゴル人で、
一説には日本人のルーツとも言われている。
現在のモンゴル人は、このモンゴル高原に住む人々の他に、バイカル湖周辺に住むブリャートモンゴル人、そして中国に編入されて内蒙古に住む蒙古人に三分割されている。
そんな訳で首都の名はウランバートル(赤い英雄)だが、素晴らしい近代都市である。
私達にはロシアと中国に挟まれた小さな国とのイメージがあるが、国土面積は日本の4倍もあって、
そこに僅か293万人(岡山県ほど)しか住んでおらず、それも130万人超がウランバートルに住んでいる。
だから大草原をはじめ砂漠や針葉樹林、4000m級の山々や湖沼地帯に住む人は希少だ。
もっとも首都を離れれば上古以来の草原で、人々はパオに住んで放牧を生業としている。
そこにはいわゆるモンゴリアンブルーと呼ばれる青く澄み切った空が、地平線まで続いているようだ。
と言うことでこの国は、酪農畜産をベースとする農業国、豊富な鉱物資源をベースにした鉱業立国、そして観光立国としての顔を持つ。
今月初めの選挙で大政変があったばかりだが、空港から市中心部に向かう途中は、到る所建設ラッシュの感がある。
こちらの人々の使う言葉、サァェンバイノー(こんにちは)は、何だか「三枚の」と聞こえる。
明日はフブスグルに向かうのだが、向こうはパオ住まいだから、果たしてパソンコ環境が不明だ。ブログを書けるかどうか…
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